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2023年12月31日日曜日

百年後の時代[志村正彦LN341]

 12月24日、朝日新聞デジタルに「今も故郷に流れるフジファブリック 志村君が残した音楽は生き続ける」(菅沼遼)という記事が掲載された。「うたと私のStory」という連載の第1回である。

 この記事は、2008年5月の富士吉田「凱旋ライブ」から始まり、2011年12月の同級生による「志村正彦展 路地裏の僕たち」、誕生日7月10日前後の「若者のすべて」と12月24日の命日前後の「茜色の夕日」と流れる防災無線のチャイム、地元FMラジオ局の番組、富士急行下吉田駅の電車接近音楽となったことなど、この十数年の地元での様々な活動やその浸透や拡大を伝えている。記事はこう結ばれる。

志村さんが亡くなってからの14年間に、富士山は世界文化遺産に登録され、街は海外からの観光客であふれるようになった。街が少しずつ変わっても、志村さんの曲は変わらず、富士吉田の日常に溶け込み、生き続けている。

 ここ数年、ハタオリマチフェスティバルに出かけてこの街を歩いているが、確かに、少しずつ街が新しくなっているような気がする。


 今日は2023年最後の日ということもあり、芥川龍之介の「後世」(1919)というほぼ百年前に書かれたエッセイを紹介したい。芥川は百年後の時代を想像して次のように述べている。

時々私は廿年の後、或は五十年の後、或は更に百年の後、私の存在さへ知らない時代が来ると云ふ事を想像する。その時私の作品集は、堆い埃に埋もれて、神田あたりの古本屋の棚の隅に、空しく読者を待つてゐる事であらう。いや、事によつたらどこかの図書館に、たつた一冊残つた儘、無残な紙魚の餌となつて、文字さへ読めないやうに破れ果てゝゐるかも知れない。

 しかし、芥川はこう思う。

しかし誰かゞ偶然私の作品集を見つけ出して、その中の短い一篇を、或は其一篇の中の何行かを読むと云ふ事がないであらうか。更に虫の好い望みを云へば、その一篇なり何行かなりが、私の知らない未来の読者に、多少にもせよ美しい夢を見せるといふ事がないであらうか。私は知己を百代の後に待たうとしてゐるものではない。だから私はかう云ふ私の想像が、如何に私の信ずる所と矛盾してゐるかも承知してゐる。けれども私は猶想像する。落莫たる百代の後に当つて、私の作品集を手にすべき一人の読者のある事を。さうしてその読者の心の前へ、朧げなりとも浮び上る私の蜃気楼のある事を。


 誰かが〈偶然〉作品を見つけ出して〈短い一篇〉その中の〈何行か〉を読み、多少にせよ〈美しい夢〉を見ること。そして、読者の心に朧気であっても〈私の蜃気楼〉が浮かび上がること。 作品との偶然の遭遇による〈美しい夢〉と〈蜃気楼〉の発見。

 蜃気楼は、空気の温度差によって光が屈折し、遠方の風景が逆さまになったり伸びたりする虚像を指す。芥川はこの文章を書いた六年後に書いた短編小説「蜃気楼」を発表する。最後の場面では、芥川夫妻を思わせる〈僕等〉が鵠沼海岸を歩いて家に帰っていく。作品は〈そのうちに僕等は門の前へ――半開きになった門の前へ来ていた〉という文で終わる。〈半開きになった門〉とは、心の門が半ば開き、半ば閉じられていることを象徴する。無意識の開閉と言ってもよい。芥川の心には自らの〈蜃気楼〉が浮かんできたのかもしれない。

 最後に芥川は〈私は私の愚を笑ひながら、しかもその愚に恋々たる私自身の意気地なさを憐れまずにはゐられない〉と書いている。百年後の読者の心に浮び上る〈私の蜃気楼〉という想像を、〈愚〉、愚かな想いと捉えて自ら笑いながらも、その想いが捨てきれずにいつまでも追いもとめようとする自身の〈意気地なさ〉を憐れんでいる。〈愚〉を捨てきれるような〈意気地〉はない、心の強さはない、そのことを自ら慈しむような心情が芥川らしい。

 実際は、没後二年の昭和4年には『芥川龍之介全集』が刊行された。その後も何度も全集が発行されている。「羅生門」は高校国語の定番教材となった。批評や研究は膨大な数に上る。芥川が残した資料の大半は山梨県立文学館に収められ、その一部が常設展示されている。その他の資料も日本近代文学館、藤沢市文書館に収蔵され、芥川の田端の家の跡地には「芥川龍之介記念館」の建設が予定されている。

 芥川には自分の作品がある程度は残るという自信はあっただろうが、これほどまでの状況は想像していなかったと思われる。四年後の2027年に芥川没後百年を迎える。この百年近くを振り返ると、日本近代文学の傑出した作品として読み継がれてきたことは間違いない。

 学校教育で芥川の作品に出会うことは多いが、「羅生門」などの代表作に限られる。しかし、あまり読まれていない、ほとんど言及されることのない作品に魅力のあるものが少なくない。この「後世」で言われているように、〈誰かゞ偶然私の作品集を見つけ出して〉読むことが文学との本質的な出会いとなる。芥川の著作権は切れているので、青空文庫にもたくさん収録されている。さらに、岩波書店の『芥川龍之介全集』、筑摩文庫版の全集なども通して、作品に出あってほしい。


 このブログの中心テーマである志村正彦の場合はどうであろうか。

 彼の生が閉じられて十四年になるが、聴き手は着実に増えてきた。音源や映像を収めた『FAB BOX』などのボックスセットもⅠ・Ⅱ・Ⅲと三回リリースされた。歌詞の評価も高く、『志村正彦全詩集』もオリジナル版、新装版と版を変えて二回も刊行された。2022年から高校の音楽教科書『MOUSA1』にも掲載され、教材となった。一つだけ不満があるとすれば、音楽ジャーナリズム、日本語ロックの批評や研究のなかでいまだに正当な評価が与えられていないことだ。業界的な評価、旧来の価値観や基準などにしばられている。フジファブリックが成しとげた音楽にもっと向き合ってほしい。


 志村正彦の作品は、地元富士吉田の様々な活動、音源・映像のリリース、詩集の刊行、高校音楽の教材化などによって広まったことは確かだが、おそらく、聴き手がたまたまインターネットやラジオで耳にしてその素晴らしさを発見したことも少なくないだろう。芥川の言う〈誰かゞ偶然私の作品集を見つけ出し〉た形である。


 芥川がそうであったように、百年後の時代でも、志村正彦・フジファブリックは、21世紀初頭の日本語ロックを代表する音楽として聴かれ続けていると僕は考えている。ある程度は歴史的なアプローチになるかもしれない。それでも、未来の聴き手も自らの心に響く歌として志村に出会うだろう。

 来年2024年はメジャデビュー20周年になる。志村正彦の歌との偶然の出会いがもっともっと増えていくことを願う。


2023年12月30日土曜日

帰って来たAnalogfish&moools(2023.12.9 桜座)/「Is It Too Late?」Analogfish

 もう三週間前になるが、12月9日、甲府の桜座に出かけた。「帰って来たAnalogfish&moools 冬の信州甲府皆神山気脈巡りツアー2023 ~カラオケ天下一トーナメント決勝戦~」のライブを見るためだ。四年ぶりの桜座だった。コロナのパンデミックの間、ライブに行くことはなかった。

 記憶を整理するために、Analogfish&mooolsの桜座ツアーをネットで調べた。 

・analogfish&mooolsと行く、冬の信州 甲府 皆神山気脈巡りツアー2013~追分けて、リンゴ~
・Analogfish&mooolsと行く、水中碁石取りツアー2014 ~足でたしかめて、秋~
・Analogfish mooolsと行く、巨大丸太転がしツアー2015 甲府 ~MARUTA FES!~ 巨大丸太がやって来た。ゴロ!ゴロ!ゴロ!
・Analogfish & mooolsと捲く、芋ケンピ空中散布ツアー2016 〜空中サンプ〜、ドローンに詰めるだけ詰め込んで、、秋。
・エビ?カニ?アナログモールスの甲殻類ドラフト会議~茹でる、想い~ 2018

 前回は2018年。つまり、五年ぶりの開催となった。

 桜座には県外から来る方が多いので、帰りの時刻を配慮するためだろう、午後4時からの開始だった。久しぶりということで客の入りが気になったが、ほぼ満員となった。意外なことに、若い女性も少なくない。これは歓迎だ。


 このツアーでは毎回のテーマがあり、関連したミニイベントが行われる。今回は「カラオケ天下一トーナメント決勝戦」。ファイナリストの二人、mooolsの内野正登が少年隊「仮面舞踏会」、Analogfishの佐々木が「宙船」を歌った(この時の オールを漕ぐ謎の振り付けが「かわいい」と受けた)。観客の採点によって僅差で佐々木優勝。

 mooolsの編成は下記の通り

  • 酒井泰明   vocal 
  • 有泉充浩   bass
  • 内野正登   drums
  • カフカ      keyboard
  • コバルト   guitar 
  • 須藤俊明   guitar mandolin
  • 藤原大輔   t.sax・flute

 藤原大輔のサックスの音色がとても美しい。ジャズの響きが加わり、mooolsの音がより厚みを増した。途中で「イエローの中村純作」という紹介の声。の登場が告げられた。あのイエロー?70年代半ばのロック・バンド。当時はかなり知られた存在だった。ブルース風味のギターが奏でられる。ついに八人編成のサウンドになる。楽曲はロック、ブルース、ジャズの融合。歌詞は現代詩との融合。これが本物のフュージョン音楽だ。重厚でしかも柔軟な感触の音群に酔いしれた。


 休憩を挟んで、Analogfishの登場。演奏は四人編成だ。

  • 佐々木健太郎   vocal・bass
  • 下岡晃      vocal・guitar
  • 斉藤州一郎        drums
  • Ryo Hamamoto   guitar

  Ryo Hamamoto(浜本亮)はサポートメンバーだが、もはや第四のメンバーと言ってもよい位置づけだと思う。2017年10月からサポートギタリストとなり、ほとんどのライブに参加。アルバム『SNS』では、一曲を除いた他の全曲でギターを弾いている。以前はmooolsのメンバーでもあった。

 三人編成のAnalogfishには、エッジの効いたクールなドライブ感があった。余分なものをそぎ落としたスリーピースバンドのサウンド。それに比べて、現在の四人編成の演奏は重厚感が増し、彩りが鮮やかなドライブ感が特徴となった。桜座という場とも見事に融合して、その音の波動を堪能した。 


 この日演奏された曲から「Is It Too Late? 」(『SNS』2021収録)を紹介したい。Official Lyric Videoと京都磔磔 でのライブ映像(2022)の二つを添付し、歌詞も引用する。

  Analogfish - Is It Too Late? (Official Lyric Video)



  Analogfish - Is It Too Late? @京都 磔磔 2022/2/26




   Is It Too Late? (作詞:下岡晃 作曲:Analogfish) 

行き慣れた駅に向かう
道に複雑な影が落ちて
いつか見た有名な絵画のよう
携帯を取り出して
何度かシャッターを切ってみるけど
見返すこともないとわかってる
代わり映えのしない毎日が
僕にとって最良の日だったって
今さらおもうとは

街路樹の石垣の
ところどころが崩れ落ちて
過ぎ去った年月が溢れてる
昨日までの常識が
あっという間に剥がれ落ちて
新しく合う鍵はどこにある
代わり映えのしない毎日が
僕にとって最良の日だったって
今さらおもうとは
不思議な力に守られて
思い出だけはいつでもキレイなんて
今さらおもうとは

行き慣れた駅に向かう
道に複雑な影が落ちて
いつか見た有名な絵画のよう
改札の人波に
君の姿を探してしまうけど
ここにいるはずがないとわかってる
代わり映えのしない毎日が
僕にとって最良の日だったって
今さらおもうとは
不思議な力に守られて
思い出だけはいつでもキレイなんて
今さらおもうとは


 〈昨日までの常識が/あっという間に剥がれ落ちて/新しく合う鍵はどこにある〉、〈代わり映えのしない毎日が/僕にとって最良の日だったって/今さらおもうとは〉は、おそらく、コロナの時代の想いを歌ったフレーズだろう。

 2020年初頭から2023年の春まで続いたコロナの時代は、ただひたすら苦しい時代だった。今はもう過ぎ去ったと言ってよいだろうが、振り返ると、渦中の時に感じた苦しさもなんだか幻のような気もする。その3年あまりの時間の記憶がかなり欠落している。意識して忘れたいというよりも、無意識的に忘却しようとしてるのかもしれない。


 とにかく、2023年、Analogfishとmooolsが甲府の桜座に帰ってきた。そのことをほんとうに喜びたい。


2023年12月29日金曜日

村上春樹ライブラリー/「TOKYO MIDNIGHT」[志村正彦LN340]

 毎年、秋の始まりから年末にかけて論文を書く。大学では主に表現や地域学の教育を担当しているが、非常に狭いテーマではあるが文学の研究もしている。芥川龍之介、志賀直哉を中心とした大正期の作家の夢を表現した作品、夢テクストの分析である。夢を対象とするのでどうしても考えあぐねる。あたかも夢のなかのように、思考が行き詰まり、途切れがちになる。何かが浮かび上がることを待つ。必然的に書いている時間よりも何かを待つ時間の方が長くなる。そういうわけで今回も、完成、というよりもとりあえずの完了まで数ヶ月を要した。数日前に提出したが、この間、なかなかブログの更新ができなかった。ヴァンフォーレ甲府については速報性が必要なので何とか書いたが。今年も残り三日となる。2023年のうちに書いておきたいことをおそらく三日連続で書くことになるだろう。


 十一月上旬、僕と妻の二人はACL第4節ヴァンフォーレ甲府を応援するために国立競技場に出かけた(その試合のことはすでにここで書いた)。その夜は東京に泊まることにした。国立競技場から近いところを探したが、タイミングよく、早稲田大学に隣接したホテルを割安料金で予約できた。母校の早稲田界隈に宿泊するなんて、学生時代に友人の下宿に泊まって以来のこと。翌日、昨年開館した国際文学館(村上春樹ライブラリー)、さらに演劇博物館、少し足を伸ばせば早稲田南町の新宿区立漱石山房記念館に行くこともできる。

