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2013年10月26日土曜日

血と歌との間にあるもの-『若者のすべて』12 (志村正彦LN 55)

  歌を聴くことが、自分自身を聴き、読むことであるとしたら、聴き手は結果として、ある種の自己対話を試みることになる。もちろんそれは、歌い手という他者の存在が前提になる。
 志村正彦も『若者のすべて』について、『音楽と人』2007年12月号の樋口靖幸氏による記事で「曲って基本的に人に向けて作るもんですけど、俺、この曲聴くたびに自分に向けて作った曲だなって思って。聴くたびに発見もあるし、後悔もあるし……」と述べている。彼自身が『若者のすべて』との対話を繰り返してきたのだろう。

 一つの問いがある。そもそも、なぜ志村正彦は歌を作り、歌うのだろうか。『若者のすべて』を作った動機はどのようなものだったのか。
 樋口靖幸氏による記事は、この論でもすでに何度か言及した。なかでも、これから引用する部分はとても貴重な証言になっている。この発言を初めて読んだ時、それまで分からなかった志村正彦のある真実に触れたような気がした。彼は、「今は伝えること重視。メッセンジャーという本来あるべき方向に向かい始めたんですよ」と語り始める。そして、その理由を述べる。

それはなぜかっていうと俺はもう伝えないと……自分という人間のバランスが崩れてしまう状態になってしまった。日々の生活ができないくらい。とにかく自分の曲……曲っていうか血。血を吐き出して、それをお客さんに肯定されようが否定されようがそれにアクションがないと日々の生活に支障をきたしてしまう。

 「自分という人間のバランスが崩れてしまう」「日々の生活ができないくらい」という切実な言葉、そして、「血を吐き出して」という途轍もなくリアルな言葉。樋口氏も書いているように、インタビューというより「独白」のように続く志村正彦の内省的な言葉の一つひとつが読む者に痛切に響く。対話の相手との信頼関係が生んだこの発言は、『若者のすべて』についての希有な記録となっている。

 彼は「血」を吐き出して、『若者のすべて』を作った。そのようにして出来上がったこの作品に、彼の「血」の痕跡はあるだろうか。そのような問いが浮かぶ。歌を聴き直し、言葉をたどり直してみる。「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」という一節に、わずかな痕跡があるのかもしれない。「僕」は膝のどこかに少しばかり血をにじませている。あるいは、「運命」「世界の約束」「夢の続き」という抽象的な言葉の裏側にも、主体が流す、比喩としての「血」のかすかな跡が見つけられるのかもしれない。

 しかし全体としてみれば、完成した作品から「血」の痕跡を見いだすのは難しいだろう。彼は優しく穏やかに若者の物語を伝えている。二つの系列から成る言葉の織物は美しく紡ぎ出されている。『若者のすべて』は「血」とは異質な世界を歌い上げている。それでは、彼が「血を吐き出して」作品を作ったということを、私たちはどのように受け止めたらよいのだろうか。

 志村正彦は「血」という言葉で何を表現しようとしたのか。「血」という言葉で何かを伝えようとしているのではない。何かを喩えようとするものでもなく、イメージを表しているのでもない。
 「血」は「血」である。象徴的なものでも想像的なものでもなく、現実的なもの、実なるものである。実なるものは主体を突き動かす。彼の身体にたぎる「血」は、彼を、歌を作るという行為に強く押し出す。志村正彦は実なるものを吐き出して、歌を作ってきた。そうしないと「日々の生活に支障をきたしてしまう」と説かれるほどに、強烈で持続的な力のもとに。
 「血」は、実なるものは、作品を作り上げる原動力となる。主体を突き動かす力でもあるが、この力は時に破壊的で、主体を滅ぼしてしまうような恐ろしい力となることもある。

