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2020年1月5日日曜日

『ミュージック・マガジン』の「50年の邦楽アルバム・ベスト100」[志村正彦LN247]

 2020年の元日、フジファブリック・山内総一郎氏の慶事が伝えられた。今後、フジファブリックはさらに変化していくのだろう。
 2019年は志村正彦・フジファブリックにとって特別な年だったので、例年以上に集中して様々な事柄を追ってきた。年を越えてしまったが、今回は音楽雑誌『ミュージック・マガジン』について書きたい。

 去年2019年は、1969年4月創刊の雑誌『ミュージック・マガジン』の創刊50周年の年だった。2019年4月号は、特別付録として創刊号を復刻して同封した。久保太郎編集長は「『ミュージック・マガジン』は、創刊50周年を迎えました」という巻頭言でこう述べている。


 洋楽、とりわけロックを単なるエンターテイメントではなく、人々の意識を変え、社会変革をもたらすものと捉え、その音楽の紹介のみならず、批評のスタイルまでを文化として導入し、確立しようということが創刊の目的でした。その姿勢は、今回復刻した創刊号に色濃く表れていますし、後にロックだけでなく世界の様々なポピュラー・ミュージックや邦楽に批評の対象を広げても、本誌が一貫して持ち続けてきたものです。


 僕が読み始めたのは1974年頃だった。編集長の言葉にある通り、ロックは「人々の意識を変え、社会変革をもたらすもの」という意識が読者にもあった。当時は洋楽のロックが中心で、時代が経つにつれてワールドミュージックや邦楽も取り上げるようになった。以前も書いたが、僕にとって『ミュージック・マガジン』(『ニューミュージック・マガジン』の時代だが)は主に、浜野サトルの批評を読む媒体として位置づけられていた。     

 4月号の復刻に続いて、『創刊50周年記念復刻 Part 1 ニューミュージック・マガジン1969年5月号~8月号』『創刊50周年記念復刻 Part 2 ニューミュージック・マガジン1969年9月号~12月号』の復刻版も出された。
 5年ほど前、古書市場で1970年から2012年までの500冊ほどのセットを運良く購入できた。その後も空白の号を買い集め、現在は定期購読している。創刊年の1969年は数冊だけ持っていなかったが、今回の復刻版を含めると50年間のすべての号が揃ったことになる。この雑誌は比較的部数も多かったので古書の価格もそんなに高くないのが幸いだった。この雑誌は日本におけるロックの受容の歴史を語る上で必読の資料である。(日本文学の教員として、雑誌全号のコレクションの大切さを痛感している。インターネット以前の時代の資料は雑誌などの「物」としてあり、「物」として収集保管していかなければならないが、これがけっこう大変である。)

 2019年4月号の本編には、特集として「創刊50周年記念ランキング~2020年代への視点(3)~50年の邦楽アルバム・ベスト100」が掲載されている。あくまで「50年の邦楽」あり、ロック、ラップ、電子音楽、アイドルまで「ポップス」の枠に括られる全てが対象となった。50人の選者が各々50枚のベストアルバムを選出して集計した結果、1位から10位までは下記の通りである。


 1. はっぴいえんど『風街ろまん』
 2. シュガー・ベイブ『SONGS』
 3. 大滝詠一『ロング・バケイション』
 4. ゆらゆら帝国『空洞です』
 5. イエロー・マジック・オーケストラ『ソリッド・ステイト・サバイバー』
 6. フィッシュマンズ『空中キャンプ』
 7. ザ・ブルー・ハーツ『THE BLUE HEARTS』
 8. 細野晴臣『HOSONO HOUSE』
 9. 荒井由実『ひこうき雲』
 10. サディスティック・ミカ・バンド『黒船』


 リストは100位ではなく200位まで掲載されていたが、フジファブリックは一つも入っていなかった。50人の選者の各々のリストも載っていたので探してみると、志田歩氏の43位にフジファブリック『フジファブリック』、高岡洋詞氏の46位にフジファブリック『フジファブリック』、山口智男氏の19位にフジファブリック『TEENAGER』が挙げられていた。志田氏はこの雑誌でフジファブリックの記事を書いたこともあり、作品を高く評価していた。高岡氏と山口氏はおそらく若いライターだと思われる。この三人の見識によって3枚がリストアップされた。
 50人が50枚、合計2500枚のうちの3枚である。2500枚といってもかなりの重複があり、50年の間には膨大な数のアルバムがリリースされたことを考慮すると、3枚入っていたのは喜ぶべきなのだろう、と書きたいところだが、これは多いに不満であり疑問である。志村正彦・フジファブリックのアルバムに対する正当な評価があまりにも少ないのは、現在の音楽ジャーナリズム(そんなものがまだあるとして)の視野の狭さのせいであろう。

 10位までのリストに示されているように、いわゆる「はっぴいえんど史観」、細野晴臣やYMOを中心とする評価軸が強すぎるようだ。音楽は所詮「好み」の問題であるが、音楽ジャーナリズムの評価としてあまりに偏りすぎている。また、ジャックス『ジャックスの世界』がまったく入らなかったのは、この作品が1968年リリースで対象外だったからなのだろうが、少なくともこのアルバムが入るように1968年を起点にできなかったのか。(「はっぴいえんど史観」を徹底するために1968年を除外したとも考えられるが、まあこれは勘ぐりすぎだろう)

 年初なので僕も10枚を選ぶことにした。よく聴いたアルバムを選んだだけのきわめて個人的なリストである。ただし、起点は1968年にして、順位は付けずにリリース順に記した。


    ジャックス『ジャックスの世界』1968年9月
    荒井由実『ひこうき雲』1973年11月
    四人囃子『一触即発』1974年6月
    RCサクセション『シングル・マン』1976年4月
    PANTA & HAL『マラッカ』1979年3月
    フリクション『FRICTION(軋轢)』1980年4月
    ムーンライダーズ『青空百景』1982年9月
    THE BOOM『サイレンのおひさま』1989年12月
    早川義夫『この世で一番キレイなもの』1994年10月
    フジファブリック『フジファブリック』2004年11月


 リアルタイムで聴いたのは四人囃子『一触即発』以降である。『ジャックスの世界』と『ひこうき雲』は70年代後半に出会った。フジファブリックは『アラカルト』から『CHRONICLE』までの全アルバムを挙げたいくらいだが、メジャー1作目に代表させた。
 並べてみると「ロックの歌」「ロックの詩」が好きなのだとあらためて気づく。個々のアルバムについて触れる余裕はないが、いつかこのblogで書いてみたい。

 1968年の『ジャックスの世界』から2004年の『フジファブリック』まで36年の歳月を必要とした。早川義夫・ジャックスが日本語ロックの創始者であり、志村正彦・フジファブリックが日本語ロックの可能性を極めたというのが僕にとっての歴史である。


2016年4月23日土曜日

「往年のロックかけ」[志村正彦LN124]


 往年のロックかけ ハットのリズムで どこでも行け
                 (フジファブリック『TAIFU』、作詞作曲・志村正彦)

 このところ、僕にとっての「往年のロック」、1970年代のロックのライブ盤を聴いている。Mountain『Twin Peaks』(異邦の薫り)[1973年・大阪厚生年金会館]、Bob Dylan『武道館』(Bob Dylan at Budokan)[1978年、日本武道館]。どちらも実際に行ったライブ(収録時や会場は異なるが)で、70年代のロックとその場の雰囲気が真空パックのように詰め込まれている。(聞いているのは再発CD盤なので、本当は当時のLPレコードがいいのだろうが)

 70年代のロックといっても、歌詞や楽曲そのもの、歌い方と奏法、音源のレコーディング方法やスタジオ、ライブの録音方法や会場など様々な要素が絡み合い、多様だ。それでも、時代的な共通性はある。音楽的技術的なことを説明できる力はないので、貧しい言葉で簡潔に印象を記すなら、声や音がのびやかにやわらかく広がっていく感じ、とでも言えばよいだろうか。電気楽器なのだけれど、アナログ的であり、音の波のゆれ、うねり、時に微妙なずれのようなものが伝わってくる。
 僕は70年代のロックの音、デジタル音楽のように綺麗にコントロールされていない音を浴びるほど聴いていたので、音を受容する身体の感覚がそこで止まっているような気もする。誰にとっても、十代の頃に聞いた音楽がその人の音に対する身体感覚の基準になり、その後も支配され続ける。

