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2021年10月3日日曜日

成立過程と二つの系列-「若者のすべて」21[志村正彦LN291]

 十月に入り、一昨日あたりから金木犀の香りが漂ってきた。いつもの年より一週間ほど遅いが、「赤黄色の金木犀」の季節の到来だ。

 前回、「若者のすべて」について、〈「僕」は一人で「最後の最後の花火」を見ているのかもしれない。どちらかというとそのような解釈の方が「若者のすべて」全体の方向に合致しているではないとかと考え始めた。そのためにはこの前のフレーズ「ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな」から再検討しなければならない〉と記した。

 この「志村正彦ライナーノーツ」では、「若者のすべて」についてこれまで64回ほど書いてきたが、歌詞の構造やモチーフ、成立過程、基本的な解釈について考察する場合には、番号を付けて掲載してきた。その時期、回数、主な内容をまとめてみる。(2018年、題名に21~25回を付番した記事については、今回、その番号を外した。内容の整合性から判断した)

  • 2013年6月~10月、1~12回、歌詞の構造とモチーフの分析、二つの系列
  • 2014年9月、13~15回、「な」と「ない」の音の連鎖、声の響き。
  • 2015年9月~12月、16~20回、「諦め」の世代、三つの系列

 今回は歌詞の最後のフレーズについての解釈の再検討を行うので、番号を付けて論じていきたい。


 八年前の2013年6月に投稿した第1回〈ファブリックとしての『若者のすべて』-『若者のすべて』1 (志村正彦LN 34)では、この歌の成立過程と作品の構造について次のように考察している。


 『若者のすべて』の中には、歌詞の面でも楽曲の面でも、二つの異なる世界が複合している印象を受ける。そのような印象を持ち続けていたのだが、今回、「若者のすべて」についての発言をたどりなおしたところ、『FAB BOOK』にある興味深いことが書かれていた。
 取材者は、『若者のすべて』が「Aメロとサビはもともとは別の曲としてあったもので、曲作りの試行錯誤の中でその2つが自然と合体していったそうだ」という重要な事実を伝え、さらに「最終段階までサビから始まる形になっていた構成を志村の意向で変更したもの。その変更の理由を「この曲には”物語”が必要だと思った」と、志村は解説する」という経緯を説明した上で、志村正彦の次のコメントを載せている。


ちゃんと筋道を立てないと感動しないなって気づいたんですよね。いきなりサビにいってしまうことにセンチメンタルはないんです。僕はセンチメンタルになりたくて、この曲を作ったんですから。

 つまり、『若者のすべて』は、二つの異なる、「別の曲」、別の世界が(とはいっても、絶対的に異なる世界ではないのだろうが)「自然」に複合されて生まれた作品であるという、ある意味で、驚くべき、しかし感覚としては腑に落ちるような事実が明らかにされている。ものを創造するときに、ある二つの異なるものを複合させたり、複数のモチーフを合体させたりすることは、意外によくあることだろう。意識的な行為としても、無意識の次元での選択としても、あるいは単なる偶然の結果としても、むしろ普遍的なことである。
 志村正彦は、その上で、「筋道」を立て、「感動」に至る過程を練り上げ、「物語」を創造していった。
 『若者のすべて』の中には、歌詞の面でも楽曲の面でも、二つの異なる世界が複合している。「フジファブリック」という名の「ファブリック」、「織物」という言葉を喩えとして表現してみるならば、『若者のすべて』の物語には、《歩行》の枠組みという「縦糸」に、「最後の花火」を中心とする幾つかのモチーフが「横糸」として織り込まれている、と言えよう。


 この「縦糸」と「横糸」を〈僕の歩行〉と〈僕らの花火〉という二つの系列に分けて、青色と赤色に色分けした図を示したい。


 志村正彦は、「Talking Rock!」2008年2月号のインタビュー(文・吉川尚宏氏)で、『若者のすべて』について重要な証言をしている。すでに引用して論じたことのある証言だが、あらためてその全体を引用したい。

最初は曲の構成が、サビ始まりだったんです。サビから始まってA→B→サビみたいな感じで、それがなんか、不自然だなあと思って。例えば、どんな物語にしてもそう、男女がいきなり“好きだー!”と言って始まるわけではなく、何かきっかけがあるから、物語が始まるわけで、同じクラスになったから、あの子と目が合うようになり、話せるようになって、やがて付き合えるようになった……みたいなね。でも、実は他に好きな子がいて……とか(笑)、そういう物語があるはずなのに、いきなりサビでドラマチックに始まるのが、リアルじゃなくてピンと来なかったんですよ。だからボツにしていたんだけど、しばらくして曲を見直したときに、サビをきちんとサビの位置に置いてA→B→サビで組んでみると、実はこれが非常にいいと。しかも同時に“ないかな/ないよな”という言葉が出てきて。ある意味、諦めの気持ちから入るサビというのは、今の子供たちの世代、あるいは僕らの世代もそう、今の社会的にそうと言えるかもしれないんだけど、非常にマッチしているんじゃないかなと思って“○○だぜ! オレはオレだぜ!”みたいなことを言うと、今の時代は、微妙だと思うんですよ。だけど、“ないかな/ないよな”という言葉から膨らませると、この曲は化けるかもしれない! そう思って制作を再スタートさせて、精魂込めて作った曲なんだけど………なんていうか……こう……自分の中で、達成感もあるし、ターニングポイントであることには間違いないんです。すべてに気持ちを込めたし、だから、よし!と思ってリリースしたんだけど、結果として、意外と伝わってないというか……正直、その現状に、悔しいものがあるというか…


 〈サビ→A→B→サビ〉という当初の構成を〈A→B→サビ〉に変更したことは、先ほど引用した『FAB BOOK』の〈最終段階までサビから始まる形になっていた構成を志村の意向で変更したもの。その変更の理由を「この曲には”物語”が必要だと思った」と、志村は解説する〉という記述に符合する。

 さらにここで、志村が〈“ないかな/ないよな”という言葉から膨らませると、この曲は化けるかもしれない! そう思って制作を再スタートさせて、精魂込めて作った曲なんだけど〉と語っているところに注目したい。特に、〈再スタート〉という言葉である。おそらく、「若者のすべて」の制作には中断の期間があった。志村は、“ないかな/ないよな”という言葉を鍵にして、楽曲を再構成し、歌詞を再検討して、制作を再スタートさせたという推論が成り立つ。

 『FAB BOOK』と「Talking Rock!」2008年2月号の証言をまとめると、要点は次の三つになる。

  • Aメロとサビは別の曲であり、曲作りの試行錯誤の中でその2つが自然と合体した。
  • 〈サビ→A→B→サビ〉という展開を〈A→B→サビ〉という展開に再構成した。
  • “ないかな/ないよな”という言葉から膨らませる方向で制作を再スタートした。


 今回は、すでに論じてきたことを振り返りながら、「若者のすべて」の成立過程と二つの系列についてあらためて示した。この作品は楽曲と歌詞の再構成、制作の再スタートという過程を経たことによって、きわめて優れた音楽、詩的作品へと成長していった。次回からは、最後の場面の解釈を再検討していきたい。

      (この項続く)


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