ページ

2018年11月23日金曜日

映画『ここは退屈迎えに来て』[志村正彦LN202]

 映画『ここは退屈迎えに来て』(廣木隆一監督)を見てきた。甲府の中心街に一つだけ残っている映画館「甲府シアターセントラルBe館」で今日から上映が始まった。

 廣木隆一はかなり前から好きな監督である。現在のフジファブリックが主題歌『Water Lily Flower』と劇伴を担当し、志村正彦の『茜色の夕日』が劇中で歌われていると知って、どうしても見たかった作品だ。甲府での上映は無理かもしれないと思っていたが、シアターセントラルBe館の予定にあり、とても楽しみにしていた。




 これから鑑賞される方がいるかもしれないので、映画の具体的内容については触れないが、書いておきたいことが少しある。

 原作者山内マリコの故郷である富山県を舞台とする一種のロードムービーである。地方在住者としては、どこにでもある地方都市の郊外のどこにでもある風景に「デジャヴュ」を覚える。東京から帰郷した「私」(橋本愛)と故郷にそのまま残っていた「あたし」(門脇麦)という二人の女性の物語。「椎名くん」(成田凌)という男性が展開の中心にいるのだが、彼は空虚な存在でもある。物語に登場してはいるが、『桐島、部活やめるってよ』(吉田大八監督)の「桐島」にある意味では近い存在かもしれない。この三人は共に、どこにでもある地方都市のどこにでもいる人物である。つまり、僕たち自身であり、僕たちの隣人であるのだ。

 撮影が優れている。「場」はあるにはあるのだがそこに「人」があまりいない地方の空間の感触を的確に描き出している。ドライブシーン中の車のフロントガラスに映る周囲の影の動きのイマージュ。ラストシーン近くで「サツキ」(柳ゆり菜)が「私」と「椎名くん」の二人を見つめる際の表情の微妙な変化の演技と演出も素晴らしかった。キャスティングでは山梨出身のマキタスポーツがいい味を出していた。
 それに比べて、物語の構成にはもっと練り上げが必要だっただろう。人物がたくさん登場ずる群像劇であり、2004年、2008年、2010年、2013年と時間も交錯するので、展開が把握しにくい。もう少し分かりやすく整理して、モチーフを焦点化した方がよかったのではないか。

 フジファブリックの劇伴は、彼らの巧みな演奏力によって安定感があった。『Water Lily Flower』も小波のような余韻を残した。
 話題となっている『茜色の夕日』の劇中挿入シーンだが、おそらく賛否両論があるだろう。僕個人としては条件づきではあるが、どちらかというと肯定的である。制作者には失礼な言い方になるかもしれないが、この映画全体を『茜色の夕日』の映画版ミュージックビデオと捉えることもできるからだ。この歌の受容の歴史の中で、この映画は話題作、問題作として記憶に残るだろう。このことはいつか機会を設けて書いてみたい。

 甲府シアターセントラルBe館での上映期間は、12月6日までの二週間(水曜日は休館)。山梨在住の志村正彦・フジファブリックのファンであればご覧になることを勧める。『茜色の夕日』が、映画作品という虚構の中ではあるが実在しているのだから。
 

2018年11月18日日曜日

少年期と現在、二つの系列-『陽炎』5[志村正彦LN201]

 フジファブリック『陽炎』論を二ヶ月ぶりに再開したい。

 この歌で描かれる世界は大きく二つの系列に分かれる。「少年期の僕」を描く物語の系列と、「少年期の僕を見ている今の自分」の想いを叙述する系列の二つだ。そしてその二つの系列の背後には、「少年期の僕」と「少年期の僕を見ている今の自分」の両方を見つめている自分が存在している。

 この二つは明解に分けられるのだが、視覚的に捉えやすくするるために前者の系列を赤、後者の系列を青で記してみる。最後の「陽炎が揺れてる」は青でも赤でもない紫色にする。


  陽炎 (作詞・作曲:志村正彦)

あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ

また そうこうしているうち次から次へと浮かんだ
残像が 胸を締めつける

隣のノッポに 借りたバットと
駄菓子屋に ちょっとのお小遣い持って行こう
さんざん悩んで 時間が経ったら
雲行きが変わって ポツリと降ってくる
肩落として帰った

窓からそっと手を出して
やんでた雨に気付いて
慌てて家を飛び出して
そのうち陽が照りつけて
遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる

きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう

またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ
出来事が 胸を締めつける

窓からそっと手を出して
やんでた雨に気付いて
慌てて家を飛び出して
そのうち陽が照りつけて
遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる

陽炎が揺れてる


 『陽炎』のライブ映像をいくつか見ると、青色の部分では照明が落とされて、赤色の部分に転換する際に照明も光量が多くなる。テンポも速くなり、音量も大きくなる。歌詞の系列の転換を強調したアレンジや演出だろう。この歌のテーマでもある「ワープ」を意図したのかもしれない。『陽炎』のダイナミズムがここにある。

 歌の主体「僕」は次のように語り出す。


あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ


 「あの街並」を想起した時、「英雄気取った 路地裏の僕」が心の中で浮き上がる。それは「何故だか」とあるように訳もなく、しかも「ぼんやり」としか見えない像である。何かの拍子に脈略もなく、ある出来事が瞬間的に回帰してくることがある。はっきりとしない曖昧なものであってもその像を追っていくと、少しずつ像の実質が現れてくる。

 「今の自分が少年時代の自分に出くわすっていう絵が、頭の中あって。そこで回想をして、映画に出てきそうなシーンを書きたいなと思って作りました」(「oriconstyle」2004年7月14日付記事)という志村自身の発言にあるように、現在の自分と少年期の自分に出くわす「絵」の輪郭が作者の頭の中で確かなものとなる。舞台は作者の故郷の「路地裏」。そのような設定で物語が動き始める。
 今の自分が少年期の僕と遭遇し、二人は並んで走る。そうこうしているうちに、二人は一体化して路地裏を駆け巡る。そんな幻が浮かんでくる。


隣のノッポに 借りたバットと
駄菓子屋に ちょっとのお小遣い持って行こう
さんざん悩んで 時間が経ったら
雲行きが変わって ポツリと降ってくる
肩落として帰った

窓からそっと手を出して
やんでた雨に気付いて
慌てて家を飛び出して
そのうち陽が照りつけて
遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる


 十月、山中湖で開催された「Mt.FUJIMAKI 2018」に行く途中、富士吉田の「ハタオリマチフェスティバル2018」に立ち寄り、かなり久しぶりにこの「路地裏」界隈を歩いた。
 当時の彼の実家、駄菓子屋。せいぜい二、三百メートルくらいの距離に位置している。少年にとってのテリトリーの場所はこのくらいの距離内にある。それを超えるともう他所の地域なのだ。それを超えた場所に行くことは一種の冒険になる。

 路地裏。少年にとっての「自分」の居場所。おそらく夏休みという季節。「借りたバット」「駄菓子屋」「ちょっとのお小遣」。昭和の少年の夏のアイテムがそろっている。「さんざん悩んで 時間が経ったら」、これも目に浮かんでくる光景だ。どれにしようかさんざん悩む。駄菓子屋での買い物は少年の大切な時の過ごし方なのだ。

 先に引用した部分に続いて志村は次のように述べている。


でも、夏といっても“どこかに遊びに行きました”というよりは、“路地裏で一人遊んでいる”っていう歌詞が自分たちらしいかな、と(笑)。うだつの上がらない夏を過ごした感じの曲です(笑)。


 つまり、この物語に登場する人物は「一人」である。もちろん、バットを持っていくのであるから、どこかのグラウンドで仲間と野球をするのだろうが。そこに行く途中、そこに行くまでの時間は、一人遊びである。「うだつの上がらない夏」と話しているが、孤独な少年の影もうかがえる。一人でいることと仲間と共にいること。この二つの時の間で少年は成長していく。

