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2016年3月31日木曜日

ある感慨-メレンゲ『火の鳥』5

 一昨日29日の夜、前回の記事を書き上げた時に、ちょうどその頃終えているはずの大阪Loft PlusOne Westでの『クボノ宵』がどうだったか気になり、Twitterのリアルタイム検索を見ると、アンコールで『若者のすべて』『火の鳥』が続けて歌われたことを知った。昨夜30日の京都SOLE CAFEでも本編の最後にこの二曲が歌われたそうだ。

 『火の鳥』についての一連のエッセイを書き始めた時点では、『若者のすべて』との関係は意識していなかった。しかし、この歌を聴き直していくうちに、『火の鳥』の向こう側から『若者のすべて』の歌詞が浮かび上がってきた。クボケンジと志村正彦が、歌と歌とによって対話しているように感じた。すべて、一人の聴き手としての僕の恣意にすぎないが、一昨日昨日の二夜、クボケンジがこの二曲を歌ったという出来事は感慨深い。
 それでも、このような出来事は思いがけなく起こるからこそ、かけがえのないものになる。聴き手がそれを求めすぎてはならないだろう。そんなことも思う。

 正直に書くと、この『火の鳥』の音源を聴いたり、MVを見たりするのは辛い。普段は聴くことも見ることもない。この文を書くにあたり、二年ぶりに視聴することになった。歌の印象が少し変化した。歌詞の一節に「世界には愛があふれてる」とある。この歌にも愛があふれている。

 今年も桜が開花した。志村正彦『桜の季節』の季節の到来だ。この歌は投函されることのない「手紙」がモチーフの一つになっている。
 『火の鳥』もまた、クボケンジが志村正彦に宛てた手紙、言えなかったことを言おうとする手紙、それも投函されることのない手紙だ。

 歌そのものが手紙に擬えられる。手紙は宛先に届く。
 鳥は手紙を受けとる。
 鳥は「火の鳥」となる。

2016年3月29日火曜日

祈ること-メレンゲ『火の鳥』4

 メレンゲ『火の鳥』にはミュージックビデオがある。ぜひ映像をご覧になっていただきたい。




 歌詞の全文も引用したい。

      まっすぐに空を鳥が飛ぶ
      急いでいるのでしょうか どちらまで?
     
    急いでいるように見えましたか?
      実は私にもわからないのです

  
      意味もなく 意味もなく ただ羽があるから飛んでたのです
     
      泣きそうな声 悲しい事言うなよな
      ならその空の旅を 僕と行かないかい?
      道はなく壁もなく ただ空は青く その青さがゆえに 青い海

  
      争ったり 仲直りしたり 勝った方が正義か 遊びじゃないんだぜ
    
      いろんな人と いろんな命と 微妙なバランスで青い地球
 
      他人事みたいに 世界中を見に行こう ツンドラのもっと向こう
      君にだって会える 言えなかった事言おう 言えなかった事を言うよ

  
      世界には愛があふれてる 夜になれば灯りはともる
      それでも僕ら欲張りで まだまだ足りない

   
      他人事みたいに 世界中を見に行こう ツンドラのもっと向こう
      優しくなれるかい 人は変われるって言うよ?
      同じように僕も 他人事じゃなくて 他人事じゃなくて
      ツンドラのもっと向こう

     ( 『火の鳥』   作詞作曲:クボケンジ )


 海辺の光景。荒れた白い波。波打ち際に寄せられた無惨な花。赤い花、青い花、橙色の花。上空で旋回する一羽の鳥。黒い影。
 鳥が落ちてきて、花と化したのか。それとも、これから、花が鳥と化して、飛び立っていくのか。

 褪せた色合い、外れたフォーカス、フィルムの粒子のような質感の映像によって、歪んだ曖昧な世界が広がる。クボケンジのまなざしがうつろにゆらいでいる。感情が奪われてしまったような表情がくりかえし映し出される。そのような自分をあえてさらけだす逆説的演出かもしれない。一瞬だが、オフィーリアの絵のように見えるシーンもある。

