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2021年10月31日日曜日

富士吉田を歩く、ハタフェス・黒板当番さんの絵・「ペダル」[志村正彦LN295]

 昨日10月30日、大学の担当授業「山梨学Ⅱ」で地域活性化の先進的な試みを実際に見て学ぶために、受講学生20名とバスに乗って、富士吉田の「ハタオリマチフェスティバル」に行ってきた。一昨年は台風、昨年はコロナ禍で中止となったので、2018年以来の三年ぶりの開催だった。ハタオリマチフェスティバル、通称「ハタフェス」は、山梨県富士吉田市の街の中で開催する秋祭り。二日間、小室浅間神社と本町通り沿いの各会場で、山梨のハタオリの生地や製品を販売したり関連のイベントをしたりするマチフェスである。

 10時頃、駐車場の富士吉田市役所に到着。2020年12月にリニューアルされた庁舎の壁画を初めて見る。ハタフェスのデザイン画も描いているテキスタイルデザイナーの鈴木マサルさんの作品。配色が素晴らしい。ポップでロックだ。この絵がハタフェスの招待状(招待画?)になっていた。



 僕、アシスタント学生2名、受講学生20名の一行二十数名がぞろぞろと街を歩き始めた。担任に率いられた遠足のような集団で少し気恥ずかしくもあったが、この日は快晴で、ところどころ紅葉も進み、富士山も美しく、歩くのは清々しかった。コロナ禍でこのような外出の機会も少ない学生にとっては貴重な時間となった。

 全員で歩き、入り口の会場で検温検査をしてシールや資料をもらい、本町通り沿いの各会場を確認しながら、メイン会場の小室浅間神社に到着。すでにたくさんの人が集い、活気がある。〈おかえりハタフェス〉といった感じだ。この授業では昨年も一昨年も見学する計画だったのだが、中止となってしまった。ようやく実現できてほんとうに良かった。(主催者や協力者の方々に感謝を申し上げます)

 三つにグループを分けて記念写真を撮った。グループ別に見学し、その後三時間ほど各自のテーマによる自由見学という流れにした。僕もこの自由見学の時間に久しぶりに富士吉田の街を歩くことにした。小室浅間神社近くの志村正彦ゆかりの場所へと向かう。何年ぶりのことだろうか。小さなコートで子供たちがサッカーの指導を受けていた。「記念写真」の一節がメロディーと共に浮かんでくる。〈ちっちゃな野球少年〉ではなく〈ちっちゃなサッカー少年〉がボールを追いかけていた。

 それから会場の一つ「FUJIHIMURO」に行った。その後、本町通り沿いに各会場を回った。ところどころで路地に入り、回り道をしてひたすら歩く。この際、ハタフェスと富士吉田の街を歩くことを堪能しようとした。途中で学生たちと何度か出会った。最近開店したカフェの店主にインタビューしている学生もいた。スライド作成のための取材だ。頼もしい。この後、各自が作ったスライドの発表会が予定されている。この授業「山梨学Ⅱ」の最終課題は、自分が自分の街のフェスティバルや活性化のための具体策を計画して提案するというものだ。ハタフェスの先進事例として学んだ上で、自分自身が主体的に考えていくことを重視している。

 僕は会場の一つ富国生命ガレージで黒板当番さんのミニギャラリーを見た。以前から黒板当番さんのTwitterで作品を拝見していたのだが、二週間ほど前、仕事の関係でお会いした人が黒板当番さんご本人だということをたまたま知った。黒板当番さんも偶景webを読んでいただいているようで、話をしている内に、僕が偶景webの主宰者だと分かったようだ。結局、お互いに「あなたでしたか」ということになった。山梨は、いや世界は(とあえて言おう)、狭いのである。

 ハタフェスで彼の作品が展示されることを知ってから、この日を愉しみにしていた。ミニギャラリーにはインクジェットプリンターで印刷した60枚のミニ黒板が並べられていた。志村正彦をテーマとする12枚の絵もあった。小さなものには小さなものゆえの存在感がある。

 この後、ネットで見た『ペダル』が展示されている富士山駅の「ヤマナシハタオリトラベル MILL SHOP」に向かった。本町通りは車では何度も通ったことがあるか、長い距離を歩くのは初めてだ。上り道がずっと続く。この日は快晴ゆえに日差しも強かったので、思っていたよりも暑い。寒さを予想して厚着だったので余計にこたえた。

 富士山駅に到着。駅ビル1階のMILL SHOPへ。ハタオリ紹介番組を流すモニターの横に『ペダル』の黒板。椅子に腰かけてしばらくの間眺める。チョークアートの技法はまったく分からないが、チョークのチョークたる所以である、何というのだろう、あの筆触が活かされている。チョークが黒板に接触する際に、チョークの粉がかすれ、消えていく感触が残っている。黒板当番さんの絵が素敵なのは、この擦れて消えていくものが幾重にも重ねられていくところにあるのだろう。擦れて消えていくものは、志村正彦が繰り返し歌ったモチーフでもある。

