11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)

右下の《申込フォーム》から一回につき一名お申し込みできます。名前欄に〈氏名〉、メール欄に〈電子メールアドレス〉、メッセージ欄に〈11月15日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。(三つの欄のすべてに記入しないと送信できません)申し込み後3日以内に受付に関するメールを返信します。《申込フォーム》での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。  *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する連絡および今後の当会の公演案内のみに利用することをご了承ください。それ以外の利用は一切いたしません。
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2026年7月29日水曜日

5月・6月のBe館「幕末ヒポクラテスたち」「グランド・イリュージョン ダイヤモンド・ミッション」「サンキュー、チャック」

 5月と6月は、甲府のシアターセントラルBe館で三本の映画を見た。


幕末ヒポクラテスたち




 幕末、京都郊外の村。蘭方医の大倉太吉(佐々木蔵之介)、漢方医の荒川玄斎(内藤剛志)、太吉の弟子となり後に蘭方医となる相良新左(藤原季節)の物語。京都の医大生の群像劇「ヒポクラテスたち」の大森一樹監督が企画したが、2022年に逝去。その後、大森監督の助監督を務めたことのある緒方明監督が遺志を継ぎ制作したそうである。

 西岡琢也の脚本が素晴らしく、役者も充実している。人間のドラマとして楽しめると共に、幕末の医学の歴史や医療の厳しい現実もしっかりと伝えている。 


グランド・イリュージョン ダイヤモンド・ミッション




 「グランド・イリュージョン」(2013年)「グランド・イリュージョン 見破られたトリック」(2016年)に続く「グランド・イリュージョン」シリーズの第3作。ルーベン・フライシャー監督。マジシャン集団フォー・ホースメンが華麗なイリュージョンで巨大な敵に立ち向かう。

 今回、この第3作を見るために第1作と第2作を配信で見てからBe館に向かった。三つの作を通して見なければ理解できないところもあるが、単独作として鑑賞しても楽しめるだろう。映画館ならではの映像と音響の迫力を堪能した。


サンキュー、チャック




 スティーブン・キングの2020年発表の短編小説「チャックの数奇な人生 イフ・イット・ブリーズ」をマイク・フラナガン監督が映画化した作品。次々と地球を襲う災害によって世界が終わりを迎えつつある時に、「素晴らしい39年間に、ありがとう、チャック」という謎の広告がテレビで大量に流れる。
 映画はチャックの人生を遡っていくが、ダンスのモチーフの展開やダンスシーンはとても美しい。チャックが亡くなると共に、チャックが見ている世界はもちろんのこと、チャック以外の人々(何らかの関わりのあった)が見ている世界も同時に崩壊していく、という哲学的テーマを探究している。私という存在と世界という存在との根源的な関係を考えさせる作品だった。


2026年5月29日金曜日

〈生きてきた名声〉ERO「Getting The Fame」-映画『みらいのうた』3

 映画『みらいのうた』には二人の主人公がいる。吉井和哉と、彼をロックの世界に導いたのERO(高林英彦、バンドURGHPOLICEのボーカル)の二人である。


 ERO作詞の「Getting The Fame」という歌が、吉井和哉の「みらいのうた」と共に、この映画の中心軸となっている。映像はEROが「Getting The Fame」の2番の歌詞を新しく作っていく姿を追っていく。

 最後の教会でのライブでEROはこの歌を歌う。吉井がベースギターで伴奏する。この歌は英語で歌われている。映画では歌詞の日本語訳が添えられていた。ぜひ映画でそのシーンを見ていただきたい。

 印象深いサビの日本語訳は次の通りである。


 毎日、毎晩、いつでも

 耳をふさぎ、目を閉じて

 生きてきた名声を手に入れるまで


 最後の「Getting The Fame」の「The Fame」が「生きてきた名声」と訳されている。「名声」に「生きてきた」という修飾語があることに感慨を覚えた。

 1985年当時のオリジナルヴァージョンでは、この「名声」は通常の意味、つまり、ロックバンドとしての名声を得ること、音楽シーンで成功すること、を指し示していたのだろう。しかし、40年度の現在、EROは自分の人生を振り返り、「生きてきた」ことそのものによって得られる「名声」というように、この「Getting The Fame」の意味を読み換えたのではないだろうか。さらに、「生きてきた名声を手に入れるまで」とすることによって、EROはまだその過程にいること、そのたびの途中にいることを力強く歌い上げていた。


 なお、7月22日リリースの『映画「みらいのうた」オリジナル・サウンドトラック』では「Getting The Fame」の次の音源が収録される予定だ。

Getting The Fame(Kichijoji Zenshinza Gekijo, 1986.12.21 -Short size)/ URGH POLICE

Getting The Fame(from 映画「みらいのうた」) / ERO / 吉井和哉 / 鶴谷崇

Getting The Fame(Instrumental -Organ Ver.)


 URGH POLICE時代の「Getting The Fame」の音源がYouTubeにある。12分近い大作だ。編成は、Vo,G: 高林 英彦 (ERO)、G: 高林 正則 (MARBOH)、B: 吉井 和哉 (ROBIN)、Ds: 栗田 卓展 (TACKTEN)。なお、URGH POLICEのアルバム『URGH !』はインディーズから1987年にLPレコードとしてリリースされ、1995年12月にCDとして再発売された。全8曲中の最後の曲が「Getting The Fame」である。



  YouTubeには当時のURGH POLICEのライブ映像がある。

  URGH POLICE  I`m Bad Hang Over



 若き日のERO(高林英彦)や吉井和哉が映っている。1980年代の半ばにはビジュアル系のハードロックバンドが流行っていた。メジャーデビューする可能性もあったのだろうが、EROが静岡での恋人との暮らしを大切にするために東京に来ることを拒んだことで実現しなかったようだ。


 最後に、シネマトゥデイのインタビュー「THE YELLOW MONKEY・吉井和哉、喉頭がんからの復活が描かれたドキュメンタリーの制作秘話語る 映画『みらいのうた』 東京国際映画祭」を紹介し、AIでテキスト化したものを重複する言葉などを省略した上で引用したい。


 

 吉井和哉はEROさんを起用した理由をこう語っている。

僕のドキュメンタリーを撮ってもらおうっていう話になった時に、僕のドキュメンタリーって何も面白くないだろうと思って。その数ヶ月前にその病気で倒れた、EROさんをちょっと、まあ、なんか彼に出ていただいて、少し生活の援助とかできたらいいなということで彼を説得して。そうやって回してみて、何に使うかわかんないけど、本当に映画にする予定もなかったので、あの、回してみてもいい?って言ったら「いいよ」ってことで。あの日初めて行った時の映像がまさに初めて行った時でした。

 エリザベス宮地はEROの存在感や魅力についてこう述べている。

はい、魅了されてました。最初からなんか、もちろんかっこいい、見た目のカッコよさっていうか。なんか、なんとなく撮影してると、なんて言うんですか、カメラが喜ぶような感覚があって。なんかすごい華があるなと思って、EROさん。

「お二人の復活ライブまでを撮ろう」っていうのは変わらずだったんですけれども、ただそれを決めた半年後に吉井さんの喉頭がんだったりが見つかってしまって、そこからは正直、先が読めなくなりました。全く、はい。EROさんもあそこまで、最後の教会のシーンまでギターを弾いて歌えるようになるまでが、やっぱり3年間必要だったので。その、結果的に3年間かかりましたけど、どれくらいの期間でどうなるかっていうのは、正直途中から特に分からなくなりました。


 このように、吉井和哉・ERO(高林英彦)二人の復活ライブまでには大変な紆余曲折があったのだが、この映画はその過程を丁寧に追いかけている。

 〈生きてきた名声を手に入れるまで〉歌い続ける姿が、〈人生の7割は予告編で 残りの命 数えた時に本編が始まる〉ことを静かに伝えている。


2026年5月22日金曜日

〈怖くはない〉吉井和哉「みらいのうた」-映画『みらいのうた』2

  映画『みらいのうた』は、吉井和哉とERO(高林英彦)の少年時代から現在へと至る五十年を超える日々の人生と音楽の軌跡を描いている。

 同名の歌「みらいのうた」がある。2021年8月6日、吉井は自ら作った新レーベル〈UTANOVA MUSiC〉からこの歌をデジタルリリースした。映画『みらいのうた』の撮影は 2022年4月に始まったのでその前になる。当初からこの歌が映画の主題歌として想定されていたのではなく、制作の最終段階に決まったそうである。

 この歌を作った時の吉井の年齢は55歳。中年を過ぎてもうすぐ老年が見えてくる年齢だ。そういう年齢が積み上げた経験が〈いつか全てが変わるなら今日もただ耐えよう〉〈いつかここから消えるなら今日もただ歌おう〉という歌詞のリアリティを支えている。やはり、結果としてかもしれないが、この「みらいのうた」という歌が『みらいのうた』という映画を導いたと感じられる。

 この歌は映画の冒頭そしてエンディングでは歌詞も表示されて流れる。ミュージックビデオを紹介し、歌詞をすべて引用したい。


 吉井和哉 - みらいのうた




みらいのうた
作詞・作曲:吉井和哉

何もかも嫌になった こんな時何をしよう
信じてたあの人も しょうもない嘘ついた

小さな部屋の隅でギターを弾きながら
心の形に溜まっていく吸い殻よ

いつか全てが変わるなら今日もただ歌おう
いろいろいろんなこと知ってしまう前に
僕の過去は僕のメロディになるから
怖くはない 未来の歌

行き先が変わる時 訪れる
強い痛み

幼い記憶だから寂しく思うけど
貝殻に耳を当てながら見た海よ

君が笑顔になるのなら今日もただ歌おう
怒りもあるならば素直に出せばいい
この場所のここからたまらなく好きだよ
狭いベッドがステージになる

柔らかい風が頬を撫でる
果てしなく続いてく若草よ

いつか全てが変わるなら今日もただ耐えよう
何度も何度でも立ち上がってみせるよ
いつかここから消えるなら今日もただ歌おう
いろいろいろんなこと知ってしまう後も
君と僕を繋ぐメロディになるなら
怖くはない 未来の歌
いつか叶え
未来の歌


