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2024年5月5日日曜日

青柳拓監督『フジヤマコットントン』山梨上映会

  昨日、青柳拓監督の新作『フジヤマコットントン』を甲府で見ることができた。

 青柳監督は1993年、山梨県市川三郷町で生まれた。2017年、日本映画大学卒業制作のドキュメンタリー映画『ひいくんのあるく町』が公開されて高い評価を受ける。2021年公開の『東京自転車節』は、コロナ禍の緊急事態宣言下の東京で自転車配達員として自ら働く姿を記録したドキュメンタリー作品。社会への鋭い批評性と働くことへの問題提起によって、国内だけでなくドイツ、フランス、イギリスでも上映された。

 主要な作品としては三作目となる『フジヤマコットントン』は、山梨県の中巨摩郡昭和町にある障害福祉サービス事業所「みらいファーム」に集う人びとを描いたドキュメンタリー映画。連休中の5月3日・4日の2日間、甲府駅にも近い「やまなしプラザ」のオープンスクエアで、山梨では初めての上映会が開かれた。2月の東京での公開以降各地で公開されたが、なかなか見る機会がなかったので、この上映会はありがたかった。

 2日間で合計6回の上映。各会定員が150名。私は4日の第1回目に行ったのだが、予約客だけで満員となった。会場は貸しホールなのでフラットな形状、座席もパイプ椅子と、映画を見る環境としては恵まれてはいない。本来は映画館での上映が望ましいが、現在、山梨県内の映画館は、シネコンの「TOHOシネマズ 甲府」(イオンモール甲府昭和内)しかない。甲府市内の唯一の映画館「シアターセントラルBe館」は昨年12月以来休館している。(この映画館での上映作品はこのブログでも何度か書いたことがある。甲府のミニシアターとでも言うべき貴重な場だったので、再開されることを願っている)

 地方では映画を見る環境自体が衰退している。しかし、この『フジヤマコットントン』の山梨初上映はこの「やまなしプラザ」のような場所でよかったのかもしれない。この施設は山梨県防災新館という山梨県庁の建物の一階にある。言うならば、甲府中心街のちょっと洒落た「公民館」のような所。この映画を見たい人びとが集う場としては良い選択だったとも思う。

 この映画の予告編を紹介したい。




 会場では、青柳監督の挨拶の後、映画が始まった。公開してまだ三か月ほどの映画なので、内容そのものについてここで触れることは差し控えるが、冒頭とその直後のシーンについて少し書かせていただきたい。


 冒頭のシーン。一人の男性が畑の中の道をゆっくりと歩いて行く。

 その向こう側に、御坂山地の山々とその稜線の上に富士山が見える。フジヤマ、富士山がこの映画の舞台を見つめる、見守るような位置にあることが暗に示される。

 『ひいくんのあるく町』では、ひいくん(渡井秀彦さん)が山梨の市川の町を歩いた。『東京自転車節』では、青柳監督自身が自転車で東京の街を疾走していた。『フジヤマコットントン』では、甲府盆地の南にある畑道を歩く。歩く、移動する男はこの三作の共通のモチーフだろう。

 そしてこの冒頭には「甲府盆地のど真ん中 山はゆりかごのように 囲んでゐる」というテロップが表示される。『フジヤマコットントン』の充実したパンフレットの中で監督は、「山梨出身の歌人・山崎方代さんの短歌を参考にしてオリジナルで作成しました」と述べている。

 方代は、1914年山梨の右左口村で生まれた。「漂泊の歌人」として知られる。戦争で右目を失明。晩年は鎌倉で過ごし、1985年に亡くなった。「ふるさとの右左口邨は骨壺の底にゆられてわが帰る村」が代表作。この歌にあるように、方代は山梨に帰郷しなかった、帰郷できなかった出郷人である。

 映画の幾つもの場面で監督作の短歌風のテロップが流れる。この手法は、木下恵介監督の『二人で歩いた幾春秋』(1962年)へのオマージュであろう。この作品は、戦後の山梨で野中義男(佐田啓二)・とら江(高峰秀子)の夫婦と一人息子の利幸(山本豊三)が苦労に苦労を重ねながら懸命に生きていく家族の物語。原作の歌集『道路工夫の歌』の河野道工の短歌がテロップとして効果的に使われている。また、青柳監督の故郷市川大門の町やその周辺が舞台となっている。以前、この作品について語ったtweetを読んだ記憶があるので検索すると、次の呟きが見つかった。

青柳 拓 Aoyagi Taku @otogisyrupz Apr 27, 2021
歌集『道路工夫の歌』(河野道工著)は地元山梨・市川大門を代表する労働歌。佐田啓二と高峰秀子主演で木下監督作『二人で歩いた幾春秋』の原作。現代の労働映画『東京自転車節』をこれから語っていく上で自分のルーツを読んでおかねばと思い購入。これが刺さりまくってる…いずれ少しずつ紹介します

 私が『二人で歩いた幾春秋』を初めて見たのは、二十数年前にNHKBSで放送されたときだった。木下作品の中ではあまり知られていないが、きわめて優れた映画である。昔の市川大門の町や道、市川の花火、路線バス、甲府一高の講堂、もう解体された岡島百貨店など、山梨の人にとっては懐かしい映像が映し出される。

 河野道工(本名  河野利和)は、1909年山梨県市川大門町で生れた。戦争から復員後、市川土木出張所に入り、道路工夫となる。短歌を山梨時事新聞「山時歌壇」に投稿。後に歌誌「樹海」同人。1960年、第一歌集『道路工夫の歌:河野道工歌集』、1969年、第二歌集『雑草の歌 : 自選歌集  続・道路工夫の歌』(共に甲陽書房)刊行。1972年に亡くなった。

 木下恵介監督『二人で歩いた幾春秋』と河野道工『道路工夫の歌』については別の機会に書いてみたい。


 『フジヤマコットントン』は記録映像を主とするものだが、青柳拓が親しんできた映画や文学に対する細やかな愛やそれを活かす技法が、ファブリックのように織り込まれている。


 ふたたび映画に戻りたい。冒頭シーンのすぐ後で施設内部の風景に、「バラバラの人たちの バラバラのリズムが 鳴り響く場所」というテロップが表示される。その後の映像はまさしくこのテロップ通りに展開していく。2022年から約1年かけて1か月2回、1回につき3~4日集中して撮影されたそうだが、カメラとインタビューが丁寧に繊細に「バラバラの人たち」の施設での生活や労働を追っていく。彼らの「バラバラのリズム」は時に融合して、美しい音楽も奏でていく。95分の上映時間はそのように流れていく。

 『ひいくんのあるく町』の「ひいくん」の歩行のリズムと祭り囃子の音、『東京自転車節』の自転車のペダルのリズムとテーマの節、『フジヤマコットントン』の綿繰り機や織り機のリズム、というように、青柳作品からはいつも働く人間のリズムや音が聞こえてくる。


 上映後、監督と出演者二人の挨拶とトークがあった。その時のフォトセッションの写真を添付したい。左から、けんちゃん(木内賢一さん)、青柳拓監督、たつなりさん(小林達成さん)。監督が両手に持っているのは、二人がプレゼントした花。「みらいファーム」で育てられたものである。




 『フジヤマコットントン』は各地で上や上映予定があるので、ぜひ見ていただきたい。劇場情報は公式webにある。ドキュメンタリー映画という枠を超えた独創的な作品である。このような映画はかつて存在しなかった。そして、これからも存在しないであろう。この映画については考えてみたいことがたくさんある。上映が一段落したあたりで、再びこのブログに書きたい。