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2018年12月31日月曜日

エレクトリックとアコースティック、二つのヴァージョン-『陽炎』7[志村正彦LN205]

 フジファブリック『陽炎』には、エレクトリックとアコースティックという演奏や楽器の違いによる二つのヴァージョンがある。

 シングル『陽炎』とアルバム『フジファブリック』のCD音源やいくつか残されているライブ音源のエレクトリック・ヴァージョン。非売品の限定盤『四季盤』と『FAB BOX』内の『RARE TRACKS&COVERS』収録音源の二つがあるアコースティック・ヴァージョン。歌詞は同一だが聴いた印象は異なる。

  エレクトリック・ヴァージョンは70年代のブリティッシュロックを想わせる完璧なロックであり、アコースティック・ヴァージョンは志村正彦が影響を受けたとされるブラジル音楽の香りがする。どちらも素晴らしいのだが、『RARE TRACKS&COVERS』収録音源の『陽炎』は、志村の「歌」の本質を表しているような音源である。かけがえのない『陽炎』というべきだろう。

 ポルトガルの歌のファドは「サウダージ(saudade)」の感情を歌う。サウダージは失われてしまったものへの懐かしさや郷愁である。アコースティック・ヴァージョンの『陽炎』はまさしくサウダージを感じさせる。

 前回、「出来事が胸を締めつける」について、単なる感情や感覚を超えて、痛みを伴う葛藤やある種の強い不安が身体を貫いていると書いた。『陽炎』の音源を聴いたりライブ映像を見たりすると、エレクトリックでもアコースティックでも、全体的として抑制的に歌われていることに気づく。その中で「出来事が胸を締めつける」の歌い方は際立っている。この歌の感情と感覚の中心はここにあるが、興味深いことにエレクトリックとアコースティックの二つのヴァージョンによって、感情と感覚の表現の仕方に違いが見られる。歌う、奏でるという身体の行為に貫かれるようにして。

 エレクトリック・ヴァージョンの方は総じてテンポが速い。全体として張り詰めた感じがある。「む・ね・を」の助詞「を」の抑揚を高くまで上げて「し・め・つ・け・る」というように息を短く吐き出しながら強い調子で歌いきっている。外側に向けてある種の激しさを押し出している。

 アコースティック・ヴァージョンではゆるやかに言葉をかみしめるようにして歌っていく。歌い方にも独特の揺れがある。「を」を高く上げるのは同じだが、「し・め・つ・け・る」の方はむしろ息をつなぐようにして歌っている。内側に向けて痛みを押し込むかのようだ。そうすることでひしひしと「サウダージ」の感情が聴く者に迫ってくる。

 エレクトリックとアコースティックの歌い方の違いは、「出来事が胸を締めつける」の意味にも影響を与える。解釈が揺れる。そう言えるかもしれない。聴き手の心の揺れ方によって、歌は自由に受けとめられる。

 アコースティック・ヴァージョンの一つが収録された限定盤『四季盤』はもともと非売品であり、もう一つの『FAB BOX』(『RARE TRACKS&COVERS』)も限定版で売り切れている。どちらも入手困難だ。オークションに出たり中古盤として販売されているが、非常に高価である。

 今日で2018年が終わり、明日は2019年を迎える。志村正彦が旅立って十年となる。

 ファンの一人として望むことは、限定盤の『四季盤』や『FAB BOX』収録の音源など入手できないものが新たにあるいはもう一度発売されることだ。
 以前も書いたことがあるが、特に『シングルB面集 2004-2009』を独立したCDとして発売してほしいということは切なる願いである。デジタルではなく一つのパッケージとして存在してほしい。さらに言えば、『SINGLES 2004-2009』(A面集)』と併せて、2枚組の『SINGLES A・B面 2004-2009』がリリースされるのが僕の夢である。


2018年12月28日金曜日

「残像」と「出来事」-『陽炎』6[志村正彦LN204]

 『陽炎』5の回で、この歌で描かれる世界は、「少年期の僕」を描く物語の系列と、「少年期の僕を見ている今の自分」の想いを叙述する系列の二つから構成されると書いた。前者を赤、後者の青で色分けしてみた。
 今回は、「少年期の僕を見ている今の自分」の想いを叙述する系列、青色で記された箇所を論じていきたい。この系列は二つに分かれているので、それぞれ「残像」部分と「出来事」部分と仮に名付ける。

