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2021年11月7日日曜日

〈消えないでよ 消えないでよ〉-「ペダル」と「自転車泥棒」[志村正彦LN296]

 2007年11月7日、「若者のすべて」「セレナーデ」「熊の惑星」の3曲を収録したフジファブリック10枚目のシングルCDがリリースされた。今日は14回目の誕生日。人間の成長に見立てれば「若者のすべて」も14歳になる。TEENAGERの真ん中の季節にたどりついた。

 「ペダル」を冒頭に置いたアルバム『TEENAGER』について、志村はこう述べている。(【フジファブリック】時間はかかってしまったけど 無駄なことはひとつもなかった OKMusic編集部    取材:岡本 明、2008年01月20日


中学生~?高校生のはちきれんばかりのパワーってあるじゃないですか。あの集中力に負けてはいけないと思ったんです。いろんなことを経験して、あの時とまったく同じことはできないけれど、これからも追い続けていくっていうことを象徴した曲が「TEENAGER」。アルバムもそうしたいと思ったんです。ロックをやる限り、永遠にロック少年でいたいという決意がありますから。26?27歳で少年というのもどうかと思いますけど(笑)、潔く言っちゃう。ジャケット写真は女の子がぶら下っていて、顔も引きつってる。それがロック。ロックの定義は重力に逆らうことなんです。丸くならないで尖っていたい、逆らい続けることがロックですから!


 同様のことが、『東京、音楽、ロックンロール』(志村日記)の「ジャケ深読み」(2008.01.25)にも書かれている。『TEENAGER』は、中学生から高校生そして大学生くらいまでの十代の若者、そして〈逆らい続けるロック〉をテーマとするコンセプトアルバムだと捉えられる。「ペダル」から最後の「TEENAGER」まで、歌詞の言葉にもゆるやかなつながりがある。志村は確固たるコンセプトを持ってこのアルバムを制作したのだろう。

 「ペダル」は、ユニコーンの「自転車泥棒」(作詞・作曲:手島いさむ)からの影響があると言われてきた。今回はその点について少し考察したい。まず「自転車泥棒」の歌詞を引用したい。


遠い昔 ふた月前の夏の日に
坂道を 滑り降りてく二人乗り
ずっとふざけたままで

手を離しても 一人で上手に乗れてた
いつのまにか 一人で上手に乗れてた

髪を切りすぎた君は 僕に八つ当たり
今は思い出の中で しかめつらしてるよ
膝をすりむいて泣いた 振りをして逃げた
とても暑過ぎた夏の 君は自転車泥棒

白い帽子 陽炎の中で揺れてる
いつのまにか 彼女は大人になってた

本気で追いかけたけど 僕は置いてけぼりさ
お気に入りの自転車は そのまま君のもの

髪を切りすぎた君は 僕に八つ当たり
今は思い出の中で しかめつらしてる しかめつらしてるよ
膝をすりむいて泣いた 振りをして逃げた
とても暑過ぎた夏の 君は自転車泥棒


 冒頭で〈遠い昔〉〈ふた月前の夏の日〉という二つの時が設定されている。この二つの時間の関係が読みとりにくいが、〈遠い昔〉という大きな枠組の中で、その昔のある現在時から〈ふた月前の夏の日〉という時、小さな枠組が設定されていると、とりあえず考えてみたい。その〈ふた月前の夏の日〉に、〈坂道を 滑り降りてく二人乗り〉の自転車に、〈僕〉と〈君〉が乗っていたのだろう。二人はおそらく十代の若者。しかし、その〈君〉は自転車泥棒のように〈僕〉から去って行く。〈いつのまにか 彼女は大人になってた〉とあり、まだ大人になりきれない〈僕〉とすでに大人になっていった〈彼女〉との擦れちがいを読みとれる。ここで〈君〉という二人称ではなく〈彼女〉という三人称になっていることに注目したい。その出来事を客観的に見つめる視線がある。この言葉は、作者がこの歌を作った現在の時点から語られているのだろう。十代の男女には、大人になるための時の進み方の差がある。〈本気で追いかけたけど 僕は置いてけぼりさ〉とあるように、たいていは男の方が置き去りにされる。作者はその時の光景を〈白い帽子 陽炎の中で揺れてる〉と描写し、回想している。〈自転車泥棒〉とは、投げやりで激しくもある言葉だが、やるせない切ない言葉でもある。突然、泥棒に奪われてしまうかのように、〈坂道を 滑り降りてく二人乗り〉の〈僕〉の大切な出来事が消えていく。二人の〈お気に入りの自転車は そのまま君のもの〉になってしまう。


 次に、「ペダル」(作詞・作曲:志村正彦)の歌詞を引用する。


だいだい色 そしてピンク 咲いている花が
まぶしいと感じるなんて しょうがないのかい?

平凡な日々にもちょっと好感を持って
毎回の景色にだって 愛着が湧いた

あの角を曲がっても 消えないでよ 消えないでよ

上空に線を描いた飛行機雲が
僕が向かう方向と垂直になった
だんだんと線がかすんで曲線になった

何軒か隣の犬が僕を見つけて
すり寄ってくるのはちょっと面倒だったり

あの角を曲がっても 消えないでよ 消えないでよ
駆け出した自転車は いつまでも 追いつけないよ

そういえばいつか語ってくれた話の
続きはこの間 人から聞いてしまったよ


 作品の全体としては、手島いさむの「自転車泥棒」と志村正彦の「ペダル」はそれぞれ固有の世界を表現している。明確な影響の関係はない。ただし、〈自転車〉とそれに関わる〈坂道〉〈滑り降りてく〉〈追いかけた〉という一連のモチーフが、潜在的な次元として何らかの影響を与えているかもしれない。むしろ、〈白い帽子 陽炎の中で揺れてる〉の表現が、別の曲ではあるが、あの「陽炎」(シングルおよび1stアルバム『フジファブリック』収録曲)の〈陽炎は揺れてる〉につながる。志村正彦は奥田民生から決定的な影響を受けたことを何度も語っているが、ユニコーンの他のメンバーによる作品からも影響を受けていると考えてもよいだろう。

