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2025年12月21日日曜日

見えない銀河を渡ることにしよう[ここはどこ?-物語を読む 12]

  平野や西側が海という場所に住んでいる人には意外だろうが、山梨では真っ赤な夕陽は沈まない。 太陽は赤くなる前に西の山に沈んで、それから山の端からせり上がるように夕焼けが広がる。だいぶ昔のことだが、関東平野にある県に住むことになって、初めて丸くて赤い太陽が地平線に沈むのを見たとき、ああこれが夕陽というものかと思った。そもそもそれまで地平線を見たこともなかった。

 山がすっかり闇に飲み込まれてしまうと、空は月と星の時間になる。冬の空気はピリリと冷たいが、星を見るのは冬がいい。年のせいかだいぶ目が効かなくなっていて、カシオペアやオリオンなど見つけやすい星座しか見つからないが、それでも見つけられると嬉しくなる。


 さて、銀河である。 残念ながら、街の明かりのせいか、こちらの視力の問題か、肉眼で夜空に銀河を見つけることはできない。 子どもの頃は見えていたかと考えてみたが、あれが銀河だと確信した記憶はない。銀河のイメージはプラネタリウムやテレビの番組の望遠鏡の映像などによって作られた二次的なものでしかない。中国や日本の古典には天の川がよく出てくるから、昔の人は実際肉眼で見ていたんだろうが。

 何でも年のせいにするのはどうかと思うが、「銀河」を歌いこなすことができない。

 問題は「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」である。一回目はクリアしても四回も繰り返しているうちにほぼつまずく。口も舌も回らないのだ。

 ところで、この「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」はなんだろう。真夜中二時過ぎに街を逃げ出す二人の足音と考えるのが普通なんだろうか。では次の「パッパッパッ パラッパラッパッパッ」(心なしかこちらの方が歌いやすい)は何か?  走り続けた二人の吐く荒い息が立ち止まった丘の上で闇の中に白く浮かぶ様だろうか。

 歌詞の中にはこの二人についてほとんど説明がないから、例によってはっきりしたことは言えない。 わかっているのは二人が真夜中に街を逃げ出したことだけ。二人で手に手を取って逃避行。駆け落ちなのか?  いや、二人が恋愛関係にあるとは限らない。青春時代、閉塞的な社会から逃げ出したい友人同士かもしれないし、因習的な家制度から逃げてきた親子かもしれない。無実の罪を着せられそうな男とその日に出会ってなぜだか巻き込まれてしまった他人というミステリー仕立てもできないことはない。これは聴き手が自由に想像すればいいのであって、面白い設定を想像できたら、隣で志村正彦がニヤニヤしてくれそうな気もする。


 しかし、問題はここからだ。二人の行く先は「UFOの軌道に乗って」「夜空の果て」までなのである。いきなりジャンルがSFになってきたではないか。こうなると二人の設定も修正が必要になるかもしれない。なぜ逃避行しなければならないかも地球規模になる。人類滅亡を防ぐためとか。宇宙のどこかに閉じ込められている誰かだけが二人を救う方法を知っているとか。空を飛んで旅をするとなれば宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」や松本零士の「銀河鉄道999」のイメージも浮かぶ。

  夜空の果てに何があるのか。UFOは敵か味方か。 二人の行く末は吉か凶か。何もかもわからないまま、しかし、二人は宇宙へ旅立ったのだろう。


  きらきらの空がぐらぐら動き出している!

  確かな鼓動が膨らむ動き出している!


 これはつまり二人がUFOに乗り込んだということなのではないか?だから空がぐらぐら動き出しているのだ。

 そうなると「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」も「パッパッパッ パラッパラッパッパッ」もUFOに乗り込むための呪文のようなもの(言葉ではなく動作みたいなものかもしれない。ダンスとか)に思えてくる。それができた人だけUFOに乗ることを許される。二人はきっと淀むことなく難関をクリアして、UFOで夜空を渡っていくのだ。 


 歌いこなすことができない私はたぶんUFOに乗せてもらえないだろう。せめて想像の翼で夜空の果てまで向かう二人を追いかけ、見えない銀河を渡ることにしよう。


2021年11月21日日曜日

志村正彦の母校での講義 [志村正彦LN297]

