一昨々日、桜座のAnalogfishとmooolsのライブに出かけた。その前に、すぐ近くの岡島百貨店という老舗の6階にあるジュンク堂書店岡島甲府店に立ち寄った。甲府では最大の書店で品揃えがとても充実している。
音楽書の売場を目指したのだが、そのコーナーの目立つ場所に「ロックの詩人 志村正彦展」のフライヤーが飾られていた。7月の志村展の際この書店に依頼したところ、こころよく、フライヤーを置いていただいた。その中の一枚が今でもこうして展示されているのだろう。
思いがけない出会いだった。心の中で、書店の担当者に感謝を申し上げた。
コーナーを回って書棚を見ると、一番左のよく見える高さの棚に、「待望の重版!志村正彦全日記集」というポップと共に『東京、音楽、ロックンロール 完全版』、「志村正彦登場!」というポップと共に『音楽とことば あの人はどうやって歌詞を書いているのか』の二つが、面陳列というのだろうか、表紙をこちら側に向けて2,3冊ずつ重ねられて陳列されていた。驚きと感激で一杯になった。
この書店を訪れた誰かが志村正彦の書物を手にすることがある。彼の言葉と出会う可能性がある。嬉しいような、切ないような、有り難いような、感情に染め上げられた。
実は、この岡島百貨店の6階にはかつて新星堂ロックイン甲府店があった。この楽器店で、高校入学の春、志村正彦はギブソン・レスポールスペシャルを購入した。初めて買ったエレクトリックギターで、アルバイトを重ねて払い終わったようだ。高校生にしてはかなり高価なもので、プロの音楽家になるという不退転の決意のようなものが感じられる。7月の志村展で展示されたので、ご覧になった方もいらっしゃるだろう。友人によると、その後も何度かここにはエフェクターなどを買いに来たらしい。
もう何年も前にこの楽器店は撤退し、その跡を含むスペースにジュンク堂が開店した。今、その音楽書のコーナーで志村正彦の著作が並べられている。
それだけのことだった。それだけのことにすぎない。
それでも、その場に、彼が還ってきたような気がした。
11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)
右下の《申込フォーム》から一回につき一名お申し込みできます。名前欄に〈氏名〉、メール欄に〈電子メールアドレス〉、メッセージ欄に〈11月15日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。(三つの欄のすべてに記入しないと送信できません)《申込フォーム》での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。 *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する連絡および今後の当会の公演案内のみに利用することをご了承ください。それ以外の利用は一切いたしません。
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2014年10月29日水曜日
2014年8月1日金曜日
永田和宏「一〇〇年後に遺す歌」 [志村正彦LN86]
八月に入った。猛暑が続く。季節は「真夏のピーク」を迎えている。ここ甲府盆地は時に全国一の最高気温ともなる地。風景がゆらゆらすると、人もゆらめく。
三日前の午後3時過ぎに、車のエンジンを付けた瞬間、ピアノの一音一音がゆっくりと車内に立ち上がった。聴き慣れた旋律、すでにある種の懐かしさすら漂わせる前奏。『若者のすべて』だ。車を走らせずに、耳と体を澄ませる。八月上旬の富士五湖での花火大会を告げるDJのナレーションと共に終了した。
車中でオンエアされているフジファブリックを聴くのは初めてだった。局は甲府にあるFM富士。リクエストは富士吉田の方。偶然のように必然のように、『若者のすべて』は放送されたのだろう。
カーラジオからミディアムバラードのように流れるこの歌は、真夏の中心を堂々と歩んでいるかのようだった。
