11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)

右下の《申込フォーム》から一回につき一名お申し込みできます。名前欄に〈氏名〉、メール欄に〈電子メールアドレス〉、メッセージ欄に〈11月15日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。(三つの欄のすべてに記入しないと送信できません)申し込み後3日以内に受付に関するメールを返信します。《申込フォーム》での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。  *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する連絡および今後の当会の公演案内のみに利用することをご了承ください。それ以外の利用は一切いたしません。
ラベル 『ルーティーン』 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 『ルーティーン』 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年2月28日金曜日

2025年2月28日 [志村正彦LN362]

  現在のフジファブリックはこの2月末で活動を休止する。モバイルサイト「FAB CHANNEL」は今日で終了なので、2025年2月28日が活動休止の正式な日となるのだろう。

 この活動休止を受けて、このところ、NHKのラジオ番組や地元新聞などで、フジファブリックが話題となることがいくつかあった。このブログの目的の一つは志村正彦・フジファブリックに関する記事や出来事を記録しておくことにあるので、これらの話題について記しておきたい。


 2月16日、「サカナクション・山口一郎〜Night Fishing Radio〜」という番組で、フジファブリック「FAB FOX」が取り上げられた。僕はこの番組を聞き逃してしまったので、番組WEBの説明を引用したい。

ミュージック・マスターピース~その時名盤は生まれた~ 【今回の名盤】フジファブリック「FAB FOX」 【リポーター】川床明日香
毎回1枚の名盤にフォーカスしてお送りする特集企画。今回は、この2月で活動を休止する日本のバンド、フジファブリックの「FAB FOX」を特集。2005年にリリースされ、「銀河」「虹」「茜色の夕日」など、初期の代表曲を収めた、多彩な魅力に満ちたこの傑作を深掘りします。番組後半ではおなじみ、DJで音楽ライターの佐藤吉春さんが、最新のダンスミュージックを紹介してくれます!

 山口一郎はアマチュア時代にフジファブリックのライブを見て、特に志村正彦へのあこがれを抱いていた。以前「銀河」について「歌詞は超秀逸だし、メロディもすごいし展開もすごいね」と語ったこともある。この番組では何を話したのという興味がある。(ネットのどこかにその内容が記されてないだろうか)


 2月18日、NHKラジオの「マイ・フェイバリット・アルバム」という番組で、詩羽(水曜日のカンパネラ)がアルバム『CHRONICLE』の曲について語った。こちらの方はネットラジオ「らじる☆らじる」で聴くことができた。「バウムクーヘン」「Sugar!!」「タイムマシン」などが放送された。やはり、歌詞の世界に強く惹かれてきたようだ。


 少し遡るが、2月2日、「弁護士ドットコムニュース」で、「2月活動休止「フジファブリック」、弁護士になった初期メンバーの感謝「皆さんがいたから今の正彦もある」という題で、富士ファブリックのメンバーだった小俣梓司さんのインタビュー記事が載せられた。「普通のどこにでもいそうな男子高校生がすげえ頑張った。普通の大学生が楽しむ時間をすべてストイックに音楽に打ち込んだ。努力がすごかったんです。…」「素朴なところとか不器用なところとか普通なところとか、シャイですけど友だちへの思いやりがあるところとか。正彦のそういうところが好きです。…」など志村正彦に関する興味深い指摘が幾つもあるのだが、最後に「…富士ファブリックは、ぼんやりとした友情の結合体のようなもので、そのうち正彦はプロに、私は弁護士、へいちゃんは『いつもの丘』の神社の神主さんになって、たかさんは地元で楽しくやっていて、富士吉田に帰るといつも温かく迎え入れてくれる。ある意味、自分たちの富士ファブリックは今も続いている感じです」と語っているのがとても印象に残った。


 2月25日、山梨日日新聞に「フジファブ休止…でも「正彦の歌はこれからも」」という記事が掲載された。冒頭に、志村さんの思いや生きた証を届けようと活動している地元の同級生らは「正彦の歌や歌に乗せた思いは、これからもずっと残り続ける」と一つの節目に改めて感じている、とあり、同級生の奥脇一寛さんは「音楽で飯を食うなんて現実的ではない」と遠巻きに志村を見ていたが、ミスチルの桜井和寿が「若者のすべて」をカバーするなど「本当に肩を並べるようになって、心が震えた」と話し、篠原務さんは「(志村さんが)高校時代の同級生と組んでいた『富士ファブリック』が、自分にとってのフジファブリック」と言う、と書かれていた。

 志村の同級生たちにとっての「フジファブリック」は、いつまでもどこまでも、「富士ファブリック」なのであろう。


 オリジナルの富士ファブリック、インディーズのフジファブリック、メジャーのフジファブリックと三つのフジファブリックがあった。実際には、メジャーのフジファブリックは志村の死去によって二つのフジファブリックに別れている。だから、四つのフジファブリックがあったのだが、2004年から2009年までの志村がフロントマンだったメジャー時代が活動の頂点であったことはいうまでもない。今日、その二十五年に及ぶバンドの歴史が、「活動休止」という形で区切りというよりも実質的に終わりを迎えることになる。


 毎年2月になると、ある歌のことが思い浮かぶ。志村正彦作詞・作曲の『ルーティーン』だ。2009年2月6日、スウェーデンのストックホルムで録音された。偶然だろうが、NHKホールのライブも2月6日に開催された。十六年の時が流れたことになる。


 志村は「ストックホルム”喜怒哀楽”映像日記」(『CHRONICLE』付属DVD)で「最後にちょっとセンチメンタルな曲を一発録りでもう、多分歌も一緒にやるか、まあでもマイクの都合でできないかな、もうみんなで一斉にやって『終了』って感じにしたくて」と話して、「一発録り」で収録した。志村のヴォーカルとギター、山内総一郎のギター、金澤ダイスケのアコーディオンの演奏が撮影された貴重な映像だ。ネットにあるものを添付させていただく。



 志村はこの曲について「OKMusic」というサイトで次のように語っている。

日本でデモは作ってたんですけど、この曲だけ歌詞は向こうで書いたんです。向こうの空気を吸って書いてみると、新しい何かなるんじゃないかなって。でも、「ルーティーン」の曲名に連想されるように、どこにいても自分は変わらないというか、結局やることは一緒で、自分は自分なんだなってことに気付きました。そういうものが歌詞にも表れたんじゃないですかね。

  この曲は結果として、志村自身がスタジオで録音し完成した最後の作品となった。「どこにいても自分は変わらない」「自分は自分なんだな」、そのような自分自身がルーティーンとなる。日々を過ごしていく。そして歌を生み出していく。


 「ルーティーン」の歌詞には「日が沈み 朝が来て/昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね」とある。

 今、志村正彦・フジファブリックの歌が、聴き手にとって大切なルーティーンとなっている。


 日が沈み、朝が来る。

 昨日も、明日も、明後日も、明々後日も、ずっと、愛されていくだろう。



2020年3月31日火曜日

「志村」という姓 [志村正彦LN252]

 志村けんが急逝した。知名度が抜群に高い人だけに衝撃が大きい。ご冥福を祈りたい。

 小学生の頃、ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』はそれこそ子ども全員が見ていた驚異的な番組だった。僕が熱心に見ていたのは、志村けんの前任者、荒井注の時代だった。ザ・ドリフターズはもともと音楽バンドということもあって、この番組はコントだけでなく歌や合唱もあった。「ドリフのズンドコ節」は最高だった。志村けんの加入時には高校生になっていたのでこの番組からはもう遠ざかっていたが、当時の感覚でも志村けんは新しいタイプのコメディアンだった。舞台に登場するとたちまちその場の雰囲気を変えてしまうようなインパクトがあった。
 ここ十年ほどは、志村正彦と姓が同じであることで何となく親しみを抱くようになった。志村正彦のファンなら、ネットで「志村」を検索すると「志村けん」がヒットするという経験をしたことがあるだろう。

 昨夜、追悼番組としてNHKが志村けんの「ファミリーヒストリー」を再放送していた。2018年5月に放送されたものだが、その際にこの番組を見ていた。言うまでもなく、志村けんのルーツそして「志村」という姓への関心からだった。