 先週、志村正彦の母校の山梨県立吉田高等学校で、志村正彦の歌詞についての出張講義を行ってきた。担当の先生から山梨英和大学に直接の依頼があった(ロックの歌詞に関する私の講義を聴いた吉田高校出身の学生が、その内容を母校の先生に話してくれたことがきっかけになったそうである)。志村の母校からの依頼はとても嬉しかった。光栄でもある。そもそもフジファブリックは高校時代のバンドが元になっている。この高校での出会いや様々な経験は、志村正彦という人間の形成にとって重要なものとなった。

 この講義は、1学年の総合的な探究の時間「富士山学Ⅰ」、スポーツ・観光・国際・芸術文化・街づくり・防災の6分野の講座のうちの一つだった。今年度のテーマは「地域を知ろう!」。担当の先生の教科が音楽であり、芸術文化の分野だったことことから、富士吉田出身、吉田高校の卒業生である志村正彦がテーマとして選ばれた。

 担当の先生とメールや電話で打ち合わせをした。「若者のすべて」教科書採用の話題で盛り上がった。合唱部も指導していて、「若者のすべて」の四部合唱もすでに試みたそうである。来年度からの吉田高校の音楽の授業では、「若者のすべて」が重要な教材になることは間違いない。吉田高校でも志村正彦の知名度が上がり、関心が高くなっている。放送部でも志村に関する番組を制作したそうである。音楽の授業で「若者のすべて」を歌い奏でる。部活動で志村正彦を探究していく。吉田高校の今後の活動がとても楽しみである。

 当初はオンライン遠隔授業の予定だったが、山梨県ではコロナ感染者も激減していたので(最近は感染者ゼロが続いている)、高校での対面授業に変更することができた。せっかくの機会なので、私も担当の先生も対面の方が良いと判断した。

 生徒の事前アンケートが送られてきて、志村正彦の存在は知ってるが、その作品はあまり聴いたことがないということが分かった。昨年、山梨県内では、「若者のすべて」が「STAY HOME」のCMで繰り返し流されていたので、この曲は知っているようだった。この高校は進学校であり、富士吉田市以外の市町村からも入学してくる。そのような事情も影響しているかもしれない。

 今回の講義では、音楽の教材となる「若者のすべて」と共に、「富士山学」の「地域を知ろう!」というテーマから、富士北麓地域の風景や季節感とのつながりが深い四季盤の作品、「桜の季節」「陽炎」「赤黄色の金木犀」「銀河」も取り上げることにした。「志村正彦・フジファブリック-四季盤と「若者のすべて」の歌詞を読む-」というテーマを設定して、特に四季盤については新たにSLIDE資料32枚を作成した。授業時間は45分と短いので、その全てを講義することはできない。講義では要点を話し、SLIDEは印刷資料やpdfにして配付するように計画した。そのSLIDEの一枚を紹介したい。(ABCという記号は三項から成る構造の各要素を示している)



 四季盤の春夏秋冬は、〈桜→陽炎→金木犀→銀河〉と変化していく。その季節の舞台となっている場は、〈坂の下→路地裏→帰り道→丘〉と移動していく。志村は具体的な地名や場所を記してはいないが、富士吉田がその場としてあるいは原風景としてイメージされていることは確かであろう。今回、四季盤の曲を繰り返し聴いていくうちに、富士吉田という場の中で四季の変化と具体的な場所の移動が循環しているように感じた。そのような時と場の循環のなかで、歌の主体(僕)は、言葉では伝えることのできない想いを抱えている。そのような観点に基づいてSLIDE資料を構成した。「桜の季節」「陽炎」「赤黄色の金木犀」「銀河」の四つの作品の構造を個別に分析する資料を作成した。

 当日は甲府から車で吉田に向かった。あいにく富士山は雲に隠れていた。吉田高校は二十年ほど前に校舎が新築された。この校舎に入るのは初めてだった。その前の旧校舎で志村は学んでいた。三十年ほど前、僕の友人が吉田高校に勤めていたときに、旧校舎に一度だけ行ったことがある。そんなことも思い出した。

 受付を済ませ待機していると生徒が迎えに来てくれた。1年生の教室は四階にあった。廊下の窓から周辺の山々が見えた。ところどころ紅葉していて美しい。教室に入ると生徒でいっぱいだった。コロナ禍での外部講師による出張講義ということもあり、生徒はやや緊張している様子だ。教室の後に数名の先生もいらしたのでこちらも少し緊張する。