 雲行きが変わり雨が降ってきて、少年は肩落として帰る。夏の通り雨だったのだろう。しばらくすると止み、陽が照りつけてくる。雨が上がり光が差し込んでくるモチーフは『虹』『蜃気楼』などにもある。作者が愛した表現だ。

 「手を出して」「雨に気付いて」「家を飛び出して」「陽が照りつけて」、動詞の連続が歌の主体の動きを現し、その連用形に接続する「て」という助詞が歯切れのいい脚韻になって、リズムを盛り上げ、路地裏の物語を加速させる。しかし、その運動を静止させるように、「遠くで」、「陽炎」が「揺れてる」。空気が揺れ、視界が揺れ、世界が揺れている。
 そのとき「僕」はおそらく立ち止まったのだろう。そして佇立したのだろう。

2018年11月11日日曜日

『ルーティーン』の祈り [志村正彦LN200]

 「志村正彦LN(ライナーノーツ)」が200回を迎えた。ブログの開設は2012年の暮れ。実質的に始まったのは2013年3月。六年近くの時が流れた。

 最初に「志村正彦LN」を構想した時に、漠然とではあるが、300回くらいになるかなと思った。何となくの想定だったが、現時点での判断としてはおおよそ当たっているのかもしれない。そうなると後100回は続くことになる。今までのペースであれば三、四年はかかる。始まりから通算すると、十年一仕事ということになる。この想定通りに進んでいけるかどうかはわからないが、書き続けるという意志はある。

 今年の春から職場が変わった。後期から国語科教育法に加えて、文学講読(芥川龍之介の夢と無意識をモチーフとする小説)と初年次教育の演習(レポート作成方法)も担当することになった。ミッション系の大学なので、宗教主任をはじめとする教職員や外部からの講師がキリスト教やキリスト教に関連するメッセージを話す「チャペルアワー」という時間が週に三日ある。先日、そのメッセージを伝える番が回ってきた。
 僕はクリスチャンではなく、キリスト教の理解も浅いので、何を話したらよいのか思案したが、日本語の詩や歌に表現された「祈り」というテーマに決めた。具体的な作品としてフジファブリック『ルーティーン』が浮かんできた。若い学生も参加するので、この曲をぜひ聴いていただきたい。そのような思いもあった。

 題名は、「志村正彦『ルーティーン』の祈り」とした。
 会場はグリンバンクホール。日常の礼拝や講演会等で使われる多目的ホールで、正面には十字架が掲げられている。礼拝で演奏するパイプオルガンもある。学内で最も聖なる場だと言える。
 十五分弱の短い時間なので、最初に『ルーティーン』を再生し、作者と作品とついて簡潔に話し、最後に再び『ルーティーン』を流して終えるという構成にした。会場設置のオーディオ装置を事前に調整し、できるだけクオリティの高い音質にすることにこだわった。志村正彦の声や息づかいを忠実に再生したかった。

 当日配布した資料は、「志村正彦LN」の『ルーティーン』の回をもとにして、新たなモチーフを少し加え、書き改めたものである。以下、引用させていただく。


  フジファブリック『ルーティーン』 (作詞作曲:志村正彦)

 フジファブリック『ルーティーン』は、2009年4月8日、シングル『Sugar!!』のカップリング曲としてリリースされた。アルバム『CHRONICLE』収録曲と共に、スウェーデンのストックホルムで録音された。

 『CHRONICLE』付属DVDの「ストックホルム”喜怒哀楽”映像日記」には、志村正彦が「最後にちょっとセンチメンタルな曲を一発録りでもう、多分歌も一緒にやるか、まあでもマイクの都合でできないかな、もうみんなで一斉にやって「終了」って感じにしたくて」と述べるシーンがある。この曲が『ルーティーン』である。「Recording『ルーティーン』2009/2/6」と記されていて、2009年2月6日に録音されたことが分かる。帰国の間際に「一発録り」で収録されたゆえに、加工されていない彼の自然な声や息づかいが聞こえてくる。

