『星降る夜になったら』の冒頭、「真夏の午後」の「うたれた通り雨」から「柔らかな日がさして」「雷鳴は遠くへ 何かが変わって」という展開は、例えば、『陽炎』の「やんでた雨に気付いて 慌てて家を飛び出して」、『虹』の「週末 雨上がって 虹が空で曲がってる こんな日にはちょっと 遠くまで行きたくなる」を思い出させる。
志村正彦は、雨が上がり、風景が変わっていく出来事を繰り返し作品にした。そして、『陽炎』の「家を飛び出して」、『虹』の「遠くまで行きたくなる」ように、『星降る夜になったら』でも、雨上がりの空が「星降る夜」に移り変わると、「街を出る」と歌う。
星降る夜になったら
バスに飛び乗って迎えにいくとするよ
いくつもの空くぐって
振り向かずに街を出るよ
「バスに飛び乗って迎えにいくとするよ」の「とするよ」は微妙な言葉使いだ。「星降る夜になったら」とあり、「夜」の到来を仮定しているからには、歌の主体「僕」はまだ「真夏の午後」にいる。「迎えにいく」ことも「街を出る」ことも、「僕」の願望のままに止まっている。しかし、後半になると次のように歌われている。
星降る夜を見ている
覚めた夢の続きに期待をしてる
輝く夜空の下で
言葉の先を待っている
夜が訪れた。歌の主体「僕」が「星降る夜を見ている」場面だ。この時、「星降る夜」を、一人で見ているのだろうか、それとも「迎えにいく」とされた誰かと共に見ているのだろうか。一人か二人かで、この歌の世界は変容する。
根拠はないのだが、この場面にいるのは「僕」ただ一人のような気がする。そうであるのなら、「覚めた夢の続き」への期待は期待のままであり、「言葉の先を待っている」は、「言葉の先」が何かは分からないままただ待ち続けていることになる。「僕」は「星降る夜」と孤独に対話している。
黙って見ている落ちてく スーベニア
フィルムのような 景色がめくれた
そして気づいたんだ 僕は駆け出したんだ
続く場面で、世界が転調する。「スーベニア」、思い出の記念品が落ちていく。スローモーションのような動きを「僕」は黙って見ている。すると、記憶の「フィルム」にある「景色」が動画のようにめくれていく。そして「僕」は何かに気づき「駆け出した」。
「スーベニア」は何かを想起させるもの。原語「souvenir」 はもとはフランス語で、意識の上に何かが到来する、という意味だ。その原義からすると、きわめて志村正彦的な物でありモチーフであろう。特別な記念品や記念写真でなくても、なにげない景色、花、雨、空、雲、月。風景がめくれるように動き始めると、「僕」も何かに気づいて、たまらなくなって、動き出す。
今日、久しぶりに、『Live at 富士五湖文化センター』DVDを取り出した。収録された『星降る夜になったら』の演奏を見たかったのだ。インナースリーブをあらためて読むと、開催日2008年5月31日が「雨のち曇り」という記述があった。わざわざ天候を記した配慮に微笑んだ。
志村の「最後の方に向けて駆け抜けたいと思います」というMCと共に『星降る夜になったら』が始まる。 メンバーの金澤ダイスケ、加藤慎一、山内 総一郎、サポートの城戸紘志。皆、全力で志村を支え、富士吉田という場を愛しみ、とても充実した様子で楽しそうに楽器を奏でている。
80年代のポップなプログレッシブロックのような明るい曲調は金澤ダイスケによるものだろう。軽快なドライブ感もあり、ファンの間で人気が高いのも頷ける。
金澤、加藤、山内の三人のコーラスによる「星降る夜になったら」という問いかけに応えるように志村が歌う。志村パートと三人のパートとの対話のように聞こえるのが素晴らしいアレンジとなっている。『星降る夜になったら』が終わるとそのまま『銀河』のイントロが始まる。夏の夜から冬の夜へのバトンタッチだっだ。
36度に昇る猛暑の日、弱い冷房をかけて窓を閉め切った部屋で、『Live at 富士五湖文化センター』DVDを音量を上げて再生した。はじめは『星降る夜になったら』だけのつもりだったが、結局、全てを通しで見てしまった。音と映像に引きこまれた。『線香花火』『若者のすべて』『星降る夜になったら』『Sufer King』『陽炎』と、夏にゆかりある作品が多い。激しいロックの音が響く。志村正彦は、喉の調子がよくないようで時折苦しげだが、懸命に歌いきっていた。
このDVDパッケージそのものが「スーベニア」になりつつある。
2008年のフジファブリックは、志村の言葉の深さ、楽曲の多様性、メンバーの卓越した演奏によって、日本語ロックの歴史の中でも最高のロックバンドだったと言える。だが、そのLIVEは永遠に失われてしまった。
11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)
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2016年8月7日日曜日
2016年8月1日月曜日
