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2022年12月31日土曜日

番組『この歌詞が刺さった!グッとフレーズ』、この十年[志村正彦LN324]

 一昨日12月29日、TBSの番組『この歌詞が刺さった!グッとフレーズ〜私を支えた歌詞SP2022〜』を見た。名曲の「心に刺さった歌詞」に注目し、その魅力を再発見する歌詞に特化した四時間の音楽番組である。今回は「グッとフレーズ」「感謝ソング」「青春ソング」の三つのテーマの名曲が世代別に紹介され、40代の「青春ソング」に志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が選ばれた。番組MCの加藤浩次、数名のゲスト、アーティストゲストのコブクロ小渕健太郎、wacci橋口洋平、岡崎体育の3人。今回はこの番組について丁寧に説明したい。なお、テロップと歌詞の引用は〈 〉、コメントそのものは「 」で示す。


 『若者のすべて』の場面は、40代〈夏の思い出が蘇るグッとフレーズ〉というナレーションで始まる。街頭インタビューで、〈花火を思い出す〉〈付き合うかな付き合わないかな付き合わなかったな〉〈ちょっとした青春の1ページ〉と話す二人の女性。〈高校生の頃〉〈夏祭りであの子来てないかな?〉〈来てないか一緒に探してよ〉〈見つけると恥ずかしくて近づけない〉〈初恋の人〉と語る父とその娘。

 MV映像の〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな/ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉のパートが流され、ナレーターの〈好きだった女性を探してしまう男性〉という説明が入る。

 MC加藤が〈すっげー良くない?この曲〉と話し、〈胸がギューとなる〉点を問いかけると、橋口洋平が〈フワーッとしてて〉〈青春を終えた後の寂しさ〉〈よく分からない胸がギューとなる気持ち〉を〈そのままあるよねって歌ってる〉のが〈素敵なところ〉だとコメント。加藤が〈曲自体がギューとなる〉とまとめていた。

 〈この曲は今〉という話題に移り、〈メッチャ好き❤〉〈ヘビーローテーション〉〈夕方の一人でいる時に聴く曲〉〈実家地元の友達思い出す〉という20代女性のコメント。学園祭やライブハウスで若者がこの曲をカバーする映像と共に「10代20代の若者たちにも刺さっていて」、高校の教科書に掲載されたことが紹介された。

 続いて、ナレーターの「実はこの曲を作詞作曲したボーカルの志村正彦さんはこの曲をリリースした2年後、29歳の若さで亡くなったのですが、生前この曲についてこう語っていました」という説明が入り、テロップで示された志村のMCをそのまま引用する。(テロップでは〈作詞・作曲Vo.志村正彦さん 「若者のすべて」リリースの2年後… 2009年12月24日29歳で急逝〉と表示された)


   センチメンタルになった日だったりとか
 人を結果的に裏切ることになってしまった日
 色んな日があると思うんですけども
 そんな日の度に 立ち止まって色々考えてた
 それはちょっと勿体ない気がしてきて
 歩きながら 感傷に 浸るっていうのが
 得じゃないかなって思って
 止まっているより歩きながら悩んで
 一生たぶん死ぬまで 楽しく
 過ごした方がいいんじゃないかなということに
 26、27歳になってようやく気づきまして
 そういう曲を作ったわけであります


 「そして志村さんはその思いをこの二行のフレーズに込めたといいます」とナレーターが話した。志村の歌声と次のテロップが表示される。


     《グッとフレ ーズ》

    すりむいたまま 僕はそっと歩き出して


 MV映像の〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな/ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな〉〈最後の最後の花火が終わったら/僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉のパート。

 MC加藤は「最後をどう思う?」と問い、〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉から〈ないかな ないよな なんてね 思ってた〉〈まいったな まいったな 話すことに迷うな〉への転換について触れると、ゲストが〈隣にいる 近くにいるという解釈〉〈隣にいるんだな〉と答え、〈僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉については、岡崎体育が〈うまくいったと信じたい〉と話していた。

 『若者のすべて』は何度も同様の番組で取り上げらてきたが、今回の番組で、フジファブリック両国国技館ライブでの志村のMC映像が放送され、〈グッとフレーズ〉として〈すりむいたまま 僕はそっと歩き出して〉に焦点が当てられたことは特筆すべきであろう。あの映像が地上波で流されることは初めてではないだろうか。それを受けて、〈すりむいたまま僕はそっと歩き出して〉が歌詞の中心にあると捉えたことも的確である。番組ディレクター、構成担当者の見識が光る。出演者の会話は軽めのノリだったが、内容は真面目なものだった。時間も6分を超えていた。この曲を取り上げたこれまでの地上波の番組の中では最も素晴らしかった。

 また、この番組を通して気がついたことがある。人々の歌詞に対する感覚や思考が深まっていることだ。岡崎体育も番組webで、〈VTRに出てくる街頭インタビューの人たちの考察力が上がってるんちゃうかな〉〈リスナーの人たちの歌詞を汲み取る力が上がってるんやな〉と思ったと述べている。歌の言葉が大切にされる時代になってきたと言えよう。歌は生きることを支える。

 

 『音楽と人』2007年12月号のインタビュー(文・樋口靖幸氏氏)、志村は『若者のすべて』についてこう述べている。


一番言いたいことは最後の〈すりむいたまま僕はそっと歩き出して〉っていうところ。今、俺は、いろんなことを知ってしまって気持ちをすりむいてしまっているけど、前へ向かって歩き出すしかないんですよ、ホントに。


 歌の主体〈僕〉は、夏の終わりの季節に街を歩き始め、夕方5時のチャイムを聞き、運命や世界の約束を考え、街灯の明かりがつくと帰りを急ぐ。そして、二番の歌詞にある〈途切れた夢の続きをとり戻したくなって〉、〈すりむいたまま〉〈そっと歩き出して〉いく。MCで言われた〈止まっているより歩きながら悩んで〉進んでいく。


 十年前の12月末、この偶景webを始めた。その一週間ほど前、富士吉田の市民会館前で『若者のすべて』のチャイムを聴いたことも契機となった。当時は、今回の番組に見られたような極めて高い評価はまだなかった。現在のように、これほど多くの人々に愛される曲とはなっていなかった。志村も発表後しばらくして、「Talking Rock!」2008年2月号のインタビュー(文・吉川尚宏氏)で、「精魂込めて作った曲なんだけど………なんていうか……こう……自分の中で、達成感もあるし、ターニングポイントであることには間違いないんです。すべてに気持ちを込めたし、だから、よし!と思ってリリースしたんだけど、結果として、意外と伝わってないというか……正直、その現状に、悔しいものがあるというか…」と述べていた。

 しかし、この作品は時間をかけて、言葉と楽曲、歌と演奏の力によって、自らの夢を歩んでいった。2022年の今、この歌は〈若者のすべて〉を表現した作品として人々に聴かれ続けていく夢を実現した。志村の〈すべてに気持ちを込めた〉〈よし!と思ってリリースした〉という想いは達成されたのである。
 振り返ると、この曲について82回ほど書いた。全体の四分の一ほどが『若者のすべて』論。このblogの十年の軌跡はこの歌を中心に歩んできたことになる。



  現実としては、志村正彦の歩みは〈途切れた夢〉となってしまった、と言わざるを得ないだろう。この言葉は哀しく、ある意味で残酷にも響くが、その現実が現実のままにある。

 しかし、聴き手は彼の歌を聴くことによって、〈途切れた夢の続き〉を歩むことができる。そして、一人ひとりが、自分自身の夢や夢の続きを歩み続ける。時に悩んで時に楽しんで、歩きながら進んでいく。志村正彦が歌いたかったのはこのことだ。
 今回から十一年目に入る。このblogを書くことによって、私も私の歩みを続けていきたい。


2022年12月18日日曜日

第三次の語りと声 『茜色の夕日』と『若者のすべて』-『茜色の夕日』9[志村正彦LN323]

 『茜色の夕日』と『若者のすべて』の語りの構造にはある共通点がある。その構造を視覚的に表した図をまず示したい。




 二つの歌ともに、語りの枠組は、一人称の話者であり歌の主体である〈僕〉の観点によって構築されている。〈僕〉は都市の街路を歩いていく。これを第一次の語りとしよう。図の青い部分である。

 『茜色の夕日』では、〈僕〉は街を歩きながら、〈茜色の夕日〉を眺め、おそらく故郷での〈誰もいない道 歩いたこと〉を思い出し、東京で〈空の星〉が〈見えないこともない〉ことに気づく。『若者のすべて』では、〈僕〉は〈真夏のピークが去った〉季節に、それでもいまだに〈落ち着かないような〉街を歩いている。『茜色の夕日』と『若者のすべて』はどちらも、都市に生きる孤独な若者、単独者である〈僕〉が歩行して、風景を見つめる。 

 話者であり歌の主体である〈僕〉が街の風景を眺めながら歩いていくときに、何かを思い出す。あるいは、何かを想い描く。回想であり想像でもある。これを第二次の語りとしよう。図の赤い部分である。

 『茜色の夕日』では、二人称の〈君〉に焦点をあてて、〈横で笑っていたことや/どうしようもない悲しいこと〉を想起する。『若者のすべて』では、一人称複数の〈僕ら〉という視点を加えて、〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな〉と回想する。

 第一次の語りと第二次の語りによって、『茜色の夕日』には一人称と二人称の対話性、『若者のすべて』には一人称単数と一人称複数による対話性が潜在的にもたらされる。二重の語りが複合して、複雑な織物・ファブリックを作り上げる。志村正彦はその織物・ファブリックにもう一つの語りを加える。これが第三次の語りである。図の黄色い部分である。話者であり歌の主体である〈声〉であるが、それと共に、いやそれ以上に、作者志村正彦自身の〈声〉であろう。


  僕じゃきっとできないな できないな
  本音を言うこともできないな できないな
  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった 
                      『茜色の夕日』


  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

  ないかな ないよな なんてね 思ってた
  まいったな まいったな 話すことに迷うな   
                       『若者のすべて』 
             


 『茜色の夕日』は〈本音を言うこともできないな〉、『若者のすべて』は、〈会ったら言えるかな〉〈話すことに迷うな〉と呟く。失われてしまった、あるいは、失われてしまいそうな誰かに〈言うこと〉〈話すこと〉が不可能になったり困難になったりする。歌の主体は〈僕〉は言葉で伝えることの壁に遭遇する。

 また、『茜色の夕日』の〈できないな〉の四回もの反復、「な」音の繰り返しと、『若者のすべて』の〈ないかな〉〈ないよな〉の反復、〈いないよな〉〈なんてね〉を含む〈な〉音の繰り返しというように、この二つの作品には〈な〉の音が通奏低音のように響く。そして、〈ない〉という否定と不在の表現が二つの歌の世界を貫く。

 比喩的に言うと、志村正彦は、縦糸と横糸から成る織物・ファブリックの二次元的世界に、垂直の次元を加えて、三次元的世界の厚みを創り出した。


2022年12月4日日曜日

時を経た成熟-『茜色の夕日』8[志村正彦LN322]

 今回は、ユニットⅣの歌詞について考えてみたい。


5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


 この箇所について、『茜色の夕日』スタジオ収録の四つの音源を聞き比べてみた。以前にも書いたことがあるが、それぞれの演奏者と演奏時間を整理してみる。


1.2001年夏(推定)カセットテープ版  4分40秒 ( 志村正彦:ボーカル・ギター、田所幸子:キーボード、萩原彰人:ギター、加藤雄一:ベース、渡辺隆之:ドラムス)

2.2002年10月21日CDミニアルバム『アラカルト』版  4分52秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、田所幸子:キーボード、萩原彰人:ギター、加藤雄一:ベース、渡辺隆之:ドラムス)

3.2004年2月CDミニアルバム『アラモルト』版 5分12秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、金澤ダイスケ:キーボード、山内総一郎:ギター、加藤慎一:ベース、足立房文:ドラムス )

4.2005年9月6thシングル版・2005年11月2ndCD・アルバム『FAB FOX』版 5分36秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、金澤ダイスケ:キーボード、山内総一郎:ギター、加藤慎一:ベース、足立房文:ドラムス )


 再生ソフトの示す時間から、カセットテープ版 4:40→『アラカルト』版 4:52→『アラモルト』版 5:12→シングル・『FAB FOX』版 5:36 というように、最終的に1分ほど長くなっていることが分かる。四年ほどの時間が流れているので、志村正彦の声は、若々しい声からより成熟した若者の声へと変化している。歌い方も変わり、過去を回想する色合いが強くなる。それに伴って、切なさや哀しさが増してくる。取り戻せない時の流れが伝わってくる。

 今回、今まで気づかなかったあることに気づいた。4番目の最終的なスタジオ音源の〈無責任でいいな ラララ〉の〈な〉の音が歌われていない(ように聞こえる)ということだ。それまでの音源では、〈いいな〉の〈な〉は発音されたきた。続く〈ラララ〉の〈ラ〉音と重なるところもあるので微妙ではあるが、そう判断できる。引用して明示すると次のようになる。


無責任でいいな ラララ 

無責任でいい  ラララ 


 最終的音源、完成版ともいえる音源で、〈な〉が歌われていないことは、志村の判断があってのことだろうが、多分に無意識的な選択かもしれない。この〈な〉の有無によって、歌の解釈も異なってくる可能性がある。

  三省堂『大辞林』によると、助詞の「な」には、①感動や詠嘆の意②軽い主張や断定、念を押す意③同意を求める意、相手の返答を誘う意④軽い願望の意⑤依頼・勧告の意の五つがある。

 〈僕じゃきっと出来ないな〉には、何が〈出来ない〉のかという対象が示されていない。続く、〈本音を言うことも出来ないな〉には、誰が〈出来ない〉のかという主語が省略されている。この二つは連続しているので、〈僕じゃきっと本音を言うことも出来ないな〉という一つの発話として受けとめることができるが、この〈本音〉が何であるのかは分からないままである。この発話は自分が自分に対して話しかけているものだろう。

 〈無責任でいいな〉という発話は、それが話しかける相手が他者か自分自身かによって、二通りの解釈が生まれる。〈な〉があると、相手が他者である可能性が高くなる。この〈な〉は相手の返答を誘う意味となるだろう。歌詞の言葉であるから実際に返答を求めているではないが、その他者が〈無責任でいい〉ことについて、その他者からの応答を求めている。この〈無責任〉は、この歌の重要モチーフとなっている恋愛に関する責任と無責任のことであろう。

 〈な〉がないとおそらく、相手は自分自身になるだろう。自分が〈無責任でいい〉ことについてあらためて問いかけるか、あるいは〈無責任でいい〉ことを自分自身が同意するか、その二つのどちらかになるだろう。その他の解釈も考えられるかもしれないが。

 ユニットⅣの最後は、〈ラララ〉を挿んで、〈そんなことを思ってしまった〉で終わる。〈無責任でいいな/無責任でいい〉の〈な〉の有無によって、歌の主体と他者との関係性が変わるが、どちらにしても、その過程は〈そんなこと〉と捉え直され、〈思ってしまった〉で完結する。


 2001年から2005年まで、四年間の推移の中で、『茜色の夕日』全体がより自省的な歌、自分自身が自分を問い返す意味合いの歌に変化していった。〈な〉の発話の有無はそのことに関連している。

〈billboard-japan〉掲載の〈フジファブリック 『FAB FOX』インタビュー〉で、志村正彦はこの『茜色の夕日』についてこう語っている。  


志村正彦:作ったばっかりの頃は思っている事を曲に書いてただけなんですけど、シングルで出したいなって思って前のバージョンの『茜色の夕日』を聴き直してみたら、いやに沁みてきたといいますか。18歳の頃のあの感じは出せないですけど、同じ歌詞でも自分の中で全然意味合いや捉え方が変わってきて、東京にきて6~7年経つ今でしか歌えない感じ、というのを曲にしてみました。この曲は代表曲と言われるくらいずっとやってきている曲なんで、これで一区切りするといいますか、落ち着けたいという気持ちもありましたね。まだ大人になりきれていない所はもちろんあるんですけど、18歳の頃から変わっていこうかって、そういう雰囲気は見せれたんではないですかね。


 彼はここで〈同じ歌詞でも自分の中で全然意味合いや捉え方が変わってきて〉と述べているが、この発言は2007年12月の両国国技館ライブでのMC〈歌詞ってもんは不思議なもんで。作った当初とは、作っている詩を書いている時と、曲を作って発売して、今またこう曲を聴くんですけども、自分の曲を。解釈が違うんですよ。同じ歌詞なのに。解釈は違うんだけど、共感できたりするという〉とも響き合う。

 志村は、歌の意味合いや捉え方の変化をふまえて、〈東京にきて6~7年経つ今でしか歌えない感じ〉を2005年収録の最終的音源に込めた。〈一区切りする〉〈落ち着けたい〉という気持ちによって、〈まだ大人になりきれていない所はもちろんあるんですけど、18歳の頃から変わっていこう〉という意志を表現した。

 このような時をかけて、志村正彦は『茜色の夕日』を成熟させていった。


2022年11月20日日曜日

〈醒めた客観視〉-『茜色の夕日』7 [志村正彦LN321]

 『茜色の夕日』はユニットⅢまで進むと、ある変化が現れる。この箇所を引用してみよう。


3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった


 ユニットⅡの〈忘れることは出来ない〉とされた出来事は、おそらく高校時代のことであろう。ユニットⅢでは、〈子供の頃〉の時間へ遡ろうとする。子供には夏休みがある。長いようで短い夏が終わってしまうと、子供なりにどことなく寂しくなる。やるせないような寂しさ。そんな記憶が誰にもあるのではないか。歌の主体〈僕〉もそのことを思い出している。しかし、この歌の現在時の〈今、〉、短い夏が終わったのにその寂しさがない。〈今、〉というように〈今〉のあとに〈、〉の読点が置かれているのは、時間の区切りを強調するためだろう。この一行のフレーズの背後には、子供から青年期への時の流れとその断絶が刻まれている。

 〈君に伝えた情熱〉は、この歌の背景にある〈僕〉の上京や将来に対する情熱と受けとることもできるが、この論では〈僕〉の〈君〉に対する恋愛の情熱と捉えてみたい。その〈情熱〉を、〈呆れるほど情けない〉というように客観化して、〈笑うのをこらえている〉と醒めた目で対象化する。さらに、〈後で少し虚しくなった〉というように、その出来事の〈後〉の〈僕〉の気持ちの語る。〈少し〉とはあるが、〈僕〉は虚しさに包まれる。