 「残像」部分を引用する。


あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ

また そうこうしているうち次から次へと浮かんだ
残像が 胸を締めつける


 「残像」部分では、「あの街並 思い出したときに」とあるように、歌の主体「僕」は、過去へと、「路地裏の僕」の時代へと回帰していく。「英雄気取った」少年期の物語を想起している。そういう行為を「そうこうしているうち」に、「残像」が次々に浮かんでくる。この場合の「残像」は、もうすでにそこには残っていない、消えてしまったのにも関わらず、記憶に残り続けている心象や感覚のことであろう。「残像」は時には執拗に現れて、歌の主体の「胸を締めつける」。

 次に「出来事」部分を引用する。


きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう

またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ
出来事が 胸を締めつける


 「今」現在という時間。初めの二行を区分けしてみる。「きっと今では」と「きっとそれでも」、「無くなったもの」と「あの人」、「も」と「は」、「たくさんあるだろう」と「変わらず過ごしているだろう」。対比的な表現ではあるが、微妙なずれがある。対照的でもあり非対称的でもあるような世界が微妙な陰影をもたらしている。

 「あの人」に焦点化していくのだが、「あの人」がどのような人なのかはもちろん分からない。歌の主体そして作者にとっては特定の人なのだろうが、聴き手にとっては「あの人」と指示される存在はどこか曖昧な存在にも受け取められる。歌詞の一節をもじるならば、「あの人」は「陽炎」のように揺れている。だからこそ、聴き手は「あの人」を自分自身で補填して、自分なりの「あの人」を描いていくのかもしれないが。

 「またそうこうしているうち」というのは、志村らしい言い回しだ。そうしている、こうしている、回想や想像あるいは妄想を巡らせながら、時間を行きつ戻りつしていく。そのうちに、「次から次へと浮かんだ」ものがあふれてくる。
 ここでは「残像」ではなく「出来事」となっている。何かを想起していくうちに、それが繰り返されるうちに、過去から現在へと時間が戻ってくる。通常、回想は「過去」に対する想起である。しかしここでは、「過ぎ去っていたもの」というよりも「まだ過ぎ去っていないもの」「現在まであり続けるもの」に対する想起に次第に変化している。形容矛盾のような言い方になるが、「現在の回想」とでも名付けられる行為になっている。「残像」というよりも「出来事」が想起され、現在という時間につながっていく。

 そしてその「出来事」を想起することが「胸を締めつける」。「胸」とある以上、きわめて身体的な感覚でもある。単なる感情や感覚を超えて身体の領域にまで迫ってくるものだ。どういうものかは分からないのだが、痛みを伴う葛藤やある種の強い不安が身体を貫いていることは確かだろう。

 志村正彦は「ROCKIN'ON JAPAN 2004年12月号」のインタビューで1stアルバム『フジファブリック』の作品についてこう発言している。


考えすぎる性格なのか、常に今の自分と頭の中にある過去のものだったりを比べたり、いろいろな葛藤がありますね。基本的にそんなにポジティヴじゃないというか、子どもの頃からみんなと一緒にいて楽しんでいるようでうしろのほうでいろいろ考えている自分がいる感じがするんですよね。


 ここで述べられた「今の自分」、「頭の中にある過去のもの」、「いろいろ考えている自分」という区分けの仕方は、『陽炎』3の回で書いた、「少年期の僕」、「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」、「少年期の僕」と「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」の両方を「絵」として見ている自分、という三人の自分がいる、ということとほぼ同じである。作者の「考えすぎる性格」は、そのような複雑な構造を作品に与えている。
 そして、「いろいろ考えている自分」が自らにもたらす「いろいろな葛藤」は、『陽炎』の主体の「残像」と「出来事」にも刻み込まれている。


2018年12月25日火曜日

『茜色の夕日』と『ここは退屈迎えに来て』[志村正彦LN203]

 今年も12月末の季節を迎えた。
 前回から一月以上経ってしまったが、もう一度、映画『ここは退屈迎えに来て』について考えてみたい。

 調べると、今この映画が上映されているの山形県だけで、ほとんどの地域では公開が終わっているようだ。今後の上映予定は分からないが、いつかDVDになるのかもしれない。そういう状況なので、ネタバレになってしまうが、作品の内容に入っていきたい。雰囲気をつかむためにトレーラー映像の予告編を紹介したい。




