2020年2月11日火曜日

映画『イエスタデイ』のジョン・レノン

 今夜2月11日 18:05~18:34、NHK総合の「ひとモノガタリ」という番組で「若者のすべて~失われた世代のあなたへ~」が放送される。志村正彦(フジファブリック)と彼が遺した曲を支えにして生きる人たちをテーマにしたそうだ。昨夜のNHK甲府の「Newsかいドキ」で冒頭が少し紹介されていた。あと数時間後の本放送を待ちたい。

 前回書いた映画『イエスタデイ』でジョン・レノンが登場するシーンがyoutubeにあった。4分ほどの場面である。この映画は昨年10月に公開されたので上映の機会は少なくなってきた。それでも東京、大阪、兵庫などでは2月から3月にかけて上映する映画館もある。ご覧になる予定の方はこの記事はスルーしていただくことにして、今回はその映像を紹介したい。




 この映像だけを取り出すと、まるでこのシーンが中心のようであるが、映画全体からするとあくまで一つの挿話に過ぎない。しかし、前回書いたように、このジョン・レノンのシーンを中心に据える見方もあるだろう。僕はそう見た。ジョンの登場シーンのためにこの映画は作られたのではないかと。それはそうとして、まるで、ジョン・レノン登場シーンとそれ以外のシーンが、パラレルワールドになっているような関係なのだ。『Yesterday』と『Imagine』がパラレルになっているとも言える。

 このシーンをよく見ると、ジョンの家の前の船底を上にして置かれた小舟に「Imagine」と書かれていることに気づく。この船の名は「Imagine」号なのだ。船が逆さまなので文字も逆さまであり、逆さまのパラレルワールドに相応しい。
 ジャックとジョンの次の会話の場面が胸に刻まれる。


 Jack  So good to see you. How old are you?
 John  78.
 Jack  Fantastic! You made it to 78.


 映画『イエスタデイ』のジョン・レノンが78歳まで生き続けていたことは「Fantastic!」以外のなにものでもない。この後で二人はハグをする。映画という虚構の人物と現実の人物の虚構の抱擁のように。

 40歳で亡くなった「ビートルズのジョン・レノン」が存在する世界。
 78歳まで生き続けた「船乗りのジョン・レノン」が存在する世界。
 この二つの世界に対して、もう一つの世界を想像する。
 「ビートルズのジョン・レノン」が78歳まで生き続ける世界。
 僕たちは第三のパラレルワールドを「imagine」することができるだろう。




【付記】 前回の記事について「偶景webを通勤時に読んじゃだめですね(;_;) パラレルワールド... 」と呟いていただきました。(;_;)という顔文字、充分にimagineできました。


2020年2月2日日曜日

映画『イエスタデイ(Yesterday)』

 甲府の映画館シアターセントラルBe館にときどき出かける。街中での映画とランチがこのところの唯一の愉しみである。少し前に、映画『イエスタデイ(Yesterday)』[2019年、監督ダニー・ボイル・脚本リチャード・カーティス]を見てきた。予告編で知って上映を待っていた作品だ。

 youtubeにある予告編を見てみよう。




 公式サイトではこう紹介されている。

舞台はイギリスの小さな海辺の町サフォーク。シンガーソングライターのジャック(ヒメーシュ・パテル)は、幼なじみで親友のエリー(リリー・ジェームズ)の献身的なサポートも虚しくまったく売れず、音楽で有名になりたいという夢は萎んでいた。そんな時、世界規模で原因不明の大停電が起こり、彼は交通事故に遭う。昏睡状態から目を覚ますと、史上最も有名なバンド、ビートルズが存在していないことに気づく─。

自分がコレクションしていたはずのビートルズのレコードも消え去っている摩訶不思議な状況の中、唯一、彼らの楽曲を知っているジャックは記憶を頼りに楽曲を披露するようになる。物語はジャックの驚きや興奮、戸惑いや葛藤、そして喜びがビートルズの珠玉の名曲とともに語られていく。何気なく友人たちの前で歌った“イエスタデイ”がジャックの人生や世界までも大きく変えていくが、夢、信念、友情、愛情…ビートルズの楽曲が人生のすべてのシーンを豊かに彩る。

 この紹介通り、ビートルズをモチーフにした音楽映画である。いわゆる「売れない音楽家」のサクセスストーリーでもあり、素晴らしいラブストーリーでもある。wikipediaでは「ファンタジー・コメディ映画」とされていたが、そんなジャンルがあることを始めて知ったが、確かに「ファンタジー」であり「コメディ」でもある。とても質の高いエンターテイメント映画であり、ビートルズ・ファン、ロック音楽ファンにとっては必見の作品である。

 シアターセントラルBe館では2月6日まで上映。全国ではすでに公開が終わっている段階だが、まだ上映中か上映予定の映画館もいくつかあるので、近くで見ることができる方にはお勧めしたい。(これから書くことは「ネタバレ」となっていることをお断りします)

