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2013年6月30日日曜日

「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて-『若者のすべて』3 (志村正彦LN 36)

 これから何回かに分けて、『若者のすべて』の言葉を読むことに集中していく。今回は、第1ブロック、AメロBメロの部分の言葉を1行ずつ追っていきたい。
                          
 真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた

 歌の話者であり主体である《僕》は、「真夏のピークが去った」という季節の推移から歌い始める。この季節は、夏がその光と輝きや暑さという感覚の頂きを過ぎて、終わりにかけてなだらかにその感覚を失っていく時節だ。また、何かが「去る」「去った」という感覚は、志村正彦が繰り返し描いたものだ。

 聴き手は夏が去り行く季節を背景にして物語が語られることを予想し、その物語を追跡しようとする。季節感を伝えるのは、志村正彦特有の感性だ。彼にとって季節は、歌を着想する導きのようなものだろう。季節とその移り変わり、それに対する感覚あるいは記憶、そのようなものと共に、ある情景が浮かび上がり、主体の想いがあふれ、言葉が動き、メロディとリズムが流れ、歌の世界が創り出されることが多い。

 しかしこの歌では、季節の推移を「テレビ」の「天気予報士」の伝える言葉で表現している。歌の主体《僕》自身の季節の感覚というよりも、テレビというメディアの他者からの伝聞として、夏の季節の推移を歌に登場させている。歌の冒頭から、物語の語り方は複雑であることに留意したい。
 また、この行からは、歌の主体《僕》は室内にいて、テレビの天気予報を見ているという日常的な光景が伝わってくる。

 それでもいまだに街は 落ち着かないような気がしている

 「それでも」とあるのは、夏のピークが去った時期にもかかわらず「いまだに」、「街」は「落ち着かないような気がしている」からだ。ここでは「ような」「気がしている」というような、ある種の迂回した言い方がされている。そして、夏の雰囲気がまだ濃厚に残る街で、《僕》は夏をまだ終わらせたくないようにもでもある。
 この場面で、歌の主体《僕》が室内にいて外の雰囲気を感じ取っているのか、あるいは、街へと繰り出してその雰囲気の只中にいるのか、は分からない。

 夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて

 夏の夕方、暑さや熱、湿気と空気の感触、街の気配と人の往来、その風景の中で「夕方5時のチャイム」の音が降りそそぐ。夏の街の「落ち着かない」ざわめきに対して、音色が時の区切りを告げる。

 歌の主体《僕》は、「今日は」と限定し、その音が「なんだか胸に響いて」と感じる。「なんだか」とあるように、その理由は《僕》にとっても曖昧なものかもしれない。また、なぜ胸に響くのかという問いに対する答えは、歌の言葉からは見つからない。明示的にその理由を伝えることは、歌の意味を限定してしまうので、そのような閉じられた解釈を志村正彦は避けたかったのだろう。あるいは、聴き手自身が自分の「胸に響く」ような、チャイムやその他の音色の記憶とそれに関わる出来事を想起できるように、聞き手にとって自由に想像できる余白を歌の内部に挿みこんだのかもしれない。また、「胸に響いて」の「て」という接続助詞も彼が愛用するものだが、この「て」はその後に余白を置くような効果がある。

 「夕方5時のチャイム」が鳴り響くことで、主体の胸にもある想いが響く。「夕方5時のチャイム」に直接結びつく想いなのか、間接的に導かれる想いなのかは分からない。ここではまだ語られることのない想いは、おそらく、《僕》が繰り返し想いだす、ある出来事に対するものだろう。また、「天気予報士」の言葉を聞き、街のざわめきのようなものを聞き、夕方5時のチャイムを聞く、というように、《僕》は「聞く」こと、聴覚に鋭敏であることにも気をつけたい。

 「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて

 《僕》は、反復して想起する出来事を、「運命」という括弧つきの言葉に「なんて」「便利なもの」という形容を加えて表現している。私たちが運命的なあるいはそれに類する出来事(あくまでそう感じるという意味での)に遭遇したとして、それを表す他の適当な言葉が思い浮かばなかったり、その言葉によって説明して納得しようとしたりして、とりあえず、「運命」という「便利な」言葉を使うことがある。

