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2021年12月31日金曜日

2021年そして2011年 [志村正彦LN302]

 毎年、大晦日にその年を振り返ることが多いが、今日はまず、十年前の2011年のことを思い出してみたい。この年の12月23・24日、志村正彦の同級生たちが富士吉田市民会館で「志村正彦展 路地裏の僕たち」を開催した。縁があって、この地元で初の本格的な志村展で、当時勤めていた甲府城西高校の授業で生徒が書いた志村正彦・フジファブリックについての素晴らしい文章と共に、僕自身の「志村正彦の夏」という拙文も展示していただいた。

 あの当時から今日に到るまで、志村の同級生たちから成る「路地裏の僕たち」、ネットの「Fujifabric International Fan Site」、地元紙の山梨日日新聞・YBS山梨放送が地元での活動やその紹介や報道の中心を担っている。彼らの活動の継続が、現在の志村正彦の大きな隆盛の原動力となっている。

 十年を経た今年、富士吉田では志村を伝え広めていくための重要な動きがたくさんあった。この12月末から、富士急行の下吉田駅の列車接近曲として「若者のすべて」「茜色の夕日」が流れることになった。志村の母校、山梨県立吉田高校の音楽部や放送部が彼の曲を合唱したり、番組を制作したりという活動を始めた。音楽部は日本テレビの番組「MUSIC BLOOD」にも出演し、「若者のすべて」のコーラスを担当した。富士吉田の高校生たちによる「#私たちのすべて」の試み。「黒板当番」さんによる富士山駅ヤマナシハタオリトラベル mill shopでの黒板画。また、そのような活動についてのNHK甲府やUTYテレビ山梨・山梨新報、全国紙の山梨版での報道や番組も増えてきた。この11月、志村正彦が富士吉田文化振興協会によって第24回「芙蓉文化賞」に選出された。エフエムふじごこでは「路地裏の僕たちでずらずら言わせて」というトーク番組が続いている。志村の故郷富士吉田そして山梨では、志村正彦の評価が確固たるものとなった。十年前と比べると、志村の知名度は格段に高まってきた。

 2022年度から「若者のすべて」が高校音楽Ⅰの教科書、教育芸術社『MOUSA1』に採用されたことは特筆すべきことだった。このニュースは、朝日新聞の全国版などで大きく報道されて反響を呼んだ。『サブカル国語教育学』という国語教育の書籍で「桜の季節」の授業構想も発表された。音楽や国語などの教育の場で、志村正彦・フジファブリックの作品が教材となる動きは今後も続くだろう。

 僕の本業は教師である。勤務先の山梨英和大学の「人間文化学」「山梨学」の講義の一つとして、「若者のすべて」や四季盤の作品を取り上げた。担当の卒論ゼミでは、志村正彦を卒業論文のテーマとする学生も出てきた。専門ゼミでは学生と一緒に、志村正彦・フジファブリックと松本隆・はっぴいえんどの歌詞の比較、日本語ロックの歴史的考察も試みたが、このテーマは今後このブログで書いてみたい。また、大学の出張講義の依頼があり、「ロックの歌詞から日本語の詩的表現を考える-志村正彦の作品」を甲府市内の三つの高校と吉田高校で行った。このように学内の講義・ゼミナール、学外の出張講義という形で、教育やそのための研究を進めている。

 偶景webの中心コンテンツ「志村正彦ライナーノーツ(LN)」が300回を超えた。振り返れば、2011年の志村展の「志村正彦の夏」という文が、この連載の第ゼロ回という位置づけになる。この文を書き終わったときにある手応えを感じた。このスタイルであれば志村正彦の歌について書いていけるかもしれない、そのような予感があった。実際にこのブログを始めたのはその一年後だったが、志村正彦LNについては、300回を一つの到達点として設定してみた。それ以来ほぼ一週間に一回ほどのリズムで書き続けてきた。少なくとも数回分の構想はあり、実際に下書きもしているのだが、時々起きる志村をめぐる様々な動きやニュース、あるいは全くの偶発的な出来事も積極的に取り入れてきた。だから、連載しているものが時々中断して、しばらくしてまた再開するということも少なくなかった。

 自分の内的なモチーフと、他者や外側から受けとるモチーフの両方から書いてきた。内発的なものと外発的なもの、必然的なものと偶然的なもの、その二つの観点から記述していくことが、このブログの持続のために重要だった。そして、このブログの書き手と読み手という二つの在り方を意識した。自分自身が一人の読み手としてこのブログを読む。その観点から何を書くべきかを模索してきた。