 歌詞には、トポス(topos)としての言葉、定型的表現が多く含まれる。トポスは《場所》を意味するギリシア語由来の言葉。主題や論題のことだが、月並みな表現という意味もある。和歌の歌枕もある意味ではトポスである。季語にもトポスの性格がある。

 〈陽炎〉を一つのトポスとして捉えてみよう。日本語のロックやポップスの枠内で探しても、はっぴいえんど「花いちもんめ」(作詞:松本隆・作曲:鈴木茂)の〈おしゃれな風は花びらひらひら/陽炎の街/まるで花ばたけ〉、荒井由実「ひこうき雲」(作詞・作曲:荒井由実)の〈白い坂道が 空まで続いていた/ゆらゆらかげろうが あの子を包む〉などたくさん挙げることができる。〈陽炎〉は曖昧で不安な心象のトポスである。「自転車泥棒」の他の言葉では、〈坂道〉〈髪〉〈自転車〉〈帽子〉もトポスの言葉であり、数限りない用例がある。そのようなトポスとしての言葉をどのように表現するか。表現者が最も苦心するところだ。

 「自転車泥棒」は、〈坂道〉〈髪〉〈自転車〉〈帽子〉というようなトポスを歌詞の基盤に置いているが、〈遠い昔〉〈ふた月前の夏の日〉の二つの時間の設定、〈君〉〈彼女〉という人称の工夫や視点の転換によって、ロックの歌が陥りがちな定型性を免れている。優れた歌だと言えよう。〈自転車泥棒〉は苦いユーモアも含まれる巧みな比喩だが、結局、その比喩に〈僕〉の想いは回収される。〈僕〉と〈君〉の世界はそこにそのまま閉じられていく。

 「ペダル」も、〈僕〉と《君》(歌詞で明示されていないので《》を付す)の世界が根底にある。〈毎回の景色〉、〈花〉〈飛行機雲〉〈自転車〉などの《見えるもの》のなかで、《君》は歌詞の中の言葉としては登場しない。しかし、《君》という二人称は《見えないもの》として「ペダル」の世界に存在している。志村は《見えないもの》として描き出すことを意図したのではないだろうか。《見えるもの》のなかで《姿》としては描かれないものがほんとうに見たいものであり、《見えるもの》を通して《見えないもの》が浮かび上がってくる、というように。その《見えないもの》は《消えてしまうかもしれないもの》あるいは《消えてしまったもの》でもある。そして、それが〈消えないでよ 消えないでよ〉の対象となる。「自転車泥棒」とは異なり、〈僕〉と《君》の世界が過去の世界に閉じられることはない。〈駆け出した自転車は いつまでも 追いつけないよ〉というように、〈僕〉の想像力はいつまでもどこまでも追いつこうとしている。 〈消えないでよ〉と追い求めている。この想像力、繊細なものの見方、対象の多層的な現れ方が、作者志村正彦の個性である。トポスとしての言葉を独創的な表現へと変換している。

 最後の間奏の後の部分、手紙の「追伸」にあたるところの〈そういえばいつか語ってくれた話の/続きはこの間 人から聞いてしまったよ〉では、歌の主体である一人称の〈僕〉、〈いつか語ってくれた話〉を〈僕〉に話した二人称の存在(この人が《君》なのだろう)、〈僕〉がその話の〈続き〉を〈この間〉〈聞いてしまった〉当人である三人称の〈人〉、という三人の人間が関係している。ここにも複雑な人間の関係と場面の設定がある。志村正彦ならではの追伸だ。〈いつか語ってくれた話の/続き〉は〈消えないでよ〉と思わずにはいられない話だったのかもしれない。


 今回「ペダル」を聴き直す中で、〈消えないでよ〉は、アルバム『TEENAGER』全体を通したキーワードだと考えるようになった。冒頭に紹介した志村のコメントを受けとめるならば、まず第一に〈TEENAGER〉の世界そのものが〈消えないでよ〉の対象だが、〈逆らい続ける〉ロックもまた〈消えないでよ〉の対象だろう。アルバム全体という枠組ではなく、個々の作品、たとえば「若者のすべて」にも〈消えないでよ〉というキーワードが共鳴している。「最後の最後の花火」は消えてしまうものではあるが、〈消えないでよ〉と思い続ける光、その残像でもある。

 アルバム『TEENAGER』2曲目の「記念写真」には、〈記念の写真 撮って 僕らは さよなら/忘れられたなら その時はまた会える〉というユニコーンの「すばらしい日々」(作詞・作曲:奥田民生)を想わせるフレーズがあり、〈消えてしまう前に 心に詰め込んだ〉という一節がある。〈消えないでよ〉を反転させる〈消えてしまう〉というモチーフが歌われている。「若者のすべて」のカップリング、B面曲「セレナーデ」はアルバム『TEENAGER』には収録されなかったが、この時期のきわめて優れた作品である。歌詞の最後はこう結ばれる。


そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ
消えても 元通りになるだけなんだよ


 「セレナーデ」では、〈僕〉が〈君〉に〈消えても 元通りになるだけなんだよ〉と呼びかけるのだが、それはそのまま〈消えないでよ〉という言葉をこだまのように反響させる。そして、聴き手は〈消えないでよ〉を召喚するだろう。


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