 プロジェクターでSLIDEを投映しながら、〈志村正彦は富士吉田の坂の下や路地裏や丘を繰り返し歩いたのだろう。帰り道は高校から自宅までの道のりかもしれない。そして、春に桜を見て、夏は陽炎が揺れ、秋の金木犀の香りに包まれ、冬は銀河のきらめく星を眺める。季節の移ろう中で歌の主体(僕)は、誰か大切な人に想いを伝えようとするのだが、言葉で伝えることは難しい。そのような高校時代の経験が四季盤の歌詞に反映されているのではないだろうか〉というように、生徒に直に語りかけた。

 いつも心がけていることだが、こういう講義の場合、私自身の歌の解釈を示すことは最小限にとどめている。歌詞を聴き、読む上で参考となる語り方の構造やモチーフの関係の分析と、作品についての志村の証言に限定している。歌の解釈は聴き手のものである。歌の意味は、歌い手と対話しながら、究極的には、一人ひとりの聴き手が作りだすものである。この講義は一つの参考資料にすぎない。生徒自身が志村正彦・フジファブリックの言葉と楽曲を経験して、その世界を味わって読みとってほしい。吉田高校の生徒にそのことを伝えたかった。

 吉田高校のHPの新着情報に、吉高フォトダイアリー(1学年総合的な探究の時間「富士山学Ⅰ」)という記事がUPされていた。当日のいろいろな分野の講義の写真が十数枚掲載されている。そのなかに、黒板に「ロックの詩人 志村正彦展」のポスターが小さくだがかすかに見えるものがある(SLIDEは文字と図が中心なので、このポスターを掲示していただいた)。ポスターの横で私が立っている。当日の雰囲気が伝わる大切な記念写真となった。

 2011年、当時勤めていた高校で志村正彦の歌詞の授業を始めた。ちょうど十年後に彼の母校で授業を行った。この間、勤務先の高校や大学でこのテーマの授業を続けてきた。今年はすでに三つの高校で出張講義をした。拙い講義を受講してくれた生徒・学生、そして高校・大学という場に感謝したい。あらためて十年という時の重みを想う。

 


2016年3月7日月曜日

「銀河物語」の試み [志村正彦LN122]

 三月に入り、二十度前後の気温の日が続く。春への鼓動を感じる。桜も例年よりはやく開花するという。昨日はヴァンフォーレ甲府のホーム開幕戦。ガンバ大阪との試合だった。結果は0対1の負け。前半はほぼ互角だったが、決定力に欠けていた。失点してから守備を固められた。結局、1週間の首位。やはり、春の儚い夢に終わったか。

 冬の間に『銀河』について書き終わるつもりだったが、それができないまま冬が終わってしまう。このblogは折々の出来事に触発されて進めている。タイミングがあるので、別のテーマも途中で入ってくる。今回は久しぶりに『銀河』に戻りたい。なんだか冬に戻るようでもある。

 三月一日、勤め先の高校で卒業式があった。僕は主に三年生の現代文や国語表現を担当しているので、毎年、卒業生との関わりは深い方だ。今年の卒業生と『銀河』に関わる話を二回に分けて書こう。

 以前、このblogでも少し触れたように、志村正彦・フジファブリックの作品についてのエッセイを書く授業を行っている。春夏秋冬の四季の折々に、教科書収録の作品の合間を縫うようにして、志村正彦の歌を聴かせ、自由に言葉を紡ぎだしてもらう。なぜそのような試みをしているのか、生徒どのような文を書いているのか、志村正彦の歌をどのように受けとめているのか、このことをまとめるだけでも一冊の本の分量の言葉、そのための時間が必要とされそうなので、今ここで述べることは不可能だ。(いつかこの実践を記録としてまとめてみたい気持ちはある)

 それでも簡潔に理由を言うのなら、志村正彦の言葉は生徒たちの感受性に働きかけ、素晴らしい言葉を生み出すという「事実」があるからだ。あえて「教材」といういかにも国語教育的な捉え方をしても、志村正彦の作品は教材として、少なくともこの山梨の高校生にとって非常に優れたものだと言える。(もちろん、教師の「趣味」や「自己満足」にならないように自ら戒めている。教師がそのような姿勢で授業をすれば、生徒は言葉に向き合うことはない。)

