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2021年12月31日金曜日

2021年そして2011年 [志村正彦LN302]

 毎年、大晦日にその年を振り返ることが多いが、今日はまず、十年前の2011年のことを思い出してみたい。この年の12月23・24日、志村正彦の同級生たちが富士吉田市民会館で「志村正彦展 路地裏の僕たち」を開催した。縁があって、この地元で初の本格的な志村展で、当時勤めていた甲府城西高校の授業で生徒が書いた志村正彦・フジファブリックについての素晴らしい文章と共に、僕自身の「志村正彦の夏」という拙文も展示していただいた。

 あの当時から今日に到るまで、志村の同級生たちから成る「路地裏の僕たち」、ネットの「Fujifabric International Fan Site」、地元紙の山梨日日新聞・YBS山梨放送が地元での活動やその紹介や報道の中心を担っている。彼らの活動の継続が、現在の志村正彦の大きな隆盛の原動力となっている。

 十年を経た今年、富士吉田では志村を伝え広めていくための重要な動きがたくさんあった。この12月末から、富士急行の下吉田駅の列車接近曲として「若者のすべて」「茜色の夕日」が流れることになった。志村の母校、山梨県立吉田高校の音楽部や放送部が彼の曲を合唱したり、番組を制作したりという活動を始めた。音楽部は日本テレビの番組「MUSIC BLOOD」にも出演し、「若者のすべて」のコーラスを担当した。富士吉田の高校生たちによる「#私たちのすべて」の試み。「黒板当番」さんによる富士山駅ヤマナシハタオリトラベル mill shopでの黒板画。また、そのような活動についてのNHK甲府やUTYテレビ山梨・山梨新報、全国紙の山梨版での報道や番組も増えてきた。この11月、志村正彦が富士吉田文化振興協会によって第24回「芙蓉文化賞」に選出された。エフエムふじごこでは「路地裏の僕たちでずらずら言わせて」というトーク番組が続いている。志村の故郷富士吉田そして山梨では、志村正彦の評価が確固たるものとなった。十年前と比べると、志村の知名度は格段に高まってきた。

 2022年度から「若者のすべて」が高校音楽Ⅰの教科書、教育芸術社『MOUSA1』に採用されたことは特筆すべきことだった。このニュースは、朝日新聞の全国版などで大きく報道されて反響を呼んだ。『サブカル国語教育学』という国語教育の書籍で「桜の季節」の授業構想も発表された。音楽や国語などの教育の場で、志村正彦・フジファブリックの作品が教材となる動きは今後も続くだろう。

 僕の本業は教師である。勤務先の山梨英和大学の「人間文化学」「山梨学」の講義の一つとして、「若者のすべて」や四季盤の作品を取り上げた。担当の卒論ゼミでは、志村正彦を卒業論文のテーマとする学生も出てきた。専門ゼミでは学生と一緒に、志村正彦・フジファブリックと松本隆・はっぴいえんどの歌詞の比較、日本語ロックの歴史的考察も試みたが、このテーマは今後このブログで書いてみたい。また、大学の出張講義の依頼があり、「ロックの歌詞から日本語の詩的表現を考える-志村正彦の作品」を甲府市内の三つの高校と吉田高校で行った。このように学内の講義・ゼミナール、学外の出張講義という形で、教育やそのための研究を進めている。

 偶景webの中心コンテンツ「志村正彦ライナーノーツ(LN)」が300回を超えた。振り返れば、2011年の志村展の「志村正彦の夏」という文が、この連載の第ゼロ回という位置づけになる。この文を書き終わったときにある手応えを感じた。このスタイルであれば志村正彦の歌について書いていけるかもしれない、そのような予感があった。実際にこのブログを始めたのはその一年後だったが、志村正彦LNについては、300回を一つの到達点として設定してみた。それ以来ほぼ一週間に一回ほどのリズムで書き続けてきた。少なくとも数回分の構想はあり、実際に下書きもしているのだが、時々起きる志村をめぐる様々な動きやニュース、あるいは全くの偶発的な出来事も積極的に取り入れてきた。だから、連載しているものが時々中断して、しばらくしてまた再開するということも少なくなかった。

 自分の内的なモチーフと、他者や外側から受けとるモチーフの両方から書いてきた。内発的なものと外発的なもの、必然的なものと偶然的なもの、その二つの観点から記述していくことが、このブログの持続のために重要だった。そして、このブログの書き手と読み手という二つの在り方を意識した。自分自身が一人の読み手としてこのブログを読む。その観点から何を書くべきかを模索してきた。


 最後にある曲を紹介したい。HINTOの新曲「ニジイロウィークエンド」である。

 12月28日、SPARTA LOCALSと HINTOのスプリットシングルCD『≠』(ノット・イコール)がリリースされた。一昨日、CDが届いた。紙ジャケットの表側には、白地に黒色の≠の記号が、中側には夜(SPARTA LOCALS)と昼(HINTO)のオブジェのような光景が印刷されている。おそらく録音スタジオ(山梨のようだ。山中湖あたりと思われるが、確かなことは分からない)周囲の晩秋の風景を素材としている。いつものように美しいデザインだ。

 最近はPC内蔵のスピーカーで聴いてしまうことが多いのだが、このシングルはオーディオ装置を通して何度も聴いた。安部光広のベースの心地よいうねり。伊東真一の彩り鮮やかギター。菱谷昌弘のタイトなドラム。そのサウンドに乗って、やや哀しげに、安部コウセイは〈土砂降り雨のウィークエンド あわてて走り出す/これはどこに向かっているのかな〉〈疲れ果てたよウィークエンド/君と話したい 果たせなかった事ばかり思う〉と歌い出す。安部のTwitter (@kouseiabe)には、〈コロナ禍で自宅にいる時、空に立派な虹がかかり、フジファブリックの曲「虹」が脳内でながれた。そのときの気分を残しときたくて作った曲です〉とあった。「虹」には〈週末 雨上がって 虹が空で曲がってる〉〈不安になった僕は君の事を考えている〉という歌詞がある。

 安部がフジフジ富士Qで歌った「虹」、堕落モーションFOLK2の「夢の中の夢」、HINTOの「シーズナル」「なつかしい人」。〈君と話したい〉の〈君〉に向けた歌とも思われる歌がいくつか浮かんでくる。「ニジイロウィークエンド」は、コロナ禍の苦悩や内省が入り混じる歌だ。いつかまた詳しく書いてみたい。

 この歌には複雑な陰影があるが、次のリフレインで終わる。


  雨上がりのウィークエンド 虹がかかったウィークエンド

  雨上がりのウィークエンド 始まりそうなウィークエンド


  この〈虹がかかったウィークエンド〉〈始まりそうなウィークエンド〉を、2022年への希望の言葉として受けとめてみたい。


2021年12月26日日曜日

「セレナーデ」と「若者のすべて」[志村正彦LN301]

  前回、「若者のすべて」の〈「僕ら」、「僕」という一人称単数ともう一人の一人称単数の存在は、別々の場にいるのだが、それでも、何か一つのものを分かち合っている。かけがえのないものを分有している〉と書いた。

 「僕」にとっての〈もう一人の一人称単数の存在〉は、「僕」の視点から見ると、《君》や《あなた》という二人称の存在になるが、「若者のすべて」の歌詞の中には二人称で呼びかけられる人間そのものは登場しない。あくまでも一人称の存在が二人いて、その二人が「僕ら」という一人称複数の代名詞で呼ばれている。「僕」と《君》ではなく、「僕」ともう一人の《私》が、「僕ら」を構成している。この「僕ら」が「僕ら」というあり方で、かけがえのない何かを分有している。今回はその〈分有〉について書いてみたい。そのために、「セレナーデ」という歌をこの場に召喚したい。

 「セレナーデ」は、2007年11月7日リリースの10枚目シングル『若者のすべて』のカップリング曲として発表された。今年6月、 RECORD STORE DAY 2021に合わせて、『若者のすべて』が7インチのアナログレコードとして発売された。B面には「セレナーデ」が収録された。赤色のレーベルに曲名がプリントされた黒色の円盤。赤と黒のコントラストが鮮やかだ。「若者のすべて」の〈花火〉の赤色。「セレナーデ」の黒色の〈眠りの森〉。そんな色の感触がある。レコード化されて、「若者のすべて」と「セレナーデ」の結びつきが強まった気がした。

 「セレナーデ」 (作詞・作曲:志村正彦)の歌詞を全文引用したい。


眠くなんかないのに 今日という日がまた
終わろうとしている さようなら

よそいきの服着て それもいつか捨てるよ
いたずらになんだか 過ぎてゆく

木の葉揺らす風 その音を聞いてる
眠りの森へと 迷い込むまで

耳を澄ましてみれば 流れ出すセレナーデ
僕もそれに答えて 口笛を吹くよ

明日は君にとって 幸せでありますように
そしてそれを僕に 分けてくれ

鈴みたいに鳴いてる その歌を聞いてる
眠りの森へと 迷い込みそう

耳を澄ましてみれば 流れ出すセレナーデ
僕もそれに答えて 口笛吹く

そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ
消えても 元通りになるだけなんだよ


  「若者のすべて」の「僕ら」は、眼差しの一瞬の交わし合いの中で再会したと考えているが、「セレナーデ」は、その「僕ら」が夢の中で再会する歌ではないだろうか。

 「僕」は〈眠りの森〉から聞こえてくる〈セレナーデ〉に誘われて眠りにつく。しかし本当は、その〈セレナーデ〉は「僕」が口笛で吹いている。すべては夢の中で混沌としている。「僕」の声もどこからか来る音も、混じり合っている。

 その〈セレナーデ〉が〈君〉に届く。〈君〉もまた〈眠りの森〉の世界へ入っていく。「僕」と「君」は〈眠りの森〉の中で再会する。深い眠りの中で〈セレナーデ〉が響いている。

 「僕」は〈明日は君にとって 幸せでありますように/そしてそれを僕に 分けてくれ〉と、夢の中で「君」に語りかける。「君にとって 幸せでありますように」という祈りが先にあり、「それを僕に 分けてくれ」という願いがその後に続く。「僕」の祈りと願いの言葉は、言葉として「君」に届くことはない。

 「君」はこの言葉の残響のようなものを微かに聞きとる。夢からの覚醒時に儚くも消えてしまうが、夢の中の言葉として記憶のどこかに、意識されない言葉として刻まれるかもしれない。最後の〈そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ/消えても 元通りになるだけなんだよ〉はその推移を描いている。

 すべては〈眠りの森〉の中の出来事。起きたことも、起こりつつあることも、これから起きることも、夢から覚めた後に消えてしまうが、この祈りだけは、無意識のどこかに、微かな痕跡のようなものとして残存する。「僕」と「君」は、この祈りを分かち合う。〈明日は君にとって 幸せでありますように/そしてそれを僕に 分けてくれ〉というかたちの〈幸せ〉が、「僕」と「君」に分有される。

 「若者のすべて」の「僕ら」は〈最後の最後の花火〉を見て、「同じ空」を見上げる。「セレナーデ」の夜になると、「僕ら」は〈眠りの森〉に入る。夢の世界で〈幸せ〉を分有する。すべては「僕」の〈途切れた夢の続き〉かもしれないが、「僕」の夢想は、A面の「若者のすべて」からB面の「セレナーデ」へと引き継がれていく。これ自体が筆者の夢想のような解釈だが、そのような夢想をこの二つの歌と分かち合いたい。



2021年12月19日日曜日

「僕」は「僕ら」でもある-「若者のすべて」24[志村正彦LN300]

 前回述べたように、ドラマ『SUMMER NUDE』の世界では、「若者のすべて」をめぐって、〈別れた彼女と偶然の再会を期待して、思い出の花火大会に来たけど会えない〉とする三厨朝日と、〈その彼女と花火大会の日に偶然再会する〉〈まったく会えることを期待しなかった彼女に最後の最後に会って、一緒に花火を見てる〉とする一倉香澄との間に、物語の解釈の違いがある。

 再会をめぐる解釈の差異は、「若者のすべて」の語りの構造に起因している。これまで繰り返し述べてきたが、「若者のすべて」の歌詞は、《僕の歩行》の系列と《僕らの花火》の系列の二つが複合されて作られた。この系列の構造を図示してみよう。



 三厨朝日は、「僕」の観点を重視し、《僕の歩行》系列の最後の〈すりむいたまま 僕はそっと歩き出して〉に、再会しないまま一人で歩き出すという物語を読みとる。それに対して、一倉香澄は、「僕ら」の観点を重視し、《僕らの花火》系列の〈同じ空を見上げているよ〉に再会の実現という物語を読みとる。

 この再会の有無についてさらに踏み込んでいきたい。

 「僕」と「僕」が思い続けていた人(『SUMMER NUDE』でいう「彼女」)が実際に再会して同じ場にいるのなら、当然、「僕ら」はこの二人を指すことになるだろう。この二人が〈最後の最後の花火〉の場面で〈同じ空を見上げている〉ことになる。

 しかし、この二人が再会していないとしたら、〈最後の最後の花火が終わったら/僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉をどう捉えたらよいのか。この「僕ら」という一人称複数の代名詞は、やはり、「僕」と「僕」が思い続けていた人の二人を指すだろう。再会していない二人が「僕ら」となるのはどのような状況を想像したらよいだろうか。一つ可能性を示したい。

 「僕ら」は同じ場所にいるのではなく、別々の場所で空を見上げている。つまり、「僕」はあくまでも一人で、空の花火を見上げている。「僕」が思い続けていた人、もうひとりの人物も別の場所にいる。「僕」とその人は別々の場にいるが、「最後の最後の花火」の時間に花火大会の会場という場を共有している。だから、僕とその人は「僕ら」と呼ばれ〈同じ空〉を見上げていると、「僕」は考える。〈同じ空〉という表現には、別々の場所にいるにもかかわらず同じものを見ているという含意も感じられる。

 また、〈同じ空を見上げている〉ということを〈よ〉という助詞を使って呼びかけていることにも注意したい。助詞〈よ〉は、話し手の判断・主張・感情などを強めて聞き手に呼びかけたり、訴えたりするときに付加する言葉だが、〈よ〉は話し手と聞き手の情報の不一致を前提として、話し手が聞き手の知らない情報や不充分である認識を伝えるという意味合いが込められることもある。「僕」の相手となる人は、「僕」と同じ場所にいるわけではないので、〈同じ空を見上げている〉という認識がないかもしれない。だからこそ、「僕」は〈よ〉を付けてその相手に呼びかける。この場合、この言葉は実際の発話ではなく、心の中の発話であるだろう。


 一つのストーリー、《僕らの花火》系列の2,3,4の間の空白をつなげる場面を想像してみたい。


最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ


最後の花火に今年もなったな 
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな なんてね 思ってた
まいったな まいったな 話すことに迷うな


最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 「僕」は、〈会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉と想い続けていた人を、偶然、見かける。その偶景によって、〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉というフレーズが、〈ないかな ないよな なんてね 思ってた〉に転換される。しかし、「僕」は〈まいったな まいったな 話すことに迷うな〉と躊躇い、そのままその場を通り過ぎようとする。その一瞬に、「僕」の視線はその想い続けていた人に向けられる。「僕」とその人との間で、眼差しが交わされる。眼差しによる再会。

 「僕」はその場を通り過ぎた後、一人で「最後の最後の花火」を見ている。その人も別のところで〈同じ空〉の花火を見ている。「僕」とその人は離れてはいるが、花火大会の時と場を共有する「僕ら」となる。「僕ら」は何らかの想いを共有していると、「僕」は考える。そして、〈僕らは変わるかな〉と問いかける。

 「僕」にとって、〈僕ら〉も〈同じ空〉も二人が何かを共有していることを伝える表現である。共有というよりも《分有》という言葉を使う方が適切かもしれない。「僕ら」、「僕」という一人称単数ともう一人の一人称単数の存在は、別々の場にいるのだが、それでも、何か一つのものを分かち合っている。かけがえのないものを分有している。


 「僕」は一人であるかもしれないが、同時に、「僕ら」でもある。その意味において、「僕」は孤独ではない。「僕」は「僕ら」でもあるのだから。


 しかし、異なるストーリーも可能だろう。「僕」と僕が思い続けていた人が再会し、文字通りの「僕ら」となり、同じ空を見上げている。そのような展開も想像できる。その他の解釈もあるだろう。

 おそらく、志村正彦にとっても、「僕」と「僕ら」をめぐる物語は固定的なものとして捉えられていなかった。彼は試行錯誤して二つの曲を融合させてこの作品を作ったと述べている。2007年12月の両国国技館ライブのMCでは次のように発言している。

歌詞ってもんは不思議なもんで。作った当初とは、作っている詩を書いている時と、曲を作って発売して、今またこう曲を聴くんですけども、自分の曲を。解釈が違うんですよ。同じ歌詞なのに。解釈は違うんだけど、共感できたりするという。


 志村は同じ歌詞であるのに解釈が異なってくることを強調している。彼が言うように、「若者のすべて」は、一人ひとりの解釈を生成していく。ここで論じたように、「僕」と「僕ら」のどちらの観点をより重視していくかによっても解釈が分かれていく。そして、「僕」と「僕ら」の二つの観点をどう融合してかによって、「若者のすべて」の解釈がさらに多様になっていく。

 この歌を聴くすべての人にそれぞれの「若者のすべて」がある。その一つ一つが「若者のすべて」の〈すべて〉を形成している。


【付記】今回、「志村正彦ライナーノーツ(LN)」は300回を迎えた。2013年3月に第1回を書いた。当初は漠然とだが、300回を一つの目安にした。9年近くを要してその回数に到ったことになる。このエッセイの言葉で言えば、この偶景webが、「僕」のブログであり、同時に、「僕ら」のブログであることを目指して、今後も書き続けていきたい。

2021年12月12日日曜日

解釈の分岐点-「若者のすべて」23[志村正彦LN299]

 「若者のすべて」の歌詞自体の分析を再開したい。前回の《22》から2か月ぶりになる。

 「僕」と、「僕」が〈会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉と想い続けている人とが再会したのかどうかを前回で論じた。「若者のすべて」を物語として読むときに、二人の再会の有無が大きなテーマとなる。

 もう八年も前のことだが、2013年の夏、フジテレビの月9ドラマ『SUMMER NUDE』(脚本:金子茂樹)で、「若者のすべて」をモチーフとする場面が登場したことが話題になった。この第2話の回想シーンで、三厨朝日(山下智久)と一倉香澄(長澤まさみ)が海辺のカフェーにいる。「若者のすべて」がBGMで流れ、香澄はこの歌を口ずさみ、二人の話が始まる。鍵となる部分を色分けして引用しよう。


朝日:この歌好きなの?
香澄:うん、大好き、歌詞がちょー良くない?
朝日:うん、これってさあ、別れた男女の切ない歌だよね。
香澄:えっ、違うよ。
朝日:そうだって、別れた彼女と偶然の再会を期待して、思い出の花火大会に来たけど会えないっていう歌だよ。
香澄:その彼女と花火大会の日に偶然再会する歌だって。
朝日:いや違う、絶対間違ってるって。
香澄:ちゃんと聴いてないでしょ。
朝日:聴いてるよ、俺もこの歌ちょー好きだし。
香澄:最後までよく聴きなよ。まったく会えることを期待しなかった彼女に最後の最後に会って、一緒に花火を見てるから。
朝日:いや、再会なんかしてないでしょ
香澄:してるの、彼女は戻ってくるの


 「若者のすべて」の物語を〈別れた彼女と偶然の再会を期待して、思い出の花火大会に来たけど会えない〉とする三厨朝日と、〈その彼女と花火大会の日に偶然再会する〉〈まったく会えることを期待しなかった彼女に最後の最後に会って、一緒に花火を見てる〉とする一倉香澄との間で、解釈が対立している。二人は各々、「若者のすべて」の歌詞から自分の想像する物語を読みとる。当然だが、どちらも成り立つ。むしろ、二人の各々の解釈が二人のその後にどう影響するのかということの方が『SUMMER NUDE』の重要な鍵となる。

  二人の解釈の分岐点は、《僕らの花火》系列の3と4のあいだの空白に何を読みとるのかということに帰着する。


  3
 最後の花火に今年もなったな 
 何年経っても思い出してしまうな
 ないかな ないよな なんてね 思ってた
 まいったな まいったな 話すことに迷うな


  4
 最後の最後の花火が終わったら
 僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 香澄の解釈は、彼女と〈花火大会の日に偶然再会する〉ことから〈一緒に花火を見てる〉ことへと接続していく。二段階でこの物語を捉えている。そして、〈彼女は戻ってくる〉ということを強調している。それに対して、朝日の方は二人が〈一緒に花火を見てる〉に相当する場面への言及がない。〈思い出の花火大会に来たけど会えない〉ということだけを語っている。香澄の解釈に比べると、一段階の物語となる。この段階の違いが解釈の分かれ道になっている。香澄と朝日各々の恋愛についての考え方にも起因しているだろう。

 この解釈の差異は結局、〈僕〉と〈僕ら〉、〈僕の歩行〉と〈僕らの花火〉の系列の間の空白部をどうつなげるかに帰着する。

   (この項続く)


2021年12月5日日曜日

「若者のすべて」の共演-「MUSIC BLOOD」[志村正彦LN298]

  12月3日放送の日本テレビ「MUSIC BLOOD」(MC:田中圭・千葉雄大)を見た。

 毎週1組のアーティストを迎え、衝撃的な音楽との出会いから始まった音楽人生や今も血液として自分に流れる原体験を〈MUSIC BLOOD〉として語り、自らの〈BLOOD SONG〉となった曲を演奏する番組である。

