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2026年7月8日水曜日

「小川洋子『バックストローク』を読む 2」 小林一之(教育出版「高校メルマガ」2010年6月号)

 Ⅳ 

 本論に入る前に、前編で言及することのできなかった生徒の読みを取り上げたい。高校生は、自らの置かれている位置に近い「弟」に焦点を絞り、自分をある程度まで「弟」に同一化するようにして、『バックストローク』を読んでいる。小説読解の根本には読者の作中人物への同一化がある。同一化に基づいて、作中人物が織りなす世界に入り込むことは、特に若い世代の読者にとっては必然性を伴う。本校三年生の感想文から、弟、そして弟・姉・父・母の四人からなる家族について様々な考えを述べたものを紹介する。

 

「頑張らなければ」「期待に添わなければ」という感情はとても辛いものだと思う。甘えたくても甘えられない環境が出来上がってしまっている場合が多い。弟の小さい体では収まりきれない想いがあったのだろう。

  複数の生徒が抱いた感想である。親の「期待に添わなければ」という状況は、高校三年生にとってはとても切実に感じられるものである。そして、「小さい体」に「収まりきれない想い」という捉え方は生徒の持つ身体感覚に基づく表現である。「収まりきれない想い」がそのまま凝固して硬直する左腕になったと、生徒は解釈しているのであろう。

 

 プールの中で泳ぐ弟と隅の方で縮まる弟どちらが自由かと比較してみる。自由とはそもそも何か。弟にとって、圧迫感のもとは「家族」であり、それに対して、自分を見つめられる場所は「隅」だけだった。自分の水泳の試合の時のみ、「家族」が成立する。これほどの圧迫感は他にないだろう。

 確かに、この小説では「弟」が泳ぐ時にのみ成立する「家族」の姿が描かれている。この圧迫感のもとになる「家族」を、この生徒は告発したいかのようである。弟と同年齢の生徒らしい素直な実感である。子供を中心として子供を絆として成立している家族は数多く存在するだろうが、その中心としての機能が何らかの理由で失われた場合、家族は崩壊していくのであろう。この小説の結末部もそれを告げている。

 

 空を指し続ける彼の左腕は、頑張らない勇気の表れではないか。彼はそれ以上頑張る必要がないのだと、彼自身も、姉も、父親も、どこかで解ったのではないだろうか。泳げること、それで充分ではないのか。新しい自由を手にするためには、頑張らない勇気の必要性が見えてくる。

 「弟」の左腕の異変を「頑張らない勇気」の表れとして解釈するのは、誤読とも取られかねないが、非常に独創的な読みである。作中の現実としては、弟は病院に入院し無為とも言えるような生活を送り続ける。「頑張らない」ことが弟の勇気であるならば、そのような帰結は彼の欲望の実現とも捉えることができる。この生徒の読みは、現在の社会で増加している「ひきこもり」の問題とも関連するような問いかけを持つ。


 父はあまり弟について感心がないように感じられるが、実は一番心配をしていたのではないだろうか。父はほんとうは弟を水泳から解放してあげたかったのだと思う。

 この生徒は、他の生徒がほとんど言及していない「父」に対して、注目すべき見解を示している。「父」はこの家族の中で唯一「弟」と同じ性に属している。「母」や「姉」が相対的に強いこの家庭の中では、「父」と「弟」は影の薄い存在として共通項を持っていたとも言える。この家族では、「父」が「父」として機能していなかったことは確かであり、そのことが「弟」、父にとっての息子の病理と深く関係しているとも推測できる。


 高校生にとって、『バックストローク』のような現代的な家族の軋みを背景とする教材の場合、作品への親近感が高まる。弟の人生は幼少から描かれ、左腕の異変は十五歳で起きる。作中人物の年齢設定と出来事の時点の設定が通常の作品よりも若くて早い。この設定によって家族の問題も浮上しやすくなり、高校現代文の教材としての魅力も増している。


 話者による重層的な語りによって、作品内の時間が多層的に構成されている小説がある。『バックストローク』もそのような構造を持つ。この場合、小説の最後の場面まで辿りつくことで、作中世界の時間軸が確定される。その時間軸の見取り図を得た上で、もう一度最初に戻り、小説を読み直していく。そのような行為によって、話者の仕掛けた語りの枠組みが見えてくる。この章では『バックストローク』の語りの枠組み、語られる世界とその時間をまず整理しておきたい。また、語られている四人の家族の物語を、作品名『バックストローク』と区別するために、《バックストローク》物語と呼ぶことにする。

  『バックストローク』では、A.話者の現在時の世界→B.一年半前の世界→C.二十数年間展開する世界→B.一年半前の世界、という進行で作中世界の時間と空間が展開する。


A.この小説を語る話者「わたし」の現在時の世界

  「プール」への偏愛、幾ばくかの強迫観念的偏執が語られる。

B.現在時から一年半前の出来事

  職業作家となった姉が東欧の強制収容所に訪問した際に繰り広げられる姉と案内人の男性との交流が語られる。

C.姉の回想として弟の物語の時間    

  《バックストローク》物語が作中挿話のような形式で二十年ほどの時間を元にして語られる。

B.再び、現在時から一年半前の世界

  東欧の強制収容所という場に戻り、《バックストローク》物語の後日談、その後の家族の物語が語られる。

 

 このような語りの枠組みによって浮かび上がる《バックストローク》物語、父・母・姉・弟の四人の家族の物語はどのようなものであったのか。


 小説の末尾で、話者・姉は休息後少し回復する。小説の語りの枠組からすると、この余白のような休息時間内で、弟の左腕の異変を巡る物語が語られる。そして休息後、その後の弟・姉・父・母の物語の帰結が語られる。

 父は肝硬変で亡くなった。母は弟の左腕異変の後に、「ヒステリー」となり、結局、背泳ぎに関わるすべての物、思い出の品をプールで焼く。弟を一流の選手に育てるという夢が壊れた時に、母の人生も半ば壊れてしまったようだ。

 弟はどうなったのか。話者の姉によれば、一月に一度ほど、弟から手紙が来る。弟は、病院の中庭にある「貝殻の形」をした狭いプールで、「背泳ぎ専門」で「得意になって泳いでいます」と書いている。これに対して姉は、「毎回、どの手紙にもプールのことが書いてある。彼が入院して、はや十年になる。」と述べている。「十年」という入院の年月は、弟の病気が身体的なものでなく精神的なものであることをそれとなく示している。精神的な病の方が治療は難しく、長期入院となることもあるからだ。後にⅥ章で詳しく触れるが、この『バックストローク』との関係がきわめて強い小川洋子の短編小説『盗作』では、この弟に相当する人物が「精神科病棟」に入院している設定となっていることも、『バックストローク』の弟が精神の病で入院したという解釈を支えるものとなる。また、弟の手紙にはいつもプールのことが書かれてあるというのは、逆に、泳ぐこと以外に対する無為を示しているとも想像できる。弟の状況は安らかで穏やかなものだが、他者や外界との生き生きとした交流が欠落しているという意味では、非常に閉じられたものである。

 姉は何者となったのか。姉は大学を卒業した後で「印鑑を作る会社」に就職し、会社が休みの日に「趣味で小説を書いた」と述べている。その時点から十年程経ち、姉は「雑誌に連載する長編小説の取材」のために東欧を訪問した。つまり、姉は連載小説を持つ職業作家になっていたのだ。弟の長期入院という時の流れと並行する形で、姉は小説家へと変貌していったのだ。弟の存在が姉に小説を書かせる欲望を与えたことは充分に推測できる。『バックストローク』を姉の物語として構築するのならば、小説家としての誕生の物語を見いだすことができるだろう。精神の病へと自らの生を閉じていった弟と小説の言葉の世界へ自らを開いていった姉という二人の存在の対比は、『バックストローク』の主要なモチーフだと考えられる。

 姉が小説家として誕生する物語を構築するためには、『バックストローク』の世界の余白とも言える場所で進行している欲望の物語を正確に再構成する必要がある。

 小説の冒頭部で、「わたし」はプールを「眺め」、そしてあらゆる点について「観察する」。プールがあるだけでそれは「特別な風景」になり、「わたし」はひとつの眼差しとして存在している。

 この観察者としての作家の位置について、小川洋子は『物語の役割』で「過去を見つめるという態度は、作家が観察者になることです。小説の中でも語り手は常に観察者です。」と述べている。観察者としての「わたし」の眼差しの対象がプールという日常的な空間とは区切られた場、裂け目のような空間であることは、きわめて小川洋子的な語り口の世界でもある。

 プールを語りの糸口、記憶の契機として、「わたし」は「一年半ほど前、雑誌に連載する長編小説の取材で、東欧の小さな町を訪れた時のこと」を回想する。それは「ナチス・ドイツ時代の強制収容所」のプールであった。「通訳兼ガイドの青年」が指さした「トンネル」の向こうに「処刑の行われた広場」、その入り口の脇にプールは存在した。処刑へと導くトンネルの向こう側とこちら側の世界。プールは処刑場への入り口で処刑される人々を迎え入れるかのように佇んでいる。そのプールは囚人たちが作り、収容所の看守とその家族が楽しんだものである。そのプールは「今まで目にしたなかで最も痛まし」いものであり、同時に「昔わたしの家にあったの」と最もよく似たものだった。プールは「巨大な石の棺」であり、「中は途方もなく深い空洞に満たされていた。」と語る。この「途方もなく深い空洞」は、小説『バックストローク』を内側から包み込みような空間の比喩でもある。

 このとき突然「わたし」は気分が悪くなり、その場にうずくまる。通訳の青年が介抱してくれるが、彼の手がふと「弟の手」のような気がする。そのような導入を経て、弟・姉・父・母の四人家族の物語が始まる。

 姉の語る《バックストローク》物語の中では、弟が小学校二年か三年のころ「自分の前世」について述べる場面で、弟にとっての「空洞」のイメージが現れる。弟は「洞窟に迷い込んで、人食いコウモリに体じゅうを食いちぎられて、それで死んじゃったの。」という記憶を述べる。他者によって「体じゅうを食いちぎられ」た上での「死」。精神分析家ジャック・ラカンの言う「寸断された身体」を想起させるイメージである。ラカンは、幼児が一歳半になるまでの時期には、自分の身体を一つのまとまりあるものとして意識することはできないと説いた。身体の各部分がバラバラの形で、言うならば「寸断された身体」のイメージの中で生きていることになる。この段階ではまだ「自分が自分である」という同一性を持つことはできない。ラカンによれば、鏡に映る自己の像によって、「寸断された身体」が一つのまとまりのある身体像に統合される「鏡像段階」に移行することではじめて、主体は「自分が自分である」という同一性を獲得することができる。鏡像という他者に自己を見いだすことが、主体の起源に存在するのだ。

 夢の中には、私たちの身体がバラバラになるような類型もあるが、これは人間の意識が無意識へと逆行する過程で、主体が自己の同一性を奪われ、「寸断された身体」のイメージが出現すると解釈できる。弟の「体じゅうを食いちぎられ」るイメージは自己の同一性が失われる段階への退行として解釈できる。また、「食いちぎられ」るというのは、「その時左腕が、なんの前ぶれもなくつけ根から抜けた」という、欠損した左腕のモチーフとも照合する。

 弟は続けて「で、今度はママのおなかに入らなくちゃならないから、洞窟の中を一生懸命走ったんだ。もうまにあわないかと思ってひやひやしたよ。でもようやく、ぎりぎりまにあった。」と述べる。ここにも「空洞」のモチーフがある。弟は「洞窟」の中を一生懸命走り、ママの「おなか」というもうひとつの「空洞」へと入り込む。寸断された身体は「空洞」で一つのまとまる身体として再生する。弟は子供の頃から「隅」を好むが、「隅」もまた物理的には遮られていないが、ひとつの「空洞」と考えてもよい。弟は、「空洞」から世界に登場しても「空洞」を愛しているかのようである。弟の「ママのおなか」に入ったという言葉に対して「わたし」は「本当にママのおなかでまちがいなかったんだろうか」「弟はまちがえてしまったんじゃないだろうか」と考える。弟は続けてもし今度死んだら、「土になんか埋めてほしくないんだ。」と言う。「わたし」の「どうして?」という問いかけに弟はこう答える。

 

「だって、ナメクジがいるから。僕、ナメクジが嫌いなんだ。骨にして、お姉ちゃんのおなかに入れておいてよ。それがいい。」

 弟は自分がどこから来たか、これからどこへ行くか、ちゃんと知っていた。

 

 「骨にして、お姉ちゃんのおなかに入れておいてよ。」という言葉は、弟の未来の生に対する欲望を表している。弟は「お姉ちゃんのおなか」で生き続けようとする。ただし、「骨にして」という言葉があるので、存在の実質は奪われた形で、比喩として言うならば、精神の「骨」として、姉の胎内で再生する欲望と解釈できる。弟は母の胎内の「空洞」から出てきて、姉の胎内というもうひとつの「空洞」へと辿りつきたいかのようである。

 この弟の言葉を受けて姉は、弟が「自分がどこから来たか、これからどこへ行くか」を知っていたと述べる。この言葉は、弟の「自分の前世」を巡る対話の場面の最後に置かれているが、作中世界の中での「わたし」の言葉ではなく、話者「わたし」の語りの現在時点での言葉として考えるべきである。要するに、小説家としての「わたし」の発話として存在している。

 弟は、左腕の異変とその欠損の後、精神病者として静かな閉じられた生を送る。病院の小さなプールは、かって彼の愛した「隅」の空間に似ている。それは水の満ちている小さな「空洞」でもある。彼は「隅」に回帰したのだとも考えられるが、その「隅」は「無」そのものと考えてよい。弟の人生は閉じられた「隅」での永遠の反復のようなものである。弟は姉に一月に一度ほど手紙を送り続ける。その手紙の文面は病院のプールでの背泳ぎの話題の繰り返し、永遠の反復であろう。しかし、そのような反復は弟の欲望の現れとも捉えられる。弟の手紙の宛先は常に姉である。弟は自らの物語を姉に送り、姉に書かせようとしたのではないだろうか。弟は無意識の次元で、姉の空洞の中でひとつの言葉として生み出されることを望んだのではないだろうか。姉も弟の欲望を自分のものとし、物語を語る欲望に転化していく。

しかし、その欲望は次第に、姉と弟という家族としての関係性を越えて、主体としての話者「わたし」と客体としての「弟」という語りの枠組みを強固なものにしていく。姉は弟を「隅」に閉じこめ、自身の「空洞」に囲い込み、端的に言うならば、自らの小説の対象、素材にしたとも考えられる。『バックストローク』から、どこか悔恨のような、贖罪を願うような、姉の無声の響きが聞こえてくるのは、このことに起因するように私には感じられる。

 姉は小説の最終場面で、ホテルへ戻りゆっくりと休むことをすすめる青年の申し出を断り、強制収容所内の処刑場へ行くという強固な意志を告げる。姉が立ち上がり、「青年」が肩を抱いてくれたところで、小説『バックストローク』の円環が閉じられる。ジャック・ラカンが精神病者を「無意識の殉教者」と定義したことに倣えば、弟も「無意識の殉教者」の一人として記憶されることになるだろう。


 最後に、『バックストローク』に関連する物語に触れたい。『バックストローク』は、前章で述べたように、姉の小説家誕生の物語としても読むことできる。姉にとって、《バックストローク》物語がかけがえのない存在であったと同様に、小川洋子にとっても、作家としての欲望の対象となる特別な物語であったようだ。

 小川洋子の『盗作』(『偶然の祝福』所収)は、「初めて文芸誌に採用された小説、初めて原稿料をもらった小説、あてどないこの世界で、自分だけのためのささやかな居場所を、生まれて初めて与えてくれた私の小説は、盗作だった。」と語りだされる。職業作家である「私」のデビュー作が「盗作」だったというのは、重大な秘密の告白のようであるが、冒頭文に続く節を読むと、事態は奇妙な複雑さを醸し出している。

 

 その事実に気づいた時、私は不思議なくらい動揺しなかった。プライドを傷つけられもしなかったし、罪の意識にさいなまれることもなかった。ましてや本物の作者が名乗り出てきて、厄介な騒動を巻き起こしはしないかと、びくびく怯えたりもしなかった。

 

 デビュー作が「盗作」であると述べられたにもかかわらず、「その事実に気づいた時」とあるのはどういうことなのか、と読者は考えてしまう。盗作はふつう作者が意図的に先行作品を盗用することで成立するからだ。しかし、「その事実に気づいた時」という表現が告げているのは、その作品を書き発表した後で、盗作であることに気づいたという、時間軸がねじれているような事態である。そうであれば、話者は無自覚的に盗作を書いたことになるが、そのようなことが起こりうるのだろうか。「盗む」という行為は自覚的な行為としか考えられない。それとも、事後的に盗作であるという発見をするような状況がありうるのだろうか。続く部分にこうある。

 

 むしろ逆に、私を救い出すためにあの小説がどうしても必要だったのだ、どんな慈悲深い人間も高価な宝石もそれに取って代わることはできなかったのだと、確信した。盗作が道義的に(もしかしたら法律的にも)許されない行為だとしたって、自分の確信の力強さが、そんな罪は一蹴してくれる気がした。もしあそこで、降り掛かってきた偶然の神秘に身を任せていなかったら……そう考える方がずっと怖かった。

 

 この箇所には「私を救い出すためにあの小説がどうしても必要だった」とあるが、「あの小説」とは、盗作だとされたデビューとも、盗作の元となった小説とも、その両方とも捉えることができる。話者はその作品を書かねばならなかった「自分の確信」と、盗作した作品との出会いを指すものと思われる「偶然の神秘」に身を任せたと語っている。そうであれば、多少なりとも、話者には盗作だという自覚があったのだと考えるのが自然であろう。そうだとするならば、前述の「その事実に気づいた時」という事後性の事態と矛盾することになる。それとも、ある程度自覚されていたと自覚されないままであったという二つの事態が共存するのだろうか。その解答のようなものは後ほど明らかになるのだが、盗作という出来事そのものが小川洋子的な小説の仕掛けの複雑さを読者に伝えている。

