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2021年10月24日日曜日

「若者のすべて」-「朝日新聞」と「Real Sound」の記事/『サブカル国語教育学』[志村正彦LN294]

 一昨日10月22日、「朝日新聞」山梨版の第2山梨面で、〈「若者のすべて」世代を超えて フジファブリックの名曲、高校教科書に採用〉という記事が掲載された。

 すでに、「朝日新聞」10月14日付夕刊の全国版(東京本社版・名古屋本社版・大阪本社版・西部本社版)社会総合(10面)に、〈「若者のすべて」何年経とうとも ロックバンド名曲 高校教科書に〉という記事が全体の三分の二ほどの紙面を割いて掲載された。しかし山梨版にはなかなか載らなかったので、全国版だけで終わるのかと残念に思っていたのだが、一週間ほど遅れてやっと紙面の記事となった。山梨版の方も第2山梨面の半分以上が使われていた。山梨の方にぜひ知ってほしいニュースなので、これは嬉しかった。

 やはりいまだに、新聞記事、特に地方では地元紙や全国紙の地方版の影響力は大きい。NHK甲府、山梨放送、テレビ山梨などの地元局でも報道されたので、山梨県民の多くが、富士吉田出身の志村正彦・フジファブリックの楽曲が高校の音楽教科書に採用されることを知ったことと思う。地方では郷土愛的なものが自然に共有されている。富士吉田出身の若者が創った作品が教科書に掲載されることは、素直に誇りに思うことだろう。高校に限って言えば、これまで山梨県出身の作家が教科書に掲載されたのは、おそらく、国語教科書に載った飯田蛇笏・飯田龍太の俳句だけであろう。

 朝日新聞のこの二つの記事には若干の違いがある。そもそも、この記事は10月14日の朝日新聞デジタル版に①が掲載され、その日のうちに①を少し短縮した記事②も掲載された。10月14日全国版の夕刊に載ったのは②である。ところが、10月22日付の山梨版に載ったのは①の方であった。

  フジファブリックのあの名曲が教科書に 亡き志村君もきっと…
           2021年10月14日 10時30分
「若者のすべて」、何年経とうとも ロックバンド名曲、高校教科書に
           2021年10月14日 16時30分

 二つの記事はなかでも最後の部分が異なっているので、ここに引用する。

① 志村さんが亡くなって、この冬で12年。いまはボーカルとギターを担当する山内総一郎さんら3人で新作を発表し続けるフジファブリックは、取材に対して、こうコメントを寄せた。

 「この曲は多くの方々に愛されて、たくさんのアーティストが歌い継いでくださっています。フジファブリックが大切にしている『若者のすべて』が世代を超えて、学生の方に知っていただける機会をいただきましたことに感謝いたします。そして、この曲がこれまで以上に皆様の心に届き、寄り添う曲となることを願っています。作詞作曲を手掛けた志村君もきっと喜んでいることと思います」


② いまはボーカルとギターを担当する山内総一郎さんら3人で新作を発表し続けるフジファブリックは、取材に対して、こうコメントを寄せた。

 「世代を超えて、学生の方に知っていただける機会をいただきましたことに感謝いたします。そして、この曲がこれまで以上に皆様の心に届き、寄り添う曲となることを願っています。志村君もきっと喜んでいることと思います」

 おそらく紙面の字数の都合で、①の一部が省略されて②へと短縮されたのだろうが、コメント部分のニュアンスが若干違っているのが読みとれるだろう。


 タイトルの差異も興味深い。山梨版を③として並べてみよう。

① 【デジタル版】フジファブリックのあの名曲が教科書に 亡き志村君もきっと…

② 【デジタル版・全国版】「若者のすべて」、何年経とうとも ロックバンド名曲、高校教科書に

③ 【山梨版】「若者のすべて」世代を超えて フジファブリックの名曲、高校教科書に採用

 〈フジファブリックのあの名曲〉〈「若者のすべて」…ロックバンド名曲〉〈「若者のすべて」…フジファブリックの名曲〉と変化している。①には曲名がなく、②はフジファブリックというバンド名がない。山梨版にはどちらも記されているのは、地元山梨での知名度を意識したのかもしれない。 