私は志村正彦よりかなり上の世代に属する。それでも、現在の十代から私たちのような世代までを含めて、「同時代」を生き、フジファブリックを聴いている。『若者のすべて』の歌詞を引くなら、「僕ら」は「同じ空」を「見上げている」のだ。
今日はもう一つの偶然について書きたい。前回の文を公開した翌日、日本経済新聞7月27日付の文化欄に、歌人永田和宏氏の「一〇〇年後に遺す歌」という文が掲載されていた。永田氏は「歌を遺す」ことの「責任」について語る。
本来、短詩型文学の世界は、「作る」「読む」の二つの行為は不可分に結びついている。二つの行為は一つの場を形成し、秀歌を「編む」「遺す」という三つ目の行為へとつながっていく。現代という時代は、その場が失われつつある。そのような危機意識、批評意識をこめて、永田氏は今『近代秀歌』の続編『現代秀歌』を編纂していると考えられる。しかし、「編む」ことはなかなか難しい。そのための方法について氏は次のように提言している。
ロック音楽の世界でも、実作者の選択、批評家の選択、そして私たち聴き手の選択、多様な選択があってよい。選択は、選別や否定ではなく、肯定的なものだ。いい歌を選ぶのは、その歌を愛し続けることだ。だからこそ選択は絶対的な肯定だ。
三日前の午後3時過ぎに、車のエンジンを付けた瞬間、ピアノの一音一音がゆっくりと車内に立ち上がった。聴き慣れた旋律、すでにある種の懐かしさすら漂わせる前奏。『若者のすべて』だ。車を走らせずに、耳と体を澄ませる。八月上旬の富士五湖での花火大会を告げるDJのナレーションと共に終了した。
車中でオンエアされているフジファブリックを聴くのは初めてだった。局は甲府にあるFM富士。リクエストは富士吉田の方。偶然のように必然のように、『若者のすべて』は放送されたのだろう。
カーラジオからミディアムバラードのように流れるこの歌は、真夏の中心を堂々と歩んでいるかのようだった。
前回の「百年後の志村正彦」は沢山の方に読まれたようだ。〈百年後の聴き手に比べれば、私たちはまだ志村正彦の「同時代」に生きている〉という箇所が「志村正彦の言葉bot」に取り上げていただき、有り難い。このライナーノーツの文は何度も推敲することが多いが、あの一文はめずらしく自然に湧き出てきた。百年後の未来を思い描くと、そのままそこから遡って、「同時代」という視点が出てきた。
私は志村正彦よりかなり上の世代に属する。それでも、現在の十代から私たちのような世代までを含めて、「同時代」を生き、フジファブリックを聴いている。『若者のすべて』の歌詞を引くなら、「僕ら」は「同じ空」を「見上げている」のだ。
今日はもう一つの偶然について書きたい。前回の文を公開した翌日、日本経済新聞7月27日付の文化欄に、歌人永田和宏氏の「一〇〇年後に遺す歌」という文が掲載されていた。永田氏は「歌を遺す」ことの「責任」について語る。
歌人の馬場あき子が、「いい歌を作るのも歌人の責任だが、いい歌を遺すのも歌人の責任だ」と言ったことがある。いい言葉だ。まさにそのとおりと、私はあちこちで吹聴している。
先の世代から遺してもらった歌を、次に送り遺すこととともに、現代という時代が生み出した新たな作物を次世代に遺す仕事も、同じように歌人にとっての責任である。
先の世代から遺してもらった歌を、次に送り遺すこととともに、現代という時代が生み出した新たな作物を次世代に遺す仕事も、同じように歌人にとっての責任である。
歌を作ることとと歌を遺すこととの等価性。先の世代、現代の世代、次世代と歌を遺してい継承性。あまり顧みられない視点かもしれない。作り手は当然作ることに集中する。遺すためには、集中して読むことが必要。それは別の仕事。そういう日常意識があるのだろう。
本来、短詩型文学の世界は、「作る」「読む」の二つの行為は不可分に結びついている。二つの行為は一つの場を形成し、秀歌を「編む」「遺す」という三つ目の行為へとつながっていく。現代という時代は、その場が失われつつある。そのような危機意識、批評意識をこめて、永田氏は今『近代秀歌』の続編『現代秀歌』を編纂していると考えられる。しかし、「編む」ことはなかなか難しい。そのための方法について氏は次のように提言している。
