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2020年5月6日水曜日

メレンゲ『火の鳥』 [S/R005]

 S/R(Songs to Remember)第5回は、メレンゲの『火の鳥』。
 このブログでもう何度も取り上げたのだが、前回の記事「空を飛ぶ鳥の視線[志村正彦LN255]」を書き終わったときに、次の[S/R]はこの曲しかないと思った。
 レクエイムとしてこの作品は記憶されるべき歌である。

 フジファブリック『若者のすべて』音源のUTY「STAY HOME」60秒version。「いつもの丘」の上空を飛ぶ4Kドローンの速度と高度から、空を飛ぶ鳥を想像した。空をゆるやかに旋回する鳥の視線から眺めている風景の映像に、フジファブリック『若者のすべて』が重なることによって、空を飛ぶ「鳥」になった志村正彦が「いつもの丘」を眺めながら歌っている、そのような想像が浮かんできた。その直後に、メレンゲ『火の鳥』を想起した。この曲は「まっすぐに空を鳥が飛ぶ」光景を歌っている。クボケンジが志村正彦を追悼した作品だと言われている。

 メレンゲ『火の鳥』にはミュージックビデオがある。以前、この歌について次のように書いた。

 海辺の光景。荒れた白い波。波打ち際に寄せられた無惨な花。赤い花、青い花、橙色の花。上空で旋回する一羽の鳥。黒い影。鳥が落ちてきて、花と化したのか。それとも、これから、花が鳥と化して、飛び立っていくのか。

 この映像の冒頭部分は、海、波、花、鳥、空で構成されている。空を飛ぶ鳥と波打ち際の花は、その対比が際立つがゆえにある象徴性をもつ。「STAY HOME」映像は、僕の想像の中で、鳥があたかも桜を愛でるようにして空を飛んでいく。「いつもの丘」を慈しむようにして旋回していく。
  メレンゲ『火の鳥』の映像、UTY「STAY HOME」映像。偶々の取り合わせであるが、この二つの映像が「偶景」のように現れてきた。志村正彦が愛した花の光景が互いを照らし合う。

 クボケンジは「世界には愛があふれてる 夜になれば灯りはともる」「世界中を見に行こう ツンドラのもっと向こう」と語っている。ツンドラは地下に永久凍土が広がる凍原。凍りつく世界の向こうへと鳥が飛び立っていく。そのような光景を思い浮かべることができる。そしてツンドラの凍原にも花が咲く季節はあるだろう。


   メレンゲ『火の鳥』MV 2011.10
(監督 / 編集: 江森丈晃、撮影監督 / 編集: 北山大介、カメラマン: 林洋輔、制作: 前田久美子)


   


 メレンゲ『火の鳥』 (作詞作曲:クボケンジ)

      まっすぐに空を鳥が飛ぶ
      急いでいるのでしょうか どちらまで?
   
    急いでいるように見えましたか?
      実は私にもわからないのです

      意味もなく 意味もなく ただ羽があるから飛んでたのです
   
      泣きそうな声 悲しい事言うなよな
      ならその空の旅を 僕と行かないかい?
      道はなく壁もなく ただ空は青く その青さがゆえに 青い海

      争ったり 仲直りしたり 勝った方が正義か 遊びじゃないんだぜ
 
      いろんな人と いろんな命と 微妙なバランスで青い地球

      他人事みたいに 世界中を見に行こう ツンドラのもっと向こう
      君にだって会える 言えなかった事言おう 言えなかった事を言うよ

      世界には愛があふれてる 夜になれば灯りはともる
      それでも僕ら欲張りで まだまだ足りない
 
      他人事みたいに 世界中を見に行こう ツンドラのもっと向こう
      優しくなれるかい 人は変われるって言うよ?
      同じように僕も 他人事じゃなくて 他人事じゃなくて
      ツンドラのもっと向こう
   


2019年12月24日火曜日

「愛」 [志村正彦LN244]

 今日は三つの歌を引きたい。すでにこのblogで触れた歌であるが、youtubeに発表された順で映像や音源をもう一度載せたい。


 メレンゲ 『火の鳥』     2011/10/25


 
 GREAT3  『彼岸』  2012/10/30



 堕落モーションFOLK2  『夢の中の夢』   2013/06/13


 
 『火の鳥』の映像では花の束が海辺に打ち上げられ、『彼岸』では彼岸花が咲き、『夢の中の夢』の絵では花々が雨のように降り、地面を彩っている。
 「花」を想う。


 各々の歌詞の一節を引用したい。

  メレンゲ『火の鳥』 
    世界には愛があふれてる 夜になれば灯りはともる
    それでも僕ら欲張りで まだまだ足りない
                     クボケンジ

 GREAT3 『彼岸』
   年を重ねることは残酷で 繰り返す別れにも慣れて行く
   誰かのために 自分を捨てて 愛したい 諦めず命燃やそう 
                      片寄明人

   堕落モーションFOLK2 『夢の中の夢』
   友達は今日も 夢の中の夢で
   始まらない 恋を 嘆き続けてる
   変わらない 愛を 祈り続けてる   
           安部コウセイ


 「世界には愛があふれてる」「誰かのために 自分を捨てて 愛したい」「変わらない 愛を 祈り続けてる」。三つの歌で「愛」が歌われている。

 今夜は「愛」を祈る。



2016年7月13日水曜日

愚痴と虹-クボケンジのtweet、Analogfish『No Rain (No Rainbow)』

 志村正彦の誕生日7月10日。twitterでは沢山の呟きがあふれていた。なかでもひときわRTされていたのがクボケンシのtweetだった。

  メレンゲ(クボケンジ) ‏@kubokenji   7月10日 

 志村、誕生日おめでとう。36才だな?
 何もかもを失ったと思って唄った
 そんな歌にも続きはあったよ
 ただね、一緒に年を取りたかったね
 生きてたら何十年も後に、
 ようやく見つけた煙草が吸える喫茶店で年よりかは若く見える白髪姿の君は向か      い側の僕にやっぱり愚痴を言ってるはずだったんだ

 何十年も後、「煙草が吸える喫茶店」で、すっかりお爺さんになった「僕」クボケンジと「君」志村正彦は向かい合って座る。「白髪姿」の「君」は「僕」に「愚痴」を言っている。
 
  「愚痴」ってなんだろう?分かっているようで分からない。辞書を引くと、「言ってもしかたのないことを言って嘆くこと」とある。なるほど。過不足のない、簡潔で明確な定義だ。「愚痴」は要するに「嘆き」の言葉。それは「僕」と「君」との間で共有される。というか、「僕」と「君」との間でしか共有されない。二人の間で「嘆き」が共有されることが暗黙の前提となり、「言ってもしかたのないこと」を言うことができる。
 「君」の「愚痴」は嘆きの言葉。そうなる「はずだった」という「僕」の呟きもまた「嘆き」の言葉となる。
 それでも、その光景は幸せなものにちがいない。

 その光景からある歌のことを思い出した。Analogfish『No Rain (No Rainbow)』(作詞:下岡晃 作曲:Analogfish)。最近公開されたミュージックビデオ(Director : 笹原清明)も比類ないほどすばらしい。


 歌の主体の「僕」はこう語る。

 寄った居酒屋は値段の割に酷いもんで
 それを愚痴る僕に君は思い出したように
 「ただ好きなだけでこれはサービスではないの
 ただ美しいだけで虹は雨の対価ではないでしょ」

  「でも…」 she says
 “No Rain No Rainbow”

 一組の男女の対話劇が繰り広げられる。
 この時代に、値段の割に酷い「居酒屋」で、「僕」と「君」は向かい合って座る。「愚痴る僕」に向かって、「君」は「ただ美しいだけで虹は雨の対価ではないでしょ」と諭す。日常の断片の嘆きと諭し。
 それでも、その光景は幸せなものにちがいない。

 “No Rain No Rainbow”。雨がなければ虹が現れることはない。でも、虹は雨の対価ではない。虹は、ただ美しいだけ、そういうあり方で出現する。この歌では「代償」「支払う」「サービス」「対価」という言い回しが反復される。何かと何かの価値が交換される世界。資本の世界と言い換えてもいいだろう。この世界の中で、虹は何物とも交換されない。虹が虹として存在するのは、虹が私たちへの純粋な贈与であるからだ。かけがえのない贈り物だからだ。そのことを伝える「君」「she」の言葉もまた美しい贈与のように響く。

 クボケンジのtweet、下岡晃(Analogfish)のlyric。
 「愚痴」を言う「僕」たち、男たち。
 それでも、虹は現れる。
 そう祈る。

 No Rain No Rainbow。

2016年3月31日木曜日

ある感慨-メレンゲ『火の鳥』5

 一昨日29日の夜、前回の記事を書き上げた時に、ちょうどその頃終えているはずの大阪Loft PlusOne Westでの『クボノ宵』がどうだったか気になり、Twitterのリアルタイム検索を見ると、アンコールで『若者のすべて』『火の鳥』が続けて歌われたことを知った。昨夜30日の京都SOLE CAFEでも本編の最後にこの二曲が歌われたそうだ。

