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2023年7月30日日曜日

「睡眠作曲」[志村正彦LN334]

 志村正彦は〈フジファブリック 『FAB FOX』インタビュー〉で、『唇のソレ』は〈夢の中で作ったんですよ〉と述べている。『志村日記』(『東京、音楽、ロックンロール』)の2004年10月20日分は「睡眠作曲」と題して、次のことが書かれている。

      

 ライブ、ラジオ、取材、リハ、ライブ、ラジオ、取材、リハ。つて感じの毎日で忙しいです。はい。
 それもあって、遂に!
 やりました…やりましたよ!
 夢の中で曲を作りました! これ、ずつとやりたかったことです。この日が来ることを待ってました。
 夢の中でですね、バンドで新曲作りのセッションをしていたのです。そしてある程度まとまつてきたところで俺は気付いたのです。
「これ、夢だ…まずい! 起きたら忘れてしまう!」と。そしてメンバーに、「多分、今、夢の中だから起きたら忘れてしまいそうだから、もう何回か確認のために通してもらっていい?」と言って、各パートを覚えました。そして、「もう大丈夫だ。起きるぞ!」と言って目を覚まし、すぐレコーダーに吹き込んだのでした。
 あのポール・マッカートニーも名曲“イエスタデイ”を寝てる時に作ったらしいです。でもまあ、そこまでちゃんとしたものでは全然なかったのですが。
 しかしこれ。毎夜できたなら最高です。何故なら今、曲作りに費やしている時間を、映画観に行ったり本読んだり、バッティングセンター行ったり、漫画喫茶に行ったりできますし。で、寝て、朝起きたら曲がポン!ですよ。そこを目指したいと思います。
 それに朝ちょっと体が重いとき、「曲作りをする為に寝ますわ」と言えますしね。


 この2004年10月20日の「睡眠作曲」という日記には具体的な曲名は記されていないが、先ほど引用したインタビューでは『唇のソレ』と明記されている。また、『FAB BOOK』にも『唇のソレ』について次のコメントが載っている。


「睡眠作曲って言ってるんですけど、これは夢の中でつくった曲で、その夢の中で加藤さんがこういうふうに弾いてたんで、そのとおりに弾いてくれっていう話をしたんです」(志村)


 『志村日記』2004年10月20日の〈夢の中で曲を作りました! これ、ずつとやりたかったことです。この日が来ることを待ってました〉というのは『唇のソレ』であると考えて間違いはないだろう。つまり、「睡眠作曲」による初めての完成作がこの曲だった。


 「睡眠作曲」とはどのようなものか。「睡眠作曲」とは厳密にいえば「睡眠作曲の夢」によって作られる曲であるので、夢の形成という観点から考えてみたい。

 まず自分自身の夢を振り返ると、音楽が聞こえてくる夢を見たことはほどんどない。ほとんどない、と書いたのは、ロックバンドのライブ演奏の夢を見たことは何度かあるからだ。(その中の一つはフジファブリックだったような気もする。実際の演奏を聞いたことはないのだが)それでも、そういう夢はライブ演奏の場にいるという出来事が中心である。覚醒直後はその場面の映像の記憶はある程度残る。しかし、音は補助的なものにすぎないためか、その記憶は残らない。

 志村正彦の場合、流石と言うべきか、夢の中で音楽を演奏し作曲している。精神分析の創始者ジグムント・フロイトは、『夢解釈』(1900年)で、夢は欲望の成就であると説いた。フロイトの夢理論に依拠すれば、志村の作曲への欲望が「睡眠作曲」の夢をもたらしたと考えられる。夢は無意識によって形成される。志村が無意識の中で作曲を進めていた楽曲が、自らの欲望成就のプロセスによって、顕在的な夢として生み出されたのだろう。

 そう考えているうちに、文章を書いている夢を見たことが何度もあることを思い出した。言葉が文字として見えてくる。その文字つなげていくと何らかの意味が作られていく。夢の中ではある種の手応えを感じることもあるのだが、夢からの覚醒後は何も覚えていない。文字はすぐに消えていった。僕の場合は、言葉、文字に対する無意識の欲望を成就する夢だったのであろう。


