2026年7月8日水曜日

「小川洋子『バックストローク』を読む 2」 小林一之(教育出版「高校メルマガ」2010年6月号)

 Ⅳ 

 本論に入る前に、前編で言及することのできなかった生徒の読みを取り上げたい。高校生は、自らの置かれている位置に近い「弟」に焦点を絞り、自分をある程度まで「弟」に同一化するようにして、『バックストローク』を読んでいる。小説読解の根本には読者の作中人物への同一化がある。同一化に基づいて、作中人物が織りなす世界に入り込むことは、特に若い世代の読者にとっては必然性を伴う。本校三年生の感想文から、弟、そして弟・姉・父・母の四人からなる家族について様々な考えを述べたものを紹介する。

 

「頑張らなければ」「期待に添わなければ」という感情はとても辛いものだと思う。甘えたくても甘えられない環境が出来上がってしまっている場合が多い。弟の小さい体では収まりきれない想いがあったのだろう。

  複数の生徒が抱いた感想である。親の「期待に添わなければ」という状況は、高校三年生にとってはとても切実に感じられるものである。そして、「小さい体」に「収まりきれない想い」という捉え方は生徒の持つ身体感覚に基づく表現である。「収まりきれない想い」がそのまま凝固して硬直する左腕になったと、生徒は解釈しているのであろう。

 

 プールの中で泳ぐ弟と隅の方で縮まる弟どちらが自由かと比較してみる。自由とはそもそも何か。弟にとって、圧迫感のもとは「家族」であり、それに対して、自分を見つめられる場所は「隅」だけだった。自分の水泳の試合の時のみ、「家族」が成立する。これほどの圧迫感は他にないだろう。

 確かに、この小説では「弟」が泳ぐ時にのみ成立する「家族」の姿が描かれている。この圧迫感のもとになる「家族」を、この生徒は告発したいかのようである。弟と同年齢の生徒らしい素直な実感である。子供を中心として子供を絆として成立している家族は数多く存在するだろうが、その中心としての機能が何らかの理由で失われた場合、家族は崩壊していくのであろう。この小説の結末部もそれを告げている。

 

 空を指し続ける彼の左腕は、頑張らない勇気の表れではないか。彼はそれ以上頑張る必要がないのだと、彼自身も、姉も、父親も、どこかで解ったのではないだろうか。泳げること、それで充分ではないのか。新しい自由を手にするためには、頑張らない勇気の必要性が見えてくる。

 「弟」の左腕の異変を「頑張らない勇気」の表れとして解釈するのは、誤読とも取られかねないが、非常に独創的な読みである。作中の現実としては、弟は病院に入院し無為とも言えるような生活を送り続ける。「頑張らない」ことが弟の勇気であるならば、そのような帰結は彼の欲望の実現とも捉えることができる。この生徒の読みは、現在の社会で増加している「ひきこもり」の問題とも関連するような問いかけを持つ。


 父はあまり弟について感心がないように感じられるが、実は一番心配をしていたのではないだろうか。父はほんとうは弟を水泳から解放してあげたかったのだと思う。

 この生徒は、他の生徒がほとんど言及していない「父」に対して、注目すべき見解を示している。「父」はこの家族の中で唯一「弟」と同じ性に属している。「母」や「姉」が相対的に強いこの家庭の中では、「父」と「弟」は影の薄い存在として共通項を持っていたとも言える。この家族では、「父」が「父」として機能していなかったことは確かであり、そのことが「弟」、父にとっての息子の病理と深く関係しているとも推測できる。


 高校生にとって、『バックストローク』のような現代的な家族の軋みを背景とする教材の場合、作品への親近感が高まる。弟の人生は幼少から描かれ、左腕の異変は十五歳で起きる。作中人物の年齢設定と出来事の時点の設定が通常の作品よりも若くて早い。この設定によって家族の問題も浮上しやすくなり、高校現代文の教材としての魅力も増している。


 話者による重層的な語りによって、作品内の時間が多層的に構成されている小説がある。『バックストローク』もそのような構造を持つ。この場合、小説の最後の場面まで辿りつくことで、作中世界の時間軸が確定される。その時間軸の見取り図を得た上で、もう一度最初に戻り、小説を読み直していく。そのような行為によって、話者の仕掛けた語りの枠組みが見えてくる。この章では『バックストローク』の語りの枠組み、語られる世界とその時間をまず整理しておきたい。また、語られている四人の家族の物語を、作品名『バックストローク』と区別するために、《バックストローク》物語と呼ぶことにする。

  『バックストローク』では、A.話者の現在時の世界→B.一年半前の世界→C.二十数年間展開する世界→B.一年半前の世界、という進行で作中世界の時間と空間が展開する。


A.この小説を語る話者「わたし」の現在時の世界

  「プール」への偏愛、幾ばくかの強迫観念的偏執が語られる。

B.現在時から一年半前の出来事

  職業作家となった姉が東欧の強制収容所に訪問した際に繰り広げられる姉と案内人の男性との交流が語られる。

C.姉の回想として弟の物語の時間    

  《バックストローク》物語が作中挿話のような形式で二十年ほどの時間を元にして語られる。

B.再び、現在時から一年半前の世界

  東欧の強制収容所という場に戻り、《バックストローク》物語の後日談、その後の家族の物語が語られる。

 

 このような語りの枠組みによって浮かび上がる《バックストローク》物語、父・母・姉・弟の四人の家族の物語はどのようなものであったのか。


 小説の末尾で、話者・姉は休息後少し回復する。小説の語りの枠組からすると、この余白のような休息時間内で、弟の左腕の異変を巡る物語が語られる。そして休息後、その後の弟・姉・父・母の物語の帰結が語られる。

 父は肝硬変で亡くなった。母は弟の左腕異変の後に、「ヒステリー」となり、結局、背泳ぎに関わるすべての物、思い出の品をプールで焼く。弟を一流の選手に育てるという夢が壊れた時に、母の人生も半ば壊れてしまったようだ。

 弟はどうなったのか。話者の姉によれば、一月に一度ほど、弟から手紙が来る。弟は、病院の中庭にある「貝殻の形」をした狭いプールで、「背泳ぎ専門」で「得意になって泳いでいます」と書いている。これに対して姉は、「毎回、どの手紙にもプールのことが書いてある。彼が入院して、はや十年になる。」と述べている。「十年」という入院の年月は、弟の病気が身体的なものでなく精神的なものであることをそれとなく示している。精神的な病の方が治療は難しく、長期入院となることもあるからだ。後にⅥ章で詳しく触れるが、この『バックストローク』との関係がきわめて強い小川洋子の短編小説『盗作』では、この弟に相当する人物が「精神科病棟」に入院している設定となっていることも、『バックストローク』の弟が精神の病で入院したという解釈を支えるものとなる。また、弟の手紙にはいつもプールのことが書かれてあるというのは、逆に、泳ぐこと以外に対する無為を示しているとも想像できる。弟の状況は安らかで穏やかなものだが、他者や外界との生き生きとした交流が欠落しているという意味では、非常に閉じられたものである。

 姉は何者となったのか。姉は大学を卒業した後で「印鑑を作る会社」に就職し、会社が休みの日に「趣味で小説を書いた」と述べている。その時点から十年程経ち、姉は「雑誌に連載する長編小説の取材」のために東欧を訪問した。つまり、姉は連載小説を持つ職業作家になっていたのだ。弟の長期入院という時の流れと並行する形で、姉は小説家へと変貌していったのだ。弟の存在が姉に小説を書かせる欲望を与えたことは充分に推測できる。『バックストローク』を姉の物語として構築するのならば、小説家としての誕生の物語を見いだすことができるだろう。精神の病へと自らの生を閉じていった弟と小説の言葉の世界へ自らを開いていった姉という二人の存在の対比は、『バックストローク』の主要なモチーフだと考えられる。

 姉が小説家として誕生する物語を構築するためには、『バックストローク』の世界の余白とも言える場所で進行している欲望の物語を正確に再構成する必要がある。

 小説の冒頭部で、「わたし」はプールを「眺め」、そしてあらゆる点について「観察する」。プールがあるだけでそれは「特別な風景」になり、「わたし」はひとつの眼差しとして存在している。

 この観察者としての作家の位置について、小川洋子は『物語の役割』で「過去を見つめるという態度は、作家が観察者になることです。小説の中でも語り手は常に観察者です。」と述べている。観察者としての「わたし」の眼差しの対象がプールという日常的な空間とは区切られた場、裂け目のような空間であることは、きわめて小川洋子的な語り口の世界でもある。

 プールを語りの糸口、記憶の契機として、「わたし」は「一年半ほど前、雑誌に連載する長編小説の取材で、東欧の小さな町を訪れた時のこと」を回想する。それは「ナチス・ドイツ時代の強制収容所」のプールであった。「通訳兼ガイドの青年」が指さした「トンネル」の向こうに「処刑の行われた広場」、その入り口の脇にプールは存在した。処刑へと導くトンネルの向こう側とこちら側の世界。プールは処刑場への入り口で処刑される人々を迎え入れるかのように佇んでいる。そのプールは囚人たちが作り、収容所の看守とその家族が楽しんだものである。そのプールは「今まで目にしたなかで最も痛まし」いものであり、同時に「昔わたしの家にあったの」と最もよく似たものだった。プールは「巨大な石の棺」であり、「中は途方もなく深い空洞に満たされていた。」と語る。この「途方もなく深い空洞」は、小説『バックストローク』を内側から包み込みような空間の比喩でもある。

 このとき突然「わたし」は気分が悪くなり、その場にうずくまる。通訳の青年が介抱してくれるが、彼の手がふと「弟の手」のような気がする。そのような導入を経て、弟・姉・父・母の四人家族の物語が始まる。

 姉の語る《バックストローク》物語の中では、弟が小学校二年か三年のころ「自分の前世」について述べる場面で、弟にとっての「空洞」のイメージが現れる。弟は「洞窟に迷い込んで、人食いコウモリに体じゅうを食いちぎられて、それで死んじゃったの。」という記憶を述べる。他者によって「体じゅうを食いちぎられ」た上での「死」。精神分析家ジャック・ラカンの言う「寸断された身体」を想起させるイメージである。ラカンは、幼児が一歳半になるまでの時期には、自分の身体を一つのまとまりあるものとして意識することはできないと説いた。身体の各部分がバラバラの形で、言うならば「寸断された身体」のイメージの中で生きていることになる。この段階ではまだ「自分が自分である」という同一性を持つことはできない。ラカンによれば、鏡に映る自己の像によって、「寸断された身体」が一つのまとまりのある身体像に統合される「鏡像段階」に移行することではじめて、主体は「自分が自分である」という同一性を獲得することができる。鏡像という他者に自己を見いだすことが、主体の起源に存在するのだ。

 夢の中には、私たちの身体がバラバラになるような類型もあるが、これは人間の意識が無意識へと逆行する過程で、主体が自己の同一性を奪われ、「寸断された身体」のイメージが出現すると解釈できる。弟の「体じゅうを食いちぎられ」るイメージは自己の同一性が失われる段階への退行として解釈できる。また、「食いちぎられ」るというのは、「その時左腕が、なんの前ぶれもなくつけ根から抜けた」という、欠損した左腕のモチーフとも照合する。

 弟は続けて「で、今度はママのおなかに入らなくちゃならないから、洞窟の中を一生懸命走ったんだ。もうまにあわないかと思ってひやひやしたよ。でもようやく、ぎりぎりまにあった。」と述べる。ここにも「空洞」のモチーフがある。弟は「洞窟」の中を一生懸命走り、ママの「おなか」というもうひとつの「空洞」へと入り込む。寸断された身体は「空洞」で一つのまとまる身体として再生する。弟は子供の頃から「隅」を好むが、「隅」もまた物理的には遮られていないが、ひとつの「空洞」と考えてもよい。弟は、「空洞」から世界に登場しても「空洞」を愛しているかのようである。弟の「ママのおなか」に入ったという言葉に対して「わたし」は「本当にママのおなかでまちがいなかったんだろうか」「弟はまちがえてしまったんじゃないだろうか」と考える。弟は続けてもし今度死んだら、「土になんか埋めてほしくないんだ。」と言う。「わたし」の「どうして?」という問いかけに弟はこう答える。

 

「だって、ナメクジがいるから。僕、ナメクジが嫌いなんだ。骨にして、お姉ちゃんのおなかに入れておいてよ。それがいい。」

 弟は自分がどこから来たか、これからどこへ行くか、ちゃんと知っていた。

 

 「骨にして、お姉ちゃんのおなかに入れておいてよ。」という言葉は、弟の未来の生に対する欲望を表している。弟は「お姉ちゃんのおなか」で生き続けようとする。ただし、「骨にして」という言葉があるので、存在の実質は奪われた形で、比喩として言うならば、精神の「骨」として、姉の胎内で再生する欲望と解釈できる。弟は母の胎内の「空洞」から出てきて、姉の胎内というもうひとつの「空洞」へと辿りつきたいかのようである。

 この弟の言葉を受けて姉は、弟が「自分がどこから来たか、これからどこへ行くか」を知っていたと述べる。この言葉は、弟の「自分の前世」を巡る対話の場面の最後に置かれているが、作中世界の中での「わたし」の言葉ではなく、話者「わたし」の語りの現在時点での言葉として考えるべきである。要するに、小説家としての「わたし」の発話として存在している。