 当日、浙江FC(中国)との試合は4対1で終了。勝利の心地よい余韻に浸りながら、高田馬場駅駅で降りて、芳林堂書店のあるビルでホテル行のバスを待った。近くにBIGBOXのビルもある。実際はいろいろな変化はあるのだろうが、夜ということもあり、このあたりの風景は学生の頃とあまり変わっていない。僕は「センチメンタルジャーニー」の気分に包まれていった。

 バスは昔よく歩いた道を通ってホテルに到着。部屋の窓から新宿方向の高層ビルの夜景が綺麗に見える。下の方には照明で少しだけ浮かび上がる大隈庭園がある。その場の夜の感触というものは、その場を訪れることでしか味わうことができない。早稲田での夜の思い出が、もうほとんどが消え去っているのだが、少しだけ戻ってくる。友人、先生、教室、学生ラウンジ、図書館。夜遅くまで読書会で仲間と語り合ったこと。夜のキャンパスや近くの街を歩いたこと。すべてが懐かしい。


 翌朝、目を覚ますと東京は快晴だった。窓からは大隈講堂がよく見えた。しばらくすると、大隈庭園にたくさんの保育園児が遊びに来た。庭を飛び回っている。平和な光景だった。

 国際文学館(村上春樹ライブラリー)に出かけた。本部の4号館の建物が改装されて出来上がった。村上春樹からの寄贈・寄託資料、初版本を含めた書籍、関連書が3000冊以上収蔵されている。館内で本を自由に読めるスペースやカフェがある。ビデオディスプレーのコーナーでは、村上春樹と小川洋子の対談と朗読の会が上映されていた。小川洋子は「バックストローク」を読み上げていた。録音はネットで聞けるのだが、映像はここでしか見られないようだ。幸運だった。



 演劇博物館と漱石山房記念館の展示も見ることができた。村上春樹から夏目漱石へという行路は一つのメタファーになる。僕と妻の小さな旅は、個人記念館、文学館や博物館を見ることをいつも楽しみにしている。


 僕にとっては、1985年刊行の長編小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が最も印象に残る作品である。学生時代の終わりの頃だ。初期三部作はすでに読んでいたが、この作品によって新しい文学の世界が開かれたという感を強くした。この小説では「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終り」の二つの物語が交互に進行していく。「世界の終り」の方は1980年発表の中編小説「街と、その不確かな壁」が原型になっている。そして、今年2023年4月刊行の長編小説『街とその不確かな壁』は、1980年の『街と、その不確かな壁』を書き直した上で新たな部分を加えた作品である(題名は〈街と、〉〈街と〉という読点〈、〉の有無で区別される)。つまり、村上春樹は1980年の『街と、その不確かな壁』が、1985年の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』内の「世界の終り」と2023年の『街とその不確かな壁』の二つの物語へと発展していった。

 「世界の終り」の方の最初の章は次のようなシーンで終わる。

 秋の獣たちはそれぞれの場所にひっそりとしゃがみこんだまま、長い金色の毛を夕陽に輝かせている。彼らは大地に固定された彫像のように身じろぎひとつせず、首を上にあげたまま一日の最後の光がりんご林の樹海の中に没し去っていくのをじっと待っている。やがて日が落ち、夜の青い闇が彼らの体を覆うとき、獣たちは頭を垂れて、白い一本の角を地面に下ろし、そして目を閉じるのである。
 このようにして街の一日は終る。

 この〈夜の青い闇〉が「世界の終わり」全篇を包んでいる。「世界の終わり」の語り手の〈僕〉は夢読みの作業をしている。

 僕は自分の心をはっきりと見定めることのできないまま、古い夢を読みとる作業に戻った。冬は深まる一方だったし、いつまでも作業の開始をのばしのばしにしているわけにはいかなかった。それに少くとも集中して夢を読んでいるあいだは僕は僕の中の喪失感を一時的であるにせよ忘れ去ることができたのだ。
 しかしその一方で、古い夢を読めば読むほどべつのかたちの無力感が僕の中で募っていつた。その無力感の原因はどれだけ読んでも僕が古い夢の語りかけてくるメッセージを理解することができないという点にあった。僕にはそれを読むことはできる――しかしその意味を解することはできない。それは意味のとおらない文章を来る日も来る日も読みあげているのと同じことだつた。

 かなり久しぶりにこの箇所を読んでみて、この〈意味のとおらない文章を来る日も来る日も読みあげている〉という一節に深く共感した。目的は全く異なるが、文学作品の夢テクスト分析も同じような試みである。


 志村正彦には東京の深夜を歌った作品がある。フジファブリック「TOKYO MIDNIGHT」。2004年のアルバム『フジファブリック』に収録されている。その歌詞を引用したい。



  何処からともなく 夜更けの街は

  いやらし男と かしまし娘

  パジャマで パヤパヤ

  朝までお邪魔?  朝までお邪魔??


 東京のある街。深夜から夜更けへそして朝と移りゆく時間。〈いやらし男とかしまし娘〉の二人。〈イヤラシ〉〈カシマシ〉〈パジャマ〉〈パヤパヤ〉〈オジャマ〉という音の遊びが、男女の戯れのように響いてくる。

 〈お邪魔〉という言葉は通常の文脈では、〈いやらし男〉か〈かしまし娘〉のどちらかがどちらかの家を訪れることを指すのだろうが、そもそも〈邪魔〉とは仏教語であり、よこしまなもの、邪気、邪心などの魔物のことを意味する。〈お邪魔〉には〈?〉〈??〉という疑問符が付けられている。歌の主体は、東京の深夜にはよこしまな邪気、邪心が渦巻いていることを表現したかったのかもしれない。

 1970年代前半のプログレッシブロック、特にピンクフロイドを想わせる楽曲。〈パジャマでパヤパヤ〉が四回繰り返されてからは、アグレッシブな演奏が続いて、〈朝までお邪魔? 朝まで お邪魔??〉で収束する。志村の歌詞のなかでも最も字数が少ない作品であるが、言葉を限りなく少なくすることによって、むしろ、言葉と楽曲とが抗争するような効果がある。夜の世界では、言葉が沈黙し、言葉では語りえないものが出現するかのように。


  志村正彦が村上春樹について少し言及した記事を読んだことがあるが、その記事が見つからない。村上作品は1980年代以降の文学・映画・音楽の世界に広範な影響を与えた。志村にも何らかの影響を与えているかもしれない。村上が探求した世界の鍵となるのは、夜と夢である。


2023年12月12日火曜日

VF甲府 ACL決勝トーナメント進出!

 今夜、ヴァンフォーレ甲府VSブリーラム(タイ)との試合が行われた。タイでのアウェイゲーム、午後6時30分キックオフだった。僕はDAZNでの観戦と応援だったが、心はタイに飛んでいった。

 前半は長谷川元希の美しいシュートとピーター・ウタカの技ありの2点で3-0。後半は、判断ミスとPKで2失点というリーグ戦でよく見られた悪い流れで最後までヒヤヒヤしたが、なんとか3-2で勝利した。同時刻開催のメルボルン・シティー(オーストラリア)vs浙江FC(中国)は1-1の引き分けだったので、H組首位となり、ACL(アジア・チャンピオンズリーグ)の決勝トーナメント進出を決めた。J2チームとしてJリーグ史上初の快挙だ。

 終了後、クラブ公式Xで「グループステージ突破!!!!『2月にまた国立で』甲府のACLは終わらない」というコメントが発表された。添付された画像が秀逸。(それにしても仕事が早いです。勝利を確信していたのでしょう)

 「We did it!」。確かに甲府は成し遂げたのだ。




 クラブ公式Xには、現地での画像もあった。この画像から分かるように、数百人のサポーターがタイに駆けつけた。サポーター、選手、スタッフ、みんな微笑んでいる。みんな素晴らしい。(二列目のいちばん右に篠田善之監督、いちばん左に佐久間悟社長。本当にご苦労様でした。VF甲府はまさに新しいステージに進むことができます。)



 すでにDAZNのyoutube チャンネルに、〈【ブリーラム×ヴァンフォーレ甲府|ハイライト】甲府が首位でグループステージ通過!|AFCチャンピオンズリーグ グループH第6節〉がアップされている。





 決勝トーナメント(ラウンド16)は第1戦が来年2月13、14日に、第2戦が2月20、21日にホーム&アウェーで行われる。すでに国立競技場が予約されているようだ。

 甲府のACLは終わらない。僕らの夢はまだまだ続く。


2023年11月10日金曜日

甲府H組首位! ACL第4節、ヴァンフォーレ甲府VS浙江FC(中国)

  11月8日、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)グループリーグ第4節、ヴァンフォーレ甲府(日本)VS浙江FC。

 第2節と同様、仕事を終えてから甲府駅で特急に乗り、国立競技場へ。開始30分前になんとか到着。いつもギリギリ感がある。

 入場ゲートに向かう途中で、おもいがけなく佐久間悟社長と出会い、固く握手して、VF甲府の大健闘を讃えた。五月、佐久間社長を山梨英和大学の「山梨学」の招聘講師として招いて、「スポーツによる地域活性化-ヴァンフォーレ甲府のチャレンジ」というテーマで講義をしていただいた。今年で5年目になるが、毎回、講義内容はヴァージョンアップされている。2023年のテーマは、持続的で堅実な地域活動と共に、天皇杯優勝によるACL参加、山梨からアジア・世界へとVF甲府を発展させていくものだった。これまで大変な苦労があったと思われるが、今のところ、ACLは試合内容も観客動員も大成功だ。これは佐久間社長の手腕によるところが大きい。


 10月4日の第2節は雨だったが、この日は快晴。昼間は暑かったが夜になると涼しくなり、サッカー観戦にふさわしい気候だ。入場前に照明が落とされると、たくさんのサポーターが持ってきたペンライトの青の光が点灯される。美しい青の光がゆれながら輝いている。一緒に来た妻も童心に帰ったようにライトを振っていた。みんな楽しそうだ。フルハイビジョンの大型モニターに映像が映し出され、キックオフが近づく。国立競技場が光きらめく祝祭の舞台へと変わる。



 甲府は浙江FCとの第3節アウェイゲームで0:2で敗れた。この日も最初は少し守勢だったが、次第に攻勢をかけ、18分、ピーター・ウタカが綺麗にパスするようにしてゴール!大喜びしたのだが、オフサイドの判定。しかしVAR(ビデオ判定)でゴールが認められ、再び大喜び!!。結果として二度の歓喜を味わうことができた。J2リーグにはVARは導入されていないので、感謝、感謝。前半終了間際にも、ジェトゥリオが跳び蹴りのようにシュート、2点目をあげた。2点共に鹿島アントラーズから復帰した中村亮太朗のスルーパスによるもの。彼は攻守の切り換えの要となっている。飯島陸も大活躍。前線での追い回しが強力だった。宮崎純真も右サイドからの起点となった。攻撃全体のリズムが素晴らしかった。

 後半はさらに勢いを増した。後半5分PKで一点を失ったが、13分にキャプテン関口正大の豪快なゴラッソゴール、終了間際にも交代で入った鳥海芳樹が落ち着いて4点目を決めた。4:1で試合終了。センターバックの井上詩音、エドゥアルド・マンシャがほぼ完璧と言える仕事をした。山梨県出身のサイドバック小林岩魚の献身的な動き、林田滉也の堅実な守備、GKマイケル・ウッドの安定したセーブ(PKを与えたのはアンラッキーだったが)。この日の先発組は井上と中村以外は基本としてターンオーバーメンバーだが、素晴らしいパフォーマンスだった。

 VF甲府は勝ち点7(2勝1分け1敗)となり、総得点によってH組首位に浮上した。二十数年の応援歴の中でも、この試合は楽しさ、華やかさという点でベスト1と言ってもよい。YoutubeのDAZN Japan映像【ヴァンフォーレ甲府×浙江FC|ハイライト】を添付させていただく。



 入場者も12,256人と増えた。経営的にも素晴らしい数字である。今回も前回と同様、Jリーグの他チームサポーターが応援に駆けつけてくれた。しかも、磐田、千葉などJ2で昇格を争っているチームのサポを見かけた。ACLは別のカテゴリーとして応援してくれる。これはとてもありがたく、うれしい。

 Jリーグチームを愛する者の間でこのような〈連帯〉が生まれたのは、閉塞感のあるこの時代において、とても開放的、解放的な試みである。この貴重な〈絆〉をこれからも大切にしていきたい。
 

2023年11月5日日曜日

『虫の祭り』の音と声 [志村正彦LN339]

 十月末、「山梨学」の授業の一環として学生三〇人と一緒に、富士吉田のハタオリマチフェスティヴァルに行ってきた。例年より人も増えて、かなりの賑わいを見せていた。 

 公式サイトを見て、このフェスが秋祭りだということを初めて知った。秋祭りは収穫を祝う祭り。秋と祭りという組合せが、志村正彦・フジファブリックの「虫の祭り」を想い出させた。


 フジファブリック『虫の祭り』(作詞・作曲:志村正彦)は、2004年9月29日、3枚目シングル『赤黄色の金木犀』のB面曲・カップリング曲としてリリースされた。四季盤〈秋〉のB面曲として位置づけられる。歌詞の全文を引用しよう。

  

どうしてなのか なんだか今日は
部屋の外にいる虫の音が
祭りの様に賑やかで皮肉のようだ

その場凌ぎの言葉のせいで
身動き出来なくなってしまった
祭りの様に過ぎ去った 記憶の中で

「あなたは一人で出来るから」と残されたこの部屋の
揺れるカーテンの隙間からは入り込む虫達の声

どうしてなのか なんだか今日は
部屋の外にいる虫の音が
花火の様に鮮やかに聞こえてくるよ

にじんで 揺れて 跳ねて 結んで 開いて
閉じて 消えて

「あなたは一人で居られるから」と残されたこの部屋の
揺れるカーテンの隙間からは入り込む虫達の声

 

 歌の主体は〈どうしてなのか なんだか今日は〉と問いかける。志村正彦の歌詞によく見られる問いの形だ。〈虫の音〉が部屋の外から聞こえてくる。部屋の中にいる歌の主体はその音を〈祭り〉のように賑やかに感じ、〈皮肉〉のように受けとめる。〈皮肉〉は、遠まわしの非難のようなものか、思いどおりにならないことの喩えなのか。どちらにしろ、この〈虫の音〉に、いくぶんか引き裂かれるような想いを抱いている。