 終わり近くに全く想像していなかったシーンがあった。

  ジャックがある海辺の家をたずねると、「ジョン・レノン」が現れたのだ。

 風貌はそっくりだが、それなりに高齢になったジョンを見た瞬間、涙があふれてきた。とどめることができなかった。
 要するに、ビートルズが存在しなかったパラレルワールドで、「ビートルズのジョン・レノン」ではない「ジョン・レノン」が存在しているのだ。その「ジョン・レノン」は40歳で亡くなることなく、現在まで生き続けている。老いてきたが元気に暮らしているのだ。

 このシーンのためにこの映画は制作されたのではないかというのが僕の直観だった。「ジョン・レノン」が現在まで生き続けているというのは「夢」にすぎないのだろうが、この映画『イエスタデイ』は映画という「夢の中の夢」として、きわめて美しく、そしてある種の必然性を備えて描いている。

 出逢いの後のジャックとジョンの会話が素晴らしい。リアリティがある。ジョンは船乗りとなり世界をまわり、今は78歳。そしてジョンは、エリーとの関係に悩むジャックに対して、エリーへの「愛」を伝えることを説く。このシーンが転換点となって、映画はクライマックスとハッピーエンドにたどりつく。

 ネットで調べると、ダニー・ボイル監督がジョン・レノン登場シーンについて語ったインタビュー記事が見つかった(取材・文:編集部・市川遥)。取材者が配給会社に問い合わせたところ、「フィルムメーカーとジョン・レノンを演じた俳優は、ジョン・レノンの人生と思い出に敬意を表すため誰が演じているかを公表しないという契約をしています。彼らの希望を尊重し俳優の名前は公表致しません」という回答があったそうだ。パラレルワールドのジョン・レノンは、「名前」の公表されないない「俳優」によって演じられた。パラレルワールドのジョン・レノンという夢への尊厳が貫かれている。

 ボイル監督はこのシーンについて「あえて、ヒメーシュと彼を会わせなかったんだ。撮影でドアが開く、あの瞬間までね。だからヒメーシュにとって、あの一瞬はものすごい瞬間だったわけだよ(笑)」と語っている。このような演出の配慮によって、あの場面は役者にとっても、そして観客にとっても「ものすごい瞬間」となったわけである。
 一歩間違えば荒唐無稽な夢物語に陥った場面が、自然に受け入れられる展開になったのは、制作者のきめ細かい心配りがあったからだろう。
 さらに監督はこう述べている。


映画が変わるシーンでもある。ジャックが突然、本当にたくさんのことに気付くわけだから。映画の魔法だよ。恐怖や暴力は、絶対的な美しさと驚異の瞬間によって克服できる。僕たちは、ちょっとの間、そんな勝利は可能だって信じることができるんだ。暴力は勝たない。美しさと真実、イマジネーションが勝つんだ。とても特別で、とても誇りに思っているシーンだよ


 「美しさと真実、イマジネーションが勝つんだ」という監督の発言は、この映画の究極のテーマである。まさしく「Imagine」である。
 そして、「船乗りのジョン・レノン」が存在し続ける世界を「Imagine」すること。同時に、「ビートルズを創ったジョン・レノン」が存在した世界を「Imagine」すること。この二つのパラレルワールドは、互いに互いを「Imagine」する世界なのかもしれない。その世界では「ジョン・レノン」が存在してる。

 最後に思い出語りをしたい。ロック音楽を聴き始めた70年代前半、僕はジョン・レノンにのめり込んでいった(僕だけでなくあの頃は誰もがそうだったが)。当時すでに、ジョン・レノンはライブ活動からは遠ざかっていた。日本でジョンのライブを見ることは不可能だった。しかし、オノ・ヨーコの方は実験的な音楽をライブでも試みていた。

 1974年8月、僕は新宿厚生年金会館でオノ・ヨーコ&プラスティック・オノ・スーパー・バンドのライブを見た。オノ・ヨーコの声とパフォーマンスに圧倒された。スティーヴ・ガッド、ランディー・ブレッカー、マイケル・ブレッカーという豪華なメンバーもいた。終了後、オノヨーコが投げキッスをして車に乗り込んで去って行くのをたまたま目撃した。当時は何もかもが鮮烈だったが、さすがに四十数年が経つと、靄がかかった断片しか思い出せないが。

 かなり後になってから知ったことだが、この頃はジョンとヨーコは別居状態で、ジョンにとって「失われた週末」の時代だったそうだが、この映画の「船乗りのジョン・レノン」もまた妻との間にそのような日々があったことをうかがわせる話をしていた。パラレルワールドのそれぞれで二人のジョンは、愛とそこから得た真実において同等の経験をしているようだ。

 1980年、ジョン・レノンの生は閉じられてしまった。40歳という早逝の人生だった。ロック音楽家には夭折や早逝が少なくない。彼らのパラレルワールドを「Imagine」することは、夢の中の夢のような行為かもしれないが、僕もある音楽家のパラレルワールドを想像した。

  You may say I'm a dreamer
  But I'm not the only one
  I hope someday you'll join us
  And the world will be as one



2020年1月22日水曜日

新しいスポーツ-『熊の惑星』[ここはどこ?-物語を読む 10]