 この箇所について参考になるのが、『音楽とことば ~あの人はどうやって歌詞を書いているのか~』での発言である。インタビュアー青木優氏の〈その「茜色の夕日」にしても、ストレートに「好きだ」と告白している歌ではないですよね。そこまでその娘に対する想いがリアルなのであれば、そうなってもいいはずなのに、志村くんには、まったくそういう曲がない〉というという問いかけに対して、志村は次のように答えている。 


 僕に「愛してる」とか「好きだ」みたいな歌詞がない理由というのは、自分でもわかってます。それは僕の中にある醒めた客観視、「んなこと言われても!」って考えのせいなんですね。だって、僕がそういう曲を聴いた際の感想というのは、「へえ―、そうですか、愛してるんですか」っていう程度のものでしかないんですけど、場合によっては、「え、好きだからなんなんですか?」「愛してるからなんなんですか?」「ちなみにその愛の内容は、どういうことを経験しての愛なんですか?」みたいな詮索がスタートしてしまう。で、結局最後は「だったら愛してればいいじゃん!満たされてんだったらなんで曲なんか作んの?」みたいなことになっちゃうんですよ。 
 でも、それと同時に、僕が自分に対してまだ一流だと思えない理由というのも、そこにあったりするんです。愛してるってことが歌えないからこそ、一流になれないというか。だって、それを歌えるアーティスト、たとえばミスチルみ たいなアーティストというのは、やっぱりそのぐらい自分に自信があるんでしょうし、いろんな愛を歌うことで、世間 をハートマークだらけにしていく自信があるってことじゃないですか。でも、残念ながら、僕にはそれがない。そういう自信がないからこそ、「愛してる」が書けていないとも言えますね。寂しいことですけど。 


 志村は、〈愛してる〉と歌う〈自信〉がないと述べているが、そのことを〈寂しいこと〉とも受けとめている。〈僕の中にある醒めた客観視〉という発言にも注目したい。志村にはリアルな気持ちとしての主観的な〈情熱〉と共に、それに対する〈醒めた客観視〉があった。ユニットⅡは前者、ユニットⅢは後者を表現しているといえるだろう。歌詞の展開の中で、この二つの感情を対比的に捉えている。〈短い夏〉〈今、〉〈子供の頃〉〈後で〉というやや錯綜した時の区切り方が、心のゆれの振幅を奏でている。


 このユニットⅢを経て、ユニットⅠの後半部が登場する。


4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど

4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 過去と現在、故郷と〈東京〉、〈空の星〉が〈見えない〉と〈見えないこともない〉。これらの対比が、時間と空間の隔たりの中で〈そんなこと〉を〈思っていたんだ〉と歌われる。〈んだ〉を付加することによって、作者志村正彦は歌の主体〈僕〉の思いをある程度まで対象化している。

 〈見えない〉ものが〈見えないこともない〉という発見から、志村正彦の眼差しが変わってきたことがうかがわれる。『茜色の夕日』は眼差しの変化の歌でもある。

      (この項続く)


2022年11月6日日曜日

話法の原点-『茜色の夕日』6 [志村正彦LN320]


 1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました

 この語り口、話法を編み出したことが、志村正彦の歌の原点であった。

 〈茜色の夕日〉の〈日〉太陽という自然の景色、〈茜色〉の色彩感、夕方という時間。〈眺めてたら〉の〈眺める〉という動詞、主体の眼差。〈てたら〉は、〈眺める〉という動作が持続しながら、その完了後に別の出来事が引き続いて起こることを示す。その出来事を〈少し思い出しました〉ではなく、〈少し思い出すもの〉〈が〉〈ありました〉と語られる。まずはじめに、〈茜色の夕日〉という自然の景観、主体の外側にあるものが眼差しの対象となり、それに続いて、〈思い出すもの〉という記憶の対象、主体の内側にあるものが浮かび上がる。〈茜色の夕日〉はやがて、〈桜〉〈陽炎〉〈金木犀〉〈銀河〉という自然やそれに類するものになるだろう。そのような変奏が奏でられてゆく。


 1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと

 続いて、〈少し〉〈思い出すもの〉の光景が現れる。〈晴れた心〉晴れやかな心と〈晴れた日曜日の朝〉晴れの天気の日曜日の朝という表現が、〈思い出す〉行為の中で融合されたのだろう。そして、〈誰もいない道〉を〈歩いたこと〉という歩行が記憶の中の鍵となってくる。


 以前述べた「ユニットⅠ」という構成の中では、夕暮から夜となり、眼差しの対象として〈空の星〉が現れる。

4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

 〈東京の空の星は見えない〉と〈聞かされていた〉という話は、誰か大切な人との会話だったのかもしれない。それは、〈東京〉に出て行く以前の故郷での出来事なのだろう。今、歌の主体〈僕〉は東京にいる。この箇所には故郷から東京へ過去から現在へという歩みが込められている。


 ユニットⅡの全体を引用しよう。

2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

 〈少し〉〈思い出すもの〉は、〈君〉との間で経験された出来事である。この〈君〉という二人称で述べられる存在とその出来事について、志村は『音楽とことば ~あの人はどうやって歌詞を書いているのか~』( SPACE SHOWER BOOks 2013/6/24 ) で語っている。該当箇所を抜き出してみよう。


・歌詞というのは、とんなものでも、何を書いてもいいものではあるんだけど、実は、なんでもよくはない。そこにリアルなもの、本当の気持ちが込められていなければ、誰の気持ちにも響いてくれないと思うんです。

・そもそも僕がミュージシャンになるきっかけというのは、フラれたあの娘に対しての満たされなかった想いというのを、なんとか遠回しにでも聞いてもらおうと思ったからなんです。そこから秘かに曲作りを始めて、演奏して、発表して、できればドカーンと売れて、いつか見返してやろう、みたいな気持ちがあったんですけど、その気持ちっていうのは、本当にリアルなもので、世間に対して何かを訴える、みたいな種類のものではないにせよ、やっぱりそれは、メッセージ色の強いものだと思うんです。

・最初の最初は、あの娘になんとなく気づいてほしいからという情熱から歌詞を書き始めたわけです(後略)

・高校生の終わりぐらいですね。初恋の娘です。

・その失恋から産まれた曲は「茜色の夕日」って曲で、フジファブリックとして発表しているんですけど、自分の衝動をそのまま歌詞に刻めたということにおいては、この曲に勝るものはないです。僕の人生において、この曲の中に込められたものに勝る想いというのはないですね。


 志村は自らの経験の中の〈リアルなもの〉〈本当の気持ち〉を歌おうとした。「茜色の夕日」の場合、歌の主体〈僕〉は作者志村自身であると考えられる。歌の作者と歌の主体とが〈リアルなもの〉として結びついている。〈君〉もまた、志村にとってまさしくリアルな存在であったと考えてよい。引用した発言からすると、〈君〉は志村の〈初恋の娘〉だった。その恋は〈高校生の終わりぐらい〉のことであり、〈失恋〉に終わった。〈自分の衝動をそのまま歌詞に刻めた〉ことがこの歌の根源にある。

 〈僕の人生において、この曲の中に込められたものに勝る想いというのはない〉という〈想い〉は、特にこのユニットⅡの中に込められている。〈君がただ横で笑っていたこと〉は、〈や〉という助詞で〈どうしようもない 悲しいこと〉につなげられる。〈笑っていたこと〉は喜びをもたらしたものだろうが、それゆえに逆に、〈どうしようもない 悲しいこと〉を際立たせる思い出にもなってしまった。その恋の終わりに、〈君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ〉という出来事があった。作者と歌の主体の〈想い〉の核にはそのような経験があるのだろう。

 その出来事は〈忘れることは出来ないな〉とされている。しかし続いて、〈そんなことを思っていたんだ〉と語られているので、忘却できないこと出来事自体とその出来事を想起する行為との二つが表現されている。志村が述べた言葉を用いれば、〈リアルなもの〉としての出来事とそれに対する〈本当の気持ち〉を歌うことの二つの次元が重要になってくる。

    (この項続く)



2022年10月30日日曜日

小さな旅-2022ハタフェス[志村正彦LN319]

 10月22日、昨年に引き続き、大学の「山梨学Ⅱ」という授業で、学生19名とバスに乗って、富士吉田の「2022ハタオリマチフェスティバル」に行ってきた。地域活性化の先進的な試みを実際に見て学ぶための現地見学である。コロナ禍での小さな旅といってもよい。ハタフェスは、山梨県富士吉田市の街の中で開催する秋祭り。二日間、小室浅間神社と本町通り沿いの各会場で、山梨のハタオリの生地や製品を販売したり関連のイベントをしたりする街フェスだ。

 富士吉田市役所の駐車場にバスを止めて、全員で歩いて、メイン会場の小室浅間神社に到着。皆で記念写真を撮った後、三つのグループ別の見学、その後、各自の自由見学という流れだ。

 この自由見学の時間に志村正彦の生家近くの公園へと向かった。この日は晴天で富士山がよく見えた。雪がまだなく、赤茶けた山の地肌が露わになった夏の富士だった。その姿を見ながら、前日アップしたばかりの偶景webの記事をスマホで探して、インディーズ版『茜色の夕日』MVを再生した。志村の歌声が静かに流れる。いくぶんか感傷的な気分に浸った。



 それから、「FUJIHIMURO」で開催中の「旅するテキスタイル」展を見に行った。フィンランドで最も歴史のあるテキスタイルブランド「フィンレイソン」のテキスタイルプリントを行ってきた街フォルッサの工場跡地をリニューアルした博物館の出張展だ。実物の展示と解説のグラフィックパネルが充実していた。富士北麓にはどことなく北欧の香りがあるので、マッチングがよい。


 昼食時間となるが、店は混んでいる。しばらく歩くと、洋菓子店のTORAYAがあった。大粒のイチゴを使ったロイヤルショートが評判の店だ。店内を見るとイートインコーナーがあるではないか!僕のようなおじさんが一人でケーキを食べるのはかなり気が引けたのだが、覚悟を決めた。イチゴが新鮮でクリームの甘みも抑えられていて、とても美味しい。ヴォリュームがあるので、満腹感がある。これで昼食は無事完了。



 本町通を上っていく。黒板当番さんの『みんなの黒板きょうしつ』のブースがあった。インクジェットプリンターで印刷した60枚のミニ黒板の中には志村正彦をテーマとする十数枚の絵があった。この日は「おとなも子どももチョークで絵を描いてみよう!」というワークショップがあった。ちょうど子供が恐竜の絵を描いていた。夕方までにボードは絵でいっぱいになったことだろう。


 フジファブリック・ファンゆかりの場所、喫茶店M-2の前を通り過ぎようとした時に、壁に小さなポスター二点が貼られていることに気づいた。



 事前に案内されていたイラストレーターmameさんによる「私のハタオリマチ日記」だった。よく見ると右側の絵はまさしくこのM-2を背景にしていた。M-2の壁にもうひとつのM-2がある、という不思議な光景。特設サイトによると、この絵は三種類あり、それぞれに三つの物語がある。その一つは志村正彦・フジファブリックに関わるもののようだ。

 途中で学生たちと何度か出会ったが、店の人たちにインタビューして取材をしていた。授業では学生のスライド発表会が予定されている。最終的な課題では、自分の街のフェスティバルを企画して提案する。ハタフェスを先進的な事例として調査した上で、自分自身が主体的に考えることを求めている。

 今年は各エリアのブースが整理されていて、統一感があった。昨年に比べて、コロナ禍による制限も緩和されて、のびのびとした雰囲気もあった。天候に恵まれて、そしてなによりも富士山にも愛でられて、素晴らしいハタフェスになった。


2022年10月21日金曜日

インディーズデビュー20周年とインディーズ版MV-『茜色の夕日』5 [志村正彦LN318]

 二十年前の2002年10月21日、インディーズのSong-Cruxから1stアルバム、フジファブリック『アラカルト』が発売された。

 今日はインディーズデビュー20周年の日。そして、『茜色の夕日』がCD音源としてリリースされた記念の日でもある。

 この歌は18歳の頃作られたと言われている。2001年夏、『茜色の夕日・線香花火』のカセットテープが自主制作されている(参照:『茜色の夕日・線香花火』カセットテープ [志村正彦LN173])が、CDのミニアルバム『アラカルト』の収録曲『茜色の夕日』がロック音楽のファンに聴かれるようになった作品であると考えてよいだろう。当時、この曲のミュージックビデオも制作された。

 22歳の志村正彦は、表情も、声も、実に若々しい。この映像では、十代の面影を宿しているようでもある。ドラムの渡辺隆之、キーボードの田所幸子がわずかだが映っている。この時は脱退していた萩原彰人のギター、加藤雄一のベース音も入っている。

 ネットにあるインディーズ版『茜色の夕日』MVを紹介したい。

    


 この映像が伝えようとしているものをシーンごとに追っていきたい。


・ファーストシーン。スタジオ照明による〈茜色の夕日〉
・演奏シーン(正面にギターを抱えた志村、その画面右側にキーボードの田所幸子、オルガン音のイントロ。
 画面が左側に移動して、ドラムの渡辺隆之。中央に移動しながら志村の声が聞こえてくる。歌が始まる)
・東京と思われる住宅街の路を歩く目線からの移動撮影の映像が挿入される。緑の多い街。庭木や生け垣。
・葉書のようなものを手にして物思いにふけるような志村。演奏シーン。
・誰かが横切って絵葉書かカードのようなものを置く。絵葉書のクローズアップ。女性(と思われる人)が丘のような所から東京と思われる街並を見下ろす。部屋の中のシーン。演奏シーン。
・再び、住宅街の路を歩く目線からの移動撮影。女性とその下に石畳。演奏シーン。空と雲。演奏シーン。
・サンダルを履いた女性が座り、何か白いものが散っている。演奏シーン
・煙草を吸いながら外を眺める志村。演奏シーン。
・丘の公園のような所からその向こう側に街並が広がる。白いノースリーブのワンピースを着てベンチに腰かけた女性の背中が映る。演奏シーン。
・部屋の中のシーン。真ん中に低いテーブル。その上には絵葉書のようなもの、グラス、灰皿。カーテンが閉められている。演奏シーン。
・空と雲のシーン。
・三度、街中を歩く目線からの移動撮影。
・ラストシーン。実景による〈茜色の夕日〉。茜色に染まる東京の街並とその向こう側の山並、山々の稜線。


 このミュージックビデオで描かれる物語は、おそらく、志村正彦が構想したものだろう。東京と思われる住宅街の路を歩くことが語りの枠組となっている。志村正彦が演じるTシャツ姿の男性と白いノースリーブのワンピースを着た女性。男女の恋愛が背景にあるのだろうが、この二人は別々に登場し、一人ひとりである。絵葉書のようなものには〈手紙〉による言葉の伝達のモチーフがあるのだろう。

 丘の公園のような所からその向こう側に街並が広がる。最後は茜色に染まる東京の街並とその向こう側には山並とその稜線が見える。〈茜色の夕日〉の時間だから東京の西側にある山梨方面の山々のように思われる。つまり、東京の街並の光景とその向こう側にある故郷の風景を思い浮かべているのではないだろうか。

 このインディーズ版『茜色の夕日』MVは日中の撮影のためか、東京の〈星〉はないが、東京の〈空と雲〉は出てくる。志村が構想したと思われるこの映像は、第1ブロックのabと第4ブロックのcdにはつながりがあるのでユニットⅠとしてまとめることができるという仮説をある程度裏付けるものでもある。  

      

1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 歌の主体は〈日曜日の朝〉に〈誰もいない道〉を歩いている。『茜色の夕日』全体を通じて、〈歩行〉が続いているようなリズムがある。逆に、立ち止まる、佇立する、休止のポイントもある。歩いて立ち止まる。立ち止まって歩き出す。そして、茜色の夕日となり、夕暮れから夜の闇へと至り、〈東京の空の星〉は〈見えないこともないんだな〉ということに気づく。〈晴れた〉〈日曜日の朝〉と〈見えないこともない〉〈東京の空の星〉という対比的なモチーフが現れる。

 さらに、インディーズ版ミュージックビデオのラストシーンに、志村の故郷である山梨方面の山並が出現することは、〈茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました〉とされるものは、故郷での出来事であることをそれとなく示しているのかもしれない。 


 『茜色の夕日』が『アラカルト』収録曲としてリリースされてから二十年。インディーズ版MVの志村正彦は、いつまでも若く、在りつづけている。


2022年10月17日月曜日

ヴァンフォーレ甲府 天皇杯優勝

 優勝が決まった瞬間の想いは、夢でないのか。でも、夢ではなかった。それでも、夢のなかにいるような心持ちがした。一日経った今でもそれが続いている。

 2022年10月16日。日産スタジアムには2万人ほどの甲府サポーターが駆けつけていた。入場時のコレオが素晴らしかった。青と赤の色彩が強烈でしかも美しく、夢のなかの光景のようだった。



 試合開始から、ゴール裏からは凄い音圧の声が出ていた。僕と妻はバックスタンドの1階にいた。声出しは出来ないエリアだったので、コールや歌のリズムに拍手を合わせていた。拍手の音が重々しく響いた。巨大な日産スタジアムはラウンド型の形状なので音が反響する。轟音・爆音のロックを身体で受けとめながら応援するのは、独特の高揚感があった。3時間に及ぶ試合だったが、夢の祝祭の空間にいるようだった。


 想いが駆け巡った。過去から現在に至る出来事。

 J2参入以来、24年ほどサポーターを続けてきた。2000年の19連敗。あの時は苦しかった。そして経営危機を迎えて、甲府存続のための活動を行った。仲間が主宰していたブログに毎日のように書き込みをしていた。とにかく何かを書くことが、甲府のために少しでも役立つかもしれないと考えた。しかし、3年連続最下位とチームは低迷した。

 2002年の大木武(現、熊本監督)就任後、チームは変わった。そして2005年12月10日のJ1昇格。柏サッカー場のゴール裏で応援していた。柏レイソルを6対2で破った。現在まで降格と昇格が合わせて3回。今年はリーグ戦で勝てないことが続き、18位。そのような成績にもかかわらず、天皇杯で勝利したのは、甲府らしいといえば甲府らしい。

 一晩明けて先程、録画をすべて見終わった。スタジアムの追体験というよりも、もう一つの経験をした気分だった。ネットの記事で報道されているように、劇的なあまりに劇的な展開。延長戦後半、山本英臣がPKを与えてしまう。河田晃兵がそのPKを止める。PK戦でも河田がPKをセーブして、最後に山本が決めて勝利。夢の経験が現実の映像によって記憶に変わっていくのだが、やはり、夢のような映像、映画のような決勝戦だ。