 今年は、新しい試みとして、現代文の表現の単元で、志村正彦の歌詞を元にして短い物語を書くという授業を行った。時期が冬の始まりの頃だったので、思い切って『銀河』を選んだ。『銀河』の物語を枠組みにして、自由に想像力を働かせ、800字程の掌編小説、ショートストーリーを創作する。『銀河』を原作として物語を作る「銀河物語」と題する授業だ。音源や歌詞だけでなく、物語的な想像力を喚起するために、スミス監督によるあの奇妙なMVも見せることにした。相互に読むことが前提なのでペンネームをつけてもらった。

 生徒の書いた「銀河物語」は、想像以上に、多様であり面白かった。
 「二人」という登場人物は、若い男女、自身を投影するように高校生の男女が多かったが、しかし中には、友人同士、姉と妹、自分同士(僕と俺、俺と僕)という組合せもあった。原作『銀河』の筋にそって、その二人が逃避行を企てるのが基本の枠組ではあるが、舞台を高校にする「学園物」に変形するもの、家族を人物に取り入れる「家族小説」風に発展させるもの、「UFO」を使って宇宙や宇宙人が登場するもの。様々なモチーフやスタイルがあった。

 素朴なもの。ユーモアのあるもの。主人公の「鼓動」に焦点を当てたもの。「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」を引用する言葉遊びのようなもの。希望のある結末、愉快な結末、少し寂しい結末、夢落ちで終わるもの。日常と非日常の断絶につなげる展開もあった。字数をはるかに超え、4000字も書いた生徒もいた。もちろん中には原作の枠を出ないものもあったが、全員が物語を完成することができた。
 最終的には、ワープロに入力してもらい、小冊子に編集して配布した。生徒の作品を具体的に紹介できないのが申し訳ないが、彼らの発想力、想像力が豊かであることは認めていただけるだろう。

 自由にゼロから物語を作るのはかえって難しい。『銀河』という枠組があることで、その基盤に基づいて想像力を働かせ、物語を構築するのが可能になったという側面がある。
 もともと志村正彦は物語の全体をあえて語らないことによって、聴き手に自由に想像させることを心がけていた。インタビューで繰り返し語っている。そしてまた、僕の歌を知らない高校生のような存在に最も聞いてもらいたい、とも。
 高校生がその物語の余白を想像力で補い、志村正彦の物語に自らの物語を重ねていく。結果的に、その物語は、志村正彦との共作、コラボレーションのようなものになる。この不思議な経験もまた、彼らにとっては新しい言語体験となったことだろう。(志村正彦にとっては予想外の迷惑なことかもしれないが、「ロックな授業」のコラボとして許していただたい)

 さらにこの実践は、生徒一人ひとりがもう一度、志村正彦・フジファブリックの『銀河』を主体的に聴き直すことにもなる。
 そして、志村の作品だけでなく、他の日本語の歌を聴く、言葉を読む、さらに広く、詩的作品を読むことへの意欲を喚起したり、新しい視点で読み直すことにもつながる。そのように僕は考えている。
 
    (この項続く)

2016年2月21日日曜日

『銀河』についての証言 [志村正彦LN121]

 志村正彦自身は『銀河』という作品についてどのように考えていたのか。
 WEB上の記事を探してみると、該当するものが幾つかあったので紹介したい。

 「フジファブリック 『虹』インタビュー」(Billboard-Japan、Interviewer:杉岡祐樹)で、彼は、『銀河』についての「歌詞の世界観も今までより一歩前に踏み出したような、前向きな雰囲気があったと思うのですが、環境や生活に変化があったりしたんですか?」という質問に、次のように答えている。

 そこまでないですね。環境の変化はそこまでないんですけども、変化が欲しいっていう気持ちがあるんですね。変化が欲しいとか、曲にしてうたったりすると変化があったように自分で思える。そういうものをやってみたいんですね。

 さらに、『虹』に関連して、「この曲の歌詞も“とうとう踏み出す”というメッセージなど『銀河』に続いてかなり前向きな雰囲気がありますがその変化というのは?」という問いかけに対して、次のように述べている。