「雷鳴は遠くへ 何かが変わって」-『星降る夜になったら』1[志村正彦LN134]
今日、八月一日が「水の日」だということを初めて知った。この時期、水の使用量が多く、水について関心が高まるので記念日とされたそうだ。
昼過ぎから空の雲行きが変わり、ものすごい雨が降ってきた。雷鳴が響く。風も吹き荒れている。水の日に、大量の雨水が甲府盆地に注がれたことになる。
雨と雷鳴。「夏」が濃厚に迫る。はげしい雨のリズム。空気を切り裂く雷の響き。しばらくの間ぼんやりとしていた。そうこうするうちに、フジファブリック『星降る夜になったら』のイントロが頭の中で再生されはじめた。金澤ダイスケと志村正彦の作る軽快なリズムとメロディに乗って、志村の声が動き出す。
真夏の午後になって うたれた通り雨
どうでもよくなって どうでもよくなって
ホントか嘘かなんて ずぶぬれになってしまえば
たいしたことじゃないと 照れ笑いをしたんだ
「どうでもよくなって どうでもよくなって」が、どうにも、よい。
志村正彦は具体的な出来事を、いつも通り語らない。どういうことがどうでもいいのかはわからない。「ずぶぬれ」と「照れ笑い」の情景が互いを照らしあう。どうでもよくなる瞬間が訪れる。誰にでもそんな「真夏の午後」の記憶がある。そんな気がする。そんな出来事がこれからも起きる。
西から東へと 雲がドライブして
柔らかな日がさして 何もかも乾かして
昨日の夢がなんか 続いているみたいだ
その先がみたくなって ストーリーを描くんだ
雷鳴は遠くへ 何かが変わって
雨上がりの空。雲と日差し。世界が洗われる。そして乾いていく。いつのまにか、雷鳴も遠くへと過ぎ去った。
志村正彦は「夢」のモチーフを繰り返し歌に表現した。「昨日の夢」が続いているみたいと、この歌の主体は想う。この言葉は、『若者のすべて』の「途切れた夢の続きをとり戻したくなって」とも呼応する。ただしこの歌では、夢の「先」の「ストーリーを描く」と、前向きに言葉が繰り出される。「とり戻したくなって」と「その先がみたくなって」とでは、動きのベクトルの方向が異なる。『星降る夜になったら』は、先へ先へと、夢の歩みを加速させる。
真夏の午後の偶景。 「雷鳴」はアンセムのように轟く。アンセムが遠ざかり、静寂に包まれると、確かに、何かが変わる。何が変わるのかというつまらない解釈はやめよう。解釈できない言葉、声と音の連なりがいつまでも残響する。それでも一つだけ言えるのは、歌の主体にとって、「夢」に関わる何かかもしれないということだ。
昼過ぎから空の雲行きが変わり、ものすごい雨が降ってきた。雷鳴が響く。風も吹き荒れている。水の日に、大量の雨水が甲府盆地に注がれたことになる。
雨と雷鳴。「夏」が濃厚に迫る。はげしい雨のリズム。空気を切り裂く雷の響き。しばらくの間ぼんやりとしていた。そうこうするうちに、フジファブリック『星降る夜になったら』のイントロが頭の中で再生されはじめた。金澤ダイスケと志村正彦の作る軽快なリズムとメロディに乗って、志村の声が動き出す。
真夏の午後になって うたれた通り雨
どうでもよくなって どうでもよくなって
ホントか嘘かなんて ずぶぬれになってしまえば
たいしたことじゃないと 照れ笑いをしたんだ
「どうでもよくなって どうでもよくなって」が、どうにも、よい。
志村正彦は具体的な出来事を、いつも通り語らない。どういうことがどうでもいいのかはわからない。「ずぶぬれ」と「照れ笑い」の情景が互いを照らしあう。どうでもよくなる瞬間が訪れる。誰にでもそんな「真夏の午後」の記憶がある。そんな気がする。そんな出来事がこれからも起きる。
西から東へと 雲がドライブして
柔らかな日がさして 何もかも乾かして
昨日の夢がなんか 続いているみたいだ
その先がみたくなって ストーリーを描くんだ
雷鳴は遠くへ 何かが変わって
雨上がりの空。雲と日差し。世界が洗われる。そして乾いていく。いつのまにか、雷鳴も遠くへと過ぎ去った。
志村正彦は「夢」のモチーフを繰り返し歌に表現した。「昨日の夢」が続いているみたいと、この歌の主体は想う。この言葉は、『若者のすべて』の「途切れた夢の続きをとり戻したくなって」とも呼応する。ただしこの歌では、夢の「先」の「ストーリーを描く」と、前向きに言葉が繰り出される。「とり戻したくなって」と「その先がみたくなって」とでは、動きのベクトルの方向が異なる。『星降る夜になったら』は、先へ先へと、夢の歩みを加速させる。
真夏の午後の偶景。 「雷鳴」はアンセムのように轟く。アンセムが遠ざかり、静寂に包まれると、確かに、何かが変わる。何が変わるのかというつまらない解釈はやめよう。解釈できない言葉、声と音の連なりがいつまでも残響する。それでも一つだけ言えるのは、歌の主体にとって、「夢」に関わる何かかもしれないということだ。
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