 季節は秋。〈虫の音〉が聞こえてくる時期。秋祭りとの関連で〈祭り〉のようだと感じたのかもしれない。

 〈その場凌ぎの言葉のせいで/身動き出来なくなってしまった〉と、言葉をめぐる想いが語られる。〈祭りの様に過ぎ去った 記憶の中で〉とあるので、記憶の中にある言葉なのだろう。

 誰かが〈「あなたは一人で出来るから」〉と歌の主体に話しかけた言葉は、遠く、遠くから、過ぎ去った過去から聞こえてくる。続く〈と残されたこの部屋の〉という表現は、その誰かの言葉が記憶に残されたこと、歌の主体が一人でその部屋に取り残されたこと、その二つの意味が重ね合わされている。〈揺れるカーテンの隙間〉とあり、部屋の窓は開け放されている。そこから入り込む〈虫達の声〉と〈あなた〉と語りかける記憶の中の声が混ざり合う。

 歌詞の二番では、〈虫の音〉は〈花火〉のように鮮やかに聞こえる。この〈花火〉もまた歌の主体にとっての大切な記憶に関わるものだろう。そして、誰かの語りかけは〈「あなたは一人で居られるから」〉となる。〈一人で居られる〉の方が〈一人で出来る〉よりも強い意味を持つ。この〈一人で居られる〉は〈二人で居る〉と対比される表現だ。おそらく、〈あなた〉と語りかける人と語りかけられる人との別離という意味が込められている。

 A面曲『赤黄色の金木犀』でも、〈もしも 過ぎ去りしあなたに/全て 伝えられるのならば/それは 叶えられないとしても/心の中 準備をしていた〉〈期待外れな程/感傷的にはなりきれず/目を閉じるたびに/あの日の言葉が消えてゆく〉という言葉をめぐるモチーフが歌われている。歌の主体は〈あなた〉という二人称を使っている。B面曲 『虫の祭り』では、歌の主体は〈あなた〉と呼びかけられている。この関係性が興味深い。


 〈「あなたは一人で出来るから」〉と〈「あなたは一人で居られるから」〉という二つの言葉は、鉤括弧の引用符で囲まれている。志村正彦の全歌詞の中でも、誰かの具体的な発話が引用されているのはこの歌だけである。

 おそらく、この二つの言葉は、作者の志村正彦が実際に聞いて、受けとめたリアルな言葉ではないだろうか。非常に現実感のある言葉だ。根拠はないのだが、その言葉が記憶に残されたことも、一人でその部屋に取り残されたことも、志村の実体験のような気がする。

 

 歌詞の言葉を形式的に分析しても、この歌の抒情の魅力を伝えることができない。

 志村の言葉が〈にじんで 揺れて 跳ねて 結んで 開いて/閉じて 消えて〉いく。その後で一分ほど続くアウトロのコーラスが、限りなく切なく、限りなく儚い。

 志村正彦の歌の世界では、言葉になるものと言葉にならないものとが限りなく滲んでいく。 


2023年10月15日日曜日

植物、享楽、無限の痛み―「赤黄色の金木犀」[志村正彦LN338]

 数日前から、金木犀が香りだした。今年は遅い。この地では例年、九月の二十六日頃に香りはじめる。春、夏、秋、冬の四季というよりも、暑い、寒いという二つの季節に変わってきたというのが大方の実感であろう。その影響で、秋という季節が失われてきた。金木犀の花もどこか寄る辺がない。香りも微かに漂うだけだ。

 現実の季節の変容にもかかわらず、志村正彦・フジファブリックの「赤黄色の金木犀」は確かな初秋の季節感を伝えている。


 赤黄色の金木犀の香りがして
 たまらなくなって
 何故か無駄に胸が
 騒いでしまう帰り道

 

 歌の主体〈僕〉は、〈金木犀の香り〉を身体で受けとめ、たまらなくなる。抑えがたい何かにとらわれる。〈何故か無駄に〉記憶の中の何かが回帰してきて〈胸が騒いでしまう〉。〈帰り道〉とあるのは、〈僕〉が実際に歩く〈帰り道〉であると同時に、過去の記憶への〈帰り道〉でもある。〈過ぎ去りしあなた〉と〈金木犀〉の記憶。〈香り〉の〈記憶〉への〈帰り道〉を〈僕〉は歩むことになる。

 香りは直接身体に作用する。香りの物質が鼻膣内の細胞を刺激したときに起こる感覚だ。身体にとって直接の享楽ともなる。

 

 精神分析家の新宮一成は、「夢と無意識の欲望」という論考で、聖書の「野の百合」の喩えについてのジャック・ラカンの言及を引用して、次のように述べている。(『無意識の組曲』岩波書店1997)

 

 ラカンはこの一節に触れてこう言っている。「野の百合、我々はそれを、すみずみまで享楽にゆだねられた、一つの体として想像してみることができる。……植物であるということは、おそらくは無限の痛みのようなものであろう。」(ラカン『セミネール第十七巻』)。ラカンにとって、植物が「享楽」を体現しているとすれば、動物は「快感」を体現している。精神分析では「享楽」と「快感」をはっきり区別しなければならないというのが彼の考えであった。動物というものは、「無限の痛み」のような享楽が最小限になるように、場所を移動する。それが動物特有の、快感原則に沿った暮らし方なのである。人間もその例外ではない。その中で、この暮らし方の外に出ようと意志する人のみが、自分をむち打って、苦行の中で植物のように暮らそうとするのである。

 

  〈植物であるということは、おそらくは無限の痛みのようなものであろう〉という文を理解することは難しいが、ラカンの言葉は読む者に作用する。「野の百合」が喩えであるように、喩えの表現として受けとめてみたい。喩えは連鎖させることができるだろう。


 志村正彦「赤黄色の金木犀」とラカンのこの言葉を意味や論理の関係として結びつけることはできないが、直感として連鎖するところがある。

 〈赤黄色の金木犀〉も〈無限の痛み〉のようなものとして咲いている。〈無限の痛み〉のように香っている。


 この曲を聴いていると、いつも、どこか、かすかに、痛みのような感覚におそわれる。


2023年10月8日日曜日

夢の空間、夢の時間。10月4日国立競技場、ACL 甲府VSブリーラム。


 夢の空間だった。


 10月4日、国立競技場でAFCチャンピオンズリーグ(ACL)グループリーグ第2節、ヴァンフォーレ甲府(日本)VSブリーラム・ユナイテッド(タイ)の試合が開催された。

 仕事を早く終えて、午後3時半頃、車で甲府駅に向かう。ところが駅前の駐車場は満車、満車、満車。こんなことはありえないのだが、国立競技場に行くサポーターが駐車したことに気づく。読みが甘かったと痛感。十数カ所回って、やっと一台空いているところを見つけた。駆け足で駅へ。新宿行きの「かいじ」に乗れたのは発車2分前、ぎりぎりセーフだった。

 国立競技場に到着したのは午後6時半頃、キックオフ30分前。すでに練習が始まり、サポーターの大音量の応援がこだましていた。雨が降っているので、空気に湿気があり、声が響く。新しい国立は屋根があるので、全体が反響板のようになって声が広がる。サポーターの声の音圧がすごい。

 照明が最新テクノロジーが使われているようで、ピッチがとてもクリアに見える。大型ビジョンの映像も綺麗だ。陸上競技用のトラックがあるので、客席からの距離はあるのだが、素晴らしい照明のおかげで、選手が近く見える。どのように表現したらよいのだろうか。視界のなかでピッチが浮き上がってくる、とでも言えるだろうか。雨が降る夜。その闇のなかでこの場だけはとてつもなく明るい。夢を見ているような感覚だった。


 試合開始。甲府は組織的に中盤でのプレスをかける。チャンスを作るものの精度を欠くために得点には至らない。ブリーラムは前線に強力な外国人フォーワードがいて、ときどき決定機を作ったが、何とか甲府が守り切る。そういう展開が終盤まで続いたが、後半のロスタイムに入る間際、クリスティアーノのクロスに長谷川元希が頭で合わせると、ボールがゴールに吸い込まれていった。だが、ゴールが入った瞬間の記憶は消えている。喜びが体を駆け回って、わけがわからなくなった。甲府側のスタジアム全体がゆれていた。ロスタイムを守り切って、1対0で試合勝利。

 ブリーラムは外国人選手や日本でも活躍したティーラトンを始めとして選手の質が高い。サポーターは百人ほどだったが、声も太鼓の音もけっこう聞こえてきた。試合後、甲府の選手が挨拶に向かったのは、国際試合らしい親善の感じがあった。サッカーでもノーサイドの精神が重要だ。


 YouTubeのDAZN Japanチャンネルに日本の動画がアップされているので紹介したい。

 〈【ヴァンフォーレ甲府×ブリーラム・ユナイテッド|ハイライト】〉は8分ほどのハイライト映像。



  〈【ピッチサイドVLOG】J2甲府がアジアの舞台で歴史的な勝利!『ACL GS第2節』甲府vsブリーラムの様子をピッチサイド視点で!〉には、試合前の両チームサポーターの様子も撮されている。




 甲府のフロントは、『Jサポに次ぐ、#甲府にチカラを』というメッセージで他のJリーグクラブのサポーターにも応援を呼びかけた。新宿と渋谷駅にはこのメッセージを載せた大きなポスターを掲示した。この呼びかけに応じてくれたたくさんの他チームサポーターが応援してくれた。ほんとうにありがたい。甲府は日本のJ2チームの代表としてACLを闘う意味あいもあったので、この試みは今後にもつながるだろう。

 観客数は1万1802人。動員としては大成功だった。しかし、甲府のホーム、小瀬スポーツ公園陸上競技場がACLのスタジアム条件を満たしていないために、東京の国立競技場での開催となった経緯を考えると、単純には喜べない状況もある。キャプテンの関口正大も甲府で小瀬で試合をしたかったと話していた。十数年前から甲府の新スタジアム、「山梨県総合球技場」の構想があるのだが、実現に至っていない。この日の国立競技場は夢の空間だったが、総合球技場の建設が順調に進めば、この新しい場が夢の空間になるはずだった。甲府のHPには「夢みる総合球技場」という特設サイトがある。今は一人のサポーターとしてこの夢を見続けるしかできない。これも現実である。


  帰りのタイムリミットがせまっていたので、勝利の余韻にひたることもできないまま国立競技場から帰路を急いだ。午後10時新宿発「かいじ」は甲府サポーターで満席となっていた。12時に帰宅。8時間ほどのACL甲府応援の旅が終わった。この二十数年を振り返ると、2023年10月4日のACL国際試合での初勝利は、2005年12月10日のJ1初昇格、2022年10月16日の天皇杯初優勝に続く記念すべき日となった。


 夢の時間だった。

 


2023年9月17日日曜日

ヴァンフォーレ甲府にチカラを! ACL「真っ向、アジア」

  ヴァンフォーレ甲府のACLでの闘いがいよいよ始まる。9月20日、オーストラリア・メルボルンでアウェイの試合、10月4日、東京の国立競技場でホームの試合が開催される。山梨という小さな県の経営的にも小規模のJ2チームが、海を越えて、アジアの大舞台に登場する。添付画像にあるように「真っ向、アジア」。畏れるものもなく、失うものもない。純粋にサッカーによって、オーストラリア・タイ・中国のチームや人びとと交流することができる。



 ACLは、アジアサッカー連盟(AFC)主催の「AFCチャンピオンズリーグ」の略称。2023年9月からグループリーグがスタートし、2024年5月に決勝が行われる。VF甲府の全日程は以下の通り。全試合がDAZNで放送される。


① 9.20(水)19:00 アウェイ:Melbourne Rectangular(オーストラリア) 
   メルボルン・シティVS 甲府 

② 10.4(水)19:00 ホーム:国立競技場 
   甲府VS ブリーラム・ユナイテッド  

③ 10.25(水)19:00 アウェイ:Huzhou Olympic Sports Center(中国) 
   浙江FC VS 甲府  

④ 11.8(水) 19:00 ホーム:国立競技場 
     甲府 VS 浙江FC   

⑤ 11.29(水)19:00 ホーム:国立競技場
     甲府 VS メルボルン・シティ  

⑥ 12.12(火)19:00 アウェイ:Buriram Stadium(タイ) 
       ブリーラム・ユナイテッドVS 甲府   



 AFCの公式ページには、VF甲府のレジェンド山本英臣の記事も掲載されている。WED, 13 SEPTEMBER, 2023 〈Ventforet legend Yamamoto ready to cherish AFC Champions League™ experience〉こういう記事を読むと、甲府がアジアで闘う実感がわいてくる。


 佐久間悟社長は「山梨日日新聞」2023年9月5日付の記事で、ACLに出る意味と目標を次のように述べている。


「存続の危機を乗り越え、サポーターや山梨県サッカー協会、行政ら多くの人に支えられてきた。Jリーグの中で地方クラブのモデルケースとなり、昨季に天皇杯を優勝して出場できる。県民や県ゆかりの皆さまとともに出るということはあるが、同時に今まで関わりのない東京や首都圏の人にクラブを知ってもらえる」

「試合の設営や戦い方などでVF甲府らしさを表現し、『面白いね』と思われればいい。ローカルなクラブから全国、世界へ一歩を踏み出すようなきっかけにしたい」

「国立競技場で行うホームゲームの観客動員数は平均1万人を超えたい。県民にとっては交通費もかかり、(チケット価格を抑えて)多くの人に娯楽としてフットボールを楽しんでもらいたいと考えた。みんながスタジアムに足を運び、一体感をつくる場にしたいし、それがクラブの目指す方向」


 本来は山梨県でホームゲームを行うのだが、小瀬スポーツ公園陸上競技場(JIT リサイクルインク スタジアム)がACLのスタジアム基準を満たしていないので、代替として国立競技場になった経緯がある。かなり前から新しい総合球技場(サッカー等の専用スタジアム)建設の構想があるのだが、まだ実現に至っていない。極めて残念なことだが、佐久間社長が言うように、東京や首都圏の人が観戦や応援をしてくれるというポジティブな価値もある。チケット価格は、プレミアムシートは別として、通常のシートのカテゴリー1~7までが5,000円~2,000円と国立競技場開催の国際試合としては破格の安さである。

 10.4(水)のチケットの先行販売(シーズンシート個人会員やヴァンクラブ会員向け)が昨日から始まったので、私も早速チケットを購入した。夕方仕事を終えてから国立に向かう予定だ。一般の発売は9月23日からで、Jリーグチケットなどで購入できる。


 佐久間社長は先ほどの記事の終わりでこう述べている。

「みんなでVF甲府を応援してもらいたい。国立競技場だからいってみようかなという、他クラブのサポーターもいると思う。そういう人も含め、サッカーを楽しんでもらえるイベントにしたいと考えているので、ぜひスタジアムに足を運んでいただければと思う」


 このブログでは何度か紹介したが、今回もやはり、志村正彦の言葉を紹介したい。2009年12月5日付の志村日記には〈甲府がJ1に上がった日は嬉しくて乾杯したな、そういやあ。〉と書かれている。志村も天皇杯優勝やACL出場を喜んでくれたことだろう。

 東京やその近郊の方で、サッカーファン、スポーツ観戦の好きな方、山梨に親しみを感じている方々にお願いを申し上げます。10.4(水)、10.25(水)、11.8(水)に国立競技場開催のACLホームゲームに足を運んでいただき、ヴァンフォーレ甲府を応援してください。

 よろしくお願いいたします。


2023年9月10日日曜日

夢の領野の〈ソレ〉 [志村正彦LN337]

 志村正彦・フジファブリック『唇のソレ』(詞・曲:志村正彦)の楽曲は夢のなかで「睡眠作曲」によって作られたが、歌詞も夢に影響によって作られたのではないだろうか。「催眠作詞」、夢工作による作詞の過程である。

 『唇のソレ』の結びの一節である。


  それでもやっぱそれでいてやっぱり唇のソレがいい!


