公演名称

〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉の申込

公演概要

日時:2025年11月3日(月、文化の日)開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30/会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)/主催:甲府 文と芸の会/料金 無料/要 事前申込・先着90名/内容:第Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」講師 小林一之(山梨英和大学特任教授)朗読 エイコ、第Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」俳優 有馬眞胤(劇団四季出身、蜷川幸雄演出作品に20年間参加、一篇の小説を全て覚えて演じます)・下座(三味線)エイコ

申込方法

右下の〈申込フォーム〉から一回につき一名お申し込みできます。記入欄の三つの枠に、 ①名前欄に〈氏名〉②メール欄に〈電子メールアドレス〉③メッセージ欄に〈11月3日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。三つの枠のすべてに記入しないと送信できません(その他、ご要望やご質問がある場合はメッセージ欄にご記入ください)。申し込み後3日以内に受付完了のメールを送信します(3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください)。 *〈申込フォーム〉での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。 *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。

2023年1月22日日曜日

〈リアルな思い〉と客観的な視線-『茜色の夕日』11[志村正彦LN326]

  『若者のすべて』が収録された3rdアルバム『TEENAGER』は、〈十代〉をめぐる一種のコンセプト・アルバムである。〈二十代〉の後半になった志村正彦は、このアルバムで〈十代〉を振り返ろうとした。志村は『若者のすべて』についてこう語っている。(『音楽と人』2007年12月号インタビュー記事、樋口靖幸氏)

 

〈茜色の夕日〉以来です、こんなナーバスになってるのは。あの時は曲つくって自分の思いを表現して、あの人にいつか届けたいっていう、音楽やるのに真っ当な理由があったわけですよ。それに自信をつけられていろんな曲を今まで作ってきたけど、これは当時のその曲と同じくらいのリアルな思いがある……ってことを、作った後に気づかされたんだよなぁ。

 

 『若者のすべて』には、『茜色の夕日』と〈同じくらいのリアルな思い〉があることを〈作った後に気づかされた〉のは、そのリアルな思いを事前に意識していたのではなく、創作した後で事後的に認識したということである。『茜色の夕日』の創作によって〈自信〉を付けた志村は多様な楽曲を表現していったが、その〈リアルな思い〉は幾分か遠ざかっていった。無意識的なものとなったとも言えよう。しかし、『若者のすべて』によって、〈自分の思いを表現して、あの人にいつか届けたい〉というモチーフが強く、志村の中で浮上してきた。〈二十代〉の後半になった志村は、〈十代〉の思いをふたたび語りたかったのかもしれない。

 

 〈十代〉から〈二十代〉へと至る道筋についてもう一つの観点を示したい。


 『若者のすべて』の主体〈僕〉は、夏の終わりの季節に街を歩き始め、夕方5時のチャイムを聞き、運命や世界の約束を考える。街灯の明かりがつくと帰りを急ぎ、〈途切れた夢の続き〉をとり戻したくなる。〈僕〉の一日は〈すりむいたまま〉のように終わるのだが、やがて〈僕〉は、〈すりむいたまま〉に〈そっと歩き出して〉いくだろう。

 『若者のすべて』から時を遡って『茜色の夕日』を捉えると、『若者のすべて』は『茜色の夕日』で歌われていた〈途切れた夢〉の〈続き〉を歌ったものだとも考えられる。

  『茜色の夕日』の回想は〈途切れた夢〉の回想でもある。その〈続き〉が『若者のすべて』で語られることになる。そして、その〈途切れた夢〉の〈続き〉を取り戻すために、〈そっと歩き出して〉いく意志を歌ったのが『若者のすべて』であるという見方はどうであろうか。


 歌の主体〈僕〉の声、第三次の語りに焦点化すると、『茜色の夕日』の〈本音を言うこともできない〉から、『若者のすべて』の〈会ったら言えるかな〉〈話すことに迷うな〉への変化を指摘できる。〈言うこともできない〉は文字通り、言うことが不可能な状態である。『茜色の夕日』の〈僕〉は、言うことができないまま、立ち尽くしている。

 『若者のすべて』の〈言えるかな〉には、言いたいのだが本当に言うことができるかなという想い、〈話すことに迷うな〉には、話したいのだがその内容に迷ってしまうという想いが込められている。どちらにしろ、『若者のすべて』の〈僕〉は、言えないまま立ち尽くすのではなく、言うことに向かって少しずつ歩み出している。〈十代〉から〈二十代〉への言葉をめぐる軌跡が浮かび上がる。

  志村は、〈フジファブリック『FAB FOX』インタビュー〉(billboard-japan)で、〈曲のアプローチ、曲を作っていく中で――もちろん夢中になってしまう自分もいるんですが―― 客観的に見れるようになっていった〉と語っている。インタビュアーの〈客観的になった事で見えてきた物などありますか?〉という問いに対してこう答えている。

  

そうですね・・・、結構妙な事やってるな、とは思いますね(笑)。音楽を始める時は色んな素晴らしい人がいて色んな素晴らしい音楽があって、それに感動したりして「そういう音楽って凄いな」って思うんですけど、いざ真剣に考えてみると「ここの歌詞はちょっと自分と違うな」「自分だったらこういう音で作るんだけどな」っていうのがありまして。それを実際にやってみたいって事でミュージシャンを目指したんですけど、やっと自分がやりたかった事が出来てきたというか、色々面白い事に挑戦しているバンドなんじゃないかと思うんですけどね。


 表現者としての志村は、次第に、歌の主体〈僕〉を客観的に見ることができるようになった。このような視線で〈二十代〉の志村は〈十代〉の志村を見つめ直した。『茜色の夕日』から『若者のすべて』までの時の流れの中で、言葉をめぐる在り方も変化した。〈やっと自分がやりたかった事が出来てきた〉〈色々面白い事に挑戦しているバンド〉だという達成感も得られてきた。そのような軌跡が浮かび上がる。この軌跡は表現者としての志村の成長を物語っている。

 また以前、2001年から2005年までに至る『茜色の夕日』の歌い方の変化によって、自分自身が自分を問い返す意味合いが強まってきたと書いたが、このことと客観的な視線を獲得したことの間には深い関係があるだろう。



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