 MountainやBob Dylanから、フジファブリックのメジャー1stアルバム『フジファブリック』に掛けかえても、そんなに違和感がない。このアルバムには70年代的な味わいがある。浜野サトル氏は、「響き合い」(『毎日黄昏』)で次のように述べている。

 『フジファブリック』を二度三度と繰り返し聴いていて――これは僕にはあまりないこと――、ある瞬間、不意にレッド・ツェッペリンを感じた。
 2004年に作られたこのアルバムの時期、このバンドをリードしていたのは歌とギターを担当する志村正彦という青年で、レパートリーの大半も彼の作品だが、1980年生まれの彼が70年代バンドであるツェッペリンの音楽に親しんでいたかどうかは知らない。しかし、「TAIFU」という曲。燃える飛行船の装画が印象的だったツェッペリンの1枚目のアルバム冒頭の曲「Good Times Bad Times」が、疾走する音の奧から影のように浮かび上がるのが、僕にはきこえた。

 浜野氏の慧眼のとおりで、志村は実際にレッド・ツェッペリンの影響を受けたことをインタビューで何度か話している。模倣で終わることなく、70年代前半のブリティッシュ・ロックを土台とする日本語の歌を彼は創り上げた。それだけではない。このアルバムの最後を飾る『夜汽車』はどうだろうか。70年代前半のフォークロックの雰囲気が濃厚だ。例えばDylanの『Planet Waves』(1973年、演奏はThe Band)の時代の音を思い出す。

 志村正彦にとっての「往年のロック」とはやはり、彼の生まれる前の時代、70年代前半のロックが中心となるのだろう。
 このアルバム『フジファブリック』がアナログレコードとなる。6月からデビュー12周年の記念として「FUJIFABRIC ON VINYL」と題し、全アルバムがアナログレコードとして発売されるという発表があった。以前に僕は「ないものねだりの空想」と題して、このレコード盤への夢を書いたことがある。

 特に『フジファブリック』は一枚のアナログ盤で発売されるのが何よりも嬉しい。A面5曲、B面5曲の構成のようだ。裏返してB面へ、もう一度裏返してA面へ。あの時代にトリップするかのようだ。
 それに比べて、2ndから4thの作品が2枚組になったのは収録時間のため(アナログ盤は45分が限度らしい)だろうが残念だ。アルバムごとの曲数と時間を並べてみる。どちらも次第に増えていったことが分かる。

    1st  『フジファブリック』   10曲 45分
    2nd 『FAB FOX』       12曲 52分
    3rd  『TEENAGER』     13曲 56分
    4th  『CHRONICLE』     15曲 70分

 1st『フジファブリック』が10曲45分であるのは、まるで将来のアナログ盤化を想定していたかのようだ(もしかすると当時からその企画があったのかもしれないが)。
 12周年記念で「ないものねだり」の夢が実現することになり、一人のファンとしてとても愉しみだ。大きなジャケットで柴宮夏希による表紙絵を見ることもできる。

 『フジファブリック』のアナログレコードはさらに「往年のロック」70年代の雰囲気を醸し出すことだろう。往年のロックをかけてどこにでも行きたいものだ。

2014年11月10日月曜日

「現在」の歌-CD『フジファブリック』9 [志村正彦LN94]

 十年前の今日、2004年11月10日にメジャーデビューCD『フジファブリック』が発表された。昨年のこの日からこのアルバムについてのノートを断続的に掲載してきたが、今回で完結させたい。

 今夜は早めに帰宅。CD『フジファブリック』をプレーヤーに入れて、音量をある程度まで上げて、スピーカーで何度か聴く。冬が近づき、部屋も冷たく乾いている。空気が澄み渡り、いつもより志村正彦の声が透き通るように響いてくる。

 このシリーズの7[LN87]で書いたように、このアルバムには、ある地点からある地点へと移動するという意味の動詞が多い。
 例えば「行く」だけを列挙しても、「桜の季節過ぎたら/遠くの町に行くのかい?」(『桜の季節』)、「放送のやってないラジオを切ったら すぐさま行け」(『TAIFU』)、「駄菓子屋に ちょっとのお小遣い持って行こう」(『陽炎』)、かばんの中は無限に広がって/何処にでも行ける そんな気がしていた」(『花』)、「今夜 荷物まとめて あなたを連れて行こう」(『サボテンレコード』)とある。
 70年代前半のブリティッシュロックの音、レッド・ツェッペリン、ピンク・フロイドなどを時折想起させるビートに乗せて、何処かに行くという欲望や衝動が繰り返し歌われている。
 

 しかし、シリーズの8[LN88]で、『夜汽車』に触れて、「歌の主体も『あなた』も何処にも行けない。何処にも還ることはできない。帰郷が果たされることはない」と記したように、歌の主体は、結局、何処に行くことも還ることもできない。このモチーフは、CD『フジファブリック』全体を貫いている。
   『夜汽車』のエンディングは、ずっと回り続けるアナログレコードのターンテーブルのように、終わることのない、行きつくことのない旋律を奏でている。この終わり方の感覚が1stCD『フジファブリック』に独特の余韻をもたらしている。

 リピート再生のキーを押す。『夜汽車』が終わり、『桜の季節』が再び始まると、次のシークエンス、『桜の季節』の抽象的な世界の中で具体的に「別れ」を描く場面が気になってくる。

   坂の下 手を振り 別れを告げる
   車は消えて行く
   そして追いかけていく

   諦め立ち尽くす

 「車は消えて行く」、歌の主体が「追いかけていく」。対象は消えて「行く」、主体は追いかけて「いく」。しかし、結局、主体は「諦め立ち尽くす」。むしろ、あらかじめ「諦め」ているかのように、「立ち尽くす」。この「立ち尽くす」あるいは「立ち止まる」という光景は、志村正彦の初期作品によく見られる光景だ。CD『フジファブリック』中の『陽炎』や『赤黄色の金木犀』にもそのバリエーションがある。

 ある詩集の中のある詩の一つの言葉が、その詩を超えて、詩集全体に響きあうということがある。そのような意味で、『桜の季節』の「諦め立ち尽くす」という言葉はアルバム全体につながっているようにも思われる。何処に行くこともできない、結局、其処にとどまるしかないという主体のあり方が反復されている。

 作者志村正彦は、おそらく、何処に行くことも還ることもできないことをあらかじめ知っていた。「諦め立ち尽くす」と歌われているように、《諦め》や《断念》が先行していた。つねにすでに、其処にとどまること、立ち尽くし、立ち止まり、佇立することを身に纏っていた。
 あるいはそれに抗うように、時には再び、何処かにたどりつくことへの《欲望》や《衝動》を歌った。その反作用のようにして、何処へ行くことも還ることもできない《不安》に強く支配されるようになった。そのような痕跡が彼の作品には滲み出ている。

 1stアルバムでの金澤ダイスケ、加藤慎一、山内総一郎、足立房文の演奏は、志村の声を力強く、時に繊細に支えている。特に、この1stと2ndのドラムを敲く足立のリズム感は、志村の歌詞の持つ日本語のリズムとよく調和している。片寄明人のプロデュースを始めとするレコーディングスタッフも充実し、志村正彦は「プロフェッショナル」な音楽家として追い求めてきた言葉と楽曲の水準、演奏と制作の方法を獲得したと言えるだろう。

 『桜の季節』『陽炎』『赤黄色の金木犀』、四季盤の春夏秋の楽曲が卓越した価値を持つのは言うまでもないが、『TAIFU』『追ってけ追ってけ』『サボテンレコード』の新奇でしかもどこか懐かしい感覚、『打上げ花火』『TOKYO MIDNIGHT』の《夜》と《黒色》の奇妙な祝祭の風景など、多様性という言葉では括れないほどの広がりと深みがある。特に『花』と『夜汽車』は、誰もが使う分かりやすい言葉を使いながら、志村正彦でしか創造しえない世界を築いているという点で、傑出した作品だ。