「いい歌を遺す」と言っても、いい歌とするには、同時代の歌はまだ時間の濾過作用を経ていない。選歌は、勢い、アンソロジーを編む人間の趣味や嗜好に左右されやすくなる。当然のことだ。要は、現代に作歌活動をしている多くの歌人たちが、それぞれ自分だけの一〇〇首を選ぶことであろうと思うのである。ひとりの択びが絶対ではないが、一〇〇人が選べば、そのアンサンブルとして、遺すべき一〇〇首はおのずから定まってくる。いい歌は自然に残っていくなどというのはあまりに楽天的な怠慢あるいは傲慢である。
「同時代」には、確かに「時間の濾過作用」が働かない。「濾過」が効いていないからこそ、受け手は主体的に作品を選択する。それは「趣味や嗜好」かもしれないが、創造的な行為でもある。「ひとり」ではない「多く」の作り手が選択する。その選択を蓄積する。蓄積の中の重なり合いが濾過に近い効果をなし、同時代に「編む」「遺す」ことを可能とする。
ロック音楽の世界でも、実作者の選択、批評家の選択、そして私たち聴き手の選択、多様な選択があってよい。選択は、選別や否定ではなく、肯定的なものだ。いい歌を選ぶのは、その歌を愛し続けることだ。だからこそ選択は絶対的な肯定だ。
そして、永田氏は「いい歌は自然に残っていくなどというのはあまりに楽天的な怠慢あるいは傲慢である」と戒める。私たち、志村正彦、フジファブリックの聴き手は、この現代歌壇の重鎮の戒めに耳を傾けねばならない。
それでも永田氏の言葉に反して、志村正彦のいい歌は自然に残ると信じている自分がいるのだが、そのことが「怠慢」や「傲慢」につながってはならないとは強く思う。
自分自身に対して、「百年後の志村正彦」を無批判的に唱える「傲慢」を避け、逆に、何も書かない何も活動しないという無為の「怠慢」に陥ることも戒めたい。
2014年7月26日土曜日
百年後の志村正彦 [志村正彦LN 85]
「ロックの詩人 志村正彦展」と「志村正彦フォーラム」が終了して、2週間が経つ。先日から公式webで、「展示とフォーラムをふりかえって」と題して報告させていただいている。
この「偶景web」は、展示とフォーラムの準備と作業のために、時間的な余裕がなく、一月半の間、新たな原稿を書くことができなかった。再開するにあたり、フォーラムの最後の挨拶で、主催者代表として私が話した言葉を少し補って書かせていただきたい。(次回からは、いつものライナーノーツのスタイルに戻りたい。再び、話題によっては志村正彦展やフォーラムに触れることもあるかもしれないが、「偶景web」で全体をふりかえるのは今回のみとしたい)
志村正彦が作詞作曲した作品、それを具現化したフジファブリックの音源や映像は、私たちの音楽の歴史の流れの中で、百年後の未来に残る。そのように考えていると、あの場にいた方々に伝えた。(私のような一介の聴き手の妄言、戯言だと一笑に付されるだろうが、本気でそう思っている)今回の試みはそのような想いから動き始めた。
もちろん、私たちの拙い試みと全く関係なく、作品自体の力によって、志村正彦、フジファブリックは残り続ける。しかし、どのように残っていくのか、という課題はある。どのように残していくのかという活動の課題と共に。
百年後の聴き手に比べれば、私たちはまだ志村正彦の「同時代」に生きている。同時代の聞き手として、彼の作品から、何を聴きとり、何を感じ、考えたのか。それを批評的なエッセイとして書き続けることが、「志村正彦ライナーノーツ」の主題だ。
本来なら、私などは書くことのみ継続していけばいいのだが、今回は、様々な偶然や必然に導かれて、志村正彦展とフォーラムという活動に踏み込んだ。「百年後の志村正彦」というモチーフが次第に強固なものとなっていった。
彼の生が閉じられて5年近くが流れた今日、来場された方(そして来場されなかった方を含めて)の志村正彦に対する強い関心と愛情の持続を、現在という時間の中に、ある種の痕跡のようにして刻みつけること、志村正彦の聴き手による「仮初め」の場、共同体を二日間限定で作ること。
そのようなことを無意識に望んでいたのかもしれないと、今という時点では思うが、ほんとうのところはよく分からない。よく分からないままに、半年の間、展示とフォーラムの準備のために歩み続けたというのが事実だ。
