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2020年3月31日火曜日

「志村」という姓 [志村正彦LN252]

 志村けんが急逝した。知名度が抜群に高い人だけに衝撃が大きい。ご冥福を祈りたい。

 小学生の頃、ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』はそれこそ子ども全員が見ていた驚異的な番組だった。僕が熱心に見ていたのは、志村けんの前任者、荒井注の時代だった。ザ・ドリフターズはもともと音楽バンドということもあって、この番組はコントだけでなく歌や合唱もあった。「ドリフのズンドコ節」は最高だった。志村けんの加入時には高校生になっていたのでこの番組からはもう遠ざかっていたが、当時の感覚でも志村けんは新しいタイプのコメディアンだった。舞台に登場するとたちまちその場の雰囲気を変えてしまうようなインパクトがあった。
 ここ十年ほどは、志村正彦と姓が同じであることで何となく親しみを抱くようになった。志村正彦のファンなら、ネットで「志村」を検索すると「志村けん」がヒットするという経験をしたことがあるだろう。

 昨夜、追悼番組としてNHKが志村けんの「ファミリーヒストリー」を再放送していた。2018年5月に放送されたものだが、その際にこの番組を見ていた。言うまでもなく、志村けんのルーツそして「志村」という姓への関心からだった。

 山梨で「志村」は比較的多い姓である。山梨県人なら誰でも志村という名の知人が何人かいるだろう。ネットで県別の姓のランキングを見ると、志村は15位である。全国では467位だからあきらかに山梨に数多くある姓となる。志村姓の県内在住者は約7000人いるらしい。歴史的には「甲斐志村氏」という捉え方のようだ。

 直観にすぎないが、志村けんは山梨と何らかの関係があるのではと考えていた。「ファミリーヒストリー」では山梨の歴史研究家平山優氏が、志村けんの先祖は武田家家臣の山県昌景の家臣の可能性が高いと述べていた。その山県の家臣に「志村又左衛門」という人がいて、その子孫の一部が武蔵国に移り住んだそうである。志村けんのルーツは山梨にあるという説だった。説はあくまでも説だが、志村けんと志村正彦、二人の志村には、大きく捉えれば「志村」という姓の接点があると考えてもよいだろう。その他にも、志村けんは山梨とのゆかりがあったようだ。

 新型コロナウイルスは世界を一変させた。
 このブログに関係することではやはり、ライブハウスをはじめとする音楽の場が事実上閉鎖されていることだ。音楽家も現場の働き手も経営者も厳しい状況に追い込まれている。フリーランスの立場の方々の不安を思うとここに記す言葉もない。終息を待つしかないが、終息が見通せない。何をもって終息とするかも不明なところが焦燥感につながる。

 こんな時こそ音源が不安な心を和らげてくれるかもしれない。志村正彦・フジファブリックの『ルーティーン』のことを想った。歌詞を引きたい。


  日が沈み 朝が来て
  毎日が過ぎてゆく

  それはあっという間に
  一日がまた終わるよ

  折れちゃいそうな心だけど
  君からもらった心がある

  さみしいよ そんな事
  誰にでも 言えないよ

  見えない何かに
  押しつぶされそうになる

  折れちゃいそうな心だけど
  君からもらった心がある

  日が沈み 朝が来て
  昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね


 新型コロナウイルスは世界を一変させた。わずか二、三ヶ月の間で、人々の日常が壊された。
 日常とは、「昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね」という祈りがもたらすものであり、ほんとうは奇蹟のようなものかもしれない。

2020年3月25日水曜日

3月26日放送予定の志村正彦番組のこと[志村正彦LN251]

 3月26日(木) 午後3時08分から、NHK総合テレビで『にっぽん ぐるり「若者のすべて~フジファブリック・志村正彦がのこしたもの~」』(NHK甲府制作)が再放送される。そのことで少し気になることを今回は書きたい。なお前回の記事でこの番組が全国放送されると書いたが、放送されない地域もあるようで、訂正させていただく。

 最初にこの前放送されたBSテレビ東京『あの年この歌 3時間スペシャル 名曲~レア曲 昭和・平成ベスト100』の映像を振り返りたい。『若者のすべて』映像(月刊MelodiX! 2007/11/24)で次のテロップが表示された時のことである。