 『花』には「花のように儚くて色褪せてゆく」という一節があるが、このアルバムは「儚い」世界を描きながら、決して「色褪せてゆく」ことのない命を持つ。
 十年という時の経過どころか、数十年、百年というような時を超えても、日本語の歌の聴き手にとって、1stアルバム『フジファブリック』の言葉と音楽は尽きることのない命脈を保つ。

 私たちが、例えば中原中也の詩を、近代詩という歴史的な文脈を離れて、「現在」の詩として読めるように、未来の聴き手や読み手も、志村正彦・フジファブリックの作品を、その時点の「現在」の歌として受けとめることができるだろう。

2014年8月10日日曜日

『桜の季節』から『夜汽車』へと-CD『フジファブリック』8 [志村正彦LN 88]

 CDアルバム『フジファブリック』は、『桜の季節』で始まり『夜汽車』で終わる。

 『桜の季節』は、《上京》の物語、おそらく山梨から東京へと移り住むことが背景となっている。それに呼応するかのように、『夜汽車』は《帰郷》の物語、一時的なものであるにせよ、「峠」を越えて、東京から山梨へと戻っていくことが背景となっているとこれまで受け取めてきた。(東京とか山梨とかいう固有名を抜きにして、普遍的な《上京》と《帰郷》と考えてもいいが)少なくとも、アルバム全体として、始まりの曲と終わりの曲が、何処かに往くことと何処かに還ること、《往還》の枠組みを持つとは考えてきた。

 志村正彦は「ファースト・アルバムは東京vs.自分」というテーマがあったと述べている。([http://musicshelf.jp/?mode=static&html=series_b100/index  ]
 その「東京vs自分」というテーマを「上京vs 帰郷」に変奏すると、このアルバムの全体像が見えてくるのではないか。そのような見通しのもとに原稿を準備してきた。ところが、あらためてアルバムの全曲を聴き、特に『夜汽車』の歌詞をくりかえし読むと、「上京vs.帰郷」という図式的な解釈からこぼれ落ちてしまう、微妙な細部が見えてきた。

 志村正彦の歌を読むためには、歌の細部と余白を読むことが必要となる。『夜汽車』の全歌詞を引用してみよう。

 長いトンネルを抜ける 見知らぬ街を進む
 夜は更けていく 明かりは徐々に少なくなる

 話し疲れたあなたは 眠りの森へ行く

 夜汽車が峠を越える頃 そっと
 静かにあなたに本当の事を言おう

 窓辺にほおづえをついて寝息を立てる
 あなたの髪が風に揺れる 髪が風に揺れる

 夜汽車が峠を越える頃 そっと
 静かにあなたに本当の事を言おう              [『夜汽車』]

 歌の主体は、「僕」のような人称代名詞としては登場しないが、視点人物として、「あなた」を見つめていいる。「あなた」は女性、歌の主体は男性と捉えていいだろう。夜汽車という場と時、「あなた」は「話し疲れ」て「眠りの森へ行く」という情景からして、かなり親密な関係であることは間違いない。
  この二人は何処に行こうとしているのだろうか。行き先も目的も分からないが、歌の主体の故郷へと向かっているような気がする。(「あなた」の故郷へという可能性もあるが)

 山梨に住む者なら、「長いトンネルを抜ける」「明かりは徐々に少なくなる」「峠を越える」という言葉から、中央線や富士急行線を連想してしまうだろう。(学生の頃、私も新宿で中央線の夜行列車に乗り、「長いトンネル」や「峠」を超えて甲府へ帰った。特急に乗る余裕はなく、各駅停車の旧式電車で「窓」を開け「風」に揺れながら)歌の主体を志村正彦の分身だとするなら、歌の主体が「あなた」を連れて東京から山梨へと帰っていく物語のように感じられる。帰郷というモチーフが強く現れてくる。

 「話し疲れたあなたは 眠りの森へ行く」。その時を待ちかまえるようにして、「夜汽車が峠を越える頃」に、歌の主体は「あなた」に対して、「そっと」「静かに」、「本当の事」を言おうとする。
 しかし、「眠り」の中の「あなた」が「本当の事」を聴き取ることはない。眠りが壁のように言葉を塞ぐ。むしろ、言葉が伝わらないからこそ、歌の主体は「本当の事」を語りかけようとする。『桜の季節』の「手紙」が投函されないで、「僕」は「読み返して」いるだけという状況にいささか似ている。

 『夜汽車』でも『桜の季節』でも、歌の主体の言葉は他者へ届かない。言葉は結局主体の方へ戻っていく。独り言のような世界。志村正彦らしいといえばらしい世界だ。
 ところで、『桜の季節』では、歌の主体を示す1人称代名詞「僕」が登場し、他者を示す2人称代名詞は作中にない。それに対して、『夜汽車』では歌の主体を示す1人称代名詞が作中になく、「あなた」という他者を示す2人称代名詞は使われている。これは偶然だろうか。無意識だろうか。アルバム『フジファブリック』は、『桜の季節』の主体「僕」から、『夜汽車』の「あなた」へと向けて歌われているようでもある。

 この歌は「夜汽車が峠を越える頃 そっと/静かにあなたに本当の事を言おう」で終わりを迎える。歌詞にある言葉のように「そっと/静かに」終わる。言葉のないエンディングが永遠に続くかのような余韻が残る。まるで夜汽車がそのままずっと走り続けるように。

 最後に、『夜汽車』の余白から浮かんできた、私の「妄想」のような解釈を記したい。

 「あなた」は眠りの中にいて、歌の主体は「本当の事を言おう」とする。しかし、「言おう」とするところで、時間は止まってしまう。僕は言うことができない。
 歌の主体と「あなた」の時間は止まる。夜汽車はそのまま走り続ける。「峠」を超えることはない。歌の主体も「あなた」も何処にも行けない。何処にも還ることはできない。帰郷が果たされることはない。

 言葉のない余白をどう「誤読」するか。そのような問いが残る。

     (この項続く)

2014年8月6日水曜日

通り抜ける-CD『フジファブリック』7 [志村正彦LN87]

  メジャー1stCD『フジファブリック』は、2004年11月10日にリリースされた。「志村正彦ライナーノーツ」は、曲単位で論じるのが基本だが、CD単位で論じてみると異なる風景が広がってくるかもしれないと考え、昨年の11月10日(1stCD9周年の日)から、1stCD『フジファブリック』を巡る考察を断続的に掲載してきた。
 今回は久しぶりにCD『フジファブリック』について論じたい。前回から5ヶ月の空白がある。参考までに、1~6回の掲載日とテーマを掲げる。

2013年11月10日 ないものねだりの空想-CD『フジファブリック』1 [志村正彦LN 56]
2013年11月17日 「レコード持って」-CD『フジファブリック』2 [志村正彦LN 57]
2013年12月8日 アルバムのテーマ-CD『フジファブリック』3 [志村正彦LN 61]
2013年12月14日 「聴いた人がいろんな風に受け取れるもの」-CD『フジファブリック』4[志村正彦 LN63]
2014年2月9日 手紙-CD『フジファブリック』5 [志村正彦 LN70]
2014年3月16日 「桜が枯れた頃」 -CD『フジファブリック』6 [志村正彦LN73]

 CD『フジファブリック』は多面体だ。このアルバムは、『桜の季節』『陽炎』『赤黄色の金木犀』と続く、独創的な「四季盤」の楽曲、『TAIFU』『追ってけ追ってけ』『打上げ花火』『TOKYO MIDNIGHT』そして『サボテンレコード』へと展開していく、プログレッシブ・ロックを中心とするクラシック・ロック、ファンクからラテンまで広がる音楽の系譜、『花』『夜汽車』に濃厚に伝わるフォーク音楽の感触など、極めて多様な音楽から成り立っている。多面体ではあるが、多面性に分裂しているわけではない。核には、「フジファブリック」と名付けるしかない音楽がある。