 来年はACL(アジア・チャンピオンズリーグ)に出場する。

 ヴァンフォーレ甲府はありえないような物語、夢の物語を創り出す。


2022年10月6日木曜日

10月16日サッカー天皇杯決勝 ヴァンフォーレ甲府VSサンフレッチェ広島

 ヴァンフォーレ甲府のことをこのblogでは久しく書いていない。調べたら2018年8月が最後だった。もう4年前になる。この間の成績は、2018年J2・9位、2019年J2・5位、2020年J2・4位、2021年J2・3位。ここ3年で順位をを上げてきたのだが、今年は現在18位とかなり低迷している。攻撃では圧倒し、枠内シュートも多いがなかなか得点できないうちに、相手のワンチャンスで失点というパターンが続いている。ところが、昨日、鹿島スタジアムで開催された天皇杯準決勝で鹿島に1―0で勝利して、10月16日の決勝に進出することになった。甲府のサポーターを24年間続けてきた僕としては、2005年のJ1初昇格に次ぐ喜びだった。

 昨日は仕事があったのでテレビでの応援。予想通り、鹿島にボールを支配されるが、ときどきカウンター攻撃が機能し、ほぼ互角の戦い。後半37分、ニキ(浦上仁騎)がDFの背後にキック、ジュンマ(宮崎純真)が走り、絶妙なトラップからGKをかわして落ち着いてシュート。ゴール! この先制点を奪い、守り切った。全体を振り返れば、攻守の切り替えが早く、小さいエリアでのパス交換を通じて、効果的な攻撃を繰りだしていた。ニュースでは「ジャイキリ」「下克上」、鹿島の監督からは「大失態」とか言われているが、そうではない。もちろん、鹿島は強豪であり、チームの総合力で甲府を上回っているのは確かだが、それで勝負が決まらないのがサッカーの面白さ、醍醐味。甲府の守備が持ちこたえれば勝つ可能性はあると僕は思っていた。札幌、鳥栖、福岡のJ1勢を複数得点で破ってきた攻撃力には優れたものがあるからだ。

ヴァンフォーレ甲府@vfk_official には、

 ⭐️クラブ初の天皇杯決勝進出⭐️
 地方クラブの挑戦は続きます。
 喜びを噛み締め、次に向かいましょう💙❤️
 現地や山梨、それぞれの場所から応援ありがとうございました。

とある。平日夕方にもかかわらず、2000人の甲府サポーターが鹿島に駆けつけたそうだ。

Yahooには、〈「興奮したよ!!」J2甲府の「男泣きの決勝進出動画」に感動の声続々! 対戦相手や他クラブのサポも巻き込み14万回再生!〉という記事(サッカー批評編集部)もあり、勝利の瞬間の映像が話題になっている。


 天皇杯決勝の相手はサンフレッチェ広島。会場は横浜スタジアム。本来なら元旦の恒例行事だが、今年はワールドカップがあるためにこの日程となった。会場も新国立競技場でないことが残念だが、これは仕方がない。

 何度か引用したが、志村正彦は2009年12月5日付の日記で、VF甲府のJ1初昇格についてこう書いている。

  京都前のり。民生さんと合流し、飲みに行く。
  民生さんサッカーの話、超詳しい。俺、全然分からん。
  今、甲府はどうなってるんだ?
  甲府がJ1に上がった日は嬉しくて乾杯したな、そういやあ。

 京都でのライブの前夜、奥田民生と合流し、サッカーの話題となったようだ。〈甲府がJ1に上がった日は嬉しくて乾杯した〉というのは山梨愛が深かった彼らしい言葉だ。


  サンフレッチェ広島には、昨年甲府に期限付きで在籍して大活躍した野津田岳人、甲府でプロキャリアをスタートさせた柏好文(山梨県出身)、佐々木翔(日本代表)、今津佑太(山梨県出身)がいる。甲府の監督を三年間務めた城福浩は昨年まで広島の監督だった。そういうわけで、J1の中では最も親しみを感じているチームだ。その広島と対戦するのも、なんというのか、少し複雑でもあるが、とても楽しみでもある。

 さらに言うと、広島で思い浮かぶのは奥田民生のこと、甲府・山梨ではもちろん志村正彦である。つまり、ヴァンフォーレ甲府VSサンフレッチェ広島は、志村正彦VS奥田民生でもある、と勝手に考えている。

 今日、チケットを購入した。10月16日午後2時キックオフ。横浜スタジアムに行って、天皇杯決勝を楽しみたい。


2022年9月29日木曜日

三拍の言葉-『赤黄色の金木犀』[志村正彦LN317]

 一昨日の夜、仕事の帰りに建物から外に出た瞬間、金木犀の香りが漂っていた。毎年、甲府盆地では9月の26日か27日頃に香り始める。今年は例年通りだ。九月の中旬までは夏の暑さが続く。下旬になると秋が訪れ始める。金木犀は、夏の終わりと秋の始まりの狭間に香り出す。

 今日9月29日は、志村正彦・フジファブリック『赤黄色の金木犀』のシングルCDリリース日。2004年のことだからもう18年が経つ。

  久しぶりにこの曲をかける。言葉がリズムに乗って次第に加速していく。前へ前へというよりも、後ろから追いかけられるようにして、歩みを速める。その速度の感覚を志村正彦は巧みに言葉で表している。


 冷夏が続いたせいか今年は
 なんだか時が進むのが早い
 僕は残りの月にする事を
 決めて歩くスピードを上げた


 冷夏の後、秋を迎える。〈なんだか時が進むのが早い〉ので〈残りの月にする事を決め〉る。この〈月〉は九月だろう。歌の主体〈僕〉は〈歩くスピードを上げた〉。

 志村はこの歌について〈秋は夏が終わった憂いがあって、四季の中でも一番グッとくる季節だし、前々からいい形で秋の曲を作りたいと思っていたんです。秋の風景にはいろいろありますけど、今回はある帰り道に思ったことを瞬間的に切り取って曲にしました〉と述べたことがある。

  〈夏が終わった憂い〉とあるので、『赤黄色の金木犀』は『線香花火』『陽炎』などの夏歌との関連があることに気づく。〈憂い〉が色濃くなる季節、歩行の速度を上げる。〈僕〉はなんらかの〈憂い〉に追い立てられるように歩いているのかもしれない。憂いと焦燥感。そのリズムの加速がこの歌の感覚の鍵となっている。


 いつの間にか地面に映った
 影が伸びて解らなくなった
 赤黄色の金木犀の香りがして
 たまらなくなって
 何故か無駄に胸が
 騒いでしまう帰り道


 このブロックの言葉自体のリズムが三拍であり、ブレスを含めると四拍になることに、今まで気を止めていなかった。久しぶりに聴いて、言葉の三拍のリズムが妙に身体を貫いてきた。歌詞を平仮名にして記してみる。


 いつの・まにか・じめん・に・うつった
 かげが・のびて・わから・なく・なった
 あかき・いろの・きんも・くせい・の・かおり・がして
 たまら・なく・なって
 なぜか・むだに・むねが
 さわい・で・しまう・かえり・みち


 三拍の言葉によるビート感が基調にある。〈強・弱・弱〉の反復がリズムの区切りとなって、言葉が表出される。特に〈何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道〉〈なぜか・むだに・むねが・さわい・で・しまう・かえり・みち〉のところで、三拍の頭の〈な・む・む・さ・し・か・み〉の強い響きが、何かに急き立てられるような感覚を打ち出す。志村は言葉を切り取る「拍」の感覚にも優れていた。


 金木犀の香りが訪れる感覚にも似ている。突然、鼻腔に強い香り、刺激的な香りがどこからともなくやってくる。その後、やや弱い香り、甘い香りがなだらかに続いていく。金木犀の香りにも〈強・弱・弱〉のリズムがあるのかもしれない。

 あの美しいイントロ・アウトロのギターのアルペジオにも〈強・弱・弱〉のビートがあるようにも聞こえてくる。これはすべて聴き手としての僕の感覚にすぎないのではあるが、今日は三拍の言葉が強く響いてきた。


2022年9月25日日曜日

語りの構造-『茜色の夕日』4[志村正彦LN316]

 『茜色の夕日』には独特の揺らぎがある。独自のリズムがある。歌詞にも独特の揺れのようなものがあり、その言葉の世界はたどりにくい。たどりにくいと言っても難解なわけではない。曲を聴き終わったときに、やるせないような余韻が残る。かと言っても、歌詞の言葉に戻ると、そこには依然として、謎としての余白が残る。

  志村正彦の歌には、現在時から、現在と近い過去の出来事を語っていくものが少なくない。しかし、それだけでなく、過去や遠い過去の出来事に対する回想が加わる。そこからさらに、もう一度、現在時に戻り、心の中の呟きを会話体で表現するフレーズが入り込む。『茜色の夕日』はそのような枠組の原点と言える。

 今回の考察は私の仮説の提示である。作者志村のモチーフを想像しながら、一つの仮説としての構造を示したい。その図示を試みる。  


 まずはじめに、第1~4ブロック全体を再度引用する。

1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
1c
1d

2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった

4a
4b
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


 この第1~4ブロックを次のように再構成する。

ユニットⅠ 第1ブロック+第4ブロック

ユニットⅡ 第2ブロック

ユニットⅢ 第3ブロック

ユニットⅣ 第5ブロック


 第1ブロックは、回想の叙述から始まるが、現在の出来事の語りでもある。LN313で述べたように、ここに第4ブロックを接続することで、ユニットⅠというまとまりを形成できる。

 ユニットⅡとユニットⅢは純然たる回想の語りであり、部分的に現在の想いが入り込む。Ⅰが全体の枠組を作り、その中にⅡとⅢが入り込む。ユニットⅣは、ⅠⅡⅢの枠組の外側にあり、現在時の歌の主体の〈僕〉の心の中の呟きが会話体で表現されている。この語りの構造を図示してみよう。




 この構造図は、志村正彦による出来事の語り、回想の叙述、心の中の呟きの関係を視覚化したものである。
 次回から、ユニットごとにその構造とモチーフを詳細に分析していきたい。

2022年9月11日日曜日

めぐる夏-HINTO『シーズナル』

 CDTV「思い出の夏ソングBEST60」1位となった『若者のすべて』の他にも、『陽炎』『NAGISAにて』など素晴らしい「思い出の夏ソング」を志村正彦・フジファブリックは創った。一つだけ選ぶとしたらずいぶん迷うことだろう。

 僕が志村の作品以外から「思い出の夏ソング」を選ぶなら、HINTOの『シーズナル』(2014年発表)だ。以前も紹介したが、あらためてこの歌を取り上げたい。ミュージックビデオと歌詞全文を添付する。





HINTO 『シーズナル』
作詞:安部コウセイ・作曲:HINTO

いつだって調子が悪そげな現状に
テンパってばかりでもう
本日の曜日もわかんなくなってるけど
猛暑って騒ぎ出したね

チャラい事に無縁の僕の夏がやってくる
今年こそは!今年こそは!だぜ

ねぇ皆ねぇ皆ねぇ皆 そろそろ
新しい季節が始まるみたいさ
誰かと出会って 誰かとは別れて
めぐってめぐって少しずつ変わって

なんとなく自然と疎遠になった君を
想い出して忘れた夜
完璧に眠気が消滅しちゃったけれど
豪雨ってこんな時いい

それっぽいことしないで僕の夏が去ってゆく
来年こそ!来年こそ!だぜ

ねぇ皆ねぇ皆ねぇ皆 そろそろ
新しい季節とサヨナラみたいさ
誰かと笑って 誰かと涙して
愛して憎んで少しだけわかって

ねぇ皆ねぇ皆ねぇ皆 そろそろ
新しい季節が始まるみたいさ
誰かと出会って 誰かとは別れて
めぐってめぐってくシーズン
めぐってめぐってくシーズン
めぐってめぐって
少しだけ変わった


 安部コウセイ@kouseiabeの8月28日のtweetには〈HINTOのシーズナルって曲があるんですけど、何度歌っても毎回しずかに感動するんです。なのでもう勝手に名曲認定しますね〉とある。作者自身の名曲認定だが、この歌がもっと聴かれるべき夏の名曲であることは確かだろう。9月3日には〈アナログヒントありがとうございました。あー最高の夜だった。最高の夜だったよ〉とあり、9月2日開催のAnalogfish×HINTOの 2 man Live 『アナログヒント~おひさしぶりのブラザー~』での『シーズナル』のライブ映像が添えられている。

 歌詞について触れたい。〈チャラい事に無縁の僕の夏がやってくる〉〈それっぽいことしないで僕の夏が去ってゆく〉と〈僕の夏〉がゆるやかに語られている。〈チャラい事に無縁の〉〈それっぽいことしない〉〈僕〉。〈やってくる〉夏と〈去ってゆく〉夏。遠い遠い夏の季節にそんなことがあったような、なかったような、そんな思い出が聴き手の僕自身の中でもめぐりだす。失われてゆくものを取りかえしたい想い。その苦しさ、空しさ、懐かしさ、切なさ。この歌を聴くと様々な感情が浮かび上がる。

 『シーズナル』のサビは三回繰り返されるが、歌詞に変化がある。

 めぐってめぐって少しずつ変わって
 
 愛して憎んで少しだけわかって

 めぐってめぐって少しだけ変わった

 このblogですでに書いたことを繰り返すが、〈少しずつ変わって→少しだけわかって→少しだけ変わった〉という変化について触れたい。〈変わって→わかって〉の〈かわ〉〈わか〉の音の戯れ。〈少しずつ→少しだけ→少しだけ〉という副詞の展開。〈て→て→た〉と余韻を残す接続助詞〈て〉を使いながら最後は助動詞〈た〉で完結させる。安部コウセイは、言葉の微細な変化によって、〈僕〉の変化を歌う。

 以前、この三つの箇所が、『若者のすべて』の最後〈僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉に対する応答のように感じると書いたが、今聴くと、ますますそんな気がするのはなぜだろうか。

 『シーズナル』も『若者のすべて』も、聴き手にそして歌い手にも、夏を想起させる強い作用を持つ。夏の思い出が〈めぐってめぐって〉ゆく。
 

2022年9月4日日曜日

『若者のすべて』-CDTV「思い出の夏ソングBEST60」第1位[志村正彦LN315]

 前回、この夏は『若者のすべて』についてのニュースは特段なかったようだ、と書いたが、その翌日の8月29日、TBSで『CDTVライブ!ライブ!』夏の4時間スペシャルが放送され、フジファブリックの『若者のすべて』が「思い出の夏ソングBEST60」1位となった。

 僕はこの番組を見逃してしまったのでネットの情報によった。これはこの夏の特筆すべき出来事だ。テレビ番組のあらゆるランキングの中で、志村正彦の歌がナンバーワンになったことは初めてだろう。

 3万人の一般リスナーの投票で決まったようだ。最近のこの曲の人気からすると、30位以内には入る、もしかすると10以内もありえる、そんな予想はできただろうが、結果は1位。真夏の夜の夢のような気もしたが、これは事実である。

  5月のテレビ朝日「関ジャムJ-POP史 最強平成ソングベスト30!!」では「若者のすべて」が4位になったが、これは若手人気アーティスト48名による一斉アンケ―トの結果だ。アーティストの投票による4位も嬉しいが、一般リスナー3万人の投票による1位の方が断然すごい。驚きと嬉しさでいっぱいになる。

 ネットで放送の一部を見ることができた。両国ライブ(DVD『Live at 両国国技館』)で志村正彦が歌う映像が使われていた。テレビで紹介される場合、ミュージック・ビデオが使われることが多いが、この番組はライブ演奏や中継があるなど「ライブ」が中心なので、両国ライブの方が選ばれたのだと思われる。現在のフジファブリックもこの歌をよく演奏しているが、やはり、志村正彦が歌う『若者のすべて』でなければ『若者のすべて』ではないのだろう。歌詞、楽曲、歌い方、声、眼差しのすべてが志村独自の表現となっている。そして、『若者のすべて』が、志村正彦という一人の若者が作詞作曲した作品であることが広く認知されてきたのだろう。


 ネットで見たランキングによると、僕らの世代の夏歌として有名な下記の歌は次の通りの順位だった。

44位 井上陽水『少年時代』
36位 松任谷由実『真夏の夜の夢』
22位 TUBE『あー夏休み』
18位 サザンオールスターズ『真夏の果実』

 サザンオールスターズやTUBE、そして松任谷由実や井上陽水。10位代から40位代に入っているが、これらが夏歌の上位を占める時代は終わってしまったのだろうか。10位から2位までは、BTS、キマグレン、平井大、3代目J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE、KARA、湘南乃風、緑黄色社会、桐谷健太の順だが、10代から20代の若者によって支持される曲だろう。

 このような曲が並ぶ中で『若者のすべて』が1位となったのは、現在の若者世代からの支持も多いことを示す。『若者のすべて』は、かつて若者であった者にも、今若者である者にも、そしておそらく、これから若者となる者にも、つまり、若者のすべての世代によって愛される作品になりつつある。すべての若者の『若者のすべて』。

 それにしても1位となった要因はどこにあるのか。やはり、「思い出の夏ソング」というテーマ設定、特に「思い出」というモチーフが大きい。


  何年経っても思い出してしまうな

  ないかな ないよな きっとね いないよな


 〈何年経っても思い出してしまう〉歌の主体が〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉と歌うのは、思い出す行為そのものである。思い出したものではなく、思い出すこと、そのこと自体を歌う。思い出す行為がそのまま聴き手に作用していく。聴き手自身が思い出す行為に誘われる。これが「思い出の夏ソング」第1位となった要因ではないだろうか。


2022年8月28日日曜日

2022年夏、黒板当番『若者のすべて』 [志村正彦LN314]

 夏が終わろうとしている。毎年この時期に志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』について書いてきたので、今年も続けたい。『茜色の夕日』論は一休止とする。

 今夏も、地元局テレビ山梨の花火の映像のBGMでこの曲を聴いた。特に八月の最後になると、テレビやラジオで『若者のすべて』が再生されることが多い。ネットでもその報告が増えている。

 今年に関して言えば、『若者のすべて』についての報道は特段なかったようだ。この春から高校音楽の教科書に採用されて以降、この曲に関するニュースは特に見当たらない(見落としている可能性もあるが)。

 そのような状況だが、黒板当番さんがこの夏に描いた『若者のすべて』の画が印象深かった。今日はこの黒板画を取り上げてみたい。すでに見た方も未見の方も、この素晴らしい作品をぜひご覧ください。