 曲が終わりに近づくにつれて、フォーカスが合い、メンバーの姿、クボ、ベースのタケシタツヨシ、ドラムのヤマザキタケシの姿が見えてくる。海辺の光景、その輪郭が徐々に現れてくる。現実感を少しだけ取り戻す。

 このMVの撮影は2011年10月。3月の震災のために延期されたという。監督は江森丈晃氏。彼は『言葉と魔法 クボケンジ詩集』、『音楽とことば あの人はどうやって歌詞を書いているのか』(志村正彦のインタビューも掲載)を企画編集している。

 この演出が震災より前の時点で考えられたかどうかは知らない。2009年5月発表の『うつし絵』のミュージックビデオとモチーフの共通性があるので、以前から原型があったのかもしれない。そうだとしても、この映像の光景、寒々しい海辺、荒れた波、波打ち際の無惨な花々は、東日本大震災を想起させる。安易な連想かもしれない。このように書くこと自体、犠牲になられた方々に申し訳ない気持ちもある。だが、それでもやはり、この映像には震災の記憶が強く刻み込まれていると考える。
 
 『火の鳥』は2011年1月から2月にかけて録音されたようだ。2月の京都でのライブ、その映像記録。3月の東日本大震災。4月のアルバム『アポリア』リリース。10月撮影・発表のMV映像。2011年という「時」の中で、この歌は震災という現実と遭遇した。

 『アポリア』特設サイトで、ヤマザキタケシは「この作品が出来た時、僕は全てを出し切れた満足感で一杯でした。その直後にあの大きな出来事があり、自分の無力さを痛感し音楽に向かう気持ちが揺らいでしまう時期がありました。。そんな中、ひとりのリスナーとして聴いたこの作品から僕自身が力をもらい、もう一度音楽に対する気持ちを取り戻す事が出来ました。」と、タケシタツヨシは「ライブで育ってきた楽曲、つまり今の自分たちの精一杯の音楽を詰め込んだアルバムが出来上がりました。聴いてくれるみなさんの心にとって、少しでも光明や希望になってくれる曲たちだと信じています。」と語っている。

 花も鳥も、意味もなく、意味もなく、そこにある。
 そうであるとしても、それに対して、言葉を紡ぎだすこと。
 歌うこと。
 聴くこと。
 祈ること。
 
                              (この項続く)

2016年3月26日土曜日

行き詰まりから歩き出す-メレンゲ『火の鳥』3

 メレンゲ『火の鳥』とフジファブリック『若者のすべて』は共に再会を求めて旅する歌だ。

 『火の鳥』の主体は「世界中」を見に行く。青い空、青い海を越えて「ツンドラ」のもっと向こうに旅する。そこであれば「君」との再会が可能となる。「言えなかった事言おう 言えなかった事を言うよ」と自分に言い聞かせている。
 『若者のすべて』の主体は「街」を越えて「最後の花火」を見に行く。「ないかな ないよな きっとね いないよな」。そこで誰かと再会したとしても「会ったら言えるかな」「話すことに迷うな」と自らに呟いている。

 『若者のすべて』の主体は「最後の最後の花火が終わったら/僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」と歌い終わる。『火の鳥』の主体は「優しくなれるかい 人は変われるって言うよ?/同じように僕も 他人事じゃなくて 他人事じゃなくて/ツンドラのもっと向こう」と歌って閉じる。

 「僕」と「君」、「僕ら」の再会への旅、何かを言おうとする願望や決意、その逆の躊躇や逡巡。「変わるかな」「変われるって言うよ」、変化についての問い。具体的な背景や文脈は異なるが、歌のベクトルの方向が似ている。何よりも、立ち止まるのではなく、歩き出そうとするモチーフが共通している。

 志村正彦は、『音楽と人』2007年12月号掲載の『若者のすべて』に関するインタビューでこう述べている。

 一番言いたいことは最後の「すりむいたまま僕はそっと歩き出して」っていうところ。今、俺は、いろんなことを知ってしまって気持ちをすりむいてしまっているけど、前へ向かって歩き出すしかないんですよ、ホントに