 冒頭部に続いて、「当時私はかなりひどい状況にあった」と物語が語りだされる。「ひどい状況」とは、「弟」が不良少年に殴り殺され、恋人が横領罪で逮捕され、そのせいで「私」も失業することになるという「底無し沼」に陥る状況であった。

 もともと「私」と弟とのつながりは、「私」の書く小説を媒介とするものだった。優れた読者であり物語作者でもあった弟の死後、「私」はすっかり書けなくなり、衰弱し、部屋に閉じこもるようになった。珍しく外出した際に交通事故にあい、全治三ヶ月の重傷で入院する。

 退院後リハビリに通う車中で、盗作する物語をもたらした「彼女」に出会うことになる。しばらくして「私」は、入院中の弟の見舞いに来ている「彼女」に、「弟さんのことを、聞かせてくれませんか」とお願いをする。「彼女」は「ええ、そろそろ始めようかと、思っていたところです」と言って、弟の物語を語り始める。この「そろそろ始めようかと」という言葉には、期待されていた物語をついに語り始めるような陰影がある。

 「彼女」の語る弟の物語は、小説『バックストローク』とほぼ同一のものであるが、弟の左腕が欠損する契機となるプールでの背泳ぎの印象深い場面がないことが物語の構成上の違いとして指摘できる。内容の違いとしては、弟が特別な泣き方をして死を予知できる奇妙な能力を持っている点と、左腕が上がったままになる際に弟が死を予知する特別な泣き方をしていた点があげられる。弟が自分自身の左腕の「死」を予知していたという設定は、作品の解釈上、重要な差異となっている。また、話者が「彼女は精神科病棟へ」と述べていることから、「彼女」の弟は精神科に入院していることが明らかになる。『バックストローク』では弟が入院している病棟は明示されていないので、この点も違いとなっている。『盗作』との類似性を考えると、『バックストローク』の弟も精神科に入院していると推測できるので、純然たる差異と捉えない方がよいかもしれないが。

 「彼女」の物語を聞いた夜、「私」は小説を書きだす。「彼女が語った物語を、そのまま書き付け」ていき、「彼女の声を胸に響かせる」だけで言葉は紡ぎ出されていった。「私」は「彼女」の物語の口述伝承者のような存在かもしれない。そうであれば、「私」に盗作という意識はなかったことも考えられる。口述の物語が「私」を捉え、文字言語としての小説を「私」に書かせていったという事態が推定される。そのようにして完成した小説が『バックストローク』と名付けられ、デビュー作となった。ただし、小説『盗作』はここで終わらない。後日談が語られるのだ。

 『バックストローク』執筆後七年振りに「私」は最終的なリハビリのために病院を訪れ、談話室のサイドテーブルに置かれた『BACKSTROKE』という英語版のペーパーバックを見つける。

 

 古い本らしく、表紙は擦り切れ変色していた。作者は一九〇一年生まれの聞き覚えのない女性だったが、それ以外のプロフィールは分からなかった。とても発音できそうにない、複雑なつづりの名前だった。私はソファーに腰掛け、一ページめから読みはじめた。背泳ぎの選手だった弟が、左腕から徐々に死に近づいてゆく話だった。私が書いたのと、彼女が語ったのと同じ物語が、そこにあった。

 どんなにボロボロの本の中でも、物語のいとしさは少しも損なわれていなかった。

 

 英文の小説『BACKSTROKE』が、「彼女が語ったのと同じ物語」であるということは、「彼女」の語った物語は彼女自身の経験ではなく、この『BACKSTROKE』に書かれてあった物語であったと考えられる。しかし、「彼女」の弟が、この『BACKSTROKE』の物語そのものではなくても、類似の経験をしていたことは考えられる。経験の類似性が物語への愛着を高めることはよくある。どちらにしろ、「彼女」もこの『BACKSTROKE』を愛おしく読んだのであろう。また、「彼女」以外にもこの談話室で『BACKSTROKE』を読み、その物語を愛した者がいた可能性もある。『BACKSTROKE』は少なくとも二人の女性に感銘を与え、一人はその物語を記憶し語り、一人はその物語を書きとめ小説にした。『BACKSTROKE』は英文の物語であるから、日本語への翻訳という言葉から言葉へのもう一つの過程もある。

 小説『バックストローク』では、話者「わたし」の回想という形で《バックストローク》物語が挿話として語られている。そして、小説『盗作』では、話者「私」が書いた《バックストローク》物語、「彼女」が述べた《バックストローク》物語、ペーパーバック『BACKSTROKE』に記されている《バックストローク》物語がある。

 小川洋子は、「非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする。もうそこで一つの物語を作っているわけです。」と『物語の役割』で述べている。《バックストローク》物語に関わるすべての話者もまた「困難な現実」に向き合う中で、物語を作り出し語っていったのだろう。

 《バックストローク》物語を語ることによって、小説『盗作』と『バックストローク』の二人の話者は各々職業作家として誕生する。二人の話者の背後にある作者小川洋子にとっても、小説家として深い関わりのある物語だと思われる。《バックストローク》は作家小川洋子の起源、小説を語る欲望の起源に関わる何かと関係する物語であろう。「姉」と「弟」の物語を、小川洋子は繰り返し書いてきた。《バックストローク》物語はこれからもヴァリエーションが創られ、反復されていくのであろうか。

 小川洋子という小説家の欲望の物語、反復の物語としての《バックストローク》という地平に辿りついたところで、この稿を閉じることにする。



*この論考「小川洋子『バックストローク』を読む 2」 は、教育出版の「高校メルマガ」2010年6月号で配信されました。同社のHPで掲載されていましたが、HPのリニューアルによって現在は公開されていませんので、このブログに新たに掲載することにしました。

2026年7月7日火曜日

「小川洋子『バックストローク』を読む 1」 小林一之(教育出版「高校メルマガ」2009年6月号)

 小説を「読む」とはどのような行為なのか。そして、「小説」を学ぶ、教えるという行為はどの方向に向かうべきなのか。

 この問いを抱えながら、授業の準備を行い、教室に向かう。小説教材の最初の授業のとき、小説を読む充分な時間を生徒に与えるように心がけている。小説を読むのには固有の時間があり、読書の主体としての生徒には一人ひとり別の時間が流れている。教科書に印刷されている小説作品は文字の記号としてそこにあるが、読書主体としての生徒の読む行為を通じて、その存在を獲得し始める。

 教室ではまず始めに、時間は充分にあるので各自のペースで読んでいくことを指示する。

 その際「教材」ではなく、「作品」という意識で読むことを重視している。生徒がページをめくり始める。直ぐに小説世界に入っていく者。煩わしそうに読む者。各々の読む時間が進行する。時に愉悦を感じ、時に困惑を感じる時間。静かな時間が流れ、時々、ページをめくる音が聞こえてくる。

 もう一つの指示は、読んで考えたことを自由に書くこと、所謂「初読の感想文」を書くことだ。勤務校では一〇〇分授業(五〇分二コマ連続)を行っているので、前半の五〇分間を読む時間に、後半の五〇分間を書く時間に、だいたい設定している。

 生徒の観点からすると、教室という場でいきなり新しい教材、文学作品に出会うことになる。通常の読書とは異なり、選択することなく、それは与えられる。受け身の行為なのだが、そのような作品との出会いが幸福な遭遇をもたらすことも多い。教室では、生徒は「贈り物」としての作品に出会う。日々、至るところの教室で、文学作品という贈り物が贈与されている。生徒の書いた文を読むと、小川洋子の『バックストローク』は今まで遭遇したことのないような、贈り物のような作品であることが伝わる。

 ある女子生徒の文章を紹介したい。

  この小説を読んで、わたしはとても不思議な感覚を覚えた。読んでいるときは、どこかへ沈んでいくように思えたし、読み終わってからは、自分が水の底にいるようだった。胸が締め付けられる息苦しさを感じたのに、同じくらい、穏やかさも感じられた。水中で息ができないのと同様に、わたしにはこの小説を読んで感じたことを言葉にすることができない。

 どこかへ沈み、水の底にいるような「不思議な感覚」。そこでは「息苦しさ」と「穏やかさ」の相反するものが感じられる。この女子生徒は、『バックストローク』の読みの経験そのものを伝えようとしている。意味や主題ではなく、感覚の軌跡のようなものに向き合おうとしている。ある作品に対して「言葉にすることができない」想いを抱いたのなら、無理に言葉にする必要はない。無理に解釈したり、了解したりすることは、作品の読みを損ない、極端な場合は作品に対する暴力にもなる。

 一つの小説を読み進めていくうちに、私たちは小説の言葉の群れから放たれた波動のようなものを受け取る。意味に分節されたり、主題に結晶化されたりすることなく、波のような運動が私たちに作用する。話者の声や作中人物の声は波動となり、場面や場面の転換もリズムとしての波の動きに通じる。読む者は自身に生起している波動の微かな響きに耳を傾けている。波動が私たちに作用し、言葉にならないなにものかを伝える。

 『バックストローク』は作用する小説としての力を持つ。作品は読者の記憶の中のある層の呼吸し続ける。時に水面下に潜り、時に浮上し、読者に作用する。そして、時間の流れの中で、時の経過と共に、作用は変化する。初読、再読、数年後経た後の読書、その時々で読書そのものが変化する。作中人物のあの言葉、あの場面、あの風景の語りかける意味が、時間の中で変化して、読者に作用する。作品から贈り物のようにして与えられる波動は、幸福な場合、一生の間持続するのだろう。

 もう一人、男子生徒の言葉を引用したい。

  私は小説を読むのは好きではないし、読んだとしても途中で読むのを止めてしまうが、でもこの小説だけは違った。小説の世界へと入ったような気分になった。小説の中は、色々なことが自分の目の前で起こっているのか、または、動画を見ているようであった。小説の力は無限のように感じた。

  この生徒にとって、「小説の世界」へと入るという経験は稀なものであったらしい。「動画」を見ているようであるという言葉は、携帯電話やPCなどを通じて画面上の動画を見る機会の多いこの時代の若者らしい感想だ。読む行為の中で「動画」を再現するのは、ネット上の動画を受動的に見る経験とは大きく異なる。また、「映画」でなく「動画」という言葉を使ったのも興味深い。「動画」にはより短いもの、それらの映像の集積のような感じがある。確かに『バックストローク』には様々な場面の集積のような作品であり、多層的な時間が入れ子型に組合わされている。一つひとつが短い動画のような趣もある。

 小川洋子は前掲の『物語の役割』で、「私の場合は、映像が頭の中に浮かぶ時には、すでにそれが小説になるというサインなのです。」と述べている。続けて「言葉になる以前の段階のものが、まず浮かんでこなくてはならないのです。言葉は常に後から遅れてやってくるという感触です。」と語っている。

 引用した二人の生徒の言葉は、短いものであり、充分に考えが練られているものではないかもしれないが、小川洋子の小説の本質に触れる鋭さがある。出来合の言葉で解釈するよりも、テクストそのものに向かい合う純粋な読書がこのような言葉をもたらしたのだ。


 Ⅱ

 小川洋子は講演録『物語の役割』の中で、『バックストローク』と同じように短編集『めまい』に収録されている『リンデンバウム通りの双子』を素材に、「小説の第一歩を踏み出す」ためには「重層的な映像が必要不可欠なのです」と述べている。また「テーマなどというものは最初から存在していない」「主題が何か、について私は一切考えていないのです」と断言している。『リンデンバウム通りの双子』を例に取り、「家族の悲しみ」「人間の孤独」「家族の絆」というような「非常にわかりやすい一行で書けてしまう主題を最初に意識してしまったら、それは小説にならないのです」として、「言葉で一行で表現できてしまうならば、別に小説にする必要はない」「言葉にできないものを書いているのが小説ではないか」と語っている。そして、「テーマは後から読んだ人が勝手にそれぞれ感じたり、文芸評論家の方が論じてくださるもの」だと、若干の皮肉を込めて書いている。

 小説を書く作者の観点からすると、小川洋子の言葉は肯定されるだろう。作者が紡ぎ出すのは言葉そのものであり、意味や主題は事後的に生まれるというのは、虚構作品を書く者が経験する真実の一つだからだ。しかし、作者も事後的に読者となる。作者自身、小説を書き終えた時点から、というよりも本質的には、一つひとつの言葉を書いた瞬間から、読者として自分の言葉に向き合う。作者が主題を考えずに小説を書いたとしても、小説の完成後、一人の読者として自身の小説の主題に向き合うことになる。話者として言葉を語り終わった瞬間から、読者としてその言葉を読むというのが、言語をめぐる普遍的な真理だと思われる。

 読者に作用する言葉の群れ、その波動を、生のある一点で受け止め、その意味を考え、作品の主題を考えることもまた、私たち読者が自然に行う行為だ。連続して続く波動の形を形として定めること。とりあえずの形であっても、そのことが解釈の立脚点になり、授業の成立の根底を築く。

 『バックストローク』を読み進めていく中で、私たちが立ち止まってしまう箇所は、やはり、弟の左腕が突然挙がったままになってしまった出来事であろう。読者はこの出来事を受け止め、その意味や原因を考えてしまう。読者がこの出来事について問いかける欲望を持つのは自然であろう。小説作品は波動のように読者にある作用をもたらす。その作用の中の何かが私たちにある種の問いをもたらす。問いは読者の欲望を生起させる。特に、了解不可能な不可思議な出来事ほど、読者の欲望を刺激する。この左腕の出来事については、何人かの生徒が感想を寄せた。生徒の書いた文の一部を四つほど引用したい。

 

 主人公の弟は母親の過剰な圧力や期待により、言いしれぬ不安や苦しみを胸に抱えていたのだろうと感じた。腕に異変が起きたのもそれが原因なのだろうと感じた。「水泳をやっていない自分」を見てほしくて、彼は無理に腕を壊してしまおうと考えたのだと思う。

  この生徒は「無理に腕を壊してしまおう」とする意志によるものだと解釈する。「母親の過剰な圧力や期待」に対する「言いしれぬ不安や苦しみ」が原因となって、ある行動を起こす。このような解釈は、この「左腕の出来事」に対する標準的なものだとも言える。

 

 弟はなぜ急に左腕をおろすことができなくなったのだろうか。それはやはり弟の強い気持ちが作り出した結果の現象だったのであろう。

  この生徒も弟の「強い気持ち」を読みとろうとしている。ただし、「意志」によるというよりも、「強い気持ち」の作り出す「結果の現象」という読みは、微妙な意味を含んでいる。「現象」として起こったということには意志から少し離れた考えもあるからだ。

 

 「なぜかいろいろな物が壊れた一日だった。」この表現から、何か大きな変化が訪れるのだという予感を感じた。そして、ついに彼は壊れてしまったのだ。

  この読みは、弟が「壊れた」という枠組みでの解釈である。この場面では色々なものが壊れる。その結果、機械が壊れるように、弟の左腕が壊れる。「壊れた」という表現は、弟の意志による行為ではなく、突然の出来事としての異変の意味合いが強い。

 

 ストレスのはけ口がなくなったことにより、体が限界を通り越して拒否反応を起こし、その結果左腕が動かなくなってしまったのだ。

   「ストレス」による心身の「拒否反応」としての腕の異変。この解釈はより心理学的な解釈だと言えよう。現在の高校生の中には心理学的な知識を持つ者も多い。この生徒も「ストレス」という流布された言葉ではあるが、臨床心理学的な知識で出来事を読みとろうとしている。


 生徒の感想は大きく、この出来事が弟の意志による故意の行為だと捉えるものと、意志によらない病変だと捉えるもの二つに分けられる。また、『バックストローク』に言及した評言の幾つかを読んでみても、意志によるものと病理によるものの二つに分かれている。

 異変から五年経ったあるとき、弟は姉に「変に思う?」と聞き、「みんなを、がっかりさせてしまった。」とも述べる。この箇所によって、弟は左腕の出来事について自覚的であったという読みがなされることがある。しかし、意志によらない病理としての異変であっても、結果的に「がっかりさせてしまった」と思うことはあり、その異変について「変に思う」と問いかけることもあるので、このことだけで、弟の意志による行為だと解釈することは無理である。左腕の出来事については、厳密で精密な読解が必要とされるだろう。

 この場面は、「事の始まりは、弟の十五歳の誕生日だった。」と語り出される。その日は「なぜかいろいろな物が壊れた一日」で、弟の左腕に異変が起きる。その出来事を語る一節を引用する。

 

 次の朝目覚めた時から、弟は左腕を挙げたきり、下へ降ろさなくなってしまったのだ。

 最初弟が階段を降りてきた時は、肩の調子が悪いのか、フォームのイメージトレーニングでもしているのだろうと、さほど気にしなかった。しかし洗面所から出てきても、食卓についても、彼はそのままの姿勢を崩さなかった。

「どうかしたの。」

 いちばんに母が口を開いた。

「どうして手なんか挙げてるの?」

 わたしも尋ねた。尋ねないではいられなかった。彼は何も答えなかった。

 

   小川洋子の小説では、「言葉になる以前の段階」の「映像」が先行する。この「映像」は、物語になる以前、主題化される以前のある種の出来事であろう。映像としての出来事が起こり、その後に言葉が出来事を捕まえようとする。言葉は出来事に対して遅延して到達する。話者は出来事の解釈者の位置に立つ。小川洋子は、そのようにして浮上した出来事に対して、どのような話者を創りあげるのかに腐心していると語っている。

 話者や作中人物の感覚・思考より、出来事が先行しているのは、『バックストローク』の場合も当てはまるのではないか。まず始めに左腕の異変という映像が誕生し、その後で『バックストローク』の構想が具現化したというのが私の推測である。その場合、この出来事・映像について、話者や作中人物はどのように捉えるのかが問題となる。

 引用部分では、話者であり作中人物の姉である「わたし」の視点から、弟は「降ろさなくなってしまった」「そのままの姿勢を崩さなかった」と語られていることに注意したい。左腕の「出来事」に遭遇した現在時を考えてみると、この時点では出来事の了解は当然不可能だ。しかし、「わたし」の述べる「降ろさなくなってしまった」「崩さなかった」という言葉には、この出来事には弟の意志が介在していることが判断されている。