 『火の鳥』についての一連のエッセイを書き始めた時点では、『若者のすべて』との関係は意識していなかった。しかし、この歌を聴き直していくうちに、『火の鳥』の向こう側から『若者のすべて』の歌詞が浮かび上がってきた。クボケンジと志村正彦が、歌と歌とによって対話しているように感じた。すべて、一人の聴き手としての僕の恣意にすぎないが、一昨日昨日の二夜、クボケンジがこの二曲を歌ったという出来事は感慨深い。
 それでも、このような出来事は思いがけなく起こるからこそ、かけがえのないものになる。聴き手がそれを求めすぎてはならないだろう。そんなことも思う。

 正直に書くと、この『火の鳥』の音源を聴いたり、MVを見たりするのは辛い。普段は聴くことも見ることもない。この文を書くにあたり、二年ぶりに視聴することになった。歌の印象が少し変化した。歌詞の一節に「世界には愛があふれてる」とある。この歌にも愛があふれている。

 今年も桜が開花した。志村正彦『桜の季節』の季節の到来だ。この歌は投函されることのない「手紙」がモチーフの一つになっている。
 『火の鳥』もまた、クボケンジが志村正彦に宛てた手紙、言えなかったことを言おうとする手紙、それも投函されることのない手紙だ。

 歌そのものが手紙に擬えられる。手紙は宛先に届く。
 鳥は手紙を受けとる。
 鳥は「火の鳥」となる。

2016年3月29日火曜日

祈ること-メレンゲ『火の鳥』4

 メレンゲ『火の鳥』にはミュージックビデオがある。ぜひ映像をご覧になっていただきたい。




 歌詞の全文も引用したい。

      まっすぐに空を鳥が飛ぶ
      急いでいるのでしょうか どちらまで?
     
    急いでいるように見えましたか?
      実は私にもわからないのです

  
      意味もなく 意味もなく ただ羽があるから飛んでたのです
     
      泣きそうな声 悲しい事言うなよな
      ならその空の旅を 僕と行かないかい?
      道はなく壁もなく ただ空は青く その青さがゆえに 青い海

  
      争ったり 仲直りしたり 勝った方が正義か 遊びじゃないんだぜ
    
      いろんな人と いろんな命と 微妙なバランスで青い地球
 
      他人事みたいに 世界中を見に行こう ツンドラのもっと向こう
      君にだって会える 言えなかった事言おう 言えなかった事を言うよ

  
      世界には愛があふれてる 夜になれば灯りはともる
      それでも僕ら欲張りで まだまだ足りない

   
      他人事みたいに 世界中を見に行こう ツンドラのもっと向こう
      優しくなれるかい 人は変われるって言うよ?
      同じように僕も 他人事じゃなくて 他人事じゃなくて
      ツンドラのもっと向こう

     ( 『火の鳥』   作詞作曲:クボケンジ )


 海辺の光景。荒れた白い波。波打ち際に寄せられた無惨な花。赤い花、青い花、橙色の花。上空で旋回する一羽の鳥。黒い影。
 鳥が落ちてきて、花と化したのか。それとも、これから、花が鳥と化して、飛び立っていくのか。

 褪せた色合い、外れたフォーカス、フィルムの粒子のような質感の映像によって、歪んだ曖昧な世界が広がる。クボケンジのまなざしがうつろにゆらいでいる。感情が奪われてしまったような表情がくりかえし映し出される。そのような自分をあえてさらけだす逆説的演出かもしれない。一瞬だが、オフィーリアの絵のように見えるシーンもある。

 曲が終わりに近づくにつれて、フォーカスが合い、メンバーの姿、クボ、ベースのタケシタツヨシ、ドラムのヤマザキタケシの姿が見えてくる。海辺の光景、その輪郭が徐々に現れてくる。現実感を少しだけ取り戻す。

 このMVの撮影は2011年10月。3月の震災のために延期されたという。監督は江森丈晃氏。彼は『言葉と魔法 クボケンジ詩集』、『音楽とことば あの人はどうやって歌詞を書いているのか』(志村正彦のインタビューも掲載)を企画編集している。

 この演出が震災より前の時点で考えられたかどうかは知らない。2009年5月発表の『うつし絵』のミュージックビデオとモチーフの共通性があるので、以前から原型があったのかもしれない。そうだとしても、この映像の光景、寒々しい海辺、荒れた波、波打ち際の無惨な花々は、東日本大震災を想起させる。安易な連想かもしれない。このように書くこと自体、犠牲になられた方々に申し訳ない気持ちもある。だが、それでもやはり、この映像には震災の記憶が強く刻み込まれていると考える。
 
 『火の鳥』は2011年1月から2月にかけて録音されたようだ。2月の京都でのライブ、その映像記録。3月の東日本大震災。4月のアルバム『アポリア』リリース。10月撮影・発表のMV映像。2011年という「時」の中で、この歌は震災という現実と遭遇した。

 『アポリア』特設サイトで、ヤマザキタケシは「この作品が出来た時、僕は全てを出し切れた満足感で一杯でした。その直後にあの大きな出来事があり、自分の無力さを痛感し音楽に向かう気持ちが揺らいでしまう時期がありました。。そんな中、ひとりのリスナーとして聴いたこの作品から僕自身が力をもらい、もう一度音楽に対する気持ちを取り戻す事が出来ました。」と、タケシタツヨシは「ライブで育ってきた楽曲、つまり今の自分たちの精一杯の音楽を詰め込んだアルバムが出来上がりました。聴いてくれるみなさんの心にとって、少しでも光明や希望になってくれる曲たちだと信じています。」と語っている。

 花も鳥も、意味もなく、意味もなく、そこにある。
 そうであるとしても、それに対して、言葉を紡ぎだすこと。
 歌うこと。
 聴くこと。
 祈ること。
 
                              (この項続く)

2016年3月26日土曜日

行き詰まりから歩き出す-メレンゲ『火の鳥』3

 メレンゲ『火の鳥』とフジファブリック『若者のすべて』は共に再会を求めて旅する歌だ。

 『火の鳥』の主体は「世界中」を見に行く。青い空、青い海を越えて「ツンドラ」のもっと向こうに旅する。そこであれば「君」との再会が可能となる。「言えなかった事言おう 言えなかった事を言うよ」と自分に言い聞かせている。
 『若者のすべて』の主体は「街」を越えて「最後の花火」を見に行く。「ないかな ないよな きっとね いないよな」。そこで誰かと再会したとしても「会ったら言えるかな」「話すことに迷うな」と自らに呟いている。

 『若者のすべて』の主体は「最後の最後の花火が終わったら/僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」と歌い終わる。『火の鳥』の主体は「優しくなれるかい 人は変われるって言うよ?/同じように僕も 他人事じゃなくて 他人事じゃなくて/ツンドラのもっと向こう」と歌って閉じる。

 「僕」と「君」、「僕ら」の再会への旅、何かを言おうとする願望や決意、その逆の躊躇や逡巡。「変わるかな」「変われるって言うよ」、変化についての問い。具体的な背景や文脈は異なるが、歌のベクトルの方向が似ている。何よりも、立ち止まるのではなく、歩き出そうとするモチーフが共通している。

 志村正彦は、『音楽と人』2007年12月号掲載の『若者のすべて』に関するインタビューでこう述べている。

 一番言いたいことは最後の「すりむいたまま僕はそっと歩き出して」っていうところ。今、俺は、いろんなことを知ってしまって気持ちをすりむいてしまっているけど、前へ向かって歩き出すしかないんですよ、ホントに

 両国国技館でのライブMCでも「止まってるより、歩きながら悩んで」いくことが大切だと語りかけている。
 意識してのものではないかもしれないが、クボケンジはこの志村の言葉に「そっと」支えられたのではないだろうか。
 アポリア、行き詰まりに直面して立ちすくむのではなく、とりあえず、そっと、歩き始めること。クボは『アポリア』の特設サイトでこう語っている。

  個人的にも僕のいろんな想いの詰まった渾身の作品です。そしてメレンゲ的にも今までよりもさらに魂のこもった作品になりました。僕らには音楽しかないのでやっぱり僕らの音楽を聴いてもらいたい。その中でみんなと共有し合える何かがあると確信しています!後ろを気にしながら前に進もう。

 『若者のすべて』と『火の鳥』。
 『若者のすべて』は2007年11月、『火の鳥』は2011年4月に発表された。この二つの作品の間、2009年12月、志村正彦は旅立った。
 