 これもやっぱり「踏み出したい」ですね、「今踏み出してます」というよりは。願望を歌っていればそういう感じになるんじゃないかっていう。だから逆にビビってるのかもしれないですよね、そろそろ動かないとマズいんじゃないかなって。

 志村は、『銀河』にしろ、続く5枚目シングル『虹』にしろ、現実の変化というよりも、変化への願望を表現したかったようだ。そのような願望を歌詞や楽曲に転換することで、自らが現実に動き出すことへの動力源になると考えたのだろう。
 彼らしい現実と作品との関係性だ。現実が作品を追い求め、作品が現実を追い求めている。

 「フジファブリック(志村正彦)インタビュー close up vol.113」(excite music、取材・文/藤津 毅)には、曲の成立と構成についての貴重な証言がある。
 『銀河』について「やっとサビが登場したと思ったら、その後にもちゃんと変化球が用意されていて、聴き応えがありました」というコメントに対して、志村はこう語っている。

 フジファブリックの曲ってこのような部分が割とあるんですよね。サビが終わった後に違うメロディをもってくるという。この曲の場合、別の曲で作っていたメロディがあって、それを合わせて、1つの作品にしたんです。「銀河」はコンセプト的な作品で、冬の曲なのにアツイ感じになっているから、これを聴いて盛り上がってもらえたらいいかな。

 ここで言及されたサビの後の「違うメロディ」とは、前々回、LN119の最後で考察した部分、以下のCメロの部分だと考えてよいだろう。

  きらきらの空がぐらぐら動き出している!
  確かな鼓動が膨らむ 動き出している!


 確かに、この部分、Cメロの曲調は、AメロやBメロ、サビとは異質だ。歌詞の「確かな鼓動」「動き出している」に呼応するように、不思議な感覚で旋律が転調していく。直前のサビから飛躍し、最後のサビへと橋渡ししていく。もともと別の曲のメロディだとすると、この奇妙にして絶妙な展開が納得できる。もしもCメロの歌詞の世界やコードの展開がなかったとしたら、この曲はもっと平凡なものになっていただろう。
 このwebでも書いてきたが、『若者のすべて』も二つの別の曲が合体してできたことが知られている。このような手法はよくあるのだろうが、志村の場合、本来異なるモチーフの曲や歌詞を複合させて、さらに新しいものを創り出す力に恵まれていたのではないだろうか。

 Aメロ・Bメロ・サビの系列は『銀河』の物語の枠組を作っている。聴き手は各自の物語を想像していく。そして、Cメロ、「確かな鼓動」の部分は、それまでの物語をいったん完了させ、転換と飛躍が図られる。聴き手は新たな風景、「きらきら」「ぐらぐら」広がる風景を心に刻むことになる。身体も「アツイ」鼓動に包まれる。「動き出している」疾走感が強まる。

 先ほどの「コンセプト的な作品で、冬の曲なのにアツイ感じになっているから、これを聴いて盛り上がってもらえたらいいかな」という志村の言葉に注目したい。
 メジャー2枚目のアルバムを準備していたこの時期、経験が蓄積され、自信や確かな手応えを感じてきたのだろう。終了するようでさらに転換して展開する。あるいは、いったん終了するかに見えて再開する。作詞と作曲の両面において、志村正彦は高度で自在な方法を獲得しつつある。歌詞と楽曲はより重層的に絡み合うようになっている。作品の「コンセプト」や歌詞の世界も、おしつけがましくなく、さりげなく、良い意味でひねくれながら、確実に深化している。

 もう少し踏みこんで書こう。
 この時代、日本語ロックはすでに類型化され、退屈なものに凝り固まっていた。それを壊し、新しい「鼓動」を生み出す。『銀河』はそのような「願望」や「変化」も、力強く激しく、歌い奏でているのではないだろうか。

       (この項続く)

2016年2月14日日曜日

重力波の鼓動[志村正彦LN120]

 前回、フジファブリック『銀河』の中心は、「きらきらの空がぐらぐら動き出している!/確かな鼓動が膨らむ 動き出している!」という一節にあると書いた。その続きを準備していたところ、三日ほど前、米国の研究チームが百年前アインシュタインに予言されていた「重力波」を初めて観測したという発表があった。世紀の発見らしい。

