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2023年1月29日日曜日

《痕跡として有りつづける、有るもの》-『茜色の夕日』12[志村正彦LN327]

 志村正彦の聴き手であれば、一人ひとり、忘れることのできない『茜色の夕日』があるだろう。この曲との出会いの時。この曲の想いが真に迫ってきた時。その《時》あるいはその《時々》において、聴き手はこの曲に触発される。〈少し思い出すものがありました〉という志村の声に誘われるようにして、何かを少し思い出す。

 僕にとってのその《時》は、2014年11月28日だった。日本武道館のフジファブリック・ライヴで『茜色の夕日』を聴いた。

 オープニングから十曲ほど演奏した後、志村のハットがマイクスタンドにかけられて、演奏が始まった。イントロのオルガン音に続いて、志村の声が武道館に響きわたる。予期していなかった驚きと共に心に込みあげてくるものがあった。ここにはいない志村正彦の音源と、現メンバーの金澤ダイスケ・加藤慎一・山内総一郎、サポートの名越由貴夫・BOBOによる生演奏の共演による『茜色の夕日』。当時のブログで書いたことをここに引きたい。


彼は無くなってしまった。だがしかし、そうであるがゆえに、よりいっそう、彼は《声》そのものになった。《声》という純粋な存在になった。聴くという行為が続く限り、いつまでも、彼の《声》は今ここに現れてくる。


 あの日の『茜色の夕日』は、歌の音源と生演奏によるもの、というよりも、志村正彦・フジファブリックの歌と演奏を聴いたという記憶となって、僕の中に強く残っている。その記憶を大切にしたいので、日本武道館ライヴのDVDの映像も一度見ただけで、それ以上見ることはしなかった。

 今日、これを書くにあたって、八年ぶりにライブ映像を見た。こみあげてくるものがあった。それでも志村の声を聴くことに集中した。〈僕じゃきっと出来ないな/本音を言うことも出来ないな/無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった〉という箇所にやはり惹かれた。

 この一連のエッセイでは、この箇所をユニットⅣに位置づけた。このユニットⅣがユニットⅠ・Ⅱ・Ⅲの枠組の外側にあり、現在時の歌の主体〈僕〉の心の中の呟きの声が表出されている、という点を中心に論じてきた。武道館の音源は〈2005年9月シングル版・2005年11月アルバム〉収録のものを使ったようで、〈無責任でいいな〉は、やはり、〈責任でいい〉と歌われているように聞こえる。〈無責任でいい〉という言葉には、自分自身に対する深い問いかけがある。志村の声がそう伝えている。 


  志村正彦のように、高校を卒業後、東京に出て行く山梨の若者は少なくない。僕もそうだった。山梨の空の星は美しい。もともと星を見るのが好きだったので、山梨の夜空をよく見ていたのだが、東京に出てからはそれがほとんどなくなった。空を見ることを忘れてしまったとも言える。そういう経験をしてきた者には、「茜色の夕日」の〈東京の空の星は見えないと聞かされていたけど/見えないこともないんだな。そんなことを思っていたんだ〉という言葉が迫ってくるかもしれない。

 この表現は、〈東京の空の星〉も〈見えるんだな〉ではなく、〈見えないこともないんだな〉と語っているところが志村らしい。〈ある〉という単純な肯定ではなく、〈ない〉ことも〈ない〉という二重否定を使っている。一度、その現実が〈ない〉と否定された後で、その否定自体をくつがえす何らかの契機によって、否定が否定され、その現実が肯定される。その過程の中で、何かを見出すという時が流れている。

 〈ないこともない〉という感覚と論理が志村の歌の根柢にある。

 そもそものはじめには〈ない〉がある。「茜色の夕日」でも「若者のすべて」でも、〈ない〉という声がこだましている。彼の声がこれほどまでに〈ない〉を繰り返したのは、端的に言って、彼の《喪失》の深さを表しているのだろう。何かが、誰かが、あるいは、時や場そのものが失われていく。志村はおそらく物心がつく頃から、失われていくものに鋭敏だったのではないだろうか。

 失われていくものは、そのままそこに不在となる。無いものとなる。しかし、無いものは記憶の痕跡としてはそこに有りつづける。無いものとなったが、そこに痕跡として有りつづけるもの。志村がそれを歌うことによって、聴き手にもそれが浮かび上がる。それを《痕跡として有りつづける、無いもの》と名付けてみたい。

 この《痕跡として有りつづける、無いもの》は、〈ない〉と繰り返し歌われることによって、二重に否定される。《無いもの》が〈ない〉と二重否定され、結果として肯定されると、《無いもの》が《有るもの》へと変換される。《痕跡として有りつづける、無いもの》が、不思議なことではあるが、《痕跡として有りつづける、有るもの》とでも名付けられるものへと変わっていく。錯綜とした分かりにくい論理ではあるが、そのような論を呈示したい。