 山梨で「志村」は比較的多い姓である。山梨県人なら誰でも志村という名の知人が何人かいるだろう。ネットで県別の姓のランキングを見ると、志村は15位である。全国では467位だからあきらかに山梨に数多くある姓となる。志村姓の県内在住者は約7000人いるらしい。歴史的には「甲斐志村氏」という捉え方のようだ。

 直観にすぎないが、志村けんは山梨と何らかの関係があるのではと考えていた。「ファミリーヒストリー」では山梨の歴史研究家平山優氏が、志村けんの先祖は武田家家臣の山県昌景の家臣の可能性が高いと述べていた。その山県の家臣に「志村又左衛門」という人がいて、その子孫の一部が武蔵国に移り住んだそうである。志村けんのルーツは山梨にあるという説だった。説はあくまでも説だが、志村けんと志村正彦、二人の志村には、大きく捉えれば「志村」という姓の接点があると考えてもよいだろう。その他にも、志村けんは山梨とのゆかりがあったようだ。

 新型コロナウイルスは世界を一変させた。
 このブログに関係することではやはり、ライブハウスをはじめとする音楽の場が事実上閉鎖されていることだ。音楽家も現場の働き手も経営者も厳しい状況に追い込まれている。フリーランスの立場の方々の不安を思うとここに記す言葉もない。終息を待つしかないが、終息が見通せない。何をもって終息とするかも不明なところが焦燥感につながる。

 こんな時こそ音源が不安な心を和らげてくれるかもしれない。志村正彦・フジファブリックの『ルーティーン』のことを想った。歌詞を引きたい。


  日が沈み 朝が来て
  毎日が過ぎてゆく

  それはあっという間に
  一日がまた終わるよ

  折れちゃいそうな心だけど
  君からもらった心がある

  さみしいよ そんな事
  誰にでも 言えないよ

  見えない何かに
  押しつぶされそうになる

  折れちゃいそうな心だけど
  君からもらった心がある

  日が沈み 朝が来て
  昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね


 新型コロナウイルスは世界を一変させた。わずか二、三ヶ月の間で、人々の日常が壊された。
 日常とは、「昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね」という祈りがもたらすものであり、ほんとうは奇蹟のようなものかもしれない。

2019年9月1日日曜日

音楽との闘い [志村正彦LN231]

 志村正彦にとってスウェーデンは闘いの場であった。これまでもこれからも「ずっと闘っている」という意志と予感が確かな確信として彼にはあった。前回そのように書いた。
 ここで以前紹介した 『bounce』 310号(2009/5/25)のインタビュー(文:宮本英夫)をもう一度引用したい。宮本氏の問いかけに対して志村はこう述べている。


最後にひとつ、確かめたいことがあった。前作のインタヴューの際に彼は、これまでの作品のすべてに〈vs.精神〉があると言い、ファースト・フル・アルバムは〈自分vs.東京〉、2作目は〈自分vs.日本のロック・シーン〉、そして3作目は〈いまの自分vs.ティーンエイジャーの自分〉と語ってくれた。では、このアルバムはどうなんだろう?

「今回は〈音楽家の自分vs.自分〉という感じです。自分はちゃんと立派なミュージシャンになれたのか?ということとの闘いです。その答えはまだ出ていないですね。これから出たらいいなと思います」。


 ここにも、「自分はちゃんと立派なミュージシャンになれたのか?ということとの闘い」という発言がある。〈自分〉が〈音楽家の自分〉になるための闘いを志村自身が証言している。
 この宮本英夫氏による記事とも関連するもう一つの記事がある。同じく『CHRONICLE』発表時に『musicshelf』というwebで次のように語っている(文:久保田泰平氏)


ファースト・アルバムは東京vs.自分、セカンド・アルバムは当時の音楽シーンvs.フジファブリックっていうテーマがあって。で、前作の『TEENAGER』は東京vs.東京が好きになった自分、なんでもない日常だけど前向きに生きていればいいことあるさっていうテーマがあったんですけど、そこで思い描いていた自分のイメージにその後の自分が届いてないように思えたんですね。だから、今回は音楽vs.自分みたいな、そのぐらいまで根詰めてやってましたね。


 『bounce』 の記事(宮本英夫)と『musicshelf』の記事(久保田泰平氏)のアルバムごとの説明を併記してまとめてみよう。

 1st  2004年11月10日 『フジファブリック』
     〈自分vs.東京〉 〈東京vs.自分〉

 2nd 2005年11月 9日  『FAB FOX』
        〈自分vs.日本のロック・シーン〉 〈当時の音楽シーンvs.フジファブリック〉

 3rd 2008年1月23日   『TEENAGER』
    〈いまの自分vs.ティーンエイジャーの自分〉 〈東京vs.東京が好きになった自分〉 

 4th 2009年5月20日   『CHRONICLE』
          〈音楽家の自分vs.自分〉 〈音楽vs.自分〉

 説明の違いがあるのは 3rdアルバム『TEENAGER』である。しかしこれも、志村正彦の「いま」は「東京が好きになった自分」にあり、「ティーンエイジャー」の時代は富士吉田にいて「東京」との距離があったことを考えると、説明に矛盾はない。他のアルバムはほぼ同じである。

 二つのインタビューとも最初読んだ時には「vs.」は、対比や対立を表すための記号と捉えていた。しかし、『FAB BOX III』収録インタビューの「ずっと闘っている」という志村の肉声を聞くと、「vs.」は単なる対比・対立の記号ではなく、「闘い」そのものの記号であることにようやく気づいた。

 ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング(『FAB BOX III』「Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"」DVD2枚中のDISC1)の「チャプター17」をあらためて再生してみた。志村の「ずっと闘っている」という発言のシーンである。
 このシーンには『ルーティーン』の最後の一節が流されている。


日が沈み 朝が来て
昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね


 志村の「日が沈み」の歌声が聞こえると、それに重なるようにインタビューの声が始まる。前回引用した部分でもある。


僕はたぶん音楽という仕事を続けていくかぎり、ずっと闘っていかなければいけないと思うんですよね。
だから気が休む時なんてほとんどないと思うんですけど、まあそういう日が来たらうれしいと思うんですけど、ないと思うぐらいほんとうに今もたぶん将来も音楽に夢中でしょうし、ずっと闘っている、と思いますよね。すごいミラクルが起きた場所だったと思います。


 発言中の「ずっと闘っている」という言葉の直後に『ルーティーン』の「ずっとね」という言葉が流れる。まるでインタビューの声と『ルーティーン』の声とが対話をしているかのように聞こえてくる。志村の二つの声によるデュエットのようなコーラスのような不思議な余韻があった。
 このシーンを編集した須藤中也氏や今村圭介氏の想いが込められた演出なのだろうが、このシーンに僕は心を揺さぶられた。ある種の啓示を得たような気もした。
 「折れちゃいそうな心だけど/君からもらった心がある」の「君」は「音楽」のことかもしれない。解釈はいろいろとあってよい。聴き手の自由である。『FAB BOX III』のこのシーンから、「音楽からもらった心」という意味合いが新たに伝わってきた。「今もたぶん将来も音楽に夢中でしょうし、ずっと闘っている、と思いますよね」という発言にも新たな意味が加えられた。

 志村の「音楽からもらった心」は、音楽を深く愛した。そして音楽から深く愛された。彼は音楽家を志した。しかし、音楽家となるのは闘いであり、闘い続けることであった。昨日も今日も、そして明日も明後日も明々後日も、ずっと闘っている。そのような闘いであった。
 
 音楽は愛である。音楽を創造することは音楽を愛することであるが、音楽と闘うことでもあった。 


2019年5月5日日曜日

『FAB LIST』の三曲 [志村正彦LN218]

 7月6日(土)11:00からと16:00からの二回ふじさんホールで開催されるフジファブリック志村正彦没後10年『FAB BOX III 上映會』。僕たちも何とか赤富士通信先行予約でチケットを入手できた。あと二ヶ月ほどだが楽しみにしている。

