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2022年11月6日日曜日

話法の原点-『茜色の夕日』6 [志村正彦LN320]


 1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました

 この語り口、話法を編み出したことが、志村正彦の歌の原点であった。

 〈茜色の夕日〉の〈日〉太陽という自然の景色、〈茜色〉の色彩感、夕方という時間。〈眺めてたら〉の〈眺める〉という動詞、主体の眼差。〈てたら〉は、〈眺める〉という動作が持続しながら、その完了後に別の出来事が引き続いて起こることを示す。その出来事を〈少し思い出しました〉ではなく、〈少し思い出すもの〉〈が〉〈ありました〉と語られる。まずはじめに、〈茜色の夕日〉という自然の景観、主体の外側にあるものが眼差しの対象となり、それに続いて、〈思い出すもの〉という記憶の対象、主体の内側にあるものが浮かび上がる。〈茜色の夕日〉はやがて、〈桜〉〈陽炎〉〈金木犀〉〈銀河〉という自然やそれに類するものになるだろう。そのような変奏が奏でられてゆく。


 1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと

 続いて、〈少し〉〈思い出すもの〉の光景が現れる。〈晴れた心〉晴れやかな心と〈晴れた日曜日の朝〉晴れの天気の日曜日の朝という表現が、〈思い出す〉行為の中で融合されたのだろう。そして、〈誰もいない道〉を〈歩いたこと〉という歩行が記憶の中の鍵となってくる。


 以前述べた「ユニットⅠ」という構成の中では、夕暮から夜となり、眼差しの対象として〈空の星〉が現れる。

4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

 〈東京の空の星は見えない〉と〈聞かされていた〉という話は、誰か大切な人との会話だったのかもしれない。それは、〈東京〉に出て行く以前の故郷での出来事なのだろう。今、歌の主体〈僕〉は東京にいる。この箇所には故郷から東京へ過去から現在へという歩みが込められている。


 ユニットⅡの全体を引用しよう。

2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

 〈少し〉〈思い出すもの〉は、〈君〉との間で経験された出来事である。この〈君〉という二人称で述べられる存在とその出来事について、志村は『音楽とことば ~あの人はどうやって歌詞を書いているのか~』( SPACE SHOWER BOOks 2013/6/24 ) で語っている。該当箇所を抜き出してみよう。


・歌詞というのは、とんなものでも、何を書いてもいいものではあるんだけど、実は、なんでもよくはない。そこにリアルなもの、本当の気持ちが込められていなければ、誰の気持ちにも響いてくれないと思うんです。

・そもそも僕がミュージシャンになるきっかけというのは、フラれたあの娘に対しての満たされなかった想いというのを、なんとか遠回しにでも聞いてもらおうと思ったからなんです。そこから秘かに曲作りを始めて、演奏して、発表して、できればドカーンと売れて、いつか見返してやろう、みたいな気持ちがあったんですけど、その気持ちっていうのは、本当にリアルなもので、世間に対して何かを訴える、みたいな種類のものではないにせよ、やっぱりそれは、メッセージ色の強いものだと思うんです。

・最初の最初は、あの娘になんとなく気づいてほしいからという情熱から歌詞を書き始めたわけです(後略)

・高校生の終わりぐらいですね。初恋の娘です。

・その失恋から産まれた曲は「茜色の夕日」って曲で、フジファブリックとして発表しているんですけど、自分の衝動をそのまま歌詞に刻めたということにおいては、この曲に勝るものはないです。僕の人生において、この曲の中に込められたものに勝る想いというのはないですね。


 志村は自らの経験の中の〈リアルなもの〉〈本当の気持ち〉を歌おうとした。「茜色の夕日」の場合、歌の主体〈僕〉は作者志村自身であると考えられる。歌の作者と歌の主体とが〈リアルなもの〉として結びついている。〈君〉もまた、志村にとってまさしくリアルな存在であったと考えてよい。引用した発言からすると、〈君〉は志村の〈初恋の娘〉だった。その恋は〈高校生の終わりぐらい〉のことであり、〈失恋〉に終わった。〈自分の衝動をそのまま歌詞に刻めた〉ことがこの歌の根源にある。

 〈僕の人生において、この曲の中に込められたものに勝る想いというのはない〉という〈想い〉は、特にこのユニットⅡの中に込められている。〈君がただ横で笑っていたこと〉は、〈や〉という助詞で〈どうしようもない 悲しいこと〉につなげられる。〈笑っていたこと〉は喜びをもたらしたものだろうが、それゆえに逆に、〈どうしようもない 悲しいこと〉を際立たせる思い出にもなってしまった。その恋の終わりに、〈君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ〉という出来事があった。作者と歌の主体の〈想い〉の核にはそのような経験があるのだろう。

 その出来事は〈忘れることは出来ないな〉とされている。しかし続いて、〈そんなことを思っていたんだ〉と語られているので、忘却できないこと出来事自体とその出来事を想起する行為との二つが表現されている。志村が述べた言葉を用いれば、〈リアルなもの〉としての出来事とそれに対する〈本当の気持ち〉を歌うことの二つの次元が重要になってくる。

    (この項続く)



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