11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)

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2020年3月25日水曜日

3月26日放送予定の志村正彦番組のこと[志村正彦LN251]

 3月26日(木) 午後3時08分から、NHK総合テレビで『にっぽん ぐるり「若者のすべて~フジファブリック・志村正彦がのこしたもの~」』(NHK甲府制作)が再放送される。そのことで少し気になることを今回は書きたい。なお前回の記事でこの番組が全国放送されると書いたが、放送されない地域もあるようで、訂正させていただく。

 最初にこの前放送されたBSテレビ東京『あの年この歌 3時間スペシャル 名曲~レア曲 昭和・平成ベスト100』の映像を振り返りたい。『若者のすべて』映像(月刊MelodiX! 2007/11/24)で次のテロップが表示された時のことである。


  桜井和寿 草野マサムネ 柴崎コウ 奥田民生など
  多くのアーティストにもカバーされた名曲「若者のすべて」


 これを見た瞬間、何かが足りないと思った。何だろうかと考えたらすぐにあることに気づいた。槇原敬之の名がないことだ。言わずもがなであるが、彼が違法薬物所持の疑いで逮捕されたことの影響であろう。
 数多くある『若者のすべて』カバーの中で、槇原versionの評価が高いことは衆目の一致するところであろう。『Listen To The Music The Live ~うたのお☆も☆て☆な☆し 2014』DVDにライブ映像を収録。昨年10月リリースのカバーベストアルバム「The Best of Listen To The Music」に音源収録。昨年11月放送のNHK「SONGS」で『若者のすべて』を歌い、コード進行に言及しながらこの歌を絶賛した。槇原敬之は『若者のすべて』ルネサンスの中心にいるアーティストである。

 槇原敬之の逮捕を知った時に『若者のすべて』を次の一節が思い浮かんだ。 


   世界の約束を知って それなりになって また戻って


 「世界の約束」、世界には約束があり法がある。若者はその「約束」に対して「それなりになって また戻って」というように行きつ戻りつして大人になっていく。五十歳の槇原はまだ「世界の約束」を守りきれてない。まだ「若者のすべて」の只中にいるのかな、というのが正直な感想だった。アーティスト特有の悩みや不安はあるだろう。それでも「世界の約束」の中で生きていかねばならない。素晴らしい歌い手であるから、いつの日かまた『若者のすべて』を歌う機会が戻ってくることを期待したい。

 この件に関連して考えたことがある。この番組はすでにNHK甲府とNHKBSでオンエアされたが、冒頭部分でNHK「SONGS」の槇原敬之『若者のすべて』の歌とコメントの映像の一部が使われている。気になるのは、明日のNHK総合の放送でこのシーンがどうなるのかということだ。
 このシーンは削除されるのだろうか。そうなるような気がするが、番組を見るまでは分からない。そのことに特別な関心があるわけではないが、やはり気になるところではある。

 「若者のすべて」のすべての中で様々な出来事が起きるのかもしれない。


2019年11月14日木曜日

『若者のすべて』と『Hello, my friend』[志村正彦LN240]

 槇原敬之は、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』について「ほとばしる愛を詰め込んだマッキーの成分文表 槇原敬之」という記事(取材・文 / 小貫信昭)で次のように語っている。


──ここからは、新たに録音された2曲についてお聞きします。まずはフジファブリックの「若者のすべて」です。

東京で花火大会があった日に、たまたま車の中で流れてきて、そのとき初めてこの曲を聴きました。フジファブリックは知っていたんですけど「若者のすべて」は知らなくて。「すごくいい曲だなあ」と思って、それから車内でこればっかり聴いていましたね。しかし残念なことに僕が知ったときには、曲を作って歌われていた志村正彦さんがお亡くなりになられていましてね。こんなことを言うと彼のファンの方がどう思うかわかりませんけど、こんないい曲を残した人と「一度くらいおしゃべりをしてみたかったな」と思いましたね。

──楽曲名の表記が「若者のすべて ~Makihara Band Session~」となっていますが、これはどうしてですか?