 弟は、左腕の異変とその欠損の後、精神病者として静かな閉じられた生を送る。病院の小さなプールは、かって彼の愛した「隅」の空間に似ている。それは水の満ちている小さな「空洞」でもある。彼は「隅」に回帰したのだとも考えられるが、その「隅」は「無」そのものと考えてよい。弟の人生は閉じられた「隅」での永遠の反復のようなものである。弟は姉に一月に一度ほど手紙を送り続ける。その手紙の文面は病院のプールでの背泳ぎの話題の繰り返し、永遠の反復であろう。しかし、そのような反復は弟の欲望の現れとも捉えられる。弟の手紙の宛先は常に姉である。弟は自らの物語を姉に送り、姉に書かせようとしたのではないだろうか。弟は無意識の次元で、姉の空洞の中でひとつの言葉として生み出されることを望んだのではないだろうか。姉も弟の欲望を自分のものとし、物語を語る欲望に転化していく。

しかし、その欲望は次第に、姉と弟という家族としての関係性を越えて、主体としての話者「わたし」と客体としての「弟」という語りの枠組みを強固なものにしていく。姉は弟を「隅」に閉じこめ、自身の「空洞」に囲い込み、端的に言うならば、自らの小説の対象、素材にしたとも考えられる。『バックストローク』から、どこか悔恨のような、贖罪を願うような、姉の無声の響きが聞こえてくるのは、このことに起因するように私には感じられる。

 姉は小説の最終場面で、ホテルへ戻りゆっくりと休むことをすすめる青年の申し出を断り、強制収容所内の処刑場へ行くという強固な意志を告げる。姉が立ち上がり、「青年」が肩を抱いてくれたところで、小説『バックストローク』の円環が閉じられる。ジャック・ラカンが精神病者を「無意識の殉教者」と定義したことに倣えば、弟も「無意識の殉教者」の一人として記憶されることになるだろう。


 最後に、『バックストローク』に関連する物語に触れたい。『バックストローク』は、前章で述べたように、姉の小説家誕生の物語としても読むことできる。姉にとって、《バックストローク》物語がかけがえのない存在であったと同様に、小川洋子にとっても、作家としての欲望の対象となる特別な物語であったようだ。

 小川洋子の『盗作』(『偶然の祝福』所収)は、「初めて文芸誌に採用された小説、初めて原稿料をもらった小説、あてどないこの世界で、自分だけのためのささやかな居場所を、生まれて初めて与えてくれた私の小説は、盗作だった。」と語りだされる。職業作家である「私」のデビュー作が「盗作」だったというのは、重大な秘密の告白のようであるが、冒頭文に続く節を読むと、事態は奇妙な複雑さを醸し出している。

 

 その事実に気づいた時、私は不思議なくらい動揺しなかった。プライドを傷つけられもしなかったし、罪の意識にさいなまれることもなかった。ましてや本物の作者が名乗り出てきて、厄介な騒動を巻き起こしはしないかと、びくびく怯えたりもしなかった。

 

 デビュー作が「盗作」であると述べられたにもかかわらず、「その事実に気づいた時」とあるのはどういうことなのか、と読者は考えてしまう。盗作はふつう作者が意図的に先行作品を盗用することで成立するからだ。しかし、「その事実に気づいた時」という表現が告げているのは、その作品を書き発表した後で、盗作であることに気づいたという、時間軸がねじれているような事態である。そうであれば、話者は無自覚的に盗作を書いたことになるが、そのようなことが起こりうるのだろうか。「盗む」という行為は自覚的な行為としか考えられない。それとも、事後的に盗作であるという発見をするような状況がありうるのだろうか。続く部分にこうある。

 

 むしろ逆に、私を救い出すためにあの小説がどうしても必要だったのだ、どんな慈悲深い人間も高価な宝石もそれに取って代わることはできなかったのだと、確信した。盗作が道義的に(もしかしたら法律的にも)許されない行為だとしたって、自分の確信の力強さが、そんな罪は一蹴してくれる気がした。もしあそこで、降り掛かってきた偶然の神秘に身を任せていなかったら……そう考える方がずっと怖かった。

 

 この箇所には「私を救い出すためにあの小説がどうしても必要だった」とあるが、「あの小説」とは、盗作だとされたデビューとも、盗作の元となった小説とも、その両方とも捉えることができる。話者はその作品を書かねばならなかった「自分の確信」と、盗作した作品との出会いを指すものと思われる「偶然の神秘」に身を任せたと語っている。そうであれば、多少なりとも、話者には盗作だという自覚があったのだと考えるのが自然であろう。そうだとするならば、前述の「その事実に気づいた時」という事後性の事態と矛盾することになる。それとも、ある程度自覚されていたと自覚されないままであったという二つの事態が共存するのだろうか。その解答のようなものは後ほど明らかになるのだが、盗作という出来事そのものが小川洋子的な小説の仕掛けの複雑さを読者に伝えている。

 冒頭部に続いて、「当時私はかなりひどい状況にあった」と物語が語りだされる。「ひどい状況」とは、「弟」が不良少年に殴り殺され、恋人が横領罪で逮捕され、そのせいで「私」も失業することになるという「底無し沼」に陥る状況であった。

 もともと「私」と弟とのつながりは、「私」の書く小説を媒介とするものだった。優れた読者であり物語作者でもあった弟の死後、「私」はすっかり書けなくなり、衰弱し、部屋に閉じこもるようになった。珍しく外出した際に交通事故にあい、全治三ヶ月の重傷で入院する。

 退院後リハビリに通う車中で、盗作する物語をもたらした「彼女」に出会うことになる。しばらくして「私」は、入院中の弟の見舞いに来ている「彼女」に、「弟さんのことを、聞かせてくれませんか」とお願いをする。「彼女」は「ええ、そろそろ始めようかと、思っていたところです」と言って、弟の物語を語り始める。この「そろそろ始めようかと」という言葉には、期待されていた物語をついに語り始めるような陰影がある。

 「彼女」の語る弟の物語は、小説『バックストローク』とほぼ同一のものであるが、弟の左腕が欠損する契機となるプールでの背泳ぎの印象深い場面がないことが物語の構成上の違いとして指摘できる。内容の違いとしては、弟が特別な泣き方をして死を予知できる奇妙な能力を持っている点と、左腕が上がったままになる際に弟が死を予知する特別な泣き方をしていた点があげられる。弟が自分自身の左腕の「死」を予知していたという設定は、作品の解釈上、重要な差異となっている。また、話者が「彼女は精神科病棟へ」と述べていることから、「彼女」の弟は精神科に入院していることが明らかになる。『バックストローク』では弟が入院している病棟は明示されていないので、この点も違いとなっている。『盗作』との類似性を考えると、『バックストローク』の弟も精神科に入院していると推測できるので、純然たる差異と捉えない方がよいかもしれないが。

 「彼女」の物語を聞いた夜、「私」は小説を書きだす。「彼女が語った物語を、そのまま書き付け」ていき、「彼女の声を胸に響かせる」だけで言葉は紡ぎ出されていった。「私」は「彼女」の物語の口述伝承者のような存在かもしれない。そうであれば、「私」に盗作という意識はなかったことも考えられる。口述の物語が「私」を捉え、文字言語としての小説を「私」に書かせていったという事態が推定される。そのようにして完成した小説が『バックストローク』と名付けられ、デビュー作となった。ただし、小説『盗作』はここで終わらない。後日談が語られるのだ。

 『バックストローク』執筆後七年振りに「私」は最終的なリハビリのために病院を訪れ、談話室のサイドテーブルに置かれた『BACKSTROKE』という英語版のペーパーバックを見つける。

 

 古い本らしく、表紙は擦り切れ変色していた。作者は一九〇一年生まれの聞き覚えのない女性だったが、それ以外のプロフィールは分からなかった。とても発音できそうにない、複雑なつづりの名前だった。私はソファーに腰掛け、一ページめから読みはじめた。背泳ぎの選手だった弟が、左腕から徐々に死に近づいてゆく話だった。私が書いたのと、彼女が語ったのと同じ物語が、そこにあった。

 どんなにボロボロの本の中でも、物語のいとしさは少しも損なわれていなかった。

 

 英文の小説『BACKSTROKE』が、「彼女が語ったのと同じ物語」であるということは、「彼女」の語った物語は彼女自身の経験ではなく、この『BACKSTROKE』に書かれてあった物語であったと考えられる。しかし、「彼女」の弟が、この『BACKSTROKE』の物語そのものではなくても、類似の経験をしていたことは考えられる。経験の類似性が物語への愛着を高めることはよくある。どちらにしろ、「彼女」もこの『BACKSTROKE』を愛おしく読んだのであろう。また、「彼女」以外にもこの談話室で『BACKSTROKE』を読み、その物語を愛した者がいた可能性もある。『BACKSTROKE』は少なくとも二人の女性に感銘を与え、一人はその物語を記憶し語り、一人はその物語を書きとめ小説にした。『BACKSTROKE』は英文の物語であるから、日本語への翻訳という言葉から言葉へのもう一つの過程もある。

 小説『バックストローク』では、話者「わたし」の回想という形で《バックストローク》物語が挿話として語られている。そして、小説『盗作』では、話者「私」が書いた《バックストローク》物語、「彼女」が述べた《バックストローク》物語、ペーパーバック『BACKSTROKE』に記されている《バックストローク》物語がある。

 小川洋子は、「非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする。もうそこで一つの物語を作っているわけです。」と『物語の役割』で述べている。《バックストローク》物語に関わるすべての話者もまた「困難な現実」に向き合う中で、物語を作り出し語っていったのだろう。

 《バックストローク》物語を語ることによって、小説『盗作』と『バックストローク』の二人の話者は各々職業作家として誕生する。二人の話者の背後にある作者小川洋子にとっても、小説家として深い関わりのある物語だと思われる。《バックストローク》は作家小川洋子の起源、小説を語る欲望の起源に関わる何かと関係する物語であろう。「姉」と「弟」の物語を、小川洋子は繰り返し書いてきた。《バックストローク》物語はこれからもヴァリエーションが創られ、反復されていくのであろうか。

 小川洋子という小説家の欲望の物語、反復の物語としての《バックストローク》という地平に辿りついたところで、この稿を閉じることにする。



*この論考「小川洋子『バックストローク』を読む 2」 は、教育出版の「高校メルマガ」2010年6月号で配信されました。同社のHPで掲載されていましたが、HPのリニューアルによって現在は公開されていませんので、このブログに新たに掲載することにしました。

2026年7月7日火曜日

「小川洋子『バックストローク』を読む 1」 小林一之(教育出版「高校メルマガ」2009年6月号)

 小説を「読む」とはどのような行為なのか。そして、「小説」を学ぶ、教えるという行為はどの方向に向かうべきなのか。

 この問いを抱えながら、授業の準備を行い、教室に向かう。小説教材の最初の授業のとき、小説を読む充分な時間を生徒に与えるように心がけている。小説を読むのには固有の時間があり、読書の主体としての生徒には一人ひとり別の時間が流れている。教科書に印刷されている小説作品は文字の記号としてそこにあるが、読書主体としての生徒の読む行為を通じて、その存在を獲得し始める。

 教室ではまず始めに、時間は充分にあるので各自のペースで読んでいくことを指示する。

 その際「教材」ではなく、「作品」という意識で読むことを重視している。生徒がページをめくり始める。直ぐに小説世界に入っていく者。煩わしそうに読む者。各々の読む時間が進行する。時に愉悦を感じ、時に困惑を感じる時間。静かな時間が流れ、時々、ページをめくる音が聞こえてくる。

 もう一つの指示は、読んで考えたことを自由に書くこと、所謂「初読の感想文」を書くことだ。勤務校では一〇〇分授業(五〇分二コマ連続)を行っているので、前半の五〇分間を読む時間に、後半の五〇分間を書く時間に、だいたい設定している。

 生徒の観点からすると、教室という場でいきなり新しい教材、文学作品に出会うことになる。通常の読書とは異なり、選択することなく、それは与えられる。受け身の行為なのだが、そのような作品との出会いが幸福な遭遇をもたらすことも多い。教室では、生徒は「贈り物」としての作品に出会う。日々、至るところの教室で、文学作品という贈り物が贈与されている。生徒の書いた文を読むと、小川洋子の『バックストローク』は今まで遭遇したことのないような、贈り物のような作品であることが伝わる。

 ある女子生徒の文章を紹介したい。

  この小説を読んで、わたしはとても不思議な感覚を覚えた。読んでいるときは、どこかへ沈んでいくように思えたし、読み終わってからは、自分が水の底にいるようだった。胸が締め付けられる息苦しさを感じたのに、同じくらい、穏やかさも感じられた。水中で息ができないのと同様に、わたしにはこの小説を読んで感じたことを言葉にすることができない。

 どこかへ沈み、水の底にいるような「不思議な感覚」。そこでは「息苦しさ」と「穏やかさ」の相反するものが感じられる。この女子生徒は、『バックストローク』の読みの経験そのものを伝えようとしている。意味や主題ではなく、感覚の軌跡のようなものに向き合おうとしている。ある作品に対して「言葉にすることができない」想いを抱いたのなら、無理に言葉にする必要はない。無理に解釈したり、了解したりすることは、作品の読みを損ない、極端な場合は作品に対する暴力にもなる。