  〈それでも〉〈それでいて〉〈ソレがいい〉の〈それ〉音の反復と連鎖。〈やっぱ〉〈やっぱり〉の音の反復。それらの音がもつれ合いながら複雑に絡み合って、〈唇のソレがいい!〉と歌われる。音の連鎖と反復によって〈ソレ〉は発話されたのだが、イメージとしても夢の領野に登場したのではないだろうか。


 ジャック・ラカンは『精神分析の四基本概念』の「Ⅵ 目と眼差しの分裂」で、〈夢の領野ではさまざまなイメージの特徴とは、「それが現れる」ということです〉と指摘し、次のように述べている。(改訳文庫版「上」p.166-167)


  夢テクストを座標の中に位置づけ直してみてください。そうすれば「それが現れる」が前面に出ているのが解るでしょう。それは、それを位置づけるさまざまな特徴とともにあまりに前面に出ているので――それらの特徴は、覚醒状態において熟視されているものなら持つはずの地平という性質を持たず、閉じているということや、また夢のイメージの方から出現してきたり、陰影をなしたり、シミになったりするという性質、さらにはそれらのイメージの色が強調されたりすることなどですが――夢における我われの位置は、結局のところ本質的には見ている人の位置とは言えないほどです。


 夢の中で〈それ〉が現れる。〈それ〉はあまりにも前面に出ている。〈それ〉は陰翳をなしたり、シミになったり、色が強調されている。夢の中の〈それ〉とは〈それ〉としか名付けられないものである。私たちは夢の中で〈それ〉に出会う。〈それ〉は人であったり物であったり風景であったりするが、現実の〈それ〉とは異なっている。また、説明しようもなく、〈それ〉としか伝えられない感触がある。〈それ〉は覚醒後に消えていく。覚醒直後は記憶が残っていたとしても、時間の経過と共に、実質が失われ、〈それ〉としか言いようのないものに変質する。


 志村正彦が『唇のソレ』で歌いたかった〈ソレ〉は、具体的には〈唇の脇の素敵なホクロ〉だった。唇の〈ホクロ〉は、〈僕〉の欲望の対象である。フロイトもラカンも、夢は主体の欲望を成就すると述べている。

 唇の〈ホクロ〉が〈僕〉の夢のスクリーンに登場する。〈ホクロ〉は夢の前面に現れて、陰翳をなし、シミのように浮かんでくる。〈ホクロ〉は次第にその具象性を剥ぎ取られ、〈ソレ〉としか名付けられない、曖昧なとらえがたいものに変換されてゆく。夢のなかで欲望の対象は次第に享楽の対象となっていく。〈ソレ〉は〈僕〉の享楽の対象と化す。


2023年8月27日日曜日

享楽の〈ソレ〉 [志村正彦LN336]

 志村正彦・フジファブリック『唇のソレ』(詞・曲:志村正彦)に戻りたい。全歌詞を再び引用する。


手も目も鼻、耳も 背も髪、足、胸も
どれほど綺麗でも意味ない

とにもかくにもそう
唇の脇の素敵なホクロ 僕はそれだけでもう…

Oh 世界の景色はバラ色
この真っ赤な花束あげよう

いつかはきっと二人 歳とってしまうものかもしれない
それでもやっぱそれでいてやっぱり唇のソレがいい!

さあ 終わらないレースの幕開け
もう 世界の景色はバラ色
この真っ赤な花束あげよう

いつかはきっと二人 歳とってしまうものかもしれない
それでもやっぱそれでいてやっぱり唇のソレがいい!


 この作品は「睡眠作曲」で作られたが、楽曲だけでなく、歌詞にも何らかの影響を与えたのではないだろうか。言うならば、「催眠作詞」のような過程である。睡眠中の活動である夢が歌詞に大きく関わっていると考えてみたい。

 この歌詞の〈バラ色〉の〈景色〉を持つ〈世界〉を夢の中の世界としてみる。そうすると、この歌詞全体を〈僕〉が夢の世界に入っていく過程を歌っていることになる。歌詞は大きく二つに分けられる。区切れ目は〈僕はそれだけでもう…〉の〈…〉。〈…〉の前は睡眠前の場面、〈…〉の後は夢の場面と覚醒時の場面として捉えてみよう。


 〈僕〉の眼差しは、〈手〉〈目〉〈鼻〉〈耳〉〈背〉〈髪〉〈足〉〈胸〉という身体の部位に注がれる。この身体は〈僕〉が愛する女性のものだろう。しかし、それらの部位は〈どれほど綺麗でも〉〈意味〉が〈ない〉。

 それらの代わりに〈素敵〉だと讃えられるのが〈唇の脇〉の〈ホクロ〉。口唇の脇にあるという位置が要だ。その場所の〈ホクロ〉に対して、〈僕〉は〈それだけでもう…〉と語る。〈…〉で省略されているところには、愉悦を意味するような言葉が入るだろう。〈唇の脇〉の〈ホクロ〉は無意識の次元で、〈僕〉の享楽の対象となる。


 〈…〉の空白を経て〈唇の脇〉の〈ホクロ〉に対する享楽が無意識の次元で開かれていくと、〈僕〉は夢の世界に入り込む。夢の中の〈世界の景色〉は〈バラ色〉である。〈僕〉は〈唇の脇〉に〈ホクロ〉がある女性に〈真っ赤な花束〉をあげようとする。〈バラ色〉の夢の世界は〈真っ赤な花束〉でさらに染め上げられる。色合いが濃くなり、香りも濃厚になる。視覚と嗅覚が夢の中で混ざり合う。この場面では、男女の間に交わされるエロスが夢の世界に現れると解釈してみたい。その混沌とした映像や感覚が〈唇のソレ〉へと収斂していく。


 この〈二人〉は〈歳とってしまうものかもしれない〉という一節は、夢からの覚醒を告げているかもしれない。覚醒後、〈僕〉は〈それでもやっぱそれでいてやっぱり〉と夢を振り返り、〈唇のソレがいい!〉と宣言する。〈唇〉の脇にある〈ソレ〉は、〈僕〉の享楽の対象の〈ソレ〉であるのだから。享楽ではあるが、ここにはユーモアの感覚もある。ある種の明るさや大らかさにつながっている。


    (この項続く)


2023年8月20日日曜日

虹が空で曲がっていた [志村正彦LN335]


 虹が空で曲がっていた。




 七月下旬、石和の鵜飼橋近くの笛吹川通りを車で走行していた。急に雨が強く降ってきたがすぐにやんだ。その直後の時だった。助手席の妻が「虹!」と声を上げた。車を道沿いの店に止めて、スマホで撮影したのがこの画像だ。

 虹は、笛吹川を挟んで、青い空の地上近くの空間で、美しい曲線を描いていた。(画像では微かに見えるだけだが、上の方にもう一つの虹がかかっている。)虹の真中の下で、左側の大菩薩山系の稜線と右側の御坂山系の稜線が重なり合う。(その御坂山系の向こう側に富士吉田はある。)青い空と白い雲の群れが真夏のピークを示すように限りなく広がっていく。

 180度の視界の中でこのように曲がる虹を見たことは初めてだった。いつも、虹は途中でうすくなったり途切れていたりした。つまり、ある部分だった。地平線の上に現れる虹は円弧を描いていた。全体としての虹。虹の全景と考えてよいだろう。虹の全景は確かに空で曲がっている。


 志村正彦・フジファブリック『虹』の一節「虹が空で曲がってる」とは、こういう風景を表現したのではないか。

  以前このブログで、志村はなぜ「虹が空で曲がってる」と描いたのか、という問いを発したことがある。その際は次のように考えた(「虹が空で曲がってる」ー『虹』1 [志村正彦LN136])。


 現実にそのような景色を見たからだというのが、当たり前ではあるが、最も根拠のある答えだろう。しかし、虹が曲がる風景を見たとしても、それをそのまま言葉にするかどうかは、まさしくその表現者による。私たちは慣習化した言い回しを使いがちだ。何かを見出したとしても、その次の瞬間には、そのありのままの風景を忘れ、慣れきった言葉の世界に安住してしまう。
 志村はおそらく実際に見たことを描いている。実際に感じたことを述べている。「虹が空で曲がってる」は「実」の風景なのだ。「実」はありのままの世界であり、ありのままの感覚を生きることだ。優れた詩人は「実」を描く。言葉に変換する。その表現がありきたりな表現を越えていく。


 「虹が空で曲がってる」は「実」の風景だと書いたのだが、僕自身はそのような風景を実際に見たことはなかった。いつかその機会が訪れるかもしれない、とずっと思っていたのだが、この日の虹はまさしく空で曲がっていた。歌詞の言葉と現実の光景が融合した。


 志村の歌詞は自然の風景や景物に触発されて動き始めることが多い。山梨で暮らし、志村の歌詞に親しんできた僕はときどき、この地の風景や景物から志村の歌詞の一節を想起することがある。


 吉本隆明は、中原中也を「自然詩人」と位置づけ、「こういう詩人は詩をこしらえる姿勢にはいったとき、どうしても空気の網目とか日光の色とか屋根や街路のきめや肌触りが手がかりのように到来してしまうのである。景物が渇えた心を充たそうとする素因として働いてしまう」と述べている。(『吉本隆明歳時記』1978)


 志村正彦も吉本の言う意味での「自然詩人」であろう。「週末 雨上がって 虹が空で曲がってる」という光景の到来と共に、「グライダー乗って 飛んでみたいと考えている」「不安になった僕は君の事を考えている」「言わなくてもいいことを言いたい」というように、「僕」の思考や感覚、欲望や想像が心の中で回転していく。


 「虹」が空で曲がり、「僕」の言葉が巡りだし、「世界」が回りはじめる。


2023年7月30日日曜日

「睡眠作曲」[志村正彦LN334]

 志村正彦は〈フジファブリック 『FAB FOX』インタビュー〉で、『唇のソレ』は〈夢の中で作ったんですよ〉と述べている。『志村日記』(『東京、音楽、ロックンロール』)の2004年10月20日分は「睡眠作曲」と題して、次のことが書かれている。

      

 ライブ、ラジオ、取材、リハ、ライブ、ラジオ、取材、リハ。つて感じの毎日で忙しいです。はい。
 それもあって、遂に!
 やりました…やりましたよ!
 夢の中で曲を作りました! これ、ずつとやりたかったことです。この日が来ることを待ってました。
 夢の中でですね、バンドで新曲作りのセッションをしていたのです。そしてある程度まとまつてきたところで俺は気付いたのです。
「これ、夢だ…まずい! 起きたら忘れてしまう!」と。そしてメンバーに、「多分、今、夢の中だから起きたら忘れてしまいそうだから、もう何回か確認のために通してもらっていい?」と言って、各パートを覚えました。そして、「もう大丈夫だ。起きるぞ!」と言って目を覚まし、すぐレコーダーに吹き込んだのでした。
 あのポール・マッカートニーも名曲“イエスタデイ”を寝てる時に作ったらしいです。でもまあ、そこまでちゃんとしたものでは全然なかったのですが。
 しかしこれ。毎夜できたなら最高です。何故なら今、曲作りに費やしている時間を、映画観に行ったり本読んだり、バッティングセンター行ったり、漫画喫茶に行ったりできますし。で、寝て、朝起きたら曲がポン!ですよ。そこを目指したいと思います。
 それに朝ちょっと体が重いとき、「曲作りをする為に寝ますわ」と言えますしね。


 この2004年10月20日の「睡眠作曲」という日記には具体的な曲名は記されていないが、先ほど引用したインタビューでは『唇のソレ』と明記されている。また、『FAB BOOK』にも『唇のソレ』について次のコメントが載っている。


「睡眠作曲って言ってるんですけど、これは夢の中でつくった曲で、その夢の中で加藤さんがこういうふうに弾いてたんで、そのとおりに弾いてくれっていう話をしたんです」(志村)


 『志村日記』2004年10月20日の〈夢の中で曲を作りました! これ、ずつとやりたかったことです。この日が来ることを待ってました〉というのは『唇のソレ』であると考えて間違いはないだろう。つまり、「睡眠作曲」による初めての完成作がこの曲だった。


 「睡眠作曲」とはどのようなものか。「睡眠作曲」とは厳密にいえば「睡眠作曲の夢」によって作られる曲であるので、夢の形成という観点から考えてみたい。

 まず自分自身の夢を振り返ると、音楽が聞こえてくる夢を見たことはほどんどない。ほとんどない、と書いたのは、ロックバンドのライブ演奏の夢を見たことは何度かあるからだ。(その中の一つはフジファブリックだったような気もする。実際の演奏を聞いたことはないのだが)それでも、そういう夢はライブ演奏の場にいるという出来事が中心である。覚醒直後はその場面の映像の記憶はある程度残る。しかし、音は補助的なものにすぎないためか、その記憶は残らない。

