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2024年12月31日火曜日

2024年/NHK甲府「……志村正彦がのこしたもの~」 [志村正彦LN359]

 一週間前、今年最後の「山梨学Ⅱ」の授業で、NHK甲府「若者のすべて~フジファブリック・志村正彦がのこしたもの~」を受講生に見せた。

 山梨英和大学の2年次前期必修科目「山梨学Ⅰ」では、行政機関や博物館などの実務担当者や専門家を招聘講師として招いて、「行政と地域活性化-富士吉田市ハタオリフェスの試み」(富士吉田市富士山課)、「世界文化遺産-富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」(山梨県富士山世界遺産センター)、後期の選択科目「山梨学Ⅱ」では「山梨ハタオリ産地の歴史とブランディング活動」(山梨県産業技術センター富士技術支援センター)という特別講義を行った。受講生は、地域、観光、行政、歴史、信仰、芸術、技術、広報という様々な観点から、富士吉田を中心とする富士北麓地方について学びんできた。さらに「山梨学Ⅱ」では、10月に富士吉田の「ハタオリマチフェスティバル」に行き、いろいろな方へのインタビューを通してハタフェスについての報告をSLIDEにまとめて、グループ別に発表した。知識だけでなく、実践的で探求的な活動を試みているが、年間を通じて富士北麓という地域が大きなテーマの一つとなっている。

  今回は、志村正彦・フジファブリックの音楽を広めていく地域の活動に焦点をあてて、志村正彦の同級生たちの活動、地域や地域を越えていく彼の影響力の広がりという観点を設定した。


 学生たちがNHK番組について書いた文章を六つほどここで紹介したい。


  • 彼の魅力が今も語り継がれているのは、志村さんが作る音楽が素晴らしいだけでなく、その人柄や思いが深く周囲に影響を与え続けているからだと感じた。それと同時に、多くの人に愛された志村正彦という存在と彼の作った曲は今後も決して忘れられることなく、人々の心に生き続けると確信した。
  • 番組で語られていた地元山梨に対する志村さんの想いや、音楽を通じて表現しようとした人間的な温かさに触れ、音楽だけでなくその背後にある彼の人生観や価値観にも魅了されました。地元に根差しながらも、広く世界に向けて発信していくその姿勢は、山梨という地域の誇りでもあると感じます。
  • 本人が亡くなってしまった後でも、本人のために何かをしてあげたい、こういう人がいたということを残してくれる人がいるということは、何よりも本人が生きて頑張った証なのだというように思った。

 志村正彦の「人柄や思い」が周囲に深く影響を与え続けていること、地元山梨に対する「想い」、音楽を通じて表現しようとした「人間的な温かさ」、「人生観や価値観」に魅了されたというように、志村正彦の存在そのものを受けとめようとする意見が多かった。また、彼の音楽が聞き続けられ、人柄が語り継がれる今日の状況は「何よりも本人が生きて頑張った証」だとされたことには、このブログの書き手としてとても共感した。

  • 私がフジファブリックを初めて知ったのは小学生の頃で、志村さんが亡くなられた後に志村さんを除いたメンバーが音楽番組に出演されていたのをたまたま目にして、それが非常に印象に残っていました。亡くなられてからもたくさんの人々に愛されていたお方なんだろうなあというのはその際から印象として持っていました。
  • 志村正彦さんの曲は中学生のときに担任の先生がギターで演奏してくれて知りました。歌詞一言一言に山梨の景色や空気、思い出など詰まっていて、聞いているだけで山梨の街並みが浮かんでくるような思いにさせられます。
  • フジファブリックのことを初めて知ったのは今年の前期で受講した山梨学だった。志村正彦さんの作った曲がその時にやった講義の中で一番心に残った。なぜなんだろうと思ったがおそらく僕は志村正彦さんの歌詞や志村さん自体の世界観が今までに出会った人たちとは全く違うからだと考える。


 小学生の頃に見た番組、中学生の時の担任のギター演奏、そして大学での講義、と出会い方は様々だが、志村正彦・フジファブリックとの出会いの機会は増えているようだ。もちろん、受講生の八割は山梨で生まれ育った学生だということがあるだろう。最後の文章には「志村正彦さんの歌詞や志村さん自体の世界観が今までに出会った人たちとは全く違う」と書かれている。そのような捉え方をさせる力が志村正彦という存在とその作品にはある。