 ハリーポッターがベストセラーになったのは、何年前のことだったか。確かシリーズ続編の発売日には徹夜組も出るくらいの人気作だった。かくいう私は一作も読んでいない。流行に背を向けるひねくれた性格のせいだが、それも中途半端なひねくれ方なので、映画は観た。その中で一番印象に残ったのは、彼らが魔法学校で行う不思議なスポーツだった。一回観たきりなのでうろ覚えなのだが、空飛ぶホウキにまたがった少年たちが2つのチームに分かれ、何かをゴールに放り込んだり、羽の生えた球を捕まえたりして、点数を競うようなものだった。こういう新しいスポーツのルールや戦術を覚えて観戦するのが好きで、特にこれはぜひ自分でもやってみたいと思った。残念ながら空飛ぶホウキは手元になく、あっても重くて飛べないと文句を言われるかもしれず、それに忘れていたが、はしごの三段目から上に上がれない高所恐怖症だということもあって、実現は難しい。

 突然話は変わるが、ここ数年、家人はシングルのB面を集めたCDをよくかけていて、特に「セレナーデ」と「ルーティーン」は繰り返し聴いていた。どちらも代表曲にあげられることはあまりないが、聴けば聴くほど心の深いところに届いてくるような名曲である。そして「セレナーデ」と「ルーティーン」の間にはそれとは似ても似つかない一曲が流れてくる。その名も「熊の惑星」。このヴァリエーションの豊かさこそがフジファブリックと言えようか。

フジファブリックにとって初めての、加藤氏作(!) の曲が仕上がった。謎の曲。だから謎の歌詞を書いた。かなり好評。
(志村正彦『東京、音楽、ロックンロール』2007.7.12 「加藤曲」より抜粋)

 作詞者本人が書いているのだから間違いない。何度聴いても謎の歌詞である。歌が進むにつれて聴き手の予想はことごとくくつがえされる。


 世界初の貴重な映像 僕は感動
 動物界に君臨する巨大な王様


(聴き手=私予想)テレビでよくやる動物もののドキュメンタリーを見ているのだな。この一本を撮るためにどれほどの時間と労力が費やされたのか。まして動物界に君臨する巨大な動物(象? 熊? くじら? タイトルを思い出して熊だと確定)の世界初の生態はとても貴重で興味深い。なるほど。


 太刀打ちできる人間はほとんどいないね
 アジア一のワザの使い手ぐらいだろうねえ

 戦いが始まるぜ!
 北欧の熊に対するのはヒゲの太極拳野郎

(聴き手=私予想)動物と人間が戦うのか。格闘家が牛や熊と戦って勝ったという伝説があったけれど、そういう番組なんだな。(どこまで真剣勝負なのかはわからないが、大山倍達やウィリー・ウィリアムスなどが牛や馬と戦ったという話はある。市井の人でも山で熊に遭遇して撃退したという武勇伝も新聞で読んだ)。


 夢の対決を見てるんだ 旗を取り合うのよ

(聴き手=私予想)??? 旗を取り合うってどういうこと?

 
 私には見える。この最後の一行を書き終えたとき、志村正彦はにやりと笑ったに違いない。混乱する聴き手を思い浮かべながら、仕掛けたいたずらが成功した子供のように。
 熊と人間が格闘するのではなく、旗を取り合う戦い。これは全く新しいスポーツである。なにしろ動物と人間の戦いだからスポーツというのもおかしいが、他にことばが思いつかないので、とりあえずスポーツにしておく。 さてどんなスポーツなんだろう。


 ちょっと考えてみた。
 長距離の障害物競走。コースには高い壁や足を取られそうな網や蟻地獄のような砂の穴や幅の広い川や揺れる吊り橋などがある。最後つるつる滑る坂の上に旗が立てられていて、それを取った方が勝者である。普通にやれば熊が勝つに決まっているので、熊の苦手そうな障害をたくさん用意してある。北欧の熊が相手だから真夏なら少し人間に有利か。ただし、アウェイ(熊の惑星)での戦いとなれば、圧倒的に不利な気がする。

 あるいは、それぞれ自分の陣地に旗を立て、人間側は頭脳を使い、投石機とか落とし穴とか様々な防御態勢を整えて、「はじめ」の合図で熊人間双方が相手陣の旗を取りに行く。もちろんすんなりいかないようにお互いに防御しつつ、相手の隙をうかがって早く旗を取った方が勝ち。旗の周りを火で囲っておけば、熊は近づけないかもしれないが、さすがにそこまでするとちょっとずるい気もする。

 どちらも太極拳の動きで互角の戦いができるかは微妙である。はたして志村正彦は一体どんなスポーツを想定していたのだろうか。(何も考えていなかった可能性もあるが)。
 いずれにしても「太刀打ちできる人間はほとんどいない」のだし、ハリー・ポッターと違って、参加するにはかなり勇気のいるスポーツではある。

2020年1月13日月曜日

松任谷由実『ノーサイド』

 2019年は、ラグビーワールドカップで日本代表が大健闘した年としても記憶されるだろう。一ファンとしてWCを大いに楽しんだ。
 年が明けて、1月11日、新しい国立競技場でラグビー大学選手権が開催され、早稲田大学が明治大学に勝利し大学日本一になった。新国立も満員だった。12日にはトップリーグが開幕した。日本代表大活躍の影響で各会場とも観戦者がかなり増えた。今回のラグビー人気は本物になる予感もする。