 『志村日記』2005年1月10日「再び山梨に。」では、曲作りについて〈今年は地道につくっていきたいですね。あ、睡眠作曲はやっていきますけど。〉とある。『唇のソレ』以降、「睡眠作曲」によって作られた完成曲があるかどうかは分からないが、夢や無意識の形成物が志村正彦の作品に深く影響を与えていた、と考えることはできるかもしれない。


   [この項続く]


2023年7月16日日曜日

『唇のソレ』の〈ソレ〉[志村正彦LN333]

 『唇のソレ』(詞・曲:志村正彦)は、2005年11月リリースの2ndアルバム『FAB FOX』の収録曲として発表された。ライブ映像が『Live at 両国国技館』と『Live at 富士五湖文化センター』に収められている。

 この愛すべき曲の歌詞を引用しよう。


手も目も鼻、耳も 背も髪、足、胸も
どれほど綺麗でも意味ない

とにもかくにもそう
唇の脇の素敵なホクロ 僕はそれだけでもう…

Oh 世界の景色はバラ色
この真っ赤な花束あげよう

いつかはきっと二人 歳とってしまうものかもしれない
それでもやっぱそれでいてやっぱり唇のソレがいい!

さあ 終わらないレースの幕開け
もう 世界の景色はバラ色
この真っ赤な花束あげよう

いつかはきっと二人 歳とってしまうものかもしれない
それでもやっぱそれでいてやっぱり唇のソレがいい!


 〈手〉〈目〉〈鼻〉〈耳〉〈背〉〈髪〉〈足〉〈胸〉というように、身体の部位が〈も〉という助詞によって連鎖され、〈どれほど綺麗でも〉、〈意味〉が〈ない〉と歌われる。

 綺麗な身体の部位に変わって、歌の主体〈僕〉が賞賛するのは〈唇の脇の素敵なホクロ〉。〈とにもかくにもそう〉〈それだけでもう…〉と、〈も〉に続いて〈そ〉の音が登場する。この〈そ〉の音が導くようにして、〈唇のソレ〉が召喚される。〈それでも〉〈やっぱ〉〈それでいて〉〈やっぱり〉という反復が組み合わされることによって、次第に、〈唇の脇の素敵なホクロ〉は、〈唇のソレ〉としか言いようのない〈ソレ〉に変換されていく。

 〈世界の景色〉は〈バラ色〉であり、〈僕〉は〈唇の脇の素敵なホクロ〉を持つ相手に〈真っ赤な花束〉をあげようとする。この〈二人〉は〈歳とってしまうものかもしれない〉のだが、〈僕〉は〈唇のソレがいい!〉と宣言する。


 志村正彦は〈フジファブリック 『FAB FOX』インタビュー〉で、この曲について次のように述べている。


この曲は夢の中で作ったんですよ。夢の中でバンド練習をしてて、その時にみんなが弾いていた楽曲を憶えていて、でも夢から覚めたら演奏を忘れてしまうと思ったんで、夢の中のメンバーに「今夢の中にいるから、起きても忘れないように各パートを繰り返してくれ」って伝えて(笑)、それを全て憶えたら起きてテープレコーダーに入れて。その後、スタジオで練習している時にみんなに伝えて作っていきましたね。


 インタビュアーの〈普段、現実的な夢を見る方ですか?突拍子もない夢を見る方ですか?〉という問いについてはこう語っている。


僕は両方見ますね。あの・・・、富士山噴火とか(笑)。あとは練習とか、バンド系の夢が多いですね。


 夢の中でつくった曲。実に愉快だ。『唇のソレ』はバンド系の夢の作曲篇になるだろうか。富士山噴火のように、〈ソレ〉が噴火しているようでもある。

  『唇のソレ』には確かに夢の中の祝祭歌の雰囲気がある。

 この曲は独特のリズム感が失踪する。最後に近づくと、志村の声とサウンドの音がもつれ合うような感じになる。夢の中に出てくる〈ソレ〉が絡み合うかのように。

 

   [この項続く]