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2021年2月28日日曜日

レスリー・ウェスト(Leslie West)The Vagrants/「People Get Ready」

 レスリー・ウェストが昨年2020年の12月23日に亡くなった。今日は彼のことを振り返りたい。

 彼のプロフィールをあらためて読んで、愕然とした。日本語版にはないが英語版のWikipediaには、彼の両親はユダヤ人であり、両親の離婚後、Leslie Weinsteinという名をLeslie Westに変えたという記述があった。迂闊にも今までそのことを知らなかった。確かに、Weinsteinヴァインシュタイン(ワインシュタイン)はユダヤ系の姓として知られている。もともとドイツ起源の姓のようだ。

 英語版Wikiの注には、UCR(Ultimate Classic Rock)サイトの「TOP 10 JEWISH ROCK STARS」があり、そこでは次のような11人のユダヤ系ロックミュージシャンの名があげられている。

 11  Leslie West
 10  Marc Bolan
  9  Geddy Lee
  8  Billy Joel
  7  Paul Simon
  6  Paul Stanley
  5  Joey Ramone
  4  Lou Reed
  3  Gene Simmons
  2  Bob Dylan
  1  David Lee Roth

 

 レスリー・ウェストが、Marc Bolanに次いで11位に入っている。日本での低い知名度からするとこの順位は意外かもしれない。また、これはよく知られていることだが、Bob Dylan、Lou Reed、Paul Simon。ここにLeonard CohenやRandy Newmanを加えれば、ロックの優れた詩人にはユダヤ系が多いことがわかる。このリストを見ると一目瞭然である。(二十世紀の文学や思想の中心に、カフカ、ツェラン、フロイト、ベンヤミンと多くのユダヤ人作家・学者がいる。彼らには「孤高の単独者」という共通項がある)


 今回、youtubeでレスリー・ウェストの映像を探してみた。彼が最初に活動したヴァグランツ(The Vagrants)というバンドの貴重な映像を初めて見ることができた。


   1964年、The Vagrants "Oh,Those Eyes" の映像である。後列右側で19歳のレスリーがリードギターを奏でている。途中でソロが入るのだが、やはりレスリー・ウェストらしい音色だ。前列左側には弟のLarry Westがベースを弾いている。

 この後、レスリーはフェリックス・パパラルディに見出され、彼のプロデュースによるデビュー・アルバム『マウンテン』をリリースした。これを契機として、フェリックス・パパラルディとマウンテンを結成。彼らの独創的な音楽は70年代前半のアメリカそしてこの日本でも高く評価された。マウンテン解散後、ジャック・ブルースたちとウェスト、ブルース&レイングを結成。その後はロックの第一線からは次第に遠ざかっていったが、「ミュージシャンズ・ミュージシャン」、ミュージシャンから尊敬される存在として認められてきた。

 2011年、レスリーは糖尿病の合併症により右足の切断手術を受けた。2012年、イタリアのミラノでのライブを収録した映像がある。この時はすでに車椅子に座って、カーティス・メイフィールド(Curtis Mayfield)の「People Get Ready」とマウンテンの「Blood of the Sun」を演奏している。「Live Jam」とあるように、70年代を彷彿させるジャム・セッション風の展開だ。声と音色の輝きは失われていない。

 Leslie West - People Get Ready | Blood of the Sun (Live Jam) Live Milan, Italy 2012



 2016年、アメリカの音楽誌Relixのアコースティック・セッション企画に参加した時の映像がある。この時の曲も「People Get Ready」。2015年リリースの彼の通算16枚目のアルバム『Soundcheck』収録曲だ。彼は椅子に座り、アコースティック・ギターを奏でる。歌詞を少し変え短くして歌っている。2012年ミラノでのエレクトリックギターの演奏とは全く異なる雰囲気だ。この二つを聞き比べるのもよい。

   Leslie West "People Get Ready"


  ヴァグランツの映像、「People Get Ready」の映像。19歳から70歳までのレスリー・ウェスト。youtubeは遠い過去や近くの過去へタイムマシーンでもある。一人の歌い手・ギターリストの人生が映像として整列している。整列した映像は一人の音楽家の点と点をつなぎ、その軌跡を再構成する。考えてみれば不思議な経験なのだが、youtubeの時代はそれを可能とした。

 最近このブログの記事も回顧モードだが、意図したものではない。だが、「ロックの時代」の音源や映像の数々が目の前で整列し、それらを回想するかのような眼差しで時を振り返る。その行為に慣れ親しんでいるのは確かである。

 最後に、「People Get Ready」の歌詞を引用したい。


   People Get Ready (Curtis Mayfield)

 People get ready, there's a train a-comin'
 You don't need no baggage, you just get on board
 All you need is faith to hear the diesels hummin'
 Don't need no ticket, you just thank the Lord

 So, people get ready for the train to Jordan
 Picking up passengers coast to coast
 Faith is the key, open the doors and board 'em
 There's hope for all among those loved the most

 There ain't no room for the hopeless sinner
 Who would hurt all mankind just to save his own, believe me now
 Have pity on those whose chances grow thinner
 For there's no hiding place against the kingdom's throne

 So, people get ready, there's a train a-comin'
 You don't need no baggage, you just get on board
 All you need is faith to hear the diesels hummin'
 Don't need no ticket, you just thank the Lord