 『ペダル』の絵は主に、上側に志村正彦、下側に犬の二つのオブジェで構成されている。(黒板当番さんに快諾していただいたので、画像を添付したい)



 歌詞では〈何軒か隣の犬が僕を見つけて/すり寄ってくるのはちょっと面倒だったり〉というように犬が登場する。絵の中の犬は微笑むようにして、〈僕〉を見ている。とても可愛い。その上に描かれている志村は〈ちょっと面倒〉そうに横を向いているが、内心はどうなのだろうか。この絵には他に、富士吉田の街並、空、飛行機雲の線、だいだい色とピンクの花、角を示すミラー、昭和風の喫茶店、スニーカーを履いて歩く〈僕〉の足下と、『ペダル』の世界が忠実に反映されているのだが、女子高校生らしい人物が自転車を漕ぐ後ろ姿が目を引く。歌詞の中ではこのような像としてはっきりと描かれてはいないが、黒板当番さんはおそらく、〈あの角を曲がっても 消えないでよ 消えないでよ〉と歌われる〈消えないで〉の対象を自転車に乗る女子高校生だと解釈したのだろう。これは卓見である。絵を描く人の想像力がなせる技でもある。黒板画のマチエールそのものもこの題材に適している。(この部分を拡大した画像も添付させていただく)

 白色の花と白色のブラウスが溶け合っていく。自転車を漕ぐ彼女はどこに向かっているのだろうか。彼女の眼差しの向こうには何があるのだろうか。




 もう八年ほど前になるが、〈『ペダル』1「消えないでよ」(志村正彦LN12)〉で次のように書いた。    

 「消えないでよ」という謎めいた表現がいきなり登場する。いったい何が「消えないで」なのか、分からない。「あの角」も具体的な像が浮かばない。通常の流れを考えると、「まぶしいと感じる」「だいだい色 そしてピンク 咲いている花」が「消えないで」ほしい対象と考えられるが、「花」に限定しまっていいのか、心もとない。あるいは隠喩と考えるのなら、「虹」のようなものか、あるいは「平凡な日々」や「毎回の景色」という出来事や風景、そこにうつりゆくものなのか、あるいはそれらの対象をすべて包み込むような何かなのか。

 聴き手がそれを絞りきれないまま、「消えないで」ほしい対象への「僕」の強い想い、その対象に対する呼びかけとそのリフレインが、聴き手の心にこだましてくる。分からないままに、「消えないでよ」という言葉そのものが「リアルなもの」として響いてくる。「消えないで」と願う対象をあえて明示しないことが、歌詞の中の空白部をつくり、聴き手の想像を広げるような作用をしている、とひとまずは言えるだろうか。

 続く〈『ペダル』2「僕が向かう方向」(志村正彦LN13)〉ではこのように展開した。

  「僕」が歩いているとすると、「駆け出した自転車」に「追いつけない」のは「僕」だという解釈も成り立つ。誰かが漕いで「駆け出した自転車」を僕は歩いて追うが、「いつまでも追いつけない」という状況だ。そうなると、「僕」が「消えないでよ」と願う対象はこの「自転車」だとも考えられる。しかしあくまでも、「僕」が「自転車」に乗っていると考える場合は、「僕」が「いつまでも追いつけない」対象は、「消えないでよ」と願う対象と文脈上同一のものになるだろう。

 この第二ブロックの場合、最初に現れた「飛行機雲」が「消えないで」の対象とすることもできる。現実的にも、「飛行機雲」はごく短い時間の移動では消えないが、やがて消えてしまう自然の現象である。第一ブロックの「花」も、より長い時間の間隔ではあるが、その色の輝きがやがて失せてしまうものである。そう考えると、歌詞の展開通り、「花」や「飛行機雲」が「消えないでよ」と願う対象にあげられてよいのだろうが、それだけに限定するのはこの歌の世界の広がりや漂う感覚にそぐわない気がする。やはり「消えないでよ」の対象はより抽象的に把握したほうがよいのではないだろうか。


 以前の考察でも〈消えないでよ〉の対象として〈自転車〉を挙げてはいるのだが、そこで終わってしまっている。誰が自転車に乗っているのかという想像することはできなかった。このときは、〈やはり「消えないでよ」の対象はより抽象的に把握したほうがよいのではないだろうか〉と考えて、具体的なものを追究することを避けたのだろう。

 それに対して、黒板当番さんは〈自転車を漕ぐ女子高校生の後ろ姿〉という具体的なイメージを描いている。この『ペダル』そしてアルバム『TEENAGER』全体、もっと広く言うのなら、志村正彦・フジファブリックの全作品を通じて、〈消えないでよ〉と歌われる存在がある。その具体像の一つとして、女子高校生もあげられる。実際にフジファブリックの「桜の季節」「赤黄色の金木犀」「銀河」などのミュージックビデオには、制服を着た女子高校生らしき女性が登場している。いくぶんかは不可思議で奇妙な雰囲気を伴って、ではあるが。黒板当番さんのこの図像からは、ティーンエイジャーらしい凜とした後ろ姿が漂ってくる。