  桜井和寿 草野マサムネ 柴崎コウ 奥田民生など
  多くのアーティストにもカバーされた名曲「若者のすべて」


 これを見た瞬間、何かが足りないと思った。何だろうかと考えたらすぐにあることに気づいた。槇原敬之の名がないことだ。言わずもがなであるが、彼が違法薬物所持の疑いで逮捕されたことの影響であろう。
 数多くある『若者のすべて』カバーの中で、槇原versionの評価が高いことは衆目の一致するところであろう。『Listen To The Music The Live ~うたのお☆も☆て☆な☆し 2014』DVDにライブ映像を収録。昨年10月リリースのカバーベストアルバム「The Best of Listen To The Music」に音源収録。昨年11月放送のNHK「SONGS」で『若者のすべて』を歌い、コード進行に言及しながらこの歌を絶賛した。槇原敬之は『若者のすべて』ルネサンスの中心にいるアーティストである。

 槇原敬之の逮捕を知った時に『若者のすべて』を次の一節が思い浮かんだ。 


   世界の約束を知って それなりになって また戻って


 「世界の約束」、世界には約束があり法がある。若者はその「約束」に対して「それなりになって また戻って」というように行きつ戻りつして大人になっていく。五十歳の槇原はまだ「世界の約束」を守りきれてない。まだ「若者のすべて」の只中にいるのかな、というのが正直な感想だった。アーティスト特有の悩みや不安はあるだろう。それでも「世界の約束」の中で生きていかねばならない。素晴らしい歌い手であるから、いつの日かまた『若者のすべて』を歌う機会が戻ってくることを期待したい。

 この件に関連して考えたことがある。この番組はすでにNHK甲府とNHKBSでオンエアされたが、冒頭部分でNHK「SONGS」の槇原敬之『若者のすべて』の歌とコメントの映像の一部が使われている。気になるのは、明日のNHK総合の放送でこのシーンがどうなるのかということだ。
 このシーンは削除されるのだろうか。そうなるような気がするが、番組を見るまでは分からない。そのことに特別な関心があるわけではないが、やはり気になるところではある。

 「若者のすべて」のすべての中で様々な出来事が起きるのかもしれない。


2020年3月22日日曜日

コメントの紹介と対話 [志村正彦LN250]

 志村正彦ライナーノーツは今回で250回目。この連載を始めたときには漠然と300回くらい続くかなと思っていたので、その行程の6分の5の地点までたどりついた。平均して一年間で30回くらいなので300回に到達するには二年近くかかるだろう。(ブログ開設が2012年末だから2022年になるかもしれない。十年で300回という計算になる)多くもなく少なくもない数だろうが、300回に向けて書いていきたい。

 前回の記事に二人からコメントが寄せられた。とてもありがたい。
 bllogerのコメントは隠れてしまいがちなので、今回は紹介させていただくと共に、二人の発言に触発されて考えたことを記したい。

 最初の方からは、「1回目のテレビ出演は民生さんの「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」(10/26オンエア)ではないかと思います」と教えていただいた。「滅多にない地上波、特別思い入れのある楽曲、しかも憧れの民生さんの番組ということで、気合が入りまくったのでしょうね。すっかり声かれちゃってて」とその様子と感想が書かれていた。

 二人目の方からは、「『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』はYouTubeにアップされてますのでよかったら是非チェックされてみてください!」という情報をいただいた。早速検索してみると、「2007年 音楽戦士 MUSIC FIGHTER奥田民生とフジファブリック」という動画が見つかった。志村さんと民生さんのコメントが興味深かった。残念ながら『若者のすべて』の演奏シーンはなかったが、この番組の雰囲気は伝わってきた。
 そして次の言葉が心の中に刻まれた。一人目の方と二人目の方の順でここに引用させていただく。


一度ゆっくり休んでほしかった、と思わずにはいられません。
でもそんな彼の作った楽曲を愛しているので、結局は感情の持っていき場がなくなってしまうのですが。


2007年頃の志村くんは、恋をしていたらしいので音楽制作の苦しさとは別に少しくらい幸せな時間があったはずと思いたいです。後のインタビューで結局独りになってしまったと言ってましたが。


 愛が込められた言葉である。音楽を深く聴くためには、その音楽家を愛することが必要だ。時が経つ共に、この愛は純粋なものになっていく。作家とその作品に対する愛、創造する行為への愛はそのような本質を持つ。

 「MelodiX! 2007/11/24」の『若者のすべて』では、志村のやわらかくて切ない声が届いてくる。やや上方に向けられた眼差しも綺麗に何かを見据えている。でも、あきらかに痩せている。一生懸命に歌っている姿が、逆に痛ましい。「一度ゆっくり休んでほしかった」という言葉に深く頷く。それでも、「音楽制作の苦しさとは別に少しくらい幸せな時間があったはずと思いたい」とされる時間もあったのかもしれない。