 この歌には、Lyric Videoヴァージョンもある。

 吉井和哉 - みらいのうた (Lyric Video)



 歌詞を追ってみよう。 〈何もかも嫌になった こんな時何をしよう〉という冒頭のフレーズがすっと心に入ってくる。僕も時に感じることがある。日々の実感がある。〈信じてたあの人も しょうもない嘘ついた〉とあるが、信頼していたり仲間だと思っていた人から、嘘をつかれたり思いがけない反応をされたりということもある。日々の嘆きや憂いがある。どの年齢でもこのような実感はあるのだろうが、僕のような年齢の者にとっても身にこたえる。それでも少し時が過ぎれば、そのことをかなり忘れてしまう。忘却能力が高まってくることが年を取る利点だろう。

 さらに、〈心の形に溜まっていく吸い殻〉〈貝殻に耳を当てながら見た海〉〈果てしなく続いてく若草〉という断片的な描写によって、物や風景が心に浮かび上がってくる。〈怒りもあるならば素直に出せばいい〉もその通りだろう。自らの感情に素直になりたい。

 吉井和哉は、自らの心のあり方に忠実に率直な言葉を用いて日常と風景を歌っている。そして、過去から現在そして未来へと向かう自分を歌っている。

 〈いろいろいろんなこと知ってしまう前に〉〈幼い記憶〉というフレーズは、前回引用した映画『みらいのうた』で吉井が話した〈静岡の少年の時のまま 変わらずに すべてを成し遂げたいなと思っていることが夢かもしれない〉に呼応しているだろう。無垢な少年時代には、喜びも楽しさも、痛みも寂しさもある。そのような経験を経て〈僕の過去は僕のメロディになる〉。時は過ぎ去る。〈いろいろいろんなこと知ってしまう後も〉、その経験は〈君と僕を繋ぐメロディになる〉。

 そのようにして生きてくことが、〈僕〉や〈君と僕〉を繋ぐメロディになるのならば、生きていくことは〈怖くはない〉と歌うことができる。そしてそのメロディは〈未来の歌〉となる。


 生きていくことは怖いこととの遭遇の連続でもある。

 大きな怖いこと。小さな怖いこと。子供にとって怖いこと。大人にとって怖いこと。

 恐怖。不安。心配。危惧。

 触れたくないこと。触れられたくないこと。消し去りたいこと。逃げ出したいこと。


 年を重ねても怖いことがなくなるわけではない。むしろある意味では増えてくるといえるかもしれない。それでも年を取ってくると、怖いことのなかにすこし隙間のようなものができてくる。その隙間や空白に身を置くことによって、怖いことから少し離れることができる。自分に対して〈怖くはない〉と囁くこともできる。そして、過ぎ去った自分かつての自分に対しても、〈怖くはない〉と感じるこのあり方を伝えてあげたくなる。


 歌詞や広く詩のなかで〈怖くはない〉という意味の表現に出会うことは少ない。そんなことを考えているうちに、宮澤賢治〔雨ニモマケズ〕の一節が思い起こされた。

 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

 〈コハガラナクテモイヽ〉は、宮澤賢治が「南ニ死ニサウナ人」他者に語りかける言葉である。そして、その言葉は賢治自身にも返ってくる。〈怖くはない〉は、吉井和哉が自分自身に語りかける言葉である。そして、その言葉は他者へと向かっていく。他者から自己へ、自己から他者へ、と言葉の方向性は異なるが、同じように自己も他者もつつんで広がっていく。


 吉井和哉の〈怖くはない〉という言葉はこの時代に最も必要とされる詩句ではないだろうか。


 YouTubeの公式コメントにEnglish versionが掲載されていたので最後に引用したい。〈怖くはない〉は〈It won't frighten me〉と訳されている。この英語版はこの歌の普遍性を表しているだろう。

 

When nothing matters anymore
what can be done at that time?
Another person I trusted
told a pointless lie

While I play my guitar in the corner of a small room
The cigarette ash piles up
in the shape of a heart

Change is on its way but in the meantime 
I'll sing today as I always do
Before I learn the many things I'd avoided

That past of mine
is in this melody of mine
It doesn't frighten me
This is a song for the future

When it's time for your destination to change
It will arrive with fierce pain

Childhood memories come
with a longing
With a seashell pressed to my ear, I saw the ocean

If it brings a smile to your face,
I'll sing today as I always do
If you're angry
there's no need to hide your feelings

I yell from right where I am
I love you more than anything
My small bed becomes my stage

I feel a gentle breeze on my cheek
The meadows of lush green are endless

Change is on its way but in the meantime
I'll endure today as I always do
No matter how many times I fall
I'll show how I rise

If I am to disappear from here one day,
I'll sing today as I always do
After I have learned the many things I avoided
It could be the melody that connects you and I
It won't frighten me
This is a song for the future

An answer to my prayer
This song for the future


 

2026年5月17日日曜日

吉井和哉の〈本当の夢〉-映画『みらいのうた』1

 映画『みらいのうた』を見ることができた。吉井和哉と彼をロックに導いたERO(高林英彦)の生の軌跡を追ったドキュメンタリー映画。監督はエリザベス宮地。2025年制作。


 吉井和哉については志村正彦との関係で関心を持ち始めた。

 志村正彦・フジファブリックは、THE YELLOW MONKEYのトリビュートアルバム『THIS IS FOR YOU~THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM』で「Four Seasons」をカバーした。このアルバムの発売日が2009年12月9日であったことから、志村の声が生前最後に録音されてリリースされた音源だとされている。

 そのような関係があったことから、吉井和哉は、翌年の2010年7月17日に富士急ハイランド・コニファーフォレストで開催された志村正彦の追悼の意味合いが濃いコンサート『フジフジ富士Q』で『マリアとアマゾネス』と『Anthem』を歌った。筆者はこのコンサートを収録したDVDを見ただけだが、特に『Anthem』を歌う吉井の声と瞳、その時間の富士山や茜色に彩られた夕景は、心に深く刻み込まれるものだった。

 この映画に関しては〈人生の7割は予告編で 残りの命 数えた時に本編が始まる〉という紹介文に惹きつけられた。昨年の12月5日公開以降、劇場でなんとか見ようと上映館を探したのだが場所と時間の問題で見ることが叶わなかった。配信されるのを待っていたところ、幸いなことに4月27日からU-NEXTで独占配信が始まった。さっそく先の連休中に視聴したが、心を深く動かされる作品だった。3日間のレンタル期間中、毎日一回、結局三回見ることになった。この配信の本編終了後には14分ほどのU-NEXT限定特典映像 があった。これも興味深いものだった。 


 まずこの映画の予告編を紹介したい。



 予告編にある内容を簡潔にまとめる。吉井がEROとの40年ぶりのセッションを行うために撮影を開始するが、EROは大病を患っていた。吉井の喉頭がんも発覚した。2022年から2025年までの3年間、二人が闘病しながら人生と音楽に向き合っていく姿を記録していく。

 これから見る人のために具体的な内容に触れることは控えるが、一つだけ、本当の夢はどういうものだったか、というインタビュアーの問いに対する吉井和哉の回答を引用したい。


静岡の少年の時のまま
変わらずに
すべてを成し遂げたいなと思っていることが夢かもしれない

どれだけ自分の心を汚さずに成功できるかっていうこと
汚れたけどだいぶ 汚れたけどいかにそこを残したまま
いろいろ成し遂げたいというのがもしかしたら夢かな


 吉井の〈静岡の少年の時のまま 変わらずに すべてを成し遂げたい〉という言葉には、故郷の静岡という場と少年という時代への無垢な思い、そこから発する夢への強い思いがあふれている。

 吉井は1966年東京で生まれたが、五歳の時に不慮の事故で父親を亡くした後、母親の故郷静岡で暮らすことになる。静岡での少年時代と青年時代の始めまでの日々が吉井の人生を決定づけた。ERO(高林英彦)との出会いによってロックの世界に入り、やがて、EROがリーダーでボーカルのバンド「URGH POLICE アーグ・ポリス」に加入しベースを担当する。1988年、THE YELLOW MONKEYを結成し、ボーカル・ギターと作詞・作曲担当。1992年にメジャー・デビュー。その後の活躍は音楽ファンのよく知るところだろう。


 この映画の英語タイトルは『Time Limit』。ストレートな題名だが、人生の終わりが少しずつだが確実に訪れてくる年齢の人間の心に染みこんでくる作品だった。僕はこの映画に深く共感した。〈人生の7割は予告編で 残りの命 数えた時に本編が始まる〉という言葉が迫ってきた。吉井和哉やTHE YELLOW MONKEYのファン、ロック音楽を愛する人だけでなく、自分の人生そのものについて考えたい人にとって必見の映画である。ご覧になることを勧めたい。

    (この項続く)


2026年5月13日水曜日

3・4月のBe館「ペンギン・レッスン」「木挽町のあだ討ち」

 3月と4月は、甲府中心街のシアターセントラルBe館で二本の映画を見た。


ペンギン・レッスン



 ピーター・カッタネオ監督。原作のトム・ミッチェル『人生を変えてくれたペンギン 海辺で君を見つけた日』は世界22カ国で刊行されたベストセラー。
 1976年、英国人の英語教師トムは軍事政権下のアルゼンチンの名門寄宿学校に赴任する。トムは旅先で海辺にいた重油まみれの瀕死のペンギンを救って連れて帰ることになる。いろいろな騒動が起こるが、ペンギンそして生徒との日々の出来事を通じて自分の人生を取り戻していく。
 一種のファンタジーのようだが、ノンフィクションの実話に基づいている。70年代後半のアルゼンチンの雰囲気もよく伝わってくる。


木挽町のあだ討ち




 永井紗耶子の小説『木挽町のあだ討ち』を映画化したミステリー風の時代劇。
 江戸時代。雪の降る夜、木挽町の芝居小屋「森田座」の近くで菊之助が父の仇討ちを成し遂げる。一年半後、菊之助の縁者の総一郎が森田座を訪れ、仇討ちの裏に隠された秘密を徐々に浮かび上がらせる。
 役者の柄本佑、渡辺謙、北村一輝、滝藤賢一、高橋和也たちが素晴らしい。びっくりする展開もあるが、上質のエンターテイメント作品となっている。脚本が秀逸である。原作は未読だが脚本との関係を知りたいと思った。
 江戸時代の芝居小屋の様子や芝居の作り方の過程を知ることもできた。甲府の亀屋座のことをあれこれと想像した。