 最後にある曲を紹介したい。HINTOの新曲「ニジイロウィークエンド」である。

 12月28日、SPARTA LOCALSと HINTOのスプリットシングルCD『≠』(ノット・イコール)がリリースされた。一昨日、CDが届いた。紙ジャケットの表側には、白地に黒色の≠の記号が、中側には夜(SPARTA LOCALS)と昼(HINTO)のオブジェのような光景が印刷されている。おそらく録音スタジオ(山梨のようだ。山中湖あたりと思われるが、確かなことは分からない)周囲の晩秋の風景を素材としている。いつものように美しいデザインだ。

 最近はPC内蔵のスピーカーで聴いてしまうことが多いのだが、このシングルはオーディオ装置を通して何度も聴いた。安部光広のベースの心地よいうねり。伊東真一の彩り鮮やかギター。菱谷昌弘のタイトなドラム。そのサウンドに乗って、やや哀しげに、安部コウセイは〈土砂降り雨のウィークエンド あわてて走り出す/これはどこに向かっているのかな〉〈疲れ果てたよウィークエンド/君と話したい 果たせなかった事ばかり思う〉と歌い出す。安部のTwitter (@kouseiabe)には、〈コロナ禍で自宅にいる時、空に立派な虹がかかり、フジファブリックの曲「虹」が脳内でながれた。そのときの気分を残しときたくて作った曲です〉とあった。「虹」には〈週末 雨上がって 虹が空で曲がってる〉〈不安になった僕は君の事を考えている〉という歌詞がある。

 安部がフジフジ富士Qで歌った「虹」、堕落モーションFOLK2の「夢の中の夢」、HINTOの「シーズナル」「なつかしい人」。〈君と話したい〉の〈君〉に向けた歌とも思われる歌がいくつか浮かんでくる。「ニジイロウィークエンド」は、コロナ禍の苦悩や内省が入り混じる歌だ。いつかまた詳しく書いてみたい。

 この歌には複雑な陰影があるが、次のリフレインで終わる。


  雨上がりのウィークエンド 虹がかかったウィークエンド

  雨上がりのウィークエンド 始まりそうなウィークエンド


  この〈虹がかかったウィークエンド〉〈始まりそうなウィークエンド〉を、2022年への希望の言葉として受けとめてみたい。


2021年12月26日日曜日

「セレナーデ」と「若者のすべて」[志村正彦LN301]

  前回、「若者のすべて」の〈「僕ら」、「僕」という一人称単数ともう一人の一人称単数の存在は、別々の場にいるのだが、それでも、何か一つのものを分かち合っている。かけがえのないものを分有している〉と書いた。

 「僕」にとっての〈もう一人の一人称単数の存在〉は、「僕」の視点から見ると、《君》や《あなた》という二人称の存在になるが、「若者のすべて」の歌詞の中には二人称で呼びかけられる人間そのものは登場しない。あくまでも一人称の存在が二人いて、その二人が「僕ら」という一人称複数の代名詞で呼ばれている。「僕」と《君》ではなく、「僕」ともう一人の《私》が、「僕ら」を構成している。この「僕ら」が「僕ら」というあり方で、かけがえのない何かを分有している。今回はその〈分有〉について書いてみたい。そのために、「セレナーデ」という歌をこの場に召喚したい。

 「セレナーデ」は、2007年11月7日リリースの10枚目シングル『若者のすべて』のカップリング曲として発表された。今年6月、 RECORD STORE DAY 2021に合わせて、『若者のすべて』が7インチのアナログレコードとして発売された。B面には「セレナーデ」が収録された。赤色のレーベルに曲名がプリントされた黒色の円盤。赤と黒のコントラストが鮮やかだ。「若者のすべて」の〈花火〉の赤色。「セレナーデ」の黒色の〈眠りの森〉。そんな色の感触がある。レコード化されて、「若者のすべて」と「セレナーデ」の結びつきが強まった気がした。