 昨年大晦日の紅白歌合戦。流行り歌に疎いのでせめて紅白だけでもと毎年欠かさずに見ている。年々歌はつまらなくなっているというのが正直な実感だが、その中でひときわ歌として輝いていたのは、ラグビーをテーマにした松任谷由実の『ノーサイド』だった。ラグビー日本代表のメンバーも登場し、ワールドカップの映像が流れる中でユーミンが想いを込めて歌い上げた。G 鈴木茂、Ds 林立夫、B 小原礼、key 松任谷正隆が演奏した。松任谷正隆がローズピアノでイントロを弾くと、耳に馴染んだあのメロディーが広がっていく。
 歌詞の前半を引用したい。


   ノーサイド (作詞・作曲 : 松任谷由実)

 彼は目を閉じて 枯れた芝生の匂い 深く吸った
 長いリーグ戦 しめくくるキックは ゴールをそれた
 肩を落として 土をはらった
 ゆるやかな 冬の日の黄昏に
 彼はもう二度と かぐことのない風 深く吸った

 何をゴールに決めて
 何を犠牲にしたの 誰も知らず
 歓声よりも長く
 興奮よりも速く
 走ろうとしていた あなたを
 少しでもわかりたいから

 人々がみんな立ち去っても私 ここにいるわ


 眼差しの向こう側に「彼」がいて、こちら側に「私」がいる。「私」はただひたすら「彼」を見ているが、距離はある。グラウンドの中と外で隔てられている。その距離感がユーミンの歌の基底にある。
 「彼」が「枯れた芝生の匂い」を「深く吸った」とあるが、ここでは「私」は想像の翼によって「彼」に近づく。しかしその後「私」はふたたびグラウンド全体を見渡す場所に戻って、キックが「ゴールをそれた」軌道を追いかける。「彼」と「私」との距離は近づいたり遠のいたりする。

 次の連では、「歓声よりも長く 興奮よりも速く 走ろうとしていた あなた」に焦点が合う。「歓声よりも長く 興奮よりも速く」はなんと卓抜な表現なのだろう。ラグビーの得点シーンは、たとえばサッカーに比べると時間がかかる。何度もアタックする。ボールを回し、走り、起点を作り、その反復がある。もともとボールを後方に渡すという「理」に反した攻め方ゆえにラグビー固有の時間の流れ方がある。だからこそ、応援する側から言うとそのプレーに対する「歓声」は長い。しかし、インゴールにボールをグラウンディングする時間は一瞬の出来事として生起する。ゴールの「興奮」は時間が凝縮されている。だからこの「歓声よりも長く 興奮よりも速く」走るというのは、ラグビーの攻撃の描き方としてきわめて的確なのだ。そしてその走る姿が「あなた」に収斂していく。「彼」が「あなた」に転換されることによって、「私」と「彼=あなた」の距離が極限まで縮まるかのようだ。その「あなた」を「少しでもわかりたいから」、「人々がみんな立ち去っても私 ここにいるわ」と歌うのは、ラグビーに対する愛の賛歌となる。「あなた」はラグビーそのものなのだろう。

  「ノーサイドNO SIDE」は試合終了を示す。その瞬間、自陣と敵陣の区別はなくなり、勝者のサイドも敗者のサイドも無くなる。互いの健闘をたたえ合い、互いを尊重し合う。ノーサイドという境界を消失させる行為は、歪んだ対立が顕在化するこの時代に省みる価値がある。
 ふと思った。『ノーサイド』の歌詞の「彼・あなた」と「私」にある一種の距離や境界も最後に消えていったのではないかと。歌い手と歌われる存在や対象との間にある境界も、歌が終わる瞬間に消失していく。

 「しめくくるキックは ゴールをそれた」というシーンについても語りたい。これはかつての全国高等学校ラグビー大会決勝の「伝説の一戦」から素材を得ているようだ。決まれば同点で両校優勝となるゴールキックを左に外し、その直後ノーサイドの笛が鳴ったそうである。
 こういう劇的なシーンはラグビーで時に遭遇することがある。

 昨年のラグビーWCフランス対アルゼンチン戦を東京・味の素スタジアムで観戦した。山梨で合宿したフランスチームを応援するつもりで行ったのだが、会場に行く途中で陽気なアルゼンチンサポートとも出会い、はじめからノーサイドの気分だった。
 フランスが2点差でリードしている試合の終了間際、アルゼンチンがPGを獲得した。約50メートルのロングキックが決まれば劇的逆転だったが失敗した。まさしく「しめくくるキックは ゴールをそれた」。試合はノーサイドを迎えた。

 もうひとつ思い出を語りたい。もう二十年近く前の出来事だ。
 2001年12月旧国立競技場で、ラグビー関東大学対抗戦の「早明戦」早稲田大学対明治大学の闘いがあった。
 早稲田が1点のビハインドで迎えた後半ロスタイム、ペナルティーのチャンスを得て、武川正敏が蹴ったボールはポストの間を通り抜けた。キックはゴールをそれなかった。早稲田が土壇場で試合をひっくり返し、勝利を掴み取った。現地で僕は父と妻と一緒にこの試合を見ていた。僕が母校の早稲田大学ラグビーのファンだったので、父も熱心に応援してくれるようになっていた。勝利の瞬間の父の笑顔が忘れられない。翌年も観戦し、その次の年もチケットを購入したが、父は体調を崩し国立には行けなかった。その半年後父はなくなった。早稲田のラグビーを見ると父を思い出す。2001年の早明戦はいまだに最も記憶に残る試合だ。みんなで校歌をうたったことも胸に刻まれている。