 僕は実際の画をまだ見ていない。ネットの画像、そしてこの画について作者が書いた文章(@kokuban_toban Aug 7)から考えたことを記したい。


 黒板当番さんは、『若者のすべて』の二人について次のように述べている。

この絵の中心となる男女二人の顔は、一番思い悩んだ表現でした。単純に考えるとこの歌は再開を願っていた彼女についに出会い、一緒に花火を見上げているハッピーエンドに聴こえます。しかし「話すことに迷うな」というだけでは、二人が互いに目を合わせて言葉を交わしたかどうかは怪しい、と思いました。もしかしたら彼女の存在を確認しただけで、声を掛けられないまま別れたかも知れないし、彼女は志村さんに気付いてすらいないかも知れない。さらに志村さんの妄想癖を考えると、彼女が本当にそこにいたかどうかも分からない。記憶の中の彼女をリアルに想像して、まいったな、と言っているだけかも知れない。志村さんの歌詞は、このような複数の世界線を同時に成り立たせるような「空白」を巧みに言葉に込めているように思えます。


 黒板当番さんは、〈ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな〉という所謂《再会》のシーンについて、〈この二人が互いに目を合わせて言葉を交わしたかどうかは怪しい〉〈彼女の存在を確認しただけで、声を掛けられないまま別れたかも知れない〉と考えている。

 このシーンについては以前、「志村正彦LN300」で、「「僕」は〈まいったな まいったな 話すことに迷うな〉と躊躇い、そのままその場を通り過ぎようとする。その一瞬に、「僕」の視線はその想い続けていた人に向けられる。「僕」とその人との間で、眼差しが交わされる。眼差しによる再会」という解釈を示したことがある。

 黒板当番さんはさらに〈彼女は志村さんに気付いてすらいないかも知れない〉〈さらに志村さんの妄想癖を考えると、彼女が本当にそこにいたかどうかも分からない〉と考察を深める。〈気付いてすらいない〉可能性はあると僕も考えていたが、〈妄想〉によって〈彼女が本当にそこにいたかどうかも分からない〉〈記憶の中の彼女をリアルに想像して、まいったな、と言っているだけかも知れない〉という捉え方は、思ってもみなかった。斬新で独創的な解釈である。確かに、志村正彦の作品には、彼特有の妄想や想像の力によって描かれた世界がいくつもある。


 夏の夜の花火大会だとすると、花火を美しく見せるために会場の照明は少なく、ほの暗い。大勢の人々で賑わっているが、人々の顔の表情はよく見えない。時折光る花火の光。その一瞬一瞬、光が輝く以外の時には、近くの人が誰であるのかも分からない。

 会いたい誰かがいるとしよう。たまたま、面影が少し似ている人を見かける。はっきりとは分からない。だからこそ、思う気持ちが強ければ強いほど、その見かけた人をその人自身と思いこむことがあるかもしれない。現実よりも、思う気持ちの方が勝る。そうなると妄想にも似てくる。

 あるいは、「真夏の夜の夢」のような夢想。花火の鮮やかな光や大きな音の中で、夢見心地の世界が現れる。現実と夢の狭間のような世界。〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉〈ないかな ないよな なんてね 思ってた〉という〈ない〉のリフレインは、現実でも〈ない〉、夢でも〈ない〉、その狭間の世界を歌っているのかもしれない。

 『若者のすべて』の物語は、主体の「僕」が〈まぶた閉じて浮かべているよ〉と歌うように、閉じられたまぶたの裏側にあるスクリーンに投影されている夢物語のようでもある。

  シェイクスピア『真夏の夜の夢』(A Midsummer Night's Dream、『夏の夜の夢』という訳もある)は、真夏の熱に浮かされた恋の祝祭の物語である。最後に妖精パックは、〈夜の住人、私どもの、とんだり、はねたり、もしも皆様、お気に召さぬとあらば、こう思召せ、ちょいと夏の夜のうたたねに垣間みた夢まぼろしにすぎないと〉と語る。『若者のすべて』にも、花火によって高揚する感触、静かな祝祭の感覚がある。シングル『若者のすべて』のカップリング曲・B面の『セレナーデ』にもそのような感覚の陰影がある。


 黒板当番さんは、志村正彦の歌詞を〈複数の世界線を同時に成り立たせるような「空白」を巧みに言葉に込めている〉と考えて、次のように「若者のすべて」黒板画を構想したそうである。

このような空白を尊重したいと思ったので、この絵に二人の姿を具体的に描く上で、明らかに隣に並んでいると分かる構図の絵は描けない、と考えました。そこで出た答えが、絵の中で二人が別々のカメラで撮られたように描くことでした。すぐ隣にいるかも知れないし、離れたところにいるかも知れない。同じ花火を見上げているかも知れないし、記憶や想像の中の彼女かも知れない。本当にそこにいたとしても、彼女は懐かしい志村さんに出会っていないかも知れないし、出会うことを想定すらしていないかも知れない。そこで、彼女の髪型や服装は、特に再会への期待を感じさせない、いつもの飾らない普段着風にしました。彼女の表情も再会の有無に関係なく、花火の美しさだけに集中しているように見えるよう描きました。志村さんの方は、再会に喜んではにかんでいるようにも、また再会を妄想してニヤけているだけのようにも見えるよう気を付けました。また、二人の顔の影が少し違うのは、花火を見ている場所が違うかも知れないことを示唆しています。


  作品の画像を見ると、確かに、〈絵の中で二人が別々のカメラで撮られたように〉描かれていることが分かる。カメラの比喩で言うと、カメラの被写体とカメラの撮影者がいる。〈別々のカメラ〉とあるので、ハリウッド映画の撮影のように、同一シーンを複数カメラで撮影している感じかもしれない。映画ではカットのモンタージュで編集するが、絵画では同一画面でつなぎ合わせることになる。

 この二人の描き方による画には、《パララックス・ヴュー》、パララックス(視差)による二つの像の間に生じる見え方の差異、ギャップのようなものがある。それは、志村正彦的な何かにつながるような気がした。

 この黒板画には、富士吉田の「いつもの丘」の山と高円寺の駅前、高円寺の陸橋、八月末の天気図、『若者のすべて』CDジャケットの観覧車など、いくつもの風景や景物が同時に織り込まれている。画を描く人の視線もまたそこに織り込まれる。

 僕の目には、チョークのドットが花火の光の粒子に見える。この画全体が花火の一瞬の輝きのようでもある。上部の風景の中に、かすかに、富士山の姿を感じたのだが、これは幻かもしれない。


 文章の場合、結局、対象の構造を分析したり概念を提示したりすれば、とりあえず句点を打つことができる。だから、ある種の逃げになることもある。このblogの文章もそれを免れない。

 しかし、絵画の場合、具体的であっても抽象的であっても、像を描かなければならない。線と色を選択しなければならない。これは当然の前提だろう。しかし、あらためて、黒板当番『若者のすべて』を見て、絵を描く人の決断と勇気といったものを考えさせられた。


2022年8月21日日曜日

第5ブロックの時間、第1と第4ブロックとのつながり-『茜色の夕日』3[志村正彦LN313]

   前回、『茜色の夕日』の第1~4ブロックのフレーズを構成要素abcdに分けた。第1~4ブロックは、基本として回想であり、歌の主体が回想する出来事が述べられている。それに対して、第5ブロックは回想というよりも、歌の現在時における主体の想いが表出されている。構成要素abcdとは独立した関係にあるので、eという新しい要素を付した。


 第5ブロックを引用する。

5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


 第1~4ブロックの回想は〈そんなことを思っていたんだ〉と語られるが、第5ブロックは〈そんなことを思ってしまった〉と述べられる。第5ブロックの〈思ってしまった〉の方は、今まさしくそのようなことを〈思ってしまった〉という、思う行為が完了した時点を示している。〈そんなこと〉は、歌の主体の現在時に近い出来事になる。それに比べて、第1~4ブロックの〈思っていたんだ〉は〈そんなこと〉を思い、その思いが持続していたという時の流れを示している。〈そんなこと〉は、歌の主体にとって、近い過去から遠い過去までの出来事になる。

 つまり、〈そんなことを思ってしまった〉とされた第5ブロックの想いは、歌の現在時のものと言ってもよいだろう。その内容も、〈僕じゃきっと出来ないな〉〈本音を言うことも出来ないな〉〈無責任でいいな〉という〈僕〉と〈僕〉自身との対話であり、現在の思いであろう。その自己対話を〈ラララ〉と受けとめながら、〈そんなこと〉と捉えた上で、〈思ってしまった〉と結んでいる。ここでは表現の観点で分析したが、この第5ブロックの意味については後に論じたい。


 第1~4ブロック全体を再度引用する。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
1c
1d

2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった

4a
4b
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 第1ブロックには、abの構成要素はあるが、それに続くcdはない。

 歌の主体ははじめに、〈茜色の夕日〉という光景を〈眺めてたら〉と語り始める。〈てたら〉は、〈ている〉という現在進行形を含む〈ていたら〉であるので、この眺める行為は、今、進行中、継続中の事態や行為である。そして、眺める行為の帰結は〈少し思い出すものがありました〉という想起となる。回想される出来事は、〈晴れた心の日曜日の朝〉という過去の日と、その過去の時点で〈誰もいない道 歩いた〉という行為である。

 〈晴れた心の日曜日の朝〉という表現は独特だ。〈晴れた日曜日の朝〉という通常の表現に〈心の〉が繰り込まれている。おそらく、〈晴れた心〉(心が晴れやかだ)と〈晴れた日曜日の朝〉(天気が晴れている、日曜日の朝)が複合されているのだろう。続くフレーズは〈誰もいない道 歩いたこと〉。つまり、歌の主体は〈日曜日の朝〉に〈誰もいない道〉を歩いている。この〈歩行〉のモチーフを、志村正彦は繰り返し表現している。『茜色の夕日』全体を通じて、〈歩行〉が続いているようなリズムがある。逆に、立ち止まる、佇立する、休止のポイントもある。歩いて立ち止まる。立ち止まって歩き出す。このモチーフとリズムは、『若者のすべて』などの他の作品に引き継がれている。

 第2ブロック・第3ブロックで焦点化されるのは〈君〉であり、〈君〉との出来事である。注目したいのは第4ブロックである。cdの構成要素はあるが、それ以前のabがない。その意味で、第1ブロックと第4ブロックは対照的である。ここで一つの仮説を提示したい。第1ブロックのabと第4ブロックのcdにはつながりがある、というものだ。第1ブロックのabと第4ブロックのcdとを接続させて、一つのブロックを作るとこのようになる。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 第1ブロックのabで回想される出来事は〈晴れた心の日曜日の朝〉という過去と、その時点で〈誰もいない道 歩いたこと〉という行為である。歌の主体はどこかを歩いている。この〈歩行〉の場、〈誰もいない道〉は、歌の主体の故郷にある道のような気がする。根拠はないのだが、そのように感じられる。

 第4ブロックのcdで〈東京の空の星〉が登場する。作者志村正彦が、東京という具体的な場を表現することは極めて珍しい。それは〈見えないと聞かされていたけど〉〈見えないこともないんだな〉と、〈ない〉という否定と〈ないこともない〉の二重否定による肯定がある。〈ない〉という表現は三度重ねられる。第1ブロックにも〈誰もいない道〉という〈ない〉による否定がある。

  第1ブロックのabと第4ブロックのcdとを接続させると対比的な構造が現れる。〈晴れた〉〈日曜日の朝〉と〈見えないこともない〉〈東京の空の星〉。晴れて見えないこともないもの。そして、〈朝〉と夜という時間。そのような構造を想定すると、この歌詞の展開において、第1ブロックのabと第4ブロックのcdとの間につながりがある、という仮説が成り立つかもしれない。


2022年8月14日日曜日

歌詞の構成要素-『茜色の夕日』2[志村正彦LN312]

  『茜色の夕日』(作詞・作曲:志村正彦)の歌詞は、歌詞カードによって異同があるが、ここでは、『志村正彦全詩集新装版』(パルコ 2019/8/28)収録の本文を引用する。


茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと

茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと

君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない

君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった
東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

僕じゃきっと出来ないな
本音を言うことも出来ないな
無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった

君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ
東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 この歌詞も、他の志村の歌と同様に、具体的な物語の展開がたどりにくい。反復されるフレーズが多いことも影響しているだろう。把握しにくいのではあるが、歌われている出来事、物語がないことはない。その出来事、物語をこのblogでよく使っている歌詞の構成要素abcd(いわゆる「起承転結」に相当する)によって分析してみたい。

 現代詩作家荒川洋治『詩とことば』 (岩波現代文庫 2012.6、原著2004刊)の次の箇所を参考にした。その部分を引用する。

 詩は、基本的に、次のようなかたちをしている。

  こんなことがある           A
  そして、こんなこともある   B
  あんなこともある!      C
  そんなことなのか         D

 いわゆる起承転結である。Aを承けて、B。Cでは別のものを出し場面を転換。景色をひろげる。大きな景色に包まれたあとに、Dを出し、しめくくる。たいていの詩はこの順序で書かれる。あるいはこの順序の組み合わせ。はじまりと終わりをもつ表現はこの順序だと、読者はのみこみやすい。

 この論ではABCDを小文字のabcdに置き換えて、歌詞の展開の基本要素にする。

 物語の展開および楽曲の展開から、五つのブロックに分けた。1~4の四つのブロックには、各々、abcdの構成要素を付したが、1と4については空白の行を設定して、それぞれcd、abを付した。また、1~4の展開から独立したブロックは5として、eという構成要素を新たに付けた。このeは、起承転結的な展開からは独立した部分、歌の主体の思いが直接表現されているところを示している。abcdそしてeの差異を明らかにするために、フォントの色を分けてみた。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
1c
1d

2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった

4a
4b
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 第1ブロックから第4ブロックまでのabcdの構成要素を要素別に配列してみると、歌詞の物語構造が明確になる。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
4a

1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
4b  

1c
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど

1d 
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 〈a〉は、この歌の起、イントロダクションであり、すべての回想が引き起こされる。このフレーズは1~3にかけて、そのまま反復される。〈茜色の夕日〉という光景を〈眺めてたら〉という主体の行為。夕方という現在時。〈少し思い出すものがありました〉という回想は、思うに任せない現実に気を揉むような焦慮が変化していったものだと考えられる。焦慮が回想へと転換されていくことで、次第に、主体の想いが動き始めるといってもよい。

 〈b〉は、〈a〉の回想を受けて展開される。その回想される出来事、それと共に、その出来事の時間や時代が表される。〈誰もいない道 歩いたこと〉〈君がただ横で笑っていたこと〉〈どうしようもない 悲しいこと〉〈子供の頃の寂しさがない〉という出来事。〈晴れた心の日曜日の朝〉〈短い夏が終わった〉〈今〉という時間や時代。

 〈c〉で、ある種の転換が起きる。〈君〉が焦点化されて、その〈君〉と歌の主体〈僕〉との間にある大切な出来事が語られる。また、〈東京〉の〈空〉の〈星〉というもう一つの重要なモチーフが登場する。

 〈d〉は、そのブロックの結となる部分である。〈そんなことを思っていたんだ〉という語り口で、それぞれの回想が終わる。そして、歌の主体の現在の想いが語られる。〈忘れることは出来ないな〉の〈な〉、〈笑うのをこらえているよ〉の〈よ〉、〈そんなことを思っていたんだ〉の〈んだ〉と添えられた言葉。志村正彦が愛用した表現である。その〈な〉、〈よ〉、〈んだ〉は、歌の主体と出来事とのあいだの一種の距離を示しているとも感じとれる。

2022年8月7日日曜日

焦燥から焦慮へ、1stアルバム『アラカルト』-『茜色の夕日』1[志村正彦LN311]

 志村正彦・フジファブリックは、2002年10月21日、インディーズでデビューを果たした。1stミニアルバム『アラカルト』がロフトプロジェクト主宰のレーベルSong-Cruxから発売。今年2022年はそのデビューから20年となる。

  インディーズに在籍したことのあるアーティストのデビュー時期をインディーズにするかメジャーデビューにするかという問題がある。各々独立したデビューとして考えればよいのかもしれないが、志村正彦の場合、2022年のインディーズデビューを、表現者としての活動開始、デビューとして捉えたいと私は考えている。『アラカルト』収録作品は6曲。いずれも、「習作」的な段階を超えた水準にある作品であり、何よりも独創性が光っている。作品の観点からすると、そのディストリビューションがインディーズかメジャーかということは本質的なことではない。サブスクリプションの時代を迎えて、今後はさらにその識別は無意味になるだろう。

 今年は志村正彦・フジファブリックのデビュー20周年。『アラカルト』から20年。このアルバムの代表曲が『茜色の夕日』であることは多くの聴き手が同意するだろう。だから、『茜色の夕日』20周年と捉えてもよいだろう。

 『茜色の夕日』については、このblogの作品indexをみるとすでに19回ほど書いてきた。ただし、2014年武道館LIVEの志村正彦の《声》による『茜色の夕日』。様々な番組で取り上げられた『茜色の夕日』。『茜色の夕日・線香花火』のカセットテープ。『茜色の夕日』のカバー。映画の作中歌『茜色の夕日』。下吉田駅の『茜色の夕日』というように、この十年間のこの歌をめぐる様々な出来事を主に記してきた。

 このblogでは、作品そのものを論じる場合、通番を付している(例えば『若者のすべて』で通番を付したものは24回ある)が、『茜色の夕日』について通番を付したことはない。つまり、作品そのものを本格的に論じたことはこれまでなかったといってよい。なぜか。私にとって端的に、この歌がつかみづらい、ということに帰する。もっと正直に言えば、これまでこの歌についてどのように論じてよいのか分からなかった。ずっとこのことは気になっていた。この歌が『アラカルト』でCD音源としてリリースされて20年となる今、この歌について通番を付して論じていきたい。


 ここであらためて1stミニアルバム『アラカルト』の曲を振り返りたい。このアルバムにもアルバムとしてののストーリーというものが、そこはかとなく、ある。

 収録曲は全六曲。すべての作詞・作曲は志村正彦。

1.線香花火
2.桜並木、二つの傘
3.午前3時
4.浮雲
5.ダンス2000
6.茜色の夕日




 『線香花火』『桜並木、二つの傘』『ダンス2000』の三曲には共通するモチーフがある。


線香花火のわびしさをあじわう暇があるのなら
最終列車に走りなよ 遅くは 遅くはないのさ      『線香花火』

最後に出かけないか 桜並木と二つの傘が きれいにコントラスト       『桜並木、二つの傘』

いやしかし何故に いやしかし何故に
踏み切れないでいる人よ                『ダンス2000』


 〈走る〉〈出かける〉〈踏み切る〉という移動や運動の動詞群。〈走りなよ〉〈出かけないか〉。その逆の〈踏み切れないでいる〉。二十歳前後の青年である歌の主体の〈今〉〈ここ〉からの離脱あるいは脱出の願望、それが遂げられない焦燥感が独特のグルーブ感によって歌われている。何かに追い立てられる。それが何かは分からないままにとにかく、どこか外へと出て行くこと。所謂「初期衝動」的なモチーフといってもよい。最も初期の志村正彦の世界がここにある。