 二人のコメントを読んでからあらためて、BSテレビ東京で発掘された「MelodiX!」の映像を見ると、「会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」のところで、志村がまぶたを閉じる瞬間の表情が切々とこちらに迫ってくる。あの言葉とあの表情が『若者のすべて』の核にあるのだろう。それは志村正彦固有のものである。この曲は多くのアーティストに歌われてきた。ただし、「まぶた閉じて浮かべているよ」のところをリアルに歌ったヴァージョンを聴いたことはない。
 この歌は、「まぶた閉じて浮かべている」ようにして歌い、そして聴く作品であろう。

 この曲がたくさんカバーされてきたことは素直にうれしい。でもカバーされればされるほど、『若者のすべて』は、志村正彦という作家の作品であるという原点に戻ってくる。歌を創造するという原点に回帰してくる。
 その原点に、作家とその作品に対する愛が存在している。


 【追伸 2020.3.23】
 前回の記事への新たなコメントで、YouTubeのチャンネル名maimimainに、『若者のすべて』演奏シーンを含む「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」の映像があることを教えていただいた。早速見たが、「練習しすぎて声嗄れてて、本番で声が出なくて。で、うちひしがれて」という志村さんの発言がよく理解できた。特に「まぶた閉じて浮かべているよ」「同じ空を見上げているよ」のところが苦しそうだ。でも確かに、コメントを寄せられた方の「一生懸命歌ってる志村くんに心打たれます」という言葉のように、声の不調に抗うようにして、歌の真実をなんとか伝えようとしている。その志と姿に志村正彦を感じる。

 それから番組の告知をひとつ。
 NHK甲府制作の『にっぽん ぐるり「若者のすべて~フジファブリック・志村正彦がのこしたもの~」』が、3月26日(木) 午後3時08分からNHK総合で放送される。すでにNHK甲府とNHKBSでオンエアされているが、今回は地上波の全国放送なのでより多くの人々にこの番組が届くだろう。


2020年3月16日月曜日

「青春を彩ったレジェンドたち」BSテレビ東京『あの年この歌 …昭和・平成ベスト100』[志村正彦LN249]

 昨夜、3月15日(日)19時00分~21時48分、BSテレビ東京で『あの年この歌 3時間スペシャル 名曲~レア曲 昭和・平成ベスト100』が放送された。事前にFujifabric_infoから、2007年の志村正彦・フジファブリック『若者のすべて』の映像がオンエアされるという情報が伝えられていたので、この日を楽しみに待っていた。

 3時間に及ぶ長い番組だった。おそらく最後の頃と予想していたらやはり夜9時半近くになって、志村正彦・フジファブリックの映像が登場した。この番組は「昭和・平成ベスト100」を10のテーマ別に10曲(10人)を選んでいた。志村正彦『若者のすべて』が最後のテーマ「青春を彩ったレジェンドたち」の第10位となったのである。
 ご覧になっていない方のためにそのシーンをテキストで記したい。このシーンのナレーションは次のように始まった。

 それぞれの青春に欠かせない名曲を歌ったアーティスト。
 まさに憧れの存在だった彼らも平成と共にその多くが世を去っていった。今回は平成に亡くなった中で各世代の青春を鮮やかに彩ったアーティストをランキング。

 テロップに「*40代~70代の男女を対象にネットでアンケート調査」とあったので、ネット調査をもとにしたランキングのようだ。この後、志村正彦が紹介された。「10位 フジファブリック 志村正彦  1980年-2009年」という表示と共に志村正彦の顔写真(撮影:江森康之)が画面に映し出される。ナレーションは次の通りである。
                                               
 10位 フジファブリック 志村正彦。
 ほとんどの楽曲の作詞作曲を手がけていた志村。
 彼が急逝した後、残されたメンバーはバンドを継続、数々の名曲を歌い継いでいる。生前の志村が代表曲『若者のすべて』を歌う貴重な映像が、テレビ東京に残されていた。

 こう説明された後、志村正彦が歌う映像が始まった。テロップに「月刊MelodiX! 2007/11/24」とあるが、今も続いている音楽番組である。放送されたのは次の部分。最後の一節を除いて歌詞も表示された。

 それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている
 夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
 「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて
 最後の花火に今年もなったな
 何年経っても思い出してしまうな
 ないかな ないよな きっとね いないよな
 会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

