ページ

2020年12月31日木曜日

『夜汽車』語りえないものの歌[志村正彦LN268]

 一昨日の深夜、テレビをつけながらPCで仕事をしていると、志村正彦の声が聞こえてきた。『若者のすべて』だった。

 テレビ画面を見ると、夜の空間にきらめく花火の映像。上空から見下ろすような視点の花火の光に魅入ってしまった。ドローンの撮影かもしれない。テレビのチャンネルを確認すると6チャンネル、地元局のUTYテレビ山梨の放送だ。あの「STAY HOME」の新しいヴァージョンかもしれない。すぐに「神明の花火 ~平和への祈り~」という表示が出てきた。9月、この局で『世界に届け「神明花火」平和への祈り』が放送され、『若者のすべて』をBGMにした花火の映像が流された。そうこうするうちにエンディングを迎えた。画面の左側に「やまなしドローン紀行」とあるので、この花火の映像はその一つかもしれない。そして、画面の右側に、「医療従事者の皆様に感謝」「50TH UバクUTY」の文字が現れた。間違いなく、志村正彦・フジファブリック『若者のすべて』を取り上げた「STAY HOME」の「神明の花火」ヴァージョンだった。すぐにネットで調べてみた。これを制作したUTYのTVプロデューサー岩崎亮氏のツイート(@iwasaki_tvp)に制作の経緯が述べられ、映像(権限の関係で音楽はないのが残念だが)もUPされておる。

【花火バージョン】  【通常バージョン】 

 二週間ほど前、この春に流された『若者のすべて』の「STAY HOME」CMが山梨広告賞の「電波広告の部テレビCM30秒以上部門」の最優秀賞を受賞したことは新聞で読んでいた。その記念に新しいヴァージョンを作成したようだ。富士吉田のクローン映像によるヴァージョンは、春と秋冬の映像が織り込まれている。最後の雪を薄く被って白く輝く富士山が美しい。志村ファンにとっては年末の思いがけないプレゼントである。


 毎年大晦日にこのブログを書いているのだが、振り返ると、これまで最も短い一年だった。コロナ禍の現実に対応するために仕事に追われる毎日だった。記憶も時間の感覚もおかしくなっている。このブログの更新も滞った。音楽をじっくりと聴く機会もほとんどなかったが、志村正彦・フジファブリックの楽曲の中でそれでも繰り返した曲が一つある。『夜汽車』である。youtubeに両国国技館のライブ映像がある。




  長いトンネルを抜ける 見知らぬ街を進む
  夜は更けていく 明かりは徐々に少なくなる

  話し疲れたあなたは 眠りの森へ行く

  夜汽車が峠を越える頃 そっと
  静かにあなたに本当の事を言おう

  窓辺にほおづえをついて寝息を立てる
  あなたの髪が風に揺れる 髪が風に揺れる

  夜汽車が峠を越える頃 そっと
  静かにあなたに本当の事を言おう


 月並みな言い方しかできないのがもどかしいが、この歌の「叙情性」は群を抜いてすばらしい。日本語ロックの中でこれほどの叙情に達した歌はないのではないか。志村の想いが心の深くに染み込んでくる。 

 『夜汽車』は「静かにあなたに本当の事を言おう」と歌い終わる。あなたに「本当の事」を語りはじめる、その前で歌は終わってしまう。「本当の事」を語ることはない。語ることができない。あるいは語りたくない。語ることから遠ざかることで、この歌が始まっている。そのことがこの歌の叙情性を支えている。

 何かを歌うことと何かを語ることとは、言葉の表現としてもちろん近い位置にある。しかし本当は、この二つの間には遠い遠い隔たりがある。語ることができないときに、失われているときに、むしろ、叙情の歌は成立する。人は語ることのできないものを、それでもどうしても伝えたくなったときに、歌い始めるのかもしれない。志村正彦の『夜汽車』がそのことを「そっと 静かに」教えてくれる。