 武川正敏は山梨のラグビー強豪校である日川高校の出身である。そのこともあり、あの日は特に彼を応援していた。彼は昨年から早稲田のヘッドコーチに就任している。あの日の伝説のキックの経験は後輩たちへ受け継がれていくのだろう。

 紅白歌合戦で歌い終わった後、田中史朗は「皆さんの支えがあってベスト8にいけたのでうれしいですし、ほんとうに日本がONE TEAMになって、この歌も聞けてほんとうにうれしいです。ありがとうございます」と言った。ユーミンは「たくさん勇気をもらいました。この曲にこんなチャンスを与えてくれてありがとう!」と涙ぐみながら選手に語りかけていた。
 「チャンス」を与えてくれたというユーミンの言葉に感銘を受けた。『ノーサイド』というひとつの歌が、ラグビーを祝福し、ラグビーから祝福されていた。


2020年1月5日日曜日

『ミュージック・マガジン』の「50年の邦楽アルバム・ベスト100」[志村正彦LN247]

 2020年の元日、フジファブリック・山内総一郎氏の慶事が伝えられた。今後、フジファブリックはさらに変化していくのだろう。
 2019年は志村正彦・フジファブリックにとって特別な年だったので、例年以上に集中して様々な事柄を追ってきた。年を越えてしまったが、今回は音楽雑誌『ミュージック・マガジン』について書きたい。

 去年2019年は、1969年4月創刊の雑誌『ミュージック・マガジン』の創刊50周年の年だった。2019年4月号は、特別付録として創刊号を復刻して同封した。久保太郎編集長は「『ミュージック・マガジン』は、創刊50周年を迎えました」という巻頭言でこう述べている。


 洋楽、とりわけロックを単なるエンターテイメントではなく、人々の意識を変え、社会変革をもたらすものと捉え、その音楽の紹介のみならず、批評のスタイルまでを文化として導入し、確立しようということが創刊の目的でした。その姿勢は、今回復刻した創刊号に色濃く表れていますし、後にロックだけでなく世界の様々なポピュラー・ミュージックや邦楽に批評の対象を広げても、本誌が一貫して持ち続けてきたものです。


 僕が読み始めたのは1974年頃だった。編集長の言葉にある通り、ロックは「人々の意識を変え、社会変革をもたらすもの」という意識が読者にもあった。当時は洋楽のロックが中心で、時代が経つにつれてワールドミュージックや邦楽も取り上げるようになった。以前も書いたが、僕にとって『ミュージック・マガジン』(『ニューミュージック・マガジン』の時代だが)は主に、浜野サトルの批評を読む媒体として位置づけられていた。     

 4月号の復刻に続いて、『創刊50周年記念復刻 Part 1 ニューミュージック・マガジン1969年5月号~8月号』『創刊50周年記念復刻 Part 2 ニューミュージック・マガジン1969年9月号~12月号』の復刻版も出された。
 5年ほど前、古書市場で1970年から2012年までの500冊ほどのセットを運良く購入できた。その後も空白の号を買い集め、現在は定期購読している。創刊年の1969年は数冊だけ持っていなかったが、今回の復刻版を含めると50年間のすべての号が揃ったことになる。この雑誌は比較的部数も多かったので古書の価格もそんなに高くないのが幸いだった。この雑誌は日本におけるロックの受容の歴史を語る上で必読の資料である。(日本文学の教員として、雑誌全号のコレクションの大切さを痛感している。インターネット以前の時代の資料は雑誌などの「物」としてあり、「物」として収集保管していかなければならないが、これがけっこう大変である。)

 2019年4月号の本編には、特集として「創刊50周年記念ランキング~2020年代への視点(3)~50年の邦楽アルバム・ベスト100」が掲載されている。あくまで「50年の邦楽」あり、ロック、ラップ、電子音楽、アイドルまで「ポップス」の枠に括られる全てが対象となった。50人の選者が各々50枚のベストアルバムを選出して集計した結果、1位から10位までは下記の通りである。


 1. はっぴいえんど『風街ろまん』
 2. シュガー・ベイブ『SONGS』
 3. 大滝詠一『ロング・バケイション』
 4. ゆらゆら帝国『空洞です』
 5. イエロー・マジック・オーケストラ『ソリッド・ステイト・サバイバー』
 6. フィッシュマンズ『空中キャンプ』
 7. ザ・ブルー・ハーツ『THE BLUE HEARTS』
 8. 細野晴臣『HOSONO HOUSE』
 9. 荒井由実『ひこうき雲』
 10. サディスティック・ミカ・バンド『黒船』