 このところシアターセントラルBe館では月に1、2本のペースになっている。家では配信の作品を何本か見たが、できるだけプロジェクターでスクリーンに投影して映画館の雰囲気に少しでも近づけて鑑賞している。

2026年3月31日火曜日

1・2月のBe館「チャップリン」「小屋番 八ヶ岳に生きる 劇場版」「旅の終わりのたからもの」

 1月と2月は、シアターセントラルBe館で三本の映画を見た。「チャップリン」と「小屋番 八ヶ岳に生きる 劇場版」はドキュメンタリー映画、「旅の終わりのたからもの」も実話に基づく映画だった。


「チャップリン」



 チャーリー・チャップリンのルーツを探究したドキュメンタリー映画。監督は孫のカルメ
ン・チャップリン。息子のマイケル・チャップリンを中心に家族が出演して、極貧の少年時代からスイスで暮らした晩年までをたどる。
 チャップリンがロマの血を引いていたこと、それを誇りにしていたことが印象に残った。
彼の持つアウトサイダー性と彼の出自との関わりを理解することができた。


 「小屋番 八ヶ岳に生きる 劇場版」




 八ヶ岳の山小屋の小屋番を描いたドキュメンタリー映画。深澤慎也監督。2025年のTBS番組「小屋番 KOYABAN 八ヶ岳に生きる」をもとに新たな映像やインタビューを追加した劇場版。美しいが厳しくもある大自然の中で働く小屋番の生活を知ることができた。
 私の住む甲府盆地からは八ヶ岳がよく見える。中学校の林間学校で八ヶ岳の最南端の編笠山に登ったことがある。僕の唯一の登山経験だ。標高は2,524m。頂上近くでは急坂や岩場があり、備えられていたロープを掴んで登っていった。下山時に眼下に広がる八ヶ岳高原の風景に魅了されたことを覚えている。その編笠山の小屋番も登場した。


「旅の終わりのたからもの」

 


 1991年、ホロコーストを生き抜いた父とニューヨーク生まれの娘がポーランドを訪れ、家族の歴史をたどるロードムービー。オーストラリアの作家リリー・ブレットの実体験に基づく小説の映画化。監督はドイツのユリア・フォン・ハインツ。
 家族が暮らしていた家屋やアウシュビッツ=ビルナケウ強制収容所が父の記憶の場所となる。過酷で残酷で重苦しい記憶だが、映画の最後ではその記憶がある程度まで父娘に共有されることになる。その結果、父は記憶から少し解放されたのかもしれない。記憶とその解放ということを考えさせられた。

2026年1月18日日曜日

11月・12月のBe館『見はらし世代』『ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師』『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』『殺し屋のプロット』

 もう新年を迎えてしまったが、昨年の11月と12月にシアターセントラルBe館で見た映画について書きとめておきたい。


見はらし世代



 監督・脚本、団塚唯我。再開発されていく東京・渋谷の風景を経糸に、ランドスケープデザイナーである父・初(遠藤憲一)、母・由美子(井川遥)、主人公・蓮(黒崎煌代)、姉・恵美(木竜麻生)の家族を緯糸にして、風景と人物の物語が織り込まれている。
 家族再会の場面で天井の電球が落下する瞬間に、物語が転換する。脚本も演出も新しい感覚に満ちていて、ラストシーンも独自の味わいがあった。


ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師



 監督・脚本、トッド・コマーニキ。ドイツの実在の牧師・神学者、ディートリヒ・ボンヘッファーの伝記映画。幼年時代から、ナチスの独裁者ヒトラーをー暗殺する計画に加担し処刑される1945年4月までの人生を追う。第2次世界大戦中のナチス政権に加担した牧師や神学者たちに危機感を抱いた牧師ボンヘッファーは、ナチズムを崩壊させるため「ヒトラー暗殺計画」に加担するが、捕らえられる。実話に基づく極めて厳しい内容の作品だった。 
 大学生の時、哲学の岩波哲男先生の教養演習というゼミ形式の授業で、半年の間、ボンヘッファーのテキストを読んだことがあった。軽井沢のセミナーハウスで夏の合宿もしたので非常に印象に残っている。もともと文学よりも哲学に関心のあった僕にとって、この授業は限界状況におけるキリスト者の倫理について考える契機となった。そういう経緯からこの映画には特別の関心があったのだが、特にボンヘッファーの最後の姿に胸を打たれた。


 ザ・ザ・コルダのフェニキア計画


 ウェス・アンダーソン監督。ヨーロッパの富豪ザ・ザ・コルダが娘で修道女のリーズルとともに、架空の大独立国「フェニキア」のインフラを整備する大プロジェクトを進めようとする。
 様々な出来事が起きるのだが、それぞれのプロットの最後がほとんど省略されて描かれない。全体の展開がよく分からないままフィナーレを迎えるのだが、とりあえずハッピーエンドといったところだろうか。本物の美術作品をたくさん使った演出がとても豪華だった。物語よりも映像そのものを純粋に見ることを愉しむ作品だろう。


殺し屋のプロット


 監督・主演・製作、マイケル・キートン。急速に記憶を失う病によって数週間以内にすべてを忘れてしまうという運命の殺し屋ジョン・ノックスは、息子のマイルズが娘をレイプした男を殺した罪を隠すために人生最後の完全犯罪に挑む。
 考え抜かれた脚本ときめ細かい演出によって、優れたサスペンス映画になっていた。エンディングのシーンでのおそらくすべての記憶を失ってしまった男の表情が印象深かった。


 2025年5月のシアターセントラルBe館の再開の後、年末までに24本の映画を見たことになる。この映画館のセレクトが素晴らしく、どの映画も十二分に愉しむことができた。2026年も、甲府の街中の映画館に足を運び、スクリーンで見ることにこだわっていきたい。



2025年11月30日日曜日

10月の甲府Be館 『六つの顔』『入国審査』

10月は、芥川龍之介の小説についての論文を書いたり、〈甲府文と芸の会〉の公演の準備をしたりと忙しい日々を送っていて、甲府シアターセントラルBe館には二度しか行けなかった。


『六つの顔』


 人間国宝の狂言師野村万作を撮ったドキュメンタリー作品。息子の野村萬斎、孫の野村裕基も出演している。犬童一心監督。題名の「六つの顔」は、万作が自身について思い浮かべる六つの自己像を表している。前半は野村万蔵家の歴史や野村万作の稽古の姿、後半は2024年6月の文化勲章受章記念公演の狂言「川上」の映像を紹介していた。

 狂言「川上」の能舞台は宝生能楽堂だった。万作が上演の直前に鏡の間で自身の姿を映し出す場面、その瞬間の眼差しに惹かれた。自分の姿を見つめることで役柄に変身していくようだった。(私の妻は趣味として能を稽古していた時があり、宝生能楽堂で二度ほど能を舞ったことがある。妻はこの鏡の間での緊張感が忘れられないと話していた)他にも、楽屋で弟子たちが万作に挨拶をする場面の映像が印象的だった。


『入国審査』



 ディエゴとエレナのカップルがスペインのバルセロナからアメリカへ移住するためにニューヨークの空港に降り立つが入国審査で尋問される。監督はアレハンドロ・ロハスとフアン・セバスティアン・バスケス。取調室で容赦なく尋問されるなかでディエゴの過去の婚約歴が明らかとなり、エレナはディエゴに疑念を抱くようになる。二人の追い込まれ方が尋常でなく、アメリカの入国管理の厳しさに直面する。

 海外旅行の際には誰もが入国審査で緊張するだろう。通常はパスポートの確認後にすぐに通過できるが、ある時に同行者がかなり時間がかかったことがある。どうしたのだろうかと心配したが、そのうちに何事もなく通過できたので安堵した。この映画も監督の実体験に着想を得て制作されたそうである。その実体験がリアリティを与えているのだろう。


 宝生能楽堂の楽屋や舞台裏。空港入国審査の取調室。

 全く異なる場ではあるが、表側では見ることのできない裏側での出来事、人間の姿が印象深い二つの映画であった。


2025年10月12日日曜日

9月の甲府Be館 『早乙女カナコの場合は』『この夏の星を見る』『タンデム・ロード』『ふつうの子ども』

9月の甲府シアターセントラルBe館の上映作はバラエティに富んでいた。四つの映画について少しだけ語りたい。


早乙女カナコの場合は


 監督は山梨出身で在住の矢崎仁司。柚木麻子の小説「早稲女、女、男」の映画化。自意識過剰な早乙女カナコ(橋本愛)と脚本家志望の長津田啓士(中川大志)の大学での出会いから社会人へと至る十年間の恋愛模様を描く。過剰なものを抱えながらそれを持て余している二人は、似た者同士ゆえに惹かれ合いながらもときに衝突する。関係が近くなったり遠くなったりの繰り返し。よくある学生時代から社会人までの変化や成長の物語のように受け取られるかもしれないが、異才の矢崎監督らしくそういう定型には陥らない。橋本愛の演技が秀逸であり、特にラストシーンが素晴らしい。観客に何かを問いかける。
 上映後に監督のトークとサイン会があった。僕は「三月のライオン」(1992年)を見て、その繊細な映像と独自な演出に感銘を受けた。彼が山梨県の鰍沢町生まれと知って親しみも覚えた。それ以来矢崎作品はすべて見ているが、この「早乙女カナコの場合は」はこれまでの作風からかなり自由になり、人間が生き生きと描かれている。矢崎仁司監督の代表作になると感じた。サイン会でそんなことを少しだけ話すことができた。矢崎監督が穏やかな優しい表情をしていたことが印象に残った。後日、この映画のことを再び書いてみたい。

