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2023年3月31日金曜日

「黒服の人」―音による表象 [志村正彦LN331]

 志村正彦・フジファブリックの「黒服の人」に戻りたい。

 5分50秒ほどの長さを持つ曲である。イントロは静謐でありながらどこかに不穏な響きもある。歌詞の世界に入ると、冬の〈とても寒い日〉の〈小さな路地裏通り〉で、歌の主体が〈牡丹雪〉〈車の轍〉の〈雪〉へ、〈黒服の人〉、〈笑ったあなたの写真〉と〈泣いてる〉〈みんな〉へと眼差しを降り注ぎ、〈忘れはしない〉という意志をもって、〈遠くに行っても〉〈何年経っても〉という場と時を彼方に描いていく。そして、〈雪〉が消えていく。志村の声は自らの言葉をかみしめるように歌っていく。

 曲の真ん中あたりで歌詞のパートは終わる。その後、アウトロが3分ほど続く。少しずつ微かな電子音が聞こえてくる。5分を過ぎたあたりで、その電子音はパルスのような波形を模した音に変わり、その波形の間隔がゆっくりとなり、最後の十秒ほどでフラットになる。

 誰もがこのサウンドから、心電図の波形の音を想像するだろう。そしてその音がフラットになることの意味も明確であろう。

 

 「黒服の人」を初めて聴いたとき、志村正彦がこういう音楽を作る人であることに驚いた。懼れた、といってもよい。ある種の畏怖のような感情かもしれなかった。

 この曲を聴く度に、辛い気持ちにもなった。心電図の波形のような音が《死》を想起させる。                                                        

 なぜ志村はこのような音楽を作ったのだろうかと考えてみた。

 彼の感覚、特に聴覚は鋭敏だったと推測される。リアルな音が聞こえてくる。そしてその音を記憶する。時にはそのまま実際に記録する。彼は、学校の教室での音など身の回りの音をよく録音していたそうである。そして、その音を音楽に変換していく。


 これはあくまでも想像だが、志村は、心電図の波形の音によって他者の《死》を受けとめたことがあったのではないか。あるいは、実際の経験ではなかったのかもしれないが。直接的か間接的な経験から、音によって音楽によって、《死》を表象することを試みたのではないだろうか。

 「黒服の人」はそのことを告げているような気がしてならない。


2023年3月22日水曜日

2009 WBCテーマソング『Sugar!!』[志村正彦LN330]

 今日の「2023 WORLD BASEBALL CLASSIC」決勝戦。日本がアメリカを3対2で下して勝利。7戦全勝で3大会ぶり3回目の優勝。野球、ベースボールの素晴らしさを久しぶりに堪能した。

 WBC、というと思い浮かぶのは、志村正彦・フジファブリックの『Sugar!!』。この曲は、「スポーツ専門チャンネルJ SPORTS」の「2009 WBC」中継のテーマソングとなった。

 youtubeで探すと「Jsports WBC2009 ending」という映像が見つかった。志村の声が流れてくると、今日の感動がまた新たなものになってくる。

 



  全力で走れ 全力で走れ 36度5分の体温
  上空で光る 上空で光る 星めがけ

  全力で走れ 全力で走れ 滑走路用意出来てるぜ
  上空で光れ 上空で光れ 遠くまで


 サビの第一連後半の〈上空で光る〉〈星めがけ〉が、第二連後半では〈上空で光れ〉〈遠くまで〉に変わっていく。〈36度5分の体温〉で〈滑走路〉へと、〈全力で走れ〉から〈上空で光れ〉へと、運動が続いていく。

 映像の中でこの歌詞が流れると、この運動の軌跡が、WBCの優勝、上空の彼方で光ることへとつながるように聞こえてくるから不思議だ。


 志村正彦は野球少年だった。「記念写真」の歌詞にはこうある。


  ちっちゃな野球少年が
  校舎の裏へと飛んでったボール 追いかけて走る
  グラブをかかえた少年は
  勢い余ってつまずいて転ぶ すぐに立ち上がる

 

 志村が山日YBS杯山梨県少年野球大会に出場した際の写真入りの記事も残されている。(僕も野球少年だったのでこの大会に参加したことがある。毎朝、小学校のグラウンドで練習をしていたのは良い思い出だ)

 志村日記(2009.9.14)では、〈僕は小さい時からプロ野球の選手になろうと思ってました。しかし、中学3年生の夏、富士急サウンドコニファーというところで民生さんのライブを友達に誘われ観に行きました。ステージで一曲目が始まった瞬間、プロ野球の選手になるという夢は吹っ飛び、音楽家になろうと思いました〉と述べている。


 志村は「OKMusic」のインタビュー(【フジファブリック】OKMusic編集部2009年03月20日)で『Sugar!!』について、〈バンド活動もそうですけど、全力で駆け抜けていくことが、これから必要だなって感じていたからこういう歌詞になったんだと思います〉と語っている。当時、2009年春の時点での志村の心境が伺える。


