ページ

2022年9月29日木曜日

三拍の言葉-『赤黄色の金木犀』[志村正彦LN317]

 一昨日の夜、仕事の帰りに建物から外に出た瞬間、金木犀の香りが漂っていた。毎年、甲府盆地では9月の26日か27日頃に香り始める。今年は例年通りだ。九月の中旬までは夏の暑さが続く。下旬になると秋が訪れ始める。金木犀は、夏の終わりと秋の始まりの狭間に香り出す。

 今日9月29日は、志村正彦・フジファブリック『赤黄色の金木犀』のシングルCDリリース日。2004年のことだからもう18年が経つ。

  久しぶりにこの曲をかける。言葉がリズムに乗って次第に加速していく。前へ前へというよりも、後ろから追いかけられるようにして、歩みを速める。その速度の感覚を志村正彦は巧みに言葉で表している。


 冷夏が続いたせいか今年は
 なんだか時が進むのが早い
 僕は残りの月にする事を
 決めて歩くスピードを上げた


 冷夏の後、秋を迎える。〈なんだか時が進むのが早い〉ので〈残りの月にする事を決め〉る。この〈月〉は九月だろう。歌の主体〈僕〉は〈歩くスピードを上げた〉。

 志村はこの歌について〈秋は夏が終わった憂いがあって、四季の中でも一番グッとくる季節だし、前々からいい形で秋の曲を作りたいと思っていたんです。秋の風景にはいろいろありますけど、今回はある帰り道に思ったことを瞬間的に切り取って曲にしました〉と述べたことがある。

  〈夏が終わった憂い〉とあるので、『赤黄色の金木犀』は『線香花火』『陽炎』などの夏歌との関連があることに気づく。〈憂い〉が色濃くなる季節、歩行の速度を上げる。〈僕〉はなんらかの〈憂い〉に追い立てられるように歩いているのかもしれない。憂いと焦燥感。そのリズムの加速がこの歌の感覚の鍵となっている。


 いつの間にか地面に映った
 影が伸びて解らなくなった
 赤黄色の金木犀の香りがして
 たまらなくなって
 何故か無駄に胸が
 騒いでしまう帰り道


 このブロックの言葉自体のリズムが三拍であり、ブレスを含めると四拍になることに、今まで気を止めていなかった。久しぶりに聴いて、言葉の三拍のリズムが妙に身体を貫いてきた。歌詞を平仮名にして記してみる。


 いつの・まにか・じめん・に・うつった
 かげが・のびて・わから・なく・なった
 あかき・いろの・きんも・くせい・の・かおり・がして
 たまら・なく・なって
 なぜか・むだに・むねが
 さわい・で・しまう・かえり・みち


 三拍の言葉によるビート感が基調にある。〈強・弱・弱〉の反復がリズムの区切りとなって、言葉が表出される。特に〈何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道〉〈なぜか・むだに・むねが・さわい・で・しまう・かえり・みち〉のところで、三拍の頭の〈な・む・む・さ・し・か・み〉の強い響きが、何かに急き立てられるような感覚を打ち出す。志村は言葉を切り取る「拍」の感覚にも優れていた。


 金木犀の香りが訪れる感覚にも似ている。突然、鼻腔に強い香り、刺激的な香りがどこからともなくやってくる。その後、やや弱い香り、甘い香りがなだらかに続いていく。金木犀の香りにも〈強・弱・弱〉のリズムがあるのかもしれない。

 あの美しいイントロ・アウトロのギターのアルペジオにも〈強・弱・弱〉のビートがあるようにも聞こえてくる。これはすべて聴き手としての僕の感覚にすぎないのではあるが、今日は三拍の言葉が強く響いてきた。


2022年9月25日日曜日

語りの構造-『茜色の夕日』4[志村正彦LN316]

 『茜色の夕日』には独特の揺らぎがある。独自のリズムがある。歌詞にも独特の揺れのようなものがあり、その言葉の世界はたどりにくい。たどりにくいと言っても難解なわけではない。曲を聴き終わったときに、やるせないような余韻が残る。かと言っても、歌詞の言葉に戻ると、そこには依然として、謎としての余白が残る。

  志村正彦の歌には、現在時から、現在と近い過去の出来事を語っていくものが少なくない。しかし、それだけでなく、過去や遠い過去の出来事に対する回想が加わる。そこからさらに、もう一度、現在時に戻り、心の中の呟きを会話体で表現するフレーズが入り込む。『茜色の夕日』はそのような枠組の原点と言える。