 そもそも以前の考察では、〈花〉〈虹〉〈平凡な日々〉〈毎回の景色〉〈飛行機雲〉〈自転車〉、歌詞で歌われたすべての情景を〈消えないでよ〉の対象にしている。この対象を〈歌詞の中の空白部〉として捉えているからだろう。言葉で表現する場合、このように概念化したり抽象化したりすることがある。この種の概念化や抽象化はある種の逃げになることもある。(筆者もそのように逃げることがある、とここに書いておかねばならない)しかし、絵を描く場合は、具体像として(抽象的な像もあるだろうが)描出しなければならない。「ペダル」の黒板画を見て、文章と絵画の違いということも考えることになった。


 志村正彦は「ペダル」を歩行のリズムで作ったと述べたことがある。昨日、「ハタフェス」開催中の富士吉田の街を三時間ほど歩いた。若者を中心に沢山の人がハタフェスに集っていた。学生がメモを取りながら見学していた。機織の生地や製品がいたるところに並べられていた。秋の季節。快晴の青空。紅葉。綺麗な雪景色の富士山。富士山駅で黒板当番さんの「ペダル」の絵を見て、記憶の中の「ペダル」を再生した。帰りはなだらかな下り坂。下吉田の街とその向こう側の山々が見えた。歩きながら歌詞の一節を口ずさんだ。

 歩くことによって見えてくるものがある。
 その光景のすべてが〈消えないでよ〉、そう思わずにはいられなかった。


2021年10月24日日曜日

「若者のすべて」-「朝日新聞」と「Real Sound」の記事/『サブカル国語教育学』[志村正彦LN294]

 一昨日10月22日、「朝日新聞」山梨版の第2山梨面で、〈「若者のすべて」世代を超えて フジファブリックの名曲、高校教科書に採用〉という記事が掲載された。

 すでに、「朝日新聞」10月14日付夕刊の全国版(東京本社版・名古屋本社版・大阪本社版・西部本社版)社会総合(10面)に、〈「若者のすべて」何年経とうとも ロックバンド名曲 高校教科書に〉という記事が全体の三分の二ほどの紙面を割いて掲載された。しかし山梨版にはなかなか載らなかったので、全国版だけで終わるのかと残念に思っていたのだが、一週間ほど遅れてやっと紙面の記事となった。山梨版の方も第2山梨面の半分以上が使われていた。山梨の方にぜひ知ってほしいニュースなので、これは嬉しかった。

 やはりいまだに、新聞記事、特に地方では地元紙や全国紙の地方版の影響力は大きい。NHK甲府、山梨放送、テレビ山梨などの地元局でも報道されたので、山梨県民の多くが、富士吉田出身の志村正彦・フジファブリックの楽曲が高校の音楽教科書に採用されることを知ったことと思う。地方では郷土愛的なものが自然に共有されている。富士吉田出身の若者が創った作品が教科書に掲載されることは、素直に誇りに思うことだろう。高校に限って言えば、これまで山梨県出身の作家が教科書に掲載されたのは、おそらく、国語教科書に載った飯田蛇笏・飯田龍太の俳句だけであろう。

 朝日新聞のこの二つの記事には若干の違いがある。そもそも、この記事は10月14日の朝日新聞デジタル版に①が掲載され、その日のうちに①を少し短縮した記事②も掲載された。10月14日全国版の夕刊に載ったのは②である。ところが、10月22日付の山梨版に載ったのは①の方であった。

  フジファブリックのあの名曲が教科書に 亡き志村君もきっと…
           2021年10月14日 10時30分
「若者のすべて」、何年経とうとも ロックバンド名曲、高校教科書に
           2021年10月14日 16時30分

 二つの記事はなかでも最後の部分が異なっているので、ここに引用する。

① 志村さんが亡くなって、この冬で12年。いまはボーカルとギターを担当する山内総一郎さんら3人で新作を発表し続けるフジファブリックは、取材に対して、こうコメントを寄せた。

 「この曲は多くの方々に愛されて、たくさんのアーティストが歌い継いでくださっています。フジファブリックが大切にしている『若者のすべて』が世代を超えて、学生の方に知っていただける機会をいただきましたことに感謝いたします。そして、この曲がこれまで以上に皆様の心に届き、寄り添う曲となることを願っています。作詞作曲を手掛けた志村君もきっと喜んでいることと思います」


② いまはボーカルとギターを担当する山内総一郎さんら3人で新作を発表し続けるフジファブリックは、取材に対して、こうコメントを寄せた。

 「世代を超えて、学生の方に知っていただける機会をいただきましたことに感謝いたします。そして、この曲がこれまで以上に皆様の心に届き、寄り添う曲となることを願っています。志村君もきっと喜んでいることと思います」