 両国国技館でのライブMCでも「止まってるより、歩きながら悩んで」いくことが大切だと語りかけている。
 意識してのものではないかもしれないが、クボケンジはこの志村の言葉に「そっと」支えられたのではないだろうか。
 アポリア、行き詰まりに直面して立ちすくむのではなく、とりあえず、そっと、歩き始めること。クボは『アポリア』の特設サイトでこう語っている。

  個人的にも僕のいろんな想いの詰まった渾身の作品です。そしてメレンゲ的にも今までよりもさらに魂のこもった作品になりました。僕らには音楽しかないのでやっぱり僕らの音楽を聴いてもらいたい。その中でみんなと共有し合える何かがあると確信しています!後ろを気にしながら前に進もう。

 『若者のすべて』と『火の鳥』。
 『若者のすべて』は2007年11月、『火の鳥』は2011年4月に発表された。この二つの作品の間、2009年12月、志村正彦は旅立った。
 
 二つの歌の個々の文脈や背景を越えて、時系列も何も越えてみたらどうなるだろうか。
 例えば、『若者のすべて』の「僕ら」は志村正彦とクボケンジだと想像してみてはどうか。「僕ら」が見る未来の光景が、『火の鳥』の「人」と「鳥」だとするのはどうだろうか。

 「僕ら」は同じ青い空を見上げている。
 「人」と「鳥」が対話している。
   「僕ら」は僕らである。
 解釈としては有り得ないが、非現実の出来事、時を越える出来事としては有り得るかもしれない。

 3月2日、新宿ロフトで「クボノ宵」という弾き語りライブがあった。ドラムは城戸紘志。自ら参加したいと言ったそうだ。(彼は『若者のすべて』音源のドラムを敲いている。サポートドラマーというより、あの時期の準メンバーだった)
 ネットの情報によると、アンコール前の本編最後で『火の鳥』が歌われたようだ。

 「クボノ宵」は29日大阪、30日京都でも開かれる。

   (この項続く)

2016年3月21日月曜日

『火の鳥』と『若者のすべて』-メレンゲ『火の鳥』2

 メレンゲ『火の鳥』、冒頭の情景。
 鳥が空を飛んでいる。歌の主体は「急いでいるのでしょうか」と問い、鳥は「私にもわからない」「意味もなく 意味もなく ただ羽があるから」飛んでいたと応える。この対話はそのまま、歌の作者クボケンジにとって、志村正彦の死、永遠の別離を象徴している。
  対話の後、歌の主体は「鳥」に向かってこう語る。

     泣きそうな声 悲しい事言うなよな
      ならその空の旅を 僕と行かないかい?
      道はなく壁もなく ただ空は青く その青さがゆえに 青い海
 

 歌の主体は「その空の旅を 僕と行かないかい?」と呼びかける。しかし、一緒に旅することは不可能だ。この呼びかけは無為に終わる。歌の主体は一人で、青い「空」と「海」を越えて、「道はなく壁もなく」旅を続けねばならない。
  歌の主体、そして作者クボケンジは何処に行くのか。

      他人事みたいに 世界中を見に行こう ツンドラのもっと向こう
      君にだって会える 言えなかった事言おう 言えなかった事を言うよ


 「世界中」を見に行くこと。「ツンドラのもっと向こう」に行くこと。歌の主体は旅の行方をそう告げている。「ツンドラ」が何を象徴するのかは分からない。ただ、クボにとって志村の死、その悲嘆や絶望は、永久凍土である「ツンドラ」のように心が凍り付くような経験だったことは間違いない。歌も言葉も永遠に凍り付く。アポリア、行き詰まりの経験だ。

 しかし、「ツンドラのもっと向こう」でなら「君」にだって会える。「言えなかった事」を言える。そのような旅を、歌の主体そして作者クボケンジは試みる。それはもちろん、歌という作品の中の行為だ。どのようにしたらそれが可能になるのか。
 『火の鳥』の終わり近くにこうある。

      世界には愛があふれてる 夜になれば灯りはともる
      それでも僕ら欲張りで まだまだ足りない

      他人事みたいに 世界中を見に行こう ツンドラのもっと向こう
      優しくなれるかい 人は変われるって言うよ?