 授業終了後、中国からの留学生が声をかけてくれた。9月の末に、新倉山浅間公園に行くために下吉田駅で下りたときにある曲が流れていたが、誰の曲かどうして駅でその曲を流すのかを分からなかったが、この番組を見てあの時の曲が「若者のすべて」や「茜色の夕日」だと分かり、志村正彦という人を知ることができて良かった、と語ってくれた。このような出会い方もあるのだ。


 今年2024年を振り返ると、まず第一に7月にフジファブリックが2025年2月で活動を休止することが発表されたことが挙げられるだろう。一つの時代が終わり、フジファブリックという円環が閉じられる。

 それに関連して、8月に、フジファブリック 20th anniversary SPECIAL LIVE at TOKYO GARDEN THEATER 2024「THE BEST MOMENT」が開かれた。志村家の協力によって、これまでにない素晴らしい演出となった。『モノノケハカランダ』『陽炎』『バウムクーヘン』『若者のすべて』では、志村正彦の音源・映像とステージでの生演奏がミックスされた。アンコールの『茜色の夕日』では画像はない代わりに、志村の歌う声が強く響いてきた。

  6月にNetflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』が配信された。劇中歌として『若者のすべて』が使われたが、物語そのものに深くこの歌が関わっていた。(そのことはこのブログで数回に分けて書いた)

 『若者のすべて』の優れたカバーが続いた。映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』主題歌のsuis from ヨルシカ、大島美幸・こがけんのデュエット、ガチャピン。その他、YouTubeでもいくつもカバーがアップされている。すべてを追えないくらいだ。

 この曲が人びとに聴かれて、ますます広がり、知名度も上がっていることを実感した。


2024年11月10日日曜日

2024ハタフェスと「赤黄色の金木犀」の黒板画[志村正彦LN357]

 もう三週間前になるが、10月19日、「山梨学Ⅱ」という授業で30人の学生と一緒に富士吉田の「2024ハタオリマチフェスティバル」に行ってきた。地域活性化の先進的な試みを学ぶための現地見学と調査だ。ここ数年の間、行っている。朝9時にバスに乗って大学を出発。心配していて天気も何とかもちそうで、御坂トンネルを越すと、富士山がその美しい姿を現した。少し雲はかかっていたが、まだ雪はなかった。夏山の富士だった。10時に富士吉田市役所の駐車場に到着。バスを降りて会場に向かった。引率教師と学生たちが集団で歩く姿は、まるで小学生の遠足のように見えただろう。

 ハタフェスは富士吉田の秋祭り。二日間、本町通り沿いの各会場でハタオリの生地や製品を販売したり関連のイベントをしたりする街フェスだ。昼までは五人ずつの六つのグループに別れて見学し、インタビューなどを通して調査を行い、見学報告のSLIDEを作成するのが課題だ。午後は各自の自由見学という流れだ。僕もいくつかのスポットを廻った。ところどころで学生たちとも出逢った。


 まずはじめに、KURA HOUSEで開催の「私のハタオリマチ日記展」。イラストレーターのmameさんが描いてきたRIHO、SACHI、AOIの物語とそのイラストが展示されていた。mameさんの絵のキャラクターはとにかく愛らしいのだが、状況や背景もしっかりと描かれているので、その場の雰囲気がよく伝わる。富士吉田という街と人の物語が浮かんでくるのだ。志村正彦ゆかりの喫茶店と言われる「M2」の前で佇むイラストも飾られていた。ポスターやポストカードのプレゼントもあったのが嬉しかった。


 今年はフードコートのようなエリアが充実していた。甲府のAKITO COFFEEの店があったので、フィルターコーヒーを深煎りで注文した。出来上がりまでの時間、このエリアにいる人びとを眺めると、各々がゆっくりとこの場にいることを楽しんでいるようだ。一息つくことができた。コーヒーで身体が温まる。チョコレートのマフィンも美味しかった。