 冒頭で、志村の「一番の目標はその名盤を創るじゃないですけど、揺るがない作品を創りたいってのが」という発言が紹介された。志村についての簡潔な説明の後で、フジファブリック現メンバーの山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一が登場し、彼らの〈MUSIC BLOOD〉は志村正彦だと語った。

 志村について語るのは勇気が要るのではというMCの問いかけ対して、山内は「(あの)メンバーが志村君のことを話すというのは、その言葉によっては(やっぱ)誤解を産んでしまうという、(こう)おそれもやっぱりあるのはあるんですけど、やはり彼のことを伝えたいという、まだまだ知ってもらいたいと思ったので今日は話したいなと思いました」と答えた。山内、金澤、加藤の三人が志村が亡くなった時のことについても話した。彼らの志村への想いは伝わってきた。沈んだ声と瞳が印象的だった。三人の言葉をここに引用するのは控えたい。この番組はTVerやhuluでまだ視聴できる。

 この日は、「若者のすべて」(作詞:志村正彦 作曲:志村正彦)が〈BLOOD SONG〉になり、志村の声、現メンバー、志村の母校山梨県立吉田高等学校の音楽部による共演で演奏されると予告されたので、そのことに一番関心があった。番組の中頃で「志村の歌声とメンバーの演奏そして母校の若者たちの歌声」というナレーションと共に共演が始まった。メンバーと吉田高校生の背後に、「若者のすべて」MVが流れ、志村正彦が映し出された。記録のために、共演の箇所を下記に示したい。


若者のすべて (作詞:志村正彦 作曲:志村正彦)



〈志村の声〉

夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて


〈志村の声+金澤・山口のコーラス〉

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

〈志村の声+金澤・山口のコーラス+吉田高校音楽部のコーラス〉

すりむいたまま 僕はそっと歩き出して

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 吉田高校のコーラスは女子8人男子2人で編成されていた。「僕はそっと歩き出して」と「僕らは変わるかな」の一人称の単数と複数の代名詞、〈僕〉と〈僕ら〉に、志村正彦のやわらかい優しい声と高校生の若々しく綺麗な声が美しく重なりあう。「若者のすべて」の〈全て〉が多層的に響きあっていた。

 しかし、上記の記載で分かるように、2番目のすべてと、3番目の一部が省略されていた。特に、3番目のパートの〈ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉はこの展開からすると吉田高校の生徒のコーラスが入る部分だろうが、それを聴くことができなかったのがきわめて残念だった。

 純粋な言葉の音の響きからすると、〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉のコーラスが最も魅力的な部分となる。放送の時間の都合なのだろうが、この部分の吉田高校生のコーラスが省かれたのは疑問である。せっかく母校の高校生が共演するという貴重な機会を尊重するのなら、フルヴァージョンで収録し放送すべきだろう。「若者のすべて」の〈すべて〉が損なわれてしまうとも言える。

 最後に、書かざるをえないことを正直に記したい。

 志村正彦・フジファブリックの聴き手の一人としては、このような番組は基本として嬉しいものがある。しかし、この番組は〈衝撃的な音楽との出会い〉〈今も血液として自分に流れる原体験〉という観点から構成されているので、どうしてもある種の物語が必要とされる。そのことがかなり気になった。

 〈名曲を残し、若くして亡くなった天才〉という〈天才志村正彦の物語〉。そして、〈志村没後、もがき苦しみながら活動を続けた〉という〈苦悩と葛藤のバンドの物語〉。そのような捉え方や過程が実際にあったとしても、それが物語として語られることに、そして共有されることに、疑問がある。そうではない、という違和感を持つ。

 志村正彦の人生は物語ではない。

 揺るがない作品を創ることが一番の目標だと志村は語っていた。「若者のすべて」の〈僕〉は、そっと歩き出す。〈僕〉はなんでもない一人の若者である。その歩みは物語ではない。物語ではないからこそ、歌が生まれる。歌という作品が創造される。


2021年11月21日日曜日

志村正彦の母校での講義 [志村正彦LN297]

 先週、志村正彦の母校の山梨県立吉田高等学校で、志村正彦の歌詞についての出張講義を行ってきた。担当の先生から山梨英和大学に直接の依頼があった(ロックの歌詞に関する私の講義を聴いた吉田高校出身の学生が、その内容を母校の先生に話してくれたことがきっかけになったそうである)。志村の母校からの依頼はとても嬉しかった。光栄でもある。そもそもフジファブリックは高校時代のバンドが元になっている。この高校での出会いや様々な経験は、志村正彦という人間の形成にとって重要なものとなった。

 この講義は、1学年の総合的な探究の時間「富士山学Ⅰ」、スポーツ・観光・国際・芸術文化・街づくり・防災の6分野の講座のうちの一つだった。今年度のテーマは「地域を知ろう!」。担当の先生の教科が音楽であり、芸術文化の分野だったことことから、富士吉田出身、吉田高校の卒業生である志村正彦がテーマとして選ばれた。

 担当の先生とメールや電話で打ち合わせをした。「若者のすべて」教科書採用の話題で盛り上がった。合唱部も指導していて、「若者のすべて」の四部合唱もすでに試みたそうである。来年度からの吉田高校の音楽の授業では、「若者のすべて」が重要な教材になることは間違いない。吉田高校でも志村正彦の知名度が上がり、関心が高くなっている。放送部でも志村に関する番組を制作したそうである。音楽の授業で「若者のすべて」を歌い奏でる。部活動で志村正彦を探究していく。吉田高校の今後の活動がとても楽しみである。

 当初はオンライン遠隔授業の予定だったが、山梨県ではコロナ感染者も激減していたので(最近は感染者ゼロが続いている)、高校での対面授業に変更することができた。せっかくの機会なので、私も担当の先生も対面の方が良いと判断した。

 生徒の事前アンケートが送られてきて、志村正彦の存在は知ってるが、その作品はあまり聴いたことがないということが分かった。昨年、山梨県内では、「若者のすべて」が「STAY HOME」のCMで繰り返し流されていたので、この曲は知っているようだった。この高校は進学校であり、富士吉田市以外の市町村からも入学してくる。そのような事情も影響しているかもしれない。

 今回の講義では、音楽の教材となる「若者のすべて」と共に、「富士山学」の「地域を知ろう!」というテーマから、富士北麓地域の風景や季節感とのつながりが深い四季盤の作品、「桜の季節」「陽炎」「赤黄色の金木犀」「銀河」も取り上げることにした。「志村正彦・フジファブリック-四季盤と「若者のすべて」の歌詞を読む-」というテーマを設定して、特に四季盤については新たにSLIDE資料32枚を作成した。授業時間は45分と短いので、その全てを講義することはできない。講義では要点を話し、SLIDEは印刷資料やpdfにして配付するように計画した。そのSLIDEの一枚を紹介したい。(ABCという記号は三項から成る構造の各要素を示している)



 四季盤の春夏秋冬は、〈桜→陽炎→金木犀→銀河〉と変化していく。その季節の舞台となっている場は、〈坂の下→路地裏→帰り道→丘〉と移動していく。志村は具体的な地名や場所を記してはいないが、富士吉田がその場としてあるいは原風景としてイメージされていることは確かであろう。今回、四季盤の曲を繰り返し聴いていくうちに、富士吉田という場の中で四季の変化と具体的な場所の移動が循環しているように感じた。そのような時と場の循環のなかで、歌の主体(僕)は、言葉では伝えることのできない想いを抱えている。そのような観点に基づいてSLIDE資料を構成した。「桜の季節」「陽炎」「赤黄色の金木犀」「銀河」の四つの作品の構造を個別に分析する資料を作成した。

 当日は甲府から車で吉田に向かった。あいにく富士山は雲に隠れていた。吉田高校は二十年ほど前に校舎が新築された。この校舎に入るのは初めてだった。その前の旧校舎で志村は学んでいた。三十年ほど前、僕の友人が吉田高校に勤めていたときに、旧校舎に一度だけ行ったことがある。そんなことも思い出した。

 受付を済ませ待機していると生徒が迎えに来てくれた。1年生の教室は四階にあった。廊下の窓から周辺の山々が見えた。ところどころ紅葉していて美しい。教室に入ると生徒でいっぱいだった。コロナ禍での外部講師による出張講義ということもあり、生徒はやや緊張している様子だ。教室の後に数名の先生もいらしたのでこちらも少し緊張する。

 プロジェクターでSLIDEを投映しながら、〈志村正彦は富士吉田の坂の下や路地裏や丘を繰り返し歩いたのだろう。帰り道は高校から自宅までの道のりかもしれない。そして、春に桜を見て、夏は陽炎が揺れ、秋の金木犀の香りに包まれ、冬は銀河のきらめく星を眺める。季節の移ろう中で歌の主体(僕)は、誰か大切な人に想いを伝えようとするのだが、言葉で伝えることは難しい。そのような高校時代の経験が四季盤の歌詞に反映されているのではないだろうか〉というように、生徒に直に語りかけた。

 いつも心がけていることだが、こういう講義の場合、私自身の歌の解釈を示すことは最小限にとどめている。歌詞を聴き、読む上で参考となる語り方の構造やモチーフの関係の分析と、作品についての志村の証言に限定している。歌の解釈は聴き手のものである。歌の意味は、歌い手と対話しながら、究極的には、一人ひとりの聴き手が作りだすものである。この講義は一つの参考資料にすぎない。生徒自身が志村正彦・フジファブリックの言葉と楽曲を経験して、その世界を味わって読みとってほしい。吉田高校の生徒にそのことを伝えたかった。

 吉田高校のHPの新着情報に、吉高フォトダイアリー(1学年総合的な探究の時間「富士山学Ⅰ」)という記事がUPされていた。当日のいろいろな分野の講義の写真が十数枚掲載されている。そのなかに、黒板に「ロックの詩人 志村正彦展」のポスターが小さくだがかすかに見えるものがある(SLIDEは文字と図が中心なので、このポスターを掲示していただいた)。ポスターの横で私が立っている。当日の雰囲気が伝わる大切な記念写真となった。

 2011年、当時勤めていた高校で志村正彦の歌詞の授業を始めた。ちょうど十年後に彼の母校で授業を行った。この間、勤務先の高校や大学でこのテーマの授業を続けてきた。今年はすでに三つの高校で出張講義をした。拙い講義を受講してくれた生徒・学生、そして高校・大学という場に感謝したい。あらためて十年という時の重みを想う。

 


2021年11月7日日曜日

〈消えないでよ 消えないでよ〉-「ペダル」と「自転車泥棒」[志村正彦LN296]

 2007年11月7日、「若者のすべて」「セレナーデ」「熊の惑星」の3曲を収録したフジファブリック10枚目のシングルCDがリリースされた。今日は14回目の誕生日。人間の成長に見立てれば「若者のすべて」も14歳になる。TEENAGERの真ん中の季節にたどりついた。

 「ペダル」を冒頭に置いたアルバム『TEENAGER』について、志村はこう述べている。(【フジファブリック】時間はかかってしまったけど 無駄なことはひとつもなかった OKMusic編集部    取材:岡本 明、2008年01月20日


中学生~?高校生のはちきれんばかりのパワーってあるじゃないですか。あの集中力に負けてはいけないと思ったんです。いろんなことを経験して、あの時とまったく同じことはできないけれど、これからも追い続けていくっていうことを象徴した曲が「TEENAGER」。アルバムもそうしたいと思ったんです。ロックをやる限り、永遠にロック少年でいたいという決意がありますから。26?27歳で少年というのもどうかと思いますけど(笑)、潔く言っちゃう。ジャケット写真は女の子がぶら下っていて、顔も引きつってる。それがロック。ロックの定義は重力に逆らうことなんです。丸くならないで尖っていたい、逆らい続けることがロックですから!


 同様のことが、『東京、音楽、ロックンロール』(志村日記)の「ジャケ深読み」(2008.01.25)にも書かれている。『TEENAGER』は、中学生から高校生そして大学生くらいまでの十代の若者、そして〈逆らい続けるロック〉をテーマとするコンセプトアルバムだと捉えられる。「ペダル」から最後の「TEENAGER」まで、歌詞の言葉にもゆるやかなつながりがある。志村は確固たるコンセプトを持ってこのアルバムを制作したのだろう。

 「ペダル」は、ユニコーンの「自転車泥棒」(作詞・作曲:手島いさむ)からの影響があると言われてきた。今回はその点について少し考察したい。まず「自転車泥棒」の歌詞を引用したい。


遠い昔 ふた月前の夏の日に
坂道を 滑り降りてく二人乗り
ずっとふざけたままで

手を離しても 一人で上手に乗れてた
いつのまにか 一人で上手に乗れてた

髪を切りすぎた君は 僕に八つ当たり
今は思い出の中で しかめつらしてるよ
膝をすりむいて泣いた 振りをして逃げた
とても暑過ぎた夏の 君は自転車泥棒

白い帽子 陽炎の中で揺れてる
いつのまにか 彼女は大人になってた

本気で追いかけたけど 僕は置いてけぼりさ
お気に入りの自転車は そのまま君のもの

髪を切りすぎた君は 僕に八つ当たり
今は思い出の中で しかめつらしてる しかめつらしてるよ
膝をすりむいて泣いた 振りをして逃げた
とても暑過ぎた夏の 君は自転車泥棒


 冒頭で〈遠い昔〉〈ふた月前の夏の日〉という二つの時が設定されている。この二つの時間の関係が読みとりにくいが、〈遠い昔〉という大きな枠組の中で、その昔のある現在時から〈ふた月前の夏の日〉という時、小さな枠組が設定されていると、とりあえず考えてみたい。その〈ふた月前の夏の日〉に、〈坂道を 滑り降りてく二人乗り〉の自転車に、〈僕〉と〈君〉が乗っていたのだろう。二人はおそらく十代の若者。しかし、その〈君〉は自転車泥棒のように〈僕〉から去って行く。〈いつのまにか 彼女は大人になってた〉とあり、まだ大人になりきれない〈僕〉とすでに大人になっていった〈彼女〉との擦れちがいを読みとれる。ここで〈君〉という二人称ではなく〈彼女〉という三人称になっていることに注目したい。その出来事を客観的に見つめる視線がある。この言葉は、作者がこの歌を作った現在の時点から語られているのだろう。十代の男女には、大人になるための時の進み方の差がある。〈本気で追いかけたけど 僕は置いてけぼりさ〉とあるように、たいていは男の方が置き去りにされる。作者はその時の光景を〈白い帽子 陽炎の中で揺れてる〉と描写し、回想している。〈自転車泥棒〉とは、投げやりで激しくもある言葉だが、やるせない切ない言葉でもある。突然、泥棒に奪われてしまうかのように、〈坂道を 滑り降りてく二人乗り〉の〈僕〉の大切な出来事が消えていく。二人の〈お気に入りの自転車は そのまま君のもの〉になってしまう。


 次に、「ペダル」(作詞・作曲:志村正彦)の歌詞を引用する。


だいだい色 そしてピンク 咲いている花が
まぶしいと感じるなんて しょうがないのかい?

平凡な日々にもちょっと好感を持って
毎回の景色にだって 愛着が湧いた

あの角を曲がっても 消えないでよ 消えないでよ

上空に線を描いた飛行機雲が
僕が向かう方向と垂直になった
だんだんと線がかすんで曲線になった

何軒か隣の犬が僕を見つけて
すり寄ってくるのはちょっと面倒だったり

あの角を曲がっても 消えないでよ 消えないでよ
駆け出した自転車は いつまでも 追いつけないよ

そういえばいつか語ってくれた話の
続きはこの間 人から聞いてしまったよ


 作品の全体としては、手島いさむの「自転車泥棒」と志村正彦の「ペダル」はそれぞれ固有の世界を表現している。明確な影響の関係はない。ただし、〈自転車〉とそれに関わる〈坂道〉〈滑り降りてく〉〈追いかけた〉という一連のモチーフが、潜在的な次元として何らかの影響を与えているかもしれない。むしろ、〈白い帽子 陽炎の中で揺れてる〉の表現が、別の曲ではあるが、あの「陽炎」(シングルおよび1stアルバム『フジファブリック』収録曲)の〈陽炎は揺れてる〉につながる。志村正彦は奥田民生から決定的な影響を受けたことを何度も語っているが、ユニコーンの他のメンバーによる作品からも影響を受けていると考えてもよいだろう。

 歌詞には、トポス(topos)としての言葉、定型的表現が多く含まれる。トポスは《場所》を意味するギリシア語由来の言葉。主題や論題のことだが、月並みな表現という意味もある。和歌の歌枕もある意味ではトポスである。季語にもトポスの性格がある。

 〈陽炎〉を一つのトポスとして捉えてみよう。日本語のロックやポップスの枠内で探しても、はっぴいえんど「花いちもんめ」(作詞:松本隆・作曲:鈴木茂)の〈おしゃれな風は花びらひらひら/陽炎の街/まるで花ばたけ〉、荒井由実「ひこうき雲」(作詞・作曲:荒井由実)の〈白い坂道が 空まで続いていた/ゆらゆらかげろうが あの子を包む〉などたくさん挙げることができる。〈陽炎〉は曖昧で不安な心象のトポスである。「自転車泥棒」の他の言葉では、〈坂道〉〈髪〉〈自転車〉〈帽子〉もトポスの言葉であり、数限りない用例がある。そのようなトポスとしての言葉をどのように表現するか。表現者が最も苦心するところだ。

 「自転車泥棒」は、〈坂道〉〈髪〉〈自転車〉〈帽子〉というようなトポスを歌詞の基盤に置いているが、〈遠い昔〉〈ふた月前の夏の日〉の二つの時間の設定、〈君〉〈彼女〉という人称の工夫や視点の転換によって、ロックの歌が陥りがちな定型性を免れている。優れた歌だと言えよう。〈自転車泥棒〉は苦いユーモアも含まれる巧みな比喩だが、結局、その比喩に〈僕〉の想いは回収される。〈僕〉と〈君〉の世界はそこにそのまま閉じられていく。

 「ペダル」も、〈僕〉と《君》(歌詞で明示されていないので《》を付す)の世界が根底にある。〈毎回の景色〉、〈花〉〈飛行機雲〉〈自転車〉などの《見えるもの》のなかで、《君》は歌詞の中の言葉としては登場しない。しかし、《君》という二人称は《見えないもの》として「ペダル」の世界に存在している。志村は《見えないもの》として描き出すことを意図したのではないだろうか。《見えるもの》のなかで《姿》としては描かれないものがほんとうに見たいものであり、《見えるもの》を通して《見えないもの》が浮かび上がってくる、というように。その《見えないもの》は《消えてしまうかもしれないもの》あるいは《消えてしまったもの》でもある。そして、それが〈消えないでよ 消えないでよ〉の対象となる。「自転車泥棒」とは異なり、〈僕〉と《君》の世界が過去の世界に閉じられることはない。〈駆け出した自転車は いつまでも 追いつけないよ〉というように、〈僕〉の想像力はいつまでもどこまでも追いつこうとしている。 〈消えないでよ〉と追い求めている。この想像力、繊細なものの見方、対象の多層的な現れ方が、作者志村正彦の個性である。トポスとしての言葉を独創的な表現へと変換している。

 最後の間奏の後の部分、手紙の「追伸」にあたるところの〈そういえばいつか語ってくれた話の/続きはこの間 人から聞いてしまったよ〉では、歌の主体である一人称の〈僕〉、〈いつか語ってくれた話〉を〈僕〉に話した二人称の存在(この人が《君》なのだろう)、〈僕〉がその話の〈続き〉を〈この間〉〈聞いてしまった〉当人である三人称の〈人〉、という三人の人間が関係している。ここにも複雑な人間の関係と場面の設定がある。志村正彦ならではの追伸だ。〈いつか語ってくれた話の/続き〉は〈消えないでよ〉と思わずにはいられない話だったのかもしれない。


 今回「ペダル」を聴き直す中で、〈消えないでよ〉は、アルバム『TEENAGER』全体を通したキーワードだと考えるようになった。冒頭に紹介した志村のコメントを受けとめるならば、まず第一に〈TEENAGER〉の世界そのものが〈消えないでよ〉の対象だが、〈逆らい続ける〉ロックもまた〈消えないでよ〉の対象だろう。アルバム全体という枠組ではなく、個々の作品、たとえば「若者のすべて」にも〈消えないでよ〉というキーワードが共鳴している。「最後の最後の花火」は消えてしまうものではあるが、〈消えないでよ〉と思い続ける光、その残像でもある。

 アルバム『TEENAGER』2曲目の「記念写真」には、〈記念の写真 撮って 僕らは さよなら/忘れられたなら その時はまた会える〉というユニコーンの「すばらしい日々」(作詞・作曲:奥田民生)を想わせるフレーズがあり、〈消えてしまう前に 心に詰め込んだ〉という一節がある。〈消えないでよ〉を反転させる〈消えてしまう〉というモチーフが歌われている。「若者のすべて」のカップリング、B面曲「セレナーデ」はアルバム『TEENAGER』には収録されなかったが、この時期のきわめて優れた作品である。歌詞の最後はこう結ばれる。


そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ
消えても 元通りになるだけなんだよ


 「セレナーデ」では、〈僕〉が〈君〉に〈消えても 元通りになるだけなんだよ〉と呼びかけるのだが、それはそのまま〈消えないでよ〉という言葉をこだまのように反響させる。そして、聴き手は〈消えないでよ〉を召喚するだろう。