 志村正彦の場合、流石と言うべきか、夢の中で音楽を演奏し作曲している。精神分析の創始者ジグムント・フロイトは、『夢解釈』(1900年)で、夢は欲望の成就であると説いた。フロイトの夢理論に依拠すれば、志村の作曲への欲望が「睡眠作曲」の夢をもたらしたと考えられる。夢は無意識によって形成される。志村が無意識の中で作曲を進めていた楽曲が、自らの欲望成就のプロセスによって、顕在的な夢として生み出されたのだろう。

 そう考えているうちに、文章を書いている夢を見たことが何度もあることを思い出した。言葉が文字として見えてくる。その文字つなげていくと何らかの意味が作られていく。夢の中ではある種の手応えを感じることもあるのだが、夢からの覚醒後は何も覚えていない。文字はすぐに消えていった。僕の場合は、言葉、文字に対する無意識の欲望を成就する夢だったのであろう。


 『志村日記』2005年1月10日「再び山梨に。」では、曲作りについて〈今年は地道につくっていきたいですね。あ、睡眠作曲はやっていきますけど。〉とある。『唇のソレ』以降、「睡眠作曲」によって作られた完成曲があるかどうかは分からないが、夢や無意識の形成物が志村正彦の作品に深く影響を与えていた、と考えることはできるかもしれない。


   [この項続く]


2023年7月16日日曜日

『唇のソレ』の〈ソレ〉[志村正彦LN333]

 『唇のソレ』(詞・曲:志村正彦)は、2005年11月リリースの2ndアルバム『FAB FOX』の収録曲として発表された。ライブ映像が『Live at 両国国技館』と『Live at 富士五湖文化センター』に収められている。

 この愛すべき曲の歌詞を引用しよう。


手も目も鼻、耳も 背も髪、足、胸も
どれほど綺麗でも意味ない

とにもかくにもそう
唇の脇の素敵なホクロ 僕はそれだけでもう…

Oh 世界の景色はバラ色
この真っ赤な花束あげよう

いつかはきっと二人 歳とってしまうものかもしれない
それでもやっぱそれでいてやっぱり唇のソレがいい!

さあ 終わらないレースの幕開け
もう 世界の景色はバラ色
この真っ赤な花束あげよう

いつかはきっと二人 歳とってしまうものかもしれない
それでもやっぱそれでいてやっぱり唇のソレがいい!


 〈手〉〈目〉〈鼻〉〈耳〉〈背〉〈髪〉〈足〉〈胸〉というように、身体の部位が〈も〉という助詞によって連鎖され、〈どれほど綺麗でも〉、〈意味〉が〈ない〉と歌われる。

 綺麗な身体の部位に変わって、歌の主体〈僕〉が賞賛するのは〈唇の脇の素敵なホクロ〉。〈とにもかくにもそう〉〈それだけでもう…〉と、〈も〉に続いて〈そ〉の音が登場する。この〈そ〉の音が導くようにして、〈唇のソレ〉が召喚される。〈それでも〉〈やっぱ〉〈それでいて〉〈やっぱり〉という反復が組み合わされることによって、次第に、〈唇の脇の素敵なホクロ〉は、〈唇のソレ〉としか言いようのない〈ソレ〉に変換されていく。

 〈世界の景色〉は〈バラ色〉であり、〈僕〉は〈唇の脇の素敵なホクロ〉を持つ相手に〈真っ赤な花束〉をあげようとする。この〈二人〉は〈歳とってしまうものかもしれない〉のだが、〈僕〉は〈唇のソレがいい!〉と宣言する。


 志村正彦は〈フジファブリック 『FAB FOX』インタビュー〉で、この曲について次のように述べている。


この曲は夢の中で作ったんですよ。夢の中でバンド練習をしてて、その時にみんなが弾いていた楽曲を憶えていて、でも夢から覚めたら演奏を忘れてしまうと思ったんで、夢の中のメンバーに「今夢の中にいるから、起きても忘れないように各パートを繰り返してくれ」って伝えて(笑)、それを全て憶えたら起きてテープレコーダーに入れて。その後、スタジオで練習している時にみんなに伝えて作っていきましたね。


 インタビュアーの〈普段、現実的な夢を見る方ですか?突拍子もない夢を見る方ですか?〉という問いについてはこう語っている。


僕は両方見ますね。あの・・・、富士山噴火とか(笑)。あとは練習とか、バンド系の夢が多いですね。


 夢の中でつくった曲。実に愉快だ。『唇のソレ』はバンド系の夢の作曲篇になるだろうか。富士山噴火のように、〈ソレ〉が噴火しているようでもある。

  『唇のソレ』には確かに夢の中の祝祭歌の雰囲気がある。

 この曲は独特のリズム感が失踪する。最後に近づくと、志村の声とサウンドの音がもつれ合うような感じになる。夢の中に出てくる〈ソレ〉が絡み合うかのように。

 

   [この項続く]

2023年6月25日日曜日

〈間違いだらけの正義〉と〈正しく消える〉-マカロニえんぴつ

 マカロニえんぴつの存在を知ったのは四年前のことだった。「山梨学」という授業で、志村正彦・フジファブリックを取り上げた時に、学生が書いた振り返り文のなかで「山梨県出身のボーカルがいるマカロニえんぴつも聴いてみてください」とあった。youtubeにあった音源からは、サウンドの完成度と歌詞の独自性がうかがわれた。いつかこのブログでも書きたいと思っていたのだがなかなかその機会がなかった。

 この四月、山梨学院高校が優勝した春の選抜高校野球大会のMBS毎日放送の公式テーマソングが「マカロニえんぴつ」の新曲「PRAY.」であることを知った。この歌に触発されて、ここ数回書き続けてきた。NHKの「おかえり音楽室 マカロニえんぴつ はっとり」での発言や母校での演奏も参考になった。


 「PRAY.」の歌詞にはこうある。

 トンボは夜を越えて 飛べないキミのためと
 哀しく唄う
 優しく回る
 正しく消える


 〈トンボ〉は〈僕〉と〈祈り〉と〈君〉のために飛翔し、〈哀しく唄う〉〈優しく回る〉と旋回して、最後は〈正しく消える〉。この〈正しく消える〉がずっと気になっていた。

 そのうちに「青春と一瞬」に次の一節があることに気づいた。

 青春と一瞬はセットなんだぜ
 間違いだらけの正義なんだぜ
 風と友に贈る歌だぜ


 はっとりはここで、〈青春〉を〈間違いだらけの正義〉と捉えている。「青春と一瞬」は、「二十歳過ぎてから作って、当時を思い浮かべながら、高校生とかの時の自分を書いた曲」だとされている。たとえ間違いだらけであったとしても、いや、間違いだらけであるかもしれないからこそ、〈青春〉は〈一瞬〉の輝きを放つ。そのようなメッセージを受けとることができる。

 「PRAY.」は、三十歳近くになった作者はっとりが高校生の頃の自分を振り返った歌だろう。この歌の〈正しく〉は、「青春と一瞬」の〈正義〉につながる言葉だと捉えてみたい。

 〈青春〉の〈間違いだらけの正義〉は、時を経て、〈哀しく唄う〉〈優しく回る〉〈正しく消える〉という軌跡を描いた、あるいは描いている、もしくは描こうとしている、ことになるだろうか。

 〈間違いだらけの正義〉が〈正しく消える〉のが青年の軌跡だとしたら、それはいくぶんか苦いものでもある。ただし、正義が消えたあとに、ふたたび、もう一つの正義が飛翔すると考えてみてはどうだろうか。


 はっとりにとって〈正義〉や〈正しく〉というのが大切な言葉であることは間違いない。この想いはどのようなものか。まだ充分にマカロニえんぴつの作品を聴きこんでいないので、これ以上論じることはできないが、いつかその機会を設けたい。


2023年6月18日日曜日

「青春と一瞬」マカロニえんぴつ

 NHK番組「おかえり音楽室 マカロニえんぴつ はっとり」では、「青春と一瞬」が駿台甲府高校の音楽室で演奏された。はっとりは歌う前に次のように語っていた。


二十歳過ぎてから作って、当時を思い浮かべながら、高校生とかの時の自分を書いた曲ですけど、不思議といつ歌っても今の自分にささる。あの時の情熱をもしかしたら今でも追いかけているのかもしれない、変な話だけど、あの頃の自分にもう一度追いつきたいなっていう思いはあります。

 

 「青春と一瞬」(作詞作曲:はっとり)は2019年3月配信限定シングルとしてリリースされた。ミュージックビデオもYouTubeで公開されたが、オール山梨ロケの映像である。舞鶴城から見た甲府駅北側の街並、中心街の銀座通り、中央線の車窓からの風景、甲府市内を流れる荒川とその橋。見慣れた光景が次々と映し出される。その映像と歌詞を紹介したい。




書いて 消して 悩んで出した定理は
居眠りの午後三時半に見失った
全部ぜんぶ 学んでド忘れしたい
無限の宇宙を自転車で駆け抜ける

語り合ったりたまに泣いたりできるくらいの
すばらしい日々をくれ

つまらない、くだらない退屈だけを愛し抜け
手放すなよ若者、我が物顔で
いつでも僕らに時間が少し足りないのは
青春と一瞬がセットだから

覚えておいて、未来は転がるもの
この場所にずっと前からあるもの
全部ぜんぶ 眩しいね
友よ 声よ 昨日よ 僕自身よ

つまらない、埋まらない退屈だけを愛し抜け
夢が増えればハラが減る、若者であれ
いつでも僕らに時間は少し足りないのだ
青春と一瞬はセットなんだぜ

染まりたいね
使い切っていたい 黄金の色に咲く春
よだれまみれ 出来心の恋も剥き出しで

誰にも僕らのすばらしい日々は奪えない

つまらない、くだらない退屈だけを愛し抜け
手放すなよ若者、我が者顔で
ずっと埋まらないくらいでいい
時間は少し足りないのがいい

青春と一瞬はセットなんだぜ
間違いだらけの正義なんだぜ
風と友に贈る歌だぜ


〈書いて 消して 悩んで出した定理は〉の〈…て〉〈…て〉〈…で〉〈…た〉〈ていり〉という〈て〉音中心の反復。〈手放すなよ若者、我が物顔で〉の〈わかもの〉〈わがもの〉の類似音の反復。〈青春と一瞬はセットなんだぜ〉の〈…しゅん〉〈…しゅん〉の反復。そして〈セット〉は、〈せいしゅんといっしゅん〉の音から〈せ〉〈っ〉〈と〉の音が縮合されたものだろう。このような音の遊びを縦糸にして、〈つまらない、くだらない退屈だけを愛し抜け〉というメッセージが横糸として織り込まれる。

 この歌は「マクドナルド"500円バリューセット"CMソング」として作られた依頼曲である。依頼された曲でも独自の歌詞の世界を作るところは、はっとりの職人芸だ。器用でおそらく生真面目な人なのだろう。


 はっとりは、〈僕が高校生に戻って歌詞を書くというより、25,6という年になって高校時代を俯瞰で見たらどうなるだろう?という、ちょっと達観したような感じで書けた〉とあるインタビューで述べている。

 確かに、〈青春と一瞬はセットなんだぜ〉という言葉は、青春の只中ではなく、ある程度過ぎ去った時間の後で、俯瞰したメタ視点によって見出される時間の認識だ。「おかえり音楽室」での発言によれば、この認識はまだ現在進行形のようだが、ある種の苦さや儚さも込められている。はっとりにとって、〈青春〉は多様な視点と時間から反復される主題なのだろう。


2023年6月4日日曜日

[おかえり音楽室] マカロニえんぴつ はっとり

 もう一月半ほど前だが、4月21日、NHK甲府の「金曜やまなし」で「おかえり音楽室 マカロニえんぴつ はっとり」が放送された。すでに、3月18日に全国放送でオンエアされたそうだが、それは見逃してしまったので、地元局で見ることができたのは幸運だった。

  この番組は、レギュラー番組化を目指す「レギュラー番組への道」の枠で制作された。人気アーティストが過去の自分を振り返りながら凱旋ライブをする音楽ドキュメンタリーである。

 はっとりは、甲府市にある母校の駿台甲府高校を訪れた。同級生や恩師で出会うサプライズがあり、音楽室で「青春と一瞬」「あこがれ」の二曲を歌った。


〈[おかえり音楽室] マカロニえんぴつ はっとり「あこがれ」| レギュラー番組への道〉という映像がyoutubeにある。甲府のライブハウス KAZOO HALL訪問時のものなど、放送版にはない映像がある。   


  関連記事として〈マカロニえんぴつ・はっとり インタビュー!「高校時代の自分が、すぐとなりで歌っているようだった」〉がNHKのwebに掲載されている。印象に残る発言を引用したい。


 ──サプライズを経て音楽室でのライブを行った感想は?
すごく新鮮な気持ちで演奏できました。音楽室に差し込む西日がとてもきれいで、その中で歌っていると当時のことをいろいろと思い出しましたね。最後にこの場所で歌いたい2曲を演奏したのですが、今までにない気持ちでした。まるで、当時の自分がすぐとなりで一緒に歌っているような感覚でした。地元って大事なんだな、あのころの魂はちゃんとここにあるんだなと実感しました。
常に「初心忘れるべからず」と自分に言い聞かせていますが、とはいえ、仕事をこなしてしまっているなと気づくことがたまにあるんです。今日、余計なことを考えずまっすぐに音楽をやっていた学生時代を思い出して、あのころの情熱が引き戻されたように感じました。当時の自分に鼓舞されたように思います。


  〈まっすぐに音楽をやっていた学生時代を思い出して、あのころの情熱が引き戻された〉ように感じ、〈当時の自分に鼓舞された〉ように思うというのは、とても幸せな経験である。

 はっとりの歌詞にはかなり深い屈折があるのだが、その反面、このインタビューでの発言のように素直で真っ直ぐなところもあることが、マカロニえんぴつの音楽をこの時代にふさわしい魅力あるものとしているのだろう。


2023年5月14日日曜日

NHK 『SONGS』菅田将暉、『鶴瓶の家族に乾杯』富士吉田市[志村正彦LN332]

