2026年9月13日日曜日

8月の演劇、8月の追憶。

 9月に入り、長雨というか大雨が続く。被害も甚大だ。これから天候がどうなっていくのか。そんな不安が日常のものとなる。

 8月はもう去ってしまったが、演劇や合唱の公演を四つ見ることができた。今日はそのことを振り返りたい。


 8月8日、甲府の朝日町ベース。劇団ナマクラの第2回公演『パーマメント』。

 主宰者の仙河典(せんがつかさ)さんは山梨英和大学の私のゼミ生。演劇の脚本を卒業制作にする予定だ。今回の脚本についても事前に助言を求められたので、テーマやモチーフの展開や統一性についていくつかアドバイスをした。

 『パーマメント』には悩める女性「ハジメ」、契約社員の天使「モモセ」、二人が住むアパートの大家、アラフォー世代の「レイ」の3人の女性が登場する。「愛」をめぐるテーマに真っ向から向き合った劇である。

 当日は二回公演。あいにく雨模様だったが、会場のある朝日町通りを歩いて夕方の部に行った。この通りは甲府の中心街から少し離れたところにあり、周囲にも路地裏の感じがある。THE BOOMの「星のラブレター」で「朝日通りは夕飯時」と歌われた場所でもある。僕は小学生の頃までこの近くで暮らしていたので思い出がたくさんある通りだ。

 会場はコンパクトなレンタルスペース。二十数人いた観客と役者との距離が近い。脚本完成から公演までの時間が短くて準備が大変だったようだが、その割には仙河さんの脚本を三人の役者が的確に演じていた。観客も次第に劇の世界に引き込まれていった。演技の動きや身体の振りをもっと工夫し、脚本の完成度をさらに高めれば、今日の愛についての深い問いを投げかける作品になるだろう。


 8月20日、新宿の紀伊國屋ホール。第三舞台2026の『パレイドリア』。

 鴻上尚史の主宰する第三舞台が2012年の解散から15年を経て、2026年に再集結したメンバーによるユニット公演。僕は解散公演の『深呼吸する惑星』を見ていたのでそれ以来の第三舞台だった。

 鴻上が早稲田の学生の時、第三舞台を結成したのは有名な話だ。その当時僕も早稲田に通っていた。いくつも劇団があり、文学部のスロープに立て看板がいつも並んでいた。大隈講堂の裏のテントで芝居を見たこともある。暗いテントの中で役者が全速で走り回っていた記憶だけがある(第三舞台でなかったことだけは確かだが)。

 『パレイドリア』は、大学の児童ボランティアサークルで子ども向けの芝居を準備していたが、ある出来事が起こり、公演が中止となった。それから42年後。認知症になった「乾(大高洋夫)」が再結集を呼びかけ、かつての仲間たち(小須田康人、長野里美、山下裕子、筒井真理子[映像])が再び集まる。皆、六十代だ。観客も同世代か少し下の世代が多かったが、若者もけっこういた。

 学生時代から現在までの四十数年の時間。現実の第三舞台と虚構の児童ボランティアサークルというメタ的な構造。このような時間と構造を通して、学生時代の出来事に焦点が当てられ、劇の主題が明らかにされてゆく。ラストシーンが秀逸だった。思わず落涙。これまで見た演劇の中で最も感動した場面だと言える。時間、構造、主題が絡み合って、僕自身の学生時代から今日までの軌跡をいろいろと想い出していた。鴻上尚史という同世代の優れた表現者がいることは心強い。


 8月22日、甲府のYCC県民文化ホール小ホール。第64回早稲田大学合唱団サマーコンサートin甲府。

 早稲田の合唱団は最初に校歌を歌った。「都の西北 早稲田の森に 聳ゆる甍は われらが母校」。一番は斉唱風に二番は合唱風にとアレンジが工夫され、学生たちの声が会場に美しく広がっていった。この校歌を聴くと学生の頃にタイムスリップする。日本文学専攻の宴会の最後では必ず、学生と教授が肩を組んで歌った。

 近現代詩をモチーフにした合唱曲、「愛は勝つ」などのJポップの名曲が歌われた後、山梨とのコラボステージ「よっちゃばれ!みんなで彩るハーモニー」で、地元のシャンソン歌手小倉浩二氏、山梨の和太鼓団体、山梨英和大学演劇部の寸劇が行われた。僕のゼミ学生がこの寸劇の脚本・演出を手がけ、自ら出演もした。武田信玄の合戦をめぐって平和を考えるというモチーフだった。

 この後、早稲田大学合唱団とコラボステージの出演者が舞台に上がって歌い始めた。志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」だった。百人近い人々が声を合わせて「真夏のピークが去った」と歌っていく。季節感がぴったりだった。早稲田の合唱団は直前合宿でしっかりと練習してきたようでハーモニーがとても綺麗だった。「ないかな ないよな きっとね いないよな 会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」のところで僕の胸はいっぱいになった。まぶたを閉じることで浮かんでくるものがある。

 公演終了後、学生に「若者のすべて」を選んだ理由を尋ねると山梨出身のフジファブリックの歌だったからと答えてくれた。それでも、THE BOOMもレミオロメンもマカロニえんぴつもいるなかでなぜこの歌だったのかとも思ったのだが、数日後その答えが分かった。寸劇を担当したゼミ学生にこの話題を向けたところ、三ヶ月ほど前の打ち合わせの際に早稲田の学生からコラボステージで山梨ゆかりの曲のどれがおすすめかと聞かれたときに、彼が「若者のすべて」を推薦したそうである。このゼミ生に感謝した(なんと先生思いの学生だろう!)。


 8月23日、甲州市の市民文化会館。劇作家の水木亮さんが脚本と演出を手がけた演劇「別れの日」。80代、90代を含む17人のアマチュアからなるユニットだった。

 物語は、東京大空襲で家族を失い、甲府の親類に引き取られた主人公テルが遊郭で身を売りながらシベリアに抑留された兄の帰りを待つ姿を中心に、戦後復興期の山梨の女性たちを描いていた。戦後、水木さん自身が朝鮮半島から引き上げて日本に帰国した。その際に弟を亡くしている。この過酷な経験が創作の原点となっている。水木さんは、現在の政治が戦前に戻りつつあり、ささやかではあるがあらがいたいと考えたそうである。

 会場には260人ほどが集まり、1時間20分ほどの劇を熱心に見ていた。高齢者が多かったが、家族連れもいた。子どもたちには難しかったかもしれないが、何かは伝わったことだろう。

 水木さんは早稲田の文学部で日本文学、大学院で演劇を専攻し、民俗芸能を研究していた。山梨の高校教師となり、長い間、高校演劇の指導に携わった。自ら劇団も作り、脚本や小説も執筆し、著書も多い。作品は織田作之助賞、農民文学賞、労働者文学賞などを受賞している。八十歳を超えた現在でも山梨の演劇の中心人物として活躍している。


 八月はたまたま、鴻上尚史の第三舞台2026、早稲田大学合唱団、水木亮のユニットと、早稲田大学の卒業生や在学生の演劇や合唱を鑑賞することができた。山梨英和大学の僕のゼミ生の演劇も見ることができた。

 四十数年前、追憶の中の学生たち。今、教員として接する学生たち。

 時代は変わるが、学生の本質は変わらない。

 表現の衝動。創作の熱意。孤独と連帯。若者のすべてがそこにある。


2026年9月7日月曜日

レアの夢・二つの世界・〈現実的なもの〉-五十嵐哲也『環の国にて』2

 今回は、黒板当番・五十嵐哲也氏の『環の国にて』第二部トコロボの重要なシーンに焦点を当てたい。四回ほど続いた五十嵐氏の作品についての批評的エッセイのフィナーレとなる。(できるだけ「ネタバレ」を避けたいですが、論の展開上、重要な箇所に言及することをあらかじめご了承ください)


 『環の国にて』の主人公、若い女性のレアは土星の衛星の氷の中にある〈宝物〉を探すための調査に出かける。

 あるとき、土星の惑星エンケドラスの内部海の大きな氷塊の割れ目から、手の平くらいの大きさのU字型の物体を見つける。おもちゃのロボットのようなものだった。

 レアはその物体を〈トコロボ〉と名づけ、手話による対話を始める。


レアとトコロボ


 ある日レアは夢を見る。第二部SCENE 30「夢の中で」の該当箇所を引用する。

 夢のなかで、自分はレアではなく、暗い海のなかでさまよういきものになっている。人の形はしているけれど、人間ではないなにか。冷たい水の底でひとりぼっちでいると、いつも自分を見つけてくれる小さな〈ともだち〉がいた。


 その〈ともだち〉はレアを〈目的地〉に連れて行こうとする。けれども、その目的地にはたどりつけない。夢はいつもその手前で終わってしまうからだ。これは我々の見る夢の特質である。しかし、この日だけは特別だった。レアは目的地の〈海の底の平原〉に行くことができたのだ。

 レアが上を見上げると、明るい光を投げかける生き物たちがたくさん浮かんで、あたりを照らしていた。自分たちの光を浴びて、彼らの姿は、まるで小さな白い花が空にたくさん散らばっているみたいだった。夜空の星のような、舞い散る雪のような、たくさんの花。


 海の底ではたくさんの生き物が明るい光を浴びて、小さな白い花のように光っている。レアはその美しい光景を見てある洞察に至る。

 レアは気付いた。そうだ、ここはトコロボの故郷なんだ。私はいま、トコロボの住む性界にいて、このともだちは、トコロボの本当の姿なんだ。私はいつも夢のなかで、この海のなかでもトコロボに会っていた。そしていつもトコロボに助けてもらつていたんだ。


 レアが夢の中でたどりつこうとした目的地はトコロボの故郷だった。そして、その世界で暮らす小さな生き物がトコロボの本当の姿であった。レアはすでにある予感を持っていた。第1部SCENE 2「千億の宝石の河」の場面で、レアがふと何かを感じて、〈誰かが、この環のどこかにいるような気がした〉とあったが、この〈誰か〉とはトコロボのことだった。レアは夢から覚めた後でも夢で見たことをはっきりと覚えていて、〈この夢は、ただの夢。それとも、自分が見たのは、どこかにある現実の場所なのだろうか?〉と考える。


 第二部SCENE 31「二つの世界」では、レアの世界とトコロボの世界という二つの世界の関係についてある重要なことが示される。


 レアは海の底で別の生き物になる。ヒトの目では決して見えない暗い海底の光や色彩を見ること、ヒトの可聴域をはるかに超えて響く音や声を聞くことができた。自分とはまったく違った身体になり、トコロボの本当の姿である生き物に遭遇する。

 レアが自分の見た夢を語り終え、デルス先生たちのミーティングに参加すると、次の仮説が生まれる。

 それは、トコロボはロボットではなく、どこか別の世界に棲む生物がリモートで動かしている仮の身体なのだ。そしてレアも同じように、夢の中でその海底にある別の肉体にアクセスし、お互いが別の身体で相手の世界を訪れているのではないか。


 つまり、仮の身体のトコロボと別の肉体のレアが互いに夢の中で相手の本体と交流している。レアはこの海が衛星エンケラドスの内部海だと推測する。レアが描いた夢の中の海底の風景はエンケラドス生命圏の想像図だった。

 さらに、異星人〈氷売り〉が九万四千年前にここを訪れ、互いが別の身体で相手の世界を訪れる技術を残したいう仮説も生まれる。〈氷売り〉は、地球の生命とエンケラドスの生命が互いの生態系を脅かさずに相互交流できる方法として、トコロボを残していった。 レアは最終的にある結論に至る。

 トコロボは〈氷売り)が作った一種の受信機のようなもので、トコロボの本当の姿は、環の国のすぐ近くをめぐる衛星エンケラドスの海の中で、仲間たちと一緒に暮らす〈トコトコ族)のひとりなのかもしれない。