 二つの歌の個々の文脈や背景を越えて、時系列も何も越えてみたらどうなるだろうか。
 例えば、『若者のすべて』の「僕ら」は志村正彦とクボケンジだと想像してみてはどうか。「僕ら」が見る未来の光景が、『火の鳥』の「人」と「鳥」だとするのはどうだろうか。

 「僕ら」は同じ青い空を見上げている。
 「人」と「鳥」が対話している。
   「僕ら」は僕らである。
 解釈としては有り得ないが、非現実の出来事、時を越える出来事としては有り得るかもしれない。

 3月2日、新宿ロフトで「クボノ宵」という弾き語りライブがあった。ドラムは城戸紘志。自ら参加したいと言ったそうだ。(彼は『若者のすべて』音源のドラムを敲いている。サポートドラマーというより、あの時期の準メンバーだった)
 ネットの情報によると、アンコール前の本編最後で『火の鳥』が歌われたようだ。

 「クボノ宵」は29日大阪、30日京都でも開かれる。

   (この項続く)

2016年3月21日月曜日

『火の鳥』と『若者のすべて』-メレンゲ『火の鳥』2

 メレンゲ『火の鳥』、冒頭の情景。
 鳥が空を飛んでいる。歌の主体は「急いでいるのでしょうか」と問い、鳥は「私にもわからない」「意味もなく 意味もなく ただ羽があるから」飛んでいたと応える。この対話はそのまま、歌の作者クボケンジにとって、志村正彦の死、永遠の別離を象徴している。
  対話の後、歌の主体は「鳥」に向かってこう語る。

     泣きそうな声 悲しい事言うなよな
      ならその空の旅を 僕と行かないかい?
      道はなく壁もなく ただ空は青く その青さがゆえに 青い海
 

 歌の主体は「その空の旅を 僕と行かないかい?」と呼びかける。しかし、一緒に旅することは不可能だ。この呼びかけは無為に終わる。歌の主体は一人で、青い「空」と「海」を越えて、「道はなく壁もなく」旅を続けねばならない。
  歌の主体、そして作者クボケンジは何処に行くのか。

      他人事みたいに 世界中を見に行こう ツンドラのもっと向こう
      君にだって会える 言えなかった事言おう 言えなかった事を言うよ


 「世界中」を見に行くこと。「ツンドラのもっと向こう」に行くこと。歌の主体は旅の行方をそう告げている。「ツンドラ」が何を象徴するのかは分からない。ただ、クボにとって志村の死、その悲嘆や絶望は、永久凍土である「ツンドラ」のように心が凍り付くような経験だったことは間違いない。歌も言葉も永遠に凍り付く。アポリア、行き詰まりの経験だ。

 しかし、「ツンドラのもっと向こう」でなら「君」にだって会える。「言えなかった事」を言える。そのような旅を、歌の主体そして作者クボケンジは試みる。それはもちろん、歌という作品の中の行為だ。どのようにしたらそれが可能になるのか。
 『火の鳥』の終わり近くにこうある。

      世界には愛があふれてる 夜になれば灯りはともる
      それでも僕ら欲張りで まだまだ足りない

      他人事みたいに 世界中を見に行こう ツンドラのもっと向こう
      優しくなれるかい 人は変われるって言うよ?


 この箇所を聴くとある歌のことを想いだす。フジファブリック『若者のすべて』、志村正彦が創りだした作品の言葉が浮かび上がる。

 引用箇所、『火の鳥』の「世界には愛があふれてる」「夜になれば灯りはともる」「僕ら欲張りで まだまだ足りない」「人は変われるって言うよ?」という表現は、『若者のすべて』の「世界の約束を知って それなりになって また戻って」「街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ」「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」という表現と響きあう。もちろんこれはあくまで、僕自身の感受にすぎないが。

  「世界」「灯り」「僕ら」「変われる」というモチーフの重なりあい。意識的というより無意識的かものかもしれないが、クボは志村作品の言葉との対話を試みる。『若者のすべて』と『火の鳥』はそれぞれ固有の世界を持つ。物語も異なる。だから歌全体としての応答ではない。部分としてのモチーフの重なりに過ぎない。しかしこれは重要なことだ。

 クボが志村の言葉と対話することで、幾分か、二人の詩人、二つの世界が複合された歌が生まれる。クボの声と志村の声が響きあう不思議な世界が開けてくる。
 アルバム『アポリア』収録作品以降、クボは意識的あるいは無意識的に志村作品のモチーフや言葉と様々な対話を試みている。音楽情報サイト「mFound」での『アポリア』に関するインタビュー取材・文/まさやん)で次のように述べている。

-歌詞カードの最後に「Special Thanks to 志村正彦」というクレジットがありますね。

クボ:そうですね。やっぱりそこはずっと気持ちとして変わらないし。それがどういう風なものというのは説明しづらいんですけど、やっぱり彼がいないと自分も音楽が出来ていないから。それ位の存在です。…まぁやっぱりどう言っていいかは難しいですが。
でも、どうとらえてもらってもいいかなと思ってるんです。初めて聴いてもらった人にしてみれば、どの曲も普通に作品として出来ているので。

 「彼がいないと自分も音楽が出来ていないから。それ位の存在です」そう言いきることができたクボケンジは、ある意味でアポリア、行き詰まりを抜け出しつつある。それを説明するのは「難しい」が、それに向き合うことはできる。
 それと共に、「どの曲も普通に作品として出来ている」という達成、作品としての普遍性を獲得していることが重要だ。普通に作品として自立できなければ、志村正彦という「存在」に応答する意味もなくなる。

  (この項続く)

2016年3月13日日曜日

「意味もなく」-メレンゲ『火の鳥』1

 東日本大震災から五年経つ。

 メレンゲの『火の鳥』。クボケンジが作詞・作曲したこの作品は、2011年4月6日、ミニアルバム『アポリア』中の一曲としてリリースされた。震災の一月ほど後のことだ。

 その『火の鳥』のライブ映像がメレンゲの公式サイトにある。
 2011年2月20日、京都府庁旧本館で録画された。ネットに幾つかレポートが上がっているが、とても心を打つライブだったようだ。会場の奥からの固定撮影なので記録として録画されたのだろう。小さく暗くて、メンバーの表情が見えないが、逆に、聴くことに集中できる。acoustic sessionであるのも貴重だ。
 『アポリア』特設サイトに入り、下にスクロールすれば見つかる。ぜひ聴いていただきたい。


 歌詞の始めを引用する。

   まっすぐに空を鳥が飛ぶ
     急いでいるのでしょうか どちらまで?

     急いでいるように見えましたか?
     実は私にもわからないのです

     意味もなく 意味もなく ただ羽があるから飛んでたのです

     泣きそうな声 悲しい事言うなよな
     ならその空の旅を 僕と行かないかい?
     道はなく壁もなく ただ空は青く その青さがゆえに 青い海


 人と鳥の対話から始まる。
 歌の主体は、急ぐように空を飛ぶ鳥に、「どちらまで?」と問いかける。
 鳥の「私」は、「わからないのです」と答える。「意味もなく 意味もなく ただ羽があるから飛んでたのです」と続ける。

 人と鳥、二人の対話はそこで終わる。
 再びこの二人の声と声との対話がこの世界でくりかえされることは、おそらくないだろう。永遠の別離。鳥はこの世界の果てへと飛び去っていく。

 別離の後、歌の主体はこの世界に取り残される。
 「鳥」はもうこの世界にはいない。この声は「鳥」に届くことはない。「その空の旅を 僕と行かないかい?」という言葉が「鳥」に聞き取られることはない。言葉はどこにも届かずに戻ってくる。それでも、歌の主体は語り続けねばならない。
 
 『火の鳥』は、クボケンジが親友志村正彦の死を歌った作品だと言われる。
 本人が明言しているわけではないが、そのように捉えるのがむしろ自然だろう。歌の主体はクボの分身、「鳥」は志村の分身。そう考えられる。


 ライブ映像の声と音にもう一度耳を澄ます。
 美しい旋律と律動を伴って、分身同士の対話は静かに始まる。「意味もなく」の一節は高い透明な声でひときわ美しく歌われる。引用部分の最後、「泣きそうな声」で始まる一節から声と音の調子が微妙に変化する。対話から独白へと転換していく。

 「鳥」は「意味もなく 意味もなく」飛ぶ。「ただ羽があるから」飛ぶ。そのように飛びながら、そうとも知らずに、行方も知らずに、この世界の果てへと飛んでいってしまう。「羽」を持ってしまった存在は、自らの「羽」ゆえに飛び続け、いつかは果てへと飛び去っていく運命なのか。「羽」は歌という羽、音楽という翼を象徴しているのか。志村正彦にとっては、「羽」はそのような象徴だったと思われる。