 おそらく紙面の字数の都合で、①の一部が省略されて②へと短縮されたのだろうが、コメント部分のニュアンスが若干違っているのが読みとれるだろう。


 タイトルの差異も興味深い。山梨版を③として並べてみよう。

① 【デジタル版】フジファブリックのあの名曲が教科書に 亡き志村君もきっと…

② 【デジタル版・全国版】「若者のすべて」、何年経とうとも ロックバンド名曲、高校教科書に

③ 【山梨版】「若者のすべて」世代を超えて フジファブリックの名曲、高校教科書に採用

 〈フジファブリックのあの名曲〉〈「若者のすべて」…ロックバンド名曲〉〈「若者のすべて」…フジファブリックの名曲〉と変化している。①には曲名がなく、②はフジファブリックというバンド名がない。山梨版にはどちらも記されているのは、地元山梨での知名度を意識したのかもしれない。 


  「若者のすべて」音楽教科書採用の経緯については、「Real Sound」の〈米津玄師「Lemon」、フジファブリック「若者のすべて」なぜ高校教科書に採用? 版元編集者に聞くポップスの選定基準〉(文・取材=小林潤、取材協力・画像提供=教育芸術社 取締役・今井康人)という記事も注目される。「MOUSA 1」出版の教育芸術社の今井康人氏が、「若者のすべて」の掲載理由、ポップスの選定基準などについて語ったものである。このブログにも要点を記録しておきたいので、以下、引用させていただく。


高校生がポップスを学ぶ意義
世の中に出ていく高校生にとって、より身近なものを自らの音楽文化の一つとして取り込んでいく必要があるだろうということで、今社会に生きている音楽であるポップスを取り上げるケースが多いのです
掲載楽曲の選定基準
選定において重要なのは楽曲のパワーです。その楽曲が生き残っていく可能性がどれだけあるか、話題性に留まらず、音楽・詩そのものが持っている力がどれだけあるか、そういったものを見極めて選んでいます
企画や特集における工夫
『MOUSA1』で日本のポピュラーミュージックを年代で区切って特集する企画と関連付けて掲載しました。例えば1940年代『東京ブギウギ』、1960年代『見上げてごらん夜の星を』、1970年代『翼をください』、そして2000年代で『若者のすべて』、2010年代で『Lemon』というように、その時代を代表するような楽曲を選定したのです。
教科書制作における課題や難しさ
近年難しくなってきたのは今後掲載する楽曲が、10年、20年と残っていくような本当にいい楽曲なのか見極めることです。
授業が多様な音楽に触れるきっかけになれば
ネットが発達した今の社会では『好きなものしか聴かない』という状況に陥りがちです。しかし世の中にはいろいろな音楽があって、それらの価値に触れることも大切だと思います。例えばYouTubeなどで検索してみて聴いてみることを通して多様な音楽に触れていただきたい。そのきっかけ、窓口に音楽の授業がなってくれればいいなと思いますね


 今井康人氏は、〈楽曲のパワー〉〈その楽曲が生き残っていく可能性〉〈音楽・詩そのものが持っている力〉を強調されている。特に〈音楽・詩〉というように、〈音楽〉だけでなく〈詩〉もかなり意識していることが注目される。高校生が歌う可能性のある作品の場合、あたりまえのことではあるが、詩、歌詞も重要である。「若者のすべて」はその点でも極めて高い評価を得たようだ。

 また、ネット社会の発展で〈好きなものしか聴かない〉という状況が進むなかで、授業や教科書がいろいろな音楽の価値に触れるきっかけになればいいという想いは、教育に携わる筆者にとっても非常に共感できる。僕が高校や大学という場の国語や日本語表現という教育において、志村正彦・フジファブリックの歌詞についての授業の実践を続けてきたのは、生徒や学生が優れた作品を知る機会が意外に少ないという状況があったからでもある。ネットで音源、映像、情報は膨大にある。しかし、ほんとうに優れた作品を見出すことは難しい現実もある。そのような現実に対抗するものとして、学校教育の存在意義、教材選択の意味や価値は依然としてある、というのが僕のスタンスである。

 最近、『サブカル国語教育学 「楽しく、力のつく」境界線上の教材と授業』(町田守弘 編著、三省堂2021.9.10)というマンガ、映画・アニメ、音楽、ゲームなどのサブカルチャーを用いた国語科の教材や授業提案の書籍が出版された。その中に、永瀬恵子氏の〈現実と虚構の合間で手紙をしたためよう [教材名] 「桜の季節」〉という授業構想が発表されていた。このような新しい実践が生徒の表現や思考の能力を育成していくだろう。僕も以前、『変わる!高校国語の新しい理論と実践―「資質・能力」の確実な育成をめざして』(大滝一登・幸田国広 編著、大修館書店2016.11.20)に、志村正彦・フジファブリックの「桜の季節」を教材の一つにした報告と論考『思考の仕方を捉え、文化を深く考察する―随筆、歌詞、評論を関連付けて読む―』を書いたことがある。(永瀬氏にはこの拙論を参考文献として取り上げていただいた)