 衛星エンケラドスの海の中の生物〈トコトコ族〉がトコロボの本当の姿だった。


 この〈トコトコ族〉は前作『トコトコとスペースシャットルの宇宙のハタオリトラベル』に登場している。この作品では、トコトコはその名のとおリトコトコと歩き回る生き物で、珍しいものを探して旅をするのが大好きだった。『環の国にて』では、本体の生き物〈トコトコ〉とリモートで動かされる仮の身体〈トコロボ〉の二つに分化しているのだろう。レアは〈トコトコのひとりがレアの世界ではトコロボだった。レアは環の国とエンケドラスの海の底という二つの世界のあいだでトコロボと対話しているのだった〉と考えた。


 五十嵐哲也『環の国にて』はレアの見る夢が鍵となる作品である。

 筆者は芥川龍之介や志賀直哉の夢をモチーフとする作品を精神分析家ジャック・ラカンの理論に依拠して分析した論文を書いてきたが、この作品についても同様の試みをしたい。


 ラカンはセミネール第11巻『精神分析の四基本概念』(Les quatre concepts fondamentaux de la psychanalyse 1963-1964、『 精神分析の四基本概念(上)  小出 浩之・新宮 一成・鈴木 國文・小川 豊昭 訳  岩波文庫 2020)の「無意識と反復」で、フロイトを参照して、人間という主体と夢との関係について次のように述べている。


 フロイトは主体に次のことを言うために主体に語りかけた、と言いたいのです。つまり、「この夢という領野、そこでこそあなたは我が家に居るのです。Wo es war, soll Ich werden.(それがあったところに、私はあらねばならない)」、と。


 さらに、ラカン理論の核となる〈現実的なもの〉を導入して次のように説いている。


 主体自身はそこに、つまり「それがあったところ」に――先取りして言うと、現実的なものに――自身を再び見出すために、そこに居るのです。〔……〕そしてそこに居ることを知るには、たった一つしか方法はありません。それは網目に目印をつけることです。では、網目はどうやって目印をつけられるのでしょう。それは、戻ることによって、帰ることによって、道を横切ることによってです。つまり何かがつねに同じ仕方で重なることによってです。


 人間主体にとって夢は〈我が家〉である。夢は、〈現実的なもの〉とラカンによって名づけられたもの、〈それがあったところ〉である。人間主体は〈現実的なもの〉に自身を再び見出そうとする。「再び」とされるのは、主体はかつてその〈現実的なもの〉の場に居たことを暗に示している。

  〈現実的なもの〉はフランス語の〈Le Réel〉の訳語だが、この語は〈現実界〉とも訳されている。ラカンの唱える〈現実的なもの〉は、私たちが生きている通常の〈現実〉とは異なる。〈現実的なもの〉は、本質的に、言語によって語ることもイメージによって描くこともできない。表象することが不可能なものである。その不可能なものを説明することは難しいのだが、引用したラカンの文脈では、〈現実的なもの〉は、人間が元々あったところ、人間が本来あるべきところ、人間が最終的に帰還すべき場所だとひとまず考えることができる。その帰還は夢の中で可能となることがある。夢の中で人間の無意識が開かれると、一瞬の幻のように〈現実的なもの〉が現れることがある。しかし、あくまでも夢の中での出来事であり、現実の中では不可能である。言語やイメージなどの意識的行為によって〈現実的なもの〉を示すことは不可能だが、無意識の活動によって〈現実的なもの〉が浮かび上がることはありえる。〈現実的なもの〉は意識によって閉じられるが、無意識によって開かれるとも言えるだろう。

 主体が夢の中で〈現実的なもの〉を見出すための方法として、夢の中の〈網目〉に目印をつけることが挙げられる。ここで織物の編目という比喩が使われていることに注目したい。ラカンは夢を構成する一つ一つの要素をシニフィアンと名付けている。私たちの喜怒哀楽の経験はシニフィアンとして無意識の中に記憶され、やがて、その記憶と何らかの関係を持つような出来事との遭遇によって、シニフィアンが多様に連鎖し、イメージを形成し、夢を構築していく。


 人間主体は夢を見る。そしてその夢の中で、シニフィアンの網目に目印をつけようとする。網目に目印をつけることは自らの記憶やそれに関わる出来事を想起することでもある。夢の網目の中で、進む、戻る、帰る、横切るなどの反復行為によって、〈現実的なもの〉を見出そうとする。人間が本来あるべきところに帰還しようとする。

 「環の国にて」という作品の場合、レアは〈スライディング〉の技術を使って、土星の環の空間を自在に飛び回る。レアは土星の惑星の編み目をたどるようにして、上昇したり下降したり、横切ったり時に戻ったりして、空間を移動していく。夢の中では、海の底に入り、風景を眺め、生物と遭遇する。その行路は、ラカンの言う〈現実的なもの〉を見出すための軌跡に類似している。

 レアは夢の中で〈目的地〉を目指して進んでいく。レアの夢の中の〈目的地〉、気配として感じた〈誰か〉がいる場所は、レアにとっての〈現実的なもの〉の場だと捉えられる。レアは本来あるべき場、自らが帰るべき場所を意識的無意識的に目的地にして、探索の旅を続けたのではないだろうか。『環の国にて』の物語の枠組はSF小説のものだが、レアの物語は内面の旅、無意識の次元の旅でもあるだろう。


 レアの夢のシーン、二つの世界という仮説提示の後も、物語は進んでいく。地球、富士山、故郷、スペースシャットル、手紙という重要なモチーフが展開していく。ぜひこの作品を読んでいただきたい。


 最後に五十嵐氏の作品の全体を振り返りたい。




 2018年の『トコトコとスペースシャットルの宇宙のハタオリトラベル』で、山梨の織物工場で使われていた〈シャットル〉が宇宙を旅する〈スペースシャットル〉となり、土星の衛星エンケラドスの氷の下の海に住む小さな生き物たち〈トコトコ〉に出会う物語を作り、2025年の『環の国にて』では、〈レア〉という女性が〈トコロボ〉という小型ロボットを発見し、夢の中でエンケラドスの〈トコトコ〉と遭遇する物語に発展させていった。

 ハタオリとシャットル=スペースシャットルを基軸にして、地球・山梨・富士北麓と土星・環の国・エンケドラスという宇宙の空間、人間レアと未知の存在トコロボ=トコトコの遭遇と交流という要素を織り込んで、宇宙空間を舞台とするSF小説として『環の国にて』を編み出すことに五十嵐氏のモチーフがあったと言えるだろうが、筆者はレアの夢の中の出来事を語ることも重要なモチーフであったと考えている。レアの夢のシーンは非常に魅力的だ。


 リモートで動かされる仮の身体のトコロボと別の肉体にアクセスしたレアが、夢の中で互いに相手の本体と交流する。夢もまた人間主体が見る仮想の世界である。夢という仮想の世界で二つの仮想の存在が遭遇するというアイディアが秀逸である。

 さらに踏み込んで言うと、五十嵐氏はレアの夢を通じて、レアにとっての〈現実的なもの〉、レアが本来あるべきところ、レアが最終的に帰還するところを黒板画のイメージとして描き、物語のテクストとして語ろうとしたのではないだろうか。これは五十嵐氏の無意識な次元での創造であるかもしれないが。筆者はそのような想いにとらわれた。

 黒板画というイメージ、SFのストーリーというテクストを編物・ファブリックのように織り込んで、地球・富士北麓と土星の環の国・エンケラドス、〈レア〉と〈トコロボ=トコトコ〉という二つの空間と存在を描き、語った。ラカンの理論に依拠した筆者の観点からすると、〈現実〉と〈現実的なもの〉という二つの世界を構築していった。


 五十嵐哲也『環の国にて』(Life in the Rings of Saturn)は、秀麗なイメージと秀逸なテクストを融合させた真に独創的な作品である。


2026年8月29日土曜日

レアの感覚と想起-五十嵐哲也『環の国にて』1

  黒板当番・五十嵐哲也氏の『環の国にて』(Life in the Rings of Saturn)は、2025年10月18日、ハタオリマチフェスティバルの初日に刊行された。

 僕もこの日に「黒板当番」ブースで五十嵐氏から直接購入した。黒を基本とした色調とマットな手触りの紙質が洒落ていた。A5判のコンパクトな判型の全96頁に、見開きの右側の半分ほどに落ち着いた色調の黒板画の画像、左側に細やかなフォントで濃密な文章が配置されている。この書物自体が「作品」としての質感を有していた。

 発行所はMOKUHON PRESS。山梨県韮崎市の本屋YOMUの出版レーベルで、BEEK DESIGNの土屋誠氏が主宰している。印刷所は個性的な本作りで知られる長野県松本市の藤原印刷。MOKUHON PRESSのサイトなどから購入できる。おそらく今年のハタフェスでも販売されることだろう。



 『環の国にて』は、第1部「レア」20章、第2部「トコロボ」25章の全45章のストーリーから構成されている。それぞれのシーンが、五十嵐氏が描いて富士山駅のヤマナシハタオリトラベル mill shop で展示した黒板画に基づいている。どのようにしてこの作品を創造していったのか。彼自身による説明をここで紹介したい。


ひとつのSCENEの中では、まず黒板画を描き、完成させ、保存用に一眼レフで撮影し、照明の影響などによる明るさのムラを Photoshopでなくす画像修正作業を行います。それが完成するまでは、一文字も書くことはありません。画像の一連の作業が終わってから、はじめて文章を一気呵成に書き上げます。黒板画を描き、画像処理まで終わらせるあいだに書くべき言葉が頭の中で熟成されるのか、言葉を紡ぐ作業にそれほど多くの時間はかかりませんでした。絵を描くことに没頭することで脳のモードが変わるような感覚もあり、絵が完成してからでなければこれは書けなかっただろう、と何度も思った記憶があります。


 〈絵を描くことに没頭することで脳のモードが変わる〉〈絵が完成してからでなければこれは書けなかった〉という文言が興味深い。これが創作の秘訣なのだろう。黒板画のイメージが物語のテクストを生み出していく。このプロセスによって、五十嵐氏は黒板画と文章、イメージとテクストを複合して相互に関係づける独創的なスタイルを編み出した。


 2018年の『トコトコとスペースシャットルの宇宙のハタオリトラベル』は、山梨の織物工場で使われていた〈シャットル〉が、宇宙を旅する〈スペースシャットル〉となり、土星の衛星エンケラドスの氷の下の海に住む小さな生き物たち〈トコトコ〉に出会う物語だった。この物語には人は存在しなかった。2025年の『環の国にて』は、〈レア〉という若い女性を登場させ、〈トコロボ〉という不思議なロボットを発見することによって、エンケラドスの〈トコトコ〉と遭遇させる物語である。

 地球・山梨と土星・エンケドラスという空間、ハタオリの技術という現実の要素。スペースシャットルの旅とトコトコとの遭遇、人間のレアとロボットのトコロボの交流という空想の要素。現実と空想の二つの要素を織り込んで創られたのが、五十嵐氏のこの二つの物語、「シャットル・サーガ」とでも呼べるシリーズ物語である。


 『環の国にて』は、『トコトコとスペースシャットルの宇宙のハタオリトラベル』にレアとトコロボという魅力的な人物・キャラクターを加えることによって、SF的な小説へと発展させていった。ストーリー自体はシンプルなのだが、ところどころに多様なモチーフを包み込むことによって、彩りのある豊かな作品になっている。詳細を語ることはネタバレになってしまうので、このブログでは印象深い二つのシーンに限定して二回に分けて述べてみたい。


 今回は第1部レアのSCENE 2「千億の宝石の河」の場面である。

 主人公のレアは若い女性。地球から遠く離れた土星の環の氷で作られた小さな街の世界〈環の国〉で生まれ育った。学校卒業後は環のフィールド調査チームに参加する予定だが、その前に氷塊を乗りこなす〈スライディング〉の技を使って旅に出る。レアは土星の輪をいろいろな角度から眺めているときに、ある不思議な感覚にとらわれる。この箇所の本文を引用したい。