 「セレナーデ」 (作詞・作曲:志村正彦)の歌詞を全文引用したい。


眠くなんかないのに 今日という日がまた
終わろうとしている さようなら

よそいきの服着て それもいつか捨てるよ
いたずらになんだか 過ぎてゆく

木の葉揺らす風 その音を聞いてる
眠りの森へと 迷い込むまで

耳を澄ましてみれば 流れ出すセレナーデ
僕もそれに答えて 口笛を吹くよ

明日は君にとって 幸せでありますように
そしてそれを僕に 分けてくれ

鈴みたいに鳴いてる その歌を聞いてる
眠りの森へと 迷い込みそう

耳を澄ましてみれば 流れ出すセレナーデ
僕もそれに答えて 口笛吹く

そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ
消えても 元通りになるだけなんだよ


  「若者のすべて」の「僕ら」は、眼差しの一瞬の交わし合いの中で再会したと考えているが、「セレナーデ」は、その「僕ら」が夢の中で再会する歌ではないだろうか。

 「僕」は〈眠りの森〉から聞こえてくる〈セレナーデ〉に誘われて眠りにつく。しかし本当は、その〈セレナーデ〉は「僕」が口笛で吹いている。すべては夢の中で混沌としている。「僕」の声もどこからか来る音も、混じり合っている。

 その〈セレナーデ〉が〈君〉に届く。〈君〉もまた〈眠りの森〉の世界へ入っていく。「僕」と「君」は〈眠りの森〉の中で再会する。深い眠りの中で〈セレナーデ〉が響いている。

 「僕」は〈明日は君にとって 幸せでありますように/そしてそれを僕に 分けてくれ〉と、夢の中で「君」に語りかける。「君にとって 幸せでありますように」という祈りが先にあり、「それを僕に 分けてくれ」という願いがその後に続く。「僕」の祈りと願いの言葉は、言葉として「君」に届くことはない。

 「君」はこの言葉の残響のようなものを微かに聞きとる。夢からの覚醒時に儚くも消えてしまうが、夢の中の言葉として記憶のどこかに、意識されない言葉として刻まれるかもしれない。最後の〈そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ/消えても 元通りになるだけなんだよ〉はその推移を描いている。

 すべては〈眠りの森〉の中の出来事。起きたことも、起こりつつあることも、これから起きることも、夢から覚めた後に消えてしまうが、この祈りだけは、無意識のどこかに、微かな痕跡のようなものとして残存する。「僕」と「君」は、この祈りを分かち合う。〈明日は君にとって 幸せでありますように/そしてそれを僕に 分けてくれ〉というかたちの〈幸せ〉が、「僕」と「君」に分有される。

 「若者のすべて」の「僕ら」は〈最後の最後の花火〉を見て、「同じ空」を見上げる。「セレナーデ」の夜になると、「僕ら」は〈眠りの森〉に入る。夢の世界で〈幸せ〉を分有する。すべては「僕」の〈途切れた夢の続き〉かもしれないが、「僕」の夢想は、A面の「若者のすべて」からB面の「セレナーデ」へと引き継がれていく。これ自体が筆者の夢想のような解釈だが、そのような夢想をこの二つの歌と分かち合いたい。



2021年12月19日日曜日

「僕」は「僕ら」でもある-「若者のすべて」24[志村正彦LN300]

 前回述べたように、ドラマ『SUMMER NUDE』の世界では、「若者のすべて」をめぐって、〈別れた彼女と偶然の再会を期待して、思い出の花火大会に来たけど会えない〉とする三厨朝日と、〈その彼女と花火大会の日に偶然再会する〉〈まったく会えることを期待しなかった彼女に最後の最後に会って、一緒に花火を見てる〉とする一倉香澄との間に、物語の解釈の違いがある。

 再会をめぐる解釈の差異は、「若者のすべて」の語りの構造に起因している。これまで繰り返し述べてきたが、「若者のすべて」の歌詞は、《僕の歩行》の系列と《僕らの花火》の系列の二つが複合されて作られた。この系列の構造を図示してみよう。



 三厨朝日は、「僕」の観点を重視し、《僕の歩行》系列の最後の〈すりむいたまま 僕はそっと歩き出して〉に、再会しないまま一人で歩き出すという物語を読みとる。それに対して、一倉香澄は、「僕ら」の観点を重視し、《僕らの花火》系列の〈同じ空を見上げているよ〉に再会の実現という物語を読みとる。

 この再会の有無についてさらに踏み込んでいきたい。

 「僕」と「僕」が思い続けていた人(『SUMMER NUDE』でいう「彼女」)が実際に再会して同じ場にいるのなら、当然、「僕ら」はこの二人を指すことになるだろう。この二人が〈最後の最後の花火〉の場面で〈同じ空を見上げている〉ことになる。