様々な困難もあったが、両国ライブでの『若者のすべて』のMC、《立ち止まるのではなく歩きながら、考えていく》という彼の言葉にときおり促されながら、何とかたどりきることができたようだ。
2014年7月12日と13日、山梨県立図書館の二つの展示室そしてフォーラムの会場で、予想をはるかに超えた、たくさんの方々の純粋な眼差しや声に遭遇したことで、志村正彦、フジファブリックの作品は百年後に残る、その想いはますます確信に近いものとなった。
深く深く、感謝を申し上げます。
この「偶景web」は、展示とフォーラムの準備と作業のために、時間的な余裕がなく、一月半の間、新たな原稿を書くことができなかった。再開するにあたり、フォーラムの最後の挨拶で、主催者代表として私が話した言葉を少し補って書かせていただきたい。(次回からは、いつものライナーノーツのスタイルに戻りたい。再び、話題によっては志村正彦展やフォーラムに触れることもあるかもしれないが、「偶景web」で全体をふりかえるのは今回のみとしたい)
志村正彦が作詞作曲した作品、それを具現化したフジファブリックの音源や映像は、私たちの音楽の歴史の流れの中で、百年後の未来に残る。そのように考えていると、あの場にいた方々に伝えた。(私のような一介の聴き手の妄言、戯言だと一笑に付されるだろうが、本気でそう思っている)今回の試みはそのような想いから動き始めた。
もちろん、私たちの拙い試みと全く関係なく、作品自体の力によって、志村正彦、フジファブリックは残り続ける。しかし、どのように残っていくのか、という課題はある。どのように残していくのかという活動の課題と共に。
百年後の聴き手に比べれば、私たちはまだ志村正彦の「同時代」に生きている。同時代の聞き手として、彼の作品から、何を聴きとり、何を感じ、考えたのか。それを批評的なエッセイとして書き続けることが、「志村正彦ライナーノーツ」の主題だ。
本来なら、私などは書くことのみ継続していけばいいのだが、今回は、様々な偶然や必然に導かれて、志村正彦展とフォーラムという活動に踏み込んだ。「百年後の志村正彦」というモチーフが次第に強固なものとなっていった。
彼の生が閉じられて5年近くが流れた今日、来場された方(そして来場されなかった方を含めて)の志村正彦に対する強い関心と愛情の持続を、現在という時間の中に、ある種の痕跡のようにして刻みつけること、志村正彦の聴き手による「仮初め」の場、共同体を二日間限定で作ること。
そのようなことを無意識に望んでいたのかもしれないと、今という時点では思うが、ほんとうのところはよく分からない。よく分からないままに、半年の間、展示とフォーラムの準備のために歩み続けたというのが事実だ。
様々な困難もあったが、両国ライブでの『若者のすべて』のMC、《立ち止まるのではなく歩きながら、考えていく》という彼の言葉にときおり促されながら、何とかたどりきることができたようだ。
2014年7月12日と13日、山梨県立図書館の二つの展示室そしてフォーラムの会場で、予想をはるかに超えた、たくさんの方々の純粋な眼差しや声に遭遇したことで、志村正彦、フジファブリックの作品は百年後に残る、その想いはますます確信に近いものとなった。
深く深く、感謝を申し上げます。
2014年6月9日月曜日
「ロックの詩人 志村正彦展」web開設。 [お知らせ2]
告知
「ロックの詩人 志村正彦展」webのURLは、http://msforexh.blogspot.jp です。
展示とフォーラムについての連絡、内容紹介、募集等はずべてこの公式webで行わせていただきます。
ただし、《偶景web》の方でも、私自身の個人な視点からの考察、公式webでの記載事項からはこぼれ落ちてしまうような話題については書かせていただくこともあるかと思います。そのことについてはご了解ください。
ところで、今日、6月9日は「ロックの日」らしい。