 《僕》にとって、「夕方5時のチャイム」に直接あるいは間接的に関わる出来事は、おそらく「運命」を感じさせるようなことだったのだろう。しかし、《僕》は「運命」という言葉で言い表すことに何らかの抵抗や躊躇も感じている。結果として「運命」という言葉を使うことは、その出来事を「ぼんやりさせて」しまうからだ。この場合の「ぼんやり」は、本来は明確にすべきことを曖昧にすること、向かい合わないで遠ざけること、を指す。「ぼんやり」させることで、《僕》はその出来事を遠ざけてしまう。《僕》はまっすぐに歩むべき道を迂回してしまう。

 さらに言うと、「『運命』なんて便利なもので」と表現した結果、主体《僕》の心が変化して、「ぼんやり」したものに変わっていくという解釈も可能だ。この場合、《僕》は、ほんの少しの間、現実感を喪失し、白日夢のような心境に陥る。後半の歌詞の一節に「途切れた夢の続き」という言葉があることにもつながっていく。
 『若者のすべて』の隠された主題は、夢ではないだろうか。この夢は、若者の漠然とした夢でもあり、私たちが毎夜見る夢、無意識が紡ぎ出す夢でもある。

2013年6月26日水曜日

メロディの配置と物語-『若者のすべて』2 (志村正彦LN 35)

 この曲のメロディの配置は、『FAB BOX』所収のDVD『FAB MOVIES  DOCUMENT映像集』で確認することができる。『若者のすべて』のレコーディング風景を撮影した映像に、録音時に使った歌詞のプリントが映っていて、Aメロ等を示す符号も付けられている。今後の考察のためにも、その映像を参考にして、全詞を引用する。

1.A)真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
    それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

  B)夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
    「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて


    サ)最後の花火に今年もなったな
    何年経っても思い出してしまうな

 
    ないかな ないよな きっとね いないよな
    会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ


2 A)世界の約束を知って それなりになって また戻って

  B)街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ
    途切れた夢の続きを取り戻したくなって


  サ)最後の花火に今年もなったな
    何年経っても思い出してしまうな


    ないかな ないよな きっとね いないよな
    会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ


  C)すりむいたまま 僕はそっと歩き出して

  サ)最後の花火に今年もなったな
        何年経っても思い出してしまうな


        ないかな ないよな なんてね 思ってた
        まいったな まいったな 話すことに迷うな


        最後の最後の花火が終わったら
        僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ

 
 前回触れたように『FAB BOOK』では「Aメロとサビはもともとは別の曲としてあったもので、曲作りの試行錯誤の中でその2つが自然と合体していったそうだ」と報告されているが、この2つとは「A・B・Cメロ」系列の曲と「サビ」部分の曲のことであろう。確かに、この2つはかなり異なる雰囲気を持っている。歌詞の内容もかなり異なる。
 「A・B・Cメロ」系列、歌の主体《僕》の《歩行》をモチーフとする系列は、現在を時の枠組みとして、現在の《僕》の想いを中心としているが、「サビ」部分、《最後の花火》の部分は、過去から現在へと至る時の枠組み、《僕》の回想、現在から過去へそして過去から現在へと至る《僕》の想いを中心としている。

 また、『FAB BOOK』の「最終段階までサビから始まる形になっていた構成を志村の意向で変更したもの」という説明から考えると、最終以前の段階では、「最後の花火に今年もなったな」あるいは「ないかな ないよな きっとね いないよな」から歌い出されていたと想定できる。
 「最後の花火」から始まるとしたら、聴き手は、いわゆる「花火物」と受け取ってしまうかもしれない。夏の花火の季節の出会いと別れというテーマは定型的なものであり、そのような歌は数多くある。聴き手はこれから展開される物語をある程度予想してしまうだろう。
 それに比べて、「ないかな ないよな きっとね いないよな」から歌い出される場合は、「ない」の連続の響きと「ない」対象を明示しない表現の巧みさが、聴き手に物語の展開を読み切れないような効果を与えるかもしれない。それでも、続く「会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」から、物語の予想が始まってしまうだろうが。

 最終段階つまり現在の『若者のすべて』では、「真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた」と歌い出される。この言葉からは、その次の展開が容易には予想できない。この一節は、物語というよりもそれを語る主体のあり方そのものを語っている。物語の端緒であり、物語の枠組みもそれとなく示している。
 まだ歌い始めの段階では、歌の主体は《僕》と名付けられてもいない。ある主体が、季節の変化を「テレビ」からの伝聞で聞きながら、同時に、「街」のざわめきも聞き取っている。この定型を離れた表現から、物語が語り出される。幾分かの謎と予感のようなものを持って、聴き手は物語の枠組みの中に入り込んでいく。『FAB BOOK』では「その変更の理由を『この曲には”物語”が必要だと思った』と、志村は解説する」と記載されているが、聴き手はその変更を了解できるだろう。

