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2024年4月14日日曜日

二十年目の「桜の季節」[志村正彦LN344]

 2004年4月14日、志村正彦・フジファブリックの「桜の季節」がメジャー・デビュー・シングルとしてリリースされた。すでにこの年の2月、ミニアルバム『アラモルト』がメジャーのプレデビュー盤として発売されているが、これはインディーズ時代の既発曲の再録音盤だ。新曲の「桜の季節」によって、フジファブリックはメジャーデビューを果たした。今日はその二十年目の日となる。

 「桜の季節」についてはすでに30回ほどエッセイを書いてきた。今日はそのすべてを読み直してみた。この曲に初めて言及したのは志村正彦ライナーノーツの第4回。2013年3月18日の日付である。「志村正彦の歌の分かりにくさ」と題したそのエッセイの冒頭部を引いてみたい。


 志村正彦の歌、その言葉の世界には、ある特有の分かりにくさがある。言葉の意味をたどっていっても、その意味がたどりきれない。その言葉が展開される文脈、背景が理解しにくい。歌が繰り広げられる舞台が明瞭でない。通常「僕」「私」という言葉で指示される、歌の話者や歌の世界の中の主人公としての主体の把握が難しい。そのような想いを抱いたことがある聴き手が多いであろう。少なくとも私にとって、彼の歌はそのように存在している。例えば、『桜の季節』はその代表ともいえる歌であろう。


 志村の言葉の世界のある特有の分かりにくさの代表例として「桜の季節」があげられているが、この捉え方は基本として今も変わらない。ただし、分かりにくいというよりも、むしろ、言葉の世界を捉えようとしてもその向こう側に言葉が遠ざかっていくような感覚とでもいうべきかもしれない。分かる/分からないという対立ではなく、その対立を言葉自体が超えていってしまう。

 そうは言っても、「桜の季節」の世界を何とかして捉えてみたいという気持ちもある。二十年を迎えた機会にその試みをあらためて書いてみよう。


 この歌は〈桜の季節過ぎたら/遠くの町に行くのかい?〉という二人称に対する問いかけと〈桜のように舞い散って/しまうのならばやるせない〉という一人称へ回帰する想いとがループのように綾をなす。このループがグルーブとなって楽曲を貫いていく。この問いかけや想いのループには具体性がほとんどない。具体性が欠如しているからこそ、聴き手は「桜の節」の世界に召喚される。

 しかし、ある程度具体的な出来事が描写されている、ひとまとまりの場面がある。


  坂の下 手を振り 別れを告げる
  車は消えて行く
  そして追いかけていく
  諦め立ち尽くす
  心に決めたよ


 〈坂の下〉と示された場がこの場面の舞台となる。歌の主体〈僕〉は手を振る、別れを告げる。〈車〉は消えて行く。〈僕〉は追いかけていく、諦め立ち尽くす。〈僕〉の一連の動作が現在形で叙述されている。〈僕〉が別れを告げた相手は車に乗って視界から消えてゆく。

 この場面は〈心に決めたよ〉という完了の助動詞〈た〉と相手に対する呼びかけの助詞〈よ〉で終わっている。この〈心に決めた〉ことは何であるのか。この歌のすべてがその回答であるような気もするが、歌そのものはつぎのように展開していく。


  oh ならば愛をこめて
  so 手紙をしたためよう
  作り話に花を咲かせ
  僕は読み返しては 感動している!


 歌の進行からすると、〈心に決めた〉ことはすぐ次のフレーズ、〈oh ならば愛をこめて/so 手紙をしたためよう〉が該当すると考えるのが自然だろう。〈oh〉と〈so〉という間投詞的な表現から始まるこの二つのフレーズは、この歌の中でも最もエモーショナルな部分だ。まさしく、〈心に決めたよ〉という声の残響が聞こえてくるようだ。


 歌の主体〈僕〉は別れの相手に対して〈手紙〉をしたためることを決意する。その〈手紙〉には〈愛〉がこめられている。ここで終わればよくある恋愛物語になるだろう。しかし、志村の場合、物語は折れ曲がる。〈僕〉は屈折する。〈作り話に花を咲かせ/僕は読み返しては 感動している!〉とあるように、〈手紙〉のなかでは〈作り話〉が〈花〉を咲かせている。作り話とは志村が作る物語だ。つまり、物語の花が咲く。その花は舞い散ることも、枯れることもある。「桜の季節」は、「手紙の、作り話の、物語の季節」のことでもある。


    (この項続く)


2024年3月6日水曜日

Eric Andersen「Blue River」[S/R010]

 年齢を重ねるにつれて、自分が聴いてきた過去の音源を振り返ることが多くなった。ほとんど自分のために、というようなものだが、あまり顧みられることのない素晴らしい作品についてこのブログで紹介することが、新しい聴き手をつくりだすこともあるかもしれない。そう考えて、《Songs to Remember[S/R]》の投稿を再開したい。前回は2020年6月だったので、四年近いブランクを経てのリスタートになる。

