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2021年12月31日金曜日

2021年そして2011年 [志村正彦LN302]

 毎年、大晦日にその年を振り返ることが多いが、今日はまず、十年前の2011年のことを思い出してみたい。この年の12月23・24日、志村正彦の同級生たちが富士吉田市民会館で「志村正彦展 路地裏の僕たち」を開催した。縁があって、この地元で初の本格的な志村展で、当時勤めていた甲府城西高校の授業で生徒が書いた志村正彦・フジファブリックについての素晴らしい文章と共に、僕自身の「志村正彦の夏」という拙文も展示していただいた。

 あの当時から今日に到るまで、志村の同級生たちから成る「路地裏の僕たち」、ネットの「Fujifabric International Fan Site」、地元紙の山梨日日新聞・YBS山梨放送が地元での活動やその紹介や報道の中心を担っている。彼らの活動の継続が、現在の志村正彦の大きな隆盛の原動力となっている。

 十年を経た今年、富士吉田では志村を伝え広めていくための重要な動きがたくさんあった。この12月末から、富士急行の下吉田駅の列車接近曲として「若者のすべて」「茜色の夕日」が流れることになった。志村の母校、山梨県立吉田高校の音楽部や放送部が彼の曲を合唱したり、番組を制作したりという活動を始めた。音楽部は日本テレビの番組「MUSIC BLOOD」にも出演し、「若者のすべて」のコーラスを担当した。富士吉田の高校生たちによる「#私たちのすべて」の試み。「黒板当番」さんによる富士山駅ヤマナシハタオリトラベル mill shopでの黒板画。また、そのような活動についてのNHK甲府やUTYテレビ山梨・山梨新報、全国紙の山梨版での報道や番組も増えてきた。この11月、志村正彦が富士吉田文化振興協会によって第24回「芙蓉文化賞」に選出された。エフエムふじごこでは「路地裏の僕たちでずらずら言わせて」というトーク番組が続いている。志村の故郷富士吉田そして山梨では、志村正彦の評価が確固たるものとなった。十年前と比べると、志村の知名度は格段に高まってきた。

 2022年度から「若者のすべて」が高校音楽Ⅰの教科書、教育芸術社『MOUSA1』に採用されたことは特筆すべきことだった。このニュースは、朝日新聞の全国版などで大きく報道されて反響を呼んだ。『サブカル国語教育学』という国語教育の書籍で「桜の季節」の授業構想も発表された。音楽や国語などの教育の場で、志村正彦・フジファブリックの作品が教材となる動きは今後も続くだろう。

 僕の本業は教師である。勤務先の山梨英和大学の「人間文化学」「山梨学」の講義の一つとして、「若者のすべて」や四季盤の作品を取り上げた。担当の卒論ゼミでは、志村正彦を卒業論文のテーマとする学生も出てきた。専門ゼミでは学生と一緒に、志村正彦・フジファブリックと松本隆・はっぴいえんどの歌詞の比較、日本語ロックの歴史的考察も試みたが、このテーマは今後このブログで書いてみたい。また、大学の出張講義の依頼があり、「ロックの歌詞から日本語の詩的表現を考える-志村正彦の作品」を甲府市内の三つの高校と吉田高校で行った。このように学内の講義・ゼミナール、学外の出張講義という形で、教育やそのための研究を進めている。

 偶景webの中心コンテンツ「志村正彦ライナーノーツ(LN)」が300回を超えた。振り返れば、2011年の志村展の「志村正彦の夏」という文が、この連載の第ゼロ回という位置づけになる。この文を書き終わったときにある手応えを感じた。このスタイルであれば志村正彦の歌について書いていけるかもしれない、そのような予感があった。実際にこのブログを始めたのはその一年後だったが、志村正彦LNについては、300回を一つの到達点として設定してみた。それ以来ほぼ一週間に一回ほどのリズムで書き続けてきた。少なくとも数回分の構想はあり、実際に下書きもしているのだが、時々起きる志村をめぐる様々な動きやニュース、あるいは全くの偶発的な出来事も積極的に取り入れてきた。だから、連載しているものが時々中断して、しばらくしてまた再開するということも少なくなかった。

 自分の内的なモチーフと、他者や外側から受けとるモチーフの両方から書いてきた。内発的なものと外発的なもの、必然的なものと偶然的なもの、その二つの観点から記述していくことが、このブログの持続のために重要だった。そして、このブログの書き手と読み手という二つの在り方を意識した。自分自身が一人の読み手としてこのブログを読む。その観点から何を書くべきかを模索してきた。


 最後にある曲を紹介したい。HINTOの新曲「ニジイロウィークエンド」である。

 12月28日、SPARTA LOCALSと HINTOのスプリットシングルCD『≠』(ノット・イコール)がリリースされた。一昨日、CDが届いた。紙ジャケットの表側には、白地に黒色の≠の記号が、中側には夜(SPARTA LOCALS)と昼(HINTO)のオブジェのような光景が印刷されている。おそらく録音スタジオ(山梨のようだ。山中湖あたりと思われるが、確かなことは分からない)周囲の晩秋の風景を素材としている。いつものように美しいデザインだ。

 最近はPC内蔵のスピーカーで聴いてしまうことが多いのだが、このシングルはオーディオ装置を通して何度も聴いた。安部光広のベースの心地よいうねり。伊東真一の彩り鮮やかギター。菱谷昌弘のタイトなドラム。そのサウンドに乗って、やや哀しげに、安部コウセイは〈土砂降り雨のウィークエンド あわてて走り出す/これはどこに向かっているのかな〉〈疲れ果てたよウィークエンド/君と話したい 果たせなかった事ばかり思う〉と歌い出す。安部のTwitter (@kouseiabe)には、〈コロナ禍で自宅にいる時、空に立派な虹がかかり、フジファブリックの曲「虹」が脳内でながれた。そのときの気分を残しときたくて作った曲です〉とあった。「虹」には〈週末 雨上がって 虹が空で曲がってる〉〈不安になった僕は君の事を考えている〉という歌詞がある。

 安部がフジフジ富士Qで歌った「虹」、堕落モーションFOLK2の「夢の中の夢」、HINTOの「シーズナル」「なつかしい人」。〈君と話したい〉の〈君〉に向けた歌とも思われる歌がいくつか浮かんでくる。「ニジイロウィークエンド」は、コロナ禍の苦悩や内省が入り混じる歌だ。いつかまた詳しく書いてみたい。

 この歌には複雑な陰影があるが、次のリフレインで終わる。


  雨上がりのウィークエンド 虹がかかったウィークエンド

  雨上がりのウィークエンド 始まりそうなウィークエンド


  この〈虹がかかったウィークエンド〉〈始まりそうなウィークエンド〉を、2022年への希望の言葉として受けとめてみたい。


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