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2018年9月26日水曜日

フジファブリック・奥田民生・綾小路翔(日本テレビ『スッキリ』)[志村正彦LN198]

 今日の甲府盆地は雨に煙り、涼しく、秋めいてきた。富士山は初冠雪だったそうだ。昨日からほのかに金木犀の香りも漂う。

 本日、9月26日、フジファブリックが日本テレビ系『スッキリ』の「HARUNAまとめ」コーナーに出演すると知ったが、あいにく山梨県内の系列局では別番組が放送されていて見ることができない。あきらめていたのだが、夜になって映像サイトにUPされていることに気づいた(感謝)。早速拝見したが、予想よりはるかに丁寧に志村正彦とフジファブリックの軌跡をたどっていた。映像が消えないうちに放送内容をワープロで打ってこのblogに記しておきたい。ネット上のテキストとして記録していくことも「偶景web」の目的である。

 番組はハリセンボンの近藤春菜によるナレーションで進行した。はじめに今年の夏に注目を浴びた『若者のすべて』MVの映像を流し、志村正彦の歌う表情が大きく映し出される。続いて、槇原敬之( Listen To The Music The Live 2014年)、桜井和寿・スガシカオ(ap bank fes 2018年)のライブ映像を紹介し、様々な大物アーティストにカバーされていることを伝えた。春菜さん自身、十年ほど前から大好きになったと述べていた。

 『赤黄色の金木犀』MV、『陽炎』ライブ(渋谷公会堂 2006年)、『虹』ライブ(ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2008年)、『銀河』ライブ(COUNT DOWN JAPAN 0809年 → 富士五湖文化センター 2008年)でフジファブリックの歴史をまとめた後で、春菜さんのナレーションでこう告げられた。

そんなまさにバンドとしてこれからって思っていた矢先
2009年12月24日(テロップ)
ヴォーカル&ギターの志村正彦さんが29歳の若さで急逝

 この後、奥田民生のコメント映像に切り替えられた。(背後に流れたのは志村による『茜色の夕日』、その後、フジフジ富士Qでの奥田の『茜色の夕日』へと変わった)
 よく知られたことだが、志村正彦は奥田民生に大きく影響されて音楽家を目指した。奥田の発言をできるだけ忠実に文字に起こす。


音楽に対してすごい真面目だったでしょうし、曲を作ったりすることを、すごい、なんていうんですかね、楽しんで積極的にやっている印象はあったし、この先というかね、本当は変わっていくところが、変わり始めるタイミングのような気も少ししてたんで、それも見たかったですけどね。

人が減ってね、その当然音が変わるのは当たり前で、その中でまあ新しい曲と昔の曲も交ってますし、昔の曲もね、昔のようにやってるわけではない。もう新しいものになってますから。それもなんかまあ、僕が見る限りすごい自然にこうどちらかが浮くこともなく、なんかこう調和してる気がしますね。違うものになれって言ってるわけじゃないけど、なんかこう変わっていく楽しさみたいなものがね、やっていただければと思います。


 奥田のコメントの後、志村正彦を失った後のフジファブリック、山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一の三人によるフジファブリックに焦点が当てられる。『夜明けのBEAT』(制作の経緯と『モテキ』にも触れて)、『SUPER!!』、『カンヌの休日』、『電光石火』、『手紙』のMVやライブ映像が続いた。
 綾小路翔(氣志團)のコメントもあった。彼は志村のバイト先「東高円寺ロサンゼルスクラブ」の先輩であり、デビュー前からの良き理解者だった。綾小路の発言も文字化する。


世の中にフジファブリックを知らしめた4人のうちの3人が引き継いで、そして今まったく違う新しいものになっていってる、極めて珍しい例だと思うんですよね。そこの妙な感じが俺はフジファブリックの一つの魅力なんじゃないかなというふうに思ってるんですけど。

この間もフェスで久しぶりに一緒になってずっと見てたんですけど、新しいものにもうなってるなって思って、またあの3人になってからの自由さみたいなものも感じて、それまでとはまた全然違うんだな、違う別バンドなんだな、でも、なんか残ってるものは残ってる。だから全部が妙なんですよ。妙ですごくいいっていうか、クセになるっていうか。フジファブリックにしか出せないメロディとグルーヴと存在感っていうのがね、彼らにしかできないほんとone&onlyですよね。