 Eric Andersen、エリック・アンダースンは、1943年、アメリカのピッツバーグで生まれた。シンガー・ソングライターの先駆者で、1972年2月リリースの「Blue River」は彼の代表曲である。青い川の流れに人生を重ね、〈Keep us safe from the deep and the dark  深い暗闇から私たちを守れ〉という想いが繊細な声で歌われる。この純度の高い抒情が彼の持ち味だ。

 ネットにある当時の音源を添付して、歌詞も引用する。




Old man go to the river
To drop his bale of woes
He could go if he wanted to
It's just a boat to row, you know
Listen to me now

Blue river keep right on rolling (blue river keep right on rolling)
All along the shore line
Keep us safe from the deep and the dark (keep us safe from the deep)
'Cause we don't want to stray too far

Spent the day with my old dog Mo
Down an old dirt road
And what he's thinking, Lord, I don't know
But for him, I bet the time just goes so slow
Don't you know

Blue river keep right on rolling (blue river keep right on rolling)
All along the shore line
Keep us safe from the deep and the dark (keep us safe from the deep)
'Cause we don't want to stray too far

Young Rob stands with his axe in his hand
Believing that the crops are in
Firewood stacked ten by ten
For the wife, the folks, the kids
And all of the kin
And a friend, listen to me now

Blue river keep right on rolling (blue river keep right on rolling)
All along the shore line
Keep us safe from the deep and the dark (keep us safe from the deep)
'Cause we don't want to stray too far

No, we don't wanna stray too far


 70歳代になったエリック・アンダースンの映像がネットにあった。

  Eric Andersen - Blue River (Live on eTown)



 ヴァイオリンの調べを聴いて、もしかしたらと思ったらやはり、Scarlet Rivera スカーレット・リヴェラだった。70年代のボブ・ディランとの共演が有名だ。あの「Hurricane ハリケーン」(1975)での音色はロックの歴史に残る。


 〈Old man go to the river〉という冒頭のフレーズ。〈Old man〉となったエリック・アンダースンのこの映像とオリジナル音源とのあいだには五十年ほどの歳月が流れている。歌い方やアレンジが変化している。何よりも声が異なる。声の年輪が深く刻まれている。

 Eric Andersenの音楽家としての人生の流れについて書くことができるほど、彼について知っているわけではない。おそらく、おだやかな流れではなかったように思われる。

 だからこそというべきだろうか、〈Keep us safe from the deep and the dark   深い暗闇から私たちを守れ〉というフレーズが祈りのように響いてくる。


2024年2月29日木曜日

妄想的なあまりに妄想的な……「花屋の娘」[志村正彦LN343]

 フジファブリック『花屋の娘』は、志村正彦的なあまりに志村正彦的な歌である。フジファブリック Official Channelにある楽曲をまず聴いて、歌詞も読んでみよう。



    花屋の娘(作詞・作曲:志村正彦)


  夕暮れの路面電車 人気は無いのに
  座らないで外見てた
  暇つぶしに駅前の花屋さんの娘にちょっと恋をした


  どこに行きましょうか?と僕を見る
  その瞳が眩しくて
  そのうち消えてしまった そのあの娘は
  野に咲く花の様

  その娘の名前を菫(すみれ)と名付けました

  妄想が更に膨らんで 二人でちょっと
  公園に行ってみたんです
  かくれんぼ 通せんぼ ブランコに乗ったり
  追いかけっこしたりして

  どこにいきましょうか?と僕を見る
  その瞳が眩しくて
  そのうち消えてしまった そのあの娘は
  野に咲く花の様

  夕暮れの路面電車 人気は無いのに
  座らないで外見てた
  暇つぶしに駅前の花屋さんの娘にちょっと恋をした


 歌の主体は路面電車の中から外へと眼差しを向けている。その視界に〈駅前の花屋さんの娘〉が現れる。実際に見ているというより、心の中のスクリーンで見ているのだろう。電車の窓がスクリーンの枠となる。ここまでなら、主体が外の風景を見て何らかの想像をするという歌で終わっていただろう。これはよくあるパターンでもある。しかし、志村はそのようなパターンを超えていく。

 歌の主体は〈暇つぶし〉に花屋の娘に〈ちょっと恋をした〉。恋をしたというように〈た〉という完了形が使われているので、すでに刹那の瞬間に、恋は成立したのだ。だからこそ、花屋の娘が〈どこに行きましょうか?〉と声をかける。

 花屋の娘の〈瞳〉は眩しく、その眼差しは幾分か誘惑的だ。僕の欲望は昂じるのだが、娘はそのうち消えてしまう。〈そのあの娘は〉というフレーズが秀逸だ。志村は、所謂「こそあど言葉」の使い方が巧みだ。〈その娘〉から〈あの娘〉へと眼差しの対象が変化し、娘の像は消えていく。歌の主体と娘の眼差しは、結局、すれちがいに終わったようだ。恋は消滅した。