 上映時間は2時間ということで、『FAB BOX III』の『Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"』『Official Bootleg Movies of "デビュー5周年ツアーGoGoGoGoGoooood!!!!!"』の二つの映像作品からダイジェスト編集した特別先行上映となるようだ。僕個人としては『ルーティーン』を聴いてみたいがどうなるだろうか。2014年の上映會でもこみ上げるものがあったので冷静に鑑賞していられるかこころもとないが、どのような感情が去来してもそれをそのまま受けとめたい。志村正彦・フジファブリックの2009年の「ライブ」を観客のみんなと共有できるのは希有な経験になるであろう。

 フジファブリックの公式サイトから、ファンが選ぶPLAYLIST ALBUM『FAB LIST』リリース決定というアナウンスもあった。『FAB LIST』2004~2009はかつて在籍していたEMI Records / ユニバーサルミュージックから、『FAB LIST II』2010~2019は現在在籍しているSony Musicからリリースされる。収録曲は今までリリースした作品を対象として5/19(日)までの期間内に「FAB LIST」特設サイトで三曲を投票して決定される。『FAB LIST』の発売日等は後日発表となるそうだ。

 僕自身は以前書いたように、すでにリリースされているCD『SINGLES 2004-2009』と、『FAB BOX』【完全生産限定BOX】中の1枚としてリリースされたCD『シングルB面集 2004-2009』を合体させた『コンプリート・シングル集』を発売してほしいと思っている。志村正彦・フジファブリックの事実上のベスト盤となるからだ。できるだけ安価のパッケージ盤にして若者たちに届けてほしいのだ。

 だから今回の『FAB LIST』の企画には複雑な想いもあるが、肯定的に捉えれば、シングルには収録されていない曲が入る可能性があること、ファンの投票による選曲にも新鮮さがあることになる。また、『FAB LIST I』(2004~2009)は全曲リマスタリングで収録ということで音源の質に期待できる。だから2019年という年の試みの一つとしては理解もできる。2004~2009と2010~2019という年代別に二枚に分けたことは英断である。この二つの時代には明らかな断絶があるからだ。

 『FAB LIST I』(2004~2009)にはプレデビュー盤『アラモルト』からシングルまでこの時代の全曲から選ぶことができるのがいい。三曲までの投票ということでファンはみんな考え込んでしまうだろう。
 僕ならどの曲を選ぶか。三曲に絞ることなど到底できないという前提がある。だからある観点を設けて選ぶことになる。別の観点を設定すれば異なる選曲になる。選択する時期や季節、時代や年齢も関係するだろう。今回の投票に加わる全ての人に各々の観点がある。現時点で選択された観点が集積すると『FAB LIST』が構成できるのだろう。

 2019年5月、僕の選曲の観点は、「君」に対する想いを叙述しその想いが限りなく祈りに近づいていく歌であること、志村正彦でなければ創作しえない曲であることの二つである。
 その観点から選ぶと、『花』、『セレナーデ』、『ルーティーン』の三つになる。


『花』
花のように儚くて色褪せてゆく
君を初めて見た日のことも

『セレナーデ』
明日は君にとって 幸せでありますように
そしてそれを僕に 分けてくれ

『ルーティーン』
折れちゃいそうな心だけど
君からもらった心がある


 この三つの歌をつなぎ合わせると、志村正彦の「君」への想い、少なくとも「君」への想いというモチーフの変化を感じる。変化というよりも成熟として捉えられる。『花』は高校時代にその原型が考えられていたようだ。『茜色の夕日』とは少し異なる感受性が刻まれている。この二曲と『浮雲』を合わせた3曲が志村の原点と言える。(この三曲を投票するという観点もあるあろう)

 『セレナーデ』と『ルーティーン』については何度も書いてきたので新たに書けることもないのだが、一つ付言するのなら、「明日」(『セレナーデ』)、「昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も」(『ルーティーン』)とあるように、過ぎ去った時よりもこれから到来するであろう時の中に「君」への想いを歌ったことである。 

 「君」への想いを述べた素晴らしい歌は数多くある。『FAB LIST《君への想い》』というアルバムを夢想するのもいいかもしれない。


2019年4月21日日曜日

『FAB BOX III』の時と場 [志村正彦LN217]

 新年度の授業が始まって二週間。担当授業や参加会議が増えて、忙しい毎日を送っている。今年は若い先生が六人ほど新任として赴任された。授業のことなどで話し合う機会もあり、学ぶことが多い。色々と刺激も受け、その時間を愉しんでもいる。甲府という地方都市にある小さな人文系大学として、その存続と発展のための議論も続けている。

 山梨の高校生がみんな東京を始めとする県外に出て学ぶことができるわけではない。それを希望したとしても経済的なことやその他の理由で県内に留まることも少なくない。山梨に質の高い高等教育があること。それを一人の教師として一人の山梨県人として切に願っている。僕の場合は願うというよりも、当事者でもあるので非力ではあるが実践していかねばならない。職業人としてはおそらく最後の仕事になるわけだが、「山梨の文化」には徹底的にこだわりたい。
 今ここにいる「時」と「場」、季節と風景、知性と感性、それらを深く掘り下げていくことが世界への通路も開いていく。言葉で描くのは簡単だが教育の実践としてはなかなか困難な課題だ。

 フィールドは全く異なるが、ある意味では志村正彦・フジファブリックの作品もそのような志向性を持っていた。
 確か、2008年の富士吉田市民会館でのコンサートの際に「富士吉田から世界へ フジファブリック」という標語が富士急行線の駅に掲げられていたようだ。幾分か大げさで気恥ずかしくもある表現かもしれないが、この標語はまっすぐにそのまま受けとめればいい。フジファブリックは傑出した日本語ロックバンドだが、世界という場で評価されるべきバンドである。とりあえず僕という聴き手の経験を根拠とするしかないが、70年代の英米の優れたバンドと同一の位相に存在し、ある面ではそれ以上の水準に達している。

 70年代前半、イギリス起源のプログレッシヴロックは、ドイツ、フランス、イタリアに波及していった。その波は日本語ロックにも影響を与えた。70年代の四人囃子、00年代のフジファブリックはその最良の達成である(この二つのバンドの活動開始にはおよそ三十年の隔たりがあるが、2008年に共演していることは必然であった)。
 フジファブリックには言葉の壁を超えて、あるいは言葉の壁をある種の方法にして、世界への扉を開けていく可能性があった。

 このところ、フジファブリックの公式サイトから色々な発表が続いている。
 予告されていた2009年の映像作品は、オフィシャル・ブートレグ映像シリーズDVD BOX<完全生産限定盤(オリジナルグッズ付予定)>『FAB BOX III』とて下記の内容で7月10日、志村正彦の誕生日にリリースされる。

「Official Bootleg Live & Documentary Movies of “CHRONICLE TOUR”」DVD
「Official Bootleg Movies of “デビュー5周年ツアーGoGoGoGoGoooood!!!!!”」DVD
“CHRONICLE TOUR ver. ” 発売記念復刻オリジナル・グッズ付(予定)
“デビュー5周年ツアーGoGoGoGoGoooood!!!!! ver.” 発売記念復刻オリジナル・グッズ付(予定)
“CHRONICLE TOUR” SPECIAL PHOTOBOOK付
“デビュー5周年ツアーGoGoGoGoGoooood!!!!!” SPECIAL PHOTOBOOK付.