 今回は、最近のNHKの放送のなかで、志村正彦が取り上げられたり、音楽が流されたりした二つの番組について書きたい。


 4月20日、菅田将暉がNHK総合の『SONGS』に初出演した。2月の日本武道館公演の映像や『まちがいさがし』『ゆらゆら』の二曲が披露された。そのなかで、志村正彦・フジファブリックの『茜色の夕日』の影響で音楽を始めたことが紹介された。

 五分ほどのその箇所を記録のために記しておきたい。ナレーションは黒色、須田の発言は青字(そのうちテロップとしても表示されたものは青の太字)、映像についての説明は赤色で示す。


【ナレーション】
菅田将暉さんは幼い頃からピアノを習い、歌うことが大好きでした。
しかし、十二歳で声変わりを経験し、人前で歌うことを避けるように。
音楽から遠ざかっていきました。

その後、十六歳で俳優デビュー。十代のほとんどを音楽を聴くことなく過ごしました。

映画『共喰い』(2013監督:青山真治、脚本:荒井晴彦、原作:田中慎弥)の映像
 
転機が訪れたのは十九歳の時。映画「共食い」の主演をつかみ、それまで経験したことのない難しい役を演じました。
 
必死で撮影に挑む日々。この頃出会ったある歌が菅田さんの心を動かしました。フジファブリックの「茜色の夕日」。

                                           
音楽活動原点の一曲 茜色の夕日(2005) フジファブリック

「茜色の夕日」MVの映像
「茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました 晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと」
 
菅田将暉〈20歳のバースデイイベント〉の映像
 
20歳になった菅田さん。思い出深いこの歌との出会いを語りました。
 
【菅田】

北九州にずっと一か月泊まって撮影という感じで
その中ですごい毎日すげえ好きな景色がありまして
門司港っていう港から見ると海が紫で
何とも言えない組が オレンジだったり
空がちょっとこう何とも言えない色で
それを僕が
「わぁ茜色の夕日ってやつじゃないですか」って言ったら
先輩の女優さんが「茜色の夕日って曲あるよ」って
そのタイトルだけでマッチしたっていうこともそうですし
歌詞に出てくる言葉とか
音楽聴いて初めて泣いて
プライベートの自分も含め 仕事上の自分 
そして「共食い」の遠馬っていう役の心情というか
人間のこう 素直な弱さというか

  
菅田さんの心を揺さぶった「茜色の夕日」。この日初めて人前で歌いました。
 
菅田将暉 アーティストブック 『20+1 』ワニブックスの映像         
 
(大泉洋の「当時、何がそこまで響いたのか」という問いかけに対して)

映画という現場の熱量みたいなものをたぶん初めて体感した十九歳とかで
。それが「茜色の夕日」って言う曲のなかの
「東京の空の星は見えないと聞かされていたけど  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ」
ていう部分があるんですけど。ちょうど上京して3年くらいだったのでなんかこうグッときたんですねえ
一見華やかでキラキラしているけど
でもなんか孤独な感じがあった
んでしょうね
まあ、そんなこともないんだっていうこの歌詞がたぶん響いたんだと思います。


 番組の記録は以上である。

 すでに、菅田将暉と『茜色の夕日』のことは、偶景web 2018年5月7日の〈菅田将暉『5年後の茜色の夕日』(志村正彦LN177)〉に書いたので、このテーマについてはここでは触れない。 その際に、菅田のデビュー・アルバム『PLAY』の初回生産限定盤付属の特典DVD『5年後の茜色の夕日~北九州小旅行ドキュメント映像~』について、〈映像中に、『茜色の夕日』の作詞作曲者である志村正彦の名、そしてフジファブリックの名もまったく記されていないのだ。何故なのか。疑問が湧き上がってきた〉〈本編映像の中でインポーズする必要はない。この歌の説明をする必要もない。しかし、タイトルバックの記載事項として、作詞作曲者の志村正彦という固有名(フジファブリックという名も)を明示することは、絶対的に必要な事柄である〉と指摘した。


 今回のNHK『SONGS』の映像にも、どういうわけか、作詞作曲者志村正彦のクレジットがなかった。番組内で歌詞に対する重要な言及があった。番組内で作者志村正彦の名を記すべきである。放送番組の制作・著作者は、音楽作品の著作者人格権を尊重しなければならない。


 もう一つの番組は、NHK総合の『鶴瓶の家族に乾杯』。先週の月曜日、5月8日舞台は富士吉田市だった。鶴瓶さんとゲストの木村佳乃さんは、NHKのプロジェクト「君の声が聴きたい」とコラボということで、地元の中学生と「白須うどん」に行った。(もう三十数年前になるが、僕もこの「白須うどん」で初めて吉田うどんを食べた。素うどんの値段は300円ほどで、うどんの固さ、キャベツが入っていること、民家の中で食べること、何もかもが驚きだったが、白須のうどんはとにかく美味しかった。数年前に新しい店になったようだが、また行ってみたい)その他、アートギャラリーの〈FUJIHIMURO〉や上吉田の四代にわたる大家族が紹介された。

  

 もしかしたらという予感というか予想があったのだが、中高生とのインタビューの際にフジファブリック『TEENAGER』が流された。『若者のすべて』のイントロやエンディングのメロデイも二回ほど使われた。特にクレジットはないので、純粋なBGMとしての扱いだったが、やはり、富士吉田には志村正彦・フジファブリックの音楽がよく似合う。

  

 明日、5月15日は富士吉田篇の第2回が放送される。織物工場や地域活動する高校生のもとに向かうそうだ。富士吉田を愛する人にとっては必見の番組である。


【付記】5月15日の『鶴瓶の家族に乾杯』では冒頭で、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が流れた。〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな/ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉と歌う志村の声。富士吉田の高校生や若者に取材した回でもあるので、最もふさわしい曲であることは間違いない。



2023年4月30日日曜日

「PRAY.」の〈きみ〉と〈キミ〉

  マカロニえんぴつ「PRAY.」は複雑な作品であり、前回は主にモチーフの構造をたどった。歌詞全体が、〈ステップイン〉〈ステップオン〉〈スキップ〉、〈哀しく唄う〉〈優しく回る〉〈正しく消える〉というように三つの要素による変化によって構造化され、そのことによって、メッセージが直接的ではなく、間接的にそして断続的に浮かび上がり、歌詞の余白がめぐりはじめる。 

 「PRAY.」は、歌の送り手と受け手、歌い手と聴き手の関係も複雑である。具体的には、歌詞の中の主体とその相手、人称の関係に特徴がある。今回はそのことを書いてみたい。まず、人称代名詞が記された五つの箇所を引用する。


 ボクら引きずってるのはきっと青春の後味だ

 きみなら まだ間に合うよ

 トンボは夜を越えて 飛べないボクのためと哀しく唄う

 ボクらが担っているのはきっと青春のあとがきサ

 トンボは夜を越えて 飛べないキミのためと
 哀しく唄う
 優しく回る
 正しく消える

  

 ひとつの歌の中に、人称代名詞が一人称複数〈ボクら〉、二人称単数〈きみ〉、一人称単数〈ボク〉、二人称単数〈キミ〉の四種類がある。特に、二人称単数が平仮名の〈きみ〉と片仮名の〈キミ〉の二つに書き分けられていることに注意したい。片仮名系と平仮名系の二つの系列がある。〈ボクら〉は片仮名の〈ボク〉と平仮名の〈ら〉が連結されているので、片仮名と平仮名の複合でもある。ただし、この〈ら〉は複数形を示す通常の表現として捉えてよいだろう。

 片仮名の系列をふまえれば、片仮名の〈キミ〉と結びつくのは、同じ片仮名表記の〈ボク〉である。歌の意味の流れからは、〈キミ〉は二人称の相手を指すというよりも、歌の主体が自分自身を二人称として対象化して、〈キミ〉に変換して呼びかけていると考えられる。そうなると、歌の文脈の中では〈ボクら〉は〈ボク〉と〈キミ〉から構成されているのだろう。その〈ボクら〉は〈青春〉の〈後味〉を引きずり、〈あとがき〉を担い、〈飛べないボク〉〈飛べないキミ〉とあるとおり、〈ボクら〉は飛ぶことができない。その代わりに、〈ボクら〉のために〈トンボ〉が飛んでいく。

 

 それでは、あえて平仮名で記された〈きみ〉はどのような存在なのだろうか。〈ボクら〉〈ボク〉〈キミ〉の片仮名表記の人称代名詞群とは異なる意味を帯びていることは間違いない。歌い方からしても、この〈きみ〉は歌の受け手や聴き手に直接呼びかけている感じがする。歌詞の展開上も、(プレイボール)という試合開始の合図に続くフレーズだ。

 〈きみ〉は歌詞の内部ではなく、歌詞の外部に開かれている。「PRAY.」のモチーフである高校球児や若者たち、もっと広くいえば聴き手一般を指していると考えるのはどうだろうか。歌詞の中の〈キミ〉は〈ボク〉の内部にある僕自身だが、〈きみ〉は僕の外部にある他者である。平仮名と片仮名に書き分けられた二人称にはそのような差異を作り出している。

 「PRAY.」は選抜高校野球大会のテーマソングであり、〈きみ〉への応援ソングである。しかし作者はっとりは、ナタリーの「憧れる側から憧れられる側へ、生き様を刻んだ新作EP」というインタビュー(取材・文:柴那典)で、〈いろいろ経験を重ねてたくさんのものを身に付けたようでいて、実はいろんなものを途中で落としていってるような気もする〉〈自分に向けて歌ってるような気もします〉と語っている。

 はっとり・マカロニえんぴつは、他にもアニメやドラマの優れたテーマソングを作っている。依頼曲が自然に自分自身の曲にもなるところが、はっとりの資質であり才能であるのだろう。「PRAY.」であれば、〈きみ〉のための歌が〈キミ〉のための歌になり、〈ボク〉の歌になる。そしてさらに〈ボクら〉の歌にもなるのだ。


2023年4月9日日曜日

マカロニえんぴつ「PRAY.」

 春の選抜高校野球大会で山梨学院高校が優勝した。春夏を通じて山梨県勢が初めて優勝した。山梨学院の野球部には地元の生徒が少ないのだが、甲府にあるこの高校の健闘と殊勲は素直に喜びたい。

 この第95回大会のMBS毎日放送の公式テーマソングが「マカロニえんぴつ」の新曲「PRAY.」であることを知った。このバンドのボーカル・ギター、ほとんどの歌を作詞作曲している「はっとり」は鹿児島県の生まれだが、保育園から高校まで山梨県中央市で過ごしたので、自らが山梨県出身としている。宮沢和史(ザ・ブーム)、藤巻亮太(レミオロメン)、志村正彦(フジファブリック)に続く、山梨の優れた「ロックの詩人」だと言ってよいだろう。


 この「PRAY.」のMV(youtube)と歌詞を紹介したい。

 



 マカロニえんぴつ PRAY.
 (作詞・作曲:はっとり)

やがて春のトンボは毛羽立つ未来へ。
ボクら引きずってるのはきっと青春の後味だ
スリップ・イン・ザ 少年
忘れちゃいないか?価値は勝ちだけじゃないぜ
振れ!振れ!フレ!

(プレイボール)

きみなら まだ間に合うよ

届かなかった夢の、先を走る。走る
いま!会いに来てよヒーロー
トンボは夜を越えて 飛べないボクのためと哀しく唄う

山手からの望みは武庫川、夕暮れ。
ボクらが担っているのはきっと青春のあとがきサ
ステップ・オン・ザ・サーティ 諦めないで!
「いつからか負けることに慣れてしまいました」

今なら まだ間に合うぜ?

敵わなかった夢の、先を走れ。走れ
いま!そばに居てよヒーロー
祈りは空を越えて 白い光の中で優しく回る

スキップ・とん挫 正義
忘れちゃいないか?ただ立って待ってないか?

届かなかった夢の終わりを観に行こうぜ
いま会いに来ちゃ遅ぇよ
トンボは夜を越えて 飛べないキミのためと
哀しく唄う
優しく回る
正しく消える


 〈春のトンボ〉が歌のモチーフであり、景物ともなっている。〈春〉はもちろん初の選抜野球大会から選択された季節だろう。〈トンボ〉は昆虫の蜻蛉。〈蜻蛉〉という字から〈蜻蛉カゲロウ〉が想起され、この〈カゲロウ〉から〈陽炎〉も連想される。命が短く儚いもの、という意味合いを帯びてくる。もう一つは、野球グランドの整備道具の〈トンボ〉。こちらの方は裏方仕事の労力、そのけなげさのようなものが伝わってくる。

 最初のフレーズに〈やがて〉〈未来へ〉とあるように、すべては〈未来〉から遡行する視点で歌われている。歌の主体、一称複数代名詞の〈ボクら〉が〈引きずってるのはきっと青春の後味だ〉とされる。未来へ飛翔した〈トンボ〉に引きずられるように、〈ボクら〉は青春の〈後味〉を噛みしめる。あくまでも〈後味〉であることに留意しよう。すべてはすでに過ぎ去っているのだ。この時間の間隔が、作者はっとりの持ち味だろう。

 冒頭の二行で歌の枠組が示される。はっとりは、この枠組の中で言葉を巧みにめぐらせる。

 〈スリップ・イン・ザ 少年〉〈ステップ・オン・ザ・サーティ〉〈スキップ・とん挫〉と、〈ステップイン〉〈ステップオン〉〈スキップ〉という三つの段階を定めて、少年時代、三十代、〈とん挫〉の時代という時が流れる。その時代ごとに〈忘れちゃいないか?価値は勝ちだけじゃないぜ〉〈諦めないで!〉〈正義〉という直接的なメッセージが歌われる。そしてその後に、〈振れ!振れ!フレ!〉という声援と〈(プレイボール)〉の宣言、〈「いつからか負けることに慣れてしまいました」〉という内言、〈忘れちゃいないか?ただ立って待ってないか?〉という問いかけがコーラスのように続く。このメッセージ群は、最終的に〈きみなら まだ間に合うよ〉〈今なら まだ間に合うぜ?〉に収束していく。

 〈間に合う〉というのは何よりも時間との闘いである。高校野球も闘いではあるが、そのモチーフを自分と時間との闘いに昇華している。そして、〈届かなかった夢の、先を走る。走る/いま!会いに来てよヒーロー〉〈敵わなかった夢の、先を走れ。走れ/いま!そばに居てよヒーロー〉というように、自らの〈夢〉の〈先〉が〈ヒーロー〉に仮託される。