 「会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」の代わりに画面では次のテロップが表示された。

 桜井和寿 草野マサムネ 柴崎コウ 奥田民生など
 多くのアーティストにもカバーされた名曲「若者のすべて」

 全体で1分38秒ほどの時間だった。フルコーラスでなかったのが残念だが、この番組の構成上は仕方がない。いつかフルヴァージョンを放送していただけたらありがたい。「MelodiX!」の枠内はどうだろうか。

 『若者のすべて』に続いて、10の曲、アーティストが紹介された。以下がその順位である。

 1.坂井泉水(ZARD)
 2.萩原健一
 3.はしだのりひこ
 4.加藤和彦
 5.村下孝蔵
 6.大滝詠一
 7.ムッシュかまやつ
 8.忌野清志郎
 9.HIDE、TAIJI
 10.志村正彦(フジファブリック)

 この並びに志村正彦がいることは端的に凄い。志村の一般的な知名度は高くない。視聴者の中には誰かと思った人も少なくないだろう。しかし、志村という名前を知らなくても『若者のすべて』を聴いたことはあるかもしれない。記憶のどこかにこの曲の旋律や歌詞の断片がそっと入っていることもあるだろう。知名度の問題は別にして、志村が忌野清志郎、大滝詠一と共に「平成に亡くなった中で各世代の青春を鮮やかに彩ったアーティスト」に選ばれたことをここで特筆しておきたい。志村の世代とは所謂「失われた世代」、現在30歳から40歳前後の世代が中心だろう。確かに「失われた世代」の無や空白を彩る歌でもある。

 10曲がオンエアされた後、出演者の一人ミッツ・マングローブがこう話した。

フジファブリックが入っているのはうれしいですね。今同じ事務所なんですけど、私が事務所に入る前の年に志村さんはお亡くなりになっていて。このバンドのギタリストが今ボーカリストとして歌ってて。ほんとこの「若者のすべて」っていうのは、もう若者じゃない世代なんですけどこれが流行った時って、これはすごい曲だと思って、聴いてたんで。

 昨年来の様々な番組を含め、志村正彦や『若者のすべて』へのリスペクトが伺える発言が多い。この番組全体を通じて志村の歌うシーンが繰り返し紹介されていた。制作者の想いを強く感じた。

 志村は当時のテレビ番組出演について『東京、音楽、ロックンロール 完全版』の「interview」(p225)で次のように振り返っている。

 次のシングル”若者のすべて”でテレビ何本か出ましたけど、苦い思い出ですね。頑張ったんですよ。テレビだから、テレビ出る前に歌の練習してたんです。そしたら、練習しすぎて声嗄れてて、本番で声が出なくて。で、うちひしがれて、フジファブリックはテレビに出れないなって思ってですね。テレビに出てそういうパフォーマンスをされてる方に、とても尊敬を抱くようになりました。2回目はちょっとペースがつかめて、声もちゃんと出たんですけど。でも、今もちょっと出るのは怖いです。(後略)

 以前この箇所を読んだときに、出演したテレビ番組のことが気になっていた。「何本か」とあるが、この「月刊MelodiX! 」(2007/11/24)がその中の一本だろう。この番組では志村の声はそれなりにしっかりと出ているので、この「2回目」だったのかもしれない。

 この映像の印象を書きたい。
 11月の放送ということで、晩秋を思わせるセットを背景に、志村は両国国技館ライブの時と同じTシャツの上にグレー色のパーカを着て、アコースティックギターを奏でながら歌っている。ドラムは城戸紘志。五人の演奏のアンサンブルはいつもどおり安定している。
 志村の視線は上の方に向けられている。どこか遠くの方を見つめている表情である。しかし、「まぶた閉じて浮かべているよ」のところになると、まぶたを閉じる。何かを思い浮かべるように。そしてもう一度まぶたを開く。このまぶたの開閉は『若者のすべて』の歌を支える仕草であり、歌の表情そのものでもある。

 引用箇所に「頑張ったんですよ」とあるが、そのことが充分伝わってくる映像だった。『茜色の夕日』に続く重要な楽曲であり、その出来映えに自信を持っていた作品。志村正彦はこれからの自分のあり方をこの歌にかけていた。
 しかし、『若者のすべて』は彼が想像してほどには聴き手を獲得できなかった。その歌が2020年の今、「昭和・平成ベスト100」の「青春を彩ったレジェンドたち」の10曲のひとつとして評価されている。
 このblogで何度か書いてきたが、この歌が浸透していくためには数年から十年の時間が必要だった。それゆえにこれからはおそらく、その何倍もの時間、数十年という時を経ても、『若者のすべて』は人々に聴かれていくのだろう。