 この四曲に対して、『浮雲』『茜色の夕日』は異なる次元へと踏み出している。一つの方向性が定まる。(『茜色の夕日』は最も初期の作と言われているが、ここでは、現実の制作時期についてはあえて問わないことにしたい)移動や運動の動詞はそのまま継承されている。しかし、『線香花火』『桜並木、二つの傘』『ダンス2000』の三曲にみられた「焦燥感」、思い通りにならない現実に対する苛立ちや焦りに駆られることから、思うに任せない現実に起因する不安が内面をめぐることへと変化していく。後者は「焦慮」の感覚と捉えることもできる。アルバム『アラカルト』全体を通じて、歌の主体の「焦燥」から「焦慮」へという想いや感覚の転換が描かれているといえるかもしれない。


 『アラカルト』の三曲目に『午前3時』がある。次の一節が注目される。


鏡に映る自分を見ていた
自分に酔ってる様でやめた


 〈自分〉が、〈鏡に映る自分〉とそれを〈見ていた自分〉とに分離されている。ここでは〈自分に酔ってる様でやめた〉とされているが、このような鏡像との対話は繰り返されたのだろう。志村の場合おそらく、自己陶酔や自己愛に閉じられていくのではなく、自分自身を見つめるもう一人の自分が形成されていった。これはもちろんどの人間にもある経験だが、志村の場合、その経験を自ら深めていった。自分に対する〈他者〉としての自分という存在ががある強度を持って形成されていった。〈他者〉としての志村正彦の誕生である。


 『浮雲』『茜色の夕日』には次の一節がある。


独りで行くと決めたのだろう
独りで行くと決めたのだろう                  『浮雲』


茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと        『茜色の夕日』


 『浮雲』では、〈独りで行く〉ということを、歌の主体は自分自身に対して〈決めたのだろう〉と問いかける。自らに問いかけるのではあるが、〈独りで行く〉ことは、すでに決められていたように思える。

   『茜色の夕日』では、〈茜色の夕日眺めてたら/少し思い出すものがありました〉と語りかける出来事は、〈晴れた心の日曜日の朝/誰もいない道 歩いたこと〉、歩みの記憶である。〈…ものがありました〉という語りかけは、まず第一に自らに対するものだ。〈…たのだろう〉の問いかけと、〈…ものがありました〉の語りかけ。その問いかけと語りかけの話法によって、〈独りで行く〉という主体の決意と、〈歩いたこと〉という主体の歩みの記憶が伝えられる。

 『浮雲』の主体は、現在の自分、故郷の「いつもの丘」にいる自分が、未来の自分自身に対して問いかける。現在の自己と未来の自己という二つの自己の分離とその二者間の対話がある。『茜色の夕日』では、現在の自分、おそらく東京の街にいる自分が、故郷にいる自分、過去の自分へと語りかける。現在の自己と過去の自己という二つの自己の分離とその二者間の対話がある。


 2002年の1stミニアルバム『アラカルト』収録の『浮雲』と『茜色の夕日』の二曲が、一人の青年志村正彦を一人の表現者志村正彦へと転換させていった。

 柴宮夏希による『アラカルト』ジャケット画をもう一度見てみよう。近景に花々、中景に白銀の富士、遠景に赤色と黄色の太陽が描かれているように見える。この二つの太陽が茜色の夕日の象徴なのかもしれない。あるいは、この赤色と黄色のコントラストが何かと何かの対比を表している、とも捉えられる。どちらにしろ、この対比的構造は志村正彦・フジファブリックの始まりを象徴的に表している。


2022年7月17日日曜日

歌詞研究と専門ゼミナール(3)[志村正彦LN310]

 〈志村正彦の世界 3〉では、〈志村正彦でしか表現できないような世界〉に関する歌を四つのテーマ二分けて取り上げた。

  •  試みの歌    :『サボテンレコード』『Sufer King』
  •  「眠りの森」の歌:『夜汽車』『セレナーデ』
  •  2009年の歌    :『バウムクーヘン』『タイムマシーン』
  •  往路と帰路の歌 :『浮雲』『ルーティーン』


 毎回、ゼミ修了後に200字程度の振り返り文を書いてもらう。10人のゼミ生のコメントを載せたい。


  • 「若者のすべて」しか知らなかったが、「Sufer King」や「バウムクーヘン」等様々な曲調の歌をたくさん作っていたことを知り、とても驚いた。その歌の全てにきちんとその歌独自の世界観があったり、歌詞において起承転結がしっかりと作られていたりと、一つの曲の歌詞だけでもたくさんの考察ができる。
  • 「Surfer King」のような激しい曲調のものがあり、志村正彦の作り手としての幅の広さを感じた。「若者のすべて」と「セレナーデ」では、記憶と夢、自身の現状の感情や想いに対して未来の君に対する願いなどの対比の構図があるように感じた。
  • 志村さんの、幅広い音楽に触れて「ロック」というものを覆されたような気がした。「サボテンレコード」では出だしの、でもでもだってね という独特の歌詞で魅了され、”チクチク タク” が時計の音を表すとともに、サボテンのトゲも音として隠されているように感じた。
  • 思い出を思い返す歌など少し後ろ向きな歌が多いと感じていたのですが、「誰しもが感じる後ろ暗いことを楽曲にしたい」という気持ちがあったからそういう楽曲が沢山生まれたのだなと思いました。「Surfer King」の「サーファー気取りについていく君」でストーリーが一転するのが印象に残りました。
  • 志村正彦さんは、「銀河」や「Surfer King」などの曲になると擬音系や少しアレンジをした歌詞を使って爽快感を出していた、しかし「タイムマシン」は、擬音系を使わずありのままの歌詞を使って後悔や悲しさを出していた。歌手としての責任による悩みが入っているように思う。
  • 「夜汽車」が印象に残っている。最初に歌詞を見た時は、駆け落ちの男女を想像したが、結ばれない関係の二人だと解釈した。本当の事を言う前に曲が終わるため、もどかしさが残ると感じた。相手が寝息を立てている時に、静かに本当の事を言おうとしているため、相手に直接言う可能性はおそらく低いだろう。結ばれない二人が気晴らしに出かけ、夜汽車に乗ってから物語が始まると想像した。
  • 「セレナーデ」では「若者のすべて」に出てくる僕はまだ思いを寄せる君に会いたい、幸せになって欲しいという思いが夢の中で現れているのだろうと感じた。曲調も自分がその「僕」が見ている夢の中を体験できるような曲調だと感じた。最後の「お別れのセレナーデ」の部分では曲調が大きくなってると感じた。これは夢から現実に戻る合図のように感じられた。
  • 「Surfer King」の歌詞が興味深かった。冒頭の「ギラギラ」は男の金髪の輝きと夏の暑い太陽の二つを表しているのだと思った。「ギラギラ」だと何だか強そうで男のイメージが伝わってくる。「彼」と「君」を見ている視点だからこそ、「彼」への少し皮肉な表現が感じられるし、もう想いが届くことはないと思っている諦めの「フフ」という自嘲的な笑いなのかなと思った。
  • 志村正彦さんの歌をいくつか聴いて、その中で特に歌詞に注目したときに、「言葉はこちらで選んで提示しておくから、そこから先の物語は自由に想像して自身で作ってください」とでも言われている気分になるような、言葉の使い方、歌詞の書き方、情景の示し方だと個人的に感じた。
  • 「バウムクーヘン」では、擬音を用いた表現とそれまでの歌詞の中の人生観が上手く噛み合って、世間に訴いかけているような描写が非常に分かりやすい。あまり曲には使われなさそうな擬音を上手く歌詞と合わせており、一つ一つの言葉がより現実に沿っている、親近感を持てる曲だと改めて感じました。


  引用文から分かるように、「Sufer King」が学生の関心を集めた。この曲についてのスライド資料では、歌詞の起承転結abcd展開、人称による三項構造ABCの分析を図で示した。言葉と言葉、フレーズとフレーズの要素間の関係を視覚的につかむことが大切だからだ。SLIDE資料を添付する。




 ゼミ生は、〈「サーファー気取りについていく君」でストーリーが一転する〉、〈「彼」と「君」を見ている視点だからこそ、「彼」への少し皮肉な表現が感じられるし、もう想いが届くことはないと思っている諦めの「フフ」という自嘲的な笑いなのかなと思った〉というように、歌の主体、「彼」、「君」という三者の関係を注目したようだ。この三者の関係はよく分からないからこそ想像力が求められる。余白の物語を読んでいく愉しさもある。

 「夜汽車」と「セレナーデ」の二つは、「眠りの森」という表現が共通項になる。また、「セレナーデ」はシングル「若者のすべて」のカップリング曲である。この三つの歌の関係については講義で触れた。「夜汽車」や「セレナーデ」に惹かれた学生も少なくなかった。

〈結ばれない二人が気晴らしに出かけ、夜汽車に乗ってから物語が始まる〉という想像、〈最後の「お別れのセレナーデ」の部分では曲調が大きくなってると感じた。これは夢から現実に戻る合図のように感じられた〉という感受性、〈「若者のすべて」と「セレナーデ」では、記憶と夢、自身の現状の感情や想いに対して未来の君に対する願いなどの対比の構図があるように感じた〉という分析。

  「サボテンレコード」の〈”チクチク タク”が時計の音を表すとともに、サボテンのトゲも音として隠されているように感じた〉という音に対する感性、〈「バウムクーヘン」では、擬音を用いた表現とそれまでの歌詞の中の人生観が上手く噛み合って、世間に訴いかけているような描写が非常に分かりやすい〉という分析、〈「タイムマシン」は、擬音系を使わずありのままの歌詞を使って後悔や悲しさを出していた。歌手としての責任による悩みが入っているように思う〉という指摘。

 それぞれの作品についての的確なコメントである。また、作品全体についても、〈様々な曲調の歌をたくさん作っていたことを知り、とても驚いた。その歌の全てにきちんとその歌独自の世界観があったり、歌詞において起承転結がしっかりと作られていたりと、一つの曲の歌詞だけでもたくさんの考察ができる〉、〈「言葉はこちらで選んで提示しておくから、そこから先の物語は自由に想像して自身で作ってください」とでも言われている気分になるような、言葉の使い方、歌詞の書き方、情景の示し方だと個人的に感じた〉と捉えている。これはゼミ学生に共通する観点でもある。

 専門ゼミナールでの歌詞研究では、歌詞の起承転結abcdの展開、歌に登場する人間・時間空間の三項ABCの構造、表現(音の要素を含めて)の技術など、大きく三つの観点からの分析を図で示すが、そこから先にある、作品のテーマやモチーフ、作品の解釈や捉え方については学生の自由と主体性を尊重する。教員自身の解釈や意味づけは必要最小限にとどめることが、学生に豊かな感性と知性を発揮させる条件だろう。   


2022年7月3日日曜日

歌詞研究と専門ゼミナール(2)[志村正彦LN309]

 この六月、私が担当する3年次専門ゼミナールで、〈志村正彦の世界1・2・3〉と題して、3回連続で志村の作品に関するゼミを集中的に行った。前回に引き続き、これについて書いてみたい。


 〈志村正彦の世界 1〉では、〈『茜色の夕日』から 『若者のすべて』への歩み〉というテーマで、山梨学Ⅰで話した内容(「志村正彦LN307」で言及したもの)をより丁寧に、歌詞の具体的分析をまじえて説明した。事前に、学生には対象作品の映像音源(FujifabricVEVO等)を聴き、歌詞を読んで、事前提出文を書いてもらい、それをもとにグループで議論した。その後、私が作成したスライド資料で歌詞分析の要点を説いた。最後に学生に授業の振り返り文を書いてもらい、ゼミ仲間で共有した。ゼミであるから当然ではあるが、学生中心に運営している。この準備の過程で、「茜色の夕日」の物語の展開についての新しい考えが浮かんできたので、それについてはこのブログで後日書きたい。


 〈志村正彦の世界 2〉では、〈四季盤、花に関する歌〉をテーマにして、四季盤の『桜の季節』『陽炎』『赤黄色の金木犀』『銀河』をあらためて取り上げた。今回、四季盤の歌に関して、〈四季全体をメタ視点から描写する歌の主体〉について考えたので、その概要をSLIDEで示した。後日、この点についてもブログで書いてみたい。


 花に関する歌では、『花』『花屋の娘』『ムーンライト』『蜃気楼』『ペダル』『ないものねだり』を取り上げた。四季盤の「桜」や「金木犀」のような名前の知られた花、季節感と結びついた花ではなく、たまたま見た花、名も知らないような花である。以下に記す。

 つぼみ開こうか迷う花 『花』
 野に咲く花 『花屋の娘』
 鮮やかな花 『蜃気楼』
 花 『ムーンライト』
 咲いている花 『ペダル』
 路地裏で咲いていた花 『ないものねだり』

  ほとんどの学生はこれらの花の歌を聴いたことがなかったので、新しい発見があったようだ。意外にもというか当然だというべきか、『花屋の娘』が男子学生に好評だった。「妄想が更に膨らんで 二人でちょっと/公園に行ってみたんです」「そのうち消えてしまった そのあの娘は/野に咲く花の様」という展開が新鮮だったそうだ。


 〈志村正彦の世界 3〉では、下記の四つのテーマのもとに、〈志村正彦でしか表現できないような世界〉に関する歌を集めた。

 試みの歌    :『サボテンレコード』『Sufer King』
 「眠りの森」の歌:『夜汽車』『セレナーデ』
 2009年の歌    :『バウムクーヘン』『タイムマシーン』
 往路と帰路の歌 :『浮雲』『ルーティーン』

 この回については、ブログの次回で書く予定である


 また、各回の中で、〈歌詞分析の方法〉についても説明していった。〈歌詞分析の方法〉といっても、私がこのブログで志村正彦の作品を分析した方法をまとめたものである。日本語ロックの歌詞についての分析方法がアカデミズムで確立されているわけではない。私の方法も基本的に文学研究の方法を歌詞に適用したものである。さらに言えば、70年代のロック批評の方法にも影響されている。以下に、SLIDEで示した方法名を記す。


  1.   《作者》《話者》《人物》の分離
  2.    語りの枠組の分析
  3.    品詞(自立語:名詞・形容詞・動詞)による分析
  4.    品詞(付属語:助動詞・助詞)による分析
  5.  和語・漢語・外来語の語彙による差異
  6.    歌詞の展開・起承転結abcd
  7.    時間の観点(過去・現在・未来)
  8.    言語文化的主題(例、桜の文化史)
  9.    テーマ・モチーフの横断的把握
  10.    メタ視点による構造化(例、3人の「僕」)
  11.    音の反復(擬音語など)
  12.    音源による変遷


 私の方法は志村正彦の作品によって鍛えられた、というのが最も正確な言い方になる。既成の方法によって作品を分析したというよりも、志村正彦の作品の一つひとつを分析するために、その都度、適切な方法を適用したり考え出したりしていった。要するに、歌詞そのものが歌詞分析の方法を作り出すのだ。

    (この項続く)


2022年6月19日日曜日

歌詞研究と専門ゼミナール(1)[志村正彦LN308]

   『志村正彦全詩集新装版』(2019年)の重版が決定したそうだ。詩集で重版ということはなかなかない。2011年刊行の元版とあわせて、かなりの部数になるだろう。番 歌、音源としてだけでなく、活字の言葉、「詩」としても、志村の作品は人々に愛されている。

 前回、「志村正彦の世界」という山梨学の講義を紹介したが、担当しているゼミナールでも志村正彦・フジファブリックの作品をテーマにして、3回に分けて演習を行った。

 今年3月卒業したゼミ生の一人が、「オノマトペ・音の持つ想像-フジファブリック・志村正彦の詩と演奏」という題で卒業論文を書いた。「追ってけ 追ってけ」「打ち上げ花火」「銀河」の三作品を主な対象にして、オノマトペという観点から作品を考察した。歌の主体の描写のありかたについての独創的な分析もあり、優れた論文となった。卒論発表会の際に他の教員からも評価された。

 今年度の3年次専門ゼミナールの学生は10人いる。このうちの半数ほどが、ロックやポップスの歌詞を研究する予定だ。大学という場であるので、アカデミックな歌詞研究が求められているが、アカデミアの中でロックやポップスの歌詞研究が進んでいるとは言えないだろう。また、その方法論が確立されているわけでもない。比較的多いのは、データ分析に基づく計量国語学的研究だが、この研究では歌詞の構造やモチーフについての深い分析は試みられていない。視野を広げれば、人々に支持された歌詞から聴き手の心情や時代精神を探る社会学的な観点での研究もあるが、こちらの方も歌詞自体の丁寧な分析は不充分であろう。


 音楽学・ポピュラー音楽の研究者である増田聡は、『聴衆をつくる―音楽批評の解体文法』(2006年)の第4章「誰が誰に語るのか―Jポップの言語行為論・試論」で、英国の社会音楽学者サイモン・フリスの歌詞論を参照して次のように述べている。少し長くなるが引用したい。


 ポップソングのコミュニケーションには特有の重層性がある、とサイモン・フリスは言う。彼によれば、ポップソングが聴かれるとき、われわれは実際には同時に三つの意味の水準を聴くことになる( Simon Frith   Performing Rites: On the Value of Popular Music 1996 :159)。一つはことばとしての「歌詞」である。それは読まれるものとしての詞であり、言語的な水準で意味作用をなす。次に「レトリック」であり、それは歌唱という言語=音楽行為が行う、音楽的発話の特性に関わる。歌における語調や修辞法、あるいは音楽とのマッチングや摩擦などが、単に歌詞を読むのとは異なる意味形成を生じさせる。最後に挙げられるのが「声」である。声はポップの文脈ではそれ自体が個人を指し示し、意味形成を行う。このことはクラシックの歌唱と比較してみれば明瞭であろう。クラシックの歌手の声は楽器と等しく、取り替え可能なものであるが(異なる歌手が同じ歌曲を歌っても、その曲の「意味」はさほど変わらない)、ポップの歌手はその声自体が独自の意味作用をもたらす。同じ歌を違う歌手が歌うとき、両者の意味は明らかに異なるのだ。
 このような三つの水準でわれわれはポップソングを聴く。それぞれのレベルは、各々独自の意味と質的評価を伴うだろう。このような複数の水準が関与する様態こそが、優れた「歌われる歌詞」が必ずしも優れた「読まれる詩」ではないことの要因となる。歌われる歌詞は歌詞自体とその言語行為、および声の質との関係の中で評価されるのだから。ゆえに、歌詞の意味や質をそれだけで評価し分析することは可能であっても、どこか見当はずれな感は否めない。ポップソングは何よりもまず、「音楽」として流通し受容されていることを忘れてはならない。


