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2022年12月31日土曜日

番組『この歌詞が刺さった!グッとフレーズ』、この十年[志村正彦LN324]

 一昨日12月29日、TBSの番組『この歌詞が刺さった!グッとフレーズ〜私を支えた歌詞SP2022〜』を見た。名曲の「心に刺さった歌詞」に注目し、その魅力を再発見する歌詞に特化した四時間の音楽番組である。今回は「グッとフレーズ」「感謝ソング」「青春ソング」の三つのテーマの名曲が世代別に紹介され、40代の「青春ソング」に志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が選ばれた。番組MCの加藤浩次、数名のゲスト、アーティストゲストのコブクロ小渕健太郎、wacci橋口洋平、岡崎体育の3人。今回はこの番組について丁寧に説明したい。なお、テロップと歌詞の引用は〈 〉、コメントそのものは「 」で示す。


 『若者のすべて』の場面は、40代〈夏の思い出が蘇るグッとフレーズ〉というナレーションで始まる。街頭インタビューで、〈花火を思い出す〉〈付き合うかな付き合わないかな付き合わなかったな〉〈ちょっとした青春の1ページ〉と話す二人の女性。〈高校生の頃〉〈夏祭りであの子来てないかな?〉〈来てないか一緒に探してよ〉〈見つけると恥ずかしくて近づけない〉〈初恋の人〉と語る父とその娘。

 MV映像の〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな/ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉のパートが流され、ナレーターの〈好きだった女性を探してしまう男性〉という説明が入る。

 MC加藤が〈すっげー良くない?この曲〉と話し、〈胸がギューとなる〉点を問いかけると、橋口洋平が〈フワーッとしてて〉〈青春を終えた後の寂しさ〉〈よく分からない胸がギューとなる気持ち〉を〈そのままあるよねって歌ってる〉のが〈素敵なところ〉だとコメント。加藤が〈曲自体がギューとなる〉とまとめていた。

 〈この曲は今〉という話題に移り、〈メッチャ好き❤〉〈ヘビーローテーション〉〈夕方の一人でいる時に聴く曲〉〈実家地元の友達思い出す〉という20代女性のコメント。学園祭やライブハウスで若者がこの曲をカバーする映像と共に「10代20代の若者たちにも刺さっていて」、高校の教科書に掲載されたことが紹介された。

 続いて、ナレーターの「実はこの曲を作詞作曲したボーカルの志村正彦さんはこの曲をリリースした2年後、29歳の若さで亡くなったのですが、生前この曲についてこう語っていました」という説明が入り、テロップで示された志村のMCをそのまま引用する。(テロップでは〈作詞・作曲Vo.志村正彦さん 「若者のすべて」リリースの2年後… 2009年12月24日29歳で急逝〉と表示された)


   センチメンタルになった日だったりとか
 人を結果的に裏切ることになってしまった日
 色んな日があると思うんですけども
 そんな日の度に 立ち止まって色々考えてた
 それはちょっと勿体ない気がしてきて
 歩きながら 感傷に 浸るっていうのが
 得じゃないかなって思って
 止まっているより歩きながら悩んで
 一生たぶん死ぬまで 楽しく
 過ごした方がいいんじゃないかなということに
 26、27歳になってようやく気づきまして
 そういう曲を作ったわけであります


 「そして志村さんはその思いをこの二行のフレーズに込めたといいます」とナレーターが話した。志村の歌声と次のテロップが表示される。


     《グッとフレ ーズ》

    すりむいたまま 僕はそっと歩き出して


 MV映像の〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな/ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな〉〈最後の最後の花火が終わったら/僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉のパート。

 MC加藤は「最後をどう思う?」と問い、〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉から〈ないかな ないよな なんてね 思ってた〉〈まいったな まいったな 話すことに迷うな〉への転換について触れると、ゲストが〈隣にいる 近くにいるという解釈〉〈隣にいるんだな〉と答え、〈僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉については、岡崎体育が〈うまくいったと信じたい〉と話していた。

 『若者のすべて』は何度も同様の番組で取り上げらてきたが、今回の番組で、フジファブリック両国国技館ライブでの志村のMC映像が放送され、〈グッとフレーズ〉として〈すりむいたまま 僕はそっと歩き出して〉に焦点が当てられたことは特筆すべきであろう。あの映像が地上波で流されることは初めてではないだろうか。それを受けて、〈すりむいたまま僕はそっと歩き出して〉が歌詞の中心にあると捉えたことも的確である。番組ディレクター、構成担当者の見識が光る。出演者の会話は軽めのノリだったが、内容は真面目なものだった。時間も6分を超えていた。この曲を取り上げたこれまでの地上波の番組の中では最も素晴らしかった。