2020年12月28日月曜日

レスリー・ウェスト

 12月23日、レスリー・ウェスト(Leslie West)の75歳の生涯が閉じられた。

 僕の「ロックの時代」の原点のバンド、マウンテンのギタリスト・ボーカリストだった。

 70年代前半、マウンテンは日本でも人気があった。1973年8月来日。以前も書いたことがあるが、当時14歳の僕は一人で甲府から東京まで出かけた。会場は日本武道館。初めてのロックコンサートだった。ネットにその日のライブ音源があった。記憶はほとんど薄れているのだが、かすかな印象が残っている。ものすごい重低音というものを初めて経験した日でもあった。フェリックス・パッパラルディ(Felix Pappalardi)の重厚なベース音とレスリー・ウェストのメロディアスな美しい音色のギターが響ひあうはずだったが、この日は彼の調子がよくなかった。完璧なギターやボーカルにはほど遠かった。この日本公演を契機に再結成するが、結局1974年末に完全に解散した。レスリーとフェリックスの求める方向性が異なったことが原因のようだ。

 レスリー・ウェストのギターといえばギブソン・レスポール・ジュニア。ギターの演奏は素晴らしいものだったが、それ以上に彼のボーカルに惹かれていた。独特の声に突き動かされるようにして、言葉が解き放たれていく。今でもハードロック系のボーカルでは(もちろんギターでも)レスリー・ウェストが最高だと思っている。もっとも、当時、マウンテンの音楽は「ハードロック」というよりも「ヘヴィロック」と呼ばれていた。字義通りの「heavy rock」が彼らのサウンドにはふさわしい。

 70年代前半という時代的な制約があり、youtubeを探しても良い映像がないのだが、その中ではドイツのテレビ番組「Beat-Club」の映像がレスリー・ウェストの当時の雰囲気をよく伝えている。ドラムスはコーキー・レイング(Corky Laing)、キーボードはスティーヴ・ナイト(Steve Knight)。マウンテンが最も輝いていた時代の演奏だろう。70年代前半のロックは、言葉のほんとうの意味での、激しくて重い、響きと揺れがあったのだ。


  Mountain - Don't Look Around (1971)


  

Don't look around
'Cause I'm never coming back
It's high time
You saw the last of me

You thought I was a whiner
I'd forgotten where to go
I had no place to lay my head to rest
I had to go

Don't look around
'Cause I'm never coming back
It's high time
You saw the last of me

Whoah
Had to change my mind
You're going to change my mind 

Now I'm working all day long
I'm singing for my food
Baby, you know that I've got everything I need

I've given all I can
The rest belongs to me
Fact was it didn't matter
Just who I had to be

Don't look around
'Cause I'm never coming back
It's high time
You saw the last of me

Whoah
Had to change my mind
You're going to change my mind

I'm gunnin' right on through the town
Don't need you anymore
Now I think I'll turn my back and walk away from you

We're livin' in the country
Doing everything we please
I don't want you comin' round swirling up a be

Don't look around
'Cause I'm never coming back
It's high time
You saw the last of me

Whoah
Had to change my mind
You're going to change my mind

Written by: FELIX PAPPALARDI, GAIL COLLINS, LESLIE A. WEINSTEIN, SANDRA L. PALMER

  
  フェリックス・パッパラルディは1983年に死去。享年43歳。それから37年の時が経ち、レスリー・ウェストが亡くなった。享年75歳。
 マウンテンの楽曲は旅や航海のモチーフが多かった。二人の人生はかなり異なるものとなったが、二人は音楽に愛でられて旅立っていったのだろう。
 僕の身体の底を貫いているロックの重奏音に、フェリックス・パッパラルディとレスリー・ウェストの音と声がある。これまでもこれからも鳴り続けるだろう。



2020年12月25日金曜日

『HAPPY XMAS (WAR IS OVER)』John & Yoko/志村正彦[志村正彦LN267]

 「Merry Christmas, Mr. 志村正彦」と、安部コウセイはこのところ毎年12月24日に呟いてきた(@kouseiabe)。今年は、「夜のるすばん電話【特別編】〜志村正彦について〜」という1人喋りラジオ番組で20分ほど、志村のことを語っていた。12月24日の一日限りの無料公開。とても興味深い内容だった。聞き逃した人も少なくないかもしれないので、後日、この話を取り上げてみたい。

 この番組の冒頭で安部コウセイは「Merry Christmas, Mr. 志村正彦」と呼びかけていた。今年は文字ではなく声だった。この言葉に誘われて、今日は、ジョン・レノン&オノ・ヨーコの『HAPPY XMAS (WAR IS OVER)』の映像をまず載せてみたい。