「Listen To The Music 3」を作ったときにライブをやろうよという流れになり(参照:槇原敬之、敬愛する名曲カバー&ヒット曲尽くしツアー完走)、当時のバンドメンバーに「この曲もやってもらえますか?」とお願いして、実はそのセッションの音にシンセを足したりして完成したのが今回のものなんです。

──だからこうしたサブタイトルなんですね。

そうなんです。ともかく「若者のすべて」を嫌いな人はいないんじゃないかと断言したいくらいです。もう、カタルシスの塊みたいな曲。この歌のような経験をしたことがない人でも、こういう経験をしたことがあるような気分になるというかね。そして、この若々しい歌を50歳の僕が歌ってしまいました(笑)。


 「SONGS」では「しかも衝撃だったのは作られた方はもうお亡くなりになられていたということがあって」と発言していたが、このインタビューでは「曲を作って歌われていた志村正彦さんがお亡くなりになられていましてね」と「志村正彦」の名に言及している。しかも「一度くらいおしゃべりをしてみたかったな」と述べている。『若者のすべて』を愛する者がこの類い稀な作品の作者に関心を持つのは当然のことだろう。槇原は「カタルシスの塊みたいな曲」と捉えているが、これは彼特有の解釈なのだろう。確かに「SONGS」で彼は「カタルシス」、ある種の感情を解放していく歌い方をした。

 今回の「SONGS」では松任谷由実『Hello, my friend』も歌われたが、この曲はアルバム「The Best of Listen To The Music」の中でひときわ魅力のあるカバーソングとなっていた。僕個人としては、『若者のすべて』と『Hello, my friend』の二つがこのアルバムのBestである。しかも、この二つの歌にはどこかに響き合うところがある。

 『Hello, my friend』(ハロー・マイ・フレンド)は、1994年7月27日にリリース。ユーミン25枚目のシングルである。歌詞の前半部を引用したい。


 Hello, my friend
 君に恋した夏があったね
 みじかくて 気まぐれな夏だった
 Destiny 君はとっくに知っていたよね
 戻れない安らぎもあることを Ah…

 悲しくて 悲しくて 帰り道探した
 もう二度と会えなくても 友達と呼ばせて


 「君に恋した夏」は「みじかくて 気まぐれな夏」とあるので、夏の終わり頃の季節の設定なのだろう。ある意味では『若者のすべて』の季節感に似ているかもしれない。夏が終わりつつある『若者のすべて』、夏がもう終わってしまった『Hello, my friend』という違いはあるが。
 「Destiny」運命を知っていたという過去表現、「戻れない安らぎ」という多様に解釈できる表現。ユーミンらしい歌詞の背景の設定ではあるが、心の深くにとどまる言葉である。直観だが、この「君」はすでに遠い世界に旅立ってしまった人であり、比喩ではなく現実に「もう二度と会えな」い存在ではないだろか。「悲しくて 悲しくて 帰り道探した」、歌詞の後半にある「めぐり来ぬ あの夏の日 君を失くしてから」という表現からもその印象が強まった。荒井由実、松任谷由実の歌う喪失感にはいつもどこかに、無くなったもの、亡くなったものへの想いが込められている。

 『Hello, my friend』の中で最も突き刺さる歌詞は次の一節である。(同じ箇所を槇原敬之も「SONGS」で指摘していた)


 僕が生き急ぐときには そっとたしなめておくれよ


 後半部にあるこの一節によって、歌の話者が「僕」であることが示される。『Hello, my friend』は、「僕」が「君」に対して語りかける作品である。この一節は通常、「僕」の「君」に対する呼びかけの言葉だと考えられるが、もう一つの可能性を提示してみたい。この一節の「僕」を「君に恋した夏」の「君」の方だと捉える解釈である。つまり、ここで視点が転換される。この「僕」は、歌の話者が失った対象であり、もう二度と帰ることのない存在だと捉えるのであれば、歌の様相は一変する。

 「僕」は生き急いでいた。「そっとたしなめておくれよ」は、「僕」が歌の話者に対して依頼した言葉、願いの言葉だった。もしもこの「僕」がすでに遠くの世界へと旅だった存在であるのなら、もう取り返しのつかないような痛切な意味合いを帯びてくる。

 このようなことを書いてよいのかためらいがあるが、一歩ふみこんで僕の想いを語ろう。この言葉を聴いた瞬間、僕は志村正彦のことを考えた。『若者のすべて』と『Hello, my friend』が互いにこだまし合っているようにも聞こえてきた。



2019年11月4日月曜日

SONGS11月2日 槇原敬之『若者のすべて』[志村正彦LN239]