 聴き手は、そのような過程を知らずに聴いている。そのこと自体には全く問題はない。過程など知る必要はない。作り手側も知らせる必要はない。志村正彦もそのことを伝えようとして語り出したのではないだろう。この「血」に関する発言は信頼できる取材者との間で、独白のようにそっと漏らされた言葉であろう。
 聴き手は作品という贈り物を受け取るだけである。単に作品として受け取ってほしいと彼は望んでいるだろう。作品は作者の「血」からも離れ、自立していくのだから。
 それでも、「血」という彼の言葉を知ってしまった者は、自らの内部で何かがざわめくのを感じとるだろう。そのざわめきと対話を始めるだろう。「血」と「歌」との間にある隔たり、作り手と聴き手との間にある断層、そのような不可避の裂け目に無自覚ではありえなくなる。

 この『若者のすべて』論を閉じるにあたり、最後に、この歌のミュージックビデオに触れたい。掛川康典監督によるこのMVは、志村正彦のやわらかい声の響きとグレー色の霞がかかったような色調の背景が溶けあい、ひときわ優れた映像作品となっている。LN2で書いたように、「夏」というよりも「冬」のような静けさと透明感を感じる。
 フジファブリックのメンバーの演奏。金澤ダイスケのピアノの律動はこの曲の基調音のように響きわたる。山内総一郎のギターの抑制された音色、ベースの加藤慎一とサポートドラムの城戸紘志による正確で清澄なリズム。この楽曲の演奏は志村正彦のボーカル、あの限りなく優しい声を穏やかに包み込んでいる。2000年代、「ゼロ年代」のロックバンドの最高のアンサンブルがここにある。

 その優れた演奏に支えられて、志村正彦の声も次第に静かに力を帯びてくる。彼のシャツには「coexistence」というロゴがある。〈共生〉〈共に生きること〉を視覚として伝えようとしたのだろうか。アコースティックギターを抱えて歌う彼の顔にはもう、初期のMVにあった十代の少年のような面影が宿ってはいない。若者としてのすべてを知りつつあるかのような、二十代後半の顔。「世界の約束を知って それなりになって また戻って」という一節のように、ある種の成熟した表情がそこにはある。こちら側を見つめる深い深い眼差しは、「同じ空を見上げているよ」と歌うエンディングで、次第に閉じられていく。「まぶた閉じて浮かべているよ」という言葉が想起される。そして歌い終わると、眼差しはやや下方に向けられる。物語を歌い終わった、しばしの安堵のような、再び、言葉をかみしめ、振り返るような、微妙な陰影のある表情と共に、このMVの円環は閉じられる。

 『若者のすべて』は、時に、運命のように、世界の法則のように、夢の続きのように、聴き手の胸に強く響く。私たち聴き手も、歩行を重ねながら、歌と対話する。
 この歌の声と律動、豊かさと深さ、明確には語られなかったゆえに余白にそっと佇む「愛」の感触のようなものは、永遠に、人々の心に響き続けるだろう。

付記
 12回続いたこの『若者のすべて』論がようやく完結しました。断続的な掲載となったにも関わらず、お読みいただいた方々には深く感謝を申し上げます。しかし、とりあえずの完了であり、すでにいくつかの小さなモチーフが動きつつあり、いつか再び歩み始めようと考えています。

2013年10月20日日曜日

歌う人間が伝わる-早川義夫・佐久間正英ライブ (志村正彦LN 54)

 早川義夫・佐久間正英のシカゴ大学ライブの中継から一日が経つ。
 回線の問題か、音と映像の間に時間差があるという難しい状況にあった。しかし、聴いている内に、音が先に届き、その像が遅れてたどりつくという「ずれ」が、何だか、あの場の中継としてふさわしいような気もしてきたから、不思議だ。

  2回のアンコールも含めて、1時間10分ほどのコンサートで、強く記憶に刻まれる演奏だったのは、やはり、『からっぽの世界』だった。早川義夫の歌う言葉の一つひとつが、今日のこの日のために選択されたかのようだった。佐久間正英の演奏は、彼がギターを奏でているというよりも、ギターが彼の身体を静かに奏で、水の音が流れるように、透明に音を響かせていた。

