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2023年10月15日日曜日

植物、享楽、無限の痛み―「赤黄色の金木犀」[志村正彦LN338]

 数日前から、金木犀が香りだした。今年は遅い。この地では例年、九月の二十六日頃に香りはじめる。春、夏、秋、冬の四季というよりも、暑い、寒いという二つの季節に変わってきたというのが大方の実感であろう。その影響で、秋という季節が失われてきた。金木犀の花もどこか寄る辺がない。香りも微かに漂うだけだ。

 現実の季節の変容にもかかわらず、志村正彦・フジファブリックの「赤黄色の金木犀」は確かな初秋の季節感を伝えている。


 赤黄色の金木犀の香りがして
 たまらなくなって
 何故か無駄に胸が
 騒いでしまう帰り道

 

 歌の主体〈僕〉は、〈金木犀の香り〉を身体で受けとめ、たまらなくなる。抑えがたい何かにとらわれる。〈何故か無駄に〉記憶の中の何かが回帰してきて〈胸が騒いでしまう〉。〈帰り道〉とあるのは、〈僕〉が実際に歩く〈帰り道〉であると同時に、過去の記憶への〈帰り道〉でもある。〈過ぎ去りしあなた〉と〈金木犀〉の記憶。〈香り〉の〈記憶〉への〈帰り道〉を〈僕〉は歩むことになる。

 香りは直接身体に作用する。香りの物質が鼻膣内の細胞を刺激したときに起こる感覚だ。身体にとって直接の享楽ともなる。

 

 精神分析家の新宮一成は、「夢と無意識の欲望」という論考で、聖書の「野の百合」の喩えについてのジャック・ラカンの言及を引用して、次のように述べている。(『無意識の組曲』岩波書店1997)

 

 ラカンはこの一節に触れてこう言っている。「野の百合、我々はそれを、すみずみまで享楽にゆだねられた、一つの体として想像してみることができる。……植物であるということは、おそらくは無限の痛みのようなものであろう。」(ラカン『セミネール第十七巻』)。ラカンにとって、植物が「享楽」を体現しているとすれば、動物は「快感」を体現している。精神分析では「享楽」と「快感」をはっきり区別しなければならないというのが彼の考えであった。動物というものは、「無限の痛み」のような享楽が最小限になるように、場所を移動する。それが動物特有の、快感原則に沿った暮らし方なのである。人間もその例外ではない。その中で、この暮らし方の外に出ようと意志する人のみが、自分をむち打って、苦行の中で植物のように暮らそうとするのである。

 

  〈植物であるということは、おそらくは無限の痛みのようなものであろう〉という文を理解することは難しいが、ラカンの言葉は読む者に作用する。「野の百合」が喩えであるように、喩えの表現として受けとめてみたい。喩えは連鎖させることができるだろう。


 志村正彦「赤黄色の金木犀」とラカンのこの言葉を意味や論理の関係として結びつけることはできないが、直感として連鎖するところがある。

 〈赤黄色の金木犀〉も〈無限の痛み〉のようなものとして咲いている。〈無限の痛み〉のように香っている。


 この曲を聴いていると、いつも、どこか、かすかに、痛みのような感覚におそわれる。


2023年10月8日日曜日

夢の空間、夢の時間。10月4日国立競技場、ACL 甲府VSブリーラム。


 夢の空間だった。


 10月4日、国立競技場でAFCチャンピオンズリーグ(ACL)グループリーグ第2節、ヴァンフォーレ甲府(日本)VSブリーラム・ユナイテッド(タイ)の試合が開催された。

 仕事を早く終えて、午後3時半頃、車で甲府駅に向かう。ところが駅前の駐車場は満車、満車、満車。こんなことはありえないのだが、国立競技場に行くサポーターが駐車したことに気づく。読みが甘かったと痛感。十数カ所回って、やっと一台空いているところを見つけた。駆け足で駅へ。新宿行きの「かいじ」に乗れたのは発車2分前、ぎりぎりセーフだった。