 例えば、「弟は左腕を挙げたきり、下へ降ろせなくなってしまった」であれば、病気の可能性が残る。 あるいは「弟の左腕は挙がったままだった。」では、より解釈を差し挟むことのない、判断保留の描写になる。

 さらに、母の「どうかしたの」、姉の「どうして手なんか挙げているの」という問いのの繰り返しは、弟を無言へと追いやる。母も姉も理由を問い続けたのだが、そのこと自体が、弟を「もっと隅へ、もっと隅へとひきこもる」ようにさせた可能性すらある。

 姉は「だれも見ていない時は降ろしているのだろう」と考え、弟の部屋をこっそり盗み見ることまでした。姉は弟の理解者の位置に立つのではなく、むしろ母の位置に、母の眼差しに近づいている。

 私たち読者が、母や姉の眼差しからの解釈から離れて、一人の観察者として弟の出来事に向き合えば、どのような解釈が可能なのだろうか。生徒の感想の中に、一つ注目すべき意見がある。

 

 なぜ腕が上がらなくなったのかは、よくわからないけど、それが弟の願いならいいと思う。自分の意志でそうなってしまったのではなくても、その後、弟は生き続けていけたのだから、それは少しでも弟が望んだことであったのだと思う。

  この生徒は左腕の異変について「自分の意志」でなくでも「願い」「望んだこと」であったと読む。この生徒の感想はあくまで感覚的なもので、論として確立されたものではない。しかし、微妙ではあるが、この生徒の読みは、意志によるものと病理によるものという二項対立の解釈とは異なる解釈の可能性を示す。この生徒は意志と病理の間に、より潜在的な弟の願望を読みとっている。


 私は、『バックストローク』の虚構世界を現実世界に転移させて考えてみたい。その場合の有効な解釈装置が、ジークムント・フロイトが創始した精神分析の理論である。唐突に精神分析を持ち出すことに違和を覚える方もいるだろうが、小川洋子の作品世界と精神分析理論との親和性は高いと思われる。

 小説の具体的のチーフとしても、短編集『めまい』所収の『飛行機で眠るのは難しい』では、作中人物の老女の布地屋がウィーンのフロイト博物館の裏にあり、話者「僕」がそこを訪ねるという設定があり、先に触れた『リンデンバウム通りの双子』の舞台もウィーンであることからも分かるように、少なくとも短編集『めまい』の場合、ウィーンという地名、フロイトという固有名詞のつながりがある。また、フロイト自身の姉妹四人が『バックストローク』の重要なモチーフであるユダヤ人強制収容所で殺されている事実もあり、ウィーンという都市自体がナチス・ドイツとの関わりが深い場所でもある。『めまい』所収の優れた三つの作品『バックストローク』『飛行機で眠るのは難しい』『リンデンバウム通りの双子』に共通しているのは、日本人の話者がウィーンやナチス・ドイツ収容所跡を訪れるという設定であり、小川洋子のこのモチーフへの偏愛ぶりが伺える。



 弟の左腕の異変の原因を精神分析の理論から考察すると、第一に転換ヒステリーの可能性を指摘することができる。転換ヒステリーは、精神分析の創始者ジークムント・フロイトが定義した神経症の一つであり、無意識的な衝動や願望の表象内容が抑圧され、その表象が転換される機構によって、様々な身体的症状(運動麻痺、身体硬直、感覚障害、腹痛・頭痛等の軽微な症状他)が現れてくるものである。

 転換ヒステリーでは、身体が不自然な形に硬直したまま動かなくなることがあるので、弟の左腕の硬直したかのような異変も転換ヒステリーの症状であると考察することができる。転換ヒステリーで症状化している部位は、抑圧された衝動の表象自体に関わる部位だとされている。つまり、不自然な形に硬直した左腕は、主体の抑圧したい場所そのものでもある。

 転換ヒステリーの原因には主体の無意識の欲望が存在している。先ほどの生徒の言葉を再び引用してみるならば、「それは少しでも弟が望んだことであったのだ」と言える。精神分析の文脈に置き換えていえば、「それ」は無意識の欲望である。

 哲学者スラヴォイ・ジジェクは、フロイトの真の後継者であるジャック・ラカンの影響のもとに、精神分析理論を使って現代文化について考察を重ねている。彼は著書『為すところを知らざればなり』で、ラカンを参照して「言語‐の‐存在としての人間の根本的な経験とは、彼の欲望が妨げられるということ、創設的に満たされないということである。人間は『自分が実際何を欲しているのか知らない』のである。」と述べている。そして、転換ヒステリーについて「ヒステリー患者の『転換』が成し遂げていることとは、紛れもなくこの妨害を転倒することなのだ。この転倒を介して妨げられた欲望は妨害への欲望に転換する。満たされぬ欲望は満たされぬことへの欲望に転換する。」と説いている。

 ジャック・ラカンによれば、人間の欲望は他者の欲望である。弟はもともと、他者である母の欲望を、続けて姉の欲望を生きてきたと言ってよい。欲望の起源には他者が存在するのだが、そのことは無意識に沈み、人間は「自分が実際何を欲しているのか知らない」のである。

 母と弟の様子については、視点人物である姉による次の描写がある。

 

 二人はぶかっこうなダンスを踊っているように見えた。弟は母に体を任せ、されるがままになっていた。照れ臭そうにも、迷惑そうにもしなかった。ただ、どこか遠くを見つめていた。背泳ぎなんかよりもっと深刻な問題について、思索を巡らせているかのような瞳だった。


 弟は母の欲望を「されるがままに」、文字通り生きている。弟の「どこか遠くを見つめ」「思索を巡らせている」かのような「瞳」は、「自分が実際何を欲しているのか知らない」欲望を見つめているかのようである。

 弟の二三歳の誕生日に、弟が姉の求めに応じて自宅プールで再びおよく場面で、話者姉は次のように語る。

 

 わずかに残った地面にしゃがみ、わたしはプールの中の弟を見つめた。端までくるとターンし、また泳いだ。何度も何度も繰り返しターンした。水音だけが二人の間を流れた。弟は背泳ぎするだけで、わたしの求めるものをなんでも差し出すことができた。

 

 この場面でも、弟は姉の欲望を生きている。弟は姉の「求めるものをなんでも指し出す」ことができるのだ。その後、姉の欲望に応じてプールで再び泳ぐ際に、作品内の現実か幻想か分からないが、弟の左腕は欠損する。その後、弟は入院し、病院の小さなプールで泳ぐことを愉しみ、十年もの間一月に一度ほど、そのことを必ず手紙に書いて姉に送る。

 弟は「自分が実際何を欲しているのか知らない」まま生きてきた。人間の欲望が他者の欲望である限り、人間の欲望は本源的に空虚なものである。主体が欲望を抱いていると感じていても、それは空虚な幻であり、その欲望が成就されることはない。これは、主体にとって欲望は絶えず妨げられているいうことのもう一つの姿である。また、弟の欲望が空虚なものであるからこそ、読者はそこに様々なものを読みとろうとしてきた。

 転換ヒステリーの主体は、欲望が妨げられることそのものを転倒し、自らの欲望を妨害するようになる。弟の欲望も様々な意味で妨害され、成し遂げられないものとなっていた。弟は自身の身体の自由な動きを妨害し、そのことが泳ぐことの制止、左腕の硬直化をもたらしたのだ。これが弟の「満たされぬことへの欲望」である。

 弟はそのようにして「満たされぬことへの欲望」そのものと化し、弟の物語が閉じられる。この弟の「左腕の出来事」は、虚構作品の枠組みを超えて、読者にそれに向き合うことを要請しているかのようだ。もちろんその解釈が固定されたものに収束する必要もないが、私自身は精神分析の枠組みで考察してきた。

 ヒステリーは家族の間で転移する。家族の成員が各々ヒステリー化することもある。左腕の異変の後、母自体が「ヒステリー」になったという記述がある。また、最後の場面で、強制収容所の「処刑場へ行きましょう」と述べる姉もまた幾分かヒステリー化しているとも言える。『バックストローク』は弟中心の物語として普通は読まれているが、私には姉を中心とする「姉の物語」として読む欲望もある。稿を改め、「姉の物語としての『バックストローク』」を書くことにしたい。


*この論考「『バックストローク』を読む 1」 は、教育出版の「高校メルマガ」2009年6月号で配信されました。同社のHPで掲載されていましたが、HPのリニューアルによって現在は公開されていませんので、このブログに新たに掲載することにしました。

2022年7月17日日曜日

歌詞研究と専門ゼミナール(3)[志村正彦LN310]

 〈志村正彦の世界 3〉では、〈志村正彦でしか表現できないような世界〉に関する歌を四つのテーマ二分けて取り上げた。

  •  試みの歌    :『サボテンレコード』『Sufer King』
  •  「眠りの森」の歌:『夜汽車』『セレナーデ』
  •  2009年の歌    :『バウムクーヘン』『タイムマシーン』
  •  往路と帰路の歌 :『浮雲』『ルーティーン』


 毎回、ゼミ修了後に200字程度の振り返り文を書いてもらう。10人のゼミ生のコメントを載せたい。


  • 「若者のすべて」しか知らなかったが、「Sufer King」や「バウムクーヘン」等様々な曲調の歌をたくさん作っていたことを知り、とても驚いた。その歌の全てにきちんとその歌独自の世界観があったり、歌詞において起承転結がしっかりと作られていたりと、一つの曲の歌詞だけでもたくさんの考察ができる。
  • 「Surfer King」のような激しい曲調のものがあり、志村正彦の作り手としての幅の広さを感じた。「若者のすべて」と「セレナーデ」では、記憶と夢、自身の現状の感情や想いに対して未来の君に対する願いなどの対比の構図があるように感じた。
  • 志村さんの、幅広い音楽に触れて「ロック」というものを覆されたような気がした。「サボテンレコード」では出だしの、でもでもだってね という独特の歌詞で魅了され、”チクチク タク” が時計の音を表すとともに、サボテンのトゲも音として隠されているように感じた。
  • 思い出を思い返す歌など少し後ろ向きな歌が多いと感じていたのですが、「誰しもが感じる後ろ暗いことを楽曲にしたい」という気持ちがあったからそういう楽曲が沢山生まれたのだなと思いました。「Surfer King」の「サーファー気取りについていく君」でストーリーが一転するのが印象に残りました。
  • 志村正彦さんは、「銀河」や「Surfer King」などの曲になると擬音系や少しアレンジをした歌詞を使って爽快感を出していた、しかし「タイムマシン」は、擬音系を使わずありのままの歌詞を使って後悔や悲しさを出していた。歌手としての責任による悩みが入っているように思う。
  • 「夜汽車」が印象に残っている。最初に歌詞を見た時は、駆け落ちの男女を想像したが、結ばれない関係の二人だと解釈した。本当の事を言う前に曲が終わるため、もどかしさが残ると感じた。相手が寝息を立てている時に、静かに本当の事を言おうとしているため、相手に直接言う可能性はおそらく低いだろう。結ばれない二人が気晴らしに出かけ、夜汽車に乗ってから物語が始まると想像した。
  • 「セレナーデ」では「若者のすべて」に出てくる僕はまだ思いを寄せる君に会いたい、幸せになって欲しいという思いが夢の中で現れているのだろうと感じた。曲調も自分がその「僕」が見ている夢の中を体験できるような曲調だと感じた。最後の「お別れのセレナーデ」の部分では曲調が大きくなってると感じた。これは夢から現実に戻る合図のように感じられた。
  • 「Surfer King」の歌詞が興味深かった。冒頭の「ギラギラ」は男の金髪の輝きと夏の暑い太陽の二つを表しているのだと思った。「ギラギラ」だと何だか強そうで男のイメージが伝わってくる。「彼」と「君」を見ている視点だからこそ、「彼」への少し皮肉な表現が感じられるし、もう想いが届くことはないと思っている諦めの「フフ」という自嘲的な笑いなのかなと思った。
  • 志村正彦さんの歌をいくつか聴いて、その中で特に歌詞に注目したときに、「言葉はこちらで選んで提示しておくから、そこから先の物語は自由に想像して自身で作ってください」とでも言われている気分になるような、言葉の使い方、歌詞の書き方、情景の示し方だと個人的に感じた。
  • 「バウムクーヘン」では、擬音を用いた表現とそれまでの歌詞の中の人生観が上手く噛み合って、世間に訴いかけているような描写が非常に分かりやすい。あまり曲には使われなさそうな擬音を上手く歌詞と合わせており、一つ一つの言葉がより現実に沿っている、親近感を持てる曲だと改めて感じました。


  引用文から分かるように、「Sufer King」が学生の関心を集めた。この曲についてのスライド資料では、歌詞の起承転結abcd展開、人称による三項構造ABCの分析を図で示した。言葉と言葉、フレーズとフレーズの要素間の関係を視覚的につかむことが大切だからだ。SLIDE資料を添付する。




 ゼミ生は、〈「サーファー気取りについていく君」でストーリーが一転する〉、〈「彼」と「君」を見ている視点だからこそ、「彼」への少し皮肉な表現が感じられるし、もう想いが届くことはないと思っている諦めの「フフ」という自嘲的な笑いなのかなと思った〉というように、歌の主体、「彼」、「君」という三者の関係を注目したようだ。この三者の関係はよく分からないからこそ想像力が求められる。余白の物語を読んでいく愉しさもある。

 「夜汽車」と「セレナーデ」の二つは、「眠りの森」という表現が共通項になる。また、「セレナーデ」はシングル「若者のすべて」のカップリング曲である。この三つの歌の関係については講義で触れた。「夜汽車」や「セレナーデ」に惹かれた学生も少なくなかった。

〈結ばれない二人が気晴らしに出かけ、夜汽車に乗ってから物語が始まる〉という想像、〈最後の「お別れのセレナーデ」の部分では曲調が大きくなってると感じた。これは夢から現実に戻る合図のように感じられた〉という感受性、〈「若者のすべて」と「セレナーデ」では、記憶と夢、自身の現状の感情や想いに対して未来の君に対する願いなどの対比の構図があるように感じた〉という分析。

  「サボテンレコード」の〈”チクチク タク”が時計の音を表すとともに、サボテンのトゲも音として隠されているように感じた〉という音に対する感性、〈「バウムクーヘン」では、擬音を用いた表現とそれまでの歌詞の中の人生観が上手く噛み合って、世間に訴いかけているような描写が非常に分かりやすい〉という分析、〈「タイムマシン」は、擬音系を使わずありのままの歌詞を使って後悔や悲しさを出していた。歌手としての責任による悩みが入っているように思う〉という指摘。

 それぞれの作品についての的確なコメントである。また、作品全体についても、〈様々な曲調の歌をたくさん作っていたことを知り、とても驚いた。その歌の全てにきちんとその歌独自の世界観があったり、歌詞において起承転結がしっかりと作られていたりと、一つの曲の歌詞だけでもたくさんの考察ができる〉、〈「言葉はこちらで選んで提示しておくから、そこから先の物語は自由に想像して自身で作ってください」とでも言われている気分になるような、言葉の使い方、歌詞の書き方、情景の示し方だと個人的に感じた〉と捉えている。これはゼミ学生に共通する観点でもある。

 専門ゼミナールでの歌詞研究では、歌詞の起承転結abcdの展開、歌に登場する人間・時間空間の三項ABCの構造、表現(音の要素を含めて)の技術など、大きく三つの観点からの分析を図で示すが、そこから先にある、作品のテーマやモチーフ、作品の解釈や捉え方については学生の自由と主体性を尊重する。教員自身の解釈や意味づけは必要最小限にとどめることが、学生に豊かな感性と知性を発揮させる条件だろう。   


2022年7月3日日曜日

歌詞研究と専門ゼミナール(2)[志村正彦LN309]

 この六月、私が担当する3年次専門ゼミナールで、〈志村正彦の世界1・2・3〉と題して、3回連続で志村の作品に関するゼミを集中的に行った。前回に引き続き、これについて書いてみたい。


 〈志村正彦の世界 1〉では、〈『茜色の夕日』から 『若者のすべて』への歩み〉というテーマで、山梨学Ⅰで話した内容(「志村正彦LN307」で言及したもの)をより丁寧に、歌詞の具体的分析をまじえて説明した。事前に、学生には対象作品の映像音源(FujifabricVEVO等)を聴き、歌詞を読んで、事前提出文を書いてもらい、それをもとにグループで議論した。その後、私が作成したスライド資料で歌詞分析の要点を説いた。最後に学生に授業の振り返り文を書いてもらい、ゼミ仲間で共有した。ゼミであるから当然ではあるが、学生中心に運営している。この準備の過程で、「茜色の夕日」の物語の展開についての新しい考えが浮かんできたので、それについてはこのブログで後日書きたい。


 〈志村正彦の世界 2〉では、〈四季盤、花に関する歌〉をテーマにして、四季盤の『桜の季節』『陽炎』『赤黄色の金木犀』『銀河』をあらためて取り上げた。今回、四季盤の歌に関して、〈四季全体をメタ視点から描写する歌の主体〉について考えたので、その概要をSLIDEで示した。後日、この点についてもブログで書いてみたい。


 花に関する歌では、『花』『花屋の娘』『ムーンライト』『蜃気楼』『ペダル』『ないものねだり』を取り上げた。四季盤の「桜」や「金木犀」のような名前の知られた花、季節感と結びついた花ではなく、たまたま見た花、名も知らないような花である。以下に記す。

 つぼみ開こうか迷う花 『花』
 野に咲く花 『花屋の娘』
 鮮やかな花 『蜃気楼』
 花 『ムーンライト』
 咲いている花 『ペダル』
 路地裏で咲いていた花 『ないものねだり』

  ほとんどの学生はこれらの花の歌を聴いたことがなかったので、新しい発見があったようだ。意外にもというか当然だというべきか、『花屋の娘』が男子学生に好評だった。「妄想が更に膨らんで 二人でちょっと/公園に行ってみたんです」「そのうち消えてしまった そのあの娘は/野に咲く花の様」という展開が新鮮だったそうだ。