 一つの小説を読み進めていくうちに、私たちは小説の言葉の群れから放たれた波動のようなものを受け取る。意味に分節されたり、主題に結晶化されたりすることなく、波のような運動が私たちに作用する。話者の声や作中人物の声は波動となり、場面や場面の転換もリズムとしての波の動きに通じる。読む者は自身に生起している波動の微かな響きに耳を傾けている。波動が私たちに作用し、言葉にならないなにものかを伝える。

 『バックストローク』は作用する小説としての力を持つ。作品は読者の記憶の中のある層の呼吸し続ける。時に水面下に潜り、時に浮上し、読者に作用する。そして、時間の流れの中で、時の経過と共に、作用は変化する。初読、再読、数年後経た後の読書、その時々で読書そのものが変化する。作中人物のあの言葉、あの場面、あの風景の語りかける意味が、時間の中で変化して、読者に作用する。作品から贈り物のようにして与えられる波動は、幸福な場合、一生の間持続するのだろう。

 もう一人、男子生徒の言葉を引用したい。

  私は小説を読むのは好きではないし、読んだとしても途中で読むのを止めてしまうが、でもこの小説だけは違った。小説の世界へと入ったような気分になった。小説の中は、色々なことが自分の目の前で起こっているのか、または、動画を見ているようであった。小説の力は無限のように感じた。

  この生徒にとって、「小説の世界」へと入るという経験は稀なものであったらしい。「動画」を見ているようであるという言葉は、携帯電話やPCなどを通じて画面上の動画を見る機会の多いこの時代の若者らしい感想だ。読む行為の中で「動画」を再現するのは、ネット上の動画を受動的に見る経験とは大きく異なる。また、「映画」でなく「動画」という言葉を使ったのも興味深い。「動画」にはより短いもの、それらの映像の集積のような感じがある。確かに『バックストローク』には様々な場面の集積のような作品であり、多層的な時間が入れ子型に組合わされている。一つひとつが短い動画のような趣もある。

 小川洋子は前掲の『物語の役割』で、「私の場合は、映像が頭の中に浮かぶ時には、すでにそれが小説になるというサインなのです。」と述べている。続けて「言葉になる以前の段階のものが、まず浮かんでこなくてはならないのです。言葉は常に後から遅れてやってくるという感触です。」と語っている。

 引用した二人の生徒の言葉は、短いものであり、充分に考えが練られているものではないかもしれないが、小川洋子の小説の本質に触れる鋭さがある。出来合の言葉で解釈するよりも、テクストそのものに向かい合う純粋な読書がこのような言葉をもたらしたのだ。


 Ⅱ

 小川洋子は講演録『物語の役割』の中で、『バックストローク』と同じように短編集『めまい』に収録されている『リンデンバウム通りの双子』を素材に、「小説の第一歩を踏み出す」ためには「重層的な映像が必要不可欠なのです」と述べている。また「テーマなどというものは最初から存在していない」「主題が何か、について私は一切考えていないのです」と断言している。『リンデンバウム通りの双子』を例に取り、「家族の悲しみ」「人間の孤独」「家族の絆」というような「非常にわかりやすい一行で書けてしまう主題を最初に意識してしまったら、それは小説にならないのです」として、「言葉で一行で表現できてしまうならば、別に小説にする必要はない」「言葉にできないものを書いているのが小説ではないか」と語っている。そして、「テーマは後から読んだ人が勝手にそれぞれ感じたり、文芸評論家の方が論じてくださるもの」だと、若干の皮肉を込めて書いている。

 小説を書く作者の観点からすると、小川洋子の言葉は肯定されるだろう。作者が紡ぎ出すのは言葉そのものであり、意味や主題は事後的に生まれるというのは、虚構作品を書く者が経験する真実の一つだからだ。しかし、作者も事後的に読者となる。作者自身、小説を書き終えた時点から、というよりも本質的には、一つひとつの言葉を書いた瞬間から、読者として自分の言葉に向き合う。作者が主題を考えずに小説を書いたとしても、小説の完成後、一人の読者として自身の小説の主題に向き合うことになる。話者として言葉を語り終わった瞬間から、読者としてその言葉を読むというのが、言語をめぐる普遍的な真理だと思われる。

 読者に作用する言葉の群れ、その波動を、生のある一点で受け止め、その意味を考え、作品の主題を考えることもまた、私たち読者が自然に行う行為だ。連続して続く波動の形を形として定めること。とりあえずの形であっても、そのことが解釈の立脚点になり、授業の成立の根底を築く。

 『バックストローク』を読み進めていく中で、私たちが立ち止まってしまう箇所は、やはり、弟の左腕が突然挙がったままになってしまった出来事であろう。読者はこの出来事を受け止め、その意味や原因を考えてしまう。読者がこの出来事について問いかける欲望を持つのは自然であろう。小説作品は波動のように読者にある作用をもたらす。その作用の中の何かが私たちにある種の問いをもたらす。問いは読者の欲望を生起させる。特に、了解不可能な不可思議な出来事ほど、読者の欲望を刺激する。この左腕の出来事については、何人かの生徒が感想を寄せた。生徒の書いた文の一部を四つほど引用したい。

 

 主人公の弟は母親の過剰な圧力や期待により、言いしれぬ不安や苦しみを胸に抱えていたのだろうと感じた。腕に異変が起きたのもそれが原因なのだろうと感じた。「水泳をやっていない自分」を見てほしくて、彼は無理に腕を壊してしまおうと考えたのだと思う。

  この生徒は「無理に腕を壊してしまおう」とする意志によるものだと解釈する。「母親の過剰な圧力や期待」に対する「言いしれぬ不安や苦しみ」が原因となって、ある行動を起こす。このような解釈は、この「左腕の出来事」に対する標準的なものだとも言える。

 

 弟はなぜ急に左腕をおろすことができなくなったのだろうか。それはやはり弟の強い気持ちが作り出した結果の現象だったのであろう。

  この生徒も弟の「強い気持ち」を読みとろうとしている。ただし、「意志」によるというよりも、「強い気持ち」の作り出す「結果の現象」という読みは、微妙な意味を含んでいる。「現象」として起こったということには意志から少し離れた考えもあるからだ。

 

 「なぜかいろいろな物が壊れた一日だった。」この表現から、何か大きな変化が訪れるのだという予感を感じた。そして、ついに彼は壊れてしまったのだ。

  この読みは、弟が「壊れた」という枠組みでの解釈である。この場面では色々なものが壊れる。その結果、機械が壊れるように、弟の左腕が壊れる。「壊れた」という表現は、弟の意志による行為ではなく、突然の出来事としての異変の意味合いが強い。

 

 ストレスのはけ口がなくなったことにより、体が限界を通り越して拒否反応を起こし、その結果左腕が動かなくなってしまったのだ。

   「ストレス」による心身の「拒否反応」としての腕の異変。この解釈はより心理学的な解釈だと言えよう。現在の高校生の中には心理学的な知識を持つ者も多い。この生徒も「ストレス」という流布された言葉ではあるが、臨床心理学的な知識で出来事を読みとろうとしている。


 生徒の感想は大きく、この出来事が弟の意志による故意の行為だと捉えるものと、意志によらない病変だと捉えるもの二つに分けられる。また、『バックストローク』に言及した評言の幾つかを読んでみても、意志によるものと病理によるものの二つに分かれている。

 異変から五年経ったあるとき、弟は姉に「変に思う?」と聞き、「みんなを、がっかりさせてしまった。」とも述べる。この箇所によって、弟は左腕の出来事について自覚的であったという読みがなされることがある。しかし、意志によらない病理としての異変であっても、結果的に「がっかりさせてしまった」と思うことはあり、その異変について「変に思う」と問いかけることもあるので、このことだけで、弟の意志による行為だと解釈することは無理である。左腕の出来事については、厳密で精密な読解が必要とされるだろう。

 この場面は、「事の始まりは、弟の十五歳の誕生日だった。」と語り出される。その日は「なぜかいろいろな物が壊れた一日」で、弟の左腕に異変が起きる。その出来事を語る一節を引用する。

 

 次の朝目覚めた時から、弟は左腕を挙げたきり、下へ降ろさなくなってしまったのだ。

 最初弟が階段を降りてきた時は、肩の調子が悪いのか、フォームのイメージトレーニングでもしているのだろうと、さほど気にしなかった。しかし洗面所から出てきても、食卓についても、彼はそのままの姿勢を崩さなかった。

「どうかしたの。」

 いちばんに母が口を開いた。

「どうして手なんか挙げてるの?」

 わたしも尋ねた。尋ねないではいられなかった。彼は何も答えなかった。

 

   小川洋子の小説では、「言葉になる以前の段階」の「映像」が先行する。この「映像」は、物語になる以前、主題化される以前のある種の出来事であろう。映像としての出来事が起こり、その後に言葉が出来事を捕まえようとする。言葉は出来事に対して遅延して到達する。話者は出来事の解釈者の位置に立つ。小川洋子は、そのようにして浮上した出来事に対して、どのような話者を創りあげるのかに腐心していると語っている。

 話者や作中人物の感覚・思考より、出来事が先行しているのは、『バックストローク』の場合も当てはまるのではないか。まず始めに左腕の異変という映像が誕生し、その後で『バックストローク』の構想が具現化したというのが私の推測である。その場合、この出来事・映像について、話者や作中人物はどのように捉えるのかが問題となる。

 引用部分では、話者であり作中人物の姉である「わたし」の視点から、弟は「降ろさなくなってしまった」「そのままの姿勢を崩さなかった」と語られていることに注意したい。左腕の「出来事」に遭遇した現在時を考えてみると、この時点では出来事の了解は当然不可能だ。しかし、「わたし」の述べる「降ろさなくなってしまった」「崩さなかった」という言葉には、この出来事には弟の意志が介在していることが判断されている。

 例えば、「弟は左腕を挙げたきり、下へ降ろせなくなってしまった」であれば、病気の可能性が残る。 あるいは「弟の左腕は挙がったままだった。」では、より解釈を差し挟むことのない、判断保留の描写になる。

 さらに、母の「どうかしたの」、姉の「どうして手なんか挙げているの」という問いのの繰り返しは、弟を無言へと追いやる。母も姉も理由を問い続けたのだが、そのこと自体が、弟を「もっと隅へ、もっと隅へとひきこもる」ようにさせた可能性すらある。

 姉は「だれも見ていない時は降ろしているのだろう」と考え、弟の部屋をこっそり盗み見ることまでした。姉は弟の理解者の位置に立つのではなく、むしろ母の位置に、母の眼差しに近づいている。

 私たち読者が、母や姉の眼差しからの解釈から離れて、一人の観察者として弟の出来事に向き合えば、どのような解釈が可能なのだろうか。生徒の感想の中に、一つ注目すべき意見がある。

 

 なぜ腕が上がらなくなったのかは、よくわからないけど、それが弟の願いならいいと思う。自分の意志でそうなってしまったのではなくても、その後、弟は生き続けていけたのだから、それは少しでも弟が望んだことであったのだと思う。

  この生徒は左腕の異変について「自分の意志」でなくでも「願い」「望んだこと」であったと読む。この生徒の感想はあくまで感覚的なもので、論として確立されたものではない。しかし、微妙ではあるが、この生徒の読みは、意志によるものと病理によるものという二項対立の解釈とは異なる解釈の可能性を示す。この生徒は意志と病理の間に、より潜在的な弟の願望を読みとっている。


 私は、『バックストローク』の虚構世界を現実世界に転移させて考えてみたい。その場合の有効な解釈装置が、ジークムント・フロイトが創始した精神分析の理論である。唐突に精神分析を持ち出すことに違和を覚える方もいるだろうが、小川洋子の作品世界と精神分析理論との親和性は高いと思われる。

 小説の具体的のチーフとしても、短編集『めまい』所収の『飛行機で眠るのは難しい』では、作中人物の老女の布地屋がウィーンのフロイト博物館の裏にあり、話者「僕」がそこを訪ねるという設定があり、先に触れた『リンデンバウム通りの双子』の舞台もウィーンであることからも分かるように、少なくとも短編集『めまい』の場合、ウィーンという地名、フロイトという固有名詞のつながりがある。また、フロイト自身の姉妹四人が『バックストローク』の重要なモチーフであるユダヤ人強制収容所で殺されている事実もあり、ウィーンという都市自体がナチス・ドイツとの関わりが深い場所でもある。『めまい』所収の優れた三つの作品『バックストローク』『飛行機で眠るのは難しい』『リンデンバウム通りの双子』に共通しているのは、日本人の話者がウィーンやナチス・ドイツ収容所跡を訪れるという設定であり、小川洋子のこのモチーフへの偏愛ぶりが伺える。



 弟の左腕の異変の原因を精神分析の理論から考察すると、第一に転換ヒステリーの可能性を指摘することができる。転換ヒステリーは、精神分析の創始者ジークムント・フロイトが定義した神経症の一つであり、無意識的な衝動や願望の表象内容が抑圧され、その表象が転換される機構によって、様々な身体的症状(運動麻痺、身体硬直、感覚障害、腹痛・頭痛等の軽微な症状他)が現れてくるものである。

 転換ヒステリーでは、身体が不自然な形に硬直したまま動かなくなることがあるので、弟の左腕の硬直したかのような異変も転換ヒステリーの症状であると考察することができる。転換ヒステリーで症状化している部位は、抑圧された衝動の表象自体に関わる部位だとされている。つまり、不自然な形に硬直した左腕は、主体の抑圧したい場所そのものでもある。