  2019年という15周年を記念する特別BOXとして、2010年の『FAB BOX Ⅰ』、2014年の『FAB BOX Ⅱ』に続くシリーズⅢという位置づけである。2枚のDVDと各々のグッズとフォトブックという豪華な構成。その2枚のDVDは「オフィシャル・ブートレグ映像シリーズDVD」と呼ばれている。単品でも販売されるのはありがたい。
 SONYMUSICのフジファブリック「インフォメーション」では次のように経緯が述べられている。やや長文になるが引用したい。


2009年12月24日、ボーカル/ギターの志村正彦が、享年29歳にて急逝。
自らのリアルな感情のすべてを搾り出した渾身の4thアルバム『CHRONICLE』を同年5月にリリース後、アルバムを携えた全国ツアー「CHRONICLE TOUR」、秋からスタートした「デビュー5周年ツアーGoGoGoGoGoooood!!!!!」とひたすら走り続けた2009年、まだまだ勢いを増し続ける真っ只中の急逝でした。
以降、2009年までのフジファブリックの映像として『FAB BOX』『FAB BOXⅡ』をリリースして来ましたが、この最後の2009年の2つのツアーだけはどうしても作品化することが出来ませんでした。
そして2019年の今年、志村正彦の没後10年を迎えます。
志村が身を削るようにして生み出した楽曲の数々、フジファブリックの姿を次の10年に伝えるため、ご遺族、メンバー、スタッフで何度も話し合い、この生前最後の年を映像作品化することにしました。
今作は、これまでのフジファブリックの映像作品とは少し異なり、オフィシャル・ブートレグ映像作品となります。
激動の2009年、この年に限ってツアーにカメラを入れていなかったため、そのほとんどは記録用の固定カメラ1台で収録されたものとなります。
そんなまるでブートレグのような映像ですが、それでも志村正彦を、あの当時のフジファブリックの姿を見ることが出来る唯一の貴重な映像素材のため、ここに"オフィシャル・ブートレグ映像シリーズ"として記録します。


 このインフォメーション欄は時々接してきたが、今回の言葉にはいつもより想いが込められているように読んだ。「志村が身を削るようにして生み出した楽曲の数々、フジファブリックの姿」を伝えるために「ご遺族、メンバー、スタッフで何度も話し合い」というところに、このBOXの成立の全てが語られている。特に志村さんのご家族にとっては長い間にわたり望まれていた作品の実現であろう。そして僕たち志村正彦・フジファブリックのファンもまた待ち望んでいたものである。

 それにしても「オフィシャル・ブートレグ」というシリーズ名には驚かされた。記録用の固定カメラ1台で収録されたために、映像の質は「ブートレグ」風であるが「オフィシャル」公式のDVD作品として発売されるということのようだ。「ブートレグ」という言葉で想いだすのは、学生時代に通った西新宿のレコード店だ。輸入盤コーナーには必ず「ブートレグ」(当時は「海賊版」という呼び方をしていたが)があった。いかにも質の悪そうなジャケットがそれ風の雰囲気を醸し出していた。そのあやしさがロック的だったが。

 「オフィシャル」作品であるから現在の高度な技術で完成度を高めているだろう。ファンにとっては記録用の固定映像であっても何でも、入手して鑑賞できればうれしい。見方を変えれば、会場にいる臨場感があるかもしれない。観客目線がかえって新鮮であり、発見があるかもしれない。などという肯定的な言葉をここでは連ねよう。(でも正直言うと映像の質が少し気になる。リリース後に自分の目で確かめるしかないのだが)

 僕個人としては、「“CHRONICLE TOUR”」DVD収録曲の中に『ルーティーン』があったことに、とても心が動かされた。『ルーティーン』のライブ映像を見ることができる。聴くことができる。この一点だけでもこのDVDは価値がある、そんな気持ちさえする。

 ネットを探して、“CHRONICLE TOUR”に行かれた方々のブログを読むと、『ルーティーン』はアコースティック・コーナーの曲として歌われたそうだ(コーナーといってもこの曲だけだった)。志村・山内・加藤はアコギ(?)、サポートドラム刄田綴色はカホン(?)を椅子に座って演奏し、金澤ダイスケだけが立ってメロディオンを奏でたようだ。

 『ルーティーン』一曲が「アコースティック・コーナー」であり、特別な「時」と「場」が用意された。志村正彦がどのような表情をして歌ったのか、どのような声で『ルーティーン』の言葉を伝えようとしたのか。リリースへの期待が高まる。このDVDには、スウェーデンレコーディングの未収録オフショット映像が入るのも楽しみでもある。

 『ルーティーン』は日々繰り返される「時」と「場」のつながりを歌っている。2009年生演奏の「時」と「場」が、十年を経て、2019年に再生される。

2019年3月3日日曜日

『桜の季節』から『ルーティーン』へ [志村正彦LN212]

 昨晩、「fujifabric.com」で次の情報が告知された。

2009年に行われたライブの映像作品のリリース&上映会の実施が決定!
志村正彦没後10年にあたる今年、7/10(水)に2009年に行われたライブの映像作品のリリースが決定しました。
また、発売直前の7/6(土)には、バンドとして所縁の深い、ふじさんホール(富士五湖文化センター)にて作品の上映會を行います。詳細は後日発表となりますので続報をお待ちください。

 2009年のライブ映像作品は僕たちファンが待ち望んでいたものだ。2009年のライブとあるので、『フジファブリック × FUJIFABRIC』『CHRONICLE TOUR』『デビュー5周年ツアー』のいずれかの映像なのだろうか。詳細は後日発表となる。志村正彦・フジファブリックのライブ映像には、日比谷野音(2006年5月3日)、渋谷公会堂(2006年12月25日)、両国国技館(2007年12月15日)、富士五湖文化センター(2008年5月31日)の各ライブDVD、『FAB MOVIES LIVE映像集』(『FAB BOX』)があるが、これまで空白だった2009年の歌と演奏が作品化されるのは、「志村正彦没後10年」の企画として最良のものだろう。


 前回、志村正彦の歌の軌跡は、1枚目のシングルA面『桜の季節』から11枚目のシングルB面『ルーティーン』へという流れの中にあると書いた。
  『桜の季節』は2004年4月14日、『ルーティーン』は2009年4月8日にリリースされた。たまたまだろうが、共に春の季節に聴き手に届けられた。どちらも桜の季節から少し過ぎた頃だが。

 一つの曲だけでなく、二つの曲を組合せてそこから見えるもの、複数の曲を横断するモチーフをたどること、そのような方法でこのblogのテキストを書いてきた。文学作品の批評や研究で使われている方法でもあるのだが、方法や理論を適用したというよりも、志村正彦・フジファブリックの作品を聴く過程で自然に浮かび上がったり偶然のようにして出会ったりしたモチーフから、そのような方法に近づいていった。九十数曲ある志村の作品から複数の作品を選び重ね合わせていけば、多様なテーマやモチーフが浮上してくる。私たち聴き手にはそのような自由が与えられている。

 『桜の季節』の歌詞はこう始まる。


  桜の季節過ぎたら
  遠くの町に行くのかい?
  桜のように舞い散って
  しまうのならばやるせない

  ならば愛をこめて
  手紙をしたためよう
  作り話に花を咲かせ
  僕は読み返しては 感動している!
 

 過去に二回ほど書いたが、志村正彦は『音楽と人』2004年5月号の記事でこの歌詞の「手紙」について「手紙を書いて、そこで終了している曲です」と語っている。「そこでまたひとりになると」というインタビュアー(上野三樹)の問いに対して「そうですね」と答えている。

 歌の主体「僕」は「愛をこめて」「手紙」を書く。しかし投函しない。宛先人に届くことはない。「手紙」を通じて差出人と宛先人が現実の関係を結ぶことはない。「手紙」は「僕」のもとに留まり、「僕」はふたたび「ひとり」になる。このようなあり方はまさしく志村正彦的だとしか言いようがない。
 そうだとしても、「作り話に花を咲かせ/僕は読み返しては 感動している!」とされた「作り話」がどこかに届けられることはないのだろうか。その「作り話」には「愛」がこめられているのだ。

 その「作り話」は作品として届けられたと、聴き手の立場から考えてみるのはどうだろうか。作品内の現実を超える聴き手の現実の中で。
 作者は「私信」ではなく「作品」として届けようとした。志村正彦が書いた九十数曲の「作品」を「愛をこめた」「手紙」だと捉えることから、どのような世界が開けるか。2019年の今、僕はそう考えている。

 「手紙」にこめられた「愛」は深く隠されている。作者の想いはつねにすでに作品の余白に隠されている。『茜色の夕日』でも『若者のすべて』でも、歌の主体が本当に伝えたいことは深い底の方に沈み込んでいる。しかし、その底の方から浮かび上がる想いがそのまま伝わってくる作品もある。『ルーティーン』はそういう歌ではないだろうか。