 また、この番組を通して気がついたことがある。人々の歌詞に対する感覚や思考が深まっていることだ。岡崎体育も番組webで、〈VTRに出てくる街頭インタビューの人たちの考察力が上がってるんちゃうかな〉〈リスナーの人たちの歌詞を汲み取る力が上がってるんやな〉と思ったと述べている。歌の言葉が大切にされる時代になってきたと言えよう。歌は生きることを支える。

 

 『音楽と人』2007年12月号のインタビュー(文・樋口靖幸氏氏)、志村は『若者のすべて』についてこう述べている。


一番言いたいことは最後の〈すりむいたまま僕はそっと歩き出して〉っていうところ。今、俺は、いろんなことを知ってしまって気持ちをすりむいてしまっているけど、前へ向かって歩き出すしかないんですよ、ホントに。


 歌の主体〈僕〉は、夏の終わりの季節に街を歩き始め、夕方5時のチャイムを聞き、運命や世界の約束を考え、街灯の明かりがつくと帰りを急ぐ。そして、二番の歌詞にある〈途切れた夢の続きをとり戻したくなって〉、〈すりむいたまま〉〈そっと歩き出して〉いく。MCで言われた〈止まっているより歩きながら悩んで〉進んでいく。


 十年前の12月末、この偶景webを始めた。その一週間ほど前、富士吉田の市民会館前で『若者のすべて』のチャイムを聴いたことも契機となった。当時は、今回の番組に見られたような極めて高い評価はまだなかった。現在のように、これほど多くの人々に愛される曲とはなっていなかった。志村も発表後しばらくして、「Talking Rock!」2008年2月号のインタビュー(文・吉川尚宏氏)で、「精魂込めて作った曲なんだけど………なんていうか……こう……自分の中で、達成感もあるし、ターニングポイントであることには間違いないんです。すべてに気持ちを込めたし、だから、よし!と思ってリリースしたんだけど、結果として、意外と伝わってないというか……正直、その現状に、悔しいものがあるというか…」と述べていた。

 しかし、この作品は時間をかけて、言葉と楽曲、歌と演奏の力によって、自らの夢を歩んでいった。2022年の今、この歌は〈若者のすべて〉を表現した作品として人々に聴かれ続けていく夢を実現した。志村の〈すべてに気持ちを込めた〉〈よし!と思ってリリースした〉という想いは達成されたのである。
 振り返ると、この曲について82回ほど書いた。全体の四分の一ほどが『若者のすべて』論。このblogの十年の軌跡はこの歌を中心に歩んできたことになる。



  現実としては、志村正彦の歩みは〈途切れた夢〉となってしまった、と言わざるを得ないだろう。この言葉は哀しく、ある意味で残酷にも響くが、その現実が現実のままにある。

 しかし、聴き手は彼の歌を聴くことによって、〈途切れた夢の続き〉を歩むことができる。そして、一人ひとりが、自分自身の夢や夢の続きを歩み続ける。時に悩んで時に楽しんで、歩きながら進んでいく。志村正彦が歌いたかったのはこのことだ。
 今回から十一年目に入る。このblogを書くことによって、私も私の歩みを続けていきたい。


2022年12月18日日曜日

第三次の語りと声 『茜色の夕日』と『若者のすべて』-『茜色の夕日』9[志村正彦LN323]

 『茜色の夕日』と『若者のすべて』の語りの構造にはある共通点がある。その構造を視覚的に表した図をまず示したい。




 二つの歌ともに、語りの枠組は、一人称の話者であり歌の主体である〈僕〉の観点によって構築されている。〈僕〉は都市の街路を歩いていく。これを第一次の語りとしよう。図の青い部分である。

 『茜色の夕日』では、〈僕〉は街を歩きながら、〈茜色の夕日〉を眺め、おそらく故郷での〈誰もいない道 歩いたこと〉を思い出し、東京で〈空の星〉が〈見えないこともない〉ことに気づく。『若者のすべて』では、〈僕〉は〈真夏のピークが去った〉季節に、それでもいまだに〈落ち着かないような〉街を歩いている。『茜色の夕日』と『若者のすべて』はどちらも、都市に生きる孤独な若者、単独者である〈僕〉が歩行して、風景を見つめる。 