 志村正彦は、落ち着いた抑制した声と幾分かゆっくりしたテンポで歌い出す。一語一語、一音一音聴きとりやすい、言葉の譜割が的確で、自然な日本語の響きを持った美しい繊細な声が、『若者のすべて』の全編を貫いている。
 彼は、よく言われるように、ライブなどで音程が不安定な時もあり、「歌唱力」という尺度では評価が高くはないのだろうが、言葉を、その意味と響きを聴き手に伝えるという、「歌そのものの表現力・伝達力」という尺度からすると、かなり上手な歌い手だったのではないだろうか。

2013年6月23日日曜日

ファブリックとしての『若者のすべて』-『若者のすべて』1 (志村正彦LN 34)

  『若者のすべて』を初めて聴いた時、歌われている世界にすんなりと入っていけなかった記憶がある。歌の世界をたどりきれないような、もどかしい想いにとらわれた。きわめて微妙で複雑な物語がそこにあるような気がした。そのような印象の原因はどこにあるのか。その解析から、『若者のすべて』論を歩み始めたい。

 この歌は、志村正彦の歌によくあるように、《歩行》の感覚とともに進んでいく。再引用になるが、「志村正彦LN2」では次のように書いた。

 「若者のすべて」の語りの枠組みは複雑であるが、「街」を「そっと歩き出して」歩行する「僕」の視点から語られている、とひとまずは言えるだろう。歩行しながら、いくつかのモチーフが語られる、とひとまずは言えるだろう。

 あらゆる物語には、それが歌として語られるものであっても、物語を語る話者による時間と空間と主体の枠組み、「いつどこでだれが」という枠組みがある。『若者のすべて』には、語りの現時点である「今」という時に、都市の街路という場で、主体《僕》が歩いていく、という枠組みを認めることができる。

 その歩行という枠組みに、幾つかのモチーフが絡まってくる。その中でも、「最後の花火に今年もなったな」と語り出される「最後の花火」のモチーフは、《僕》による説明やそこに至る文脈がないまま、唐突に物語の中に登場する。この部分は特に、意味の把握しにくい言葉で描かれてもいる。
 歩行する《僕》に交錯するかのように、楽曲の面でも、印象深いサビのメロディが使われている。落ち着いた抑制された声でややゆっくりと歌われる歩行の部分に対して、強い対称を成している。「最後の花火」のモチーフは、特に歌の結末部に近づくにつれて、想いを押し出すかのように力強く歌われる。

 『若者のすべて』の中には、歌詞の面でも楽曲の面でも、二つの異なる世界が複合している印象を受ける。そのような印象を持ち続けていたのだが、今回、「若者のすべて」についての発言をたどりなおしたところ、『FAB BOOK』にある興味深いことが書かれていた。
 取材者は、『若者のすべて』が「Aメロとサビはもともとは別の曲としてあったもので、曲作りの試行錯誤の中でその2つが自然と合体していったそうだ」という重要な事実を伝え、さらに「最終段階までサビから始まる形になっていた構成を志村の意向で変更したもの。その変更の理由を「この曲には”物語”が必要だと思った」と、志村は解説する」という経緯を説明した上で、志村正彦の次のコメントを載せている。

ちゃんと筋道を立てないと感動しないなって気づいたんですよね。いきなりサビにいってしまうことにセンチメンタルはないんです。僕はセンチメンタルになりたくて、この曲を作ったんですから。

 つまり、『若者のすべて』は、二つの異なる、「別の曲」、別の世界が(とはいっても、絶対的に異なる世界ではないのだろうが)「自然」に複合されて生まれた作品であるという、ある意味で、驚くべき、しかし感覚としては腑に落ちるような事実が明らかにされている。 ものを創造するときに、ある二つの異なるものを複合させたり、複数のモチーフを合体させたりすることは、意外によくあることだろう。意識的な行為としても、無意識の次元での選択としても、あるいは単なる偶然の結果としても、むしろ普遍的なことである。
 志村正彦は、その上で、「筋道」を立て、「感動」に至る過程を練り上げ、「物語」を創造していった。