 その結果、想像というよりも妄想的な世界が広がっていく。〈娘〉は〈野に咲く花〉のようであり、さらに、〈菫(すみれ)〉と名付けられる。妄想はさらに膨らみ、二人は〈公園〉に行く。〈かくれんぼ 通せんぼ〉する二人。〈ブランコに乗ったり/追いかけっこしたり〉する二人。妄想の世界では二人の眼差しが互いを見つめあう。


  ロフトプロジェクトの「現時点で最高の音が詰まった2ndミニ・アルバム『アラモード』、遂にリリース!」というインタビューで、志村は〈今回の歌詞で特に思い入れがあるのは?〉という問いにこう答えている。

志村 1曲目の「花屋の娘」ですね。これはなんか勝手に、とある女子を見て、その人が気になって妄想して…今まで割と格好つける感じの「悲しくったってさ」とか強がるのがあったんですけど、それとは別に「はかない」って言ってるのも別の軸でありつつ、あんまり考えずに、気持ち悪いとか、人間の誰しもある、人には見せられない恥ずかしい部分というか、そういうのもやってしまおうと。もっと気持ち悪いのもたくさんあります(笑)。


 妄想とは確かに〈人には見せられない恥ずかしい部分〉でもある。だからこそ、妄想はその人が隠し持つ享楽に触れる。「花屋の娘」は志村の享楽も解放しているのだろう。


 ここで『FAB LIST I  2004~2009』のファン投票の1位から10位までの作品を振り返ってみよう。

   1 .赤黄色の金木犀
   2. 星降る夜になったら
   3. 若者のすべて
   4. 茜色の夕日
   5. バウムクーヘン
   6. 虹
   7. 陽炎
   8. サボテンレコード
   9. 銀河 (Album ver.)
  10. 花屋の娘


 一般的な知名度は低いのだろうが、「花屋の娘」は10位に輝いている。妄想的なあまりに妄想的なこの歌を愛する人が多いのだろう。人はみな妄想する、とジャック・ラカンも語っている。

 楽曲、アレンジ、演奏もすばらしい。最後の「恋をした」でピシッと終わるのも良い。妄想を断ち切るようにして、歌が閉じられていく。


2024年1月28日日曜日

ケモ/ノノ/オレ/トド/ロケ/モウ/モノ/ノケ/ノケ/ノケ[志村正彦LN342]

 フジファブリック「モノノケハカランダ」は、2005年11月9日、メジャー2ndアルバム 『FAB FOX』の冒頭曲としてリリースされた。作詞・作曲は志村正彦である。

  掛川康典監督による素晴らしいミュージックビデオがある。まずこの映像を見て、聞いて、言葉と戯れてほしい。

  フジファブリック (Fujifabric) - モノノケハカランダ(Mononoke Jacaranda)



 収録時のメンバーは、Gt. / Vo.志村正彦、Key.金澤ダイスケ、Ba.加藤慎一、Dr.足立房文、Gt. 山内総一郎。日本語ロックのなかでは最高水準の演奏力だ。歌詞にはギター演奏によるデッドヒートを思わせるフレーズがあるが、志村と山内によるギターのバトルもある。

 歌詞をすべて引用する。


  遠くなってくサイレンと見えなくなった赤色灯
  カーブになってるアスファルトが夜になって待ってる

  横並んで始まった ダンスにだって見えた
  思いのほかデッドヒート 止まるなって言ってる

  獣の俺 轟け! もうモノノケ ノケノケ!

  コードEのマイナー調で陽気になってマイナーチェンジ
  リズムの束 デッドヒート 止まれなくなってる

  獣の俺 轟け! もうモノノケ ノケノケ!

  焦げてしまったハカランダのギターが唸っている
  思いのほかデッドヒート 止まれなくなってる

  獣の俺 轟け! もうモノノケ ノケノケ!


 歌の主体〈俺〉は、車によるデッドヒート、ギターによるデッドヒートを止めることができない。〈俺〉は〈獣〉になって疾走し、車の轟音もギターの爆音も世界に轟けと叫ぶ。

 三度繰り返される〈獣の俺 轟け! もうモノノケ ノケノケ!〉は、2音による音節に分けると、〈ケ/ノ/オ/ト/ロ/モ/モ/ノ/ノ/ノ〉となり、2音のうちの後ろの音が跳ね上がるように轟く。歌う者、演奏する者、そして聴く者を急き立てていく。言葉が意味になるものと意味にならないものとに二重化されていく。


