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2026年6月14日日曜日

アニメ『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』と『茜色の夕日』[志村正彦LN384]

 一昨日6月12日の深夜24時から、TVアニメ「上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花」第10話がBS11やTOKYO MXで放送された。

 公式Xの〈第10話は原作者の塀先生が描き下ろした、遊佐あかねと北杜やえかが中心となる、アニメオリジナルエピソードを含む話数となります。本エピソードは、フジファブリック志村正彦さんが作詞・作曲を手掛けられた楽曲『茜色の夕日』をお借りした、特別なストーリーとなっております。〉という呟きが志村ファンの間で話題となっていた。



 ネットの情報からこの作品の概要を記したい。「塀」の漫画作品が秋田書店のウェブコミック配信サイト『マンガクロス』後に『チャンピオンクロス』で2019年3月から始まり現在まで連載中、テレビアニメ版(佐久間貴史監督)が2026年4月より放送中。20歳の女子大生・上伊那ぼたんを主人公に大学の女子寮を舞台とする物語。題名にあるとおり、お酒とガールズラブがモチーフとなっている。

 六人の主要人物は、上伊那ぼたん(長野県出身・浪人して大学1年生・主人公)、砺波いぶき(富山県出身・3年生・寮長)、郡上かなで(岐阜県出身・大学院生)、遊佐あかね(山形県出身・2年生)、北杜やえか(山梨県出身・2年生)、張景嵐(チャン・ジンラン・台湾出身・留学生)。メインイメージには〈酔って、絡まり、ほどけてく。〉というコピーがある。この六人が酒に酔うことを契機に、互いの関係が絡まりあり、互いの関係が解けてゆく。そのように物語が展開していく。


 第10話の後半の舞台は「ヤマハ サウンドクロッシング 渋谷」。そのカフェで「上伊那ぼたん」と「北杜やえか」が話をしている。「あかね」は楽器を試奏する。「ぼたん」は「やえか」に好きな曲を尋ねると、「やえか」はスマホの画面を見せる。「ぼたん」もこの曲を好きだと言う。「やえか」は一年の時に「あかね」が教えてくれたこの曲が大好きと答える。回想場面にはフジファブリック『アラカルト』のジャケットが映る。

  「あかね」がギターを奏でながら『茜色の夕日』を歌い始める。「やえか」は驚いて振り向く。「あかね」の方に歩き出し、『茜色の夕日』を一緒に口ずさむ。このシーンでは〈君のその小さな目から/大粒の涙が溢れてきたんだ/忘れることはできないな/そんなことを思っていたんだ〉〈東京の空の星は/見えないと聞かされていたけど/見えないこともないんだな/そんなことを思っていたんだ〉の箇所が歌われた。

 最後のシーンが重要だった。「ぼたん」のスマホ画面には、〈弾けます?〉〈フジファブリック 茜色の夕日〉という「あかね」宛のメッセージが表示されていた。「やえか」と「あかね」の仲がギクシャクしているのを見て、「ぼたん」が「あかね」に『茜色の夕日』を弾くようにリクエストしたことが分かる。二人の女の子「やえか」と「あかね」の関係をもう一人の女の子「ぼたん」がさりげなく近づけようとする。その演出が冴えていた。


 エンディングになり、志村正彦の声が聞こえてくる。『アラカルト』ヴァージョンだ。2002年10月21日CDミニアルバム『アラカルト』リリース。志村正彦:ボーカル・ギター、田所幸子:キーボード、萩原彰人:ギター、加藤雄一:ベース、渡辺隆之:ドラムスの編成。YouTubeにある当時のミュージックビデオを紹介したい。




 録音当時の志村は22歳だった。このアニメの登場人物に近い年齢だ。志村の若々しい声がのびやかに響く。志村自身の音源が流れるかもしれないと思ってはいたが、初期の音源だったこともあり、不意打ちのようになった。それだけ感が極まってしまった。このアニメとこの歌との取り合わせが不思議な感覚をもたらした。


 エンディング画面には次のクレジットが表示された。

 劇中曲 第10話エンディング楽曲 『茜色の夕日』 
 フジファブリック 作詞 志村正彦 作曲 志村正彦
  Speciai Thanks 
 樋口恵子(ロフトプロジェクト)杉山オサム
 志村正彦様のご家族一同


 このアニメ『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』は、原作漫画の作者「塀」氏やアニメの制作スタッフたちの志村正彦、フジファブリック、『茜色の夕日』への純粋なリスペクトとオマージュを捧げる作品だった。『アラカルト』の制作を担当した樋口恵子さんや志村正彦のご家族一同への感謝も記されていた。制作者の誠実さが伝わってきた。

 このアニメは、主人公「上伊那ぼたん」を中心軸にして、六人の女の子のあいだの繊細な恋心と複雑な想いの交錯を描いている。この点が『茜色の夕日』との接点になったのだろう。ただし、エンディングが終わった後でも三番目のシーンが続いたのは謎だった。『茜色の夕日』でそのまま終わった方が余韻があったと思われる。(あえてそのことを回避したのかもしれないが)


 志村正彦は『茜色の夕日』について何度か語ったことがある。『音楽とことば ~あの人はどうやって歌詞を書いているのか~』( SPACE SHOWER BOOks 2013/6/24 )の該当箇所を引用したい。


・歌詞というのは、とんなものでも、何を書いてもいいものではあるんだけど、実は、なんでもよくはない。そこにリアルなもの、本当の気持ちが込められていなければ、誰の気持ちにも響いてくれないと思うんです。
・最初の最初は、あの娘になんとなく気づいてほしいからという情熱から歌詞を書き始めたわけです。〔……〕高校生の終わりぐらいですね。初恋の娘です。〔……〕その失恋から産まれた曲は『茜色の夕日』って曲で、フジファブリックとして発表しているんですけど、自分の衝動をそのまま歌詞に刻めたということにおいては、この曲に勝るものはないです。僕の人生において、この曲の中に込められたものに勝る想いというのはないですね。


 志村は、高校生の終わり頃の初恋と失恋という〈リアルなもの〉とその娘に対する〈本当の気持ち〉を込めて『茜色の夕日』を作った。

 〈君〉については、〈君が只 横で笑っていたことや/どうしようもない悲しいこと〉〈君のその小さな目から/大粒の涙が溢れてきたんだ〉と歌う。〈君〉が笑っていたこともあるが、どうしようもない悲しいことがやがて大粒の涙につながる。

 〈僕〉は自分自身について、〈君に伝えた情熱は/呆れる程情けないもので/笑うのをこらえているよ/後で少し虚しくなった〉〈僕じゃきっとできないな できないな/本音を言うこともできないな できないな/無責任でいいな ラララ〉と歌う。〈僕〉は自分自身に対して情けなさや虚しさを感じる。本音を言うこともできないことを無責任に思う。そして、〈できないな〉を四回も繰り返している。

 〈僕〉は、〈僕〉自身や〈君〉に向かう眼差しを転換し、〈東京の空の星は/見えないと聞かされていたけど/見えないこともないんだな/そんなことを思っていたんだ〉と歌う。この表現は、〈東京の空の星〉を〈見えるんだな〉ではなく〈見えないこともないんだな〉と語っている。〈ない〉ことも〈ない〉という二重否定による肯定である。

 志村は〈できないな〉を四回も反復し、〈ないこともないんだな〉という言い回しも使った。志村の歌には〈ない〉という声がこだましている。そもそものはじめに〈ない〉があったのではないだろうか。これは端的に言って、彼の喪失の深さを表している。誰かが、時や場そのものが失われていく。志村はおそらく物心がつく頃から、失われていくものに鋭敏だったのではないだろうか。


 『茜色の夕日』がドラマや映画に使われた例を振り返りたい。

 2016年11月15日、NHKBSプレミアムのドラマ『プリンセスメゾン』の第4回「憧れのライフスタイル」で『茜色の夕日』が挿入歌として流れた。「沼越幸」(森川葵)がマンションを購入するために、不動産会社の営業マン「伊達政一」(高橋一生)に出会う。ラスト近く、沼越幸が務めている居酒屋のシーンで『茜色の夕日』が静かに流れ出す。伊達政一が沼越の働く姿を垣間見るとそのまま小路を歩きだす。その瞬間から音量が高くなり、志村正彦の歌う『茜色の夕日』が画面を覆うように聞こえてきた。

 2018年10月公開の映画『ここは退屈迎えに来て』(監督・廣木隆一、原作・山内マリコ)でも『茜色の夕日』が劇中歌となっている。主なキャストは、「私」橋本愛、「あたし」門脇麦、「サツキ」柳ゆり菜、「椎名くん」成田凌、「新保くん」渡辺大知-、「遠藤」亀田侑樹。「あたし」が「遠藤」と一夜を過ごした翌朝、「あたし」は一人でホテルを出て歩き出す。その時に唐突に口ずさむのが『茜色の夕日』だ。BGMとして流れるのではなく「あたし」門脇麦が劇中で歌った。


 TVドラマ『プリンセスメゾン』、映画『ここは退屈迎えに来て』、TVアニメ『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』。三度、虚構の映像作品のなかで『茜色の夕日』が使われたことになる。そのことは嬉しい。

 ただし、志村が〈僕の人生において、この曲の中に込められたものに勝る想いというのはない〉と語っているように、『茜色の夕日』に込められた志村の想い、本当の気持ちはとても深い。志村のリアルなものはドラマ・映画・アニメにも強く作用する。物語の展開を超えてしまうような独自の響きを持っている。今回のアニメを見て、その感を強くした。


2025年12月25日木曜日

「茜色の夕日」のチャイム、NHK甲府のニュース[志村正彦LN373]

 昨日12月24日は志村正彦の命日だった。〈フジファブリック志村正彦さんの命日「茜色の夕日」のチャイム〉というNHK甲府のニュース映像が、NHK ONEにアップされた。

  https://news.web.nhk/newsweb/na/nb-1040028670


 この映像は、昨日12月24日夕方の甲府局「Newsかいドキ」で放送されたようだ。これは見逃してしまったが、今朝の甲府局のニュースで見ることができた。毎年のようにNHK甲府はこのチャイムについて放送してくれるが、今年は例年以上に丁寧に時間をかけて映像が作られていた。残念ながら映像は一定期間が過ぎると消えてしまうので、Webの記事をそのまま引用して記録に残しておきたい。


富士吉田市出身のミュージシャンで、ロックバンド「フジファブリック」で活躍した志村正彦さんが亡くなって16年となった24日、地元で夕方に流れるチャイムが代表曲の「茜色の夕日」に変わり、多くのファンが訪れました。

志村正彦さんは、富士吉田市出身のミュージシャンで、ロックバンド「フジファブリック」のリーダーとして「若者のすべて」など世代を超えて愛される曲を発表しました。

その音楽センスを高く評価されていた志村さんは、16年前の12月24日に29歳の若さで亡くなりました。

地元の富士吉田市は、志村さんの音楽の魅力を語り継ごうと、毎年、命日の前後に代表曲のひとつ「茜色の夕日」を防災行政無線の夕方のチャイムで流しています。

24日は、志村さんが育った下吉田地区の富士急行線の駅に地元の人や全国から訪れたファンなどおよそ50人が集まりました。

雨が降り、霧がかかる中、午後5時を迎えて曲が流れると、集まった人たちは駅の様子を動画に収めるなどしながらじっくりと聴き入っていました。

この日のためにフランスから訪れたという50代の女性は「こみ上げてくるものがありました。ここに来てよかったです」と話していました。

また、志村さんの黒板アートを制作したという市内の50代の男性は「この街としてずっと覚えているという思いで描きました。志村さんには励まされたり、勇気づけられたりしています」と話していました。

「茜色の夕日」のチャイムは今月27日まで毎日夕方5時に流されます。


 昨日はこの山梨でも寒い雨が降り続いていた。そういう天候のなかで五十人ものファンが下吉田駅で集まったことはとてもうれしい。この場所以外でもチャイムを聴いていた人はたくさんいただろう。この映像でも分かるように、雨が霧のようにけぶる光景はどことなく幻想的で志村正彦の歌にふさわしい。

 記事で言及されていた〈フランスから訪れたという50代の女性〉と〈志村さんの黒板アートを制作したという市内の50代の男性〉の二人のコメントのすべてを映像のテロップから書き写したい。


〈フランスから訪れたという50代の女性〉
この日のためにフランスから訪れる

こみ上げてくるものがあって
来てよかったなと思って

詞の素晴らしさに まず胸を打たれまして
ご自身のお人柄とかいろいろ後から知って

“推し活”とか 初めてなんですけどね


〈志村さんの黒板アートを制作したという市内の50代の男性〉
市内から 志村さんの黒板アートを制作

この街として 志村さんのことを
ずっと覚えているよっていうことを

絵の形で いろいろな人にお伝えできたらなと

弱さを歌っているようで
非常に強い人だと思うので

その生き方に すごく励まされたり
勇気づけられたりしています


 フランスからわざわざ訪れた女性は“推し活”と述べていたが、海外で暮らしている方だからこそ志村正彦・フジファブリックの音楽は心に身に迫るものがあると思われる。このブログも海外の方からの読み込みがけっこう多い。