 今回の考察は私の仮説の提示である。作者志村のモチーフを想像しながら、一つの仮説としての構造を示したい。その図示を試みる。  


 まずはじめに、第1~4ブロック全体を再度引用する。

1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
1c
1d

2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった

4a
4b
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


 この第1~4ブロックを次のように再構成する。

ユニットⅠ 第1ブロック+第4ブロック

ユニットⅡ 第2ブロック

ユニットⅢ 第3ブロック

ユニットⅣ 第5ブロック


 第1ブロックは、回想の叙述から始まるが、現在の出来事の語りでもある。LN313で述べたように、ここに第4ブロックを接続することで、ユニットⅠというまとまりを形成できる。

 ユニットⅡとユニットⅢは純然たる回想の語りであり、部分的に現在の想いが入り込む。Ⅰが全体の枠組を作り、その中にⅡとⅢが入り込む。ユニットⅣは、ⅠⅡⅢの枠組の外側にあり、現在時の歌の主体の〈僕〉の心の中の呟きが会話体で表現されている。この語りの構造を図示してみよう。




 この構造図は、志村正彦による出来事の語り、回想の叙述、心の中の呟きの関係を視覚化したものである。
 次回から、ユニットごとにその構造とモチーフを詳細に分析していきたい。

2022年9月11日日曜日

めぐる夏-HINTO『シーズナル』

 CDTV「思い出の夏ソングBEST60」1位となった『若者のすべて』の他にも、『陽炎』『NAGISAにて』など素晴らしい「思い出の夏ソング」を志村正彦・フジファブリックは創った。一つだけ選ぶとしたらずいぶん迷うことだろう。

 僕が志村の作品以外から「思い出の夏ソング」を選ぶなら、HINTOの『シーズナル』(2014年発表)だ。以前も紹介したが、あらためてこの歌を取り上げたい。ミュージックビデオと歌詞全文を添付する。





HINTO 『シーズナル』
作詞:安部コウセイ・作曲:HINTO

いつだって調子が悪そげな現状に
テンパってばかりでもう
本日の曜日もわかんなくなってるけど
猛暑って騒ぎ出したね

チャラい事に無縁の僕の夏がやってくる
今年こそは!今年こそは!だぜ

ねぇ皆ねぇ皆ねぇ皆 そろそろ
新しい季節が始まるみたいさ
誰かと出会って 誰かとは別れて
めぐってめぐって少しずつ変わって

なんとなく自然と疎遠になった君を
想い出して忘れた夜
完璧に眠気が消滅しちゃったけれど
豪雨ってこんな時いい

それっぽいことしないで僕の夏が去ってゆく
来年こそ!来年こそ!だぜ

ねぇ皆ねぇ皆ねぇ皆 そろそろ
新しい季節とサヨナラみたいさ
誰かと笑って 誰かと涙して
愛して憎んで少しだけわかって

ねぇ皆ねぇ皆ねぇ皆 そろそろ
新しい季節が始まるみたいさ
誰かと出会って 誰かとは別れて
めぐってめぐってくシーズン
めぐってめぐってくシーズン
めぐってめぐって
少しだけ変わった


 安部コウセイ@kouseiabeの8月28日のtweetには〈HINTOのシーズナルって曲があるんですけど、何度歌っても毎回しずかに感動するんです。なのでもう勝手に名曲認定しますね〉とある。作者自身の名曲認定だが、この歌がもっと聴かれるべき夏の名曲であることは確かだろう。9月3日には〈アナログヒントありがとうございました。あー最高の夜だった。最高の夜だったよ〉とあり、9月2日開催のAnalogfish×HINTOの 2 man Live 『アナログヒント~おひさしぶりのブラザー~』での『シーズナル』のライブ映像が添えられている。

 歌詞について触れたい。〈チャラい事に無縁の僕の夏がやってくる〉〈それっぽいことしないで僕の夏が去ってゆく〉と〈僕の夏〉がゆるやかに語られている。〈チャラい事に無縁の〉〈それっぽいことしない〉〈僕〉。〈やってくる〉夏と〈去ってゆく〉夏。遠い遠い夏の季節にそんなことがあったような、なかったような、そんな思い出が聴き手の僕自身の中でもめぐりだす。失われてゆくものを取りかえしたい想い。その苦しさ、空しさ、懐かしさ、切なさ。この歌を聴くと様々な感情が浮かび上がる。