 〈志村正彦の世界 3〉では、下記の四つのテーマのもとに、〈志村正彦でしか表現できないような世界〉に関する歌を集めた。

 試みの歌    :『サボテンレコード』『Sufer King』
 「眠りの森」の歌:『夜汽車』『セレナーデ』
 2009年の歌    :『バウムクーヘン』『タイムマシーン』
 往路と帰路の歌 :『浮雲』『ルーティーン』

 この回については、ブログの次回で書く予定である


 また、各回の中で、〈歌詞分析の方法〉についても説明していった。〈歌詞分析の方法〉といっても、私がこのブログで志村正彦の作品を分析した方法をまとめたものである。日本語ロックの歌詞についての分析方法がアカデミズムで確立されているわけではない。私の方法も基本的に文学研究の方法を歌詞に適用したものである。さらに言えば、70年代のロック批評の方法にも影響されている。以下に、SLIDEで示した方法名を記す。


  1.   《作者》《話者》《人物》の分離
  2.    語りの枠組の分析
  3.    品詞(自立語:名詞・形容詞・動詞)による分析
  4.    品詞(付属語:助動詞・助詞)による分析
  5.  和語・漢語・外来語の語彙による差異
  6.    歌詞の展開・起承転結abcd
  7.    時間の観点(過去・現在・未来)
  8.    言語文化的主題(例、桜の文化史)
  9.    テーマ・モチーフの横断的把握
  10.    メタ視点による構造化(例、3人の「僕」)
  11.    音の反復(擬音語など)
  12.    音源による変遷


 私の方法は志村正彦の作品によって鍛えられた、というのが最も正確な言い方になる。既成の方法によって作品を分析したというよりも、志村正彦の作品の一つひとつを分析するために、その都度、適切な方法を適用したり考え出したりしていった。要するに、歌詞そのものが歌詞分析の方法を作り出すのだ。

    (この項続く)


2022年6月19日日曜日

歌詞研究と専門ゼミナール(1)[志村正彦LN308]

   『志村正彦全詩集新装版』(2019年)の重版が決定したそうだ。詩集で重版ということはなかなかない。2011年刊行の元版とあわせて、かなりの部数になるだろう。番 歌、音源としてだけでなく、活字の言葉、「詩」としても、志村の作品は人々に愛されている。

 前回、「志村正彦の世界」という山梨学の講義を紹介したが、担当しているゼミナールでも志村正彦・フジファブリックの作品をテーマにして、3回に分けて演習を行った。

 今年3月卒業したゼミ生の一人が、「オノマトペ・音の持つ想像-フジファブリック・志村正彦の詩と演奏」という題で卒業論文を書いた。「追ってけ 追ってけ」「打ち上げ花火」「銀河」の三作品を主な対象にして、オノマトペという観点から作品を考察した。歌の主体の描写のありかたについての独創的な分析もあり、優れた論文となった。卒論発表会の際に他の教員からも評価された。

 今年度の3年次専門ゼミナールの学生は10人いる。このうちの半数ほどが、ロックやポップスの歌詞を研究する予定だ。大学という場であるので、アカデミックな歌詞研究が求められているが、アカデミアの中でロックやポップスの歌詞研究が進んでいるとは言えないだろう。また、その方法論が確立されているわけでもない。比較的多いのは、データ分析に基づく計量国語学的研究だが、この研究では歌詞の構造やモチーフについての深い分析は試みられていない。視野を広げれば、人々に支持された歌詞から聴き手の心情や時代精神を探る社会学的な観点での研究もあるが、こちらの方も歌詞自体の丁寧な分析は不充分であろう。


 音楽学・ポピュラー音楽の研究者である増田聡は、『聴衆をつくる―音楽批評の解体文法』(2006年)の第4章「誰が誰に語るのか―Jポップの言語行為論・試論」で、英国の社会音楽学者サイモン・フリスの歌詞論を参照して次のように述べている。少し長くなるが引用したい。


 ポップソングのコミュニケーションには特有の重層性がある、とサイモン・フリスは言う。彼によれば、ポップソングが聴かれるとき、われわれは実際には同時に三つの意味の水準を聴くことになる( Simon Frith   Performing Rites: On the Value of Popular Music 1996 :159)。一つはことばとしての「歌詞」である。それは読まれるものとしての詞であり、言語的な水準で意味作用をなす。次に「レトリック」であり、それは歌唱という言語=音楽行為が行う、音楽的発話の特性に関わる。歌における語調や修辞法、あるいは音楽とのマッチングや摩擦などが、単に歌詞を読むのとは異なる意味形成を生じさせる。最後に挙げられるのが「声」である。声はポップの文脈ではそれ自体が個人を指し示し、意味形成を行う。このことはクラシックの歌唱と比較してみれば明瞭であろう。クラシックの歌手の声は楽器と等しく、取り替え可能なものであるが(異なる歌手が同じ歌曲を歌っても、その曲の「意味」はさほど変わらない)、ポップの歌手はその声自体が独自の意味作用をもたらす。同じ歌を違う歌手が歌うとき、両者の意味は明らかに異なるのだ。
 このような三つの水準でわれわれはポップソングを聴く。それぞれのレベルは、各々独自の意味と質的評価を伴うだろう。このような複数の水準が関与する様態こそが、優れた「歌われる歌詞」が必ずしも優れた「読まれる詩」ではないことの要因となる。歌われる歌詞は歌詞自体とその言語行為、および声の質との関係の中で評価されるのだから。ゆえに、歌詞の意味や質をそれだけで評価し分析することは可能であっても、どこか見当はずれな感は否めない。ポップソングは何よりもまず、「音楽」として流通し受容されていることを忘れてはならない。


  増田は「歌詞の意味や質をそれだけで評価し分析すること」を「可能」だとしているが、一方で「どこか見当はずれな感」が否めないことを指摘している。そして、フリスの主張を受けて、歌唱という行為を「歌詞」「声」「歌」「音楽」の四つのレベルに分けることを提唱している。

 私自身が「志村正彦LN」で行っていることは、増田の言う「歌詞の意味や質をそれだけで評価し分析すること」にほぼ該当するだろう。それゆえ、「見当はずれな感」も自覚しているつもりではいる。方法として言語としての歌詞に限定しているが、歌詞の「意味」よりも、歌詞の構造や語りの枠組、歌の主体の在り方、歌詞を横断するモチーフなどに分析を集中させているところには、それなりの特色があるかもしれない。文学研究の方法が根底にあるからだ。また、「声」や「歌」のレベルの分析にも関心はある。特に志村正彦の「声」の魅力についてはこれまで断片的に触れてきたが、まとまった論として書きたいと考えている。


 今年の専門ゼミナールは、洋楽のカバーポップス、漣健児の訳詞、グループサウンズ、早川義夫・ジャックス、松本隆・はっぴいえんどという流れで、60年代初頭から70年代初頭までのポップス、日本語ロックの歌詞の変化をたどった。その後、70年代中頃から現在までの動きを、歌詞の役割の相対的低下という観点で簡単に追った。さらに、冒頭で述べたように、日本語ロックの一つの到達点として、志村正彦・フジファブリックの歌詞を3回に分けて考察していった。

     (この項続く)


2022年6月12日日曜日

「志村正彦の世界」山梨学2022[志村正彦LN307]

 山梨英和大学は四月から、多人数が受講する一部の科目を除いて、対面授業を実施している。キャンパスに学生が戻ってきて、活気があるのは好ましいことだが、当分の間、感染対策と学生の学びとの両立を図らねばならない。

 三年前から「山梨学」という科目を担当してきた。山梨の文化、社会、歴史、地域、観光などを総合的に学び、「山梨」の可能性を探究する科目である。年次の必修科目であり、受講生が200名近くいるので、この科目はオンライン遠隔授業となった。全14回の半分は外部講師、残り半分は僕が〈芥川龍之介と甲斐の国〉〈映画作品に描かれた戦後山梨の風景と社会〉〈山梨のロックの詩人-宮沢和史(ザ・ブーム)、藤巻亮太(レミオロメン)・志村正彦(フジファブリック)〉などのテーマで講義している。

 今年度は、志村正彦・フジファブリックの音楽について、「志村正彦の世界」と題して、独立した1回分の講義を行った。『若者のすべて』が高校音楽の教科書の教材になるなど、志村正彦の評価が確立されてきたからである。山梨学の枠組の中で、山梨出身の優れた音楽家、表現者という観点で取り上げるのにふさわしいという了解が得られると判断した。

 2年次学生に対しては、1年次の際に「人間文化学」というオムニバス科目で、〈日本語ロックの歌詞を文学作品として読む-志村正彦『若者のすべて』〉という授業をすでに実施している。題名からも分かるように、『若者のすべて』の歌詞を文学作品として読解し、分析する方法を中心に置いている。今回の山梨学では、志村正彦の全体像に可能な限り接近できるように、次の三つのテーマで構成した。取り上げたい作品はたくさんあるのだが、講義時間は70分程度なので絞らざるをえなかった。


1.『若者のすべて』と系譜的な原点としての『茜色の夕日』

2.四季盤、『桜の季節』『陽炎』『赤黄色の金木犀』『銀河』

3.2009年の歌、『バウムクーヘン』『ないものねだり』『ルーティーン』


 『茜色の夕日』と『若者のすべて』という二つの歌は、言うまでもなく、志村正彦の生の軌跡を表した曲だ。『茜色の夕日』の「できないな できないな」の「ない」は、『若者のすべて』の「ないかな ないよな」の「ない」にもつながっていく。「できない」「ない」。「ない」という不可能なことや不在であることを、志村は繰り返し歌ってきた。この二つの歌は、〈歩いていく〉という共通のモチーフがあるが、志村の歌の軌跡は、「ない」ことを巡る〈歩み〉としても捉えられる。

 山梨学という科目の性格から、富士吉田という地域とその季節感と関わりが深い四季盤の作品は重要である。〈坂の下→路地裏→帰り道→丘〉という富士吉田という場の光景と〈桜→陽炎→金木犀→銀河〉という春夏秋冬の変化が歌詞の中でどのように活かされているのかを話題とした。桜の四季の変化を見通す「桜の季節」の視点、少年期と青年期の二人の自分とそれを見つめる主体という「陽炎」の三つの視点、往路と帰路を見渡す「赤黄色の金木犀」の視点、丘や空から「二人」を俯瞰する「銀河」の視点。四季盤の作品については、視点論を中心に据えた。

 2009年制作のアルバム『CHRONICLE』から『バウムクーヘン』と『ないものねだり』。そして、ストックホルムで最後に録音された『ルーティーン』。〈2009年の歌〉としてこの三曲を取り上げた。『CHRONICLE』についての志村のコメント「"僕"という今の人間は、28年間のなかで、いろんな人と出会ったからこそ形成された"僕"であるし、だからこそ生まれた、自分の分身のような楽曲たちなんですよね」も紹介した。


 この〈志村正彦ライナーノーツLN〉の文章を基にしてSLIDEを作成した。実質的に、この〈ライナーノーツ〉が研究ノートになったわけだが、これは当初まったく想定していなかった。300回を超える記事は各回3000字ほどはあるので、すでに10万字程度、一冊の書物に相当する分量がある。自分で自分のブログのメニュー右側にある「このブログを検索」に検索語を入れて、該当の文章を探していった。すでに記憶が薄れて、この時はこんなことを書いていたのだな、などと発見することもあった。いうならば、過去の自分が今の自分に言葉を送り出している。そんな不思議な感じだった。この作業によってSLIDEを作ったのだが、結局、76頁と多めの量になった。僕の講義スタイルからすると、要点を絞っていけば1分1頁程度可能なので、何とかなるだろうとは思った。

 SLIDEでは、曲ごとに、歌詞をレイアウトし(音声ボタンを作り、クリックすると音源再生)、歌詞の構造を分析して図示した上で、歌詞の技法、表現の特徴を中心とする説明を記述した。志村の作詞と作曲についての姿勢については次のSLIDEなどで示した。




 講義終了後、学生に「振り返り文」を書いて提出してもらった。取り上げた作品の中では、やはり、『茜色の夕日』について言及する者が多かった。『ルーティーン』についてはほとんど知られていなかったが、この曲に惹かれた者も少なくなかった。また、志村の「色々なアーティストの感動する曲」について「すばらしいなあと思いつつも」「ちょっと自分じゃないような感じがする」、「100パーセント自分が聴きたい曲」を探したが「自分が作るしかない」ということに行きついた、という発言に対する反響が大きかった。数多くの学生が〈聴き手中心の歌は、私たちに寄り添ってくれるものであり、自分が表現しきれない気持ちを代弁してくれるようなものだと思う〉、〈志村さんが作る曲の数々がどこか懐かしさを覚え、誰が聞いてもその描かれている情景が目に浮かぶようなものになっていることは、彼自身が一番の聴き手として曲を理解して曲を作られているからなのだなと思いました〉などの的確なコメントを寄せてくれた。

 また、〈人が作った歌は「ちょっと自分じゃないような感じがする」と言う言葉に、自分が創作活動をするときも同じようなことを思うので共感を覚えた。また、「ルーティーン」の歌詞中の「君」は音楽を聞いている私たちなのではないかと感じた〉という捉え方にも感心した。『ルーティーン』の「折れちゃいそうな心だけど 君からもらった心がある」の「君」を「音楽を聞いている私たち」つまり聴き手だとする解釈は、〈聴き手中心の歌〉の本質とも重なる。

 さらに、〈フジファブリックの曲に多くの人が賛同し共感できるのは、この方の歌を通して自己を見つめ自分について考えることができるからではないかと考えました〉という学生の言葉が、志村正彦の世界の核心を捉えていた。


2021年11月21日日曜日

志村正彦の母校での講義 [志村正彦LN297]

 先週、志村正彦の母校の山梨県立吉田高等学校で、志村正彦の歌詞についての出張講義を行ってきた。担当の先生から山梨英和大学に直接の依頼があった(ロックの歌詞に関する私の講義を聴いた吉田高校出身の学生が、その内容を母校の先生に話してくれたことがきっかけになったそうである)。志村の母校からの依頼はとても嬉しかった。光栄でもある。そもそもフジファブリックは高校時代のバンドが元になっている。この高校での出会いや様々な経験は、志村正彦という人間の形成にとって重要なものとなった。

 この講義は、1学年の総合的な探究の時間「富士山学Ⅰ」、スポーツ・観光・国際・芸術文化・街づくり・防災の6分野の講座のうちの一つだった。今年度のテーマは「地域を知ろう!」。担当の先生の教科が音楽であり、芸術文化の分野だったことことから、富士吉田出身、吉田高校の卒業生である志村正彦がテーマとして選ばれた。

 担当の先生とメールや電話で打ち合わせをした。「若者のすべて」教科書採用の話題で盛り上がった。合唱部も指導していて、「若者のすべて」の四部合唱もすでに試みたそうである。来年度からの吉田高校の音楽の授業では、「若者のすべて」が重要な教材になることは間違いない。吉田高校でも志村正彦の知名度が上がり、関心が高くなっている。放送部でも志村に関する番組を制作したそうである。音楽の授業で「若者のすべて」を歌い奏でる。部活動で志村正彦を探究していく。吉田高校の今後の活動がとても楽しみである。

 当初はオンライン遠隔授業の予定だったが、山梨県ではコロナ感染者も激減していたので(最近は感染者ゼロが続いている)、高校での対面授業に変更することができた。せっかくの機会なので、私も担当の先生も対面の方が良いと判断した。

 生徒の事前アンケートが送られてきて、志村正彦の存在は知ってるが、その作品はあまり聴いたことがないということが分かった。昨年、山梨県内では、「若者のすべて」が「STAY HOME」のCMで繰り返し流されていたので、この曲は知っているようだった。この高校は進学校であり、富士吉田市以外の市町村からも入学してくる。そのような事情も影響しているかもしれない。

 今回の講義では、音楽の教材となる「若者のすべて」と共に、「富士山学」の「地域を知ろう!」というテーマから、富士北麓地域の風景や季節感とのつながりが深い四季盤の作品、「桜の季節」「陽炎」「赤黄色の金木犀」「銀河」も取り上げることにした。「志村正彦・フジファブリック-四季盤と「若者のすべて」の歌詞を読む-」というテーマを設定して、特に四季盤については新たにSLIDE資料32枚を作成した。授業時間は45分と短いので、その全てを講義することはできない。講義では要点を話し、SLIDEは印刷資料やpdfにして配付するように計画した。そのSLIDEの一枚を紹介したい。(ABCという記号は三項から成る構造の各要素を示している)



 四季盤の春夏秋冬は、〈桜→陽炎→金木犀→銀河〉と変化していく。その季節の舞台となっている場は、〈坂の下→路地裏→帰り道→丘〉と移動していく。志村は具体的な地名や場所を記してはいないが、富士吉田がその場としてあるいは原風景としてイメージされていることは確かであろう。今回、四季盤の曲を繰り返し聴いていくうちに、富士吉田という場の中で四季の変化と具体的な場所の移動が循環しているように感じた。そのような時と場の循環のなかで、歌の主体(僕)は、言葉では伝えることのできない想いを抱えている。そのような観点に基づいてSLIDE資料を構成した。「桜の季節」「陽炎」「赤黄色の金木犀」「銀河」の四つの作品の構造を個別に分析する資料を作成した。

 当日は甲府から車で吉田に向かった。あいにく富士山は雲に隠れていた。吉田高校は二十年ほど前に校舎が新築された。この校舎に入るのは初めてだった。その前の旧校舎で志村は学んでいた。三十年ほど前、僕の友人が吉田高校に勤めていたときに、旧校舎に一度だけ行ったことがある。そんなことも思い出した。

 受付を済ませ待機していると生徒が迎えに来てくれた。1年生の教室は四階にあった。廊下の窓から周辺の山々が見えた。ところどころ紅葉していて美しい。教室に入ると生徒でいっぱいだった。コロナ禍での外部講師による出張講義ということもあり、生徒はやや緊張している様子だ。教室の後に数名の先生もいらしたのでこちらも少し緊張する。