 〈東京の空の星〉はもともと有りつづけたものであるが、〈見えない〉とされることによって《無いもの》とされてしまう。しかし、その《無いもの》が〈見えないこともない〉という二重否定によって、《有るもの》として肯定される。〈東京の空の星〉は《痕跡として有りつづける、有るもの》として、眼差しに浮上する。

 

 志村正彦には、《痕跡として有りつづける、無いもの》を《痕跡として有りつづける、有るもの》へと変えたいという想いがあったのではないだろうか。《痕跡として有りつづける、有るもの》を希求する想いと言ってもよい。「茜色の夕日」にもその想いが貫かれている。

 昨年の八月から半年の間、断続的に番号を付けながら『茜色の夕日』について書いてきたが、今回でひとまずの区切りを付けたい。


2023年1月22日日曜日

〈リアルな思い〉と客観的な視線-『茜色の夕日』11[志村正彦LN326]

  『若者のすべて』が収録された3rdアルバム『TEENAGER』は、〈十代〉をめぐる一種のコンセプト・アルバムである。〈二十代〉の後半になった志村正彦は、このアルバムで〈十代〉を振り返ろうとした。志村は『若者のすべて』についてこう語っている。(『音楽と人』2007年12月号インタビュー記事、樋口靖幸氏)

 

〈茜色の夕日〉以来です、こんなナーバスになってるのは。あの時は曲つくって自分の思いを表現して、あの人にいつか届けたいっていう、音楽やるのに真っ当な理由があったわけですよ。それに自信をつけられていろんな曲を今まで作ってきたけど、これは当時のその曲と同じくらいのリアルな思いがある……ってことを、作った後に気づかされたんだよなぁ。

 

 『若者のすべて』には、『茜色の夕日』と〈同じくらいのリアルな思い〉があることを〈作った後に気づかされた〉のは、そのリアルな思いを事前に意識していたのではなく、創作した後で事後的に認識したということである。『茜色の夕日』の創作によって〈自信〉を付けた志村は多様な楽曲を表現していったが、その〈リアルな思い〉は幾分か遠ざかっていった。無意識的なものとなったとも言えよう。しかし、『若者のすべて』によって、〈自分の思いを表現して、あの人にいつか届けたい〉というモチーフが強く、志村の中で浮上してきた。〈二十代〉の後半になった志村は、〈十代〉の思いをふたたび語りたかったのかもしれない。

 

 〈十代〉から〈二十代〉へと至る道筋についてもう一つの観点を示したい。


 『若者のすべて』の主体〈僕〉は、夏の終わりの季節に街を歩き始め、夕方5時のチャイムを聞き、運命や世界の約束を考える。街灯の明かりがつくと帰りを急ぎ、〈途切れた夢の続き〉をとり戻したくなる。〈僕〉の一日は〈すりむいたまま〉のように終わるのだが、やがて〈僕〉は、〈すりむいたまま〉に〈そっと歩き出して〉いくだろう。

 『若者のすべて』から時を遡って『茜色の夕日』を捉えると、『若者のすべて』は『茜色の夕日』で歌われていた〈途切れた夢〉の〈続き〉を歌ったものだとも考えられる。

  『茜色の夕日』の回想は〈途切れた夢〉の回想でもある。その〈続き〉が『若者のすべて』で語られることになる。そして、その〈途切れた夢〉の〈続き〉を取り戻すために、〈そっと歩き出して〉いく意志を歌ったのが『若者のすべて』であるという見方はどうであろうか。


 歌の主体〈僕〉の声、第三次の語りに焦点化すると、『茜色の夕日』の〈本音を言うこともできない〉から、『若者のすべて』の〈会ったら言えるかな〉〈話すことに迷うな〉への変化を指摘できる。〈言うこともできない〉は文字通り、言うことが不可能な状態である。『茜色の夕日』の〈僕〉は、言うことができないまま、立ち尽くしている。

 『若者のすべて』の〈言えるかな〉には、言いたいのだが本当に言うことができるかなという想い、〈話すことに迷うな〉には、話したいのだがその内容に迷ってしまうという想いが込められている。どちらにしろ、『若者のすべて』の〈僕〉は、言えないまま立ち尽くすのではなく、言うことに向かって少しずつ歩み出している。〈十代〉から〈二十代〉への言葉をめぐる軌跡が浮かび上がる。

  志村は、〈フジファブリック『FAB FOX』インタビュー〉(billboard-japan)で、〈曲のアプローチ、曲を作っていく中で――もちろん夢中になってしまう自分もいるんですが―― 客観的に見れるようになっていった〉と語っている。インタビュアーの〈客観的になった事で見えてきた物などありますか?〉という問いに対してこう答えている。

  

