今日は8月最後の日。真夏のピークがまだ続いている。
 前回に続いてフジファブリック『線香花火』について書きたい。まず歌詞のすべてを引用したい。
    線香花火 (詞・曲:志村正彦)
  疲れた顔でうつむいて 声にならない声で
  どうして自分ばかりだと 嘆いた君が目に浮かんだ
  今は全部放っといて 遠くにドライブでも行こうか
  海岸線の見える海へ 何も要らない所へ
  悲しくったってさ 悲しくったってさ
  夏は簡単には終わらないのさ
  線香花火のわびしさをあじわう暇があるのなら
  最終列車に走りなよ 遅くは 遅くはないのさ
  戸惑っちゃったってさ 迷っちゃったってさ
  夏は簡単には終わらないのさ
  悲しくったってさ 悲しくったってさ
  夏は簡単には終わらないのさ
  悲しくったってさ 悲しくったってさ
  悲しくったってさ 悲しくったってさ
 『線香花火』は、「疲れた顔でうつむいて 声にならない声で/どうして自分ばかりだと 嘆いた君が目に浮かんだ」と歌い出される。「嘆いた君」に焦点が当たるが、それはあくまでも「目に浮かんだ」光景である。歌詞の物語の中で、「君」と〈歌の主体〉とは同じ場にいるわけではない。〈歌の主体〉は「君」を目に浮かべ、おそらく、想像の世界で「君」に語りかけている。
 「今は全部放っといて 遠くにドライブでも行こうか/海岸線の見える海へ 何も要らない所へ」と続くが、「ドライブでも行こうか」という誘いは物語の中での実際の語りかけではない。「行こうか」というのは返答を期待していない呼びかけだ。歌の主体にとっての欲望、想像あるいは妄想のようなものだろう。
 「何も要らない所へ」という表現は当然その反対の「何かが要る所から」を思い起こさせる。「何かが要る所から」「何も要らない所へ」の「ドライブ」の行き先は、「海岸線の見える海」である。「海岸線」の向こう側にはおそらく「何も要らない所」が広がっているのだろう。
 第1ブロックを読むと、冒頭の「疲れた顔でうつむいて 声にならない声で/どうして自分ばかりだと 嘆いた君」とされた「君」は、具体的な他者というよりも歌の主体そのものを指しているとも考えられる。ラブソングを仮構しているが、実際は、独り言のような世界が表現されている。この「どうして自分ばかりだと 嘆いた君」とされる「自分」は、おそらく、作者志村正彦の分身である〈歌の主体〉であろう。「悲しくったってさ 悲しくったってさ/夏は簡単には終わらないのさ」という表現も、自分の自分に対する呼びかけである。一見、他者に語りかけているようで、そうではなく、自分に語りかけている言葉。結局、自分にたどりついてしまう言葉。志村正彦の言葉の世界が『線香花火』にも現れている。
 第2ブロックには「線香花火のわびしさをあじわう暇があるのなら/最終列車に走りなよ 遅くは 遅くはないのさ」とある。「遠くにドライブ」から「最終列車に走りなよ」への転換には物語上の連続性はない。要するに、「ドライブ」も「最終列車」に純然たる脱出のイメージとしてある。「海」と「線香花火」は夏の風景、風物詩である。その風物詩と共に「夏は簡単には終わらないのさ」という季節のモチーフが登場する。「終わらない」「夏」という季節の感覚が志村にとって重要だった。終わらない夏が終わるまでの時間。「陽炎」、「虹」、「最後の花火」、「通り雨」と、その間の風景や景物の変化をよく描いた。
 この歌は「悲しくったってさ 悲しくったってさ/悲しくったってさ 悲しくったってさ」のリフレインに収束していく。この《悲しさ》は、月並みな形容をするしかないのだが、青春特有の《悲しさ》を表しているのだろう。青春の只中に要るときはこの《悲しさ》の内実は分からない。過ぎ去ってみると、その輪郭がおぼろげに示されてくるのだが、それでもほんとうは分からないままである。ただひたすら《悲しさ》の痕跡が残り続ける。それでもその青春の《悲しさ》から、人はいつの日か離れていく。
 『線香花火』にはまだ複雑な語りの表現はない。それよりも、《悲しさ》の強固な表出がある。《悲しさ》が凝縮されている。しかし、《悲しさ》の終わり、というのか、《悲しさ》からの分離があるようにも思われる。「悲しくったってさ 悲しくったってさ/悲しくったってさ 悲しくったってさ」の反復は、《悲しさ》に向き合いながらもそれを乗り越えよう、少なくとも離れようとする意志も感じられる。「たってさ」という話法、激しいリズムによるグルーブの感覚がそれを促している。《悲しさ》ではなく、むしろ《悲しさ》の終わりを志村は歌おうとしたのかもしれない。「夏」そのものが《悲しさ》の象徴でもある。
 もちろん、「夏は簡単には終わらないのさ」とあるので、簡単に夏が終わることはない。歌の主体はあがいているようにも見える。嘆いているようでもある。終わらない夏、終わる夏。終わる、終わらない、その過程で、夏の《悲しさ》と離れていく動きが起きる。《悲しさ》からの分離が志村正彦を優れた表現者に変えていった。
公演名称
〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉の申込
公演概要
日時:2025年11月3日(月、文化の日)開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30/会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)/主催:甲府 文と芸の会/料金 無料/要 事前申込・先着90名/内容:第Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」講師 小林一之(山梨英和大学特任教授)朗読 エイコ、第Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」俳優 有馬眞胤(劇団四季出身、蜷川幸雄演出作品に20年間参加、一篇の小説を全て覚えて演じます)・下座(三味線)エイコ
申込方法
右下の〈申込フォーム〉から一回につき一名お申し込みできます。記入欄の三つの枠に、 ①名前欄に〈氏名〉②メール欄に〈電子メールアドレス〉③メッセージ欄に〈11月3日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。三つの枠のすべてに記入しないと送信できません(その他、ご要望やご質問がある場合はメッセージ欄にご記入ください)。申し込み後3日以内に受付完了のメールを送信します(3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください)。
*〈申込フォーム〉での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。
*申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。
0 件のコメント:
コメントを投稿