  増田は「歌詞の意味や質をそれだけで評価し分析すること」を「可能」だとしているが、一方で「どこか見当はずれな感」が否めないことを指摘している。そして、フリスの主張を受けて、歌唱という行為を「歌詞」「声」「歌」「音楽」の四つのレベルに分けることを提唱している。

 私自身が「志村正彦LN」で行っていることは、増田の言う「歌詞の意味や質をそれだけで評価し分析すること」にほぼ該当するだろう。それゆえ、「見当はずれな感」も自覚しているつもりではいる。方法として言語としての歌詞に限定しているが、歌詞の「意味」よりも、歌詞の構造や語りの枠組、歌の主体の在り方、歌詞を横断するモチーフなどに分析を集中させているところには、それなりの特色があるかもしれない。文学研究の方法が根底にあるからだ。また、「声」や「歌」のレベルの分析にも関心はある。特に志村正彦の「声」の魅力についてはこれまで断片的に触れてきたが、まとまった論として書きたいと考えている。


 今年の専門ゼミナールは、洋楽のカバーポップス、漣健児の訳詞、グループサウンズ、早川義夫・ジャックス、松本隆・はっぴいえんどという流れで、60年代初頭から70年代初頭までのポップス、日本語ロックの歌詞の変化をたどった。その後、70年代中頃から現在までの動きを、歌詞の役割の相対的低下という観点で簡単に追った。さらに、冒頭で述べたように、日本語ロックの一つの到達点として、志村正彦・フジファブリックの歌詞を3回に分けて考察していった。

     (この項続く)


2022年6月12日日曜日

「志村正彦の世界」山梨学2022[志村正彦LN307]

 山梨英和大学は四月から、多人数が受講する一部の科目を除いて、対面授業を実施している。キャンパスに学生が戻ってきて、活気があるのは好ましいことだが、当分の間、感染対策と学生の学びとの両立を図らねばならない。

 三年前から「山梨学」という科目を担当してきた。山梨の文化、社会、歴史、地域、観光などを総合的に学び、「山梨」の可能性を探究する科目である。年次の必修科目であり、受講生が200名近くいるので、この科目はオンライン遠隔授業となった。全14回の半分は外部講師、残り半分は僕が〈芥川龍之介と甲斐の国〉〈映画作品に描かれた戦後山梨の風景と社会〉〈山梨のロックの詩人-宮沢和史(ザ・ブーム)、藤巻亮太(レミオロメン)・志村正彦(フジファブリック)〉などのテーマで講義している。

 今年度は、志村正彦・フジファブリックの音楽について、「志村正彦の世界」と題して、独立した1回分の講義を行った。『若者のすべて』が高校音楽の教科書の教材になるなど、志村正彦の評価が確立されてきたからである。山梨学の枠組の中で、山梨出身の優れた音楽家、表現者という観点で取り上げるのにふさわしいという了解が得られると判断した。

 2年次学生に対しては、1年次の際に「人間文化学」というオムニバス科目で、〈日本語ロックの歌詞を文学作品として読む-志村正彦『若者のすべて』〉という授業をすでに実施している。題名からも分かるように、『若者のすべて』の歌詞を文学作品として読解し、分析する方法を中心に置いている。今回の山梨学では、志村正彦の全体像に可能な限り接近できるように、次の三つのテーマで構成した。取り上げたい作品はたくさんあるのだが、講義時間は70分程度なので絞らざるをえなかった。


1.『若者のすべて』と系譜的な原点としての『茜色の夕日』

2.四季盤、『桜の季節』『陽炎』『赤黄色の金木犀』『銀河』

3.2009年の歌、『バウムクーヘン』『ないものねだり』『ルーティーン』


 『茜色の夕日』と『若者のすべて』という二つの歌は、言うまでもなく、志村正彦の生の軌跡を表した曲だ。『茜色の夕日』の「できないな できないな」の「ない」は、『若者のすべて』の「ないかな ないよな」の「ない」にもつながっていく。「できない」「ない」。「ない」という不可能なことや不在であることを、志村は繰り返し歌ってきた。この二つの歌は、〈歩いていく〉という共通のモチーフがあるが、志村の歌の軌跡は、「ない」ことを巡る〈歩み〉としても捉えられる。

 山梨学という科目の性格から、富士吉田という地域とその季節感と関わりが深い四季盤の作品は重要である。〈坂の下→路地裏→帰り道→丘〉という富士吉田という場の光景と〈桜→陽炎→金木犀→銀河〉という春夏秋冬の変化が歌詞の中でどのように活かされているのかを話題とした。桜の四季の変化を見通す「桜の季節」の視点、少年期と青年期の二人の自分とそれを見つめる主体という「陽炎」の三つの視点、往路と帰路を見渡す「赤黄色の金木犀」の視点、丘や空から「二人」を俯瞰する「銀河」の視点。四季盤の作品については、視点論を中心に据えた。

 2009年制作のアルバム『CHRONICLE』から『バウムクーヘン』と『ないものねだり』。そして、ストックホルムで最後に録音された『ルーティーン』。〈2009年の歌〉としてこの三曲を取り上げた。『CHRONICLE』についての志村のコメント「"僕"という今の人間は、28年間のなかで、いろんな人と出会ったからこそ形成された"僕"であるし、だからこそ生まれた、自分の分身のような楽曲たちなんですよね」も紹介した。


 この〈志村正彦ライナーノーツLN〉の文章を基にしてSLIDEを作成した。実質的に、この〈ライナーノーツ〉が研究ノートになったわけだが、これは当初まったく想定していなかった。300回を超える記事は各回3000字ほどはあるので、すでに10万字程度、一冊の書物に相当する分量がある。自分で自分のブログのメニュー右側にある「このブログを検索」に検索語を入れて、該当の文章を探していった。すでに記憶が薄れて、この時はこんなことを書いていたのだな、などと発見することもあった。いうならば、過去の自分が今の自分に言葉を送り出している。そんな不思議な感じだった。この作業によってSLIDEを作ったのだが、結局、76頁と多めの量になった。僕の講義スタイルからすると、要点を絞っていけば1分1頁程度可能なので、何とかなるだろうとは思った。

 SLIDEでは、曲ごとに、歌詞をレイアウトし(音声ボタンを作り、クリックすると音源再生)、歌詞の構造を分析して図示した上で、歌詞の技法、表現の特徴を中心とする説明を記述した。志村の作詞と作曲についての姿勢については次のSLIDEなどで示した。




 講義終了後、学生に「振り返り文」を書いて提出してもらった。取り上げた作品の中では、やはり、『茜色の夕日』について言及する者が多かった。『ルーティーン』についてはほとんど知られていなかったが、この曲に惹かれた者も少なくなかった。また、志村の「色々なアーティストの感動する曲」について「すばらしいなあと思いつつも」「ちょっと自分じゃないような感じがする」、「100パーセント自分が聴きたい曲」を探したが「自分が作るしかない」ということに行きついた、という発言に対する反響が大きかった。数多くの学生が〈聴き手中心の歌は、私たちに寄り添ってくれるものであり、自分が表現しきれない気持ちを代弁してくれるようなものだと思う〉、〈志村さんが作る曲の数々がどこか懐かしさを覚え、誰が聞いてもその描かれている情景が目に浮かぶようなものになっていることは、彼自身が一番の聴き手として曲を理解して曲を作られているからなのだなと思いました〉などの的確なコメントを寄せてくれた。

 また、〈人が作った歌は「ちょっと自分じゃないような感じがする」と言う言葉に、自分が創作活動をするときも同じようなことを思うので共感を覚えた。また、「ルーティーン」の歌詞中の「君」は音楽を聞いている私たちなのではないかと感じた〉という捉え方にも感心した。『ルーティーン』の「折れちゃいそうな心だけど 君からもらった心がある」の「君」を「音楽を聞いている私たち」つまり聴き手だとする解釈は、〈聴き手中心の歌〉の本質とも重なる。

 さらに、〈フジファブリックの曲に多くの人が賛同し共感できるのは、この方の歌を通して自己を見つめ自分について考えることができるからではないかと考えました〉という学生の言葉が、志村正彦の世界の核心を捉えていた。


2022年5月29日日曜日

宮沢和史「Paper Plane」

 2016年、宮沢和史は療養のために歌手活動を休止していたが、その後、少しずつ活動を再開し、 2019年5月、ソロアルバム『留まらざること 川の如く』をリリースした。オリジナルアルバムとしては17年半ぶり、4作目となる作品である。

 その中に「Paper Plane」という歌がある。そのミュージック・ビデオと歌詞を紹介したい。

        「Paper Plane」MV(Short ver.)



指先から解き放たれた 紙飛行機は思う
なぜ無様な姿で落ちるために
空(そら)を舞うのだろう

風と風の隙間をぬって
逃げ道を探したけれど
吹きすさぶ風におだてられて
空(くう)を彷徨った

歌は人の人生よりも 先に始まり
後に終わるのだろうか

Paper Plane Paper Plane
北風に抱かれて
キリストが見下ろす街まで 旅に出よう
Fly away Fly away
いつか風が止んだら
あの人が生きる大地に 無様に落ちよう


自分の意思で飛んでいるような
誰か任せの航路のような
誰よりも高く舞い上がるから
落ちるのが怖くなる

夕日の紅(あか)よりも
朝焼けのマゼンダに染まりたいから
眠れない夜も風を探し
空(くう)を彷徨った

愛の歌を書きあげるのには
ほんの少しだけ人生は短い

Paper Plane Paper Plane
木枯らしに誘われ
エイサーが踊る島まで 海を渡ろう
Fly away Fly away
いつか力尽きたら
あの人が眠る大地で 無様に眠ろう


 曲の1番の映像は山梨で撮影されている。甲府市内の風景、甲府盆地の西部を流れる釜無川やその土手が舞台となっている。2番の映像は沖縄のものだろう。宮沢は甲府盆地を逆さまの島と見立ていたことがあったが、このMVでは山梨と沖縄を二つの「美しい島」として描いている。

 このアルバムの制作過程について彼は次のように述べている。( J-WAVE ORIENT STAR TIME AND TIDE 2019.06.08「シンガーソングライターの宮沢和史さん」


去年、もう一回人前に立ってみようと思い立ち、そのためには新曲があったほうがいいなと思って原点に帰る意味で出身地でもある山梨県の山の中に小屋を借りてギターだけ持って行って2週間くらい籠もりました。今まではTHE BOOMでもソロにしても音楽的なコンセプトを伝えたいというか、例えばブラジル音楽とロックの融合であったり、どうすれば沖縄の音楽をポップスに変えられるかといったサウンド面での勝負みたいなことが僕の音楽人生でしたが、ギターとドラムとベースだけのシンプルな編成でミドルテンポでも言いたいことが伝えられて自分自身の身の丈を表現できるということに気付いた2週間でした。それは貴重な体験だったし、アルバムに上手くパッケージできたかなと思っています。


 もともと彼の出発点にあったのはフォークであり、シンプルな編成のロックであった。山梨の山小屋で籠もって作った楽曲は原点回帰と捉えられる。歌詞も、五十歳を超えた時点からの過去への振り返りがある。

 同じ記事の中で、甲府についてこう語っている。

すり鉢の底のようだと表現した人がいましたけど盆地なので隠し事ができないし人の噂がすぐ耳に入ってきてちょっと窮屈だけど裏を返せば誰もがお互いのことを知っているので困った人がいたりすると誰かが手を差し伸べてくれるというか。イメージは真逆かもしれませんが沖縄も海に囲まれていて閉鎖的な部分もありますが沖縄の人と交流するようになって似ているところが多いと感じるようになりました。


  「すり鉢の底のようだと表現した人」というのは、太宰治「新樹の言葉」の〈よく人は、甲府を、「擂鉢の底」と評しているが、当っていない。甲府は、もっとハイカラである。シルクハットを倒さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない。きれいに文化の、しみとおっているまちである〉と関連があるのだろう。

 太宰が言うように、甲府は明治大正期から昭和初期にかけて「きれいに文化の、しみとおっているまち」だったようだ。昭和20年の甲府空襲で中心部が焼失してしまった後は、田舎の小都市になってしまった。最近はだいぶ薄れては来たが、それでも、宮沢の言うように、盆地の地形から来るある種の閉鎖性とそれゆえの人間関係が支配するところでもある。その濃密さは時に窮屈ではあるが、時に相互扶助的なものをもたらす。

 甲府盆地は四方の険しい山々によって、沖縄は四方の海によって、外部と隔てられている。外部との交流が少ない地である。内向きな土地柄であるが、それゆえに、外への屈折した夢や憧れもある。


 このような地を脱して、宮沢は東京へ出て行った。しかし、その後、第二の故郷ともいえる沖縄に出会った。その沖縄には山梨と似た人間関係があると述べているところが興味深い。そのような山梨と沖縄の共通項を考えると、「Paper Plane」の歌詞の味わいがさらに深くなる。

 歌詞1番の「キリストが見下ろす街」は、ブラジルのリオデジャネイロを指しているのだろう。宮沢はブラジルに出かけてライブも行った。2番の「エイサーが踊る島」は沖縄だ。この歌は、山梨から、沖縄、ブラジルへという旅がモチーフになっている。

  人生の行路を〈紙飛行機〉の飛ぶ軌跡に重ね合わせる。〈空(そら)を舞う〉〈空(くう)を彷徨った〉。〈そら〉と〈くう〉に呼び方を変えながら、〈空〉から〈無様な姿で落ちる〉〈紙飛行機〉を想う。

〈歌は人の人生よりも 先に始まり/後に終わるのだろうか〉〈愛の歌を書きあげるのには/ほんの少しだけ人生は短い〉という声は、〈紙飛行機〉の空を切る音、音とも言えない静かな音のようにも聞こえてくる。その〈紙飛行機〉の微かな音と自分自身の声を宮沢は重ね合わせているのだろう。宮沢はこう述べている。(「再始動コンサート中の宮沢和史、ニューアルバムも発表」チケぴ  2019/6/21


自分の飛行、すなわち人生の航路が“ぶざま”であると自覚したことはとても素晴らしいことだと思っています。これからはカッコつけず、自然な旅ができる気がしています。


 「島唄」は〈このまま永遠に夕凪を〉という平和への祈りを込めた歌だった。宮沢はこの歌を三十年にわたって歌い続けてきた。そうではあるのだが、「島唄」が人々に求められなくなった時こそが平和が訪れる時でもあるという逆説もある。そのことに宮沢は自覚的であり、そのような発言もしている。「島唄」のような歌になると、そのような運命を背負っているのかもしれない。

 「島唄」が歌われ続けるのがこの世界の現実である。これからも宮沢は歌い続けるだろう。しかし、〈自然な旅〉も歩んでいってほしいとも思う。一人の聴き手としてそのように望んでいる。


【付記】山梨日日新聞社の創刊150年記念ライブ、宮沢和史&藤巻亮太ライブ「おなじ空の下で」が7月1日(金)甲府・YCC県民文化ホールで開催される。抽選で600名が無料招待となる。(応募はサンニチのwebから可能)。後日、アーカイブ配信もあるようだ。

 このライブの題名は「おなじ空の下で」。「若者のすべて」の最後のフレーズ「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」が浮かんでくる。志村正彦が存命であれば、おそらく、宮沢和史、藤巻亮太、志村正彦のライブになったことだろう。同じ空の下で三人が歌い、そして、山梨について語りあっただろう。

2022年5月15日日曜日

沖縄復帰50年。島唄。

 5月15日。1972年のこの日に沖縄が日本に復帰してから半世紀が経った。当時の僕は中学生だったが、新聞やテレビのニュースで大きく報道されたことは記憶に残っている。

 山梨の僕にとっては、沖縄は遠い遠い地だった。70年代の半ばから、沖縄のロック、コンディション・グリーンや紫が注目されるようになった。二つのバンド共に、ハードロックやブルースロックなどの洋楽のサウンドだった。その後、喜納昌吉とチャンプルーズの「ハイサイおじさん」によって、沖縄民謡のリズムや音階に基づくロックも聴くことになった。僕にとっての沖縄は、音楽の比重が大きかった。

 高校生の頃、僕は『ミュージック・マガジン』や『話の特集』で竹中労の記事を読んだ。『琉歌幻視行 島うたの世界』(1975年)も読み、〈琉歌〉の存在を知った。労の父、竹中英太郎は山梨日日新聞社の記者だったことがあり、戦時中と戦後の一時期まで、労は甲府に住んでいた。労は甲府中学(現在の山梨県立甲府第一高等学校、僕の母校でもある)で学んだのだが、校長退陣運動で退学となる。高校の恩師が労の同級生だったので、その時の話を少しだけ聞いたことがある。


              表紙画:竹中英太郎


 竹中労には『美空ひばり』や『ビートルズ・レポート』など音楽に関する著書が多いが、70年代初頭から、琉歌沖縄民謡のレコードをプロデュースしたり、コンサートを企画したりして、嘉手苅林昌を始めとする島唄を紹介した仕事も特筆される。竹中労によって、島唄に出会った「本土」の人間は少なくないだろう。

 父の英太郎は甲府で暮らしたが、優れた挿絵画家でもあった。没後の1989年、労の監修による回顧展が甲府のギャラリーで開催された。当時は山梨県立文学館に勤めていたので、その仕事もかねて、展覧会を見に行った。会場に竹中労がいた。おだやかな表情をしていた。何か話しかけたかったのだが、結局、話しかけることはできなかった。その二年後、労は63年の生涯を閉じた。

 甲府市の湯村には、英太郎の娘、労の妹である竹中紫が館長を務める「竹中英太郎記念館」がある。英太郎の作品や労の資料が展示されている。竹中英太郎・労の父子にとって、甲府は第二の故郷ともいえる地だろう。今日5月15日の山梨日日新聞の「FUJIと沖縄」シリーズの「山梨関係者の足跡息づく」で、「竹中労 島唄を通し文化紹介 復帰問題問い続ける」という題の記事があった。その中で、竹中紫さんの「兄の後半生は島唄と共にあった。島唄を愛し、愛された人」という言葉が紹介されている。