 『若者のすべて』の中には、歌詞の面でも楽曲の面でも、二つの異なる世界が複合している。「フジファブリック」という名の「ファブリック」、「織物」という言葉を喩えとして表現してみるならば、『若者のすべて』の物語には、《歩行》の枠組みという「縦糸」に、「最後の花火」を中心とする幾つかのモチーフが「横糸」として織り込まれている、と言えよう。
 しかし、この「縦糸」の枠組みと「横糸」のモチーフ、そして言葉と楽曲の織物は、聴き手がその繊細な世界を時間をかけて丁寧にたどるという主体的な行為によってはじめて読み解かれるものだろう。ただ受け身で聞いているだけでは、『若者のすべて』の物語を歩んでいくことはなかなかできない。冒頭に書いた私の「すんなりと入っていけなかった」という記憶は、そのことに関連している。聴く経験をまだ深めることができなかったからだろう。

 ファブリック、織物としての『若者のすべて』。物語を時系列で描くのではなく、しかも明示的に語っていくのでもなく、その中心にある想いの部分、彼の言う「センチメンタル」な部分を、所々に空白部を入れて、歌詞の世界で展開し、その複雑な構想に併せるように、メロディやリズムとその配置を工夫することで、志村正彦は極めて独創的な歌を造りあげた。書かれた詩では表すことが難しい、歌であることの特性を最大に活かした構造だと考えられる。
 (この項続く)

2013年6月19日水曜日

語ること、語られること。 (志村正彦LN 33)

   前回、「1万ビューを超えて」を書いたが、ツイッターなどでこのblogを紹介していただいた方がいらっしゃるようで、ページビュー数がこのところかなり増えている。有り難い。このまま書き続けよという声だと受け止め、この試みを続けていきたい。

 前回のコメント欄にも書いたように、歌というものは、ただひたすら聴くものであり、あくまで個人的な経験であり、他者に向けて語るようなものではない、という一種の「ためらい」がないことはない。何かを語ることは、その反作用として、語らないというあり方の重みへと内省を促す。

 しかし、語ることは、批評的に語るという行為は、語る対象を、私的な場から公的な場へと、顕わにするものである。志村正彦を、その遺された作品群を、多くの人が語りあう、光ある、明るみのある世界へと、顕現させること。そのようなことが必要とされているのではないか。その想いは、LN31で紹介した片寄明人氏のノート「フジファブリック 9」で伝えられている、志村正彦の言葉から、導かれてもいる。

志村くんからは何度も「片寄さん、いつかどこかで僕の音楽のことを語ってくださいよ」と言われていた。
彼は自分の音楽が正当に、音楽的にディープな視点から語られたことがあんまりないと思う、と語っていた。

 志村正彦が「自分の音楽が正当に、音楽的にディープな視点から語られたことがあんまりない」と思ったことは、充分にありえたことだろう。彼だけではない。優れた表現者であれば、ごく少数の例外を除いて、同様の思いを抱いているだろう。「正当に語られること」「ディープな視点から批評されること」の不在、音楽だけでなく文学でも映画でも、そのような行為の不在が際だっているのが、日本の状況である。

 以前にも書いたように、音楽的な視点で語ることは私の力量では不可能である。だから、少しは経験と方法の蓄積がある、言葉からの、言葉への、視点に限定して、「志村正彦LN」を書いている。彼が成し遂げつつあった(成し遂げた、とはやはり書きたくない)極めて優れた歌は、言葉に視点を限定しても、おそらく、彼の自己評価を超えた独創性があり、時の流れと共に色あせることのないような、本質的に新しいものであった。今の私にはそのような見取り図があるだけで、何かが確実に分かっているわけではない。色々と時間をかけて詰めていく作業の果てに、何とか論として示すことができればと考えている。

 彼について、様々な人が様々な視点で語り続けていくのが望まれることだろう。
 今、実際に歌を作りロックを奏でている人、あるいはかってそうしていた人であれば、音楽的な視点、楽曲の視点から志村正彦を語ることが可能だろう。今、そのような言葉も待たれているのだと思う。