 そこでレアはふと、何かを感じて顔を上げた。誰かが、この環のどこかにいるような気がした。ほんの一瞬だったけれど、気配の残像のような感触が耳元にまとわりついていた。誰もいるはずがないのに、と冴しむよりも、懐かしい、という気持ちが湧き上がってきた。そう、この感覚は久しぶりだ。


 レアは何かを感じとる。土星の環のどこかに誰かがいる。その気配だ。その残像の感触はある懐かしさを感じさせる。レアはあることを想起する。


 小さなころに好きだった絵本の、環のなかに住む妖精の話。
 旅人をびっくりさせたり、助けたりする気まぐれな氷の妖精が、環の氷のなかに身を潜め、誰かが来るのを待っている。そこへそっと気付かれないように通りかかり、こっちが先に妖精を見つけてあげる。そうすると妖精にかけられた魔法が解けて、二人はともだちになるのだ。


 レアは小さい頃に環のなかに住む妖精の話の絵本が好きだった。氷の妖精と出会い、二人は友達になる。この絵本のモチーフが『環の国にて』全体の伏線ともなっている。入れ子型の構造でもある。

 レアの土星の環の探索は、レアの記憶のなかの世界、無意識の世界への探究でもある。レアは自らの無意識を探るようにして、土星の環、エンケドラスの氷の世界の秘密を明らかにしていく。この冒険の物語が黒板画の繊細な画像と緻密なテクストによって綴られていく。

                          (この項続く)


2026年8月17日月曜日

黒板当番・五十嵐哲也氏の『トコトコとスペースシャットルの宇宙のハタオリトラベル』

 黒板当番・五十嵐哲也氏の『トコトコとスペースシャットルの宇宙のハタオリトラベル』は、2018年12月、富士吉田織物協同組合から刊行されたZine風の本である。

 五十嵐氏が2016年6月から2017年3月まで、富士急行線富士山駅のヤマナシハタオリトラベル mill shop で展示した黒板画とそのストーリーを記した日本語と英語のテクストが見開き頁尾の左右に配置されている。001頁の「はじめに」と002-003頁から042-043頁までの21のシーンがある。

 刊行の経緯については、ハタオリマチのハタ印プロジェクトの「ヤマナシハタオリトラベル mill shopの「黒板当番」のグッズを制作しました!」に詳しい。(今でもこの本は常時ヤマナシハタオリトラベルmill shopで、ハタフェスの歳には黒板当番ブースで購入可能ですので、関心のある方はぜひご覧になることをおすすめします。)


 当初から、黒板画とストーリーが一緒に展示されていたのかなど、この作品の成立過程について知りたかったので、五十嵐氏に伺ってみたところ、いくつかの点についてご教示いただいた。

 この物語の全体について語るのはネタバレになってしまうので、五十嵐氏のご教示に言及しながら、「はじめに」と最初の三つのシーンに限定して紹介していきたい。


 001頁の「はじめに」をまず引用したい。

これはヤマナシの織物工場で使われていたシャットルが、宇宙を旅するお話です。スペースシャットルが、なぜ宇宙を旅するようになったのかは分かりません。あるとき、スペースシャットルは土星の衛星エンケラドスの氷の下の海にすむ小さな生き物たち、トコトコ族に出会いました。そして、スペースシャットルとトコトコたちのお話が始まります。

 「シャットル」(shuttle)は織物を織るときに、経糸の間に緯糸を通すのに使われる道具。現在では「シャトル」というカタカナ表記が一般的だが、織物産業などでは「シャットル」が今も使われているようだ。

 この言葉が語源となって往復を繰り返すものをシャトルと呼ぶことがある。アメリカ航空宇宙局(NASA)が1981年から2011年にかけて打ち上げた有人宇宙船の名前は「スペースシャトル」(Space Shuttle)だった。地球と宇宙空間を往復して再利用することからこのような名が付けられた。五十嵐氏もこれに倣って宇宙を旅するシャットルを「スペースシャットル」と命名したのだろう。

 山梨の織物工場のスペースシャットルが、NASAのスペースシャトルのように宇宙へ旅発つという愉快で可愛らしい設定の話である。


 002-003頁から物語が始まる。左側の黒板画と右側の日本語テクストを掲載する。




宇宙を旅するスペースシャットルが、何かに誘われて土星の近くまでやってきました。土星をとりまいているリングの近くでは、太陽の光を受けて輝く氷のつぶやかたまりが、はるか彼方までびっしりと浮かび、とても美しい光景が広がっていました。けれども、スペースシャットルの目的地は、ここではないようです。

 左側の黒板画は、五十嵐氏によると、2016年6月に描いた最初の絵であり、トコトコの物語として描いたものではなく、あとから舞台の説明に使えると思って序章に挿入したそうである。確かに、この画では左上に「スペースシャットル」、中央に土星とそのリングの氷の粒や塊が描かれている。モノトーンの黒と白の対比が宇宙空間をくっきりと描いている。ここにはまだ生物の感触はない。


 004-005頁で「トコトコ」が登場する。左側の黒板画と右側の日本語テクストを引用する。




ここは土星の衛星のひとつ、エンケラドス。表面を覆う厚い氷の下には、広大な海が広がっています。その深い海の底、熱水が湧き上がる海底火山のまわりには、トコトコたちが住んでいました。トコトコは、その名のとおリトコトコと歩き回る生き物で、珍しいものを探して旅をするのが大好きでした。

 物語の舞台になるのは、土星の衛星のエンケラドスの氷の下の広大な海の底。登場する生物はトコトコ。右側の画の一番下に、深海の底で不安げに周りを見つめているトコトコが描かれている。この黒板画は『トコトコとスペースシャットルの宇宙のハタオリトラベル』の表紙絵にもなっている。


 006-007頁ではトコトコが不思議なもの(スペースシャットル)と出逢う。この黒板画は五十嵐氏によると2016年8月に描かれた。ちょうど今から十年前になる。

 富士山駅のmill shopで展示した当時の写真を五十嵐氏から送っていただいた。直接チョークで板に解説文の文字を書いていたそうである。その画像を添付したい。




 当時の画の解説文にはこうある。

土星まで旅をしたスペースシャットルは衛星のエンケラドスの地底海でトコトコ族に発見されるのだった。

 完成版の本の日本語テクストにはこうある。

ある日、1人のトコトコが歩いていると、不思議なものを見つけました。「これはいったい何だろう?」


 この二つのテクストを比較すると、「スペースシャットル」が「トコトコ族」に発見された、から、「トコトコ」が「不思議なもの」を見つけた、に修正されている。「トコトコ」に焦点を当てた表現に変化した。さらにこの場面ではまだ「不思議なもの」の発見であり、「スペースシャットル」という名も示されていない。次頁以降で宇宙人のマルベリーとグリッパーが地球でハタオリに使う道具であることを教えてくれる。


 トコトコとスペースシャットルという未知との遭遇によって物語は進んでいく。
 五十嵐氏はこの作品の成立についてこう述べている。

最初に描いたときには、物語を描くつもりはなく、独立した一つのシーンの絵として描きました。描き終わってから、これの続きを描いてみよう、と思い立ってストーリーを考えました。
   
 002-003頁のスペースシャットル、004-005頁のエンケラドスとトコトコ、006-007頁のトコトコとスペースシャットル、というように最初の三つのシーンで主要な物、舞台、生物が登場して物語が展開していく。

 五十嵐哲也氏は、まず黒板画のシーンを描いてから想像力を膨らませて次第に物語を紡いでいった。彼自身の手がシャットルのように動いて、黒板画のシーンという経糸の間に物語テクストの緯糸を通すことによって、『トコトコとスペースシャットルの宇宙のハタオリトラベル』という織物の作品を創造していった。織物の研究や開発という本職と黒板チョークアートという活動のファブリックでもある。


 二つのものが美しく織り込まれるときに新たなものが生まれてくる。

 織物、ファブリックの魔法である。


 なお、五十嵐氏が本職の関連で運営している「シケンジョテキ」というサイトの「2021年8月16日テキスタイルの生態系/織物工場を植物に例えてみる」などに、この物語を理解する上で参考になることが書かれていることを付言したい。

2026年8月12日水曜日

黒板当番・五十嵐哲也氏の黒板チョークアート

  黒板当番さんが志村正彦を描いた黒板画は志村ファンの間で有名である。このブログでも何度か言及したことがある。

 志村の黒板画は、毎年7月、富士吉田市の防災無線のチャイムが「若者のすべて」に、12月に「茜色の夕日」に替わるときに下吉田駅の広場で披露されたり、ときどき富士急ターミナルビル「Q-STA」内のショップで展示されたりしてきた。また、10月のハタオリマチフェスティバルでも黒板画のミニギャラリーやワークショップが開かれてきた。

 この黒板当番さんの活動が、7月29日に地元局のテレビ山梨UTYの「スゴろくニュース」で「地場産業活性化にも貢献 繊細な技!黒板チョークアート」と題して特集として放送された。取材やインタビューはUTYの西垣友香アナウンサー。黒板当番さんは本名の五十嵐哲也として登場。この番組でも紹介されたが、五十嵐氏は山梨県産業技術センターの富士技術支援センターに勤めていて、山梨の織物の研究や技術開発や支援を行っている。

 僕が山梨英和大学で担当している山梨学Ⅱでは、毎年、富士吉田のハタオリマチフェスティバルを見学しているが、2019年から毎年、その事前学習の講義を五十嵐氏に依頼してきた。「山梨ハタオリ産地の歴史とブランディング活動」と題する講義は、富士吉田市や西桂町の伝統的産業である機織産業の歴史と最近のブランディング活動についての理解を深め、山梨県の地場産業の現状と課題、その可能性について考えるものだった。百枚に及ぶ美しいデザインのSLIDEと手製の機織器具も使った講義は学生から非常に好評であった。

 そもそもこの講義で会った際には、僕は五十嵐氏が黒板当番であり、五十嵐氏も僕が偶景webの主催者であることを知らなかった。(当時はまだ黒板当番というペンネームで発表されていた)。それまで互いに志村正彦の黒板画と志村正彦ライナーノーツの存在を知っていたが、二人とも講義が終わった後でたまたま互いが誰であるかに気づいた。「あなたがあの……」と驚くことになった。その出来事を今は懐かしく想い出す。


 UTYの「スゴろくニュース」の映像は一昨日からYouTubeのUTYテレビ山梨公式チャンネルに〈「仕事帰りにプライベートで描き続けていたら、だんだん面白く」黒板チョークアート作家の男性 地元の織物産業の活性化にも一役 山梨〉というタイトルでアップされているので、ぜひご覧いただきたい。また、ニュース記事の方はTBS NEWS DIGで掲載されている。




 YouTube映像から、大切な箇所を文字化して記録しておきたい。

(ナレーション)今月7日、富士吉田市内に流れる夕方6時のチャイムの音が、地元出身のミュージシャン故志村正彦さんが作曲した「若者のすべて」に切り替わりました。「黒板当番」の名前で活動する五十嵐哲也さんは、毎年行われるこのイベントに合わせ、志村さんの黒板チョークアートを描いています。五十嵐さんの作品は一部のファンにすっかりお馴染みで、記念写真を撮っていく人もいます。〔……〕富士急ターミナルビル「Q-STA」内にあるショップは、五十嵐さんの黒板チョークアートが生まれた場所でもあります。実は五十嵐さんは県技術センターの職員で、1999年から富士北麓地域の織物業の支援に携わり、今も継続する様々なプロジェクトの立ち上げに関わってきました。