 佐久間は早川について、「goodbye world」(http://masahidesakuma.net/2013/08/goodbye-world.html)という文で、「自分はこの人の歌のために音楽をやって来たのではないだろうか。この人と出会うためにギターを弾き続けて来たのではないだろうか、と。そんな風に思えるほど歌にぴったりと寄り添うことができる。」と述べている。この「寄り添う」という言葉は、限りなく美しい。
 昨日は、二人が互いに寄り添うように歌い、演奏していた。あの場にいた聴衆も、中継を通じての聴衆も、皆、寄り添うように聴いていたことだろう。

 回想を語りたい。
 1981年、中野サンプラザで、トーキング・ヘッズの前座として登場したプラスチックスのコンサートで、佐久間正英の演奏を初めて聴いた。尖っていてしかも力が抜けていたモダンなポップミュージックは、頭と体にとても愉快な刺激を与えていた。
 1995年、五反田ゆうぽうとホールで早川義夫のコンサートがあった。70年代前半に彼の音楽に出会った私にとって、前年の渋谷公会堂に続く二度目のライブ体験だった。
 アンコールで、彼は「佐久間さんに作ってもらったギターです」と言い、うれしそうに微笑みながら、少し照れくさそうに、ギターを掲げ、『いい娘だね』を歌い始めた。ギターを弾く早川義夫。「それは夢の中でも いい娘だね いい娘だね」という一節のように、「夢の中」の光景のようだった。 (ギターを奏でる彼を見たのはこれが最初で、今のところこれが最後だ)

 あの時も、そのような形で、佐久間正英は早川義夫に寄り添っていたのだな、と昨日想い出した。 そして、志村正彦のことを考えた。

 志村正彦・フジファブリックを遡行していくと、四人囃子を経由して、早川義夫・ジャックスという源流に行き着くと、前回書いた。佐久間正英は、志村正彦の歌、フジファブリックの音楽をどのように受けとめているのか。早川義夫は、(彼が志村正彦の歌を聴いたことがあるのかどうかは知らないが、もし彼が志村の歌を聴いたとしたら)何を感じとるのだろうか。そのような切実な問いがある。

  かつて、早川は「歌が伝わるとか伝わらないということではなく、歌う人間が伝わってこなければ駄目なのです」と書いた。昨日のライブ中継では、早川義夫と佐久間正英という、「歌う人間」「奏でる人間」が確かすぎるくらい確かに伝わってきた。
 彼らと親子のように年の離れた世代ではあるが、日本語のロックという場の中で、志村正彦の歌はそのような早川の想いに最も近づいた歌だと思われることをここに付言しておきたい。

2013年10月18日金曜日

早川義夫・佐久間正英のシカゴ大学ライブ中継について (志村正彦LN 53)

 「日本語のロック」という歌の枠組みの中で、志村正彦・フジファブリックを遡行していくと、四人囃子を経由して、早川義夫・ジャックスという源流に行き着くと、私は考えている。このテーマは、しっかりと時間をかけて準備した上で書くことにしたい。

 その早川義夫と佐久間正英(四人囃子、プラスチックス、早川義夫とのユニットで活躍、プロデューサーとしても高い実績を持つ。2008年7月、「四人囃子×フジファブリック」というライブがあり、志村正彦とも共演している)のコンサートが、アメリカのシカゴ大学の日本文学研究のプログラムの一つとして開催される。その生中継ストリームのウェブページは、http://ijpan.ncsa.illinois.edu/ で、シカゴ時間で10月18日(金)19:30、日本時間では10月19日(土)午前9:30から始まる。

 ストリーム中継があることはつい先ほど知ったのだが、このブログを読んでいただいている方で、明日午前9時30分からネットと接続できる環境にいらっしゃる方には、ぜひこのライブを聴いていただきたいと思う。一つの歴史が開かれる経験をすることになるだろうから。