 この箇所を聴くとある歌のことを想いだす。フジファブリック『若者のすべて』、志村正彦が創りだした作品の言葉が浮かび上がる。

 引用箇所、『火の鳥』の「世界には愛があふれてる」「夜になれば灯りはともる」「僕ら欲張りで まだまだ足りない」「人は変われるって言うよ?」という表現は、『若者のすべて』の「世界の約束を知って それなりになって また戻って」「街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ」「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」という表現と響きあう。もちろんこれはあくまで、僕自身の感受にすぎないが。

  「世界」「灯り」「僕ら」「変われる」というモチーフの重なりあい。意識的というより無意識的かものかもしれないが、クボは志村作品の言葉との対話を試みる。『若者のすべて』と『火の鳥』はそれぞれ固有の世界を持つ。物語も異なる。だから歌全体としての応答ではない。部分としてのモチーフの重なりに過ぎない。しかしこれは重要なことだ。

 クボが志村の言葉と対話することで、幾分か、二人の詩人、二つの世界が複合された歌が生まれる。クボの声と志村の声が響きあう不思議な世界が開けてくる。
 アルバム『アポリア』収録作品以降、クボは意識的あるいは無意識的に志村作品のモチーフや言葉と様々な対話を試みている。音楽情報サイト「mFound」での『アポリア』に関するインタビュー取材・文/まさやん)で次のように述べている。

-歌詞カードの最後に「Special Thanks to 志村正彦」というクレジットがありますね。

クボ:そうですね。やっぱりそこはずっと気持ちとして変わらないし。それがどういう風なものというのは説明しづらいんですけど、やっぱり彼がいないと自分も音楽が出来ていないから。それ位の存在です。…まぁやっぱりどう言っていいかは難しいですが。
でも、どうとらえてもらってもいいかなと思ってるんです。初めて聴いてもらった人にしてみれば、どの曲も普通に作品として出来ているので。

 「彼がいないと自分も音楽が出来ていないから。それ位の存在です」そう言いきることができたクボケンジは、ある意味でアポリア、行き詰まりを抜け出しつつある。それを説明するのは「難しい」が、それに向き合うことはできる。
 それと共に、「どの曲も普通に作品として出来ている」という達成、作品としての普遍性を獲得していることが重要だ。普通に作品として自立できなければ、志村正彦という「存在」に応答する意味もなくなる。

  (この項続く)

2016年3月13日日曜日

「意味もなく」-メレンゲ『火の鳥』1

 東日本大震災から五年経つ。

 メレンゲの『火の鳥』。クボケンジが作詞・作曲したこの作品は、2011年4月6日、ミニアルバム『アポリア』中の一曲としてリリースされた。震災の一月ほど後のことだ。

 その『火の鳥』のライブ映像がメレンゲの公式サイトにある。
 2011年2月20日、京都府庁旧本館で録画された。ネットに幾つかレポートが上がっているが、とても心を打つライブだったようだ。会場の奥からの固定撮影なので記録として録画されたのだろう。小さく暗くて、メンバーの表情が見えないが、逆に、聴くことに集中できる。acoustic sessionであるのも貴重だ。
 『アポリア』特設サイトに入り、下にスクロールすれば見つかる。ぜひ聴いていただきたい。


 歌詞の始めを引用する。

   まっすぐに空を鳥が飛ぶ
     急いでいるのでしょうか どちらまで?

     急いでいるように見えましたか?
     実は私にもわからないのです

     意味もなく 意味もなく ただ羽があるから飛んでたのです

     泣きそうな声 悲しい事言うなよな
     ならその空の旅を 僕と行かないかい?
     道はなく壁もなく ただ空は青く その青さがゆえに 青い海


 人と鳥の対話から始まる。
 歌の主体は、急ぐように空を飛ぶ鳥に、「どちらまで?」と問いかける。
 鳥の「私」は、「わからないのです」と答える。「意味もなく 意味もなく ただ羽があるから飛んでたのです」と続ける。