  「若者のすべて」音楽教科書採用の経緯については、「Real Sound」の〈米津玄師「Lemon」、フジファブリック「若者のすべて」なぜ高校教科書に採用? 版元編集者に聞くポップスの選定基準〉(文・取材=小林潤、取材協力・画像提供=教育芸術社 取締役・今井康人)という記事も注目される。「MOUSA 1」出版の教育芸術社の今井康人氏が、「若者のすべて」の掲載理由、ポップスの選定基準などについて語ったものである。このブログにも要点を記録しておきたいので、以下、引用させていただく。


高校生がポップスを学ぶ意義
世の中に出ていく高校生にとって、より身近なものを自らの音楽文化の一つとして取り込んでいく必要があるだろうということで、今社会に生きている音楽であるポップスを取り上げるケースが多いのです
掲載楽曲の選定基準
選定において重要なのは楽曲のパワーです。その楽曲が生き残っていく可能性がどれだけあるか、話題性に留まらず、音楽・詩そのものが持っている力がどれだけあるか、そういったものを見極めて選んでいます
企画や特集における工夫
『MOUSA1』で日本のポピュラーミュージックを年代で区切って特集する企画と関連付けて掲載しました。例えば1940年代『東京ブギウギ』、1960年代『見上げてごらん夜の星を』、1970年代『翼をください』、そして2000年代で『若者のすべて』、2010年代で『Lemon』というように、その時代を代表するような楽曲を選定したのです。
教科書制作における課題や難しさ
近年難しくなってきたのは今後掲載する楽曲が、10年、20年と残っていくような本当にいい楽曲なのか見極めることです。
授業が多様な音楽に触れるきっかけになれば
ネットが発達した今の社会では『好きなものしか聴かない』という状況に陥りがちです。しかし世の中にはいろいろな音楽があって、それらの価値に触れることも大切だと思います。例えばYouTubeなどで検索してみて聴いてみることを通して多様な音楽に触れていただきたい。そのきっかけ、窓口に音楽の授業がなってくれればいいなと思いますね


 今井康人氏は、〈楽曲のパワー〉〈その楽曲が生き残っていく可能性〉〈音楽・詩そのものが持っている力〉を強調されている。特に〈音楽・詩〉というように、〈音楽〉だけでなく〈詩〉もかなり意識していることが注目される。高校生が歌う可能性のある作品の場合、あたりまえのことではあるが、詩、歌詞も重要である。「若者のすべて」はその点でも極めて高い評価を得たようだ。

 また、ネット社会の発展で〈好きなものしか聴かない〉という状況が進むなかで、授業や教科書がいろいろな音楽の価値に触れるきっかけになればいいという想いは、教育に携わる筆者にとっても非常に共感できる。僕が高校や大学という場の国語や日本語表現という教育において、志村正彦・フジファブリックの歌詞についての授業の実践を続けてきたのは、生徒や学生が優れた作品を知る機会が意外に少ないという状況があったからでもある。ネットで音源、映像、情報は膨大にある。しかし、ほんとうに優れた作品を見出すことは難しい現実もある。そのような現実に対抗するものとして、学校教育の存在意義、教材選択の意味や価値は依然としてある、というのが僕のスタンスである。

 最近、『サブカル国語教育学 「楽しく、力のつく」境界線上の教材と授業』(町田守弘 編著、三省堂2021.9.10)というマンガ、映画・アニメ、音楽、ゲームなどのサブカルチャーを用いた国語科の教材や授業提案の書籍が出版された。その中に、永瀬恵子氏の〈現実と虚構の合間で手紙をしたためよう [教材名] 「桜の季節」〉という授業構想が発表されていた。このような新しい実践が生徒の表現や思考の能力を育成していくだろう。僕も以前、『変わる!高校国語の新しい理論と実践―「資質・能力」の確実な育成をめざして』(大滝一登・幸田国広 編著、大修館書店2016.11.20)に、志村正彦・フジファブリックの「桜の季節」を教材の一つにした報告と論考『思考の仕方を捉え、文化を深く考察する―随筆、歌詞、評論を関連付けて読む―』を書いたことがある。(永瀬氏にはこの拙論を参考文献として取り上げていただいた)

 音楽そして国語でも、志村正彦の作品が教材となる時代が到来している。


   

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