一昨日の11月2日、NHK「SONGS」を見た。槇原敬之が予告通り、松任谷由実『Hello, my friend』、フジファブリック『若者のすべて』、エルトン・ジョン『Your Song』を歌った。

 『若者のすべて』のパートでは、最初に『若者のすべて』ミュージックビデオを説明のナレーションと共に放送した。志村正彦の歌う姿が視聴者にまず届けられた。その後「桜井和寿 柴咲コウ 藤井フミヤなど さまざまなアーティストがカバー」というテロップもあった。
 槇原敬之がこの歌との出会いと魅力を語った。その一部分を文字に起こしたい。


この曲はもうほんと雷を打たれたような衝撃がありましたね。たまたまなんかテレビかなんか見てたらかかって、誰が作ってんだと思っていたら、フジファブリックさんというバンドが作ってて、しかも衝撃だったのは作られた方はもうお亡くなりになられていたということがあって、だから僕はすごく後になってからこの歌を知ったんですよ。


この発言中に画面に次のテロップが表示された。


「若者のすべて」を作詞作曲したVo/Gtの志村正彦は 2009年に亡くなった


 続けて槇原はこう述べた。


一番好きなのはもちろんメロディと曲の世界観なんですけれども、一番すごい好きなところがあって「まぶた閉じて浮かべているよ」 


 「まぶた閉じて浮かべているよ」を口ずさみながら発言した後で、この部分のコード進行に言及する。自ら歌い、キーボードに弾かせながら、普通と異なるコード進行を実演して説明していた。槇原のコメントを簡潔にまとめた次のテロップが流された。


あえて不安定なコード進行を使うことで青春時代特有の情緒を表現している


この箇所をほんとうにすごい、すごい好きですと繰り返し述べていたのが印象的だった。


今年50歳を迎えた槇原敬之が若者の心の揺らぎをマッキー流に届ける


というテロップがあり、歌唱のシーンに入っていった。

 この日のSONGSライブでは、歌い手もバンドマンもそこに現前しているということがあり、CD音源ヴァージョンとは印象が少し異なり、より自然で重厚なグルーブ感があった。
 槇原の歌い方から、「若者の心の揺らぎ」そのものではなくて、50歳という年齢から来るものであろうか、「揺らぎ」を振り返る視線から歌われているように感じた。年齢を重ねると、「揺らぎ」は次第にその揺れの幅を縮めていくが、それでも「揺らぎ」そのものが消失することはない。「揺らぎ」の中心点は時を超えて持続していく。年齢を重ねたものだからこそ歌うことができるリアリティがあった。
 でもそれは、槇原の現実の年齢とこの歌の解釈からもたらされたリアリティであって、オリジナルの志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』の伝えるリアリティとは当然だが異なる。そのことは確認しておきたい。

 実は志村は槇原と遭遇していた。志村日記2004.4.21の記述に「4月20日分」と題してこうある。(『東京、音楽、ロックンロール 』42頁)


 昨日の日記にも書いた通り、本日は招待制ライブだった。割とリラックスして出来た感じ。
 前回同様、いくつかのアーティストと共演した訳でありますが、最後に槇原敬之さんがシークレットで出演。なんというか…感動。声に。感動ですねえ。ほんとよく聴いていたんで。玉置浩二ばりに。
 楽屋で少し挨拶をしたんだけれど、恐ろしいくらいに腰の低いお方でおられた。
 そういえば、今まで話したミュージシャンで厭な感じの人って本当にいないと思う。イヤイヤほんとに。


 前日の日記を読むと、このライブは「東芝EMIコンベンションライブ」だったようだ。この時、志村正彦は槇原敬之に確かに会っていたのだが、楽屋での少しの挨拶であり、何人もの共演者や関係者がいただろうから、槇原からすると、まだデビューまもない志村正彦・フジファブリックを記憶にとどめる出会いではなかったのかもしれない。『若者のすべて』に衝撃を受けてからあらためて、志村正彦という存在を知ったのだろう。

 引用した志村の発言を読むと、槇原敬之の「声」に「感動」している。確かに槇原の「声」には独自な魅力がある。どの歌も最終的には「声」の質感のようなものにたどりつく。『若者のすべて』は特に「声」の質や力に左右される歌ではないだろうか。
 志村正彦の『若者のすべて』の声には独特の肌理がある。声は遠く彼方から訪れてくる。聴き手は声の肌理を感じとる。そして声は過ぎ去り、遠く彼方へと戻ってゆく。それでも声の肌理、その感触は聴き手の心にとどまる。