 人と鳥、二人の対話はそこで終わる。
 再びこの二人の声と声との対話がこの世界でくりかえされることは、おそらくないだろう。永遠の別離。鳥はこの世界の果てへと飛び去っていく。

 別離の後、歌の主体はこの世界に取り残される。
 「鳥」はもうこの世界にはいない。この声は「鳥」に届くことはない。「その空の旅を 僕と行かないかい?」という言葉が「鳥」に聞き取られることはない。言葉はどこにも届かずに戻ってくる。それでも、歌の主体は語り続けねばならない。
 
 『火の鳥』は、クボケンジが親友志村正彦の死を歌った作品だと言われる。
 本人が明言しているわけではないが、そのように捉えるのがむしろ自然だろう。歌の主体はクボの分身、「鳥」は志村の分身。そう考えられる。


 ライブ映像の声と音にもう一度耳を澄ます。
 美しい旋律と律動を伴って、分身同士の対話は静かに始まる。「意味もなく」の一節は高い透明な声でひときわ美しく歌われる。引用部分の最後、「泣きそうな声」で始まる一節から声と音の調子が微妙に変化する。対話から独白へと転換していく。

 「鳥」は「意味もなく 意味もなく」飛ぶ。「ただ羽があるから」飛ぶ。そのように飛びながら、そうとも知らずに、行方も知らずに、この世界の果てへと飛んでいってしまう。「羽」を持ってしまった存在は、自らの「羽」ゆえに飛び続け、いつかは果てへと飛び去っていく運命なのか。「羽」は歌という羽、音楽という翼を象徴しているのか。志村正彦にとっては、「羽」はそのような象徴だったと思われる。

 すべてが「意味もなく」進んでいくのが私たちの世界なのだろうか。私たちの運命なのだろうか。アルバム名の『アポリア』とは、思考の「行き詰まり」を意味する。

 クボケンジは志村正彦の死を、「意味もなく」ということが唯一「意味もある」、そのような世界での出来事として捉えた。その残酷なアポリアに耐え、『火の鳥』を作った。
  あの当時、クボはどこに向かおうとしたのか。

       (この項続く)

2016年3月7日月曜日

「銀河物語」の試み [志村正彦LN122]

 三月に入り、二十度前後の気温の日が続く。春への鼓動を感じる。桜も例年よりはやく開花するという。昨日はヴァンフォーレ甲府のホーム開幕戦。ガンバ大阪との試合だった。結果は0対1の負け。前半はほぼ互角だったが、決定力に欠けていた。失点してから守備を固められた。結局、1週間の首位。やはり、春の儚い夢に終わったか。

 冬の間に『銀河』について書き終わるつもりだったが、それができないまま冬が終わってしまう。このblogは折々の出来事に触発されて進めている。タイミングがあるので、別のテーマも途中で入ってくる。今回は久しぶりに『銀河』に戻りたい。なんだか冬に戻るようでもある。

 三月一日、勤め先の高校で卒業式があった。僕は主に三年生の現代文や国語表現を担当しているので、毎年、卒業生との関わりは深い方だ。今年の卒業生と『銀河』に関わる話を二回に分けて書こう。

 以前、このblogでも少し触れたように、志村正彦・フジファブリックの作品についてのエッセイを書く授業を行っている。春夏秋冬の四季の折々に、教科書収録の作品の合間を縫うようにして、志村正彦の歌を聴かせ、自由に言葉を紡ぎだしてもらう。なぜそのような試みをしているのか、生徒どのような文を書いているのか、志村正彦の歌をどのように受けとめているのか、このことをまとめるだけでも一冊の本の分量の言葉、そのための時間が必要とされそうなので、今ここで述べることは不可能だ。(いつかこの実践を記録としてまとめてみたい気持ちはある)

 それでも簡潔に理由を言うのなら、志村正彦の言葉は生徒たちの感受性に働きかけ、素晴らしい言葉を生み出すという「事実」があるからだ。あえて「教材」といういかにも国語教育的な捉え方をしても、志村正彦の作品は教材として、少なくともこの山梨の高校生にとって非常に優れたものだと言える。(もちろん、教師の「趣味」や「自己満足」にならないように自ら戒めている。教師がそのような姿勢で授業をすれば、生徒は言葉に向き合うことはない。)