 次は小室浅間神社。ここに来るといつもポニーを見に行く。可愛い眼が和ませる。こういう場もあるのがハタフェスのよいところだ。



 この後、中村会館を目指して本町通りを上がっていく。途中で驚くことがあった。M2近くにある謎の古書店「不二御堂」が何とオープンしているではないか!ここは何度も通ったことがあるが、いつも閉まっていた。初めて入り、高速に眼を動かして、書籍を物色。僕の趣味に合う本が多い。懐かしい本もたくさんあった。「現代詩手帳」のバックナンバーに掘り出し物があったので購入した。

  中村会館のエリアには黒板当番さんのコーナーがある。毎年ここに寄るのを楽しみにしている。志村正彦の黒板画をプリントした小さな絵が並んだパネルが立っていた。何度見てもあきることがない。


 

 さらに、富士山駅まで歩いていく。ゆるやかだが上り坂なのでけっこうしんどい。目指すは、駅ビル『ヤマナシハタオリトラベル』にある、志村正彦・フジファブリック「赤黄色の金木犀」をテーマとした黒板画だ。

 今年はいつもと違い、エレベーター近くの目立つ場所に飾られていた。
 絵の全体が赤黄色の色合いに溶け込んでいる。金木犀が香ってくるようだ。チョークの綺麗な点描で志村正彦の表情が繊細に描かれている。黒板当番さんがたくさん描かれてきた志村画のなかで、この絵がもっとも好きになった。




 見学から一週ほど後に、授業で六つのグループによる「ハタフェス見学報告」SLIDEの発表会を行った。全グループをまとめると120枚のSLIDEが出来上がった。いろいろな観点からハタフェスの魅力を語り、地域活性化のためのアイディアを考えた。課題や改善点も探った。

 あるグループが「YOUは何しにハタフェスへ」と題して、海外から来た人へのインタビューをまとめた。このユニークなテーマが大好評だった。フランス人夫婦(40代)、台湾人カップル(30代)、ドイツ人女性(30代)、オーストラリア人女性(40代)、マレーシア人男性(20代)と、国際色がほんとうに豊かだ。
 ハタフェスについては、「民泊のところに置いてあったチラシで知った」「泊まってるホテルから教えてもらった」「富士山や新倉山浅間公園を見に来たら、たまたまやっていた」という回答。みんな、雰囲気が素晴らしいと答えてくれたそうだ。

 これから、富士吉田の「ハタオリマチフェスティバル」が世界に知られるようになるのかもしれない。この街にはそのようなパワーがある。

2022年10月30日日曜日

小さな旅-2022ハタフェス[志村正彦LN319]

 10月22日、昨年に引き続き、大学の「山梨学Ⅱ」という授業で、学生19名とバスに乗って、富士吉田の「2022ハタオリマチフェスティバル」に行ってきた。地域活性化の先進的な試みを実際に見て学ぶための現地見学である。コロナ禍での小さな旅といってもよい。ハタフェスは、山梨県富士吉田市の街の中で開催する秋祭り。二日間、小室浅間神社と本町通り沿いの各会場で、山梨のハタオリの生地や製品を販売したり関連のイベントをしたりする街フェスだ。

 富士吉田市役所の駐車場にバスを止めて、全員で歩いて、メイン会場の小室浅間神社に到着。皆で記念写真を撮った後、三つのグループ別の見学、その後、各自の自由見学という流れだ。

 この自由見学の時間に志村正彦の生家近くの公園へと向かった。この日は晴天で富士山がよく見えた。雪がまだなく、赤茶けた山の地肌が露わになった夏の富士だった。その姿を見ながら、前日アップしたばかりの偶景webの記事をスマホで探して、インディーズ版『茜色の夕日』MVを再生した。志村の歌声が静かに流れる。いくぶんか感傷的な気分に浸った。



 それから、「FUJIHIMURO」で開催中の「旅するテキスタイル」展を見に行った。フィンランドで最も歴史のあるテキスタイルブランド「フィンレイソン」のテキスタイルプリントを行ってきた街フォルッサの工場跡地をリニューアルした博物館の出張展だ。実物の展示と解説のグラフィックパネルが充実していた。富士北麓にはどことなく北欧の香りがあるので、マッチングがよい。


 昼食時間となるが、店は混んでいる。しばらく歩くと、洋菓子店のTORAYAがあった。大粒のイチゴを使ったロイヤルショートが評判の店だ。店内を見るとイートインコーナーがあるではないか!僕のようなおじさんが一人でケーキを食べるのはかなり気が引けたのだが、覚悟を決めた。イチゴが新鮮でクリームの甘みも抑えられていて、とても美味しい。ヴォリュームがあるので、満腹感がある。これで昼食は無事完了。