 『ナショナルジオグラフィック日本版』の記事「重力波、世紀の発見をもたらした壮大な物語」によると、この重力波は、地球から約13億光年の彼方で、2つのブラックホールが互いに渦を巻くように回転して衝突したときに発生したそうだ。その重力波を「音」に変換したものがyoutubeに公開されている。天文学も物理学も分からないが、こうして「音」になると、その存在を感覚的に少しは受けとめられる気もする。
 まずは「The Sound of Two Black Holes Colliding」を聞いていただきたい。


 

 一種の「鼓動」として聞こえてくる。

 ロックの聴き手としては、重力波の鼓動はまるでアナログシンセサイザーの音、パルスの音のようだ。グラフに記された周波数の変化もアナログシンセの音源の波形のように見えてくる。
 ドイツのバンド、Tangerine Dreamの音が浮んできた。70年代前半のジャーマン・プログレッシブ・ロックの響きだ。重力波はロックのビートを刻んでいる。そんなことを書いてみたい欲望に動かされる。紹介記事には、「私たちは重力波の音を聞き、宇宙の音を聞くのです。宇宙は目で見るだけでなく、耳で聞くものになったのです」という、ある学者の発言も引用されていた。

 約13億光年の彼方で、2つのブラックホールは合体し、1つのブラックホールを形成したという。元のブラックホールは死んで、新しいものが生まれる。重力波はその死と再生の鼓動でもある。

 偶々、重力波発見の報道に接した。その音を聞いて、「確かな鼓動が膨らむ 動き出している!」という志村正彦『銀河』の言葉を自ずから連想してしまった。
 宇宙の「確かな鼓動」はやはり「音楽」なのかもしれない。

                           (この項続く)

2016年2月6日土曜日

『銀河』の鼓動、二月の歌。[志村正彦LN119]

 2005年2月2日、フジファブリック『銀河』が発表された。

 十一年前のこの時期に、「四季盤」と呼ばれるシングル連作、春『桜の季節』、夏『陽炎』、秋『赤黄色の金木犀』に続く、冬の歌としてリリースされた。四季盤の最後の作品であり、そのモチーフからして冬の期間に出されたのだろうが、発売日が2月2日なのは偶然ではなく、ある選択が働いたのだと推測する。『銀河』の物語の「時」を想定してみるならば、真冬の「二月」上旬が浮かんでくるからだ。また、歌詞に「真夜中二時過ぎ」「二人」とあるように、「二」は鍵となる数字かもしれない。

 二月は山梨も極寒の時。

 白雪を被る富士山のイメージが強く、降雪地帯という印象を持たれる方も多いが、太平洋側の内陸部に位置するので、雪はあまり降らない。(一昨年二月の大雪は例外中の例外だったが)しかし、僕の住む甲府市西部の標高は300m弱で、盆地という地形ゆえに朝晩の冷え込みは厳しい。志村正彦の故郷、富士吉田市は標高が800mに届くほどで、冬の寒さはさらに厳しい。(甲府は333mの東京タワーに近く、富士吉田は634mのスカイツリーをかなり超えている)いわば、山梨、甲斐の国全体が「高原」であり、関東の「平野」に比べれば、「真冬」という感じが強い。
 冬の風が冷たく、空気がしんしんと冷え込む。それでも、晴天が多く乾燥した気候ゆえ、冬の夜空は美しい。星が、文字通り、きらめいている。

 志村正彦の『銀河』には山梨の冬の記憶が刻印されている。

 ともかく、MVを通じて、曲を聴いてみよう。official 映像を添付する。




 この奇想天外なミュージックビデオについては次回触れることにして、まずは志村正彦作詞の全文を引用したい。


  真夜中二時過ぎ二人は街を逃げ出した

  「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」
  「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」と
  「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」
  「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」と飛び出した

  丘から見下ろす二人は白い息を吐いた

  「パッパッパッ パラッパラッパッパッ」
  「パッパッパッ パラッパラッパッパッ」と
  「パッパッパッ パラッパラッパッパッ」
  「パッパッパッ パラッパラッパッパッ」と飛び出した

  U.F.Oの軌道に乗ってあなたと逃避行
  夜空の果てまで向かおう
  U.F.Oの軌道に沿って流れるメロディーと
  夜空の果てまで向かおう

  きらきらの空がぐらぐら動き出している!
  確かな鼓動が膨らむ 動き出している!