 リストは100位ではなく200位まで掲載されていたが、フジファブリックは一つも入っていなかった。50人の選者の各々のリストも載っていたので探してみると、志田歩氏の43位にフジファブリック『フジファブリック』、高岡洋詞氏の46位にフジファブリック『フジファブリック』、山口智男氏の19位にフジファブリック『TEENAGER』が挙げられていた。志田氏はこの雑誌でフジファブリックの記事を書いたこともあり、作品を高く評価していた。高岡氏と山口氏はおそらく若いライターだと思われる。この三人の見識によって3枚がリストアップされた。
 50人が50枚、合計2500枚のうちの3枚である。2500枚といってもかなりの重複があり、50年の間には膨大な数のアルバムがリリースされたことを考慮すると、3枚入っていたのは喜ぶべきなのだろう、と書きたいところだが、これは多いに不満であり疑問である。志村正彦・フジファブリックのアルバムに対する正当な評価があまりにも少ないのは、現在の音楽ジャーナリズム(そんなものがまだあるとして)の視野の狭さのせいであろう。

 10位までのリストに示されているように、いわゆる「はっぴいえんど史観」、細野晴臣やYMOを中心とする評価軸が強すぎるようだ。音楽は所詮「好み」の問題であるが、音楽ジャーナリズムの評価としてあまりに偏りすぎている。また、ジャックス『ジャックスの世界』がまったく入らなかったのは、この作品が1968年リリースで対象外だったからなのだろうが、少なくともこのアルバムが入るように1968年を起点にできなかったのか。(「はっぴいえんど史観」を徹底するために1968年を除外したとも考えられるが、まあこれは勘ぐりすぎだろう)

 年初なので僕も10枚を選ぶことにした。よく聴いたアルバムを選んだだけのきわめて個人的なリストである。ただし、起点は1968年にして、順位は付けずにリリース順に記した。


    ジャックス『ジャックスの世界』1968年9月
    荒井由実『ひこうき雲』1973年11月
    四人囃子『一触即発』1974年6月
    RCサクセション『シングル・マン』1976年4月
    PANTA & HAL『マラッカ』1979年3月
    フリクション『FRICTION(軋轢)』1980年4月
    ムーンライダーズ『青空百景』1982年9月
    THE BOOM『サイレンのおひさま』1989年12月
    早川義夫『この世で一番キレイなもの』1994年10月
    フジファブリック『フジファブリック』2004年11月


 リアルタイムで聴いたのは四人囃子『一触即発』以降である。『ジャックスの世界』と『ひこうき雲』は70年代後半に出会った。フジファブリックは『アラカルト』から『CHRONICLE』までの全アルバムを挙げたいくらいだが、メジャー1作目に代表させた。
 並べてみると「ロックの歌」「ロックの詩」が好きなのだとあらためて気づく。個々のアルバムについて触れる余裕はないが、いつかこのblogで書いてみたい。

 1968年の『ジャックスの世界』から2004年の『フジファブリック』まで36年の歳月を必要とした。早川義夫・ジャックスが日本語ロックの創始者であり、志村正彦・フジファブリックが日本語ロックの可能性を極めたというのが僕にとっての歴史である。


2019年12月31日火曜日

2019年[志村正彦LN246]

 12月下旬になっても志村正彦・フジファブリックの関連番組は続いている。
 BSプレミアム「The Covers’Fes.2019」ではフジファブリックが『ひこうき雲』(荒井由実)カバーと『手紙』を演奏した。NHK甲府のラジオ番組「かいラジ」12月号『フジファブリック 志村正彦を語りつくす』を「らじる★らじる」で聴くことができた。昨夜はBSフジで『LIFE of FUJIFABRIC<完全版>』が放送された。この二つの番組から、富士ファブリック時代のメンバー、関わりの深かった音楽家、EMIのディレクタ-、様々な関係者、そして現在のメンバーの貴重な証言を得られた。今回はその証言に言及しないが今後活かす機会もあるだろう。

 今日で2019年が終わる。あらためて『「15周年」への違和感 [志村正彦LN243]』に寄せられた二人の方のコメントについて考えてみたい。
 最初の方は「声を上げなくとも違和感を感じている人、また、なんとか受け入れようと努力している人もたくさんいると思います」と書かれた。もうひとりの方は「私は志村さんがいなくなってから、現実を受け入れられずフジファブリックからは離れていて」「今年のMステを見てからまた志村さんの歌を聴き始めました」と述べられた。二人の素直で自然な想いに心を打たれた。二人とも志村正彦が健在だった時代の熱心なファンだと推測される。僕のような遅れてきたファンとは関わり方の深さが異なる。2009年からのこの十年の時の過ごし方もおのずから異なっている。

 『LIFE of FUJIFABRIC<完全版>』の最後に大阪城ホールを終えた三人のメンバーのインタビューがあった。彼らがある達成を得たことは確かだ。彼らの粘り強い活動があり、それを支えたファンの存在があった。そして、志村がのこした作品の力が大きかったことは間違いない。

 音楽の作り手・送り手、メンバーや事務所の観点からすると、「フジファブリック」の存続は当然の選択だっただろう。その結果が2019年を15周年とするプロジェクトまでつながった。
 しかし、音楽の聴き手・受け手は異なる。志村正彦のフジファブリックを愛した者の十年には複雑な軌跡がある。聴き続けた人、聴くことができないでいた人。継続を受け入れた人、受け入れようとした人、受け入れることができなかった人。聴き手一人ひとりのフジファブリックは異なる。フジファブリックの経験という時間も異なる。だからこそ少なくとも、音楽の聴き手にとっては「継続」が当然の自明の選択だとは言えない。「15周年」という捉え方は、聴き手一人ひとりの時間の差異を消し去ってしまう。