 島唄というと、やはり、THE BOOM・宮沢和史の「島唄」が思い浮かぶ。ほとんどの音楽ファンにとっても同様だろう。「島唄」についてはこのブログで何度か書いてきたが、今日は、「THE BOOM - 島唄 (オリジナル・ヴァージョン)」の映像とオリジナルの歌詞を紹介したい。


      THE BOOM - 島唄 (オリジナル・ヴァージョン)



   THE BOOM  島唄
   作詞:宮沢和史 作曲:宮沢和史 

でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た 

でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た 
くり返す悲しみは 島渡る波のよう 

ウージの森であなたと出会い 
ウージの下で千代にさよなら 

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の涙 

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ 
ささやかな幸せは うたかたの波の花 

ウージの森で歌った友よ 
ウージの下で八千代の別れ 

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を 

海よ 宇宙よ 神よ いのちよ このまま永遠に夕凪を 

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の涙 

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を 


 「島唄」は、1992年1月22日リリースの4枚目アルバム『思春期』で発表された。このアルバムは「子供らに花束を」など聞き手に問いかける作品が多かったが、なかでも「島唄」は印象深い作品だった。

 前作、1990年9月発売の3枚目アルバム『JAPANESKA』に沖縄民謡・音階を取り入れた「100万つぶの涙」があったが、「島唄」はその歌詞の世界において、沖縄戦とその犠牲者への想いを歌っていた。宮沢の転機となる作品だという直観があった。しかし、その時点ではその後の展開はまったく想像できなかった。翌年1993年6月、この「島唄 (オリジナル・ヴァージョン)」シングルが発売されて、大ヒットとなった。この映像には若々しい姿と声の宮沢和史がいる。


 あらためてこの歌を聴くと、〈でいごの花が咲き〉〈でいごが咲き乱れ〉〈でいごの花も散り〉〈うたかたの波の花〉というように、〈花〉の表象の変化のなかに、沖縄戦の犠牲者への想いが表現されている。 宮沢和史の歌詞には、志村正彦や藤巻亮太と同じように、自然の風景や景物がよく描かれる。山梨のロックの詩人には、自然を描くことから、自己の存在、社会や歴史の出来事、世界の在り方を問いかける歌が多い。

     

  西日本新聞の記事〈「島唄よ海を渡れ」宮沢和史、歌い続け縮めた心の距離 沖縄復帰50年〉(2022/1/31)の中で、宮沢の想いが次のように述べられている。 


 完成しても発表には迷いがあった。「ヤマト(本土)の人間だし、戦争も知らないし」。山梨県出身の自分が歌っていいのか、不安を抱えながら世に送り出した。

 CDは150万枚超を販売する大ヒットとなる。応援の一方、批判の声も大きく響いた。「民謡をろくに知らないヤマトンチュ(本土の人)が」「ウチナー(沖縄)の音階を使うな」

 平和を希求する沖縄戦への鎮魂歌だ、と言いたい。でも、言葉でそれを訴えるのは音楽家として敗北だと思った。「歌い続ければ、本当の意味を分かってもらえる。いつかは心に染みていくはず」。そう信じた。


 沖縄復帰50年の今日、島唄と深い関わりのある山梨ゆかり・出身の二人の人物、竹中労と宮沢和史のことを書いた。竹中労が亡くなったのは1991年、宮沢和史「島唄」が生まれたのは1992年。山梨出身の青年が「島唄」を作ったことを労は喜んだに違いない。

 宮沢の〈歌い続ければ、本当の意味を分かってもらえる。いつかは心に染みていくはず〉という発言は重い。歌は、言葉による説明ではなく、歌うという行為であるのだから。

 歌が心に染みいることによって、何らかの形で、現実に働きかけることを信じたい。


2022年5月8日日曜日

「若者のすべて」-上白石萌音『こえうた』『関ジャム 完全燃SHOW』『MOUSA1』[志村正彦LN306]

 昨夜、5月7日の夜10時55分から、NHK総合テレビの番組「こえうた」で、上白石萌音が、志村正彦作詞作曲の「若者のすべて」を歌った。

 「こえうた」は、若い世代から募集した「わたしの推し曲」をもとに構成した新たな音楽番組。事前に、上白石が「『若者のすべて』、高校生の時から大好きです。素晴らしいアレンジに『すべて』を乗せて、福岡からお届けします!」と述べていたので、楽しみにしていた。ここ数年の活躍はめざましい。特に、テレビドラマ『ホクサイと飯さえあれば』(毎日放送)での演技が良かった。料理を作る楽しさや味わう喜びを上手に演じていた。

 「若者のすべて」が紹介された際に、志村正彦・フジファブリックのMVが少し流れた。画面には、「「若者のすべて」を上白石萌音が歌いつなぐ」「2007年に発表されて以降多くのアーティストがカバー。今年音楽の教科書にも記載され世代を超えて愛される」というテロップも表示された。

 この番組は生放送で、「若者のすべて」は福岡からの中継だった。しかも番組のトリだったので、聴く側にも臨場感が生まれる。無事に歌い終わってほしいという、緊張感のようなものもあった。

 2番の歌詞が省略された3分ほどの短縮版。フルコーラスで無かったのが残念だった。地上波の生放送という制約上、仕方がなかったのかもしれない。ピアノ、ハープ、ヴァイオリン2本、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの6人編成によるアコースティックヴァージョン。アレンジは河野圭。プロデューサー、作曲家、編曲家、キーボーディストとして豊富な実績のある方だ。

  上白石萌音の声は透明感がある。女優らしい表現力もある。身体から言葉が溢れ出てくるように歌っていた。特に、「ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」のフレーズ。この歌は、〈まぶたを閉じる・開ける〉というモチーフが全篇に貫かれている。上白石は、まぶたの動かし方、その表情の変化によって、この歌の言葉の世界を伝えていた。

 ミュージカルの経験が豊かなので、あたかも、ミュージカル「若者のすべて」のクライマックスシーンのようにも感じた。(志村正彦の作品によるミュージカルというアイディアはどうだろか。主演はもちろん上白石萌音。「茜色の夕日」から「若者のすべて」へと続いていく一人の若者の物語。そんなことを空想した)

 NHK MUSICのtwitterで、本番間近の“声”が紹介されていた。上白石は次のように述べていた。

フジファブリックさんの「若者のすべて」歌わせていただくんですけど、 当時若い頃聴いていらしたという方もいらっしゃれば今もなお聴き続けられている名曲だと思います。

ほんとうに言葉が素晴らしいですし、歌えば歌うほど名曲だなと思うので、大切に尊敬の気持ちを込めて、届くように歌わせていただきます。


  「ほんとうに言葉が素晴らしい」こと、「大切に尊敬の気持ちを込めて、届くように」歌うこと。上白石萌音は、志村正彦の言葉を深く理解し、尊敬している。なによりも「届くように」歌うことは、志村の歌に対する根本的な在り方でもあった。この番組はNHKプラスで5/14(土) 午後11:40 まで配信中である。


 一昨日の5月6日、テレビ朝日「関ジャム 完全燃SHOW」の特番「関ジャムJ-POP史 最強平成ソングベスト30!!」で、「若者のすべて」が4位になった。平均年齢25.8歳の若手人気アーティスト48名に一斉アンケ―トを実施した結果だ。この番組の放送を見ることはできなかったのだが、GYAO!で配信されていることを知った(5月13日(金)まで)。ありがたい。早速視聴した。

 「若者のすべて」は「根強い支持を得る 伝説的ロックバンド代表曲 バンドF」として紹介された。「若者のすべて('07) フジファブリック 作詞作曲 志村正彦」というテロップのもとにミュージックビデオが流された。その間に、若手アーティストのコメントが添えられていた。その言葉を引用したい。

   

  • 私の青春の一曲です。  kiki vivi lily(シンガーソングライター)
  • いつ聴いても胸を締めつけられる    PORIN(Awesome City Club)
  • 日本人なら誰もが共感してしまうような歌詞の情景、世界観   baratti(Nagie Lane)
  • 高校生の時にCDショップで流れていてあまりにも自分の心情とリンクしていて思わず立ち止まった     秋山黄色(シンガーソングライター)
  • 体験したわけじゃないのにタイムスリップした気持ちになれる     やまもとひかる(ベース&ボーカル)
  • あまりフォーカスされない、夏も終わり特有の侘しさをまるで独り言を言うように歌詞や歌で表現されています。その等身大なニュアンスに共感を覚えます。サビ前のギターフレーズからのピアノの掛け上がりがとてもドラマチック。  PORIN(Awesome City Club)
  • 夏が終わっていく夕暮れや街灯の灯りがつく時間の空気などを切実に感じられる。全詩がパンチラインなのがたまらない。    くじら(ボカロP)


 若手アーティストのコメントは、当然といえば当然だが、的確にこの作品の本質を捉えている。何よりも、この歌に対する愛が感じられる。「若者のすべて」は歌というものの本質に立ち戻らせる力がある。この時代、想いを歌うという本源が失われがちだ。だからこそ、若手アーティストのなかの鋭敏な歌い手たちは「若者のすべて」という2007年の作品を新鮮な驚きと共に見出した。この歌は、現在の音楽シーンに決定的な影響を与えている。さらに、これからの音楽シーンにも。この半世紀に及ぶ〈日本語ロック〉の最高の到達点であるのだから。歌い手の想いの深さと伝える力、卓越した言葉の表現と楽曲の構成の技術がこの歌にはあるのだが、そんなことを誇示することもなく、つつましく、さりげなく、存在している。そのたたずまいが「若者のすべて」である。


 ゴールデンウィーク中に、その他の番組でも「若者のすべて」が取り上げられたようだ。この4月から、高校音楽Ⅰの教材として採用されたのも、大きな流れでは、この評価の高まりと連動しているのだろう。

 その教科書、教育芸術社の『MOUSA1』を入手できた。教科書はだれでも購入できる。近くの教科書取次店で注文すればよい。私も甲府市内の取次店で取り寄せた。想像していた以上に、沢山の楽譜が掲載されていたが、「若者のすべて」は、初めの方のP.16・17に見開き2頁で掲載されていた。やはり、この教科書の「押し曲」なのだろう。嬉しく、誇らしいのだが、教科書の頁に志村正彦の名があるのは、どこか不思議な感じもする。


 音楽教科書掲載、最強平成ソング4位、そしてNHK総合テレビの生放送と、この歌の評価は高まるばかりだ。〈「運命」なんて便利なもので〉語ることは慎むべきかもしれないが、この歌の運命に想いを巡らせてしまう。「若者のすべて」は、自らの運命に向かって、2007年のリリースから〈そっと歩き出して〉いった、というように。

 すでに15年間の歩みがある。2022年、志村正彦の「若者のすべて」は、人々に聴き継がれ、歌い継がれ、愛されていく。



2022年4月24日日曜日

現実

 2016年の夏、ロシアに旅行した。モスクワとサンクトペテルブルクの二つの都市を回った。

 モスクワの空港の手荷物検査は2回あった。自動小銃を持った警備員もいた。入国審査も他のヨーロッパの国に比べて厳しかった。凄いというほどでもないにしろ、何かしらの緊張感があった。

 サンクトペテルブルクといえば、ゴーゴリの『外套』そしてドストエフスキーの『白夜』。この二つの作品には思い入れがあるので、そのゆかりの場所を見た。エルミタージュ美術館のコレクションは素晴らしかったが、その割に観覧者が触れられそうな距離に展示されているなど、展示の仕方がおおらかなことに驚いた。

 モスクワ。赤の広場、クレムリン。私たちの世代では、この地はロシアというよりもソ連、ソビエト社会主義共和国連邦の中心地という印象が強いが、かつての社会主義の要塞といったイメージはなかった。観光客が多く、賑わいを見せていた。土産店には、ソ連・ロシアの歴代の指導者(書記長や大統領)から成るマトリョーシカがあり、人形の顔を見てその名を思いだしていった。

 空港でも街でも、ユーラシア大陸の様々な民族を見かけた。私もいきなりロシア語(だと思う)で話しかけられたことがあった。その時は少し特徴のある黒い帽子を被っていた。帰国して調べると、キルギス人の被る帽子に似ていたので、もしかしたら、キルギス人に間違えられたのかもしれない。キルギス人は日本人と似ていると言われている。ロシアは、多様な民族から構成されているユーラシアの大国であると妙に納得した。 

 学生時代を振り返る。ロシア・フォルマリズムの文学理論。ロマーン・ヤーコブソンの言語理論。構造主義、物語の構造分析、記号論の源流。そして、ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』。私たちの世代の学生で文学理論に関心のあるものにとって、必読の文献だった。ポリフォニーの理論は大きな影響を与えた。ロシアの文学理論は、1910年代から30年代、今から百年前に発展し、その後深化していった。

 私にとってロシアは何よりも、文学と言語の理論の国であった。


 ロシアのウクライナ侵略から二ヶ月が経つ。

 私が知っていることは、ニュース映像やネットの情報で得たものに限定されるが、その一部になんらかの虚構がある可能性を排除できないにしても、その情報源が多様な媒体からもたらされていることを考慮すると、総合的に判断して、それらの情報がこの侵略の〈現実〉を伝えていることは間違いないだろう。

 国際政治にも国際法にも全くの素人である私がこのブログに書くことがあるとしたら、日本という場でのこの現実をめぐる様々の言説、そこで使われる言葉の問題、日本の言論の在り方についてである。言葉や言説についての教育や研究に携わる者として、今日はこの点について書いてみたい。

 この間、特に違和感を持ったのは、〈戦争〉という言葉である。戦争の定義は、通常、〈武力による国家間の闘争〉である(実際にはいろいろな定義があるようだが)。国際法上は、戦争は〈宣戦布告〉により始まり、当事国間に〈戦時国際法〉が適用される。当事国のロシアは戦争ではなく〈特別軍事作戦〉と命名している。それゆえに、と言うべきだろうか、宣戦布告はいまだない。

 日本の言論での〈戦争〉という括り方に違和感を持ち、この問題について考えあぐねていたが、危機管理の専門家、福田充氏(日本大学危機管理学部教授)のツイッターの発言によって、考え方を整理することができた。

福田充 Mitsuru Fukuda@fukuda326 Apr 20
「戦争」というメディア的概念の誤用によって、侵略する側と、侵略される側という圧倒的な関係性の非対称性、権力的な非対称性、コミュニケーションの非対称性が無視されて全てごちゃごちゃに語られる日本の弊害の拡散に、一部の研究者や記者、思想家などインフルエンサーも加担しています。 

 副田氏は、戦争というメディア的概念を〈誤用〉(この誤用という表現は、恣意的な使用あるいは党派的な適用という意味だろうが、まだ充分には理解できていない)することによって、侵略する側と、侵略される側という圧倒的な関係性の非対称性を無視している日本の一部の言論を批判している。確かに、この非対称性を無視どころか否定さえしている論者もいる。

 現実を直視しないで、自分の固定観念だけで考えると、現実の関係性そのものを捉え損ねる。そうするとさらに、現実の関係性よりも、自分自身の理想や観念、主義やイデオロギーによって見出した関係性の方へと思考が横滑りしていく。副田氏の観点に拠るのであれば、関係の圧倒的な非対称性がある種の対称性へと整理されていく。〈侵略する側と侵略される側〉という非対称的な関係が、〈戦争する側と戦争する側〉少なくとも、〈戦争をする側と応戦した側〉という対称的な関係へと置き換えられる。歪められると言ってもよい。

 国際法の専門家、酒井啓亘氏(京都大学大学院法学研究科教授)は3月20日の時点で、次のようにツイッターで述べている。

酒井啓亘(Hironobu Sakai)@UtBeneVivas Mar 20
備忘録として。周知のとおり、国際法の観点からすると、ロシアが主張する個別的自衛権による武力行使の正当化が困難なのは、ウクライナによるロシアへの先行武力攻撃の不存在から明らか。国連憲章51条は、「武力攻撃が発生した場合」に自衛権行使を国連加盟国に認めているから。

 要するに、「先行武力攻撃の不存在」は明白であり、主権国家による主権国家に対する武力の一方的な行使、侵略である。国連憲章も正当な「自衛権行使」を認めている。侵略・攻撃とそれに対する自衛・反撃は、当然、非対称的なものである。この場合、非対称的な関係と対称的な関係との間には絶対的な差異がある。

 しかし、対称的な関係を見出す論者は〈戦争〉として捉えがちである。そうなると、戦争の〈当事国〉同士という対称的な関係によって、いわゆる「どっちもどっち論」によって、「喧嘩両成敗」的な論を提示しやすくなる。当事国に対する中立論や、各々の原因を想定した両論併記論にも陥りやすい。さらに、その背景としての「代理戦争」論や根拠のない陰謀論まで持ち出してくる。このような論によって、当事国を相対化する視線が強くなる。この思考の流れは、その論者をメタレベル的な視点に立たせる。

 このメタレベル的な視点は、結果として、その論者にある種の思考停止をもたらす。そのような傾向を持つ専門家、研究者が一定数いる。意外にも、と言いたいところだが、ある面ではこれは当然なのかもしれない。ある局面で思考停止する方が、自分の主張や学説の一貫性を保つことができるからだ。メタレベルからの俯瞰する視点によって、当事国各々の原因や背景という方向に思考が向かう。当事国が対称化され、結果として、相対化されてしまう。「どっちもどっち論」の循環による思考停止。この現状についての強い違和感がある。

 全ての出来事は、その原因をかなりの次元まで遡ることができる。様々な原因、理由、背景を指摘できるだろう。しかし、それはあくまでも〈論〉にすぎない。あらゆる論は、その論じる主体の姿勢をあからさまにする。無意識の在り方を露呈させる。


 2022年、日本の言説の世界に起こっているのはこのような事態である。専門家や研究者は大学の教員である場合も多いので、この現状には特に関心がある。

 論は論であり、現実は現実である。その現実を、前回紹介したピーター・ゲイブリエルの言葉を再度引用するなら、世界の目が、今、見つめている。そして、この世界の現実に対して、思考停止に陥ることなく、今、この場で、思考を深めていくこと。その思考が現実に対して少しでも何らかの作用を果たすこと。働きかけること。私がこの二ヶ月間で考えて特に伝えたいことをこのブログに書かせていただいた。


2022年4月10日日曜日

Peter Gabriel の言葉

 敬愛するピーター・ゲイブリエルがこう呟いていた。

 Peter Gabriel@itspetergabriel

 

Mar 16
This horrific, totally unnecessary and barbaric invasion should encourage us to imagine something different for the future - pg


この恐ろしい、全く不要で野蛮な侵略は、将来のために異なる何かを想像することを私たちに強く促しています。


 このメッセージの全文「Out of Ukraine」(15th March, 2022)が、petergabriel.comに掲載されているが、その最後の部分に「Japan」という言葉が突然現れて、驚いてしまった。日本の「金継ぎ」という技術に触れているのだ。


In Japan, kintsugi is the art of repair. It translates as ‘join with gold.’ It is the broken pot, put back together with gold, that has greater value than the original whole pot. Rescuing something, or someone, from destruction, from the edge of the void and from worthlessness, gives it, or them, greater value.