 振り返れば、この「志村正彦LN」は、昨年12月の「夕方5時のチャイム」イベントと、もとになった『若者のすべて』について書くことから始まった。本論に入る前の予備的考察から、彼の詩の分かりにくさ、「複合体」としての歌、解釈の変化というように展開し、印象深い『ペダル』へ踏み込み、『夜明けのBEAT』テレビ放送を契機に『モテキ』との関係を取り上げ、そうこうしているうちに、新宿ロフトのメレンゲ・GREAT3のライブに広がっていった。

 行き当たりばったりのようだが、ライブ感というかリアルタイムで動いていく感じを出すことはできるだけ心がけた。前回のコメント欄で触れたように、新譜や公演中心の音楽界で、彼の情報がほとんどというか全くないという、寂しい哀しい現実がある。だからこそ、様々の出来事や偶然の遭遇を通じて、志村正彦が創りだした世界が未だに「動いている」感覚を表したかった。これは大切なことだ。その反面、一つの歌について持続的に考察していく流れが見えにくくなってしまった。『若者のすべて』がそうである。  

 すでに『Fujifabric International Fan Site 』でJack Russellさんが知らせてくれたように、この7月、富士吉田で、志村正彦の誕生日から5日間、防災無線のチャイムが再び彼の歌に変わる予定である。新たなチャイムが始まる前に、『若者のすべて』についてひとまず書き終えなくては区切りがつかない。そう考え、次回から再開したい。

2013年6月16日日曜日

1万ビューを超えて [諸記]

 この《偶景web》が実質的に始まったのは3月でした。それから100日ほど経ち、10,000ページビューを超える回数、閲覧していただきました。1日平均で100ビューという数字には驚きの感情が先立ちますが、この「志村正彦ライナーノーツ」を書き続けていく、大きな励ましとなっています。「ここはどこ?-物語を読む」を書いている藤谷怜子も同じ想いです。私たちの拙い文を読んでいただいたことに、深く感謝を申し上げます。

 この数字は何よりも、志村正彦に対する、強い、高い、持続的関心の現れです。彼の歌の尽きない魅力について少しでも解明していくために、「考えながら書く」という試行錯誤のスタイルによって、この連載を始めました。志村正彦に対する持続的関心という点において、この《偶景web》の書き手と読み手とは、つながっているのだと考えます。 

 私のような音楽に関するプロフェッショナルな書き手でない者、音楽の業界にも媒体にも無縁な者が、志村正彦という極めて優れた表現者について、書くことができる、そしてその文がそのまま読まれることができる、そのような述論の場が成り立っています。
 《偶景web》以外にも、「Fujifabric International Fan Site」を始めとする様々な場が成立しています。誰もが自由に、志村正彦について、音楽について、語ることができる場。書き手と読み手とは、絶対的なものではなく、その役割を交換しながら、このような場を支えています。

 インターネットという技術と媒体によって可能になったこのような状況に、すでに私たちは慣れてしまい、その意味合いの凄さを忘却しつつありますが、やはりこれは凄いことなのだと改めて感じています。
 もともと現在のパーソナルコンピュータやスマートフォンの起源の一つに、60年代の「カウンターカルチャー(対抗文化)」の思想があります。「ロックミュージック」と「カウンターカルチャー」との強い絆については言うまでもありません。

 支配的な言葉や媒体に対する対抗という意味で、WeblogつまりBlogにも、「ロック」の命脈が尽きることなく流れています。この《偶景web》も、そのような流れの中の小さな渦でありたいと、私たちは考えております。

2013年6月10日月曜日

無限ぐるぐる (ここはどこ?-物語を読む 3)

  ある曲のワンフレーズがなんとしても頭から離れないことがある。その部分だけが無限にぐるぐるめぐって、そうなるとお皿を洗っていても車を運転していても、どうにも止まらない。無意識に口ずさんでいて、自分ではっと驚くこともある。

 この「無限ぐるぐる」の経験で強烈に覚えているのは、たぶん誰かがカヴァーしていたのだと思うが、子供の頃に聴いたPeter,Paul&Maryの『Puff』である。「Puff the magic dragon lived by the sea」のフレーズが取り憑いたように・・・・・・見栄を張ってしまった。正確に言うと、ぐるぐるしていたのは「パフ・ザ・マジック・ドラゴン・ランランラララ」であった。英語が聞き取れなかったからである。   

 さて、志村正彦の曲はこの「無限ぐるぐる」を引き起こしやすい。しかも、この曲がというのではなく、日替わりのように次々違う曲がぐるぐるする。
 最初は『TAIFU』だった。