 「私」橋本愛、「あたし」門脇麦、「サツキ」柳ゆり菜、「椎名くん」成田凌、「新保くん」渡辺大知が主なキャストである。予告編全体にフジファブリック『Water Lily Flower』が流れているが、映画本編では主にエンディングテーマとして使われている。

 この映画の考察のために原作の小説、山内マリコ『ここは退屈迎えに来て』を読んでみた。八つの物語から構成される作品で、地方都市が舞台となっている。地方から上京しその後帰郷した女性、そのまま地方で暮らし続ける女性、関わり合う男性。地方都市の郊外の風景と「退屈」な日常。人物やテーマ的な関連はあるものの各々は独立した物語だと言えるが、全体を読み通すと、ひとつの群像劇と捉えることもできる。

 映画の基本的な枠組は、原作の1章「私たちがすごかった栄光の話」に拠っている。映画も原作も、「私」が「サツキ」と共に自動車学校の教官をしている「椎名くん」に会いに行く筋だが、原作の方はペーパードライバーの「私」の再教習という目的があるが映画にはそれがない。原作では「私」はあっさりと再会して車の教習を受け、「椎名くん」の「合格!」という言葉で終了するが、映画ではその再会までの間に、時間を遡る手法によって、『ここは退屈迎えに来て』のいくつかの話が挿入される。郊外の道路をドライブしていくロードムービーの物語が膨らんでいく。

 『茜色の夕日』が最初に登場するシーンは、原作4章の「君がどこにも行けないのは、車持ってないから」を基にしている。高校時代「あたし」は「椎名くん」と交際していたが、その後別れた。現在「あたし」は「惰性」で、椎名の友達の一人だった「遠藤」と関係を続けている。映画も原作も、「あたし」が「遠藤」と郊外のラブホに行く展開は同じである。細部が説明されている原作の方でこのシーンを補ってみる。事を終えて、二十三歳の「あたし」は「目を閉じて、椎名との思い出を忘れないように反芻する」。だが、「だんだん思い出せない記憶が増えていく」。いつの間にか眠り、目を覚ましたのは朝の六時半。まだ寝ている「遠藤」の「鼻ちょうちん」を見た「あたし」は「マジで無理。ごめん無理!」と思い、部屋から抜け出す。原作ではそのように描かれている。

 早朝の道を「あたし」は歩き出す。「誰か 誰でもいいんだけど」と叫ぶ。(このシーンが予告編に入っている)その後で唐突に口ずさむのが志村正彦・フジファブリックの『茜色の夕日』だ。BGMとして流れるのではなく、「あたし」が歌うのだ。原作にはこのシーンはない。映画独自の演出である。前回も述べたように賛否両論の使い方だろうが、どうしてこのように使われたのか。

 映画公式webの「Director's interview」で廣木隆一監督はこう述べている。


劇中で登場人物がフジファブリックの「茜色の夕日」を歌うのは、何より名曲ですし、あの時代を生きた彼らが共有している記憶でもあり、歌詞が彼らの気持ちを代弁しているような使い方をさせてもらいました。歌詞が物語やキャラクターにぴったりはまりすぎると世界が狭まってしまうので避けるようにしていますが、役者には「それぞれの役として歌って」と伝えました。


 廣木監督は素直に「歌詞が彼らの気持ちを代弁しているような使い方をさせてもらいました」と告げている。志村正彦の聴き手であれば、各々の『茜色の夕日』への想いや解釈があるだろう。虚構の人物である「あたし」もこの歌を愛していて、あの行き詰まりのような状況で自らの想いを重ね合わせた。このシーンに違和感を持つ人は少なくないかもしれない。しかし、歌は聴き手に届けられてからは聴き手のものである。「あたし」も聴き手の一人だ。「あたし」にとっての『茜色の夕日』は、絶ちがたい過去への追憶とその痛みそのものなのだろう。

 原作の小説では、「遠藤」と「あたし」との共通の話題は音楽という設定だ。「遠藤」は「ロッキンオン信者」。「あたし」は次のようなバンドを好んでいる。

あたしはアメリカやイギリスの、夢も希望もないド田舎出身のバンドが好きだ。打ち棄てられたような町で生まれ育った、貧乏で誰にも認められたことのない若い男の子が集まって作った、初期衝動のつまったデビュー作が好きだ。