 話者であり歌の主体である〈僕〉が街の風景を眺めながら歩いていくときに、何かを思い出す。あるいは、何かを想い描く。回想であり想像でもある。これを第二次の語りとしよう。図の赤い部分である。

 『茜色の夕日』では、二人称の〈君〉に焦点をあてて、〈横で笑っていたことや/どうしようもない悲しいこと〉を想起する。『若者のすべて』では、一人称複数の〈僕ら〉という視点を加えて、〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな〉と回想する。

 第一次の語りと第二次の語りによって、『茜色の夕日』には一人称と二人称の対話性、『若者のすべて』には一人称単数と一人称複数による対話性が潜在的にもたらされる。二重の語りが複合して、複雑な織物・ファブリックを作り上げる。志村正彦はその織物・ファブリックにもう一つの語りを加える。これが第三次の語りである。図の黄色い部分である。話者であり歌の主体である〈声〉であるが、それと共に、いやそれ以上に、作者志村正彦自身の〈声〉であろう。


  僕じゃきっとできないな できないな
  本音を言うこともできないな できないな
  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった 
                      『茜色の夕日』


  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

  ないかな ないよな なんてね 思ってた
  まいったな まいったな 話すことに迷うな   
                       『若者のすべて』 
             


 『茜色の夕日』は〈本音を言うこともできないな〉、『若者のすべて』は、〈会ったら言えるかな〉〈話すことに迷うな〉と呟く。失われてしまった、あるいは、失われてしまいそうな誰かに〈言うこと〉〈話すこと〉が不可能になったり困難になったりする。歌の主体は〈僕〉は言葉で伝えることの壁に遭遇する。

 また、『茜色の夕日』の〈できないな〉の四回もの反復、「な」音の繰り返しと、『若者のすべて』の〈ないかな〉〈ないよな〉の反復、〈いないよな〉〈なんてね〉を含む〈な〉音の繰り返しというように、この二つの作品には〈な〉の音が通奏低音のように響く。そして、〈ない〉という否定と不在の表現が二つの歌の世界を貫く。

 比喩的に言うと、志村正彦は、縦糸と横糸から成る織物・ファブリックの二次元的世界に、垂直の次元を加えて、三次元的世界の厚みを創り出した。


2022年12月4日日曜日

時を経た成熟-『茜色の夕日』8[志村正彦LN322]

 今回は、ユニットⅣの歌詞について考えてみたい。


5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


 この箇所について、『茜色の夕日』スタジオ収録の四つの音源を聞き比べてみた。以前にも書いたことがあるが、それぞれの演奏者と演奏時間を整理してみる。


1.2001年夏(推定)カセットテープ版  4分40秒 ( 志村正彦:ボーカル・ギター、田所幸子:キーボード、萩原彰人:ギター、加藤雄一:ベース、渡辺隆之:ドラムス)

2.2002年10月21日CDミニアルバム『アラカルト』版  4分52秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、田所幸子:キーボード、萩原彰人:ギター、加藤雄一:ベース、渡辺隆之:ドラムス)

3.2004年2月CDミニアルバム『アラモルト』版 5分12秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、金澤ダイスケ:キーボード、山内総一郎:ギター、加藤慎一:ベース、足立房文:ドラムス )

4.2005年9月6thシングル版・2005年11月2ndCD・アルバム『FAB FOX』版 5分36秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、金澤ダイスケ:キーボード、山内総一郎:ギター、加藤慎一:ベース、足立房文:ドラムス )


 再生ソフトの示す時間から、カセットテープ版 4:40→『アラカルト』版 4:52→『アラモルト』版 5:12→シングル・『FAB FOX』版 5:36 というように、最終的に1分ほど長くなっていることが分かる。四年ほどの時間が流れているので、志村正彦の声は、若々しい声からより成熟した若者の声へと変化している。歌い方も変わり、過去を回想する色合いが強くなる。それに伴って、切なさや哀しさが増してくる。取り戻せない時の流れが伝わってくる。

 今回、今まで気づかなかったあることに気づいた。4番目の最終的なスタジオ音源の〈無責任でいいな ラララ〉の〈な〉の音が歌われていない(ように聞こえる)ということだ。それまでの音源では、〈いいな〉の〈な〉は発音されたきた。続く〈ラララ〉の〈ラ〉音と重なるところもあるので微妙ではあるが、そう判断できる。引用して明示すると次のようになる。