 転換ヒステリーの原因には主体の無意識の欲望が存在している。先ほどの生徒の言葉を再び引用してみるならば、「それは少しでも弟が望んだことであったのだ」と言える。精神分析の文脈に置き換えていえば、「それ」は無意識の欲望である。

 哲学者スラヴォイ・ジジェクは、フロイトの真の後継者であるジャック・ラカンの影響のもとに、精神分析理論を使って現代文化について考察を重ねている。彼は著書『為すところを知らざればなり』で、ラカンを参照して「言語‐の‐存在としての人間の根本的な経験とは、彼の欲望が妨げられるということ、創設的に満たされないということである。人間は『自分が実際何を欲しているのか知らない』のである。」と述べている。そして、転換ヒステリーについて「ヒステリー患者の『転換』が成し遂げていることとは、紛れもなくこの妨害を転倒することなのだ。この転倒を介して妨げられた欲望は妨害への欲望に転換する。満たされぬ欲望は満たされぬことへの欲望に転換する。」と説いている。

 ジャック・ラカンによれば、人間の欲望は他者の欲望である。弟はもともと、他者である母の欲望を、続けて姉の欲望を生きてきたと言ってよい。欲望の起源には他者が存在するのだが、そのことは無意識に沈み、人間は「自分が実際何を欲しているのか知らない」のである。

 母と弟の様子については、視点人物である姉による次の描写がある。

 

 二人はぶかっこうなダンスを踊っているように見えた。弟は母に体を任せ、されるがままになっていた。照れ臭そうにも、迷惑そうにもしなかった。ただ、どこか遠くを見つめていた。背泳ぎなんかよりもっと深刻な問題について、思索を巡らせているかのような瞳だった。


 弟は母の欲望を「されるがままに」、文字通り生きている。弟の「どこか遠くを見つめ」「思索を巡らせている」かのような「瞳」は、「自分が実際何を欲しているのか知らない」欲望を見つめているかのようである。

 弟の二三歳の誕生日に、弟が姉の求めに応じて自宅プールで再びおよく場面で、話者姉は次のように語る。

 

 わずかに残った地面にしゃがみ、わたしはプールの中の弟を見つめた。端までくるとターンし、また泳いだ。何度も何度も繰り返しターンした。水音だけが二人の間を流れた。弟は背泳ぎするだけで、わたしの求めるものをなんでも差し出すことができた。

 

 この場面でも、弟は姉の欲望を生きている。弟は姉の「求めるものをなんでも指し出す」ことができるのだ。その後、姉の欲望に応じてプールで再び泳ぐ際に、作品内の現実か幻想か分からないが、弟の左腕は欠損する。その後、弟は入院し、病院の小さなプールで泳ぐことを愉しみ、十年もの間一月に一度ほど、そのことを必ず手紙に書いて姉に送る。

 弟は「自分が実際何を欲しているのか知らない」まま生きてきた。人間の欲望が他者の欲望である限り、人間の欲望は本源的に空虚なものである。主体が欲望を抱いていると感じていても、それは空虚な幻であり、その欲望が成就されることはない。これは、主体にとって欲望は絶えず妨げられているいうことのもう一つの姿である。また、弟の欲望が空虚なものであるからこそ、読者はそこに様々なものを読みとろうとしてきた。

 転換ヒステリーの主体は、欲望が妨げられることそのものを転倒し、自らの欲望を妨害するようになる。弟の欲望も様々な意味で妨害され、成し遂げられないものとなっていた。弟は自身の身体の自由な動きを妨害し、そのことが泳ぐことの制止、左腕の硬直化をもたらしたのだ。これが弟の「満たされぬことへの欲望」である。

 弟はそのようにして「満たされぬことへの欲望」そのものと化し、弟の物語が閉じられる。この弟の「左腕の出来事」は、虚構作品の枠組みを超えて、読者にそれに向き合うことを要請しているかのようだ。もちろんその解釈が固定されたものに収束する必要もないが、私自身は精神分析の枠組みで考察してきた。

 ヒステリーは家族の間で転移する。家族の成員が各々ヒステリー化することもある。左腕の異変の後、母自体が「ヒステリー」になったという記述がある。また、最後の場面で、強制収容所の「処刑場へ行きましょう」と述べる姉もまた幾分かヒステリー化しているとも言える。『バックストローク』は弟中心の物語として普通は読まれているが、私には姉を中心とする「姉の物語」として読む欲望もある。稿を改め、「姉の物語としての『バックストローク』」を書くことにしたい。


*この論考「『バックストローク』を読む 1」 は、教育出版の「高校メルマガ」2009年6月号で配信されました。同社のHPで掲載されていましたが、HPのリニューアルによって現在は公開されていませんので、このブログに新たに掲載することにしました。

2026年6月14日日曜日

アニメ『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』と『茜色の夕日』[志村正彦LN384]

 一昨日6月12日の深夜24時から、TVアニメ「上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花」第10話がBS11やTOKYO MXで放送された。

 公式Xの〈第10話は原作者の塀先生が描き下ろした、遊佐あかねと北杜やえかが中心となる、アニメオリジナルエピソードを含む話数となります。本エピソードは、フジファブリック志村正彦さんが作詞・作曲を手掛けられた楽曲『茜色の夕日』をお借りした、特別なストーリーとなっております。〉という呟きが志村ファンの間で話題となっていた。



 ネットの情報からこの作品の概要を記したい。「塀」の漫画作品が秋田書店のウェブコミック配信サイト『マンガクロス』後に『チャンピオンクロス』で2019年3月から始まり現在まで連載中、テレビアニメ版(佐久間貴史監督)が2026年4月より放送中。20歳の女子大生・上伊那ぼたんを主人公に大学の女子寮を舞台とする物語。題名にあるとおり、お酒とガールズラブがモチーフとなっている。

 六人の主要人物は、上伊那ぼたん(長野県出身・浪人して大学1年生・主人公)、砺波いぶき(富山県出身・3年生・寮長)、郡上かなで(岐阜県出身・大学院生)、遊佐あかね(山形県出身・2年生)、北杜やえか(山梨県出身・2年生)、張景嵐(チャン・ジンラン・台湾出身・留学生)。メインイメージには〈酔って、絡まり、ほどけてく。〉というコピーがある。この六人が酒に酔うことを契機に、互いの関係が絡まりあり、互いの関係が解けてゆく。そのように物語が展開していく。


 第10話の後半の舞台は「ヤマハ サウンドクロッシング 渋谷」。そのカフェで「上伊那ぼたん」と「北杜やえか」が話をしている。「あかね」は楽器を試奏する。「ぼたん」は「やえか」に好きな曲を尋ねると、「やえか」はスマホの画面を見せる。「ぼたん」もこの曲を好きだと言う。「やえか」は一年の時に「あかね」が教えてくれたこの曲が大好きと答える。回想場面にはフジファブリック『アラカルト』のジャケットが映る。

  「あかね」がギターを奏でながら『茜色の夕日』を歌い始める。「やえか」は驚いて振り向く。「あかね」の方に歩き出し、『茜色の夕日』を一緒に口ずさむ。このシーンでは〈君のその小さな目から/大粒の涙が溢れてきたんだ/忘れることはできないな/そんなことを思っていたんだ〉〈東京の空の星は/見えないと聞かされていたけど/見えないこともないんだな/そんなことを思っていたんだ〉の箇所が歌われた。

 最後のシーンが重要だった。「ぼたん」のスマホ画面には、〈弾けます?〉〈フジファブリック 茜色の夕日〉という「あかね」宛のメッセージが表示されていた。「やえか」と「あかね」の仲がギクシャクしているのを見て、「ぼたん」が「あかね」に『茜色の夕日』を弾くようにリクエストしたことが分かる。二人の女の子「やえか」と「あかね」の関係をもう一人の女の子「ぼたん」がさりげなく近づけようとする。その演出が冴えていた。


 エンディングになり、志村正彦の声が聞こえてくる。『アラカルト』ヴァージョンだ。2002年10月21日CDミニアルバム『アラカルト』リリース。志村正彦:ボーカル・ギター、田所幸子:キーボード、萩原彰人:ギター、加藤雄一:ベース、渡辺隆之:ドラムスの編成。YouTubeにある当時のミュージックビデオを紹介したい。




 録音当時の志村は22歳だった。このアニメの登場人物に近い年齢だ。志村の若々しい声がのびやかに響く。志村自身の音源が流れるかもしれないと思ってはいたが、初期の音源だったこともあり、不意打ちのようになった。それだけ感が極まってしまった。このアニメとこの歌との取り合わせが不思議な感覚をもたらした。


 エンディング画面には次のクレジットが表示された。

 劇中曲 第10話エンディング楽曲 『茜色の夕日』 
 フジファブリック 作詞 志村正彦 作曲 志村正彦
  Speciai Thanks 
 樋口恵子(ロフトプロジェクト)杉山オサム
 志村正彦様のご家族一同


 このアニメ『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』は、原作漫画の作者「塀」氏やアニメの制作スタッフたちの志村正彦、フジファブリック、『茜色の夕日』への純粋なリスペクトとオマージュを捧げる作品だった。『アラカルト』の制作を担当した樋口恵子さんや志村正彦のご家族一同への感謝も記されていた。制作者の誠実さが伝わってきた。

 このアニメは、主人公「上伊那ぼたん」を中心軸にして、六人の女の子のあいだの繊細な恋心と複雑な想いの交錯を描いている。この点が『茜色の夕日』との接点になったのだろう。ただし、エンディングが終わった後でも三番目のシーンが続いたのは謎だった。『茜色の夕日』でそのまま終わった方が余韻があったと思われる。(あえてそのことを回避したのかもしれないが)


 志村正彦は『茜色の夕日』について何度か語ったことがある。『音楽とことば ~あの人はどうやって歌詞を書いているのか~』( SPACE SHOWER BOOks 2013/6/24 )の該当箇所を引用したい。


・歌詞というのは、とんなものでも、何を書いてもいいものではあるんだけど、実は、なんでもよくはない。そこにリアルなもの、本当の気持ちが込められていなければ、誰の気持ちにも響いてくれないと思うんです。
・最初の最初は、あの娘になんとなく気づいてほしいからという情熱から歌詞を書き始めたわけです。〔……〕高校生の終わりぐらいですね。初恋の娘です。〔……〕その失恋から産まれた曲は『茜色の夕日』って曲で、フジファブリックとして発表しているんですけど、自分の衝動をそのまま歌詞に刻めたということにおいては、この曲に勝るものはないです。僕の人生において、この曲の中に込められたものに勝る想いというのはないですね。


 志村は、高校生の終わり頃の初恋と失恋という〈リアルなもの〉とその娘に対する〈本当の気持ち〉を込めて『茜色の夕日』を作った。

 〈君〉については、〈君が只 横で笑っていたことや/どうしようもない悲しいこと〉〈君のその小さな目から/大粒の涙が溢れてきたんだ〉と歌う。〈君〉が笑っていたこともあるが、どうしようもない悲しいことがやがて大粒の涙につながる。

 〈僕〉は自分自身について、〈君に伝えた情熱は/呆れる程情けないもので/笑うのをこらえているよ/後で少し虚しくなった〉〈僕じゃきっとできないな できないな/本音を言うこともできないな できないな/無責任でいいな ラララ〉と歌う。〈僕〉は自分自身に対して情けなさや虚しさを感じる。本音を言うこともできないことを無責任に思う。そして、〈できないな〉を四回も繰り返している。

 〈僕〉は、〈僕〉自身や〈君〉に向かう眼差しを転換し、〈東京の空の星は/見えないと聞かされていたけど/見えないこともないんだな/そんなことを思っていたんだ〉と歌う。この表現は、〈東京の空の星〉を〈見えるんだな〉ではなく〈見えないこともないんだな〉と語っている。〈ない〉ことも〈ない〉という二重否定による肯定である。

 志村は〈できないな〉を四回も反復し、〈ないこともないんだな〉という言い回しも使った。志村の歌には〈ない〉という声がこだましている。そもそものはじめに〈ない〉があったのではないだろうか。これは端的に言って、彼の喪失の深さを表している。誰かが、時や場そのものが失われていく。志村はおそらく物心がつく頃から、失われていくものに鋭敏だったのではないだろうか。


 『茜色の夕日』がドラマや映画に使われた例を振り返りたい。

 2016年11月15日、NHKBSプレミアムのドラマ『プリンセスメゾン』の第4回「憧れのライフスタイル」で『茜色の夕日』が挿入歌として流れた。「沼越幸」(森川葵)がマンションを購入するために、不動産会社の営業マン「伊達政一」(高橋一生)に出会う。ラスト近く、沼越幸が務めている居酒屋のシーンで『茜色の夕日』が静かに流れ出す。伊達政一が沼越の働く姿を垣間見るとそのまま小路を歩きだす。その瞬間から音量が高くなり、志村正彦の歌う『茜色の夕日』が画面を覆うように聞こえてきた。

 2018年10月公開の映画『ここは退屈迎えに来て』(監督・廣木隆一、原作・山内マリコ)でも『茜色の夕日』が劇中歌となっている。主なキャストは、「私」橋本愛、「あたし」門脇麦、「サツキ」柳ゆり菜、「椎名くん」成田凌、「新保くん」渡辺大知-、「遠藤」亀田侑樹。「あたし」が「遠藤」と一夜を過ごした翌朝、「あたし」は一人でホテルを出て歩き出す。その時に唐突に口ずさむのが『茜色の夕日』だ。BGMとして流れるのではなく「あたし」門脇麦が劇中で歌った。