 プロジェクターでSLIDEを投映しながら、〈志村正彦は富士吉田の坂の下や路地裏や丘を繰り返し歩いたのだろう。帰り道は高校から自宅までの道のりかもしれない。そして、春に桜を見て、夏は陽炎が揺れ、秋の金木犀の香りに包まれ、冬は銀河のきらめく星を眺める。季節の移ろう中で歌の主体(僕)は、誰か大切な人に想いを伝えようとするのだが、言葉で伝えることは難しい。そのような高校時代の経験が四季盤の歌詞に反映されているのではないだろうか〉というように、生徒に直に語りかけた。

 いつも心がけていることだが、こういう講義の場合、私自身の歌の解釈を示すことは最小限にとどめている。歌詞を聴き、読む上で参考となる語り方の構造やモチーフの関係の分析と、作品についての志村の証言に限定している。歌の解釈は聴き手のものである。歌の意味は、歌い手と対話しながら、究極的には、一人ひとりの聴き手が作りだすものである。この講義は一つの参考資料にすぎない。生徒自身が志村正彦・フジファブリックの言葉と楽曲を経験して、その世界を味わって読みとってほしい。吉田高校の生徒にそのことを伝えたかった。

 吉田高校のHPの新着情報に、吉高フォトダイアリー(1学年総合的な探究の時間「富士山学Ⅰ」)という記事がUPされていた。当日のいろいろな分野の講義の写真が十数枚掲載されている。そのなかに、黒板に「ロックの詩人 志村正彦展」のポスターが小さくだがかすかに見えるものがある(SLIDEは文字と図が中心なので、このポスターを掲示していただいた)。ポスターの横で私が立っている。当日の雰囲気が伝わる大切な記念写真となった。

 2011年、当時勤めていた高校で志村正彦の歌詞の授業を始めた。ちょうど十年後に彼の母校で授業を行った。この間、勤務先の高校や大学でこのテーマの授業を続けてきた。今年はすでに三つの高校で出張講義をした。拙い講義を受講してくれた生徒・学生、そして高校・大学という場に感謝したい。あらためて十年という時の重みを想う。

 


2021年10月24日日曜日

「若者のすべて」-「朝日新聞」と「Real Sound」の記事/『サブカル国語教育学』[志村正彦LN294]

 一昨日10月22日、「朝日新聞」山梨版の第2山梨面で、〈「若者のすべて」世代を超えて フジファブリックの名曲、高校教科書に採用〉という記事が掲載された。

 すでに、「朝日新聞」10月14日付夕刊の全国版(東京本社版・名古屋本社版・大阪本社版・西部本社版)社会総合(10面)に、〈「若者のすべて」何年経とうとも ロックバンド名曲 高校教科書に〉という記事が全体の三分の二ほどの紙面を割いて掲載された。しかし山梨版にはなかなか載らなかったので、全国版だけで終わるのかと残念に思っていたのだが、一週間ほど遅れてやっと紙面の記事となった。山梨版の方も第2山梨面の半分以上が使われていた。山梨の方にぜひ知ってほしいニュースなので、これは嬉しかった。

 やはりいまだに、新聞記事、特に地方では地元紙や全国紙の地方版の影響力は大きい。NHK甲府、山梨放送、テレビ山梨などの地元局でも報道されたので、山梨県民の多くが、富士吉田出身の志村正彦・フジファブリックの楽曲が高校の音楽教科書に採用されることを知ったことと思う。地方では郷土愛的なものが自然に共有されている。富士吉田出身の若者が創った作品が教科書に掲載されることは、素直に誇りに思うことだろう。高校に限って言えば、これまで山梨県出身の作家が教科書に掲載されたのは、おそらく、国語教科書に載った飯田蛇笏・飯田龍太の俳句だけであろう。

 朝日新聞のこの二つの記事には若干の違いがある。そもそも、この記事は10月14日の朝日新聞デジタル版に①が掲載され、その日のうちに①を少し短縮した記事②も掲載された。10月14日全国版の夕刊に載ったのは②である。ところが、10月22日付の山梨版に載ったのは①の方であった。

  フジファブリックのあの名曲が教科書に 亡き志村君もきっと…
           2021年10月14日 10時30分
「若者のすべて」、何年経とうとも ロックバンド名曲、高校教科書に
           2021年10月14日 16時30分

 二つの記事はなかでも最後の部分が異なっているので、ここに引用する。

① 志村さんが亡くなって、この冬で12年。いまはボーカルとギターを担当する山内総一郎さんら3人で新作を発表し続けるフジファブリックは、取材に対して、こうコメントを寄せた。

 「この曲は多くの方々に愛されて、たくさんのアーティストが歌い継いでくださっています。フジファブリックが大切にしている『若者のすべて』が世代を超えて、学生の方に知っていただける機会をいただきましたことに感謝いたします。そして、この曲がこれまで以上に皆様の心に届き、寄り添う曲となることを願っています。作詞作曲を手掛けた志村君もきっと喜んでいることと思います」


② いまはボーカルとギターを担当する山内総一郎さんら3人で新作を発表し続けるフジファブリックは、取材に対して、こうコメントを寄せた。

 「世代を超えて、学生の方に知っていただける機会をいただきましたことに感謝いたします。そして、この曲がこれまで以上に皆様の心に届き、寄り添う曲となることを願っています。志村君もきっと喜んでいることと思います」

 おそらく紙面の字数の都合で、①の一部が省略されて②へと短縮されたのだろうが、コメント部分のニュアンスが若干違っているのが読みとれるだろう。


 タイトルの差異も興味深い。山梨版を③として並べてみよう。

① 【デジタル版】フジファブリックのあの名曲が教科書に 亡き志村君もきっと…

② 【デジタル版・全国版】「若者のすべて」、何年経とうとも ロックバンド名曲、高校教科書に

③ 【山梨版】「若者のすべて」世代を超えて フジファブリックの名曲、高校教科書に採用

 〈フジファブリックのあの名曲〉〈「若者のすべて」…ロックバンド名曲〉〈「若者のすべて」…フジファブリックの名曲〉と変化している。①には曲名がなく、②はフジファブリックというバンド名がない。山梨版にはどちらも記されているのは、地元山梨での知名度を意識したのかもしれない。 


  「若者のすべて」音楽教科書採用の経緯については、「Real Sound」の〈米津玄師「Lemon」、フジファブリック「若者のすべて」なぜ高校教科書に採用? 版元編集者に聞くポップスの選定基準〉(文・取材=小林潤、取材協力・画像提供=教育芸術社 取締役・今井康人)という記事も注目される。「MOUSA 1」出版の教育芸術社の今井康人氏が、「若者のすべて」の掲載理由、ポップスの選定基準などについて語ったものである。このブログにも要点を記録しておきたいので、以下、引用させていただく。


高校生がポップスを学ぶ意義
世の中に出ていく高校生にとって、より身近なものを自らの音楽文化の一つとして取り込んでいく必要があるだろうということで、今社会に生きている音楽であるポップスを取り上げるケースが多いのです
掲載楽曲の選定基準
選定において重要なのは楽曲のパワーです。その楽曲が生き残っていく可能性がどれだけあるか、話題性に留まらず、音楽・詩そのものが持っている力がどれだけあるか、そういったものを見極めて選んでいます
企画や特集における工夫
『MOUSA1』で日本のポピュラーミュージックを年代で区切って特集する企画と関連付けて掲載しました。例えば1940年代『東京ブギウギ』、1960年代『見上げてごらん夜の星を』、1970年代『翼をください』、そして2000年代で『若者のすべて』、2010年代で『Lemon』というように、その時代を代表するような楽曲を選定したのです。
教科書制作における課題や難しさ
近年難しくなってきたのは今後掲載する楽曲が、10年、20年と残っていくような本当にいい楽曲なのか見極めることです。
授業が多様な音楽に触れるきっかけになれば
ネットが発達した今の社会では『好きなものしか聴かない』という状況に陥りがちです。しかし世の中にはいろいろな音楽があって、それらの価値に触れることも大切だと思います。例えばYouTubeなどで検索してみて聴いてみることを通して多様な音楽に触れていただきたい。そのきっかけ、窓口に音楽の授業がなってくれればいいなと思いますね


 今井康人氏は、〈楽曲のパワー〉〈その楽曲が生き残っていく可能性〉〈音楽・詩そのものが持っている力〉を強調されている。特に〈音楽・詩〉というように、〈音楽〉だけでなく〈詩〉もかなり意識していることが注目される。高校生が歌う可能性のある作品の場合、あたりまえのことではあるが、詩、歌詞も重要である。「若者のすべて」はその点でも極めて高い評価を得たようだ。

 また、ネット社会の発展で〈好きなものしか聴かない〉という状況が進むなかで、授業や教科書がいろいろな音楽の価値に触れるきっかけになればいいという想いは、教育に携わる筆者にとっても非常に共感できる。僕が高校や大学という場の国語や日本語表現という教育において、志村正彦・フジファブリックの歌詞についての授業の実践を続けてきたのは、生徒や学生が優れた作品を知る機会が意外に少ないという状況があったからでもある。ネットで音源、映像、情報は膨大にある。しかし、ほんとうに優れた作品を見出すことは難しい現実もある。そのような現実に対抗するものとして、学校教育の存在意義、教材選択の意味や価値は依然としてある、というのが僕のスタンスである。

 最近、『サブカル国語教育学 「楽しく、力のつく」境界線上の教材と授業』(町田守弘 編著、三省堂2021.9.10)というマンガ、映画・アニメ、音楽、ゲームなどのサブカルチャーを用いた国語科の教材や授業提案の書籍が出版された。その中に、永瀬恵子氏の〈現実と虚構の合間で手紙をしたためよう [教材名] 「桜の季節」〉という授業構想が発表されていた。このような新しい実践が生徒の表現や思考の能力を育成していくだろう。僕も以前、『変わる!高校国語の新しい理論と実践―「資質・能力」の確実な育成をめざして』(大滝一登・幸田国広 編著、大修館書店2016.11.20)に、志村正彦・フジファブリックの「桜の季節」を教材の一つにした報告と論考『思考の仕方を捉え、文化を深く考察する―随筆、歌詞、評論を関連付けて読む―』を書いたことがある。(永瀬氏にはこの拙論を参考文献として取り上げていただいた)

 音楽そして国語でも、志村正彦の作品が教材となる時代が到来している。


   

2021年5月23日日曜日

『若者のすべて』を読む-2021年《人間文化学》[志村正彦LN274]

 昨年度に引き続き、先週、勤務先の山梨英和大学の《人間文化学》というオムニバス科目で、「日本語ロックの歌詞を文学作品として読む-志村正彦『若者のすべて』」という講義を行った。

 志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』には、独特の語りの枠組やモチーフの展開があり、学生や若者にとって「文学作品」として享受できる。今回は冒頭で、僕自身がこのブログにも書いた〈 『若者のすべて』を初めて聴いた時、歌の世界をたどりきれないような、もどかしい想いにとらわれた。きわめて微妙で複雑な物語がそこにあるような気がした。そのような印象の原因はどこにあるのか〉と問いかけた。そのプロセスを整理するとこうなる。


最初の感想…歌の世界をたどりきれないような、もどかしい想い
  ↓
物語の印象…きわめて微妙で複雑な物語がそこにあるような気がした。
  ↓
自ら問いを作る…そのような印象の原因はどこにあるのか。
  ↓
自ら応答する…歌詞の語りの枠組・モチーフの分析/志村正彦の証言次のSLIDEで示した。

 このプロセスを次のSLIDEにして学生に示した。



 この歌詞を文学作品として捉えるのであればまず第一に、自分自身の初発の感想(作品から想い描いた情景や物語、それに対する自分の感情や感覚の動き、印象に残った部分や謎のような部分への問い)を大切にすること。その初発の感想に基づいて何らかの問いを自ら立てること、その問いに対して自ら応答するようにして思考していくこと。僕自身の〈『若者のすべて』を読む〉という試みを講義することによって、学生自身が自らそのような実践をすることを促すことがこの講義の目的であった。この科目は、学部名でもある《人間文化学》の導入科目であり、方法論の基礎も伝える必要があるからだ。

 この科目は1年次学生の必修科目である。昨年度より新入生が増えて200人程が受講するので、今年度もオンライン授業で実施した。本学は入学生全員にモバイルノートPCを貸与している。最新型のM1チップ搭載のMacBook Airだ。自宅あるいはWi-Fi環境が整備されて学内で受講できる。Google「Google Workspace for Education」のClassroomとMeet を使って、SLIDE資料を映し出し、声による説明を重ね合わせる方法で行った。昨年のSLIDEは56ページだったが、表現の細部を修正し全体を再構成した上で、 『若者のすべて』が高校音楽Ⅰの教科書に掲載されるという最新情報も追加したので、69ページに増えた。

 学生が書いたコメントの中で、今回の、「日本語ロックの歌詞を文学作品として読む」という目的に関連したものを二つ紹介したい。


全体の授業の感想として、日本語ロックを文学として読むということが初めは理解できませんでした。ですが、この歌詞にはこんな意味があるとか、二つの世界が試行錯誤の中で合わさっているとか、段階的に曲を見ることができたおかげで、自分なりの解釈や他の目線から見た解釈を自分なりに考えることができて、単なる曲としてメロディや歌詞を聴くだけでなく、まるで短編小説を読んでいるような感覚で考えていくことができました。これから曲を聴く時は今日のことを活用していきたいですし、志村正彦さんの曲をもっと調べてみようと思いました。


この歌を最初に聴いた時と、授業を終えたときの印象はガラリと変わった。曲をひとつの物語と捉えて一つ一つの言葉を解釈していくと、様々な想いが込められていることや、表現の仕方に工夫がされていることに気づく。それらのことを知ってから改めて曲を聴くと、これまでとはまた違った楽しみ方ができると思った。私は自分の好きな歌などを深く理解しようとしたことがなかったが、今回の授業を通してどんな歌にも感情が込められており、歌詞に意味があることが分かったので、深く調べてみようと思った。そしてそのような様々な表現の工夫に触れていくことは自分の表現力の向上にも繋がっていくと思う。


 このようなコメントが多数あった。学生に感謝したい。この講義の目標はほぼ達成されたと考えている。目標は、僕自身の解釈を伝えることではなく、それをひとつの試みとして、ひとつの方法として学生に示して、学生が自分自身で『若者のすべて』そして自分の好きな歌についての読みを深めることである。

 文学作品を読むことは、主体的な実践である。自由な行為である。読むこと、その可能性のすべて、自由のすべてを学生が試みてほしい。


2021年5月5日水曜日

高校音楽教科書の『若者のすべて』[志村正彦LN273]

   志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が、来年2022年度(令和4年)から使われる高校の音楽Ⅰの教科書、教育芸術社の『MOUSA1』に採用されたことをネットの情報で知った。(音Ⅰ703,  令和4年度 高等学校用教科書 音楽Ⅰ MOUSA1)

 来年から高校では新しい学習指導要領による教育が始まる。それに伴って教科書も全面的に改定されるのだが、旧課程の教科書から引き継がれる教材もあれば、新たに導入される教材もある。その新教材に『若者のすべて』が選ばれたのである。志村の音楽ファンの一人として、そして高校の教育に携わっていた者としても、 教育芸術社とこの教科書の著作者・編集者の見識と英断に熱い拍手を送りたい。

 僕もある高校国語の教科書の編集協力者として、教材選択の仕事や関連教材の執筆をしたことがあるので、教科書作りの大変さは分かっている。様々な観点から総合的に教材となる作品を検討しなければならない。文部科学省の検定があるので、細心の注意も必要である。僕は国語についての経験しかないが、教材の決定については、その教科書の著作者や編集者の一人ひとりの考えが尊重される。この『MOUSA1』についても同様であろう。おそらく『若者のすべて』を強く推す方がいて、編集会議で承認されたのだと思われる。

 調べてみると、以前からこの『MOUSA1』にはロック音楽の系譜図が載っていたり、ロックの歌が採用されていたりするので、ロック好きの担当者がいるに違いない。とても喜ばしいことだ。ここ半世紀の若者の音楽の中心にロックは存在している。

    「令和2年度使用都立高等学校及び都立中等教育学校(後期課程)用教科書 教科別採択結果(教科書別学校数)」によると、この『MOUSA1』の現行課程版は、234校中73校で採択されている。採択数はトップ、採択率は31%になる。都立高校等で音楽を選択する高校生の3割がこの教科書を学んでいる。来年度からは新課程版だが、もっと採択率が上がるかもしれない。

 教育芸術社のwebには、この教科書の 内容解説資料 が掲載されている。「歌唱」という単元については次のように書かれている。


多感な時期にある生徒が楽しく幅広く音楽を学習することができるよう教材を精選し,提示の仕方を工夫しながら,ポピュラー・ソング,唱歌,芸術歌曲,合唱曲,ミュージカル・ナンバー,オペラ・アリアなどを取りそろえました。特に,長い間歌い継がれ,親しまれてきた曲を豊富に収録するとともに,我が国の伝統的な歌唱も学習できるよう,能の謡を取り上げました。


 この単元の一つとして「ポピュラー・ソング」が取り上げられ、次のように説明されている。


広く親しまれている《翼をください》《見上げてごらん夜の星を》《Memory》の他,生徒の心に響くポピュラー・ソングを新たに5曲加えました。

現在までの推移を10年ごとに区切り,それぞれの時代を彩った歌を1曲ずつ選びました。


2010年代《Lemon》(P.12・13)
2000年代《若者のすべて》(P.16・17)
1990年代《負けないで》(P.15)
1980年代《クリスマス・イブ》(P.115)
1970年代《翼をください》(P.14)
1960年代 《見上げてごらん夜の星を》(P.64・65)
1940年代《東京ブギウギ》(P.114)


 『若者のすべて』は、「生徒の心に響く」曲、「時代を彩った歌」として選ばれた。(P.16・17)とあるので、初めの方に載る。これは重要なポイントだ。見開き2頁だから楽譜がしっかりと記載されるのだろう。参考までに、この7曲のリリース日の順に作詞作曲者を付けて並べてみよう。