2021年10月31日日曜日

富士吉田を歩く、ハタフェス・黒板当番さんの絵・「ペダル」[志村正彦LN295]

 昨日10月30日、大学の担当授業「山梨学Ⅱ」で地域活性化の先進的な試みを実際に見て学ぶために、受講学生20名とバスに乗って、富士吉田の「ハタオリマチフェスティバル」に行ってきた。一昨年は台風、昨年はコロナ禍で中止となったので、2018年以来の三年ぶりの開催だった。ハタオリマチフェスティバル、通称「ハタフェス」は、山梨県富士吉田市の街の中で開催する秋祭り。二日間、小室浅間神社と本町通り沿いの各会場で、山梨のハタオリの生地や製品を販売したり関連のイベントをしたりするマチフェスである。

 10時頃、駐車場の富士吉田市役所に到着。2020年12月にリニューアルされた庁舎の壁画を初めて見る。ハタフェスのデザイン画も描いているテキスタイルデザイナーの鈴木マサルさんの作品。配色が素晴らしい。ポップでロックだ。この絵がハタフェスの招待状(招待画?)になっていた。



 僕、アシスタント学生2名、受講学生20名の一行二十数名がぞろぞろと街を歩き始めた。担任に率いられた遠足のような集団で少し気恥ずかしくもあったが、この日は快晴で、ところどころ紅葉も進み、富士山も美しく、歩くのは清々しかった。コロナ禍でこのような外出の機会も少ない学生にとっては貴重な時間となった。

 全員で歩き、入り口の会場で検温検査をしてシールや資料をもらい、本町通り沿いの各会場を確認しながら、メイン会場の小室浅間神社に到着。すでにたくさんの人が集い、活気がある。〈おかえりハタフェス〉といった感じだ。この授業では昨年も一昨年も見学する計画だったのだが、中止となってしまった。ようやく実現できてほんとうに良かった。(主催者や協力者の方々に感謝を申し上げます)

 三つにグループを分けて記念写真を撮った。グループ別に見学し、その後三時間ほど各自のテーマによる自由見学という流れにした。僕もこの自由見学の時間に久しぶりに富士吉田の街を歩くことにした。小室浅間神社近くの志村正彦ゆかりの場所へと向かう。何年ぶりのことだろうか。小さなコートで子供たちがサッカーの指導を受けていた。「記念写真」の一節がメロディーと共に浮かんでくる。〈ちっちゃな野球少年〉ではなく〈ちっちゃなサッカー少年〉がボールを追いかけていた。

 それから会場の一つ「FUJIHIMURO」に行った。その後、本町通り沿いに各会場を回った。ところどころで路地に入り、回り道をしてひたすら歩く。この際、ハタフェスと富士吉田の街を歩くことを堪能しようとした。途中で学生たちと何度か出会った。最近開店したカフェの店主にインタビューしている学生もいた。スライド作成のための取材だ。頼もしい。この後、各自が作ったスライドの発表会が予定されている。この授業「山梨学Ⅱ」の最終課題は、自分が自分の街のフェスティバルや活性化のための具体策を計画して提案するというものだ。ハタフェスの先進事例として学んだ上で、自分自身が主体的に考えていくことを重視している。

 僕は会場の一つ富国生命ガレージで黒板当番さんのミニギャラリーを見た。以前から黒板当番さんのTwitterで作品を拝見していたのだが、二週間ほど前、仕事の関係でお会いした人が黒板当番さんご本人だということをたまたま知った。黒板当番さんも偶景webを読んでいただいているようで、話をしている内に、僕が偶景webの主宰者だと分かったようだ。結局、お互いに「あなたでしたか」ということになった。山梨は、いや世界は(とあえて言おう)、狭いのである。

 ハタフェスで彼の作品が展示されることを知ってから、この日を愉しみにしていた。ミニギャラリーにはインクジェットプリンターで印刷した60枚のミニ黒板が並べられていた。志村正彦をテーマとする12枚の絵もあった。小さなものには小さなものゆえの存在感がある。

 この後、ネットで見た『ペダル』が展示されている富士山駅の「ヤマナシハタオリトラベル MILL SHOP」に向かった。本町通りは車では何度も通ったことがあるか、長い距離を歩くのは初めてだ。上り道がずっと続く。この日は快晴ゆえに日差しも強かったので、思っていたよりも暑い。寒さを予想して厚着だったので余計にこたえた。

 富士山駅に到着。駅ビル1階のMILL SHOPへ。ハタオリ紹介番組を流すモニターの横に『ペダル』の黒板。椅子に腰かけてしばらくの間眺める。チョークアートの技法はまったく分からないが、チョークのチョークたる所以である、何というのだろう、あの筆触が活かされている。チョークが黒板に接触する際に、チョークの粉がかすれ、消えていく感触が残っている。黒板当番さんの絵が素敵なのは、この擦れて消えていくものが幾重にも重ねられていくところにあるのだろう。擦れて消えていくものは、志村正彦が繰り返し歌ったモチーフでもある。

 『ペダル』の絵は主に、上側に志村正彦、下側に犬の二つのオブジェで構成されている。(黒板当番さんに快諾していただいたので、画像を添付したい)



 歌詞では〈何軒か隣の犬が僕を見つけて/すり寄ってくるのはちょっと面倒だったり〉というように犬が登場する。絵の中の犬は微笑むようにして、〈僕〉を見ている。とても可愛い。その上に描かれている志村は〈ちょっと面倒〉そうに横を向いているが、内心はどうなのだろうか。この絵には他に、富士吉田の街並、空、飛行機雲の線、だいだい色とピンクの花、角を示すミラー、昭和風の喫茶店、スニーカーを履いて歩く〈僕〉の足下と、『ペダル』の世界が忠実に反映されているのだが、女子高校生らしい人物が自転車を漕ぐ後ろ姿が目を引く。歌詞の中ではこのような像としてはっきりと描かれてはいないが、黒板当番さんはおそらく、〈あの角を曲がっても 消えないでよ 消えないでよ〉と歌われる〈消えないで〉の対象を自転車に乗る女子高校生だと解釈したのだろう。これは卓見である。絵を描く人の想像力がなせる技でもある。黒板画のマチエールそのものもこの題材に適している。(この部分を拡大した画像も添付させていただく)

 白色の花と白色のブラウスが溶け合っていく。自転車を漕ぐ彼女はどこに向かっているのだろうか。彼女の眼差しの向こうには何があるのだろうか。




 もう八年ほど前になるが、〈『ペダル』1「消えないでよ」(志村正彦LN12)〉で次のように書いた。    

 「消えないでよ」という謎めいた表現がいきなり登場する。いったい何が「消えないで」なのか、分からない。「あの角」も具体的な像が浮かばない。通常の流れを考えると、「まぶしいと感じる」「だいだい色 そしてピンク 咲いている花」が「消えないで」ほしい対象と考えられるが、「花」に限定しまっていいのか、心もとない。あるいは隠喩と考えるのなら、「虹」のようなものか、あるいは「平凡な日々」や「毎回の景色」という出来事や風景、そこにうつりゆくものなのか、あるいはそれらの対象をすべて包み込むような何かなのか。

 聴き手がそれを絞りきれないまま、「消えないで」ほしい対象への「僕」の強い想い、その対象に対する呼びかけとそのリフレインが、聴き手の心にこだましてくる。分からないままに、「消えないでよ」という言葉そのものが「リアルなもの」として響いてくる。「消えないで」と願う対象をあえて明示しないことが、歌詞の中の空白部をつくり、聴き手の想像を広げるような作用をしている、とひとまずは言えるだろうか。

 続く〈『ペダル』2「僕が向かう方向」(志村正彦LN13)〉ではこのように展開した。

  「僕」が歩いているとすると、「駆け出した自転車」に「追いつけない」のは「僕」だという解釈も成り立つ。誰かが漕いで「駆け出した自転車」を僕は歩いて追うが、「いつまでも追いつけない」という状況だ。そうなると、「僕」が「消えないでよ」と願う対象はこの「自転車」だとも考えられる。しかしあくまでも、「僕」が「自転車」に乗っていると考える場合は、「僕」が「いつまでも追いつけない」対象は、「消えないでよ」と願う対象と文脈上同一のものになるだろう。

 この第二ブロックの場合、最初に現れた「飛行機雲」が「消えないで」の対象とすることもできる。現実的にも、「飛行機雲」はごく短い時間の移動では消えないが、やがて消えてしまう自然の現象である。第一ブロックの「花」も、より長い時間の間隔ではあるが、その色の輝きがやがて失せてしまうものである。そう考えると、歌詞の展開通り、「花」や「飛行機雲」が「消えないでよ」と願う対象にあげられてよいのだろうが、それだけに限定するのはこの歌の世界の広がりや漂う感覚にそぐわない気がする。やはり「消えないでよ」の対象はより抽象的に把握したほうがよいのではないだろうか。


 以前の考察でも〈消えないでよ〉の対象として〈自転車〉を挙げてはいるのだが、そこで終わってしまっている。誰が自転車に乗っているのかという想像することはできなかった。このときは、〈やはり「消えないでよ」の対象はより抽象的に把握したほうがよいのではないだろうか〉と考えて、具体的なものを追究することを避けたのだろう。

 それに対して、黒板当番さんは〈自転車を漕ぐ女子高校生の後ろ姿〉という具体的なイメージを描いている。この『ペダル』そしてアルバム『TEENAGER』全体、もっと広く言うのなら、志村正彦・フジファブリックの全作品を通じて、〈消えないでよ〉と歌われる存在がある。その具体像の一つとして、女子高校生もあげられる。実際にフジファブリックの「桜の季節」「赤黄色の金木犀」「銀河」などのミュージックビデオには、制服を着た女子高校生らしき女性が登場している。いくぶんかは不可思議で奇妙な雰囲気を伴って、ではあるが。黒板当番さんのこの図像からは、ティーンエイジャーらしい凜とした後ろ姿が漂ってくる。

 そもそも以前の考察では、〈花〉〈虹〉〈平凡な日々〉〈毎回の景色〉〈飛行機雲〉〈自転車〉、歌詞で歌われたすべての情景を〈消えないでよ〉の対象にしている。この対象を〈歌詞の中の空白部〉として捉えているからだろう。言葉で表現する場合、このように概念化したり抽象化したりすることがある。この種の概念化や抽象化はある種の逃げになることもある。(筆者もそのように逃げることがある、とここに書いておかねばならない)しかし、絵を描く場合は、具体像として(抽象的な像もあるだろうが)描出しなければならない。「ペダル」の黒板画を見て、文章と絵画の違いということも考えることになった。


 志村正彦は「ペダル」を歩行のリズムで作ったと述べたことがある。昨日、「ハタフェス」開催中の富士吉田の街を三時間ほど歩いた。若者を中心に沢山の人がハタフェスに集っていた。学生がメモを取りながら見学していた。機織の生地や製品がいたるところに並べられていた。秋の季節。快晴の青空。紅葉。綺麗な雪景色の富士山。富士山駅で黒板当番さんの「ペダル」の絵を見て、記憶の中の「ペダル」を再生した。帰りはなだらかな下り坂。下吉田の街とその向こう側の山々が見えた。歩きながら歌詞の一節を口ずさんだ。

 歩くことによって見えてくるものがある。
 その光景のすべてが〈消えないでよ〉、そう思わずにはいられなかった。


2021年10月24日日曜日

「若者のすべて」-「朝日新聞」と「Real Sound」の記事/『サブカル国語教育学』[志村正彦LN294]

 一昨日10月22日、「朝日新聞」山梨版の第2山梨面で、〈「若者のすべて」世代を超えて フジファブリックの名曲、高校教科書に採用〉という記事が掲載された。

 すでに、「朝日新聞」10月14日付夕刊の全国版(東京本社版・名古屋本社版・大阪本社版・西部本社版)社会総合(10面)に、〈「若者のすべて」何年経とうとも ロックバンド名曲 高校教科書に〉という記事が全体の三分の二ほどの紙面を割いて掲載された。しかし山梨版にはなかなか載らなかったので、全国版だけで終わるのかと残念に思っていたのだが、一週間ほど遅れてやっと紙面の記事となった。山梨版の方も第2山梨面の半分以上が使われていた。山梨の方にぜひ知ってほしいニュースなので、これは嬉しかった。

 やはりいまだに、新聞記事、特に地方では地元紙や全国紙の地方版の影響力は大きい。NHK甲府、山梨放送、テレビ山梨などの地元局でも報道されたので、山梨県民の多くが、富士吉田出身の志村正彦・フジファブリックの楽曲が高校の音楽教科書に採用されることを知ったことと思う。地方では郷土愛的なものが自然に共有されている。富士吉田出身の若者が創った作品が教科書に掲載されることは、素直に誇りに思うことだろう。高校に限って言えば、これまで山梨県出身の作家が教科書に掲載されたのは、おそらく、国語教科書に載った飯田蛇笏・飯田龍太の俳句だけであろう。

 朝日新聞のこの二つの記事には若干の違いがある。そもそも、この記事は10月14日の朝日新聞デジタル版に①が掲載され、その日のうちに①を少し短縮した記事②も掲載された。10月14日全国版の夕刊に載ったのは②である。ところが、10月22日付の山梨版に載ったのは①の方であった。

  フジファブリックのあの名曲が教科書に 亡き志村君もきっと…
           2021年10月14日 10時30分
「若者のすべて」、何年経とうとも ロックバンド名曲、高校教科書に
           2021年10月14日 16時30分

 二つの記事はなかでも最後の部分が異なっているので、ここに引用する。

① 志村さんが亡くなって、この冬で12年。いまはボーカルとギターを担当する山内総一郎さんら3人で新作を発表し続けるフジファブリックは、取材に対して、こうコメントを寄せた。

 「この曲は多くの方々に愛されて、たくさんのアーティストが歌い継いでくださっています。フジファブリックが大切にしている『若者のすべて』が世代を超えて、学生の方に知っていただける機会をいただきましたことに感謝いたします。そして、この曲がこれまで以上に皆様の心に届き、寄り添う曲となることを願っています。作詞作曲を手掛けた志村君もきっと喜んでいることと思います」


② いまはボーカルとギターを担当する山内総一郎さんら3人で新作を発表し続けるフジファブリックは、取材に対して、こうコメントを寄せた。

 「世代を超えて、学生の方に知っていただける機会をいただきましたことに感謝いたします。そして、この曲がこれまで以上に皆様の心に届き、寄り添う曲となることを願っています。志村君もきっと喜んでいることと思います」

 おそらく紙面の字数の都合で、①の一部が省略されて②へと短縮されたのだろうが、コメント部分のニュアンスが若干違っているのが読みとれるだろう。


 タイトルの差異も興味深い。山梨版を③として並べてみよう。

① 【デジタル版】フジファブリックのあの名曲が教科書に 亡き志村君もきっと…

② 【デジタル版・全国版】「若者のすべて」、何年経とうとも ロックバンド名曲、高校教科書に

③ 【山梨版】「若者のすべて」世代を超えて フジファブリックの名曲、高校教科書に採用

 〈フジファブリックのあの名曲〉〈「若者のすべて」…ロックバンド名曲〉〈「若者のすべて」…フジファブリックの名曲〉と変化している。①には曲名がなく、②はフジファブリックというバンド名がない。山梨版にはどちらも記されているのは、地元山梨での知名度を意識したのかもしれない。 


  「若者のすべて」音楽教科書採用の経緯については、「Real Sound」の〈米津玄師「Lemon」、フジファブリック「若者のすべて」なぜ高校教科書に採用? 版元編集者に聞くポップスの選定基準〉(文・取材=小林潤、取材協力・画像提供=教育芸術社 取締役・今井康人)という記事も注目される。「MOUSA 1」出版の教育芸術社の今井康人氏が、「若者のすべて」の掲載理由、ポップスの選定基準などについて語ったものである。このブログにも要点を記録しておきたいので、以下、引用させていただく。


高校生がポップスを学ぶ意義
世の中に出ていく高校生にとって、より身近なものを自らの音楽文化の一つとして取り込んでいく必要があるだろうということで、今社会に生きている音楽であるポップスを取り上げるケースが多いのです
掲載楽曲の選定基準
選定において重要なのは楽曲のパワーです。その楽曲が生き残っていく可能性がどれだけあるか、話題性に留まらず、音楽・詩そのものが持っている力がどれだけあるか、そういったものを見極めて選んでいます
企画や特集における工夫
『MOUSA1』で日本のポピュラーミュージックを年代で区切って特集する企画と関連付けて掲載しました。例えば1940年代『東京ブギウギ』、1960年代『見上げてごらん夜の星を』、1970年代『翼をください』、そして2000年代で『若者のすべて』、2010年代で『Lemon』というように、その時代を代表するような楽曲を選定したのです。
教科書制作における課題や難しさ
近年難しくなってきたのは今後掲載する楽曲が、10年、20年と残っていくような本当にいい楽曲なのか見極めることです。
授業が多様な音楽に触れるきっかけになれば
ネットが発達した今の社会では『好きなものしか聴かない』という状況に陥りがちです。しかし世の中にはいろいろな音楽があって、それらの価値に触れることも大切だと思います。例えばYouTubeなどで検索してみて聴いてみることを通して多様な音楽に触れていただきたい。そのきっかけ、窓口に音楽の授業がなってくれればいいなと思いますね


 今井康人氏は、〈楽曲のパワー〉〈その楽曲が生き残っていく可能性〉〈音楽・詩そのものが持っている力〉を強調されている。特に〈音楽・詩〉というように、〈音楽〉だけでなく〈詩〉もかなり意識していることが注目される。高校生が歌う可能性のある作品の場合、あたりまえのことではあるが、詩、歌詞も重要である。「若者のすべて」はその点でも極めて高い評価を得たようだ。

 また、ネット社会の発展で〈好きなものしか聴かない〉という状況が進むなかで、授業や教科書がいろいろな音楽の価値に触れるきっかけになればいいという想いは、教育に携わる筆者にとっても非常に共感できる。僕が高校や大学という場の国語や日本語表現という教育において、志村正彦・フジファブリックの歌詞についての授業の実践を続けてきたのは、生徒や学生が優れた作品を知る機会が意外に少ないという状況があったからでもある。ネットで音源、映像、情報は膨大にある。しかし、ほんとうに優れた作品を見出すことは難しい現実もある。そのような現実に対抗するものとして、学校教育の存在意義、教材選択の意味や価値は依然としてある、というのが僕のスタンスである。

 最近、『サブカル国語教育学 「楽しく、力のつく」境界線上の教材と授業』(町田守弘 編著、三省堂2021.9.10)というマンガ、映画・アニメ、音楽、ゲームなどのサブカルチャーを用いた国語科の教材や授業提案の書籍が出版された。その中に、永瀬恵子氏の〈現実と虚構の合間で手紙をしたためよう [教材名] 「桜の季節」〉という授業構想が発表されていた。このような新しい実践が生徒の表現や思考の能力を育成していくだろう。僕も以前、『変わる!高校国語の新しい理論と実践―「資質・能力」の確実な育成をめざして』(大滝一登・幸田国広 編著、大修館書店2016.11.20)に、志村正彦・フジファブリックの「桜の季節」を教材の一つにした報告と論考『思考の仕方を捉え、文化を深く考察する―随筆、歌詞、評論を関連付けて読む―』を書いたことがある。(永瀬氏にはこの拙論を参考文献として取り上げていただいた)

 音楽そして国語でも、志村正彦の作品が教材となる時代が到来している。


   

2021年10月13日水曜日

「若者のすべて」教科書採用の経緯 [志村正彦LN293]

 今回は、「若者のすべて」の再解釈からいったん離れるが、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が音楽の教科書に採用された経緯について書きたい。すでに5月に《高校音楽教科書の『若者のすべて』[志村正彦LN273]》という記事を書いたが、今日はその続報でもある。

 一昨日、10月11日(月)22:00-24:00の時間帯に放送されたJ-WAVEの「SONAR MUSIC」という音楽番組(ナビゲーター:あっこゴリラ)のテーマは、「教科書に載るポップミュージック」だった。

 番組webにはこう紹介されている。

フジファブリック「若者のすべて」が高校の音楽の教科書に載る
と言うニュースもありましたが
こうやって、ポップミュージックで学校の教科書載る音楽はどう言ったものなのか?選ばれるポイントは?その歴史は?
誰もが一度は通ってきた道「音楽の教科書」に注目!あなたの思い出の曲はなんですか?