 しかし、この二人が再会していないとしたら、〈最後の最後の花火が終わったら/僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉をどう捉えたらよいのか。この「僕ら」という一人称複数の代名詞は、やはり、「僕」と「僕」が思い続けていた人の二人を指すだろう。再会していない二人が「僕ら」となるのはどのような状況を想像したらよいだろうか。一つ可能性を示したい。

 「僕ら」は同じ場所にいるのではなく、別々の場所で空を見上げている。つまり、「僕」はあくまでも一人で、空の花火を見上げている。「僕」が思い続けていた人、もうひとりの人物も別の場所にいる。「僕」とその人は別々の場にいるが、「最後の最後の花火」の時間に花火大会の会場という場を共有している。だから、僕とその人は「僕ら」と呼ばれ〈同じ空〉を見上げていると、「僕」は考える。〈同じ空〉という表現には、別々の場所にいるにもかかわらず同じものを見ているという含意も感じられる。

 また、〈同じ空を見上げている〉ということを〈よ〉という助詞を使って呼びかけていることにも注意したい。助詞〈よ〉は、話し手の判断・主張・感情などを強めて聞き手に呼びかけたり、訴えたりするときに付加する言葉だが、〈よ〉は話し手と聞き手の情報の不一致を前提として、話し手が聞き手の知らない情報や不充分である認識を伝えるという意味合いが込められることもある。「僕」の相手となる人は、「僕」と同じ場所にいるわけではないので、〈同じ空を見上げている〉という認識がないかもしれない。だからこそ、「僕」は〈よ〉を付けてその相手に呼びかける。この場合、この言葉は実際の発話ではなく、心の中の発話であるだろう。


 一つのストーリー、《僕らの花火》系列の2,3,4の間の空白をつなげる場面を想像してみたい。


最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ


最後の花火に今年もなったな 
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな なんてね 思ってた
まいったな まいったな 話すことに迷うな


最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 「僕」は、〈会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉と想い続けていた人を、偶然、見かける。その偶景によって、〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉というフレーズが、〈ないかな ないよな なんてね 思ってた〉に転換される。しかし、「僕」は〈まいったな まいったな 話すことに迷うな〉と躊躇い、そのままその場を通り過ぎようとする。その一瞬に、「僕」の視線はその想い続けていた人に向けられる。「僕」とその人との間で、眼差しが交わされる。眼差しによる再会。

 「僕」はその場を通り過ぎた後、一人で「最後の最後の花火」を見ている。その人も別のところで〈同じ空〉の花火を見ている。「僕」とその人は離れてはいるが、花火大会の時と場を共有する「僕ら」となる。「僕ら」は何らかの想いを共有していると、「僕」は考える。そして、〈僕らは変わるかな〉と問いかける。

 「僕」にとって、〈僕ら〉も〈同じ空〉も二人が何かを共有していることを伝える表現である。共有というよりも《分有》という言葉を使う方が適切かもしれない。「僕ら」、「僕」という一人称単数ともう一人の一人称単数の存在は、別々の場にいるのだが、それでも、何か一つのものを分かち合っている。かけがえのないものを分有している。


 「僕」は一人であるかもしれないが、同時に、「僕ら」でもある。その意味において、「僕」は孤独ではない。「僕」は「僕ら」でもあるのだから。


 しかし、異なるストーリーも可能だろう。「僕」と僕が思い続けていた人が再会し、文字通りの「僕ら」となり、同じ空を見上げている。そのような展開も想像できる。その他の解釈もあるだろう。

 おそらく、志村正彦にとっても、「僕」と「僕ら」をめぐる物語は固定的なものとして捉えられていなかった。彼は試行錯誤して二つの曲を融合させてこの作品を作ったと述べている。2007年12月の両国国技館ライブのMCでは次のように発言している。

歌詞ってもんは不思議なもんで。作った当初とは、作っている詩を書いている時と、曲を作って発売して、今またこう曲を聴くんですけども、自分の曲を。解釈が違うんですよ。同じ歌詞なのに。解釈は違うんだけど、共感できたりするという。