 HAPPY XMAS (WAR IS OVER). (Ultimate Mix, 2020) John & Yoko Plastic Ono Band + Harlem Community Choir



  

 HAPPY XMAS (WAR IS OVER)


Happy Xmas, Kyoko, Happy Xmas, Julian

So this is Xmas and what have you done

Another year over and a new one just begun

And so this is Xmas, I hope you have fun

The near and the dear one, the old and the young

A very Merry Xmas and a happy New Year

Let’s hope it’s a good one without any fear


And so this is Xmas (War is over)

For weak and for strong (If you want it)

For rich and the poor ones (War is over)

The world is so wrong (Now)

And so happy Xmas (War is over)

For black and for white (If you want it)

For yellow and red ones (War is over)

Let’s stop all the fight (Now)

A very Merry Xmas and a happy New Year

Let’s hope it’s a good one without any fear


And so this is Xmas (War is over)

And what have we done (If you want it)

Another year over (War is over)

A new one just begun (Now)

And so happy Xmas (War is over)

We hope you have fun (If you want it)

The near and the dear one (War is over)

The old and the young (Now)

A very Merry Xmas and a happy New Year

Let’s hope it’s a good one without any fear

War is over if you want it, war is over now


    written by John Lennon and Yoko Ono


 昨夜、NHKで『“イマジン” は生きている ジョンとヨーコからのメッセージ』という番組があった。2020年、ジョン・レノンの生誕80年、没後40年。このメモリアルイヤーにジョンとヨーコがこの世界に残したメッセージを見つめ直すものだった。

 歌詞の世界にも触れていた。「俳句は今まで僕が読んだ中で最も美しい詩だと思う。僕ももっと歌詞を俳句のようにシンプルにしたいね」というジョンの言葉。『LOVE』は俳句に影響されていたようだ。『IMAGINE』がジョンとヨーコの共作になった経緯も述べられていた。

 コロナ危機、エッセンシャルワーカーの存在、そしてBlack Lives Matterの運動。世界の人々が分断されていった2020年、『IMAGINE』『LOVE』や『HAPPY XMAS (WAR IS OVER)』がとりわけ心にしみてくる。

 志村正彦・フジファブリックは、2008年12月8日に日本武道館で開催された『Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ』に出演している。2001年から2009年まで9回開催されたこのライブは、オノ・ヨーコの「どんな些細なことでも夢を持つこと。それが世界を変えていく大きな力となるのです」という呼びかけによって、アジア・アフリカの教育に恵まれない子どもたちの学校建設を支援するチャリティ・コンサートである。2008年の出演者は、オノ・ヨーコ、奥田民生、斉藤和義、Char、トータス松本、フジファブリック、BONNIE PINKなどだだった。

 志村正彦は「志村日記」(『東京、音楽、ロックンロール』)でこう述べている。


  ジョン・レノンスーパーライブ 2008.12.08

 ジョン・レノンスーパーライブ@日本武道館

 フジファブリックはちょうど真ん中くらいの出番だったかな。出演されているアーティストさん達はソロ活動のシンガーさんが多く、ぱっぱっとバックメンバーさん達と曲を奏でては、ステージを降りていきましたが、機材転換時間が多くかかってしまうバンド、フジファブリックはやはり一曲しか出来ませんでした。ホントは二曲やる予定でして、ドラマーのシータカさんともリハーサルも済んでいたのに。ちょっと残念。でも名曲” Strawberry Fields Forever”をカバー出来て、幸せな日でした。オノ・ヨーコさんはステージ上で僕らはハグ(抱きしめて…)してくれました。

 出来なかった曲は、今後絶対ワンマンライブでやる。めっちゃ練習したからね。そして初の日本武道館。ステージから観る客席は良かったよ。360度お客さん。もっとやりたかったし、やれるであろう曲達も出来てきている…作らねばならないので、それを目指そう。ちょっとね、照準を定めたかもしれない。「しれない」という心構えじゃあ出来ない会場なので、定めた。やる。そう遠くないうちに…。


 この時の映像が、youtube にある。 2008年 Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ のいくつかの映像の一つである。

     


 この映像の最後のシーンで、志村正彦が登場している。ちょっと照れくさそうにしながら一生懸命に声を出している。彼が歌った『HAPPY XMAS (WAR IS OVER)』の歌詞は次の箇所である。