 「用意ができたかい、列車が来る。荷物は要らない、乗りこめばいい。信じればよい、列車のハミングが聞こえてくる。切符は要らない、神に感謝すればよい」 70歳のレスリー・ウェストが歌い奏でると、この歌詞がひときわ心に染み込んでくる。

 マウンテンの頃から変わらないレスリーの声の粒のようなものに魅せられてきた。彼の声、そしてエレキでもアコギでもギターの音は、彼の身体に共鳴して増幅するようにして解き放たれる。のびやかで美しく、そして時に激しいが、憂いのようなものも帯びている。

 レスリー・ウェストもまた「孤高の単独者」だったのかもしれない。


2021年2月19日金曜日

映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』

  昨日、甲府のシアターセントラルBe館で、映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』を見てきた。

 ロビー・ロバートソンの自伝を原作に、ザ・バンド(THE BAND)の誕生から1976年の解散ライブ『The Last Waltz』までの足跡を追ったドキュメンタリー映画。原題は『ONCE WERE BROTHERS:ROBBIE ROBERTSON AND THE BAND』。「ROBBIE ROBERTSON AND THE BAND」とあるように、ロビー・ロバートソンとその妻の視点からのTHE BANDの物語だった。

 僕がロックを聴き始めた1970年代の前半、THE BANDはすでに伝説のような存在だった。アメリカのルーツ・ミュージック、ロックンロール・カントリー・フォーク・R&Bなどを織りまぜたロックの創始者だった。ボブ・ディランのバックバンドとしての知名度も高かった。そのような音楽を生み出した彼らの生活スタイル、ウッドストックという地、ザ・バンドとボブ・ディランが借りていた家「ビッグ・ピンク」は、音楽雑誌などでよく記事にされていた。当時の僕たちは、彼らの音楽の総体を「知識」として受けとっていたように思う。

  今の若者が、彼らのデビュー曲的な位置づけである1968年の「ザ・ウェイト」(The Weight)を聴くとどう感じるだろうか。アメリカのルーツ・ロックとして普通に聞こえてくるかもしれないが、60年代の後半から70年代の前半の時代においては、斬新な音楽だった。「The Band on MV」のサイトから「The Weight (Remastered)」を紹介したい。冒頭部の歌詞も引用する。



 The Weight      作詞:Robbie Robertson

     I pulled into Nazareth, I was feelin' about half past dead
     Just need to find a place where I can lay my head
     'Hey, mister, can you tell me where a man might find a bed?'
      He just grinned and shook my hand and, 'No', was all he said

      Take a load off Fanny
      Take a load for free
      Take a load off Fanny
      And (and)(and)you put the load right on me
      ………

 俺はナザレにたどりついた
 半ば死んだように感じていた
 横になれるところが欲しかった
 「旦那、休めるところを教えてくれないか」
 彼はにやりと笑って握手して
 「ない」とだけ言った

 重荷を下ろせよ、ファニー
 自由に身軽になれよ
 重荷を下ろせよ、ファニー
 そうして重荷を俺に載せなよ

 この歌詞は難しい。自分なりに訳してみた。映画では、この「Nazareth」の意外な由来についても述べられている。『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』を見終わった後「The Weight 」の歌詞を振り返ると、いろいろな思いが浮かんでくる。
 映像は当時分からなかったことを丹念に描いている。ロビー・ロバートソンの生い立ちと音楽に目覚める過程、ロニー・ホーキンス のバックバンドとして活動していた時代、ザ・ホークスの時代、ボブ・ディランとの出会いや酷評されたツアー。そしてザ・バンドの誕生と活躍の時代。メンバーの友情と確執。そして、そのすべては1976年の解散ライブ『The Last Waltz』に収束していく。

 僕のザ・バンドとの出会いは、彼らの単独作品というよりも、ボブ・ディランが1974年にリリースした『プラネット・ウェイヴズ』(Planet Waves)を通してだった。ボブ・ディランがザ・バンドと創り上げたこのアルバムは、いまだに僕が最も好きなディランの作品であり、ザ・バンドの音楽、演奏である。映画では、ディランがアサイラム・レーベルに移籍した裏話も語られていた。

 映画を見ていくうちに、僕自身が四十数年前の70年代前半から半ばまでの「ロックの時代」にワープしていった。タイトルバックが流れると、しばらくの間、その残像が静かにまだ回っていて、今ここに、自分が戻りきれていない心持ちになった。

 リチャード・マニュエル、リック・ダンコ、リヴォン・ヘルムはすでに亡くなった。ロビー・ロバートソンとガース・ハドソンは健在である。この映画用にガース・ハドソンのインタビューも撮影されたそうだが、結局、使用されなかった。彼は沈黙を守ったのだろう。

 生き残った者の視点で、ロビー・ロバートソンはザ・バンドの歴史物語を綴る。他のメンバー四人からの視点はほとんどない。メンバー間の確執の真実は分からない。ロビー・ロバートソンは正しい人なのだろう。しかし、義しいのだろうか。その問いかけがずっと心に残っている。

 ロビー・ロバートソンその人というよりも、この映画の語り方そのものにある種の残酷さや非情さを感じた。バンドメンバーの生と死を分かつ「時」の残酷さ。あるはずの語られる物語が語られることはない。そのことを胸に刻んだ。

 それでもこの映画は「ロックの時代」の記録の一つとして見る価値がある。25日(木)までシアターセントラルBe館で上映される。