 TVドラマ『プリンセスメゾン』、映画『ここは退屈迎えに来て』、TVアニメ『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』。三度、虚構の映像作品のなかで『茜色の夕日』が使われたことになる。そのことは嬉しい。

 ただし、志村が〈僕の人生において、この曲の中に込められたものに勝る想いというのはない〉と語っているように、『茜色の夕日』に込められた志村の想い、本当の気持ちはとても深い。志村のリアルなものはドラマ・映画・アニメにも強く作用する。物語の展開を超えてしまうような独自の響きを持っている。今回のアニメを見て、その感を強くした。


2026年6月3日水曜日

吉井和哉と志村正彦「Anthem」[志村正彦LN383]

 2010年7月17日、志村正彦の追悼の意味合いが濃いコンサート『フジフジ富士Q』が富士急ハイランド・コニファーフォレストで開催された。志村と交友があった吉井和哉はフジファブリックの「マリアとアマゾネス」と「Anthem」を歌った。

 筆者はDVDで見ただけだが、吉井は〈志村の代わりにはならないですけど代わりに歌いたいと思います。大好きな曲です〉と語った後に「Anthem」を歌い始めた。イントロの後、吉井は〈三日月〉と叫んだ。歌詞に〈三日月さんが 逆さになってしまった〉とあるからだ。確かに空には三日月が浮かんでいた。


 「Anthem」は、2009年5月20日、フジファブリック4枚目のアルバム『CHRONICLE』に収録され発表された。アンセムは祈りの歌、祝いの歌である。

 フジファブリック Official Channelにある音源と歌詞を引用したい。


  フジファブリック   Anthem 


  Anthem 作詞:志村正彦 作曲:志村正彦

三日月さんが 逆さになってしまった
季節変わって 街の香りが変わった
気もしない ない ない ない ない ない ない ないか
まだ ない ない ない ない ない ない ない ないか

闇の夜は 君を想う
それら ありったけを 描くんだ

鳴り響け 君の街まで
闇を裂く このアンセムが

何年間で遠く離れてしまった
いつでも君は 僕の味方でいたんだ
でも いない いない いない いない
いない いない いない いないや
もう いない いない いない いない
いない いない いない いないや

行かないで もう遅いかい?
鳴り止まぬ何かが 僕を襲う

轟いた 雷の音
気がつけば 僕は一人だ

このメロディーを君に捧ぐ
このメロディーを君に捧ぐ

鳴り響け 君の街まで
闇を裂く このアンセムが

轟いた 雷の音
気がつけば 僕は一人だ


 「Anthem」の歌詞を読むと、〈季節変わって 街の香りが変わった/気もしない ない ない ない ない ない ない ないか/まだ ない ない ない ない ない ない ない ないか〉の〈ない〉のリフレインが、前回取りあげた吉井和哉「Four Seasons」の〈勇気が足りない 力が足りない 時間が足りない/お金が足りない 空気が足りない 命が足りない…全部足りない〉の〈ない〉の繰り返しを想起させる。〈ない〉の反復が痛切に響くところが共通している。

 〈闇の夜〉という深夜に〈僕〉は〈君を想う〉。その想いを託した〈アンセム〉が深夜の〈闇を裂く〉ようにして〈君の街〉まで〈鳴り響け〉と〈僕〉は叫ぶ。

 しかし、〈僕〉は〈でも いない いない いない いない いない いない いない いないや〉〈もう いない いない いない いない いない いない いない いないや〉とあるように、〈君〉を失ってしまったようだ。ここでは〈いない〉が反復されている。

 〈僕〉は〈このメロディーを君に捧ぐ〉ように〈アンセム〉を鳴り響かせて〈君〉の〈街〉へたどりつきたいのだが、雷鳴が轟くと〈僕は一人だ〉と気がつく。


  志村正彦の「Anthem」は、〈ない〉〈いない〉ことのアンセム、〈一人〉でいることのアンセムのように聞こえてくる。彼は自らが抱えた孤独の深さをアンセムにして歌って、誰かに伝えようとしたのかもしれない。


 「Anthem」は2009年1活から2月にかけてストックホルムで録音された。その時のレコーディング風景を織りまぜた「Anthem」のミュージックビデオが『SINGLES 2004-2009 【初回生産限定盤】』の付録ディスクに収められている。YouTubeにあるこの映像を紹介したい。



 志村正彦やフジファブリックのメンバーたちがストックホルム旧市街のガムラスタンやスカンセン野外博物館を歩いている。志村にとってはレコーディングから解放された唯一の休日だったようだ。彼が明るく微笑む姿も映っている。しかし、この年の12月には志村の29歳の生涯が閉じられてしまう。


 志村の死から半年後に、吉井はこの「Anthem」を『フジフジ富士Q』コンサートで歌った。富士山や茜色に彩られた夕景が美しかった。吉井の瞳には涙が浮かんでいるようだった。吉井和哉の志村正彦への純粋な想い、その純粋な音調が僕には強く伝わってきた。このエッセイを書くにあたって映像をあらためて見ているうちに、「Four Seasons」や「みらいのうた」の言葉が「Anthem」の言葉と重なり合ってきた。


 映画『みらいのうた』に感銘を受けて、この映画と吉井和哉「みらいのうた」・ERO「Getting The Fame」の二つの歌そして吉井和哉「Four Seasons」・志村正彦「Anthem」という二つの歌について、五回にわたって連載してきた。


 この連載の最後に、2021年に吉井和哉が「みらいのうた」を歌ったライブ映像を紹介したい。

【LIVE】吉井和哉 - みらいのうた (from SILENT VISION TOUR 2021)



 歌というものは、究極的には、人の生と死を歌うものである。

 そういう想いを強くした。

 だからこそ、人は歌と共に生きていくのだろう。


2026年5月31日日曜日

志村正彦と吉井和哉「Four Seasons」[志村正彦LN382]

 吉井和哉については志村正彦との関係で関心を持ち始めた。


 フジファブリックは2009年12月9日発売のTHE YELLOW MONKEYへのトリビュートアルバム『THIS IS FOR YOU~THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM』で「Four Seasons」をカバーした。同年12月24日に志村正彦の生が閉じられたことから、この音源は志村が生前に録音してリリースした最後のものだとされている。


 THE YELLOW MONKEY「Four Seasons」は、1995年11月1日、アルバム『Four Seasons』の表題曲として発表された。まず、THE YELLOW MONKEYのオリジナル音源(ただしリマスター版)とフジファブリックのカバーを聴いていただきたい。どちらもYouTubeの公式サイトに音源がある。


 THE YELLOW MONKEY Four Seasons (Remastered) 


 フジファブリック Four Seasons (From "This Is For You - The Yellow Monkey Tribute Album")


 吉井の声には色艶と粘り気があることが歌詞をダイレクトに響かせているのに対して、志村の声はやや硬質であり響きを削ぎ落としているように聞こえる。サウンド面では特に間奏部分において、THE YELLOW MONKEYでは菊地英昭のエレクトリックギター、フジファブリックでは金澤ダイスケのキーボードが強調されているところが異なる。ボーカル・ギター・ベース・ドラムの四人編成とそれにキーボードが入る五人編成というバンド編成の違いがある。


 全歌詞を引用したい。


FOUR SEASONS 作詞・作曲:吉井和哉 


まず僕は壊す
退屈な人間はごめんだ
まるで思春期の少年のように
いじる喜び覚えたて 胸が騒ぐのさ
新しい予感 新しい時代......Come on

馬鹿のままでいい 馬鹿のままがいい
よけいなInputいらない ありのままがいい
男らしいとか 女らしいとか
そんな事どうでもいい
人間らしい君と

In changing time'n four seasons I'm crying
美しい希望の季節を
In changing time'n four seasons I'm crying
ねえ探しに行かないか?

まず僕は壊す
退屈な人生さよなら
君に誰よりもやさしい口づけを
アンコールはない 死ねばそれで終わり
ストレートに行こうぜ
回り道は嫌い

人様に迷惑とコーヒーはかけちゃいけない
そんなの自分で決められるさ ただの馬鹿じゃない
これから始まる世界は不安がいっぱい
大人は危険な動物だし 場合によっては人も殺すぜ
ヤケドしそうな熱い僕のコーヒーは
ミルクもシュガーも入れない

In changing four seasons I'm crying
美しい希望の季節が
In changing time'n four seasons I'm crying
すぐそこまで近づいてる
だけど勇気が足りない 力が足りない 時間が足りない
お金が足りない 空気が足りない 命が足りない
だからまず僕は壊す 全部足りないから
まず僕は壊す
全部欲しいから


 吉井は静かに次第に激しく叫んでいく。 〈まず僕は壊す/退屈な人間はごめんだ〉から、〈だからまず僕は壊す 全部足りないから/まず僕は壊す/全部欲しいから〉まで、ロック的なあまりにロック的な宣言のフレーズが続く。〈壊す〉という衝動と〈全部欲しい〉という欲望はロックの中心にあるものだ。

 〈僕〉は〈新しい予感 新しい時代〉に向かって踏み出す。〈まるで思春期の少年のように〉〈よけいなInputいらない ありのままがいい〉〈大人は危険な動物だし〉というフレーズは、吉井が映画『みらいのうた』で述べていた〈本当の夢〉の次の言葉と呼応する。

静岡の少年の時のまま 変わらずに すべてを成し遂げたいなと思っていることが夢かもしれない どれだけ自分の心を汚さずに成功できるかっていうこと 汚れたけどだいぶ 汚れたけどいかにそこを残したまま いろいろ成し遂げたいというのがもしかしたら夢かな

 原点としての少年という時代と「four seasons」「美しい希望の季節」という季節の感覚が、吉井和哉の根底にあるのだろう。静岡という地方で育ったことも関係している。


 なぜ、志村正彦が吉井の数ある歌の中から「Four Seasons」を選んだのか。

 この問いについて考えたのだが、「Four Seasons」の歌詞を読むと、志村が影響を受けたと思われるところを見つけることができる。

 例えば、〈これから始まる世界は不安がいっぱい〉の〈世界〉〈不安〉〈いっぱい〉という言葉の選択。〈勇気が足りない 力が足りない 時間が足りない/お金が足りない 空気が足りない 命が足りない〉という〈ない〉の反復。

 こういう吉井のフレーズや語り口から、志村は影響を受けたのではないだろうか。

 しかし、これは影響というよりも、吉井と志村の感性面での共通性から起因したものだろう。先ほど述べた、吉井の少年時代の視点や四季の季節の感覚は志村と近いものを感じる。静岡で育った少年と山梨で育った少年のあいだにはなんらかの経験の共通項がある。

 ただし、志村には吉井の〈僕は壊す〉という強くて激しい意志よりも繊細で柔らかい意志のあり方がある。感覚的な捉え方になるが、志村の場合、言葉がそのまま外部へと向かっていくのではなく、自らの内部へ向かって遡行して循環しながらやがて浮かび上がってくる。同一の歌詞でも、歌い手の声や身体の差異によって歌は変化する。

 このような背景があり、志村は吉井へのリスペクトを表すためにTHE YELLOW MONKEYのトリビュートアルバムで「Four Seasons」をカバーしたと筆者は考える。


 最後に、2020年2月収録のライブ映像を紹介したい。「みらいのうた」音源リリースの1年前、映画『みらいのうた』撮影開始の2年前の映像である。


【LIVE】Four Seasons -Kyocera Dome Osaka, 2020.2.11-



 この時吉井は54歳、この歌のリリース時は29歳。すでに25年の時が流れている。

 29歳というのは志村が亡くなった齢である。29歳の吉井和哉が作った曲を29歳の志村正彦がカバーしたことに気づいた。

 29歳という年齢は人生の境界にある。そのことを考えているうちに、〈アンコールはない 死ねばそれで終わり/ストレートに行こうぜ/回り道は嫌い〉とシャウトする吉井の声と姿が強く迫ってきた。


2026年5月29日金曜日

〈生きてきた名声〉ERO「Getting The Fame」-映画『みらいのうた』3

 映画『みらいのうた』には二人の主人公がいる。吉井和哉と、彼をロックの世界に導いたのERO(高林英彦、バンドURGHPOLICEのボーカル)の二人である。


 ERO作詞の「Getting The Fame」という歌が、吉井和哉の「みらいのうた」と共に、この映画の中心軸となっている。映像はEROが「Getting The Fame」の2番の歌詞を新しく作っていく姿を追っていく。

 最後の教会でのライブでEROはこの歌を歌う。吉井がベースギターで伴奏する。この歌は英語で歌われている。映画では歌詞の日本語訳が添えられていた。ぜひ映画でそのシーンを見ていただきたい。

 印象深いサビの日本語訳は次の通りである。


 毎日、毎晩、いつでも

 耳をふさぎ、目を閉じて

 生きてきた名声を手に入れるまで


 最後の「Getting The Fame」の「The Fame」が「生きてきた名声」と訳されている。「名声」に「生きてきた」という修飾語があることに感慨を覚えた。

 1985年当時のオリジナルヴァージョンでは、この「名声」は通常の意味、つまり、ロックバンドとしての名声を得ること、音楽シーンで成功すること、を指し示していたのだろう。しかし、40年度の現在、EROは自分の人生を振り返り、「生きてきた」ことそのものによって得られる「名声」というように、この「Getting The Fame」の意味を読み換えたのではないだろうか。さらに、「生きてきた名声を手に入れるまで」とすることによって、EROはまだその過程にいること、そのたびの途中にいることを力強く歌い上げていた。


 なお、7月22日リリースの『映画「みらいのうた」オリジナル・サウンドトラック』では「Getting The Fame」の次の音源が収録される予定だ。

Getting The Fame(Kichijoji Zenshinza Gekijo, 1986.12.21 -Short size)/ URGH POLICE

Getting The Fame(from 映画「みらいのうた」) / ERO / 吉井和哉 / 鶴谷崇

Getting The Fame(Instrumental -Organ Ver.)