 放送後にこの情報を知り、昨日、radikoのプレミアム会員に登録してタイムフリー機能で聴くことができた。もう一度聴こうとしたが、すでに今日の午前中に聴取期間は終了していた(ただし、地域その他の条件によって期間の違いがあるかもしれませんので、聴いてみたい場合にはご確認ください)。正確に内容を紹介したいところだが、すでに終了してしまったので、記憶している内容をこの場に再現したい。

 ゲストは、教育芸術社の呉羽弘人さん。 2022年度から使用される高校の音楽Ⅰの教科書、『MOUSA1』の編集者である。この番組では、ポップミュージックが音楽教科書に掲載された歴史から始まって、志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」採用の経緯が詳細に語られた。

 視聴できなかった方のために、採用経緯を簡潔にまとめてみたい。


  • もともとはギターストロークが良い曲を探していた。同じ教科書の編集担当者が何曲かを候補として楽譜を見せてくれたが、「若者のすべて」だけは知らなかった。(ファンの人にはほんとうにお恥ずかしい。ビスコンティビスの同名の映画なら知っていたが)。自分で弾いてみたらなかなか面白いと思った。実際の曲を聴いてみたら、全体がとてもよくて、詞もすごくいい。ギターのストロークという感じではなく、それよりまるごと、なんて魅力的な曲なんだと思った。
  • 曲も詞も素晴らしいと思い、編集会議で検討してみることになった。編集委員の先生の中にはこの曲を知らない方もいたが、聴いてみるとすごくいい歌だという感想が多かった。10年単位で曲を採用する構想にもつながった。私も自分でもフジファブリックのCDを買うほどになった。


 もう一度聞き返すことが出来なかったので、正確な再現ではないが、話の要点はこのようなものだった。さらに、他の採用曲《翼をください》や《Lemon》と比較すると、知名度という点では低いかもしれないが、担当編集者がこの曲に魅了され、編集委員もこの曲を高く評価して、2000年代の代表曲として採択が決まったという話もあった。

 このニュースを知ったときに採用の理由や経緯に興味を持ったが、「SONAR MUSIC」によってその答えが得られた。筆者も国語教科書の編集協力をしたことがあるが、その経験から、教科書の質は担当編集者の見識や力量によるところが大きいと考えている。

 この教科書の説明資料から、10年代ごとの採用曲を作曲者名・作詞者名と共に挙げてみよう。

1940年代 《東京ブギウギ》      作詞:鈴木勝・作曲:服部良一
1960年代 《見上げてごらん夜の星を》 作詞:永六輔・作曲:いずみたく
1970年代 《翼をください》      作詞:山上路夫・作曲:村井邦彦
1980年代 《クリスマス・イブ》    作詞・作曲:山下達郎
1990年代 《負けないで》       作詞:坂井泉水・作曲:織田哲郎
2000年代 《若者のすべて》      作詞・作曲:志村正彦
2010年代 《Lemon》           作詞・作曲:米津玄師


 志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」は、その楽曲と歌詞の純粋な力によって、2000年代の代表曲として(おそらく、それ以上に長いスパンにおいて、時代を超える名曲として)、高校の音楽教科書に採用されたのである。あらためて感慨を覚える。


【追記10/14 12:30】

 本文を少し修正し追加したところ、採用経緯の記事のピークを迎えているようで、今日10/14の朝日新聞デジタルに〈「若者のすべて」、何年経とうとも ロックバンド名曲、高校教科書に〉という記事が掲載された(記者:斉藤佑介)。ここでは次のように書かれてある。

 歌唱曲として楽譜や歌詞、解説を載せるのは、教科書「MOUSA(ムーサ)1」(教育芸術社)。全国の高校で使われている教科書の一つだ。同社は今回、戦後から歌い継がれている歌曲を10年区切りで選んだ。
 00年代の曲として「若者のすべて」を推薦したのが、同社編集部の阿部美和子さんだ。一時の流行で廃れることなく、多感な時期にある高校生が長く歌い継げる曲はないか。4年に1度の改訂に向けて18年ごろから曲を探し始め、ネット検索などを通じてこの曲に出会った。
 現役の音楽教師や作曲家ら編集メンバー約10人も「曲も歌詞も、心の中にずっと残る」と全員一致で推した。このほか、1980年代「クリスマス・イブ」(山下達郎)、90年代「負けないで」(ZARD)、2010年代「Lemon」(米津玄師)などミリオンセラーの曲も選んだが、一番反響が大きかったのが「若者のすべて」だったという。
 阿部さんは「誰もが感情移入できる心象風景が描かれ、すでにたくさんの人が歌い継ぐ時代を超える曲だと思う」と語る。


 「SONAR MUSIC」の話と総合すると、阿部美和子さんがまず推薦して候補曲のリストに挙げ、呉羽弘人さんもとても気に入って、編集会議にかけることになったのだろう。〈「曲も歌詞も、心の中にずっと残る」と全員一致で推した〉〈一番反響が大きかった〉とあるのが嬉しい。〈曲も歌詞も〉すべてが素晴らしいところが、「若者のすべて」のすべてであるからだ。

2021年10月10日日曜日

《眼差し》だけの再会-「若者のすべて」22[志村正彦LN292]

 「若者のすべて」の〈僕らの花火〉の系列は、四つのブロックで構成されている。


1 最後の花火に今年もなったな
    何年経っても思い出してしまうな
  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ 

2 最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな
  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

3 最後の花火に今年もなったな 
      何年経っても思い出してしまうな
    ないかな ないよな なんてね 思ってた
      まいったな まいったな 話すことに迷うな

4   最後の最後の花火が終わったら
    僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 2013年に書いた〈「会ったら言えるかな」「話すことに迷うな」-『若者のすべて』6 (志村正彦LN 44)〉では、〈僕らの花火〉の系列について次のように考察している。 


  構成上、1と2は同一の繰り返しであり、3の前半部も1と2の前半部の反復である。しかし、3の後半部から、大きな展開が起こる。「最後の花火に今年もなったな 何年経っても思い出してしまうな」の三度目の反復、それを受けて「ないかな ないよな」の三度目の反復が同じように続く。しかし、続く言葉「なんてね 思ってた」によって、この「最後の花火」の物語は大きな転換を迎える。  
 「ないかな ないよな」は、「なんてね 思ってた」と受け止められることで、「ない」が反転し、「ある」こと、あるいは「いる」ことが立ち現れる。不在が現前へと変化するのだ。思いがけないことであったせいか、歌の主体「僕」は「まいったな まいったな」と戸惑う。聴き手の方も、いったい何が起こったのかと戸惑うが、続く「話すことに迷うな」によって、事態をおおむね理解する。どうやら、「僕」はいつのまにか、誰かとの再会というか予期しない遭遇が果たせたようなのだ。ただし、「話すこと」そのものが「僕」をまだ迷いの中に閉じこめる。
  この現実の遭遇は、「まぶた閉じて浮かべているよ」という夢想と円環をなしている。「まぶた」を閉じた「僕」は、「まぶた」の裏の幻の対象に対して、「会ったら言えるかな」と囁く。「まぶた」を開けた「僕」は、その眼差しの向こうの現実の対象に対して、「話すことに迷うな」と呟く。不在と現前、夢想と現実の響きが、『若者のすべて』の中で、美しい織物のように編み込まれている。


 この時の考察は、〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉から〈ないかな ないよな なんてね 思ってた〉への変化を、不在から現前への転換というように捉えて、その現前を強調するものであった。そのように考えて、この〈どうやら、「僕」はいつのまにか、誰かとの再会というか予期しない遭遇が果たせたようなのだ〉という解釈を導いた。しかしこの時も、〈ただし、「話すこと」そのものが「僕」をまだ迷いの中に閉じこめる〉という但し書きを添えている。「僕」はまだ迷いの中にいるのだ。

 〈ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな〉の場面において、「僕」は少なくとも〈会ったら言えるかな〉と思い続けていた誰かを目撃した。〈まぶた閉じて浮かべているよ〉と繰り返されるように、この歌の中心には「僕」の《眼差し》があり、「僕」は何よりも《見る人》なのだ。観察者であり、時に幻視者でもある。

 そしてここからが解釈の分かれ道である。その誰かを目撃した後、「僕」はどうしたのだろうか。またその目撃の際に、僕がその誰かを見つめただけで終わってしまったのか、それともその誰かも僕を見つめ返したのか、ということもある。視線の交換があったのかどうかによって、解釈も異なるだろう。


 およそ三つの可能性があるだろう。

・「僕」はその誰かを目撃する。その誰かは「僕」の方を見てはいない。視線を交わし合うことはない。「僕」は〈話すことに迷う〉ままに、その場所から去ってしまう。

・「僕」はその誰かを目撃する。その誰かも「僕」を見る。視線は一瞬の間交わされる。「僕」は〈話すことに迷う〉ままに、その場所を通り過ぎてしまう。(しかしその遭遇の瞬間に、「僕」は《眼差し》だけで想いを伝え、相手の《眼差し》も返ってきたのかもしれない)

・「僕」はその誰かを目撃する。その誰かも「僕」を見る。視線は一瞬の間交わされる。そうして、「僕」はその誰かの方に歩いて行く。「僕」は〈話すことに迷う〉が、何らかの言葉をかけるのだろう。実際の再会が果たされる。


 予期しない遭遇は確かにあった。その遭遇が、《眼差し》だけの遭遇に終わったのか、実際の再会につながる遭遇になったのか。視線を交わし合うことの有無によって、前者はさらに二つに分かれる。それ以外の状況も想定できるかもしれない。

 以前の論考では、筆者は三つ目の解釈を取っていた。解釈には聴き手の想いや判断が込められている。つまり、「僕」とその誰かとが何らかの再会を果たしたという解釈には、そのような再会を果たしてほしいという聴き手の想いが投映されている。「僕」は誰かと再会し、その二人は「僕ら」となる。この「二人」が歌の現実において「僕ら」となるところに、「若者のすべて」の歩みの帰結がある。そして、〈最後の最後の花火が終わったら〉という仮定のもとに、〈僕らは変わるかな〉という想いが「僕ら」に共有される。〈同じ空を見上げているよ〉という二人の場と時の共有と共に。このような場面を想像した。そこには筆者の願いや望みもあったのだろう。

 また、〈「ない」が反転し、「ある」こと、あるいは「いる」ことが立ち現れる。不在が現前へと変化するのだ〉という論理を根拠としたことも影響している。不在から現前へ、「ない」ことから「ある」ことへの転換を強調していた。この現前は実際の再会につながると考えた。

 長い間、この再会についての解釈が変わることはなかった。しかし最近、それが変わってきた。二番目の捉え方がこの歌には合っているのではないか、そんな想いがある時ふと浮かんできた。実際の再会ではなく、眼差しも交わさずに通り過ぎるのでもなく、《眼差し》だけによる「僕ら」の再会。しかし、一瞬かもしれないが、その《眼差し》は「僕」の想いを相手に伝える。その瞬間、相手の《眼差し》から想いが返ってきたのかもしれない。言葉が交わされることのない再会。〈会ったら言えるかな〉という自らへの問いかけは、やはり、会っても言えない、言葉として伝えることはできない、という結果に終わる。〈話すことに迷うな〉という迷いは迷いのままに閉じられる。沈黙の再会がこの場面にはふさわしい。これは推論というよりも感覚のようなものだ。そして、この歌の最後の場面、その想像の場面も変化してきた。

      (この項続く)


2021年10月3日日曜日

成立過程と二つの系列-「若者のすべて」21[志村正彦LN291]

 十月に入り、一昨日あたりから金木犀の香りが漂ってきた。いつもの年より一週間ほど遅いが、「赤黄色の金木犀」の季節の到来だ。

 前回、「若者のすべて」について、〈「僕」は一人で「最後の最後の花火」を見ているのかもしれない。どちらかというとそのような解釈の方が「若者のすべて」全体の方向に合致しているではないとかと考え始めた。そのためにはこの前のフレーズ「ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな」から再検討しなければならない〉と記した。

 この「志村正彦ライナーノーツ」では、「若者のすべて」についてこれまで64回ほど書いてきたが、歌詞の構造やモチーフ、成立過程、基本的な解釈について考察する場合には、番号を付けて掲載してきた。その時期、回数、主な内容をまとめてみる。(2018年、題名に21~25回を付番した記事については、今回、その番号を外した。内容の整合性から判断した)

  • 2013年6月~10月、1~12回、歌詞の構造とモチーフの分析、二つの系列
  • 2014年9月、13~15回、「な」と「ない」の音の連鎖、声の響き。
  • 2015年9月~12月、16~20回、「諦め」の世代、三つの系列

 今回は歌詞の最後のフレーズについての解釈の再検討を行うので、番号を付けて論じていきたい。


 八年前の2013年6月に投稿した第1回〈ファブリックとしての『若者のすべて』-『若者のすべて』1 (志村正彦LN 34)では、この歌の成立過程と作品の構造について次のように考察している。


 『若者のすべて』の中には、歌詞の面でも楽曲の面でも、二つの異なる世界が複合している印象を受ける。そのような印象を持ち続けていたのだが、今回、「若者のすべて」についての発言をたどりなおしたところ、『FAB BOOK』にある興味深いことが書かれていた。
 取材者は、『若者のすべて』が「Aメロとサビはもともとは別の曲としてあったもので、曲作りの試行錯誤の中でその2つが自然と合体していったそうだ」という重要な事実を伝え、さらに「最終段階までサビから始まる形になっていた構成を志村の意向で変更したもの。その変更の理由を「この曲には”物語”が必要だと思った」と、志村は解説する」という経緯を説明した上で、志村正彦の次のコメントを載せている。


ちゃんと筋道を立てないと感動しないなって気づいたんですよね。いきなりサビにいってしまうことにセンチメンタルはないんです。僕はセンチメンタルになりたくて、この曲を作ったんですから。

 つまり、『若者のすべて』は、二つの異なる、「別の曲」、別の世界が(とはいっても、絶対的に異なる世界ではないのだろうが)「自然」に複合されて生まれた作品であるという、ある意味で、驚くべき、しかし感覚としては腑に落ちるような事実が明らかにされている。ものを創造するときに、ある二つの異なるものを複合させたり、複数のモチーフを合体させたりすることは、意外によくあることだろう。意識的な行為としても、無意識の次元での選択としても、あるいは単なる偶然の結果としても、むしろ普遍的なことである。
 志村正彦は、その上で、「筋道」を立て、「感動」に至る過程を練り上げ、「物語」を創造していった。
 『若者のすべて』の中には、歌詞の面でも楽曲の面でも、二つの異なる世界が複合している。「フジファブリック」という名の「ファブリック」、「織物」という言葉を喩えとして表現してみるならば、『若者のすべて』の物語には、《歩行》の枠組みという「縦糸」に、「最後の花火」を中心とする幾つかのモチーフが「横糸」として織り込まれている、と言えよう。


 この「縦糸」と「横糸」を〈僕の歩行〉と〈僕らの花火〉という二つの系列に分けて、青色と赤色に色分けした図を示したい。


 志村正彦は、「Talking Rock!」2008年2月号のインタビュー(文・吉川尚宏氏)で、『若者のすべて』について重要な証言をしている。すでに引用して論じたことのある証言だが、あらためてその全体を引用したい。

最初は曲の構成が、サビ始まりだったんです。サビから始まってA→B→サビみたいな感じで、それがなんか、不自然だなあと思って。例えば、どんな物語にしてもそう、男女がいきなり“好きだー!”と言って始まるわけではなく、何かきっかけがあるから、物語が始まるわけで、同じクラスになったから、あの子と目が合うようになり、話せるようになって、やがて付き合えるようになった……みたいなね。でも、実は他に好きな子がいて……とか(笑)、そういう物語があるはずなのに、いきなりサビでドラマチックに始まるのが、リアルじゃなくてピンと来なかったんですよ。だからボツにしていたんだけど、しばらくして曲を見直したときに、サビをきちんとサビの位置に置いてA→B→サビで組んでみると、実はこれが非常にいいと。しかも同時に“ないかな/ないよな”という言葉が出てきて。ある意味、諦めの気持ちから入るサビというのは、今の子供たちの世代、あるいは僕らの世代もそう、今の社会的にそうと言えるかもしれないんだけど、非常にマッチしているんじゃないかなと思って“○○だぜ! オレはオレだぜ!”みたいなことを言うと、今の時代は、微妙だと思うんですよ。だけど、“ないかな/ないよな”という言葉から膨らませると、この曲は化けるかもしれない! そう思って制作を再スタートさせて、精魂込めて作った曲なんだけど………なんていうか……こう……自分の中で、達成感もあるし、ターニングポイントであることには間違いないんです。すべてに気持ちを込めたし、だから、よし!と思ってリリースしたんだけど、結果として、意外と伝わってないというか……正直、その現状に、悔しいものがあるというか…


 〈サビ→A→B→サビ〉という当初の構成を〈A→B→サビ〉に変更したことは、先ほど引用した『FAB BOOK』の〈最終段階までサビから始まる形になっていた構成を志村の意向で変更したもの。その変更の理由を「この曲には”物語”が必要だと思った」と、志村は解説する〉という記述に符合する。

 さらにここで、志村が〈“ないかな/ないよな”という言葉から膨らませると、この曲は化けるかもしれない! そう思って制作を再スタートさせて、精魂込めて作った曲なんだけど〉と語っているところに注目したい。特に、〈再スタート〉という言葉である。おそらく、「若者のすべて」の制作には中断の期間があった。志村は、“ないかな/ないよな”という言葉を鍵にして、楽曲を再構成し、歌詞を再検討して、制作を再スタートさせたという推論が成り立つ。

 『FAB BOOK』と「Talking Rock!」2008年2月号の証言をまとめると、要点は次の三つになる。

  • Aメロとサビは別の曲であり、曲作りの試行錯誤の中でその2つが自然と合体した。
  • 〈サビ→A→B→サビ〉という展開を〈A→B→サビ〉という展開に再構成した。
  • “ないかな/ないよな”という言葉から膨らませる方向で制作を再スタートした。


 今回は、すでに論じてきたことを振り返りながら、「若者のすべて」の成立過程と二つの系列についてあらためて示した。この作品は楽曲と歌詞の再構成、制作の再スタートという過程を経たことによって、きわめて優れた音楽、詩的作品へと成長していった。次回からは、最後の場面の解釈を再検討していきたい。

      (この項続く)


2021年9月26日日曜日

NHK「山梨・花火専門店 静かな夏物語」/「僕」は一人で「最後の最後の花火」を見ている[志村正彦LN290]

 一昨日9月24日、NHK「ドキュメント72時間」の「山梨・花火専門店 静かな夏物語」が放送された。番組webにはこう紹介されている。

手持ち花火・打ち上げタイプ・線香花火など、400種類もそろう山梨の小さな花火専門店が舞台。地域の伝統的な打ち上げ花火大会のないこの夏、身近な人と花火をしようと多くの人が訪れる。カレーの香りがするユニークな花火を選ぶ家族や、孫のためにまとめ買いをする老夫婦。高齢者施設の入居者に楽しんでもらおうという地元の介護士など。それぞれ大切な人と、静かな夏を過ごそうとする人たち。どんな思いで花火を見つめるのか。

 この「伝統的な打ち上げ花火大会」は、山梨県市川三郷町で開催される「神明の花火」。甲府盆地の南にあるこの地は江戸時代から花火の産地であり、ここの花火大会は日本三大花火の一つとされてきた。昨年はコロナ禍のために中止されたが、九月、市川三郷町と花火業者が『世界に届け「神明花火」平和への祈り』と題して、フジファブリック「若者のすべて」に合わせて500発以上の花火を打ち上げたことを〈「神明花火 ~平和への祈り~」と『若者のすべて』[志村正彦LN264]〉でも書いた。

  この花火専門店は、市川花火の里「はなびかん」という店である。この店に集う人々、特に家族の物語が味わい深かった。花火に寄せて語られる言葉も心に沁みてきた。NHKBS1は10月1日(金)午後5:00、NHK総合1(東京)は10月2日(土)午前11:24、甲府局では「ヤマナシクエスト」枠で10月1日(金)午後7:30から再放送される。NHKオンラインの見逃し配信でも視聴できる。


 子供の頃に家族とともに花火をした思い出がある人が多いだろう。花火の物語は家族の記憶と結びついている。そのことをこの番組であらためて感じた。また花火大会も家族や友人や恋人とともに見に行っただろう。そのような前提で、志村正彦・フジファブリック「若者のすべて」の歌詞も受けとめていた。

 最後の最後の花火が終わったら

   僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 このフレーズについてはもう八年ほど前になるが、〈「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」-『若者のすべて』7 (志村正彦LN 48)〉で次のように書いた。


 「同じ空を見上げているよ」というのも、「僕ら」の関係のあり方を考察する上で興味深い。花火の場面では通常、人は隣り合わせで横に座り、前方上方の花火を見るという位置取りが考えられる。美しい花火の彩りに時に感嘆をあげ、光が消えて煙や空が広がり、次の花火が打ち上がるまでの 間合いには、とりとめのない、たわいない会話をする。その場に一緒にいるという雰囲気を楽しむ。花火の空を見上げるという行為自体が、夏の「余白」のような時の過ごし方である。

 そして、「僕ら」が「同じ空を見上げている」のであれば、「僕ら」の眼差しは向き合っていないことになる。同じ位置で同じ空の方向に視線を向けている。時には互いに視線を交わすことがあるとしても。


 つまり、「僕ら」は花火大会で再会を果たして隣り合わせで「同じ空」の花火を見上げている、同じ位置で同じ空の方向に視線を向けている、という解釈である。しかし、ほんとうにその解釈でよいのか、という問いが生まれてきた。別の解釈の可能性、この「僕ら」は同じ場所ではなく別々の場所で空を見上げている、という捉え方もありえる。つまり、歌の主体「僕」は、あくまでも一人で、空の花火を見上げている。誰かとともに見ているのではない。もちろん歌の解釈なので一つの可能性の選択にすぎない。「僕」は一人で「最後の最後の花火」を見ているのかもしれない。どちらかというとそのような解釈の方が「若者のすべて」全体の方向に合致しているではないとかと考え始めた。

 そのためにはこの前のフレーズ「ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな」から再検討しなければならない。

 (この項続く)