 音楽そして国語でも、志村正彦の作品が教材となる時代が到来している。


   

2021年10月13日水曜日

「若者のすべて」教科書採用の経緯 [志村正彦LN293]

 今回は、「若者のすべて」の再解釈からいったん離れるが、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が音楽の教科書に採用された経緯について書きたい。すでに5月に《高校音楽教科書の『若者のすべて』[志村正彦LN273]》という記事を書いたが、今日はその続報でもある。

 一昨日、10月11日(月)22:00-24:00の時間帯に放送されたJ-WAVEの「SONAR MUSIC」という音楽番組(ナビゲーター:あっこゴリラ)のテーマは、「教科書に載るポップミュージック」だった。

 番組webにはこう紹介されている。

フジファブリック「若者のすべて」が高校の音楽の教科書に載る
と言うニュースもありましたが
こうやって、ポップミュージックで学校の教科書載る音楽はどう言ったものなのか?選ばれるポイントは?その歴史は?
誰もが一度は通ってきた道「音楽の教科書」に注目!あなたの思い出の曲はなんですか?

 放送後にこの情報を知り、昨日、radikoのプレミアム会員に登録してタイムフリー機能で聴くことができた。もう一度聴こうとしたが、すでに今日の午前中に聴取期間は終了していた(ただし、地域その他の条件によって期間の違いがあるかもしれませんので、聴いてみたい場合にはご確認ください)。正確に内容を紹介したいところだが、すでに終了してしまったので、記憶している内容をこの場に再現したい。

 ゲストは、教育芸術社の呉羽弘人さん。 2022年度から使用される高校の音楽Ⅰの教科書、『MOUSA1』の編集者である。この番組では、ポップミュージックが音楽教科書に掲載された歴史から始まって、志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」採用の経緯が詳細に語られた。

 視聴できなかった方のために、採用経緯を簡潔にまとめてみたい。


  • もともとはギターストロークが良い曲を探していた。同じ教科書の編集担当者が何曲かを候補として楽譜を見せてくれたが、「若者のすべて」だけは知らなかった。(ファンの人にはほんとうにお恥ずかしい。ビスコンティビスの同名の映画なら知っていたが)。自分で弾いてみたらなかなか面白いと思った。実際の曲を聴いてみたら、全体がとてもよくて、詞もすごくいい。ギターのストロークという感じではなく、それよりまるごと、なんて魅力的な曲なんだと思った。
  • 曲も詞も素晴らしいと思い、編集会議で検討してみることになった。編集委員の先生の中にはこの曲を知らない方もいたが、聴いてみるとすごくいい歌だという感想が多かった。10年単位で曲を採用する構想にもつながった。私も自分でもフジファブリックのCDを買うほどになった。


 もう一度聞き返すことが出来なかったので、正確な再現ではないが、話の要点はこのようなものだった。さらに、他の採用曲《翼をください》や《Lemon》と比較すると、知名度という点では低いかもしれないが、担当編集者がこの曲に魅了され、編集委員もこの曲を高く評価して、2000年代の代表曲として採択が決まったという話もあった。

 このニュースを知ったときに採用の理由や経緯に興味を持ったが、「SONAR MUSIC」によってその答えが得られた。筆者も国語教科書の編集協力をしたことがあるが、その経験から、教科書の質は担当編集者の見識や力量によるところが大きいと考えている。

 この教科書の説明資料から、10年代ごとの採用曲を作曲者名・作詞者名と共に挙げてみよう。

1940年代 《東京ブギウギ》      作詞:鈴木勝・作曲:服部良一
1960年代 《見上げてごらん夜の星を》 作詞:永六輔・作曲:いずみたく
1970年代 《翼をください》      作詞:山上路夫・作曲:村井邦彦
1980年代 《クリスマス・イブ》    作詞・作曲:山下達郎
1990年代 《負けないで》       作詞:坂井泉水・作曲:織田哲郎
2000年代 《若者のすべて》      作詞・作曲:志村正彦
2010年代 《Lemon》           作詞・作曲:米津玄師


 志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」は、その楽曲と歌詞の純粋な力によって、2000年代の代表曲として(おそらく、それ以上に長いスパンにおいて、時代を超える名曲として)、高校の音楽教科書に採用されたのである。あらためて感慨を覚える。


【追記10/14 12:30】

 本文を少し修正し追加したところ、採用経緯の記事のピークを迎えているようで、今日10/14の朝日新聞デジタルに〈「若者のすべて」、何年経とうとも ロックバンド名曲、高校教科書に〉という記事が掲載された(記者:斉藤佑介)。ここでは次のように書かれてある。