 ウェブの紹介頁には、ジャックスについて、「The Jacks released two classic albums of original songs that probed the existential angst of Japanese youth in the 1960s.」と記されていた。アメリカの「日本文学研究」という視座から、ジャックスの音楽を「1960年代の日本の若者の実存的な不安」を探求したという批評の言葉がもたらされたことは非常に興味深い。日本の外側から、日本の内側を、日本の音楽を見つめ直す視点から学ぶことは多いだろう。志村正彦、フジファブリックについても、「 Fujifabric International Fan Site 」が試みているように、英語への翻訳という実践や日本の外部からの視点で考察することもこれから重要になる。

 とにかく、明日の9時30分が待ち遠しい。何を感じ、考えるのか。このLNでも記してみたい。

2013年10月14日月曜日

自分自身を聴き、読むこと-『若者のすべて』11 (志村正彦LN 52)

 作品の言葉だけではなく、志村正彦自身の貴重な発言にも導かれながら、『若者のすべて』の語りの枠組みや構造の分析を重ねてきた。彼の唱える「歩行」を意識して、ゆっくりと時間をかけて、できるだけ丁寧に、一つひとつの言葉を歩もうとしてきた。出発の前におぼろげな道筋はあったが、どのように歩き、どのような地点にたどりつくのか、確かだったわけではない。歩んでいくうちに、道が見えにくくなったり、分かれてしまったりもしていた。「それなりになってまた戻って」歩み、錯綜とした道になり、難渋したので、飛躍や矛盾も含まれているかもしれない。

 前回、二つの系列、「僕-歩行」系列と「僕ら-最後の花火」系列との複合を指摘する地点まで歩みを進めた。今回と次回、ようやく見えてきた最後の(今回の歩みの「最後」という意味にすぎないが)終着点を描き、この論を完結させたい。 (論の歩みの中で、「路地裏の花」のような周縁的なモチーフにも幾つか出会うことができた。これらの点については、別の形でいつか再び歩み始めたい)

 一連の論では、『若者のすべて』の解釈については、部分的なものに限定した。歌の全体の解釈には未だにたどりついていない。この作品は、全体というよりも、部分が、断片が聴き手に作用するような気もする。
 志村正彦の歌は多様な解釈が可能である。解釈は、一人ひとりの聴き手の「聴く」あるいは「読む」という行為の過程で作られていく。作品の意味は作品に内在しているわけではない。作品には音や文字の記録があるだけで、それそのものは、意味が満たされていない記号として存在しているにすぎない。記号に意味を見いだすのは受け手側である。作者も例外ではない。作品を作る過程で、完成した時点ではなおさらに、受け手側、聴き手や読み手という立場で作品に接し、解釈を行う。

 歌を聴き、歌を読みとる行為は、究極的には、自分自身を聴き、読みとる行為である。時の経過によって、場の移動によって、自分自身の変化によって、あるいは偶然の出来事によって、解釈は変わっていく。LN6で述べたように、志村正彦も、2007年12月の両国国技館ライブで、『若者のすべて』を作り終えた後に聴くと、「同じ歌詞なのに 解釈がちがう」という経験を伝えている。歌の作者自身であっても、私たちのような単なる聴き手であっても、本質的に、解釈が自分自身を聴き、読みとる行為である以上、解釈は変化していく。

 この夏話題となったドラマ『SUMMER NUDE』は、「最後の最後の花火」の場面でかつての恋人が「再会」できたかどうかという解釈の違いを物語の展開に活かした。作中人物である二人の主体的な行為であり、当然、どちらの解釈も成り立つ。結局、二人は各々、自分の物語を聴き、読みとったのだから。そして、二人の各々の物語が二人のその後の行動にどう影響を与えるのかという問いの方が、物語の重要な鍵となる。

