11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)

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2023年6月25日日曜日

〈間違いだらけの正義〉と〈正しく消える〉-マカロニえんぴつ

 マカロニえんぴつの存在を知ったのは四年前のことだった。「山梨学」という授業で、志村正彦・フジファブリックを取り上げた時に、学生が書いた振り返り文のなかで「山梨県出身のボーカルがいるマカロニえんぴつも聴いてみてください」とあった。youtubeにあった音源からは、サウンドの完成度と歌詞の独自性がうかがわれた。いつかこのブログでも書きたいと思っていたのだがなかなかその機会がなかった。

 この四月、山梨学院高校が優勝した春の選抜高校野球大会のMBS毎日放送の公式テーマソングが「マカロニえんぴつ」の新曲「PRAY.」であることを知った。この歌に触発されて、ここ数回書き続けてきた。NHKの「おかえり音楽室 マカロニえんぴつ はっとり」での発言や母校での演奏も参考になった。


 「PRAY.」の歌詞にはこうある。

 トンボは夜を越えて 飛べないキミのためと
 哀しく唄う
 優しく回る
 正しく消える


 〈トンボ〉は〈僕〉と〈祈り〉と〈君〉のために飛翔し、〈哀しく唄う〉〈優しく回る〉と旋回して、最後は〈正しく消える〉。この〈正しく消える〉がずっと気になっていた。

 そのうちに「青春と一瞬」に次の一節があることに気づいた。

 青春と一瞬はセットなんだぜ
 間違いだらけの正義なんだぜ
 風と友に贈る歌だぜ


 はっとりはここで、〈青春〉を〈間違いだらけの正義〉と捉えている。「青春と一瞬」は、「二十歳過ぎてから作って、当時を思い浮かべながら、高校生とかの時の自分を書いた曲」だとされている。たとえ間違いだらけであったとしても、いや、間違いだらけであるかもしれないからこそ、〈青春〉は〈一瞬〉の輝きを放つ。そのようなメッセージを受けとることができる。

 「PRAY.」は、三十歳近くになった作者はっとりが高校生の頃の自分を振り返った歌だろう。この歌の〈正しく〉は、「青春と一瞬」の〈正義〉につながる言葉だと捉えてみたい。

 〈青春〉の〈間違いだらけの正義〉は、時を経て、〈哀しく唄う〉〈優しく回る〉〈正しく消える〉という軌跡を描いた、あるいは描いている、もしくは描こうとしている、ことになるだろうか。

 〈間違いだらけの正義〉が〈正しく消える〉のが青年の軌跡だとしたら、それはいくぶんか苦いものでもある。ただし、正義が消えたあとに、ふたたび、もう一つの正義が飛翔すると考えてみてはどうだろうか。


 はっとりにとって〈正義〉や〈正しく〉というのが大切な言葉であることは間違いない。この想いはどのようなものか。まだ充分にマカロニえんぴつの作品を聴きこんでいないので、これ以上論じることはできないが、いつかその機会を設けたい。


2023年6月18日日曜日

「青春と一瞬」マカロニえんぴつ

 NHK番組「おかえり音楽室 マカロニえんぴつ はっとり」では、「青春と一瞬」が駿台甲府高校の音楽室で演奏された。はっとりは歌う前に次のように語っていた。


二十歳過ぎてから作って、当時を思い浮かべながら、高校生とかの時の自分を書いた曲ですけど、不思議といつ歌っても今の自分にささる。あの時の情熱をもしかしたら今でも追いかけているのかもしれない、変な話だけど、あの頃の自分にもう一度追いつきたいなっていう思いはあります。

 

 「青春と一瞬」(作詞作曲:はっとり)は2019年3月配信限定シングルとしてリリースされた。ミュージックビデオもYouTubeで公開されたが、オール山梨ロケの映像である。舞鶴城から見た甲府駅北側の街並、中心街の銀座通り、中央線の車窓からの風景、甲府市内を流れる荒川とその橋。見慣れた光景が次々と映し出される。その映像と歌詞を紹介したい。