 歌唱曲として楽譜や歌詞、解説を載せるのは、教科書「MOUSA(ムーサ)1」(教育芸術社)。全国の高校で使われている教科書の一つだ。同社は今回、戦後から歌い継がれている歌曲を10年区切りで選んだ。
 00年代の曲として「若者のすべて」を推薦したのが、同社編集部の阿部美和子さんだ。一時の流行で廃れることなく、多感な時期にある高校生が長く歌い継げる曲はないか。4年に1度の改訂に向けて18年ごろから曲を探し始め、ネット検索などを通じてこの曲に出会った。
 現役の音楽教師や作曲家ら編集メンバー約10人も「曲も歌詞も、心の中にずっと残る」と全員一致で推した。このほか、1980年代「クリスマス・イブ」(山下達郎)、90年代「負けないで」(ZARD)、2010年代「Lemon」(米津玄師)などミリオンセラーの曲も選んだが、一番反響が大きかったのが「若者のすべて」だったという。
 阿部さんは「誰もが感情移入できる心象風景が描かれ、すでにたくさんの人が歌い継ぐ時代を超える曲だと思う」と語る。


 「SONAR MUSIC」の話と総合すると、阿部美和子さんがまず推薦して候補曲のリストに挙げ、呉羽弘人さんもとても気に入って、編集会議にかけることになったのだろう。〈「曲も歌詞も、心の中にずっと残る」と全員一致で推した〉〈一番反響が大きかった〉とあるのが嬉しい。〈曲も歌詞も〉すべてが素晴らしいところが、「若者のすべて」のすべてであるからだ。

2021年10月10日日曜日

《眼差し》だけの再会-「若者のすべて」22[志村正彦LN292]

 「若者のすべて」の〈僕らの花火〉の系列は、四つのブロックで構成されている。


1 最後の花火に今年もなったな
    何年経っても思い出してしまうな
  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ 

2 最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな
  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

3 最後の花火に今年もなったな 
      何年経っても思い出してしまうな
    ないかな ないよな なんてね 思ってた
      まいったな まいったな 話すことに迷うな

4   最後の最後の花火が終わったら
    僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 2013年に書いた〈「会ったら言えるかな」「話すことに迷うな」-『若者のすべて』6 (志村正彦LN 44)〉では、〈僕らの花火〉の系列について次のように考察している。 


  構成上、1と2は同一の繰り返しであり、3の前半部も1と2の前半部の反復である。しかし、3の後半部から、大きな展開が起こる。「最後の花火に今年もなったな 何年経っても思い出してしまうな」の三度目の反復、それを受けて「ないかな ないよな」の三度目の反復が同じように続く。しかし、続く言葉「なんてね 思ってた」によって、この「最後の花火」の物語は大きな転換を迎える。  
 「ないかな ないよな」は、「なんてね 思ってた」と受け止められることで、「ない」が反転し、「ある」こと、あるいは「いる」ことが立ち現れる。不在が現前へと変化するのだ。思いがけないことであったせいか、歌の主体「僕」は「まいったな まいったな」と戸惑う。聴き手の方も、いったい何が起こったのかと戸惑うが、続く「話すことに迷うな」によって、事態をおおむね理解する。どうやら、「僕」はいつのまにか、誰かとの再会というか予期しない遭遇が果たせたようなのだ。ただし、「話すこと」そのものが「僕」をまだ迷いの中に閉じこめる。
  この現実の遭遇は、「まぶた閉じて浮かべているよ」という夢想と円環をなしている。「まぶた」を閉じた「僕」は、「まぶた」の裏の幻の対象に対して、「会ったら言えるかな」と囁く。「まぶた」を開けた「僕」は、その眼差しの向こうの現実の対象に対して、「話すことに迷うな」と呟く。不在と現前、夢想と現実の響きが、『若者のすべて』の中で、美しい織物のように編み込まれている。


 この時の考察は、〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉から〈ないかな ないよな なんてね 思ってた〉への変化を、不在から現前への転換というように捉えて、その現前を強調するものであった。そのように考えて、この〈どうやら、「僕」はいつのまにか、誰かとの再会というか予期しない遭遇が果たせたようなのだ〉という解釈を導いた。しかしこの時も、〈ただし、「話すこと」そのものが「僕」をまだ迷いの中に閉じこめる〉という但し書きを添えている。「僕」はまだ迷いの中にいるのだ。

 〈ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな〉の場面において、「僕」は少なくとも〈会ったら言えるかな〉と思い続けていた誰かを目撃した。〈まぶた閉じて浮かべているよ〉と繰り返されるように、この歌の中心には「僕」の《眼差し》があり、「僕」は何よりも《見る人》なのだ。観察者であり、時に幻視者でもある。

 そしてここからが解釈の分かれ道である。その誰かを目撃した後、「僕」はどうしたのだろうか。またその目撃の際に、僕がその誰かを見つめただけで終わってしまったのか、それともその誰かも僕を見つめ返したのか、ということもある。視線の交換があったのかどうかによって、解釈も異なるだろう。


 およそ三つの可能性があるだろう。

・「僕」はその誰かを目撃する。その誰かは「僕」の方を見てはいない。視線を交わし合うことはない。「僕」は〈話すことに迷う〉ままに、その場所から去ってしまう。

・「僕」はその誰かを目撃する。その誰かも「僕」を見る。視線は一瞬の間交わされる。「僕」は〈話すことに迷う〉ままに、その場所を通り過ぎてしまう。(しかしその遭遇の瞬間に、「僕」は《眼差し》だけで想いを伝え、相手の《眼差し》も返ってきたのかもしれない)