 〈山手からの望みは武庫川、夕暮れ〉という風景描写がある。〈武庫川〉は甲子園球場の近くを流れている。〈ボクら〉が担うのは〈青春のあとがき〉。あくまでも〈あとがき〉、本文を終えた後書だ。

 〈トンボは夜を越えて 飛べないボクのためと哀しく唄う〉〈祈りは空を越えて 白い光の中で優しく回る〉〈トンボは夜を越えて 飛べないキミのためと〉というように、〈トンボ〉は〈僕〉と〈祈り〉と〈君〉のために飛翔する。〈哀しく唄う〉〈優しく回る〉と唄って旋回するのだが、最後は〈正しく消える〉。この〈正しく消える〉にはこの時代に対する無意識のメッセージがあるような気がする。〈正義〉に関わるなにものかに対する作者の想いがある。〈正義〉が、哀しく唄い、優しく回り、正しく消える、ということだろうか。その意味は聴き手に委ねられている。


 歌詞全体が、〈ステップイン〉〈ステップオン〉〈スキップ〉、〈哀しく唄う〉〈優しく回る〉〈正しく消える〉というように三つの要素による変化によって構造化されている。そのことによって、メッセージが直接的ではなく、ある旋回する流れの中で間接的に、そして断続的に浮かび上がる。歌詞の余白がめぐりはじめる。はっとりには洗練された巧みな表現の技術があるが、その技術を聴き手にあまり意識させることなく、数分間のロックに落とし込んでいる。マカロニえんぴつの音楽が現在の若者に支持される所以だろう。

 「PRAY.」というように「PRAY」祈りに「.」ピリオド、終止符が打たれている。この終止符がまた、哀しく唄い、優しく回り、正しく消えるように聞こえてくる。


2023年3月31日金曜日

「黒服の人」―音による表象 [志村正彦LN331]

 志村正彦・フジファブリックの「黒服の人」に戻りたい。

 5分50秒ほどの長さを持つ曲である。イントロは静謐でありながらどこかに不穏な響きもある。歌詞の世界に入ると、冬の〈とても寒い日〉の〈小さな路地裏通り〉で、歌の主体が〈牡丹雪〉〈車の轍〉の〈雪〉へ、〈黒服の人〉、〈笑ったあなたの写真〉と〈泣いてる〉〈みんな〉へと眼差しを降り注ぎ、〈忘れはしない〉という意志をもって、〈遠くに行っても〉〈何年経っても〉という場と時を彼方に描いていく。そして、〈雪〉が消えていく。志村の声は自らの言葉をかみしめるように歌っていく。

 曲の真ん中あたりで歌詞のパートは終わる。その後、アウトロが3分ほど続く。少しずつ微かな電子音が聞こえてくる。5分を過ぎたあたりで、その電子音はパルスのような波形を模した音に変わり、その波形の間隔がゆっくりとなり、最後の十秒ほどでフラットになる。

 誰もがこのサウンドから、心電図の波形の音を想像するだろう。そしてその音がフラットになることの意味も明確であろう。

 

 「黒服の人」を初めて聴いたとき、志村正彦がこういう音楽を作る人であることに驚いた。懼れた、といってもよい。ある種の畏怖のような感情かもしれなかった。

 この曲を聴く度に、辛い気持ちにもなった。心電図の波形のような音が《死》を想起させる。                                                        

 なぜ志村はこのような音楽を作ったのだろうかと考えてみた。

 彼の感覚、特に聴覚は鋭敏だったと推測される。リアルな音が聞こえてくる。そしてその音を記憶する。時にはそのまま実際に記録する。彼は、学校の教室での音など身の回りの音をよく録音していたそうである。そして、その音を音楽に変換していく。


 これはあくまでも想像だが、志村は、心電図の波形の音によって他者の《死》を受けとめたことがあったのではないか。あるいは、実際の経験ではなかったのかもしれないが。直接的か間接的な経験から、音によって音楽によって、《死》を表象することを試みたのではないだろうか。

 「黒服の人」はそのことを告げているような気がしてならない。


2023年3月22日水曜日

2009 WBCテーマソング『Sugar!!』[志村正彦LN330]

 今日の「2023 WORLD BASEBALL CLASSIC」決勝戦。日本がアメリカを3対2で下して勝利。7戦全勝で3大会ぶり3回目の優勝。野球、ベースボールの素晴らしさを久しぶりに堪能した。

 WBC、というと思い浮かぶのは、志村正彦・フジファブリックの『Sugar!!』。この曲は、「スポーツ専門チャンネルJ SPORTS」の「2009 WBC」中継のテーマソングとなった。

 youtubeで探すと「Jsports WBC2009 ending」という映像が見つかった。志村の声が流れてくると、今日の感動がまた新たなものになってくる。

 



  全力で走れ 全力で走れ 36度5分の体温
  上空で光る 上空で光る 星めがけ

  全力で走れ 全力で走れ 滑走路用意出来てるぜ
  上空で光れ 上空で光れ 遠くまで


 サビの第一連後半の〈上空で光る〉〈星めがけ〉が、第二連後半では〈上空で光れ〉〈遠くまで〉に変わっていく。〈36度5分の体温〉で〈滑走路〉へと、〈全力で走れ〉から〈上空で光れ〉へと、運動が続いていく。

 映像の中でこの歌詞が流れると、この運動の軌跡が、WBCの優勝、上空の彼方で光ることへとつながるように聞こえてくるから不思議だ。


 志村正彦は野球少年だった。「記念写真」の歌詞にはこうある。


  ちっちゃな野球少年が
  校舎の裏へと飛んでったボール 追いかけて走る
  グラブをかかえた少年は
  勢い余ってつまずいて転ぶ すぐに立ち上がる

 

 志村が山日YBS杯山梨県少年野球大会に出場した際の写真入りの記事も残されている。(僕も野球少年だったのでこの大会に参加したことがある。毎朝、小学校のグラウンドで練習をしていたのは良い思い出だ)

 志村日記(2009.9.14)では、〈僕は小さい時からプロ野球の選手になろうと思ってました。しかし、中学3年生の夏、富士急サウンドコニファーというところで民生さんのライブを友達に誘われ観に行きました。ステージで一曲目が始まった瞬間、プロ野球の選手になるという夢は吹っ飛び、音楽家になろうと思いました〉と述べている。


 志村は「OKMusic」のインタビュー(【フジファブリック】OKMusic編集部2009年03月20日)で『Sugar!!』について、〈バンド活動もそうですけど、全力で駆け抜けていくことが、これから必要だなって感じていたからこういう歌詞になったんだと思います〉と語っている。当時、2009年春の時点での志村の心境が伺える。


 プロ野球選手からプロ音楽家へと、志村の〈上空〉の〈光〉は変わっていったが、2009 WBCのテーマソング『Sugar!!』は、志村自身が〈全力で駆け抜けていくこと〉に対する応援ソングでもあったのだろう。


2023年3月12日日曜日

「黒服の人」―主体の眼差し [志村正彦LN329]

 志村正彦・フジファブリック「黒服の人」は、2005年2月、四季盤シングルの最終章、冬盤「銀河」のB面曲として発表された。歌詞を引用する。

 

 「黒服の人」(作詞・作曲:志村正彦)


  並ぶ黒服の人 空から降る牡丹雪
  小さな路地裏通りで 笑ったあなたの写真を
  眺めてみんなが泣いてる
  見送ったあとの車の 轍に雪が降り積もる
  そうしてるうちに消えてく
  それは寒い日のこと とても寒い日のこと

  遠くに行っても 忘れはしない
  何年経っても 忘れはしない


 歌詞の中の〈あなた〉の葬儀の情景が歌われている。この〈あなた〉はおそらく志村の近親者かごく親しい人のことだろう。冬の季節、雪の日の出来事でもある。

 前回紹介したドラマ『雪女と蟹を食う』は「死生観」をテーマとしている。この歌が作中で流されたのは、テーマの共通性からであろう。


 表現面の特徴からまず論じたい。その前に歌詞の言葉について注記したいことがある。ネットの歌詞サイトでは、冒頭の〈並ぶ〉が〈並び〉と記されているものが多いが、これは当初の歌詞カードの誤記に拠るようだ。アルバム『シングルB面集 2004-2009』や『志村正彦全詩集』では〈並ぶ〉になっている。

 歌の主体の眼差しの中で全てが映し出されてゆく。〈みんな〉の眼差しが二人称の〈あなた〉の〈笑った〉〈写真〉に注がれる。そして〈みんな〉が泣いている。〈並ぶ〉〈降る〉〈泣いてる〉〈降り積もる〉〈消えてく〉、動詞の終止形のウ音が基調になる。意味の連鎖の上でも、雪が〈降る〉〈降り積もる〉〈消えてく〉という動きとウ音のつながりがある。〈並ぶ〉みんなが〈泣いてる〉、その静かな響きの情景を〈それは寒い日のこと とても寒い日のこと〉という〈こと〉の体言止めによって終結させている。この時この場の情景が絵画のように記憶に刻まれるが、〈遠くに行っても〉〈何年経っても〉、〈あなた〉を〈忘れはしない〉という意志が繰り返し歌われる。〈ない〉の反復が志村の歌であることを証している。


 雪国とは異なり、山梨では雪はあまり降らないのだが、標高が高い富士吉田では年に何度か降り、積もることがある。「牡丹雪」は僕の感覚からすると、春が近づき暖かくなっていく季節に降るイメージがある。

 志村の他の作品で〈雪〉が登場するのは、『Stockholm』の〈静かな街角/辺りは真っ白/雪が積もる 街で今日も/君の事を想う〉と、『MUSIC』の〈君を見つけて 君と二人/遊び半分で 君を通せんぼ/冬になったって 雪が止んじゃえば/澄んだ空気が僕を 包み込む〉である。どちらも、歌の主体が雪の情景の中で二人称の〈君〉のことを想う。「黒服の人」では〈あなた〉という二人称だった。雪の情景と二人称の存在との間に強いつながりがあるのかもしれない。


 楽曲の面では、真ん中あたりで歌のパートが終わってしまい、間奏からアウトロにかけて、ギターが鳴り響くところに特徴がある。このギターは志村が奏でたようだ。僕はこの旋律からどこか志村のブルースのようなものを感じてしまう。いわゆるブルースギターではないが、深い憂いのギターとでもいうべきものを。 

 ギターのことで少しだけ触れたいことがある。以前も書いたことがあるが、志村が高校入学の春、初めてのエレキギター、ギブソン・レスポールスペシャルを購入したのは、甲府の岡島百貨店にあった新星堂ロックイン甲府店だった。もうかなり前にこの楽器店は閉店していたが、この度、岡島百貨店は現施設での営業を終了し、規模をかなり縮小した上で近くのビルに移転した。これまでの建物は老朽化により解体されてしまう。岡島百貨店の創業は1843年、百八十年の歴史を持つ老舗である。東京でいえば三越といった感じのデパートであり、山梨の人々にとっては華やかな買い物の場所であった。僕にもいろいろな思い出がある。店内のジュンク堂書店の音楽書コーナーの目立つ場所に「ロックの詩人 志村正彦展」のフライヤーを飾ってくれたこともあった。思い出が消えていくようで淋しい限りである。

 

 冬の〈とても寒い日〉の〈小さな路地裏通り〉で、歌の主体の眼差しが〈牡丹雪〉〈車の轍〉の〈雪〉へ、〈黒服の人〉、〈笑ったあなたの写真〉と〈泣いてる〉〈みんな〉へと降り注がれ、〈忘れはしない〉という意志が垂直に立ち上がり、〈遠くに行っても〉〈何年経っても〉という場と時が彼方に描かれ、そうして〈雪〉が消えていく。

    (この項続く)


2023年2月26日日曜日

「黒服の人」―ドラマ「雪女と蟹を食う」[志村正彦LN328]

 昨年の夏から半年ほど「茜色の夕日」について断続的に書いてきた。一月ほど休止したが、このブログを再開したい。冬ももう終わりつつあるが、四季盤シングルの冬盤「銀河」のB面曲「黒服の人」を取り上げる。

 Gino0808の漫画「雪女と蟹を食う」がテレビ東京系「ドラマ24」枠でドラマ化され、2022年7月から9月まで放送された。監督は、内田英治・柴田啓佑・松本優作。このドラマの挿入曲として、志村正彦・フジファブリックの「サボテンレコード」と「黒服の人」が使われたことをネットで知ったが、その回は見逃してしまった。10月からBSテレ東で再放送されたので、第1話から最終12話まで見ることができた。まだ、漫画作品の方は読んでいない。

 「黒服の人」は第9話の冒頭、北(重岡大毅)と雪枝彩女(入山法子)が車で北海道の小樽へ入り、二人が小樽の街を歩く場面で〈遠くに行っても 忘れはしない/何年経っても 忘れはしない〉の部分が流された。時間も25秒ほどで音量も小さかったので、注意しないと聞き逃してしまうようだったが、むしろこの曲にふさわしい演出だったのかもしれない。動画配信サービスで視聴できるが、youtubeにはこの回の予告編がある。



 

 企画・プロデューサーの松本拓氏は〈テーマは「死生観」です〉〈人が生きる意味、そして、人の温かみを感じて頂ける作品に仕上がっていくと思いますし、「生」と「死」という人間の普遍的な要素を表現しながらも、その世界観はとても現代的なものになっていくはずです〉と語っている。確かに、「生」と「死」の要素を中心に、「性」と「愛」の要素も織り込んだ作品である。


 生の行き詰まりからどのようにして自らを解き放ち、自分自身の時を未来へとつなげていくのか。


 その切実なモチーフを、重岡大毅と入山法子の優れた演技と工夫された演出によって描いている。セレブな高級車、赤色のBMW M5と北が着る変わったTシャツとの取り合わせも面白い。東京から北海道までのロードムービーだが、温泉宿や土産物、蟹など美味しそうな食べ物も絡めている。第9話でも小樽運河や旧倉庫、おたる水族館を訪れていて、旅案内風なところもあった。第12話の結末は、ロードムービーの終着点ではなく、新たなロードムービーの始まりである。

 (この項続く)