 「ルーティーン (レコーディングセッション at Monogram Recordings)」という映像もある。志村と山内総一郎のアコースティックギター、金澤ダイスケのアコーディオンによる演奏の映像に、志村のボーカルの映像をミックスしたものだ。冒頭で志村は「わびさび日本系で」という指示を出している。海外での収録ゆえに「日本系」を意識したのかもしれないが、むしろこの歌には「日本」という枠組を超えたある種の普遍性がある。

 その十ヶ月後、2009年12月24日クリスマスイブの日、志村正彦は急逝する。結果として、『ルーティーン』は生前に完成された最後の作品となった。

 志村の声は限りなく優しい。甘く切なく、耳に溶け込むようでもある。
 二行七連構成の歌詞は日常的ないわば「ルーティーン」の語彙で綴られている。「君からもらった心がある」と、歌の主体は「君」に歌いかける。ラブソングという枠組で捉えるのであれば、この「君」は恋する人や愛する人であるだろう。しかし、そのように限定しない解釈もあり得る。「君」は父や母かもしれない。友であってもいい。もっと大きな存在、人に心を与えるような存在とも考えられる。あるいは「君」は音楽そのものとも捉えられる。
 人間の心は「自」ら成るのではなく「他」から与えられるものである。「他」からの贈り物のようにして存在している。そのような論理を考えることができるだろうか。

 いったん曲が終了し、一瞬の沈黙がある。第六連と七連との間だ。微かにギターをたたく音と共に七連目が歌い出される。                                       
 最後の二行は、歌うことそのものが祈りとなっている。「ルーティーン」の日々、永遠に繰り返される時への祈り。日が沈み朝が来ること。「昨日もね」と「ね」で一度小休止し、「明日も 明後日も 明々後日も」と続き「ずっとね」でフェイドアウトしていく。その後に続く言葉はない。
  志村の詩にはいつも余白がある。その余白、言葉にならないものが祈りを支えているかのように。

 時々、不思議に思う。音盤に刻まれた歌が再生されることを。声は生き続けることを。あまりにも自明になってしまって振り返ることもないが、録音という技術は人の声に関する「奇跡」のような出来事だったのかもしれない。
 志村正彦の「ルーティーン」、彼の「時」は永遠に失われた。彼の声は、歌は、少なくともその聴き手が存在する限りは、永遠のような時を得る。一人の聴き手としてそのように考え、そのように祈る。


 グリンバンクホールに志村正彦の歌が広がっていった。一発録りゆえの彼の地の声や息づかいが聞こえてきた。祈るようにしてその声に耳を澄ませた。

2018年11月4日日曜日

デイヴ・シンクレア(Dave Sinclair)『ゆめのしま』

 数日前、朝日新聞をめくっていると、いきなり「デイヴ・シンクレア」という名前と写真が現れた。驚いた。なぜデイヴ・シンクレアが? 記事を読むと、彼は70歳となり、今日本で暮らしていることを知った。その『(ひと)デイヴ・シンクレアさん 瀬戸内の島で暮らす英ミュージシャン』という記事(2018年10月30日)を引用しよう。

 「まさか日本で、瀬戸内の島で暮らすことになろうとは。人生、わからないものです」
 英国のバンド「キャラヴァン」や「キャメル」で、1970年代を中心に活躍したキーボード奏者だ。ジャズや聖歌の要素も取り入れたプログレッシブ・ロック。「グレイとピンクの地」では英ゴールドディスクも獲得した。
 転機は2003年。ソロ新作の宣伝で来日し、京都の寺を再訪。前回から四半世紀の時が流れたのに、何も変わらぬ姿に心動かされた。浮き沈みの激しい音楽業界で3人の子を育てるため、田舎町に中古ピアノ店を開いて二十数年。すでに子は独立し、妻とも心が離れていた。日本でなら、何か新しい音楽の刺激が得られるかもしれない。「いま、ここで人生を変えよう」と、移住を決めた。
 11年の京都暮らしで、二回り年下の日本人女性に出会って再婚。愛媛県の弓削(ゆげ)島に移り住んで2年半になる。人口3千。穏やかな海。豊かな人付き合い。島の暮らしから、するりと曲が生まれた。