無責任でいいな ラララ 

無責任でいい  ラララ 


 最終的音源、完成版ともいえる音源で、〈な〉が歌われていないことは、志村の判断があってのことだろうが、多分に無意識的な選択かもしれない。この〈な〉の有無によって、歌の解釈も異なってくる可能性がある。

  三省堂『大辞林』によると、助詞の「な」には、①感動や詠嘆の意②軽い主張や断定、念を押す意③同意を求める意、相手の返答を誘う意④軽い願望の意⑤依頼・勧告の意の五つがある。

 〈僕じゃきっと出来ないな〉には、何が〈出来ない〉のかという対象が示されていない。続く、〈本音を言うことも出来ないな〉には、誰が〈出来ない〉のかという主語が省略されている。この二つは連続しているので、〈僕じゃきっと本音を言うことも出来ないな〉という一つの発話として受けとめることができるが、この〈本音〉が何であるのかは分からないままである。この発話は自分が自分に対して話しかけているものだろう。

 〈無責任でいいな〉という発話は、それが話しかける相手が他者か自分自身かによって、二通りの解釈が生まれる。〈な〉があると、相手が他者である可能性が高くなる。この〈な〉は相手の返答を誘う意味となるだろう。歌詞の言葉であるから実際に返答を求めているではないが、その他者が〈無責任でいい〉ことについて、その他者からの応答を求めている。この〈無責任〉は、この歌の重要モチーフとなっている恋愛に関する責任と無責任のことであろう。

 〈な〉がないとおそらく、相手は自分自身になるだろう。自分が〈無責任でいい〉ことについてあらためて問いかけるか、あるいは〈無責任でいい〉ことを自分自身が同意するか、その二つのどちらかになるだろう。その他の解釈も考えられるかもしれないが。

 ユニットⅣの最後は、〈ラララ〉を挿んで、〈そんなことを思ってしまった〉で終わる。〈無責任でいいな/無責任でいい〉の〈な〉の有無によって、歌の主体と他者との関係性が変わるが、どちらにしても、その過程は〈そんなこと〉と捉え直され、〈思ってしまった〉で完結する。


 2001年から2005年まで、四年間の推移の中で、『茜色の夕日』全体がより自省的な歌、自分自身が自分を問い返す意味合いの歌に変化していった。〈な〉の発話の有無はそのことに関連している。

〈billboard-japan〉掲載の〈フジファブリック 『FAB FOX』インタビュー〉で、志村正彦はこの『茜色の夕日』についてこう語っている。  


志村正彦:作ったばっかりの頃は思っている事を曲に書いてただけなんですけど、シングルで出したいなって思って前のバージョンの『茜色の夕日』を聴き直してみたら、いやに沁みてきたといいますか。18歳の頃のあの感じは出せないですけど、同じ歌詞でも自分の中で全然意味合いや捉え方が変わってきて、東京にきて6~7年経つ今でしか歌えない感じ、というのを曲にしてみました。この曲は代表曲と言われるくらいずっとやってきている曲なんで、これで一区切りするといいますか、落ち着けたいという気持ちもありましたね。まだ大人になりきれていない所はもちろんあるんですけど、18歳の頃から変わっていこうかって、そういう雰囲気は見せれたんではないですかね。


 彼はここで〈同じ歌詞でも自分の中で全然意味合いや捉え方が変わってきて〉と述べているが、この発言は2007年12月の両国国技館ライブでのMC〈歌詞ってもんは不思議なもんで。作った当初とは、作っている詩を書いている時と、曲を作って発売して、今またこう曲を聴くんですけども、自分の曲を。解釈が違うんですよ。同じ歌詞なのに。解釈は違うんだけど、共感できたりするという〉とも響き合う。

 志村は、歌の意味合いや捉え方の変化をふまえて、〈東京にきて6~7年経つ今でしか歌えない感じ〉を2005年収録の最終的音源に込めた。〈一区切りする〉〈落ち着けたい〉という気持ちによって、〈まだ大人になりきれていない所はもちろんあるんですけど、18歳の頃から変わっていこう〉という意志を表現した。

 このような時をかけて、志村正彦は『茜色の夕日』を成熟させていった。