この夏の星を見る


 山梨県出身の直木賞作家辻村深月の同名小説を山元環監督が映画化した。2020年、コロナ禍のなかで茨城の高校の天文部の溪本亜紗(桜田ひより)が提案して、長崎の五島列島や東京都心の高校生とスターキャッチ」という天体観測のコンテストをオンラインで実施する。桜田ひよりの強い眼差しに惹かれた。星空の画像や天空の風景が美しかった。「最高で、2度と来ないでほしい夏。」というキャッチコピーがこの映画の世界を端的に述べている。
 小中学生の頃は天文少年だったので、その頃に見た月や星のことを久しぶりに思い出した。甲府の夜空は今よりずっと綺麗だった。この映画を見てもう一度天体望遠鏡で宇宙を眺めたくなる。


タンデム・ロード


 監督の滑川将人(ナメさん)とパートナーの長谷川亜由美(アユミ)がBMWのバイク1台で世界一周を目指した旅を自分たちで撮影したドキュメンタリー映画。30カ国、427日間、走行距離約6万キロの行程の記録である。映像には土地の人々との心温まる交流、美しい風景、事故や故障などの様々なトラブル、アユミの疲労や葛藤が映し出される。逆に、映像に映らなかった場面についてあれこれと想像してしまった。見ているうちにここ数年の映像ではないことに気づく。特に説明はなかったのだが2013年の撮影のようだ。最後の方で現在のアユミとその子供たちの姿が映る。十二年ほどかけてこの映画は完成されたことになる。
 ポルトガルのロカ岬など、昔訪れたことのある場所の光景が懐かしかった。コロナ以降、一度も海外に出かけたことはないが、再び旅をしてみたい気持ちになった。


ふつうの子ども


 子供を描いた映画の中で稀に見る傑作だと断言したい。監督・呉美保、脚本・高田亮。小学4年生、十歳の上田唯士(嶋田鉄太)、環境問題に高い関心を持つ三宅心愛(瑠璃)、問題児の橋本陽斗(味元耀大)の三人が大騒動を起こす。唯士は心愛を、心愛は陽斗を好きという間柄が背景にある。嶋田鉄太の演技が素晴らしい。ふつうではない力量のある子どもがふつうの子どもを演じている。唯士の母恵子(蒼井優)と心愛の母冬(瀧内公美)も好演している。
 現在の子供たちが子供なりに向き合わねばならない〈行き詰まり〉の感覚が的確に描かれている。この難しい時代を〈ふつうの子ども〉たちはどう乗り越えていくのだろうか。


 『早乙女カナコの場合は』『この夏の星を見る』『タンデム・ロード』『ふつうの子ども』。9月はこの四つの作品によって、小中学生や大学生の頃、旅した時へと、時間を遡ることができた。映画を見る私たちはいつも時間を旅している。


2025年9月8日月曜日

『太陽(ティダ)の運命』佐古忠彦監督/山梨と沖縄

 8月31日、シアターセントラルBe館で佐古忠彦監督の映画『太陽(ティダ)の運命』を見た。この日は佐古監督の舞台挨拶もあった。今日は昨日に続いて、佐古監督の舞台挨拶を含め、この映画について書きたい。


 佐古監督はTBSの元キャスターだからご存じの方が多いだろう。現在は映画監督として、沖縄の歴史と現実をテーマとする『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』(2017年)、『米軍が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』(2019年)、『生きろ 島田叡-戦中最後の沖縄県知事』(2021年)と今回の『太陽(ティダ)の運命』(2025年)の四本の映画を制作してきた。まず、予告編を添付する。


 

 この日の観客は30名ほどでいつもよりかなり多かった。上映後、監督がこの作品について語った。RBC琉球放送の資料室で30年間の映像を見て、映画に使う箇所を探していったそうだ。ニュース映像自体は短く断片的でもあるので、その基になった素材映像を見つけるのも大変なことだっただろう。Be館で語ったことを正確に再現できないので、その三日前に地元のUTYテレビ山梨で放送されたインタビューの記事を紹介したい。


「反目しあっていた2人が長い時を経て、結果同じ道を歩んでいく、そこを紐解くことが、実は沖縄の歴史を見ることにもなり、この国が沖縄に対してどう相対してきたのかの答えがある」

「民主主義だと言って常に少数派の上に多数派があぐらを書き続けている状態が果たして民主的といえるのかどうか、多数派こそが実は考えなければいけない事象がここにあるのではないか」

「複雑な感情を抱えながら人間が物事を動かしてきた歴史だと強く感じる。どんな人間ドラマがあったのか、そこにぜひ注目してほしい。その先にあるのが沖縄という場所であり、丸ごと日本の歴史だというところをぜひ伝えたい」


 佐古監督が沖縄そして日本の歴史や社会、政治の現実をドキュメンタリー映画で一貫して追究している。沖縄と本土、地方自治と国家、日本とアメリカ、民主主義の少数派と多数派という関係のあり方を鋭く問いかける。イデオロギーではなく、人物の生き方を通じて問い続けているところが優れている。

 監督の舞台挨拶の後、パンフレットのサイン会があり、僕もサインしていただいた。その時少し言葉を交わすことができた。穏やかな視線と物腰の柔らかい姿が印象的だった。


 沖縄と山梨にもいろいろな関わりがある。

 戦後、1945年から米軍は富士北麓(富士吉田市と山中湖村)にある「北富士演習場」に常駐していたが、1956年、その大部分が沖縄に移った。その11年の間、現在の沖縄と同様の事件や事故が起きたことを地元紙の山梨日日新聞社の取材班が「Fujiと沖縄」という連載記事で綿密に報道した(2022年1~6月新聞連載、2023年6月書籍『Fujiと沖縄』刊行[山梨日日新聞社]、第22回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞)。つまり、富士北麓の困難や混乱を結果として沖縄に押しつけたことになる。このような事実に無知であった僕は衝撃を受けた。また、北杜市出身の八巻太一は沖縄各地で教員を務め、退職後に私財を投じて私立沖縄昭和女学校を設立し商業教育を推進したことも「Fujiと沖縄」の記事から詳しく知ることができた。

 音楽でも深いつながりがある。

  甲府育ちの評論家竹中労は、『美空ひばり』や『ビートルズ・レポート』など音楽に関する著書が多いが、70年代初頭から琉歌沖縄民謡のレコードをプロデュースし、コンサートも企画して、嘉手苅林昌を始めとする「島唄」を紹介した功績は大きい。また何といっても、甲府出身の宮沢和史・THE BOOMの「島唄」が挙げられる。1992年1月のアルバム『思春期』で発表され、1993年6月シングルとして発売されて大ヒットとなった。この歌によって沖縄戦に関心を持った人は数知れないだろう。リリースから三十数年が経つが、この歌の影響力は非常に強い。


 8月にBe館で見た『マリウポリの20日間』と『太陽(ティダ)の運命』は、ニュースの取材記者や番組のキャスターであるジャーナリストが監督した。ドキュメンタリー映画の持つ、映像の力、時間を記録する力の可能性を強く感じた。『木の上の軍隊』は劇映画だが、実話を元にしているのでドキュメンタリー的な要素があり、そのことが作品に力を吹き込んでいた。

 Be館の小野社長とも少し話ができたが、この8月に『マリウポリの20日間』『木の上の軍隊』『太陽(ティダ)の運命』という作品を上映したのは、やはり戦後80年を意識しての計画だったそうだ。このような企画をするミニシアターが地方にあることには大きな意義がある。

 この映画はBe館では11(木)まで上映している。その他の地域でもまだ上映中の館もある。今後配信されることがあるかもしれないので、機会があったらぜひご覧いただきたい。



2025年9月7日日曜日

8月の甲府Be館 『マリウポリの20日間』『バッド・ジーニアス』『木の上の軍隊』『太陽(ティダ)の運命』

 8月は甲府のシアターセントラルBe館で四本の映画を見た。これらの作品について少し振り返りたい。


   『マリウポリの20日間』


 ロシアがウクライナに侵攻してからマリウポリが壊滅するまでの20日間を記録したドキュメンタリー映画。ミスティスラフ・チェルノフ監督。この映画を見ていると、記憶の中にある、2022年2月の侵攻開始直後にテレビのニュース番組で放送されたAP通信の映像がいくつも使われていた。あの当時はこの映像がどのようにして撮影されたのか全く分からなかったが、この映画は撮影の過程や経緯を教えてくれた。そして、取材班のたぐいまれな使命感や勇気、緊張感や苦悩をあますところなく伝えている。いきなり侵攻が始まり日常が崩壊していく。爆弾が破裂して家や病棟が破壊されていく。その惨状にも関わらず、状況がよくつかめない。不安と絶望が広がる。死者が増えていく。直視することができない凄惨な映像が続くが、私たちが知らなければならない現実である。

 ウクライナ人の記者チェルノフたちの取材班は、やがて、ウクライナ軍の援護によってマリウポリから決死の脱出を図る。そのような過程を経て世界に配信された映像が日本のニュース番組でも見ることができた。それらの映像を元にして作成されたのがこの映画である。2024年、第96回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞し、ウクライナ映画史上初のアカデミー賞受賞作となった。また、AP通信にはピュリッツァー賞が授与された。


   『BAD GENIUS バッド・ジーニアス』


 2017年のタイ映画「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」をハリウッドでリメイクした作品。J・C・リー監督。貧しい家庭に育った秀才の少女リンは名門高校に特待生として入学し、劣等生たちから持ちかけられて、彼らを救う「カンニング」作戦を指揮するようになる。その方法がなかなか巧みであり、映画として楽しめたのだが、アメリカ社会の移民や貧困の問題にも踏み込んでいるところが単なるエンターテイメント映画ではないことを示していた。


  『木の上の軍隊』



 沖縄の伊江島で終戦に気づかないまま2年の間もガジュマルの木の上で生き抜いた二人の日本兵の実話に基づいた井上ひさし原案の舞台劇を映画化した作品。平一紘監督。

  上官の少尉(堤真一)と沖縄出身の新兵(山田裕貴)がその立場ゆえに距離があるのだが次第に互いを理解していく。飢えに苦しみながら木の上とその周りの森で孤独な闘いをを続ける。時が経つにつれて、二人の心の中で「帰りたい」という想いが強くなる。最後の浜辺の場面で上官の堤真一が微笑みながら山田裕貴に「帰ろう」という場面が秀逸だった。映画はここで終わったが、実際にモデルの二人は故郷に帰ることができたそうだ。それを喜ぶと共に、帰りたくても帰ることが叶わなかった無数の人々のことを考えた。戦場に行くことは帰ることをあらかじめ断念することでもあった。その現実を強く思い知らされた。 