(西垣友香アナウンサー)そもそもなぜここに黒板チョークアートがあるんでしょうか?
(五十嵐哲也氏)織物工場の方々がここでグループでお店を作るというオープニングの時にお手伝いをしていまして、その時に「こういう黒板でチョークで看板があれば人のぬくもりが感じられてとてもいいんじゃないか」と提案をさせていただいて。ま、私が仕事帰りにプライベートで書き続けようとやっていたんですが、だんだん書く方が面白くなっていったので、むしろ自分の趣味をここでさせていただいているような感じになってきました。

(ナレーション)五十嵐さんは去年、自身の黒板チョークアートにオリジナルの物語を組み合わせた『環の国にて』を出版しました。未来の宇宙が舞台で、地球の女の子と他の星の生き物を富士北麓の産業である織物が結ぶ物語です。〔……〕そしてもう1つ、五十嵐さんの宇宙をテーマにした作品が、富士山の美術館として知られる「フジヤマミュージアム」に展示されています。

(西垣友香アナウンサー)今後どのような活動をしていきたいと思いますか?
(五十嵐哲也氏)私は本業で織物の産業の支援をさせていただいているんですが、黒板を通して織物のことを知ってくださったという人がいたり、黒板とチョークという非常にシンプルな画材の中には今後もまだまだ可能性があると思いますので、それを探っていきながら、地元の隠された魅力、まだ伝わっていない魅力を伝える一助になればなと思っています。


 五十嵐氏が黒板チョークアートを始めた経緯やその後の展開がよく分かるインタビューだ。プライベートな作品(work)が次第にパブリックな活動(action)に発展している。志村正彦を描く黒板画を愉しみにしているファンは多いだろう。僕はこのブログの文章を通じて志村の歌について語ってきたのだが、黒板アートと文章テクストという媒体の違いはあるが、志村正彦を描いたり語ったりするという表現行為とそれによる活動をしているという点において、僕は五十嵐氏を勝手に「同志」だと思っている。


 黒板画の志村正彦はその表情がとても魅力的だ。五十嵐哲也氏の想像力によって、チョークの繊細な点描の技法を通して、多彩で豊かな志村の姿が自在に表現されている。生き生きとしている。黒板画を飛び出して志村が歌い出すかのように感じる。

  7月10日に下吉田駅で展示された黒板画の志村正彦は少し微笑んでいて柔らかい眼差しをしている。二十歳前後の志村のイメージだろうか。私たちが知らない志村の表情がその場に現れてくる。

 五十嵐氏は、志村正彦の他にも自ら創造したキャラクターを黒板画で描いている。その作品は富士北麓のハタオリともコラボレーションしていく。この地域のハタオリという産業や文化を振り返り、その現在の姿を明らかにし、未来の可能性を探究していく試みでもある。


 番組でも触れられていたが、五十嵐氏は昨年2025年10月『環の国にて』という本を MOKUHON PRESSから出版した。土星の〈環の国〉で育った〈レア〉が小さなロボットの〈トコロボ〉を見つけたことを契機に世界の隠された秘密を探索していくSF小説。その物語に〈シャトル〉と富士山の麓の街やハタオリが織り込まれていく。普遍性と地域性の二つを融合した優れた作品である。見開きの二頁に文章テクストと黒板アートを配置したページデザインも秀逸だ。

 この『環の国にて』の姉妹作がある。2018年12月刊行の『トコトコとスペースシャットルの宇宙のハタオリトラベル』だ。こちらには〈トコトコ〉と〈スペースシャットル〉が登場する。

 次回以降、黒板当番・五十嵐哲也氏の『トコトコとスペースシャットルの宇宙のハタオリトラベル』と『環の国にて』についてこのブログに書いていきたい。


2026年8月10日月曜日

「若者のすべて」のターニングポイント 4600枚から1億回を超えて[志村正彦LN388]

 8月6日放送のTBS『この歌詞が刺さった!グッとフレーズ』第27回で注目したのは、「若者のすべて」の2007年発売当初の売り上げ枚数が約4600枚(オリコン調べ)という数字が示されたことだ。

 これは初めて知る数字だった。この点に関して生成AIのGoogle Geminiに質問した。その回答を示したい。


フジファブリック「若者のすべて」(2007年11月7日発売)のシングルCDは、発売当時はオリコン週間チャートで最高30位を記録しました。(ORICON NEWS)

当時の音楽市場やインディーズからメジャーにかけての推移、またオリコンの週間TOP200圏内への登場週数が3週であったことなどから、発売時の初動売上および当時の累計売上はおよそ数千枚〜1万枚程度(一般的に当時のオリコン30位前後の初動は数千枚規模)と推測されます。

発売当時は大ヒットチャートのトップを飾るような爆発的なセールスを記録したわけではありませんでしたが、その後、多くのアーティストによるカバーや音楽教科書への掲載、CMや映画での起用、そして近年ではストリーミング再生が1億回を突破するなど、時代を越えて日本の「夏の終わりを告げるアンセム」として広く深く愛され続けています。


 この回答は〈数千枚〜1万枚程度〉という推測であり、〈約4600枚〉という数字が示されたわけではなかったが、おおむね同程度の数字である。この数字をどう評価するか、Geminiにさらに質問した。その回答。


当時のインディーズ~ミドル層バンドを取り巻く状況:フジファブリックは2004年にメジャーデビューを果たしていましたが、当時のインディーズおよびミドル層のロックバンドがシングルCDをリリースした際の実態は次のようなものでした。

・プロモーションと流通の限界: 現在のようにサブスクリプションによるバイラルヒット(SNSを起点とした拡散)が存在しない時代、楽曲が広く知られる主要なルートは「ラジオのパワープレイ」「音楽番組」「タイアップ」などに限定されていました。

・固定ファンと一般層のギャップ: ライブ動員力や音楽ファンの間での高い評価(批評的な評価)と、一般大衆によるCDの購買行動が必ずしも直結していませんでした。そのため、コアファン層が発売初週に購入した分が初動のメインとなり、数千枚規模の売上着地となるのが標準的なモデルでした。

このように、「30位前後で数千枚」という数字は、CDパッケージの需要がシュリンクしていた2007年当時の市場構造において、中堅・実力派ロックバンドのシングルが記録する現実的かつ典型的なスケールを示しています。


  2007年当時のフジファブリックは、Geminiが言うように〈ライブ動員力や音楽ファンの間での高い評価〉があったが、まだまだ〈コアファン層〉が支持するバンドだったのだろう。約4600枚という当時の数字は妥当なものかもしれない。


 さらに、〈近年ではストリーミング再生が1億回を突破する〉という点の根拠についてGeminiに質問したところ、次のデータが示された。


  達成データ概要

・発表日: 2024年11月20日(オリコン発表)  

・対象ランキング: オリコン週間ストリーミングランキング(2024年11月25日付、集計期間:2024年11月11日〜11月17日)  

・記録: 累積再生数 100,199,177回(約1億19.9万回)を記録し、自身初となるストリーミング1億回再生を達成。  

・週間の状況: 当該週の週間再生数は 764,123回 を記録。  

 2007年のシングル発売から長きにわたって愛され続け、配信開始以降も多くのリスナーに聴かれ続けたことで、発売から17年を経てストリーミング総再生数1億回の大台に到達しました。


 つまり、2007年11月「若者のすべて」リリース時のCD売上枚数の約4600枚だったが、2024年11月にはストリーミング再生回数1億回を超えたことになる。CD売上枚数とストリーミング再生回数は同列では比較できないが、数値として単純化すると4600から100,000,000を超える数に上昇した。現在もさらにその数を伸ばしていることだろう。 

  志村正彦は、「Talking Rock!」2008年2月号のインタビュー(文・吉川尚宏氏)で、『若者のすべて』について、歌詞のテーマ、制作の過程、リリース後の状況についてこう述べている。


“○○だぜ! オレはオレだぜ!”みたいなことを言うと、今の時代は、微妙だと思うんですよ。だけど、“ないかな/ないよな”という言葉から膨らませると、この曲は化けるかもしれない! そう思って制作を再スタートさせて、精魂込めて作った曲なんだけど………なんていうか……こう……自分の中で、達成感もあるし、ターニングポイントであることには間違いないんです。すべてに気持ちを込めたし、だから、よし!と思ってリリースしたんだけど、結果として、意外と伝わってないというか……正直、その現状に、悔しいものがあるというか…


 TBSの番組でも「グッとフレーズ」とされた“ないかな/ないよな”の部分が、この歌詞の中心にあることが分かる。志村はこのフレーズを含む歌詞に達成感を感じ、フジファブリックとしての「ターニングポイント」となる曲だと認識していたが、この作品が意外と伝わってない当時の状況に悔しさを抱いていたようである。


 2007年11月の「若者のすべて」リリースからすでに19年が経つ。

 この年月を振り返ると、当時の志村正彦・フジファブリックのコアファンに加えて、TBS番組の指摘したような大物アーティストたち、ロックやポップスのファン、一般の音楽ファンと多様な聴き手に広がっていった軌跡が見えてくる。要するに、聴き手を限定しない、普遍性のある歌として人々に聴かれ、そして愛されたきた。

 そのような意味で時のゆるやかな流れと共にではあるが、志村自身が確信していたように、「若者のすべて」は、作品のきわめて高い完成度と共に、志村正彦・フジファブリックの知名度を格段に上げ、日本語ロックの歴史に残る傑作という点において、まさしく「ターニングポイント」となった作品である。


2026年8月9日日曜日

「若者のすべて」第9位 『この歌詞が刺さった!グッとフレーズ』第27弾[志村正彦LN387]

  8月6日、TBSの歌詞特化型音楽番組第27回『この歌詞が刺さった!グッとフレーズ』3時間スペシャルが放送された。今回は「夏に心をアツくさせてくれるグッとフレーズ」!というテーマで1万人が選ぶ珠玉のグッとフレーズTOP30が選ばれた。

 この番組の夏歌の特集ではここ数年、志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」がランクインしているので、今回はどうなるのかという関心があった。

 結果は9位だった。10位までは次の通りである。

第1位:真夏の果実 サザンオールスターズ
第2位:青と夏 Mrs. GREEN APPLE
第3位:夏色 ゆず
第4位:真夏の夜の夢 松任谷由実
第5位:シーズン・イン・ザ・サン TUBE
第6位:波乗りジョニー 桑田佳祐
第7位:青い車 スピッツ
第8位:夏の日の1993 class
第9位:若者のすべて フジファブリック
第10位:飛行艇 King Gnu

 「真夏の果実」サザンオールスターズ、「夏色」ゆず、「真夏の夜の夢」松任谷由実、「シーズン・イン・ザ・サン」TUBEは間違いなくベスト5に入るだろうが、「若者のすべて」も5位までに入るのではないだろうか。このリストを見てそういう思いにとらわれた。


 この番組で「若者のすべて」が紹介された部分を再現したい。


ナレーター:9位は夏の終わりの花火大会を描いた名曲

街頭インタビュー:30代女性 学生の頃の甘酸っぱい初恋の気持ち 胸がキュッとなって めちゃめちゃいい! 青春を思い出す

 この後、「若者のすべて フジファブリック ユニバーサル ミュージック」というテロップが表示され、志村正彦が登場するミュージックビデオの映像が流れた。

ナレーター:夏の最後の花火大会で好きな人と偶然出会えるかも、そんな淡い期待を抱く主人公の心情を綴った「グッとフレーズ」

テロップ:――グッとフレーズ――
ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ
                                作詞 志村正彦

街頭インタビュー:40代女性 好きだった男の子を花火大会に誘えなかったけど もしかしたら来ているかと探していた記憶を思い出すのでとても懐かしい。 

ナレーター:そして曲が進むと、主人公に嬉しい展開が

テロップ:――グッとフレーズ――
ないかな ないよな なんてね 思ってた
まいったな まいったな 話すことに迷うな
                                作詞 志村正彦