 この独創的な作品はどのようにして作られたのだろうか。志村は「フジファブリック 『FAB FOX』インタビュー」でこう語っている。

この曲は一番初めにメロディが出来た曲なんですけど、ドカーン!とか、ドバー!とか、ウリャー!とか(笑)、そういうような気持ちを曲にしたかったというか。Aメロとかもあんまり意味ないんですよ。ただ勢いのある言葉を並べてドリャー!っていうのが伝わったらいいなって。ハカランダーで作ったギターがケモノなのかモノノケなのか、それに化けてロックンロールを鳴らしているイメージ。このアルバムを象徴する曲としてPVも熱い物を撮りたいなと思いますね。

 歌詞については、ギターの木材である〈ハカランダー〉から〈ケモノ〉〈モノノケ〉という言葉を連想して作ったようだ。自由な連想と言葉の音による遊びを駆使している。〈モノノケハカランダ〉はMVの題名の表には〈Mononoke Jacaranda〉とあり、〈モノノケ〉〈ハカランダ〉を複合した言葉である。

 〈モノノケ〉は〈物の怪〉〈物の気〉であろう。試みとして、この言葉の分節の仕方を変えてみよう。〈モノ〉を〈ノケ(ル)〉に分ければ、〈物退け(除け)〉と記すことができ、物を離れさせる・物との間を隔てるという意味を作り出せる。また、〈モノノケ〉をアナグラム的に綴り直すと、〈ケモノノ〉という音が作られ、〈獣の〉という意味が取り出せる。

 〈ハカランダ〉は(Jacaranda〉、ギターの木材の名。正式にはブラジリアンローズウッドというそうだ。立ち上がりが早くて抜けの良い音とうねって絡みあうような木目が特徴だが、現在では希少な材料となり、輸出入が禁止されているそうだ。この歌詞では楽器や楽曲の象徴として位置づけられるだろう。

 音の遊びのようなものだが、〈モノノケハカランダ〉というフレーズの分節の仕方をあれこれと変えて、言葉を思い浮かべてみた。〈/〉スラッシュが区切りを示す。

  • モノノケ/ハカランダ → 物の怪ハカランダ
  • モノノケ/ハ/カランダ → 物の怪は絡んだ
  • モノノケ/ハ/カラ/ン/ダ → 物の怪は空(ん)だ
  • モノノケ/ハカランダ → 物の怪謀らんだ
  • モノノケ/ハ(→ワ)カランダ → 物の怪分からんだ

 こう並べていくと、いろいろな意味が生成されてくる。〈モノノケ〉を〈物の怪〉ではなく別の言葉に綴ってみれば、もっと多様な言葉が出現するだろう。〈ハカル〉にはさらに他の字をあてることもできる。精神分析家ジャック・ラカンは言葉の音そのものをシニフィアンと呼び、シニフィアンが集まり、多重に折り重なることによって無意識が作られると考えた。つまり、無意識はシニフィアンのファブリック、織物として形成される。シニフィアンは次々と生成されて、それらが連鎖していく。


 志村正彦も意識的、無意識的に、〈ドカーン!ドバー!ウリャー!〉という情動を〈勢いのある言葉を並べてドリャー!〉というように多様な言葉の音に変換させて、歌詞を創作していった。

  /ノ/オ/ト/ロ/モ/モ/ノ/ノ/ノ

 志村は叫ぶ。音の反復や連鎖を駆使し、シニフィアンと戯れて、意味を超えたものを歌っている。 

 

2023年12月31日日曜日

百年後の時代[志村正彦LN341]

 12月24日、朝日新聞デジタルに「今も故郷に流れるフジファブリック 志村君が残した音楽は生き続ける」(菅沼遼)という記事が掲載された。「うたと私のStory」という連載の第1回である。

 この記事は、2008年5月の富士吉田「凱旋ライブ」から始まり、2011年12月の同級生による「志村正彦展 路地裏の僕たち」、誕生日7月10日前後の「若者のすべて」と12月24日の命日前後の「茜色の夕日」と流れる防災無線のチャイム、地元FMラジオ局の番組、富士急行下吉田駅の電車接近音楽となったことなど、この十数年の地元での様々な活動やその浸透や拡大を伝えている。記事はこう結ばれる。

志村さんが亡くなってからの14年間に、富士山は世界文化遺産に登録され、街は海外からの観光客であふれるようになった。街が少しずつ変わっても、志村さんの曲は変わらず、富士吉田の日常に溶け込み、生き続けている。

 ここ数年、ハタオリマチフェスティバルに出かけてこの街を歩いているが、確かに、少しずつ街が新しくなっているような気がする。


 今日は2023年最後の日ということもあり、芥川龍之介の「後世」(1919)というほぼ百年前に書かれたエッセイを紹介したい。芥川は百年後の時代を想像して次のように述べている。

時々私は廿年の後、或は五十年の後、或は更に百年の後、私の存在さへ知らない時代が来ると云ふ事を想像する。その時私の作品集は、堆い埃に埋もれて、神田あたりの古本屋の棚の隅に、空しく読者を待つてゐる事であらう。いや、事によつたらどこかの図書館に、たつた一冊残つた儘、無残な紙魚の餌となつて、文字さへ読めないやうに破れ果てゝゐるかも知れない。