    (この項続く)

2019年10月27日日曜日

槇原敬之『若者のすべて ~Makihara Band Session~』[志村正彦LN238]

 10月23日、朝刊を読んでいると、ある全面広告が目に飛び込んできた。槇原敬之『The Best of Listen To The Music』。そろそろリリースされるかと思っていたところ、この日が発売日だった。(朝日新聞で見たのだが、他の全国紙や地方紙で掲載されたかは分からない)2020年にデビュー30周年を迎える記念として初のカバー曲のベストアルバムであり、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』がカバーされると告げられていた作品である。

 紙面の上半分は槇原の写真。ウェリントン型のメガネをかけておだやかに微笑んでいる。ブルーのコーデュロイジャケットに白いシャツとネクタイ。カジュアルな正装だろうか。背景には落ち着いた山吹色の幕。髭には白いものが混じている。1969年生まれということは今年五十歳。年齢にふさわしい落ちついた彩りの写真だった。
 視線を下に移すと、収録曲のクレジットがあった。すぐにあの曲を探した。


  14. 若者のすべて ~Makihara Band Session~
          作詞・作曲:志村正彦


 「作詞・作曲:志村正彦」という記載があった。カバー曲の場合、広告などではオリジナル曲の歌手や演奏者が書かれるだけのことが多いが、作詞・作曲者名も記されるべきだということをこのブログでくりかえし主張してきた筆者にとっては非常にうれしい記述だった。小さな文字ではあったが、「志村正彦」という名が全国紙の全面広告の中にある。

 早速、『The Best of Listen To The Music』初回限定盤を注文して聴いてみた。
 『若者のすべて』は「Makihara Band Session」と付記されているように、完璧なバンドサウンドになっている。もともと、アルバム『Listen To The Music 3』のライブのバンドメンバーによるセッションの音をもとに完成したそうだ。このライブ映像は『Listen To The Music The Live ~うたのお☆も☆て☆な☆し 2014 』としてDVD化されているが、今回の音源はストリングスも加えられて練り上げられた音になっている。



 これから聴く人もいるだろうから、感想を簡潔に述べたい。
 志村正彦の『若者のすべて』には、「ない」という不在の感覚が通奏低音のように響いているが、槇原敬之の『若者のすべて』では、「ある」ことへの期待や希望が描かれている。そのように僕には聞こえてきた。かつて志村正彦が語ったように、同じ歌詞でも解釈が異なってくる。歌い手や歌い方によって歌の世界は多様に広がっていく。槇原の五十歳という年齢が、「ある」ことへの希求を歌に込めていったのかもしれない。

 オリコンニュース2019-10-26「カバーソングから考察する歌手・槇原敬之の魅力の真髄」という記事で、槇原の言葉が紹介されている。


 槇原自身は「本当はカバーよりも本人の歌っているバージョンが一番良いとは思います」としながらも、「カバー・アルバムを作るときはちょっと角度が違いまして。僕自身の「音楽好きの歴史」というのは50年になるわけです。そちらの(音楽好きの)自分が、『なんでこの人はこんな良い曲を作ったんだ』とか、『この曲作るなんて本当に天才だな』とか、『本当にこの曲に救われたな』という曲ばかりを集めて、自分で勝手に尊敬の気持ちを込めてカバーさせていただいているんです」と、カバー曲に取り組んできた姿勢を語っている。


 『若者のすべて ~Makihara Band Session~』はとても丁寧に緻密にそして想いを込めて制作されている。槇原敬之のこの曲への「尊敬の気持ち」が自然に伝わってくる。
 なお、この記事には、オリコンモニターリサーチによって10~50代以上のモニターの男女1365名に全15曲のダイジェスト版を聴いてもらって作成した「好きな曲ランキング」が掲載されている。『若者のすべて ~Makihara Band Session~』は総合7位となかなか健闘している。最近この曲の知名度が上がったことも影響しているのだろう。

 11月2日(土)午後11・00~11・30の『SONGS』(NHK総合)に槇原が出演する。すでにご存じの人も多いだろうが、松任谷由実『Hello, my friend』、フジファブリック『若者のすべて』、エルトン・ジョン『Your Song』が歌われるそうだ。この三曲の選曲だけで僕は胸がいっぱいになった。
 「運命」なんて便利なもので、文脈は異なるが、そのように語ってみたい気もした。『若者のすべて』のこれまでとこれから、その軌跡そしてその運命を、まぶた閉じて浮かべている。

