ページ

2014年6月9日月曜日

「ロックの詩人 志村正彦展」web開設。 [お知らせ2]

告知
「ロックの詩人 志村正彦展」webのURLは、http://msforexh.blogspot.jp です。
 展示とフォーラムについての連絡、内容紹介、募集等はずべてこの公式webで行わせていただきます。


 ただし、《偶景web》の方でも、私自身の個人な視点からの考察、公式webでの記載事項からはこぼれ落ちてしまうような話題については書かせていただくこともあるかと思います。そのことについてはご了解ください。
 

 ところで、今日、6月9日は「ロックの日」らしい。
 あからさまな語呂合わせで微妙だが、それでもあったほうがいいかもしれない、ロックの日だ。ネットで検索すると、オリコン( http://www.oricon.co.jp/music/special/090609_01.html )が、「ロックな人ランキング」を発表していた。1位、忌野清志郎には誰も異論がないだろう。日本語ロックの歴史の中で最も「ロックな人」を感じさせる。彼の言葉、リズムとメロディー、そしてラディカルな意志、存在そのものが、ロックだ。

  それでは、「人」の前に「詩」をつけて「ロックの詩人」のランキングを考えるとどうなるだろうか。人によってかなり答えは異なるだろう。志村正彦の熱心な聴き手ならもちろん、彼だと断言するにちがいない。

 6月9日、この愛すべきロックの日に、「ロックの詩人 志村正彦展」の公式webを始めることにしたい。当初からこの週の月曜日にスタートしようと計画していたので、ロックの日と重なったのは偶然なのだが、この偶然を喜びたい。

 おかげさまで、前回の「お知らせ1」をツイートしていただいて、今日はページビューが大幅に増え、現時点で1000に達している。反響の大きさに驚くばかりで、責任の重さを痛感する。
 最初に書いていただいた、「kbys65」さん、リツイートしていただいた「志村正彦の言葉bot」さん(このbotは優れもので、時々読んでいます。未知の言葉にハッとして、色々と考えさせられます)、さらにそれをリツイートしていただい多くの皆様、ほんとうにありがとうございました。

 人員も予算も知恵も不足しているが、「rolling stone」転がる石のように、突き進むという「ロックな姿勢」だけは持ち続けたい。
 

  よろしくお願い申し上げます。

2014年6月7日土曜日

「ロックの詩人 志村正彦展」 7月12,13日、甲府で開催。[お知らせ1]

 もう6月を迎えた。梅雨に入り、長雨の日々が続く。今年もすでに半年近くが過ぎてしまった。時の歩みを幾分か嘆くが、先へ進もう。
 今年最初の記事(2014.1.5)「試みの試み (志村正彦LN 67)」で、次のように書いた。

  今年は、このブログ以外に、私が暮らしているこの山梨という場で、志村正彦・フジファブリックを、もっともっと知ってもらい、聴いてもらううために活動していくことを考えている。何ができるかは分からないので、ここに何も具体的に書けないのだが、その意志だけは記しておきたい。
 小さな試みになるだろうが、言葉の活動だけではなく、現実の活動を模索していくことも重要だと、それなりに年齢を重ねてきた私も考えるようになった。


 《偶景web》の表現以外に、現実の活動として、志村正彦・フジファブリックのために何かできないのか。この半年近くそのことを考えてきた。今回、その活動を発表させていただきたい。

 7月12日(土)、13日(日)の2日間、甲府駅北口にある山梨県立図書館を会場に、「ロックの詩人 志村正彦展」を開催することになった。
 これは、志村正彦氏のご両親にご相談した上で、志村家の全面的ご支援とご協力を得て、実現することになった。そのことをまず最初に記したい。この場を借りてあらためて感謝を申し上げます。