 しかし、芥川はこう思う。

しかし誰かゞ偶然私の作品集を見つけ出して、その中の短い一篇を、或は其一篇の中の何行かを読むと云ふ事がないであらうか。更に虫の好い望みを云へば、その一篇なり何行かなりが、私の知らない未来の読者に、多少にもせよ美しい夢を見せるといふ事がないであらうか。私は知己を百代の後に待たうとしてゐるものではない。だから私はかう云ふ私の想像が、如何に私の信ずる所と矛盾してゐるかも承知してゐる。けれども私は猶想像する。落莫たる百代の後に当つて、私の作品集を手にすべき一人の読者のある事を。さうしてその読者の心の前へ、朧げなりとも浮び上る私の蜃気楼のある事を。


 誰かが〈偶然〉作品を見つけ出して〈短い一篇〉その中の〈何行か〉を読み、多少にせよ〈美しい夢〉を見ること。そして、読者の心に朧気であっても〈私の蜃気楼〉が浮かび上がること。 作品との偶然の遭遇による〈美しい夢〉と〈蜃気楼〉の発見。

 蜃気楼は、空気の温度差によって光が屈折し、遠方の風景が逆さまになったり伸びたりする虚像を指す。芥川はこの文章を書いた六年後に書いた短編小説「蜃気楼」を発表する。最後の場面では、芥川夫妻を思わせる〈僕等〉が鵠沼海岸を歩いて家に帰っていく。作品は〈そのうちに僕等は門の前へ――半開きになった門の前へ来ていた〉という文で終わる。〈半開きになった門〉とは、心の門が半ば開き、半ば閉じられていることを象徴する。無意識の開閉と言ってもよい。芥川の心には自らの〈蜃気楼〉が浮かんできたのかもしれない。

 最後に芥川は〈私は私の愚を笑ひながら、しかもその愚に恋々たる私自身の意気地なさを憐れまずにはゐられない〉と書いている。百年後の読者の心に浮び上る〈私の蜃気楼〉という想像を、〈愚〉、愚かな想いと捉えて自ら笑いながらも、その想いが捨てきれずにいつまでも追いもとめようとする自身の〈意気地なさ〉を憐れんでいる。〈愚〉を捨てきれるような〈意気地〉はない、心の強さはない、そのことを自ら慈しむような心情が芥川らしい。

 実際は、没後二年の昭和4年には『芥川龍之介全集』が刊行された。その後も何度も全集が発行されている。「羅生門」は高校国語の定番教材となった。批評や研究は膨大な数に上る。芥川が残した資料の大半は山梨県立文学館に収められ、その一部が常設展示されている。その他の資料も日本近代文学館、藤沢市文書館に収蔵され、芥川の田端の家の跡地には「芥川龍之介記念館」の建設が予定されている。

 芥川には自分の作品がある程度は残るという自信はあっただろうが、これほどまでの状況は想像していなかったと思われる。四年後の2027年に芥川没後百年を迎える。この百年近くを振り返ると、日本近代文学の傑出した作品として読み継がれてきたことは間違いない。

 学校教育で芥川の作品に出会うことは多いが、「羅生門」などの代表作に限られる。しかし、あまり読まれていない、ほとんど言及されることのない作品に魅力のあるものが少なくない。この「後世」で言われているように、〈誰かゞ偶然私の作品集を見つけ出して〉読むことが文学との本質的な出会いとなる。芥川の著作権は切れているので、青空文庫にもたくさん収録されている。さらに、岩波書店の『芥川龍之介全集』、筑摩文庫版の全集なども通して、作品に出あってほしい。


 このブログの中心テーマである志村正彦の場合はどうであろうか。

 彼の生が閉じられて十四年になるが、聴き手は着実に増えてきた。音源や映像を収めた『FAB BOX』などのボックスセットもⅠ・Ⅱ・Ⅲと三回リリースされた。歌詞の評価も高く、『志村正彦全詩集』もオリジナル版、新装版と版を変えて二回も刊行された。2022年から高校の音楽教科書『MOUSA1』にも掲載され、教材となった。一つだけ不満があるとすれば、音楽ジャーナリズム、日本語ロックの批評や研究のなかでいまだに正当な評価が与えられていないことだ。業界的な評価、旧来の価値観や基準などにしばられている。フジファブリックが成しとげた音楽にもっと向き合ってほしい。


 志村正彦の作品は、地元富士吉田の様々な活動、音源・映像のリリース、詩集の刊行、高校音楽の教材化などによって広まったことは確かだが、おそらく、聴き手がたまたまインターネットやラジオで耳にしてその素晴らしさを発見したことも少なくないだろう。芥川の言う〈誰かゞ偶然私の作品集を見つけ出し〉た形である。