 すべてが「意味もなく」進んでいくのが私たちの世界なのだろうか。私たちの運命なのだろうか。アルバム名の『アポリア』とは、思考の「行き詰まり」を意味する。

 クボケンジは志村正彦の死を、「意味もなく」ということが唯一「意味もある」、そのような世界での出来事として捉えた。その残酷なアポリアに耐え、『火の鳥』を作った。
  あの当時、クボはどこに向かおうとしたのか。

       (この項続く)

2014年3月9日日曜日

「僕ひとりから、誰かひとりに」 クボケンジ

 クボケンジは『言葉と魔法 クボケンジ詩集』(2011年4月30日、テンカラット刊 企画・編集江森丈晃)所収の 「クボケンジ インタビュー」で、自分の歌が誰から誰に向けられたものであるのかということについて、次のように述べている。

 どうしても僕ひとりから、誰かひとりに向けられたものになってしまうんです。

 確かに、「詞論5」の最後でも触れたように、初期から現在まで、歌の主体「俺」「僕」という「ひとり」が、「君」「あなた」という「ひとり」に向けて語りかけるのが、クボケンジの歌詞の物語の枠組みとなっていることが多い。このような歌の枠組みは普遍的にあるが、クボの場合、その必然の度合いが他とは異なる。『ソト』の該当箇所をもう一度引用してみよう。

 どこに隠れているんだい 出て来い俺の前に
 悲しみのトンネルは あとどれくらい
 くぐればあえる?


 歌の主体「俺」という「ひとり」が、どこかに隠れている対象である、「彼」か「君」か自分自身か、誰であろうとも、「もうひとり」に向けて、「出て来い俺の前に」と話しかけている。
 この『ソト』は、2002年リリースの『ギンガ』収録曲だから、クボの最も初期の歌だ。初期だからというわけでもないが、ここに登場する「俺」自身も「彼」も「君」も、具体的な人物像を欠いたきわめて抽象的な人物という気がする。全体が影絵のような世界のように感じとれると言っていいだろうか。この点について、クボは興味深いことを『言葉と魔法 クボケンジ詩集』のインタビューで、星新一のSF小説からの影響についてこう述べている。

 彼の作品は、状況は浮かぶんだけど、主人公の顔は浮かびそうで浮かばなくて、そこがすごく好みなんですよ。自分の歌詞でも、それほど人の顔は浮かんでこないし。すごく影響を受けていると思いますね。

 人物の具体性を省いた造形は意識的な選択であるらしい。だからクボの歌詞の場合、聴き手が人物像を想像して補填することになる。物語の展開についても、欠落や飛躍があり、様々な解釈が生まれる余白をあえて設けている。
 クボは、解釈は聴き手の自由であり、「音楽としては"どう聴かれても伝わるものになっているかどうか"というのが重要なんです」と確信をこめて語っている。自己表現としての歌ではなく、聴き手に「伝える」ことを重視した歌、聴き手中心の歌という点で、志村正彦の考え方とかなり重なる。クボと志村が親友であったのは、人間としての交流の次元だけでなく、歌詞の創作についての姿勢に根本的な共通項があったからではないだろうか。

 2月14日の渋公ライブでも歌われた『ビスケット』は、2012年発売の『ミュージックシーン』収録曲だから、『ソト』からは10年以上の時が経っている。
 『ソト』は「出かけようぜ」、『ビスケット』は「もっと 遠くまで」とあり、何かの旅立ちが歌の枠組みにモチーフになっていることは共通している。しかし、歌詞のモチーフそのものは異なる。この二つの歌は強引に接ぎ木する必要はないが、対象に対する歌の主体の関わり方にはある種の共通性がある。
  『ソト』には、「どこに隠れているんだい 出て来い俺の前に」とあるように、どこかに隠れている、今は見失われた対象が歌詞の背景にあり、『ビスケット』には、「あふれそうな I miss you」とあるように、失われた「you」の存在が歌の中心にある。歌詞の一節を引きたい。

 もういいや もういいや 君の夢でも みよう
 楽しい事 楽しい事
 肝心な時はやはり 出てきてもくれないか


 歌の主体は、「君の夢」を見ようと考える。しかし、「肝心な時」は「君」は「出てきてもくれない」。夢にも現れてこない。この「君」が誰であるのかは、歌詞の言葉からたどることはできない。先ほどの引用で「状況は浮かぶんだけど、主人公の顔は浮かびそうで浮かばなくて」と同様の世界が広がっている。歌詞の内部の次元では、「君」の像を限定することはできない。しかし、歌詞の外部、現実の次元、現実にクボケンジ自身が経験した出来事の次元にまで広げていけば、この「君」の像の中心に志村正彦が位置していることは間違いない。(すでに「LN30」で、「無意識の次元まで考えていけば、クボケンジの『ビスケット』の一連の言葉の流れから、志村正彦との関係の痕跡が浮かび上がってくるような気がしてならない」と書いたが、今回、クボの全作品をたどり直してみると、その感がさらに強まる)

 「僕ひとりから、誰かひとりに」というクボの自己注釈の「誰かひとり」は、失われている対象であることが多い。このモチーフは、クボの歌詞の変わらない部分を代表している。しかし、『ソト』に比べて、『ビスケット』では、「ひとり」の誰かが失われ、そのことによって、歌の主体が損なわれてしまった感覚がより強い。これは作者クボケンジの現実の変化に起因している。
 『言葉と魔法 クボケンジ詩集』のインタビューで、質問者(江森丈晃氏だと思われるが、明記されてはいない)の問いかけに対して、次のように応えている。

-これはとても訊きづらいことなのですが、ここまでの変化というのは、志村(正彦/フジファブリック)さんが亡くなられたことと関係していますか?

 ……関係しているというか、それがすべてなような気がします。……あれ以来、何もかもが変わってしまったようなところがあるんですよ。(略)……あの日を境に、空気が変わってしまったんです……。それに伴って、人生観も変わったというか、達観したような感覚があるんですね。……でもその感情を"悲しい"とか"寂しい"という言葉を使って歌うのはナシだと思ったから、歌詞だけ追ったのでは、誰もわからないようなものにはなっていると思います。前面に出しては歌いたくないんで。

 志村正彦の死という現実の出来事によって、「何もかもが変わってしまったようなところがある」が、志村正彦はクボにとっての「誰かひとり」という場に存在し続けることになった。志村の死は、彼の御家族や「大親友」クボにとっては、受け入れがたい現実であり、受け入れる必要はないとも考えられる(私たちのような単なる聴き手が言及できる事柄ではない)。
 受け入れがたい現実であるが、避けることのできない現実、不可避の現実でもある。
 この不可避の現実に向きあい、それでも、歌を紡ぎ出していくことは、形容しようもないほどに、辛くて難しい歩みとなる。しかし、『アポリア』以降、クボケンジ、メレンゲは、その困難な道を歩んでいる。
 もちろん、クボケンジ、メレンゲの聴き手は、志村正彦の死という現実を意識しても、意識していなくても、クボの言葉が伝えようとする「誰かひとり」を自由に解釈できる。そのような自由を保つためにも、クボケンジは、時間をかけて、あるいは時間と闘いながら、作品を創造し続けている。

 2月14日のクボケンジは、洒落た柄のリボンが付いた茶色のハットを被っていた。彼には茶色の帽子が似合う。その姿を見て、数日前に視聴した、フジファブリックの渋公ライブ映像(4月発売の「Live at 渋谷公会堂」DVD」[2006年12月25日収録]のMUSIC ON! TV 放送版)の志村正彦の帽子姿を想い出した。
 志村正彦が帽子(スタッフから借りたものらしい)を被ってステージに立ったのはこの時が初めてだったそうだ。茶色がかったグレー色に見える帽子だった。彼が持っていた十数の帽子の中では、中原中也の被った山高帽に似た黒い帽子が印象深いが、茶色の洒落たハットも、やわらかいあたたかい感覚があって、よく似合っている。

 クボケンジと志村正彦、2014年2月14日と2006年12月25日、渋谷公会堂で歌う二人の帽子姿。その像を頭に浮かべながら、3回続いたこの「詞論」、メレンゲ渋公ライブについてのエッセイを閉じることにしたい。

2014年2月27日木曜日

クボケンジ 『ソト』

 前回触れたように、渋谷公会堂ライブのMCで、クボケンジは、『星の出来事』までは故郷の兵庫、それ以降は東京が舞台となり、歌詞の世界が創られているという意味のことを語っていた。
 その変化はもちろん、兵庫から東京に上京したという現実の出来事に起因しているが、物理的な場所の移動だけでなく、青年の成熟という時間的な要因も関わっている。
 クボケンジの世界には変化するモチーフと変化していないのモチーフの二つがあると前回書いたが、この問題を今回は追跡していきたい。