1948年1月        《東京ブギウギ》 作詞:鈴木勝・作曲:服部良一
1963年5月1日   《見上げてごらん夜の星を》 作詞:永六輔・作曲:いずみたく
1971年2月5日   《翼をください》 作詞:山上路夫・作曲:村井邦彦
1983年12月14日《クリスマス・イブ》 作詞・作曲:山下達郎
1993年1月27日  《負けないで》 作詞:坂井泉水・作曲:織田哲郎
2007年11月7日 《若者のすべて》 作詞・作曲:志村正彦
2018年3月14日 《Lemon》 作詞・作曲:米津玄師


 この7曲の中で純粋なロックと言えるものは『若者のすべて』だけである。もともと「ポピュラー・ソング」という枠組での選択だからロックは1曲しかないのかもしれない。逆に言うと、『若者のすべて』は良い意味でロックの枠を超えているのだろう。ジャンルを超越して、作品そのものがこの時代の「ポピュラー・ソング」の代表曲、私たちの歌として愛されている。

 誰もが知る名曲が並ぶ中で、『若者のすべて』、そして作者志村正彦の一般的な知名度は最も低いのかもしれない。しかし、この曲が生まれてから十四年経つが、いまだにこの歌は浸透し続けている。2000年代の代表曲としての評価が高まってきた。『MOUSA1』の著作者・編集者もそう判断したのだろう。そして、この教科書に収録されることで、この作品はさらに広まっていく。やがて、この半世紀の日本語ロックの最高の達成としての評価が定まるだろう。

 来年から、かなりの数の高校生がこの教科書で『若者のすべて』と出あう。歌う。奏でる。十年ほど前であれば信じられないような話だが、これは現実である。彼の母校でも、音楽の授業で歌われることになるかもしれないのだ。作者の志村が一番驚いているだろう。〈教科書に載るなんてロック的でない〉とか言いそうだが、〈僕の曲を知らない高校生や若者に聴いてもらいたい〉と語っていた彼のことだがらやはり素直に喜ぶだろう。志村正彦の歌詞についての授業を高校と大学で実践してきた僕としても、とても嬉しい。

  今日はあえてこう書きたい気分です。志村正彦のことをとても誇らしく思います。


2020年10月31日土曜日

山梨という場、歌の原動力 [志村正彦LN265]

  十月が終わろうとしている。月の初めに金木犀が香りだした。僕の周辺では例年より遅かった。いつもは九月の下旬だ。香りも微弱だった。天候のせいかどうか分からないが、香り出す時期、香りそのものの強さにも変化があるということなのだろう。そんなこともあって、今年は金木犀の香りと共に時を過ごすこともなかった。季節を受けとめる心の余裕もなかったのかもしれない。

 「偶景web」の更新も滞った。ブログの文を書くにはある種の気分のモードになることが必要だが、そのモードがなかなか訪れない。切替ができない。原因は仕事の過重なのだろう。以前にも書いたがオンライン授業が多い。内容のすべてを画面の映像と音声に変換していかねばならない。通常の体面授業よりも緻密で時間がかかる作業となる。もう一つの要因もある。この春から就職支援の教員側のチーフもしている。この仕事が非常に重い。ほとんどオンラインの支援になったので、こちらも緻密さを要求される。コロナ禍で大学生の内定率が低下している現状を何とか打開しようとあれこれと対策を考えている。学生を社会に送り出すことの支援は教育と同様に重要である。

 山梨英和大学には「山梨学」という授業がある。山梨の歴史、文化、社会、経済などを学ぶ必修科目であり、2年次の全員180人程が受講する。県内のほとんどの大学で山梨学をテーマとする授業はあるが、必修科目としているのは本学だけである。この科目を昨年度から担当しているが、今年度はコロナ禍によって、実施時期を前期からを後期に移動させたが、受講生が多く、現状の教室規模では体面が不可能なので、結局、オンライン遠隔授業となった。半分以上の講義は外部講師を招くので、オンライン授業の準備や支援をする必要もある。僕は、山梨と文学や文化という観点での授業を担当する。具体的には、「芥川龍之介と甲斐の国-山梨への旅とその風景の叙述、飯田蛇笏との交流」、「映画『二人で歩いた幾春秋』(木下惠介監督)で描かれた戦後の山梨と教育」「ロックの詩人-宮沢和史・藤巻亮太・志村正彦の歌う風景と季節」というテーマにした。

 九月末から、「山梨学」が始まった。志村正彦・フジファブリック『赤黄色の金木犀』を導入に置いて、「ロックの詩人-宮沢和史・藤巻亮太・志村正彦の歌う風景と季節」全3回の講義を始めた。その後、宮沢和史・THE BOOM『釣りに行こう』、藤巻亮太・レミオロメン『粉雪』と続けた。『赤黄色の金木犀』にしたのは季節がちょうど合うからだ。昨年は四月だったので、『桜の季節』にした。彼らの歌と言葉を通じて、山梨の季節、春夏秋冬、風景を「発見」あるいは「再発見」することを意図した。単なる知識伝達の授業にはしたくない。聴くこと、読むことは主体的な行為としてある。そして、ロックの歌は現代の文学として存在している。

 以下は講義スライドに記した内容である。以前このブログに書いたことをもとにした。

 山梨が誇る「三大ロックバンド」(この言い方は古風であるが、そのまま使うことにしたい)、ザ・ブーム、レミオロメン、フジファブリック。ドラマーを除くザ・ブームのメンバー、レミオロメンのメンバー、フジファブリックのオリジナルメンバーは山梨で生まれ山梨で育った。三つのバンドは共に、「山梨」という括りとは関係なく、「日本語ロック」の中で重要な位置を占める。

 ザ・ブームの宮沢和史、レミオロメンの藤巻亮太、フジファブリックの志村正彦は「ロックの詩人」としての評価も高い。宮沢は『宮沢和史全歌詞集1989-2001』(2001/11/1、河出書房新社)を出版し、志村の没後、『志村正彦全詩集』(2011/2/22、パルコ)が刊行されている。

 宮沢和史は甲府市で生まれ育った。彼の歌の原風景は、『星のラブレター』の「朝日通り」などの街の通り、『釣りに行こう』の荒川の源流など自然豊かな場の二つがある。甲府盆地の街中、そこに流れてくる川。彼はその場所から、東京へ、そして沖縄やブラジル、世界へと旅に出て、音楽を創ってきた。特に『島唄』の舞台、沖縄は第二の故郷になった。山に囲まれた山梨、海に囲まれた沖縄、どちらも「島」であるという視点が宮沢にはある。山梨も沖縄も、そこで生まれ育ち、暮らす人々にとっての「世界でいちばん美しい島」だと宮沢は述べている。

 宮沢和史にとっての「朝日通り」に象徴される場、甲府駅の北西側に位置する商店街は、志村正彦にとっての下吉田やその近くにあった商店街に相当するのではないか。昭和40年代頃まではまだ「朝日通り」界隈には「路地裏」の風情があった。その後、郊外へと発展した都市化の影響で、中心街とその中の住宅街の空洞化や弱体化が進み、結果として「路地裏」が消えていった。その現象は甲府だけでなく吉田でも起きたが、甲府よりやや遅れていたのだろう。1980年に富士吉田で生まれた志村は昭和の名残のある「路地裏」を経験できた最後の世代だという気がする。

 志村正彦の歌詞の世界には、下吉田、新倉山浅間神社の「いつもの丘」、富士北麓の風景というように、宮沢と同様に、街中や路地裏のような場と自然に恵まれた場と季節感の豊かな風景の二つが存在している。甲府には武田家の歴史や江戸時代に街の文化が栄えた歴史がある。富士吉田には富士講や織物産業の街としての歴史がある。

 それに対して、藤巻亮太の出身地である御坂(現、笛吹市)は、御坂山系からつながる扇状地である。なだらかに広がる丘陵地もあり、周辺の山々そして空が見える。藤巻の歌には空、雲、宇宙がよく出てくるのはこのような眼差しのためであろう。しかし、御坂は峠でもある。峠には峠としての地理的な区切りもある。だからやはり、幾分か閉ざされた視線も垣間見える。今は果樹栽培の盛んな農業地帯でもあるが、古代からの「甲斐路」、「鎌倉街道」の一部も通る「交通」の場でもあった。現在も、甲府盆地と富士北麓をつなぐ中継点でもある。

 地理的、地形的な観点からいえば、宮沢の甲府から、藤巻の御坂を通って、志村の吉田へと至る「歌の街道」があるようなものだ。彼らが生まれ育った場とそこから眺める風景は彼らの歌に深い影響を与えている。山梨学という授業は山梨の歴史や社会も対象とするので、そのような視点での考察も加えた。

 周囲を山々に囲まれている山梨は閉ざされた地であり、場である。閉ざされている場ゆえに外へと向かう志向性がある。宮沢和史、藤巻亮太、志村正彦の三人には、内側に向かう一種の内閉性と、逆にそれゆえに外へと開かれていく志向性がある。その矛盾する動きが、彼らの歌の原動力になっている。

2020年7月31日金曜日

夏の歌-オンライン授業[志村正彦LN260]

 今日で7月が終わる。梅雨が長く続いたせいかなんだか時が進むのが早い、といった感覚だ。

 一昨日7月29日 の朝日新聞朝刊2面に「コロナ禍、受験生減少を警戒 朝日新聞・河合塾共同調査」という記事が掲載されていた。その中で勤務先の山梨英和大学のコメントが紹介されている。(山梨および長野と静岡以外ではほとんど知られていない大学なので、「全国紙」に名が出るのはきわめて珍しい)


 経済状況の悪化が、学生に深刻な影響を及ぼすと予想する大学も多い。「経済的理由による退学・休学の増加」を夏休み以降に予想する大学は、国立13%、公立6%に対し私立は35%。「家庭の経済状況やアルバイト収入減少の影響により、学生が大学継続の意欲を失い大学から離れていく」(山梨英和大)など、懸念する大学は多い。


 この通りの状況であり、コロナ危機は多くの学生に経済的な危機をもたらした。本学では5月に「自修環境整備補助」として主にオンライン授業のための通信費整備のために、全学生に5万円を支給した。これは緊急クローズ宣言以降、来校が一切出来なくなったことから、施設設備整備の目的で徴収している教育充実費から一部を還元するという意味合いもあった。文部科学省より「学びの継続」のための『学生支援緊急給付金』があった。ただしいくつかの条件があり、すべての学生に給付できるものではなかった。この危機が長期化すれば、後期そして来年度に経済的困難から学業継続が困難となる学生が顕在化する可能性はある。

 同記事には、オンライン授業についての立命館大学のコメントがある。


 立命館大は「対面でなければならない授業の価値が、厳しく問い直される。オンラインの広がりと対面の有効性の問い直しは、大学のキャンパスが持つ意味の再考も促すことになる」と予測する。 


 山梨英和大は7年前から学生全員にモバイルPC(Macbook)を貸与している。学内wi-fi環境も整備されていて、学内のどの場所でもインターネット接続ができる。その充実した環境を利用して、僕は昨年から通常の対面授業の中で、Googleの「G suite for education」という学習支援プラットフォームの「Classroom」を使ってきた。そのきっかけは受講生が150人近くいる「山梨学」という科目だった。学生アシスタントがつかない科目なので、すべてを教員一人でやらねばならない。資料の配付や学生の振り返りペーパーの回収をすると、時間のロスが甚だしい。
 そこで、Classroomの質問機能を使って、講義の振り返りや感想を200字程度書いて提出させた。150人ほどの受講生の提出文章から20~30ほど選んで編集して、PDF文書にしてClassroomの資料配付機能を使って配信した。オンラインのネットワークを活用した学生へのフィードバックである。効率の良い方法で学生からも好評だった。通常の対面授業とオンラインの方法とのハイブリッド的形態の一つである。

 この経験があったので、幸いにして、4月からのオンライン遠隔授業にもスムーズに移行できたのだ。しかし、今年はすべてがオンライン遠隔授業となった。専門ゼミナール、文学講読、国語科教育法、それぞれ固有の目標や内容がある。それぞれに最適化した方法を見つけるのは難しい。4月からこれまで試行錯誤してきたと言ってよい。
 特に、今年度からスタートした「日本語スキル」という初年次教育科目は、学生の読解力、思考力、表現力を育成するという重要な目標がある。論理的な思考の構造を図示して理解を深めるために準備段階では紙媒体のワークシートを活用する計画であったが、オンライン授業では当然、紙媒体のワークシートを利用することは不可能である。また、教室の講義でワークシート内容を説明することもできない。

 オンライン授業化のために、根本的に授業展開と教材を変える必要があった。いくつかの方法を検討したが、結局、ワークシートの構成を分割して、Googleの「SLIDE」で資料を作り、「Meet」というビデオ会議ツールの「音声」機能を使って、説明をすることにした。教室でスライドをプロジェクタでスクリーンに投影して、教員が地声で説明する対面授業の方法のオンラインヴァージョンである。
 この方法での授業は密度が濃くなる。時間あたりの情報量が多い。オンライン授業は、授業内容の凝縮度という観点では効率的で有効な方法である(入念にデザインされることが条件だが)。コロナ危機はそのような発見をもたらした。もちろん、対面の授業の方が有効な場合もある。だからこそ、立命館大のコメントにあるように、対面そしてオンラインを含めて大学の授業と大学のキャンパスの意味が問われる。

 来週半ば前期の授業がようやく終わる。振り返れば、全く新規にスライドを作成するのにはかなりの時間がかかった。一回の授業で20~30枚の枚数が必要となる。週にそれが数本。この4ヶ月の間ほぼ毎日、スライド作成に追われていた。ずっとPC画面に向き合っての作業で特に眼が疲れる。心身共に疲労の色が濃いというのが正直なところである。

 担当の専門ゼミナールには、国語教育、文学、山梨に関心を持つ学生が集まっている。詩や歌詞を研究テーマにする学生も数人いる。前期の後半は学生のレポート発表をしたのだが、オンラインであるゆえに変化を持たせた方がよいので、20分ほどのミニ講義を取り入れた。あれこれと考えたのだが、やはり、志村正彦・フジファブリックの音源、歌詞をテーマにすることに決めた。
 学生も自宅に閉じ込められているので、「夏」の季節感を大切にしたい。すでにこのブログで少し触れたが、志村正彦・フジファブリックの夏の歌を集めることにした。『虹』『NAGISAにて』『Surfer King』『陽炎』『若者のすべて』の5曲を取り上げ、5本のスライドを作った。各スライドは6~10シートで構成した。その一部を「日本語スキル」の授業でも活用した。日本語表現の分析になるからである。

 スライドを2枚ほどjpeg画像にして添付する。あまり鮮明でないが、スライドによるオンライン授業の雰囲気が少しだけ伝わるだろうか。
 
志村正彦『虹』

志村正彦『陽炎』

 各回共に、事前にyoutubeなどで音源や映像を聴くことを指示した。授業では、Googleの「ドキュメント」ファイルに各自の感想を書きこむ。共有ファイルなので互いの感想を読むことができる。オンライン授業でも受講生同士のつながりを作るための工夫でもある。他者の考えに触れることは刺激になり、発見をもたらす。
 それから講義時間に移る。スライドで歌詞の枠組やモチーフを図示して説明した。これは歌詞の構造であり、そこに意味を吹き込み、解釈を行うのはあくまでも学生である。歌詞分析のスライド作成は大変だったが、愉しみでもあった。どこかに愉しみの要素がないとオンライン授業は辛いものになってしまう。もちろん、授業自体は学生の思考力や表現力を育てることを目的としている。

 ようやく梅雨明けとなるようだ。
 今年は花火のない夏。時が進むのが早い、短い夏となるのだろうか。


2020年6月21日日曜日

「ロックの詩人」志村正彦は季節をどう歌ったか-『若者のすべて』を読む-2020《人間文化学》[志村正彦LN257]

 山梨英和大学には《人間文化学》という1年次必修科目がある。シラバスの概要には「この科目の名称であるだけでなく、学部・学科の名称でもある「人間文化学」とは何なのだろうか。これを学ぶことで、われわれは、どういう地平を切り開くことができるのだろうか」と学生へ問いかけている。
 入学生がこれから4年間「人間文化学」を学んでいく出発点となるように、12人の教員が専門分野について講義するオムニバス形式の授業であり、私も日本語日本文学について担当することになった。具体的な事例に触れながら語るという要請なので、下記のテーマを設定した。

   日本語日本文学と人間文化学:季節の言語文化論

 「ロックの詩人」志村正彦は季節をどう歌ったか -『若者のすべて』を読む-

 『若者のすべて』は季節というモチーフだけに限定される作品ではないが、日本文学との接点のために「季節」という観点をイントロダクションに用いた。この作品には多層的な語りの構造やモチーフの展開があり、現在の学生、若者にとっての「文学作品」として享受できる。むしろこのような歌が現代の文学ではないかという問題意識の提起でもある。だから「ロックの詩人」という形容を志村正彦に冠した。また、学生が文学作品を読む方法についても学ぶことができるように配慮した。

 受講生は180人程度。当初は大教室で行う予定だったが、コロナ危機の影響によってオンライン遠隔授業で行った。本学は学生全員にモバイルノートPC(MacBook Air)を貸与している。またこの危機に対応するために、自宅でのネット接続環境の整備を目的として「自修環境整備補助」として1人あたり5万円を支給した。昨年度末、学内の無線LAN(Wi-Fi)のネットワーク機器も最新のものにリプレースされた。Googleの「Gsuite for education」をオンライン授業のプラットフォームにしたが、以前から通常の対面授業で資料の配信や課題の提出・回収に使っていた。地方の小規模大学にしては、コンピュータ・ネットワークの整備やICT教育に力を入れてきたので、比較的スムーズにオンライン遠隔授業に移行できた。

 先週、その授業を行った。STAY HOMEで、自宅のPCとネットワークを使って講義に臨んだ。Googleの授業支援ツール「Classroom」を基盤にして、ビデオ会議ツールMeet をリアルタイムの映像・音声の送信に活用した。
 Meetの画面にGoogleのスライド資料を映し出し、それに私の声による講義を重ね合わせる方法をとった。そのために、56ページのスライドを作成した。授業時間全体は95分、講義分は60分。スライドのすべてを伝えるはできないので、要点を絞って説明していった。関心のある学生には授業後に読んでもらうことを前提にした。