  現在、私が代表となり、「ロックの詩人 志村正彦展」実行委員会を組織し、関係者・支援者の協力を得て、準備を急いでいる。
 7月12日、13日にしたのは、彼の誕生日である7月10日近くの土日だからだ。また、メジャデビュー10周年という記念の年なので、開催するなら今年がよいと判断した。
 また、 「ロックの詩人」という題名は、あまりに「ベタな」ありきたりの言葉だが、分かりやすいという観点からあえてこの表現を選んだ。「ロック」と「詩」のきわめて優れた融合を、志村正彦は成しとげている。

 過去、志村正彦展は2010、2011、2012年の3年間、故郷富士吉田で、彼の同級生・友人が中心となって開催されてきた。(このブログを読んでいただいている方であれば、そのことはよくご存じなので、説明することは省かせていただく。同級生たちの愛と手作り的な味わいのあふれる素晴らしい展示だった)私も勤務先の高校生の志村正彦論を展示するという形で関わらせていただいた。また、関連プロジェクト「夕方5時のチャイム」の印象をこのブログで書かせていただいた。
  今後も中心となるのは、彼の同級生・友人が主体となる、故郷富士吉田を舞台とする活動であることは言うまでもない。富士吉田はこれまでもこれからも中心だ。

 それでも、甲府で開催しようと決めたのは、富士吉田のイベントとは異なる視点で、主「日本語ロックの詩人」としての志村正彦を取り上げることにも、何らかの意味があると考えたからだ。私自身がこの《偶景web》の「志村正彦ライナーノーツ」で追究しているのもこの主題である。

 このことには職業人としての私の経歴も関係する。私は、もうかなり前のことになるが、山梨県立文学館(http://www.bungakukan.pref.yamanashi.jp/)に勤め、芥川龍之介を主に担当し、文学展示・記録映画作成や資料調査等の仕事に携わった。
 文学館には非常に貴重な原稿・自筆資料等を集めた「芥川龍之介資料」がある。1991年秋の「生誕百年記念 芥川龍之介展」では、企画担当として、展示のテーマや構成を立案し、『図録』の資料解説等を執筆した。私にとって最も印象に残る仕事となった。文学者の展示については、一応、プロフェッショナルとしての経験を持っている。

 そのような私の経験が志村正彦についても活かせるのではないかと考えた。また、より切実な理由としては、残念ながら、ここ山梨で志村正彦・フジファブリックの知名度がまだまだ低いという現実がある。彼の作品を広めていくという目標のためには、ここ甲府(県庁所在地であり、私の住む街でもある)で行うことにも意味があるのではないかと思ったことが挙げられる。
  今回の企画は、甲府市とその近辺の人々を主に対象としているが、県内向けのものというわけではない。志村正彦・フジファブリックは、日本のそして世界の音楽として言葉として存在している。だから、県外の方(気になる言い方だが、便宜上使う)にも、できることであれば、甲府まで来て、参加していただければ非常に有り難い。(新宿から甲府までは、特急で1時間30分、バスで2時間ほどなので、近くはないがそう遠くもないという時間的距離にある)
 それに見合うだけの内容になるのかどうか、正直不安だが、精一杯努力したい。

  展示は「交流ルーム」2室で展開する。文学展示の手法を使ってコンパクトで密度の高いものを考えている。三部構成の展示は次の通りである。

 Ⅰ部 「志村正彦-山梨・東京-」 
 Ⅱ部 「ロックの詩人」 
 Ⅲ部 「フジファブリックの10年」


 関連するイベントとして、「志村正彦フォーラム」と題して、志村正彦の人と作品について語り合う会を開催する。会場は「多目的ホール」で、200人収容できるので、公式HP(後述)上で募集する予定である。展示とフォーラムの日時は次の通りである。

 展示    7月12日(土)12:00~18:00 ,13日(日)10:00~17:00
 フォーラム  7月13日(日)14:00~16:00


 この一年半近く、《偶景web》で書いてきたことは、表現者としての私の「私的」活動である。それに対して、「ロックの詩人 志村正彦展」は「公的」活動である。(もちろん、山梨県立文学館のような「公立」博物館という組織の活動ではないが、「ロックの詩人 志村正彦展」実行委員会は、「志村正彦・フジファブリック」を広め伝えていくという文化的な活動を行う非営利組織であり、語の本来の意味での「公的」という概念に近いものだと考える。「公立」ではないが「公的」であるというところに、この活動の意味がある)