 志村さんの黒板アートを制作している男性は、志村ファンならよくご存じの「黒板当番」さんである。(ご本人がXでこの映像のことを紹介されていたので、こう書かせていただきます) 〈弱さを歌っているようで 非常に強い人だと思うので〉という見方は、志村の本質の一つを語っている。強固な意志がなければあれだけの作品は生み出せなかったことは間違いない。志村正彦は繊細な心と強い意志をあわせ持っていた。


 没後十六年が経つが、彼の心と志は、彼の歌は、時に胸に響き、時に励まし、人々に自分自身の歩みを進めていく力を与え続けている。


2023年5月14日日曜日

NHK 『SONGS』菅田将暉、『鶴瓶の家族に乾杯』富士吉田市[志村正彦LN332]

 今回は、最近のNHKの放送のなかで、志村正彦が取り上げられたり、音楽が流されたりした二つの番組について書きたい。


 4月20日、菅田将暉がNHK総合の『SONGS』に初出演した。2月の日本武道館公演の映像や『まちがいさがし』『ゆらゆら』の二曲が披露された。そのなかで、志村正彦・フジファブリックの『茜色の夕日』の影響で音楽を始めたことが紹介された。

 五分ほどのその箇所を記録のために記しておきたい。ナレーションは黒色、須田の発言は青字(そのうちテロップとしても表示されたものは青の太字)、映像についての説明は赤色で示す。


【ナレーション】
菅田将暉さんは幼い頃からピアノを習い、歌うことが大好きでした。
しかし、十二歳で声変わりを経験し、人前で歌うことを避けるように。
音楽から遠ざかっていきました。

その後、十六歳で俳優デビュー。十代のほとんどを音楽を聴くことなく過ごしました。

映画『共喰い』(2013監督:青山真治、脚本:荒井晴彦、原作:田中慎弥)の映像
 
転機が訪れたのは十九歳の時。映画「共食い」の主演をつかみ、それまで経験したことのない難しい役を演じました。
 
必死で撮影に挑む日々。この頃出会ったある歌が菅田さんの心を動かしました。フジファブリックの「茜色の夕日」。

                                           
音楽活動原点の一曲 茜色の夕日(2005) フジファブリック

「茜色の夕日」MVの映像
「茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました 晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと」
 
菅田将暉〈20歳のバースデイイベント〉の映像
 
20歳になった菅田さん。思い出深いこの歌との出会いを語りました。
 
【菅田】

北九州にずっと一か月泊まって撮影という感じで
その中ですごい毎日すげえ好きな景色がありまして
門司港っていう港から見ると海が紫で
何とも言えない組が オレンジだったり
空がちょっとこう何とも言えない色で
それを僕が
「わぁ茜色の夕日ってやつじゃないですか」って言ったら
先輩の女優さんが「茜色の夕日って曲あるよ」って
そのタイトルだけでマッチしたっていうこともそうですし
歌詞に出てくる言葉とか
音楽聴いて初めて泣いて
プライベートの自分も含め 仕事上の自分 
そして「共食い」の遠馬っていう役の心情というか
人間のこう 素直な弱さというか

  
菅田さんの心を揺さぶった「茜色の夕日」。この日初めて人前で歌いました。
 
菅田将暉 アーティストブック 『20+1 』ワニブックスの映像         
 
(大泉洋の「当時、何がそこまで響いたのか」という問いかけに対して)

映画という現場の熱量みたいなものをたぶん初めて体感した十九歳とかで
。それが「茜色の夕日」って言う曲のなかの
「東京の空の星は見えないと聞かされていたけど  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ」
ていう部分があるんですけど。ちょうど上京して3年くらいだったのでなんかこうグッときたんですねえ
一見華やかでキラキラしているけど
でもなんか孤独な感じがあった
んでしょうね
まあ、そんなこともないんだっていうこの歌詞がたぶん響いたんだと思います。


 番組の記録は以上である。

 すでに、菅田将暉と『茜色の夕日』のことは、偶景web 2018年5月7日の〈菅田将暉『5年後の茜色の夕日』(志村正彦LN177)〉に書いたので、このテーマについてはここでは触れない。 その際に、菅田のデビュー・アルバム『PLAY』の初回生産限定盤付属の特典DVD『5年後の茜色の夕日~北九州小旅行ドキュメント映像~』について、〈映像中に、『茜色の夕日』の作詞作曲者である志村正彦の名、そしてフジファブリックの名もまったく記されていないのだ。何故なのか。疑問が湧き上がってきた〉〈本編映像の中でインポーズする必要はない。この歌の説明をする必要もない。しかし、タイトルバックの記載事項として、作詞作曲者の志村正彦という固有名(フジファブリックという名も)を明示することは、絶対的に必要な事柄である〉と指摘した。


 今回のNHK『SONGS』の映像にも、どういうわけか、作詞作曲者志村正彦のクレジットがなかった。番組内で歌詞に対する重要な言及があった。番組内で作者志村正彦の名を記すべきである。放送番組の制作・著作者は、音楽作品の著作者人格権を尊重しなければならない。


 もう一つの番組は、NHK総合の『鶴瓶の家族に乾杯』。先週の月曜日、5月8日舞台は富士吉田市だった。鶴瓶さんとゲストの木村佳乃さんは、NHKのプロジェクト「君の声が聴きたい」とコラボということで、地元の中学生と「白須うどん」に行った。(もう三十数年前になるが、僕もこの「白須うどん」で初めて吉田うどんを食べた。素うどんの値段は300円ほどで、うどんの固さ、キャベツが入っていること、民家の中で食べること、何もかもが驚きだったが、白須のうどんはとにかく美味しかった。数年前に新しい店になったようだが、また行ってみたい)その他、アートギャラリーの〈FUJIHIMURO〉や上吉田の四代にわたる大家族が紹介された。

  

 もしかしたらという予感というか予想があったのだが、中高生とのインタビューの際にフジファブリック『TEENAGER』が流された。『若者のすべて』のイントロやエンディングのメロデイも二回ほど使われた。特にクレジットはないので、純粋なBGMとしての扱いだったが、やはり、富士吉田には志村正彦・フジファブリックの音楽がよく似合う。

  

 明日、5月15日は富士吉田篇の第2回が放送される。織物工場や地域活動する高校生のもとに向かうそうだ。富士吉田を愛する人にとっては必見の番組である。


【付記】5月15日の『鶴瓶の家族に乾杯』では冒頭で、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が流れた。〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな/ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉と歌う志村の声。富士吉田の高校生や若者に取材した回でもあるので、最もふさわしい曲であることは間違いない。



2023年1月29日日曜日

《痕跡として有りつづける、有るもの》-『茜色の夕日』12[志村正彦LN327]

 志村正彦の聴き手であれば、一人ひとり、忘れることのできない『茜色の夕日』があるだろう。この曲との出会いの時。この曲の想いが真に迫ってきた時。その《時》あるいはその《時々》において、聴き手はこの曲に触発される。〈少し思い出すものがありました〉という志村の声に誘われるようにして、何かを少し思い出す。

 僕にとってのその《時》は、2014年11月28日だった。日本武道館のフジファブリック・ライヴで『茜色の夕日』を聴いた。

 オープニングから十曲ほど演奏した後、志村のハットがマイクスタンドにかけられて、演奏が始まった。イントロのオルガン音に続いて、志村の声が武道館に響きわたる。予期していなかった驚きと共に心に込みあげてくるものがあった。ここにはいない志村正彦の音源と、現メンバーの金澤ダイスケ・加藤慎一・山内総一郎、サポートの名越由貴夫・BOBOによる生演奏の共演による『茜色の夕日』。当時のブログで書いたことをここに引きたい。


彼は無くなってしまった。だがしかし、そうであるがゆえに、よりいっそう、彼は《声》そのものになった。《声》という純粋な存在になった。聴くという行為が続く限り、いつまでも、彼の《声》は今ここに現れてくる。


 あの日の『茜色の夕日』は、歌の音源と生演奏によるもの、というよりも、志村正彦・フジファブリックの歌と演奏を聴いたという記憶となって、僕の中に強く残っている。その記憶を大切にしたいので、日本武道館ライヴのDVDの映像も一度見ただけで、それ以上見ることはしなかった。

 今日、これを書くにあたって、八年ぶりにライブ映像を見た。こみあげてくるものがあった。それでも志村の声を聴くことに集中した。〈僕じゃきっと出来ないな/本音を言うことも出来ないな/無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった〉という箇所にやはり惹かれた。

 この一連のエッセイでは、この箇所をユニットⅣに位置づけた。このユニットⅣがユニットⅠ・Ⅱ・Ⅲの枠組の外側にあり、現在時の歌の主体〈僕〉の心の中の呟きの声が表出されている、という点を中心に論じてきた。武道館の音源は〈2005年9月シングル版・2005年11月アルバム〉収録のものを使ったようで、〈無責任でいいな〉は、やはり、〈無責任でいい〉と歌われているように聞こえる。〈無責任でいい〉という言葉には、自分自身に対する深い問いかけがある。志村の声がそう伝えている。 


  志村正彦のように、高校を卒業後、東京に出て行く山梨の若者は少なくない。僕もそうだった。山梨の空の星は美しい。もともと星を見るのが好きだったので、山梨の夜空をよく見ていたのだが、東京に出てからはそれがほとんどなくなった。空を見ることを忘れてしまったとも言える。そういう経験をしてきた者には、「茜色の夕日」の〈東京の空の星は見えないと聞かされていたけど/見えないこともないんだな。そんなことを思っていたんだ〉という言葉が迫ってくるかもしれない。

 この表現は、〈東京の空の星〉も〈見えるんだな〉ではなく、〈見えないこともないんだな〉と語っているところが志村らしい。〈ある〉という単純な肯定ではなく、〈ない〉ことも〈ない〉という二重否定を使っている。一度、その現実が〈ない〉と否定された後で、その否定自体をくつがえす何らかの契機によって、否定が否定され、その現実が肯定される。その過程の中で、何かを見出すという時が流れている。

 〈ないこともない〉という感覚と論理が志村の歌の根柢にある。

 そもそものはじめには〈ない〉がある。「茜色の夕日」でも「若者のすべて」でも、〈ない〉という声がこだましている。彼の声がこれほどまでに〈ない〉を繰り返したのは、端的に言って、彼の《喪失》の深さを表しているのだろう。何かが、誰かが、あるいは、時や場そのものが失われていく。志村はおそらく物心がつく頃から、失われていくものに鋭敏だったのではないだろうか。

 失われていくものは、そのままそこに不在となる。無いものとなる。しかし、無いものは記憶の痕跡としてはそこに有りつづける。無いものとなったが、そこに痕跡として有りつづけるもの。志村がそれを歌うことによって、聴き手にもそれが浮かび上がる。それを《痕跡として有りつづける、無いもの》と名付けてみたい。

 この《痕跡として有りつづける、無いもの》は、〈ない〉と繰り返し歌われることによって、二重に否定される。《無いもの》が〈ない〉と二重否定され、結果として肯定されると、《無いもの》が《有るもの》へと変換される。《痕跡として有りつづける、無いもの》が、不思議なことではあるが、《痕跡として有りつづける、有るもの》とでも名付けられるものへと変わっていく。錯綜とした分かりにくい論理ではあるが、そのような論を呈示したい。

 〈東京の空の星〉はもともと有りつづけたものであるが、〈見えない〉とされることによって《無いもの》とされてしまう。しかし、その《無いもの》が〈見えないこともない〉という二重否定によって、《有るもの》として肯定される。〈東京の空の星〉は《痕跡として有りつづける、有るもの》として、眼差しに浮上する。

 

 志村正彦には、《痕跡として有りつづける、無いもの》を《痕跡として有りつづける、有るもの》へと変えたいという想いがあったのではないだろうか。《痕跡として有りつづける、有るもの》を希求する想いと言ってもよい。「茜色の夕日」にもその想いが貫かれている。

 昨年の八月から半年の間、断続的に番号を付けながら『茜色の夕日』について書いてきたが、今回でひとまずの区切りを付けたい。


2023年1月22日日曜日

〈リアルな思い〉と客観的な視線-『茜色の夕日』11[志村正彦LN326]

  『若者のすべて』が収録された3rdアルバム『TEENAGER』は、〈十代〉をめぐる一種のコンセプト・アルバムである。〈二十代〉の後半になった志村正彦は、このアルバムで〈十代〉を振り返ろうとした。志村は『若者のすべて』についてこう語っている。(『音楽と人』2007年12月号インタビュー記事、樋口靖幸氏)

 

〈茜色の夕日〉以来です、こんなナーバスになってるのは。あの時は曲つくって自分の思いを表現して、あの人にいつか届けたいっていう、音楽やるのに真っ当な理由があったわけですよ。それに自信をつけられていろんな曲を今まで作ってきたけど、これは当時のその曲と同じくらいのリアルな思いがある……ってことを、作った後に気づかされたんだよなぁ。