 志村は同じ歌詞であるのに解釈が異なってくることを強調している。彼が言うように、「若者のすべて」は、一人ひとりの解釈を生成していく。ここで論じたように、「僕」と「僕ら」のどちらの観点をより重視していくかによっても解釈が分かれていく。そして、「僕」と「僕ら」の二つの観点をどう融合してかによって、「若者のすべて」の解釈がさらに多様になっていく。

 この歌を聴くすべての人にそれぞれの「若者のすべて」がある。その一つ一つが「若者のすべて」の〈すべて〉を形成している。


【付記】今回、「志村正彦ライナーノーツ(LN)」は300回を迎えた。2013年3月に第1回を書いた。当初は漠然とだが、300回を一つの目安にした。9年近くを要してその回数に到ったことになる。このエッセイの言葉で言えば、この偶景webが、「僕」のブログであり、同時に、「僕ら」のブログであることを目指して、今後も書き続けていきたい。

2021年12月12日日曜日

解釈の分岐点-「若者のすべて」23[志村正彦LN299]

 「若者のすべて」の歌詞自体の分析を再開したい。前回の《22》から2か月ぶりになる。

 「僕」と、「僕」が〈会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉と想い続けている人とが再会したのかどうかを前回で論じた。「若者のすべて」を物語として読むときに、二人の再会の有無が大きなテーマとなる。

 もう八年も前のことだが、2013年の夏、フジテレビの月9ドラマ『SUMMER NUDE』(脚本:金子茂樹)で、「若者のすべて」をモチーフとする場面が登場したことが話題になった。この第2話の回想シーンで、三厨朝日(山下智久)と一倉香澄(長澤まさみ)が海辺のカフェーにいる。「若者のすべて」がBGMで流れ、香澄はこの歌を口ずさみ、二人の話が始まる。鍵となる部分を色分けして引用しよう。


朝日:この歌好きなの?
香澄:うん、大好き、歌詞がちょー良くない?
朝日:うん、これってさあ、別れた男女の切ない歌だよね。
香澄:えっ、違うよ。
朝日:そうだって、別れた彼女と偶然の再会を期待して、思い出の花火大会に来たけど会えないっていう歌だよ。
香澄:その彼女と花火大会の日に偶然再会する歌だって。
朝日:いや違う、絶対間違ってるって。
香澄:ちゃんと聴いてないでしょ。
朝日:聴いてるよ、俺もこの歌ちょー好きだし。
香澄:最後までよく聴きなよ。まったく会えることを期待しなかった彼女に最後の最後に会って、一緒に花火を見てるから。
朝日:いや、再会なんかしてないでしょ
香澄:してるの、彼女は戻ってくるの


 「若者のすべて」の物語を〈別れた彼女と偶然の再会を期待して、思い出の花火大会に来たけど会えない〉とする三厨朝日と、〈その彼女と花火大会の日に偶然再会する〉〈まったく会えることを期待しなかった彼女に最後の最後に会って、一緒に花火を見てる〉とする一倉香澄との間で、解釈が対立している。二人は各々、「若者のすべて」の歌詞から自分の想像する物語を読みとる。当然だが、どちらも成り立つ。むしろ、二人の各々の解釈が二人のその後にどう影響するのかということの方が『SUMMER NUDE』の重要な鍵となる。

  二人の解釈の分岐点は、《僕らの花火》系列の3と4のあいだの空白に何を読みとるのかということに帰着する。


  3
 最後の花火に今年もなったな 
 何年経っても思い出してしまうな
 ないかな ないよな なんてね 思ってた
 まいったな まいったな 話すことに迷うな


  4
 最後の最後の花火が終わったら
 僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 香澄の解釈は、彼女と〈花火大会の日に偶然再会する〉ことから〈一緒に花火を見てる〉ことへと接続していく。二段階でこの物語を捉えている。そして、〈彼女は戻ってくる〉ということを強調している。それに対して、朝日の方は二人が〈一緒に花火を見てる〉に相当する場面への言及がない。〈思い出の花火大会に来たけど会えない〉ということだけを語っている。香澄の解釈に比べると、一段階の物語となる。この段階の違いが解釈の分かれ道になっている。香澄と朝日各々の恋愛についての考え方にも起因しているだろう。

 この解釈の差異は結局、〈僕〉と〈僕ら〉、〈僕の歩行〉と〈僕らの花火〉の系列の間の空白部をどうつなげるかに帰着する。

   (この項続く)


2021年12月5日日曜日

「若者のすべて」の共演-「MUSIC BLOOD」[志村正彦LN298]