 奥田民生と綾小路翔の表情と声のトーンにリアリティがあった。各々の「キャラクター」ではなく、「人」としての「素」の想いが伝わってきた。(そのことは文字では表せないので、できれば映像をそのまま見ていただきたい)特に奥田の「本当は変わっていくところが、変わり始めるタイミングのような気も少ししてたんで」はいつまでも記憶すべき言葉だ。奥田だからこそ見えていた(奥田にしか見えていなかった)志村の姿がそこにはある。綾小路の「違う別バンドなんだな、でも、なんか残ってるものは残ってる」も正直で的確だ。
 奥田の言う「変わっていく楽しさ」、綾小路の言う「妙ですごくいい」。二人の先輩の言葉は、現在の三人にとってとても有り難いものとなったことだろう。

  最後は『若者のすべて』と新曲『Water Lily Flower』(映画『ここは退屈迎えに来て』主題歌)のスタジオライブ。(ドラムはBOBOさんで4人編成)『若者のすべて』は一部が演奏されただけだが、これまで何度も聴いた山内総一郎ヴァージョンの中では最も良い出来映えだったと思う。山内の歌い方が自然だった。以前より歌詞のニュアンスを生かすことができている。
 来年の15周年企画、新しいミニアルバム『FAB FIVE』に触れ、「天の声」の愉快な喋りも降ってきて、番組は終了した。

 志村正彦のフジファブリック、そして現在のフジファブリック。朝の全国放送の地上波にもかかわらす、18分近い時間をかけて丁寧に構成したことに出演者と番組制作者の愛を感じた。今年の『若者のすべて』の季節の終わりをまさに締めくくる番組だった。


2018年9月20日木曜日

堕落モーションFOLK2 、LOFT HEAVENで。

 昨夜、9月19日、渋谷「LOFT HEAVEN」の『RESPECT vol.2』堕落モーションFOLK2/成山剛のライブに行ってきた。7月にオープンしたこの会場は九つ目のロフトになるそうだ。今はもうない西新宿の「新宿ロフト」が僕のライブハウス体験の原点。ロフトが今でも成長し続けていることを「RESPECT」したい。

 今年の夏はどこにも行けなかったので東京小旅行の気分だった。新宿でランチの後、新宿シネマカリテで『顔たち、ところどころ』(Faces Places)を見た。映画監督アニエス・ヴァルダと写真家でアーティストのJRがフランスの田舎を旅しながら、村々に住む人々の「顔」の大きな写真を貼り出すドキュメンタリー作品。人々の「顔」が、「ところどころ」のその集積がとてつもない「アート」となっていた。難解さや独りよがりなところのないとても愉快な映画だ。固定的なアート観を揺さぶり、覆す力を持つ。

 渋谷に移動。開演まで時間があったので、途中にある「渋谷ヒカリエ」11階の「スカイロビー」へ。お上りさんが文字通りのお上りさんとなる。ここからの展望は建造物がミニチュアのように立ち並んで面白い。丹下健三が設計した国立代々木競技場の特徴ある屋根も見える。ここで開かれたブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドの初来日公演に出かけたことを思いだした。『BORN IN THE U.S.A.』の時代なので、そのパワフルな歌と演奏に圧倒された。調べると1985年4月開催、当時はまだ東京で暮らしていた。色々なことが記憶から遠ざかりつつある。

 六時過ぎに「LOFT HEAVEN」へと歩き始める。地図を見ながらだったが少し迷った。きょろきょろしていると、ビルの合間の夜空に半月が現れた。よく晴れていたのでくっきりと映えて美しかった。
 「LOFT HEAVEN」に無事到着。しばらく待ってから入場。階段を降りていくと、内装のまだ新しい素敵な空間が開けてくる。





 百人ほどの椅子席が用意されていた。落ち着いて音楽を聴くのにふさわしい場だ。僕たちのような年齢になると、こういう感じが嬉しい。
 最初に成山剛の登場。ふわっとしてやわらかく綺麗な声が魅力の歌い手だった。札幌在住ということで、あの地震について触れていた。