ナレーター:どうせいないと思っていた好きな人とまさかの遭遇

街頭インタビュー:40代男性 自分の経験とまさにリンクしていて 花火大会で好きな女の子と会うことができたけど実際会ってみたら何も喋れない 「キレイだね」の単純なラリーで終わった

ナレーター:2007年にリリースされた「若者のすべて」実は発売当初、売り上げ枚数は約4600枚ほどで(オリコン調べ)ヒットには至りませんでした。しかし、恋する若者の心のざわめきを見事に表現した歌詞に、大物アーティストたちが大絶賛!槇原敬之さんをはじめ、桜井和寿(Mr.Children)さん、藤井フミヤさんなど多くの一流アーティストたちがカバーしたことで再注目。さらに2024年にはヨルシカのボーカルsuisによるカバーが映画の主題歌になったことで、多くの若者たちにも刺さったんです。

 この後、suis from ヨルシカ「若者のすべて」のMV(2024年Netflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』主題歌)が流れ、「若者のすべて」パートが終わった。4分30秒ほどの時間だった。


 今回の番組で注目したのは、「若者のすべて」の2007年発売当初の売り上げ枚数が約4600枚(オリコン調べ)という数字が示されたことだ。これは初めて知る数字だった。次回、この点について考えてみたい。


2026年7月29日水曜日

5月・6月のBe館「幕末ヒポクラテスたち」「グランド・イリュージョン ダイヤモンド・ミッション」「サンキュー、チャック」

 5月と6月は、甲府のシアターセントラルBe館で三本の映画を見た。


幕末ヒポクラテスたち




 幕末、京都郊外の村。蘭方医の大倉太吉(佐々木蔵之介)、漢方医の荒川玄斎(内藤剛志)、太吉の弟子となり後に蘭方医となる相良新左(藤原季節)の物語。京都の医大生の群像劇「ヒポクラテスたち」の大森一樹監督が企画したが、2022年に逝去。その後、大森監督の助監督を務めたことのある緒方明監督が遺志を継ぎ制作したそうである。

 西岡琢也の脚本が素晴らしく、役者も充実している。人間のドラマとして楽しめると共に、幕末の医学の歴史や医療の厳しい現実もしっかりと伝えている。 


グランド・イリュージョン ダイヤモンド・ミッション




 「グランド・イリュージョン」(2013年)「グランド・イリュージョン 見破られたトリック」(2016年)に続く「グランド・イリュージョン」シリーズの第3作。ルーベン・フライシャー監督。マジシャン集団フォー・ホースメンが華麗なイリュージョンで巨大な敵に立ち向かう。

 今回、この第3作を見るために第1作と第2作を配信で見てからBe館に向かった。三つの作を通して見なければ理解できないところもあるが、単独作として鑑賞しても楽しめるだろう。映画館ならではの映像と音響の迫力を堪能した。


サンキュー、チャック




 スティーブン・キングの2020年発表の短編小説「チャックの数奇な人生 イフ・イット・ブリーズ」をマイク・フラナガン監督が映画化した作品。次々と地球を襲う災害によって世界が終わりを迎えつつある時に、「素晴らしい39年間に、ありがとう、チャック」という謎の広告がテレビで大量に流れる。
 映画はチャックの人生を遡っていくが、ダンスのモチーフの展開やダンスシーンはとても美しい。チャックが亡くなると共に、チャックが見ている世界はもちろんのこと、チャック以外の人々(何らかの関わりのあった)が見ている世界も同時に崩壊していく、という哲学的テーマを探究している。私という存在と世界という存在との根源的な関係を考えさせる作品だった。


2026年7月15日水曜日

11月15日 谷崎潤一郎「母を恋うる記」講座・芝居の会

 11月15日(日)の午後2時から「こうふ亀屋座」で、〈甲府 文と芸の会〉の第2回公演〈谷崎潤一郎「母を恋うる記」講座・芝居の会〉を開催します。


 谷崎潤一郎の「母を恋うる記」は大正8年(1919年)発表の幻想的で美しく哀しい小説です。語り手・主人公の〈私〉が夢の中で子供に戻り、幻のように明るい夜に海辺近くの街道を歩いて母を探しにいきます。亡くなった実母への谷崎の深い思慕が綴られています。

 公演の第1部は「夢の文学」に関する私の講座、第2部は有馬眞胤(まさたね)とエイコが小説の言葉そのものを語る芝居によって谷崎潤一郎の夢の世界を上演します。




 期日 2026年11月15日(日)
     開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30

  会場 こうふ亀屋座  甲府市丸の内1丁目11-5
  内容 第1部 講座「夢の文学-志賀直哉・谷崎潤一郎・芥川龍之介」
          小林一之(山梨英和大学特任教授)
     第2部 芝居「母を恋うる記」
          有馬眞胤・エイコ(有馬銅鑼魔)
  主催 甲府文と芸の会
  料金 無料(要申込 先着100名)
  申込   10月1日から〈偶景web〉内のフォームで受付開始
             〈偶景web〉https://guukei.blogspot.com


 有馬眞胤さんは、劇団四季出身。舞台を中心に活動。蜷川幸雄演出作品に20年間参加。2005年から「有馬銅鑼魔」と題する独り芝居・独り語りを始めました。本は持たずに一篇の小説を全て覚えて演じるものです。2020年からは両国シアターXカイに拠点を移し、精力的に活動を続け、新しい語りのジャンルを創造しています。
○主な出演作品
蜷川幸雄演出:『王女メディア』『ニナガワ・マクベス』『近松心中物語』『リア王』『仮名手本忠臣蔵』等。『王女メディア』『近松心中物語」『ニナガワ・マクベス』で世界ツアーに参加。
劇団四季:『異国の丘』『オンディーヌ』等。
幹の会(平幹二郎主宰):『冬物語』『王女メディア』『鹿鳴館』
有馬銅鑼魔:谷崎潤一郎『刺青』『母を恋うる記』、芥川龍之介『蜘蛛の糸』、太宰治『走れメロス』『貧の意地』『駆け込み訴え』、田宮虎彦『朝鮮ダリヤ』、杉本苑子『夜叉神堂の男』、伊集院静『少年譜』、浅田次郎『天切り松闇がたり』シリーズ『白縫華魁』『衣紋坂から』『銀次蔭盃』『闇の花道』『薔薇窓』『春のかたみに』等。

 エイコさんは、有馬の独り芝居・一人語りに津軽三味線で合いの手を入れる活動で初めて舞台に立ちました。2011年3月、文学座アトリエ公演『草鞋をはいた』(鵜澤秀行演出、坂部文昭主演)の下座として出演。近年は篠笛と語りに挑戦しています。最近の朗読・独り芝居は北條民雄『すみれ』、芥川龍之介『尾生の信』等。

 講座担当の私(小林一之)は山梨県立文学館、県立高校を経て、現在は山梨英和大学人間文化学部の特任教授。芥川龍之介・志賀直哉の夢をモチーフとする小説をフロイトやラカンの精神分析に依拠して分析し、飯田蛇笏や太宰治などの山梨出身やゆかりの作家も研究してきました。この〈偶景web〉では主に志村正彦の歌詞について考察しています。
○最近の論文・評論
芥川龍之介「夢」の分析(「山梨英和大学紀要」24号2026.3)、〈私〉と〈王〉の再生-太宰治「新樹の言葉」から「走れメロス」へ-(「イマジネーション」23号 山梨文芸協会 2026.3)、「蛇笏と龍之介」(1)~(4)(「山廬」34~37号 山廬文化振興会 2024~2025)、志賀直哉「イヅク川」の分析(「山梨英和大学紀要」22号2024.3)等。

 なお、ここに掲載した美しい色合いと綺麗な構図のフライヤーは、内藤理さん(画家・美術教育)にデザインしていただきました。


 昨年度の〈甲府 文と芸の会〉の第1回公演で上演された太宰治「走れメロス」の独り芝居は大好評でした。〈本物に出会った。そんな思いがしました〉〈有馬さんの迫力ある演技を見て、学生時代に読んだ走れメロスのストーリーが蘇りました〉〈三味線の音色に津軽の景色が広がりました〉〈有馬さんの声の抑揚、身振り、手振り などとても引き込まれました〉〈久しぶりにお芝居の楽しさを感じました〉という声が寄せられました。

 今年度の「母を恋うる記」では、語り手・主人公の〈私〉を有馬眞胤さん、〈私〉が出逢う女性をエイコさんが演じて、谷崎の夢の物語を「こうふ亀屋座」の趣ある舞台で上演します。


 谷崎潤一郎「母を恋うる記」の公演は、10月1日から、この〈偶景web〉内のフォームで申込の受付を開始します。

2026年7月12日日曜日

志村正彦と映画(2)『モテキ』『虹色デイズ』『ここは退屈迎えに来て』『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』[志村正彦LN386]

 志村正彦は生前に二つの映画のエンディング曲を作った。『スクラップ・ヘブン』(李相日監督)の「蜃気楼」と『悪夢探偵』(塚本晋也監督)の「蒼い鳥」である。

 志村が亡くなった後も、彼の作品は映画監督の心を捉え、主に劇中歌として使われてきた。2011年の映画『モテキ』(大根仁監督)のオープニング曲「夜明けのBEAT」、2018年の映画『虹色デイズ』(飯塚健監督)の劇中歌「虹」、2018年の映画『ここは退屈迎えに来て』(廣木隆一監督)の劇中歌「茜色の夕日」、2024年の映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』(三木孝浩監督)の劇中歌「若者のすべて」である。

 今回はそれぞれの予告編を紹介た上で、監督たちが志村の歌を起用した理由や経緯について振り返りたい。『モテキ』『虹色デイズ』『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』では志村正彦・フジファブリックのオリジナル音源が使われ、志村の声が聞こえてくる。『ここは退屈迎えに来て』は主題歌の『Water Lily Flower』(作詞・作曲:山内総一郎)である。


2011年 映画『モテキ』(大根仁監督)
オープニング曲 「夜明けのBEAT」
(詞・曲:志村正彦)



  映画『モテキ』のオープニング。藤本幸世(森山未來)が、松尾みゆき(長澤まさみ)桝元るみ子(麻生久美子}愛(仲里依紗)唐木素子(真木よう子)たちがが担ぐ神輿に乗り音頭を取るシーンで、志村正彦の歌う「夜明けのBEAT」が勢いよく流れる。

 大根仁監督が「アールオーロック」の《対談!「マンガ『モテキ』」久保ミツロウVS「ドラマ『モテキ』」大根仁》という記事で、〈"夜明けのBEAT"って曲の歌詞と、曲と、『モテキ』の内容とのシンクロ具合っていうのに、もう、「うわあ……」って。鳥肌立ちましたよ、最初に聴いた時。で、「もうこれしかないな」っていうか〉と述べている。 確かに、ドラマ・映画『モテキ』の世界と「夜明けのBEAT」の歌詞の間にシンクロが感じられる。『モテキ』の主人公「藤本幸世」と「夜明けのBEAT」の主体「僕」(作者志村正彦の分身だろう)には似た感性がある。


2018年 映画『虹色デイズ』(飯塚健監督)
劇中歌 フジファブリック 「虹」
(詞・曲:志村正彦)



 映画『虹色デイズ』では冒頭シーンで「虹」が流れる。二分半ほどの間、志村の声が聞こえてくる。四人の男子高校生がプールに飛び込む場面に続いて、なっちゃん(佐野玲於)が杏奈(吉川愛)と偶然を装って出会うために自転車のペダルを全力で漕ぐ。駅で二人が視線を交わす場面で「虹」は終わるが、歌詞と曲調がドローンによる映像の動きと融合している。