 スライド資料はこの偶景webの記事から再編集して作った。現時点で『若者のすべて』は52回書いてきた。この8年間の記事を読み直していったのだが、ほとんど忘れてしまったこと、上手く書けていないところ、もっと掘り下げた方がいいところなど、色々な発見があった。何となく、懐かしさのようなものも味わった。この歌は、テレビドラマや映像のBGMとして使われたり、少なくない歌い手からカバーされたりと、すでに色々な歴史が刻まれている。昨年はドキュメンタリー番組のテーマともなった。

 結局、最初の頃に集中して連載した『若者のすべて』1~12(2013年6月23日~10月26日)を基軸にまとめることにした。この全12回の論を書いてからかなりの年月が経つが、基本的な考え方は変わっていないことも確認できた。その基軸にいくつかの重要なモチーフをつなげると10章の構成になった。受講生にとって文学の読解や研究のための参考になる観点については《 》内に記した。各章のテーマは次の通りである。       


1)歌の世界をたどりきれない想い 《想いから問いかける》
2)二つの異なる曲、二つの歌の複合 《証言からの推論》
3)《歩行》と《僕》の系列 《語りの構造とモチーフの分析 1》
4)《花火》と《僕ら》の系列 《語りの構造とモチーフの分析 2》
5)「二人」と「僕ら」 《横断的に読む》
6)「自然詩人」 季節の風物詩「花火」《文芸批評・文学研究の観点》
7)消えてゆく言葉、解釈への問い《他の作品との関連、モチーフ批評》
8)僕らの世代《想いから問う》
9)「時代」を超える歌 《歌の運命》
10)なぜ志村正彦は歌を作り、歌うのか。《創造すること》


 事前課題として、『若者のすべて』歌詞とyoutube公式サイトの『若者のすべて』ミュージックビデオのURLを記載した資料を送信した。学生には繰り返し(できれば2,3回)聴いておくことを伝えた。
 授業の最初に、学生に『若者のすべて』を聴いて感じたこと、心に浮かんできたことを150字程度で書くことを指示。学生からの返信。60分の講義の展開。終了後、授業についての感想、振り返りを書くことを指示。学生からの返信。さらに、翌日までに『若者のすべて』論(600~800字程度)を書いて返信することを提出課題にした。

 学生が書いて提出した論の総数は167。優れた内容の論が多かった。歌詞と自分の想いを重ね合わせるようにして述べたもの。歌詞の語りや構造を踏まえた上で考察したもの。大学生とは言っても入学したばかりだが、それでも感想のレベルから考察や分析のレベルへと論を進めていく姿勢がうかがわれた。「世界の約束」という表現に注目したり、コロナ危機の状況下での視点を打ち出したりと、若者らしい思考が展開されていた。167の論について的確に書けているところを指摘したコメントを記して、学生一人ひとりに返信した。三日間かかったが、充実した時間だった。彼らの論から学ぶことは少なくない。
 学生が提出した『若者のすべて』論はその学生の「著作物」なのでここで紹介することは控えるが、授業の感想として寄せられたものを二つ引用させていただく。


今回の講義を受講して、今までは歌詞は付属のような感覚でしたが、曲同様、またそれ以上の意味があるものだと気づかされた。また、"語りの枠組み"ということを知り、その歌詞で何が語られ、何をモチーフにしているのかと分析していくにつれ、深層にある想いなどを読み取ることができるのではないかと思った。

歌詞の言葉の一つ一つから、言葉を選ぶ慎重さや言葉に対する拘りを感じました。「二人」と「僕ら」の使われ方の違いについて面白いと感じ、さらに詳しく知りたいと思いました。詩のような歌詞と言われているように、曖昧な部分からも様々な考えを読み取ることが出来て面白いと思いました。


 担当教員の拙い講義にもかかわらず、授業の目標はほぼ達成されたと考えている。これは『若者のすべて』という歌が、若者に作用する根源的な力を持つからである。学生はその力を若者らしく受けとめて、自らの感性と知性を行使して自由に表現した。




2019年9月30日月曜日

《ロックの歌詞》出張講義 [志村正彦LN235]

 勤め先の山梨英和大学では高校生対象の出張講義を実施している。専任教員が27名ほどの小さな大学だが、一人ひとりがテーマを設けて出張講義の冊子を作り、県内や近県の高校に送付している。
 僕の設定したテーマは「ロックの歌詞から日本語の詩的表現を考える」。志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』を教材にして、詩的表現を鑑賞して分析する授業である。

 今回、長野県の駒ヶ根市にある高校からこのテーマでの出張講義を依頼された。高校1年生と2年生のグループに対して60分の授業を二回行う。昨年この授業を甲府市内の高校で実施した時は80分だったので、その時使用した資料やワークシートを60分用に再編集したが、新たに書き加えた部分も多かった。最近の『若者のすべて』カバーの盛況を伝えるためのDVDも作成した。長野の高校生に授業ができる大切な機会なのでいろいろと準備した。

 9月27日の金曜日、資料・DVD・PC等の機材を車に乗せて大学を出発した。その時に偶然、『赤黄色の金木犀』がFM-FUJIから流れてきた。DJはこの季節の曲だという紹介をしていた。なんだかこの出張講義への声援のようにも聞こえてきた。この曲のミュージックビデオは長野県上田市で撮影されたことも思い出した。

 甲府から駒ヶ根までは車で2時間近くかかる。往復で4時間。それなりの長旅だ。地図上の感覚では南アルプスを超えた向こう側に位置しているが、車のルートでは中央自動車道で大きく迂回していく。この日は天気が良く、フロントガラス越しに山々の稜線が美しく見えた。山梨の反対側から南アルプスを眺めることになった。

 高校に無事到着。教室に案内される。生徒は第1回目が14人、2回目が7人。僕の授業は、生徒や学生が読んだり聴いたり書いたり話し合ったりという所謂「アクティブラーニング」のスタイルなのでちょうどよい規模の数だった。本題に入る前に好きな音楽、歌手やバンドを質問してみた。RADWIMPS、back number、米津玄師の名が上がる。残念ながらフジファブリックはない。『若者のすべて』という曲を知っているかという問いに対しては一人だけ返事をした。8月のミュージックステーションでの演奏を見たそうである。山梨の高校生ならもっと知っているだろうが、隣県とはいえここは長野だ。知名度としては低いのだろう。

 今回の展開は、
1.『若者のすべて』のミュージックビデオを聴いて、心に浮かんだことを自由に言葉で表現していく。
2.三つの観点から『若者のすべて』の詩的表現を分析していく。
3.最初の感想と分析を通して得たものを総合させて考察文を書く。
 というものだった。授業であるからには展開を組織して、生徒の考察を深めていかなくてはならない。これは容易なことではなく、いつもその難しさと闘いながら実践を続けている。

 生徒は『若者のすべて』の物語内容について関心を持った。自分で読み解いたストーリーをグループで話し合う。解釈の違いが浮かび上がるのが楽しいようだった。表現面については、いつもは生徒自身が興味を持った表現を選んで自由に考察させるのだが、この日は全体で60分という時間の制約があったので僕の方から指示して生徒に考察を促した。選択したのは、「ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」の一節。この表現について言葉の意味と音という観点から考えてワークシートに記入するように指示した。生徒が書き始める。言葉が進んでいく者。時々立ち止まりながら考える者。少し書きあぐねている者。志村正彦・フジファブリックの歌詞に触発されてどのような思考と表現を試みているのか。しばらく経ってから生徒の記述を確認した。中には「ない」という言葉の繰り返しや言葉の響きに注目した生徒もいた。だが全般的には十分な時間が取れなかったこともあり、課題の表現と深く対話することは難しいようだった。このような課題に取り組むためにはゆったりとした雰囲気とゆっくりした時間が必要だ。この経験は次回に活かしたい。

 講義の最後で、あくまで歌詞に対する一つの分析であることを断った上で、以前このブログにも書いたことに基づいて『若者のすべて』の優れた表現の特徴を生徒に説明してみた。その要点を以下に記す。


「ないかな ないよな きっとね いないよな」の一節には、再会することが「ない」あるいは誰かが「いない」、出来事の《否定》あるいは人の《不在》が強調されている。「ない」という否定形の反復、「・かな」「・よな」「・ね」「・よな」という助詞の付加が、ある種の曖昧さや余白を与え、聴き手の想像を引き出す。
純粋な音の響きとしては、「な・」「な・」「・な・」の不在を強調する「な」の頭韻と、「・かな」「・よな」「・よな」の「な」の脚韻がある。「な」の頭韻には強く高い響き、「な」の脚韻には柔らかく低い響きがある。「な」の音の強さと柔らかさが、縦糸と横糸になって織り込まれているような、見事な音の織物になっている。志村正彦の歌には《否定》や《不在》の表現が多いが、言葉の反復や音の響きを通じてそのような表現の世界を構築している。

 
 これはワークシートの解答例として記述したもので、授業では口頭でもっと解きほぐして伝えた。
 自分の好きな歌の歌詞に対して、「言葉」や「表現」という観点であらためて向き合ってみると、新しい発見や解釈が生まれることがある。そのような行為が思考や表現の力を築いていくことにつながる。そのことを生徒に伝えて出張講義を終えた。


[付記]
 長野に出かけた27日、まだ金木犀の香りはしなかった。翌日の28日になると、ほのかに金木犀が香り始めた。僕の住む界隈では毎年、25日か26日頃に香りだす。夏がまだ過ぎ去っていない気候のせいか、今年は少し遅かった。
 どこから漂ってくるのかは分からない。それがまた金木犀の香りの特徴だろう。どこからかは定かでないが、毎年どこからかは訪れてくる香り。同じように『赤黄色の金木犀』の歌も九月下旬という季節にどこからか流れてくる。そのような感触がこの歌にはある。

2019年4月8日月曜日

「作り話に花を咲かせ」-『桜の季節』[志村正彦LN216]

 甲府盆地の桜はまだ舞い散ることなく咲き続けている。
 勤め先の大学にはキャンパスを囲むように桜の並木がある。今朝、スマホで写真を撮った。さすがに満開は過ぎているのだが、朝の光を浴びて、桜の樹々が光の花束のように見えた。




 新年度が始まった。昨年より担当コマ数が増えて、7コマ近くになった。国語科指導法、教師論、文学講読、ライティング(コミュニケーションスキル)に加えて、山梨学と専門ゼミナールも担当する。学内業務の係も二つある。社会人や高校生対象の短期講座も持つ。授業構想やシラバス作成に続き、教材の作成や準備に追われる毎日である。
 年度末、研究室の移動があった。新しい部屋の窓からは富士山が綺麗に見える。そのことがとてもうれしかった。仕事に疲れた時に眺めると、朝から昼そして夕方へと、富士の雰囲気や色合いが少し変わっていく。その微妙な変化が美しく、愛おしい。

 今日、「山梨学」という授業を行った。山梨の文化、社会、歴史、地域、観光などを総合的に学び、「山梨」の可能性を探究していく科目である。講義の半分は外部から専門家を講師として招聘する。残り半分は僕が担当し、「山梨と文学」というテーマのもとに「芥川龍之介と甲斐の国」「山梨のロックの詩人-宮沢和史(ザ・ブーム)、藤巻亮太(レミオロメン)、志村正彦(フジファブリック)」などの講義を準備した。映画作品に描かれた戦後山梨の風景と社会というテーマにも取り組む予定だ。
 2年次の必修科目で受講者が120名にのぼるので、授業の運営には一苦労がある。本学の学生は全員MacBookを携帯している。wifi環境も充実し、授業支援のソフトやツールもある。ICTを活用して授業をデザインした。

 第1回目は授業のガイダンスや実施計画を説明した後で、山梨学のオープニングとして、志村正彦・フジファブリックの『桜の季節』を取り上げることにした。この季節にこの歌を聴くことには格別な味わいがある。
 歌詞を表示して、『桜の季節』ミュージックビデオと発売前日の新宿ロフトでのライブ映像をプロジェクタで見せた。そしてこの歌を聴いて何を感じたか何を思ったかという問いを投げかけた。学生はMacBookを使って書いたテキストを教員へ送付する。授業中にリアルタイムで学生のテキストを読むこともできる。
 最近、小学校から大学までICTの教育や利用が推進されているが、確かにPC、ネットワーク、学習支援ツールを活用すると、「授業の生産性」が上がる。講義形式であれば一人の教員が120名の学生を相手にすることは可能かもしれない。でもこの山梨学では必ず学生の言葉をフィードバックしていきたい。一方向的ではなく、少しでも相互的交流的な授業を構築したいと考えている。

 このようにして、今年度から「山梨学」の一つとして、志村正彦・フジファブリックの作品を聴いて表現する授業を開始した(高校で実践してきたことはこのブログで何度か触れた)。授業後、120人の書いた文章を読んでいった。全体の3分の2は初めて聴いたようだが、それにもかかわらずというよりそれゆえにというべきか、志村正彦・フジファブリックの作品は彼らに確実に作用していった。受け止め方はそれぞれだが、何かが確実に伝わっていることが文面からうかがえる。志村の歌は、意味や解釈を超えて、言葉そのものが聴き手に働きかける。

 ここでその内容を紹介するわけにはいかないが、二つの興味深い特徴があったことを記しておきたい。
 一つは「桜の季節過ぎたら 遠くの町に行くのかい?/桜のように舞い散って しまうのならばやるせない」の「やるせない」という感情に言及したものが多かったことだ。高校生はあまりこの言葉に触れなかった記憶がある。
 大学2年生ということは20歳前後の年。この歌を作った時の志村の年齢とも近い。この「やるせない」という感情はどこにも持っていきようのない想い、それゆえに自らの内部に深く降りていく想いであろう。この想いは十代という年齢を通り過ぎる頃に自らを振り返る、そのような年齢の折り返しにも関わるのではないだろうか。「やるせない」という感情にはその発露までの時の流れがあるのだ。

 もう一つは「ならば愛をこめて 手紙をしたためよう/作り話に花を咲かせ 僕は読み返しては 感動している!」の「手紙」や「作り話」について考えたものが少なくなかったことである。志村特有の屈折感、迂回するような感覚が20歳に達する年代の若者に響くのかもしれない。
 あたりまえのことではあろうが、年齢と共に経験と共に歌の受容は変化する。感受性のあり方も変容していく。大学生は高校生と異なる感性や知性を持つ。そのことを知ることができた授業でもあった。

 それにしても、「作り話に花を咲かせ」とは何という表現だろう。
 「作り話」とは志村にとっての「歌」そのものだ。話を作ることによって、ありのままの自分自身を迂回しながら、逆説的に、志村は自らの「歌」を作り、「花」を咲かせようとした。

 メジャーデビューシングル『桜の季節』は、志村正彦・フジファブリックの「歌」の「開花」宣言でもある。


2017年2月28日火曜日

ジャック・ランシエール『無知な教師 知性の解放について』

 教育については語りたくないという気持ちがある。後ろめたいような、気恥ずかしいような何かがつきまとう。この国の教育には大きな問題があり、それゆえに様々な議論がある。誰もが教育という経験を持つのだから、すべての人が一人ひとり各自の教育観や教育論を持っている。そのすべてが尊重されるべきだというのが議論の前提だが、それゆえにこの議論の進む方向はなかなか定まらない。深めていくのが難しい。

 それでも数回にわたって、一人の教師としての実践を中心に教育や国語教育について書いてきたのは、このblogの中心テーマである志村正彦・フジファブリックの歌を教材とする授業についてこの場に書き残すべきだと思ったからだ。私自身の実践ではあるが、そのことを離れて、志村正彦に関する様々な事柄、同時代の動き、出来事をできるだけ記載していくという「偶景web」の指針からそのように判断した。それに関連して、その授業の背景、授業の組み立てについての根本的な考え方にも触れた。昨年のこの時期、『銀河』について報告したことがあるように、志村正彦に関する授業には、歌詞を物語化するなど多様な試みがある。これからもその可能性を探っていきたい。繰り返しになるが、生徒の生き生きとした自由な言葉を触発するという点で、彼の歌にはきわめて大きな力がある。

 私はそもそも教育学や国語教育学の書物をほとんど読まない怠惰な教師だが、率直に述べると、特に「専門家」による著作は敬して遠ざけている。理屈を超えて何となく拒否反応があるのだ。だが六年ほど前、ジャック・ランシエールの『無知な教師 知性の解放について』(法政大学出版局、2011/7/28)を読んでからは、この書物を実践の拠り所とするようになった。教育学ではなく教育学批判の本であり、狭義の教育を超えて、人々の「知的な解放」を探究する本である。この本に出会った頃にちょうど志村正彦の歌について語り合う授業も始めた。テーマやモチーフとしての志村、理論や方法としてのランシエール。あたりまえであるが、この二つは別の流れ、異なる系譜のものではあるが、今振り返ると、この二人の表現と思考に負うものが非常に大きいことに気づく。

  ジャック・ランシエール(Jacques Rancière, 1940 - )はフランスの哲学者。ルイ・アルチュセールの弟子だったが、師を批判する書物を出すことで頭角を現した。その後、歴史資料を丹念に読み解き、19世紀の労働者の書いたによる哲学的、詩的作品を発掘し、その意義を考察した『La Nuit des prolétaires』(1981、『プロレタリアートの夜』未訳)、19世紀の教師ジョセフ・ジャコトの「知性の解放」のため教育を紹介し分析した『Le Maître ignorant 』(1987、『無知な教師 知性の解放について』2011)を著した。
 『無知な教師』の核心にあるのは次の出来事である。

  19世紀初頭、フランス人のジョセフ・ジャコト(Joseph Jacotot, 1770 –1840)は、ルーヴェン大学(現在のベルギーにある。当時はオランダ語圏だった)でオランダ語を母語とする学生にフランス語を教える職を得た。ジャコトはオランダ語が分からない。学生はフランス語が分からない。通常の「教える」ことが不可能な状況だった。ジャコトはどうしたか。私たちがこのような状況に置かれたらどうするだろうか。