あからさまな語呂合わせで微妙だが、それでもあったほうがいいかもしれない、ロックの日だ。ネットで検索すると、オリコン( http://www.oricon.co.jp/music/special/090609_01.html )が、「ロックな人ランキング」を発表していた。1位、忌野清志郎には誰も異論がないだろう。日本語ロックの歴史の中で最も「ロックな人」を感じさせる。彼の言葉、リズムとメロディー、そしてラディカルな意志、存在そのものが、ロックだ。
それでは、「人」の前に「詩」をつけて「ロックの詩人」のランキングを考えるとどうなるだろうか。人によってかなり答えは異なるだろう。志村正彦の熱心な聴き手ならもちろん、彼だと断言するにちがいない。
6月9日、この愛すべきロックの日に、「ロックの詩人 志村正彦展」の公式webを始めることにしたい。当初からこの週の月曜日にスタートしようと計画していたので、ロックの日と重なったのは偶然なのだが、この偶然を喜びたい。
おかげさまで、前回の「お知らせ1」をツイートしていただいて、今日はページビューが大幅に増え、現時点で1000に達している。反響の大きさに驚くばかりで、責任の重さを痛感する。
最初に書いていただいた、「kbys65」さん、リツイートしていただいた「志村正彦の言葉bot」さん(このbotは優れもので、時々読んでいます。未知の言葉にハッとして、色々と考えさせられます)、さらにそれをリツイートしていただい多くの皆様、ほんとうにありがとうございました。
人員も予算も知恵も不足しているが、「rolling stone」転がる石のように、突き進むという「ロックな姿勢」だけは持ち続けたい。
よろしくお願い申し上げます。
「ロックの詩人 志村正彦展」webのURLは、http://msforexh.blogspot.jp です。
展示とフォーラムについての連絡、内容紹介、募集等はずべてこの公式webで行わせていただきます。
ただし、《偶景web》の方でも、私自身の個人な視点からの考察、公式webでの記載事項からはこぼれ落ちてしまうような話題については書かせていただくこともあるかと思います。そのことについてはご了解ください。
ところで、今日、6月9日は「ロックの日」らしい。
あからさまな語呂合わせで微妙だが、それでもあったほうがいいかもしれない、ロックの日だ。ネットで検索すると、オリコン( http://www.oricon.co.jp/music/special/090609_01.html )が、「ロックな人ランキング」を発表していた。1位、忌野清志郎には誰も異論がないだろう。日本語ロックの歴史の中で最も「ロックな人」を感じさせる。彼の言葉、リズムとメロディー、そしてラディカルな意志、存在そのものが、ロックだ。
それでは、「人」の前に「詩」をつけて「ロックの詩人」のランキングを考えるとどうなるだろうか。人によってかなり答えは異なるだろう。志村正彦の熱心な聴き手ならもちろん、彼だと断言するにちがいない。
6月9日、この愛すべきロックの日に、「ロックの詩人 志村正彦展」の公式webを始めることにしたい。当初からこの週の月曜日にスタートしようと計画していたので、ロックの日と重なったのは偶然なのだが、この偶然を喜びたい。
おかげさまで、前回の「お知らせ1」をツイートしていただいて、今日はページビューが大幅に増え、現時点で1000に達している。反響の大きさに驚くばかりで、責任の重さを痛感する。
最初に書いていただいた、「kbys65」さん、リツイートしていただいた「志村正彦の言葉bot」さん(このbotは優れもので、時々読んでいます。未知の言葉にハッとして、色々と考えさせられます)、さらにそれをリツイートしていただい多くの皆様、ほんとうにありがとうございました。
人員も予算も知恵も不足しているが、「rolling stone」転がる石のように、突き進むという「ロックな姿勢」だけは持ち続けたい。
よろしくお願い申し上げます。
2014年6月7日土曜日
「ロックの詩人 志村正彦展」 7月12,13日、甲府で開催。[お知らせ1]
もう6月を迎えた。梅雨に入り、長雨の日々が続く。今年もすでに半年近くが過ぎてしまった。時の歩みを幾分か嘆くが、先へ進もう。
今年最初の記事(2014.1.5)「試みの試み (志村正彦LN 67)」で、次のように書いた。