 URGH POLICE時代の「Getting The Fame」の音源がYouTubeにある。12分近い大作だ。編成は、Vo,G: 高林 英彦 (ERO)、G: 高林 正則 (MARBOH)、B: 吉井 和哉 (ROBIN)、Ds: 栗田 卓展 (TACKTEN)。なお、URGH POLICEのアルバム『URGH !』はインディーズから1987年にLPレコードとしてリリースされ、1995年12月にCDとして再発売された。全8曲中の最後の曲が「Getting The Fame」である。



  YouTubeには当時のURGH POLICEのライブ映像がある。

  URGH POLICE  I`m Bad Hang Over



 若き日のERO(高林英彦)や吉井和哉が映っている。1980年代の半ばにはビジュアル系のハードロックバンドが流行っていた。メジャーデビューする可能性もあったのだろうが、EROが静岡での恋人との暮らしを大切にするために東京に来ることを拒んだことで実現しなかったようだ。


 最後に、シネマトゥデイのインタビュー「THE YELLOW MONKEY・吉井和哉、喉頭がんからの復活が描かれたドキュメンタリーの制作秘話語る 映画『みらいのうた』 東京国際映画祭」を紹介し、AIでテキスト化したものを重複する言葉などを省略した上で引用したい。


 

 吉井和哉はEROさんを起用した理由をこう語っている。

僕のドキュメンタリーを撮ってもらおうっていう話になった時に、僕のドキュメンタリーって何も面白くないだろうと思って。その数ヶ月前にその病気で倒れた、EROさんをちょっと、まあ、なんか彼に出ていただいて、少し生活の援助とかできたらいいなということで彼を説得して。そうやって回してみて、何に使うかわかんないけど、本当に映画にする予定もなかったので、あの、回してみてもいい?って言ったら「いいよ」ってことで。あの日初めて行った時の映像がまさに初めて行った時でした。

 エリザベス宮地はEROの存在感や魅力についてこう述べている。

はい、魅了されてました。最初からなんか、もちろんかっこいい、見た目のカッコよさっていうか。なんか、なんとなく撮影してると、なんて言うんですか、カメラが喜ぶような感覚があって。なんかすごい華があるなと思って、EROさん。

「お二人の復活ライブまでを撮ろう」っていうのは変わらずだったんですけれども、ただそれを決めた半年後に吉井さんの喉頭がんだったりが見つかってしまって、そこからは正直、先が読めなくなりました。全く、はい。EROさんもあそこまで、最後の教会のシーンまでギターを弾いて歌えるようになるまでが、やっぱり3年間必要だったので。その、結果的に3年間かかりましたけど、どれくらいの期間でどうなるかっていうのは、正直途中から特に分からなくなりました。


 このように、吉井和哉・ERO(高林英彦)二人の復活ライブまでには大変な紆余曲折があったのだが、この映画はその過程を丁寧に追いかけている。

 〈生きてきた名声を手に入れるまで〉歌い続ける姿が、〈人生の7割は予告編で 残りの命 数えた時に本編が始まる〉ことを静かに伝えている。


2026年5月22日金曜日

〈怖くはない〉吉井和哉「みらいのうた」-映画『みらいのうた』2

  映画『みらいのうた』は、吉井和哉とERO(高林英彦)の少年時代から現在へと至る五十年を超える日々の人生と音楽の軌跡を描いている。

 同名の歌「みらいのうた」がある。2021年8月6日、吉井は自ら作った新レーベル〈UTANOVA MUSiC〉からこの歌をデジタルリリースした。映画『みらいのうた』の撮影は 2022年4月に始まったのでその前になる。当初からこの歌が映画の主題歌として想定されていたのではなく、制作の最終段階に決まったそうである。

 この歌を作った時の吉井の年齢は55歳。中年を過ぎてもうすぐ老年が見えてくる年齢だ。そういう年齢が積み上げた経験が〈いつか全てが変わるなら今日もただ耐えよう〉〈いつかここから消えるなら今日もただ歌おう〉という歌詞のリアリティを支えている。やはり、結果としてかもしれないが、この「みらいのうた」という歌が『みらいのうた』という映画を導いたと感じられる。

 この歌は映画の冒頭そしてエンディングでは歌詞も表示されて流れる。ミュージックビデオを紹介し、歌詞をすべて引用したい。


 吉井和哉 - みらいのうた




みらいのうた
作詞・作曲:吉井和哉

何もかも嫌になった こんな時何をしよう
信じてたあの人も しょうもない嘘ついた

小さな部屋の隅でギターを弾きながら
心の形に溜まっていく吸い殻よ

いつか全てが変わるなら今日もただ歌おう
いろいろいろんなこと知ってしまう前に
僕の過去は僕のメロディになるから
怖くはない 未来の歌

行き先が変わる時 訪れる
強い痛み

幼い記憶だから寂しく思うけど
貝殻に耳を当てながら見た海よ

君が笑顔になるのなら今日もただ歌おう
怒りもあるならば素直に出せばいい
この場所のここからたまらなく好きだよ
狭いベッドがステージになる

柔らかい風が頬を撫でる
果てしなく続いてく若草よ

いつか全てが変わるなら今日もただ耐えよう
何度も何度でも立ち上がってみせるよ
いつかここから消えるなら今日もただ歌おう
いろいろいろんなこと知ってしまう後も
君と僕を繋ぐメロディになるなら
怖くはない 未来の歌
いつか叶え
未来の歌


 この歌には、Lyric Videoヴァージョンもある。

 吉井和哉 - みらいのうた (Lyric Video)



 歌詞を追ってみよう。 〈何もかも嫌になった こんな時何をしよう〉という冒頭のフレーズがすっと心に入ってくる。僕も時に感じることがある。日々の実感がある。〈信じてたあの人も しょうもない嘘ついた〉とあるが、信頼していたり仲間だと思っていた人から、嘘をつかれたり思いがけない反応をされたりということもある。日々の嘆きや憂いがある。どの年齢でもこのような実感はあるのだろうが、僕のような年齢の者にとっても身にこたえる。それでも少し時が過ぎれば、そのことをかなり忘れてしまう。忘却能力が高まってくることが年を取る利点だろう。

 さらに、〈心の形に溜まっていく吸い殻〉〈貝殻に耳を当てながら見た海〉〈果てしなく続いてく若草〉という断片的な描写によって、物や風景が心に浮かび上がってくる。〈怒りもあるならば素直に出せばいい〉もその通りだろう。自らの感情に素直になりたい。

 吉井和哉は、自らの心のあり方に忠実に率直な言葉を用いて日常と風景を歌っている。そして、過去から現在そして未来へと向かう自分を歌っている。

 〈いろいろいろんなこと知ってしまう前に〉〈幼い記憶〉というフレーズは、前回引用した映画『みらいのうた』で吉井が話した〈静岡の少年の時のまま 変わらずに すべてを成し遂げたいなと思っていることが夢かもしれない〉に呼応しているだろう。無垢な少年時代には、喜びも楽しさも、痛みも寂しさもある。そのような経験を経て〈僕の過去は僕のメロディになる〉。時は過ぎ去る。〈いろいろいろんなこと知ってしまう後も〉、その経験は〈君と僕を繋ぐメロディになる〉。

 そのようにして生きてくことが、〈僕〉や〈君と僕〉を繋ぐメロディになるのならば、生きていくことは〈怖くはない〉と歌うことができる。そしてそのメロディは〈未来の歌〉となる。


 生きていくことは怖いこととの遭遇の連続でもある。

 大きな怖いこと。小さな怖いこと。子供にとって怖いこと。大人にとって怖いこと。

 恐怖。不安。心配。危惧。

 触れたくないこと。触れられたくないこと。消し去りたいこと。逃げ出したいこと。


 年を重ねても怖いことがなくなるわけではない。むしろある意味では増えてくるといえるかもしれない。それでも年を取ってくると、怖いことのなかにすこし隙間のようなものができてくる。その隙間や空白に身を置くことによって、怖いことから少し離れることができる。自分に対して〈怖くはない〉と囁くこともできる。そして、過ぎ去った自分かつての自分に対しても、〈怖くはない〉と感じるこのあり方を伝えてあげたくなる。


 歌詞や広く詩のなかで〈怖くはない〉という意味の表現に出会うことは少ない。そんなことを考えているうちに、宮澤賢治〔雨ニモマケズ〕の一節が思い起こされた。

 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

 〈コハガラナクテモイヽ〉は、宮澤賢治が「南ニ死ニサウナ人」他者に語りかける言葉である。そして、その言葉は賢治自身にも返ってくる。〈怖くはない〉は、吉井和哉が自分自身に語りかける言葉である。そして、その言葉は他者へと向かっていく。他者から自己へ、自己から他者へ、と言葉の方向性は異なるが、同じように自己も他者もつつんで広がっていく。


 吉井和哉の〈怖くはない〉という言葉はこの時代に最も必要とされる詩句ではないだろうか。


 YouTubeの公式コメントにEnglish versionが掲載されていたので最後に引用したい。〈怖くはない〉は〈It won't frighten me〉と訳されている。この英語版はこの歌の普遍性を表しているだろう。

 

When nothing matters anymore
what can be done at that time?
Another person I trusted
told a pointless lie

While I play my guitar in the corner of a small room
The cigarette ash piles up
in the shape of a heart

Change is on its way but in the meantime 
I'll sing today as I always do
Before I learn the many things I'd avoided

That past of mine
is in this melody of mine
It doesn't frighten me
This is a song for the future

When it's time for your destination to change
It will arrive with fierce pain

Childhood memories come
with a longing
With a seashell pressed to my ear, I saw the ocean

If it brings a smile to your face,
I'll sing today as I always do
If you're angry
there's no need to hide your feelings

I yell from right where I am
I love you more than anything
My small bed becomes my stage

I feel a gentle breeze on my cheek
The meadows of lush green are endless

Change is on its way but in the meantime
I'll endure today as I always do
No matter how many times I fall
I'll show how I rise

If I am to disappear from here one day,
I'll sing today as I always do
After I have learned the many things I avoided
It could be the melody that connects you and I
It won't frighten me
This is a song for the future

An answer to my prayer
This song for the future


 

2026年5月17日日曜日

吉井和哉の〈本当の夢〉-映画『みらいのうた』1

 映画『みらいのうた』を見ることができた。吉井和哉と彼をロックに導いたERO(高林英彦)の生の軌跡を追ったドキュメンタリー映画。監督はエリザベス宮地。2025年制作。


 吉井和哉については志村正彦との関係で関心を持ち始めた。

 志村正彦・フジファブリックは、THE YELLOW MONKEYのトリビュートアルバム『THIS IS FOR YOU~THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM』で「Four Seasons」をカバーした。このアルバムの発売日が2009年12月9日であったことから、志村の声が生前最後に録音されてリリースされた音源だとされている。

 そのような関係があったことから、吉井和哉は、翌年の2010年7月17日に富士急ハイランド・コニファーフォレストで開催された志村正彦の追悼の意味合いが濃いコンサート『フジフジ富士Q』で『マリアとアマゾネス』と『Anthem』を歌った。筆者はこのコンサートを収録したDVDを見ただけだが、特に『Anthem』を歌う吉井の声と瞳、その時間の富士山や茜色に彩られた夕景は、心に深く刻み込まれるものだった。

 この映画に関しては〈人生の7割は予告編で 残りの命 数えた時に本編が始まる〉という紹介文に惹きつけられた。昨年の12月5日公開以降、劇場でなんとか見ようと上映館を探したのだが場所と時間の問題で見ることが叶わなかった。配信されるのを待っていたところ、幸いなことに4月27日からU-NEXTで独占配信が始まった。さっそく先の連休中に視聴したが、心を深く動かされる作品だった。3日間のレンタル期間中、毎日一回、結局三回見ることになった。この配信の本編終了後には14分ほどのU-NEXT限定特典映像 があった。これも興味深いものだった。 


 まずこの映画の予告編を紹介したい。



 予告編にある内容を簡潔にまとめる。吉井がEROとの40年ぶりのセッションを行うために撮影を開始するが、EROは大病を患っていた。吉井の喉頭がんも発覚した。2022年から2025年までの3年間、二人が闘病しながら人生と音楽に向き合っていく姿を記録していく。

 これから見る人のために具体的な内容に触れることは控えるが、一つだけ、本当の夢はどういうものだったか、というインタビュアーの問いに対する吉井和哉の回答を引用したい。


静岡の少年の時のまま
変わらずに
すべてを成し遂げたいなと思っていることが夢かもしれない

どれだけ自分の心を汚さずに成功できるかっていうこと
汚れたけどだいぶ 汚れたけどいかにそこを残したまま
いろいろ成し遂げたいというのがもしかしたら夢かな


 吉井の〈静岡の少年の時のまま 変わらずに すべてを成し遂げたい〉という言葉には、故郷の静岡という場と少年という時代への無垢な思い、そこから発する夢への強い思いがあふれている。

