YouTubeを見ているとときどき思いがけない映像に出くわすことがある。過去の検索履歴から選択されるのであろうが、昨夜、Peter Gabriel(ピーター・ガブリエル)の "Here Comes the Flood" (「ヒア・カムズ・ザ・フラッド」)が映し出された。迂闊なことに未見だったのでとても魅了された。クレジットには「1979 Kate Bush Christmas special」という番組らしい。1979年というとピーターはまだ29歳だ。
この曲が収録された1stアルバム『Peter Gabriel』(通称Car)のリリースは1977年2月である。個人的な思い出を語りたい。この年の4月、僕は大学に入り、東京で一人暮らしを始めた。大学生になって初めて買ったLPレコードがこの『Peter Gabriel』だった。毎日このアルバムを聴いていた。ジャケットも部屋に立てかけておいて時々見つめた。このアルバムの最後の曲が "Here Comes the Flood" 。Peter Gabrielの声の響きを繰り返し耳で追っていた。
この1979年の映像を紹介したい。1977年のリリースからまだ2年ほどしか経ってないので、作成時に近い頃の歌の雰囲気が伝わってくる。
電子ピアノによる弾き語りが静謐で美しい。29歳のピーターは目の周りに少し暗がりがあってやや疲れた表情だが、歌うことに集中している。歌い終わった後ではにかんだ笑顔で挨拶している姿はなごやかだ。29歳という年齢を考えているうちに志村正彦のことが心に浮かんできた。志村は29歳でその短い生涯を閉じたが、彼の人生の最後の頃の表情がこのピーター・ガブリエルを想起させたのだ。
29歳というのは、若さという時、若者の時間が最も高度に凝縮されてある完成に達する年齢ではないだろうか。若さの時熟。この年を過ぎると人は若さという時間、若者という時代からから離れてゆく。
映像の冒頭でKate Bush (ケイト・ブッシュ)たちがコーラスで「Peter "The Angel" Gabriel」と紹介している。「ガブリエル」は旧約聖書『ダニエル書』に現れる天使である。キリスト教ではミカエル、ラファエルと共に三大天使の一人。「神のことばを伝える天使」とされている。そういう名を持つ Peter Gabrielがまさしく「神のことばを伝える」ようにして創った歌がこの作品である。Genesis在籍時から聖書の言葉を引用してきたが、この歌にも「ノアの方舟」の物語や黙示録的なヴィジョンがあふれている。
Peter Gabriel - Here Comes The Flood
歌詞を引用したい。
When the night shows
The signals grow on radios
All the strange things
They come and go, as early warnings
Stranded starfish have no place to hide
Still waiting for the swollen Easter tide
There's no point in direction
We cannot even choose a side.
I took the old track
The hollow shoulder, across the waters
On the tall cliffs
They were getting older, sons and daughters
The jaded underworld was riding high
Waves of steel hurled metal at the sky
And as the nail sunk in the cloud
The rain was warm and soaked the crowd.
Lord, here comes the flood
We'll say goodbye to flesh and blood
If again the seas are silent
In any still alive
It'll be those who gave their island to survive
Drink up, dreamers, you're running dry.
When the flood calls
You have no home, you have no walls
In the thunder crash
You're a thousand minds, within a flash
Don't be afraid to cry at what you see
The actors gone, there's only you and me
And if we break before the dawn
They'll use up what we used to be.
Lord, here comes the flood
We'll say goodbye to flesh and blood
If again the seas are silent
In any still alive
It'll be those who gave their island to survive
Drink up, dreamers, you're running dry.
非常に難解な歌詞であり、解釈しきれないところも少なくないのだが、重要な作品であるので試みに私の拙訳を記しておきたい。
夜が更けると
信号がラジオから広がっていく
すべての奇妙な出来事が
予兆のように現れてはすぐ消える
打ち上げられたヒトデには隠れる場所がない
復活祭の満潮を待ち続けている
方向を示すものはなく
私たちはどちら側を選ぶかさえ決められない
私は古い道をたどった
落ち込んだ路肩 水辺を渡ってゆく
高い崖の上で
息子や娘たちが老いていった
無情な地下世界が隆盛を極めていた
鋼鉄の波が金属を空に投げつけた
釘が雲に沈むように
雨はあたたかく群衆を濡らした
主よ 洪水がやってくる
私たちは肉と血に別れを告げるだろう
もしも再び海が静まり
誰かが生きのびたとしたら
生きのこるために自己という島を放下したものたちだろう
飲みほせ 夢見る人たちよ 君たちの心は乾ききっている
洪水が襲いかかるとき
君には家も壁もない
雷鳴が轟く間に
君は一瞬で千の心になる
恐れてはならない 目にしたものに泣くことを
役者は去った ここにいるのは君と僕だけだ
夜明け前に私たちが壊れてしまったら
彼らはかつての私たちを消尽してしまうだろう
主よ 洪水がやってくる
私たちは肉と血に別れを告げるだろう
もしも再び海が静まり
誰かが生きのびたとしたら
生きのこるために自己という島を放下したものたちだろう
飲みほせ 夢見る人たちよ 君たちの心は乾ききっている
主への呼びかけの箇所の「who gave their island to survive」が難しい。インターネット上の資料を参照すると、17世紀のイギリスの詩人John Donne(ジョン・ダン)の詩の一節に「No man is an island(何人も一艘の島ではない)」とあることが分かる。人間は島、孤島、つまり自分一人で完結している存在ではないという意味であり、今でも英語圏を中心に広く引用されてるそうだ。
Peter Gabrielもこの文脈で使ったことが一つの可能性として想定される。 この場合、「island 島」は「閉ざされた自分自身」のメタファーとして捉えられるだろう。洪水の後で生き残る人々は、「島」という「閉ざされた自分自身」を「give 与える・捧げる・差し出す」ことができた者たち、自分自身を手放すことによって自分を解放できた者たちと解釈してみた。
「自己放下」という概念がある。自我、エゴを投げ捨ててその執着から離れることによって、ありのままの自分を認め、何事にもとらわれずに素直に生きる。仏教や禅の教えであるが、ハイデッガーなどの西洋哲学でも使われることがある。この抽象的な言葉を使って、「自己という島を放下したものたち」と訳してみた。当時のピーター・ガブリエルが哲学や精神分析の書物をたくだん読でいたようだから、あえてこの抽象的な概念によってこの一節を訳してみた。
この作品のオリジナル音源も紹介したい。プロデューサーのボブ・エズリンの影響か、後半ではストリングスを入れた壮大なアレンジとなっている。
60歳頃の映像もあった。年齢を重ねたが、彼の声は相変わらず繊細でみずみずしい。
Peter Gabriel "Here Comes the Flood" on Guitar Center Sessions
"Here Comes the Flood" を聴いているうちに、心が静まりかえってくる。
この歌が誕生してからすでに半世紀近くの時が経つ。
その五十年ほどの間ずっと、この歌は世界の現実に対して呼びかけている。