 このような「あたし」の人物像から、『茜色の夕日』を唐突に歌うという演出が選択されたとも考えられる。

 廣木監督の発言の中で疑問符が付いた箇所もある。「あの時代を生きた彼らが共有している記憶」という発言だ。映画作品としてそのことが伝わってこなかったからだ。
 作中人物単独の記憶であればそれを明確に描く必要はないかもしれない。あえて隠したまま物語を展開することもある。あるいは、失われた記憶として扱うこともある。しかし、作中人物の「共有」の記憶であるのなら、フジファブリック『茜色の夕日』という歌の記憶が「共有」されていたことを何らかの演出で描く必要があるだろう。そうしなければ、「椎名くん」や「新保くん」や「私」によってリレーされるようして歌われるラストシーンの意味合いも伝わらない。

 さりげないものでいい。この映画の特徴からして大袈裟に取り上げるのは野暮になる。2004年という時代に、ある歌(『茜色の夕日』という名を明らかにしなくてもいい)が『ここは退屈迎えに来て』の主要な人物の間で大切にされていた、ということを描写か説明すべきだった。何らかの伏線を張って、『茜色の夕日』が歌われるシーンにつないでいく。積極的に使うのであれば、渡辺大知(黒猫チェルシー)演じる「新保くん」が歌うシーンをほんの短い時間でも挿入することも考えられる。難しい演出になったかもしれないが、廣木監督のセンスなら可能だっただろう。

 さらにあからさまなことを言えば、『茜色の夕日』という曲は、残念ながら、映画の観客一般が共有している記憶とはなっていない。この曲を知らない客にとって、歌詞を聞き取ることによって、「あたし」の「気持ち」の「代弁」として受けとめることはできるかもしれないが、もっと観客に伝わりやすい工夫がされてもよかったのではないだろうか。

 ここで、映画のパンフレットに記されていた加藤慎一(フジファブリックのベース)のコメントの一部を紹介したい。


「茜色の夕日」は、とても印象に残るシーンで、素敵でした。時が経っても、フジファブリックの、志村正彦の楽曲がこうしてフィーチャーしてもらえるのは本当に嬉しいです。作品は制作時から何度も観ていますが、登場人物の色んな感情が発見できます。


 ファンなら誰でも加藤氏と同じ想いだろう。「フジファブリックの、志村正彦の楽曲」が映画に使われる。こんなに嬉しいことはない。この歌が生き続けるからだ。この点において前回書いたように、賛否両論のこの映画について僕はどちらかというと肯定的である。

 また、原作者の山内マリコは志村正彦と同年の1980年生まれである。小説『ここは退屈迎えに来て』を読むと、映画や音楽やサブカルチャーにかなり親しんできたことが伝わってくる。同世代の表現者として、志村正彦・フジファブリックの作品に対する共感があったのだと思われる。映画パンフレットで山内マリコはこう述べている。


好きなシーンは、「茜色の夕日」を歌うところと、ラストシーン。ああいう洒落た、気取った演出に弱いんです(笑)。


 原作者にとっても『茜色の夕日』の存在は大きかったのだろう。

 志村正彦は映画に深い関心を抱いていた。
 彼自身が関わった『蜃気楼』(李相日監督『スクラップ・ヘブン』エンディングテーマ)、『蒼い鳥』(塚本晋也監督『悪夢探偵』エンディングテーマ)は、映画の本編を活かす意味でも非常に優れた作品だった。
  志村が亡くなった後、大根仁監督はドラマそして映画『モテキ』のオープニングテーマに『夜明けのBEAT』を流した。大根監督の志村に対するリスペクトを感じさせた。大根監督の志村作品起用がこの後の流れを作ったと言えるかもしれない。

 今年2018年、志村正彦・フジファブリックの作品が二つの映画で使用された。『虹』が飯塚健監督『虹色デイズ』(7月6日公開)のオープニングテーマ、『茜色の夕日』が廣木隆一監督『ここは退屈迎えに来て』(10月19日公開)の作中人物による挿入歌として使われた。

 志村正彦の歌は、一つの言葉、一つのフレーズで瞬間的に映像を喚起させる。物語を想像させる。その抜群の喚起力が映画監督を魅了する。

2018年11月23日金曜日

映画『ここは退屈迎えに来て』[志村正彦LN202]

 映画『ここは退屈迎えに来て』(廣木隆一監督)を見てきた。甲府の中心街に一つだけ残っている映画館「甲府シアターセントラルBe館」で今日から上映が始まった。

 廣木隆一はかなり前から好きな監督である。現在のフジファブリックが主題歌『Water Lily Flower』と劇伴を担当し、志村正彦の『茜色の夕日』が劇中で歌われていると知って、どうしても見たかった作品だ。甲府での上映は無理かもしれないと思っていたが、シアターセントラルBe館の予定にあり、とても楽しみにしていた。