・「僕」はその誰かを目撃する。その誰かも「僕」を見る。視線は一瞬の間交わされる。そうして、「僕」はその誰かの方に歩いて行く。「僕」は〈話すことに迷う〉が、何らかの言葉をかけるのだろう。実際の再会が果たされる。


 予期しない遭遇は確かにあった。その遭遇が、《眼差し》だけの遭遇に終わったのか、実際の再会につながる遭遇になったのか。視線を交わし合うことの有無によって、前者はさらに二つに分かれる。それ以外の状況も想定できるかもしれない。

 以前の論考では、筆者は三つ目の解釈を取っていた。解釈には聴き手の想いや判断が込められている。つまり、「僕」とその誰かとが何らかの再会を果たしたという解釈には、そのような再会を果たしてほしいという聴き手の想いが投映されている。「僕」は誰かと再会し、その二人は「僕ら」となる。この「二人」が歌の現実において「僕ら」となるところに、「若者のすべて」の歩みの帰結がある。そして、〈最後の最後の花火が終わったら〉という仮定のもとに、〈僕らは変わるかな〉という想いが「僕ら」に共有される。〈同じ空を見上げているよ〉という二人の場と時の共有と共に。このような場面を想像した。そこには筆者の願いや望みもあったのだろう。

 また、〈「ない」が反転し、「ある」こと、あるいは「いる」ことが立ち現れる。不在が現前へと変化するのだ〉という論理を根拠としたことも影響している。不在から現前へ、「ない」ことから「ある」ことへの転換を強調していた。この現前は実際の再会につながると考えた。

 長い間、この再会についての解釈が変わることはなかった。しかし最近、それが変わってきた。二番目の捉え方がこの歌には合っているのではないか、そんな想いがある時ふと浮かんできた。実際の再会ではなく、眼差しも交わさずに通り過ぎるのでもなく、《眼差し》だけによる「僕ら」の再会。しかし、一瞬かもしれないが、その《眼差し》は「僕」の想いを相手に伝える。その瞬間、相手の《眼差し》から想いが返ってきたのかもしれない。言葉が交わされることのない再会。〈会ったら言えるかな〉という自らへの問いかけは、やはり、会っても言えない、言葉として伝えることはできない、という結果に終わる。〈話すことに迷うな〉という迷いは迷いのままに閉じられる。沈黙の再会がこの場面にはふさわしい。これは推論というよりも感覚のようなものだ。そして、この歌の最後の場面、その想像の場面も変化してきた。

      (この項続く)


2021年10月3日日曜日

成立過程と二つの系列-「若者のすべて」21[志村正彦LN291]

 十月に入り、一昨日あたりから金木犀の香りが漂ってきた。いつもの年より一週間ほど遅いが、「赤黄色の金木犀」の季節の到来だ。

 前回、「若者のすべて」について、〈「僕」は一人で「最後の最後の花火」を見ているのかもしれない。どちらかというとそのような解釈の方が「若者のすべて」全体の方向に合致しているではないとかと考え始めた。そのためにはこの前のフレーズ「ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな」から再検討しなければならない〉と記した。

 この「志村正彦ライナーノーツ」では、「若者のすべて」についてこれまで64回ほど書いてきたが、歌詞の構造やモチーフ、成立過程、基本的な解釈について考察する場合には、番号を付けて掲載してきた。その時期、回数、主な内容をまとめてみる。(2018年、題名に21~25回を付番した記事については、今回、その番号を外した。内容の整合性から判断した)

  • 2013年6月~10月、1~12回、歌詞の構造とモチーフの分析、二つの系列
  • 2014年9月、13~15回、「な」と「ない」の音の連鎖、声の響き。
  • 2015年9月~12月、16~20回、「諦め」の世代、三つの系列

 今回は歌詞の最後のフレーズについての解釈の再検討を行うので、番号を付けて論じていきたい。


 八年前の2013年6月に投稿した第1回〈ファブリックとしての『若者のすべて』-『若者のすべて』1 (志村正彦LN 34)では、この歌の成立過程と作品の構造について次のように考察している。


 『若者のすべて』の中には、歌詞の面でも楽曲の面でも、二つの異なる世界が複合している印象を受ける。そのような印象を持ち続けていたのだが、今回、「若者のすべて」についての発言をたどりなおしたところ、『FAB BOOK』にある興味深いことが書かれていた。
 取材者は、『若者のすべて』が「Aメロとサビはもともとは別の曲としてあったもので、曲作りの試行錯誤の中でその2つが自然と合体していったそうだ」という重要な事実を伝え、さらに「最終段階までサビから始まる形になっていた構成を志村の意向で変更したもの。その変更の理由を「この曲には”物語”が必要だと思った」と、志村は解説する」という経緯を説明した上で、志村正彦の次のコメントを載せている。