今年は、このブログ以外に、私が暮らしているこの山梨という場で、志村正彦・フジファブリックを、もっともっと知ってもらい、聴いてもらううために活動していくことを考えている。何ができるかは分からないので、ここに何も具体的に書けないのだが、その意志だけは記しておきたい。
小さな試みになるだろうが、言葉の活動だけではなく、現実の活動を模索していくことも重要だと、それなりに年齢を重ねてきた私も考えるようになった。
《偶景web》の表現以外に、現実の活動として、志村正彦・フジファブリックのために何かできないのか。この半年近くそのことを考えてきた。今回、その活動を発表させていただきたい。
7月12日(土)、13日(日)の2日間、甲府駅北口にある山梨県立図書館を会場に、「ロックの詩人 志村正彦展」を開催することになった。
これは、志村正彦氏のご両親にご相談した上で、志村家の全面的ご支援とご協力を得て、実現することになった。そのことをまず最初に記したい。この場を借りてあらためて感謝を申し上げます。
現在、私が代表となり、「ロックの詩人 志村正彦展」実行委員会を組織し、関係者・支援者の協力を得て、準備を急いでいる。
7月12日、13日にしたのは、彼の誕生日である7月10日近くの土日だからだ。また、メジャデビュー10周年という記念の年なので、開催するなら今年がよいと判断した。
また、 「ロックの詩人」という題名は、あまりに「ベタな」ありきたりの言葉だが、分かりやすいという観点からあえてこの表現を選んだ。「ロック」と「詩」のきわめて優れた融合を、志村正彦は成しとげている。
過去、志村正彦展は2010、2011、2012年の3年間、故郷富士吉田で、彼の同級生・友人が中心となって開催されてきた。(このブログを読んでいただいている方であれば、そのことはよくご存じなので、説明することは省かせていただく。同級生たちの愛と手作り的な味わいのあふれる素晴らしい展示だった)私も勤務先の高校生の志村正彦論を展示するという形で関わらせていただいた。また、関連プロジェクト「夕方5時のチャイム」の印象をこのブログで書かせていただいた。
今後も中心となるのは、彼の同級生・友人が主体となる、故郷富士吉田を舞台とする活動であることは言うまでもない。富士吉田はこれまでもこれからも中心だ。
それでも、甲府で開催しようと決めたのは、富士吉田のイベントとは異なる視点で、主「日本語ロックの詩人」としての志村正彦を取り上げることにも、何らかの意味があると考えたからだ。私自身がこの《偶景web》の「志村正彦ライナーノーツ」で追究しているのもこの主題である。
このことには職業人としての私の経歴も関係する。私は、もうかなり前のことになるが、山梨県立文学館(http://www.bungakukan.pref.yamanashi.jp/)に勤め、芥川龍之介を主に担当し、文学展示・記録映画作成や資料調査等の仕事に携わった。
文学館には非常に貴重な原稿・自筆資料等を集めた「芥川龍之介資料」がある。1991年秋の「生誕百年記念 芥川龍之介展」では、企画担当として、展示のテーマや構成を立案し、『図録』の資料解説等を執筆した。私にとって最も印象に残る仕事となった。文学者の展示については、一応、プロフェッショナルとしての経験を持っている。
そのような私の経験が志村正彦についても活かせるのではないかと考えた。また、より切実な理由としては、残念ながら、ここ山梨で志村正彦・フジファブリックの知名度がまだまだ低いという現実がある。彼の作品を広めていくという目標のためには、ここ甲府(県庁所在地であり、私の住む街でもある)で行うことにも意味があるのではないかと思ったことが挙げられる。
今回の企画は、甲府市とその近辺の人々を主に対象としているが、県内向けのものというわけではない。志村正彦・フジファブリックは、日本のそして世界の音楽として言葉として存在している。だから、県外の方(気になる言い方だが、便宜上使う)にも、できることであれば、甲府まで来て、参加していただければ非常に有り難い。(新宿から甲府までは、特急で1時間30分、バスで2時間ほどなので、近くはないがそう遠くもないという時間的距離にある)