And so happy Xmas (War is over)

For black and for white (If you want it)

For yellow and red ones (War is over)


 残念ながらここでカットされてしまったが、この後おそらく次の部分が歌われたのだろう。


Let’s stop all the fight (Now)

A very Merry Xmas and a happy New Year

Let’s hope it’s a good one without any fear


 この歌の中でも「without any fear」というところに惹かれている。あらゆる意味での戦争のない世界、恐怖のない世界こそが、私たちが望む世界である。

 この映像にはオノ・ヨーコも登場する。志村正彦や他のメンバーもハグされたのだろう。そして、この時が志村にとって初の日本武道館のステージだった。「ステージから観る客席は良かったよ。360度お客さん。」「ちょっとね、照準を定めたかもしれない。「しれない」という心構えじゃあ出来ない会場なので、定めた。やる。そう遠くないうちに…。」と書いている。日本武道館でのライブが目標となったようだ。それは叶わなかったが、志村正彦がこの会場で『HAPPY XMAS (WAR IS OVER)』を歌った姿を心に刻んでおきたい。



2020年12月17日木曜日

ジョン・レノン/志村正彦 『Love』[志村正彦LN266]

 JOHN LENNON『Love』のミュージックビデオが「johnlennon」公式チャンネルにある。2003年リリースのDVD『レノン・レジェンド』収録作品の「Ultimate Mix」ヴァージョンである。公園と海辺のシーンは、1971年、ニューヨーク、マンハッタン島の「Battery Park」とスタテン島の「South Beach」で撮影された。この時、ジョンは31歳、ヨーコは38歳。ジョンとヨーコ、二人の「LOVE」の日常を伝えている。 

 


LOVE. (Ultimate Mix, 2020) - John Lennon/Plastic Ono Band (official music video HD)


   LOVE 

 Love is real, real is love

 Love is feeling, feeling love

 Love is wanting to be loved

 Love is touch, touch is love

 Love is reaching, reaching love

 Love is asking to be loved

 Love is you, you and me

 Love is knowing we can be

 Love is free, free is love

 Love is living, living love

 Love is needing to be loved


 written by John Lennon

 vocals and guitar: John Lennon

 piano: Phil Spector

 produced by John Lennon, Yoko Ono & Phil Spector

 from the album 'John Lennon/Plastic Ono Band'


 映像の最後の場面。海辺の波打ち際の光景。二人が各々書いた「JOHN LOVES」「YOKO LOVES」の文字に打ち寄せうる波。文字は消えていくかに見えるが、映像は溶明に転換される。だから、この文字がどうなるのかは分からない。この文字を「Imagine」することが求められているのかもしれない。


 ジョン・レノンが亡くなった1980年に志村正彦は生まれた。


 志村正彦・フジファブリックは、『Love』のカバーを2005年9月30日発売のジョン・レノンへのトリビュート・アルバム『HAPPY BIRTHDAY,JOHN』(東芝EMI)に収録している。また、2009年10月14日発売『LOVE LOVE LOVE』(EMIミュージック・ジャパン)では『I WANT YOU』をカバーしている。

 志村は生涯で二度、ジョン・レノンとザ・ビートルズのカバー曲をリリースしたことになる。どちらも志村ならではの「歌」の世界を作っている。何よりもジョンレノンへのリスペクトが感じられる。

 なかでも僕は、志村が『Love』で「Love is touch」と歌うところにもっとも惹かれる。この歌を何度聴いても、この「Love is touch」に慣れてしまうことがない。いつも何かが心の中で動く。心と体のやわらかいところに触れてくる歌い方だ。


「志村日記」(『東京、音楽、ロックンロール』)でこの音源の制作について述べている。


 JOHN LENNON  2005.09.09

 もう知ってる方も多いと思いますが、フジファブリックはJOHN LENNONトリビュートアルバムに参加しています。今月末の発売ですか。名曲をカバーしてます。いろんなミュージシャンと同じように、ビートルズを聴いて育った僕ですが、まさか自分がJOHNのトリビュートに参加できるなんて夢にも思ってなかったんで、夢心地です。しかもオノ・ヨーコ公認…。

 とはいいつつ、曲はドカンと思い切ったことやりました。JOHNの感じに似せてとか、JOHNの感じでとか、そんなことは恐れ多くてできませんでした。でもかなりいい感じです。