  さみしいよ そんな事
  誰にでも 言えないよ

  見えない何かに
  押しつぶされそうになる

  折れちゃいそうな心だけど
  君からもらった心がある


 『桜の季節』の「僕」が投函しなった「手紙」には、この『ルーティーン』の歌詞のような言葉が書き込まれていたのかもしれない。もちろん、その手紙は投函されなかったのだが。そしてまた、『ルーティーン』の歌詞を「手紙」の言葉になぞらえたとしても、結局、その『ルーティーン』という「手紙」は「君」に届けられたわけではないだろう。手紙の本文はそのままそこに留まる。

 『桜の季節』から『ルーティーン』へと続く軌跡を投函されない「手紙」というモチーフで描いてみた。『ルーティーン』は、本文の後に続く「追伸」のような言葉で終了する。
 「愛」がこめられた追伸である。


  日が沈み 朝が来て
  昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね



2019年2月23日土曜日

シングル盤『Sugar!!』[志村正彦LN211]

 今日、2月23日は語呂合わせで富士山の日。山梨県人にほとんど浸透していなかったが、2013年の世界文化遺産登録後に話題に上がるようになった。冬の富士が綺麗な時期であるが、今年は例年より雪が少ない。富士北麓に雪があまり降らなかったのだ。甲府盆地にも雪はほとんど降らなかった。雨も少なかった。穏やかな日差しに恵まれて、例年より暖かい冬だった。あと一月もすれば桜の季節だ。

  『ルーティーン』が収録された『Sugar!!』シングルは、2009年4月8日に完全生産限定盤としてリリースされた。
 



 前回は「Billboard Japan」の記事を引用したが、ユニバーサルミュージック(発売時はEMIミュージックジャパン)の公式サイトでは、シングル『Sugar!!』がこのように紹介されている。

最高傑作アルバム『TEENAGER』以来、約1年2ヶ月ぶりの待望の新曲がついに完成!今回が初のコラボレーションとなった亀田誠治プロデュースによる表題曲「Sugar!!」は、紆余曲折を乗り越え、フジファブリックがフジファブリックとして改めてスタートラインに立つきっかけともなった初のメッセージソング。カップリングには、スウェーデンのバンドthe Merrymakersプロデュースにより初のスウェーデンレコーディングで制作した新曲「ルーティーン」を収録!!
Special LIVE DVDには、昨年5月31日に「TEENAGER FANCLUB TOUR」の追加公演としてVo.&G.志村正彦の生まれ故郷でもある山梨県富士吉田市の富士五湖文化センターにて行われた超貴重なライブより、Opening「大地讃頌」を含む4曲を収録!

 リリース直前の広報だろう。初のスウェーデンレコーディングの新曲は「ルーティーン」という題名が付されて紹介されている。表題曲「Sugar!!」が「紆余曲折を乗り越え、フジファブリックがフジファブリックとして改めてスタートラインに立つきっかけともなった初のメッセージソング」とされているところが特に注目される。

 タイトル曲『Sugar!!』には強力なタイアップがあり、3月に開催された「2009 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の「J SPORTS」による中継でテーマソングとして使用された。
 2008年5月31日の富士五湖文化センターLIVEの映像も付属DVDに収録された。これについて志村正彦は「志村日記2009.3.31」(『東京、音楽、ロックンロール』)で次のように語っている。

 シングル『Sugar!!』にはフジファブリックのライブDVDがついています。僕が果たした夢の会場の雰囲気が詰まっています。実はこのライブDVD映像を作品に入れようと発案をしたのは他の誰でもなく、僕です。スタッフはあんな神秘的な場を作品にしてしまってもいいのか。ろくに録音設備も入れず、なんの手も加えられない、生の生の音。それを作品にするなんて考えてもいなかったでしょう。僕に気を遣って。なんせ僕が生きてきた中で、一番恥ずかしくもある映像を作品にするのですから。
  僕は考えまして提案しました。
「その姿を恥ずかしがり、無難にさけて発表しないこと、全国の大多数の人がそれを見れないこと」
 それの方が恥ずかしいことであると思いました。
僕が生きていた中で一番嬉しかった瞬間。一番恥ずかしかった瞬間。破裂させてしまった瞬間。それが詰まってます。よろしければ皆さん是非手に取ってみてください。

 DVD収録作品は「 1. 山梨県富士吉田市立吉田中学校 平成七年度卒業記念(志村在籍)::大地讃頌 (Opening)  2. ペダル  3. TEENAGER  4. 茜色の夕日」。オープニングの「大地讃頌」、ライブ本編の最初の曲「ペダル」と最後の曲「TEENAGER」そしてアンコールの1曲目「茜色の夕日」が選ばれた。志村の「一番嬉しかった瞬間。一番恥ずかしかった瞬間。破裂させてしまった瞬間。」がまさに凝縮されている。このDVDの「発案をしたのは他の誰でもなく、僕です」という志村の言葉には、あのかけがえのない瞬間を作品に定着させ、公表することによって、一つの時代を振り返り、区切り直し、新しい方向へと歩み出そうとする決意が感じられる。

 このアルバムのジャケットには、イラストレーターのオオツカユキコさんの絵が使われている。富士山をモチーフとしているのだろうが、はっきりと示すものはない。白い雪の富士に「Sugar」を想わせるカラフルな飴玉が降ってくるようなイメージで、とてもポップで洒落ている。CDとDVDのレーベル面もやさしい白色でおおわれている。

 シングル『Sugar!!』はかなり力が入った作品だった。10,000枚の完全生産限定盤だったので、かつては中古盤がかなりの高値だったが、現在は入手しやすい価格で購入できる。僕にとって最も愛着のあるシングル盤となった。

 アルバム単位で音楽家の軌跡を語ることが多い。フジファブリックも例外ではない。でも、志村正彦の軌跡を概観するのであれば、むしろシングル単位で作品をたどる方がある確かな軌跡が見えてくる。
 シングルのA面、シングルのB面、それぞれの軌跡があるが、大きな波の流れとして合流してゆく。1枚目のシングルA面『桜の季節』から11枚目のシングルB面『ルーティーン』へという流れに、志村正彦の歌の軌跡が記しづけられている。


2019年2月18日月曜日

「02.タイトル未定」[志村正彦LN210]

 前回の『ルーティーン』論に補足したいことがある。
 「Billboard Japan」の「フジファブリック 待望のニューシングルリリース決定!」(2009年2月4日)の記事にこうある。


 先日、スウェーデンでバンド史上初の海外レコーディングを敢行していることがアナウンスされたフジファブリックですが、待望のニューシングル『Sugar!!』を4月8日にリリースすることが決定。そして、同曲の着うた(R)先行配信が2月4日よりスタートしたことが明らかになりました!
 約1年2か月ぶりの新曲となる今作は、プロデューサーに亀田誠治、ドラムスに東京事変の刃田綴色を迎えた意欲作。バンドが改めてスタートラインに立つきっかけとなったナンバーとのことで、今後のフジファブリックの方向性を占う1曲とも言えます。カップリングにはスウェーデンのバンド、ザ・メリーメーカーズのプロデュースのもと、現在ストックホルムにて制作中の音源を収録予定。更に付属されるDVDには、昨年5月に志村正彦(vo,g)の生まれ故郷・山梨県富士吉田市の富士五湖文化センターにて行われた【TEENAGER FANCLUB TOUR】追加公演から4曲を収録しています。なお、このシングルは完全生産限定盤となりますので、確実にゲットしたい方は早めに予約しておきましょう!