書いて 消して 悩んで出した定理は
居眠りの午後三時半に見失った
全部ぜんぶ 学んでド忘れしたい
無限の宇宙を自転車で駆け抜ける

語り合ったりたまに泣いたりできるくらいの
すばらしい日々をくれ

つまらない、くだらない退屈だけを愛し抜け
手放すなよ若者、我が物顔で
いつでも僕らに時間が少し足りないのは
青春と一瞬がセットだから

覚えておいて、未来は転がるもの
この場所にずっと前からあるもの
全部ぜんぶ 眩しいね
友よ 声よ 昨日よ 僕自身よ

つまらない、埋まらない退屈だけを愛し抜け
夢が増えればハラが減る、若者であれ
いつでも僕らに時間は少し足りないのだ
青春と一瞬はセットなんだぜ

染まりたいね
使い切っていたい 黄金の色に咲く春
よだれまみれ 出来心の恋も剥き出しで

誰にも僕らのすばらしい日々は奪えない

つまらない、くだらない退屈だけを愛し抜け
手放すなよ若者、我が者顔で
ずっと埋まらないくらいでいい
時間は少し足りないのがいい

青春と一瞬はセットなんだぜ
間違いだらけの正義なんだぜ
風と友に贈る歌だぜ


〈書いて 消して 悩んで出した定理は〉の〈…て〉〈…て〉〈…で〉〈…た〉〈ていり〉という〈て〉音中心の反復。〈手放すなよ若者、我が物顔で〉の〈わかもの〉〈わがもの〉の類似音の反復。〈青春と一瞬はセットなんだぜ〉の〈…しゅん〉〈…しゅん〉の反復。そして〈セット〉は、〈せいしゅんといっしゅん〉の音から〈せ〉〈っ〉〈と〉の音が縮合されたものだろう。このような音の遊びを縦糸にして、〈つまらない、くだらない退屈だけを愛し抜け〉というメッセージが横糸として織り込まれる。

 この歌は「マクドナルド"500円バリューセット"CMソング」として作られた依頼曲である。依頼された曲でも独自の歌詞の世界を作るところは、はっとりの職人芸だ。器用でおそらく生真面目な人なのだろう。


 はっとりは、〈僕が高校生に戻って歌詞を書くというより、25,6という年になって高校時代を俯瞰で見たらどうなるだろう?という、ちょっと達観したような感じで書けた〉とあるインタビューで述べている。

 確かに、〈青春と一瞬はセットなんだぜ〉という言葉は、青春の只中ではなく、ある程度過ぎ去った時間の後で、俯瞰したメタ視点によって見出される時間の認識だ。「おかえり音楽室」での発言によれば、この認識はまだ現在進行形のようだが、ある種の苦さや儚さも込められている。はっとりにとって、〈青春〉は多様な視点と時間から反復される主題なのだろう。


2023年6月4日日曜日

[おかえり音楽室] マカロニえんぴつ はっとり

 もう一月半ほど前だが、4月21日、NHK甲府の「金曜やまなし」で「おかえり音楽室 マカロニえんぴつ はっとり」が放送された。すでに、3月18日に全国放送でオンエアされたそうだが、それは見逃してしまったので、地元局で見ることができたのは幸運だった。

  この番組は、レギュラー番組化を目指す「レギュラー番組への道」の枠で制作された。人気アーティストが過去の自分を振り返りながら凱旋ライブをする音楽ドキュメンタリーである。

 はっとりは、甲府市にある母校の駿台甲府高校を訪れた。同級生や恩師で出会うサプライズがあり、音楽室で「青春と一瞬」「あこがれ」の二曲を歌った。


〈[おかえり音楽室] マカロニえんぴつ はっとり「あこがれ」| レギュラー番組への道〉という映像がyoutubeにある。甲府のライブハウス KAZOO HALL訪問時のものなど、放送版にはない映像がある。   


  関連記事として〈マカロニえんぴつ・はっとり インタビュー!「高校時代の自分が、すぐとなりで歌っているようだった」〉がNHKのwebに掲載されている。印象に残る発言を引用したい。