 デビュー作『ギンガ』に、『ソト』というカタカナ表記の曲がある。クボの繊細な感受性と巧みな作詞と楽曲の技術が結実した作品だ。渋公ライブを前にして、初期から現在まで通してCDを聴く中で、印象深い曲の一つだった。この原稿を準備するにあたり、ネットで調べると、2009年9月27日、SHIBUYA-AXで開催のメレンゲ5th Anniversary ワンマンライブで、ゲストの志村正彦が『ソト』を歌ったことを知った。彼の亡くなる3ヶ月ほど前のことで、おそらく、彼が歌った最後の他者の作品が、クボケンジ作の『ソト』になるだろう。『ソト』を選択したのが志村の意志かクボの提案かは分からないが、この事実を知ってからますます、この『ソト』という作品に惹かれるようになった。
 『ソト』は歌詞検索サイトにもほとんど掲載されていないので、参考までに詞全体を歌詞カードから引用する。

  『ソト』

 ようやく 暖かくなって 僕らは汗を掻いた
 ああ 焦げ臭い子供達の靴を隠そう


 彼は話に夢中だ デタラメに船をこいでる
 オレはもう出かけたいな 窓を閉める
 出かけようぜ


 行こう! 恥ずかしい外へ 沈む太陽 追いかけるのさ
 揺れるブランコの音が 夢を連れて 逃げたりしない様に


 どこに隠れているんだい 出て来い俺の前に
 悲しみのトンネルは あとどれくらい
 くぐればあえる?

 
 白い君の手を ふと 思い出すけど
 息も忘れるほどに僕を乗せて生活はまわる


 でもギターはもうほら嘘のなる木 食べれやしないよ? 
  行こう! 懐かしい外へ 上がる体温 復活のとき
 期待を背負って外へ・・・・外へ・・・


 『ソト』を一読しても、歌詞の言葉から背後にある物語がなかなか読み読みとれない。構成された物語よりも、断片的な《光景》と、冒頭に「ようやく 暖かくなって 僕らは汗を掻いた/ああ 焦げ臭い子供達の靴を隠そう」とあるように、気温、汗、臭い、という《感覚》が聴き手に迫ってくる。 「子供達」という語から、幼少年期の記憶を引きずっているようにも感じられる。(MCの言葉からすると、この歌の舞台は兵庫になる。そうすると、もしかしたら、1995年1月の阪神・淡路大震災の記憶が入り込んでいるのかもしれない。あの当時、クボは高校生だったようだ)

 歌の主体は「オレはもう出かけたいな 窓を閉める/出かけようぜ」と呟く。最後は「期待を背負って外へ・・・・外へ・・・」で締めくくられる。題名「ソト」も示しているように、歌の主体「オレ」の「ソト」への出航が物語のモチーフの中心であることだけは確かなようだ。

 『ソト』は歌われることを前提とした作品ではあるが、歌詞の言葉を追っていくと、《書かれた詩》としのて性格が濃いように思われる(そもそも、「ソト」「外」、「オレ」「俺」という表記の二重性は、書かれて読まれることを前提としている)。言葉の凝縮の度合いが強く、抽象性も高い。これはこれで優れた達成なのだが、歌われる歌という面では内容的に難しい、物語がたどりにくいという属性も帯びてしまう。『ギンガ』収録曲にはその傾向が強いが、その後はゆるやかに変化している。

 クボケンジは、記憶や風景を解体し再構築する術を身につけている。『ソト』の物語の余白を埋めるように、「どこに隠れているんだい 出て来い俺の前に/悲しみのトンネルは あとどれくらい/くぐればあえる?」という不思議な一節が歌われる。

 「どこに隠れているだい」と言われる対象、「出て来い俺の前に」と呼びかけられる対象は、いったい誰なのか。歌詞の世界には、冒頭に「僕らは汗を掻いた」の「僕ら」、「彼は話に夢中だ」の「彼」、「オレはもう出かけたいな」の「オレ」である歌の主体(後には「俺」とも表記されるので「俺」に統一する。付言すると、一人称複数が「僕ら」であるのに、単数が「オレ」「俺」であることも謎だ)、「白い君の手を」の「君」が登場する。人称代名詞で指し示されるだけで、各々の個性は分からない。「彼」の方は少年、「君」の方は少女だという気がするが、この「彼」と「君」が同一人物の可能性もある。その場合は少年になるだろう。どちらにしろ、「隠れている」対象は「彼」か「君」と考える解釈があり得る。(先ほど、1995年1月の阪神・淡路大震災の記憶を指摘したが、その場合、この「彼」や「君」という他者はすでに失われた、不在の対象という可能性もある)

 もう一つ、「隠れている」対象が自分自身であるという解釈もできる。歌の主体「俺」が隠れてしまっているもう一人の「俺」(それは現在のことなのか過去のことなのか分からないが)に「出て来い俺の前に」と語りかけている。この場合、「俺」と「俺の分身」とが対話している光景になる。この「ソト」という歌詞のモチーフと重ねるなら、「ソト」ならぬ「ウチ」に隠れている「俺」に対して、「ソト」に出ていこうとする「俺」が呼びかけている。反転して、「ウチ」にいる「俺」が「ソト」に行こうとする「俺」に話しかけているとも考えられる。

 あるいは、「恥ずかしい外」「懐かしい外」が「隠れている」対象だとすることも可能かもしれない。そのような隠れている「外」へ呼びかけ、「外」に出ようとする「俺」の存在を誇示するかのように。
 また、「哀しみのトンネルは あとどれくらい/くぐればあえる?」の解釈は難しいが、「哀しみのトンネル」をくぐることが、「隠れている」対象と歌の主体「俺」とが再び「あえる」ためには不可欠なのだろう。

 初期から現在まで、歌の主体「俺」「僕」と「君」「あなた」との対話、その変奏としての歌の主体と分身との対話は、クボケンジの歌詞の枠組みを形作ることが多い。枠組みに留まらず、この対話そのものが初期から現在まで続く、クボケンジの変わらない主題でもある。   (この項続く)

2014年2月22日土曜日

メレンゲ渋公ライブ 「四泊五日の旅」

 2月14日、金曜日の朝、メレンゲの渋谷公会堂ライブ「初恋の集い 2014 in バレンタイン」に妻と二人で出かけた。ライブが終了、雪の降る中、心あたたまるライブで気分が高まりながら、渋谷の「ユキノミチ」を歩いて帰路に着いたところまではよかったのだが、最終的に114センチに達した甲府盆地の歴史的な大雪の影響で、中央線も中央道も完全に止まり、「帰宅難民」となってしまった。

 宿泊場所を求めて、新宿のホテルを転々とすることになった。帰宅難民「さまよえる甲州人」と化した私たちは、新宿駅や新宿高速バス停に行っても「運休」の文字だけに出会い、ニュースを見ても大した情報はなく、さすがに心細い日々を送った。新宿の街にはすでに雪の影響はなく、ビジネス街と歓楽街という日常そのものの風景であることも心身の疲れを増加させた。

 大雪の影響で仕事も休みになったことだけは幸いだった。何もすることがないので、映画館でひたすら時間をつぶした。全く予備知識はなかったが、好きな監督の作品ということで、フランソワ・オゾンの新作『17歳』(Jeune&Jolie)とテオ・アンゲロプロスの遺作『エレニの帰郷』(The Dust of Time)。話題作という理由でリー・ダニエルズの『大統領の執事の涙』(Lee Daniels' The Butler)。1日1本のペースで見たが、三つとも素晴らしい作品で、しかも音楽との深いつながりがある。

  『17歳』では、フランソワーズ・アルディの歌が4曲大切な場面で使われている。(『私のフランソワーズ』という歌があるように、ユーミンというより荒井由実はフランソワーズ・アルディから強い影響を受けている)
 『エレニの帰郷』では、要の人物、映画監督“A”のベルリンの住居の部屋には、ジム・モリソンやボブ・マーリーのポスターがある。彼がロックの世代の一人であることが強調されている。中でも、ルー・リードのポスターがラスト近くでワンショットだけ映るのだが、やはりあの『ベルリン』を想起させる。
 『大統領の執事の涙』では、50年代から70年代にかけてのブラック・ミュージックが流れ、TV番組「ソウルトレイン」の映像も使われていた。あのレニー・クラヴィッツも執事役の一人として出演していたのには驚く。
 この三つの映画を偶々見る機会を得たのは幸運だった。暇つぶしのようにして見た映画が意外にも収穫が多いという逆説があるのかもしれない。