 本町通を上っていく。黒板当番さんの『みんなの黒板きょうしつ』のブースがあった。インクジェットプリンターで印刷した60枚のミニ黒板の中には志村正彦をテーマとする十数枚の絵があった。この日は「おとなも子どももチョークで絵を描いてみよう!」というワークショップがあった。ちょうど子供が恐竜の絵を描いていた。夕方までにボードは絵でいっぱいになったことだろう。


 フジファブリック・ファンゆかりの場所、喫茶店M-2の前を通り過ぎようとした時に、壁に小さなポスター二点が貼られていることに気づいた。



 事前に案内されていたイラストレーターmameさんによる「私のハタオリマチ日記」だった。よく見ると右側の絵はまさしくこのM-2を背景にしていた。M-2の壁にもうひとつのM-2がある、という不思議な光景。特設サイトによると、この絵は三種類あり、それぞれに三つの物語がある。その一つは志村正彦・フジファブリックに関わるもののようだ。

 途中で学生たちと何度か出会ったが、店の人たちにインタビューして取材をしていた。授業では学生のスライド発表会が予定されている。最終的な課題では、自分の街のフェスティバルを企画して提案する。ハタフェスを先進的な事例として調査した上で、自分自身が主体的に考えることを求めている。

 今年は各エリアのブースが整理されていて、統一感があった。昨年に比べて、コロナ禍による制限も緩和されて、のびのびとした雰囲気もあった。天候に恵まれて、そしてなによりも富士山にも愛でられて、素晴らしいハタフェスになった。


2021年10月31日日曜日

富士吉田を歩く、2021ハタフェス・黒板当番さんの絵・「ペダル」[志村正彦LN295]

 昨日10月30日、大学の担当授業「山梨学Ⅱ」で地域活性化の先進的な試みを実際に見て学ぶために、受講学生20名とバスに乗って、富士吉田の「ハタオリマチフェスティバル」に行ってきた。一昨年は台風、昨年はコロナ禍で中止となったので、2018年以来の三年ぶりの開催だった。ハタオリマチフェスティバル、通称「ハタフェス」は、山梨県富士吉田市の街の中で開催する秋祭り。二日間、小室浅間神社と本町通り沿いの各会場で、山梨のハタオリの生地や製品を販売したり関連のイベントをしたりするマチフェスである。

 10時頃、駐車場の富士吉田市役所に到着。2020年12月にリニューアルされた庁舎の壁画を初めて見る。ハタフェスのデザイン画も描いているテキスタイルデザイナーの鈴木マサルさんの作品。配色が素晴らしい。ポップでロックだ。この絵がハタフェスの招待状(招待画?)になっていた。



 僕、アシスタント学生2名、受講学生20名の一行二十数名がぞろぞろと街を歩き始めた。担任に率いられた遠足のような集団で少し気恥ずかしくもあったが、この日は快晴で、ところどころ紅葉も進み、富士山も美しく、歩くのは清々しかった。コロナ禍でこのような外出の機会も少ない学生にとっては貴重な時間となった。

 全員で歩き、入り口の会場で検温検査をしてシールや資料をもらい、本町通り沿いの各会場を確認しながら、メイン会場の小室浅間神社に到着。すでにたくさんの人が集い、活気がある。〈おかえりハタフェス〉といった感じだ。この授業では昨年も一昨年も見学する計画だったのだが、中止となってしまった。ようやく実現できてほんとうに良かった。(主催者や協力者の方々に感謝を申し上げます)

 三つにグループを分けて記念写真を撮った。グループ別に見学し、その後三時間ほど各自のテーマによる自由見学という流れにした。僕もこの自由見学の時間に久しぶりに富士吉田の街を歩くことにした。小室浅間神社近くの志村正彦ゆかりの場所へと向かう。何年ぶりのことだろうか。小さなコートで子供たちがサッカーの指導を受けていた。「記念写真」の一節がメロディーと共に浮かんでくる。〈ちっちゃな野球少年〉ではなく〈ちっちゃなサッカー少年〉がボールを追いかけていた。