 歌詞の言葉も多面体を形成している。歌の主体そして作者の志村正彦という存在に対して、ある面から見る像と他の面から見る像とは異なる。複数の志村正彦が多面体の鏡面に写し出されている。
 しかしまた、その多面体を横断していくと、反復しつつ緩やかに変化し、再び重なりゆく言葉の群に遭遇することもある。
  アルバム『フジファブリック』には、例えば、次のような言葉の群がある。

 その町に くりだしてみるのもいい
 桜が枯れた頃 桜が枯れた頃                    [桜の季節]


 想像に乗ってゆけ もっと足早に先へ進め   [TAIFU]
 
   やんでた雨に気付いて 慌てて家を飛び出して   [陽炎]

 飛び出すのは 時間の問題さ               [追ってけ追ってけ]

  かばんの中は無限に広がって
 何処にでも行ける そんな気がしていた        [花]


   ならば全てを捨てて あなたを連れて行こう
 今夜 荷物まとめて あなたを連れて行こう    [サボテンレコード]


  僕は残りの月にする事を
 決めて歩くスピードを上げた               [赤黄色の金木犀]


  長いトンネルを抜ける 見知らぬ街を進む
 夜は更けていく 明かりは徐々に少なくなる      [夜汽車]


 歌詞の中から、動詞による表現を抜き出してみよう。
 くりだす[桜の季節]、乗ってゆく・先へ進む[TAIFU]、(家を)飛び出す[陽炎]、飛び出す[追ってけ追ってけ]、(何処にでも)行く[花]、(連れて)行く[サボテンレコード]、歩く(スピード)[赤黄色の金木犀]、(街を)進む [夜汽車]。動詞が志村正彦の詩的世界の中心を形成している。

 行く、歩く、進む、飛び出す、乗ってゆく、くりだす。
 各々の詩的世界の差異を超えて、ある地点からある地点へと移動する、ある場からある場へと通り抜けていくというモチーフが貫かれている。場所は、故郷の路地裏であったり、都会の街路であったり、時間も、現在進行形であったり、回想であったりする。

 具体的な引用を省いて、結論だけ述べるが、欧米から日本のロックまで、その歌詞の中心に、《こちら側から向こう側の世界へと通り抜けていく》というテーマがある。「旅」であれ「脱出」であれ、繰り返し繰り返し、向こう側へと通り抜けていく。今日、それは「ロックの幻想」として片づけられてしまうかもしれないが、「幻想」は「幻想」ゆえの現実感をいまだ保ち続けている。「幻想」から「幻想」へと通り抜けていくのも、ひとつの「現実」であるかのように。

 アルバム『フジファブリック』で志村正彦が表現した世界を、もう少し微細に眺めてみよう。彼の描くのは、作品内の現実の出来事であったり純粋な想像の出来事であったりする。出来事の虚実も多様だ。
 それは、「桜が枯れた頃」という奇妙な季節に「くりだしてみる」「のもいい」と語られるような《未来》の出来事であり、現在の〈僕〉の「胸を締めつける」《残像》の中の世界であり、「想像に乗ってゆけ」という文字通り《想像》の姿であり、「何処にでも行ける」という可能性の《予感》であり、「連れて行こう」という《今だ実行されていないこと》への決意である。

 志村正彦は何処から何処へと通り抜けようとしていたのだろうか。 
      (この項続く)

2014年3月16日日曜日

「桜が枯れた頃」 -CD『フジファブリック』6 [志村正彦LN73]

 甲府盆地はここ数日でようやく春めいてきた。今後の気温上昇が予測され、桜の開花は例年並みとなるようだ。例年、甲府は3月末か4月初め、富士吉田は4月中旬頃なので、4月13日、『Live at 富士五湖文化センター 上映會』の頃には桜が咲き始めているだろう。

 本題に入る前に少しだけ余話を。昨日は、ヴァンフォーレ甲府の応援に小瀬のスタジアムまで出かけた。甲府サポの私にとっては、毎年、Jリーグの開幕が春の訪れを告げるものとなる。今回の開幕は、あの記録的大雪の影響で、1日の鹿島戦の会場が小瀬から東京の国立に移された。Jリーグ史上初の出来事だった。だから昨日がほんとうのホーム開幕戦となる。対戦相手は新潟。甲府サポーターが、あの大雪の際に「最強の除雪隊」を派遣してくれた新潟県への感謝を表す。山梨と新潟のエールの交換だ。
 クラブチームのサッカーは、様々な国籍、民族、人種の選手が共に力を合わせる場だ。「拝外主義」の対極にあるもので、それが魅力となっている。山梨の地でブラジルやインドネシアの選手がピッチに立つ。このような閉塞した時代では、そのこと自体にとても意味があるのだ。試合の結果は1対1の引き分け。勝機も充分にあったので残念だが、勝ち点1を得たことを喜ぼう。勝ち点1には「分かち合い」という美学と思想がある。

 『桜の季節』が、『桜並木、二つの傘』というもう一つの桜の歌と共に発表されたのは、2004年4月14日のことだ。十年経つが、この歌の独創性は色あせることがない。最近、ユニバーサル ミュージックから『SAKURA SONG ALBUM』がリリースされた。このアルバムは2000年以降の桜の名ラヴ・ソングが主に集められ、『桜の季節』も収録された。この盤はまだ未聴だが、おそらく、『桜の季節』は他の「桜ソング」とは際立つ差異を持っているだろう。志村正彦も定型的な歌にしないためにかなり力を入れて創作したに違いない。「桜ソング」という美しい歌の並木の中で、『桜の季節』は慎ましく、気高く、その姿を現している。屹立した一本桜。志村正彦にふさわしい絵図だ。

 この孤高の桜ソング『桜の季節』を1曲目にしたため、メジャーデビューCD『フジファブリック』はリリースされた。歌詞は次の四つのブロックから成り、第1と第2のブロックが繰りかえされる。

  桜の季節過ぎたら
 遠くの町に行くのかい?
 桜のように舞い散って
 しまうのならばやるせない

 oh ならば愛をこめて
 so 手紙をしたためよう
 作り話に花を咲かせ
 僕は読み返しては 感動している!

 oh その町に くりだしてみるのもいい
 桜が枯れた頃 桜が枯れた頃

 坂の下 手を振り 別れを告げる
 車は消えて行く
 そして追いかけていく
 諦め立ち尽くす
 心に決めたよ

 第1ブロックの言葉を、歌の主体「僕」の発話だと捉えてみると、歌の主体は、「桜の季節」が「過ぎたら」という時間を設定している。桜が花を咲かせる時ではない。桜の花が散る時でもない。桜の季節自体が過ぎてしまうという時の設定は、普通の桜の歌にはありえない。時間の捉え方が独創的だ。「桜の季節」「過ぎたら」、その未来に設定された時間の中で、主体は誰とも分からない他者に対して、「遠くの町」に「行くのかい?」と問いかける。そして、歌の主体「僕」は「やるせない」とも感じる。この感情は、「桜のように舞い散って」「しまうのならば」という未来の時間においてのある仮定を先取りする形で、歌の主体に訪れる。

 第3ブロックに入ると、歌の主体「僕」の相手である他者が「行く」「遠くの町」に「くりだしてみるのもいい」という、やはり未来の時間が仮定されているが、それは「桜が枯れた頃」という季節だ。この楽曲で最終的に歌われているのは、「桜が枯れた頃」、その季節の風景だ。その解釈は難しい。桜の「冬枯れ」の季節なのか、桜の樹そのものの「枯死」を迎える季節なのか。どちらにしろ、「桜が枯れた頃」の情景には、桜の「死」が濃厚に漂う。おそらく、「桜が枯れた頃」に「その町」に「くりだしてみる」のは不可能なのだ。すべては遅すぎる。歌の主体は「その町」にたどりつくことはできない。歌の主体は「その町」に住む他者と再び会うことはない。

 志村正彦の凄いところ、おそろしいほど深いところは、常にすでに、この「桜が枯れた頃」と指し示されるような時間からの視点、未来の無あるいは不在、究極的には死という視点から、歌が創造されていることにある。だからこそ、彼の歌には深い哀しみと儚さ、美しさと余白のように語られる愛の感触がある。