2021年9月19日日曜日

「若者のすべて」隅田川花火の番組、ビコマナ[志村正彦LN289]

  もう九月の下旬だが、今回も「若者のすべて」の話題を二つ取り上げたい。

 昨夜、テレビ東京の『隅田川花火大会 特別編~ありがとう&がんばろう日本2021~』本編の導入部で、2020年の映像がインサートされて「あれから1年 願いは届かなかった」のテロップと共に、フジファブリック「若者のすべて」の音楽が始まった。

 隅田川の風景、夕暮れ、ひまわり、水田と山、コロナ禍の状況、ブルーインパルスの飛行、オリンピック開会式の花火、オリンピックの様子と、2021年の夏の映像を背景として、2分弱に短縮されていたが、志村正彦の声が「最後の最後の花火が終わったら/僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」まで流れていた。「若者のすべて」は、夏の風物詩の花火を歌う代表曲として確固たる位置を占めつつあると言えよう。

 『隅田川花火大会 特別編』の花火は、〈隅田川の花火師たちが集い、コロナ禍で奮闘する医療従事者に敬意を、東京オリンピック・パラリンピックで希望と感動を与えてくれたアスリートたちへの感謝の気持ちを込めて打ち上げる、希望の花火〉というコンセプトだった。44年の歴史を振り返る、懐かしい映像もあった。花火は昭和という時代によく似合う。

 実際の花火は所沢の西武園ゆうえんちで打ち上げられた。台風の影響による雨天だったのが残念だったが、2021年夏の最後の最後を告げる花火となった。


 一週間ほど前の9月12日、南アフリカの姉弟ミュージシャン「ビコマナ」Biko's Mannaが「若者のすべて」のカバーをyoutubeに発表した。昨年、NHKの番組で日本の楽曲を日本語でカバーする「ビコマナ」のことは知っていた。日本語の歌と南アフリカの姉妹という組合せが何とも新鮮だった。

〈フジファブリック 若者のすべて  ビコマナ〉この素晴らしい映像を紹介したい。



 演奏者は、姉Biko ビコ、弟Manna マナ、そしてパーカッショニは父Sebone シボーネ、ダンスをしているのは弟Mfundo フンドゥだと思われる。

  彼らをサポートするストリートアートチーム「Urban Cohesion」代表の服部アラン氏は、BuzzFeedの記事で次のように述べている。 〈スピッツ、椎名林檎、King Gnu…アフリカの姉弟アーティストはなぜJ-POPを"日本語で"をカバーするのか〉(石井 洋 BuzzFeed Staff, Japan)

・基本的にチームメンバーは日本語がまったく話せないので、歌詞をローマ字で見て、曲を聴いて耳で雰囲気を掴んでいます。
・それでも声に出してみた発音で伝わるのかわからないし、YouTubeで求められるクオリティがどの程度かもわからない。とにかく沢山聴いて、時間をかけて取り組んでいました。
・日本の曲には綿密に作りこまれている作品が多く、いろいろと学びがあるようです。音作りだったり、音符の数だったり、曲の聴かせ方を細部までこだわっていたり。


 つまり、ビコマナは「若者のすべて」の意味を理解して歌い、奏でているのではない。「若者のすべて」の声や音を純粋な響きとして耳で受けとめ、彼らなりに再現しているのだ。特に、「何年経っても思い出してしまうな/ないかな ないよな きっとね いないよな」の「な」の頭韻と脚韻の響きが力強くそして切ない。ビコが時々胸に手を当てるしぐさも曲の雰囲気に合っている。(ところで、このBikoビコという名は、ピーター・ゲイブリエル「Biko」で歌われる、あのスティーヴン・ビコ(Stephen Biko)と関わりがあるのだろうか)最後にフンドゥが紙飛行機を飛ばそうとするシーンも可愛い。紙飛行機は「若者のすべて」をのせて日本の空に飛んでくるかのようだ。

 ビコの歌は、志村正彦の歌詞の日本語の響きを聴き手に伝えている。歌の言葉の不思議なところである。言葉の意味はそのままでは国境を越えられないが、言葉の音と響きは国境を越えるのだ。

 「僕ら」は同じ空を見上げ、同じ響きを聴いている。

2021年9月12日日曜日

2021年の夏-「若者のすべて」 [志村正彦LN288]

 九月に入り、雨の日が続く。暑さはまだ残っているが、秋の近づく気配がする。

 甲府のある通信制高校から勤務先の大学に要請があり、九月初めに出張講義「ロックの歌詞から日本語の詩的表現を考える」を行った。当初は通常の講義を予定していたが、山梨県がコロナ感染のまん延防止等重点措置を取ったために、Zoomによるオンライン遠隔授業に変わった。オンラインの出張講義は初めてだったが、この一年半の遠隔授業の経験によって、とどこおりなく実施することができた。

 講義の対象作品は「若者のすべて」。表現の技法の観点からいって、この作品が最も適切であり、季節の感覚にも合っている。チャットに書いてもらった生徒の初発の感想には、〈「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」を境に、過去と現在に分けられると思う〉〈「な」がたくさん使われていて優しく言いかけてる感じ〉というように、表現を根拠とした優れたものが多かった。この歌には歌詞そのものに向き合わせる力がある。

 このところ、fujifabric.comのINFORMATIONから、〈「若者のすべて」の採用が決定〉という二つの情報が伝えられた。

 2021.08.31付の情報で〈「令和4年度 高等学校用教科書 音楽Ⅰ MOUSA1」に「若者のすべて」の採用が決定〉と伝えられた。公式サイトからの初めての通知である。 (この件について、このブログではすでに5月に〈高校音楽教科書の『若者のすべて』[志村正彦LN273]〉という記事を書いた)

 この情報を受けて、スポニチに〈フジファブリック「若者のすべて」 高校の音楽教科書に採用 09年死去の志村正彦さんが作詞作曲 [2021年8月31日]〉という記事が掲載された。この記事の全文を引用しておきたい。

 ロックバンド「フジファブリック」のスタッフによるツイッターが31日、更新され、代表曲「若者のすべて」が高校の音楽の教科書に採用されたことを発表した。

 ツイッターでは「『若者のすべて』が『令和4年度 高等学校用教科書 音楽Ⅰ MOUSA1」にて採用されることになりました」と報告。同曲は2007年にリリースされ、夏の終わりを感じさせる曲調が多くのファンの支持を集めた。また、桜井和寿や槇原敬之らがカバーするなど、多数のミュージシャンからも支持された。
 教育芸術社から発行される教科書でバッハやモーツァルトら古典音楽から最新音楽までを網羅。「時代を彩る歌唱教材」として、米津玄師「Lemon」などとともに取り上げられている。
 2009年に29歳の若さで亡くなった元メンバーの志村正彦さんが同曲を作詞、作曲を手がけており、フォロワーからは「志村さんのお名前が教科書に掲載されると思うと感慨深いです」などとコメントが寄せられた。

 フジファブリックの公式サイトの通知やスポニチの記事によって、音楽ファンにも広がっていったのだろう。twitterなどでも話題になっていた。

 2021.09.03付で〈スカパー!夏フェスキャンペーンCMに「若者のすべて」の起用が決定!〉という通知があり、早速その映像を見た。ここにもその動画を添付したい。

 この〈スカパー!夏フェスキャンペーンCM(Full ver.)〉には次の説明がある。

フェス好きの皆さんからTwitter・Instagramで募集した思い出の写真を、フジファブリック『若者のすべて』と共に映像にしました。「何年経っても思い出してしまうな」そんな大切な思い出を振り返り、そして「いつもの夏が早く戻ってきますように。」という気持ちを込めたCMです。

 今年は中止になってしまったROCK IN JAPAN FESTIVAL、SWEET LOVE SHOWER、RISING SUN ROCK FESTIVALなどの会場でのかつての写真を背景に、「若者のすべて」が流れる。「何年経っても思い出してしまうな」がキーワードになり、この一節は3回ほどテロップとして映し出されていた。「若者のすべて」の歌詞世界は多様で複雑であるが、不思議なことに、「何年経っても思い出してしまうな」が繰り返し強調されると、この歌のテーマが「何年経っても思い出してしまうな」に集約されるように聞こえてくる。

 もう一つ、映像がある。UYTテレビ山梨のサイトにある〈やまなしドローン紀行〉#34 富士吉田市特集。志村の故郷の街並、富士山、新倉山浅間神社、吉田の火祭りなどのドローン撮影による美しい映像が、「若者のすべて」のBGMにのせて2分40秒ほど映し出される。このドローン映像はいつも秀逸だ。今年の7月上旬から8月上旬に撮影されたようであるが、吉田の火祭りは2018年や2019年のものが使われている。

 9月6日、NHK甲府のニュースで、〈高校の音楽教科書 志村正彦さんの「若者のすべて」掲載〉という報道があった。この日は朝から夜まで何回もこのニュースが仕えられた。甲府放送局のwebにこの映像と記事がある。この記事はNHK全国版のwebにも掲載されている。以下、フジファブリックに取材したコメント部分を引用する。

現在も人気のバンドとして活動を続けているフジファブリックは、「高校の音楽の教科書に採用されることによって、世代を超えてたくさんの学生の方に『若者のすべて』を知ってもらう機会をいただき、とても光栄です。作詞作曲を手掛けた志村君もきっと喜んでいることと思います」とコメントしています。

 9月8日、YBS山梨放送の「ワイドニュース」でも取り上げられていた。さらに9月10日、山梨日日新聞の社会面に、〈フジファブ教科書に 若者のすべて 代表曲 来年度 故志村正彦さん(富士吉田市出身)が制作〉という記事が掲載された。この教科書を作成した教育芸術社に取材した部分を引用する。

同社の担当者は「編集者が学校の先生と共に選曲したが、『すごくいい曲だ』という意見で一致した。」生徒たちが生まれる前の曲だが、エバーグリーン(不朽)でポップな曲だと思った」と理由を説明した。

〈編集者が学校の先生と共に選曲した〉ことを初めて知ったが、〈すごくいい曲〉〈エバーグリーン(不朽)でポップな曲〉と高く評価されたようだ。この〈不朽〉、いつまでも価値を失わずに残るところが、教科書採用の決め手になったのだろう。


 スカパー!とUTYの二つの映像に関連して、志村正彦の発言を振り返りたい。 2007年12月、彼は両国国技館ライブの『若者のすべて』のMCで、この曲についてこう語っていた。

いろんな日があると思うんですけど、そんな日のたびに、立ち止まっていろいろ考えていたんですよ、僕は。んーだったら、それはちょっともったいないなあという気がしてきまして。だったら、こうなんかこう、なんかあの、BGMとか鳴らしながら、歩きながら、感傷にひたるってのがトクじゃないかな、って思って。

 志村は、「立ち止まっていろいろ考えていた」というあり方から、「BGMとか鳴らしながら、歩きながら、感傷にひたる」方法を見つて、歩き出そうとする。歌詞の一節「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」がそれに呼応している。「BGMとか鳴らしながら」「感傷にひたる」とあるが、「感傷」とは「僕」という主体の感情や感覚、志村の言葉で言い換える「センチメンタル」になることであり、BGM、background musicとはその背景に流れる音楽のことである。彼は歩きながら、「感傷」や「悩み」との対話を試みる。そして、映画を上映するように、「僕」と「僕ら」の物語を歌う。この歌の聴き手は、自分自身の物語を、心のスクリーンに重ねていく。『若者のすべて』は志村が築いた物語ではあるが、それ共に、聴き手自身の心の物語のBGMとしても機能する。

 この〈スカパー!夏フェスキャンペーンCM〉や〈やまなしドローン紀行〉を見る者は、『若者のすべて』に導かれるようにして、自分自身の物語を心のスクリーンに投映していく。音楽フェスの体験、富士吉田の街や富士山の想い出。「何年経っても思い出してしまうな」はその導きの言葉として調べとして、聴き手に強く、そしていくぶんか儚げに作用していく。

 志村正彦の言葉は、《意味》として以上に具体的な《作用》として、聴き手に働きかける。「何年経っても思い出してしまうな」という言葉は単なる意味を伝えるのではなく、聴き手の回想や想像の力を刺激して、実際に何か大切な情景を思い出させる。そのような作用をすることが、この歌が人々に愛される理由であろう。2021年の夏、「若者のすべて」は、人々にとってすでに「何年経っても思い出してしまう」作品となっている。


追記:9月5日に投稿した後に新たな報道や情報がありましたので、その分を追加して、新しい記事として再構成して投稿します。

2021年8月22日日曜日

フルートのトリル、鳥の囀る声。―「浮雲」3[志村正彦LN287]

 前回書いた「浮雲」のフルート音について、少し補足してみたい。歌詞を再度引用する。


 1A  登ろう いつもの丘に 満ちる欠ける月
 1B  僕は浮き雲の様 揺れる草の香り
 1C  何処ぞを目指そう 犬が遠くで鳴いていた
 1D  雨で濡れたその顔に涙など要らないだろう

 2A  歌いながら歩こう 人の気配は無い
 2B  止めてくれる人などいるはずも無いだろう
 2C  いずれ着くだろう 犬は何処かに消えていた
 2D  雨で濡れたその顔に涙など要らないだろう

   3C  消えてしまう儚さに愛しくもあるとしても
   3D  独りで行くと決めたのだろう
 3D  独りで行くと決めたのだろう


 1D、2Dと繰り返される〈雨で濡れたその顔に涙など要らないだろう〉。〈雨で〉そして〈濡れた〉の旋律を追いかけるようにフルートの音が入る。〈涙など要らないだろう〉にはフルート音が絡まり、志村の声と対話するかのように響いていく。3C〈消えてしまう儚さに愛しくもあるとしても〉も同様の入り方をする。特に〈愛しくもあるとしても〉以降、フルートの音はほぼ持続的に奏でられる。

 3D〈独りで行くと決めたのだろう〉のところでは、フルートのトリルの音が美しく重なっていく。ギターを激しく鳴らす音は〈独りで行くと決めたのだろう〉という〈僕〉の決意を促す。高く澄み切った音色は〈僕〉の孤独や不安を奏でている。それと対照的に、鳥の囀りのようなフルートのトリルは、〈独りで行くと決めたのだろう〉という〈僕〉をそっと見まもるかのように響く。やわらかくやさしい音であり、ある種の〈儚さ〉も感じる。〈いつもの丘〉で囀る鳥の音を再現している旋律でありアレンジであるかのように、筆者には聞こえてきた。また、この音はやはりフルート奏者が奏でている本物のフルートの音だろう。人間の息の感触がそのまま音に溢れ出ている。意識的か無意識的かは分からないが、志村正彦は「浮雲」にそのような音を必要としたのではないだろうか。ロックの楽曲の中にある種の《自然》を求めたと言えるかもしれない。そのような試みの到達点が「セレナーデ」であろう。

 2004年2月リリースの3rdミニアルバム『アラモルト』で「浮雲」のリメイクが収録されているが、フルートの音は入っていない(フルートに近い音は少しあるのだが、シンセサイザー音源だろう)。『アラカルト』ヴァージョンの演奏時間が5分15秒に対して、『アラモルト』ヴァージョンは6分13秒とテンポも遅くなっているなど、かなり違いがある。「浮雲」に関しては『アラカルト』ヴァージョンの方が格段に優れている。


 山に囲まれている土地のゆえか、山梨では住宅地であっても、いろいろな鳥の囀りが聞こえてくる。早朝、鳥の声で目を覚ますことも時にある。自然の中に在るという感触につつまれる。

 〈いつもの丘〉の林の中では、どのような鳥の声が聞こえてくるのか。囀る音はどのように響くのか。志村正彦も鳥の囀る声を聞いていたに違いない。そのような光景が浮かんできた。


2021年8月18日水曜日

フルート音の叙情性-「浮雲」2 [志村正彦LN286]

 志村正彦・渡辺隆之・田所幸子の3人のメンバーは「浮雲」について、新宿ロフトrooftopの〈【復刻インタビュー】フジファブリック(2002年10月号)-歌心を大切にした注目のバンドがついに単独作をリリース!〉で次のように語っている。(text:mai kouno/coa graphics)


──なるほど。『浮雲』で特に感じたのですが、言葉ののせ方や選び方がとても独特で面白いですね。
志村:あぁ、すごい嬉しいです。演奏の雰囲気が大体決まってから、イメージにそった歌詞を考えているんですが、リズムにのった歌詞を作ろうと心がけています。例えばすごく静かな所では、小さい「つ」を使わないでわりと平べったく聴かせようとか。「浮雲」は曲が昔っぽいイメージだったので、想像していたら自然に古風な言葉が湧き出てきた感じですね。
──全体の曲の雰囲気も、今現在にはなかなかない感じだと思ったのですが。
渡辺:意図はしていないですよ(笑)。
田所:やっぱりみんな、昔の音楽が好きだったりするから、それが自然と音に出ているんじゃないかなぁ。
志村:昔の音が好きというか、今の音楽を知らないだけで(笑)。

 

 志村は、 「浮雲」は〈昔っぽいイメージ〉の曲に〈古風な言葉〉が自然に湧き出てきたと述べている。この楽曲にはフルート(のような)音が入っているが、クレジットにはその演奏者が記されていない。キーボード奏者によるシンセサイザー音源かもしれない。間奏からエンディングに向けて、志村の声とギターの音とフルートの音が複雑に絡み合うところが非常に印象的である。息を吹き込んで空気を振動させて出すフルートの音は人の声との親和性が高い。そして、フルートの音には独特の叙情性がある。「浮雲」の孤独な詩的情緒をフルートの持つ叙情的な音がやわらかく響かせている。

 一般的にはフルートの入ったロックというと、イアン・アンダーソンIan Anderson のジェスロ・タル  Jethro Tull が挙げられるだろうが、プログレッシヴ・ロックの中では、ピーター・ゲイブリエル在籍時のジェネシスGenesis がまず思い浮かぶ。洋楽の中での僕の最愛のバンドである。ピーター・ゲイブリエルはフルートを使って、独創的な楽曲を創っていた。

  youtubeで、ピーター・ゲイブリエルがフルートを演奏している映像を探したところ、次の貴重な映像が見つかった。1972年3月、ベルギーのテレビ番組「Pop Shop」の収録。この時期の編成は次の五人。

ピーター・ゲイブリエル Peter Gabriel   (leadvocals/flute/tambourine)
マイク・ラザフォード Mike Rutherford  (keyboards and rhythm guitar)
トニー・バンクス Tony Banks   (Keyboards)
スティーヴ・ハケットSteve Hackett    (lead guitar)
フィル・コリンズ Phil Collins    (drums and backing vocals)

 演奏曲は「The Fountain Of Salmacis」「Twilight Alehouse」「The Musical Box」「The Return Of The Giant Hogweed」。3曲目「The Musical Box」の15:25あたりから1分間ほど、ピーターのフルート演奏がある。「The Musical Box」では、老人の仮面や狐の仮面を被ることが多いのだが、この映像では素顔のピーター・ゲイブリエルを見ることができるのが貴重である。「The Musical Box」の歌詞は多層的な意味合いを持つ。ピーター・ゲイブリエルはイギリスの孤高のロックの詩人でもある。



 志村正彦がピーター・ゲイブリエルの直接的な影響を受けているのではないだろうが、フルートを効果的に使ったプログレッシヴ・ロックという大きな枠組の中ではその影響の範囲内にいるとも考えられる。

 先の引用箇所でキーボードの田所は、〈やっぱりみんな、昔の音楽が好きだったりするから、それが自然と音に出ているんじゃないかなぁ〉と述べている。所謂第2期(2001年9月~2002年12月)のフジファブリック、Vo.Gt.志村正彦、Key.田所幸子、Dr.Cho.渡辺隆之の3人が、〈昔の音楽〉ロックの古典を研究したことが、「浮雲」をはじめとする1stミニアルバム 『アラカルト』の独創的な作品として結実していると言えるだろう。

2021年8月8日日曜日

独りで行くと決めたのだろう-「浮雲」1 [志村正彦LN285]

 「お月様のっぺらぼう」「午前3時」と、月をモチーフとする作品を続けて取り上げたが、1stミニアルバム 『アラカルト』には〈満ちる欠ける月〉を歌った「浮雲」という曲がある。この曲も「フジファブリック Official Channel」で公開されている。

 浮雲 · FUJIFABRIC
 アラカルト ℗ 2002 Song-Crux Released on: 2002-10-21
 Lyricist: Masahiko Shimura Composer: Masahiko Shimura

 演奏は、Vo.Gt. 志村正彦、Key.田所幸子、Dr.Cho.渡辺隆之、サポートメンバーGt.萩原彰人、Ba.Cho.加藤雄一の五人。



 以前にも紹介したが、荒川洋治は〈詩の基本的なかたち〉について、起承転結を示すABCDの記号を使って、〈Aを承けて、B。Cでは別のものを出し場面を転換。景色をひろげる。大きな景色に包まれたあとに、Dを出し、しめくくる。たいていの詩はこの順序で書かれる。あるいはこの順序の組み合わせ。はじまりと終わりをもつ表現はこの順序だと、読者はのみこみやすい〉と述べている。(『詩とことば』岩波書店2004)


 「浮雲」にも、この起承転結のかたちがある。ABCDの記号を付けた上で引用したい。


    浮雲 (作詞・作曲:志村正彦)

 1A  登ろう いつもの丘に 満ちる欠ける月
 1B  僕は浮き雲の様 揺れる草の香り
 1C  何処ぞを目指そう 犬が遠くで鳴いていた
 1D  雨で濡れたその顔に涙など要らないだろう