『太陽(ティダ)の運命』


  沖縄県の二人の知事に焦点を当て各々の闘いの軌跡を通じて沖縄現代史を描いたドキュメンタリー映画。佐古忠彦監督。タイトルの「ティダ」は沖縄の方言で太陽の意味、古くは首長=リーダーを表す言葉である。

 沖縄本土復帰後の第4代知事大田昌秀と第7代知事・翁長雄志は、政治的立場が正反対であることから対立しながらも、大田は軍用地強制使用の代理署名拒否、翁長は辺野古埋め立て承認の取り消しを巡って国と法廷で争った。結局、対立していた二人は沖縄の平和を守るために同じ道を歩むことになる。この映画は、本土と沖縄、国家と地方自治、日本とアメリカという関係のあり方を深く問いかける作品だった。


   8月31日、シアターセントラルBe館で佐古忠彦監督がこの映画の舞台挨拶を行うことを知ったので、この映画はその日に見に行った。佐古監督の舞台挨拶を含め、この映画について考えたことを後にあらためて書きたい。


2025年8月12日火曜日

7月の甲府Be館 『104歳、哲代さんのひとり暮らし』『テルマがゆく! 93歳のやさしいリベンジ』『ルノワール』

 7月は、甲府中心街の「シアターセントラルBe館」で三本の映画を見た。この三つの作品についての感想を少し書きたい。


『104歳、哲代さんのひとり暮らし』

 104歳の石井哲代さんのひとり暮らしの日々を追うドキュメンタリー映画。監督は山本和宏。地元紙の中国新聞で哲代さんを取材した連載記事やベストセラーとなった書籍が元になった。哲代さんは広島の尾道の山あいにある一軒家で一人で生活している。笑顔の表情、ユーモアある言葉が生き生きと撮られている。自宅から坂道を後ろ向きでゆっくりと下りる姿が時々挿入されるが、この映画のリズムを奏でている。
 哲代さんは〈みんなになあ、大事にしてもろうて、ほんとうにいい人生ですよ、だった、言ったらいけんけん、人生です、ingでいきます!〉と語る。いつも〈ing〉でいくこと、この現在進行形の生き方に感銘を受けた。百年を超える時間も現在進行形で流れている。時はいつも現在である。




『テルマがゆく! 93歳のやさしいリベンジ』

 93歳のテルマがオレオレ詐欺で奪われた1万ドルの金を取り戻すストーリー。ジョシュ・マーゴリン監督の祖母の実話が元になっている。役柄同様に93歳の女優ジューン・スキッブが電動スクーターに乗って行動する姿がとてもカッコイイ。仲良しの孫ダニエルをフレッド・ヘッキンジャーが好演している。
 見る前は冒険活劇風の愉快な展開を予想したのだが、映画はアメリカ社会の歪んだ現実をリアルに描いていく。先進国はオレオレ詐欺や高齢化社会など共通の問題を抱えていることを痛感した。     





『ルノワール』

 早川千絵監督の『PLAN 75』に続く長編第二作。1980年代後半、11歳の少女フキ(鈴木唯)は闘病中の父圭司(リリー・フランキー)と仕事ばかりの母詩子(石田ひかり)と3人で郊外の家に暮らしている。感受性が豊かなフキはあれこれと想像をめぐらせる。当時流行した伝言ダイヤル(出会い系サービスのはしり)で知り合った男との場面が緊迫感をもたらす。
 11歳の少女の固有な存在感を際立たせた演出は評価できる。ただし、作品内の現実と想像(というよりも幻想や妄想じみたもの)を交錯させながら映像が展開していくが、その転換、切り替わるポイントがつかみにくいところが気になった。脇役の中島歩、河合優実、坂東龍汰を含めて役者たちが好演していただけに、そのことが残念だった。





 この三作は、104歳と93歳の高齢女性から11歳の少女まで、女性の生き方を余すところなく描いている。特に高齢者の場合、女性の方が生き生きと現実に向き合っているように感じた。そのような意味での「女性賛歌」の映画には独特な魅力がある。


2025年6月29日日曜日

6月の甲府Be館『小学校~それは小さな社会~』『教皇選挙』『敵』『リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界』

  6月は「シアターセントラルBe館」で四本の映画を見た。

 僕も妻もいろいろと忙しい毎日を送っていて、このところ、週に一度の映画館通いが唯一の愉しみである。Be館は甲府の中心街にあるので、映画の前後にランチを食べ、街を歩く。日常から解放される。ささやかだがそれなりにぜいたくな時の過ごし方かもしれない。今日はこの四本の映画について少しだけ感想を書きたい。






山崎エマ監督『小学校~それは小さな社会~』  父親が英国人、母親が日本人である山崎監督は、日本の公立小学校、インターナショナルスクールの中高、米国の大学で学んだ。小学校が「日本の子どもたちを“日本人”に作り上げる」というモチーフで、東京の世田谷区立塚戸小学校の生徒・保護者・教師を一年間撮影したドキュメンタリー作品だが、教師と生徒の人間的な交流と学校全体としての集団的な規律訓練が交錯する姿を丹念に追いかけている。この映画を見ながら、半世紀以上前になる小学校での出来事の記憶がぼんやりとうっすらと浮かび上がってきた。懐かしいという感情ではなく、こういうこともあったのだという発見のようなもの。それがこの映画の核にある。



エドワード・ベルガー監督 『教皇選挙』  新しいローマ教皇を選出する教皇選挙(コンクラーベ)をめぐる人間模様を描いた映画。4月にフランシスコ教皇が亡くなりコンクラーベが行われたこともあって話題作となった。予備知識がなかったのでドキュメンタリー的な作品なのかと思っていたが、実際はミステリー仕立ての映画だった。結末は想定外の展開になる。ほんのわずかに伏線が張られてはいるが、その伏線には誰も気づかないであろう。そのことを含めて、すべては前教皇の意志である、という物語の展開がバチカンらしいのかもしれない。



吉田大八監督『敵』  筒井康隆の同名小説の映画化。七十七歳の主人公の男は元大学教授。フランス文学・演劇の権威だったが、妻に先立たれ、日本家屋で一人暮らしの日々を送る。老齢や孤独ということもあってか、男は次第に自らの夢や妄想にひきこまれていく。原作者の筒井康隆がずっと(作家生涯をかけてというべきだろう)探究しているテーマだ。吉田監督は美しいモノクロ映像の陰翳と秀逸なカット割りとモンタージュによってこの難しいテーマを見事に映像化している。ただし、「敵」を映像として実体化するような戦闘的シーンは不要だった気がする。夢や妄想はあくまでも自らの内部の「敵」、無意識の「敵」として存在するのが筒井文学の本質であるからだ。


エレン・クラス監督『リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界』  報道写真家リー・ミラーの人生を描いた伝記映画なのだろうが、見終わったときに感じたのは本質的に、戦争の本質を厳しく鋭く映し出した戦争映画ということだった。写真家の眼差しが戦争の犠牲者たちを捉える。その過酷な仕事に打ち込む写真家の姿。映画内の映像だとはいえ、見ることに耐えられない残酷な被写体の姿。人間の生と尊厳を根こそぎ奪い取る戦争の姿。なぜリー・ミラーが戦争の報道写真を撮ることになったのかという問いは最後にインタビューで語られることになる。一言で言えば、戦争と性を貫く男性の暴力との闘いになるのだろうが、そのモチーフは的確に表現されている。



 四本の映画はそれぞれ本質的な問いかけを持っていた。甲府市内に残る唯一の映画館「シアターセントラルBe館」はミニシアター系作品の二番館のような存在だが、上映作の選択がいつも素晴らしい。この甲府の地でこのような映画を鑑賞できるのは特筆すべきことだ。

 この映画館はこのまま存続してほしい。僕たちにできるのは、とにかく、Be館に通うことだと思っている。

2025年5月31日土曜日

「こうふ亀屋座」「小江戸甲府花小路」/Be館『35年目のラブレター』

 4月19日、甲府市の中心街に江戸情緒あふれるまちなみを作るプロジェクトとして、甲府城の南側エリアに歴史文化交流施設「こうふ亀屋座」と交流広場、その周辺に江戸の町並みをイメージした飲食物販等施設「小江戸甲府花小路」という小路がオープンした。

 「こうふ亀屋座」には120人収容の演芸場と五つの多目的室が設けられている。記念イベントとして、落語会、能楽会、「宮沢和史TALK&LIVE」という音楽会が演芸場で開かれた。文字通り演芸の場である。

 この建物は、江戸時代の芝居小屋「亀屋座」をイメージして建設された。 江戸時代、甲府で流行った芝居は江戸でも流行ると言われていた。芝居を見る目が優れた人が甲府には多いという定評があった。


 先々週、「こうふ亀屋座」と「小江戸甲府花小路」の界隈を歩いた。岡島という老舗百貨店の新店舗の方から北東側に歩いて行くと、このエリアに入ることができる。確かに江戸を思わせる小屋と小路だ。なんだかタイムスリップした気分になる。話題のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の映像も浮かんできた。


食べ物屋、甘味処、カフェなどの店舗もある。その向こう側には「甲府城跡」(舞鶴城とも呼ばれる)の石垣が見える。近くには「舞鶴城公園」もある。中心街の散策コースとしてはとても綺麗な空間になっている。甲府の中心街はかなりさびれてきたが、この江戸情緒の街並みや芝居小屋が新しい拠点となってほしい。



 先週はシアターセントラルBe館に出かけた。これで三週間連続となる。

 今回は『35年目のラブレター』。監督・脚本、塚本連平。役者は主演西畑保:笑福亭鶴瓶、西畑皎子:原田知世、保(青年時代):重岡大毅、皎子(青年時代):上白石萌音。



 文字の読み書きができなかった保が夜間中学で字を覚えて、妻の皎子にラブレターを書くという実話を基にした映画である。こういうストーリーであると、いわゆる「感動もの」的な作品に思われるかもしれないが、この映画は適任の役者や抑制された演出によって優れた作品になっていた。