日本では、金継ぎは修理の芸術です。「金でつなぐ」という意味です。壊れた器を金でつなぎあわせることによって、元の器よりも大きな価値を持つようになります。何かを、あるいは誰かを、破壊から、虚無の淵から、無価値の状態から、救いだすことは、より大きな価値を与えます。


 金継ぎは、陶磁器の破損部分を漆によって接着し金などで装飾して仕上げる修復技法である。壊れた物、壊された物を修復するだけでなく、その修復された器の継ぎ目が調和としての美となり、大きな価値が生まれる。

 ピーター・ゲイブリエルは、この「金継ぎ」を「将来のために異なる何かを想像すること」の喩えにしている。そして、この現実の中で「何かを、あるいは誰かを、破壊から、虚無の淵から、無価値の状態から、救いだすこと」を強く訴えている。


  1980年、ピーター・ゲイブリエルは、南アフリカの反アパルトヘイト活動家スティーヴ・ビコをテーマとする「Biko」という歌を創った。音楽活動の外でも人権活動に積極的に取り組んできた。

 昨年2021年、彼は「Biko」リリース40周年とBlack History Monthを記念し、チャリティー・プロジェクトのPlaying For Changeと協力して、新しいヴァージョンを制作した。Playing For Changeは、この歌によって「世界の人々と団結、平和、希望のメッセージを共有します」とコメントしている。そのミュージックビデオを紹介したい。


 Biko | Peter Gabriel | Playing For Change | Song Around The World



  「Biko」の歌詞の最後はこう結ばれている。


    And the eyes of the world are watching now, watching now.
        
 そして、世界の目が今見つめている、今見つめている。


 今、現実に起きていることを、世界の目、つまり私たち一人ひとりの目が見つめている。



2022年3月13日日曜日

木下惠介監督『笛吹川』

  二月の下旬以来、重苦しい日々が続く。自明だと考えていた世界の前提が壊されてゆく。沈鬱な気分に陥り、ブログを書くこともできなかった。

 昨日3月12日、山梨市の日下部公民館で木下惠介監督『笛吹川』(1960年)の上映会があった。原作は山梨出身の作家深沢七郎の同名小説である。上映前の短い時間ではあるが、この映画についての解説を担当させていただいた。この映画をブログで取り上げることには意義があるかもしれないと思えたので、今日は久しぶりに書いてみたい。

 日下部公民館の館長夫妻とは知人であり、私が大学の「山梨学」という科目のなかで「木下惠介と山梨」というテーマで講義をしていることもきっかけとなった。映画は専門ではないが、山梨出身やゆかりの作家について研究や教育をしてきた。木下監督の代表作『楢山節考』(1958年)も原作は深沢七郎であり、『二人で歩いた幾春秋』(1962年)という戦後の山梨を舞台にした優れた作品もある。山梨との関わりが深い映画監督といっても良いだろう。

 当日は、五十人ほどの参加者があった。コロナ禍なので、座席の間隔を開けて換気にも注意しての上映である。レンタルDVDさらにネットでの動画サイトが普及して、自宅で映画を自由に視聴できる時代ではあるが、今回のように公民会という場に集って、みんなで名作映画を鑑賞するのも良いものである。なんだか懐かしい雰囲気があり、忘れてしまった大切なものを思いだしたような気持ちになった。

 映画の舞台笛吹川は、山梨北部の山々の渓谷を源に、甲府盆地の東にある甲州市・山梨市・笛吹市を通って、やがて富士川に合流して、静岡へと流れていく。この名の由来は、濁流にのまれた母を笛を吹きながら探す途中で川で亡くなった「笛吹権三郎」の哀しい伝説にあり、この川の音が権三郎の吹く篠笛の音のように聞こえたことによる。そのせいか、映画にも小説にも、どこか音楽的な響きやリズムを感じる。

 映画『笛吹川』は、武田信虎・信玄・勝頼の武田家三代の時代を背景に、笛吹川の袂にある「ギッチョン籠」と呼ばれた家に暮らす貧しい農民、おじい(加藤嘉)・半平(織田政雄)・半蔵(大源寺龍介)・定平(田村高広)・惣蔵(市川染五郎)・久蔵(伊藤茂信)の六代にわたる六十余年の物語を描いている。この六代の男たちと共に、定平の妻おけい(高峰秀子)と妹タツ(荒木道子)が主要な人物である。「ギッチョン籠」の一族の多くは武田家の戦に巻き込まれていく。

 この映画はモノクロで撮影され、山々の稜線や川の風景が美しく描かれているが、ところどころモノクロに部分的に色を付ける手法が導入され、風景に対する異化の効果を与えている。実験的な映像である。

 長部日出雄『天才監督 木下惠介』によると、当初は山梨でロケハンしたがおもわしい場所がなく、長野県の千曲川の木橋の近くにギッチョン籠のオープンセットを建てて撮影された。この美しい木橋が、「ギッチョン籠」の生活の世界と外部の戦乱の世界とを媒介している。この橋を人や馬が通ると、何かが起きる。そのほとんどは死をもたらす出来事だ。その反対に、「ギッチョン籠」やその周辺の世界では、死と引き換えるようにして、「ボコ」(甲州弁の「子供」)が生まれる。

 笛吹川の橋は、生と死の世界の境界にある。そして、その生と死の反復が、『笛吹川』の通奏低音になっている。そして甲州弁で語られる台詞、「ボコ」「ノオテンキ」などの言葉やアクセントが独特の響きを作っている。まさしく、甲州そのものの世界なのだ。

 木下は「歴史に流れる人間の生命」という文で、『笛吹川』のテーマやモチーフについて次のように述べている。

この小説の主題は、個人でも事件でもない、すべては笛吹川の流れなのだ。歴史を通して流れる人間の生命、その哀しさと力強さが基本的テーマとなって訴えかけてくる。恐らく深沢さんが狙ったのは、今迄のドラマや小説作法では捉えられなかった人間、時代や歴史を越えて生き続ける人間の、業のようなものを描こうとしたのだろう。(略)これ迄に勇ましい武将や華やかな合戦を描いた映画は沢山あるが、その陰に生きた庶民や百姓を主人公とし、彼等の立場から歴史を描こうとした作品は一寸見当らない。そこで、この歴史の波にもまれ、その中に生きて行く百姓一家を主人公にした小説から、今迄とは違った歴史映画を掴み出そうと思っている。(略)歴史が変っても、永遠に続く人間本能のくりかえし、演出はここに焦点を合わせるが、その結果として、戦国時代を描きながら大変現代性の強い作品になると思う。元来、人間というものは、原始的な斗争本能を根強く持っており、常に平和であることを希いながら戦争をくりかえすのは、こうした人間の悲しい本能によるものではないだろうか。人間の心の中には、明暗二面がいつも斗っている。


  物語の筋をここで書くことは控えたいが、物語で語られている三つの闘いの姿については触れたい。この三つの姿は深沢七郎の原作に忠実ではあるが、木下監督の解釈や演出もある程度加えられている。

  一つ目は定平とその妻おけいの闘い。子供達が「お屋形様」武田家の戦に行くことに終始反対する。貧しい農民が戦に出かけて手柄を立てたとしても、結局は死が待っているからだ。おけいは武田軍の一行に入ってしまった子供たちを何とか家に戻そうとして何処までも追いかけていく。母親は子供たちが生き延びるために闘う。

 二つ目は定平の妹タツの闘い。タツは自分の母や夫を「お屋形様」に殺されたことから、武田家に恨みを抱き、その滅亡を願う。タツは絶対に許すことをしない。武田家滅亡のために心の中でずっと闘い続けることがタツの人生だったと言えよう。

 三つ目は定平とおけいの子供、惣蔵たちの闘い。彼らは「先祖代々お屋形様のおかげになっている」と考え、武田家に従って敵軍と闘う。観点を変えれば、武田家と運命を共にするための闘いである。そもそも「ギッチョン籠」の一族は武田家の理不尽な仕打ちの犠牲になってきた。武田家に恨みを抱きこそすれ、恩恵を受けてはいない。それにもかかわらず、武田家という支配者に服従し、殉ずるという一種の背理がある。この心理と行動が観客にとって理解しがたいのだが、現実にはこのようなことが起きる。支配者と被支配者との服従をめぐる複雑な関係である。


 木下惠介はこの三つの闘いの姿を描くことによって、「人間の心の中」の「明暗二面」を浮き上がらせる。後年、「スクリーンと観客席の距離がずっと大きくなるように撮りました」「合戦があっても、ドラマがあっても、観客はその中にとけ込まない。盛り上りもない。人物関係がわからなくてもいい」と回想している通り、『笛吹川』には映画的な盛り上りがほとんどなく、人物関係や物語自体もたどりにくい。木下は、映画に対する観客の欲望、登場人物への同一化や物語への一体化の欲望には迎合しない。映画監督しての自らの欲望にあくまでも忠実である。木下にはどこか突き抜けたもの、とてつもなく過剰なものがある。

  木下惠介監督はヒューマニズムの人と言われているが、そのヒューマニズムは単純で凡庸なものではない。透徹した眼差しによって、戦争とそれを巡る人間の本質を冷徹にえぐりだしている。

2022年2月13日日曜日

抒情と祈り-『花』[志村正彦LN305]

 志村正彦の抒情の方法について考えてみたい。志村の場合、人への想いを抒情として表現するにしても、それが直接的に語られることはほとんどない。自らの眼差しによって、景物や風景の動きや時間の流れを描いていく。その変化や瞬間の出来事に、抒情の核になるものが、秘められてあるもの、隠されてあるものとして叙述されている。それゆえに、抒情が透明になる。抒情の純度が高くなる。

 志村正彦・フジファブリックの『花』には、時間と場所が連動する流れがある。歌い手の眼差しの動きによって、時と場の変化が表現されている。歌詞の連に番号を付けて引用したい。


 『花』 作詞・作曲:志村正彦

1.どうしたものか 部屋の窓ごしに
  つぼみ開こうか迷う花 見ていた

2.かばんの中は無限に広がって
  何処にでも行ける そんな気がしていた

3.花のように儚くて色褪せてゆく
  君を初めて見た日のことも

4.月と入れ替わり 沈みゆく夕日に
  遠吠えの犬の その意味は無かった

5.花のように儚くて色褪せてゆく
  君の笑顔を見た日のことも


 1連。〈どうしたものか〉とあるので、理由もなく、偶々、歌の主体は自分の部屋にいて、部屋の窓ごしに花を見ているのだろう。窓の枠によって、歌の主体と花とは隔てられている。〈つぼみ開こうか迷う花〉は、比喩としてよりも純然たる描写として捉えたい。花の姿をありのままに眺めている。まだ閉じられている蕾が開花していく微かな動きがある。開花するには、一日の光や温度などの気候的な条件が関与する。歌の主体は、開花するまでの一瞬の停滞する時間を「迷う」と表現しているのかもしれない。比喩ではないとしても、〈つぼみ開こうか迷う〉には、閉じられた状態から開かれた状態への移行がある。それを見つめる眼差しによって、結果として、主体の何らかの想いが重ね合わされているかもしれない。

 2連。部屋のこちら側で、歌の主体は〈かばん〉の中を見つめる。〈かばん〉の中が開かれ、〈無限に広がって〉いるように見える。ここにも、閉じられた〈かばん〉を開けるという動きがある。その内部が〈無限に広がって〉いくことによって、〈かばん〉が外部へと開かれてゆく。歌の主体は〈何処にでも行ける〉気がするのだが、しかし、それは何処にも行けないことの裏返しかもしれない。

 4連。歌の主体は部屋の外へと出て行く。〈月と入れ替わり 沈みゆく夕日に〉には、〈夕日〉が沈んでいく代わりに〈月〉が上っていくという〈入れ替わり〉の動きがあり、そこには、その動きを描写する眼差しがある。日中が終わろうとする時と場の中に〈遠吠えの犬〉が登場するのだが、〈その意味は無かった〉の〈その〉が指し示すものが難しい。〈犬〉の〈遠吠え〉なのか、〈犬〉そのものなのか。意味というからには擬人化されているのだろうが、そうであれば、〈遠吠えの犬〉は歌の主体自身を指しているという可能性もある。

  1連、2連、4連には、閉じられたものと開かれてゆくもの、下降していくものと上昇していくもの、そのような動きがある。そのような動きの中で、3連と5連に抒情の極点がある。

 3連と5連。〈君を初めて見た日のこと〉〈君の笑顔を見た日のこと〉、そのどちらにも、〈花のように〉という直喩が使われて、〈儚くて色褪せてゆく〉という現在進行形で叙述されている。〈儚い〉という形容詞と〈色褪せる〉という動詞が複合されて、〈…て〉〈…て〉〈ゆく〉という折り重なるような形式で表現され、〈はなhana〉〈はかなくてhakanakute〉というように〈ha〉〈na〉という音が反復されている。微細で効果的な表現が、この歌を限りなく抒情的にしている。


 「抒」という動詞には、「のべる」「打ち明ける」、「くむ」「すくいだす」、「ゆるむ」「とける」という三つの意味があるようだ。この三つをつなぎ合わすと、情をすくいだし、情をのべることによって、情をゆるめる、という過程が浮かび上がる。情をゆるめるというのは、ゆるやかな形で情をとどめる、というように取りたい。

 この歌の〈情〉の焦点が当てられているものは、〈君の笑顔〉であろう。〈君の笑顔を見た日のこと〉は、やがて色褪せてゆく。だが、〈君の笑顔〉だけは次第にゆるめられていっても、記憶の中には、微かな形であってもとどめられる。そうであってほしい。その願いがこの歌の抒情をいくぶんか祈りのようなものに高めている。


2022年1月30日日曜日

ちょっと犬に冷たくないですか [ここはどこ?-物語を読む 11]

 以前から気になっていたことがある。「志村正彦さん、ちょっと犬に冷たくないですか」ということだ。

 最初に感じたのは、「ペダル」だったか。

 何軒か隣の犬が僕を見つけて
 すり寄ってくるのはちょっと面倒だったり

 「ペダル」では「その角を曲がっても消えないでよ」というように、ほかに集中しているものがある状況なので仕方がないのかもしれない。でも、いったんそう思って犬に関連する詞を調べてみると、犬に対する扱いは結構厳しいような気がするのだ。

  「浮雲」の「犬が遠くで鳴いていた」「犬は何処かに消えていた」は、まあニュートラルな描写として捉えることができるが、

 遠吠えの犬のその意味は無かった(「花」)

はどうだろう。遠吠えの相手は「沈みゆく夕日」だから蟷螂の斧というか何というか、確かに吠えたって仕方ないんだけれど、でも、犬にだって吠えたくなるような、やむにやまれぬ思いがあるかも知れないではないか。 それに対してわざわざ「その意味は無かった」というのは、犬の思いをバッサリ切りすてている感じがする。

 その他、広い意味で犬が登場するのは、「Listen to the music」の「負け犬」のような比喩表現か、「surfer king」の「どうでもヨークシャテリア」という駄洒落かなのだが、どちらも犬の立場からみれば不本意な表現と言えるだろう。「負け犬」は日本語にある一般的な表現だから百歩譲るとしても、「どうでもヨークシャテリア」て、ひどくない? と特に親犬派でもない私ですら思う。

 犬についての表現はこれくらいで、決して歌詞にたくさん犬が登場するわけではないが、それでもほかの題材に比べれば登場するほうだと思う。例えば、猫は登場しない。

 そもそも志村正彦の歌詞には具体的なものを特定するような表現はとても少ない。花の歌はたくさんあるのに、具体的な名前は桜と金木犀とサボテンくらいしか出てこない。(すみれはあるけど、人の名前、しかも妄想だし)。それは志村正彦が、歌詞と聴き手との関係をどのように考えているかという重要なテーマと関わっていると思うのだが、そのことについては、またあらためて書いてみたい。

 閑話休題。

 さて、私がずっと気になっていたのは、この犬に対する冷たい感じが、私が勝手に思い描いている志村正彦像とずれていたからだ。もちろん、お会いしたこともないのだし、楽曲や著書やインタビュー記事などから想像しているだけなのだから、ずれていて当たり前である。でも、なんかずっと違和感を持っていた。

 最近になって、それが腑に落ちる出来事があった。

 隣家の黒猫は小さいうちからよく遊びに来ていて、網戸をよじ登ったりすごい勢いで庭を走り回ったりわんぱくだったが、名前を呼ぶとニャアニャア鳴いて応えてくれて、ほんとうにかわいかった。ところが、大きくなるにつれてツンツンして、声をかけても無視するか、しっぽをちょっと揺らす程度になった。今となっては、いっそふてぶてしいというような態度で目の前を通り過ぎていくこともある。それがある日、ひなたぼっこの最中、例のごとく私の声かけに気のなさそうにしっぽでトン、トンと地面を叩いていたとき、急に見知らぬおじいさんが通りかかって声をかけたのだ。別に大声でもなかったのだが、その瞬間、猫は立ち上がって家に逃げ込んだ。そうか、あんなふうでも猫は猫なりに隣のおばちゃんに親しみを感じていて、めんどくさいと思いながらもあしらってくれていたんだな、とその時に気がついた。

 それでわかったのである。「ペダル」で何軒か隣の家の犬が僕にじゃれてくるのは、ふだん僕がその犬をかわいがっているからだ。もし普段から邪険に扱っていたら、すり寄ってきたりしない。

 そう考えると、「花」の「遠吠えの犬」だって、むしろ自分を犬と重ね合わせているからこそ、「その意味は無かった」と表現しているのかも知れない。時の流れとともに変わり、失われていくものを、どんなに惜しんでも嘆いても押しとどめるすべはない。そのことを犬と共有していると考えると、むしろ犬はかなり近しいものなのかも知れない。だからこそ自分に厳しいという意味で、犬にも厳しくなるのだ。 

 というわけで、私がずっと気になっていた「志村正彦さん、ちょっと犬に冷たくないですか」は、どうやら私の思い込みだったらしい。 勝手に思い込んで、勝手に安堵している今日この頃である。