 解釈は聴き手や読み手のものであり、聴き手や読み手のあらゆる解釈は肯定される。言葉で作られた作品に対して、正しい解釈も誤った解釈もない。ポール・ド・マンの言うように、すべての読みは誤読である。
 聴くこと、読むことは誤ることであり、偏ることである。聴くこと、読むことそのものが、ある誤り、ある偏りを必然的に含む。私の試みた作品の枠組みの分析は、解釈や意味の次元ではなく形式や構造の次元であるので、幾分かの客観性を持つかもしれないが、それでもやはり、誤読であることを免れることは不可能だ。
 しかし、読みの可能性を広げるような誤読とそうでない誤読との違いはあることも確かだ。作品を開かれたものにする読み、作品を聴き直し読み直す行為を促すような読み、固定した解釈を揺り動かす読み、そのような読みが豊かな誤読なのだろう。そのような質の読みを目指したいものだ。

2013年10月6日日曜日

二つの系列-『若者のすべて』10 (志村正彦LN 51)

 この『若者のすべて』論も10回目となる。6月下旬から書き始め、断続的な掲載となったので、すでに3ヶ月以上の月日が過ぎた。これまで、1と2では、全体の構造とメロディの配置について俯瞰し、3から7までは、歌詞の細部について一行ごとに分析を試みた。8と9では、『若者のすべて』以外の作品まで視野に入れて、「僕ら」と言葉というテーマを取り上げた。歌の言葉を論じるには、全体と部分という二つの視点から試みる必要がある。全体から始めて部分へ、そして他の作品や個別のテーマにまで論を広げたが、最後は再び全体へと戻りたい。

 志村正彦は、2007年12月の両国国技館ライブの際、『若者のすべて』を歌う前のMCで次のように語っている。

 そのなんかこう、今回のツアーで言いたいなと思ったのは、何かあるたびにこう、たとえば、えーと、例えばなんだろな、その、センチメンタルになった日だったりとか、人を結果的に裏切ることになってしまった日だったりとか、逆に嘘をついた日、あー、嘘ついた日、逆に素直になった日とか、いろんな日があると思うんですけど、そんな日のたびに、立ち止まっていろいろ考えていたんですよ、僕は。んーだったら、それはちょっともったいないなあという気がしてきまして。

 だったら、こうなんかこう、なんかあの、BGMとか鳴らしながら、歩きながら、感傷にひたるってのがトクじゃないかな、って思って。だから言ってしまえば、止まってるより、歩きながら悩んで、一生たぶん死ぬまで楽しく過ごした方がいいんじゃないかな、っていうことに、いやー、26、7になってようやく気づきまして、そういう曲を作ったわけであります。

 彼は、「センチメンタルになった日」とか色々な日々のたびに「立ち止まっていろいろ考えていた」と述べる。確かに、特に初期の曲には、歌の主体が、花を始めとする季節の風物や、人間関係で生起する出来事に遭遇し、その場で立ち止まるという場面が多い。主体は佇立し、想いにとらわれるが、その想いが言葉で直接的に語られることはない。例えば、「陽炎」が揺れる時、「金木犀」が香る時、主体はその場に佇み、その場から動こうとはしない。想いが深すぎるのだろうか、主体はその場に閉じこもる。

 彼は、その立ち止まって考えるあり方を「ちょっともったいない」として、動き出そうとする。「BGMとか鳴らしながら、歩きながら、感傷にひたる」方法を見つけ、「歩きながら悩んで、一生たぶん死ぬまで楽しく過ごした方がいい」と考えるようになる。
 「歩きながら」は文字通り、主体の歩行を表している。「BGMとか鳴らしながら」「感傷にひたる」とあるが、「感傷」とは主体の想いや考えであり、BGM・「background music」とはそのような主体の背景に流れる音楽のことである。そう考えると、BGMの上に展開される主体の物語、映画のような物語を自分自身で創造することになる。

 『FAB BOOK』には、「この曲には”物語”が必要だと思った」と記されている。『「ちゃんと筋道を立てないと感動しないなって気づいたんですよね。いきなりサビにいってしまうことにセンチメンタルはないんです。僕はセンチメンタルになりたくて、この曲を作ったんですから」と説いている。ライブMCの言葉につなげると、BGM上の物語の筋道を立てることが「センチメンタル」の成立に不可欠だと考えたのだろう。