 『シーズナル』のサビは三回繰り返されるが、歌詞に変化がある。

 めぐってめぐって少しずつ変わって
 
 愛して憎んで少しだけわかって

 めぐってめぐって少しだけ変わった

 このblogですでに書いたことを繰り返すが、〈少しずつ変わって→少しだけわかって→少しだけ変わった〉という変化について触れたい。〈変わって→わかって〉の〈かわ〉〈わか〉の音の戯れ。〈少しずつ→少しだけ→少しだけ〉という副詞の展開。〈て→て→た〉と余韻を残す接続助詞〈て〉を使いながら最後は助動詞〈た〉で完結させる。安部コウセイは、言葉の微細な変化によって、〈僕〉の変化を歌う。

 以前、この三つの箇所が、『若者のすべて』の最後〈僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉に対する応答のように感じると書いたが、今聴くと、ますますそんな気がするのはなぜだろうか。

 『シーズナル』も『若者のすべて』も、聴き手にそして歌い手にも、夏を想起させる強い作用を持つ。夏の思い出が〈めぐってめぐって〉ゆく。
 

2022年9月4日日曜日

『若者のすべて』-CDTV「思い出の夏ソングBEST60」第1位[志村正彦LN315]

 前回、この夏は『若者のすべて』についてのニュースは特段なかったようだ、と書いたが、その翌日の8月29日、TBSで『CDTVライブ!ライブ!』夏の4時間スペシャルが放送され、フジファブリックの『若者のすべて』が「思い出の夏ソングBEST60」1位となった。

 僕はこの番組を見逃してしまったのでネットの情報によった。これはこの夏の特筆すべき出来事だ。テレビ番組のあらゆるランキングの中で、志村正彦の歌がナンバーワンになったことは初めてだろう。

 3万人の一般リスナーの投票で決まったようだ。最近のこの曲の人気からすると、30位以内には入る、もしかすると10以内もありえる、そんな予想はできただろうが、結果は1位。真夏の夜の夢のような気もしたが、これは事実である。

  5月のテレビ朝日「関ジャムJ-POP史 最強平成ソングベスト30!!」では「若者のすべて」が4位になったが、これは若手人気アーティスト48名による一斉アンケ―トの結果だ。アーティストの投票による4位も嬉しいが、一般リスナー3万人の投票による1位の方が断然すごい。驚きと嬉しさでいっぱいになる。

 ネットで放送の一部を見ることができた。両国ライブ(DVD『Live at 両国国技館』)で志村正彦が歌う映像が使われていた。テレビで紹介される場合、ミュージック・ビデオが使われることが多いが、この番組はライブ演奏や中継があるなど「ライブ」が中心なので、両国ライブの方が選ばれたのだと思われる。現在のフジファブリックもこの歌をよく演奏しているが、やはり、志村正彦が歌う『若者のすべて』でなければ『若者のすべて』ではないのだろう。歌詞、楽曲、歌い方、声、眼差しのすべてが志村独自の表現となっている。そして、『若者のすべて』が、志村正彦という一人の若者が作詞作曲した作品であることが広く認知されてきたのだろう。


 ネットで見たランキングによると、僕らの世代の夏歌として有名な下記の歌は次の通りの順位だった。

44位 井上陽水『少年時代』
36位 松任谷由実『真夏の夜の夢』
22位 TUBE『あー夏休み』
18位 サザンオールスターズ『真夏の果実』

 サザンオールスターズやTUBE、そして松任谷由実や井上陽水。10位代から40位代に入っているが、これらが夏歌の上位を占める時代は終わってしまったのだろうか。10位から2位までは、BTS、キマグレン、平井大、3代目J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE、KARA、湘南乃風、緑黄色社会、桐谷健太の順だが、10代から20代の若者によって支持される曲だろう。

 このような曲が並ぶ中で『若者のすべて』が1位となったのは、現在の若者世代からの支持も多いことを示す。『若者のすべて』は、かつて若者であった者にも、今若者である者にも、そしておそらく、これから若者となる者にも、つまり、若者のすべての世代によって愛される作品になりつつある。すべての若者の『若者のすべて』。

 それにしても1位となった要因はどこにあるのか。やはり、「思い出の夏ソング」というテーマ設定、特に「思い出」というモチーフが大きい。


  何年経っても思い出してしまうな

  ないかな ないよな きっとね いないよな


 〈何年経っても思い出してしまう〉歌の主体が〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉と歌うのは、思い出す行為そのものである。思い出したものではなく、思い出すこと、そのこと自体を歌う。思い出す行為がそのまま聴き手に作用していく。聴き手自身が思い出す行為に誘われる。これが「思い出の夏ソング」第1位となった要因ではないだろうか。