  12月3日放送の日本テレビ「MUSIC BLOOD」(MC:田中圭・千葉雄大)を見た。

 毎週1組のアーティストを迎え、衝撃的な音楽との出会いから始まった音楽人生や今も血液として自分に流れる原体験を〈MUSIC BLOOD〉として語り、自らの〈BLOOD SONG〉となった曲を演奏する番組である。

 冒頭で、志村の「一番の目標はその名盤を創るじゃないですけど、揺るがない作品を創りたいってのが」という発言が紹介された。志村についての簡潔な説明の後で、フジファブリック現メンバーの山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一が登場し、彼らの〈MUSIC BLOOD〉は志村正彦だと語った。

 志村について語るのは勇気が要るのではというMCの問いかけ対して、山内は「(あの)メンバーが志村君のことを話すというのは、その言葉によっては(やっぱ)誤解を産んでしまうという、(こう)おそれもやっぱりあるのはあるんですけど、やはり彼のことを伝えたいという、まだまだ知ってもらいたいと思ったので今日は話したいなと思いました」と答えた。山内、金澤、加藤の三人が志村が亡くなった時のことについても話した。彼らの志村への想いは伝わってきた。沈んだ声と瞳が印象的だった。三人の言葉をここに引用するのは控えたい。この番組はTVerやhuluでまだ視聴できる。

 この日は、「若者のすべて」(作詞:志村正彦 作曲:志村正彦)が〈BLOOD SONG〉になり、志村の声、現メンバー、志村の母校山梨県立吉田高等学校の音楽部による共演で演奏されると予告されたので、そのことに一番関心があった。番組の中頃で「志村の歌声とメンバーの演奏そして母校の若者たちの歌声」というナレーションと共に共演が始まった。メンバーと吉田高校生の背後に、「若者のすべて」MVが流れ、志村正彦が映し出された。記録のために、共演の箇所を下記に示したい。


若者のすべて (作詞:志村正彦 作曲:志村正彦)



〈志村の声〉

夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて


〈志村の声+金澤・山口のコーラス〉

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

〈志村の声+金澤・山口のコーラス+吉田高校音楽部のコーラス〉

すりむいたまま 僕はそっと歩き出して

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 吉田高校のコーラスは女子8人男子2人で編成されていた。「僕はそっと歩き出して」と「僕らは変わるかな」の一人称の単数と複数の代名詞、〈僕〉と〈僕ら〉に、志村正彦のやわらかい優しい声と高校生の若々しく綺麗な声が美しく重なりあう。「若者のすべて」の〈全て〉が多層的に響きあっていた。

 しかし、上記の記載で分かるように、2番目のすべてと、3番目の一部が省略されていた。特に、3番目のパートの〈ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉はこの展開からすると吉田高校の生徒のコーラスが入る部分だろうが、それを聴くことができなかったのがきわめて残念だった。

 純粋な言葉の音の響きからすると、〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉のコーラスが最も魅力的な部分となる。放送の時間の都合なのだろうが、この部分の吉田高校生のコーラスが省かれたのは疑問である。せっかく母校の高校生が共演するという貴重な機会を尊重するのなら、フルヴァージョンで収録し放送すべきだろう。「若者のすべて」の〈すべて〉が損なわれてしまうとも言える。

 最後に、書かざるをえないことを正直に記したい。

 志村正彦・フジファブリックの聴き手の一人としては、このような番組は基本として嬉しいものがある。しかし、この番組は〈衝撃的な音楽との出会い〉〈今も血液として自分に流れる原体験〉という観点から構成されているので、どうしてもある種の物語が必要とされる。そのことがかなり気になった。

 〈名曲を残し、若くして亡くなった天才〉という〈天才志村正彦の物語〉。そして、〈志村没後、もがき苦しみながら活動を続けた〉という〈苦悩と葛藤のバンドの物語〉。そのような捉え方や過程が実際にあったとしても、それが物語として語られることに、そして共有されることに、疑問がある。そうではない、という違和感を持つ。

 志村正彦の人生は物語ではない。

 揺るがない作品を創ることが一番の目標だと志村は語っていた。「若者のすべて」の〈僕〉は、そっと歩き出す。〈僕〉はなんでもない一人の若者である。その歩みは物語ではない。物語ではないからこそ、歌が生まれる。歌という作品が創造される。