 それから会場の一つ「FUJIHIMURO」に行った。その後、本町通り沿いに各会場を回った。ところどころで路地に入り、回り道をしてひたすら歩く。この際、ハタフェスと富士吉田の街を歩くことを堪能しようとした。途中で学生たちと何度か出会った。最近開店したカフェの店主にインタビューしている学生もいた。スライド作成のための取材だ。頼もしい。この後、各自が作ったスライドの発表会が予定されている。この授業「山梨学Ⅱ」の最終課題は、自分が自分の街のフェスティバルや活性化のための具体策を計画して提案するというものだ。ハタフェスの先進事例として学んだ上で、自分自身が主体的に考えていくことを重視している。

 僕は会場の一つ富国生命ガレージで黒板当番さんのミニギャラリーを見た。以前から黒板当番さんのTwitterで作品を拝見していたのだが、二週間ほど前、仕事の関係でお会いした人が黒板当番さんご本人だということをたまたま知った。黒板当番さんも偶景webを読んでいただいているようで、話をしている内に、僕が偶景webの主宰者だと分かったようだ。結局、お互いに「あなたでしたか」ということになった。山梨は、いや世界は(とあえて言おう)、狭いのである。

 ハタフェスで彼の作品が展示されることを知ってから、この日を愉しみにしていた。ミニギャラリーにはインクジェットプリンターで印刷した60枚のミニ黒板が並べられていた。志村正彦をテーマとする12枚の絵もあった。小さなものには小さなものゆえの存在感がある。

 この後、ネットで見た『ペダル』が展示されている富士山駅の「ヤマナシハタオリトラベル MILL SHOP」に向かった。本町通りは車では何度も通ったことがあるか、長い距離を歩くのは初めてだ。上り道がずっと続く。この日は快晴ゆえに日差しも強かったので、思っていたよりも暑い。寒さを予想して厚着だったので余計にこたえた。

 富士山駅に到着。駅ビル1階のMILL SHOPへ。ハタオリ紹介番組を流すモニターの横に『ペダル』の黒板。椅子に腰かけてしばらくの間眺める。チョークアートの技法はまったく分からないが、チョークのチョークたる所以である、何というのだろう、あの筆触が活かされている。チョークが黒板に接触する際に、チョークの粉がかすれ、消えていく感触が残っている。黒板当番さんの絵が素敵なのは、この擦れて消えていくものが幾重にも重ねられていくところにあるのだろう。擦れて消えていくものは、志村正彦が繰り返し歌ったモチーフでもある。

 『ペダル』の絵は主に、上側に志村正彦、下側に犬の二つのオブジェで構成されている。(黒板当番さんに快諾していただいたので、画像を添付したい)



 歌詞では〈何軒か隣の犬が僕を見つけて/すり寄ってくるのはちょっと面倒だったり〉というように犬が登場する。絵の中の犬は微笑むようにして、〈僕〉を見ている。とても可愛い。その上に描かれている志村は〈ちょっと面倒〉そうに横を向いているが、内心はどうなのだろうか。この絵には他に、富士吉田の街並、空、飛行機雲の線、だいだい色とピンクの花、角を示すミラー、昭和風の喫茶店、スニーカーを履いて歩く〈僕〉の足下と、『ペダル』の世界が忠実に反映されているのだが、女子高校生らしい人物が自転車を漕ぐ後ろ姿が目を引く。歌詞の中ではこのような像としてはっきりと描かれてはいないが、黒板当番さんはおそらく、〈あの角を曲がっても 消えないでよ 消えないでよ〉と歌われる〈消えないで〉の対象を自転車に乗る女子高校生だと解釈したのだろう。これは卓見である。絵を描く人の想像力がなせる技でもある。黒板画のマチエールそのものもこの題材に適している。(この部分を拡大した画像も添付させていただく)

 白色の花と白色のブラウスが溶け合っていく。自転車を漕ぐ彼女はどこに向かっているのだろうか。彼女の眼差しの向こうには何があるのだろうか。




 もう八年ほど前になるが、〈『ペダル』1「消えないでよ」(志村正彦LN12)〉で次のように書いた。    

 「消えないでよ」という謎めいた表現がいきなり登場する。いったい何が「消えないで」なのか、分からない。「あの角」も具体的な像が浮かばない。通常の流れを考えると、「まぶしいと感じる」「だいだい色 そしてピンク 咲いている花」が「消えないで」ほしい対象と考えられるが、「花」に限定しまっていいのか、心もとない。あるいは隠喩と考えるのなら、「虹」のようなものか、あるいは「平凡な日々」や「毎回の景色」という出来事や風景、そこにうつりゆくものなのか、あるいはそれらの対象をすべて包み込むような何かなのか。