 結局、甲府に帰ることができたのは18日、火曜日の夕方。今回の「メレンゲ渋公ライブ」の旅は、「四泊五日」の日程となった。色々な意味で記憶に残るライブとなるだろう。
 戻ってきて「やれやれ」だったが、それもつかの間、我が家と二人の実家の大量の雪かきが待っていたのである。「やれやれ」が続く日々をいまだ過ごしている。

 本題のメレンゲのライブに移ろう。
 渋谷公会堂に行くのは、確か1996年1月のムーンライダーズ20周年記念ライブ以来だから、18年ぶりだ。LN30で書いたように、昨年5月の新宿ロフト、GREAT3とのツーマンライブは見たが、今回はホールでのワンマンライブなので、絶対に行こうと考えた。

 会場に入ると予想通り、9割方が女性、私たちのような中年夫婦は見あたらない。場違い感はあるのだが、そのギャップを愉しむのも「ロック」だと自分に言い聞かせた。
 渋公ライブを前にして、インディーズのミニアルバム2枚、メジャーのミニアルバム3枚、フルアルバム3枚と最近のシングルを揃えて、初期から現在までの作品を通して繰り返し聴いた。どのアーティストにも当然あるのだが、メレンゲの場合、特に、「変わるもの」と「変わらないもの」の二つを強く意識させられた。

 ライブは『アオバ』から静かに始まり、アンコールの『ライカ』のギターサウンドで終わった。前半は落ち着いた感じの曲が多かったが、半ばの『ミュージックシーン』『Ladybird』を経て、後半の『バンドワゴン』から『ビスケット』にかけてすごく盛り上がった。『ビスケット』の際には、御菓子の「ビスコ」!が投げられた。「ポケットには 一人分/叩いて 二人分/粉々になる」演出を目指したのだろうか。

 照明も舞台もシンプルではあるがよく工夫されていた。ホールならではの音響効果があり、クボケンジの声の響きもよく広がっていった。『クレーター』のエッジが聴いたサウンド、本編最後の『ユキノミチ』の静かな余韻と共にしめくくられた。タケシタツヨシとヤマザキタケシの盟友二人は、クボの言葉のリズムを美しく響かせ、サポートメンバーの大村達身・皆川真人の熟練した演奏はバンドのアンサンブルを支えている。2時間近い間、メレンゲというバンドの充実感がよく伝わってきた。

 クボケンジはMCで、今回のライブのために作品を聴き直すと、やはり変化を感じた、『星の出来事』までは故郷の兵庫、それ以降は東京が舞台だという意味のことを述べていた。故郷から東京という場の移動と作風の変化という話題はとても印象深かった。この発言に触発されて、様々なことを考えさせられた。
 クボケンジの歌詞の世界には変化しているモチーフと不変のモチーフの双方がある。次回はこのことも考えてみたい。   (この項続く)

付記
  《詞論》にはそぐわないでしょうが、今回の大雪で色々と考えさせられたことを少し書かせていただきます。
 

 5日間、新宿のホテルでテレビのニュースを見ていましたが、地上波のニュースは「ショー」と化していて、「報道」になっていませんでした。山梨県「全域」がほぼ孤立状態という事実があまり伝えられません。放送には「公共性」があり、ニュースの使命は「事実」の報道にあると思いますが、そのことが軽んじられています。
  交通機関も回復に懸命だったことは分かりますが、新宿の駅でも発着場でも、5日間の間、途中経過の情報すら全くありませんでした。少しでもいいので、帰宅困難者へ情報を伝えてほしいです。
 ふだんは雪の少ない地域ということに慢心していたせいか、国、県、市町村等の行政の対応も遅かったようです。

 帰宅後、徒歩通勤を続けていますが、歩道や路肩には残雪が高く積まれていて道幅を狭め、路面も凍りついて、非常に危ない状態です。日陰の部分はかなりの間溶けないでしょう。特に店舗前の間口の除雪には差があります。駐車場はされていても、間口の歩道部分が全くされていない所があります。間口の除雪まで行政に頼ることは無理なので、間口部分はその店や店舗が除雪せざるをえないでしょう。通行困難な箇所について、御節介なことではありましたが、その店や施設の方に除雪の御願いをしました。ほとんどの店や施設に協力していただいて、有り難かったです。人手のせいか、除雪されていない場所もありましたが、時間を都合して、シャベル持参で自分たちで掻きました。
 人員とか安全の問題もあるでしょうが、「雪かきというのは自分のためではなく他人のためにする」という考え方が公共性のルールとして広まってほしいですね。

 それでも甲府はまだ良い方で、富士吉田のある富士北麓地域や八ヶ岳南麓地域の残雪はとても多く、復旧が遅れているのが心配です。こういう大雪が今年だけで終わらないような気がしますので、皆で取り組むべき課題になると考えます。

 これまであまり雪が降らない地域にお住まいの方々も、何か対策や準備をしておかれた方がよろしいかとほんとうに思いました。

2013年8月26日月曜日

メレンゲ『Ladybird』 (志村正彦LN 46)

 前回「クレーター」について書いた後、PCやオーディオセットで何度も聴いたが、大音量の方が曲の本質が伝わる曲だ。「すべて欲しがって そこに星があって」の「ホシガ ッテ」「ホシガアッテ」の微妙なずれを含む音韻の反復、「すべて」「そこに」の照応など、クボケンジは巧みに美しく言葉を操っている。宇宙への欲望とでも言うことになるだろうが、アニメ『宇宙兄弟』のオープニングテーマという条件の下で、依頼されたテーマと自分自身のモチーフをなめらかに融合できるところに、音楽家としての確実な成長が見られる。

 21日深夜、テレビ東京『ロック兄弟』のインタビューでは、「メレンゲっていうものの考え方は、自分、僕自身のストーリーなんだろうなあとも思っているんで」「いつも課題にしているのは、やっぱり前作った曲より良い曲をというのがいつも自分の中では課せられるし」と述べていた。そして、「宇宙」という言葉は以前の曲にもけっこう多く、「遠くにあるものが好き」だと語っていた。クボは「もっと遠くまで」(『ビスケット』)たどりつこうとすると同時に、無限の遠方、彼方から自分を見つめ直すストーリーを追いかけているようだ。

 シングルの2曲目『Ladybird』は複雑な歌詞を持つ。

   明け方の道
   散らかってるゴミ
   どうせ誰かが片付けるのだろう

 この3行からなる節を前後の枠にした上で、その枠組の内部に、ある恋愛の終わりの物語を配置している。クボがtwitterで「僕の渾身の情けない大人のラブソングです。。。不倫を助長しているわけではないのですが。。。」と呟いたことが、解釈の方向を与えている。枠内にある物語は、短編小説の場面を抜粋したように描かれていて、聴き手は断片的な像しかつかめないが、逆に、断片を自分でつなぎあわせて物語を作っていくことができる、とも考えられる。

 それにしても前後の枠の部分が耳にこびりつく。早朝、路上に散乱しているゴミを見た時の経験を思い返してみる。そのゴミの方から見つめられているような、何だか居たたまれないような、罪深いような想いに捉えられたことがある。そのゴミは自分とは無関係なのだが、関係がないとは言えないような、むしろ関係があるかのような、不思議な痛みと自己嫌悪のような感覚と共に。

 『Ladybird』の歌の主体「僕」も、「明け方の道 散らかってるゴミ」を見つめているのだが、逆に、そこに散乱している「廃棄されたもの」の側から見つめ直されているように感じたのではないだろうか。そのような眼差しの逆転から、「僕」の眼前にはどのような光景が広がっているのか。都市の早朝。捨てられた恋、失われた愛、廃棄された欲望。それらもやがて他者の手によって片付けられ、回収される。そのようにして、他者から他者へとゆだねられる。恋愛も欲望も循環する。独りよがりの解釈だろうが、そんな光景が浮かんできた。

  もうこれ以上先はすすめない すべてに意味を持ってしまう
  終わりを告げる夜明け 黒いセダン 黒いセダン

 「すべてに意味を持ってしまう」、これはクボケンジの詩の世界と方法の鍵となるような言葉だ。
  歌い手も聴き手も、「すべてに意味を持ってしまう」振る舞いから逃れられない、というか、それを求めてしまう。私たちもクボの歌に「志村正彦」という意味を見いだしてしまう。もちろん、どのような意味を見いだしたとしても、その見いだし方は聴き手の個々の自由だ。「志村正彦」という意味を見いだしても見いださなくても、そのような自由をクボケンジの歌は織り込んでいる。そうであるならむしろ、クボと志村正彦との対話は深まっていると言える。
 時は「終わりを告げる夜明け」から「明け方の道」へと流れ、「黒いセダン」(この言葉は最も謎めいている)と共に、「君」は「君の帰り待ってる僕の知らない所」へと帰っていく。断片的であるゆえに妙に喚起的である物語が終わる。