  このまま
  U.F.Oの軌道に乗ってあなたと逃避行
  夜空の果てまで向かおう
  U.F.Oの軌道に沿って流れるメロディーと
  夜空の果てまで向かおう

     ( 『銀河』 志村正彦作詞・作曲 )

 この歌の物語を映画のように鑑賞してみる。MVとは関係なく、歌詞そのものを映像の展開としてと捉えてみると、作者志村正彦の言葉によるカメラワークとその切り替えが冴えていることに気づく。

 始まり、Aメロでは「真夜中二時過ぎ二人は街を逃げ出した」と、「二人」を遠景で描く。「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」のBメロでは、カメラは移動撮影で「二人」の動きを追っていく。「二人」は「街」を逃げだし、「丘」へと登り、どこか向こう側へと飛び出していく。
 サビ「U.F.Oの軌道に乗ってあなたと逃避行」のパートでは、一人称の歌の主体(歌詞の言葉としては表れないが)の目線でカメラを構え、「あなた」という二人称へとレンズを合わせる。フレームの中で歌の主体は「あなた」を見つめ、「夜空の果てまで向かおう」と呼びかけている。
 エンディング直前のCメロでは、カメラの目線は冬の夜空へ、銀河の果てへと切り替えられる。ズームアウトしながら、歌詞は「このまま」とつなげられ、大サビへと広がっていく。

 文学では、私的な経験を素材とする作品に虚構性がかなり混じり、逆に、虚構性の高い物語風の作品に私的な経験が反映されていることはしばしばある。

 あくまで想像にすぎないが、『銀河』の物語には志村正彦の高校3年冬の恋の物語が投影されている気がする。バイトを終えて夜中に「二人」は逢ったと、志村はあるインタビューで述べている。結局、この恋は数ヶ月で終わり、その年の春、「二人」は各々上京し、それぞれの道を歩んでいったようだが。彼の作品を素朴なリアリズムで捉えるのは間違っているかもしれないが、この歌についはそのように語ってみたい。
 そうなると、「街」は下吉田の街になり、「丘」はあの「いつもの丘」新倉山浅間神社のある丘になる。「いつもの丘」から見下ろす風景と見上げる夜空。かすかに感じる富士山の稜線の向こう側に銀河が広がる。星々が「U.F.Oの軌道」を描く。極寒の冬、「白い息」はますます白くなる。「逃避行」ではあるが、ネガティブな感じはしない。むしろ、何かに向かうための歩みであろう。

 どこにでもある高校生の恋の物語。その物語をどこにもないような歌詞と楽曲、『銀河』へと志村正彦は変換した。

 それでも『銀河』の物語はあくまで枠組であり、歌の中心は「きらきらの空がぐらぐら動き出している!/確かな鼓動が膨らむ 動き出している!」という一節にあると考えられる。
 歌の主体は、「きらきら」という星座の律動、「ぐらぐら」という夜空の回転を眺めている。天体の運動を感じている。次第に、視線は宇宙の彼方に溶け出していくが、身体の「鼓動」は「確か」なものとして、今ここに有る。そして、その「鼓動」は大きく膨らみ、強く動き出す。その瞬間を、志村正彦は歌いたかった。メロディもリズムも「鼓動」に促されるように疾走していく。

 『銀河』は二月の歌。寒さの厳しい月だが、短く、時の歩みが速い。三月になると春が来る。別れがあり出会いがある。新しい物語が始まる。そして何よりも花の季節を迎える。冬の終わり、春に向けて何かが動き出している。

 『銀河』は二月の歌、冬の季節の「確かな鼓動」を捉えた歌だ。

                          (この項続く)

2015年11月29日日曜日

フォークソング同好会の『銀河』

 私が勤めている高校にはフォークソング同好会があり、昨年からその顧問をしている。(顧問といっても、何もしない、何もできない「駄目」顧問なのだが)
 「フォークソング」という名を冠しているが、実質的には「軽音楽」「ロック」の同好会だ。最近の軽音楽部はどこも女子部員が多いそうだが、我が校も同じだ。30人くらい所属しているが、その大半が女子。実際に活動しているのは10人ほどで、3年生を中心とするバンドがメイン。構成は男子2人(ギター)女子4人(ギター、ベース、ボーカル)。ドラムやキーボードは不足していて、その都度組み合わせたり、助っ人を呼んだりしている。7月の学園祭でのライブが活動の中心だが、今年度から11月に、近くにある特別支援学校との音楽交流会に参加することになった。十数年続いている会だが、今年度から新しい企画にするということで、生徒会の方からフォークソング同好会に声がかかった。