  飛び出せレディーゴーで踊ろうぜ だまらっしゃい 
                   
  これは止まらなかった。三日くらいは回り続け、今でも突然回り始めることがある。
 ちなみに私はこの「だまっらしゃい」が大好きなんである。あまりにも唐突だし、大体、今どき誰が「だまらっしゃい」なんて言うものかとは思う。でも、「だまらっしゃい」を聴いた後で他のどんなことばを当てはめてみても到底物足りない。少なくとも私の中でこのことばは不動である。小気味いいというか、すかっとする感じ、そしてメロディーと不可分であるかのようなことばの響きは、ちまちました意味や理屈や物語さえも超越する。私は理屈っぽい性格なので、もしかしたらそんなふうに感じたのは生まれて初めての経験かもしれない。

  その後もいろんな曲がぐるぐるした。ある時は「チェッチェッチェうまく行かない チェッチェッチェそういう日もある」(『バウムクーヘン』)だったり、ある時は「チョコレートでFly Away」(『Chocolate Panic』)だったり、またある時は「どうしてなんだろう どうしてなんだろう なんだろう」(『笑ってサヨナラ』)だったりした。「環状七号線を何故だか飛ばしている」(『環状七号線』)日もあったし、「悲しくたってさ 悲しくたってさ 夏は簡単には終わらない」(『線香花火』)時もあった。

 なぜその曲のその部分なのかはわからないが、どれもリズミカルで印象的なメロディーを持っていること、歌詞も聞き取りやすくあまり複雑ではないことが共通していて、それから私の場合は特に繰り返しがあるとはまりやすいようだ。子供が志村正彦の曲を気に入ってよく歌っているという話をあちこちから聞いたが、子供が気に入ることと「無限ぐるぐる」を引き起こすことは同じ要素からきているのだと思う。そして、それはすなわちその曲が名曲だということに違いない。確かに世の中には複雑なアレンジが効果的な名曲もたくさんあるだろうし、志村正彦がどれほど細部にまで心を配って曲を仕上げていったかは残された彼自身のことばや周囲の人々の証言によっても明らかなのだが、それを充分尊重した上で、素人があえて言うならば、メロディーとリズムと歌詞という素朴な三つの要素に還元される名曲の芯の太さのようなものがあるように思う。志村正彦の歌にはそれがある。

 一週間ほど前、気がついたら『浮雲』の「独りで行くと決めたのだろう」がぐるぐるしていた。「おお、これは相当なものだぞ」と私は思った。どう考えてもこれまでのパターンからは外れているこの「フレーズ」までが回っていたということは、どうやら私の頭の中には本格的に志村正彦が住みついてしまったらしい。

 さて、明日はどんな曲がぐるぐるするのだろうか。

2013年6月7日金曜日

時間 (志村正彦LN 32)

   志村正彦の生と死をどのように受けとめるのか、そして私たちの生と死をどのように考えるべきなのか、そのような問いに対して、メレンゲとGREAT3は、各々の新作や今回の新宿ロフトライブで、作品や演奏を通じて、私たち聴き手に応えてくれた。
 2012年にリリースされた各々の新アルバム『ミュージックシーン』と『GREAT3』の冒頭曲には、次の一節がある。

  時間はどれくらいあるかい  長いのかい 短いのかい
 本当に君はいないのかい  まだ まだ まだ
  【メレンゲ『ミュージックシーン』(作詞・作曲クボケンジ)』

 残されている 時間はきっと 思うよりも無い
 誰が次の名前なのか 神のみぞ知る
  【GREAT3『TAXI』( 作詞・片寄明人 作曲・片寄明人,白根賢一,Jan)】

 クボケンジと片寄明人の両者に共通している切迫した想い、一種の強迫観念のように去来するものは、《時間》である。
 30歳代半ばのクボは「時間はどれくらいあるかい」という問いかけ、40歳代半ばに達した片寄は「残されている 時間はきっと 思うよりも無い」という断言に近い言い回し、という差異はあるが。このような主題がロックで歌われるのはやはり極めて珍しいことだろう。

 自分自身を振り返っても、ごく若い頃は、時間というものがこちら側から向こう側へとはるかに広がってゆくもの、という果てしなさがあった。しかし、人生の年齢の折り返し点を過ぎた頃からは、むしろ、向こう側からこちら側へと降りたってくるもののように感じ始めた。日々こちら側へ時間は降りてくるのだが、時間の器は有限で、いつか尽きてしまう。そのような《時間》の意識がいつもどこかに張り付いている。