 今年は、新しい試みとして、現代文の表現の単元で、志村正彦の歌詞を元にして短い物語を書くという授業を行った。時期が冬の始まりの頃だったので、思い切って『銀河』を選んだ。『銀河』の物語を枠組みにして、自由に想像力を働かせ、800字程の掌編小説、ショートストーリーを創作する。『銀河』を原作として物語を作る「銀河物語」と題する授業だ。音源や歌詞だけでなく、物語的な想像力を喚起するために、スミス監督によるあの奇妙なMVも見せることにした。相互に読むことが前提なのでペンネームをつけてもらった。

 生徒の書いた「銀河物語」は、想像以上に、多様であり面白かった。
 「二人」という登場人物は、若い男女、自身を投影するように高校生の男女が多かったが、しかし中には、友人同士、姉と妹、自分同士(僕と俺、俺と僕)という組合せもあった。原作『銀河』の筋にそって、その二人が逃避行を企てるのが基本の枠組ではあるが、舞台を高校にする「学園物」に変形するもの、家族を人物に取り入れる「家族小説」風に発展させるもの、「UFO」を使って宇宙や宇宙人が登場するもの。様々なモチーフやスタイルがあった。

 素朴なもの。ユーモアのあるもの。主人公の「鼓動」に焦点を当てたもの。「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」を引用する言葉遊びのようなもの。希望のある結末、愉快な結末、少し寂しい結末、夢落ちで終わるもの。日常と非日常の断絶につなげる展開もあった。字数をはるかに超え、4000字も書いた生徒もいた。もちろん中には原作の枠を出ないものもあったが、全員が物語を完成することができた。
 最終的には、ワープロに入力してもらい、小冊子に編集して配布した。生徒の作品を具体的に紹介できないのが申し訳ないが、彼らの発想力、想像力が豊かであることは認めていただけるだろう。

 自由にゼロから物語を作るのはかえって難しい。『銀河』という枠組があることで、その基盤に基づいて想像力を働かせ、物語を構築するのが可能になったという側面がある。
 もともと志村正彦は物語の全体をあえて語らないことによって、聴き手に自由に想像させることを心がけていた。インタビューで繰り返し語っている。そしてまた、僕の歌を知らない高校生のような存在に最も聞いてもらいたい、とも。
 高校生がその物語の余白を想像力で補い、志村正彦の物語に自らの物語を重ねていく。結果的に、その物語は、志村正彦との共作、コラボレーションのようなものになる。この不思議な経験もまた、彼らにとっては新しい言語体験となったことだろう。(志村正彦にとっては予想外の迷惑なことかもしれないが、「ロックな授業」のコラボとして許していただたい)

 さらにこの実践は、生徒一人ひとりがもう一度、志村正彦・フジファブリックの『銀河』を主体的に聴き直すことにもなる。
 そして、志村の作品だけでなく、他の日本語の歌を聴く、言葉を読む、さらに広く、詩的作品を読むことへの意欲を喚起したり、新しい視点で読み直すことにもつながる。そのように僕は考えている。
 
    (この項続く)

2016年3月4日金曜日

桜座の森山威男

 二週間前の2月19日(金)、森山威男TRIOのライブが桜座で開かれた。
 
 森山威男は山梨県勝沼町の出身だ。勝沼町という町そのものは塩山市と合併して、現在は甲州市になってしまったが、葡萄やワインの日本一の産地として有名なので、今も「勝沼」という地名は健在だ。

 葡萄畑が広がる独特の景観と東京から車で一時間半ほどという距離にも恵まれ、日帰りコースの観光地にもなっている。最近は、勝沼のワイナリーやレストランを巡り、土地を散策しながら食や文化を楽しむ「ワインツーリズム」が盛んで、ちょっと洒落た場所になってきた。