 商業音楽という制約が大きい場でそれを成し遂げたの希有なことだが、そのことの意味と価値はまだまだ理解されていない。彼の友人の音楽家、熱心な聴き手には共有されていても、いわゆる「音楽業界」の人、メディアやライターたちの中でほんとうに理解している人は少ない。紋切り型の業界用語やライター用語で語っているだけだ。ここ2年の間、集中的に様々な書籍、雑誌、webを見てきたが、一部の例外を除いて、志村正彦在籍時のフジファブリックの試みが正当に評価されているとは言い難い。70年代以降のロック音楽批評の衰退というか退廃については、別の機会でじっくりと論じたい。

 さらに書くならば、日本語のロックという枠組を超えて、近代詩・現代詩を含めた、日本語の歌、詩的表現の歴史の中で、志村正彦の作品は評価されるべきだと考えている。
 昨年の春、3月に始まった「志村正彦LN」も一年が経過し、今回が73回目となる。およそ5日に1回のペースで、初志は貫徹できていると思う。50,000ビューを超えることもでき、拙文を読んでいただいている方々には深く感謝を申し上げます。
 志村正彦の正当で正確な評価を求めて、書かねばならないことは沢山あり、様々なテーマを同時進行で準備中だが、一つひとつ丁寧に時間をかけてまとめ、掲載していきたい。

   (この項続く)

2014年2月9日日曜日

手紙-CD『フジファブリック』5 [志村正彦 LN70]

 一昨日夜からの大雪で山梨は白銀の世界。甲府は40センチを超え、富士吉田も60センチ近く積もった。富士山の雪のイメージが強いせいか、山梨は雪が降る地域と思われていることが多いが、実際はそうではない。東京よりやや回数が多く、より深く積もるくらいの感じだ。20年ぶりの大雪で、昨日今日と、私たちの家と各々の実家の雪かきに大わらわだった。しかしながら、雪景色の故郷を眺められるのも、時の過ごし方としては贅沢な気がする。

 今回は「志村正彦LN」に戻り、LN63以来中断していた1stCD『フジファブリック』についての論の続きを書きたい。

 アルバム『フジファブリック』は、『桜の季節』から始まる。「東京vs.自分」の変奏として、「東京VS故郷、富士吉田」というような主題が潜在している。四季盤の春夏秋冬の最初となる春の曲だから、CDの第1曲目となったのだろうが、この曲は最初を飾るにふさわしい独特の世界を持つ。
 『桜の季節』には、《桜》という季節に特有の、「遠くの町に行く」「別れを告げる」という《出郷》と《別離》という主題が表されている、とひとまず言えるだろう。そして、《出郷》や《別離》の状況にある人と人とを結びつける《手紙》というモチーフが現れてくる。

 志村正彦は、故郷の実家に甘えていては駄目だと考え、特にメジャデビュー後はあまり帰省しなかったようだ。本当は時には帰りたかったのだろうが、その気持ちを厳しく律していた彼にとって、故郷と結びつく手紙や電話は大切なものだった。

 『音楽と人』2004年5月号に、上野三樹氏が志村正彦にインタビューしてまとめた、とても参考になる文が掲載されている。(取材日2004.3.15)このことについて『志村日記』に「今回の取材でも、様々な事を再認識した」と言及されている。メジャーデビューし、色々な取材を通じて、自らの歌詞の世界や音楽について振り返る機会が多くなったのだろう。

 -今作の「桜の季節」は手紙がモチーフですが。手紙って、よく書かれますか。

「ほとんどないです。今って、メールがあるから、みんな手紙って書かないですよね。だから誰かが時折、手紙をくれたりすると驚くじゃないですか。家の母親とかよく送ってくるんですけど。そういうハッとする感じを出したかったんです。」

 -お母さんに返事書かなきゃ。

「書かないです!恥ずかしい。(後略)」

 男性が母親からの手紙に対して、恥ずかしくて返事が書けないと言うのは、我が身を振り返ってもよく分かる。もう少し年を重ねれば違ってくるかもしれないが、20歳代の息子は母親に対して、手紙という形ではなかなか向き合えない気がする。
 志村正彦は手紙をとても大切にしていた。『志村日記』にそういう記述がある。実際に、彼は、家族、友人やファンからの手紙を全て保管していたようだ。

 上野氏は『桜の季節』の「手紙」の役割について的確な指摘もしている。

 -しかも結局書いたけど出してないでしょ、この曲。

「そうです。手紙を書いて、そこで終了している曲です。」

 -そこでまたひとりになると。

「そうですね。」

 作者自身が「手紙を書き、そこで終了している曲」だと述べている。言葉が発せられるが、その言葉は他者に届かない。繰りかえされるモチーフが、この歌では「投函されない手紙」に託されている。『桜の季節』の該当する箇所を引用してみる。

  桜の季節過ぎたら   遠くの町に行くのかい?
  桜のように舞い散って しまうのならばやるせない

  ならば愛を込めて   手紙をしたためよう
  作り話に花を咲かせ  僕は読み返しては感動している!
 
 『桜の季節』を聴く度にいつもある問いが頭にもたげてくる。
 「桜の季節過ぎたら 遠くの町に行くのかい? 桜のように舞い散って しまうのならばやるせない」という一節は、誰が誰に向かって発話したものなのかという問いだ。

 普通、歌の主体「僕」がある他者に向かって話しかけていると捉えられるが、この歌の場合、その逆、ある他者が「僕」に向けて語った言葉を、手紙のような形で引用しているとも考えられる。
 歌の主体「僕」は、この一節の言葉の送り手なのか、あるいは受け手なのか。そのどちらとも取ることができるのは、手紙のやりとりという相互性の効果かもしれない。

 この一節を受ける「ならば」という一語はとても解釈が難しい。「ならば」という仮定の対象が複雑だからだ。(これについては『桜の季節』論でいつか展開したい)
 とにかく、歌の主体は「ならば」と仮定して、その帰結、「愛を込めて 手紙をしたためよう」を語り出す。志村正彦は「愛」という言葉を歌詞の中でほとんど使わなかった。この「愛」も手紙に込められる愛、文面に込められる想いであり、直接、人に向けられる愛、名指しをされる愛ではない。

 その手紙は「作り話に花を咲かせ」でいる。その後、歌の主体「僕」が登場し、「読み返しては感動している!」と感嘆符で歌いだされる。
 「僕」は「作り話」を何度も読み返し、感動しているだけだ。「僕」の言葉が他者に向けられることはなく、閉じられた円環の中で反復される。
 言葉は自分自身に戻ってくる。言葉は純度を増し、「感動」するようなものに化す。同時に、そのような閉じられた行為に対する「照れくささ」や「恥ずかしさ」を「僕」は感じ始めているのかもしれない。

 あるいは、手紙に書きとめられた言葉は、現実の次元で、ある具体的な他者に向けられたものというより、何か別の次元の他者に向けられているようでもある。そう考えると、手紙自体が、言葉で表現される「歌」の比喩になる。その歌で語られる物語が「作り話」となる。
 さらに、作者としての志村正彦の次元へ接続してみると、彼の「歌」そのものが、彼を差出人、聴き手を宛先人とする「手紙」だと捉えられる。

 『桜の季節』は、志村正彦から私たち聴き手に送られた大切な手紙だ。
 そして、『フジファブリック』というバンド名を付された1stアルバムは、手紙をモチーフとする歌を巻頭にして、『夜汽車』まで続く、十を数える手紙の連作だと受けとめることができるだろう。
  (この項続く)

2013年12月14日土曜日

「聴いた人がいろんな風に受け取れるもの」-CD『フジファブリック』4 (志村正彦 LN63)

 志村正彦は1999年に山梨から東京へ上京した。この時点から、1stCD『フジファブリック』の「東京vs.自分」という主題が動きだす。2002年のインディーズCDリリースを経て、2004年のメジャーデビューまでに、5年の月日が流れた。
 彼自身はもっと前にデビューすることを想定していたようだが、懸命な努力によって、質のきわめて高い楽曲が揃ったことを考えると、この間の蓄積はむしろ必要なものだった。
 2009年12月に亡くなるまでの東京生活は10年という歳月だった。メジャーデビューまでが5年、メジャーでの活動が5年、ちょうど半々になる。メジャーでの音楽活動があまりにも短い。時の残酷さを感じてしまう。