 

 『若者のすべて』には、『茜色の夕日』と〈同じくらいのリアルな思い〉があることを〈作った後に気づかされた〉のは、そのリアルな思いを事前に意識していたのではなく、創作した後で事後的に認識したということである。『茜色の夕日』の創作によって〈自信〉を付けた志村は多様な楽曲を表現していったが、その〈リアルな思い〉は幾分か遠ざかっていった。無意識的なものとなったとも言えよう。しかし、『若者のすべて』によって、〈自分の思いを表現して、あの人にいつか届けたい〉というモチーフが強く、志村の中で浮上してきた。〈二十代〉の後半になった志村は、〈十代〉の思いをふたたび語りたかったのかもしれない。

 

 〈十代〉から〈二十代〉へと至る道筋についてもう一つの観点を示したい。


 『若者のすべて』の主体〈僕〉は、夏の終わりの季節に街を歩き始め、夕方5時のチャイムを聞き、運命や世界の約束を考える。街灯の明かりがつくと帰りを急ぎ、〈途切れた夢の続き〉をとり戻したくなる。〈僕〉の一日は〈すりむいたまま〉のように終わるのだが、やがて〈僕〉は、〈すりむいたまま〉に〈そっと歩き出して〉いくだろう。

 『若者のすべて』から時を遡って『茜色の夕日』を捉えると、『若者のすべて』は『茜色の夕日』で歌われていた〈途切れた夢〉の〈続き〉を歌ったものだとも考えられる。

  『茜色の夕日』の回想は〈途切れた夢〉の回想でもある。その〈続き〉が『若者のすべて』で語られることになる。そして、その〈途切れた夢〉の〈続き〉を取り戻すために、〈そっと歩き出して〉いく意志を歌ったのが『若者のすべて』であるという見方はどうであろうか。


 歌の主体〈僕〉の声、第三次の語りに焦点化すると、『茜色の夕日』の〈本音を言うこともできない〉から、『若者のすべて』の〈会ったら言えるかな〉〈話すことに迷うな〉への変化を指摘できる。〈言うこともできない〉は文字通り、言うことが不可能な状態である。『茜色の夕日』の〈僕〉は、言うことができないまま、立ち尽くしている。

 『若者のすべて』の〈言えるかな〉には、言いたいのだが本当に言うことができるかなという想い、〈話すことに迷うな〉には、話したいのだがその内容に迷ってしまうという想いが込められている。どちらにしろ、『若者のすべて』の〈僕〉は、言えないまま立ち尽くすのではなく、言うことに向かって少しずつ歩み出している。〈十代〉から〈二十代〉への言葉をめぐる軌跡が浮かび上がる。

  志村は、〈フジファブリック『FAB FOX』インタビュー〉(billboard-japan)で、〈曲のアプローチ、曲を作っていく中で――もちろん夢中になってしまう自分もいるんですが―― 客観的に見れるようになっていった〉と語っている。インタビュアーの〈客観的になった事で見えてきた物などありますか?〉という問いに対してこう答えている。

  

そうですね・・・、結構妙な事やってるな、とは思いますね(笑)。音楽を始める時は色んな素晴らしい人がいて色んな素晴らしい音楽があって、それに感動したりして「そういう音楽って凄いな」って思うんですけど、いざ真剣に考えてみると「ここの歌詞はちょっと自分と違うな」「自分だったらこういう音で作るんだけどな」っていうのがありまして。それを実際にやってみたいって事でミュージシャンを目指したんですけど、やっと自分がやりたかった事が出来てきたというか、色々面白い事に挑戦しているバンドなんじゃないかと思うんですけどね。


 表現者としての志村は、次第に、歌の主体〈僕〉を客観的に見ることができるようになった。このような視線で〈二十代〉の志村は〈十代〉の志村を見つめ直した。『茜色の夕日』から『若者のすべて』までの時の流れの中で、言葉をめぐる在り方も変化した。〈やっと自分がやりたかった事が出来てきた〉〈色々面白い事に挑戦しているバンド〉だという達成感も得られてきた。そのような軌跡が浮かび上がる。この軌跡は表現者としての志村の成長を物語っている。

 また以前、2001年から2005年までに至る『茜色の夕日』の歌い方の変化によって、自分自身が自分を問い返す意味合いが強まってきたと書いたが、このことと客観的な視線を獲得したことの間には深い関係があるだろう。



2023年1月8日日曜日

故郷と東京、〈十代〉と〈二十代〉-『茜色の夕日』10[志村正彦LN325]

 新年が明けた。今年もよろしくお願いします。

 このブログでは毎年十二月の最後にその年の出来事を振り返ってきたが、昨年末はそれができなかった。2023年の最初の回で少し、昨年のことを書きたい。富士吉田を何度か訪れたことについてである。

 一月、下吉田駅の志村正彦パネルを見て、列車近接音の『茜色の夕日』と『若者のすべて』を聞いた。その後も、本町通りの商店街で買い物をしたり、吉田のうどんの店を新しく開拓したりと、街を歩いた。十月「ハタオリマチフェスティバル2022」、十二月「FUJI TEXTILE WEEK 2022」とイベントにも出かけた。

 フジテキスタイルウィークでは、落合陽一の《The Silk in Motion》が想像以上に美しかった。小室浅間神社の神楽殿に設置した大型LEDで上映された映像は、ファブリックの色彩と形態が時間と共に変容していく姿をどこまでも追いかけていく。映像に複雑なリズムがあった。産地展「WARP& WEFT」では、ファブリックのサンプル生地やマテリアルブックを見た。富士吉田の織物産業とその歴史を、文字通り、手に取るようにして知ることができた。

 展示会場の一階にはオープンしてまもなくの「FabCafe Fuji」があった。ハンドドリップコーヒーを飲んで一休みする。窓の外を見ると、スマホを構えた観光客がたくさんいる。富士山写真のスポットのようだ。本町通りには洒落たカフェが集まってきた。新しい街へと歩み出しているようだ。

 富士山駅の「ヤマナシハタオリトラベル mill shop」にも三度ほど立ち寄った。黒板当番さんの黒板画を拝見するためである。最も印象に残ったのは『Strowberry Shortcakes』の絵。〈フォークを握る君〉〈左利き?〉〈残しておいたイチゴ食べて〉〈クスリと笑う〉〈片目をつぶる君〉〈まつげのカールが奇麗ね〉と歌詞が展開していく女性を一つの像で見事に描ききっている。これは傑作ではないか。その女性を〈上目使い〉で見ている〈僕〉の少々デレンとした表情にも味わいがある。


 富士吉田の街を歩くとやはり、志村正彦の故郷を身近に感じることができる。

 昨年秋から『茜色の夕日』について書いてきた。この歌の回想場面には故郷での出来事が強く反映されているように思う。特に、〈十代〉の出来事が色濃く刻まれている。志村は、『茜色の夕日』に関連して、〈フジファブリック『FAB FOX』インタビュー〉(billboard-japan)で次のように語っている。  


ミュージシャンになりたくて決意の上京をした訳ですけど、言い方が堅いですけど孤独だったりしたんですよね、東京は。ホームシックになったりしましたし。でも今は東京の中での自分の場所、それはバンドの中での自分でもありますけど、ずっと住んでる今の家があって、色んな所に行ったりしても帰る場所がある、落ち着ける場所がある。それだけでも違いますよね。


 メジャー1stアルバム『フジファブリック』、2ndアルバム『FAB FOX』の二作によって、フジファブリックの作風は確立した。志村が正直に語っているように、〈孤独〉や〈ホームシック〉を乗り越えて、〈東京の中での自分の場所〉を得たことが彼の創作を支えたのだろう。彼にとって、故郷が〈十代〉までの経験の場であり、東京が〈二十代〉の場であった。

 3rdアルバム『TEENAGER』になると、〈十代〉をめぐる一種のコンセプト・アルバムを試みた。『若者のすべて』もこのアルバムの一作品であり、〈十代〉を回想するモチーフが込められている。それはどのような経過をたどったのだろうか。

   [この項続く] 


2022年12月18日日曜日

第三次の語りと声 『茜色の夕日』と『若者のすべて』-『茜色の夕日』9[志村正彦LN323]

 『茜色の夕日』と『若者のすべて』の語りの構造にはある共通点がある。その構造を視覚的に表した図をまず示したい。




 二つの歌ともに、語りの枠組は、一人称の話者であり歌の主体である〈僕〉の観点によって構築されている。〈僕〉は都市の街路を歩いていく。これを第一次の語りとしよう。図の青い部分である。

 『茜色の夕日』では、〈僕〉は街を歩きながら、〈茜色の夕日〉を眺め、おそらく故郷での〈誰もいない道 歩いたこと〉を思い出し、東京で〈空の星〉が〈見えないこともない〉ことに気づく。『若者のすべて』では、〈僕〉は〈真夏のピークが去った〉季節に、それでもいまだに〈落ち着かないような〉街を歩いている。『茜色の夕日』と『若者のすべて』はどちらも、都市に生きる孤独な若者、単独者である〈僕〉が歩行して、風景を見つめる。 

 話者であり歌の主体である〈僕〉が街の風景を眺めながら歩いていくときに、何かを思い出す。あるいは、何かを想い描く。回想であり想像でもある。これを第二次の語りとしよう。図の赤い部分である。

 『茜色の夕日』では、二人称の〈君〉に焦点をあてて、〈横で笑っていたことや/どうしようもない悲しいこと〉を想起する。『若者のすべて』では、一人称複数の〈僕ら〉という視点を加えて、〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな〉と回想する。

 第一次の語りと第二次の語りによって、『茜色の夕日』には一人称と二人称の対話性、『若者のすべて』には一人称単数と一人称複数による対話性が潜在的にもたらされる。二重の語りが複合して、複雑な織物・ファブリックを作り上げる。志村正彦はその織物・ファブリックにもう一つの語りを加える。これが第三次の語りである。図の黄色い部分である。話者であり歌の主体である〈声〉であるが、それと共に、いやそれ以上に、作者志村正彦自身の〈声〉であろう。


  僕じゃきっとできないな できないな
  本音を言うこともできないな できないな
  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった 
                      『茜色の夕日』


  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

  ないかな ないよな なんてね 思ってた
  まいったな まいったな 話すことに迷うな   
                       『若者のすべて』 
             


 『茜色の夕日』は〈本音を言うこともできないな〉、『若者のすべて』は、〈会ったら言えるかな〉〈話すことに迷うな〉と呟く。失われてしまった、あるいは、失われてしまいそうな誰かに〈言うこと〉〈話すこと〉が不可能になったり困難になったりする。歌の主体は〈僕〉は言葉で伝えることの壁に遭遇する。

 また、『茜色の夕日』の〈できないな〉の四回もの反復、「な」音の繰り返しと、『若者のすべて』の〈ないかな〉〈ないよな〉の反復、〈いないよな〉〈なんてね〉を含む〈な〉音の繰り返しというように、この二つの作品には〈な〉の音が通奏低音のように響く。そして、〈ない〉という否定と不在の表現が二つの歌の世界を貫く。

 比喩的に言うと、志村正彦は、縦糸と横糸から成る織物・ファブリックの二次元的世界に、垂直の次元を加えて、三次元的世界の厚みを創り出した。


2022年12月4日日曜日

時を経た成熟-『茜色の夕日』8[志村正彦LN322]

 今回は、ユニットⅣの歌詞について考えてみたい。


5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


 この箇所について、『茜色の夕日』スタジオ収録の四つの音源を聞き比べてみた。以前にも書いたことがあるが、それぞれの演奏者と演奏時間を整理してみる。


1.2001年夏(推定)カセットテープ版  4分40秒 ( 志村正彦:ボーカル・ギター、田所幸子:キーボード、萩原彰人:ギター、加藤雄一:ベース、渡辺隆之:ドラムス)

2.2002年10月21日CDミニアルバム『アラカルト』版  4分52秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、田所幸子:キーボード、萩原彰人:ギター、加藤雄一:ベース、渡辺隆之:ドラムス)

3.2004年2月CDミニアルバム『アラモルト』版 5分12秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、金澤ダイスケ:キーボード、山内総一郎:ギター、加藤慎一:ベース、足立房文:ドラムス )

4.2005年9月6thシングル版・2005年11月2ndCD・アルバム『FAB FOX』版 5分36秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、金澤ダイスケ:キーボード、山内総一郎:ギター、加藤慎一:ベース、足立房文:ドラムス )


 再生ソフトの示す時間から、カセットテープ版 4:40→『アラカルト』版 4:52→『アラモルト』版 5:12→シングル・『FAB FOX』版 5:36 というように、最終的に1分ほど長くなっていることが分かる。四年ほどの時間が流れているので、志村正彦の声は、若々しい声からより成熟した若者の声へと変化している。歌い方も変わり、過去を回想する色合いが強くなる。それに伴って、切なさや哀しさが増してくる。取り戻せない時の流れが伝わってくる。

