昨日12月24日は志村正彦の命日だった。〈フジファブリック志村正彦さんの命日「茜色の夕日」のチャイム〉というNHK甲府のニュース映像が、NHK ONEにアップされた。
https://news.web.nhk/newsweb/na/nb-1040028670
この映像は、昨日12月24日夕方の甲府局「Newsかいドキ」で放送されたようだ。これは見逃してしまったが、今朝の甲府局のニュースで見ることができた。毎年のようにNHK甲府はこのチャイムについて放送してくれるが、今年は例年以上に丁寧に時間をかけて映像が作られていた。残念ながら映像は一定期間が過ぎると消えてしまうので、Webの記事をそのまま引用して記録に残しておきたい。
富士吉田市出身のミュージシャンで、ロックバンド「フジファブリック」で活躍した志村正彦さんが亡くなって16年となった24日、地元で夕方に流れるチャイムが代表曲の「茜色の夕日」に変わり、多くのファンが訪れました。
志村正彦さんは、富士吉田市出身のミュージシャンで、ロックバンド「フジファブリック」のリーダーとして「若者のすべて」など世代を超えて愛される曲を発表しました。
その音楽センスを高く評価されていた志村さんは、16年前の12月24日に29歳の若さで亡くなりました。
地元の富士吉田市は、志村さんの音楽の魅力を語り継ごうと、毎年、命日の前後に代表曲のひとつ「茜色の夕日」を防災行政無線の夕方のチャイムで流しています。
24日は、志村さんが育った下吉田地区の富士急行線の駅に地元の人や全国から訪れたファンなどおよそ50人が集まりました。
雨が降り、霧がかかる中、午後5時を迎えて曲が流れると、集まった人たちは駅の様子を動画に収めるなどしながらじっくりと聴き入っていました。
この日のためにフランスから訪れたという50代の女性は「こみ上げてくるものがありました。ここに来てよかったです」と話していました。
また、志村さんの黒板アートを制作したという市内の50代の男性は「この街としてずっと覚えているという思いで描きました。志村さんには励まされたり、勇気づけられたりしています」と話していました。
「茜色の夕日」のチャイムは今月27日まで毎日夕方5時に流されます。
昨日はこの山梨でも寒い雨が降り続いていた。そういう天候のなかで五十人ものファンが下吉田駅で集まったことはとてもうれしい。この場所以外でもチャイムを聴いていた人はたくさんいただろう。この映像でも分かるように、雨が霧のようにけぶる光景はどことなく幻想的で志村正彦の歌にふさわしい。
記事で言及されていた〈フランスから訪れたという50代の女性〉と〈志村さんの黒板アートを制作したという市内の50代の男性〉の二人のコメントのすべてを映像のテロップから書き写したい。
〈フランスから訪れたという50代の女性〉
この日のためにフランスから訪れる
こみ上げてくるものがあって
来てよかったなと思って
詞の素晴らしさに まず胸を打たれまして
ご自身のお人柄とかいろいろ後から知って
“推し活”とか 初めてなんですけどね
〈志村さんの黒板アートを制作したという市内の50代の男性〉
市内から 志村さんの黒板アートを制作
この街として 志村さんのことを
ずっと覚えているよっていうことを
絵の形で いろいろな人にお伝えできたらなと
弱さを歌っているようで
非常に強い人だと思うので
その生き方に すごく励まされたり
勇気づけられたりしています
フランスからわざわざ訪れた女性は“推し活”と述べていたが、海外で暮らしている方だからこそ志村正彦・フジファブリックの音楽は心に身に迫るものがあると思われる。このブログも海外の方からの読み込みがけっこう多い。
志村さんの黒板アートを制作している男性は、志村ファンならよくご存じの「黒板当番」さんである。(ご本人がXでこの映像のことを紹介されていたので、こう書かせていただきます) 〈弱さを歌っているようで 非常に強い人だと思うので〉という見方は、志村の本質の一つを語っている。強固な意志がなければあれだけの作品は生み出せなかったことは間違いない。志村正彦は繊細な心と強い意志をあわせ持っていた。
没後十六年が経つが、彼の心と志は、彼の歌は、時に胸に響き、時に励まし、人々に自分自身の歩みを進めていく力を与え続けている。
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