 芥川がそうであったように、百年後の時代でも、志村正彦・フジファブリックは、21世紀初頭の日本語ロックを代表する音楽として聴かれ続けていると僕は考えている。ある程度は歴史的なアプローチになるかもしれない。それでも、未来の聴き手も自らの心に響く歌として志村に出会うだろう。

 来年2024年はメジャデビュー20周年になる。志村正彦の歌との偶然の出会いがもっともっと増えていくことを願う。


2023年12月30日土曜日

帰って来たAnalogfish&moools(2023.12.9 桜座)/「Is It Too Late?」Analogfish

 もう三週間前になるが、12月9日、甲府の桜座に出かけた。「帰って来たAnalogfish&moools 冬の信州甲府皆神山気脈巡りツアー2023 ~カラオケ天下一トーナメント決勝戦~」のライブを見るためだ。四年ぶりの桜座だった。コロナのパンデミックの間、ライブに行くことはなかった。

 記憶を整理するために、Analogfish&mooolsの桜座ツアーをネットで調べた。 

・analogfish&mooolsと行く、冬の信州 甲府 皆神山気脈巡りツアー2013~追分けて、リンゴ~
・Analogfish&mooolsと行く、水中碁石取りツアー2014 ~足でたしかめて、秋~
・Analogfish mooolsと行く、巨大丸太転がしツアー2015 甲府 ~MARUTA FES!~ 巨大丸太がやって来た。ゴロ!ゴロ!ゴロ!
・Analogfish & mooolsと捲く、芋ケンピ空中散布ツアー2016 〜空中サンプ〜、ドローンに詰めるだけ詰め込んで、、秋。
・エビ?カニ?アナログモールスの甲殻類ドラフト会議~茹でる、想い~ 2018

 前回は2018年。つまり、五年ぶりの開催となった。

 桜座には県外から来る方が多いので、帰りの時刻を配慮するためだろう、午後4時からの開始だった。久しぶりということで客の入りが気になったが、ほぼ満員となった。意外なことに、若い女性も少なくない。これは歓迎だ。


 このツアーでは毎回のテーマがあり、関連したミニイベントが行われる。今回は「カラオケ天下一トーナメント決勝戦」。ファイナリストの二人、mooolsの内野正登が少年隊「仮面舞踏会」、Analogfishの佐々木が「宙船」を歌った(この時の オールを漕ぐ謎の振り付けが「かわいい」と受けた)。観客の採点によって僅差で佐々木優勝。

 mooolsの編成は下記の通り

  • 酒井泰明   vocal 
  • 有泉充浩   bass
  • 内野正登   drums
  • カフカ      keyboard
  • コバルト   guitar 
  • 須藤俊明   guitar mandolin
  • 藤原大輔   t.sax・flute

 藤原大輔のサックスの音色がとても美しい。ジャズの響きが加わり、mooolsの音がより厚みを増した。途中で「イエローの中村純作」という紹介の声。の登場が告げられた。あのイエロー?70年代半ばのロック・バンド。当時はかなり知られた存在だった。ブルース風味のギターが奏でられる。ついに八人編成のサウンドになる。楽曲はロック、ブルース、ジャズの融合。歌詞は現代詩との融合。これが本物のフュージョン音楽だ。重厚でしかも柔軟な感触の音群に酔いしれた。


 休憩を挟んで、Analogfishの登場。演奏は四人編成だ。

  • 佐々木健太郎   vocal・bass
  • 下岡晃      vocal・guitar
  • 斉藤州一郎        drums
  • Ryo Hamamoto   guitar

  Ryo Hamamoto(浜本亮)はサポートメンバーだが、もはや第四のメンバーと言ってもよい位置づけだと思う。2017年10月からサポートギタリストとなり、ほとんどのライブに参加。アルバム『SNS』では、一曲を除いた他の全曲でギターを弾いている。以前はmooolsのメンバーでもあった。

 三人編成のAnalogfishには、エッジの効いたクールなドライブ感があった。余分なものをそぎ落としたスリーピースバンドのサウンド。それに比べて、現在の四人編成の演奏は重厚感が増し、彩りが鮮やかなドライブ感が特徴となった。桜座という場とも見事に融合して、その音の波動を堪能した。 


 この日演奏された曲から「Is It Too Late? 」(『SNS』2021収録)を紹介したい。Official Lyric Videoと京都磔磔 でのライブ映像(2022)の二つを添付し、歌詞も引用する。

  Analogfish - Is It Too Late? (Official Lyric Video)



  Analogfish - Is It Too Late? @京都 磔磔 2022/2/26




   Is It Too Late? (作詞:下岡晃 作曲:Analogfish) 

行き慣れた駅に向かう
道に複雑な影が落ちて
いつか見た有名な絵画のよう
携帯を取り出して
何度かシャッターを切ってみるけど
見返すこともないとわかってる
代わり映えのしない毎日が
僕にとって最良の日だったって
今さらおもうとは