 飯塚健監督が「ナタリー」で「虹」を使用した理由について〈撮っている中でフジファブリックの「虹」は合いそうだというのが直感的にあって、現場でずっと聴いてたんです〉と述べている。監督には最初から強い「直感」があったようだ。現場でずっと聴き続けていたせいか、結果として、この「虹」のリズムが映画全編を通して響き続けているように思える。また、球技大会の場面で「バウムクーヘン」が使われている。


2018年 映画『ここは退屈迎えに来て』(廣木隆一監督)
劇中歌 「茜色の夕日」(詞・曲:志村正彦)
主題歌 『Water Lily Flower』(詞・曲:山内総一郎)



 映画『ここは退屈迎えに来て』で「茜色の夕日」が劇中歌として最初に登場するシーンは、早朝、あたし(門脇麦)が歩きながら「誰か 誰でもいいんだけど」と叫ぶところである。(このシーンが予告編に入っている)この後で門脇麦が唐突に歌い出すのが「茜色の夕日」。さらに最後に近いシーンで、新保(渡辺大知)サツキ(柳ゆり菜)椎名(成田凌)私(橋本愛)の順番でリレーのようにして歌っていく。この映画では志村正彦の音源は使われていない。主題歌のフジファブリック『Water Lily Flower』(作詞・作曲:山内総一郎)の方は主にエンディングテーマで流れる。この曲は綺麗なメロディラインを持っている。

 廣木隆一監督は「茜色の夕日」を使った理由を映画公式webの「Director's interview」で、〈何より名曲ですし、あの時代を生きた彼らが共有している記憶でもあり、歌詞が彼らの気持ちを代弁しているような使い方をさせてもらいました〉と語っている。登場人物の各々が人生や恋愛の行き詰まりを感じている。その想いを「茜色の夕日」に重ね合わせているのだろう。



2024年 映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』(三木孝浩監督)
劇中歌 フジファブリック 「若者のすべて」
(詞・曲:志村正彦)

             ティーザー予告編 - Netflix



 Netflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』では冒頭の病院屋上シーンから、『若者のすべて』のアレンジされたメロディが流れる。この美しく繊細なメロディは劇中で時々流れる。通奏低音のように全篇を貫いている。 秋人(永瀬廉)が春奈(出口夏希)が入院している病院に「毎日来るよ 毎日来るから」と約束し、春奈が「うん 待ってる 毎日待ってる」と応える場面の直後から、志村正彦の歌による「若者のすべて」が聞こえてくる。エンディングではヨルシカのsuis による『若者のすべて』のカバーが流れる。

 三木孝浩監督はSTARDUSTのインタビューで〈プロデューサーからフジファブリックの「若者のすべて」を提案してもらいました〉〈志村さんが亡くなられた後もみんなが歌い繋げてきたという部分と、秋人と春奈の2人の思いをその先に生きていく人が引き継いでいく部分と同じだなと思う側面があって「これだ!」と思いました〉、WEBザテレビジョンでは〈志村さんは29歳の若さで亡くなっています。それでも、彼の音楽はいろんな人がカバーしていますし、引き継がれている。それがこの作品の“残す者、残される者”という部分にリンクしている〉と述べている。つまり、志村正彦は亡くなったが作品は引き継がれている、という現実を強く意識し、その現実をこの映画の“残す者、残される者”という重要なモチーフと結びけたことを率直に述べている。そのような意図があったからこそ、志村の声によるオリジナル音源を劇中歌としたのだろう。


 映画以外のドラマやアニメでは、2013年のドラマ『SUMMER NUDE』の劇中歌に「若者のすべて」、2016年のアニメ『バッテリー』のエンディング曲に「若者のすべて」(anderlustによるカバー)、2016年のドラマ『プリンセスメゾン』に「茜色の夕日」、そして最近放送された2026年のアニメ『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』第10話の劇中歌に「茜色の夕日」が使われている。やはり、「茜色の夕日」と「若者のすべて」に集中している。


 志村が存命の頃は映画監督とコラボレーションして素晴らしいエンディング曲を作った。志村亡き後はそれは不可能となったが、志村の歌の言葉は映像を喚起させ、物語を想像させる。その抜群の喚起力と想像力が映画監督を魅了するのだろう。

 また、『ここは退屈迎えに来て』では「茜色の夕日」を、『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』では「若者のすべて」を、虚構の人物ではあるが登場人物たちが歌やメロディを口ずさむ設定となっている。このことは、「茜色の夕日」や「若者のすべて」がこの二十年ほどの時代を代表する名曲として認知されていることを示している。


 今回の文のために、李相日監督、塚本晋也監督、大根仁監督、飯塚健監督、廣木隆一監督、三木孝浩監督の言葉を振り返ったが、あらためて、志村正彦の人と作品が映画監督たちにとても愛されていることが伝わってきた。


2026年7月10日金曜日

志村正彦と映画(1)『スクラップ・ヘブン』『悪夢探偵』[志村正彦LN385]

 今日7月10日は志村正彦の誕生日である。存命であれば四十六歳。中高年に達し、五十歳も視界に入ってくる年齢だ。永遠の二十九歳のままに人生の円環が閉じられてしまった志村の四十六歳の姿は、やはりうまく想像できない。彼の姿はそのままでただひたすら時が経っていく。

 今年も7月7日から13日まで富士吉田市の防災無線チャイムが「若者のすべて」に変更される。もう恒例の行事となり、この機会に志村の故郷を訪れるファンも少なくない。またこのところ、YBS山梨放送の『YBSワイドニュース』のエンディングテーマとして、JIJIMという山梨出身者が多いインディーズバンドの「若者のすべて」カバー版が使われている。

 すでにこのブログで書いたように、TVアニメ「上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花」第10話で「茜色の夕日」が劇中のエピソードとして取りあげられ、エンディングではインディーズ版の「茜色の夕日」が流れた。公式Xには〈フジファブリック志村正彦さんが作詞・作曲を手掛けられた楽曲をお借りした、特別なストーリーとなっております。〉とあった。

 このように現在でも、志村正彦の歌は映像作品の重要なモチーフとなっている。


 今回は、志村正彦・フジファブリックの作品がオープニング曲、エンディング曲、劇中のモチーフ曲として使われた映画をまとめてみたい。


 志村正彦は、2005年の『スクラップ・ヘブン』(李相日監督)と2007年の『悪夢探偵』(塚本晋也監督)の二つの映画のエンディング曲を創った。李相日監督は映画「国宝」が大ヒットして高く評価されたことで知られている。塚本晋也監督は日本の独立系映画界を代表する映画監督・俳優である。

 『スクラップ・ヘブン』は警察官(加瀬亮)・公衆便所掃除人(オダギリジョー)・薬剤師(栗山千明)の三人が「復讐代行」業を行って社会に対する反抗していくサスペンス映画。『悪夢探偵』は他人の夢の中に入り込める能力を持つ青年(松田龍平)と女刑事(hitomi)が、夢の中で人々が切り刻まれる事件の真相を追うサイコ・サスペンス映画。

 まず、それぞれの予告編を見てほしい。映像の半ばあたりから、志村正彦の声が聞こえてくる。


2005年 映画『スクラップ・ヘブン』(李相日監督)

エンディング曲:フジファブリック 「蜃気楼」




2007年 映画『悪夢探偵』(塚本晋也監督)

エンディング曲::フジファブリック「蒼い鳥」




 李相日監督が志村に『スクラップ・ヘブン』のエンディング曲を依頼して、志村が制作していった過程については、映画のパンフレット(オフィス・シロウズ、2005/10/8)掲載の「DIALOGUE  李相日×志村正彦(フジファブリック)」という対談に重要なコメントがある。志村は李監督とメールでやりとりしてエンディング曲を作り上げていったようだ。

李  具体的に何を書いたのか覚えていないけど、「この映画って、見終わってはてなマークが出る人が大勢いるだろうから、そこを曲でカバーしてください」みたいなお願いのしかたでしたよね、確か。エンディングの画が終わったら、そこから先は別ものっていう考え方の監督もいるけど、僕はエンディングテーマもひっくるめて一本の映画というふうにしたくて。エンドロールって、映画の余韻を味わったり振り返ったりするコーヒータイムみたいなものだと思うんです。

志村 読後感っていうんですか、そういう「映画を見終わった感」が出せればいいなと思って、同時に曲単体でもいいものを作りたかった。結果的にはその両方ができてよかったなと。


 志村は、映画鑑賞後の感覚にふさわしい作品であるとともに曲単体でも優れた作品を作りたかったようだ。志村はこの映画と自身の生活や夢での出来事との共通点についてもこう語っている。

志村 僕自身、「こうなったらいいな」とか「こうならなくてよかったな」とか思うことが、実際の生活の中でも夢の中でもよくあるんですけど、そのふたつって紙一重だと思うんですよね。どっちに踏み出すかによって結果が変わってくるんだけど、『スクラップ・ヘブン』にはその両方が描かれているというか。ヒーローになりたい気持ちがありながら、逆の方向に転んでしまったり。そういう紙一重なところが、普段僕が考えていることと通じる気がしました。

 李監督が「見終わってはてなマークが出る人が大勢いるだろうから」と述べたのは、志村正彦の捉え方に倣えば、絶望と希望あるいはそのどちらともいえない「紙一重」の状況があるからだろう。そのような映画であるゆえに李監督は志村にエンディング曲を依頼した。重大な使命が志村に課せられたわけだが、このプロジェクトは成功した。


 塚本晋也監督が志村に『悪夢探偵』のエンディング曲を依頼した経緯は、「赤富士通信」第壱拾壱号のインタビュー記事に書かれている。志村は「塚本監督とも色々話して?」という問いに対してこう答えている。

志村「そうですね。監督からオファーが来た経緯っていうのは、フジファブリックが前に担当した、映画『スクラップ・ヘブン』のエンディングテーマ『蜃気楼』を塚本監督が聞いて"このバンドにお願いしたい”ってことで、むしろ 『蜃気楼』をこの映画に使いたかったぐらい、その曲が好きだったみたいで、 それでフジファブリックにオファーが来たんです。…」 

 つまり、『スクラップ・ヘブン』のエンディング曲「蜃気楼」がきっかけとなって、『悪夢探偵』のエンディング曲「蒼い鳥」が生まれたわけである。

 塚本監督は志村の類い希な才能を見抜いた。そして、自らの感性に近いものを志村に見出したのだろう。


 確かに結果として、「蜃気楼」と「蒼い鳥」、この二つの曲は歌詞の面でも楽曲の面でも共通点が感じられる。楽曲については70年代前半の英国プログレッシブロックの色合いが濃い。歌詞についてはまずその一部を引用したい。


  「蜃気楼」


この素晴らしき世界に降り注ぐ雨が止み
新たな息吹上げるものたちが顔を出している

おぼろげに見える彼方まで
鮮やかな花を咲かせよう

蜃気楼… 蜃気楼…


  「蒼い鳥」


今、果てしなく吹き荒れる
風の中 立ってる 時が来るのを待つ

ゆらめいて 消えそうな光
たぐり寄せて ここにいるよ

羽ばたいて見える世界を
思い描いているよ
幾重にも 幾重にも


 「蜃気楼」の〈この素晴らしき世界〉と「蒼い鳥」の〈羽ばたいて見える世界〉。「蜃気楼」の〈降り注ぐ雨〉と「蒼い鳥」の〈吹き荒れる風〉。「蜃気楼」の〈おぼろげに見える彼方〉の〈花〉と「蒼い鳥」の〈ゆらめいて 消えそうな光〉。
 「蜃気楼」の主体も「蒼い鳥」の主体も、ある幻想的な世界を想い描いている。そして、その世界が『スクラップ・ヘブン』と『悪夢探偵』の世界へと連鎖していく。

  (この項続く)



2026年7月8日水曜日

「小川洋子『バックストローク』を読む 2」 小林一之(教育出版「高校メルマガ」2010年6月号)

