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2021年12月26日日曜日

「セレナーデ」と「若者のすべて」[志村正彦LN301]

  前回、「若者のすべて」の〈「僕ら」、「僕」という一人称単数ともう一人の一人称単数の存在は、別々の場にいるのだが、それでも、何か一つのものを分かち合っている。かけがえのないものを分有している〉と書いた。

 「僕」にとっての〈もう一人の一人称単数の存在〉は、「僕」の視点から見ると、《君》や《あなた》という二人称の存在になるが、「若者のすべて」の歌詞の中には二人称で呼びかけられる人間そのものは登場しない。あくまでも一人称の存在が二人いて、その二人が「僕ら」という一人称複数の代名詞で呼ばれている。「僕」と《君》ではなく、「僕」ともう一人の《私》が、「僕ら」を構成している。この「僕ら」が「僕ら」というあり方で、かけがえのない何かを分有している。今回はその〈分有〉について書いてみたい。そのために、「セレナーデ」という歌をこの場に召喚したい。

 「セレナーデ」は、2007年11月7日リリースの10枚目シングル『若者のすべて』のカップリング曲として発表された。今年6月、 RECORD STORE DAY 2021に合わせて、『若者のすべて』が7インチのアナログレコードとして発売された。B面には「セレナーデ」が収録された。赤色のレーベルに曲名がプリントされた黒色の円盤。赤と黒のコントラストが鮮やかだ。「若者のすべて」の〈花火〉の赤色。「セレナーデ」の黒色の〈眠りの森〉。そんな色の感触がある。レコード化されて、「若者のすべて」と「セレナーデ」の結びつきが強まった気がした。

 「セレナーデ」 (作詞・作曲:志村正彦)の歌詞を全文引用したい。


眠くなんかないのに 今日という日がまた
終わろうとしている さようなら

よそいきの服着て それもいつか捨てるよ
いたずらになんだか 過ぎてゆく

木の葉揺らす風 その音を聞いてる
眠りの森へと 迷い込むまで

耳を澄ましてみれば 流れ出すセレナーデ
僕もそれに答えて 口笛を吹くよ

明日は君にとって 幸せでありますように
そしてそれを僕に 分けてくれ

鈴みたいに鳴いてる その歌を聞いてる
眠りの森へと 迷い込みそう

耳を澄ましてみれば 流れ出すセレナーデ
僕もそれに答えて 口笛吹く

そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ
消えても 元通りになるだけなんだよ


  「若者のすべて」の「僕ら」は、眼差しの一瞬の交わし合いの中で再会したと考えているが、「セレナーデ」は、その「僕ら」が夢の中で再会する歌ではないだろうか。

 「僕」は〈眠りの森〉から聞こえてくる〈セレナーデ〉に誘われて眠りにつく。しかし本当は、その〈セレナーデ〉は「僕」が口笛で吹いている。すべては夢の中で混沌としている。「僕」の声もどこからか来る音も、混じり合っている。

 その〈セレナーデ〉が〈君〉に届く。〈君〉もまた〈眠りの森〉の世界へ入っていく。「僕」と「君」は〈眠りの森〉の中で再会する。深い眠りの中で〈セレナーデ〉が響いている。

 「僕」は〈明日は君にとって 幸せでありますように/そしてそれを僕に 分けてくれ〉と、夢の中で「君」に語りかける。「君にとって 幸せでありますように」という祈りが先にあり、「それを僕に 分けてくれ」という願いがその後に続く。「僕」の祈りと願いの言葉は、言葉として「君」に届くことはない。

 「君」はこの言葉の残響のようなものを微かに聞きとる。夢からの覚醒時に儚くも消えてしまうが、夢の中の言葉として記憶のどこかに、意識されない言葉として刻まれるかもしれない。最後の〈そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ/消えても 元通りになるだけなんだよ〉はその推移を描いている。

 すべては〈眠りの森〉の中の出来事。起きたことも、起こりつつあることも、これから起きることも、夢から覚めた後に消えてしまうが、この祈りだけは、無意識のどこかに、微かな痕跡のようなものとして残存する。「僕」と「君」は、この祈りを分かち合う。〈明日は君にとって 幸せでありますように/そしてそれを僕に 分けてくれ〉というかたちの〈幸せ〉が、「僕」と「君」に分有される。

 「若者のすべて」の「僕ら」は〈最後の最後の花火〉を見て、「同じ空」を見上げる。「セレナーデ」の夜になると、「僕ら」は〈眠りの森〉に入る。夢の世界で〈幸せ〉を分有する。すべては「僕」の〈途切れた夢の続き〉かもしれないが、「僕」の夢想は、A面の「若者のすべて」からB面の「セレナーデ」へと引き継がれていく。これ自体が筆者の夢想のような解釈だが、そのような夢想をこの二つの歌と分かち合いたい。



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