 フジファブリックは作り手だけのものではない。聴き手のものでもある。音楽だけでなくあらゆる芸術作品は作り手と受け手が共同で創造する。たとえば小説は作者と読者が創り出す。読者が読むという行為がなければ小説は成立しない。音楽も同様である。声や音、歌詞の言葉を聴いて受けとめて、自らの心と体で音楽を生成させる。その行為があってはじめて音楽は音楽として成立する。

 最後になるが、『LIFE of FUJIFABRIC<完全版>』の冒頭の映像について書いておきたいことがある。「ほんとうにフジファブリックを作ってくれた彼に感謝したいと思います」と山内総一郎が大阪城ホールで語るシーン。観客の拍手が続く中、志村正彦が座席にひとりで腰掛けている映像(両国国技館ライブでの撮影だろう)がインポーズされる。彼の眼差しと立ち上がり去ろうとしている姿。この冒頭シーンに続いて本編が始まっていく。そういう演出だった。
 この映像のモンタージュに番組制作者のどういう意図が込められているのかと考えこんでしまった。山内と志村の時空を超えた応答を演出したのか。それとも特別な意図はなかったのか。あるいは想像もできない別の意味が込められていたのか。演出の意図はつかめないが、強い違和感が残った。

 この番組だけではない。この一年間を通じて、志村正彦・フジファブリックに関する番組や音楽メディアの記事に違和感を覚えることが少なくなかった。貴重な証言や映像を得られた反面、番組や記事の構成に疑問を抱いた。「15周年」という視点を中心にある種の「物語」を描いていた。(このblogは批評的エッセイを試みている。率直な違和や疑問が批評の原点をつくる。)

 2020年はどういう年になるのか。志村正彦・フジファブリックの音源や映像が発売されることはあるのだろうか。昨年の大晦日には『シングルB面集 2004-2009』を独立したCDとして発売してほしいと書いた。今年実現しなかったので来年への願望としてここにふたたび記した。
 『セレナーデ』も『ルーティーン』もシングルB面集に収められている。この素晴らしい作品群をアルバムとしてリリースしていただきたい。

2019年12月28日土曜日

チャペルアワー 『セレナーデ』の祈り [志村正彦LN245]

 チャペルアワーという奨励の時間が山梨英和大学にはある。毎週火水木の三日、教職員や学生、時には地元教会の牧師がチャペルアワーの奨励を受け、15分程度の講話を行う。奨励題(テーマ)は自由だが、祈りの奨めになる話をしてそれに促されて祈ることができればよいらしい。今年は「志村正彦の歌-フジファブリック『セレナーデ』の祈り」、関連して旧約聖書の「コヘレトの言葉12:01・12:02」、賛美歌552番「若い日の道を」を選んだ。
 十一月中旬、僕の担当する日が来た。会場のグリンバンクホールは礼拝や講演会で使われ、正面に十字架がある。厳粛な雰囲気の場である。最初に『セレナーデ』の音源を再生した。小川のせせらぎ、虫の音に続いて、志村正彦の声が静かに広がっていく。没後十年の年であり、彼を追悼するチャペルアワーだという意味を僕個人としては見出していた。
 今日は、その時に配った資料の本文をやや長くなるが紹介したい。以前このblogで書いたものをまとめたものである。



 志村正彦の歌-フジファブリック『セレナーデ』の祈り


   フジファブリック『セレナーデ』
   (作詞・作曲:志村正彦)

   1a 眠くなんかないのに 今日という日がまた
     終わろうとしている さようなら

   2a よそいきの服着て それもいつか捨てるよ
     いたずらになんだか 過ぎてゆく

   3b 木の葉揺らす風 その音を聞いてる
     眠りの森へと 迷い込むまで

   4c 耳を澄ましてみれば 流れ出すセレナーデ
     僕もそれに答えて 口笛を吹くよ

   5a 明日は君にとって 幸せでありますように
     そしてそれを僕に 分けてくれ

   6b 鈴みたいに鳴いてる その歌を聞いてる
     眠りの森へと 迷い込みそう

   7c 耳を澄ましてみれば 流れ出すセレナーデ
     僕もそれに答えて 口笛吹く

   8c そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ
     消えても 元通りになるだけなんだよ


 フジファブリック『セレナーデ』は、2007年11月7日、シングル『若者のすべて』のカップリング曲としてリリースされた。ここでは分析のために2行の各連に1a-2a-3b-4c-5a-6b-7c-8cという数字と記号を付ける。1~8の数字は歌詞の連の順番を、a・b・cはメロディの差異を表している。
 歌詞とメロディの展開から、『セレナーデ』の構成を1a-【[2a-3b-4c]-[5a-6b-7c]】-8cと捉えてみよう。[2a-3b-4c]と[5a-6b-7c]という二つの[a-b-c]のブロックを1aと8cという大きな枠組が包み込んでいる。[2a-3b-4c]と[5a-6b-7c]には繰り返しの部分と微妙に変化する部分があり、『セレナーデ』の時間の推移を表すと共に物語の舞台を形作っている。1aは真夜中の時を、8cは夜明けの時を指し示す。真夜中から夜明けへという時間の中に『セレナーデ』の物語が広がる。