そうですね・・・、結構妙な事やってるな、とは思いますね(笑)。音楽を始める時は色んな素晴らしい人がいて色んな素晴らしい音楽があって、それに感動したりして「そういう音楽って凄いな」って思うんですけど、いざ真剣に考えてみると「ここの歌詞はちょっと自分と違うな」「自分だったらこういう音で作るんだけどな」っていうのがありまして。それを実際にやってみたいって事でミュージシャンを目指したんですけど、やっと自分がやりたかった事が出来てきたというか、色々面白い事に挑戦しているバンドなんじゃないかと思うんですけどね。


 表現者としての志村は、次第に、歌の主体〈僕〉を客観的に見ることができるようになった。このような視線で〈二十代〉の志村は〈十代〉の志村を見つめ直した。『茜色の夕日』から『若者のすべて』までの時の流れの中で、言葉をめぐる在り方も変化した。〈やっと自分がやりたかった事が出来てきた〉〈色々面白い事に挑戦しているバンド〉だという達成感も得られてきた。そのような軌跡が浮かび上がる。この軌跡は表現者としての志村の成長を物語っている。

 また以前、2001年から2005年までに至る『茜色の夕日』の歌い方の変化によって、自分自身が自分を問い返す意味合いが強まってきたと書いたが、このことと客観的な視線を獲得したことの間には深い関係があるだろう。



2023年1月8日日曜日

故郷と東京、〈十代〉と〈二十代〉-『茜色の夕日』10[志村正彦LN325]

 新年が明けた。今年もよろしくお願いします。

 このブログでは毎年十二月の最後にその年の出来事を振り返ってきたが、昨年末はそれができなかった。2023年の最初の回で少し、昨年のことを書きたい。富士吉田を何度か訪れたことについてである。

 一月、下吉田駅の志村正彦パネルを見て、列車近接音の『茜色の夕日』と『若者のすべて』を聞いた。その後も、本町通りの商店街で買い物をしたり、吉田のうどんの店を新しく開拓したりと、街を歩いた。十月「ハタオリマチフェスティバル2022」、十二月「FUJI TEXTILE WEEK 2022」とイベントにも出かけた。

 フジテキスタイルウィークでは、落合陽一の《The Silk in Motion》が想像以上に美しかった。小室浅間神社の神楽殿に設置した大型LEDで上映された映像は、ファブリックの色彩と形態が時間と共に変容していく姿をどこまでも追いかけていく。映像に複雑なリズムがあった。産地展「WARP& WEFT」では、ファブリックのサンプル生地やマテリアルブックを見た。富士吉田の織物産業とその歴史を、文字通り、手に取るようにして知ることができた。

 展示会場の一階にはオープンしてまもなくの「FabCafe Fuji」があった。ハンドドリップコーヒーを飲んで一休みする。窓の外を見ると、スマホを構えた観光客がたくさんいる。富士山写真のスポットのようだ。本町通りには洒落たカフェが集まってきた。新しい街へと歩み出しているようだ。

 富士山駅の「ヤマナシハタオリトラベル mill shop」にも三度ほど立ち寄った。黒板当番さんの黒板画を拝見するためである。最も印象に残ったのは『Strowberry Shortcakes』の絵。〈フォークを握る君〉〈左利き?〉〈残しておいたイチゴ食べて〉〈クスリと笑う〉〈片目をつぶる君〉〈まつげのカールが奇麗ね〉と歌詞が展開していく女性を一つの像で見事に描ききっている。これは傑作ではないか。その女性を〈上目使い〉で見ている〈僕〉の少々デレンとした表情にも味わいがある。


 富士吉田の街を歩くとやはり、志村正彦の故郷を身近に感じることができる。

 昨年秋から『茜色の夕日』について書いてきた。この歌の回想場面には故郷での出来事が強く反映されているように思う。特に、〈十代〉の出来事が色濃く刻まれている。志村は、『茜色の夕日』に関連して、〈フジファブリック『FAB FOX』インタビュー〉(billboard-japan)で次のように語っている。  


ミュージシャンになりたくて決意の上京をした訳ですけど、言い方が堅いですけど孤独だったりしたんですよね、東京は。ホームシックになったりしましたし。でも今は東京の中での自分の場所、それはバンドの中での自分でもありますけど、ずっと住んでる今の家があって、色んな所に行ったりしても帰る場所がある、落ち着ける場所がある。それだけでも違いますよね。


 メジャー1stアルバム『フジファブリック』、2ndアルバム『FAB FOX』の二作によって、フジファブリックの作風は確立した。志村が正直に語っているように、〈孤独〉や〈ホームシック〉を乗り越えて、〈東京の中での自分の場所〉を得たことが彼の創作を支えたのだろう。彼にとって、故郷が〈十代〉までの経験の場であり、東京が〈二十代〉の場であった。

 3rdアルバム『TEENAGER』になると、〈十代〉をめぐる一種のコンセプト・アルバムを試みた。『若者のすべて』もこのアルバムの一作品であり、〈十代〉を回想するモチーフが込められている。それはどのような経過をたどったのだろうか。

   [この項続く]