 重岡大毅は、2022年7月から9月まで放送されたテレビ東京のドラマ「雪女と蟹を食う」で好演していた。このドラマの挿入曲に、志村正彦・フジファブリックの「サボテンレコード」と「黒服の人」が使われた。上白石萌音は、2022年5月7日のNHK総合の番組「こえうた」で志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」を歌った。そんなこともあり、この二人には親しみを抱いていた。保と皎子の出会いから結婚へと至る展開には心が温まった。懐かしくて尊いものがあった。


 映画の中で時が進んでいくが、どうにもならない悲しい出来事が起きる。しかし、青年時代や新婚時代の二人の回想が挟まれ、現代と過去の間に「スリップ」が起きる。その「スリップ」が生きていく力を与える。未来への時間を開いていく。『侍タイムスリッパー』や『知らないカノジョ』と同様に、「スリップ」が演出上の素晴らしい効果をあげている。

 ラストシーンで、笑福亭鶴瓶と原田知世、重岡大毅と上白石萌音の二つのカップルが、公園の二つのベンチに隣り合わせで座っている。一つの空間にスリップしている。その幻の場面が秀逸だった。とりわけ美しかった。

2025年5月18日日曜日

「シアターセントラルBe館」再開!『侍タイムスリッパー』『知らないカノジョ』映画館というスリップの場

 志村正彦・フジファブリックの「消えるな太陽」は、「映画の主人公になって/みたいなんて誰もが思うさ/無理なことも承知の上で映画館に足を運ぶ俺」と始まる。志村にとって映画館も太陽、光の場だったのであろう。

 映画の主人公になってみたいなんて、さすがに思うことはないが、映画館に足を運びたいとは思う。でも、私の住む甲府にはもう映画館がない。時々通っていた中心街の映画館「シアターセントラルBe館」は2023年12月から休館になってしまった。非常に残念だった。ここは良質な作品を上映する甲府のミニシアターとも言える場。このblogでも何度も上映作について書いてきた。休館ということだったがそのまま閉館となってしまう恐れもあった。


 ところが、シアターセントラルBe館が5月2日から再開されることになった。とてもとても嬉しかった。地元のメディアでも大きく報道され、山梨日日新聞の記事には「小野社長は「『映画の街』として栄えた市内中心街にある映画館として、長く続けてきた文化のともしびを消したくない。映画館からしばらく疎遠になっている人も、これをきっかけに足を運んでほしい」と語ったとある。この小野社長の心意気が有り難い。

 出井寛『山梨シネマ120年』(山梨ふるさと文庫2019)に山梨の映画館の歴史が詳しく書かれているが、最盛期の昭和30年代前半には甲府市内に十五の映画館があった。伝統的に甲府は興行が盛んな街だった。江戸時代には歌舞伎の芝居小屋があり、大正時代以降は映画館が娯楽の場となった。しかし現在は山梨県内に、この復活したBe館(略してこう呼んでいる)と昭和町のイオンモール内にある「TOHOシネマズ 甲府」というシネコンの二つしかない。富士北麓地方ではかつて富士河口湖町にあったのだが今はもうない。

 早速、妻と二人でBe館に出かけた。先々週は『侍タイムスリッパー』、先週は『知らないカノジョ』と、二週間続けて見た。



 



 『侍タイムスリッパー』は、幕末の侍が現代の時代劇撮影所にタイムスリップするという荒唐無稽な物語。主役の山口馬木也の姿や立ち居振る舞いが毅然として凜々しいが、ところどころユーモアも醸し出す。安田淳一監督による自主制作映画だが、脚本、俳優、演出、映像のすべてが素晴らしい出来映えだった。

 タイムトラベルものの定型に陥ることなく、侍という存在、幕末から現代までの時代の変化、そして時代劇そのものについて問いかけるメタ的な視点がある。全国で上映されるようなヒット作となったことも頷ける。



『知らないカノジョ』の監督三木孝浩は、志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」を重要なモチーフとしたNetflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』を監督したということから、この最新作にも興味を持った。主演は中島健人とシンガーソングライターのmilet。この二人が恋愛し結婚するのだが、各々の仕事や立場が逆転した〈もう一つの世界〉に入り込んでしまう。小説と音楽の制作もモチーフになっている。脚本の質がとても高いことに驚いたのだが、日本映画離れをしているなと思って帰宅してから調べてみると、フランス映画『ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから』のリメイクだということを知ったので別の意味でも驚いた。リメイクであるからにはオリジナルを見てみたい。幸いにして配信サイトにあった。

 

 いくつかの場面での小さな違いはあるものの基本的なストーリーは同じだった。しかし、決定的な違いがあった。ネタバレになるかもしれないが、少しだけ言及したい。オリジナル版の『ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから』では二つのパラレルワールドが展開するが、リメイク版の『知らないカノジョ』には三つのパラレルワールドが存在する。この第三のパラレルワールドが重要な意味合いを持つ。そしてこの点においてリメイク版はオリジナル版を超えた作品となっている。三木監督や脚本の登米裕一・福谷圭祐の功績になるだろう。


 というわけで、休館時から一年半を経てタイムスリップしたかのように甲府の中心街に再び現れた「シアターセントラルBe館」で、時代のタイムスリップもの『侍タイムスリッパー』とパラレルワールドのスリップもの『知らないカノジョ』の二つの映画を二週の間スリップしながら鑑賞した。


 あらためて気づかされたことがある。映画館そのものがスリップの場である。いつもは自宅のテレビモニターで配信サイトを通して見ているが、やはり日常と地続きの感がある。映画館では外界が遮断され、暗闇に包まれてから、スクリーンという光の場にスリップする。二時間ほどの時間かもしれないがその時間を超えて、日常からもう一つの世界へとスリップできる貴重な経験の場である。


付記:ページビューが50万を超えました。このblogが始まった2012年12月から12年半が経ち、記事の総数は579になります。拙文を読んでいただいている方々に深く感謝を申し上げます。


2024年5月5日日曜日

青柳拓監督『フジヤマコットントン』山梨上映会

  昨日、青柳拓監督の新作『フジヤマコットントン』を甲府で見ることができた。

 青柳監督は1993年、山梨県市川三郷町で生まれた。2017年、日本映画大学卒業制作のドキュメンタリー映画『ひいくんのあるく町』が公開されて高い評価を受ける。2021年公開の『東京自転車節』は、コロナ禍の緊急事態宣言下の東京で自転車配達員として自ら働く姿を記録したドキュメンタリー作品。社会への鋭い批評性と働くことへの問題提起によって、国内だけでなくドイツ、フランス、イギリスでも上映された。

 主要な作品としては三作目となる『フジヤマコットントン』は、山梨県の中巨摩郡昭和町にある障害福祉サービス事業所「みらいファーム」に集う人びとを描いたドキュメンタリー映画。連休中の5月3日・4日の2日間、甲府駅にも近い「やまなしプラザ」のオープンスクエアで、山梨では初めての上映会が開かれた。2月の東京での公開以降各地で公開されたが、なかなか見る機会がなかったので、この上映会はありがたかった。

 2日間で合計6回の上映。各会定員が150名。私は4日の第1回目に行ったのだが、予約客だけで満員となった。会場は貸しホールなのでフラットな形状、座席もパイプ椅子と、映画を見る環境としては恵まれてはいない。本来は映画館での上映が望ましいが、現在、山梨県内の映画館は、シネコンの「TOHOシネマズ 甲府」(イオンモール甲府昭和内)しかない。甲府市内の唯一の映画館「シアターセントラルBe館」は昨年12月以来休館している。(この映画館での上映作品はこのブログでも何度か書いたことがある。甲府のミニシアターとでも言うべき貴重な場だったので、再開されることを願っている)

 地方では映画を見る環境自体が衰退している。しかし、この『フジヤマコットントン』の山梨初上映はこの「やまなしプラザ」のような場所でよかったのかもしれない。この施設は山梨県防災新館という山梨県庁の建物の一階にある。言うならば、甲府中心街のちょっと洒落た「公民館」のような所。この映画を見たい人びとが集う場としては良い選択だったとも思う。

 この映画の予告編を紹介したい。




 会場では、青柳監督の挨拶の後、映画が始まった。公開してまだ三か月ほどの映画なので、内容そのものについてここで触れることは差し控えるが、冒頭とその直後のシーンについて少し書かせていただきたい。


 冒頭のシーン。一人の男性が畑の中の道をゆっくりと歩いて行く。

 その向こう側に、御坂山地の山々とその稜線の上に富士山が見える。フジヤマ、富士山がこの映画の舞台を見つめる、見守るような位置にあることが暗に示される。

 『ひいくんのあるく町』では、ひいくん(渡井秀彦さん)が山梨の市川の町を歩いた。『東京自転車節』では、青柳監督自身が自転車で東京の街を疾走していた。『フジヤマコットントン』では、甲府盆地の南にある畑道を歩く。歩く、移動する男はこの三作の共通のモチーフだろう。

 そしてこの冒頭には「甲府盆地のど真ん中 山はゆりかごのように 囲んでゐる」というテロップが表示される。『フジヤマコットントン』の充実したパンフレットの中で監督は、「山梨出身の歌人・山崎方代さんの短歌を参考にしてオリジナルで作成しました」と述べている。

 方代は、1914年山梨の右左口村で生まれた。「漂泊の歌人」として知られる。戦争で右目を失明。晩年は鎌倉で過ごし、1985年に亡くなった。「ふるさとの右左口邨は骨壺の底にゆられてわが帰る村」が代表作。この歌にあるように、方代は山梨に帰郷しなかった、帰郷できなかった出郷人である。

 映画の幾つもの場面で監督作の短歌風のテロップが流れる。この手法は、木下恵介監督の『二人で歩いた幾春秋』(1962年)へのオマージュであろう。この作品は、戦後の山梨で野中義男(佐田啓二)・とら江(高峰秀子)の夫婦と一人息子の利幸(山本豊三)が苦労に苦労を重ねながら懸命に生きていく家族の物語。原作の歌集『道路工夫の歌』の河野道工の短歌がテロップとして効果的に使われている。また、青柳監督の故郷市川大門の町やその周辺が舞台となっている。以前、この作品について語ったtweetを読んだ記憶があるので検索すると、次の呟きが見つかった。

