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2022年1月9日日曜日

下吉田駅、富士山駅、新倉富士浅間神社[志村正彦LN303]

 新年になって、富士吉田に出かけた。御坂トンネルを抜けると白銀の富士。目に眩しいほど光を反射していた。吉田に入り、富士急行線の下吉田駅、富士山駅、新倉富士浅間神社を巡ってきた。

 昼頃、下吉田駅に到着。入場券を購入し、ホームへ向かうと、すぐ近くに志村正彦のパネルが設置されていた。柴宮夏希さんによる描画とデザインが秀逸だ。白い地、黒い髪、彩色されたライン。白銀の世界に虹の小雪のような線が舞う。志村の眼差しがこちらを見つめる。

 反対側には「若者のすべて」と「茜色の夕日」の歌詞の抜粋と英語・中国語・タイ語によるプロフィール。この地は世界から訪れる場になってきたので、多言語の翻訳は理に適っている。このパネルの作成に携わった方々の労を思う。



 列車到着の時間が来たので、ホームのスピーカーの下に移動する。 

 最初は1番線のホーム。大月方面行の列車。列車接近のアナウンスの後、すぐに「茜色の夕日」が流れる。〈茜色の夕日眺めてたら/少し思い出すものがありました/晴れた心の日曜日の朝/誰もいない道 歩いたこと〉。確かに志村の声だ。音量は小さい。耳を澄ます必要がある。そして直ぐに普通列車が到着した。接近音ではなく接近曲だと知ったときには、戸惑いがあったが、実際に聴いてみると、接近アナウンスと列車到着との間の数十秒に流れるBGMといった風情だ。1番線ホームからよく見える富士山を背に志村が歌っている。富士が赤く染まる夕景の頃にこの曲を聴くと格別かもしれない。まもなく、列車は大月へと向かって発車していった。実は僕は大月で生まれて2歳半頃まで住んでいたので、このまま列車に乗って大月まで行ってみたいな、とふと思った。

 すぐに、河口湖方面行きの列車接近のアナウンスがあった。今度は反対側の2番線ホーム。「若者のすべて」が流れ始める。〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな/ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな/まぶた閉じて浮かべているよ〉。このホームの向こう側には、いつもの丘」、その上には冬の青空。〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉の〈な〉の響きが透き通った青色の空に広がっていく。この時の列車は富士山ビュー特急。豪華な車両には外国人の姿もあった。夏の河口湖湖上祭の季節には、河口湖方面行きのホームで、この歌がやさしく響くことだろう。








 

 出口に駅員さんがいたので音量の件を尋ねてみた。この駅の周りには住宅があるので音量に配慮しているとのことだった。そういう理由だと知って納得した。小さな音量でさりげなく流れる方が、志村らしい。

 営業中の下吉田倶楽部に入り、うどんを食べる。店内には志村のポスターがあり、志村の曲が流れている。アルバム『TEENAGER』の楽曲だった。ノートが2冊置かれていた。志村への想い、ご家族やこの企画に携わった人々への感謝の言葉が記されている。〈ならば愛をこめて/手紙をしたためよう〉というように、文字が綴られていた。


 下吉田駅を後にして富士山駅へ。駅ビル1階のヤマナシハタオリトラベル mill shopで、黒板当番さんの「夜汽車」の絵を見る。接近曲の開始にタイムリーな企画である。女性とリスが向かい合っている構図が独特だ。黒板当番さんの呟き@kokuban_tobanには、〈『夜汽車』黒板に描いたリスは夢の中に現れた志村さんの身代わりで、何かを言おうとしつつやっぱりリスだから結局言えないでいる、ということかも知れません。描いた本人が後から気付くというのも変ですが、志村さんの曲だとそれが不思議でもない感じがします。〉とあった。このリスは無意識から浮かび上がったもののようだ。

  〈長いトンネルを抜ける 見知らぬ街を進む/夜は更けていく 明かりは徐々に少なくなる/話し疲れたあなたは 眠りの森へ行く〉〈夜汽車が峠を越える頃 そっと/静かにあなたに本当の事を言おう〉。何度か書いたが、この歌を聴くと中央線や富士急行線の列車を思い出す。〈長いトンネル〉〈峠〉、そして〈眠りの森〉も志村の故郷の風景だ。〈眠りの森〉の〈あなた〉に〈本当の事を言おう〉とする歌の主体を黒板当番さんはリスに描いた。小動物は人間の言葉は話せないが、本当のことを伝えることができるのかもしれない。


 最後は新倉富士浅間神社に寄った。駐車場には東北や近畿からの県外ナンバーの車もある。この神社に来たのは数年ぶりだが、ここからの富士山は裾野への広がり方が雄大だ。松の内だったので初詣となる。願い事をして、お守りを購入した。

 この日は雲一つないような晴天だったが、この場所ではやはり「浮雲」の歌詞を想う。〈登ろう いつもの丘に 満ちる欠ける月/僕は浮き雲の様 揺れる草の香り〉〈消えてしまう儚さに愛しくもあるとしても/独りで行くと決めたのだろう〉。

 この丘の下の方に下吉田駅がある。そこには志村の曲を流すスピーカーや彼のパネルがある。志村への愛が込められた試み。一人のファンとして、嬉しさ、感謝、そして誇りのようなものもある。


 でも正直に書くと、下吉田駅の志村の歌を聴いて、彼のパネルを見て、かぎりなく寂しいような、哀しいような感情がわいてきた。「桜の季節」の〈桜のように舞い散って/しまうのならばやるせない〉の〈やるせない〉に近いかもしれない。遣る瀬無い、どうにもならない、どこにも持って行きようのない想いを抱えながら、甲府へと帰った。


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