 これから鑑賞される方がいるかもしれないので、映画の具体的内容については触れないが、書いておきたいことが少しある。

 原作者山内マリコの故郷である富山県を舞台とする一種のロードムービーである。地方在住者としては、どこにでもある地方都市の郊外のどこにでもある風景に「デジャヴュ」を覚える。東京から帰郷した「私」(橋本愛)と故郷にそのまま残っていた「あたし」(門脇麦)という二人の女性の物語。「椎名くん」(成田凌)という男性が展開の中心にいるのだが、彼は空虚な存在でもある。物語に登場してはいるが、『桐島、部活やめるってよ』(吉田大八監督)の「桐島」にある意味では近い存在かもしれない。この三人は共に、どこにでもある地方都市のどこにでもいる人物である。つまり、僕たち自身であり、僕たちの隣人であるのだ。

 撮影が優れている。「場」はあるにはあるのだがそこに「人」があまりいない地方の空間の感触を的確に描き出している。ドライブシーン中の車のフロントガラスに映る周囲の影の動きのイマージュ。ラストシーン近くで「サツキ」(柳ゆり菜)が「私」と「椎名くん」の二人を見つめる際の表情の微妙な変化の演技と演出も素晴らしかった。キャスティングでは山梨出身のマキタスポーツがいい味を出していた。
 それに比べて、物語の構成にはもっと練り上げが必要だっただろう。人物がたくさん登場ずる群像劇であり、2004年、2008年、2010年、2013年と時間も交錯するので、展開が把握しにくい。もう少し分かりやすく整理して、モチーフを焦点化した方がよかったのではないか。

 フジファブリックの劇伴は、彼らの巧みな演奏力によって安定感があった。『Water Lily Flower』も小波のような余韻を残した。
 話題となっている『茜色の夕日』の劇中挿入シーンだが、おそらく賛否両論があるだろう。僕個人としては条件づきではあるが、どちらかというと肯定的である。制作者には失礼な言い方になるかもしれないが、この映画全体を『茜色の夕日』の映画版ミュージックビデオと捉えることもできるからだ。この歌の受容の歴史の中で、この映画は話題作、問題作として記憶に残るだろう。このことはいつか機会を設けて書いてみたい。

 甲府シアターセントラルBe館での上映期間は、12月6日までの二週間(水曜日は休館)。山梨在住の志村正彦・フジファブリックのファンであればご覧になることを勧める。『茜色の夕日』が、映画作品という虚構の中ではあるが実在しているのだから。
 

2018年11月18日日曜日

少年期と現在、二つの系列-『陽炎』5[志村正彦LN201]

 フジファブリック『陽炎』論を二ヶ月ぶりに再開したい。

 この歌で描かれる世界は大きく二つの系列に分かれる。「少年期の僕」を描く物語の系列と、「少年期の僕を見ている今の自分」の想いを叙述する系列の二つだ。そしてその二つの系列の背後には、「少年期の僕」と「少年期の僕を見ている今の自分」の両方を見つめている自分が存在している。

 この二つは明解に分けられるのだが、視覚的に捉えやすくするるために前者の系列を赤、後者の系列を青で記してみる。最後の「陽炎が揺れてる」は青でも赤でもない紫色にする。


  陽炎 (作詞・作曲:志村正彦)

あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ

また そうこうしているうち次から次へと浮かんだ
残像が 胸を締めつける

隣のノッポに 借りたバットと
駄菓子屋に ちょっとのお小遣い持って行こう
さんざん悩んで 時間が経ったら
雲行きが変わって ポツリと降ってくる
肩落として帰った

窓からそっと手を出して
やんでた雨に気付いて
慌てて家を飛び出して
そのうち陽が照りつけて
遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる

きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう

またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ
出来事が 胸を締めつける

窓からそっと手を出して
やんでた雨に気付いて
慌てて家を飛び出して
そのうち陽が照りつけて
遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる

陽炎が揺れてる


 『陽炎』のライブ映像をいくつか見ると、青色の部分では照明が落とされて、赤色の部分に転換する際に照明も光量が多くなる。テンポも速くなり、音量も大きくなる。歌詞の系列の転換を強調したアレンジや演出だろう。この歌のテーマでもある「ワープ」を意図したのかもしれない。『陽炎』のダイナミズムがここにある。