 ツアーの紹介の後、『Sugar!!』のCDとDVDの収録曲が次のように記されている。

◎シングル『Sugar!!』2009.04.08  RELEASE TOCT-40249 1,500円(tax in.)
CD収録曲:
01.Sugar!!
02.タイトル未定
DVD収録曲:
01.大地讃頌(Opening)
02.ペダル
03.TEENAGER
04.茜色の夕日

 CD収録曲の「02.」は「タイトル未定」とある。この記事と「Sugar!!」着うた(R)先行配信のスタートは2月4日。『ルーティーン』の収録は2月6日だから、確かにこの時点では全くの「タイトル未定」曲だったことになる。そうなると、このシングル『Sugar!!』の企画段階から、カップリングとなる曲はストックホルムで録音されることになっていたのだろう。志村は「日本でデモは作ってたんですけど、この曲だけ歌詞は向こうで書いたんです。向こうの空気を吸って書いてみると、新しい何かなるんじゃないかなって。」と述べていた。デモは用意していたが、何よりもストックホルムの空気がタイトルを含めた歌詞に対して働きかける作用について期待してたことになる。

 ここからは全くの推測だが、「02.タイトル未定」=『ルーティーン』がストックホルム録音の最後に設定されたのは、志村が意識的無意識的に、アルバム海外録音のルーティーンの日々を最後に歌おうとしたからだろう。 この『ルーティーン』はアルバム『CHRONICLE』には収録されていない。もともとカップリング曲・B面曲はほとんどアルバムには入っていないので既定の路線だったのだろうが、結果的に、『ルーティーン』は『CHRONICLE』録音のルーティーンの日々を振り返る歌にもなったのではないか。
 『CHRONICLE』は、志村正彦が自分自身の「CHRONICLE」「年代記」を探究したアルバムである。自らの年代記への旅。その最後に『ルーティーン』の歌詞が浮かんできた。おそらくかなり即興的ではあるが丁寧に、昨日、明日、明後日、明々後というように、想いを重ね合わせた。

 『CHRONICLE』の作品は志村正彦の内省と遡行の歌だ。時に繊細に時に激しく過去へと遡行し現在へと戻ってくる。「志村正彦による志村正彦」と位置づけられるアルバムだろう。 そのような『CHRONICLE』収録曲に対して、『ルーティーン』は未来に対して眼差しを向けている。『CHRONICLE』の余白に佇んでいるような目立たない歌かもしれないが、『ルーティーン』はそっと静かに現在から未来へと歩み始めている。

2019年2月6日水曜日

2009年2月6日『ルーティーン』の誕生[志村正彦LN209]

 十年前の今日、2009年2月6日、フジファブリックの『ルーティーン』がストックホルムで誕生した。ルーティーンの十年という時が流れたことになる。

 志村正彦は「ストックホルム”喜怒哀楽”映像日記」(『CHRONICLE』付属DVD)で、「最後にちょっとセンチメンタルな曲を一発録りでもう、多分歌も一緒にやるか、まあでもマイクの都合でできないかな、もうみんなで一斉にやって『終了』って感じにしたくて」と語り、「Recording『ルーティーン』2009/2/6」というテロップがある。志村のヴォーカルとギター、山内総一郎のギター、金澤ダイスケのアコーディオンの演奏も撮影されている。演奏後にヴォーカルを入れたようだが、どちらもおそらく「一発録り」だろう。志村の声と息づかいが生々しい。

 帰国後の4月8日、『ルーティーン』は完全生産限定シングル『Sugar!!』で表題曲のカップリングとして発表された。生前のアルバムには収められなかったが、完全生産限定BOXの『FAB BOX』(2010/06/30、復刻版2014/10/15)の『シングルB面集 2004-2009』に収録された。シングルもアルバムも完全生産限定でパッケージ作品としては入手困難であり、この歌の知名度は低い。関連情報も雑誌やネットなどいろいろと探してきたがなかなか見つからない。あきらめていたが、昨日、貴重なインタビューを見つけることができた。「OKMusic」という音楽サイトに掲載された記事で、主に『Sugar!!』について志村正彦と加藤慎一が語っている。掲載日は2009年3月20日、取材者は「ジャガー」とある。
 「さまざまな発見を経験したレコーディングで誕生したのが、2曲目の「ルーティーン」なんですよね。」という質問に対して志村はこう答えている。


日本でデモは作ってたんですけど、この曲だけ歌詞は向こうで書いたんです。向こうの空気を吸って書いてみると、新しい何かなるんじゃないかなって。でも、「ルーティーン」の曲名に連想されるように、どこにいても自分は変わらないというか、結局やることは一緒で、自分は自分なんだなってことに気付きました。そういうものが歌詞にも表れたんじゃないですかね。


 「ルーティーン」のデモは日本で作っていたが、歌詞はストックホルムで書いたという貴重な証言である。何となくそんな感じがしていたが、本人によって裏付けられた。『ルーティーン』の歌詞はスウェーデンのストックホルムで作られた。その事実がこの歌にどのような影響を与えているのか。

 志村は、「向こうの空気を吸って書いてみると、新しい何かなるんじゃないかなって。」と述べている。その後に「でも」とあり、「どこにいても自分は変わらない」と続いているが、そのような自己認識は別にして、ストックホルムという場で生まれたこの歌には何か根本的に新しいものがある。過去の志村作品のどれにも似ていない。

 一年半ほど前の夏の季節にストックホルムに出かけたことは以前このブログに書いた。2009年の1月から2月にかけて『CHRONICLE』の録音のために、フジファブリックの一行はセーデルマルム島の中心街のホテルに滞在していたようだ。このホテルから少し歩くとスルッセン(水門)があり、そこからはガムラ・スタン(旧市街)の美しい眺めが広がる。DVDにこの界隈を散策するシーンが入っている。
 夏のストックホルムには穏やかな風情があったが、彼らが経験した冬のストックホルムには厳しい気候ゆえの引き締まるような「空気」が漂っていたのかもしれない。


(スルッセンから眺めたガムラ・スタン  2017.8)



  日が沈み 朝が来て
  毎日が過ぎてゆく

  それはあっという間に
  一日がまた終わるよ

  折れちゃいそうな心だけど
  君からもらった心がある

  さみしいよ そんな事
  誰にでも 言えないよ

  見えない何かに
  押しつぶされそうになる

  折れちゃいそうな心だけど
  君からもらった心がある

  日が沈み 朝が来て
  昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね
   
      ( 『ルーティーン』 詞・曲:志村正彦 )


 雪と氷のストックホルムの街に触発されたかのように言葉を凝縮している。簡潔な表現によって、想いを重ね、祈りを深めていく。

 志村正彦の歌は新しい地平に歩み始めていた。

2018年11月11日日曜日

『ルーティーン』の祈り [志村正彦LN200]

 「志村正彦LN(ライナーノーツ)」が200回を迎えた。ブログの開設は2012年の暮れ。実質的に始まったのは2013年3月。六年近くの時が流れた。

 最初に「志村正彦LN」を構想した時に、漠然とではあるが、300回くらいになるかなと思った。何となくの想定だったが、現時点での判断としてはおおよそ当たっているのかもしれない。そうなると後100回は続くことになる。今までのペースであれば三、四年はかかる。始まりから通算すると、十年一仕事ということになる。この想定通りに進んでいけるかどうかはわからないが、書き続けるという意志はある。

 今年の春から職場が変わった。後期から国語科教育法に加えて、文学講読(芥川龍之介の夢と無意識をモチーフとする小説)と初年次教育の演習(レポート作成方法)も担当することになった。ミッション系の大学なので、宗教主任をはじめとする教職員や外部からの講師がキリスト教やキリスト教に関連するメッセージを話す「チャペルアワー」という時間が週に三日ある。先日、そのメッセージを伝える番が回ってきた。
 僕はクリスチャンではなく、キリスト教の理解も浅いので、何を話したらよいのか思案したが、日本語の詩や歌に表現された「祈り」というテーマに決めた。具体的な作品としてフジファブリック『ルーティーン』が浮かんできた。若い学生も参加するので、この曲をぜひ聴いていただきたい。そのような思いもあった。

 題名は、「志村正彦『ルーティーン』の祈り」とした。
 会場はグリンバンクホール。日常の礼拝や講演会等で使われる多目的ホールで、正面には十字架が掲げられている。礼拝で演奏するパイプオルガンもある。学内で最も聖なる場だと言える。
 十五分弱の短い時間なので、最初に『ルーティーン』を再生し、作者と作品とついて簡潔に話し、最後に再び『ルーティーン』を流して終えるという構成にした。会場設置のオーディオ装置を事前に調整し、できるだけクオリティの高い音質にすることにこだわった。志村正彦の声や息づかいを忠実に再生したかった。

 当日配布した資料は、「志村正彦LN」の『ルーティーン』の回をもとにして、新たなモチーフを少し加え、書き改めたものである。以下、引用させていただく。


  フジファブリック『ルーティーン』 (作詞作曲:志村正彦)