 今回、今まで気づかなかったあることに気づいた。4番目の最終的なスタジオ音源の〈無責任でいいな ラララ〉の〈な〉の音が歌われていない(ように聞こえる)ということだ。それまでの音源では、〈いいな〉の〈な〉は発音されたきた。続く〈ラララ〉の〈ラ〉音と重なるところもあるので微妙ではあるが、そう判断できる。引用して明示すると次のようになる。


無責任でいいな ラララ 

無責任でいい  ラララ 


 最終的音源、完成版ともいえる音源で、〈な〉が歌われていないことは、志村の判断があってのことだろうが、多分に無意識的な選択かもしれない。この〈な〉の有無によって、歌の解釈も異なってくる可能性がある。

  三省堂『大辞林』によると、助詞の「な」には、①感動や詠嘆の意②軽い主張や断定、念を押す意③同意を求める意、相手の返答を誘う意④軽い願望の意⑤依頼・勧告の意の五つがある。

 〈僕じゃきっと出来ないな〉には、何が〈出来ない〉のかという対象が示されていない。続く、〈本音を言うことも出来ないな〉には、誰が〈出来ない〉のかという主語が省略されている。この二つは連続しているので、〈僕じゃきっと本音を言うことも出来ないな〉という一つの発話として受けとめることができるが、この〈本音〉が何であるのかは分からないままである。この発話は自分が自分に対して話しかけているものだろう。

 〈無責任でいいな〉という発話は、それが話しかける相手が他者か自分自身かによって、二通りの解釈が生まれる。〈な〉があると、相手が他者である可能性が高くなる。この〈な〉は相手の返答を誘う意味となるだろう。歌詞の言葉であるから実際に返答を求めているではないが、その他者が〈無責任でいい〉ことについて、その他者からの応答を求めている。この〈無責任〉は、この歌の重要モチーフとなっている恋愛に関する責任と無責任のことであろう。

 〈な〉がないとおそらく、相手は自分自身になるだろう。自分が〈無責任でいい〉ことについてあらためて問いかけるか、あるいは〈無責任でいい〉ことを自分自身が同意するか、その二つのどちらかになるだろう。その他の解釈も考えられるかもしれないが。

 ユニットⅣの最後は、〈ラララ〉を挿んで、〈そんなことを思ってしまった〉で終わる。〈無責任でいいな/無責任でいい〉の〈な〉の有無によって、歌の主体と他者との関係性が変わるが、どちらにしても、その過程は〈そんなこと〉と捉え直され、〈思ってしまった〉で完結する。


 2001年から2005年まで、四年間の推移の中で、『茜色の夕日』全体がより自省的な歌、自分自身が自分を問い返す意味合いの歌に変化していった。〈な〉の発話の有無はそのことに関連している。

〈billboard-japan〉掲載の〈フジファブリック 『FAB FOX』インタビュー〉で、志村正彦はこの『茜色の夕日』についてこう語っている。  


志村正彦:作ったばっかりの頃は思っている事を曲に書いてただけなんですけど、シングルで出したいなって思って前のバージョンの『茜色の夕日』を聴き直してみたら、いやに沁みてきたといいますか。18歳の頃のあの感じは出せないですけど、同じ歌詞でも自分の中で全然意味合いや捉え方が変わってきて、東京にきて6~7年経つ今でしか歌えない感じ、というのを曲にしてみました。この曲は代表曲と言われるくらいずっとやってきている曲なんで、これで一区切りするといいますか、落ち着けたいという気持ちもありましたね。まだ大人になりきれていない所はもちろんあるんですけど、18歳の頃から変わっていこうかって、そういう雰囲気は見せれたんではないですかね。


 彼はここで〈同じ歌詞でも自分の中で全然意味合いや捉え方が変わってきて〉と述べているが、この発言は2007年12月の両国国技館ライブでのMC〈歌詞ってもんは不思議なもんで。作った当初とは、作っている詩を書いている時と、曲を作って発売して、今またこう曲を聴くんですけども、自分の曲を。解釈が違うんですよ。同じ歌詞なのに。解釈は違うんだけど、共感できたりするという〉とも響き合う。

 志村は、歌の意味合いや捉え方の変化をふまえて、〈東京にきて6~7年経つ今でしか歌えない感じ〉を2005年収録の最終的音源に込めた。〈一区切りする〉〈落ち着けたい〉という気持ちによって、〈まだ大人になりきれていない所はもちろんあるんですけど、18歳の頃から変わっていこう〉という意志を表現した。

 このような時をかけて、志村正彦は『茜色の夕日』を成熟させていった。


2022年11月20日日曜日

〈醒めた客観視〉-『茜色の夕日』7 [志村正彦LN321]

 『茜色の夕日』はユニットⅢまで進むと、ある変化が現れる。この箇所を引用してみよう。


3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった


 ユニットⅡの〈忘れることは出来ない〉とされた出来事は、おそらく高校時代のことであろう。ユニットⅢでは、〈子供の頃〉の時間へ遡ろうとする。子供には夏休みがある。長いようで短い夏が終わってしまうと、子供なりにどことなく寂しくなる。やるせないような寂しさ。そんな記憶が誰にもあるのではないか。歌の主体〈僕〉もそのことを思い出している。しかし、この歌の現在時の〈今、〉、短い夏が終わったのにその寂しさがない。〈今、〉というように〈今〉のあとに〈、〉の読点が置かれているのは、時間の区切りを強調するためだろう。この一行のフレーズの背後には、子供から青年期への時の流れとその断絶が刻まれている。

 〈君に伝えた情熱〉は、この歌の背景にある〈僕〉の上京や将来に対する情熱と受けとることもできるが、この論では〈僕〉の〈君〉に対する恋愛の情熱と捉えてみたい。その〈情熱〉を、〈呆れるほど情けない〉というように客観化して、〈笑うのをこらえている〉と醒めた目で対象化する。さらに、〈後で少し虚しくなった〉というように、その出来事の〈後〉の〈僕〉の気持ちの語る。〈少し〉とはあるが、〈僕〉は虚しさに包まれる。

 この箇所について参考になるのが、『音楽とことば ~あの人はどうやって歌詞を書いているのか~』での発言である。インタビュアー青木優氏の〈その「茜色の夕日」にしても、ストレートに「好きだ」と告白している歌ではないですよね。そこまでその娘に対する想いがリアルなのであれば、そうなってもいいはずなのに、志村くんには、まったくそういう曲がない〉というという問いかけに対して、志村は次のように答えている。 


 僕に「愛してる」とか「好きだ」みたいな歌詞がない理由というのは、自分でもわかってます。それは僕の中にある醒めた客観視、「んなこと言われても!」って考えのせいなんですね。だって、僕がそういう曲を聴いた際の感想というのは、「へえ―、そうですか、愛してるんですか」っていう程度のものでしかないんですけど、場合によっては、「え、好きだからなんなんですか?」「愛してるからなんなんですか?」「ちなみにその愛の内容は、どういうことを経験しての愛なんですか?」みたいな詮索がスタートしてしまう。で、結局最後は「だったら愛してればいいじゃん!満たされてんだったらなんで曲なんか作んの?」みたいなことになっちゃうんですよ。 
 でも、それと同時に、僕が自分に対してまだ一流だと思えない理由というのも、そこにあったりするんです。愛してるってことが歌えないからこそ、一流になれないというか。だって、それを歌えるアーティスト、たとえばミスチルみ たいなアーティストというのは、やっぱりそのぐらい自分に自信があるんでしょうし、いろんな愛を歌うことで、世間 をハートマークだらけにしていく自信があるってことじゃないですか。でも、残念ながら、僕にはそれがない。そういう自信がないからこそ、「愛してる」が書けていないとも言えますね。寂しいことですけど。 


 志村は、〈愛してる〉と歌う〈自信〉がないと述べているが、そのことを〈寂しいこと〉とも受けとめている。〈僕の中にある醒めた客観視〉という発言にも注目したい。志村にはリアルな気持ちとしての主観的な〈情熱〉と共に、それに対する〈醒めた客観視〉があった。ユニットⅡは前者、ユニットⅢは後者を表現しているといえるだろう。歌詞の展開の中で、この二つの感情を対比的に捉えている。〈短い夏〉〈今、〉〈子供の頃〉〈後で〉というやや錯綜した時の区切り方が、心のゆれの振幅を奏でている。


 このユニットⅢを経て、ユニットⅠの後半部が登場する。


4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど

4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 過去と現在、故郷と〈東京〉、〈空の星〉が〈見えない〉と〈見えないこともない〉。これらの対比が、時間と空間の隔たりの中で〈そんなこと〉を〈思っていたんだ〉と歌われる。〈んだ〉を付加することによって、作者志村正彦は歌の主体〈僕〉の思いをある程度まで対象化している。

 〈見えない〉ものが〈見えないこともない〉という発見から、志村正彦の眼差しが変わってきたことがうかがわれる。『茜色の夕日』は眼差しの変化の歌でもある。

      (この項続く)


2022年11月6日日曜日

話法の原点-『茜色の夕日』6 [志村正彦LN320]


 1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました

 この語り口、話法を編み出したことが、志村正彦の歌の原点であった。

 〈茜色の夕日〉の〈日〉太陽という自然の景色、〈茜色〉の色彩感、夕方という時間。〈眺めてたら〉の〈眺める〉という動詞、主体の眼差。〈てたら〉は、〈眺める〉という動作が持続しながら、その完了後に別の出来事が引き続いて起こることを示す。その出来事を〈少し思い出しました〉ではなく、〈少し思い出すもの〉〈が〉〈ありました〉と語られる。まずはじめに、〈茜色の夕日〉という自然の景観、主体の外側にあるものが眼差しの対象となり、それに続いて、〈思い出すもの〉という記憶の対象、主体の内側にあるものが浮かび上がる。〈茜色の夕日〉はやがて、〈桜〉〈陽炎〉〈金木犀〉〈銀河〉という自然やそれに類するものになるだろう。そのような変奏が奏でられてゆく。


 1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと

 続いて、〈少し〉〈思い出すもの〉の光景が現れる。〈晴れた心〉晴れやかな心と〈晴れた日曜日の朝〉晴れの天気の日曜日の朝という表現が、〈思い出す〉行為の中で融合されたのだろう。そして、〈誰もいない道〉を〈歩いたこと〉という歩行が記憶の中の鍵となってくる。


 以前述べた「ユニットⅠ」という構成の中では、夕暮から夜となり、眼差しの対象として〈空の星〉が現れる。

4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

 〈東京の空の星は見えない〉と〈聞かされていた〉という話は、誰か大切な人との会話だったのかもしれない。それは、〈東京〉に出て行く以前の故郷での出来事なのだろう。今、歌の主体〈僕〉は東京にいる。この箇所には故郷から東京へ過去から現在へという歩みが込められている。


 ユニットⅡの全体を引用しよう。

2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

 〈少し〉〈思い出すもの〉は、〈君〉との間で経験された出来事である。この〈君〉という二人称で述べられる存在とその出来事について、志村は『音楽とことば ~あの人はどうやって歌詞を書いているのか~』( SPACE SHOWER BOOks 2013/6/24 ) で語っている。該当箇所を抜き出してみよう。


・歌詞というのは、とんなものでも、何を書いてもいいものではあるんだけど、実は、なんでもよくはない。そこにリアルなもの、本当の気持ちが込められていなければ、誰の気持ちにも響いてくれないと思うんです。

・そもそも僕がミュージシャンになるきっかけというのは、フラれたあの娘に対しての満たされなかった想いというのを、なんとか遠回しにでも聞いてもらおうと思ったからなんです。そこから秘かに曲作りを始めて、演奏して、発表して、できればドカーンと売れて、いつか見返してやろう、みたいな気持ちがあったんですけど、その気持ちっていうのは、本当にリアルなもので、世間に対して何かを訴える、みたいな種類のものではないにせよ、やっぱりそれは、メッセージ色の強いものだと思うんです。

・最初の最初は、あの娘になんとなく気づいてほしいからという情熱から歌詞を書き始めたわけです(後略)

・高校生の終わりぐらいですね。初恋の娘です。

・その失恋から産まれた曲は「茜色の夕日」って曲で、フジファブリックとして発表しているんですけど、自分の衝動をそのまま歌詞に刻めたということにおいては、この曲に勝るものはないです。僕の人生において、この曲の中に込められたものに勝る想いというのはないですね。


 志村は自らの経験の中の〈リアルなもの〉〈本当の気持ち〉を歌おうとした。「茜色の夕日」の場合、歌の主体〈僕〉は作者志村自身であると考えられる。歌の作者と歌の主体とが〈リアルなもの〉として結びついている。〈君〉もまた、志村にとってまさしくリアルな存在であったと考えてよい。引用した発言からすると、〈君〉は志村の〈初恋の娘〉だった。その恋は〈高校生の終わりぐらい〉のことであり、〈失恋〉に終わった。〈自分の衝動をそのまま歌詞に刻めた〉ことがこの歌の根源にある。

