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2022年12月4日日曜日

時を経た成熟-『茜色の夕日』8[志村正彦LN322]

 今回は、ユニットⅣの歌詞について考えてみたい。


5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


 この箇所について、『茜色の夕日』スタジオ収録の四つの音源を聞き比べてみた。以前にも書いたことがあるが、それぞれの演奏者と演奏時間を整理してみる。


1.2001年夏(推定)カセットテープ版  4分40秒 ( 志村正彦:ボーカル・ギター、田所幸子:キーボード、萩原彰人:ギター、加藤雄一:ベース、渡辺隆之:ドラムス)

2.2002年10月21日CDミニアルバム『アラカルト』版  4分52秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、田所幸子:キーボード、萩原彰人:ギター、加藤雄一:ベース、渡辺隆之:ドラムス)

3.2004年2月CDミニアルバム『アラモルト』版 5分12秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、金澤ダイスケ:キーボード、山内総一郎:ギター、加藤慎一:ベース、足立房文:ドラムス )

4.2005年9月6thシングル版・2005年11月2ndCD・アルバム『FAB FOX』版 5分36秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、金澤ダイスケ:キーボード、山内総一郎:ギター、加藤慎一:ベース、足立房文:ドラムス )


 再生ソフトの示す時間から、カセットテープ版 4:40→『アラカルト』版 4:52→『アラモルト』版 5:12→シングル・『FAB FOX』版 5:36 というように、最終的に1分ほど長くなっていることが分かる。四年ほどの時間が流れているので、志村正彦の声は、若々しい声からより成熟した若者の声へと変化している。歌い方も変わり、過去を回想する色合いが強くなる。それに伴って、切なさや哀しさが増してくる。取り戻せない時の流れが伝わってくる。

 今回、今まで気づかなかったあることに気づいた。4番目の最終的なスタジオ音源の〈無責任でいいな ラララ〉の〈な〉の音が歌われていない(ように聞こえる)ということだ。それまでの音源では、〈いいな〉の〈な〉は発音されたきた。続く〈ラララ〉の〈ラ〉音と重なるところもあるので微妙ではあるが、そう判断できる。引用して明示すると次のようになる。


無責任でいいな ラララ 

無責任でいい  ラララ 


 最終的音源、完成版ともいえる音源で、〈な〉が歌われていないことは、志村の判断があってのことだろうが、多分に無意識的な選択かもしれない。この〈な〉の有無によって、歌の解釈も異なってくる可能性がある。

  三省堂『大辞林』によると、助詞の「な」には、①感動や詠嘆の意②軽い主張や断定、念を押す意③同意を求める意、相手の返答を誘う意④軽い願望の意⑤依頼・勧告の意の五つがある。

 〈僕じゃきっと出来ないな〉には、何が〈出来ない〉のかという対象が示されていない。続く、〈本音を言うことも出来ないな〉には、誰が〈出来ない〉のかという主語が省略されている。この二つは連続しているので、〈僕じゃきっと本音を言うことも出来ないな〉という一つの発話として受けとめることができるが、この〈本音〉が何であるのかは分からないままである。この発話は自分が自分に対して話しかけているものだろう。

 〈無責任でいいな〉という発話は、それが話しかける相手が他者か自分自身かによって、二通りの解釈が生まれる。〈な〉があると、相手が他者である可能性が高くなる。この〈な〉は相手の返答を誘う意味となるだろう。歌詞の言葉であるから実際に返答を求めているではないが、その他者が〈無責任でいい〉ことについて、その他者からの応答を求めている。この〈無責任〉は、この歌の重要モチーフとなっている恋愛に関する責任と無責任のことであろう。

 〈な〉がないとおそらく、相手は自分自身になるだろう。自分が〈無責任でいい〉ことについてあらためて問いかけるか、あるいは〈無責任でいい〉ことを自分自身が同意するか、その二つのどちらかになるだろう。その他の解釈も考えられるかもしれないが。

 ユニットⅣの最後は、〈ラララ〉を挿んで、〈そんなことを思ってしまった〉で終わる。〈無責任でいいな/無責任でいい〉の〈な〉の有無によって、歌の主体と他者との関係性が変わるが、どちらにしても、その過程は〈そんなこと〉と捉え直され、〈思ってしまった〉で完結する。


 2001年から2005年まで、四年間の推移の中で、『茜色の夕日』全体がより自省的な歌、自分自身が自分を問い返す意味合いの歌に変化していった。〈な〉の発話の有無はそのことに関連している。

〈billboard-japan〉掲載の〈フジファブリック 『FAB FOX』インタビュー〉で、志村正彦はこの『茜色の夕日』についてこう語っている。  


志村正彦:作ったばっかりの頃は思っている事を曲に書いてただけなんですけど、シングルで出したいなって思って前のバージョンの『茜色の夕日』を聴き直してみたら、いやに沁みてきたといいますか。18歳の頃のあの感じは出せないですけど、同じ歌詞でも自分の中で全然意味合いや捉え方が変わってきて、東京にきて6~7年経つ今でしか歌えない感じ、というのを曲にしてみました。この曲は代表曲と言われるくらいずっとやってきている曲なんで、これで一区切りするといいますか、落ち着けたいという気持ちもありましたね。まだ大人になりきれていない所はもちろんあるんですけど、18歳の頃から変わっていこうかって、そういう雰囲気は見せれたんではないですかね。


 彼はここで〈同じ歌詞でも自分の中で全然意味合いや捉え方が変わってきて〉と述べているが、この発言は2007年12月の両国国技館ライブでのMC〈歌詞ってもんは不思議なもんで。作った当初とは、作っている詩を書いている時と、曲を作って発売して、今またこう曲を聴くんですけども、自分の曲を。解釈が違うんですよ。同じ歌詞なのに。解釈は違うんだけど、共感できたりするという〉とも響き合う。

 志村は、歌の意味合いや捉え方の変化をふまえて、〈東京にきて6~7年経つ今でしか歌えない感じ〉を2005年収録の最終的音源に込めた。〈一区切りする〉〈落ち着けたい〉という気持ちによって、〈まだ大人になりきれていない所はもちろんあるんですけど、18歳の頃から変わっていこう〉という意志を表現した。

 このような時をかけて、志村正彦は『茜色の夕日』を成熟させていった。


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