 聴き手がそれを絞りきれないまま、「消えないで」ほしい対象への「僕」の強い想い、その対象に対する呼びかけとそのリフレインが、聴き手の心にこだましてくる。分からないままに、「消えないでよ」という言葉そのものが「リアルなもの」として響いてくる。「消えないで」と願う対象をあえて明示しないことが、歌詞の中の空白部をつくり、聴き手の想像を広げるような作用をしている、とひとまずは言えるだろうか。

 続く〈『ペダル』2「僕が向かう方向」(志村正彦LN13)〉ではこのように展開した。

  「僕」が歩いているとすると、「駆け出した自転車」に「追いつけない」のは「僕」だという解釈も成り立つ。誰かが漕いで「駆け出した自転車」を僕は歩いて追うが、「いつまでも追いつけない」という状況だ。そうなると、「僕」が「消えないでよ」と願う対象はこの「自転車」だとも考えられる。しかしあくまでも、「僕」が「自転車」に乗っていると考える場合は、「僕」が「いつまでも追いつけない」対象は、「消えないでよ」と願う対象と文脈上同一のものになるだろう。

 この第二ブロックの場合、最初に現れた「飛行機雲」が「消えないで」の対象とすることもできる。現実的にも、「飛行機雲」はごく短い時間の移動では消えないが、やがて消えてしまう自然の現象である。第一ブロックの「花」も、より長い時間の間隔ではあるが、その色の輝きがやがて失せてしまうものである。そう考えると、歌詞の展開通り、「花」や「飛行機雲」が「消えないでよ」と願う対象にあげられてよいのだろうが、それだけに限定するのはこの歌の世界の広がりや漂う感覚にそぐわない気がする。やはり「消えないでよ」の対象はより抽象的に把握したほうがよいのではないだろうか。


 以前の考察でも〈消えないでよ〉の対象として〈自転車〉を挙げてはいるのだが、そこで終わってしまっている。誰が自転車に乗っているのかという想像することはできなかった。このときは、〈やはり「消えないでよ」の対象はより抽象的に把握したほうがよいのではないだろうか〉と考えて、具体的なものを追究することを避けたのだろう。

 それに対して、黒板当番さんは〈自転車を漕ぐ女子高校生の後ろ姿〉という具体的なイメージを描いている。この『ペダル』そしてアルバム『TEENAGER』全体、もっと広く言うのなら、志村正彦・フジファブリックの全作品を通じて、〈消えないでよ〉と歌われる存在がある。その具体像の一つとして、女子高校生もあげられる。実際にフジファブリックの「桜の季節」「赤黄色の金木犀」「銀河」などのミュージックビデオには、制服を着た女子高校生らしき女性が登場している。いくぶんかは不可思議で奇妙な雰囲気を伴って、ではあるが。黒板当番さんのこの図像からは、ティーンエイジャーらしい凜とした後ろ姿が漂ってくる。

 そもそも以前の考察では、〈花〉〈虹〉〈平凡な日々〉〈毎回の景色〉〈飛行機雲〉〈自転車〉、歌詞で歌われたすべての情景を〈消えないでよ〉の対象にしている。この対象を〈歌詞の中の空白部〉として捉えているからだろう。言葉で表現する場合、このように概念化したり抽象化したりすることがある。この種の概念化や抽象化はある種の逃げになることもある。(筆者もそのように逃げることがある、とここに書いておかねばならない)しかし、絵を描く場合は、具体像として(抽象的な像もあるだろうが)描出しなければならない。「ペダル」の黒板画を見て、文章と絵画の違いということも考えることになった。