街路樹の石垣の
ところどころが崩れ落ちて
過ぎ去った年月が溢れてる
昨日までの常識が
あっという間に剥がれ落ちて
新しく合う鍵はどこにある
代わり映えのしない毎日が
僕にとって最良の日だったって
今さらおもうとは
不思議な力に守られて
思い出だけはいつでもキレイなんて
今さらおもうとは

行き慣れた駅に向かう
道に複雑な影が落ちて
いつか見た有名な絵画のよう
改札の人波に
君の姿を探してしまうけど
ここにいるはずがないとわかってる
代わり映えのしない毎日が
僕にとって最良の日だったって
今さらおもうとは
不思議な力に守られて
思い出だけはいつでもキレイなんて
今さらおもうとは


 〈昨日までの常識が/あっという間に剥がれ落ちて/新しく合う鍵はどこにある〉、〈代わり映えのしない毎日が/僕にとって最良の日だったって/今さらおもうとは〉は、おそらく、コロナの時代の想いを歌ったフレーズだろう。

 2020年初頭から2023年の春まで続いたコロナの時代は、ただひたすら苦しい時代だった。今はもう過ぎ去ったと言ってよいだろうが、振り返ると、渦中の時に感じた苦しさもなんだか幻のような気もする。その3年あまりの時間の記憶がかなり欠落している。意識して忘れたいというよりも、無意識的に忘却しようとしてるのかもしれない。


 とにかく、2023年、Analogfishとmooolsが甲府の桜座に帰ってきた。そのことをほんとうに喜びたい。


2023年12月29日金曜日

村上春樹ライブラリー/「TOKYO MIDNIGHT」[志村正彦LN340]

 毎年、秋の始まりから年末にかけて論文を書く。大学では主に表現や地域学の教育を担当しているが、非常に狭いテーマではあるが文学の研究もしている。芥川龍之介、志賀直哉を中心とした大正期の作家の夢を表現した作品、夢テクストの分析である。夢を対象とするのでどうしても考えあぐねる。あたかも夢のなかのように、思考が行き詰まり、途切れがちになる。何かが浮かび上がることを待つ。必然的に書いている時間よりも何かを待つ時間の方が長くなる。そういうわけで今回も、完成、というよりもとりあえずの完了まで数ヶ月を要した。数日前に提出したが、この間、なかなかブログの更新ができなかった。ヴァンフォーレ甲府については速報性が必要なので何とか書いたが。今年も残り三日となる。2023年のうちに書いておきたいことをおそらく三日連続で書くことになるだろう。


 十一月上旬、僕と妻の二人はACL第4節ヴァンフォーレ甲府を応援するために国立競技場に出かけた(その試合のことはすでにここで書いた)。その夜は東京に泊まることにした。国立競技場から近いところを探したが、タイミングよく、早稲田大学に隣接したホテルを割安料金で予約できた。母校の早稲田界隈に宿泊するなんて、学生時代に友人の下宿に泊まって以来のこと。翌日、昨年開館した国際文学館(村上春樹ライブラリー)、さらに演劇博物館、少し足を伸ばせば早稲田南町の新宿区立漱石山房記念館に行くこともできる。

 当日、浙江FC(中国)との試合は4対1で終了。勝利の心地よい余韻に浸りながら、高田馬場駅駅で降りて、芳林堂書店のあるビルでホテル行のバスを待った。近くにBIGBOXのビルもある。実際はいろいろな変化はあるのだろうが、夜ということもあり、このあたりの風景は学生の頃とあまり変わっていない。僕は「センチメンタルジャーニー」の気分に包まれていった。

 バスは昔よく歩いた道を通ってホテルに到着。部屋の窓から新宿方向の高層ビルの夜景が綺麗に見える。下の方には照明で少しだけ浮かび上がる大隈庭園がある。その場の夜の感触というものは、その場を訪れることでしか味わうことができない。早稲田での夜の思い出が、もうほとんどが消え去っているのだが、少しだけ戻ってくる。友人、先生、教室、学生ラウンジ、図書館。夜遅くまで読書会で仲間と語り合ったこと。夜のキャンパスや近くの街を歩いたこと。すべてが懐かしい。


 翌朝、目を覚ますと東京は快晴だった。窓からは大隈講堂がよく見えた。しばらくすると、大隈庭園にたくさんの保育園児が遊びに来た。庭を飛び回っている。平和な光景だった。

 国際文学館(村上春樹ライブラリー)に出かけた。本部の4号館の建物が改装されて出来上がった。村上春樹からの寄贈・寄託資料、初版本を含めた書籍、関連書が3000冊以上収蔵されている。館内で本を自由に読めるスペースやカフェがある。ビデオディスプレーのコーナーでは、村上春樹と小川洋子の対談と朗読の会が上映されていた。小川洋子は「バックストローク」を読み上げていた。録音はネットで聞けるのだが、映像はここでしか見られないようだ。幸運だった。



