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2021年6月14日月曜日

「坂の下~心に決めたよ」の部分-『桜の季節』[志村正彦LN277]

  2019年7月の志村正彦没後10年『FAB BOX III 上映會』(『FAB BOX III 』)についての文(7月6日『FAB BOX III 上映會』[志村正彦LN224])で次のように書いたことがある。

5周年ツアー時の『桜の季節』は歌詞の一部(坂の下 手を振り 別れを告げる/車は消えて行く そして追いかけていく/諦め立ち尽くす 心に決めたよ)が歌われなかった。なぜだろうか。歌詞の流れからするとこの箇所は必要がないかもしれない。かねてからそう考えていたのでこの改変には納得できたのだが、どういう意図からそうしたのかという関心を持った。

 こう書いてそのままにしておいたのだが、確認のために『Official Bootleg Movies of “デビュー5周年ツアーGoGoGoGoGoooood!!!!!”』のDVDを見てみると、この「坂の下~心に決めたよ」の場面で、志村はマイクを観客席の方に向けている。つまり、この部分を観客に歌わせる意図があったようだ。広い画角の映像で確認は難しいのだが、志村の口元に注意すると、自分で歌詞を口ずさんでいるように見える。この場面の終わりになる頃にマイクを自分の方に回転させようとするのだが、「心に決めたよ」の時にもう一度マイクを観客側に向け直し、そして、最後に自分の方に向けている。観客側の声は最初は小さかったが、「心に決めたよ」のところでは大きなものとなっていた。

 全国8会場で10公演が開催されたデビュー5周年ツアーの最後の曲は、メジャーデビュー曲の『桜の季節』だったようだが、毎回、この「坂の下 手を振り~心に決めたよ」の箇所でマイクを観客に向けるパフォーマンスが行われたのかは確認できないが、おそらくそうだったのだろう。デビューから5周年、さらなる飛躍にむけて、「心に決めたよ」という意志を観客と共有したかったのだろうか。

 「oh その町に くりだしてみるのもいい/桜が枯れた頃 桜が枯れた頃」が『桜の季節』の起承転結〈A起・B承・C転・D結〉の〈D結〉にあるというのが僕の基本的な見方だった。この一節に、歌の主体そして志村正彦のパッション(情念・受苦)が最大限に込められているからだ。未来の出来事(そう想定されるかもしれない)ラストシーンである。しかし、別の捉え方もあるだろう。「坂の下~心に決めたよ」の別離の場面をラストシーンとする考えである。その場合、歌詞の展開順の通り、この部分が、〈A起・B承・C転・D結〉の〈D結〉となる。そうなると、以前書いた「歌詞の流れからするとこの箇所は必要がないかもしれない」という見方が修正されることになる。リフレインの部分を取り除いて、歌詞を整理してみよう。色分けした説明図も示したい。


A  桜の季節過ぎたら/遠くの町に行くのかい?
    桜のように舞い散って/しまうのならばやるせない

B  oh ならば愛をこめて/so 手紙をしたためよう
   作り話に花を咲かせ/僕は読み返しては 感動している!

C  oh その町に くりだしてみるのもいい
    桜が枯れた頃 桜が枯れた頃

D  坂の下 手を振り 別れを告げる/車は消えて行く
    そして追いかけていく/諦め立ち尽くす
    心に決めたよ




 このABCDの構成で、起承転結的な物語を読むとしたら、どのようになるだろうか。ABCは、過去のある時点での未来の出来事の仮定による想像、Dが現在時点で、〈振り〉〈告げる〉〈消えて行く〉〈追いかけていく〉〈諦め立ち尽くす〉という現在形の動詞の連続が〈心に決めたよ〉という動詞の完了形で完結していく。〈心に決めたよ〉がこの歌の中心、起承転結の結であるのなら、何を心に決めたのか、という問いが当然浮かび上がるが、この歌詞の中でその答えを求めるのであれば、心に決めたものはABCの内容そのものだ、ということになるだろう。歌の展開としては、「諦め立ち尽くす/心に決めたよ」のすぐ後に「oh ならば愛をこめて/so 手紙をしたためよう」と続き、この二つは繋がっているようにも聞こえる。つまり、「心に決めたよ」という歌詞内の世界での現在時のDの決意から、それ以前の過去の時点へと回帰するのだ。そうなると、「oh ならば愛をこめて/so 手紙をしたためよう」、さらに「oh その町に くりだしてみるのもいい/桜が枯れた頃 桜が枯れた頃」という行為を〈心に決めたよ〉という解釈の流れが成立する。「oh」は決意の表明の叫びとも考えられる。実際の歌でも、DのあとでB→A→Aとリフレインされている。楽曲全体ではA→B→A→C→D→B→A→Aという展開になる。

 それにしてもここには、現在から過去へと遡るという時間のねじれのようなものがある。起点としての過去から現在へ、その現在から過去へと時間が遡り、その過去から再び未来へ。その過去の時点で、未来の〈手紙をしたためよう〉〈その町にくりだしてみるのもいい〉という行為を仮定し想像している。歌の主体「僕」は〈桜の季節〉につながる想いや行為のすべてを〈心に決めたよ〉と伝える。この「僕」は作者志村正彦の分身であろう。『桜の季節』には時間の循環のような謎めいた複雑な構造がある。

                          (この項続く)


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