 この間の生活は、著書『東京、音楽、ロックンロール』によると、「必死になってバイトして、空き時間みて曲作りしたりギターの練習したり」というものだった。上京した音楽家志望の若者のありふれた物語だろうが、彼は生活と音楽を両立させていた。
 志村正彦は、感受性という資質には恵まれていたが、「若き芸術家」の早熟な才能や天分というものを持ち合わせていたわけではないと私は考えている。彼のことが「天才」と評されることもあるが、そのような過剰な修辞は、彼の本質を見誤る。彼はごく普通の若者であった。自らの感受性を一輪の花のように育て、都市生活の時間との闘いの中で、言葉と曲を、少しずつ少しずつ、探りあてていった。時間に耐えられるものだけが、資質を開花させることができる。普通、苦しい時間あるいは逆に緩い時間に耐えられなくなって、断念してしまう。

 彼はメジャーデビューまでの年月を「正直言うと、頑張ったなあと思います。よく諦めなかったと思って、あの状況の中」と振り返っている。彼は「諦めない」という志を貫いた点において「英雄」ではあった。『陽炎』では「英雄気取った 路地裏の僕」と歌っている。少年時代の「英雄気取り」は、青年時代になると、歌への純粋な欲望を譲らないで生きぬいた、本物の「英雄」となった。(精神分析家ジャック・ラカンの教えによれば、欲望を譲らないで己の道を突き進む者は「英雄」である。ラカンは、「われわれひとりひとりの内に英雄への道は描かれている。そしてまさに普通の人間としてわれわれはそれを遂行するのだ」と述べている)。

 2004年11月10日、1st CD『フジファブリック』がリリースされた。メディアからも高い評価を受けたようで、BARKSのインタビュー記事[http://www.barks.jp/feature/?id=1000003876]のリード文には、「バンド名をそのままタイトルに据えた、1stにして最高傑作であり、まぎれもない自信作の登場だ」とある。2000年代、「ゼロ年代」の有望な新人として、フジファブリックは日本のロック界に迎えられた。
 志村正彦はこのインタビューで、「自身が納得のいく作品を作るには、制作過程でいろんな苦しみがあったと思うんですけど』という問いかけに対して、こう答えている。

 一曲一曲に想いを込めて書いているので、表向きのところでも深いところでも、あまり同じようなことを言いたくないっていうのがあったんですね。それは音楽をやる以前に自分の考えがしっかりしてないとできないと思うんです。
 あとは、フジファブリックの曲は、自分の意見を押しつけるというよりも、聴いた人がいろんな風に受け取れるものでありたいんですね。例えば、日常の中の一場面を切り取ったようなものだったり、その時その時に自分が感じた想いを描いたり。それは意識してというより自然にやっているところなんですが…。

 歌詞や曲作りの根本に、「一曲一曲に想いを込めて」書き、「あまり同じようなこと」を言いたくないというスタンスがあった。彼が作りあげた八十数曲は、確かに、どれも異なり、様々な「想い」が込められている。そのような姿勢を貫くために、「音楽をやる以前」の「自分の考え」を重んじていた。音楽以前の人生が音楽を作る、そのような信念を持っていた。

 彼が自らの作品を「自分の意見を押しつける」より、「聴いた人がいろんな風に受け取れるものでありたい」と言い切っているのが、特に注目される。「自分の意見を押しつける」種類の歌が多い中で、聴き手が多様に感じ取れる歌を、彼は志向していた。このことは決定的に重要だ。このような姿勢を徹底させたことが、結果的に、彼の歌を非常に独創的なものとした。このことはすでに、「聴き手中心の歌」(志村正彦LN22)」でも書いたが、もう少し考えを深めてみたい。

 彼はそのような自分のあり方を「意識」というより「自然」にやっていると述べている。「日常の中の一場面」「その時その時に自分が感じた想い」を描く感受性。家族の愛や仲間との絆、富士吉田の自然が、彼の資質を育んでいった。このような作品作りが「自然」にできることが、彼の感受性の資質を物語っている。
 彼の歌は、いわゆる「自己表現」ではない。彼の歌を聴きこみ、読み込んでいくと、織物のように複雑な色合いで編み込まれている言葉や楽曲の中に、「志村正彦」が浮かび上がってくる。もとから、「志村正彦」という図柄がはっきりと刻印されているわけではない。
 このことを的確に言葉で表すことができなければ、批評とは言えない。現在の私はまだ漠然とつかんでいるだけだ。これを追うことが、「志村正彦LN」の主要な主題となるだろう。
  (この項続く)


付記

 私自身が、志村正彦、フジファブリックと出会ったのは、2010年初夏のことだ。(その出会いの契機と経緯については、稿を改めていつか書きたい。)だから生前の彼については全く知らない。私にとっては「作品」としての志村正彦、フジファブリックが全てある。必然的に、この「志村正彦LN」も「作品」についての思考が中心となる。

 現在、私が偶々山梨に生まれ住んで、地元でのつながりを通して、富士吉田でのイベントにも関わるようになり、間接的ではあるが、志村正彦の生の軌跡について知ることとなった。そのような縁に恵まれ、「作品」を作りだした「人」としての彼についての理解が少しずつ深まるようになった。 しかし、いくつかの事柄を除いて、そのことを直接書かないようにはしている。偶々にすぎない「つながり」を特権化したくないからだ。これまで知られていない彼の生の軌跡、評伝的事実は、いつの日か、適切な形で公刊されるべきだ。
 「人」としての彼を理解することが、「志村正彦LN」を書いていくことを一方で支えているのは確かだ。そのことには深く感謝している。直接表されなくても、文の行間や余白に、彼の生が刻まれるように書いていきたい。偶然を必然に転換することが書くことの意義だと考える。

 私が日本と欧米のロックシーンをある程度まで追いかけてきたのは、90年代半ば、年齢にして三十歳半ばくらいまでだ。よくある話しだが、持続的に聴きたいアーティストが固定されてくると、やはり、シーン全体への関心は薄らいできてしまう。だから90年代後半からゼロ年代にデビューした音楽家については、少数の例外を除いて知らない。フジファブリックについても、『山梨日日新聞』の記事でその名は知っていたが、結局、聴いてみることはなかった。自らの不明を恥じている。
 だから今、90年代後半からゼロ年代のロックを集中的に聴いている。それまでの日本語ロックにはない、新しい表現を模索するアーティストがいて、驚くこともある。
 ここ十数年のロックに「遅れてきた中年」としての私は、最近やっと、この時代の音楽に出会いつつある。

2013年12月8日日曜日

アルバムのテーマ-CD『フジファブリック』3 (志村正彦LN 61)

 今回は、LN56・57に引き続き、2004年11月10日リリースの1st CD『フジファブリック』に焦点を当てて、アルバム全体のテーマ、その詩的世界について論述したいのだが、その前に、志村正彦、フジファブリックが作ったアルバム全体を振り返ってみたい。

 志村正彦在籍時のフジファブリックのアルバムは、2枚のインディーズCD、1枚のプレデビューCD、4枚のメジャーCD(+1枚の遺作CD)の計7(8)枚になる。各々にCD全体を通じたコンセプトがある。彼は『CHRONICLE』発表時に次のように語っている(インタビュー・文 久保田泰平氏[http://musicshelf.jp/?mode=static&html=series_b100/index  ]

 ファースト・アルバムは東京vs.自分、セカンド・アルバムは当時の音楽シーンvs.フジファブリックっていうテーマがあって。で、前作の『TEENAGER』は東京vs.東京が好きになった自分、なんでもない日常だけど前向きに生きていればいいことあるさっていうテーマがあったんですけど、そこで思い描いていた自分のイメージにその後の自分が届いてないように思えたんですね。だから、今回は音楽vs.自分みたいな、そのぐらいまで根詰めてやってましたね。

 志村正彦がどれだけ自覚的にアルバムを作り、自分自身とフジファブリックの進む道を見いだそうとしていたことがよく分かる発言だ。テーマを作品名・発売日と共に挙げてみる。