 2A  歌いながら歩こう 人の気配は無い
 2B  止めてくれる人などいるはずも無いだろう
 2C  いずれ着くだろう 犬は何処かに消えていた
 2D  雨で濡れたその顔に涙など要らないだろう

 3AB
   3C  消えてしまう儚さに愛しくもあるとしても
   3D  独りで行くと決めたのだろう
 3D  独りで行くと決めたのだろう


 1ABと2ABは、《起》と《承》の部分である。歌の主体〈僕〉が〈登ろう〉とする〈いつもの丘〉は、志村正彦が子供の頃から親しんでいた新倉山浅間神社・公園のある丘である。いわずとしれた、桜の名所でもある。〈僕〉は〈満ちる欠ける月〉の光景のもとで、〈浮き雲〉のように漂い、彷徨うにして、〈揺れる草の香り〉に導かれて、丘を登る。〈僕〉は〈歌いながら歩こう〉とする。〈人の気配は無い〉〈止めてくれる人などいるはずも無いだろう〉というように、この丘には誰もいない。〈僕〉の歌が誰かに聞こえることはない。

 今でこそ、この新倉山浅間神社・公園は観光名所になっているが、十年ほど前までは地元の人にとっての場であった。「浮雲」の〈いつもの丘〉は静かな丘であり、夜ともなれば寂しい場所でもあった。

 1Cと2Cには、〈犬〉が登場する。〈何処ぞを目指そう〉から〈いずれ着くだろう〉という〈僕〉が歩く時間の経過と共に、〈犬〉も〈遠くで鳴いていた〉から〈何処かに消えていた〉というように、その姿を消していく。犬の吠え声が《転》、歌の転換点となり、1Dと2Dの〈雨で濡れたその顔に涙など要らないだろう〉という《結》の表現が現れる。

 〈いつもの丘〉に雨が降る。雨雲が漂い、その切れ間で〈月〉は〈満ちる欠ける〉。月光のかすかな明かりと暗がりが交錯する情景。〈雨〉に濡れる〈僕〉の〈顔〉。〈涙など要らないだろう〉というのは、〈涙〉が無いことを示しているのではない。〈いつもの丘〉の陰影の濃い情景を背景に、〈僕〉の心の中で陰影のある〈涙〉が静かにこぼれる。

 1のABCDと2のABCDは同一の構造であり、起承転結の物語を作っている。志村正彦の作品には、「茜色の夕日」の〈晴れた心の日曜日の朝/誰もいない道 歩いたこと〉、「若者のすべて」の〈すりむいたまま 僕はそっと歩き出して〉を始めとして、《歩行》のシーン、モチーフが多い。その《歩行》の原点となる場が、この〈いつもの丘〉ではないだろうか。この丘の近くで志村正彦は生まれ育っている。この丘の近くを散歩し、時にこの丘を登ったようだ。

 3のABは言葉としては表れていないが、1ABCDと2ABCDの物語が含意されていると考えたい。それを受けて、3Cの〈消えてしまう儚さに愛しくもあるとしても〉が登場する。〈消えてしまう儚さ〉という表現は、漂い、移ろい、どこかに消えていく〈浮雲〉のイメージから導かれたのだろう。おそらく〈僕〉は故郷を離れようとしている。離れようとする故郷の〈いつもの丘〉の光景を、儚きもの、愛しきものとして受けとめている。そしていくぶんかは、自分自身を儚きものとして感じとっているのだろう。〈僕は浮き雲の様〉であるのだから。

 3Cによる《転》によって、3Dの〈独りで行くと決めたのだろう〉という問いが生じる。この3Dの言葉が「浮雲」全体の《結》となる。これは〈僕〉の〈僕〉自身に対する問いかけである。故郷から独りで出て行く、そう決めたことを繰り返し問いかけたのではないだろうか。その問いかけには、自分を納得させようとする、自分に言い聞かせようとする響きもある。ためらいや後ろ髪を引かれる思いがあったのかもしれない。そうであっても、〈僕〉はやはり〈独りで行く〉ことに決めたのだ。

 そう〈あるとしても〉、こう〈決めた〉の〈だろう〉という語り口は、きわめて志村らしい。この仮定と帰結、それについての自らの問いかけという話法を、志村は繰り返し用いた。たとえば、「桜の季節」では〈桜の季節過ぎたら/遠くの町に行くのかい?〉という別離についての仮定と帰結、その問いかけが歌われている。そして〈ならば愛をこめて/手紙をしたためよう〉と、この歌にも〈愛〉が表現されている。また、「桜の季節」の舞台も「浮雲」の〈いつもの丘〉だと考えることもできる。「浮雲」と「桜の季節」という作品は、その物語も風景も異なるが、志村正彦の出郷、故郷を離れて他の地へ出て行くことを表した二つの歌だと言えるかもしれない。 


 「浮雲」を聴くといつも感じることがある。志村正彦の〈独りで行くと決めたのだろう〉という声のただならぬ寂寥感だ。それは痛ましいほど痛切に孤独に響く。「浮雲」の歌詞を追っていっても、この表現を了解することは難しい。この歌の核心にはたどりつけない。そんな思いにとらわれる。


2021年8月1日日曜日

今宵満月 夢見たく無くて-「午前3時」[志村正彦LN284]

 「お月様のっぺらぼう」の世界では、〈俺〉の〈一人旅〉は、夢を見ることによって、〈月〉の〈夜〉から〈虹〉の〈空〉へと出かける。そしてその〈一人旅〉は、〈虹〉の〈空〉から〈月〉の〈夜〉へと帰還する。言葉と楽曲それぞれのループ、言葉と楽曲の間のループによって、〈一人旅〉の往還を歌った。

 この「お月様のっぺらぼう」と対照的な作品がある。「午前3時」だ。2002年10月リリースの1枚目ミニアルバム 『アラカルト』の三曲目に収録された。この曲も「フジファブリック Official Channel」で公開されている。

       午前3時 · FUJIFABRIC
  アラカルト  2002 Song-Crux Released on: 2002-10-21
  Lyricist: Masahiko Shimura Composer: Masahiko Shimura

 演奏は、Vo.Gt. 志村正彦、Key.田所幸子、Dr.Cho.渡辺隆之、サポートメンバーGt.萩原彰人、Ba.Cho.加藤雄一、武本俊一(担当楽器の記載なし)の六人である。



    

 歌詞をすべて引用しよう。行番号も付けたい。


午前3時(作詞・作曲:志村正彦)

1  赤くなった君の髪が僕をちょっと孤独にさせた
2  もやがかった街が僕を笑ってる様

3  鏡に映る自分を見ていた
4  自分に酔ってる様でやめた

5  夜が明けるまで起きていようか
6  今宵満月 ああ

7  こんな夜、夢見たく無くて 午前三時ひとり外を見ていた

8  短かった髪がかなり長くなっていたから
9  時が経っていた事に気付いたんだろう

10  夜な夜なひとり行くとこも無い
11  今宵満月 ああ

12  こんな夜、夢見たく無くて 午前三時ひとり外を見ていた

13  赤くなった君の髪が僕をちょっと孤独にさせた
14  もやがかった街が僕を笑ってる様

15  こんな夜、夢見たく無くて 午前三時ひとり外を見ていた
16  こんな夜、夢見たく無くて 午前三時ひとり外を見ていた


 70年代前半のイギリスのプログレッシヴ・ロックの曲調に乗せて、言葉が編み出されている。歌詞を一行ごとに追っていきたい。

 第1行〈赤くなった君の髪が僕をちょっと孤独にさせた〉。冒頭にいきなり〈赤くなった君の髪〉という描写があり、〈君〉という二人称が登場する。文字通りに〈赤くなった〉を髪の色の変化と捉えて、〈僕をちょっと孤独にさせた〉という〈僕〉の受け止め方を考え合わせると、この〈君〉は女性であり、〈僕〉と〈君〉ととの間には、恋愛か何か特別な関係があるのだろう。あるいは、〈赤くなった君の髪〉は、赤色を帯びた満月の描写という可能性もある。赤くなった〈今宵満月〉の光景が〈僕〉を孤独にさせる。

 この〈孤独〉という直接的な表現が使われたのは、全歌詞の中でこの「午前3時」と『CHRONICLE』収録の「Clock」だけである。志村はこの言葉の定型性、説明的なニュアンスを回避したかったのだろう。「Clock」(作詞・作曲:志村正彦)の該当箇所を引用する。

今日も眠れずに 眠れずに
時計の音を数えてる
いつも気がつけば 気がつけば
孤独という名の 一人きり

 〈今日も眠れずに〉〈時計の音〉〈孤独という名の 一人きり〉という表現に、「午前3時」との関連が見いだせる。

 「午前3時」に戻ろう。第2行〈もやがかった街が僕を笑ってる様〉。この歌の現在時は〈午前三時〉という深夜。夜中の雲が満月の光を反射して、〈街〉が〈もやがかった〉ように見えるのだろうか。満月の夜の靄がかった微妙な暗部の光景が、〈僕〉を突き放すように〈笑ってる様〉と感受している。

 第3行〈鏡に映る自分を見ていた〉、第4行〈自分に酔ってる様でやめた〉。歌の主体〈僕〉は〈鏡に映る自分〉を見る。〈僕〉という〈自分〉が〈自分〉の鏡像を見つめることは、ナルシスの神話を想わせる。ナルシスは水面という鏡に映った自分自身の像に恋をしてその鏡像から離れることができなくなるが、「午前3時」の〈僕〉は〈自分に酔ってる様でやめた〉というように、自己の鏡像から離れようとする。自己という閉域、閉じられた世界から遠ざかろうとするのだ。〈鏡〉という言葉は志村の全歌詞の中でこの歌にしか使われていないことにも留意したい。(「東京炎上」に〈目と目が合った君は万華鏡〉という言葉はあるが)また、この箇所は、曲調が変化し、声も抑制するようにして、独特の歌い方をしている。

 第5行〈夜が明けるまで起きていようか〉、第6行〈今宵満月 ああ〉。〈満月〉の夜、夜明けまで起きていようかという覚醒の持続への意志は、第7行〈こんな夜、夢見たく無くて 午前三時ひとり外を見ていた〉につながっていく。

 前回論じた「お月様のっぺらぼう」では、〈俺、とうとう横になって ウトウトして/俺、今夜も一人旅をする!/あー ルナルナ お月様のっぺらぼう〉というように、月夜の〈一人旅〉は夢を見ることへの旅であった。それと正反対に「午前3時」では、同じ月夜ではあっても、〈夢見たく無くて〉〈ひとり外を見ていた〉と歌われている。(〈夢見たく無くて〉の〈夢〉は睡眠中の夢ではなくて、実現させたい事柄という意味での夢の可能性もあるが)夢を見ることと夢を見ないこと、睡眠と覚醒の持続。この二つの作品の対比の関係は明らかである。「午前3時」では、夢を見たくないから一人外を見ていたという解釈も成り立つ。第3・4行にある、〈僕〉が自己の鏡像から離れて、自己愛の閉域から遠ざかろうとすることが、この〈ひとり外を見ていた〉に接続していくのかもしれない。自己の外部、〈外〉、外の世界を見ることは、自己の内部に目を向けることからの回避につながる。

 第8行〈短かった髪がかなり長くなっていたから〉の〈髪〉は、〈君〉のものなのか〈僕〉のものなのかは分からない。どちらにしろ、第9行〈時が経っていた事に気付いたんだろう〉という時の経過に気づく。あるいは、満月の様子の変化による時間の進行を描いているのかもしれない。

 第10行〈夜な夜なひとり行くとこも無い〉は、通常の意味で、〈夜な夜な〉特に〈午前三時〉頃に〈ひとり行く〉場所はないだろう。あるいは、この〈ひとり行く〉は「お月様のっぺらぼう」の〈今夜も一人旅をする〉との関連があるのかもしれない。「午前3時」では〈一人旅〉ではなく〈ひとり外を見ていた〉のだから。

 第11行から16行までは反復であり、〈こんな夜、夢見たく無くて 午前三時ひとり外を見ていた〉に収斂される。志村の歌い方は、〈夢〉〈見たく〉〈無くて〉というように分節されて、〈無くて〉が強調されているようにも感じられる。〈なくて〉ではなく〈無くて〉と、〈無〉という漢字が使われたこともその印象を強める。

 この「午前3時」の音源はその後リテイクされていない。また、ライブ映像にも残されていない。初期作品の中では実験的な習作の意味合いが強いことがその理由かもしれない。しかし、「午前3時」と「お月様のっぺらぼう」という《月夜》をモチーフとする対照的な作品を試みているところに、インディーズ時代の志村正彦の実験が刻印されている。やがてその言葉と楽曲の実験は作品の成果として結実していくだろう。

2021年7月25日日曜日

言葉のループ 「お月様のっぺらぼう」2 [志村正彦LN283]

  志村正彦・フジファブリック「お月様のっぺらぼう」の音源は、2019年12月23日から、「フジファブリック Official Channel」で公開されている。これはありがたい。

  お月様のっぺらぼう · FUJIFABRIC
  アラモード 2003 Song-Crux Released on: 2003-06-21
  Lyricist: Masahiko Shimura Composer: Masahiko Shimura


 

 歌詞をすべて引用しよう。行の番号と同一の歌詞はa~iのアルファベットを付ける。


 お月様のっぺらぼう  作詞・作曲: 志村正彦  

  1  a  眠気覚ましにと 飴一つ
  2  b  その場しのぎかな…いまひとつ
  3  c  俺、とうとう横になって ウトウトして
  4  d  俺、今夜も一人旅をする!

  5  e  あー ルナルナ お月様のっぺらぼう

  6  f  嵐がやって来そうな空模様
  7  g  雨の匂いかな…流れ込む
  8  h  俺、相当恐くなって窓を閉める
  9  d  俺、今夜も一人旅をする!

 10  i  あの空を見た 遠くの空には 虹がさした
 11  i  あの空を見た 遠くの空には 虹がさした

 12  a  眠気覚ましにと 飴一つ
 13  b  その場しのぎかな…いまひとつ
 14  c  俺、とうとう横になって ウトウトして
 15  d  俺、今夜も一人旅をする!

 16  e  あー ルナルナ お月様のっぺらぼう
 17  e  あー ルナルナ お月様のっぺらぼう


 「お月様のっぺらぼう」のサウンドは、イントロのフレーズがミニマル的にループしていく。歌詞の言葉もそのサウンドに乗って、ループのように連接していく。言葉の輪が循環していく。

 第1行と第2行の末尾の〈飴一つ〉と〈いまひとつ〉。〈hitotsu〉の反復が、この歌詞の言葉のループの基調になっている。さらにこの〈hitotu〉は、第4行の〈今夜も一人旅をする〉の〈hitori〉に連接し、モチーフとしての《一人》を形成していく。

 第3行の〈とうとう〉と〈ウトウト〉。〈toutou〉〈utouto〉の音の反転のような遊び。この音の戯れが催眠効果のようになって、歌の主体〈俺〉は〈今夜も一人旅をする〉。この夜の〈一人旅〉は睡眠中に見る《夢》のことであろう。〈も〉という助詞が使われているのは、この夜の〈一人旅〉が、毎夜、反復されていることを示す。

  また、第3,4行と二度繰り返される〈俺〉と〈俺〉の〈ore〉〈ore〉も、音の響きが独特である。くぐもっているというのか抑制的というのか、一人称代名詞の機能を果たすというよりも、つなぎの音として使われた気もする。

 第5行の〈ルナルナ〉。〈luna luna〉の繰り返し。〈お月様のっぺらぼう〉も〈おo〉〈のno〉〈ぼbo〉という〈o〉音がアクセントになっている。この言葉は、月の視覚的イメージを表すというよりも、音の戯れの感覚そのものを伝えるために選択されたのかもしれない。

 第7行の〈雨〉〈ame〉は第1行の〈飴〉〈ame〉と、アクセントは異なるが、音の反復がある。第8,9行の〈俺〉〈俺〉は、第3,4行の〈俺〉〈俺〉と同等の効果を持つ。

 第10,11行〈あの空を見た 遠くの空には 虹がさした〉はどう捉えたらよいだろうか。二つの可能性がある。ひとつは、〈俺〉が目覚めた後で日中の光景として〈あの空〉〈遠くの空〉〈虹〉を見た、というもの。もう一つは、〈俺〉が見た夢の中の光景であるというもの。

 第1~4行のa.b.c.dの展開には、起承転結的な構造があり、第6~9行のf.g.h.dの展開も同様である。それぞれの起承転結を受ける、第5行〈あー ルナルナ お月様のっぺらぼう〉と第10,11行〈あの空を見た 遠くの空には 虹がさした〉は、対比的な関係を持つ。


第1~4行 a.b.c.d  → 第5行      あー ルナルナ お様のっぺらぼう

第6~9行 f.g.h.d  → 第10,11行  あのを見た 遠くのには がさした


 この対比的な構造からすると、〈あー ルナルナ お月様のっぺらぼう〉の〈月〉は〈夜〉の〈一人旅〉の象徴であり、〈あの空を見た 遠くの空には 虹がさした〉の〈空〉の〈虹〉は、夢の中で見られた光景であるという解釈の方を取りたい。

 〈俺〉の〈夜〉の〈一人旅〉は、夢の中で〈空〉の〈虹〉へと向かっていく。サウンドが転調され、コーラスも加わって、音が重厚になる。ライブでは照明の演出も転換される。言葉と音のループがここで重層化される。志村正彦、加藤慎一、金澤ダイスケ、渡辺隆之の四人のユニットの演奏が素晴らしい。

 〈月〉と〈虹〉。太陽の光が月面で反射された月の光。太陽の光が大気の水滴の内部で反射された虹の光。光のイメージとしては対照的だが、太陽の光が反射されたものという共通項がある。〈虹〉のモチーフはやがて、2005年6月リリースのフジファブリック5枚目のジングル「虹」へと発展していく。

 〈俺〉の〈一人旅〉は、〈夜〉から日中の〈空〉へ、〈月〉から〈虹〉へと向かう。そして、昼の〈空〉か〈夜〉からへ、〈虹〉から〈月〉へと戻っていくのだろう。そのようにして、ループが、循環していく。〈俺〉の〈一人旅〉は、毎夜、反復される。

 志村正彦は、言葉の音としての戯れを使って歌詞を作った。言葉と音それぞれのループ、そして言葉と音の間のループによって、〈俺〉の物語を歌った。「お月様のっぺらぼう」は、インディーズ時代のきわめて独創的な作品である。


2021年7月18日日曜日

音のループ 「お月様のっぺらぼう」1 [志村正彦LN282]

 前回論じた「Anthem」は、「三日月さんが 逆さになってしまった」という月夜の情景のもとで「気がつけば 僕は一人だ」と、〈月〉と〈一人〉が組み合わされて歌われている。志村正彦の特に初期作品には、この〈月〉と〈一人〉の取り合わせが多い。

 「午前3時」の〈夜が明けるまで起きていようか/今宵満月 ああ/こんな夜、夢見たく無くて 午前三時ひとり外を見ていた〉、「浮雲」の〈登ろう いつもの丘に 満ちる欠ける月/僕は浮き雲の様 揺れる草の香り/独りで行くと決めたのだろう〉、そして「お月様のっぺらぼう」の〈俺、とうとう横になって ウトウトして/俺、今夜も一人旅をする!/あー ルナルナ お月様のっぺらぼう〉とある。月は〈満月〉〈満ちる欠ける月〉〈お月様のっぺらぼう〉、一人の方は〈ひとり外を見ていた〉〈独りで行く〉〈一人旅〉という違いがある。志村正彦にとって、〈月〉は〈一人〉であることと強く結びつく原光景である。

 今回は「お月様のっぺらぼう」を取り上げたい。2003年6月21日発売のフジファブリック2ndミニアルバム『アラモード』(Song-Crux)収録曲である。メンバーは、Vo.Gt. 志村正彦、Ba.Cho. 加藤慎一、Key.Cho. 金澤ダイスケ、Dr.Cho.渡辺隆之の四人。当時の貴重なインタビュー〈現時点で最高の音が詰まった2ndミニ・アルバム『アラモード』、遂にリリース!〉がロフトのサイトに残されている。「お月様のっぺらぼう」に言及した部分を抜き出す。


──では面白かったこと、楽しかったことは?
金沢 あ、初日に俺、熱を出したんだ。39度くらい。その朦朧とした中で録ったのが「お月様 のっぺらぼう」で、直ってから入れ替えようと思ったんですけど、どうやってもこの感じが出せなかったんで。
──今回の曲はいつ頃の?
志村 元々ある曲もあるけど、レコーディングがありますってことで…アレンジし直してアルバム用にしたいなと思ったのは「お月様 のっぺらぼう」ですね。コレは今回用に急ピッチで(笑)。
渡辺 これはどんどん変わっていきましたね。
──一言ずつ曲のコメントをお願いします。
■お月様 のっぺらぼう
加藤 これは割とスペーシーな。ループな感じなんですけど。生ループが醍醐味です。
志村 あと、これはコーラスを頑張りましたね。


 愉快なコメントだ。「お月様 のっぺらぼう」は〈アレンジし直してアルバム用に〉〈急ピッチで〉(志村)作られて、〈どんどん変わって〉(渡辺)いったそうである。〈スペーシーな。ループな感じ〉(加藤)のサウンドを39度の発熱による〈朦朧とした中で録った〉(金沢)テイクが素晴らしい出来映えだったようだ。確かに、コンピュータではない〈生〉の楽器演奏による独特のループ感とグルーブ感がある。

