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2022年8月21日日曜日

第5ブロックの時間、第1と第4ブロックとのつながり-『茜色の夕日』3[志村正彦LN313]

   前回、『茜色の夕日』の第1~4ブロックのフレーズを構成要素abcdに分けた。第1~4ブロックは、基本として回想であり、歌の主体が回想する出来事が述べられている。それに対して、第5ブロックは回想というよりも、歌の現在時における主体の想いが表出されている。構成要素abcdとは独立した関係にあるので、eという新しい要素を付した。


 第5ブロックを引用する。

5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


 第1~4ブロックの回想は〈そんなことを思っていたんだ〉と語られるが、第5ブロックは〈そんなことを思ってしまった〉と述べられる。第5ブロックの〈思ってしまった〉の方は、今まさしくそのようなことを〈思ってしまった〉という、思う行為が完了した時点を示している。〈そんなこと〉は、歌の主体の現在時に近い出来事になる。それに比べて、第1~4ブロックの〈思っていたんだ〉は〈そんなこと〉を思い、その思いが持続していたという時の流れを示している。〈そんなこと〉は、歌の主体にとって、近い過去から遠い過去までの出来事になる。

 つまり、〈そんなことを思ってしまった〉とされた第5ブロックの想いは、歌の現在時のものと言ってもよいだろう。その内容も、〈僕じゃきっと出来ないな〉〈本音を言うことも出来ないな〉〈無責任でいいな〉という〈僕〉と〈僕〉自身との対話であり、現在の思いであろう。その自己対話を〈ラララ〉と受けとめながら、〈そんなこと〉と捉えた上で、〈思ってしまった〉と結んでいる。ここでは表現の観点で分析したが、この第5ブロックの意味については後に論じたい。


 第1~4ブロック全体を再度引用する。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
1c
1d

2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった

4a
4b
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 第1ブロックには、abの構成要素はあるが、それに続くcdはない。

 歌の主体ははじめに、〈茜色の夕日〉という光景を〈眺めてたら〉と語り始める。〈てたら〉は、〈ている〉という現在進行形を含む〈ていたら〉であるので、この眺める行為は、今、進行中、継続中の事態や行為である。そして、眺める行為の帰結は〈少し思い出すものがありました〉という想起となる。回想される出来事は、〈晴れた心の日曜日の朝〉という過去の日と、その過去の時点で〈誰もいない道 歩いた〉という行為である。

 〈晴れた心の日曜日の朝〉という表現は独特だ。〈晴れた日曜日の朝〉という通常の表現に〈心の〉が繰り込まれている。おそらく、〈晴れた心〉(心が晴れやかだ)と〈晴れた日曜日の朝〉(天気が晴れている、日曜日の朝)が複合されているのだろう。続くフレーズは〈誰もいない道 歩いたこと〉。つまり、歌の主体は〈日曜日の朝〉に〈誰もいない道〉を歩いている。この〈歩行〉のモチーフを、志村正彦は繰り返し表現している。『茜色の夕日』全体を通じて、〈歩行〉が続いているようなリズムがある。逆に、立ち止まる、佇立する、休止のポイントもある。歩いて立ち止まる。立ち止まって歩き出す。このモチーフとリズムは、『若者のすべて』などの他の作品に引き継がれている。

 第2ブロック・第3ブロックで焦点化されるのは〈君〉であり、〈君〉との出来事である。注目したいのは第4ブロックである。cdの構成要素はあるが、それ以前のabがない。その意味で、第1ブロックと第4ブロックは対照的である。ここで一つの仮説を提示したい。第1ブロックのabと第4ブロックのcdにはつながりがある、というものだ。第1ブロックのabと第4ブロックのcdとを接続させて、一つのブロックを作るとこのようになる。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 第1ブロックのabで回想される出来事は〈晴れた心の日曜日の朝〉という過去と、その時点で〈誰もいない道 歩いたこと〉という行為である。歌の主体はどこかを歩いている。この〈歩行〉の場、〈誰もいない道〉は、歌の主体の故郷にある道のような気がする。根拠はないのだが、そのように感じられる。

 第4ブロックのcdで〈東京の空の星〉が登場する。作者志村正彦が、東京という具体的な場を表現することは極めて珍しい。それは〈見えないと聞かされていたけど〉〈見えないこともないんだな〉と、〈ない〉という否定と〈ないこともない〉の二重否定による肯定がある。〈ない〉という表現は三度重ねられる。第1ブロックにも〈誰もいない道〉という〈ない〉による否定がある。

  第1ブロックのabと第4ブロックのcdとを接続させると対比的な構造が現れる。〈晴れた〉〈日曜日の朝〉と〈見えないこともない〉〈東京の空の星〉。晴れて見えないこともないもの。そして、〈朝〉と夜という時間。そのような構造を想定すると、この歌詞の展開において、第1ブロックのabと第4ブロックのcdとの間につながりがある、という仮説が成り立つかもしれない。


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