青柳 拓 Aoyagi Taku @otogisyrupz Apr 27, 2021
歌集『道路工夫の歌』(河野道工著)は地元山梨・市川大門を代表する労働歌。佐田啓二と高峰秀子主演で木下監督作『二人で歩いた幾春秋』の原作。現代の労働映画『東京自転車節』をこれから語っていく上で自分のルーツを読んでおかねばと思い購入。これが刺さりまくってる…いずれ少しずつ紹介します

 私が『二人で歩いた幾春秋』を初めて見たのは、二十数年前にNHKBSで放送されたときだった。木下作品の中ではあまり知られていないが、きわめて優れた映画である。昔の市川大門の町や道、市川の花火、路線バス、甲府一高の講堂、もう解体された岡島百貨店など、山梨の人にとっては懐かしい映像が映し出される。

 河野道工(本名  河野利和)は、1909年山梨県市川大門町で生れた。戦争から復員後、市川土木出張所に入り、道路工夫となる。短歌を山梨時事新聞「山時歌壇」に投稿。後に歌誌「樹海」同人。1960年、第一歌集『道路工夫の歌:河野道工歌集』、1969年、第二歌集『雑草の歌 : 自選歌集  続・道路工夫の歌』(共に甲陽書房)刊行。1972年に亡くなった。

 木下恵介監督『二人で歩いた幾春秋』と河野道工『道路工夫の歌』については別の機会に書いてみたい。


 『フジヤマコットントン』は記録映像を主とするものだが、青柳拓が親しんできた映画や文学に対する細やかな愛やそれを活かす技法が、ファブリックのように織り込まれている。


 ふたたび映画に戻りたい。冒頭シーンのすぐ後で施設内部の風景に、「バラバラの人たちの バラバラのリズムが 鳴り響く場所」というテロップが表示される。その後の映像はまさしくこのテロップ通りに展開していく。2022年から約1年かけて1か月2回、1回につき3~4日集中して撮影されたそうだが、カメラとインタビューが丁寧に繊細に「バラバラの人たち」の施設での生活や労働を追っていく。彼らの「バラバラのリズム」は時に融合して、美しい音楽も奏でていく。95分の上映時間はそのように流れていく。

 『ひいくんのあるく町』の「ひいくん」の歩行のリズムと祭り囃子の音、『東京自転車節』の自転車のペダルのリズムとテーマの節、『フジヤマコットントン』の綿繰り機や織り機のリズム、というように、青柳作品からはいつも働く人間のリズムや音が聞こえてくる。


 上映後、監督と出演者二人の挨拶とトークがあった。その時のフォトセッションの写真を添付したい。左から、けんちゃん(木内賢一さん)、青柳拓監督、たつなりさん(小林達成さん)。監督が両手に持っているのは、二人がプレゼントした花。「みらいファーム」で育てられたものである。




 『フジヤマコットントン』は各地で上や上映予定があるので、ぜひ見ていただきたい。劇場情報は公式webにある。ドキュメンタリー映画という枠を超えた独創的な作品である。このような映画はかつて存在しなかった。そして、これからも存在しないであろう。この映画については考えてみたいことがたくさんある。上映が一段落したあたりで、再びこのブログに書きたい。


2023年2月26日日曜日

「黒服の人」―ドラマ「雪女と蟹を食う」[志村正彦LN328]

 昨年の夏から半年ほど「茜色の夕日」について断続的に書いてきた。一月ほど休止したが、このブログを再開したい。冬ももう終わりつつあるが、四季盤シングルの冬盤「銀河」のB面曲「黒服の人」を取り上げる。

 Gino0808の漫画「雪女と蟹を食う」がテレビ東京系「ドラマ24」枠でドラマ化され、2022年7月から9月まで放送された。監督は、内田英治・柴田啓佑・松本優作。このドラマの挿入曲として、志村正彦・フジファブリックの「サボテンレコード」と「黒服の人」が使われたことをネットで知ったが、その回は見逃してしまった。10月からBSテレ東で再放送されたので、第1話から最終12話まで見ることができた。まだ、漫画作品の方は読んでいない。

 「黒服の人」は第9話の冒頭、北(重岡大毅)と雪枝彩女(入山法子)が車で北海道の小樽へ入り、二人が小樽の街を歩く場面で〈遠くに行っても 忘れはしない/何年経っても 忘れはしない〉の部分が流された。時間も25秒ほどで音量も小さかったので、注意しないと聞き逃してしまうようだったが、むしろこの曲にふさわしい演出だったのかもしれない。動画配信サービスで視聴できるが、youtubeにはこの回の予告編がある。



 

 企画・プロデューサーの松本拓氏は〈テーマは「死生観」です〉〈人が生きる意味、そして、人の温かみを感じて頂ける作品に仕上がっていくと思いますし、「生」と「死」という人間の普遍的な要素を表現しながらも、その世界観はとても現代的なものになっていくはずです〉と語っている。確かに、「生」と「死」の要素を中心に、「性」と「愛」の要素も織り込んだ作品である。


 生の行き詰まりからどのようにして自らを解き放ち、自分自身の時を未来へとつなげていくのか。


 その切実なモチーフを、重岡大毅と入山法子の優れた演技と工夫された演出によって描いている。セレブな高級車、赤色のBMW M5と北が着る変わったTシャツとの取り合わせも面白い。東京から北海道までのロードムービーだが、温泉宿や土産物、蟹など美味しそうな食べ物も絡めている。第9話でも小樽運河や旧倉庫、おたる水族館を訪れていて、旅案内風なところもあった。第12話の結末は、ロードムービーの終着点ではなく、新たなロードムービーの始まりである。

 (この項続く)


2022年3月13日日曜日

木下惠介監督『笛吹川』

  二月の下旬以来、重苦しい日々が続く。自明だと考えていた世界の前提が壊されてゆく。沈鬱な気分に陥り、ブログを書くこともできなかった。

 昨日3月12日、山梨市の日下部公民館で木下惠介監督『笛吹川』(1960年)の上映会があった。原作は山梨出身の作家深沢七郎の同名小説である。上映前の短い時間ではあるが、この映画についての解説を担当させていただいた。この映画をブログで取り上げることには意義があるかもしれないと思えたので、今日は久しぶりに書いてみたい。

 日下部公民館の館長夫妻とは知人であり、私が大学の「山梨学」という科目のなかで「木下惠介と山梨」というテーマで講義をしていることもきっかけとなった。映画は専門ではないが、山梨出身やゆかりの作家について研究や教育をしてきた。木下監督の代表作『楢山節考』(1958年)も原作は深沢七郎であり、『二人で歩いた幾春秋』(1962年)という戦後の山梨を舞台にした優れた作品もある。山梨との関わりが深い映画監督といっても良いだろう。

 当日は、五十人ほどの参加者があった。コロナ禍なので、座席の間隔を開けて換気にも注意しての上映である。レンタルDVDさらにネットでの動画サイトが普及して、自宅で映画を自由に視聴できる時代ではあるが、今回のように公民会という場に集って、みんなで名作映画を鑑賞するのも良いものである。なんだか懐かしい雰囲気があり、忘れてしまった大切なものを思いだしたような気持ちになった。

 映画の舞台笛吹川は、山梨北部の山々の渓谷を源に、甲府盆地の東にある甲州市・山梨市・笛吹市を通って、やがて富士川に合流して、静岡へと流れていく。この名の由来は、濁流にのまれた母を笛を吹きながら探す途中で川で亡くなった「笛吹権三郎」の哀しい伝説にあり、この川の音が権三郎の吹く篠笛の音のように聞こえたことによる。そのせいか、映画にも小説にも、どこか音楽的な響きやリズムを感じる。

 映画『笛吹川』は、武田信虎・信玄・勝頼の武田家三代の時代を背景に、笛吹川の袂にある「ギッチョン籠」と呼ばれた家に暮らす貧しい農民、おじい(加藤嘉)・半平(織田政雄)・半蔵(大源寺龍介)・定平(田村高広)・惣蔵(市川染五郎)・久蔵(伊藤茂信)の六代にわたる六十余年の物語を描いている。この六代の男たちと共に、定平の妻おけい(高峰秀子)と妹タツ(荒木道子)が主要な人物である。「ギッチョン籠」の一族の多くは武田家の戦に巻き込まれていく。

 この映画はモノクロで撮影され、山々の稜線や川の風景が美しく描かれているが、ところどころモノクロに部分的に色を付ける手法が導入され、風景に対する異化の効果を与えている。実験的な映像である。

 長部日出雄『天才監督 木下惠介』によると、当初は山梨でロケハンしたがおもわしい場所がなく、長野県の千曲川の木橋の近くにギッチョン籠のオープンセットを建てて撮影された。この美しい木橋が、「ギッチョン籠」の生活の世界と外部の戦乱の世界とを媒介している。この橋を人や馬が通ると、何かが起きる。そのほとんどは死をもたらす出来事だ。その反対に、「ギッチョン籠」やその周辺の世界では、死と引き換えるようにして、「ボコ」(甲州弁の「子供」)が生まれる。

 笛吹川の橋は、生と死の世界の境界にある。そして、その生と死の反復が、『笛吹川』の通奏低音になっている。そして甲州弁で語られる台詞、「ボコ」「ノオテンキ」などの言葉やアクセントが独特の響きを作っている。まさしく、甲州そのものの世界なのだ。

 木下は「歴史に流れる人間の生命」という文で、『笛吹川』のテーマやモチーフについて次のように述べている。

この小説の主題は、個人でも事件でもない、すべては笛吹川の流れなのだ。歴史を通して流れる人間の生命、その哀しさと力強さが基本的テーマとなって訴えかけてくる。恐らく深沢さんが狙ったのは、今迄のドラマや小説作法では捉えられなかった人間、時代や歴史を越えて生き続ける人間の、業のようなものを描こうとしたのだろう。(略)これ迄に勇ましい武将や華やかな合戦を描いた映画は沢山あるが、その陰に生きた庶民や百姓を主人公とし、彼等の立場から歴史を描こうとした作品は一寸見当らない。そこで、この歴史の波にもまれ、その中に生きて行く百姓一家を主人公にした小説から、今迄とは違った歴史映画を掴み出そうと思っている。(略)歴史が変っても、永遠に続く人間本能のくりかえし、演出はここに焦点を合わせるが、その結果として、戦国時代を描きながら大変現代性の強い作品になると思う。元来、人間というものは、原始的な斗争本能を根強く持っており、常に平和であることを希いながら戦争をくりかえすのは、こうした人間の悲しい本能によるものではないだろうか。人間の心の中には、明暗二面がいつも斗っている。