 ──サプライズを経て音楽室でのライブを行った感想は?
すごく新鮮な気持ちで演奏できました。音楽室に差し込む西日がとてもきれいで、その中で歌っていると当時のことをいろいろと思い出しましたね。最後にこの場所で歌いたい2曲を演奏したのですが、今までにない気持ちでした。まるで、当時の自分がすぐとなりで一緒に歌っているような感覚でした。地元って大事なんだな、あのころの魂はちゃんとここにあるんだなと実感しました。
常に「初心忘れるべからず」と自分に言い聞かせていますが、とはいえ、仕事をこなしてしまっているなと気づくことがたまにあるんです。今日、余計なことを考えずまっすぐに音楽をやっていた学生時代を思い出して、あのころの情熱が引き戻されたように感じました。当時の自分に鼓舞されたように思います。


  〈まっすぐに音楽をやっていた学生時代を思い出して、あのころの情熱が引き戻された〉ように感じ、〈当時の自分に鼓舞された〉ように思うというのは、とても幸せな経験である。

 はっとりの歌詞にはかなり深い屈折があるのだが、その反面、このインタビューでの発言のように素直で真っ直ぐなところもあることが、マカロニえんぴつの音楽をこの時代にふさわしい魅力あるものとしているのだろう。


2023年4月30日日曜日

「PRAY.」の〈きみ〉と〈キミ〉

  マカロニえんぴつ「PRAY.」は複雑な作品であり、前回は主にモチーフの構造をたどった。歌詞全体が、〈ステップイン〉〈ステップオン〉〈スキップ〉、〈哀しく唄う〉〈優しく回る〉〈正しく消える〉というように三つの要素による変化によって構造化され、そのことによって、メッセージが直接的ではなく、間接的にそして断続的に浮かび上がり、歌詞の余白がめぐりはじめる。 

 「PRAY.」は、歌の送り手と受け手、歌い手と聴き手の関係も複雑である。具体的には、歌詞の中の主体とその相手、人称の関係に特徴がある。今回はそのことを書いてみたい。まず、人称代名詞が記された五つの箇所を引用する。


 ボクら引きずってるのはきっと青春の後味だ

 きみなら まだ間に合うよ

 トンボは夜を越えて 飛べないボクのためと哀しく唄う

 ボクらが担っているのはきっと青春のあとがきサ

 トンボは夜を越えて 飛べないキミのためと
 哀しく唄う
 優しく回る
 正しく消える

  

 ひとつの歌の中に、人称代名詞が一人称複数〈ボクら〉、二人称単数〈きみ〉、一人称単数〈ボク〉、二人称単数〈キミ〉の四種類がある。特に、二人称単数が平仮名の〈きみ〉と片仮名の〈キミ〉の二つに書き分けられていることに注意したい。片仮名系と平仮名系の二つの系列がある。〈ボクら〉は片仮名の〈ボク〉と平仮名の〈ら〉が連結されているので、片仮名と平仮名の複合でもある。ただし、この〈ら〉は複数形を示す通常の表現として捉えてよいだろう。

 片仮名の系列をふまえれば、片仮名の〈キミ〉と結びつくのは、同じ片仮名表記の〈ボク〉である。歌の意味の流れからは、〈キミ〉は二人称の相手を指すというよりも、歌の主体が自分自身を二人称として対象化して、〈キミ〉に変換して呼びかけていると考えられる。そうなると、歌の文脈の中では〈ボクら〉は〈ボク〉と〈キミ〉から構成されているのだろう。その〈ボクら〉は〈青春〉の〈後味〉を引きずり、〈あとがき〉を担い、〈飛べないボク〉〈飛べないキミ〉とあるとおり、〈ボクら〉は飛ぶことができない。その代わりに、〈ボクら〉のために〈トンボ〉が飛んでいく。

 