 「お月様 のっぺらぼう」は、歌詞、楽曲、演奏、どれも水準が高い。インディーズ時代の『アラカルト』『アラモード』のなかでも最も独創的な作品であろう。特に、志村の作曲家としての才能を感じさせる。類似したサウンドが思い浮かばないのだが、記憶をたどってあえて書くのであれば、イギリスのソフト・マシーン(Soft Machine)を想起した。ジャズ・ロック、サイケデリック・ロック、ミニマル・ミュージックというようなノンジャンル的な楽曲の雰囲気である。ミニマルなフレーズが反復され拡大されていくソフト・マシーンのサウンドを繰り返し聴いていた時期がある。1973年の『7』(Seven)が僕の愛聴盤だった。

 「お月様のっぺらぼう」は「午前3時」(『アラカルト』)「消えるな太陽」(『アラモード』)と共に、メジャーデビュー後に再録音されていない。初期の月をモチーフとする3曲中の2曲の音源のリテイクがない。ただし、「お月様のっぺらぼう」のライブ映像は、2003年12月31日新宿LOFT(『FAB MOVIES LIVE映像集』DVD『FAB BOX』)、2006年12月25日渋谷公会堂(『Live at 渋谷公会堂』DVD)、2009年9/29(火)~10/23(金)全10公演(『Official Bootleg Movies of "デビュー5周年ツアー GoGoGoGoGoooood!!!!!'』DVD)の三つのDVDに収録されている。5周年ツアーでは、志村が「じゃあ次もめったにやらない曲」と話してから、演奏が始まった。この3枚のDVDによって、ちょうど三年ごとの演奏の変化を知ることができる。     

      (この項続く)


2021年7月11日日曜日

「Anthem」の〈一人〉[志村正彦LN281]

 昨日7月10日は、志村正彦の誕生日。祝福するtweetが数多く寄せられていた。富士吉田では「若者のすべて」のチャイムが流され、それを報道するニュースや記事があった。母校の吉田高校でも合唱曲にするプロジェクトが進んでいるようだ。さまざまな人々がそれぞれの場所で活動している。これもまた祝福すべきだろう。

 僕の場所はこの偶景web。もうひとつ、文学の教育と研究の場もある。〈志村正彦ライナーノーツLN〉の開始時には300回をひとつの目標にした。あと20回ほどでその回数に達するが、これまで取り上げた曲を数えるとまだ31曲。今後はこれまで書いたことのない作品についてできるだけ試みていきたい。

 今日は「Anthem」。2009年5月20日、フジファブリック4枚目のアルバム『CHRONICLE』に収録され発表された。2019年、『FAB LIST 1』の投票で15位となり、同名のアルバムに収められた。アンセムは祈りの歌、祝いの歌である。誕生日の祝福tweetを見て、なんとなくこの曲にしようと思った。『FAB LIST 1』の音源を聴いたのだが、リマスタリング音源となり、想像以上に楽器の音像はクリアになっている。まず全歌詞を引用したい。


 Anthem 
       作詞・作曲:志村正彦

三日月さんが 逆さになってしまった
季節変わって 街の香りが変わった
気もしない ない ない ない ない ない ない ないか
まだ ない ない ない ない ない ない ない ないか

闇の夜は 君を想う
それら ありったけを 描くんだ

鳴り響け 君の街まで
闇を裂く このアンセムが

何年間で遠く離れてしまった
いつでも君は 僕の味方でいたんだ
でも いない いない いない いない いない いない いない いないや
もう いない いない いない いない いない いない いない いないや

行かないで もう遅いかい?
鳴り止まぬ何かが 僕を襲う

轟いた 雷の音
気がつけば 僕は一人だ

このメロディーを君に捧ぐ
このメロディーを君に捧ぐ

鳴り響け 君の街まで
闇を裂く このアンセムが

轟いた 雷の音
気がつけば 僕は一人だ


 フレーズごとにたどっていこう。〈三日月さんが 逆さになってしまった〉は、三日月からその逆さの二十六夜月への変化の時間を伝えているのだろうか。そうであれば、二十数日が経っていることになる。また、二十六夜月は夜中の1時から3時の間に上るので、この歌の舞台が深夜であることを示しているのかもしれない。〈季節変わって 街の香りが変わった〉とあるので、この月の満ち欠けの三十日ほどの間に季節が変わったのだろう。

 しかし、歌の主体〈僕〉は〈気もしない ない ない ない ない ない ない ないか〉〈まだ ない ない ない ない ない ない ない ないか〉と呟く。何に対して〈気もしない〉と言うのか。三日月や季節の変化はおそらく確かなことだろうから、直前の〈街の香りが変わった〉を指していると考えるのが妥当だろう。そうすると、〈街の香りが変わった〉〈気もしない〉〈ないか〉〈まだ〉〈ないか〉というようにつながる。〈街の香りが変わった〉気がする、気がしない、そして、気がしないか、まだ気がしないか。その逡巡が〈僕〉に訪れている。それぞれのフレーズで、〈ない〉が八回繰り返されている。この〈ない〉の反復は、歌の主体〈僕〉の自分自身の感覚に対する疑いやとまどいを示すものなのか。解釈が難しい。

 〈闇の夜〉という深夜、〈僕〉は〈君を想う〉。君への想いを〈ありったけを 描くんだ〉と自分に言い聞かせる。その想いを託した〈アンセム〉が、深夜の〈闇を裂く〉ようにして、〈君の街〉まで〈鳴り響け〉と叫んでいる。

 〈何年間で遠く離れてしまった〉〈いつでも君は 僕の味方でいたんだ〉というのが、歌の主体〈僕〉の想いの中心にある。〈でも いない いない いない いない いない いない いない いないや〉〈もう いない いない いない いない いない いない いない いないや〉と、〈でも〉〈いないや〉と〈もう〉〈いないや〉というように〈君〉の喪失が歌われている。ここでも、それぞれのフレーズで〈ない〉が八回繰り返されている。この〈ない〉の連続は、「若者のすべて」の〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉の数度の反復を想起させる。志村正彦の「Anthem」は〈ない〉ことのアンセムのように響く。

 〈行かないで もう遅いかい?〉〈鳴り止まぬ何かが 僕を襲う〉という直截な表現は、〈轟いた 雷の音〉の強烈な音に促されたのだろうか。雷鳴の音に突き動かさるようにして、〈僕〉は君のいる場所に飛び立っていきたいのだが、そこには〈君〉は〈もう〉〈いない〉。雷鳴が過ぎ去った後で、〈気がつけば 僕は一人だ〉という静けさのなかに歌の主体〈僕〉は取り残される。


 「Anthem」とは対照的な静かで穏やかな曲調の「セレナーデ」が浮かんできた。「セレナーデ」では〈木の葉揺らす風〉の音が〈セレナーデ〉になっていた。〈明日は君にとって 幸せでありますように/そしてそれを僕に 分けてくれ〉という祈りが、〈そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ/消えても 元通りになるだけなんだよ〉という別れの言葉と共に歌われていた。「Anthem」では〈轟いた 雷の音〉が〈アンセム〉に変わる。〈気がつけば 僕は一人だ〉が〈このメロディーを君に捧ぐ〉と歌われる。

 志村正彦の歌の主体〈僕〉は、つねにすでに、〈一人〉でいる。〈一人〉でいることが、 〈メロディー〉を「セレナーデ」や「Anthem」の言葉を〈君〉へと送り届ける条件、前提であるかのように、志村は歌を作っている。

 アンセムは祈りの歌、祝いの歌。この「Anthem」も〈君〉への祈り、祝福の歌であろう。しかし、〈気がつけば 僕は一人だ〉という一節をどう受けとめていいのか、考えあぐねた。ここには深い孤独が描かれている。アンセムとどう関わるのか。

 作者志村自身が伝えたいことから離れてしまうのだろうが、〈僕は一人だ〉としても〈僕は一人だ〉ということをあえて祝う、という考えが浮かんできた。〈僕は一人だ〉ということを祝福するというのは誤解されかねない解釈だが、今ここで〈一人〉でいることが現実であるのならば、その現実をそのまま受けとめる、ある意味では肯定する、というように捉えてみるのはどうだろうか。喪失を喪失として、〈一人〉でいることを〈一人〉でいることとして、ありのままを受けいれること。志村正彦の「Anthem」にはそのような強さも感じるのだ。雷鳴のように轟く烈しいもの。〈一人〉ではあるがその〈一人〉であることをそのまま受容する強い意志。冒頭の一節「三日月さんが 逆さになってしまった」のように、何かを逆さにする方向性がこの「Anthem」には貫かれていないだろうか。そもそも、〈闇の夜〉という設定自体が通常のアンセムの背景となる時間帯を逆転させている。そう考えるならば、この「Anthem」は〈君〉へのアンセムであると同時に、〈一人〉でいることへのアンセムにもなる。


 志村正彦の多くの歌からは、〈一人〉でいることの寂寥感が伝わってくる。しかし、その寂寥感を超えていくものも歌われている。そのような、気もしない、だろうか。


2021年7月3日土曜日

山梨の聖火リレー[志村正彦LN280]

 先週の土日、山梨県で東京オリンピックの聖火リレーがあった。二日目の終着点は富士吉田。最終ランナーは、グループランナー「やまなし大使」の四人、 宮沢和史、藤巻亮太、山梨出身の女優白須慶子、そして富士吉田出身のプロレスラー武藤敬司が富士山パーキングの入口まで走った。東京オリンピックそのものの問題点はひとまず置いて、今日はこの聖火リレーから想像したことを書きたい。

 

 僕はニュース映像を見だけだが、宮沢和史、藤巻亮太となると、どうしても志村正彦のことを思ってしまう。彼が健在であれば、宮沢和史、藤巻亮太と一緒に故郷の道を走っただろうか、と。やるせないような仮定だが、しばらくの間、想像の世界に入っていった。

 志村がグループランナー「やまなし大使」に選ばれた可能性は充分にあっただろう。しかし、その(内々の)オファーを受けて彼が受諾したかどうか。〈「ロック」とは、何かを打ち破ろうとする反骨精神、逆らうべきところは逆らうという精神じゃねえのかな~〉[ 『東京、音楽、ロックンロール』(志村日記)「ジャケ深読み」2008.01.25 ]と語っているので、〈聖火リレーなんてロックじゃねえ〉と一蹴したこともありえる。

 でも、どうだろうか。他ならぬ富士吉田で走るのであれば、案外、渋々にしろ、OKしたような気もする。そうなったとしても、一番隅っこで、いるのかいないのか分からないように走る。そんな像が浮かぶ。

 NHKの「聖火リレー」サイトに、大会組織委員会に提出された「志望動機」が掲載されている。


宮沢和史 Kazufumi Miyazawa

東京オリンピックの聖火ランナーとして、長距離走の選手だった学生時代を思い出しながら無心で走る私の姿を見ていただくことで、少しでも生まれ故郷に貢献できるのであれば嬉しい。

藤巻亮太 Ryota Fujimaki

東京オリンピックの聖火ランナーとして、歴史ある聖火を絶やさず、世界へ、そして次の世代へ向けてつないでいきたい。そして、世界中にふるさとの魅力を伝え、「YAMANSHI」ファンを増やしたい。


 宮沢の〈少しでも生まれ故郷に貢献できるのであれば嬉しい〉、藤巻の〈「YAMANSHI」ファンを増やしたい〉。二人とも故郷山梨への貢献を志望動機としている。この二人に劣らぬくらい(いや、それ以上に)故郷を大切にしていた志村のことだから、真面目でなおかつロック的な動機を書いたかもしれない。

 志村は先の日記で「富士山」もロックだと述べていた。理由は、富士山は火山活動で隆起し、〈地球の重力に逆らっているから〉らしい。だから、その富士山の裾野を聖火でリレーすることもロックだ、なんていう志望動機を考えたかもしれない。志村が聖火をリレーするなんて〈ないかな ないよな きっとね〉とも思うが、あるかな、あるよな、きっとね、とも想う。やるせない仮定の想像ではあるが、そのままここに記してみたかった。


 志村正彦が宮沢和史、藤巻亮太と一緒に富士吉田の道を走る。「聖火」をリレーする。その幻想は、宮沢和史、藤巻亮太、志村正彦と続いていく、山梨の「ロック」のリレーの光景でもある。


2021年6月27日日曜日

『桜の季節』ー「自分を映す鏡」から「やるせない」へ[志村正彦LN279]

 四月以降、『桜並木、二つの傘』、続けてNHKの番組新日本風土記「さくらの歌」で取り上げられたこともあり、『桜の季節』について書いてきた。すでに梅雨の日々、もうすぐ初夏の季節を迎えるので、今回でひとまず区切りたい。

 志村正彦は、アルバム『TEENAGER』に関連して次のように語っている。(『FAB BOOK』p89) 

歌詞は自分を映す鏡でもあると思うし、予言書みたいなものでもあると思うし、謎なんですよ。

 かなり前のことになるが、この発言について次のように書いた。[「鏡」「予言書」「謎」としての歌(志村正彦LN 9)]やや省略してまとめてみた。

歌詞を始め、言葉で表現された作品は、自分の内部にあった言葉が、声や文字として外部に現れ、形あるものとして定着されていく。表現後は、録音された声や印刷された文字は、作者から独立した作品となり、それを聴いたり読むことを通して、作品の方が逆に、作者自身に語りかけるようになる。内部から外部へという動きが逆転し、外部から内部へという動きが生まれる。それは、鏡面という外部にある自分の像がそれを見る自身に送り返される「鏡」というものに喩えられる働きであろう。志村正彦が言うように、歌詞そのものが「自分を映す鏡」となる。鏡に反射される自分の像との対話を重ねることで、新たな言葉や歌が創り出される。(中略)例えば『桜の季節』で、「桜の季節過ぎたら」「桜のように舞い散ってしまうのならば」というように、未来のある時点を設定したり、仮定したりして、物語を述べることが彼の歌の特徴の一つになっているということだ。未来の出来事やその仮定から始まり、逆に現在や過去の方へと遡っていくような、逆向きの時間の通路が敷かれている。そのような不思議な時間の感覚が存在していることが、「予言書みたないもの」という発言とどこかつながるのではないだろうか。

 「例えば」以下は、《志村正彦ライナーノーツ》で『桜の季節』の歌詞を引用して論じた初めての文章である。ここでは「自分を映す鏡」を〈鏡に反射される自分の像との対話を重ねることで、新たな言葉や歌が創り出される〉と捉えているが、『桜の季節』の〈不思議な時間の感覚〉が「予言書みたないもの」という発言につなげるところに論の中心がある。今回読み直してみて、〈鏡に反射される自分の像との対話を重ねる〉ということに立脚して、『桜の季節』をたどりなおしたらどうか、と考えた。


 「ohならば愛をこめて/so 手紙をしたためよう/作り話に花を咲かせ/僕は読み返しては 感動している!」の「手紙」は投函されなかったが、「手紙」そのものは書かれた。つまり、自分が自分へと手紙を書いたのである。書き終わった時点で目的は達成される。手紙は自分のもとに留まる。その場合、手紙は「自分を映す鏡」のようなものになる。別の観点でいえば、手紙の書き手と読み手、差出人と宛先人は同一の人物、歌詞の中では「僕」という存在になる。『桜の季節』から〈鏡の中での手紙のやりとり〉という光景が浮かんでくるかもしれない。鏡に反射される自分の像との対話が重ねられる。さらに踏み込むのなら、「僕」という主体と「僕」の鏡像(分身として見てもよいかもしれない)との間で「手紙」が交換される、と考えられる。実際に有るものの交換ではなく、無いものの交換である。「作り話に花を咲かせ/僕は読み返しては 感動している!」というのは、そのような無いものの交換についての〈感動〉のような気がする。

 抽象的な考察になってしまったが、要は、『桜の季節』が、「僕」が「僕」に送った「手紙」の歌だということにある。その「手紙」そのものが「自分を映す鏡」となる。その鏡を前にして、「僕」は「作り話」に花を咲かせる。桜の季節の美しい花のように、鏡の中で言葉の花を咲かせる。歌詞の物語からはそういう解釈は成立しないだろうが、物語の解釈を超えた次元では、そのような隠された構造があるとも考えられる。志村正彦は意識的無意識的にそのような構造を創り上げた。そしてその構造についての一種の感情が、「やるせない」ではないだろうか。鏡像の中に自分が閉じこめられたとしたら、それはやるせない。

 「やるせない」は「遣る瀬無い」。なにかを「遣る」、どこかに行かせようとしても、その「瀬」、場所がない。心の中の想いを解き放とうとしてもその方法が見つからない。「瀬」は、流れが速く水深が浅い河川の場所を指すので、「遣瀬無い」という言葉自体から自然の光景が浮かび上がる。川の流れにまかせて解き放とうとしても、それが不可能なのだ。流れることなくいつまでもそこに滞留する。


 「桜のように舞い散って/しまうのならばやるせない」は四回繰り返される。「やるせない」の四度の反復は、合わせ鏡の像のように『桜の季節』の言葉の中で増殖していく。歌が終わった後でも、この「やるせない」のリフレインは続く。こころのなかでこだまする。志村正彦の感情、形容詞というべきものを抽出するとしたら、そのひとつはこの「やるせない」にたどりつくだろう。『桜の季節』はやるせない。


2021年6月20日日曜日

『桜の季節』と『Day Dripper』[志村正彦 LN278]

 前回、『桜の季節』のABCDという起承転結的な物語を新たに設定してみた。楽曲全体ではA→B→A→C→D→B→A→Aという展開になった。実際の歌では〈結・D〉の後に〈承・B〉が続いている。


D  坂の下 手を振り 別れを告げる/車は消えて行く
    そして追いかけていく/諦め立ち尽くす
    心に決めたよ

B  oh ならば愛をこめて/so 手紙をしたためよう
   作り話に花を咲かせ/僕は読み返しては 感動している!


   「心に決めたよ 」「oh ならば愛をこめて/so 手紙をしたためよう」という言葉の連接が生まれる。歌の主体「僕」は、諦め立ち尽くして心に決めた結果、「愛をこめて」「手紙をしたためよう」とする。そのようなストーリーが読みとれるだろうか。

 すでにこのブログに二度ほど引用したことがあるが、『桜の季節』の「手紙」について志村はこう語っている。(『音楽と人』2004年5月号、インタビュー:上野三樹)


 -しかも結局書いたけど出してないでしょ、この曲。

「そうです。手紙を書いて、そこで終了している曲です。」

 -そこでまたひとりになると。

「そうですね。」


 作者自身が「手紙を書いて、そこで終了している曲」だと述べている。手紙は投函されていない。「愛をこめて」手紙をしたためたのかもしれないが、結局、「手紙」は宛先人に届くことがない。つまり「愛」がそのまま言葉として伝わることはない。歌の主体は「そこでまたひとり」になる。

 『桜の季節』以外で「愛」という言葉が使われている歌詞は、『Day Dripper』と『Bye Bye』だけである。『桜の季節』の「愛をこめて」との関連からすると、 『Day Dripper』の次の一節が目にとまる。


  溢れ出してる 泉のように意味のない言葉
  それら全てにおいて 真実味はないぜ

  とらわれたように 愛を語ろう 粋なことを言おう
  だから立派な作家のように高い筆を買う


 この『Day Dripper』は志村が書いた歌詞の中でも難解なものである。いまだに意味はよくつかめないのだが、そのような場合、言葉そのものの動き方や作用の仕方を受けとめるしかない。題名からすると、ビートルズの『Day Tripper」(デイ・トリッパー)も連想される。『Day Dripper』もまるでトリップしたかような不思議な世界を歌っている。

 『Day Dripper』の「Dripper」「ドリッパー」から思いつくのは、やはり、コーヒードリッパーだろう。歌詞の中に「コーヒーにミルクが混ざる時みたいに」という一節もある。コーヒーを抽出させるという機器との関連からすると、「Day Dripper」は一日の出来事を抽出する働きをするものだろう。そう捉えると、「溢れ出してる 泉のように意味のない言葉」から、コーヒードリッパーから注ぐコーヒーが器から溢れ出していくというイメージが浮かんでくる。一日の終わりに、意味のない言葉が頭から溢れ出してくるのだろう。その言葉は「それら全てにおいて 真実味はないぜ」ということに帰結する。そうなると、「とらわれたように 愛を語ろう 粋なことを言おう/だから立派な作家のように高い筆を買う」もかなりアイロニーの響きを帯びてくる。「愛を語ろう」とするのも、おそらく、「意味」や「真実味」のない行為なのだ。


 志村正彦は『音楽とことば ~あの人はどうやって歌詞を書いているのか~』( SPACE SHOWER BOOks 2009/03/25 )で次のように語っていた。 (取材と文/青木優)


ただ、その「茜色の夕日」にしても、ストレートに「好きだ」と告白している歌ではないですよね。そこまでその娘に対する想いがリアルなのであれば、そうなってもいいはずなのに、志村くんには、まったくそういう曲がない。