  物語の筋をここで書くことは控えたいが、物語で語られている三つの闘いの姿については触れたい。この三つの姿は深沢七郎の原作に忠実ではあるが、木下監督の解釈や演出もある程度加えられている。

  一つ目は定平とその妻おけいの闘い。子供達が「お屋形様」武田家の戦に行くことに終始反対する。貧しい農民が戦に出かけて手柄を立てたとしても、結局は死が待っているからだ。おけいは武田軍の一行に入ってしまった子供たちを何とか家に戻そうとして何処までも追いかけていく。母親は子供たちが生き延びるために闘う。

 二つ目は定平の妹タツの闘い。タツは自分の母や夫を「お屋形様」に殺されたことから、武田家に恨みを抱き、その滅亡を願う。タツは絶対に許すことをしない。武田家滅亡のために心の中でずっと闘い続けることがタツの人生だったと言えよう。

 三つ目は定平とおけいの子供、惣蔵たちの闘い。彼らは「先祖代々お屋形様のおかげになっている」と考え、武田家に従って敵軍と闘う。観点を変えれば、武田家と運命を共にするための闘いである。そもそも「ギッチョン籠」の一族は武田家の理不尽な仕打ちの犠牲になってきた。武田家に恨みを抱きこそすれ、恩恵を受けてはいない。それにもかかわらず、武田家という支配者に服従し、殉ずるという一種の背理がある。この心理と行動が観客にとって理解しがたいのだが、現実にはこのようなことが起きる。支配者と被支配者との服従をめぐる複雑な関係である。


 木下惠介はこの三つの闘いの姿を描くことによって、「人間の心の中」の「明暗二面」を浮き上がらせる。後年、「スクリーンと観客席の距離がずっと大きくなるように撮りました」「合戦があっても、ドラマがあっても、観客はその中にとけ込まない。盛り上りもない。人物関係がわからなくてもいい」と回想している通り、『笛吹川』には映画的な盛り上りがほとんどなく、人物関係や物語自体もたどりにくい。木下は、映画に対する観客の欲望、登場人物への同一化や物語への一体化の欲望には迎合しない。映画監督しての自らの欲望にあくまでも忠実である。木下にはどこか突き抜けたもの、とてつもなく過剰なものがある。

  木下惠介監督はヒューマニズムの人と言われているが、そのヒューマニズムは単純で凡庸なものではない。透徹した眼差しによって、戦争とそれを巡る人間の本質を冷徹にえぐりだしている。

2021年2月19日金曜日

映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』

  昨日、甲府のシアターセントラルBe館で、映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』を見てきた。

 ロビー・ロバートソンの自伝を原作に、ザ・バンド(THE BAND)の誕生から1976年の解散ライブ『The Last Waltz』までの足跡を追ったドキュメンタリー映画。原題は『ONCE WERE BROTHERS:ROBBIE ROBERTSON AND THE BAND』。「ROBBIE ROBERTSON AND THE BAND」とあるように、ロビー・ロバートソンとその妻の視点からのTHE BANDの物語だった。

 僕がロックを聴き始めた1970年代の前半、THE BANDはすでに伝説のような存在だった。アメリカのルーツ・ミュージック、ロックンロール・カントリー・フォーク・R&Bなどを織りまぜたロックの創始者だった。ボブ・ディランのバックバンドとしての知名度も高かった。そのような音楽を生み出した彼らの生活スタイル、ウッドストックという地、ザ・バンドとボブ・ディランが借りていた家「ビッグ・ピンク」は、音楽雑誌などでよく記事にされていた。当時の僕たちは、彼らの音楽の総体を「知識」として受けとっていたように思う。

  今の若者が、彼らのデビュー曲的な位置づけである1968年の「ザ・ウェイト」(The Weight)を聴くとどう感じるだろうか。アメリカのルーツ・ロックとして普通に聞こえてくるかもしれないが、60年代の後半から70年代の前半の時代においては、斬新な音楽だった。「The Band on MV」のサイトから「The Weight (Remastered)」を紹介したい。冒頭部の歌詞も引用する。



 The Weight      作詞:Robbie Robertson

     I pulled into Nazareth, I was feelin' about half past dead
     Just need to find a place where I can lay my head
     'Hey, mister, can you tell me where a man might find a bed?'
      He just grinned and shook my hand and, 'No', was all he said

      Take a load off Fanny
      Take a load for free
      Take a load off Fanny
      And (and)(and)you put the load right on me
      ………

 俺はナザレにたどりついた
 半ば死んだように感じていた
 横になれるところが欲しかった
 「旦那、休めるところを教えてくれないか」
 彼はにやりと笑って握手して
 「ない」とだけ言った

 重荷を下ろせよ、ファニー
 自由に身軽になれよ
 重荷を下ろせよ、ファニー
 そうして重荷を俺に載せなよ

 この歌詞は難しい。自分なりに訳してみた。映画では、この「Nazareth」の意外な由来についても述べられている。『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』を見終わった後「The Weight 」の歌詞を振り返ると、いろいろな思いが浮かんでくる。
 映像は当時分からなかったことを丹念に描いている。ロビー・ロバートソンの生い立ちと音楽に目覚める過程、ロニー・ホーキンス のバックバンドとして活動していた時代、ザ・ホークスの時代、ボブ・ディランとの出会いや酷評されたツアー。そしてザ・バンドの誕生と活躍の時代。メンバーの友情と確執。そして、そのすべては1976年の解散ライブ『The Last Waltz』に収束していく。

 僕のザ・バンドとの出会いは、彼らの単独作品というよりも、ボブ・ディランが1974年にリリースした『プラネット・ウェイヴズ』(Planet Waves)を通してだった。ボブ・ディランがザ・バンドと創り上げたこのアルバムは、いまだに僕が最も好きなディランの作品であり、ザ・バンドの音楽、演奏である。映画では、ディランがアサイラム・レーベルに移籍した裏話も語られていた。

 映画を見ていくうちに、僕自身が四十数年前の70年代前半から半ばまでの「ロックの時代」にワープしていった。タイトルバックが流れると、しばらくの間、その残像が静かにまだ回っていて、今ここに、自分が戻りきれていない心持ちになった。

 リチャード・マニュエル、リック・ダンコ、リヴォン・ヘルムはすでに亡くなった。ロビー・ロバートソンとガース・ハドソンは健在である。この映画用にガース・ハドソンのインタビューも撮影されたそうだが、結局、使用されなかった。彼は沈黙を守ったのだろう。

 生き残った者の視点で、ロビー・ロバートソンはザ・バンドの歴史物語を綴る。他のメンバー四人からの視点はほとんどない。メンバー間の確執の真実は分からない。ロビー・ロバートソンは正しい人なのだろう。しかし、義しいのだろうか。その問いかけがずっと心に残っている。

 ロビー・ロバートソンその人というよりも、この映画の語り方そのものにある種の残酷さや非情さを感じた。バンドメンバーの生と死を分かつ「時」の残酷さ。あるはずの語られる物語が語られることはない。そのことを胸に刻んだ。

 それでもこの映画は「ロックの時代」の記録の一つとして見る価値がある。25日(木)までシアターセントラルBe館で上映される。


2020年2月11日火曜日

映画『イエスタデイ』のジョン・レノン

 今夜2月11日 18:05~18:34、NHK総合の「ひとモノガタリ」という番組で「若者のすべて~失われた世代のあなたへ~」が放送される。志村正彦(フジファブリック)と彼が遺した曲を支えにして生きる人たちをテーマにしたそうだ。昨夜のNHK甲府の「Newsかいドキ」で冒頭が少し紹介されていた。あと数時間後の本放送を待ちたい。

 前回書いた映画『イエスタデイ』でジョン・レノンが登場するシーンがyoutubeにあった。4分ほどの場面である。この映画は昨年10月に公開されたので上映の機会は少なくなってきた。それでも東京、大阪、兵庫などでは2月から3月にかけて上映する映画館もある。ご覧になる予定の方はこの記事はスルーしていただくことにして、今回はその映像を紹介したい。




 この映像だけを取り出すと、まるでこのシーンが中心のようであるが、映画全体からするとあくまで一つの挿話に過ぎない。しかし、前回書いたように、このジョン・レノンのシーンを中心に据える見方もあるだろう。僕はそう見た。ジョンの登場シーンのためにこの映画は作られたのではないかと。それはそうとして、まるで、ジョン・レノン登場シーンとそれ以外のシーンが、パラレルワールドになっているような関係なのだ。『Yesterday』と『Imagine』がパラレルになっているとも言える。

 このシーンをよく見ると、ジョンの家の前の船底を上にして置かれた小舟に「Imagine」と書かれていることに気づく。この船の名は「Imagine」号なのだ。船が逆さまなので文字も逆さまであり、逆さまのパラレルワールドに相応しい。
 ジャックとジョンの次の会話の場面が胸に刻まれる。


 Jack  So good to see you. How old are you?
 John  78.
 Jack  Fantastic! You made it to 78.


 映画『イエスタデイ』のジョン・レノンが78歳まで生き続けていたことは「Fantastic!」以外のなにものでもない。この後で二人はハグをする。映画という虚構の人物と現実の人物の虚構の抱擁のように。

 40歳で亡くなった「ビートルズのジョン・レノン」が存在する世界。
 78歳まで生き続けた「船乗りのジョン・レノン」が存在する世界。
 この二つの世界に対して、もう一つの世界を想像する。
 「ビートルズのジョン・レノン」が78歳まで生き続ける世界。
 僕たちは第三のパラレルワールドを「imagine」することができるだろう。




【付記】 前回の記事について「偶景webを通勤時に読んじゃだめですね(;_;) パラレルワールド... 」と呟いていただきました。(;_;)という顔文字、充分にimagineできました。