2015年12月31日木曜日

三つの系列-『若者のすべて』20[志村正彦LN118]

 『若者のすべて』についての「批評的エッセイ」の連載も今回で20回目を迎える。関連した回を含めると25回を数える。

 三年前、2012年12月末、富士吉田で『若者のすべて』のチャイムを聴いたことが契機となり、翌年3月にこの歌について書き始めた。6月からは、「ー『若者のすべて』1」というように付番しながらシリーズとして展開していった。2013年は12回まで終えた。
 夏になるとこの歌が話題となる。だから、夏に書き出し、秋や冬の始まりの頃までに書き終わるというのが習慣のようになってしまった。昨年は13回から15回まで、今年は16回から今回の20回まで書くことになった。

 冒頭で記したように、筆者としては「批評的エッセイ」の試みとして書いてきた。歌詞の語りの分析や資料に基づく考察を書く「批評的」側面と、「私」あるいは「僕」という聴き手を通した経験、風景や出来事から触発された想いを述べる「エッセイ」的側面。その二つを追求しようとした。その意図が実現しているかどうかは心もとないが、何か新しいことを試みることがこの連載を続けるモチベーションになっている。

 2015年、今年は、柴崎コウのカバーの話題から始まった。初の女性ボーカルによるカバー。この歌が女性によって歌われることで、この歌の新しい風景が描かれた。 
 10月10日には、フジテレビ『MUSIC FAIR』で、柴咲コウと現在のフジファブリックがコラボレーションしてこの曲を演奏した。柴崎から、現在のボーカル山内総一郎へとリレーしていった。キーが変わる演出には少し驚いた。伊東真一(HINTO、堕落モーションFOLK2)がギターのサポートをしていたのは嬉しかった。彼は「大好きな曲をまたみんなと演奏させてもらえて幸せでした。」とtwitterで呟いていた。

 この日最も印象に残っているのは、柴咲コウの帽子姿。グレー色のハットを被り、綺麗な声で歌っていた。すぐに、志村正彦の帽子姿が浮かんできた。
 彼は、2006年12月の渋谷公会堂のステージでハットをたまたま被り出したそうだ。それ以来、ライブ映像でもアーティスト写真でも帽子姿が多くなる。「晩年」という言葉をあえて使うが、晩年の志村正彦と帽子、その印象は不思議なほど結びついている。記憶に強く残る。

 まだ数日前のことだ。25日クリスマスの夜、テレビをつけて、BSチャンネルをupさせていくと突然、「街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ」という声と字幕が耳と目に飛び込んできた。『若者のすべて』だ。槇原敬之が歌っていた。データを見ると、BS-TBSの『槇原敬之 Listen To The Music The Live ~うたのお☆も☆て☆な☆し』という番組だった。この放送のことは全く知らなかった。途中からなのが少し残念だったが、たまたま見られたことを喜んだ。

 内容は昨年発売された同名のDVDの映像と同じようだが、BSとはいえ、テレビというメディアで放送されことは嬉しい。より多くの人がこの歌を知るきっかけともなるからだ。ネットで調べるとこの日が初放送らしい。志村正彦の命日の12月24日の翌日の放送というのは単なる偶然だろうが、この偶然にも感謝したい。ファンにとっては思いがけない贈り物となった。
 槇原敬之はやはり上手い。言葉を丁寧に扱う。彼の歌う『若者のすべて』は、少し情けないところもある男のブルースのようにも聞こえる。

 2015年の現在、『若者のすべて』は柴咲コウや槇原敬之という時代を代表する歌手にカバーされ、テレビで放送されるなど、高く評価されている。最近、フジファブリックと同世代のバンド、THE BACK HORNもライブでカバーしたそうだ。
 すでに若者の歌、夏の歌の「定番」ソングのようにして親しまれている。しかし、発表当時はそうではなかった。
 「Talking Rock!」2008年2月号のインタビュー(文・吉川尚宏氏)を連載の前回部分と一部重複するが引用したい。志村はこう語っている。