 僕に「愛してる」とか「好きだ」みたいな歌詞がない理由というのは、自分でもわかってます。それは僕の中にある醒めた客観視、「んなこと言われても!」って考えのせいなんですね。だって、僕がそういう曲を聴いた際の感想というのは、「へえ―、そうですか、愛してるんですか」っていう程度のものでしかないんですけど、場合によっては、「え、好きだからなんなんですか?」「愛してるからなんなんですか?」「ちなみにその愛の内容は、どういうことを経験しての愛なんですか?」みたいな詮索がスタートしてしまう。で、結局最後は「だったら愛してればいいじゃん!満たされてんだったらなんで曲なんか作んの?」みたいなことになっちゃうんですよ。

 でも、それと同時に、僕が自分に対してまだ一流だと思えない理由というのも、そこにあったりするんです。愛してるってことが歌えないからこそ、一流になれないというか。だって、それを歌えるアーティスト、たとえばミスチルみたいなアーティストというのは、やっぱりそのぐらい自分に自信があるんでしょうし、いろんな愛を歌うことで、世間をハートマークだらけにしていく自信があるってことじゃないですか。でも、残念ながら、僕にはそれがない。そういう自信がないからこそ、「愛してる」が書けていないとも言えますね。寂しいことですけど。


 「愛してる」「好きだ」という言葉に対する〈醒めた客観視〉、そう歌うことについての〈自信がない〉という認識。そのような自己認識、醒めた客観視は、志村の歌詞から「愛」という言葉を遠ざけていった。仮に使われるとしても(三例しかないのだが)、『桜の季節』の「ならば愛をこめて」「手紙をしたためよう」も、『Day Dripper』の「とらわれたように 愛を語ろう」も、直接的な愛の表現ではなく、そもそも「よう」「う」という文末が示しているように、願望の表現にすぎない。志村は「愛」という言葉を自らに禁じているようにもみえる。

2021年6月14日月曜日

「坂の下~心に決めたよ」の部分-『桜の季節』[志村正彦LN277]

  2019年7月の志村正彦没後10年『FAB BOX III 上映會』(『FAB BOX III 』)についての文(7月6日『FAB BOX III 上映會』[志村正彦LN224])で次のように書いたことがある。

5周年ツアー時の『桜の季節』は歌詞の一部(坂の下 手を振り 別れを告げる/車は消えて行く そして追いかけていく/諦め立ち尽くす 心に決めたよ)が歌われなかった。なぜだろうか。歌詞の流れからするとこの箇所は必要がないかもしれない。かねてからそう考えていたのでこの改変には納得できたのだが、どういう意図からそうしたのかという関心を持った。

 こう書いてそのままにしておいたのだが、確認のために『Official Bootleg Movies of “デビュー5周年ツアーGoGoGoGoGoooood!!!!!”』のDVDを見てみると、この「坂の下~心に決めたよ」の場面で、志村はマイクを観客席の方に向けている。つまり、この部分を観客に歌わせる意図があったようだ。広い画角の映像で確認は難しいのだが、志村の口元に注意すると、自分で歌詞を口ずさんでいるように見える。この場面の終わりになる頃にマイクを自分の方に回転させようとするのだが、「心に決めたよ」の時にもう一度マイクを観客側に向け直し、そして、最後に自分の方に向けている。観客側の声は最初は小さかったが、「心に決めたよ」のところでは大きなものとなっていた。

 全国8会場で10公演が開催されたデビュー5周年ツアーの最後の曲は、メジャーデビュー曲の『桜の季節』だったようだが、毎回、この「坂の下 手を振り~心に決めたよ」の箇所でマイクを観客に向けるパフォーマンスが行われたのかは確認できないが、おそらくそうだったのだろう。デビューから5周年、さらなる飛躍にむけて、「心に決めたよ」という意志を観客と共有したかったのだろうか。

 「oh その町に くりだしてみるのもいい/桜が枯れた頃 桜が枯れた頃」が『桜の季節』の起承転結〈A起・B承・C転・D結〉の〈D結〉にあるというのが僕の基本的な見方だった。この一節に、歌の主体そして志村正彦のパッション(情念・受苦)が最大限に込められているからだ。未来の出来事(そう想定されるかもしれない)ラストシーンである。しかし、別の捉え方もあるだろう。「坂の下~心に決めたよ」の別離の場面をラストシーンとする考えである。その場合、歌詞の展開順の通り、この部分が、〈A起・B承・C転・D結〉の〈D結〉となる。そうなると、以前書いた「歌詞の流れからするとこの箇所は必要がないかもしれない」という見方が修正されることになる。リフレインの部分を取り除いて、歌詞を整理してみよう。色分けした説明図も示したい。


A  桜の季節過ぎたら/遠くの町に行くのかい?
    桜のように舞い散って/しまうのならばやるせない

B  oh ならば愛をこめて/so 手紙をしたためよう
   作り話に花を咲かせ/僕は読み返しては 感動している!

C  oh その町に くりだしてみるのもいい
    桜が枯れた頃 桜が枯れた頃

D  坂の下 手を振り 別れを告げる/車は消えて行く
    そして追いかけていく/諦め立ち尽くす
    心に決めたよ




 このABCDの構成で、起承転結的な物語を読むとしたら、どのようになるだろうか。ABCは、過去のある時点での未来の出来事の仮定による想像、Dが現在時点で、〈振り〉〈告げる〉〈消えて行く〉〈追いかけていく〉〈諦め立ち尽くす〉という現在形の動詞の連続が〈心に決めたよ〉という動詞の完了形で完結していく。〈心に決めたよ〉がこの歌の中心、起承転結の結であるのなら、何を心に決めたのか、という問いが当然浮かび上がるが、この歌詞の中でその答えを求めるのであれば、心に決めたものはABCの内容そのものだ、ということになるだろう。歌の展開としては、「諦め立ち尽くす/心に決めたよ」のすぐ後に「oh ならば愛をこめて/so 手紙をしたためよう」と続き、この二つは繋がっているようにも聞こえる。つまり、「心に決めたよ」という歌詞内の世界での現在時のDの決意から、それ以前の過去の時点へと回帰するのだ。そうなると、「oh ならば愛をこめて/so 手紙をしたためよう」、さらに「oh その町に くりだしてみるのもいい/桜が枯れた頃 桜が枯れた頃」という行為を〈心に決めたよ〉という解釈の流れが成立する。「oh」は決意の表明の叫びとも考えられる。実際の歌でも、DのあとでB→A→Aとリフレインされている。楽曲全体ではA→B→A→C→D→B→A→Aという展開になる。

 それにしてもここには、現在から過去へと遡るという時間のねじれのようなものがある。起点としての過去から現在へ、その現在から過去へと時間が遡り、その過去から再び未来へ。その過去の時点で、未来の〈手紙をしたためよう〉〈その町にくりだしてみるのもいい〉という行為を仮定し想像している。歌の主体「僕」は〈桜の季節〉につながる想いや行為のすべてを〈心に決めたよ〉と伝える。この「僕」は作者志村正彦の分身であろう。『桜の季節』には時間の循環のような謎めいた複雑な構造がある。

                          (この項続く)


2021年6月6日日曜日

『桜の季節』の眼差し[志村正彦LN276]

 前回は、BSプレミアムの新日本風土記スペシャル「さくらの歌」での志村正彦・フジファブリックの『桜の季節』の取り上げ方について問いを投げかけた。これは、『桜の季節』という歌がそもそも捉えにくいことにも起因しているかもしれない。この歌はこのブログで繰り返し語ってきた。『若者のすべて』もそうなのだが、歌の世界をたどりきれないようなもどかしさがある。だからこそ何度も書いてきたのだが、志村正彦の作った「桜の季節」の「迷宮」に迷い込んでいるようでもある。

 歌詞について再考してみたい。この歌詞は三つの部分に分けられる。青色、黄色、赤色、に分けて図示してみよう。図1は歌詞を三つの部分に色分けして並べたもの、図2は構造を簡潔に図示したもの。(Google スライドをPNG画像に変換して添付したので、鮮明さにかけることをお断りします。クリックすれば見やすくなります)

図1

図2


 青色の部分が主要なモチーフであり、分量的には歌詞の大半を占めている。『桜並木、二つの傘』分析の際に参照した荒川洋治の〈詩の基本的なかたち〉をここで再度紹介したい。

 詩は、基本的に、次のようなかたちをしている。
     こんなことがある       A
   そして、こんなこともある   B
   あんなこともある!      C
   そんな ことなのか      D

 いわゆる起承転結である。Aを承けて、B。Cでは別のものを出し場面を転換。景色をひろげる。大きな景色に包まれたあとに、Dを出し、しめくくる。たいていの詩はこの順序で書かれる。あるいはこの順序の組み合わせ。はじまりと終わりをもつ表現はこの順序だと、読者はのみこみやすい。

 このABCD(起承転結)による〈詩の基本的なかたち〉を『桜の季節』の青色の部分にあてはめてみよう。色々な分析の仕方があるだろうが、以下はあくまでも僕の観点によるものである。

A  桜の季節過ぎたら/遠くの町に行くのかい?
B  桜のように舞い散って/しまうのならばやるせない
C  oh ならば愛をこめて/so 手紙をしたためよう
D  作り話に花を咲かせ/僕は読み返しては 感動している!

 この青色の部分には、ABCD、やや変則的であるが起承転結の展開がある。「桜の季節過ぎたら」という近い未来に時を設定し、歌の主体「僕」は誰とも分からない他者に対して、「遠くの町」に「行くのかい?」と問いかける。そして、「桜のように舞い散って/しまうのならば」という仮定のもとに「やるせない」いう感情を歌いあげる。その未来の想像の出来事を「oh ならば」とさらに仮定して受けとめた上で、「愛をこめて」「so 手紙をしたためよう」という意志を告げるのだが、その手紙では「作り話に花を咲かせ」ている。「僕は読み返しては 感動している!」という多分にアイロニカルな表現は、おそらく、この手紙が投函されないことを伝えている。「やるせない」という感情はあるのだが、その感情も桜についての伝統的な感性、桜の美学的なものからはかなり隔たっている。この「やるせない」はむしろ、「遠くの町」「手紙」というモチーフの方に強く関わるとも読める。この青色の部分で気になる表現は「愛をこめて」だろう。この「愛」については後述したい。

 黄色の部分はこうなるだろうか。

A  ( 桜の季節過ぎたら/遠くの町に行くのかい? )
B  ( 桜のように舞い散って/しまうのならばやるせない )
C oh その町に くりだしてみるのもいい
D 桜が枯れた頃 桜が枯れた頃

 ABの部分は(桜の季節過ぎたら/遠くの町に行くのかい?)(桜のように舞い散って/しまうのならばやるせない)が省かれ、CDの部分だけが言葉として語られていると考えてみたい。歌の主体「僕」の相手である他者が「行く」「遠くの町」が「その町」なのだろう。「くりだしてみるのもいい」とあるから、ここでも未来の時が設定されている。その未来の時点は「桜が枯れた頃」という季節だ。「桜が枯れた頃」という季節についてはすでに何度か考察してきた。

 赤色の部分は、歌の主体「僕」が経験した現在に近い過去の出来事を語っている。「坂の下」で「別れを告げる」という場面が描かれている。

A 坂の下 手を振り 別れを告げる
B 車は消えて行く/そして追いかけていく
C 諦め立ち尽くす
D 心に決めたよ

 「手を振り 別れを告げる」「追いかけていく」「諦め立ち尽くす」という現在形の動作の主体は「僕」であろう。「心に決めたよ」の「た」という過去の助動詞がこの一連の動作を完結させている。「諦め」が「僕」の想いの中心にある。この部分では、歌の主体「僕」は、場面の中にいる「僕」を対象化して眼差している。

 青色と秋色の部分には現在から近い未来へという方向の眼差しがあり、赤色の部分には近い過去から現在へと到る眼差しがある。

        (この項続く)


2021年5月29日土曜日

『桜の季節』-NHK新日本風土記「さくらの歌」[志村正彦LN275] 

 昨夜、5/28(金)21:00から放送されたBSプレミアムの新日本風土記スペシャル「さくらの歌」を見た。公式サイトに〈フジファブリック「桜の季節」が志村正彦と共に紹介されます〉という知らせがあった。志村正彦のパートは、全体で90分のなかで予想外の11分という時間がかけられていた。しかも、桜の歌の作者、音楽家として取り上げられたのは彼だけだった。これは志村ファンの僕たちにとっては、嬉しいことであり、誇らしいことでもあった。 ただし、番組の観点や構成については違和感を感じざるを得なかった。  

 志村のパートは「突然ですが、フジファブリックというバンドをご存じですか」で始まり、「2000年結成、曲のほとんどを志村正彦が手がけていました」と紹介され、『若者のすべて』の冒頭部が歌詞のテロップと共に放送された。「文学的な詞を変幻自在の楽曲に乗せるサウンドがゆとり世代、失われた世代の若者たちに支持され、さまざまなアーティストがカバーしています」というナレーション。槇原敬之、桜井和寿、柴崎コウの声でつながれていく。「ソングライターとしての評価やバンドの人気も急上昇していた2009年、志村さんは急逝。まだ二九歳でした」と語った後で、「フジファブリックのメジャーデビュー曲がこの桜ソングです」と、『桜の季節』が流され始めた。

 なぜ、『桜の季節』ではなく『若者のすべて』から始まったのか。この間ずっと戸惑うままに見続けていた。そもそも、この展開では『若者のすべて』が桜ソングだと誤解されるおそれもある。「さくらの歌」特集の番組では配慮すべきことだ。『桜の季節』が他の桜ソングに比べてあまり知られていないという判断があったのかもしれない。それでもやはり、『桜の季節』から始まるべきである。志村正彦本人が作った桜の歌である。ここは譲れないところだ。

 結局、『若者のすべて』という曲と「ゆとり世代、失われた世代」という言葉が、志村正彦を語るキーワードになっていた。この観点は、昨年のNHK制作の志村正彦の番組から引き継がれている。志村を語る上ではそれなりに有効であるが、この観点が「志村のすべて」ではない。せっかく、『桜の季節』を取り上げるのだから、志村正彦の生涯についての別の新しい語り方があってもいいはずだ。そういう思いがもたげた。「さくらの歌」というテーマだからこそその契機ともなったのだが、この番組は世代的論な観点を踏襲していた。

 11分もの時間が志村のパートに配分されたのだから、『桜の季節』の全曲をかけて、その歌詞のすべてをテロップで紹介すべきだった。この歌詞にそって取材した映像を構成することもできただろう。特に、「その町に くりだしてみるのもいい/桜が枯れた頃 桜が枯れた頃」というこの歌の鍵となるフレーズはBGM的に流されたが、歌詞のテロップは省略されいた。この一節から、志村正彦の生涯を語ることも可能だ。「さくらの歌」特集に「桜が枯れた頃」という表現がそぐわないのかもしれないが、この不可思議な季節感、風景のヴィジョンが欠けてしまえば『桜の季節』の歌としての力も価値も失われてしまう。この歌は、反「桜ソング」、「桜ソング」の批評、批判として存在している。そのような意味で『桜の季節』は、桜の「ロック」である。

 後半は『茜色の夕日』と2007年の市民会館ライブでのMCが取り上げられていた。志村の生涯を語る上では重要な映像だが、あの展開では『茜色の夕日』も桜ソングと捉えられるおそれもある。そもそも、視聴者のほとんどは、志村正彦・フジファブリックのことを(『若者のすべて』や『茜色の夕日』の歌詞も)知らないということを前提に番組を制作すべきである。そのうえで、もっと分かりやすいナレーションが必要だ。率直に言って、説明不足である。(志村ファンなら理解しただろうが、彼を知らない人にとってはおそらく、なんとなくの雰囲気的な理解で終わってしまっただろう。)

 また、新倉富士浅間神社とその桜が重要なモチーフになっていたので、この「いつもの丘」を舞台とした『浮雲』という作品、その歌詞の「登ろう いつもの丘に 満ちる欠ける月/僕は浮き雲の様 揺れる草の香り」「雨で濡れたその顔に涙など要らないだろう/消えてしまう儚さに愛しくもあるとしても」「独りで行くと決めたのだろう/独りで行くと決めたのだろう」という言葉につなげていく構成など、色々な工夫があってもよかった。

 志村のパート以外でも、この番組全体を通じて、取材した人々の言葉、出来事の重さに比べて、番組の表現や構成に練り上げの不足があるというのが感想であり、批評である。NHKが持続的に志村正彦の番組を放送してくれることは、ほんとうにありがたい。だからこそ率直に書いた。今後作られるであろう番組に期待したい。 

 最後に最も感慨深かったことを記したい。志村の幼なじみ、富士ファブリックとその原型の高校生バンドのベーシスト、そしてこの春から新倉富士浅間神社の神主になられた渡辺平蔵さんとお父様の登場場面は貴重なものであり、とても心に残るものだった。最後の夢の話に落涙した。(この夢の話をここに記すのは控える。この夢は彼のものであり、彼だけが語ってよいものだろう。)

 この最後の場面で流されたのは『茜色の夕日』だったが、これは選曲が違う。この場面にこそ『桜の季節』がふさわしかった。歌の本筋から外れるが、「桜が枯れた頃」「くりだしてみるのもいい」「その町」とは、富士吉田の町のような気もした。桜の季節が過ぎたら涙が舞い散ってしまう。


  桜の季節過ぎたら
  遠くの町に行くのかい?
  桜のように舞い散って
  しまうのならばやるせない

  その町に くりだしてみるのもいい
  桜が枯れた頃 桜が枯れた頃



2021年5月23日日曜日

『若者のすべて』を読む-2021年《人間文化学》[志村正彦LN274]

 昨年度に引き続き、先週、勤務先の山梨英和大学の《人間文化学》というオムニバス科目で、「日本語ロックの歌詞を文学作品として読む-志村正彦『若者のすべて』」という講義を行った。

 志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』には、独特の語りの枠組やモチーフの展開があり、学生や若者にとって「文学作品」として享受できる。今回は冒頭で、僕自身がこのブログにも書いた〈 『若者のすべて』を初めて聴いた時、歌の世界をたどりきれないような、もどかしい想いにとらわれた。きわめて微妙で複雑な物語がそこにあるような気がした。そのような印象の原因はどこにあるのか〉と問いかけた。そのプロセスを整理するとこうなる。


最初の感想…歌の世界をたどりきれないような、もどかしい想い
  ↓
物語の印象…きわめて微妙で複雑な物語がそこにあるような気がした。
  ↓
自ら問いを作る…そのような印象の原因はどこにあるのか。
  ↓
自ら応答する…歌詞の語りの枠組・モチーフの分析/志村正彦の証言次のSLIDEで示した。

 このプロセスを次のSLIDEにして学生に示した。



 この歌詞を文学作品として捉えるのであればまず第一に、自分自身の初発の感想(作品から想い描いた情景や物語、それに対する自分の感情や感覚の動き、印象に残った部分や謎のような部分への問い)を大切にすること。その初発の感想に基づいて何らかの問いを自ら立てること、その問いに対して自ら応答するようにして思考していくこと。僕自身の〈『若者のすべて』を読む〉という試みを講義することによって、学生自身が自らそのような実践をすることを促すことがこの講義の目的であった。この科目は、学部名でもある《人間文化学》の導入科目であり、方法論の基礎も伝える必要があるからだ。

 この科目は1年次学生の必修科目である。昨年度より新入生が増えて200人程が受講するので、今年度もオンライン授業で実施した。本学は入学生全員にモバイルノートPCを貸与している。最新型のM1チップ搭載のMacBook Airだ。自宅あるいはWi-Fi環境が整備されて学内で受講できる。Google「Google Workspace for Education」のClassroomとMeet を使って、SLIDE資料を映し出し、声による説明を重ね合わせる方法で行った。昨年のSLIDEは56ページだったが、表現の細部を修正し全体を再構成した上で、 『若者のすべて』が高校音楽Ⅰの教科書に掲載されるという最新情報も追加したので、69ページに増えた。

 学生が書いたコメントの中で、今回の、「日本語ロックの歌詞を文学作品として読む」という目的に関連したものを二つ紹介したい。


全体の授業の感想として、日本語ロックを文学として読むということが初めは理解できませんでした。ですが、この歌詞にはこんな意味があるとか、二つの世界が試行錯誤の中で合わさっているとか、段階的に曲を見ることができたおかげで、自分なりの解釈や他の目線から見た解釈を自分なりに考えることができて、単なる曲としてメロディや歌詞を聴くだけでなく、まるで短編小説を読んでいるような感覚で考えていくことができました。これから曲を聴く時は今日のことを活用していきたいですし、志村正彦さんの曲をもっと調べてみようと思いました。


この歌を最初に聴いた時と、授業を終えたときの印象はガラリと変わった。曲をひとつの物語と捉えて一つ一つの言葉を解釈していくと、様々な想いが込められていることや、表現の仕方に工夫がされていることに気づく。それらのことを知ってから改めて曲を聴くと、これまでとはまた違った楽しみ方ができると思った。私は自分の好きな歌などを深く理解しようとしたことがなかったが、今回の授業を通してどんな歌にも感情が込められており、歌詞に意味があることが分かったので、深く調べてみようと思った。そしてそのような様々な表現の工夫に触れていくことは自分の表現力の向上にも繋がっていくと思う。


 このようなコメントが多数あった。学生に感謝したい。この講義の目標はほぼ達成されたと考えている。目標は、僕自身の解釈を伝えることではなく、それをひとつの試みとして、ひとつの方法として学生に示して、学生が自分自身で『若者のすべて』そして自分の好きな歌についての読みを深めることである。

 文学作品を読むことは、主体的な実践である。自由な行為である。読むこと、その可能性のすべて、自由のすべてを学生が試みてほしい。