 吉井は1966年東京で生まれたが、五歳の時に不慮の事故で父親を亡くした後、母親の故郷静岡で暮らすことになる。静岡での少年時代と青年時代の始めまでの日々が吉井の人生を決定づけた。ERO(高林英彦)との出会いによってロックの世界に入り、やがて、EROがリーダーでボーカルのバンド「URGH POLICE アーグ・ポリス」に加入しベースを担当する。1988年、THE YELLOW MONKEYを結成し、ボーカル・ギターと作詞・作曲担当。1992年にメジャー・デビュー。その後の活躍は音楽ファンのよく知るところだろう。


 この映画の英語タイトルは『Time Limit』。ストレートな題名だが、人生の終わりが少しずつだが確実に訪れてくる年齢の人間の心に染みこんでくる作品だった。僕はこの映画に深く共感した。〈人生の7割は予告編で 残りの命 数えた時に本編が始まる〉という言葉が迫ってきた。吉井和哉やTHE YELLOW MONKEYのファン、ロック音楽を愛する人だけでなく、自分の人生そのものについて考えたい人にとって必見の映画である。ご覧になることを勧めたい。

    (この項続く)


2026年5月13日水曜日

3・4月のBe館

 3月と4月は、甲府中心街のシアターセントラルBe館で二本の映画を見た。


ペンギン・レッスン



 ピーター・カッタネオ監督。原作のトム・ミッチェル『人生を変えてくれたペンギン 海辺で君を見つけた日』は世界22カ国で刊行されたベストセラー。
 1976年、英国人の英語教師トムは軍事政権下のアルゼンチンの名門寄宿学校に赴任する。トムは旅先で海辺にいた重油まみれの瀕死のペンギンを救って連れて帰ることになる。いろいろな騒動が起こるが、ペンギンそして生徒との日々の出来事を通じて自分の人生を取り戻していく。
 一種のファンタジーのようだが、ノンフィクションの実話に基づいている。70年代後半のアルゼンチンの雰囲気もよく伝わってくる。


木挽町のあだ討ち




 永井紗耶子の小説『木挽町のあだ討ち』を映画化したミステリー風の時代劇。
 江戸時代。雪の降る夜、木挽町の芝居小屋「森田座」の近くで菊之助が父の仇討ちを成し遂げる。一年半後、菊之助の縁者の総一郎が森田座を訪れ、仇討ちの裏に隠された秘密を徐々に浮かび上がらせる。
 役者の柄本佑、渡辺謙、北村一輝、滝藤賢一、高橋和也たちが素晴らしい。びっくりする展開もあるが、上質のエンターテイメント作品となっている。脚本が秀逸である。原作は未読だが脚本との関係を知りたいと思った。
 江戸時代の芝居小屋の様子や芝居の作り方の過程を知ることもできた。甲府の亀屋座のことをあれこれと想像した。


 このところシアターセントラルBe館では月に1、2本のペースになっている。家では配信の作品を何本か見たが、できるだけプロジェクターでスクリーンに投影して映画館の雰囲気に少しでも近づけて鑑賞している。

2026年5月10日日曜日

Peter Gabriel /MonaLisa Twins「Solsbury Hill」[S/R 012]

 三週間ほど前にYouTubeを見ていると、二人の女性がPeter Gabriel(ピーター・ガブリエル)の「Solsbury Hill(ソルスベリー・ヒル)」を歌う映像に出逢った。声の美しい響きに魅了された。MonaLisa Twins(モナリザ・ツインズ)というユニット、モナ・ワグナーとリサ・ワグナーの一卵性双生児がロックの名曲をカバーした動画をYouTubeで発表してきたが、その最新の一曲だった。僕の検索履歴からYouTubeが表示したのだろう。

 今回の「Songs to Remember[S/R]」も前回に引き続きPeter Gabrielの作品を取りあげたい。「Solsbury Hill」は1977年リリースのソロ1stアルバム『Peter Gabriel(ピーター・ガブリエル)』(Peter Gabriel Ⅰ、通称 Car)に収録された。PeterがGenesisを脱退しソロアーティストとして再出発した時の心境を表した歌だとされている。YouTubeからオリジナル映像とライブ映像、MonaLisa Twinsのカバー映像の三つを紹介したい。その前に歌詞を引用する。


Peter Gabriel   Solsbury Hill
songwriting:Peter Gabriel 

Climbing up on Solsbury Hill
I could see the city light
Wind was blowing, time stood still
Eagle flew out of the night

He was something to observe
Came in close, I heard a voice
Standing, stretching every nerve
I had to listen, had no choice

I did not believe the information
Just had to trust imagination
My heart going "Boom-boom-boom"
"Son", he said
"Grab your things, I've come to take you home"


To keep in silence I resigned
My friends would think I was a nut
Turning water into wine
Open doors would soon be shut

So I went from day to day
Though my life was in a rut
'Til I thought of what I'd say
Which connection I should cut

I was feeling part of the scenery
I walked right out of the machinery
My heart going "Boom-boom-boom"
"Hey", he said
"Grab your things, I've come to take you home"
Hey, back home


When illusion spin her net
I'm never where I wanna be
And liberty, she pirouette
When I think that I am free

Watched by empty silhouettes
Who close their eyes but still can see
No one taught them etiquette
I will show another me

Today I don't need a replacement
I'll tell them what the smile on my face meant
My heart going "Boom-boom-boom"
"Hey", I said
"You can keep my things, they've come to take me home"


 まずはじめに、MonaLisa Twinsの「Solsbury Hill」を紹介したい。



 二人の歌声の響きが美しい。特に、二つのフレーズの末尾ごとに次のように韻を踏んでいるところが絶妙だ。

  • 1番:「Hill」「still」、「light」「night」、「observe」「nerve」、「voice」「choice」、「information」「imagination」
  • 2番:「resigned」「wine」、「nut」「shut」、「day」「rut」、「say」「cut」、「scenery」「machinery」
  • 3番:「net」「pirouette」、「be」「free」、「silhouettes」「etiquette」、「see」「me」、「replacement」「meant」

 双子だからこそ音韻が一つに溶け合っている。ロックの歌でこれほど美しい韻の響きを聴いたことはない。 


 次はPeter GabrielのオリジナルMV。



 Peter らしい不可思議なMVだ。終わり近くになった野菜が出てくる場面までは歌詞との対応をたどることもできるが、野菜のベルトコンベヤーと野菜のドレスを着た女性の登場からは奇妙奇天烈すぎるが、ラストの男女の結婚姿は新しい門出の祝福ではあろう。


 最後はソロアルバム第一作の40周年記念のライブ映像。



 彼の長いキャリアの中から、Rockpalast (1978), Live in Athens (1987), Secret World Live (1993), Growing Up Live (2003), New Blood Live (2011) ,Back To Front (2013)の映像を繋ぎ合わせたものである。年齢と共に変化する彼の姿が興味深い。

 筆者は1994年3月、「Secret World Live」ツアーの日本武道館でのライブを見ているので、この時の彼の姿が強く印象に残っている。


 この歌詞の日本語訳を試みてみた。生成AIも利用したが、重要な箇所で解釈が根本的に異なるところがあった。これについては当然だが、自分の解釈を貫いた。あくまでも私訳の試訳として提示したい。


ソールズベリーの丘を登っていく
街の灯りが見えた
風が吹いていた 時は止まっていた
鷲が夜空から飛び立った

彼を注意深く見なければならない
近づいてくるとある声を聞いた
立ち尽くし全身の神経を研ぎ澄ませて
耳を傾けた 他の選択肢はなかった

その情報を信じなかった 
想像力を信じるしかなかった
心臓が「ドキドキドキ」と鳴る 
「息子よ」彼は言った
「君の持ち物を取ってきなさい 私が君を家へ連れて帰る」


沈黙を守ることに決めた
友人たちは「頭がおかしい人」と思うだろう
水をワインに変える
開かれた扉はすぐに閉ざされる 

一日一日をただやり過ごした
惰性で生きているようなものだが
考え続けていた 何を言うべきか
どのつながりを断つべきか

風景の一部のように感じていた
機械の中から歩き出した
心臓が「ドキドキドキ」と鳴る 
「おい」彼は言った
「君の持ち物を取ってきなさい 私が君を家へ連れて帰る」
そう、家へ帰るんだ


幻影が網を広げていくとき
自分が居たい場所には決して居られない
自由がくるりと回って踊るのは
自分が自由だと思ったときだ

虚ろな影絵に見られている
目を閉じていても見ている
誰も礼儀を教えていなかった
僕はもう一人の自分を見せる

今日は僕の代役は要らない
僕の笑顔の意味を教えてやる
心臓が「ドキドキドキ」と鳴る 
「そうだ」僕は言った
「あなたは僕の持ち物を取っておいていいよ それでも僕の持ち物は僕を家へ連れて帰る」


 この曲はPeter GabrielがGenesis(ジェネシス)を脱退した直後の心境と新しい自分の音楽へと歩み始める決意を歌ったものだとされている。歌詞はメタファーが多く、先ほど触れたように韻を踏むことによる語彙の選択もあり、難しい部分が多い。当時のPeter Gabrielの状況が歌詞の背景にあるという仮定によってこの歌詞を考えてみたい。彼はこの曲について、「今持っているものを失う覚悟をして、これから得られるかもしれないものを手に入れることについてです…手放すことについてです」と語っている。 このような背景があるとすると、前回の「Here Comes the Flood(「ヒア・カムズ・ザ・フラッド」)」の「It'll be those who gave their island to survive(それは生きのこるために島のように孤立した自己を放下した者たちだろう)」というフレーズとも関連があるだろう。

 Peter の言う〈今持っているものを失う〉と〈これから得られるかもしれないものを手に入れる〉との対比、これまでのものを手放すこととこれから新たなものを獲得することの関係を念頭に置きたい。彼の歌詞には難解なメタファーがあるが、意味的論理的な関係は比較的明確である。対比的な構造が取られていることが多い。


 この歌詞で注目されるのは、1・2番と3番の最後の部分の対比である。

1・2番
"Hey", he said
"Grab your things, I've come to take you home"

3番
"Hey", I said
"You can keep my things, they've come to take me home"


 1・2番の「彼(he)」は謎の人物である。「I(僕)」は彼を警戒し、彼の言葉を信用しないで沈黙を守っていた。僕は彼に「何を言うべきか」、「どのつながりを断つべきか」を考え続ける。彼はおそらく過去から現在へとやってきた人物である。Peterが在籍していたGenesisというバンドやそのメンバーや関係者、Genesisという遺産の擬人化されものかもしれない。だから抽象的に三人称代名詞「he」として表現された。

 その方向で歌詞の意味を捉えると、「my things(僕の持ち物)」はPeterが作詞作曲したGenesis時代の作品になるだろう。そのような関係を設定すると、彼は僕にその作品を持って「home(家)」つまりかつてのGenesisの活動に戻ってくるように促しているという意味が浮かび上がってくる。

 これに対して、3番の最後では「I(僕)」は「彼(he)」に対して「You(あなた)」を直接呼びかける。「You can keep my things」は、あなたは僕が創造したGenesis時代の作品を持っていてよい。あなたがその権利を所持していてよい、僕はそれらを手放してもよい、という含意がある。続く「they've come to take me home」の「they」が何を指すのかが難しい。

 実は、この「they」の指示対象、このフレーズ全体の意味に関することが、生成AIと対立した点である。生成AIが提示した解釈についてはここでは言及しないが、筆者は「they」がその直前の「my things」を指示していると率直に受けとめた。この場合、あなたが保管してよい「my things」がなぜ僕を家に連れ戻していくのかという論理的な矛盾が起きるかもしれないが、これに対しては次のように考えたい。

 「You can keep my things」というフレーズの中の「my things」はPeterが創り出した「物」としての作品、アルバムなどの具体的な制作物を示すが、「they've come to take me home」の「they=my things」は「物」見える物ではなく、音楽作品を創造する力を象徴するもの、見えないもの不可視の存在を指し示すのではないだろうか。そう考えると、音楽を創造する力という不可視の存在が僕を「家(home)」という音楽を創造する根源的な場所へと連れ戻してくれる、という意味が成立するだろう。

 自分がかつて生み出したものを手放したとしても、それは必ず自分を本来の自分に導くものになる。ここにはそのような反転の構造がある。

 Peter Gabriel自身がPeter Gabrielを音楽の根源的な場、音楽の故郷へと帰還させる。これが歌詞にある「自由」であり、「僕の笑顔の意味」である。僕は「もう一人の自分」「僕の代役」ではなく、本来の自分自身に戻っていく。過去から現在そして未来へと自己を再生していく物語も読み取れる。

 このような本質的な意味の他に、この歌詞には、当時、Peterが妻や子供と過ごす時間を大切にしたという気持ちが強かったことも投影されているだろう。現実としては「home」には文字通りの家、家族という意味も含まれていると考えてよい。詩的表現には具体的なものから抽象的なものまで多様な層の意味が複合されている。


 Peter Gabriel の「Solsbury Hill」は明るい曲調を持っているので人気も高い。自己の故郷へと帰り、自己を再生する物語であることも共感を呼んでいる。カバーされることも多い。MonaLisa Twinsのヴァージョンはその最も新しく素晴らしい成果だろう。


2026年5月8日金曜日

「馬の脚」の多層構造[芥川龍之介の偶景]