 したがって、「ロックの詩人 志村正彦展」については公式HP(ブログ)を作り、そこで様々な告知や情報の伝達、フォーラム参加者の募集などを行うことにしたい。
 私の「私的」な表現の場は、《偶景web》であり、「ロックの詩人 志村正彦展」という活動の「公的」な伝達の場は、近日中に公開される公式HPであるというように、二つの立場を分けることにしたい。
 

  数日内に、公式HPの告知をする予定である。(これは《偶景web》で)
 その場で詳しい情報を伝えさせていただく。

2014年6月5日木曜日

「環状七号線」の渦巻 [ここはどこ?-物語を読む7]

 新高円寺に師匠が住んでいて、年に数回だが訪ねていく。 青梅街道を駅から師匠の家を過ぎて東に進むとすぐに環状七号線にぶつかる。杉並に住んでいた頃は稽古が終わると夕飯をごちそうになって、都バスで環状七号線を帰ったものだった。今から20年以上前の話で、高円寺に住んでいたという志村正彦と時期が重なるわけではないのだが、「環状七号線」を聴くたびに浮かぶのはあのあたりの風景である。

  そんなわけで「環状七号線」は私にとっても身近な存在なのだが、この曲を聴くと何故だか「環状」が「感情」に聞こえて仕方がない。生命線がどれかさえわからないほど手相にうとくても、頭の中で「七号」をとばして「感情線」と誤変換しているのかもしれない。いや、しかし、日本語には古来「掛詞」というものがある。「環状七号線」の背後にはやはり「感情」が渦巻いているような気がしてならない。では、それはどんな「感情」なのか。

 火の付かないライター 握りしめていた
   辺りの静けさに気付く
 耳にツンときて それも加わって
 そこから離れたんだ


 
 昨日観たドラマ 気の利いた名台詞
 言えるとしたらどうなるだろう
 でもそうとして それはそうとして
   後にはひけないんだ


 志村正彦は歌詞の中ですべてを明らかにはしない。しかし、聴き手は歌詞に書かれたことの外側に感情が渦巻く原因や状況があることを理解することはできる。例えば「それも加わって」ということば。「それも」ということは、「それ以外にも」、そこにいたたまれなくなって離れる理由があるのだ。また「でもそうとして それはそうとして」ということば。 もし「気の利いた名台詞」を言えたとしても、それによって場面の展開をいろいろ予測してみても、その結果がどうあろうとも、「後にはひけない」思いがあるのだ。具体的な物語は聴き手の想像にゆだねて、だが、確実に強い感情の渦巻きを感じさせることばの連なり。「環状七号線」はやはり「感情七号線」なのである。
 もう一つこの曲を聴くたびに感じることがある。


 
 
対向車抜き去って そう エンジン音喚いてるようだ

  最初聴いたとき、理屈っぽいおばさんは「いやいや、対向車は抜き去れないから」とひそかにつっこみを入れた。しかし、夜中でも交通量の多い環状七号線をバイク(原チャリ)で走っていたら、同じ方向に向かう車との関係よりも対向車とすれ違うときのスピード感、両者が急激に遠ざかる感覚の方が「抜き去って」ということばにしっくりくるのかもしれない。

 何か嵐のような感情に巻き込まれたとき、それを静めるために闇雲に走ったり叫んだりする、どこか破壊的でどこか破滅的な衝動がある。環状七号線を「何故だか飛ばしている」のはおそらくそのためだ。残念ながら若かりし日にもそんな経験はなかったし、今後はますますありそうもないが、この曲を聴くと環状七号線をバイクで飛ばすときに感じる風やしびれるような感覚を追体験しているような気がしてくる。

 このごろでは通ることもなくなった環状七号線だが、今度師匠の家を訪ねたときに少し足を延ばしてビルの上にかかる「おぼろ月夜」を眺めてみたい。