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2021年5月23日日曜日

『若者のすべて』を読む-2021年《人間文化学》[志村正彦LN274]

 昨年度に引き続き、先週、勤務先の山梨英和大学の《人間文化学》というオムニバス科目で、「日本語ロックの歌詞を文学作品として読む-志村正彦『若者のすべて』」という講義を行った。

 志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』には、独特の語りの枠組やモチーフの展開があり、学生や若者にとって「文学作品」として享受できる。今回は冒頭で、僕自身がこのブログにも書いた〈 『若者のすべて』を初めて聴いた時、歌の世界をたどりきれないような、もどかしい想いにとらわれた。きわめて微妙で複雑な物語がそこにあるような気がした。そのような印象の原因はどこにあるのか〉と問いかけた。そのプロセスを整理するとこうなる。


最初の感想…歌の世界をたどりきれないような、もどかしい想い
  ↓
物語の印象…きわめて微妙で複雑な物語がそこにあるような気がした。
  ↓
自ら問いを作る…そのような印象の原因はどこにあるのか。
  ↓
自ら応答する…歌詞の語りの枠組・モチーフの分析/志村正彦の証言次のSLIDEで示した。

 このプロセスを次のSLIDEにして学生に示した。



 この歌詞を文学作品として捉えるのであればまず第一に、自分自身の初発の感想(作品から想い描いた情景や物語、それに対する自分の感情や感覚の動き、印象に残った部分や謎のような部分への問い)を大切にすること。その初発の感想に基づいて何らかの問いを自ら立てること、その問いに対して自ら応答するようにして思考していくこと。僕自身の〈『若者のすべて』を読む〉という試みを講義することによって、学生自身が自らそのような実践をすることを促すことがこの講義の目的であった。この科目は、学部名でもある《人間文化学》の導入科目であり、方法論の基礎も伝える必要があるからだ。

 この科目は1年次学生の必修科目である。昨年度より新入生が増えて200人程が受講するので、今年度もオンライン授業で実施した。本学は入学生全員にモバイルノートPCを貸与している。最新型のM1チップ搭載のMacBook Airだ。自宅あるいはWi-Fi環境が整備されて学内で受講できる。Google「Google Workspace for Education」のClassroomとMeet を使って、SLIDE資料を映し出し、声による説明を重ね合わせる方法で行った。昨年のSLIDEは56ページだったが、表現の細部を修正し全体を再構成した上で、 『若者のすべて』が高校音楽Ⅰの教科書に掲載されるという最新情報も追加したので、69ページに増えた。

 学生が書いたコメントの中で、今回の、「日本語ロックの歌詞を文学作品として読む」という目的に関連したものを二つ紹介したい。


全体の授業の感想として、日本語ロックを文学として読むということが初めは理解できませんでした。ですが、この歌詞にはこんな意味があるとか、二つの世界が試行錯誤の中で合わさっているとか、段階的に曲を見ることができたおかげで、自分なりの解釈や他の目線から見た解釈を自分なりに考えることができて、単なる曲としてメロディや歌詞を聴くだけでなく、まるで短編小説を読んでいるような感覚で考えていくことができました。これから曲を聴く時は今日のことを活用していきたいですし、志村正彦さんの曲をもっと調べてみようと思いました。


この歌を最初に聴いた時と、授業を終えたときの印象はガラリと変わった。曲をひとつの物語と捉えて一つ一つの言葉を解釈していくと、様々な想いが込められていることや、表現の仕方に工夫がされていることに気づく。それらのことを知ってから改めて曲を聴くと、これまでとはまた違った楽しみ方ができると思った。私は自分の好きな歌などを深く理解しようとしたことがなかったが、今回の授業を通してどんな歌にも感情が込められており、歌詞に意味があることが分かったので、深く調べてみようと思った。そしてそのような様々な表現の工夫に触れていくことは自分の表現力の向上にも繋がっていくと思う。


 このようなコメントが多数あった。学生に感謝したい。この講義の目標はほぼ達成されたと考えている。目標は、僕自身の解釈を伝えることではなく、それをひとつの試みとして、ひとつの方法として学生に示して、学生が自分自身で『若者のすべて』そして自分の好きな歌についての読みを深めることである。

 文学作品を読むことは、主体的な実践である。自由な行為である。読むこと、その可能性のすべて、自由のすべてを学生が試みてほしい。


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