 Ⅳ 

 本論に入る前に、前編で言及することのできなかった生徒の読みを取り上げたい。高校生は、自らの置かれている位置に近い「弟」に焦点を絞り、自分をある程度まで「弟」に同一化するようにして、『バックストローク』を読んでいる。小説読解の根本には読者の作中人物への同一化がある。同一化に基づいて、作中人物が織りなす世界に入り込むことは、特に若い世代の読者にとっては必然性を伴う。本校三年生の感想文から、弟、そして弟・姉・父・母の四人からなる家族について様々な考えを述べたものを紹介する。

 

「頑張らなければ」「期待に添わなければ」という感情はとても辛いものだと思う。甘えたくても甘えられない環境が出来上がってしまっている場合が多い。弟の小さい体では収まりきれない想いがあったのだろう。

  複数の生徒が抱いた感想である。親の「期待に添わなければ」という状況は、高校三年生にとってはとても切実に感じられるものである。そして、「小さい体」に「収まりきれない想い」という捉え方は生徒の持つ身体感覚に基づく表現である。「収まりきれない想い」がそのまま凝固して硬直する左腕になったと、生徒は解釈しているのであろう。

 

 プールの中で泳ぐ弟と隅の方で縮まる弟どちらが自由かと比較してみる。自由とはそもそも何か。弟にとって、圧迫感のもとは「家族」であり、それに対して、自分を見つめられる場所は「隅」だけだった。自分の水泳の試合の時のみ、「家族」が成立する。これほどの圧迫感は他にないだろう。

 確かに、この小説では「弟」が泳ぐ時にのみ成立する「家族」の姿が描かれている。この圧迫感のもとになる「家族」を、この生徒は告発したいかのようである。弟と同年齢の生徒らしい素直な実感である。子供を中心として子供を絆として成立している家族は数多く存在するだろうが、その中心としての機能が何らかの理由で失われた場合、家族は崩壊していくのであろう。この小説の結末部もそれを告げている。

 

 空を指し続ける彼の左腕は、頑張らない勇気の表れではないか。彼はそれ以上頑張る必要がないのだと、彼自身も、姉も、父親も、どこかで解ったのではないだろうか。泳げること、それで充分ではないのか。新しい自由を手にするためには、頑張らない勇気の必要性が見えてくる。

 「弟」の左腕の異変を「頑張らない勇気」の表れとして解釈するのは、誤読とも取られかねないが、非常に独創的な読みである。作中の現実としては、弟は病院に入院し無為とも言えるような生活を送り続ける。「頑張らない」ことが弟の勇気であるならば、そのような帰結は彼の欲望の実現とも捉えることができる。この生徒の読みは、現在の社会で増加している「ひきこもり」の問題とも関連するような問いかけを持つ。


 父はあまり弟について感心がないように感じられるが、実は一番心配をしていたのではないだろうか。父はほんとうは弟を水泳から解放してあげたかったのだと思う。

 この生徒は、他の生徒がほとんど言及していない「父」に対して、注目すべき見解を示している。「父」はこの家族の中で唯一「弟」と同じ性に属している。「母」や「姉」が相対的に強いこの家庭の中では、「父」と「弟」は影の薄い存在として共通項を持っていたとも言える。この家族では、「父」が「父」として機能していなかったことは確かであり、そのことが「弟」、父にとっての息子の病理と深く関係しているとも推測できる。


 高校生にとって、『バックストローク』のような現代的な家族の軋みを背景とする教材の場合、作品への親近感が高まる。弟の人生は幼少から描かれ、左腕の異変は十五歳で起きる。作中人物の年齢設定と出来事の時点の設定が通常の作品よりも若くて早い。この設定によって家族の問題も浮上しやすくなり、高校現代文の教材としての魅力も増している。


 話者による重層的な語りによって、作品内の時間が多層的に構成されている小説がある。『バックストローク』もそのような構造を持つ。この場合、小説の最後の場面まで辿りつくことで、作中世界の時間軸が確定される。その時間軸の見取り図を得た上で、もう一度最初に戻り、小説を読み直していく。そのような行為によって、話者の仕掛けた語りの枠組みが見えてくる。この章では『バックストローク』の語りの枠組み、語られる世界とその時間をまず整理しておきたい。また、語られている四人の家族の物語を、作品名『バックストローク』と区別するために、《バックストローク》物語と呼ぶことにする。

  『バックストローク』では、A.話者の現在時の世界→B.一年半前の世界→C.二十数年間展開する世界→B.一年半前の世界、という進行で作中世界の時間と空間が展開する。


A.この小説を語る話者「わたし」の現在時の世界

  「プール」への偏愛、幾ばくかの強迫観念的偏執が語られる。

B.現在時から一年半前の出来事

  職業作家となった姉が東欧の強制収容所に訪問した際に繰り広げられる姉と案内人の男性との交流が語られる。

C.姉の回想として弟の物語の時間    

  《バックストローク》物語が作中挿話のような形式で二十年ほどの時間を元にして語られる。

B.再び、現在時から一年半前の世界

  東欧の強制収容所という場に戻り、《バックストローク》物語の後日談、その後の家族の物語が語られる。

 

 このような語りの枠組みによって浮かび上がる《バックストローク》物語、父・母・姉・弟の四人の家族の物語はどのようなものであったのか。


 小説の末尾で、話者・姉は休息後少し回復する。小説の語りの枠組からすると、この余白のような休息時間内で、弟の左腕の異変を巡る物語が語られる。そして休息後、その後の弟・姉・父・母の物語の帰結が語られる。

 父は肝硬変で亡くなった。母は弟の左腕異変の後に、「ヒステリー」となり、結局、背泳ぎに関わるすべての物、思い出の品をプールで焼く。弟を一流の選手に育てるという夢が壊れた時に、母の人生も半ば壊れてしまったようだ。

 弟はどうなったのか。話者の姉によれば、一月に一度ほど、弟から手紙が来る。弟は、病院の中庭にある「貝殻の形」をした狭いプールで、「背泳ぎ専門」で「得意になって泳いでいます」と書いている。これに対して姉は、「毎回、どの手紙にもプールのことが書いてある。彼が入院して、はや十年になる。」と述べている。「十年」という入院の年月は、弟の病気が身体的なものでなく精神的なものであることをそれとなく示している。精神的な病の方が治療は難しく、長期入院となることもあるからだ。後にⅥ章で詳しく触れるが、この『バックストローク』との関係がきわめて強い小川洋子の短編小説『盗作』では、この弟に相当する人物が「精神科病棟」に入院している設定となっていることも、『バックストローク』の弟が精神の病で入院したという解釈を支えるものとなる。また、弟の手紙にはいつもプールのことが書かれてあるというのは、逆に、泳ぐこと以外に対する無為を示しているとも想像できる。弟の状況は安らかで穏やかなものだが、他者や外界との生き生きとした交流が欠落しているという意味では、非常に閉じられたものである。

 姉は何者となったのか。姉は大学を卒業した後で「印鑑を作る会社」に就職し、会社が休みの日に「趣味で小説を書いた」と述べている。その時点から十年程経ち、姉は「雑誌に連載する長編小説の取材」のために東欧を訪問した。つまり、姉は連載小説を持つ職業作家になっていたのだ。弟の長期入院という時の流れと並行する形で、姉は小説家へと変貌していったのだ。弟の存在が姉に小説を書かせる欲望を与えたことは充分に推測できる。『バックストローク』を姉の物語として構築するのならば、小説家としての誕生の物語を見いだすことができるだろう。精神の病へと自らの生を閉じていった弟と小説の言葉の世界へ自らを開いていった姉という二人の存在の対比は、『バックストローク』の主要なモチーフだと考えられる。

 姉が小説家として誕生する物語を構築するためには、『バックストローク』の世界の余白とも言える場所で進行している欲望の物語を正確に再構成する必要がある。

 小説の冒頭部で、「わたし」はプールを「眺め」、そしてあらゆる点について「観察する」。プールがあるだけでそれは「特別な風景」になり、「わたし」はひとつの眼差しとして存在している。

 この観察者としての作家の位置について、小川洋子は『物語の役割』で「過去を見つめるという態度は、作家が観察者になることです。小説の中でも語り手は常に観察者です。」と述べている。観察者としての「わたし」の眼差しの対象がプールという日常的な空間とは区切られた場、裂け目のような空間であることは、きわめて小川洋子的な語り口の世界でもある。

 プールを語りの糸口、記憶の契機として、「わたし」は「一年半ほど前、雑誌に連載する長編小説の取材で、東欧の小さな町を訪れた時のこと」を回想する。それは「ナチス・ドイツ時代の強制収容所」のプールであった。「通訳兼ガイドの青年」が指さした「トンネル」の向こうに「処刑の行われた広場」、その入り口の脇にプールは存在した。処刑へと導くトンネルの向こう側とこちら側の世界。プールは処刑場への入り口で処刑される人々を迎え入れるかのように佇んでいる。そのプールは囚人たちが作り、収容所の看守とその家族が楽しんだものである。そのプールは「今まで目にしたなかで最も痛まし」いものであり、同時に「昔わたしの家にあったの」と最もよく似たものだった。プールは「巨大な石の棺」であり、「中は途方もなく深い空洞に満たされていた。」と語る。この「途方もなく深い空洞」は、小説『バックストローク』を内側から包み込みような空間の比喩でもある。

 このとき突然「わたし」は気分が悪くなり、その場にうずくまる。通訳の青年が介抱してくれるが、彼の手がふと「弟の手」のような気がする。そのような導入を経て、弟・姉・父・母の四人家族の物語が始まる。

 姉の語る《バックストローク》物語の中では、弟が小学校二年か三年のころ「自分の前世」について述べる場面で、弟にとっての「空洞」のイメージが現れる。弟は「洞窟に迷い込んで、人食いコウモリに体じゅうを食いちぎられて、それで死んじゃったの。」という記憶を述べる。他者によって「体じゅうを食いちぎられ」た上での「死」。精神分析家ジャック・ラカンの言う「寸断された身体」を想起させるイメージである。ラカンは、幼児が一歳半になるまでの時期には、自分の身体を一つのまとまりあるものとして意識することはできないと説いた。身体の各部分がバラバラの形で、言うならば「寸断された身体」のイメージの中で生きていることになる。この段階ではまだ「自分が自分である」という同一性を持つことはできない。ラカンによれば、鏡に映る自己の像によって、「寸断された身体」が一つのまとまりのある身体像に統合される「鏡像段階」に移行することではじめて、主体は「自分が自分である」という同一性を獲得することができる。鏡像という他者に自己を見いだすことが、主体の起源に存在するのだ。

 夢の中には、私たちの身体がバラバラになるような類型もあるが、これは人間の意識が無意識へと逆行する過程で、主体が自己の同一性を奪われ、「寸断された身体」のイメージが出現すると解釈できる。弟の「体じゅうを食いちぎられ」るイメージは自己の同一性が失われる段階への退行として解釈できる。また、「食いちぎられ」るというのは、「その時左腕が、なんの前ぶれもなくつけ根から抜けた」という、欠損した左腕のモチーフとも照合する。

 弟は続けて「で、今度はママのおなかに入らなくちゃならないから、洞窟の中を一生懸命走ったんだ。もうまにあわないかと思ってひやひやしたよ。でもようやく、ぎりぎりまにあった。」と述べる。ここにも「空洞」のモチーフがある。弟は「洞窟」の中を一生懸命走り、ママの「おなか」というもうひとつの「空洞」へと入り込む。寸断された身体は「空洞」で一つのまとまる身体として再生する。弟は子供の頃から「隅」を好むが、「隅」もまた物理的には遮られていないが、ひとつの「空洞」と考えてもよい。弟は、「空洞」から世界に登場しても「空洞」を愛しているかのようである。弟の「ママのおなか」に入ったという言葉に対して「わたし」は「本当にママのおなかでまちがいなかったんだろうか」「弟はまちがえてしまったんじゃないだろうか」と考える。弟は続けてもし今度死んだら、「土になんか埋めてほしくないんだ。」と言う。「わたし」の「どうして?」という問いかけに弟はこう答える。