 [1a-2a]では、1a「今日という日」、2a「いたずらになんだか過ぎていく」日々という流れの中に、歌の主体「僕」の日々の想いが重ねられていく。「よそいきの服」のモチーフは文脈を読みとるのが難しい。
 [3b-4c]で「僕」は、「眠りの森」へと「迷い込む」まで「木の葉揺らす風」の「音」を聞いている。「僕」は今日という日に別れを告げて眠りにつこうとしている。だが、すぐには眠れない。耳を澄まして外界の音を聞いていると、「木の葉」が揺れて「風」が吹いている。自然の音が旋律と律動を作り、その音は眠りへと誘う効果を持つ。「流れ出すセレナーデ」は「眠りの森」から聞こえてくる。「僕」はその音に誘われ、「口笛」を吹くようになる。口笛のメロディは次第に言葉を伴う「歌」へと変わっていく。

 [5a]の一節はこの歌の中心に位置づけられるだろう。

5a 明日は君にとって 幸せでありますように
  そしてそれを僕に 分けてくれ

 「明日」は「君」にとっての「幸せでありますように」と、「僕」は祈る。そして、「それ」を「僕」に「分けてくれ」と願う。あくまで「君にとって 幸せでありますように」という祈りが先にあり、その後に「それを僕に 分けてくれ」という願いがある。「君」に向けた祈りの言葉、「僕」へと帰ってくる願いの言葉は、「君」と「僕」の二人を包み込むより大きな存在、他なる存在に届けられようとしているのかもしれない。

 [6b-7c]では、「僕」は「眠りの森」へと「迷い込みそう」になる。3bでは「眠りの森へと 迷い込むまで」とあり、まだ眠りに入る前の時間を描いている。それに対して、6bの「眠りの森へと 迷い込みそう」ではもうすぐにでも「僕」は眠りに入っていく。また、4cの「口笛を吹くよ」に対して、7cでは「口笛吹く」というように、「を」「よ」という助詞が消えている。「口笛を吹くよ」では、「を」という格助詞によって、「僕」の動作「吹く」とその対象「口笛」との関係が明示されている。「よ」という終助詞にも「僕」の意志や判断が添えられている。それに比べて、7c「口笛吹く」では「を」や「よ」という助詞が失われ、「僕」の意識の水位が落ちてくる。作者は、「迷い込むまで」から「迷い込みそう」へ、「口笛を吹くよ」から「口笛吹く」へと表現を微妙に変化させて、「僕」が眠りへ入り込むまでの時間の推移や意識の変化を描いた。

 セレナーデに誘われるようにしておそらく、「僕」は眠りについたのではないだろうか。「僕」は夢の中でもそのまま「セレナーデ」を聞いている。木の葉の音、風の音は夢の中の音へと変わっていく。この曲は冒頭から、虫の音、小川のせせらぎ、自然の音がずっと鳴り続けている。自然の奏でる音と楽曲の音とが混然一体となっていく。
 言葉では語られていない部分を想像で補う。「僕」の夢の中で「僕」は「君」に会いに行く。「僕」と「君」との束の間の逢瀬がどのようなものかは分からない。すべては夢の中の出来事。起きたことも、起こりつつあることも、これから起きることも、夢から覚めた後に消えてしまう。夜明けが近づく。「僕」の夢が閉じられる。「セレナーデ」も終わりを迎える。夢からの覚醒の直前であろうか、「僕」は「君」に最後の言葉を告げようとする。

8c そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ
  消えても 元通りになるだけなんだよ

 「お別れのセレナーデ」が響く。「僕」はどこに行くのか。夢の中の出来事であれば「消えても 元通りになる」。「僕」は「君」にそう言い聞かせる。夢の中の世界は消えても、元の世界はそのまま在り続ける。この言葉もまた、虫の音や小川のせせらぎの重なる自然の音の群れに溶け込んでいく。『セレナーデ』の音が次第に消えていくのだが、「消えても 元通りになるだけなんだよ」という一節は聴き手の心の中のどこかにこだまし続ける。

 志村正彦は短い生涯の中で、消えていくもの、無くなるもの、不在となるものを繰り返し歌ってきた。それと同時に、現れ出でるもの、在り続けるものについての祈りのようなものも歌ってきた。
 彼は『FAB BOOK』という書物の中で歌詞について非常に印象深いことを述べている。

 歌詞は自分を映す鏡でもあると思うし、予言書みたいなものでもあると思うし、謎なんですよ

 「予言書みたいなもの」という言葉は、すでに彼の生涯を知っている現在という時点では、深い悲しみとある種の驚きをもたらす。しかし、彼の死という事実から彼の詩の言葉をすべて意味づけるような行為については慎まなければならない。だがそれでも彼の作品から、彼の生涯とまではいかないまでも、その軌跡の断片のようなものがあらかじめ歌われている、そのような想いが浮かぶことが私にはある。