 それでは、あえて平仮名で記された〈きみ〉はどのような存在なのだろうか。〈ボクら〉〈ボク〉〈キミ〉の片仮名表記の人称代名詞群とは異なる意味を帯びていることは間違いない。歌い方からしても、この〈きみ〉は歌の受け手や聴き手に直接呼びかけている感じがする。歌詞の展開上も、(プレイボール)という試合開始の合図に続くフレーズだ。

 〈きみ〉は歌詞の内部ではなく、歌詞の外部に開かれている。「PRAY.」のモチーフである高校球児や若者たち、もっと広くいえば聴き手一般を指していると考えるのはどうだろうか。歌詞の中の〈キミ〉は〈ボク〉の内部にある僕自身だが、〈きみ〉は僕の外部にある他者である。平仮名と片仮名に書き分けられた二人称にはそのような差異を作り出している。

 「PRAY.」は選抜高校野球大会のテーマソングであり、〈きみ〉への応援ソングである。しかし作者はっとりは、ナタリーの「憧れる側から憧れられる側へ、生き様を刻んだ新作EP」というインタビュー(取材・文:柴那典)で、〈いろいろ経験を重ねてたくさんのものを身に付けたようでいて、実はいろんなものを途中で落としていってるような気もする〉〈自分に向けて歌ってるような気もします〉と語っている。

 はっとり・マカロニえんぴつは、他にもアニメやドラマの優れたテーマソングを作っている。依頼曲が自然に自分自身の曲にもなるところが、はっとりの資質であり才能であるのだろう。「PRAY.」であれば、〈きみ〉のための歌が〈キミ〉のための歌になり、〈ボク〉の歌になる。そしてさらに〈ボクら〉の歌にもなるのだ。


2023年4月9日日曜日

マカロニえんぴつ「PRAY.」

 春の選抜高校野球大会で山梨学院高校が優勝した。春夏を通じて山梨県勢が初めて優勝した。山梨学院の野球部には地元の生徒が少ないのだが、甲府にあるこの高校の健闘と殊勲は素直に喜びたい。

 この第95回大会のMBS毎日放送の公式テーマソングが「マカロニえんぴつ」の新曲「PRAY.」であることを知った。このバンドのボーカル・ギター、ほとんどの歌を作詞作曲している「はっとり」は鹿児島県の生まれだが、保育園から高校まで山梨県中央市で過ごしたので、自らが山梨県出身としている。宮沢和史(ザ・ブーム)、藤巻亮太(レミオロメン)、志村正彦(フジファブリック)に続く、山梨の優れた「ロックの詩人」だと言ってよいだろう。


 この「PRAY.」のMV(youtube)と歌詞を紹介したい。

 



 マカロニえんぴつ PRAY.
 (作詞・作曲:はっとり)

やがて春のトンボは毛羽立つ未来へ。
ボクら引きずってるのはきっと青春の後味だ
スリップ・イン・ザ 少年
忘れちゃいないか?価値は勝ちだけじゃないぜ
振れ!振れ!フレ!

(プレイボール)

きみなら まだ間に合うよ

届かなかった夢の、先を走る。走る
いま!会いに来てよヒーロー
トンボは夜を越えて 飛べないボクのためと哀しく唄う

山手からの望みは武庫川、夕暮れ。
ボクらが担っているのはきっと青春のあとがきサ
ステップ・オン・ザ・サーティ 諦めないで!
「いつからか負けることに慣れてしまいました」

今なら まだ間に合うぜ?

敵わなかった夢の、先を走れ。走れ
いま!そばに居てよヒーロー
祈りは空を越えて 白い光の中で優しく回る

スキップ・とん挫 正義
忘れちゃいないか?ただ立って待ってないか?