 今回のレコーディングはレコーディングスタッフ、メンバーともに、1980年生まれの人が多かったです。JOHN LENNONの亡くなった年の生まれの人達です。なんか不思議な感じです。あ、今回は久しぶりに片寄さんともやってます。

 とにかくスゴいものが出来ました。


 志村自身も「1980年」という年には特別な想いがあったのだろう。

この歌のライブは『Live at 渋谷公会堂』に収録されている。2006年12月25日、クリスマス一夜限りで渋谷公会堂で行われたライブだ。映像がyoutubeにあった。

 


 志村はアコースティックギターを奏でながら伸びやかに歌っている。しかも静謐で美しい。ここでの「Love is touch」の歌い方は、CD音源と異なり、強いアクセントが込められている。何かに触れようとするかのように。辿りつこうとするかのように。

 今振り返ると、志村正彦のすべての歌は、あまりあからさまに語られることのない「愛」の歌であったようにも思われる。

 


    


2020年12月8日火曜日

ジョン・レノンそしてオノ・ヨーコ

 今日はジョン・レノンそしてオノ・ヨーコのことを書いてみたい。想い出語りである。

 四十年前の今日、1980年12月8日、ジョンは銃弾に倒れた。深夜、時差があるのでその翌日だったかもしれないが、確か12時を過ぎた頃に友人から電話があった。「ジョン・レノンが死んだのを知っているか」京都生まれの彼が京都弁で捲し立てたことを覚えている。(その京都弁は再現できないが)。なぜ彼からの電話だったのか。よく思い出せない。僕がジョン・レノンの熱心なファンだったことを知っていたのだろうか。前後の記憶が欠落している。

 その3週間前くらいに、『ダブル・ファンタジー』がリリースされていた。僕の部屋のオーディオラックにそのアルバムが立てかけられていた。ジョン・レノンとオノ・ヨーコの久しぶりのアルバムだった。その夜からかなりの間、このアルバムを繰り返し聴いた。ジャケットの二人の写真も繰り返し見た。

 当時の僕は一人の聴き手として「ロックの時代」を生きていた。今振り返ると、ジョン・レノンが亡くなった1980年は時代の曲がり角だった。その後ゆるやかに、「ロックの時代」は終焉を迎えていく。

 それから遡る1970年代前半の時代、僕はロックミュージックに強く強く惹かれていた。当時の音源や情報源は、深夜放送と音楽雑誌。あの頃のラジオでほぼ毎日のように流れていたのがジョン・レノン。曲は『ラブ』や『マザー』。アルバムでいえば『ジョンの魂』。ロックの中心にジョン・レノンがいた。

 英語の歌を聴くという経験、もちろん聞き取ることも理解することも大してできなかった。だが、ジョンの声と言葉には意味を超えるものがあった。声が心に染み込む。そして身体に染み渡る。そんな経験は初めてだった。そして、やがて、言葉の一つ一つが何かを突き破るようにして聴き手に届けられていく。ロックは声だ、言葉だ、そういう確信も得た。

 オノ・ヨーコにも強い関心を持った。ジョンの妻であること。日本人であることが大きかったのだろう。1973年4月、ジョンとヨーコは、「ヌートピア」という架空の国家の誕生を宣言した。領土も国境もない想像の国家、『イマジン』の具現化だった。

 1974年8月、来日したオノ・ヨーコ&プラスティック・オノ・スーパー・バンドのライブを新宿厚生年金会館で見た。ヨーコの声とパフォーマンスに圧倒された。分からないままに分からないものを聴いていたのだが。公演終了後、通用口近くで投げキッスをして車に乗り込んで去って行くヨーコをたまたま目撃した。当時の僕には何もかもが鮮烈だったが、四十数年が経つと靄がかかってしまう。しかし、車に乗り込む瞬間のオノ・ヨーコだけは記憶に深く刻きこまれている。

 オノ・ヨーコのライブを見た1974年8月、僕は15歳、高校1年生だった。ジョン・レノンが亡くなった1980年12月、僕は21歳、大学4年生になっていた。十代後半からそれを少し超えるまでの7年ほどの年月、僕にとってのロックの季節は、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが輝いていた「ロックの時代」にそのまま重なっている。