ちゃんと筋道を立てないと感動しないなって気づいたんですよね。いきなりサビにいってしまうことにセンチメンタルはないんです。僕はセンチメンタルになりたくて、この曲を作ったんですから。

 つまり、『若者のすべて』は、二つの異なる、「別の曲」、別の世界が(とはいっても、絶対的に異なる世界ではないのだろうが)「自然」に複合されて生まれた作品であるという、ある意味で、驚くべき、しかし感覚としては腑に落ちるような事実が明らかにされている。ものを創造するときに、ある二つの異なるものを複合させたり、複数のモチーフを合体させたりすることは、意外によくあることだろう。意識的な行為としても、無意識の次元での選択としても、あるいは単なる偶然の結果としても、むしろ普遍的なことである。
 志村正彦は、その上で、「筋道」を立て、「感動」に至る過程を練り上げ、「物語」を創造していった。
 『若者のすべて』の中には、歌詞の面でも楽曲の面でも、二つの異なる世界が複合している。「フジファブリック」という名の「ファブリック」、「織物」という言葉を喩えとして表現してみるならば、『若者のすべて』の物語には、《歩行》の枠組みという「縦糸」に、「最後の花火」を中心とする幾つかのモチーフが「横糸」として織り込まれている、と言えよう。


 この「縦糸」と「横糸」を〈僕の歩行〉と〈僕らの花火〉という二つの系列に分けて、青色と赤色に色分けした図を示したい。


 志村正彦は、「Talking Rock!」2008年2月号のインタビュー(文・吉川尚宏氏)で、『若者のすべて』について重要な証言をしている。すでに引用して論じたことのある証言だが、あらためてその全体を引用したい。

最初は曲の構成が、サビ始まりだったんです。サビから始まってA→B→サビみたいな感じで、それがなんか、不自然だなあと思って。例えば、どんな物語にしてもそう、男女がいきなり“好きだー!”と言って始まるわけではなく、何かきっかけがあるから、物語が始まるわけで、同じクラスになったから、あの子と目が合うようになり、話せるようになって、やがて付き合えるようになった……みたいなね。でも、実は他に好きな子がいて……とか(笑)、そういう物語があるはずなのに、いきなりサビでドラマチックに始まるのが、リアルじゃなくてピンと来なかったんですよ。だからボツにしていたんだけど、しばらくして曲を見直したときに、サビをきちんとサビの位置に置いてA→B→サビで組んでみると、実はこれが非常にいいと。しかも同時に“ないかな/ないよな”という言葉が出てきて。ある意味、諦めの気持ちから入るサビというのは、今の子供たちの世代、あるいは僕らの世代もそう、今の社会的にそうと言えるかもしれないんだけど、非常にマッチしているんじゃないかなと思って“○○だぜ! オレはオレだぜ!”みたいなことを言うと、今の時代は、微妙だと思うんですよ。だけど、“ないかな/ないよな”という言葉から膨らませると、この曲は化けるかもしれない! そう思って制作を再スタートさせて、精魂込めて作った曲なんだけど………なんていうか……こう……自分の中で、達成感もあるし、ターニングポイントであることには間違いないんです。すべてに気持ちを込めたし、だから、よし!と思ってリリースしたんだけど、結果として、意外と伝わってないというか……正直、その現状に、悔しいものがあるというか…


 〈サビ→A→B→サビ〉という当初の構成を〈A→B→サビ〉に変更したことは、先ほど引用した『FAB BOOK』の〈最終段階までサビから始まる形になっていた構成を志村の意向で変更したもの。その変更の理由を「この曲には”物語”が必要だと思った」と、志村は解説する〉という記述に符合する。

 さらにここで、志村が〈“ないかな/ないよな”という言葉から膨らませると、この曲は化けるかもしれない! そう思って制作を再スタートさせて、精魂込めて作った曲なんだけど〉と語っているところに注目したい。特に、〈再スタート〉という言葉である。おそらく、「若者のすべて」の制作には中断の期間があった。志村は、“ないかな/ないよな”という言葉を鍵にして、楽曲を再構成し、歌詞を再検討して、制作を再スタートさせたという推論が成り立つ。

 『FAB BOOK』と「Talking Rock!」2008年2月号の証言をまとめると、要点は次の三つになる。

  • Aメロとサビは別の曲であり、曲作りの試行錯誤の中でその2つが自然と合体した。
  • 〈サビ→A→B→サビ〉という展開を〈A→B→サビ〉という展開に再構成した。
  • “ないかな/ないよな”という言葉から膨らませる方向で制作を再スタートした。


 今回は、すでに論じてきたことを振り返りながら、「若者のすべて」の成立過程と二つの系列についてあらためて示した。この作品は楽曲と歌詞の再構成、制作の再スタートという過程を経たことによって、きわめて優れた音楽、詩的作品へと成長していった。次回からは、最後の場面の解釈を再検討していきたい。

      (この項続く)