2023年1月29日日曜日

《痕跡として有りつづける、有るもの》-『茜色の夕日』12[志村正彦LN327]

 志村正彦の聴き手であれば、一人ひとり、忘れることのできない『茜色の夕日』があるだろう。この曲との出会いの時。この曲の想いが真に迫ってきた時。その《時》あるいはその《時々》において、聴き手はこの曲に触発される。〈少し思い出すものがありました〉という志村の声に誘われるようにして、何かを少し思い出す。

 僕にとってのその《時》は、2014年11月28日だった。日本武道館のフジファブリック・ライヴで『茜色の夕日』を聴いた。

 オープニングから十曲ほど演奏した後、志村のハットがマイクスタンドにかけられて、演奏が始まった。イントロのオルガン音に続いて、志村の声が武道館に響きわたる。予期していなかった驚きと共に心に込みあげてくるものがあった。ここにはいない志村正彦の音源と、現メンバーの金澤ダイスケ・加藤慎一・山内総一郎、サポートの名越由貴夫・BOBOによる生演奏の共演による『茜色の夕日』。当時のブログで書いたことをここに引きたい。


彼は無くなってしまった。だがしかし、そうであるがゆえに、よりいっそう、彼は《声》そのものになった。《声》という純粋な存在になった。聴くという行為が続く限り、いつまでも、彼の《声》は今ここに現れてくる。


 あの日の『茜色の夕日』は、歌の音源と生演奏によるもの、というよりも、志村正彦・フジファブリックの歌と演奏を聴いたという記憶となって、僕の中に強く残っている。その記憶を大切にしたいので、日本武道館ライヴのDVDの映像も一度見ただけで、それ以上見ることはしなかった。

 今日、これを書くにあたって、八年ぶりにライブ映像を見た。こみあげてくるものがあった。それでも志村の声を聴くことに集中した。〈僕じゃきっと出来ないな/本音を言うことも出来ないな/無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった〉という箇所にやはり惹かれた。

 この一連のエッセイでは、この箇所をユニットⅣに位置づけた。このユニットⅣがユニットⅠ・Ⅱ・Ⅲの枠組の外側にあり、現在時の歌の主体〈僕〉の心の中の呟きの声が表出されている、という点を中心に論じてきた。武道館の音源は〈2005年9月シングル版・2005年11月アルバム〉収録のものを使ったようで、〈無責任でいいな〉は、やはり、〈責任でいい〉と歌われているように聞こえる。〈無責任でいい〉という言葉には、自分自身に対する深い問いかけがある。志村の声がそう伝えている。 


  志村正彦のように、高校を卒業後、東京に出て行く山梨の若者は少なくない。僕もそうだった。山梨の空の星は美しい。もともと星を見るのが好きだったので、山梨の夜空をよく見ていたのだが、東京に出てからはそれがほとんどなくなった。空を見ることを忘れてしまったとも言える。そういう経験をしてきた者には、「茜色の夕日」の〈東京の空の星は見えないと聞かされていたけど/見えないこともないんだな。そんなことを思っていたんだ〉という言葉が迫ってくるかもしれない。

 この表現は、〈東京の空の星〉も〈見えるんだな〉ではなく、〈見えないこともないんだな〉と語っているところが志村らしい。〈ある〉という単純な肯定ではなく、〈ない〉ことも〈ない〉という二重否定を使っている。一度、その現実が〈ない〉と否定された後で、その否定自体をくつがえす何らかの契機によって、否定が否定され、その現実が肯定される。その過程の中で、何かを見出すという時が流れている。

 〈ないこともない〉という感覚と論理が志村の歌の根柢にある。

 そもそものはじめには〈ない〉がある。「茜色の夕日」でも「若者のすべて」でも、〈ない〉という声がこだましている。彼の声がこれほどまでに〈ない〉を繰り返したのは、端的に言って、彼の《喪失》の深さを表しているのだろう。何かが、誰かが、あるいは、時や場そのものが失われていく。志村はおそらく物心がつく頃から、失われていくものに鋭敏だったのではないだろうか。

 失われていくものは、そのままそこに不在となる。無いものとなる。しかし、無いものは記憶の痕跡としてはそこに有りつづける。無いものとなったが、そこに痕跡として有りつづけるもの。志村がそれを歌うことによって、聴き手にもそれが浮かび上がる。それを《痕跡として有りつづける、無いもの》と名付けてみたい。

 この《痕跡として有りつづける、無いもの》は、〈ない〉と繰り返し歌われることによって、二重に否定される。《無いもの》が〈ない〉と二重否定され、結果として肯定されると、《無いもの》が《有るもの》へと変換される。《痕跡として有りつづける、無いもの》が、不思議なことではあるが、《痕跡として有りつづける、有るもの》とでも名付けられるものへと変わっていく。錯綜とした分かりにくい論理ではあるが、そのような論を呈示したい。

 〈東京の空の星〉はもともと有りつづけたものであるが、〈見えない〉とされることによって《無いもの》とされてしまう。しかし、その《無いもの》が〈見えないこともない〉という二重否定によって、《有るもの》として肯定される。〈東京の空の星〉は《痕跡として有りつづける、有るもの》として、眼差しに浮上する。

 

 志村正彦には、《痕跡として有りつづける、無いもの》を《痕跡として有りつづける、有るもの》へと変えたいという想いがあったのではないだろうか。《痕跡として有りつづける、有るもの》を希求する想いと言ってもよい。「茜色の夕日」にもその想いが貫かれている。

 昨年の八月から半年の間、断続的に番号を付けながら『茜色の夕日』について書いてきたが、今回でひとまずの区切りを付けたい。


2023年1月22日日曜日

〈リアルな思い〉と客観的な視線-『茜色の夕日』11[志村正彦LN326]

  『若者のすべて』が収録された3rdアルバム『TEENAGER』は、〈十代〉をめぐる一種のコンセプト・アルバムである。〈二十代〉の後半になった志村正彦は、このアルバムで〈十代〉を振り返ろうとした。志村は『若者のすべて』についてこう語っている。(『音楽と人』2007年12月号インタビュー記事、樋口靖幸氏)

 

〈茜色の夕日〉以来です、こんなナーバスになってるのは。あの時は曲つくって自分の思いを表現して、あの人にいつか届けたいっていう、音楽やるのに真っ当な理由があったわけですよ。それに自信をつけられていろんな曲を今まで作ってきたけど、これは当時のその曲と同じくらいのリアルな思いがある……ってことを、作った後に気づかされたんだよなぁ。

 

 『若者のすべて』には、『茜色の夕日』と〈同じくらいのリアルな思い〉があることを〈作った後に気づかされた〉のは、そのリアルな思いを事前に意識していたのではなく、創作した後で事後的に認識したということである。『茜色の夕日』の創作によって〈自信〉を付けた志村は多様な楽曲を表現していったが、その〈リアルな思い〉は幾分か遠ざかっていった。無意識的なものとなったとも言えよう。しかし、『若者のすべて』によって、〈自分の思いを表現して、あの人にいつか届けたい〉というモチーフが強く、志村の中で浮上してきた。〈二十代〉の後半になった志村は、〈十代〉の思いをふたたび語りたかったのかもしれない。

 

 〈十代〉から〈二十代〉へと至る道筋についてもう一つの観点を示したい。


 『若者のすべて』の主体〈僕〉は、夏の終わりの季節に街を歩き始め、夕方5時のチャイムを聞き、運命や世界の約束を考える。街灯の明かりがつくと帰りを急ぎ、〈途切れた夢の続き〉をとり戻したくなる。〈僕〉の一日は〈すりむいたまま〉のように終わるのだが、やがて〈僕〉は、〈すりむいたまま〉に〈そっと歩き出して〉いくだろう。

 『若者のすべて』から時を遡って『茜色の夕日』を捉えると、『若者のすべて』は『茜色の夕日』で歌われていた〈途切れた夢〉の〈続き〉を歌ったものだとも考えられる。

  『茜色の夕日』の回想は〈途切れた夢〉の回想でもある。その〈続き〉が『若者のすべて』で語られることになる。そして、その〈途切れた夢〉の〈続き〉を取り戻すために、〈そっと歩き出して〉いく意志を歌ったのが『若者のすべて』であるという見方はどうであろうか。


 歌の主体〈僕〉の声、第三次の語りに焦点化すると、『茜色の夕日』の〈本音を言うこともできない〉から、『若者のすべて』の〈会ったら言えるかな〉〈話すことに迷うな〉への変化を指摘できる。〈言うこともできない〉は文字通り、言うことが不可能な状態である。『茜色の夕日』の〈僕〉は、言うことができないまま、立ち尽くしている。

 『若者のすべて』の〈言えるかな〉には、言いたいのだが本当に言うことができるかなという想い、〈話すことに迷うな〉には、話したいのだがその内容に迷ってしまうという想いが込められている。どちらにしろ、『若者のすべて』の〈僕〉は、言えないまま立ち尽くすのではなく、言うことに向かって少しずつ歩み出している。〈十代〉から〈二十代〉への言葉をめぐる軌跡が浮かび上がる。

  志村は、〈フジファブリック『FAB FOX』インタビュー〉(billboard-japan)で、〈曲のアプローチ、曲を作っていく中で――もちろん夢中になってしまう自分もいるんですが―― 客観的に見れるようになっていった〉と語っている。インタビュアーの〈客観的になった事で見えてきた物などありますか?〉という問いに対してこう答えている。

  

そうですね・・・、結構妙な事やってるな、とは思いますね(笑)。音楽を始める時は色んな素晴らしい人がいて色んな素晴らしい音楽があって、それに感動したりして「そういう音楽って凄いな」って思うんですけど、いざ真剣に考えてみると「ここの歌詞はちょっと自分と違うな」「自分だったらこういう音で作るんだけどな」っていうのがありまして。それを実際にやってみたいって事でミュージシャンを目指したんですけど、やっと自分がやりたかった事が出来てきたというか、色々面白い事に挑戦しているバンドなんじゃないかと思うんですけどね。


 表現者としての志村は、次第に、歌の主体〈僕〉を客観的に見ることができるようになった。このような視線で〈二十代〉の志村は〈十代〉の志村を見つめ直した。『茜色の夕日』から『若者のすべて』までの時の流れの中で、言葉をめぐる在り方も変化した。〈やっと自分がやりたかった事が出来てきた〉〈色々面白い事に挑戦しているバンド〉だという達成感も得られてきた。そのような軌跡が浮かび上がる。この軌跡は表現者としての志村の成長を物語っている。

 また以前、2001年から2005年までに至る『茜色の夕日』の歌い方の変化によって、自分自身が自分を問い返す意味合いが強まってきたと書いたが、このことと客観的な視線を獲得したことの間には深い関係があるだろう。



2023年1月8日日曜日

故郷と東京、〈十代〉と〈二十代〉-『茜色の夕日』10[志村正彦LN325]

 新年が明けた。今年もよろしくお願いします。

 このブログでは毎年十二月の最後にその年の出来事を振り返ってきたが、昨年末はそれができなかった。2023年の最初の回で少し、昨年のことを書きたい。富士吉田を何度か訪れたことについてである。

 一月、下吉田駅の志村正彦パネルを見て、列車近接音の『茜色の夕日』と『若者のすべて』を聞いた。その後も、本町通りの商店街で買い物をしたり、吉田のうどんの店を新しく開拓したりと、街を歩いた。十月「ハタオリマチフェスティバル2022」、十二月「FUJI TEXTILE WEEK 2022」とイベントにも出かけた。

 フジテキスタイルウィークでは、落合陽一の《The Silk in Motion》が想像以上に美しかった。小室浅間神社の神楽殿に設置した大型LEDで上映された映像は、ファブリックの色彩と形態が時間と共に変容していく姿をどこまでも追いかけていく。映像に複雑なリズムがあった。産地展「WARP& WEFT」では、ファブリックのサンプル生地やマテリアルブックを見た。富士吉田の織物産業とその歴史を、文字通り、手に取るようにして知ることができた。

 展示会場の一階にはオープンしてまもなくの「FabCafe Fuji」があった。ハンドドリップコーヒーを飲んで一休みする。窓の外を見ると、スマホを構えた観光客がたくさんいる。富士山写真のスポットのようだ。本町通りには洒落たカフェが集まってきた。新しい街へと歩み出しているようだ。

 富士山駅の「ヤマナシハタオリトラベル mill shop」にも三度ほど立ち寄った。黒板当番さんの黒板画を拝見するためである。最も印象に残ったのは『Strowberry Shortcakes』の絵。〈フォークを握る君〉〈左利き?〉〈残しておいたイチゴ食べて〉〈クスリと笑う〉〈片目をつぶる君〉〈まつげのカールが奇麗ね〉と歌詞が展開していく女性を一つの像で見事に描ききっている。これは傑作ではないか。その女性を〈上目使い〉で見ている〈僕〉の少々デレンとした表情にも味わいがある。


 富士吉田の街を歩くとやはり、志村正彦の故郷を身近に感じることができる。

 昨年秋から『茜色の夕日』について書いてきた。この歌の回想場面には故郷での出来事が強く反映されているように思う。特に、〈十代〉の出来事が色濃く刻まれている。志村は、『茜色の夕日』に関連して、〈フジファブリック『FAB FOX』インタビュー〉(billboard-japan)で次のように語っている。  


ミュージシャンになりたくて決意の上京をした訳ですけど、言い方が堅いですけど孤独だったりしたんですよね、東京は。ホームシックになったりしましたし。でも今は東京の中での自分の場所、それはバンドの中での自分でもありますけど、ずっと住んでる今の家があって、色んな所に行ったりしても帰る場所がある、落ち着ける場所がある。それだけでも違いますよね。


 メジャー1stアルバム『フジファブリック』、2ndアルバム『FAB FOX』の二作によって、フジファブリックの作風は確立した。志村が正直に語っているように、〈孤独〉や〈ホームシック〉を乗り越えて、〈東京の中での自分の場所〉を得たことが彼の創作を支えたのだろう。彼にとって、故郷が〈十代〉までの経験の場であり、東京が〈二十代〉の場であった。

 3rdアルバム『TEENAGER』になると、〈十代〉をめぐる一種のコンセプト・アルバムを試みた。『若者のすべて』もこのアルバムの一作品であり、〈十代〉を回想するモチーフが込められている。それはどのような経過をたどったのだろうか。

   [この項続く]