 志村正彦の日記や作品からの印象では、クボケンジや片寄明人が今回の作品で描いたような、「残されている生の時間」というような切迫した意識、強迫観念のようにこびりつくものが彼にあった、とは考えられない。しかし、作品を作らねばならない、それも、より独創的なものを作り続けねばならない、という幾分か強迫的な衝動はあったかもしれない。彼が時にもらした不安もそのことに起因しているのではないだろうか。

 志村にとって、歌を創るための時間を確保し、それに集中することが何よりも切実な課題であった。生きる「実」の時間よりも、歌を作る「虚」の時間の方が重要であった。この一種の転倒は、優れた作品を創造する表現者の本質のようなものだが、彼はその本質を生きぬいた。志村正彦にとって時間は、そのように流れていた。

 5月23日、新宿ロフトで繰りひろげられた、メレンゲとGREAT3のライブ。彼らの力強い演奏、哀しみや様々な葛藤の末に生みだされた言葉が記憶に刻まれた。このライブを実現させた企画担当者の真摯な想いも伝わってきた。
 不在の志村正彦が彼らに、歌い続ける力、何かをなし続ける力を与えている、そのように感じることのできる「有難き」時間を経験した夜であった。

2013年6月2日日曜日

GREAT3 『彼岸』『綱渡り』 (志村正彦LN 31)

 20分ほどの休憩の後、GREAT3が登場した。メレンゲと同様、ライブを見るのは初めてだ。2004年から8年間の活動休止を経て、昨年5月、彼らは新メンバーを迎えて活動を再開し、11月に新しいアルバム『GREAT3』をリリースした。

 その活動休止の間に、片寄明人は志村正彦と出会った。彼は、志村からの依頼を受けて、フジファブリックのメジャーデビュー作『フジファブリック』のプロデューサーとなる。片寄も志村の詞と曲の独自性を高く評価した。また、志村が影響を受けたブラジル音楽にも造詣が深かった。そのような音楽的な絆と共に、志村も年は離れているが(いやそれ故にというべきか)、片寄という人間に魅力を感じ、親しくなっていった。

 片寄が、それまでの沈黙を破って、2010年7月に発表した、志村正彦、フジファブリックについて書いた長文のノート『フジファブリック1~10』(片寄明人 公式Facebook、https://www.facebook.com/katayose.akito/notes 。いつかこのノートの内容に詳しく触れてみたい)は、愛のあふれる文章であり、貴重な証言であり、志村正彦を知るためには必読の資料である。

 この日、45歳の誕生日を迎えるギター・ヴォーカルの片寄明人、同年齢のドラム白根賢一。新加入のベースjanは23歳、ギターのサポートメンバーで新作の共同プロデューサーでもある長田進は55歳になる。20歳代、40歳代、50歳代という「多年齢」編成のロックバンドは珍しい。私のような世代としては、その事実だけでも圧倒的に支持したくなるバンドだ。

 新作1曲目の「TAXI」から始まる。暗いうねりと明るい響きが共存している白根のドラムとjanのベース、強さと抑制された感触が溶けあっている長田のギター、広がりのある透明感と憂いや哀しみを織り交ぜたような声を持つ片寄のボーカル。もともとGREAT3 はデビュー作から「大人っぽいロック」を志向していたが、現在のGREAT3は正真正銘の「大人のロック」、熟成と激しさが調和しているロックを奏でていた。
 
 数曲の演奏後、大切な友だちへ捧げるという意味のMCの後、『彼岸』が静かに歌われだした。この『彼岸』(作詞・片寄明人 作曲・白根賢一)については、GREAT3の公式HP(http://great3official.tumblr.com/post/34143721828/great3-9)で、「GREAT3マネージャー突然の逝去から始まり、この約7年間に両手では数え切れないほど自分の身に起きた、大切な友人達との別れ」がテーマだと告げられている。この大切な友人達の一人が、志村正彦である。この澄みきった哀しみと美しさを持つ希有な曲について、その言葉の世界について、私などに語るべきことはない。この歌は、心を澄ませ、耳を傾け、言葉と対話すればよい。ただ一つだけ、いつも感じていることを述べたい。