ある意味、諦めの気持ちから入るサビというのは、今の子供たちの世代、あるいは僕らの世代もそう、今の社会的にそうと言えるかもしれないんだけど、非常にマッチしているんじゃないかなと思って“○○だぜ! オレはオレだぜ!”みたいなことを言うと、今の時代は、微妙だと思うんですよ。だけど、“ないかな/ないよな”という言葉から膨らませると、この曲は化けるかもしれない! そう思って制作を再スタートさせて、精魂込めて作った曲なんだけど………なんていうか……こう……自分の中で、達成感もあるし、ターニングポイントであることには間違いないんです。すべてに気持ちを込めたし、だから、よし!と思ってリリースしたんだけど、結果として、意外と伝わってないというか……正直、その現状に、悔しいものがあるというか…


 「精魂込めて作った」「達成感もある」「ターニングポイントである」「すべてに気持ちを込めた」というような過剰な表現を、志村はインタビューであまり使ったことがない。それほどこの作品は彼にとって重要なものだった。皮肉なことに、「意外と伝わってないというか……」の「ないというか……」にはこの歌のモチーフでもあった「諦めの気持ち」に近いものも読みとれる。悔しさ、やるせなさのようなものが素直に述べられていて、痛々しい感じさえする。

 確かに、シングル『若者のすべて』やアルバム『『TEENAGER』のレビューをいくつか読んでみても、この作品は少なくとも現在ほどの評価は得ていなかった。良い作ではあっても、フジファブリックらしくないというような声があったようだ。歌詞にしろ楽曲にしろそれまでの作風とは幾分か異なっていたので、ファンもどう受け取っていいのか分からなかった可能性もある。
 なぜ『若者のすべて』が、志村が込めた「すべて」の想いほどには、受け入れられなかったのか。この問いに対しては、事実がそうであった、という現実を確認することしか今のところはできない。(これについてはいつか考察してみたいが)

 しかし繰り返すが、今日、この歌はたくさんの聴き手を得ている。若者だけでなく、多くの世代から支持されている。結果として、この歌が人々に届くまでには「時」が必要だった。
 安部コウセイは 『MUSIC FAIR』放送後のtwitterで「若者のすべては時代を越えていく曲ですね」と呟いた(10月10日@kouseiabe)。
 来年になればまた新たな聴き手そして歌い手を、この歌は獲得していくにちがいない。「時」が必要だった分だけ、それ以上に、はるかに、「時」を超えて、この歌は生き続けていく。
 今回は20回目という区切りになるので、公式サイトからミュージックビデオをこのblog上では初めとなるが紹介したい。




 歌の解釈や分析は、論者の設定するモチーフや系列、分析の枠組によって変化していく。この論は、あたりまえのことであるが、私自身による試論であり私論にすぎない。誰もが多様に自ら読みとることができる。
 歌は開かれている。歌は自由だ。

 今年は戦後70年を迎えた。若者たちによって新しい運動も起きた。社会の現実に向き合うことは私たちの権利であり、それ以上に義務である。義務であるからこそ、時間をかけて、対話する必要がある。多様な視点から深く考えることが、社会や世界の方から私たちに向けて要請されている。

 先の引用にあるように、『若者のすべて』の「ないかな ないよな」には世代や社会に対する問いかけも含まれていた。そうであれば、「世界の約束を知って それなりになって また戻って」という歌詞の一節もより広い文脈や背景の中で捉え直すことができる。「世界の約束」という言葉の重みも増してくるだろう。「運命」や「途切れた夢」という表現も別様の解釈が生まれる余地もあるかもしれない。
 
 私は、第1回から12回まで、「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」に収束される、歌の主体「僕」という一人称単数で指し示される「一人」「単独者」の歩行の系列と、「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」に集約される、「僕ら」という一人称複数で示される「二人」の再会、その背景にある「花火」を巡る系列という、二つの系列という枠組でこの歌を分析してきた。

 今年の考察ではその二つに加えて、「世代」「社会」という第三の系列を見いだすことができた。資料の読み直しによるものだが、現実からの触発もあった。
 志村正彦は、「僕」と「僕ら」を超えてそれを包含するものとしての「世代」、それが直面する「社会」という視点をある程度までこの歌に込めたと言える。

  「僕」、「僕ら」、「世代」という三つの系列が『若者のすべて』の「すべて」を構成している。20回目の今回、そのような考えにたどりついた。
 この歌になぜ「若者」「の」「すべて」という題が付けられたのか、その問いに対する一つの答えが少しだけ見えてきたのかもしれない。