 特別支援学校は、身体に障碍を持つなど、教育上特別の支援を必要とする児童・生徒のための学校である。勤務校では授業や課外活動を通じて近くの支援学校、盲学校との交流を進めている。教室で授業を一緒に受け、実際に交流することによって、生徒は大切なことを学び、社会のあり方について考えを深めていく。
 今回の音楽交流会も重要な会なのだが、この時期は、3年生の部員にとって就職試験や進学の推薦試験がようやく終わる頃で、なかなか練習する時間が取れない。一ヶ月ほどの短い期間で準備することになったが、部長から提出された曲目リストは、BUMP OF CHICKEN『ダンデライオン』、 KANA-BOON『ないものねだり』、そして何と!フジファブリック『銀河』だった。びっくりしたのだが、それ以上に、うれしかったのが正直なところだ。

 顧問が志村正彦・フジファブリックのファンなのは部員たちはいちおう知っている。年度の初めに、フジファブリックの曲をアコースティックギターでやってみないかと言ったことはあったが、そのことも忘れていた。それにしてもあの『銀河』?、リードギターのパートもリズムギターのパートもテンポが速くて大変そう。大丈夫かと心配になったが、3年生と2年生のギター弾きの男子がチャレンジすると聞いて納得した。この二人はけっこう技術があるからだ。
 練習場所に行って聞いてみると、やや不安なところがあるものの、リズムはキープできている。ソロのところも何とかなるかな。なるよな。それにしても難しい曲だ。二つのギターの絡み合いを間近で見て聞いて、フジファブリックの一ファンとして「なるほど」と勉強にもなった。『桜の季節』の節回しで「感動している!」と呟きたくなった。

 先週、支援学校との音楽交流会の日を迎えた。会場は支援学校の体育館。合唱部の美しいハーモニー、応援委員会による高等部3年生に向けての心あたたまるエールに続き、フォークソング同好会が登場した。2,3年生によるバンドと1年生バンドの演奏。やはり準備不足のせいで満足できるレベルにはなく、支援学校の生徒には申し訳ない気持ちでいっぱいになった。結局、『銀河』はリードギター・リズムギターの男子二人、ベースの女子によるギターアンサンブルになった。ミスもあったが、リズムはしっかりとしていたのが良かった。彼ら自身にとってよい経験となっただろう。

 支援学校からの要望があり、最後は『ちびまる子ちゃん』テーマ曲、B.B.クィーンズの『おどるポンポコリン』。支援学校の生徒たちは今年この曲をテーマソングにしてきたそうだ。フォークソング同好会三人の演奏をバックに、支援学校の生徒二人がサンタクロースの格好や動物の着ぐるみを着て踊る。うちの生徒一人が前に出てヒップホップダンスのようなものを始め、ぐるぐる回る。やがて、みんなで歌ったり踊ったりするようになった。笑顔があふれて、とても楽しい時を過ごすことができた。終わりがたいように、曲を三回繰り返した。音楽には人と人とをつなげる素晴らしい力がある。

 今回、このブログではほとんど触れたことのない学校や部活動に関わる話題を書いたのは、志村正彦が高校時代、「富士ファブリック」の原型となった同級生バンドで、富士吉田や近隣にある福祉施設や支援施設の場に出かけて演奏していたと聞いたことがあるからだ。これはバンドの自発的な活動だったようだ。彼の心にどのような理由があったのかは分からないが、高校時代の彼の「志」を読みとることができる。

 我がフォークソング同好会は機会を得て演奏したに過ぎないが、彼らなりの想いはあったにちがいない。志村正彦の「志」とは比べられないが、それでも、この冬の季節、彼の作詞作曲した『銀河』を支援学校で演奏した、そのことをここに記しておきたいと考えた。この歌の一節を引いてこの文を終えたい。


  U.F.Oの軌道に沿って流れるメロディーと
  夜空の果てまで向かおう                             (『銀河』)