 歌の主体「僕」は次のように語り出す。


あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ


 「あの街並」を想起した時、「英雄気取った 路地裏の僕」が心の中で浮き上がる。それは「何故だか」とあるように訳もなく、しかも「ぼんやり」としか見えない像である。何かの拍子に脈略もなく、ある出来事が瞬間的に回帰してくることがある。はっきりとしない曖昧なものであってもその像を追っていくと、少しずつ像の実質が現れてくる。

 「今の自分が少年時代の自分に出くわすっていう絵が、頭の中あって。そこで回想をして、映画に出てきそうなシーンを書きたいなと思って作りました」(「oriconstyle」2004年7月14日付記事)という志村自身の発言にあるように、現在の自分と少年期の自分に出くわす「絵」の輪郭が作者の頭の中で確かなものとなる。舞台は作者の故郷の「路地裏」。そのような設定で物語が動き始める。
 今の自分が少年期の僕と遭遇し、二人は並んで走る。そうこうしているうちに、二人は一体化して路地裏を駆け巡る。そんな幻が浮かんでくる。


隣のノッポに 借りたバットと
駄菓子屋に ちょっとのお小遣い持って行こう
さんざん悩んで 時間が経ったら
雲行きが変わって ポツリと降ってくる
肩落として帰った

窓からそっと手を出して
やんでた雨に気付いて
慌てて家を飛び出して
そのうち陽が照りつけて
遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる


 十月、山中湖で開催された「Mt.FUJIMAKI 2018」に行く途中、富士吉田の「ハタオリマチフェスティバル2018」に立ち寄り、かなり久しぶりにこの「路地裏」界隈を歩いた。
 当時の彼の実家、駄菓子屋。せいぜい二、三百メートルくらいの距離に位置している。少年にとってのテリトリーの場所はこのくらいの距離内にある。それを超えるともう他所の地域なのだ。それを超えた場所に行くことは一種の冒険になる。

 路地裏。少年にとっての「自分」の居場所。おそらく夏休みという季節。「借りたバット」「駄菓子屋」「ちょっとのお小遣」。昭和の少年の夏のアイテムがそろっている。「さんざん悩んで 時間が経ったら」、これも目に浮かんでくる光景だ。どれにしようかさんざん悩む。駄菓子屋での買い物は少年の大切な時の過ごし方なのだ。

 先に引用した部分に続いて志村は次のように述べている。


でも、夏といっても“どこかに遊びに行きました”というよりは、“路地裏で一人遊んでいる”っていう歌詞が自分たちらしいかな、と(笑)。うだつの上がらない夏を過ごした感じの曲です(笑)。


 つまり、この物語に登場する人物は「一人」である。もちろん、バットを持っていくのであるから、どこかのグラウンドで仲間と野球をするのだろうが。そこに行く途中、そこに行くまでの時間は、一人遊びである。「うだつの上がらない夏」と話しているが、孤独な少年の影もうかがえる。一人でいることと仲間と共にいること。この二つの時の間で少年は成長していく。

 雲行きが変わり雨が降ってきて、少年は肩落として帰る。夏の通り雨だったのだろう。しばらくすると止み、陽が照りつけてくる。雨が上がり光が差し込んでくるモチーフは『虹』『蜃気楼』などにもある。作者が愛した表現だ。

 「手を出して」「雨に気付いて」「家を飛び出して」「陽が照りつけて」、動詞の連続が歌の主体の動きを現し、その連用形に接続する「て」という助詞が歯切れのいい脚韻になって、リズムを盛り上げ、路地裏の物語を加速させる。しかし、その運動を静止させるように、「遠くで」、「陽炎」が「揺れてる」。空気が揺れ、視界が揺れ、世界が揺れている。
 そのとき「僕」はおそらく立ち止まったのだろう。そして佇立したのだろう。

2018年11月11日日曜日

『ルーティーン』の祈り [志村正彦LN200]

 「志村正彦LN(ライナーノーツ)」が200回を迎えた。ブログの開設は2012年の暮れ。実質的に始まったのは2013年3月。六年近くの時が流れた。

 最初に「志村正彦LN」を構想した時に、漠然とではあるが、300回くらいになるかなと思った。何となくの想定だったが、現時点での判断としてはおおよそ当たっているのかもしれない。そうなると後100回は続くことになる。今までのペースであれば三、四年はかかる。始まりから通算すると、十年一仕事ということになる。この想定通りに進んでいけるかどうかはわからないが、書き続けるという意志はある。