 プロ野球選手からプロ音楽家へと、志村の〈上空〉の〈光〉は変わっていったが、2009 WBCのテーマソング『Sugar!!』は、志村自身が〈全力で駆け抜けていくこと〉に対する応援ソングでもあったのだろう。


2023年3月12日日曜日

「黒服の人」―主体の眼差し [志村正彦LN329]

 志村正彦・フジファブリック「黒服の人」は、2005年2月、四季盤シングルの最終章、冬盤「銀河」のB面曲として発表された。歌詞を引用する。

 

 「黒服の人」(作詞・作曲:志村正彦)


  並ぶ黒服の人 空から降る牡丹雪
  小さな路地裏通りで 笑ったあなたの写真を
  眺めてみんなが泣いてる
  見送ったあとの車の 轍に雪が降り積もる
  そうしてるうちに消えてく
  それは寒い日のこと とても寒い日のこと

  遠くに行っても 忘れはしない
  何年経っても 忘れはしない


 歌詞の中の〈あなた〉の葬儀の情景が歌われている。この〈あなた〉はおそらく志村の近親者かごく親しい人のことだろう。冬の季節、雪の日の出来事でもある。

 前回紹介したドラマ『雪女と蟹を食う』は「死生観」をテーマとしている。この歌が作中で流されたのは、テーマの共通性からであろう。


 表現面の特徴からまず論じたい。その前に歌詞の言葉について注記したいことがある。ネットの歌詞サイトでは、冒頭の〈並ぶ〉が〈並び〉と記されているものが多いが、これは当初の歌詞カードの誤記に拠るようだ。アルバム『シングルB面集 2004-2009』や『志村正彦全詩集』では〈並ぶ〉になっている。

 歌の主体の眼差しの中で全てが映し出されてゆく。〈みんな〉の眼差しが二人称の〈あなた〉の〈笑った〉〈写真〉に注がれる。そして〈みんな〉が泣いている。〈並ぶ〉〈降る〉〈泣いてる〉〈降り積もる〉〈消えてく〉、動詞の終止形のウ音が基調になる。意味の連鎖の上でも、雪が〈降る〉〈降り積もる〉〈消えてく〉という動きとウ音のつながりがある。〈並ぶ〉みんなが〈泣いてる〉、その静かな響きの情景を〈それは寒い日のこと とても寒い日のこと〉という〈こと〉の体言止めによって終結させている。この時この場の情景が絵画のように記憶に刻まれるが、〈遠くに行っても〉〈何年経っても〉、〈あなた〉を〈忘れはしない〉という意志が繰り返し歌われる。〈ない〉の反復が志村の歌であることを証している。


 雪国とは異なり、山梨では雪はあまり降らないのだが、標高が高い富士吉田では年に何度か降り、積もることがある。「牡丹雪」は僕の感覚からすると、春が近づき暖かくなっていく季節に降るイメージがある。

 志村の他の作品で〈雪〉が登場するのは、『Stockholm』の〈静かな街角/辺りは真っ白/雪が積もる 街で今日も/君の事を想う〉と、『MUSIC』の〈君を見つけて 君と二人/遊び半分で 君を通せんぼ/冬になったって 雪が止んじゃえば/澄んだ空気が僕を 包み込む〉である。どちらも、歌の主体が雪の情景の中で二人称の〈君〉のことを想う。「黒服の人」では〈あなた〉という二人称だった。雪の情景と二人称の存在との間に強いつながりがあるのかもしれない。


 楽曲の面では、真ん中あたりで歌のパートが終わってしまい、間奏からアウトロにかけて、ギターが鳴り響くところに特徴がある。このギターは志村が奏でたようだ。僕はこの旋律からどこか志村のブルースのようなものを感じてしまう。いわゆるブルースギターではないが、深い憂いのギターとでもいうべきものを。 

 ギターのことで少しだけ触れたいことがある。以前も書いたことがあるが、志村が高校入学の春、初めてのエレキギター、ギブソン・レスポールスペシャルを購入したのは、甲府の岡島百貨店にあった新星堂ロックイン甲府店だった。もうかなり前にこの楽器店は閉店していたが、この度、岡島百貨店は現施設での営業を終了し、規模をかなり縮小した上で近くのビルに移転した。これまでの建物は老朽化により解体されてしまう。岡島百貨店の創業は1843年、百八十年の歴史を持つ老舗である。東京でいえば三越といった感じのデパートであり、山梨の人々にとっては華やかな買い物の場所であった。僕にもいろいろな思い出がある。店内のジュンク堂書店の音楽書コーナーの目立つ場所に「ロックの詩人 志村正彦展」のフライヤーを飾ってくれたこともあった。思い出が消えていくようで淋しい限りである。

 

 冬の〈とても寒い日〉の〈小さな路地裏通り〉で、歌の主体の眼差しが〈牡丹雪〉〈車の轍〉の〈雪〉へ、〈黒服の人〉、〈笑ったあなたの写真〉と〈泣いてる〉〈みんな〉へと降り注がれ、〈忘れはしない〉という意志が垂直に立ち上がり、〈遠くに行っても〉〈何年経っても〉という場と時が彼方に描かれ、そうして〈雪〉が消えていく。

    (この項続く)