 〈僕の人生において、この曲の中に込められたものに勝る想いというのはない〉という〈想い〉は、特にこのユニットⅡの中に込められている。〈君がただ横で笑っていたこと〉は、〈や〉という助詞で〈どうしようもない 悲しいこと〉につなげられる。〈笑っていたこと〉は喜びをもたらしたものだろうが、それゆえに逆に、〈どうしようもない 悲しいこと〉を際立たせる思い出にもなってしまった。その恋の終わりに、〈君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ〉という出来事があった。作者と歌の主体の〈想い〉の核にはそのような経験があるのだろう。

 その出来事は〈忘れることは出来ないな〉とされている。しかし続いて、〈そんなことを思っていたんだ〉と語られているので、忘却できないこと出来事自体とその出来事を想起する行為との二つが表現されている。志村が述べた言葉を用いれば、〈リアルなもの〉としての出来事とそれに対する〈本当の気持ち〉を歌うことの二つの次元が重要になってくる。

    (この項続く)



2022年10月21日金曜日

インディーズデビュー20周年とインディーズ版MV-『茜色の夕日』5 [志村正彦LN318]

 二十年前の2002年10月21日、インディーズのSong-Cruxから1stアルバム、フジファブリック『アラカルト』が発売された。

 今日はインディーズデビュー20周年の日。そして、『茜色の夕日』がCD音源としてリリースされた記念の日でもある。

 この歌は18歳の頃作られたと言われている。2001年夏、『茜色の夕日・線香花火』のカセットテープが自主制作されている(参照:『茜色の夕日・線香花火』カセットテープ [志村正彦LN173])が、CDのミニアルバム『アラカルト』の収録曲『茜色の夕日』がロック音楽のファンに聴かれるようになった作品であると考えてよいだろう。当時、この曲のミュージックビデオも制作された。

 22歳の志村正彦は、表情も、声も、実に若々しい。この映像では、十代の面影を宿しているようでもある。ドラムの渡辺隆之、キーボードの田所幸子がわずかだが映っている。この時は脱退していた萩原彰人のギター、加藤雄一のベース音も入っている。

 ネットにあるインディーズ版『茜色の夕日』MVを紹介したい。

    


 この映像が伝えようとしているものをシーンごとに追っていきたい。


・ファーストシーン。スタジオ照明による〈茜色の夕日〉
・演奏シーン(正面にギターを抱えた志村、その画面右側にキーボードの田所幸子、オルガン音のイントロ。
 画面が左側に移動して、ドラムの渡辺隆之。中央に移動しながら志村の声が聞こえてくる。歌が始まる)
・東京と思われる住宅街の路を歩く目線からの移動撮影の映像が挿入される。緑の多い街。庭木や生け垣。
・葉書のようなものを手にして物思いにふけるような志村。演奏シーン。
・誰かが横切って絵葉書かカードのようなものを置く。絵葉書のクローズアップ。女性(と思われる人)が丘のような所から東京と思われる街並を見下ろす。部屋の中のシーン。演奏シーン。
・再び、住宅街の路を歩く目線からの移動撮影。女性とその下に石畳。演奏シーン。空と雲。演奏シーン。
・サンダルを履いた女性が座り、何か白いものが散っている。演奏シーン
・煙草を吸いながら外を眺める志村。演奏シーン。
・丘の公園のような所からその向こう側に街並が広がる。白いノースリーブのワンピースを着てベンチに腰かけた女性の背中が映る。演奏シーン。
・部屋の中のシーン。真ん中に低いテーブル。その上には絵葉書のようなもの、グラス、灰皿。カーテンが閉められている。演奏シーン。
・空と雲のシーン。
・三度、街中を歩く目線からの移動撮影。
・ラストシーン。実景による〈茜色の夕日〉。茜色に染まる東京の街並とその向こう側の山並、山々の稜線。


 このミュージックビデオで描かれる物語は、おそらく、志村正彦が構想したものだろう。東京と思われる住宅街の路を歩くことが語りの枠組となっている。志村正彦が演じるTシャツ姿の男性と白いノースリーブのワンピースを着た女性。男女の恋愛が背景にあるのだろうが、この二人は別々に登場し、一人ひとりである。絵葉書のようなものには〈手紙〉による言葉の伝達のモチーフがあるのだろう。

 丘の公園のような所からその向こう側に街並が広がる。最後は茜色に染まる東京の街並とその向こう側には山並とその稜線が見える。〈茜色の夕日〉の時間だから東京の西側にある山梨方面の山々のように思われる。つまり、東京の街並の光景とその向こう側にある故郷の風景を思い浮かべているのではないだろうか。

 このインディーズ版『茜色の夕日』MVは日中の撮影のためか、東京の〈星〉はないが、東京の〈空と雲〉は出てくる。志村が構想したと思われるこの映像は、第1ブロックのabと第4ブロックのcdにはつながりがあるのでユニットⅠとしてまとめることができるという仮説をある程度裏付けるものでもある。  

      

1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 歌の主体は〈日曜日の朝〉に〈誰もいない道〉を歩いている。『茜色の夕日』全体を通じて、〈歩行〉が続いているようなリズムがある。逆に、立ち止まる、佇立する、休止のポイントもある。歩いて立ち止まる。立ち止まって歩き出す。そして、茜色の夕日となり、夕暮れから夜の闇へと至り、〈東京の空の星〉は〈見えないこともないんだな〉ということに気づく。〈晴れた〉〈日曜日の朝〉と〈見えないこともない〉〈東京の空の星〉という対比的なモチーフが現れる。

 さらに、インディーズ版ミュージックビデオのラストシーンに、志村の故郷である山梨方面の山並が出現することは、〈茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました〉とされるものは、故郷での出来事であることをそれとなく示しているのかもしれない。 


 『茜色の夕日』が『アラカルト』収録曲としてリリースされてから二十年。インディーズ版MVの志村正彦は、いつまでも若く、在りつづけている。


2022年9月25日日曜日

語りの構造-『茜色の夕日』4[志村正彦LN316]

 『茜色の夕日』には独特の揺らぎがある。独自のリズムがある。歌詞にも独特の揺れのようなものがあり、その言葉の世界はたどりにくい。たどりにくいと言っても難解なわけではない。曲を聴き終わったときに、やるせないような余韻が残る。かと言っても、歌詞の言葉に戻ると、そこには依然として、謎としての余白が残る。

  志村正彦の歌には、現在時から、現在と近い過去の出来事を語っていくものが少なくない。しかし、それだけでなく、過去や遠い過去の出来事に対する回想が加わる。そこからさらに、もう一度、現在時に戻り、心の中の呟きを会話体で表現するフレーズが入り込む。『茜色の夕日』はそのような枠組の原点と言える。

 今回の考察は私の仮説の提示である。作者志村のモチーフを想像しながら、一つの仮説としての構造を示したい。その図示を試みる。  


 まずはじめに、第1~4ブロック全体を再度引用する。

1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
1c
1d

2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった

4a
4b
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


 この第1~4ブロックを次のように再構成する。

ユニットⅠ 第1ブロック+第4ブロック

ユニットⅡ 第2ブロック

ユニットⅢ 第3ブロック

ユニットⅣ 第5ブロック


 第1ブロックは、回想の叙述から始まるが、現在の出来事の語りでもある。LN313で述べたように、ここに第4ブロックを接続することで、ユニットⅠというまとまりを形成できる。

 ユニットⅡとユニットⅢは純然たる回想の語りであり、部分的に現在の想いが入り込む。Ⅰが全体の枠組を作り、その中にⅡとⅢが入り込む。ユニットⅣは、ⅠⅡⅢの枠組の外側にあり、現在時の歌の主体の〈僕〉の心の中の呟きが会話体で表現されている。この語りの構造を図示してみよう。




 この構造図は、志村正彦による出来事の語り、回想の叙述、心の中の呟きの関係を視覚化したものである。
 次回から、ユニットごとにその構造とモチーフを詳細に分析していきたい。

2022年8月21日日曜日

第5ブロックの時間、第1と第4ブロックとのつながり-『茜色の夕日』3[志村正彦LN313]

   前回、『茜色の夕日』の第1~4ブロックのフレーズを構成要素abcdに分けた。第1~4ブロックは、基本として回想であり、歌の主体が回想する出来事が述べられている。それに対して、第5ブロックは回想というよりも、歌の現在時における主体の想いが表出されている。構成要素abcdとは独立した関係にあるので、eという新しい要素を付した。


 第5ブロックを引用する。

5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


 第1~4ブロックの回想は〈そんなことを思っていたんだ〉と語られるが、第5ブロックは〈そんなことを思ってしまった〉と述べられる。第5ブロックの〈思ってしまった〉の方は、今まさしくそのようなことを〈思ってしまった〉という、思う行為が完了した時点を示している。〈そんなこと〉は、歌の主体の現在時に近い出来事になる。それに比べて、第1~4ブロックの〈思っていたんだ〉は〈そんなこと〉を思い、その思いが持続していたという時の流れを示している。〈そんなこと〉は、歌の主体にとって、近い過去から遠い過去までの出来事になる。

 つまり、〈そんなことを思ってしまった〉とされた第5ブロックの想いは、歌の現在時のものと言ってもよいだろう。その内容も、〈僕じゃきっと出来ないな〉〈本音を言うことも出来ないな〉〈無責任でいいな〉という〈僕〉と〈僕〉自身との対話であり、現在の思いであろう。その自己対話を〈ラララ〉と受けとめながら、〈そんなこと〉と捉えた上で、〈思ってしまった〉と結んでいる。ここでは表現の観点で分析したが、この第5ブロックの意味については後に論じたい。


 第1~4ブロック全体を再度引用する。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
1c
1d

2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった

4a
4b
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 第1ブロックには、abの構成要素はあるが、それに続くcdはない。

 歌の主体ははじめに、〈茜色の夕日〉という光景を〈眺めてたら〉と語り始める。〈てたら〉は、〈ている〉という現在進行形を含む〈ていたら〉であるので、この眺める行為は、今、進行中、継続中の事態や行為である。そして、眺める行為の帰結は〈少し思い出すものがありました〉という想起となる。回想される出来事は、〈晴れた心の日曜日の朝〉という過去の日と、その過去の時点で〈誰もいない道 歩いた〉という行為である。

 〈晴れた心の日曜日の朝〉という表現は独特だ。〈晴れた日曜日の朝〉という通常の表現に〈心の〉が繰り込まれている。おそらく、〈晴れた心〉(心が晴れやかだ)と〈晴れた日曜日の朝〉(天気が晴れている、日曜日の朝)が複合されているのだろう。続くフレーズは〈誰もいない道 歩いたこと〉。つまり、歌の主体は〈日曜日の朝〉に〈誰もいない道〉を歩いている。この〈歩行〉のモチーフを、志村正彦は繰り返し表現している。『茜色の夕日』全体を通じて、〈歩行〉が続いているようなリズムがある。逆に、立ち止まる、佇立する、休止のポイントもある。歩いて立ち止まる。立ち止まって歩き出す。このモチーフとリズムは、『若者のすべて』などの他の作品に引き継がれている。

 第2ブロック・第3ブロックで焦点化されるのは〈君〉であり、〈君〉との出来事である。注目したいのは第4ブロックである。cdの構成要素はあるが、それ以前のabがない。その意味で、第1ブロックと第4ブロックは対照的である。ここで一つの仮説を提示したい。第1ブロックのabと第4ブロックのcdにはつながりがある、というものだ。第1ブロックのabと第4ブロックのcdとを接続させて、一つのブロックを作るとこのようになる。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 第1ブロックのabで回想される出来事は〈晴れた心の日曜日の朝〉という過去と、その時点で〈誰もいない道 歩いたこと〉という行為である。歌の主体はどこかを歩いている。この〈歩行〉の場、〈誰もいない道〉は、歌の主体の故郷にある道のような気がする。根拠はないのだが、そのように感じられる。

 第4ブロックのcdで〈東京の空の星〉が登場する。作者志村正彦が、東京という具体的な場を表現することは極めて珍しい。それは〈見えないと聞かされていたけど〉〈見えないこともないんだな〉と、〈ない〉という否定と〈ないこともない〉の二重否定による肯定がある。〈ない〉という表現は三度重ねられる。第1ブロックにも〈誰もいない道〉という〈ない〉による否定がある。

  第1ブロックのabと第4ブロックのcdとを接続させると対比的な構造が現れる。〈晴れた〉〈日曜日の朝〉と〈見えないこともない〉〈東京の空の星〉。晴れて見えないこともないもの。そして、〈朝〉と夜という時間。そのような構造を想定すると、この歌詞の展開において、第1ブロックのabと第4ブロックのcdとの間につながりがある、という仮説が成り立つかもしれない。


2022年8月14日日曜日

歌詞の構成要素-『茜色の夕日』2[志村正彦LN312]

  『茜色の夕日』(作詞・作曲:志村正彦)の歌詞は、歌詞カードによって異同があるが、ここでは、『志村正彦全詩集新装版』(パルコ 2019/8/28)収録の本文を引用する。


茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと

茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと

君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない

君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった
東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

僕じゃきっと出来ないな
本音を言うことも出来ないな
無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった

君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ
東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 この歌詞も、他の志村の歌と同様に、具体的な物語の展開がたどりにくい。反復されるフレーズが多いことも影響しているだろう。把握しにくいのではあるが、歌われている出来事、物語がないことはない。その出来事、物語をこのblogでよく使っている歌詞の構成要素abcd(いわゆる「起承転結」に相当する)によって分析してみたい。

 現代詩作家荒川洋治『詩とことば』 (岩波現代文庫 2012.6、原著2004刊)の次の箇所を参考にした。その部分を引用する。

 詩は、基本的に、次のようなかたちをしている。

  こんなことがある           A
  そして、こんなこともある   B
  あんなこともある!      C
  そんなことなのか         D

 いわゆる起承転結である。Aを承けて、B。Cでは別のものを出し場面を転換。景色をひろげる。大きな景色に包まれたあとに、Dを出し、しめくくる。たいていの詩はこの順序で書かれる。あるいはこの順序の組み合わせ。はじまりと終わりをもつ表現はこの順序だと、読者はのみこみやすい。

 この論ではABCDを小文字のabcdに置き換えて、歌詞の展開の基本要素にする。

 物語の展開および楽曲の展開から、五つのブロックに分けた。1~4の四つのブロックには、各々、abcdの構成要素を付したが、1と4については空白の行を設定して、それぞれcd、abを付した。また、1~4の展開から独立したブロックは5として、eという構成要素を新たに付けた。このeは、起承転結的な展開からは独立した部分、歌の主体の思いが直接表現されているところを示している。abcdそしてeの差異を明らかにするために、フォントの色を分けてみた。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
1c
1d

2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった

4a
4b
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 第1ブロックから第4ブロックまでのabcdの構成要素を要素別に配列してみると、歌詞の物語構造が明確になる。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
4a

1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
4b  

1c
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど

1d 
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 〈a〉は、この歌の起、イントロダクションであり、すべての回想が引き起こされる。このフレーズは1~3にかけて、そのまま反復される。〈茜色の夕日〉という光景を〈眺めてたら〉という主体の行為。夕方という現在時。〈少し思い出すものがありました〉という回想は、思うに任せない現実に気を揉むような焦慮が変化していったものだと考えられる。焦慮が回想へと転換されていくことで、次第に、主体の想いが動き始めるといってもよい。

 〈b〉は、〈a〉の回想を受けて展開される。その回想される出来事、それと共に、その出来事の時間や時代が表される。〈誰もいない道 歩いたこと〉〈君がただ横で笑っていたこと〉〈どうしようもない 悲しいこと〉〈子供の頃の寂しさがない〉という出来事。〈晴れた心の日曜日の朝〉〈短い夏が終わった〉〈今〉という時間や時代。

 〈c〉で、ある種の転換が起きる。〈君〉が焦点化されて、その〈君〉と歌の主体〈僕〉との間にある大切な出来事が語られる。また、〈東京〉の〈空〉の〈星〉というもう一つの重要なモチーフが登場する。

 〈d〉は、そのブロックの結となる部分である。〈そんなことを思っていたんだ〉という語り口で、それぞれの回想が終わる。そして、歌の主体の現在の想いが語られる。〈忘れることは出来ないな〉の〈な〉、〈笑うのをこらえているよ〉の〈よ〉、〈そんなことを思っていたんだ〉の〈んだ〉と添えられた言葉。志村正彦が愛用した表現である。その〈な〉、〈よ〉、〈んだ〉は、歌の主体と出来事とのあいだの一種の距離を示しているとも感じとれる。

2022年8月7日日曜日

焦燥から焦慮へ、1stアルバム『アラカルト』-『茜色の夕日』1[志村正彦LN311]

 志村正彦・フジファブリックは、2002年10月21日、インディーズでデビューを果たした。1stミニアルバム『アラカルト』がロフトプロジェクト主宰のレーベルSong-Cruxから発売。今年2022年はそのデビューから20年となる。

  インディーズに在籍したことのあるアーティストのデビュー時期をインディーズにするかメジャーデビューにするかという問題がある。各々独立したデビューとして考えればよいのかもしれないが、志村正彦の場合、2022年のインディーズデビューを、表現者としての活動開始、デビューとして捉えたいと私は考えている。『アラカルト』収録作品は6曲。いずれも、「習作」的な段階を超えた水準にある作品であり、何よりも独創性が光っている。作品の観点からすると、そのディストリビューションがインディーズかメジャーかということは本質的なことではない。サブスクリプションの時代を迎えて、今後はさらにその識別は無意味になるだろう。

 今年は志村正彦・フジファブリックのデビュー20周年。『アラカルト』から20年。このアルバムの代表曲が『茜色の夕日』であることは多くの聴き手が同意するだろう。だから、『茜色の夕日』20周年と捉えてもよいだろう。

 『茜色の夕日』については、このblogの作品indexをみるとすでに19回ほど書いてきた。ただし、2014年武道館LIVEの志村正彦の《声》による『茜色の夕日』。様々な番組で取り上げられた『茜色の夕日』。『茜色の夕日・線香花火』のカセットテープ。『茜色の夕日』のカバー。映画の作中歌『茜色の夕日』。下吉田駅の『茜色の夕日』というように、この十年間のこの歌をめぐる様々な出来事を主に記してきた。

 このblogでは、作品そのものを論じる場合、通番を付している(例えば『若者のすべて』で通番を付したものは24回ある)が、『茜色の夕日』について通番を付したことはない。つまり、作品そのものを本格的に論じたことはこれまでなかったといってよい。なぜか。私にとって端的に、この歌がつかみづらい、ということに帰する。もっと正直に言えば、これまでこの歌についてどのように論じてよいのか分からなかった。ずっとこのことは気になっていた。この歌が『アラカルト』でCD音源としてリリースされて20年となる今、この歌について通番を付して論じていきたい。


 ここであらためて1stミニアルバム『アラカルト』の曲を振り返りたい。このアルバムにもアルバムとしてののストーリーというものが、そこはかとなく、ある。

 収録曲は全六曲。すべての作詞・作曲は志村正彦。

1.線香花火
2.桜並木、二つの傘
3.午前3時
4.浮雲
5.ダンス2000
6.茜色の夕日




 『線香花火』『桜並木、二つの傘』『ダンス2000』の三曲には共通するモチーフがある。


線香花火のわびしさをあじわう暇があるのなら
最終列車に走りなよ 遅くは 遅くはないのさ      『線香花火』

最後に出かけないか 桜並木と二つの傘が きれいにコントラスト       『桜並木、二つの傘』

いやしかし何故に いやしかし何故に
踏み切れないでいる人よ                『ダンス2000』


 〈走る〉〈出かける〉〈踏み切る〉という移動や運動の動詞群。〈走りなよ〉〈出かけないか〉。その逆の〈踏み切れないでいる〉。二十歳前後の青年である歌の主体の〈今〉〈ここ〉からの離脱あるいは脱出の願望、それが遂げられない焦燥感が独特のグルーブ感によって歌われている。何かに追い立てられる。それが何かは分からないままにとにかく、どこか外へと出て行くこと。所謂「初期衝動」的なモチーフといってもよい。最も初期の志村正彦の世界がここにある。

 この四曲に対して、『浮雲』『茜色の夕日』は異なる次元へと踏み出している。一つの方向性が定まる。(『茜色の夕日』は最も初期の作と言われているが、ここでは、現実の制作時期についてはあえて問わないことにしたい)移動や運動の動詞はそのまま継承されている。しかし、『線香花火』『桜並木、二つの傘』『ダンス2000』の三曲にみられた「焦燥感」、思い通りにならない現実に対する苛立ちや焦りに駆られることから、思うに任せない現実に起因する不安が内面をめぐることへと変化していく。後者は「焦慮」の感覚と捉えることもできる。アルバム『アラカルト』全体を通じて、歌の主体の「焦燥」から「焦慮」へという想いや感覚の転換が描かれているといえるかもしれない。


 『アラカルト』の三曲目に『午前3時』がある。次の一節が注目される。


鏡に映る自分を見ていた
自分に酔ってる様でやめた


 〈自分〉が、〈鏡に映る自分〉とそれを〈見ていた自分〉とに分離されている。ここでは〈自分に酔ってる様でやめた〉とされているが、このような鏡像との対話は繰り返されたのだろう。志村の場合おそらく、自己陶酔や自己愛に閉じられていくのではなく、自分自身を見つめるもう一人の自分が形成されていった。これはもちろんどの人間にもある経験だが、志村の場合、その経験を自ら深めていった。自分に対する〈他者〉としての自分という存在ががある強度を持って形成されていった。〈他者〉としての志村正彦の誕生である。


 『浮雲』『茜色の夕日』には次の一節がある。


独りで行くと決めたのだろう
独りで行くと決めたのだろう                  『浮雲』


茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと        『茜色の夕日』


 『浮雲』では、〈独りで行く〉ということを、歌の主体は自分自身に対して〈決めたのだろう〉と問いかける。自らに問いかけるのではあるが、〈独りで行く〉ことは、すでに決められていたように思える。

   『茜色の夕日』では、〈茜色の夕日眺めてたら/少し思い出すものがありました〉と語りかける出来事は、〈晴れた心の日曜日の朝/誰もいない道 歩いたこと〉、歩みの記憶である。〈…ものがありました〉という語りかけは、まず第一に自らに対するものだ。〈…たのだろう〉の問いかけと、〈…ものがありました〉の語りかけ。その問いかけと語りかけの話法によって、〈独りで行く〉という主体の決意と、〈歩いたこと〉という主体の歩みの記憶が伝えられる。

 『浮雲』の主体は、現在の自分、故郷の「いつもの丘」にいる自分が、未来の自分自身に対して問いかける。現在の自己と未来の自己という二つの自己の分離とその二者間の対話がある。『茜色の夕日』では、現在の自分、おそらく東京の街にいる自分が、故郷にいる自分、過去の自分へと語りかける。現在の自己と過去の自己という二つの自己の分離とその二者間の対話がある。


 2002年の1stミニアルバム『アラカルト』収録の『浮雲』と『茜色の夕日』の二曲が、一人の青年志村正彦を一人の表現者志村正彦へと転換させていった。

 柴宮夏希による『アラカルト』ジャケット画をもう一度見てみよう。近景に花々、中景に白銀の富士、遠景に赤色と黄色の太陽が描かれているように見える。この二つの太陽が茜色の夕日の象徴なのかもしれない。あるいは、この赤色と黄色のコントラストが何かと何かの対比を表している、とも捉えられる。どちらにしろ、この対比的構造は志村正彦・フジファブリックの始まりを象徴的に表している。


2022年1月9日日曜日

下吉田駅、富士山駅、新倉富士浅間神社[志村正彦LN303]

 新年になって、富士吉田に出かけた。御坂トンネルを抜けると白銀の富士。目に眩しいほど光を反射していた。吉田に入り、富士急行線の下吉田駅、富士山駅、新倉富士浅間神社を巡ってきた。

 昼頃、下吉田駅に到着。入場券を購入し、ホームへ向かうと、すぐ近くに志村正彦のパネルが設置されていた。柴宮夏希さんによる描画とデザインが秀逸だ。白い地、黒い髪、彩色されたライン。白銀の世界に虹の小雪のような線が舞う。志村の眼差しがこちらを見つめる。

 反対側には「若者のすべて」と「茜色の夕日」の歌詞の抜粋と英語・中国語・タイ語によるプロフィール。この地は世界から訪れる場になってきたので、多言語の翻訳は理に適っている。このパネルの作成に携わった方々の労を思う。



 列車到着の時間が来たので、ホームのスピーカーの下に移動する。 

 最初は1番線のホーム。大月方面行の列車。列車接近のアナウンスの後、すぐに「茜色の夕日」が流れる。〈茜色の夕日眺めてたら/少し思い出すものがありました/晴れた心の日曜日の朝/誰もいない道 歩いたこと〉。確かに志村の声だ。音量は小さい。耳を澄ます必要がある。そして直ぐに普通列車が到着した。接近音ではなく接近曲だと知ったときには、戸惑いがあったが、実際に聴いてみると、接近アナウンスと列車到着との間の数十秒に流れるBGMといった風情だ。1番線ホームからよく見える富士山を背に志村が歌っている。富士が赤く染まる夕景の頃にこの曲を聴くと格別かもしれない。まもなく、列車は大月へと向かって発車していった。実は僕は大月で生まれて2歳半頃まで住んでいたので、このまま列車に乗って大月まで行ってみたいな、とふと思った。

 すぐに、河口湖方面行きの列車接近のアナウンスがあった。今度は反対側の2番線ホーム。「若者のすべて」が流れ始める。〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな/ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな/まぶた閉じて浮かべているよ〉。このホームの向こう側には、いつもの丘」、その上には冬の青空。〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉の〈な〉の響きが透き通った青色の空に広がっていく。この時の列車は富士山ビュー特急。豪華な車両には外国人の姿もあった。夏の河口湖湖上祭の季節には、河口湖方面行きのホームで、この歌がやさしく響くことだろう。








 