 今年の春から職場が変わった。後期から国語科教育法に加えて、文学講読(芥川龍之介の夢と無意識をモチーフとする小説)と初年次教育の演習(レポート作成方法)も担当することになった。ミッション系の大学なので、宗教主任をはじめとする教職員や外部からの講師がキリスト教やキリスト教に関連するメッセージを話す「チャペルアワー」という時間が週に三日ある。先日、そのメッセージを伝える番が回ってきた。
 僕はクリスチャンではなく、キリスト教の理解も浅いので、何を話したらよいのか思案したが、日本語の詩や歌に表現された「祈り」というテーマに決めた。具体的な作品としてフジファブリック『ルーティーン』が浮かんできた。若い学生も参加するので、この曲をぜひ聴いていただきたい。そのような思いもあった。

 題名は、「志村正彦『ルーティーン』の祈り」とした。
 会場はグリンバンクホール。日常の礼拝や講演会等で使われる多目的ホールで、正面には十字架が掲げられている。礼拝で演奏するパイプオルガンもある。学内で最も聖なる場だと言える。
 十五分弱の短い時間なので、最初に『ルーティーン』を再生し、作者と作品とついて簡潔に話し、最後に再び『ルーティーン』を流して終えるという構成にした。会場設置のオーディオ装置を事前に調整し、できるだけクオリティの高い音質にすることにこだわった。志村正彦の声や息づかいを忠実に再生したかった。

 当日配布した資料は、「志村正彦LN」の『ルーティーン』の回をもとにして、新たなモチーフを少し加え、書き改めたものである。以下、引用させていただく。


  フジファブリック『ルーティーン』 (作詞作曲:志村正彦)

 フジファブリック『ルーティーン』は、2009年4月8日、シングル『Sugar!!』のカップリング曲としてリリースされた。アルバム『CHRONICLE』収録曲と共に、スウェーデンのストックホルムで録音された。

 『CHRONICLE』付属DVDの「ストックホルム”喜怒哀楽”映像日記」には、志村正彦が「最後にちょっとセンチメンタルな曲を一発録りでもう、多分歌も一緒にやるか、まあでもマイクの都合でできないかな、もうみんなで一斉にやって「終了」って感じにしたくて」と述べるシーンがある。この曲が『ルーティーン』である。「Recording『ルーティーン』2009/2/6」と記されていて、2009年2月6日に録音されたことが分かる。帰国の間際に「一発録り」で収録されたゆえに、加工されていない彼の自然な声や息づかいが聞こえてくる。

 「ルーティーン (レコーディングセッション at Monogram Recordings)」という映像もある。志村と山内総一郎のアコースティックギター、金澤ダイスケのアコーディオンによる演奏の映像に、志村のボーカルの映像をミックスしたものだ。冒頭で志村は「わびさび日本系で」という指示を出している。海外での収録ゆえに「日本系」を意識したのかもしれないが、むしろこの歌には「日本」という枠組を超えたある種の普遍性がある。

 その十ヶ月後、2009年12月24日クリスマスイブの日、志村正彦は急逝する。結果として、『ルーティーン』は生前に完成された最後の作品となった。

 志村の声は限りなく優しい。甘く切なく、耳に溶け込むようでもある。
 二行七連構成の歌詞は日常的ないわば「ルーティーン」の語彙で綴られている。「君からもらった心がある」と、歌の主体は「君」に歌いかける。ラブソングという枠組で捉えるのであれば、この「君」は恋する人や愛する人であるだろう。しかし、そのように限定しない解釈もあり得る。「君」は父や母かもしれない。友であってもいい。もっと大きな存在、人に心を与えるような存在とも考えられる。あるいは「君」は音楽そのものとも捉えられる。
 人間の心は「自」ら成るのではなく「他」から与えられるものである。「他」からの贈り物のようにして存在している。そのような論理を考えることができるだろうか。

 いったん曲が終了し、一瞬の沈黙がある。第六連と七連との間だ。微かにギターをたたく音と共に七連目が歌い出される。                                       
 最後の二行は、歌うことそのものが祈りとなっている。「ルーティーン」の日々、永遠に繰り返される時への祈り。日が沈み朝が来ること。「昨日もね」と「ね」で一度小休止し、「明日も 明後日も 明々後日も」と続き「ずっとね」でフェイドアウトしていく。その後に続く言葉はない。
  志村の詩にはいつも余白がある。その余白、言葉にならないものが祈りを支えているかのように。