 森山は、「第14回:森山威男さんが語る「ピットイン」との激動の時代<前編>」(インタビューと文・田中伊佐資)という記事でこう語っている。

近くに、1カ月に1回芝居がかかる勝沼劇場という小屋があるんです。幼稚園のときにジャズのような演奏を聴かせるバンドがやって来て、生のドラマーを初めて見たわけです。うわあ、すごいと感動して、将来ドラマーになろうと心に決めました。

 ネットでこの劇場を調べると、「峡陽文庫」というblogに参考となる記事があった。『山梨の演劇』(小柳津浩著)によると、明治初期に勝沼町の富町(現在の勝沼6区)に建設された劇場「勝富座」が大正11年1月に移転新築し「勝沼座」と改められた、昭和32年4月からは映画専門の「勝沼劇場」となって30年代後半まで存続したそうである。

 1945生まれの森山が幼稚園の頃となると昭和二十年代。映画専門館になる以前の芝居小屋の時代になる。そこでの「ドラマー」との出会いが「森山威男」を誕生させた。勝沼はこれぞ山梨という感じの田舎ではあるが、明治時代この地の若者二人がフランスに行き「葡萄酒」の醸造技術を学んでそれを広めたという歴史が語るように、開明的で開かれた雰囲気もある。

 僕が初めて彼の演奏を生で聴いたのは、80年代の始めの頃、甲府の中心街にあった県民会館ホールだった。そのパワーに圧倒されたことを覚えている。「ドラム」というよりは「太鼓」といった方がふさわしいそのリズムの感覚にも驚いた。(60年代終わりから70年代始めの山下洋輔トリオの時代は音源では聴いていたが。伝説のように語られている生演奏は、当然、経験していない)
 それから、甲府市民会館、勝沼町のホール、富士見高原など何度かライブに行く機会を得た。故郷ということで、山梨の色々な場所で時々開催されてきた。

 今回は、今岡友美(vo)、川嶋哲郎(ts)、森山(Ds)というトリオ編成。
 「桜座の怪物くん」龍野治徳さんが「山梨出身の世界的なドラマー」と紹介してライブが始まった。龍野さんのピットインマネージャー時代からの絆があるのだろう。
 
 ところどころMCが入る。寡黙な印象があるのでこれはやや意外だった。桜座は客席が近いので、自然に話しやすい感じになるのかもしれない。
 高校時代、県民会館近くのパチンコ屋に入り浸り、タバコとパチンコを愛していたこと。精神的に落ち込んで引きこもりだった頃(本人は最初「立てこもり」とか言って笑いを取っていたが)、自分にはドラム、音楽があると思い直してその状態から脱したこと。軽い話や重い話を織り交ぜて、少しずつとつとつと語っていた。

 彼の母校は甲府第一高校だ。一高はナンバースクールということからも分かるように、県内で最も古い伝統校。彼が在籍した頃は県内一の進学校でもあり、遠方から優秀な中学生が集まる高校だった。彼が勝沼から通学していたのか、甲府に下宿していたのかは分からないが、本人の弁とは異なり、優等生だったような気もする。一高の吹奏楽部に所属し、音楽家を志し、東京芸大に進学した。

 ローカルな話題を一つ。三年ほど前、テレビをつけると、彼の映像がいきなり飛び込んできた。地元のCATV局が「甲府一高吹奏楽部演奏会」の収録番組を流していたのだ。彼は後輩たちと一緒に演奏していた。テクニックのレベルが違うので、ちょっとやりにくそうではあったが、それも大らかに愉しむようにして。数年前、母校の体育館で演奏したこともあった。
 「世界の森山」は母校や吹奏楽部との交流を大切にしているようだ。(実は僕も同じ高校出身なので、森山さんは偉大な「先輩」にあたる)

 ボーカルが入ったこともあり、スタンダードナンバー中心の演奏だった。ジャズを語る力は僕にはないので単なる印象のみ記したい。
 桜座の森山威男はとても楽しそうに演奏していた。かつてのように鋭く、パワーでぐいぐいと押すのではなく、のびやかにリラックスして敲いていた。
 聴き手と対峙するのではなく、聴き手をおだやかに包み込んでいた。

 七十歳になった森山さんの音楽に僕はなんだかとても納得したのだった。