 この歌は、「 泣き疲れた その後に 僕がどうやって 歩き出すのか それを見守ってる 近くて遠くから 心で 今も 君を感じてる わかるんだ」と始まり、「泣き疲れた その後に  心の内側 君を感じてる わかるんだ」と終わる。最後の一節は最初と比べて、言葉の間に沈黙が挟まれている。この歌を聴くたびにいつも、最初の「わかるんだ」と最後の「わかるんだ」のところで、心の中に一瞬、沈黙が流れる。その言葉、声の感触に、心が佇む。

 ホールにいた皆がこの『彼岸』の言葉と音に耳を澄ましていた。この曲が終わるとすぐに、余韻の間もなく、メドレーのように続いて『綱渡り』(作詞・片寄明人 作曲・片寄明人/白根賢一/jan)が歌われだした。この選曲が示しているように、『綱渡り』は『彼岸』との深いつながりがあり、アルバム『GREAT3』の鍵となる曲の一つだ。
 「由来なんて分からない 祈りたいから来るだけ」と歌いだされ、この歌の舞台が「鳥居」や「鎮守の森」のある神社らしいことが伝わってくる。歌の主体はこう囁く。

  参道には光 有限なる命 
  悲しいことばかり多すぎた

  何にも願わないで そっと鏡の前で
  有難きを祈り 捧げる

  あるがまま 受け入れて

  昔の自分だったら 落ち込んで泣いてるだけ 
  崖っぷちを歩いてる 日々 死ぬまで綱渡り

 「有限なる命」、「悲しいことばかり」の現実を前にして、歌の主体は何も「願わない」。他に何かを願うというのは、その他に依存することになる。
 この場面で、「鏡」が登場する。「鏡」は神社の中心をなすもので、その意味づけは難しい。『彼岸』の歌詞の文脈から言えば、この場合の「鏡」は鏡の本質である光の反射を比喩とする、自分自身を、自分の生を照らし返す純粋な機能としてあるのだろう。その「鏡」を前に、歌の主体は自身を振り返り、「有難き」が対象として浮かび上がる。
 
 「有難き」とはどのようなものか。「有難き」とは文字通り、有ることが難しいものである。言葉そのものを受けとめて考えるのならば、有ることが難しいものとは、そもそも、有ることそのものではないだろうか。有るということ、ここに今存在していること、そのものが難しいこと、ある意味では有りえないことである。有りえないことであるからこそ、主体は「有難き」を祈り、「あるがまま受け入れて」生きていく。
 しかし、「有難き」現実は、「崖っぷちを歩いてる」ような「日々」、「死ぬまで綱渡り」の現実でもある。そのこともまた、歌の主体は「あるがまま受け入れて」いる。一瞬で、「有難き」存在が失われてしまうことがある。損なわれてしまうことがある。「有難き」を「綱渡り」のようにして、日々、私たちは歩み続ける。

 片寄明人がここで歌っているのは、「有難き」に対する思考、一種の「存在の哲学」の原型のようなものだろう。志村正彦を含む「大切な友人達」の生と死が、片寄にこのような思考をもたらした。それは非常に苦しい哀しい歩みでもあった。片寄は憂いや不安にも向き合い、「有難き」に耳を傾け、音楽を造る。
 最近のロックの歌詞には、どこかの書物から引用したような世界観や宇宙観をつぎはぎしたようなものがあるが、片寄の場合は異なる。自分自身の経験から手繰りよせた言葉を、しなやかで美しいビートとサウンド、透明な響きのある声で、「日本語のロック」として歌う。21世紀の10年代、わたしたちのロックもそのような境地にたどりついた。

 他に、白根賢一がドラムをたたきながら歌った『交渉No.1』(作詞・片寄明人/白根賢一 作曲・白根賢一,jan。この歌には、「3.11」後の現実、東日本大震災と福島原発事故に対する、よく考え抜かれた言葉による応答があり、必聴の作品である)と、アンコールでjanが歌った『Santa Fe』』(作詞・作曲 jan。ルー・リードの名作『ベルリン』を想起させる)が素晴らしかった。GREAT3はやはり表現者3人のユニットなのだなという感想を強く持った。
 ライブは、アンコール2曲目の『Emotion』の印象的なベースライン(ゴールデン・カップスを継承するかのように)と光量を増した照明が特別な高揚感を聴き手に与え、終了することとなった。