それに見合うだけの内容になるのかどうか、正直不安だが、精一杯努力したい。
展示は「交流ルーム」2室で展開する。文学展示の手法を使ってコンパクトで密度の高いものを考えている。三部構成の展示は次の通りである。
Ⅰ部 「志村正彦-山梨・東京-」
Ⅱ部 「ロックの詩人」
Ⅲ部 「フジファブリックの10年」
関連するイベントとして、「志村正彦フォーラム」と題して、志村正彦の人と作品について語り合う会を開催する。会場は「多目的ホール」で、200人収容できるので、公式HP(後述)上で募集する予定である。展示とフォーラムの日時は次の通りである。
展示 7月12日(土)12:00~18:00 ,13日(日)10:00~17:00
フォーラム 7月13日(日)14:00~16:00
この一年半近く、《偶景web》で書いてきたことは、表現者としての私の「私的」活動である。それに対して、「ロックの詩人 志村正彦展」は「公的」活動である。(もちろん、山梨県立文学館のような「公立」博物館という組織の活動ではないが、「ロックの詩人 志村正彦展」実行委員会は、「志村正彦・フジファブリック」を広め伝えていくという文化的な活動を行う非営利組織であり、語の本来の意味での「公的」という概念に近いものだと考える。「公立」ではないが「公的」であるというところに、この活動の意味がある)
したがって、「ロックの詩人 志村正彦展」については公式HP(ブログ)を作り、そこで様々な告知や情報の伝達、フォーラム参加者の募集などを行うことにしたい。
私の「私的」な表現の場は、《偶景web》であり、「ロックの詩人 志村正彦展」という活動の「公的」な伝達の場は、近日中に公開される公式HPであるというように、二つの立場を分けることにしたい。
数日内に、公式HPの告知をする予定である。(これは《偶景web》で)
その場で詳しい情報を伝えさせていただく。
今年最初の記事(2014.1.5)「試みの試み (志村正彦LN 67)」で、次のように書いた。
今年は、このブログ以外に、私が暮らしているこの山梨という場で、志村正彦・フジファブリックを、もっともっと知ってもらい、聴いてもらううために活動していくことを考えている。何ができるかは分からないので、ここに何も具体的に書けないのだが、その意志だけは記しておきたい。
小さな試みになるだろうが、言葉の活動だけではなく、現実の活動を模索していくことも重要だと、それなりに年齢を重ねてきた私も考えるようになった。
《偶景web》の表現以外に、現実の活動として、志村正彦・フジファブリックのために何かできないのか。この半年近くそのことを考えてきた。今回、その活動を発表させていただきたい。
7月12日(土)、13日(日)の2日間、甲府駅北口にある山梨県立図書館を会場に、「ロックの詩人 志村正彦展」を開催することになった。
これは、志村正彦氏のご両親にご相談した上で、志村家の全面的ご支援とご協力を得て、実現することになった。そのことをまず最初に記したい。この場を借りてあらためて感謝を申し上げます。
現在、私が代表となり、「ロックの詩人 志村正彦展」実行委員会を組織し、関係者・支援者の協力を得て、準備を急いでいる。
7月12日、13日にしたのは、彼の誕生日である7月10日近くの土日だからだ。また、メジャデビュー10周年という記念の年なので、開催するなら今年がよいと判断した。
また、 「ロックの詩人」という題名は、あまりに「ベタな」ありきたりの言葉だが、分かりやすいという観点からあえてこの表現を選んだ。「ロック」と「詩」のきわめて優れた融合を、志村正彦は成しとげている。
過去、志村正彦展は2010、2011、2012年の3年間、故郷富士吉田で、彼の同級生・友人が中心となって開催されてきた。(このブログを読んでいただいている方であれば、そのことはよくご存じなので、説明することは省かせていただく。同級生たちの愛と手作り的な味わいのあふれる素晴らしい展示だった)私も勤務先の高校生の志村正彦論を展示するという形で関わらせていただいた。また、関連プロジェクト「夕方5時のチャイム」の印象をこのブログで書かせていただいた。