 1st  2004年11月10日 『フジファブリック』    東京vs.自分
 2nd 2005年11月 9日  『FAB FOX』           当時の音楽シーンvs.フジファブリック
 3rd 2008年1月23日   『TEENAGER』         東京vs.東京が好きになった自分
 4th 2009年5月20日   『CHRONICLE』        音楽vs.自分

 4枚のアルバム各々が、「自分」あるいは「フジファブリック」を定点にして、それと対峙するテーマを決めていった。最初からそのようなテーマとその展開があったというよりも、試行錯誤の果てに掴んでいったものだろう。この四つのテーマは作者側からの《自注》だから、当然といえば当然なのだが、志村正彦の言葉は非常に的確で、アルバムを捉える視点を聴き手に与えてくれる。

 志村正彦を中心として、フジファブリックの歴史を振り返るのなら、インディーズ[SONG-CRUX ]の2枚+プレデビューCDが《初期》、メジャー[EMIミュージック・ジャパン]1st・2ndが《前期》、3rd・4thが《中期》、と位置づけられるのではないのか。私の試みの区分である。

 1st 『フジファブリック』のテーマは「東京vs.自分」であるが、「東京vs.自分」の変奏として「東京VS故郷」、「東京VS富士吉田、山梨」というようなテーマもある。「四季盤」の春夏秋冬の楽曲も、「東京VS故郷」の季節感の対比が、意識的にも無意識的にも、発想の根底にあるだろう。花・植物の歌もそのような系譜にある。そして何よりも、「東京vs.自分」という立ち位置から来る「不安」な感覚がどの曲にも潜在している。そして2nd『FAB FOX』になると、1stで早くも確立したフジファブリックの音楽の可能性を「当時の音楽シーン」の中でより多様に展開していく。
 1st・2ndをリリースして、志村正彦は自分自身とフジファブリックを、きわめて独創的な「日本語ロック」の作り手とバンドとして確立した。これが《前期》の達成点であり、彼の資質の全面的な開花があった。

 3rd 『TEENAGER』の「東京vs.東京が好きになった自分」、「なんでもない日常だけど前向きに生きていればいいことあるさっていうテーマ」という言葉はまさしく、このアルバムを代表する『若者のすべて』の注釈として受けとめることができる。1stの「東京vs.自分」の「自分」は東京との葛藤を抱えている自分であるのに対して、3rdには確かに、「東京」に溶けこみつつある「自分」の「日常」が描かれている。『若者のすべて』の歩行の系列の風景も東京である。
 4th『CHRONICLE』について、3rdで「思い描いていた自分のイメージにその後の自分が届いてない」ように思え、「音楽vs.自分」というテーマを「根詰めて」やったという発言は、彼らしい真摯な追究の仕方だ。「音楽vs.自分」は「自分vs.自分」にまで深まり、年代記らしく「タイムマシーン」にも乗って、自分の過去と現在に向きあった。三十代を目前とした彼の眼差しには深さと豊かさが加わり、《中期》の豊穣ともう一度原点に戻ったかのような純粋さを併せ持っていた。
 彼自身は、先ほどのインタビューの続きで「28歳」という年齢に関連してこう述べている。

 まあ、28歳って考えますよね、今後の人生を。果たして音楽を続けていけるのか……とか。今回は、そのぐらいの意志を込めてアルバムを作って、全作詞作曲をして吐き出した感はありますね。

 あれだけの仕事を成し遂げたにも関わらす、「果たして音楽を続けていけるのか」という発言には、私のような単なる聴き手には想像できないような厳しさがリアルに響いている。『CHRONICLE』が転機となる作品だったことは間違いない。

 これからは区分を超えた私の勝手な推測だが、志村正彦の《フジファブリック》というバンド・コンセプトは、存在することができなかった5th(当然、現『MUSIC』とは異なるもの)、そして6thか7th あたりで、一つの完結を見たのではないだろうか(完結ではなく、一つの大きな区切りと考えてもいいが)。幻となった5th・6th・7th等がリリースされたとしたら、それが《後期》のフジファブリック作品となったことだろう。

 多くのロックアーティストは、十代の感性を起点として初期作品を作り、二十代に代表作を作り、二十代後半から三十代前半までに最初の円熟を迎える。それ以降も優れた作品を作り続けるアーティストもいるが、バンドを解散したり休止したりしてソロアーティストになったり、解散しないまでもソロ活動や別のバンドを作ったりすることが多い。
 志村正彦は、三十代・四十代になっても五十代・六十代になっても、素晴らしい作品を作り続けたことだろう。そしてその作品は、今私たちが聴いている歌とはかなり異なる作風になったような気もする。

  彼の命日が近い。
 現実の彼は、《後期》作品も三十代以降の作品も作りだすことはできなかった。私たち聴き手の哀しみや嘆きは尽きることがないが、今ある八十数曲の作品が、志村正彦から私たちに届けられた、かけがえのない贈り物であることに、私たちは深く感謝すべきだろう。
 二十代最後までという限られた時間の中で、これだけの数のきわめて高い質を持つ、あからさまではなく、そっと静かに聴き手の心に寄り添うことができるような、愛のある歌は、洋楽・邦楽のロックの歴史を通じて、他にはないのだから。
  (この項続く)

2013年11月17日日曜日

「レコード持って」-CD『フジファブリック』2 (志村正彦LN 57)

 前回、メジャー第1作CD『フジファブリック』がアナログ盤LPレコードとして発売されたらという「ないものねだり」の夢想を語った。
 とは言っても今、私自身、学生時代によく聴いていたLPレコードとプレーヤーは物置に置いてある。ほとんどCDで買い直してあるのだが、それでもやはり、LPを処分することはできない。いつだったか、20年ぶりくらいに、レコードを梱包した包みをほどいたことがあった。封印を解くかのように現れたLP盤、ジャケットのデザイン、絵や写真やロゴ、紙製であるゆえのやわらかい手触り、物質としてのレコードはとても強い記憶の喚起力を持っていて、私はすぐに学生の頃住んでいた東京のアパートの部屋にワープしていった。

 おそらく今よりももっと切実に音楽を聴いていた日々があった。十代から二十代の感性でしか出会えないような音楽がある。切実に向き合うという意味で。ロックはそのような経験の代名詞だ。現在の私はその経験の残滓を言葉で補填して、このようなエッセイを書いているにすぎない。(もちろん、言うまでもなく、どのような年代にでも、音楽は開かれている。ただし、ロックの場合、ある種の若さ、未熟さのようなものが出会いの契機となり、聴くことを深めていく。それは若者の特権でもある)

 『フジファブリック』収録曲に、『サボテンレコード』という、志村正彦でしか作りえないと断言できるような歌がある。彼の音楽的な素養が、狭義のロックを超えて、より豊かなものであったことを証明する楽曲だが、歌詞も、「ちょっとへんてこりんなのに、せつなく、いとしい」という、彼の独創的な歌の系譜に位置する作品だ。
 歌の主体は、「ならば全てを捨てて あなたを連れて行こう」と決意する。

  何も意味は無かったが ステレオのスウィッチ
  入れて 30年遡り かけた音楽
  それはボサノバだったり ジャズに変えては まったり
  リズム チキチキドン チキチキドンドコ


 音楽は時間を遡る。「何も意味は無かったが」、それはかけがえのないものだ。「チキチキドン チキチキドンドコ」のリズムにのって、人を大切な時へと瞬間移動させる「タイムマシーン」だ。
 だから、「全てを捨てて」も音楽を捨て去ることはできない。「今夜 荷物まとめて」、「サボテン持って レコード持って」旅立つことになる。花を咲かせることのあるサボテン。アナログ盤にまちがいないレコード。志村正彦らしいアイテムだ。
 

 今、アナログ盤をめぐる状況はどうか気になったので、ネットで調べてみた。RO69がNMEと提携しているニュース(2013.10.18)に、「英アナログ盤が過去10年で最大のセールスに」と題した記事が掲載されていた。(http://ro69.jp/news/detail/90762
 すでに昨年比100パーセント以上の売上増となり、アルバム全体のシェアでも0.8パーセントとなってるそうだ。イギリス・レコード産業協会(BPI)代表ジェフ・テイラー氏の言葉が紹介されている。