 国立競技場に到着したのは午後6時半頃、キックオフ30分前。すでに練習が始まり、サポーターの大音量の応援がこだましていた。雨が降っているので、空気に湿気があり、声が響く。新しい国立は屋根があるので、全体が反響板のようになって声が広がる。サポーターの声の音圧がすごい。

 照明が最新テクノロジーが使われているようで、ピッチがとてもクリアに見える。大型ビジョンの映像も綺麗だ。陸上競技用のトラックがあるので、客席からの距離はあるのだが、素晴らしい照明のおかげで、選手が近く見える。どのように表現したらよいのだろうか。視界のなかでピッチが浮き上がってくる、とでも言えるだろうか。雨が降る夜。その闇のなかでこの場だけはとてつもなく明るい。夢を見ているような感覚だった。


 試合開始。甲府は組織的に中盤でのプレスをかける。チャンスを作るものの精度を欠くために得点には至らない。ブリーラムは前線に強力な外国人フォーワードがいて、ときどき決定機を作ったが、何とか甲府が守り切る。そういう展開が終盤まで続いたが、後半のロスタイムに入る間際、クリスティアーノのクロスに長谷川元希が頭で合わせると、ボールがゴールに吸い込まれていった。だが、ゴールが入った瞬間の記憶は消えている。喜びが体を駆け回って、わけがわからなくなった。甲府側のスタジアム全体がゆれていた。ロスタイムを守り切って、1対0で試合勝利。

 ブリーラムは外国人選手や日本でも活躍したティーラトンを始めとして選手の質が高い。サポーターは百人ほどだったが、声も太鼓の音もけっこう聞こえてきた。試合後、甲府の選手が挨拶に向かったのは、国際試合らしい親善の感じがあった。サッカーでもノーサイドの精神が重要だ。


 YouTubeのDAZN Japanチャンネルに日本の動画がアップされているので紹介したい。

 〈【ヴァンフォーレ甲府×ブリーラム・ユナイテッド|ハイライト】〉は8分ほどのハイライト映像。



  〈【ピッチサイドVLOG】J2甲府がアジアの舞台で歴史的な勝利!『ACL GS第2節』甲府vsブリーラムの様子をピッチサイド視点で!〉には、試合前の両チームサポーターの様子も撮されている。




 甲府のフロントは、『Jサポに次ぐ、#甲府にチカラを』というメッセージで他のJリーグクラブのサポーターにも応援を呼びかけた。新宿と渋谷駅にはこのメッセージを載せた大きなポスターを掲示した。この呼びかけに応じてくれたたくさんの他チームサポーターが応援してくれた。ほんとうにありがたい。甲府は日本のJ2チームの代表としてACLを闘う意味あいもあったので、この試みは今後にもつながるだろう。

 観客数は1万1802人。動員としては大成功だった。しかし、甲府のホーム、小瀬スポーツ公園陸上競技場がACLのスタジアム条件を満たしていないために、東京の国立競技場での開催となった経緯を考えると、単純には喜べない状況もある。キャプテンの関口正大も甲府で小瀬で試合をしたかったと話していた。十数年前から甲府の新スタジアム、「山梨県総合球技場」の構想があるのだが、実現に至っていない。この日の国立競技場は夢の空間だったが、総合球技場の建設が順調に進めば、この新しい場が夢の空間になるはずだった。甲府のHPには「夢みる総合球技場」という特設サイトがある。今は一人のサポーターとしてこの夢を見続けるしかできない。これも現実である。


  帰りのタイムリミットがせまっていたので、勝利の余韻にひたることもできないまま国立競技場から帰路を急いだ。午後10時新宿発「かいじ」は甲府サポーターで満席となっていた。12時に帰宅。8時間ほどのACL甲府応援の旅が終わった。この二十数年を振り返ると、2023年10月4日のACL国際試合での初勝利は、2005年12月10日のJ1初昇格、2022年10月16日の天皇杯初優勝に続く記念すべき日となった。


 夢の時間だった。