 最後に、2つの新曲、DVDの3曲のライブを通じて、メンバーのタケシタツヨシ、ヤマザキタケシ、サポートの大村達身、皆川真人による演奏の調和と抑制がとれた美しさに感嘆したことを付言したい。「歌」を大切にした上で、この水準のバンドアンサンブルを維持できるバンドはなかなか無いだろう。『バンドワゴン』のフィナーレは、あの『ビスケット』のイントロに続いていた。あの素晴らしいリズムを聴くと、メレンゲ『星めぐりの夜 in 日比谷野外音楽堂』完全版DVDへの欲望が高まる。リリースを切に願う。

2013年8月21日水曜日

メレンゲ『クレーター』 (志村正彦LN 45)

 昨夜、夜10時過ぎに車で帰宅途中のことだった。たまたまFM-FUJIをつけていたのだが、突然、「メレンゲ」という言葉が聞こえてきた。3人がシングルCD『クレーター』のプロモーションで番組に出演していたのだ(FM-FUJIの本社は甲府にあるのだが、この収録は東京で行われたようだ)。トークと『クレーター』と『Ladybird』の2曲を聴くことができたが、車中だったので、曲の雰囲気を味わうことが精一杯だった。そうして、明日21日が『クレーター』の発売日だったことに気づいた。早速、AMAZONのお急ぎ便で、日比谷野音ライヴのDVD付の初回生産限定盤『クレーター』を注文した。今夜この作品を聴き、考えるところがあったので、今回はそれを書いてみたい。

 メレンゲ、クボケンジの作詞作曲の歌、言葉の何処かに、「志村正彦」の痕跡を求めてしまう、ということが志村正彦のファンの自然な所作になっているのかもしれない。私もそのような一人である。しかし、そのようなあり方は聴き手の身勝手な欲望のような気がしないでもない。抑制しなくてはという気持ちもある。クボケンジがいつもそのような聴き手の欲望に晒されていることは、一つの束縛になってしまうかもしれないからだ。

 そのようなことを考えながら、CDとDVDがパッケージされた『クレーター』を開けると、歌詞カードのクレジットの「special thanks to 」の第1行目に、「Masahiko Shimura, Akito Katayose」とあった。クボケンジと志村正彦そして片寄明人、この3人の絆、トライアングルは強固だということを今回も確認することができた。先ほど書いた聴き手の欲望の問題など、クボケンジは「強がりと本音」(歌詞の一節にある言葉)で軽々と克服して、もっと遠い空間にまでたどりついているのかもしれない、そんなことを考えさせられた。

  『クレーター』を聴き始める。冒頭の「詰め込んだ分だけ重くなるカバン」という言葉を聞いた瞬間、志村正彦『東京、音楽、ロックンロール』のあるコメントにワープしてしまった。

かばんが重いのは、夢が詰まってますから。僕は昔から言っているのですけど、かばんの荷物が少ないやつは夢が少ないっていう。氣志團の團長だっていつもすごい荷物持っていたし、某女性アーティストもすごい荷物持っていたし。だから、フロントマンというか、いろんなものを背負っている人は荷物が多いんだと思います。(『東京、音楽、ロックンロール 完全版』224頁)

 そして、志村正彦が持っていた大きな重いカバンについてのある挿話を実際に語ってくれたある人の言葉も浮かんできた。
  志村正彦の痕跡を探してしまう、そのような行為を意識的に行うというより、自然にほとんど瞬間的に、関連する彼の言葉を想起してしまう。これはすでに無意識的な欲望になっているのかとも考えてしまったが、このことはもう少し考えていきたい。

  『クレーター』に戻る。クボケンジは「カバン」について第2ブロックで次のように歌う。

 詰め込んだ分だけ重くなるカバン
 果たして持って歩けるモノなのか?
 あきらめた分だけ軽くなるはず
 なのに何故だ 前よりしんどいな

 あきらめた分だけ軽くなるはずのカバン。しかし何故か、歌の主体は「前よりしんどい」と感じる。この隠喩が何を語っているのか。一人ひとりの聴き手の解釈が待たれる。
 自分の欲望にも向き合いながら、歌の言葉にも向き合う。そんなことを考えてしまった。

2013年6月7日金曜日

時間 (志村正彦LN 32)

   志村正彦の生と死をどのように受けとめるのか、そして私たちの生と死をどのように考えるべきなのか、そのような問いに対して、メレンゲとGREAT3は、各々の新作や今回の新宿ロフトライブで、作品や演奏を通じて、私たち聴き手に応えてくれた。
 2012年にリリースされた各々の新アルバム『ミュージックシーン』と『GREAT3』の冒頭曲には、次の一節がある。

  時間はどれくらいあるかい  長いのかい 短いのかい
 本当に君はいないのかい  まだ まだ まだ
  【メレンゲ『ミュージックシーン』(作詞・作曲クボケンジ)』

 残されている 時間はきっと 思うよりも無い
 誰が次の名前なのか 神のみぞ知る
  【GREAT3『TAXI』( 作詞・片寄明人 作曲・片寄明人,白根賢一,Jan)】

 クボケンジと片寄明人の両者に共通している切迫した想い、一種の強迫観念のように去来するものは、《時間》である。
 30歳代半ばのクボは「時間はどれくらいあるかい」という問いかけ、40歳代半ばに達した片寄は「残されている 時間はきっと 思うよりも無い」という断言に近い言い回し、という差異はあるが。このような主題がロックで歌われるのはやはり極めて珍しいことだろう。

 自分自身を振り返っても、ごく若い頃は、時間というものがこちら側から向こう側へとはるかに広がってゆくもの、という果てしなさがあった。しかし、人生の年齢の折り返し点を過ぎた頃からは、むしろ、向こう側からこちら側へと降りたってくるもののように感じ始めた。日々こちら側へ時間は降りてくるのだが、時間の器は有限で、いつか尽きてしまう。そのような《時間》の意識がいつもどこかに張り付いている。

 志村正彦の日記や作品からの印象では、クボケンジや片寄明人が今回の作品で描いたような、「残されている生の時間」というような切迫した意識、強迫観念のようにこびりつくものが彼にあった、とは考えられない。しかし、作品を作らねばならない、それも、より独創的なものを作り続けねばならない、という幾分か強迫的な衝動はあったかもしれない。彼が時にもらした不安もそのことに起因しているのではないだろうか。

 志村にとって、歌を創るための時間を確保し、それに集中することが何よりも切実な課題であった。生きる「実」の時間よりも、歌を作る「虚」の時間の方が重要であった。この一種の転倒は、優れた作品を創造する表現者の本質のようなものだが、彼はその本質を生きぬいた。志村正彦にとって時間は、そのように流れていた。

 5月23日、新宿ロフトで繰りひろげられた、メレンゲとGREAT3のライブ。彼らの力強い演奏、哀しみや様々な葛藤の末に生みだされた言葉が記憶に刻まれた。このライブを実現させた企画担当者の真摯な想いも伝わってきた。
 不在の志村正彦が彼らに、歌い続ける力、何かをなし続ける力を与えている、そのように感じることのできる「有難き」時間を経験した夜であった。

2013年5月29日水曜日

メレンゲ 『ビスケット』 (志村正彦LN 30)

  5月23日のメレンゲのセットリストは片寄明人が選んだそうだが、最後に『ミュージックシーン』収録の『ビスケット』が演奏された。顔を傾けたり揺らしたりして歌う、クボケンジ独特のスタイルで、「もっと遠くまで」と力強い声が響いた。
 結成から11年にわたりメレンゲの独創的なサウンドを創ってきた、タケシタツヨシのベースとヤマザキタケシのドラムによるリズムセクションのしなやかで強靱なビート、サポートメンバーである大村達身のギターと横山裕章のキーボードの繊細で粘り強い音色からなる演奏がクボの歌声とひとつになって、激しく柔らかく高揚していく。

 クボは『ミュージックシーン』のセルフライナーノートで、『ビスケット』について「オルガン的な音を入れたりしてフジを意識してみた」と書いている。サウンドの軽快な疾走感と、それに反するかのような陰影のある歌詞を持つ『ビスケット』は、特に『CHRONICLE』の頃の志村正彦、フジファブリックの世界に通じるものがある。
 『ミュージックシーン』収録曲には、「メリーゴーランド」「キンモクセイ」というように、志村正彦の歌詞の一節とのつながりや彼を連想するような言葉の断片もかなり含まれている。言葉として現れてこなくても、志村を想起させるような内容が少なくない。

 『ビスケット』の言葉には、直接、志村を感じさせるようなものはないが、冒頭の「もっと遠くまで もっと遠くまで 冷たくしないで かまって かまって かまって よね」という言葉の連なり、特に「かまって」の反復、「よね」という末尾の言い回しなどに、例えば、志村正彦の『バウムクーヘン』の「誰か僕の心の中を見て 見て 見て 見て 見て」やその他の歌とのつながりを感じてしまう。