 歩きながら感じ、想い、考えること。筋道を立てて物語を創ること。志村正彦のその選択、方法は、『若者のすべて』にどのような形で現れているのだろうか。すでにLN34「ファブリックとしての『若者のすべて』-『若者のすべて』1 」で次のように書いた。

 『若者のすべて』の中には、歌詞の面でも楽曲の面でも、二つの異なる世界が複合している。「フジファブリック」という名の「ファブリック」、「織物」という言葉を喩えとして表現してみるならば、『若者のすべて』の物語には、《歩行》の枠組みという「縦糸」に、「最後の花火」を中心とする幾つかのモチーフが「横糸」として織り込まれている、と言えよう。

 ここで指摘した、「縦糸」である「歩行」の枠組みは、志村正彦が両国ライブで伝えた「歩きながら」に対応する。また、「横糸」である「最後の花火」のモチーフは、「感傷にひたる」に対応する、と考えてよいだろう。つまり、彼の新たな試みは、『若者のすべて』の構造、二つの系列の複合として結実している。
 この二つの系列の細部についてはすでに述べてきたが、二つの系列とその差異を視覚的に示すために、二つのフォント色を使って、縦糸の部分「歩行」の系列を青色で、横糸の部分「最後の花火」の系列を赤色で表示して、全歌詞を引用してみたい。

  真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
  それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている


  夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
  「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて


  最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな


  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ


  世界の約束を知って それなりになって また戻って

  街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ
  途切れた夢の続きを取り戻したくなって


  最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな


  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ


  すりむいたまま 僕はそっと歩き出して

  最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな


  ないかな ないよな なんてね 思ってた
  まいったな まいったな 話すことに迷うな


  最後の最後の花火が終わったら
  僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ



 『若者のすべて』、この青色と赤色で区分けされた、二つの系列の言葉の綴れ折りをどのような印象を聴き手にもたらすのか。これまで論じてきたモチーフとできるだけ重ならないように、主体「僕」の行動や動作を中心に分析したい。

 最初に、青色で示した縦糸の部分、「歩行」の系列をたどる。
 「歩行」系列の主体「僕」は、一人称の話者であり、一人で行動する主体である。「僕」はまぎれもない単独者であり、おそらく都市生活者であろう。「僕」は、「真夏のピークが去った」季節に「落ち着かないような」「街」を歩いている。「夕方5時のチャイム」が「胸に響いて」、「運命なんて便利なもの」を想起してしまう。「世界の約束」を意識し、「街灯の明かり」が点くと「途切れた夢の続き」を取り戻すために「帰りを急ぐ」。その歩みは、永遠の循環のように「それなりになって また戻って」と行きつ戻りつし、そして「すりむいたまま」「そっと歩き出して」いくような彷徨である。

 さらに青色の部分を見つめると、「歩行」の系列の第1ブロックから第3ブロックまで、行数が、4、3、1行と次第に少なくなることに気づく。最後の行で主体「僕」が登場し、「すりむいたまま」「そっと歩き出して」という言葉に収斂していく。「僕」の歩みそのものがその一行に凝縮されるように。志村正彦は、『音楽と人』2007年12月号の記事で、「一番言いたいことは最後の〈すりむいたまま僕はそっと歩き出して〉っていうところ。今、俺は、いろんなことを知ってしまって気持ちをすりむいてしまっているけど、前へ向かって歩き出すしかないんですよ、ホントに」と述べているが、そのモチーフは「歩行」系列の展開の中で充分に表現されている。

  しかし、「歩行」の系列中、「僕」の動作や情景以外で使われているのは、「運命」「世界の約束」「途切れた夢の続き」というように、かなり抽象的な言葉であり、具体的な内容や文脈が欠落してしまう。「歩行」の系列の中で、物語を描くのは困難だろう。志村正彦は「この曲には”物語”が必要だと思った」と述べている。『若者のすべて』の中に物語を導入するためには、もう一つの系列が必要となるだろう。彼は「歩きながら」、「感傷にひたる」という道筋を見つけ、「歩行」の系列に、「最後の花火」の系列を組み込む方法を編み出した。