 アナログ盤について私たちは今その復活を目撃しているわけで、もはやレトロ好きのものではなくなり、音楽ファンにとってますます一つの選択として注目されてきているのです。今もマーケット全体に占めるシェアは小さいものですが、大抵はMP3のダウンロード・コードも付録としてついてきているアナログ盤レコードの、特に12インチというサイズのジャケットに施されたアートワークやライナーノーツ、またその独特なサウンドの魅力を新しい世代のリスナーが発見していて、それに伴って売上は急速に伸びています。

 やはり、ジャケットのアートワーク、ライナーノーツ、独特なサウンド、という三つの魅力が指摘されている。それに加えて大抵はMP3のダウンロード・コードが付いているのは初めて知ったが、こういうアイディアにはとても感心した。つまり、コレクションアイテム、愛蔵品としてはアナログ盤、デジタル音源としてはMP3、両者の良さを合わせ持った「ハイブリッド」的な商品作りをしている。その観点からすると、コンパクトディスクはデジタル音源の記録媒体としての意味合いしかなくなり、魅力のうすい中途半端なものとなるだろう。
 このような商品の場合、コスト増は否めないが、パッケージメディアがこれからも商品として存続するためには、このような試みも必要だ。試行錯誤が今後も続くのだろう。

 志村日記(『東京、音楽、ロックンロール 完全版』[ロッキング・オン])の2006年3月8日の記述「でかけた」にはこうある。 

で、昨日は片寄さん夫婦宅にお邪魔しました。譲ってもらうレコードプレーヤーを取りにいったんですが、色んな話をしました。

ビートルズのオリジナル盤も聴かせてもらいました。PUNKでした。宝の山でした。片寄さんもオタクど真ん中です。俺も欲しい盤あるから気合い入れてレコード屋へ足を運ぼうかなと。

 片寄明人・ショコラ夫妻にも感化されて、志村正彦のレコード愛も高まっていったようだ。彼が一番、フジファブリックのCDのアナログ盤を欲しがっていたのかもしれない。この日の日記を読んで、そんなことをしきりに想う。
  (この項続く)

2013年11月10日日曜日

ないものねだりの空想-CD『フジファブリック』1 (志村正彦LN 56)

 9年前の今日、2004年11月10日に、フジファブリックのメジャーデビュー作『フジファブリック』がEMIジャパンから発売された。すでに、インディーズでの2枚のCD『アラカルト』『アラモード』、それらの楽曲を再録音したプレデビューCD『アラモルト』の3枚の「アラ~」アルバムが発表されていたが、この日は、メジャーという世界にアルバムデビューした記念すべき日だ。今朝から繰り返し聴き、思い浮かんできた様々なことを、数回に分けて書き連ねたい。

 コンパクトディスクを手に取る。柴宮夏希さんと志村正彦自身によるジャケットのデザイン。フジファブリックのメンバー5人が溶け出すような不思議な絵と七色の虹のような線が独特の印象をもたらす。歌詞のブックレット、内側にスタジオでのメンバーの写真。その部屋のモチーフがデザインされ、CDの表面にモノクロでプリントされている。クレジットのSPECIAL THANK の冒頭には、オリジナルメンバーだった渡辺隆之の名。志村正彦の彼に対する想いが伝わる。

 そのうち、このCDがLPレコードのアナログ盤として発売されていたらどうだったのか、というあるはずもない想像をして遊ぶことになった。「ないものねだり」の空想だ。
  柴宮さんのイラストはもっと大きな面の方が栄える。虹色の7本のラインもすっと延びて、見開きの裏側には、全10曲の歌詞が並んで、志村正彦の詩的世界が広がる。こんなジャケットであれば、部屋の一角に立てかけておくか、フレームに入れて壁に飾るか、色々と工夫ができる。

 私たちのような、70年代前半のLPレコードのジャケットの黄金時代に、ロックのアルバムを聴き始めた世代にとって、80年代以降のCDへのメディア変更による、30センチ四方の紙製ジャケットという「キャンパス」の喪失は何よりも残念なことであった。特に、70年代前半の英国ロックのジャケットは、極東の島国に住む若者たちにとって何よりも、ポップな「アート」を感じさせるものだった。(長い時間にわたるが、CDが売れなくなってきたのは、このようなアートが失われてしまったからだという気もしている)

 いつもはPCに接続した小さなスピーカーで聴きながら原稿を書いているが、今日は「ステレオのスウィッチ入れて」、ヴォリュームを上げ、大音量で鳴らした。
 ロックだ。あたりまえのことかもしれないが、ものすごく「ロック」を感じる。それも70年代前半の「ニューロック」(懐かしい言葉だ)と呼ばれていた時代の音の感触に近い。「ニューロック」をバンド名で象徴するのなら、レッド・ツェッペリンになるだろうか。歌詞と楽曲が、言葉とサウンドが、それ以前の時代の「ロック」や「ロックンロール」より、はるかに高度に美しく結びついたのが「ニューロック」だった。

 音源そのものも、デジタルっぽくないというかアナログのような感じがする。加工しすぎていない、素のサウンド、素のうねりのようなリズムを活かしている。プロデューサーの片寄明人は「僕は少なくともこの1stアルバムまではメンバーの音だけで、しかもアナログな音で創り上げるべきだと強く思っていた」と書いている(『フジファブリック4』(片寄明人 公式Facebook、https://www.facebook.com/katayose.akito/notes)。 『FAB BOOK』にもメンバーによる同様の証言があるが、このねらいは充分に実現されている。ロンドンのアビーロードスタジオで、スティーヴ・ルークによるマスタリングが施されたことも大きいのだろう。

 LPレコードであれば、当然、A面とB面という構成になる。全10曲だから5曲ずつになるだろう。

  A面
   1.桜の季節
   2.TAIFU 
   3.陽炎 
   4.追ってけ追ってけ
   5.打上げ花火 
  B面
   1.TOKYO MIDNIGHT
   2.花
   3.サボテンレコード
   4.赤黄色の金木犀
   5.夜汽車

 想像の世界で、LPをターンテーブルに置く。A面、表面は、『桜の季節』という「始まり」の季節、『陽炎』という「追憶」の季節、志村正彦にしか表現しえないような春・夏盤のモチーフ、「TAIFU」「追ってけ追ってけ」のユニークなリズムと言葉の感覚、「打上げ花火」のプログレッシブ・ロック風味の展開というように、「クラッシック・ロック」の王道を踏みしめると共に、「類い希な日本語ロック」の道を歩み始めている。

 LPをひっくり返す。B面は、裏面らしく、「TOKYO MIDNIGHT」から「夜汽車」へと、A面最後の「打上げ花火」から続く「夜」の時間が底流にある。「花」「サボテンレコード」「赤黄色の金木犀」という流れ、花や植物という志村正彦の愛したモチーフが続く三つの作品。季節は秋へと移り、「夜汽車」で帰路につくように静かに終わっていく。A面の「動」と「昼」、B面の「静」と「夜」という対比も、仮想の聴き手は感じとるだろう。そして、この音源には黒いビニールのLPレコード盤がしっくりくるような気がしないだろうか。

 ここまで書いてくると、『フジファブリック』のアナログLPを現実に欲しくなってくる。「ないものねだり」の欲望だと思われるかもしれないが、もうすぐbloodthirsty butchersの「kocorono」が限定1000セットで初のアナログLPになって発売される。5月に急逝した吉村秀樹(孤高の優れた歌い手であり詩人である。かつて志村正彦も一緒に小さなツアーをしたことがある)の長年の希望だったようだ。このような追悼の形は音楽家への敬意があふれている。

 来年は、フジファブリックのメジャーデビュー10周年となる。志村正彦在籍時のフジファブリックを新たに見つめ直す良い契機となる。収録済みだが未発売のライブの音源・映像などがまだいくつかあると思われる。フジファブリックのファンはそのような音源・映像を今まで「ないものねだり」してきたのだが、少しでもいいから、「ないもの」が「あるもの」になりますようにと、願わずにはいられない。
  (この項続く)