 志村正彦は「ペダル」を歩行のリズムで作ったと述べたことがある。昨日、「ハタフェス」開催中の富士吉田の街を三時間ほど歩いた。若者を中心に沢山の人がハタフェスに集っていた。学生がメモを取りながら見学していた。機織の生地や製品がいたるところに並べられていた。秋の季節。快晴の青空。紅葉。綺麗な雪景色の富士山。富士山駅で黒板当番さんの「ペダル」の絵を見て、記憶の中の「ペダル」を再生した。帰りはなだらかな下り坂。下吉田の街とその向こう側の山々が見えた。歩きながら歌詞の一節を口ずさんだ。

 歩くことによって見えてくるものがある。
 その光景のすべてが〈消えないでよ〉、そう思わずにはいられなかった。


2018年10月13日土曜日

10月7日山中湖、Mt.FUJIMAKI 2018/ハタフェス 2018

 先週の日曜日、10月7日(日)、「山中湖交流プラザきらら」で開催の「Mt.FUJIMAKI 2018」に行ってきた。山梨県御坂町(現・笛吹市)出身の藤巻亮太が企画し、同郷の宮沢和史や音楽仲間たちに呼びかけて実現したフェスだ。台風が心配されていたが、関東地方はすでに通り過ぎていて、夏が戻ってきたような暑さの中のドライブとなった。

 会場へ向かう途中、富士吉田で「ハタオリマチフェスティバル2018」が開催中だったので寄ることにした。富士吉田は「織物」、ファブリックの街。その地域の魅力を伝えるフェスティバルで、織物や様々なグッズの店、食べ物屋、ワークショップやライブなどのイベントが開かれていた。



 十時過ぎに会場の下吉田に到着。本町通りから路地裏の方を通って小室浅間神社、市立第一小学校と歩いていった。ここは志村正彦が生まれて育った場所。フジファブリック『陽炎』の舞台ともなった。

  あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
  英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ

  また そうこうしているうち次から次へと浮かんだ
  残像が 胸を締めつける

      (『陽炎』作詞・作曲:志村正彦)

 数年ぶりにこの界隈を歩いたのだが、路地裏はさらに時の経過に置き去りにされているようだった。この日は「ハタフェス」で表通りが華やかだった分よけいにそう感じたのかもしれない。

 カフェのリトルロボットでランチ。この日は北杜市のSUN.DAYS.FOODと甲府市のNODOによるコラボショップだった。北杜と甲府の店が吉田で臨時オープン。街のフェスらしい趣向で良い試みだ。洋風のお好み焼きと特製のジンジャーエールが美味しかった。
 三年前にここで佐々木健太郎&下岡晃(analogfish)のライブが開かれた。下岡晃は『茜色の夕日』の弾き語りをした。歌い終わるとぼそっと「いい歌だね」と呟いた。そんなことを思い出した。

 吉田を後にして、忍野を経由する。花の都公園の花々が美しい。十二時半、大渋滞を通り抜けやっと山中湖きららに到着。車を降りると真夏のような日差しが降り注いでいた。富士山は向かって左側が雲に隠れていたがその悠然とした姿を現していた。まだ夏の富士だ。



 会場の「イスシートエリア」に入り、持ち込んだ小さな折りたたみイスに腰掛けた。夏のフェスなんで十数年ぶりのこと。なんだか落ち着かない気分だ。見渡すと会場にはざっと四千人から五千人くらいの人が集っていた(正式な数は知らない)。山梨出身やゆかりの音楽家が中心のフェスだからなんとか成功してほしいと思っていたが、動員的には大成功だろう。



 一時過ぎにスタート。オープニングは藤巻亮太が一人でステージに立った。アコースティックギターを奏で歌い始めたのは「粉雪」。この曲は山中湖のスタジオで録音されたそうだ。この場にふさわしい幕開けとなった。

  粉雪舞う季節は いつもすれ違い
  人混みにまぎれても 同じ空見てるのに
  風に吹かれて 似たように凍えるのに
     …
  粉雪 ねえ 心まで白く染められたなら
  二人の 孤独を分け合う事が出来たのかい

      (『粉雪』作詞・作曲:藤巻亮太 )

 彼の声が微風に乗って大空へとどこまでも伸びていく。力強くしかも微妙に揺れるような声が粉雪のようにして聴き手に舞い降りてくる。この歌を聴くだけでもここに来た甲斐があった。そう思わせるのに十分な出来映えだった。