 ジャコトは学生に「説明する」言葉を持たない。彼は『テレマック』というフランス語・オランダ語の対訳本を与え、そこに書かれた一つひとつの言葉に注意深く取り組むことだけを指示した。その結果、驚くべきことに、学生は高い水準のフランス語を習得した。
 この偶然の出来事、発見がジャコトの教育を根本から変えていった。教師は自分の知らないことを教えることができる。教えられないことを教える。むしろ、教えられないからこそ教えることができる。この驚くべき出来事、教育学の常識に反する事実が、ジャコトの受けた「啓示」である。ランシエールはこの「啓示」を次のように分析している。

ジョゼフ・ジャコトを捉えた啓示は、説明体制の論理を逆転させなければならぬ、ということに帰着する。

教育学の神話は、劣った知性と優れた知性があると主張する。劣った知性は、習慣と必要との狭い範囲の中で、行き当たりばったりに感知したものを記録し、記憶に留め、経験に基づいて解釈したり繰り返してみたりする。これは幼い子供や庶民階級の人の知性だ。優れた知性は物事を理性によって認識し、単純なものから複雑なものへ、部分から全体へと、筋道を立てて進める。この知性のおかげで、教師は自分の知識を生徒の知的能力に合わせて伝授し、学んだことを生徒がきちんと理解したかどうか確かめることができる。以上が説明の原理である。これは啓示以降、ジャコトにとっては愚鈍化の原理となる。

 ジャコトそしてランシエールが批判する「説明体制の論理」「愚鈍化の原理」は、現在の学校教育の中心にもある。教師は生徒に説明する。説明して教えこむ。だが、教えることの自明性が疑われることはない。教師は生徒を「劣った知性」と「優れた知性」を持つ者とに二分化する。だが決して、二分化の評価の自明性も疑われることはない。
 しかし、現場の一教師としての私の実感は、少なくとも「言葉を語る」という能力において、「劣った」「優れた」という二分化は無効である。生徒には「言葉を語る」能力がすべて平等に与えられている。彼らは思考し表現する。そのテーマ、モチーフにより、表現に差異が生じるのは確かだが、その差異を超えて、彼らは豊かに言葉を生みだしていく。それを引き出せないのは、その教育自体に原因がある。教えすぎたり固定的な評価をしたりすることで、生徒の自発的な力を阻害してしまう。これは実感というより確信に近いが、主観的な判断でなく、客観的な資料を提示することもできる。私の拙い実践報告や論文はそのことを示すものでもある。
 でも、どうすればよいのだろうか。その問いかけに対して、ジャコト=ランシエールはこう語っている。

生徒を解放すれば、つまり生徒自身の知性を用いるように強いれば、自分の知らないことを教えられるのだ。教師とは、知性が己自身にとって欠くことのできないものとならなければ出られないような任意の円環に、知性を閉じ込める者なのである。無知な者を解放するには、自分自身が解放されていること、すなわち人間精神の本当の力を自覚していることが必要であり、またそれで十分なのだ。無知な者は、教師が彼にはそれができると信じ、彼が自分の能力を発揮するように強いれば、教師が知らないことを独りで習得できる。

 つまり、教師にとって必要なことは「自分自身が解放されていること、すなわち人間精神の本当の力を自覚していること」である。解放されていない教師は自らを教える立場に固定し、教える行為に固執する。結果として、生徒が自ら学ぶ力、自ら考える力を抑圧してしまう。時には権威や侮蔑と共に、時にはある種の善意や誠意を伴って。だからこの問題の根は深い。

 人は誰でも独りで学び、知性を育み、自らを解放していく。
 このことの深い意味を理解するためには、ジャコトのような出来事を現実に経験するしかないが、それに近い事柄は、教える者あるいは学ぶ者は誰でも経験しているはずだ。でも、それはなぜか忘却されてしまう。現代の教育の場面でも、意識的無意識的に、否認され否定される。
 それでも、ジャコト=ランシエールの思想、「知性の解放」のための教育はこれからも実践されていくだろう。

2017年2月19日日曜日

授業実践 小川洋子『バックストローク』

 前々回の最後で「教師が一方的に教えるのではなく、生徒が考え表現することを尊重するのがこの授業の根本にある。生徒の言葉が彼ら自身の思考と表現の言葉となることを目指している」と書いた。大修館書店の本に書いたり、山梨英和大学で報告したりした一連の授業はこの考え方に基づいている。

 生徒・学習者を中心とする授業のデザインは十数年前から試みている。小説の授業の実践では、教育出版のHPの「高校メルマガ配信記事」の「教材研究・実践報告」に、「現代文B小川洋子『バックストローク』を読む1・2」という拙稿が掲載されている。(これは2008年秋に行った高校3年生対象の授業を考察したもので、「1」が2009年6月、「2」が2010年6月の「教育出版高校メルマガ」で配信された。) 

*注記(2026.7.7) 現在は教育出版のHPに掲載されていないので、「小川洋子『バックストローク』を読む 1」「小川洋子『バックストローク』を読む 2」 として新たに掲載した。

 その冒頭に書いた文を引用したい。

 小説を「読む」とはどのような行為なのか。そして、「小説」を学ぶ、教えるという行為はどの方向に向かうべきなのか。この問いを抱えながら、授業の準備を行い、教室に向かう。小説教材の最初の授業のとき、小説を読む充分な時間を生徒に与えるように心がけている。小説を読むのには固有の時間があり、読書の主体としての生徒には一人ひとり別の時間が流れている。教科書に印刷されている小説作品は文字の記号としてそこにあるが、読書主体としての生徒の読む行為を通じて、その存在を獲得し始める。

 教室ではまず始めに、時間は充分にあるので各自のペースで読んでいくことを指示する。その際「教材」ではなく、「作品」という意識で読むことを重視している。生徒がページをめくり始める。すぐに小説世界に入っていく者。煩わしそうに読む者。各々の読む時間が進行する。時に愉悦を感じ、時に困惑を感じる時間。静かな時間が流れ、時々、ページをめくる音が聞こえてくる。

 この後、生徒は小説を読んで感じたこと考えたことを自由に書く。私が作品についてあらかじめ説明することはない。教師が余計なことをいうとそれに引きずられてしまうからだ。それは生徒の自由な思考と表現を奪う。何も言わずに生徒が書くのを「待つ」姿勢を貫く。生徒が文を提出することで最初の授業が終わる。その後、生徒がどのように読んでいるのかを分析し、それに基づいて授業を構想していく。あくまで「読書主体としての生徒」の読みを中心に授業をデザインする。(付言すれば、2011年から始めた志村正彦・フジファブリックの歌を聞き歌詞を読む授業もこの方法で行っている。)

 通常の高校国語の授業は、教師用指導書等にある授業展開を参考に展開していく。その方法の根本には、教える者(教師、教科書著作者・編集者)が小説の読みを決定し、授業も構想するという考え方がある。教師中心の教材解釈であり、指導方法となる。(その背景には、作者が小説の主題や意味を支配しているという考えがある)この考え方は、すでに半世紀近く前、1960年代以降に欧米の文学理論、読書行為論や記号論で批判されているが(この系譜の理論を代表するのがロラン・バルトだ)、日本の国語教育ではこの指導方法や教育観が支配的だった。この教師中心の指導に対して批判的な実践をするのが、現場の教師としての私の一貫したモチーフであった。教育出版HPの2008年の授業研究はそれを最初にまとめたものであり、去年の大修館書店の授業報告はその発展形である。

 実際に生徒がどのように小川洋子の『バックストローク』を読んだのかは、拙稿を参照していただきたい。十八歳の思考や感性には素晴らしいものがある。生徒の読みから学ぶことは多い。

2017年2月12日日曜日

桜は常にそこにある。[志村正彦LN150]

 桜という主題を探究する一連の授業では、俵万智の随筆『さくらさくらさくら』[『風の組曲』河出書房新社 (2000/01)所収]、志村正彦の歌詞『桜の季節』[フジファブリック『桜の季節』 Single  CD、 EMIミュージック・ジャパン(2004/4/14)]、社会学者佐藤俊樹の評論『桜が創った「日本」―ソメイヨシノ 起源への旅』[岩波書店 (2005/2/18)]の三つを教材にした。各々のテクストの中で最も魅力のある部分を取り上げて授業を展開した。

 俵万智は桜についてこのように述べている。

桜というのは、花だけを取り出して観賞するものではないのかもしれない。桜の咲いている空間ごと、そして時間ごと、日本の春という舞台の全てを含めて桜なのだという気がする。

 「花」だけではなく、桜の咲いている「空間」や「時間」、「舞台」の全てが「桜」なのだという指摘は鋭い。桜を見つめる視線が、「花」だけにズームインしていくのではなく、「花」を離れてその周辺へとズームアウトしていく動きがある。

 志村正彦は桜の季節をこう歌っている。

 桜の季節過ぎたら遠くの町に行くのかい?
 桜のように舞い散ってしまうのならばやるせない

 その町にくりだしてみるのもいい
 桜が枯れた頃 桜が枯れた頃

 「桜の季節」。慣用的な表現でもあり、さっと読み飛ばしてしまうかもしれない。だが、「桜」と「季節」が「の」で結ばれているのは志村らしい言葉の接合の仕方ともいえる。
 この歌は一人称の主体が二人称の相手に対する「問いかけ」という枠組を持つ。「遠くの町」に行く相手に対して、歌の主体は「その町」と捉えなおした上で「くりだしてみるのもいい」と自らに語りかける。ただし、その時季は「桜が枯れた頃」の季節なのだが。

 佐藤俊樹はソメイヨシノの風景を次のように考察している。

ソメイヨシノの「一面の花色」は、桜の美しさを極端なかたちで現実化したものだ。その意味で、ソメイヨシノはやはり理想的な桜であった。けれども、「一面の花色」は桜の理想のあくまでも一つにすぎない。別の理想像をもつ人、いやそれ以上に、理想というものの多様さを直感できる人にとって、ソメイヨシノは美しさとともに、異様に歪曲された感じを抱かせる。

 佐藤俊樹は、ソメイヨシノの「起源」、江戸末期にエドヒガンとオオシマザクラが交雑した樹のクローンとして誕生した事実を述べるだけでなく、「桜」の「美」をめぐる「想像」と「現実」との複雑な関係性を指摘している。ソメイヨシノの出現以前から、「一面の花色」という「想像」が文学作品の中で描かれていた。その想像を「現実」のものとするかのうようにソメイヨシノは育成されていった。

 俵万智の随筆、志村正彦の歌詞、佐藤俊樹の評論、三つとも「桜」についての新しい捉え方を提起している。生徒はこの三つの教材を読んで、「桜」について捉えなおし、考察を深めて、最終段階で「桜という存在と私」という題で600字の文章を書いた。三人の筆者の考え方を受け止めた上で、それにとどまることなく、自己の「桜経験」を振り返り、「桜」という存在と「私」という主体とのつながりについて思考し表現した。『変わる! 高校国語の新しい理論と実践』に収録した生徒作品を一つ紹介したい。

桜は季節によって姿を変えていくが、人は花のない桜の木を桜として捉えていない。同じ場所に同じ樹木として立っているにもかかわらず、あの桜色の世界がないだけで違うものに見えてしまうほど、私たちに染みついた桜のイメージは固定されている。夏は若々しい緑の葉がつき、秋には葉が落ち、冬は寒さに耐え乗り越えて、春になるとあの特有の花を惜しげもなく開いて、人々を笑顔にする。努力を人知れず積み上げ、笑顔を生み出すのは、人と同じだ。桜は常に寄り添い見守ってくれる暖かい木だ。桜は常にそこにある。

 この生徒は、季節によって姿を変えていく桜に焦点を当てている。「桜のイメージ」の固定化への批判もあり、春になり「あの特有の花」で人々を「笑顔」にする桜への親愛の情もある。「努力」する桜、「常に寄り添い見守ってくれる」木としての桜という擬人化は高校生らしい感受性があふれる。最後の「桜は常にそこにある」という表現は深い。

 志村正彦の歌は問いかける。以前にも書いたが、その問いかけが生徒の思考と感性を触発する。生徒の言葉を生み出す。この生徒作品にも『桜の季節』の問いかけに対する応答がある。志村の描こうとした風景には「無」の感覚が漂うが、この生徒が見つめてきた風景には「有」や「生」の感触が濃厚である。感受性は異なるが、それゆえの対話がある。
 「桜は常にそこにある」のだが、人はそれを忘却してしまう。生徒の文からそのことを教えられた。

 この授業は昨年の4月から5月にかけて試みた。生徒の振り返りの文で最も印象に残ったのは、「来年は桜の見方、見え方が変わるだろう」という言葉だった。
 あと一月半で今年の桜の季節を迎える。桜の風景がどのように現れるのだろうか。


2017年2月5日日曜日

生徒は『桜の季節』をどう評価したか [志村正彦LN149]

 「思考と表現のデザイン」教育フォーラムでは、生徒中心の「思考のデザイン」学習の新しい方法について報告した。しかし、思考力を育成するためには「方法」の開発だけでなく、生徒の思考を触発させるような「作品」「教材」も開拓されねばならない。

 『変わる!高校国語の新しい理論と実践』には字数の制約があって掲載できなかったが、一連の授業の中で、生徒が志村正彦・フジファブリック『桜の季節』について評価や分析を行った。
  生徒は『桜の季節』を高く評価した。(段階評価の結果を数値化すると、「とても優れた作品」71%、「優れた作品」23%、「普通の作品」6%となった。教材の評価を明確にするためにあえて数値化した。)生徒の評価理由を簡潔に紹介したい。

・歌詞に問いかけの形が入っているから、色々と考えられる。
・何度聞いても全てが解釈できるわけではない歌の世界観に引き込まれた。
・今までにない桜ソング。独創的でいい。
・聴く人が一人ひとり自分のストーリーを作ることができる。
・「桜が枯れた頃」というように歌自体の季節感が味わえないどこか不思議な世界を持つ。
・繰り返しには誰かへの強いメッセージ性が感じられた。
・自分にあてた手紙のようなものだと思った。

 生徒は『桜の季節』が優れている理由を自分の視点で述べている。この歌の「問いかけ」や謎、世界観や独自の季節感。「自分のストーリーを作ることができる」「自分にあてた手紙のようなもの」だという記述は志村の歌詞の世界の本質に迫っている。
 志村正彦・フジファブリックの作品の授業において、私自身の「解釈」や「分析」を講義のような形で生徒に伝えることはない。そんなことをすれば生徒の自由な思考を損ねてしまう。だから、志村正彦のプロフィールや作品に関する基本データを簡潔に知らせることと、歌を集中して聴き、言葉を丁寧に読みとることだけを指示している。
 つまり、教師が一方的に教えるのではなく、生徒が考え表現することを尊重するのがこの授業の根本にある。生徒の言葉が彼ら自身の思考と表現の言葉となることを目指している。

2017年1月29日日曜日

山梨英和大・教育フォーラムでの高校生の発言

 1月26日、「思考と表現のデザイン」教育-高大接続教育フォーラムが山梨英和大学で開催された。天気は快晴、英和大のキャンパスからは御坂山系の向こう側に美しい富士山の頂きが望める。東京からの参加者がその姿に感心していた。
 高校教員、教育系出版社を中心に50人程が参加した。第1回の試みということもあり、広報や周知の仕方に慣れていなかったり、題名がやや難しい印象があったりしたせいか、当初の想定数には至らなかった。地方の小さな高校と大学の個別と連携、それぞれの実践が話題の中心であったが、「面白かった」「興味深かった」という声がほとんどの参加者から寄せられたので、内容は目標とした水準には達していたと思われる。
 私は主催者の山梨英和大学との連携校の担当者ということから、実質的には「共催者」の立場だったので、いくつかあった課題についてしっかりと受けとめていきたい。

 フォーラムは、ギッシュ・ジョージ学長が聖書の「初めにロゴス(言葉)があった」を引いて「言葉」の存在の意義について簡潔に語った。その「言葉」をリレーするようにして、小菅健一氏、河手由美香氏、木下学氏、私の順で四人の講演者・報告者が、高校と大学とその接続において今課題となっていること、実践していることを語っていた。皆、個人的な経験をふりかえりながら自分の語り口で率直に述べていたことが印象的だった。当然だが、思考や表現の教育を試みる者は自らの言葉に対して自覚的で批評的であらねばならない。

 その内容についてこのblogで紹介することは控えるが、一言で言うなら、生徒・学生つまり学習者が中心となる授業についての模索の経過報告である。いわゆる「アクティブ・ラーニング(AL)」型の授業であるが、ALという用語が流行しだす以前から、私の勤務校ではその種の試みを重ねてきた。(その一端が『変わる!高校国語の新しい理論と実践―「資質・能力」の確実な育成をめざして』(大修館書店)収録の実践である)生徒が主体的に思考し表現すること。現在の高校の国語教育と大学の初年次教育の最大の課題である。
 議論の中で、私の授業におけるフィードバックの方法についての質問があった。まだ試行錯誤中であり、これから探究すべき課題だと答えるのが精いっぱいだったが、思わぬところでこの課題についての貴重な意見がもたらされた。

 学校帰りに立ち寄ってくれた生徒三人のうちの一人、K君の発言だった。(教員や大人だけでなく当時者である生徒が参加することも必要だと考え、声をかけていた)授業でのフィードバックという問題について、突然だったが生徒自身に発言を求めた。K君はフォーラムの議論の方向を彼なりに追いかけながら、高校生としての視点で的確な意見を出してくれた。自ら考えた言葉しかも対話性のある言葉で表現した。終了後、知り合いの参加者が異口同音に、生徒の言葉の質がこの授業の達成の度合いを示していると言った。確かに、彼の発言がこの実践のフィードバックになっていた。

 教育の実践は何をもって評価や達成とするのかが難しい。形式的、制度的な評価ができたとしてもそれが真正の評価であるかどうかは疑わしい。一年間を通してある授業を実践して、生徒がどのような思考力や表現力を獲得したのか。教師側の自己完結的な(時に自己満足的な)評価ではなく、「他者」としての生徒自身の思考や表現という「外化されたもの」で評価すること。教室という場を離れた社会の中での発言にその成果を見ること。私の拙い授業を超えて、高校生は思考と表現の力を育てていく。自立していく。その姿を見ることができたのがこのフォーラムの最大の成果だった。