届かなかった夢の終わりを観に行こうぜ
いま会いに来ちゃ遅ぇよ
トンボは夜を越えて 飛べないキミのためと
哀しく唄う
優しく回る
正しく消える


 〈春のトンボ〉が歌のモチーフであり、景物ともなっている。〈春〉はもちろん初の選抜野球大会から選択された季節だろう。〈トンボ〉は昆虫の蜻蛉。〈蜻蛉〉という字から〈蜻蛉カゲロウ〉が想起され、この〈カゲロウ〉から〈陽炎〉も連想される。命が短く儚いもの、という意味合いを帯びてくる。もう一つは、野球グランドの整備道具の〈トンボ〉。こちらの方は裏方仕事の労力、そのけなげさのようなものが伝わってくる。

 最初のフレーズに〈やがて〉〈未来へ〉とあるように、すべては〈未来〉から遡行する視点で歌われている。歌の主体、一称複数代名詞の〈ボクら〉が〈引きずってるのはきっと青春の後味だ〉とされる。未来へ飛翔した〈トンボ〉に引きずられるように、〈ボクら〉は青春の〈後味〉を噛みしめる。あくまでも〈後味〉であることに留意しよう。すべてはすでに過ぎ去っているのだ。この時間の間隔が、作者はっとりの持ち味だろう。

 冒頭の二行で歌の枠組が示される。はっとりは、この枠組の中で言葉を巧みにめぐらせる。

 〈スリップ・イン・ザ 少年〉〈ステップ・オン・ザ・サーティ〉〈スキップ・とん挫〉と、〈ステップイン〉〈ステップオン〉〈スキップ〉という三つの段階を定めて、少年時代、三十代、〈とん挫〉の時代という時が流れる。その時代ごとに〈忘れちゃいないか?価値は勝ちだけじゃないぜ〉〈諦めないで!〉〈正義〉という直接的なメッセージが歌われる。そしてその後に、〈振れ!振れ!フレ!〉という声援と〈(プレイボール)〉の宣言、〈「いつからか負けることに慣れてしまいました」〉という内言、〈忘れちゃいないか?ただ立って待ってないか?〉という問いかけがコーラスのように続く。このメッセージ群は、最終的に〈きみなら まだ間に合うよ〉〈今なら まだ間に合うぜ?〉に収束していく。

 〈間に合う〉というのは何よりも時間との闘いである。高校野球も闘いではあるが、そのモチーフを自分と時間との闘いに昇華している。そして、〈届かなかった夢の、先を走る。走る/いま!会いに来てよヒーロー〉〈敵わなかった夢の、先を走れ。走れ/いま!そばに居てよヒーロー〉というように、自らの〈夢〉の〈先〉が〈ヒーロー〉に仮託される。

 〈山手からの望みは武庫川、夕暮れ〉という風景描写がある。〈武庫川〉は甲子園球場の近くを流れている。〈ボクら〉が担うのは〈青春のあとがき〉。あくまでも〈あとがき〉、本文を終えた後書だ。

 〈トンボは夜を越えて 飛べないボクのためと哀しく唄う〉〈祈りは空を越えて 白い光の中で優しく回る〉〈トンボは夜を越えて 飛べないキミのためと〉というように、〈トンボ〉は〈僕〉と〈祈り〉と〈君〉のために飛翔する。〈哀しく唄う〉〈優しく回る〉と唄って旋回するのだが、最後は〈正しく消える〉。この〈正しく消える〉にはこの時代に対する無意識のメッセージがあるような気がする。〈正義〉に関わるなにものかに対する作者の想いがある。〈正義〉が、哀しく唄い、優しく回り、正しく消える、ということだろうか。その意味は聴き手に委ねられている。


 歌詞全体が、〈ステップイン〉〈ステップオン〉〈スキップ〉、〈哀しく唄う〉〈優しく回る〉〈正しく消える〉というように三つの要素による変化によって構造化されている。そのことによって、メッセージが直接的ではなく、ある旋回する流れの中で間接的に、そして断続的に浮かび上がる。歌詞の余白がめぐりはじめる。はっとりには洗練された巧みな表現の技術があるが、その技術を聴き手にあまり意識させることなく、数分間のロックに落とし込んでいる。マカロニえんぴつの音楽が現在の若者に支持される所以だろう。

 「PRAY.」というように「PRAY」祈りに「.」ピリオド、終止符が打たれている。この終止符がまた、哀しく唄い、優しく回り、正しく消えるように聞こえてくる。