 ゲストの一番目は和田唱(TRICERATOPS)。 ファースト・ソロ・アルバム(10月24日発売)収録の『1975』を披露。歌詞を追いかけると、彼の故郷である東京を舞台とする歌だった。発売されたら音源を聴いてみたい。彼は「フジフジ富士Q」で『陽炎』を歌った。志村正彦の良き理解者であった。
 二番目が浜崎貴司(FLYING KIDS)。もう三十年となるキャリアにふさわしい貫禄と余裕の歌いぶりだった。『風の吹き抜ける場所へ』が心地よかった。
 三番目に山内総一郎(フジファブリック)が登場。フジファブリックの故郷は山梨だと発言したが、志村正彦という固有名詞への言及はなかった。エレクトリック・ギターを奏でながらで新曲『Water Lily Flower』を歌った。自らエレキで伴奏するアレンジには工夫があった。
 和田唱、浜崎貴司、山内総一郎は藤巻亮太と共にレミオロメンの曲も歌った。藤巻亮太BANDは、Gt岡 聡志、Ba御供信弘、Dr河村吉宏、Key皆川真人、Pf桑原あい。曲によって弦楽四重奏も加わった。

 藤巻とアルピニストの野口健とのトーク・タイムを経て、四番目にASIAN KUNG-FU GENERATIONが登場。この日唯一のバンドとしての出演だった。非常によくコントロールされたサウンドが美しく、グルーブ感も抜群だ。バンドサウンドとしての完成度が高い。後藤正文はレミオロメンと共演した時『雨上がり』を聴いて感嘆したと語った。同世代のバンドとしての強い連帯感もあったのだろう。
 五番目、ゲストとしての最後に宮沢和史が登場。言うまでもないが、山梨県甲府市出身の音楽家だ。THE BOOM『星のラブレター』『世界でいちばん美しい島』そして『中央線』。三つとも故郷の山梨を舞台や主題とする歌である。最後に山梨で結成されたエイサーグループを入れてバンドサウンドで『島唄』を演奏した。どれも素晴らしく、この日の出演者の中では彼の歌がベストパフォーマンスだったと思う。中でも『中央線』が染み込んできた。特に山梨から東京へと上京した者にとっては、心の深いところへ入り込んでくる歌だ。

  逃げ出した猫を 探しに出たまま
  もう二度と君は 帰ってこなかった
  今頃君は どこか居心地のいい
  町をみつけて 猫と暮らしてるんだね

  走り出せ 中央線
  夜を越え 僕をのせて

      (『中央線』作詞・作曲:宮沢和史)

 最後に、藤巻亮太と彼のBANDが登場。ヴァンフォーレ甲府の創立50周年アンセム『ゆらせ』では観客も青色のタオルを揺らせて一体感が高まった。エンディングはMt.FUJIMAKIのテーマ曲『Summer Swing』。十月であるにもかかわらず、この日は夏の終わりを思わせる気候だったので、歌詞がこの日のこの場の雰囲気に合っていた。
 エンディングは出演者全員がステージに集まった。マイクをバトンタッチしながら『3月9日』が歌われる。ややぎこちないその様子が手作り感のあるこのフェスらしかった。湖畔は夕暮れを迎えていた。

 山中湖で開催の「Mt.Fujimaki 2018」。「山梨愛」「故郷愛」にあふれる素晴らしいフェスティバルだった。会場の雰囲気も山中湖という場も富士山という風景もとても良かった。それはそうなのだが、
 藤巻亮太がいて、宮沢和史がいる。でも志村正彦はいない。
 どうしてもそう感じてしまう自分がいた。
 彼が健在であればおそらくこのステージに立っていたことだろう。宮沢和史、藤巻亮太、志村正彦という山梨で生まれた三人は、もちろん山梨という場に限定されない、日本語ロックを代表する音楽家、詩人である。そうではあるが、大月で生まれ甲府で育った僕にとってこの三人は、甲府の宮沢、御坂の藤巻、吉田の志村でもある。この三人の共演は、かなえられない夢想として、いつまでもあり続ける。

 「Mt.Fujimaki 2018」の成功は心から祝福したい。そのこととは無関係であり別次元のことだが、志村正彦の不在という現実をつきつけられた。書いてもしかたのないこと、書くべきではないことかもしれないが、そのままここに、その想いを書きとめておきたい。