 芥川龍之介「馬の脚」は、彼の物語的な特質を持つ小説のほとんどがそうであるように典拠となる物語がある。忍野半三郎が冥界から馬の脚をつけて現世へと帰還するという話は、中国の南北朝時代の怪異や不思議な話を集めた小説集『幽明録』中の「士人甲」に基づいている。「士人甲」は、一度死んだ人間が何らかの理由で息を吹き返し現世に戻ってくるという蘇生譚である。その概要が次の通りである。

  晋の元帝の時代、〈甲〉という人物が突然病死し冥界に行った。しかし、寿命を管理する司命が記録を再調査すると甲の寿命は尽きていないことが判明した。冥吏が甲を人間界に帰らせようとしたが、甲の足はひどく痛み、歩くことができないために、新しく冥界に召した胡人の足を代わりに付けて現世へと帰還させた。

  「馬の脚」と「士人甲」の違いは、取り付ける脚が馬のものか胡人(中国の北や西の辺境に住む異民族)のものかという点である。芥川龍之介は「士人甲」を基にして、馬の脚という奇想天外な要素を加えることでさらに不可思議な要素を強めていった。


 小説の語り方も複雑である。

 話者の〈わたし〉は、小説の世界のすべてのことを知ることできる全知的視点で語っているが、最後の方になると、小説の世界の中に登場して、一人称の限定的視点で語るようになる。しかも、作者芥川龍之介の知人である現実の人間「岡田三郎」が登場し、〈わたし〉に手紙をよこす。話者の視点も転換し、虚構の中に現実が侵入していくると自由自在な語り方である。小説としては破綻しかねないが、この奇妙な構造が奇妙な内容に見合っているとも言える。

 忍野半三郎の失踪の場面を振り返りたい。

 現世へ戻った後、半三郎は馬の脚によって起こる苦労や困難を日記に記す。そうこうしているうちに、失踪の時を迎える。この場面は社宅の使用人に目撃されていた。その箇所を引用する。


――半三郎は何かに追われるように社宅の玄関へ躍り出た。それからほんの一瞬間、玄関の先に佇んでいた。が、身震いを一つすると、ちょうど馬の嘶きに似た、気味の悪い声を残しながら、往来を罩めた黄塵の中へまっしぐらに走って行ってしまった。…


 この〈黄塵〉はモンゴルから運ばれて来る砂埃である。半三郎がその足を付けた馬はモンゴル産だった。だから黄塵の到来によって馬は故郷へ走り出した。〈何かに追われるように〉とあることから、この失踪は半三郎自身の意思ではなく、馬の脚の故郷への帰還の力に引きずられるようにして起こった。彼が馬の嘶きに似た気味の悪い声を発したということは、彼の身体がさらに馬に変化してきたことを示してる。

 また、話者はこの失踪の直前の場面で〈半三郎を家庭へ縛りつけた人間の鎖の断たれる時である〉と語っていることから、話者とその背後にいる作者はこの疾走が半三郎と人間との鎖が断絶する出来事だと捉えていた。

 この失踪ついて、常子、半三郎の同僚、半三郎の死を判定した〈山井博士〉、現地の新聞「順天時報」の主筆〈牟多口氏〉はいずれも半三郎の〈発狂〉のためだと解釈した。牟多口氏は「順天時報」の社説で、山井博士が半三郎の状況を〈多少精神に異常を呈せるもの〉と見ていたこと、半三郎の日記から〈常に奇怪なる恐迫観念を有したる〉と書いた。さらに、国体は家族主義の上に立つという理念からこう主張している。


家族主義の上に立つものとせば、一家の主人たる責任のいかに重大なるかは問うを待たず。この一家の主人にして妄に発狂する権利ありや否や? 吾人はかかる疑問の前に断乎として否と答うるものなり。

語に曰、其罪を悪んで其人を悪まずと。吾人は素より忍野氏に酷ならんとするものにあらざるなり。然れども軽忽に発狂したる罪は鼓を鳴らして責めざるべからず。否、忍野氏の罪のみならんや。発狂禁止令を等閑に附せる歴代政府の失政をも天に替って責めざるべからず。


 つまり、〈牟多口氏〉の主張は、国体の家族主義を崩壊させるので一家の主人には〈発狂する権利〉がなく、政府も〈発狂禁止令〉を出すべきだというものである。この国体保持のための家族主義は、この時代の日本や中国などのアジアの国家の特質であろう。芥川龍之介はそれを批判的に考えたので、牟多口氏にこのような主張をさせたのであろう。牟多口(むだぐち)つまり無駄口という滑稽な名を与えていることでシニカルにユーモラスに表現した。忍野半三郎(おしのはんざぶろう)、常子(つねこ)、山井(やまい)博士という人物名も同様の命名である。


 前回述べた常子と半三郎との短い再会後、常子は夫の馬の脚を信ずるようになったが、他の登場人物は依然としてそのことを信じない。常子が馬の脚を見たことも幻覚だとしている。

 半三郎自身は自らの失踪について何も語っていない。常子は馬の脚を信じることになったので失踪の原因を関連があると思っているだろう。半三郎と常子にとって馬の脚は現実であるが、他の人物は、半三郎の日記に書かれた馬の脚についての記述は精神異常による幻覚であり、その結果の失踪だと考えている。精神医学的な言説や国家主義的な言説がその背景にある。


 芥川の「馬の脚」は、『幽明録』の「士人甲」の蘇生譚に基づいて、胡人の脚ではなくの馬の脚を取り付けるという奇想天外なモチーフを付加さて、主人公の失踪の原因について精神医学的な言説や国家主義的な言説を織り交ぜて、芥川の言う「大人に読ませるお伽噺」を構築していった。その展開の中で注目されるのは、前回述べた半三郎と常子の再会の場面である。

 月光の薄明りのもとで半三郎と常子は再会して、二人の眼差しが交錯する。薄明りによって半三郎の〈馬の脚〉が露になる。一瞬の偶景である。半三郎は「常子、……」と呼びかけ、常子は「あなた!」と三度呼びかける。常子の半三郎への愛おしさと〈馬の脚〉に対する嫌悪が交錯する。結局、半三郎は再び姿を消す。このごく短い間の光景、声の交換、心情の揺らめきがこの小説の中心にある。

 芥川の場合、物語は外部からやってくる。彼はそれを内部で受けとめ、自分自身のモチーフによって構築し直す。原型となる物語の枠組みに、偶景・声・心情という要素を複合させて多層的な構造を作る。これが芥川龍之介の小説の特徴であり魅力である。


2026年5月6日水曜日

「馬の脚」の中心場面[芥川龍之介の偶景]

   芥川龍之介「馬の脚」は1925年(大正14年)1月・2月の「新潮」に掲載された。中国の北京を舞台とする奇妙で幻想的な小説である。芥川が1921年に大阪毎日新聞の特派員として中国へ旅行した経験をもとに執筆された「中国物」の一つだが、読まれることが少なく、あまり批評や研究の対象にもならない。しかし、晩年の芥川の心象を浮かび上がらせる点において重要な作品だと思われる。


 物語の概要を示そう。

 北京に駐在する商社員の忍野半三郎(おしの はんざぶろう)は、ある日突然、脳溢血で死んでしまう。しかし、これは天界の役人が同姓同名の別人と取り違えたものだった。役人は慌てて彼を現世に戻そうとするが、すでに彼の脚は腐り始めていた。そこで、今しがた死んだ馬の脚を代わりにくっつけて、彼を生き返らせた。

 半三郎はえたいの知れない幻の中を彷徨した後やっと正気を取り戻して現世へ帰還した。半三郎は異形の脚を隠そうと苦心するが、次第に脚が勝手に暴れ出したり、嘶きたくなる衝動に駆られたりして、制御不能になっていく。

 半三郎は妻の常子に事実を告白するが、信じてもらえない。しかし、ついに彼の身体は馬としての性質に飲み込まれ、最後は妻の呼びかけも届かぬまま、馬の嘶きに似た気味の悪い声を残しなが砂塵の中に消えていってしまう。

 この半三郎の失踪は新聞の記事となり、その理由が詮索された。半年後、ある出来事が起きた。半三郎が常子のもとに帰ってきたのである。

 少し長くなるがその箇所を引用したい。小説の中の偶景と捉えられる場面である。


 落ち葉の散らばった玄関には帽子をかぶらぬ男が一人、薄明りの中に佇んでいる。帽子を、――いや、帽子をかぶらぬばかりではない。男は確かに砂埃りにまみれたぼろぼろの上衣を着用している。常子はこの男の姿にほとんど恐怖に近いものを感じた。
「何か御用でございますか?」
 男は何とも返事をせずに髪の長い頭を垂れている。常子はその姿を透かして見ながら、もう一度恐る恐る繰り返した。
「何か、……何か御用でございますか?」
 男はやっと頭を擡げた。
「常子、……」
 それはたった一ことだった。しかしちょうど月光のようにこの男を、――この男の正体を見る見る明らかにする一ことだった。常子は息を呑んだまま、しばらくは声を失ったように男の顔を見つめつづけた。男は髭を伸ばした上、別人のように窶れている。が、彼女を見ている瞳は確かに待ちに待った瞳だった。
「あなた!」
 常子はこう叫びながら、夫の胸へ縋ろうとした。けれども一足出すが早いか、熱鉄か何かを踏んだようにたちまちまた後ろへ飛びすさった。夫は破れたズボンの下に毛だらけの馬の脚を露している。薄明りの中にも毛色の見える栗毛の馬の脚を露している。
「あなた!」
 常子はこの馬の脚に名状の出来ぬ嫌悪を感じた。しかし今を逸したが最後、二度と夫に会われぬことを感じた。夫はやはり悲しそうに彼女の顔を眺めている。常子はもう一度夫の胸へ彼女の体を投げかけようとした。が、嫌悪はもう一度彼女の勇気を圧倒した。
「あなた!」
 彼女が三度目にこう言った時、夫はくるりと背を向けたと思うと、静かに玄関をおりて行った。常子は最後の勇気を振い、必死に夫へ追い縋ろうとした。が、まだ一足も出さぬうちに彼女の耳にはいったのは戞々と蹄の鳴る音である。常子は青い顔をしたまま、呼びとめる勇気も失ったようにじっと夫の後ろ姿を見つめた。それから、――玄関の落ち葉の中に昏々と正気を失ってしまった。……


 〈月光〉の〈薄明り〉の中で半三郎と常子は再会する。

 二人の眼差しが交錯する。常子の眼差しを追ってみよう。常子はまず〈薄明り〉の中に佇む男を見る。〈月光〉がこの男の正体を明らかにする。常子は声を失ったように男の顔を見つめ続ける。男が常子を見ている〈瞳〉は待ちに待ったものだった。男は夫であり、〈薄明り〉の中に栗毛の〈馬の脚〉を露している。ここで夫の眼差しに転換される。夫は悲しそうに常子の顔を眺めている。常子はもう一度夫の胸へ体を投げかけようとしたが、〈嫌悪〉に圧倒される。夫は去って行く。常子はじっと夫の後ろ姿を見つめ、正気を失ってしまう。

 さらに、この場面では〈半三郎〉は「常子、……」と呼びかけ、〈常子〉は「あなた!」と三度呼びかける。この三度の「あなた!」には、〈半三郎〉自身への愛おしさとそれに相反する〈馬の脚〉に対する驚きや嫌悪が交錯する。

 最後に常子が半三郎の後ろ姿を見つめた後、二人が再び会うことはなかった。これが最後の機会だった。しかし、この再会後に常子は夫の馬の脚を信ずるようになったが、他の登場人物は依然としてそのことを信じない。そして物語は、本来死ぬはずだったヘンリイ・バレット氏の頓死を伝えて幕を閉じる。


 この作品の題名「馬の脚」と物語の骨子は、「馬脚を現す」、つまり、隠していた本性や本当の姿があらわになること、という表現から構想されたことは間違いない。もともとこの表現は、中国の古典演劇で馬を演じる際に中に入っている役者がうっかり人間の脚を見せてしまったという失敗談に由来するようだ。

 芥川龍之介は「馬脚を現す」過程を物語化して、この半三郎と常子の再会の場面において〈夫は破れたズボンの下に毛だらけの馬の脚を露している〉という一節に集約化した。視覚的、聴覚的な描写を複合させてこの光景、馬の脚が露わになる偶景を見事に表現している。


 芥川は1921(大正10)年3月下旬から約4ヶ月の間、大阪毎日新聞の海外視察員として中国の上海、南京、北京などを旅行した。このときの見聞が「馬の脚」に反映されているだろう。

 また、芥川は「馬の脚」発表と同年の1925年(大正14年)9月、「死後」という3000字ほどの短い小説を発表している。「死後」は、話者兼作中人物の〈僕〉が自分が死んでしまっている夢を見るという設定である。〈僕〉はその夢の世界での出来事を語った後で夢から現実へと目覚めるが再び眠りに落ちていく。

 「馬の脚」の半三郎もいったん死んでしまった後で生の世界へ蘇る。半三郎はえたいの知れない幻の中を彷徨したが、この点については半三郎は仮死状態で死んでしまった夢を見ていたという現実的な解釈も可能であろう。

 この時期の芥川龍之介は現実世界を死あるいは夢における死という観点から探究していった。もっとも、芥川は雑誌初出本文の冒頭では〈「馬の脚」は小説ではない。「大人に読ませるお伽噺」である〉と断っている。「大人に読ませるお伽噺」、夢のような話というスタイルで生と死の世界を表現したとも言えるだろう。