 出口に駅員さんがいたので音量の件を尋ねてみた。この駅の周りには住宅があるので音量に配慮しているとのことだった。そういう理由だと知って納得した。小さな音量でさりげなく流れる方が、志村らしい。

 営業中の下吉田倶楽部に入り、うどんを食べる。店内には志村のポスターがあり、志村の曲が流れている。アルバム『TEENAGER』の楽曲だった。ノートが2冊置かれていた。志村への想い、ご家族やこの企画に携わった人々への感謝の言葉が記されている。〈ならば愛をこめて/手紙をしたためよう〉というように、文字が綴られていた。


 下吉田駅を後にして富士山駅へ。駅ビル1階のヤマナシハタオリトラベル mill shopで、黒板当番さんの「夜汽車」の絵を見る。接近曲の開始にタイムリーな企画である。女性とリスが向かい合っている構図が独特だ。黒板当番さんの呟き@kokuban_tobanには、〈『夜汽車』黒板に描いたリスは夢の中に現れた志村さんの身代わりで、何かを言おうとしつつやっぱりリスだから結局言えないでいる、ということかも知れません。描いた本人が後から気付くというのも変ですが、志村さんの曲だとそれが不思議でもない感じがします。〉とあった。このリスは無意識から浮かび上がったもののようだ。

  〈長いトンネルを抜ける 見知らぬ街を進む/夜は更けていく 明かりは徐々に少なくなる/話し疲れたあなたは 眠りの森へ行く〉〈夜汽車が峠を越える頃 そっと/静かにあなたに本当の事を言おう〉。何度か書いたが、この歌を聴くと中央線や富士急行線の列車を思い出す。〈長いトンネル〉〈峠〉、そして〈眠りの森〉も志村の故郷の風景だ。〈眠りの森〉の〈あなた〉に〈本当の事を言おう〉とする歌の主体を黒板当番さんはリスに描いた。小動物は人間の言葉は話せないが、本当のことを伝えることができるのかもしれない。


 最後は新倉富士浅間神社に寄った。駐車場には東北や近畿からの県外ナンバーの車もある。この神社に来たのは数年ぶりだが、ここからの富士山は裾野への広がり方が雄大だ。松の内だったので初詣となる。願い事をして、お守りを購入した。

 この日は雲一つないような晴天だったが、この場所ではやはり「浮雲」の歌詞を想う。〈登ろう いつもの丘に 満ちる欠ける月/僕は浮き雲の様 揺れる草の香り〉〈消えてしまう儚さに愛しくもあるとしても/独りで行くと決めたのだろう〉。

 この丘の下の方に下吉田駅がある。そこには志村の曲を流すスピーカーや彼のパネルがある。志村への愛が込められた試み。一人のファンとして、嬉しさ、感謝、そして誇りのようなものもある。


 でも正直に書くと、下吉田駅の志村の歌を聴いて、彼のパネルを見て、かぎりなく寂しいような、哀しいような感情がわいてきた。「桜の季節」の〈桜のように舞い散って/しまうのならばやるせない〉の〈やるせない〉に近いかもしれない。遣る瀬無い、どうにもならない、どこにも持って行きようのない想いを抱えながら、甲府へと帰った。


2020年9月6日日曜日

夏の終わり-『線香花火』3[志村正彦LN263]

 9月になった。残暑が厳しいが、暦の上では夏が終わった感がある。

 今日の午前中にも再放送があったが、9月3日、NHKサラメシ シーズン10の「まるごと富士山スペシャル」が放送された。これまでの富士山サラメシをまとめた番組ということなので、もしかしたらと思って録画しておいた。やはり、最後にフジファブリック『若者のすべて』が使われていた。(確か、2013年、サラメシの富士山取材の回で『茜色の夕日』が使われた。その記述が見つからないのでここで正確に書けないのだが)

 番組で1分40秒ほど流れた『若者のすべて』の歌詞は次の部分である。


  真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
  それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

  夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
  「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて


  最後の最後の花火が終わったら
  僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 付言すると、この番組のBGMが凄い選曲だった。歌ものは、Bruce Springsteen『Born to Run』、Bob Dylan『Like a Rolling Stone』と『若者のすべて』の三曲だった。オープニングが Springsteen、中ほどにDylan、エンディングが志村正彦だった。この三つの選曲に特別な意味はないのだろうが、「Springsteen、Dylan、志村」というロックの詩人の並び。ここに書くだけでも、「僕は読み返しては 感動している!」という気分だ。

 今年はコロナ禍のために富士山の登山道が閉鎖された。山開きはなく、吉田の火祭りもなかった。富士の夏はそのまま閉じられることになった。
サラメシの番組では『若者のすべて』とともに富士の映像が閉じられた。富士北麓の短い夏の季節も終わった。

 志村正彦・フジファブリック『線香花火』に戻ろう。


『アラカルト』ジャケット(『線香花火』収録)


 前回、『線香花火』には、《悲しさ》の表出があり、《悲しさ》が凝縮されているが、《悲しさ》の終わり、《悲しさ》からの分離があるようにも思われると書いた。青春特有の《悲しさ》の季節があるが、この《悲しさ》と対比されるのが、次の『茜色の夕日』の一節である。


  短い夏が終わったのに
  今 子供の頃のさびしさが無い    



 「短い夏が終わったのに/今 子供の頃のさびしさが無い」の一節が、僕にとって『茜色の夕日』の中でもっと染み込んでくる言葉である。子供の頃は夏の終わりに、なんだかとてもさびしくなった記憶がある。子供心に、夏が終わってしまう、もう夏の時が戻ることはない、そんな想いが浮かんできた。それでも少し経つと、そのさびしさは忘れてしまうのだが。

 青年になると、その「さびしさ」を感じることはなくなる。


  悲しくったってさ 悲しくったってさ
  夏は簡単には終わらないのさ


 むしろ、この『線香花火』の《悲しさ》のようなものを感じるようになる。青春時代の劇は必然的に《悲しさ》をもたらす。
 少年時代のさびしさと青年時代の悲しさ、この二つには、生の歩みにともなう普遍的な感情がある。『茜色の夕日』の主体「僕」は、少年時代のさびしさが失われたことに気づく。『線香花火』の主体は、青年時代の悲しさの只中にはいるがそこから少しずつ離れてゆく感覚を掴む。

 志村は、『茜色の夕日』の「短い夏が終わったのに」に対して、『線香花火』では「夏は簡単には終わらないのさ」と歌う。終わらない夏はむしろ夏の終わりという季節の感覚を描き出す。そもそも「夏は簡単には終わらないのさ」という表現は、夏の終わりの方にアクセントがある。終わらない夏もいつか終わるのだ。そうなると、「線香花火」そのものが、その変化と消滅の姿が、終わらない夏が終わることの象徴とも考えられる。

 『茜色の夕日』と『線香花火』をそのような観点から捉えると、『若者のすべて』の「真夏のピークが去った」という季節の時間が響き合ってくる。この三つの曲の夏は「終わった」「簡単には終わらない」「去った」と歌われる。終わる季節、去りゆく季節とともに、終わるもの、去りゆくものが現れてくる。

 志村にとって『茜色の夕日』と『線香花火』は、詩的世界の資質が開花した作品である。サウンド面でも、『茜色の夕日』はスローテンポのバラード、『線香花火』はアップテンポのロックのそれぞれ原型と位置付けられる作品である。夏の終わりの季節とともに、夏の感情と感覚の極まるところから離れてゆく。このモチーフを『若者のすべて』は引き継いでいる。この曲はミディアムテンポの傑作でもある。

 各々の作品の夏の終わり、その流れ方が、歌詞の時間、楽曲のテンポを形作っているのかもしれない。

2020年8月31日月曜日

終わらない夏-『線香花火』2[志村正彦LN262]

 今日は8月最後の日。真夏のピークがまだ続いている。
 前回に続いてフジファブリック『線香花火』について書きたい。まず歌詞のすべてを引用したい。


    線香花火 (詞・曲:志村正彦)

  疲れた顔でうつむいて 声にならない声で
  どうして自分ばかりだと 嘆いた君が目に浮かんだ
  今は全部放っといて 遠くにドライブでも行こうか
  海岸線の見える海へ 何も要らない所へ

  悲しくったってさ 悲しくったってさ
  夏は簡単には終わらないのさ

  線香花火のわびしさをあじわう暇があるのなら
  最終列車に走りなよ 遅くは 遅くはないのさ

  戸惑っちゃったってさ 迷っちゃったってさ
  夏は簡単には終わらないのさ
  悲しくったってさ 悲しくったってさ
  夏は簡単には終わらないのさ

  悲しくったってさ 悲しくったってさ
  悲しくったってさ 悲しくったってさ


 『線香花火』は、「疲れた顔でうつむいて 声にならない声で/どうして自分ばかりだと 嘆いた君が目に浮かんだ」と歌い出される。「嘆いた君」に焦点が当たるが、それはあくまでも「目に浮かんだ」光景である。歌詞の物語の中で、「君」と〈歌の主体〉とは同じ場にいるわけではない。〈歌の主体〉は「君」を目に浮かべ、おそらく、想像の世界で「君」に語りかけている。

 「今は全部放っといて 遠くにドライブでも行こうか/海岸線の見える海へ 何も要らない所へ」と続くが、「ドライブでも行こうか」という誘いは物語の中での実際の語りかけではない。「行こうか」というのは返答を期待していない呼びかけだ。歌の主体にとっての欲望、想像あるいは妄想のようなものだろう。
 「何も要らない所へ」という表現は当然その反対の「何かが要る所から」を思い起こさせる。「何かが要る所から」「何も要らない所へ」の「ドライブ」の行き先は、「海岸線の見える海」である。「海岸線」の向こう側にはおそらく「何も要らない所」が広がっているのだろう。

 第1ブロックを読むと、冒頭の「疲れた顔でうつむいて 声にならない声で/どうして自分ばかりだと 嘆いた君」とされた「君」は、具体的な他者というよりも歌の主体そのものを指しているとも考えられる。ラブソングを仮構しているが、実際は、独り言のような世界が表現されている。この「どうして自分ばかりだと 嘆いた君」とされる「自分」は、おそらく、作者志村正彦の分身である〈歌の主体〉であろう。「悲しくったってさ 悲しくったってさ/夏は簡単には終わらないのさ」という表現も、自分の自分に対する呼びかけである。一見、他者に語りかけているようで、そうではなく、自分に語りかけている言葉。結局、自分にたどりついてしまう言葉。志村正彦の言葉の世界が『線香花火』にも現れている。

 第2ブロックには「線香花火のわびしさをあじわう暇があるのなら/最終列車に走りなよ 遅くは 遅くはないのさ」とある。「遠くにドライブ」から「最終列車に走りなよ」への転換には物語上の連続性はない。要するに、「ドライブ」も「最終列車」に純然たる脱出のイメージとしてある。「海」と「線香花火」は夏の風景、風物詩である。その風物詩と共に「夏は簡単には終わらないのさ」という季節のモチーフが登場する。「終わらない」「夏」という季節の感覚が志村にとって重要だった。終わらない夏が終わるまでの時間。「陽炎」、「虹」、「最後の花火」、「通り雨」と、その間の風景や景物の変化をよく描いた。

 この歌は「悲しくったってさ 悲しくったってさ/悲しくったってさ 悲しくったってさ」のリフレインに収束していく。この《悲しさ》は、月並みな形容をするしかないのだが、青春特有の《悲しさ》を表しているのだろう。青春の只中に要るときはこの《悲しさ》の内実は分からない。過ぎ去ってみると、その輪郭がおぼろげに示されてくるのだが、それでもほんとうは分からないままである。ただひたすら《悲しさ》の痕跡が残り続ける。それでもその青春の《悲しさ》から、人はいつの日か離れていく。

 『線香花火』にはまだ複雑な語りの表現はない。それよりも、《悲しさ》の強固な表出がある。《悲しさ》が凝縮されている。しかし、《悲しさ》の終わり、というのか、《悲しさ》からの分離があるようにも思われる。「悲しくったってさ 悲しくったってさ/悲しくったってさ 悲しくったってさ」の反復は、《悲しさ》に向き合いながらもそれを乗り越えよう、少なくとも離れようとする意志も感じられる。「たってさ」という話法、激しいリズムによるグルーブの感覚がそれを促している。《悲しさ》ではなく、むしろ《悲しさ》の終わりを志村は歌おうとしたのかもしれない。「夏」そのものが《悲しさ》の象徴でもある。
 もちろん、「夏は簡単には終わらないのさ」とあるので、簡単に夏が終わることはない。歌の主体はあがいているようにも見える。嘆いているようでもある。終わらない夏、終わる夏。終わる、終わらない、その過程で、夏の《悲しさ》と離れていく動きが起きる。《悲しさ》からの分離が志村正彦を優れた表現者に変えていった。



2020年5月31日日曜日

Step by step『茜色の夕日』 [志村正彦LN256]