今後も中心となるのは、彼の同級生・友人が主体となる、故郷富士吉田を舞台とする活動であることは言うまでもない。富士吉田はこれまでもこれからも中心だ。
それでも、甲府で開催しようと決めたのは、富士吉田のイベントとは異なる視点で、主「日本語ロックの詩人」としての志村正彦を取り上げることにも、何らかの意味があると考えたからだ。私自身がこの《偶景web》の「志村正彦ライナーノーツ」で追究しているのもこの主題である。
このことには職業人としての私の経歴も関係する。私は、もうかなり前のことになるが、山梨県立文学館(http://www.bungakukan.pref.yamanashi.jp/)に勤め、芥川龍之介を主に担当し、文学展示・記録映画作成や資料調査等の仕事に携わった。
文学館には非常に貴重な原稿・自筆資料等を集めた「芥川龍之介資料」がある。1991年秋の「生誕百年記念 芥川龍之介展」では、企画担当として、展示のテーマや構成を立案し、『図録』の資料解説等を執筆した。私にとって最も印象に残る仕事となった。文学者の展示については、一応、プロフェッショナルとしての経験を持っている。
そのような私の経験が志村正彦についても活かせるのではないかと考えた。また、より切実な理由としては、残念ながら、ここ山梨で志村正彦・フジファブリックの知名度がまだまだ低いという現実がある。彼の作品を広めていくという目標のためには、ここ甲府(県庁所在地であり、私の住む街でもある)で行うことにも意味があるのではないかと思ったことが挙げられる。
今回の企画は、甲府市とその近辺の人々を主に対象としているが、県内向けのものというわけではない。志村正彦・フジファブリックは、日本のそして世界の音楽として言葉として存在している。だから、県外の方(気になる言い方だが、便宜上使う)にも、できることであれば、甲府まで来て、参加していただければ非常に有り難い。(新宿から甲府までは、特急で1時間30分、バスで2時間ほどなので、近くはないがそう遠くもないという時間的距離にある)
それに見合うだけの内容になるのかどうか、正直不安だが、精一杯努力したい。
展示は「交流ルーム」2室で展開する。文学展示の手法を使ってコンパクトで密度の高いものを考えている。三部構成の展示は次の通りである。
Ⅰ部 「志村正彦-山梨・東京-」
Ⅱ部 「ロックの詩人」
Ⅲ部 「フジファブリックの10年」
関連するイベントとして、「志村正彦フォーラム」と題して、志村正彦の人と作品について語り合う会を開催する。会場は「多目的ホール」で、200人収容できるので、公式HP(後述)上で募集する予定である。展示とフォーラムの日時は次の通りである。
展示 7月12日(土)12:00~18:00 ,13日(日)10:00~17:00
フォーラム 7月13日(日)14:00~16:00
この一年半近く、《偶景web》で書いてきたことは、表現者としての私の「私的」活動である。それに対して、「ロックの詩人 志村正彦展」は「公的」活動である。(もちろん、山梨県立文学館のような「公立」博物館という組織の活動ではないが、「ロックの詩人 志村正彦展」実行委員会は、「志村正彦・フジファブリック」を広め伝えていくという文化的な活動を行う非営利組織であり、語の本来の意味での「公的」という概念に近いものだと考える。「公立」ではないが「公的」であるというところに、この活動の意味がある)
したがって、「ロックの詩人 志村正彦展」については公式HP(ブログ)を作り、そこで様々な告知や情報の伝達、フォーラム参加者の募集などを行うことにしたい。
私の「私的」な表現の場は、《偶景web》であり、「ロックの詩人 志村正彦展」という活動の「公的」な伝達の場は、近日中に公開される公式HPであるというように、二つの立場を分けることにしたい。
数日内に、公式HPの告知をする予定である。(これは《偶景web》で)
その場で詳しい情報を伝えさせていただく。
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