 休憩後、堕落モーションFOLK2の登場。オリジナル曲、カバー曲、スパルタローカルズの曲を織り交ぜていた。会場の音響の特性か、安部コウセイの声、伊東真一のギターの音が耳に鋭角的に飛び込んでくる。聴覚の刺激が高まる。生で聴く彼らの歌と演奏は、当然かもしれないが、音源より力強い。

 8曲ほど聴いたところで9時を過ぎていた。渋谷から甲府まで帰るには3時間以上かかる。この日は平日。『完璧な犬』演奏後に僕たちの時間はタイムアウト。残念だが新宿に戻り、帰路につかねばならなかった。
 車窓からはずっと東京の月が見えていた。やがてそれは山梨の月となった。帰宅した時にはもう日が変わっていた。ネットを見るとセットリストを挙げてくれた方がいた。会場を出た直後、『夢の中の夢』が歌われたことを知った。

 この歌については以前このblogに書いたことがある。いつか聴いてみたいとずっと思っていた曲だった。仕方がない。次の機会を待つしかない。そんな風に自分に言い聞かせて眠りについた。この日ライブで『夢の中の夢』を聴くことは夢の中の夢となってしまった。

 今朝起きて、安部コウセイのtwitterで『夢の中の夢』の映像がアップされていることに気づいた。貴重な贈り物だ。映像という形だが記憶に残すことができる。本当に有り難い。早速再生してみた。


  友達は今日も夢の中の夢で
  終わらない音楽 鳴らし続けてる


 この歌の直前までその場、その現実の場にいたのだが、この場、この映像の場にはいなかった。不思議な感じだ。その場とこの場とがねじれて交錯して、夢の中の夢のようだった。



2018年9月16日日曜日

複雑な図柄のファブリック-『陽炎』4[志村正彦LN197]

 今日の甲府盆地は夏の揺り戻しのような天気で気温が三十一度に上がった。この夏の『若者のすべて』熱の余波なのか、最近このblogのページビューも増えている。tweetして紹介していただくこともある。ありがたい。
 今回は、この強い日差しに促されるようにして『陽炎』論に久しぶりに戻ろう。

 『陽炎』3の回で、『FAB BOOK』(角川マガジンズ 2010/06)での志村正彦の発言「田舎の家の風景の中に少年期の僕がいて、その自分を見ている今の自分がいる、みたいな。そういう絵がなんかよく頭に浮かんだんですよね」を引用して、この作品には、「少年期の僕」、「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」、「少年期の僕」と「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」の両方を「絵」として見ている自分、という三つの自分がいると書いた。

 このことに関連するもう一つの証言がある。「oriconstyle」2004年7月14日付の記事(文:井桁学)で志村は次のように語っている。


今の自分が少年時代の自分に出くわすっていう絵が、頭の中あって。そこで回想をして、映画に出てきそうなシーンを書きたいなと思って作りました。


  『FAB BOOK』の「田舎の家の風景の中に少年期の僕がいて、その自分を見ている今の自分がいる、みたいな。そういう絵」からさらに一歩踏み込んで、「今の自分が少年時代の自分に出くわすっていう絵」が頭の中にあったと述べている。今の自分が少年期の自分をただ「見ている」のではなく、「出くわす」のである。現在の自分と少年期の自分、二人の自分が遭遇する。発売当時の資料によると『陽炎』には「ワープ」というテーマがあったようだ。時の隔たりを超えてワープするようにして、現在と過去の自分が遭遇する。「映画に出てきそうなシーン」でもある。そのようなシーンの幻が『陽炎』を創り上げた。

 作者の志村はどう考えて『陽炎』を創作したのか。それに関する作者自身の発言を二つほど紹介した。歌をどのように聴こうが、聴き手の自由である。作者自身の発言に縛られる必要もない。それでも複雑なファブリックのように組織されている志村正彦・フジファブリックの作品の場合、作者の様々な発言がその織り込まれ方を解析する鍵を与えてくれることがある。自由に聴くこと、多様に考えること、その二つは共存できる。