 クボケンジは、2010年7月の「フジフジ富士Q」コンサートで、『バウムクーヘン』と『赤黄色の金木犀』を歌った。そのクボの姿を見て志村に似ていると感じた人が多かったと聞いている。クボはその時「当日は志村もいるつもりで行きます。僕が彼の言葉を背負って歌う事は出来ないのでフジファブリックを好きな人たちとみんなでカラオケするように楽しめたら良いのかなって今は考えています」というコメントを寄せている。

 『ビスケット』には次の一節がある。

    ポケットには 一人分 
    叩いて 二人分 
    粉々になる 
    黙って 困って 黙って

 この一節は、誰もが感じるように、まど・みちお作詞の『ふしぎなポケット』、あの有名な童謡から着想を得たものであろう。

  ポケットの なかには ビスケットが ひとつ
  ポケットを たたくと ビスケットは ふたつ
  (中略)
  そんな ふしぎな ポケットが ほしい
  そんな ふしぎな ポケットが ほしい

 「ふしぎなポケット」、たたくとビスケットの枚数が増えていくポケット。一つのものが二つ三つと増殖していくという不可能な出来事。「そんなふしぎなポケットがほしい」という欲望は、現実にはありえない夢、というよりも、夢の中でしか実現できないような不可能な欲望だと言えよう。精神分析の理論では、夢の本質は願望の充足だと考える。子どもだけでなく大人もまた、対象はどのようなものであれ、その対象の増殖への純粋な願望を夢の中で実現させ、願望を充足させる。意図したものではないかもしれないが、まどみちおはそのような欲望を描いている。

 それに対して、クボケンジの『ビスケット』では、「一人分 叩いて 二人分」になったが「粉々になる」。クボケンジのポケットは、まどみちおのポケットが反転されたものである。欲望の充足は損なわれ、夢が砕けてしまったかのように、ビスケットは粉々になる。「一人分」が「二人分」になることは永遠に不可能となる。その事態に直面した歌の主体は、「黙って 困って 黙って」という沈黙と困惑の循環の中に閉じこめられる。何かが決定的に損なわれてしまった。困り果てた主体は、為すすべもなく、壊れたビスケットを見つめる。

 次の一節が続く。

  もういいや もういいや 君の夢でもみよう
  楽しい事 楽しい事
  肝心な時はやはり 出てきてもくれないか
    (中略)
  もういいかい もういいかい あふれそうな I miss you 

 歌の主体は、「君の夢」を見ようと考える。でも、「肝心な時」に「君」は夢に現れてくれない。この「君」が誰であるのかは分からない。特定の誰か、歌の主体の恋人、友人かもしれない。あるいは誰でもないのかもしれない。「あふれそうな I miss you」という言葉からは、「君は失われ、僕は損なわれた」というような声が聞こえてくる。その喪失と欠落の感覚があふれそうになるのだ。
 無意識の次元まで考えていけば、クボケンジの『ビスケット』の一連の言葉の流れから、志村正彦との関係の痕跡が浮かび上がってくるような気がしてならない。

 志村正彦が亡くなった三日後に、クボは自身のブログで、志村との関わりの日常を書き記してくれた。受け入れられない現実の中で、それでも何とか言葉を発しようとする、正直で抑制した書きぶりが、逆に、限りない哀しみと喪失を伝えている。その後、クボケンジは志村正彦について、ブログや公的な場でほとんど語っていないはずだ。
 例外としては、聴き手に向けて、「フジフジ富士Q」のステージで、志村正彦のことを「心を許せる大親友でした」と話した後すぐに「あ、大親友です」と言い直したことが記憶に残る。「た」という過去形ではなく、「です」という現在形であることを改めて確認するかのように。そのような場を離れて、コメントのような形では語ることはできない、あるいはそうしないという姿勢がクボには見られる。むしろ、音楽家として、新しい歌を作ることで、志村正彦との対話を続けている。それは追悼や過去へと遡るものではなく、「もっと遠くまで」行こうとするような、現在から未来へ向けた確固たる強い意志にもとづいている。そのように歩み出したクボケンジを、志村正彦は見守っていることであろう。

 歌い手は、歌を作り歌うことがすべてである。それがクボケンジの決意である。5月23日の新宿ロフト、メレンゲのライブで、そのことを強く感じた。

2013年5月26日日曜日

5月23日夜、新宿ロフトで。 (志村正彦LN 29)

  5月23日夜、新宿ロフト「14TH ANNIVERSARY」の「GREAT3 / メレンゲ」ライブに行ってきた。甲府から新宿までは電車で1時間30分、バスで2時間ほどだ。夕方出かけ、何とか間に合うことができた。

 志村正彦とGREAT3 、メレンゲの関係についてはよく知られているが、ご存じない方のために簡潔に記したい。GREAT3 の片寄明人は、フジファブリックのメジャーデビュー作のプロデュサー。それ以来、志村は片寄を慕い続け、信頼できる相談相手としていたようだ。メレンゲのクボケンジは自他共に認める志村の「大親友」であり、週に何度か部屋を訪ねるような仲であった。志村正彦が生まれたのは1980年、片寄は1968年、クボは1977年である。兄弟の関係に擬するならば、志村正彦にとって、片寄は年の離れた兄、クボは少し年上の兄というような存在であったと言えるだろうか。

 今回のライブの話をする前に、個人的な思い出を少し語らせていただきたい。
 70年代後半から9年間ほど、東京で学生それからフリーター(当時そんな言葉はなかったが)のような生活を送っていた。当時は雑誌「ぴあ」の全盛時代だった。毎号、ライブハウス情報をチェックし、西新宿にあった旧ロフトにも何度か出かけた。あの界隈のビル街には輸入盤レコード店がたくさんあった。大学がそう遠くないところにあったので、帰りによく足を運び、日本未発売のプログレを漁ったものだった。

 1980年前後の新宿ロフトだったと思う。「東京ロッカーズ」のイベント、特に「フリクション」のライブ、博多からやって来た「ルースターズ」のロフト初ライブなどが強烈な印象をもたらした。フリクションの重くて痙攣的で身体をえぐるビートは、聴き手を制圧してしまうような凄みを持つ。ルースターズの浮遊感のあるたたみかけるビートは、縦にも横にも、激しく柔らかく熱くてクールに身体を揺らす。違いはあるけれども、この二つのバンドに圧倒された記憶がある。彼らの繰り出すビートの感覚は当時の日本のロックシーンでは非常に斬新だった。(いつかこのことも詳しく書いてみたい)
 1980年頃を境にして、日本のロックにも新しい波がおとずれた。そのようなシーンを支えていたライブハウスの中心が新宿ロフトだった。

 歌舞伎町に移転した新しいロフトに入るのは初めてだった(新しいと書かざるをえない「初体験」の自分に苦笑する)。旧ロフトは(特に80年前後の頃は)「アンダーグラウンド」な匂いが濃くて、入るのにちょっとした覚悟がいるような場所だった。それに比べると、新しいロフトはずいぶん大きくなり、綺麗な場所になっていた。

 この場所で、インディーズからメジャー初期の時代、フジファブリックが演奏を行っていたのだなと少し感慨にふける。このホールでの志村正彦のライブ映像、Tシャツやポロシャツを着てステージに立っていた、飾り気のない彼の像。あのころの彼からは「東京のロックシーンに闘いを挑むような、たくましい青年」の印象を受けるのだが、実際はどうだったのだろう。
 
 会場は満員だった。やはり女性が多い。ホールが広くなったからだろうか、後方にはモニターも設置されていて、親切だ。新しい新宿ロフトには、聴き手を優しく受け入れてくれるような感じがある。正直言うと、この変化に少しばかり戸惑ったのだが、この雰囲気に慣れてくると、今の時代にはこのようなスタイルが合っているのだろうと好感を持った。

 少しだけ開演が遅れて、メレンゲが登場。最後尾で見ていたのだが、CDで聴くよりも、ずいぶん激しいビートの感触だ。CDとライブの差はどんなバンドでも感じるのだが、メレンゲの場合、良い意味での差異に少し驚いた。
 3曲ほど演奏した後で、クボケンジが「志村が、メレンゲとGREAT3を出会わせてくれた」と語りだした。「志村」という言葉が出た瞬間に、ホールが静かになり、皆がクボケンジの言葉を聞き取ろうとしていたことを記しておきたい。続いて、志村正彦から聞いていた片寄明人の印象と実際とのギャップ(聞き間違っていたら失礼なのでここでは書きません)など、面白い打ち明け話になると、ホール全体が盛り上がり、和やかな雰囲気に包まれた。
 (この項続く)