 フジファブリック『ルーティーン』は、2009年4月8日、シングル『Sugar!!』のカップリング曲としてリリースされた。アルバム『CHRONICLE』収録曲と共に、スウェーデンのストックホルムで録音された。

 『CHRONICLE』付属DVDの「ストックホルム”喜怒哀楽”映像日記」には、志村正彦が「最後にちょっとセンチメンタルな曲を一発録りでもう、多分歌も一緒にやるか、まあでもマイクの都合でできないかな、もうみんなで一斉にやって「終了」って感じにしたくて」と述べるシーンがある。この曲が『ルーティーン』である。「Recording『ルーティーン』2009/2/6」と記されていて、2009年2月6日に録音されたことが分かる。帰国の間際に「一発録り」で収録されたゆえに、加工されていない彼の自然な声や息づかいが聞こえてくる。

 「ルーティーン (レコーディングセッション at Monogram Recordings)」という映像もある。志村と山内総一郎のアコースティックギター、金澤ダイスケのアコーディオンによる演奏の映像に、志村のボーカルの映像をミックスしたものだ。冒頭で志村は「わびさび日本系で」という指示を出している。海外での収録ゆえに「日本系」を意識したのかもしれないが、むしろこの歌には「日本」という枠組を超えたある種の普遍性がある。

 その十ヶ月後、2009年12月24日クリスマスイブの日、志村正彦は急逝する。結果として、『ルーティーン』は生前に完成された最後の作品となった。

 志村の声は限りなく優しい。甘く切なく、耳に溶け込むようでもある。
 二行七連構成の歌詞は日常的ないわば「ルーティーン」の語彙で綴られている。「君からもらった心がある」と、歌の主体は「君」に歌いかける。ラブソングという枠組で捉えるのであれば、この「君」は恋する人や愛する人であるだろう。しかし、そのように限定しない解釈もあり得る。「君」は父や母かもしれない。友であってもいい。もっと大きな存在、人に心を与えるような存在とも考えられる。あるいは「君」は音楽そのものとも捉えられる。
 人間の心は「自」ら成るのではなく「他」から与えられるものである。「他」からの贈り物のようにして存在している。そのような論理を考えることができるだろうか。

 いったん曲が終了し、一瞬の沈黙がある。第六連と七連との間だ。微かにギターをたたく音と共に七連目が歌い出される。                                       
 最後の二行は、歌うことそのものが祈りとなっている。「ルーティーン」の日々、永遠に繰り返される時への祈り。日が沈み朝が来ること。「昨日もね」と「ね」で一度小休止し、「明日も 明後日も 明々後日も」と続き「ずっとね」でフェイドアウトしていく。その後に続く言葉はない。
  志村の詩にはいつも余白がある。その余白、言葉にならないものが祈りを支えているかのように。

 時々、不思議に思う。音盤に刻まれた歌が再生されることを。声は生き続けることを。あまりにも自明になってしまって振り返ることもないが、録音という技術は人の声に関する「奇跡」のような出来事だったのかもしれない。
 志村正彦の「ルーティーン」、彼の「時」は永遠に失われた。彼の声は、歌は、少なくともその聴き手が存在する限りは、永遠のような時を得る。一人の聴き手としてそのように考え、そのように祈る。


 グリンバンクホールに志村正彦の歌が広がっていった。一発録りゆえの彼の地の声や息づかいが聞こえてきた。祈るようにしてその声に耳を澄ませた。

2017年8月30日水曜日

最後の完成作『ルーティーン』―ストックホルム5[志村正彦LN162]

 8月9日に帰国してから三週間が経つ。五回に分けてストックホルムへの旅を記してきた。記憶が紛れていかないうちにたどりたかった。

 前回、ストックホルムを「水の都」「島の都」と形容した。俯瞰的な視点でとらえるとそうなるが、普通に街の中にいると「島」にいるという感じはほとんどない。島と島とを架橋する橋も街路がそのまま延長しているように進んでいける。


 8月6日、二日目の朝は、ホテルのあるスルッセンからガムラスタンを経てストックホルムの中心部にあるセルゲル広場へ歩いていった。通りの名でいうと、「Katarinavagen」「Vasterlanggatan」「Riksgatan」を経て「Drottninggatan」に入っていく。「Vasterlanggatan」は旧市街ガムラスタンで最も人通りの多い通りであり、「Drottninggatan」はストックホルムの中心地の歴史ある通りで、この終点近くにストリンドベリ記念館はある。前日、この二つの有名な通りがつながっていると聞いた。地図を見ると確かにつながっている。時間の許す限り、この街路を歩いていくことにした。

 日曜日の朝だった。「Vasterlanggatan」ヴエステル・ローング通りにはほとんど人がいない。静けさに包まれている。商店もまだ開いていなかったが、ウインド・ディスプレーにはいろいろな土産物が飾られていた。お土産の目星をつけながら歩くのは楽しい。昼間この近くのレストランに戻る予定なのでその時に買うことにした。この界隈には十三世紀につくられた路地もある。



 国会議事堂を越えて中心部に入る。しばらくするとセルゲル広場についた。ここは『CHRONICLE』付属DVDの映像にも映されている。フジファブリックの四人のメンバーの人気投票「北欧選手権」をした場所の一つだ。
 このあたりで前方を見ると、かなり向こう側に屋上が青く光る建物が見えた。ストリンドベリの旧居・記念館だった。十分ほど歩けばそこまでたどりつけるだろうが、そろそろホテルに戻らねばならない時間だった。ここでひきかえした。

 ストックホルムは、伝統を感じさせる路地や新しい整然とした街路が混然と溶け合っている。戦禍に合わなかったことやビルの高さ制限を設けてきた都市計画がこのような街並をつくりあげたのだろう。

 志村正彦は、『CHRONICLE』DVDの映像で次のように語っている。

日本にはない大地っていうか、道とか、店とか、建物、空気、そういうものを多分なんか感じたんでしょうね。まさにこう映画で見たような風景がそのままあるんで。すごい不思議な国に来たような感じですね。やはり来た意味ありますね。日本のがスタジオの設備とか人の録音のテクニックとかぜんぜんあるんですけど。そういうものを取っ払ってもなにか大きく感じるものがこの街とか人にはあるんじゃないですかね。

 僕たち日本人にとっては確かに、ヨーロッパの街は「映画で見たような風景」であろう。映画の中に迷い込むような不思議さがあり、新しい感覚が刺激される。志村も何かをつかみとり、『Stockholm』という曲がこの地で誕生した。

 二日目は、ツアーのバスでノーベル賞の晩餐会が開かれる市庁舎、ヴァーサ号博物館、セーデルマルム島の丘などを巡り、観光船でユールゴーデン島を周遊した。
 夕方、タリンクシリヤラインのクルーズ船の乗場についた。夜7時半ストックホルムを出発、翌朝7時にフィンランドのトゥルクに着く。世界で最も美しいといわれるストックホルムの群島の間をぬうように進む航路だ。クルーズ船に乗るのは初めてだ。揺れもほとんどなく、部屋の丸い窓から群島を眺めた。2万4千もの島があるそうだが、陸のように見える大きな島、島と言えるのか戸惑うほどの小さな島、予想をはるかに超える数の島々が続いていた。

 フジファブリックのストックホルムでの録音というとふつうは『CHRONICLE』が思い浮かぶだろうが、僕にとっては『ルーティーン』という曲がまず第一に挙げられる。この曲は11枚目のシングル『Sugar!!』のカップリングとして2009年4月8日にリリースされた。
 志村正彦・フジファブリックの曲を一曲だけ選ぶとするならかなり迷ってしまう。『陽炎』『セレナーデ』『若者のすべて』『赤黄色の金木犀』、いろいろと浮かんできてとても絞り切れない。ある観点からするとこの作品になる、そんな選び方しかないが、そのような個別の観点を超えて一つだけ選択しなけれなばならないとするなら、今は『ルーティーン』を選ぶだろう。それほどこの歌は僕にとって唯一無二の存在だ。