 赤色で示す横糸の部分「花火の系列」の方も、主体「僕」の動作、行動を中心に見ていく。「最後の花火」という具体的状況に関連して、「思い出す」「思う」、「言う」「話す」、「まいる」「迷う」という主観的な動作の語彙が続く中で、「まぶた閉じて浮かべているよ」にある、まぶたを「閉じる」という身体的な動作が注目される。LN44で次のように書いた。

「まぶた」を閉じた「僕」は、「まぶた」の裏の幻の対象に対して、「会ったら言えるかな」と囁く。「まぶた」を開けた「僕」は、その眼差しの向こうの現実の対象に対して、「話すことに迷うな」と呟く。不在と現前、夢想と現実の響きが、『若者のすべて』の中で、美しい織物のように編み込まれている。

 LN44では、「まぶた」を開けた「僕」の眼差しの向こう側には現実の対象がいると述べたが、全く正反対の解釈もあり得る。この時に、もしかすると、「まぶた」はより深く閉じられ、眠りが訪れ、本当の夢へと入り込んでいったという可能性だ。「僕」の夢の中で、「僕ら」は再会する。「最後の最後の花火」は夢の中で輝く。「途切れた夢の続き」が「夢」であるということは、ありえないことではない。そして、「最後の最後の花火が終わったら」というのは、その夢そのものの終わりを意味しているのかもしれない。「僕」は夢から現実へと覚醒する。

 記憶の再生であれ、想像であれ、夢であれ、まぶたを閉じて想い浮かべているのは、心の中のスクリーンに投影される像であり、その物語であろう。「最後の花火」系列では、他にも「同じ空を見上げている」とあるように、見上げる動作が強調されている。映画のスクリーンのように、「最後の花火」「最後の最後の花火」の物語は上映される。「僕」と「僕ら」はその映画を見上げているかのようだ。

 「歩行」系列の「僕」も、「最後の花火」系列の「僕ら」も、それぞれの系列の最後の行で言葉に表されている。二つの系列の主体は最後に登場する。「歩行」の系列と、「最後の花火」の系列の関係は、歌われるテーマやモチーフの観点から分けてきたが、歌う主体という観点からは、「僕」の系列と「僕ら」の系列の差異とも捉えられる。二つの観点をまとめてみるなら、「僕-歩行」系列と「僕ら-最後の花火」系列と呼ぶ方が適切だろう。「僕-歩行」系列と「僕ら-最後の花火」系列とは、「歩きながら」「感傷にひたる」という方向で複合されている。

 この夏、フジテレビのドラマ『SUMMER NUDE』のモチーフやBGM、NHK高校野球決勝中継の『夏 輝いた君たち』と題するダイジェスト映像のBGM、フジテレビ『若者のすべて~1924+3~』というトークドキュメンタリーのオープニングBGMとして、『若者すべて』が流されていた。どの番組でも単なるBGMとして使われているのでなく、歌詞の言葉が充分に聴き取れるようにミキシングされていた。曲だけでなく歌詞も、ドラマやスポーツやドキュメンタリー番組の背景として見事に映像と調和していた。勝手な造語を使わせてもらうならば、BGW・「background words」のように機能していた。そして、『若者のすべて』の言葉は聴き手に様々な映像を喚起するような働きがあることに、あらためて気づかされた。

 志村正彦は、歩きながら、「感傷」や「悩み」との対話を試みる。そして、映画を上映するように、「僕」と「僕ら」の物語を歌う。この歌の聴き手は、自分自身の物語を、心のスクリーンに重ねていく。
 だからこそ、今、『若者のすべて』は、若者の季節と物語をモチーフとする数多くの歌の中で、それらを代表する作品になりつつあるのではないだろうか。