 

「だって、ナメクジがいるから。僕、ナメクジが嫌いなんだ。骨にして、お姉ちゃんのおなかに入れておいてよ。それがいい。」

 弟は自分がどこから来たか、これからどこへ行くか、ちゃんと知っていた。

 

 「骨にして、お姉ちゃんのおなかに入れておいてよ。」という言葉は、弟の未来の生に対する欲望を表している。弟は「お姉ちゃんのおなか」で生き続けようとする。ただし、「骨にして」という言葉があるので、存在の実質は奪われた形で、比喩として言うならば、精神の「骨」として、姉の胎内で再生する欲望と解釈できる。弟は母の胎内の「空洞」から出てきて、姉の胎内というもうひとつの「空洞」へと辿りつきたいかのようである。

 この弟の言葉を受けて姉は、弟が「自分がどこから来たか、これからどこへ行くか」を知っていたと述べる。この言葉は、弟の「自分の前世」を巡る対話の場面の最後に置かれているが、作中世界の中での「わたし」の言葉ではなく、話者「わたし」の語りの現在時点での言葉として考えるべきである。要するに、小説家としての「わたし」の発話として存在している。

 弟は、左腕の異変とその欠損の後、精神病者として静かな閉じられた生を送る。病院の小さなプールは、かって彼の愛した「隅」の空間に似ている。それは水の満ちている小さな「空洞」でもある。彼は「隅」に回帰したのだとも考えられるが、その「隅」は「無」そのものと考えてよい。弟の人生は閉じられた「隅」での永遠の反復のようなものである。弟は姉に一月に一度ほど手紙を送り続ける。その手紙の文面は病院のプールでの背泳ぎの話題の繰り返し、永遠の反復であろう。しかし、そのような反復は弟の欲望の現れとも捉えられる。弟の手紙の宛先は常に姉である。弟は自らの物語を姉に送り、姉に書かせようとしたのではないだろうか。弟は無意識の次元で、姉の空洞の中でひとつの言葉として生み出されることを望んだのではないだろうか。姉も弟の欲望を自分のものとし、物語を語る欲望に転化していく。

しかし、その欲望は次第に、姉と弟という家族としての関係性を越えて、主体としての話者「わたし」と客体としての「弟」という語りの枠組みを強固なものにしていく。姉は弟を「隅」に閉じこめ、自身の「空洞」に囲い込み、端的に言うならば、自らの小説の対象、素材にしたとも考えられる。『バックストローク』から、どこか悔恨のような、贖罪を願うような、姉の無声の響きが聞こえてくるのは、このことに起因するように私には感じられる。

 姉は小説の最終場面で、ホテルへ戻りゆっくりと休むことをすすめる青年の申し出を断り、強制収容所内の処刑場へ行くという強固な意志を告げる。姉が立ち上がり、「青年」が肩を抱いてくれたところで、小説『バックストローク』の円環が閉じられる。ジャック・ラカンが精神病者を「無意識の殉教者」と定義したことに倣えば、弟も「無意識の殉教者」の一人として記憶されることになるだろう。


 最後に、『バックストローク』に関連する物語に触れたい。『バックストローク』は、前章で述べたように、姉の小説家誕生の物語としても読むことできる。姉にとって、《バックストローク》物語がかけがえのない存在であったと同様に、小川洋子にとっても、作家としての欲望の対象となる特別な物語であったようだ。

 小川洋子の『盗作』(『偶然の祝福』所収)は、「初めて文芸誌に採用された小説、初めて原稿料をもらった小説、あてどないこの世界で、自分だけのためのささやかな居場所を、生まれて初めて与えてくれた私の小説は、盗作だった。」と語りだされる。職業作家である「私」のデビュー作が「盗作」だったというのは、重大な秘密の告白のようであるが、冒頭文に続く節を読むと、事態は奇妙な複雑さを醸し出している。

 

 その事実に気づいた時、私は不思議なくらい動揺しなかった。プライドを傷つけられもしなかったし、罪の意識にさいなまれることもなかった。ましてや本物の作者が名乗り出てきて、厄介な騒動を巻き起こしはしないかと、びくびく怯えたりもしなかった。

 

 デビュー作が「盗作」であると述べられたにもかかわらず、「その事実に気づいた時」とあるのはどういうことなのか、と読者は考えてしまう。盗作はふつう作者が意図的に先行作品を盗用することで成立するからだ。しかし、「その事実に気づいた時」という表現が告げているのは、その作品を書き発表した後で、盗作であることに気づいたという、時間軸がねじれているような事態である。そうであれば、話者は無自覚的に盗作を書いたことになるが、そのようなことが起こりうるのだろうか。「盗む」という行為は自覚的な行為としか考えられない。それとも、事後的に盗作であるという発見をするような状況がありうるのだろうか。続く部分にこうある。

 

 むしろ逆に、私を救い出すためにあの小説がどうしても必要だったのだ、どんな慈悲深い人間も高価な宝石もそれに取って代わることはできなかったのだと、確信した。盗作が道義的に(もしかしたら法律的にも)許されない行為だとしたって、自分の確信の力強さが、そんな罪は一蹴してくれる気がした。もしあそこで、降り掛かってきた偶然の神秘に身を任せていなかったら……そう考える方がずっと怖かった。

 

 この箇所には「私を救い出すためにあの小説がどうしても必要だった」とあるが、「あの小説」とは、盗作だとされたデビューとも、盗作の元となった小説とも、その両方とも捉えることができる。話者はその作品を書かねばならなかった「自分の確信」と、盗作した作品との出会いを指すものと思われる「偶然の神秘」に身を任せたと語っている。そうであれば、多少なりとも、話者には盗作だという自覚があったのだと考えるのが自然であろう。そうだとするならば、前述の「その事実に気づいた時」という事後性の事態と矛盾することになる。それとも、ある程度自覚されていたと自覚されないままであったという二つの事態が共存するのだろうか。その解答のようなものは後ほど明らかになるのだが、盗作という出来事そのものが小川洋子的な小説の仕掛けの複雑さを読者に伝えている。

 冒頭部に続いて、「当時私はかなりひどい状況にあった」と物語が語りだされる。「ひどい状況」とは、「弟」が不良少年に殴り殺され、恋人が横領罪で逮捕され、そのせいで「私」も失業することになるという「底無し沼」に陥る状況であった。

 もともと「私」と弟とのつながりは、「私」の書く小説を媒介とするものだった。優れた読者であり物語作者でもあった弟の死後、「私」はすっかり書けなくなり、衰弱し、部屋に閉じこもるようになった。珍しく外出した際に交通事故にあい、全治三ヶ月の重傷で入院する。

 退院後リハビリに通う車中で、盗作する物語をもたらした「彼女」に出会うことになる。しばらくして「私」は、入院中の弟の見舞いに来ている「彼女」に、「弟さんのことを、聞かせてくれませんか」とお願いをする。「彼女」は「ええ、そろそろ始めようかと、思っていたところです」と言って、弟の物語を語り始める。この「そろそろ始めようかと」という言葉には、期待されていた物語をついに語り始めるような陰影がある。

 「彼女」の語る弟の物語は、小説『バックストローク』とほぼ同一のものであるが、弟の左腕が欠損する契機となるプールでの背泳ぎの印象深い場面がないことが物語の構成上の違いとして指摘できる。内容の違いとしては、弟が特別な泣き方をして死を予知できる奇妙な能力を持っている点と、左腕が上がったままになる際に弟が死を予知する特別な泣き方をしていた点があげられる。弟が自分自身の左腕の「死」を予知していたという設定は、作品の解釈上、重要な差異となっている。また、話者が「彼女は精神科病棟へ」と述べていることから、「彼女」の弟は精神科に入院していることが明らかになる。『バックストローク』では弟が入院している病棟は明示されていないので、この点も違いとなっている。『盗作』との類似性を考えると、『バックストローク』の弟も精神科に入院していると推測できるので、純然たる差異と捉えない方がよいかもしれないが。

 「彼女」の物語を聞いた夜、「私」は小説を書きだす。「彼女が語った物語を、そのまま書き付け」ていき、「彼女の声を胸に響かせる」だけで言葉は紡ぎ出されていった。「私」は「彼女」の物語の口述伝承者のような存在かもしれない。そうであれば、「私」に盗作という意識はなかったことも考えられる。口述の物語が「私」を捉え、文字言語としての小説を「私」に書かせていったという事態が推定される。そのようにして完成した小説が『バックストローク』と名付けられ、デビュー作となった。ただし、小説『盗作』はここで終わらない。後日談が語られるのだ。

 『バックストローク』執筆後七年振りに「私」は最終的なリハビリのために病院を訪れ、談話室のサイドテーブルに置かれた『BACKSTROKE』という英語版のペーパーバックを見つける。

 

 古い本らしく、表紙は擦り切れ変色していた。作者は一九〇一年生まれの聞き覚えのない女性だったが、それ以外のプロフィールは分からなかった。とても発音できそうにない、複雑なつづりの名前だった。私はソファーに腰掛け、一ページめから読みはじめた。背泳ぎの選手だった弟が、左腕から徐々に死に近づいてゆく話だった。私が書いたのと、彼女が語ったのと同じ物語が、そこにあった。

 どんなにボロボロの本の中でも、物語のいとしさは少しも損なわれていなかった。

 

 英文の小説『BACKSTROKE』が、「彼女が語ったのと同じ物語」であるということは、「彼女」の語った物語は彼女自身の経験ではなく、この『BACKSTROKE』に書かれてあった物語であったと考えられる。しかし、「彼女」の弟が、この『BACKSTROKE』の物語そのものではなくても、類似の経験をしていたことは考えられる。経験の類似性が物語への愛着を高めることはよくある。どちらにしろ、「彼女」もこの『BACKSTROKE』を愛おしく読んだのであろう。また、「彼女」以外にもこの談話室で『BACKSTROKE』を読み、その物語を愛した者がいた可能性もある。『BACKSTROKE』は少なくとも二人の女性に感銘を与え、一人はその物語を記憶し語り、一人はその物語を書きとめ小説にした。『BACKSTROKE』は英文の物語であるから、日本語への翻訳という言葉から言葉へのもう一つの過程もある。

 小説『バックストローク』では、話者「わたし」の回想という形で《バックストローク》物語が挿話として語られている。そして、小説『盗作』では、話者「私」が書いた《バックストローク》物語、「彼女」が述べた《バックストローク》物語、ペーパーバック『BACKSTROKE』に記されている《バックストローク》物語がある。

 小川洋子は、「非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする。もうそこで一つの物語を作っているわけです。」と『物語の役割』で述べている。《バックストローク》物語に関わるすべての話者もまた「困難な現実」に向き合う中で、物語を作り出し語っていったのだろう。

 《バックストローク》物語を語ることによって、小説『盗作』と『バックストローク』の二人の話者は各々職業作家として誕生する。二人の話者の背後にある作者小川洋子にとっても、小説家として深い関わりのある物語だと思われる。《バックストローク》は作家小川洋子の起源、小説を語る欲望の起源に関わる何かと関係する物語であろう。「姉」と「弟」の物語を、小川洋子は繰り返し書いてきた。《バックストローク》物語はこれからもヴァリエーションが創られ、反復されていくのであろうか。

 小川洋子という小説家の欲望の物語、反復の物語としての《バックストローク》という地平に辿りついたところで、この稿を閉じることにする。



*この論考「小川洋子『バックストローク』を読む 2」 は、教育出版の「高校メルマガ」2010年6月号で配信されました。同社のHPで掲載されていましたが、HPのリニューアルによって現在は公開されていませんので、このブログに新たに掲載することにしました。