 この曲は志村正彦が生前に録音して自ら完成させた音源としては最後の作品であろう。5thアルバム『MUSIC』収録曲は志村本人によって完成させたものではない。もちろん貴重な音源であることは間違いなく、制作したメンバー・スタッフの苦労には敬意を表したいが。
 『CHRONICLE』DVDの映像で、志村が「最後にちょっとセンチメンタルな曲を一発録りでもう、多分歌も一緒にやるか、まあでもマイクの都合でできないかな、もうみんなで一斉にやって「終了」って感じにしたくて。」と述べた上で録音したのがこの作品だ。「 Recording『ルーティーン』2009/2/6」というテロップがある。DVDには、その際の「ストックホルム”喜怒哀楽”映像日記::ルーティーン (レコーディングセッション at Monogram Recordings)」というフル映像もある。志村と山内総一郎のアコースティックギター、金澤ダイスケのアコーディオンによる演奏時の映像に志村のボーカル収録時の映像をミックスしたものだ。事実として、ストックホルムで最後に録音された『ルーティーン』が完成作としての最後の作品だと考えられる。そのような経緯もあり、この歌はかけがえのないものとなった。ストックホルムを訪れるのをここ数年ずっと願ってきた。

 船はゆっくりと進む。ゆっくりと日も暮れていく。群島の影が濃くなる。満月に近い月が水平線より少し上に出てきた。雲間に映えるおぼろげな月。バルト海に反射した月の光がどこまでも船を追いかけていく。波間にかすかにゆれる月光がたとえようもなく美しい。映画のラストシーンのような風景。出来過ぎの感じもしたが、素直にこの風景との遭遇を感謝した。志村の歌には月がしばしば現れる。そんなことも思いだしていた。




 ヘッドフォンを外してスマートフォンのスピーカーから『ルーティーン』を再生した。少しだけボリュームを上げて室内に響かせた。街でも何度か聴いたのだが、ストックホルム、スウェーデンにさよならをする時、もう一度聴きたかった。
 感傷的なことはあまりしたくないのだが、ここでは少し(大いにというべきだろうか)感傷に浸りたかった。

 志村はDVDの最後近くでこう述べている。

ほんとうにちょくちょく出てきたイタリアとか、フランスとか、そういう街に行ってその土地の音楽とかどんどん吸収したいっていう、そういう貪欲なものが芽生え始めてますね。だから癖になりそうですね、こういう旅が。

 彼はフジファブリックの音楽を世界へ広げていく手ごたえや手がかりを掴みつつあったはずだ。世界の様々な街への旅を続けることができたら、どんなに素晴らしい作品を創り出していただろうか。もともと彼の音楽は、彼の言葉は、「日本」という狭い枠組を超えたある種の普遍性を志向していた。

 『ルーティーン』が聴こえてくる。
 「明日も 明後日も 明々後日も ずっとね」という声。繰り返される日々の「ルーティーン」。日々の「生活」への祈り。それと共に持続していく「音楽」への志を伝えたかった。自らに言い聞かせたかった。この歌詞の中の「君」は音楽そのものかもしれない。そんな風に聴こえてくる。


  日が沈み 朝が来て
  毎日が過ぎてゆく

  それはあっという間に
  一日がまた終わるよ

  折れちゃいそうな心だけど
  君からもらった心がある

  さみしいよ そんな事
  誰にでも 言えないよ

  見えない何かに
  押しつぶされそうになる

  折れちゃいそうな心だけど
  君からもらった心がある

  日が沈み 朝が来て
  昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね
   
      ( 『ルーティーン』 詞・曲:志村正彦 )

2017年3月5日日曜日

『ルーティーン』の声 [志村正彦LN151]

 三月の甲斐の山々。稜線が霞のようなもので覆われてくる。日差しがやわらかくなり、気温が上昇してくる。冬の寒さに慣れた身体が少しずつほぐれていく。それはそれで心地よいのだが、反面、気怠いような物憂いような気持にも染め上げられる。

 三月は年度の終わり。生活や仕事の流れの中では、三月が区切りという感じが強い。学校では卒業式や離退任式があり、人が巣立つ。冬が遠ざかり、春が近づく。人と季節それぞれが移り変わる。
 年度のしめくくりの仕事に追われ、新しい年度への準備もいそがしい。体には案外よくない季節かもしれない。毎年この時期、体調が少し悪くなることもある。一年の疲れが体そして心の芯にたまっているのかもしれない。一年のくりかえし。そのための一日のくりかえし。くりかえしのくりかえしの日々。そのような季節にふと聴いてみたくなるのが、志村正彦・フジファブリックの『ルーティーン』だ。
 
 2009年4月8日、シングル『Sugar!!』のカップリング曲としてリリースされた。同時期のアルバム『CHRONICLE』と同様に、スウェーデンのストックホルムで録音された。現在でもデジタル音源では入手可能だが、シングルは完全生産限定盤、アルバムにも限定盤『FAB BOX』中のDisc 3『シングルB面集 2004-2009』に収録ということで、CD盤としては入手困難だ。そのこともあってか、あまり知られていないのが残念である。『シングルB面集 2004-2009』が単独でリリースされるのが望ましいのだが、それはまだ実現していない。このB面集には『蜃気楼』『ルーティーン』『セレナーデ』など美しく儚い作品が多い。『SINGLES 2004-2009』というA面集よりも、志村らしい作品、志村でしか作りえない作品が収められているとも言える。

 『CHRONICLE』のDVDには、「ストックホルム”喜怒哀楽”映像日記::ルーティーン (レコーディングセッション at Monogram Recordings)」が収められている。志村と山内総一郎のギター、金澤ダイスケのアコーディオンの演奏と志村のボーカルが録画された貴重な映像だ。冒頭で志村は「わびさび日本系で」という指示を出している。海外での収録ゆえに「日本系」を意識したのだろうか。むしろというかそれゆえにと言うべきか、この歌には国や文化の違いを超えた普遍性がある。

 この年の12月、志村は急逝する。翌年、彼の残した制作途上の楽曲を中心に収録した『MUSIC』が「遺作」のような意味づけで発表されたが、このアルバムはあくまで参考作品として捉えるべきだと思う。志村の意志と構想で完成させたものではないからだ。彼の生前最後の作品を一つだけ選ぶとするならこの『ルーティーン』ではないかと私は考えている。
 歌詞のすべてを引用したい。二行七連の歌詞だ。


 日が沈み 朝が来て
 毎日が過ぎてゆく

 それはあっという間に
 一日がまた終わるよ

 折れちゃいそうな心だけど
 君からもらった心がある

 さみしいよ そんな事
 誰にでも 言えないよ

 見えない何かに
 押しつぶされそうになる

 折れちゃいそうな心だけど
 君からもらった心がある

 日が沈み 朝が来て
 昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね
   
      ( 『ルーティーン』作詞作曲:志村正彦 )


 声は限りなく優しい。耳に甘く溶け込むようでもある。
 歌詞自体が、日常的な語彙、いわばルーティーンの言葉で綴られているが、深い想い、語りえない想いを伝えている。曲が終了し、束の間の沈黙がある。第六連と七連との間だ。微かにギターをたたく音と共に、七連目の二行が歌われる。
 最後の二行は、言葉の意味としてではなく、言葉の行為として、「祈る」ことを成し遂げている。歌うことそのものが祈りになっている。何を祈るのか、祈りを向ける対象はわからない。歌詞の文脈からすると、昨日も、明日も、明後日も、明々後日も、ずっと「日」が続いていく、そのことへの祈りなのかもしれない。ルーティーンへの祈りと言い換えることもできる。ただそのように言葉を捉えたとしても、この歌の祈りには届かないような気がする。

 聴き手にとってこの歌の祈りは、日々のくりかえしの中で「折れちゃいそうな心」、「さみしい」こと、「押しつぶされそうになる」ことへの深い慰藉、なぐさめといたわりになる。
 この歌が録音されて一年も経たないうちに、この歌い手のルーティーン、日々のくりかえしは永遠に失われた。時々、不思議に思うことがある。音盤に刻まれた歌をくりかえし聴くことができることを。歌は生き続けるということを。自明になってしまってあえて振り返ることもないのだろうが、録音と記録という技術は本来、人の声に関する「奇跡」のような出来事だったのかもしれない。
 『ルーティーン』の声は今も日々のくりかえしを祈り続けている。