 ♪きらめく街に背を向けて/夢にみたこの場所/心の奥から声がした/この島こそ アイランド・オブ・ドリームス

 島の高校が今年、創立70周年。その記念行事に招かれて文化の日、全校74人の生徒と一緒にこの「ゆめのしま」を歌う予定だ。
 「光栄です。この島はもう我が家ですから」 (文・写真 萩一晶)


 デイヴ・シンクレア(Dave Sinclair、David Sinclair)がメンバーだった「キャラヴァン(Caravan)」。いわゆる「カンタベリー・ロック(Canterbury rock)」、イギリスのカンタベリー出身者を中心とするプログレッシブ・ロックのバンドの一つだった。
 彼らが活躍したのは70年代。80年代以降は第一線から退いていった。中古ピアノ店で糧を得ていたとのことだが、どの国でも売れなくなった音楽家の生活は厳しいようだ。

 プログ・ロック(イギリスではこの呼び方らしいのでこう記す)というと、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエスなどが知名度が高いが、ソフト・マシーン、キャラヴァン、マッチング・モール、ハットフィールド・アンド・ザ・ノースなどのカンタベリー・ロック系のバンドにも、少数派かもしれないが熱心なファンがいる。僕もその一人だった。ジャズ・ロック風のサウンド、イギリスらしい知性や叙情性が感じられる歌詞、独特なアートやユーモアの感覚に魅了された。例を挙げると、ハットフィールド・アンド・ザ・ノース(Hatfield And The North)の『ザ・ロッターズ・クラブ』 (The Rotters Club)。ジャケットの絵とデザインが秀逸で、LPを部屋に飾っていた。デイヴ・シンクレアはこのバンドに在籍していたこともある。

 彼はロバート・ワイアットが結成したバンド、マッチング・モウル(Matching Mole)のオリジナルメンバーでもある。ファースト・アルバム『そっくりモグラMatching Mole』は学生の頃の愛聴盤だった。カンタベリー・ロックの歴史の中の傑作だと言える。彼の弾くキーボードのメロディは美しく流麗で、バンドサウンドを構築する要ともなっている。

 キャリア的には「キャラヴァン」のキーボードとして知られているのだろう。今朝からすごく久しぶりに代表作『グレイとピンクの地 (In the Land of Grey and Pink)』(1971年)を聴いてみた。


 日曜日の朝にふさわしい爽やかで穏やかな声と音の響きだった。都市というよりも郊外の田園風景を想起させる音楽でもある。ジャケットのイラストレーションも素晴らしい。

 youtubeで当時の映像を探してみた。デイヴ・シンクレアの演奏シーンのある『Place of My Own』(1969、Beat Club - German TV)を添付したい。




 モノクロ映像が時代を感じさせるが、当時のキャラヴァンの雰囲気をよく伝えている。
 どうだろうか。直接的な影響ではないが、ブリティッシュロックの半世紀を超える歴史からすると、カンタベリー・ロックの系譜もフジファブリックの音楽に流れ込んでいると考えられるかもしれない。

 この記事を読むまで、デイヴ・シンクレアが日本で暮らしていることは全く知らなかった。しかも音楽活動を続け、島の高校の創立70周年記念に生徒と一緒に歌う。「文化の日」とあるので昨日披露されたことになる。どんな歌と演奏になったのだろう。
 「きらめく街に背を向けて/夢にみたこの場所」という歌詞の一節。カンタベリー・ロックの世界と瀬戸内の島の風景が融合するような気がする。