 ここで『陽炎』のミュージックビデオをあらためて視聴したい。歌詞も付記する。
 少年期の自分、現在の自分、その二人の自分を語りあげる自分。三つの自分が絡まり合う複雑な図柄のファブリックとして『陽炎』を聴く。そのように聴くとどのような風景が描かれるだろうか。




 
    『陽炎』(作詞作曲:志村正彦)

  あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
  英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ

  また そうこうしているうち次から次へと浮かんだ
  残像が 胸を締めつける

  隣のノッポに 借りたバットと
  駄菓子屋に ちょっとのお小遣い持って行こう
  さんざん悩んで 時間が経ったら
  雲行きが変わって ポツリと降ってくる
  肩落として帰った

  窓からそっと手を出して
  やんでた雨に気付いて
  慌てて家を飛び出して
  そのうち陽が照りつけて
  遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる

  きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
  きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう

  またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ
  出来事が 胸を締めつける

  窓からそっと手を出して
  やんでた雨に気付いて
  慌てて家を飛び出して
  そのうち陽が照りつけて
  遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる

  陽炎が揺れてる


2018年9月8日土曜日

藤巻亮太ミニライブ in 小瀬

 一週間前になるが、9月1日、小瀬・中銀ズタジアムで開催のヴァンフォーレ甲府vsFC町田ゼルビアの試合前に、藤巻亮太のミニライブがあった。

 先月、藤巻はヴァンフォーレ甲府スペシャルクラブサポーターに就任した。2015年にヴァンフォーレ甲府創立50周年を記念してアンセム「ゆらせ」の作詞・作曲を手がけるなど、甲府との関係は深い。彼自身サッカーが好きでフットサルのチームも率いている。
 今回のライブは、10月7日「山中湖交流プラザきらら」で開催の音楽フェス「Mt.FUJIMAKI」のプロモーションのためだろう。僕もこのイベントに行く予定だが、その前に最近の彼の歌を聴くことができたのは幸運だった。
 
 空がまだ明るい中、アコースティックギターを抱えて登場。試合開始1時間以上前の時間帯で、チーム成績が振るわずに観客がかなり減少していることもあり、特にメインスタンドの観客の入りは淋しかった。本人もちょっと拍子抜けしたかもしれない。
 1曲目はVF甲府アンセム「ゆらせ」。アンセムにしてはかなりテンポが速いこの曲をアコギをかき鳴らして力強く歌った。(選手やサポーターにとって良い声援となったが、試合は完敗だった。審判の不可解な判定もあったが、勝利への執念と貪欲さで町田に負けていた)

 2曲目は「Mt.FUJIMAKI2018」テーマソングの『Summer Swing』。初のライブ演奏だと述べていた。
 「夏の終わり」を感じさせる曲。季節感があふれる歌詞に初期のレミオロメンを思わせるメロディ。スタジアムのPAを使っているので、音の質が悪くて気の毒だったが、そんなことを気にするでもなく堂々と声を大きく上げて歌いきった。ソロになってから試行錯誤が続いているようだが、この日の彼はどこか吹っ切れた様子で、現在の自分をアピールしていた。耳に入り込んできた歌詞の一節を引用する。


   思い出が美しいなんて まるでばかげた蜃気楼


 「ばかげた蜃気楼」という喩えは藤巻らしい言い回しだ。明るい屈折感が言葉の底に漂っている。たとえば志村正彦の描く「蜃気楼」(フジファブリック『蜃気楼』)のような混沌とした暗さはない。陰陽という差異を導入するのなら、陽の「蜃気楼」と陰の「蜃気楼」のような隔たりがあると言えるかもしれない。

 『Summer Swing』のMVがyoutubeで公開されているので紹介したい。





 母校の笛吹高校(正確に言うと彼の母校は石和高校だが、2010年、石和高校と山梨園芸高校が統合されて校名も変わり「山梨県立笛吹高等学校」となった)の終業式での演奏も入っている。山梨のロケーション撮影でいっぱいのミュージックビデオである。

 10月7日が楽しみだ。宮沢和史そして山内総一郎や和田唱と一緒にステージに立つのだろうか。そのとき何を歌うのだろうか。