 演劇博物館と漱石山房記念館の展示も見ることができた。村上春樹から夏目漱石へという行路は一つのメタファーになる。僕と妻の小さな旅は、個人記念館、文学館や博物館を見ることをいつも楽しみにしている。


 僕にとっては、1985年刊行の長編小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が最も印象に残る作品である。学生時代の終わりの頃だ。初期三部作はすでに読んでいたが、この作品によって新しい文学の世界が開かれたという感を強くした。この小説では「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終り」の二つの物語が交互に進行していく。「世界の終り」の方は1980年発表の中編小説「街と、その不確かな壁」が原型になっている。そして、今年2023年4月刊行の長編小説『街とその不確かな壁』は、1980年の『街と、その不確かな壁』を書き直した上で新たな部分を加えた作品である(題名は〈街と、〉〈街と〉という読点〈、〉の有無で区別される)。つまり、村上春樹は1980年の『街と、その不確かな壁』が、1985年の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』内の「世界の終り」と2023年の『街とその不確かな壁』の二つの物語へと発展していった。

 「世界の終り」の方の最初の章は次のようなシーンで終わる。

 秋の獣たちはそれぞれの場所にひっそりとしゃがみこんだまま、長い金色の毛を夕陽に輝かせている。彼らは大地に固定された彫像のように身じろぎひとつせず、首を上にあげたまま一日の最後の光がりんご林の樹海の中に没し去っていくのをじっと待っている。やがて日が落ち、夜の青い闇が彼らの体を覆うとき、獣たちは頭を垂れて、白い一本の角を地面に下ろし、そして目を閉じるのである。
 このようにして街の一日は終る。

 この〈夜の青い闇〉が「世界の終わり」全篇を包んでいる。「世界の終わり」の語り手の〈僕〉は夢読みの作業をしている。

 僕は自分の心をはっきりと見定めることのできないまま、古い夢を読みとる作業に戻った。冬は深まる一方だったし、いつまでも作業の開始をのばしのばしにしているわけにはいかなかった。それに少くとも集中して夢を読んでいるあいだは僕は僕の中の喪失感を一時的であるにせよ忘れ去ることができたのだ。
 しかしその一方で、古い夢を読めば読むほどべつのかたちの無力感が僕の中で募っていつた。その無力感の原因はどれだけ読んでも僕が古い夢の語りかけてくるメッセージを理解することができないという点にあった。僕にはそれを読むことはできる――しかしその意味を解することはできない。それは意味のとおらない文章を来る日も来る日も読みあげているのと同じことだつた。

 かなり久しぶりにこの箇所を読んでみて、この〈意味のとおらない文章を来る日も来る日も読みあげている〉という一節に深く共感した。目的は全く異なるが、文学作品の夢テクスト分析も同じような試みである。


 志村正彦には東京の深夜を歌った作品がある。フジファブリック「TOKYO MIDNIGHT」。2004年のアルバム『フジファブリック』に収録されている。その歌詞を引用したい。



  何処からともなく 夜更けの街は

  いやらし男と かしまし娘

  パジャマで パヤパヤ

  朝までお邪魔?  朝までお邪魔??


 東京のある街。深夜から夜更けへそして朝と移りゆく時間。〈いやらし男とかしまし娘〉の二人。〈イヤラシ〉〈カシマシ〉〈パジャマ〉〈パヤパヤ〉〈オジャマ〉という音の遊びが、男女の戯れのように響いてくる。

 〈お邪魔〉という言葉は通常の文脈では、〈いやらし男〉か〈かしまし娘〉のどちらかがどちらかの家を訪れることを指すのだろうが、そもそも〈邪魔〉とは仏教語であり、よこしまなもの、邪気、邪心などの魔物のことを意味する。〈お邪魔〉には〈?〉〈??〉という疑問符が付けられている。歌の主体は、東京の深夜にはよこしまな邪気、邪心が渦巻いていることを表現したかったのかもしれない。

 1970年代前半のプログレッシブロック、特にピンクフロイドを想わせる楽曲。〈パジャマでパヤパヤ〉が四回繰り返されてからは、アグレッシブな演奏が続いて、〈朝までお邪魔? 朝まで お邪魔??〉で収束する。志村の歌詞のなかでも最も字数が少ない作品であるが、言葉を限りなく少なくすることによって、むしろ、言葉と楽曲とが抗争するような効果がある。夜の世界では、言葉が沈黙し、言葉では語りえないものが出現するかのように。


  志村正彦が村上春樹について少し言及した記事を読んだことがあるが、その記事が見つからない。村上作品は1980年代以降の文学・映画・音楽の世界に広範な影響を与えた。志村にも何らかの影響を与えているかもしれない。村上が探求した世界の鍵となるのは、夜と夢である。