 五日ほど前、正午の直前だった。

 UTYテレビ山梨をなんとなく見ていると、綺麗な夕焼け雲を背景に富士山とその裾野の街が映し出された。ドラムの音と共に「茜色の夕日眺めてたら」の歌声。志村正彦の声。フジファブリックの『茜色の夕日』だ。反射的に録画ボタンを押した。すぐに画面に「富士吉田市 ♪茜色の夕日♪フジファブリック」の表示。 UTYなので、あの「STAY HOME」のシリーズなのかと思ったが、「STAY HOME」の広告はすでに終わったはずだ。60秒ほどの映像だったが、次の言葉が流された。


 Step by step
 今できることを
 一歩一歩新しい日常へ…

 いつかみんなで眺めよう
 その日のために今できること


 画面の右上には「50TH Uバク UTY」のクレジット。あの「STAY HOME」に継ぐ「Step by step」というテーマのUTY開局50周年と連動した公共的な広告のようだ。「STAY HOME」の『若者のすべて』に続いて『茜色の夕日』が使われたのである。「STAY HOME」から「Step by step」へ。一歩一歩、「新しい日常」へ歩んでいくというメッセージである。
 この映像は山梨県内でしか視聴できないのが残念だが、こればかりは仕方がない。UTYのホームページでもこの動画を見ることはできない。
 『茜色の夕日』の中で使われた部分は下記の通りである。 


  茜色の夕日眺めてたら
  少し思い出すものがありました
  君が只 横で笑っていたことや
  どうしようもない悲しいこと

  君のその小さな目から
  大粒の涙が溢れてきたんだ
  忘れることはできないな
  そんなことを思っていたんだ


 映像は富士吉田市の上空からのドローン撮影だろう。富士山に向かって北東の方向からドローンは飛んでいく。下には富士吉田の市街が広がる。街や車の灯り、川や大きな通りも見える。
 富士山の南西の方向に、茜色に照らされた雲の群れが水平にたなびいている。富士山の頂上あたりのラインで、地平線に近いところに茜色のグラデーションの雲、その上方は青いグレー色の雲に分かれているが、その色彩の差異がコントラストをなしている。しばらくすると夕闇に包まれていくのだろう。その前の「茜色の夕日」の時間。見た瞬間に引き込まれていく富士山と吉田の街の空間、「茜色の夕日」の空間。時間と空間の美しい光景に『茜色の夕日』の歌が流れていく。

 フジファブリック『茜色の夕日』と富士山の「茜色の夕日」の風景。あからさまと言えばあまりにあからさまな組合せだが、これが意外なほどに合っていた。この風景と志村の言葉が見事に融合していたのだ。志村の記憶の中にこの自然の光景が刻まれていたとも言えるほどに。

 文芸批評家の吉本隆明は、『吉本隆明歳時記』(1978年、日本エディタースクール出版部)で、「自然詩人」について次のように述べている。

 わたしの好きだった、そしていまでもかなり好きな自然詩人に中原中也がいる。この詩人の生涯の詩百篇ほどをとれば約九十篇は自然の季節にかかわっている。しかもかなり深刻な度合でかかわっている。こういう詩人は詩をこしらえる姿勢にはいったとき、どうしても空気の網目とか日光の色とか屋根や街路のきめや肌触りが手がかりのように到来してしまうのである。景物が渇えた心を充たそうとする素因として働いてしまう。 (「春の章 中原中也」)


 「自然詩人」は、「空気の網目とか日光の色とか屋根や街路のきめや肌触り」を手がかりにして詩的世界を創る。この論を参考にして考えてみた。
 志村正彦も「茜色の夕日眺めてたら/少し思い出すものがありました」、「真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた」と歌い始める。「茜色の夕日」、「真夏のピーク」。風景と場所の感覚、季節と時間の感触。志村の数多くの歌は、自然から受け取った感覚を一つのイントロダクションのようにして、自分自身の世界を語り始める。

 そういう捉え方をすれば、志村正彦も中原中也と同じような「自然詩人」と言えるだろう。しかし、実際の語り方、言葉の展開の仕方は異なる。書かれる詩と歌われる歌詞という違いもある。それ以上に、生の根本的感覚がこの二人は異なっている。しかし、そのような差異を超えて、志村正彦と中原中也の間にはどこか響き合うところがある。


【追伸】
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2018年12月25日火曜日

『茜色の夕日』と『ここは退屈迎えに来て』[志村正彦LN203]

 今年も12月末の季節を迎えた。
 前回から一月以上経ってしまったが、もう一度、映画『ここは退屈迎えに来て』について考えてみたい。

 調べると、今この映画が上映されているの山形県だけで、ほとんどの地域では公開が終わっているようだ。今後の上映予定は分からないが、いつかDVDになるのかもしれない。そういう状況なので、ネタバレになってしまうが、作品の内容に入っていきたい。雰囲気をつかむためにトレーラー映像の予告編を紹介したい。




 「私」橋本愛、「あたし」門脇麦、「サツキ」柳ゆり菜、「椎名くん」成田凌、「新保くん」渡辺大知が主なキャストである。予告編全体にフジファブリック『Water Lily Flower』が流れているが、映画本編では主にエンディングテーマとして使われている。

 この映画の考察のために原作の小説、山内マリコ『ここは退屈迎えに来て』を読んでみた。八つの物語から構成される作品で、地方都市が舞台となっている。地方から上京しその後帰郷した女性、そのまま地方で暮らし続ける女性、関わり合う男性。地方都市の郊外の風景と「退屈」な日常。人物やテーマ的な関連はあるものの各々は独立した物語だと言えるが、全体を読み通すと、ひとつの群像劇と捉えることもできる。

 映画の基本的な枠組は、原作の1章「私たちがすごかった栄光の話」に拠っている。映画も原作も、「私」が「サツキ」と共に自動車学校の教官をしている「椎名くん」に会いに行く筋だが、原作の方はペーパードライバーの「私」の再教習という目的があるが映画にはそれがない。原作では「私」はあっさりと再会して車の教習を受け、「椎名くん」の「合格!」という言葉で終了するが、映画ではその再会までの間に、時間を遡る手法によって、『ここは退屈迎えに来て』のいくつかの話が挿入される。郊外の道路をドライブしていくロードムービーの物語が膨らんでいく。

 『茜色の夕日』が最初に登場するシーンは、原作4章の「君がどこにも行けないのは、車持ってないから」を基にしている。高校時代「あたし」は「椎名くん」と交際していたが、その後別れた。現在「あたし」は「惰性」で、椎名の友達の一人だった「遠藤」と関係を続けている。映画も原作も、「あたし」が「遠藤」と郊外のラブホに行く展開は同じである。細部が説明されている原作の方でこのシーンを補ってみる。事を終えて、二十三歳の「あたし」は「目を閉じて、椎名との思い出を忘れないように反芻する」。だが、「だんだん思い出せない記憶が増えていく」。いつの間にか眠り、目を覚ましたのは朝の六時半。まだ寝ている「遠藤」の「鼻ちょうちん」を見た「あたし」は「マジで無理。ごめん無理!」と思い、部屋から抜け出す。原作ではそのように描かれている。

 早朝の道を「あたし」は歩き出す。「誰か 誰でもいいんだけど」と叫ぶ。(このシーンが予告編に入っている)その後で唐突に口ずさむのが志村正彦・フジファブリックの『茜色の夕日』だ。BGMとして流れるのではなく、「あたし」が歌うのだ。原作にはこのシーンはない。映画独自の演出である。前回も述べたように賛否両論の使い方だろうが、どうしてこのように使われたのか。

 映画公式webの「Director's interview」で廣木隆一監督はこう述べている。


劇中で登場人物がフジファブリックの「茜色の夕日」を歌うのは、何より名曲ですし、あの時代を生きた彼らが共有している記憶でもあり、歌詞が彼らの気持ちを代弁しているような使い方をさせてもらいました。歌詞が物語やキャラクターにぴったりはまりすぎると世界が狭まってしまうので避けるようにしていますが、役者には「それぞれの役として歌って」と伝えました。


 廣木監督は素直に「歌詞が彼らの気持ちを代弁しているような使い方をさせてもらいました」と告げている。志村正彦の聴き手であれば、各々の『茜色の夕日』への想いや解釈があるだろう。虚構の人物である「あたし」もこの歌を愛していて、あの行き詰まりのような状況で自らの想いを重ね合わせた。このシーンに違和感を持つ人は少なくないかもしれない。しかし、歌は聴き手に届けられてからは聴き手のものである。「あたし」も聴き手の一人だ。「あたし」にとっての『茜色の夕日』は、絶ちがたい過去への追憶とその痛みそのものなのだろう。

 原作の小説では、「遠藤」と「あたし」との共通の話題は音楽という設定だ。「遠藤」は「ロッキンオン信者」。「あたし」は次のようなバンドを好んでいる。

あたしはアメリカやイギリスの、夢も希望もないド田舎出身のバンドが好きだ。打ち棄てられたような町で生まれ育った、貧乏で誰にも認められたことのない若い男の子が集まって作った、初期衝動のつまったデビュー作が好きだ。

 このような「あたし」の人物像から、『茜色の夕日』を唐突に歌うという演出が選択されたとも考えられる。

 廣木監督の発言の中で疑問符が付いた箇所もある。「あの時代を生きた彼らが共有している記憶」という発言だ。映画作品としてそのことが伝わってこなかったからだ。
 作中人物単独の記憶であればそれを明確に描く必要はないかもしれない。あえて隠したまま物語を展開することもある。あるいは、失われた記憶として扱うこともある。しかし、作中人物の「共有」の記憶であるのなら、フジファブリック『茜色の夕日』という歌の記憶が「共有」されていたことを何らかの演出で描く必要があるだろう。そうしなければ、「椎名くん」や「新保くん」や「私」によってリレーされるようして歌われるラストシーンの意味合いも伝わらない。

 さりげないものでいい。この映画の特徴からして大袈裟に取り上げるのは野暮になる。2004年という時代に、ある歌(『茜色の夕日』という名を明らかにしなくてもいい)が『ここは退屈迎えに来て』の主要な人物の間で大切にされていた、ということを描写か説明すべきだった。何らかの伏線を張って、『茜色の夕日』が歌われるシーンにつないでいく。積極的に使うのであれば、渡辺大知(黒猫チェルシー)演じる「新保くん」が歌うシーンをほんの短い時間でも挿入することも考えられる。難しい演出になったかもしれないが、廣木監督のセンスなら可能だっただろう。

 さらにあからさまなことを言えば、『茜色の夕日』という曲は、残念ながら、映画の観客一般が共有している記憶とはなっていない。この曲を知らない客にとって、歌詞を聞き取ることによって、「あたし」の「気持ち」の「代弁」として受けとめることはできるかもしれないが、もっと観客に伝わりやすい工夫がされてもよかったのではないだろうか。

 ここで、映画のパンフレットに記されていた加藤慎一(フジファブリックのベース)のコメントの一部を紹介したい。


「茜色の夕日」は、とても印象に残るシーンで、素敵でした。時が経っても、フジファブリックの、志村正彦の楽曲がこうしてフィーチャーしてもらえるのは本当に嬉しいです。作品は制作時から何度も観ていますが、登場人物の色んな感情が発見できます。


 ファンなら誰でも加藤氏と同じ想いだろう。「フジファブリックの、志村正彦の楽曲」が映画に使われる。こんなに嬉しいことはない。この歌が生き続けるからだ。この点において前回書いたように、賛否両論のこの映画について僕はどちらかというと肯定的である。

 また、原作者の山内マリコは志村正彦と同年の1980年生まれである。小説『ここは退屈迎えに来て』を読むと、映画や音楽やサブカルチャーにかなり親しんできたことが伝わってくる。同世代の表現者として、志村正彦・フジファブリックの作品に対する共感があったのだと思われる。映画パンフレットで山内マリコはこう述べている。


好きなシーンは、「茜色の夕日」を歌うところと、ラストシーン。ああいう洒落た、気取った演出に弱いんです(笑)。


 原作者にとっても『茜色の夕日』の存在は大きかったのだろう。

 志村正彦は映画に深い関心を抱いていた。
 彼自身が関わった『蜃気楼』(李相日監督『スクラップ・ヘブン』エンディングテーマ)、『蒼い鳥』(塚本晋也監督『悪夢探偵』エンディングテーマ)は、映画の本編を活かす意味でも非常に優れた作品だった。
  志村が亡くなった後、大根仁監督はドラマそして映画『モテキ』のオープニングテーマに『夜明けのBEAT』を流した。大根監督の志村に対するリスペクトを感じさせた。大根監督の志村作品起用がこの後の流れを作ったと言えるかもしれない。

 今年2018年、志村正彦・フジファブリックの作品が二つの映画で使用された。『虹』が飯塚健監督『虹色デイズ』(7月6日公開)のオープニングテーマ、『茜色の夕日』が廣木隆一監督『ここは退屈迎えに来て』(10月19日公開)の作中人物による挿入歌として使われた。

 志村正彦の歌は、一つの言葉、一つのフレーズで瞬間的に映像を喚起させる。物語を想像させる。その抜群の喚起力が映画監督を魅了する。