 時々、不思議に思う。音盤に刻まれた歌が再生されることを。声は生き続けることを。あまりにも自明になってしまって振り返ることもないが、録音という技術は人の声に関する「奇跡」のような出来事だったのかもしれない。
 志村正彦の「ルーティーン」、彼の「時」は永遠に失われた。彼の声は、歌は、少なくともその聴き手が存在する限りは、永遠のような時を得る。一人の聴き手としてそのように考え、そのように祈る。


 グリンバンクホールに志村正彦の歌が広がっていった。一発録りゆえの彼の地の声や息づかいが聞こえてきた。祈るようにしてその声に耳を澄ませた。

2018年11月4日日曜日

デイヴ・シンクレア(Dave Sinclair)『ゆめのしま』

 数日前、朝日新聞をめくっていると、いきなり「デイヴ・シンクレア」という名前と写真が現れた。驚いた。なぜデイヴ・シンクレアが? 記事を読むと、彼は70歳となり、今日本で暮らしていることを知った。その『(ひと)デイヴ・シンクレアさん 瀬戸内の島で暮らす英ミュージシャン』という記事(2018年10月30日)を引用しよう。

 「まさか日本で、瀬戸内の島で暮らすことになろうとは。人生、わからないものです」
 英国のバンド「キャラヴァン」や「キャメル」で、1970年代を中心に活躍したキーボード奏者だ。ジャズや聖歌の要素も取り入れたプログレッシブ・ロック。「グレイとピンクの地」では英ゴールドディスクも獲得した。
 転機は2003年。ソロ新作の宣伝で来日し、京都の寺を再訪。前回から四半世紀の時が流れたのに、何も変わらぬ姿に心動かされた。浮き沈みの激しい音楽業界で3人の子を育てるため、田舎町に中古ピアノ店を開いて二十数年。すでに子は独立し、妻とも心が離れていた。日本でなら、何か新しい音楽の刺激が得られるかもしれない。「いま、ここで人生を変えよう」と、移住を決めた。
 11年の京都暮らしで、二回り年下の日本人女性に出会って再婚。愛媛県の弓削(ゆげ)島に移り住んで2年半になる。人口3千。穏やかな海。豊かな人付き合い。島の暮らしから、するりと曲が生まれた。

 ♪きらめく街に背を向けて/夢にみたこの場所/心の奥から声がした/この島こそ アイランド・オブ・ドリームス

 島の高校が今年、創立70周年。その記念行事に招かれて文化の日、全校74人の生徒と一緒にこの「ゆめのしま」を歌う予定だ。
 「光栄です。この島はもう我が家ですから」 (文・写真 萩一晶)


 デイヴ・シンクレア(Dave Sinclair、David Sinclair)がメンバーだった「キャラヴァン(Caravan)」。いわゆる「カンタベリー・ロック(Canterbury rock)」、イギリスのカンタベリー出身者を中心とするプログレッシブ・ロックのバンドの一つだった。
 彼らが活躍したのは70年代。80年代以降は第一線から退いていった。中古ピアノ店で糧を得ていたとのことだが、どの国でも売れなくなった音楽家の生活は厳しいようだ。

 プログ・ロック(イギリスではこの呼び方らしいのでこう記す)というと、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエスなどが知名度が高いが、ソフト・マシーン、キャラヴァン、マッチング・モール、ハットフィールド・アンド・ザ・ノースなどのカンタベリー・ロック系のバンドにも、少数派かもしれないが熱心なファンがいる。僕もその一人だった。ジャズ・ロック風のサウンド、イギリスらしい知性や叙情性が感じられる歌詞、独特なアートやユーモアの感覚に魅了された。例を挙げると、ハットフィールド・アンド・ザ・ノース(Hatfield And The North)の『ザ・ロッターズ・クラブ』 (The Rotters Club)。ジャケットの絵とデザインが秀逸で、LPを部屋に飾っていた。デイヴ・シンクレアはこのバンドに在籍していたこともある。

 彼はロバート・ワイアットが結成したバンド、マッチング・モウル(Matching Mole)のオリジナルメンバーでもある。ファースト・アルバム『そっくりモグラMatching Mole』は学生の頃の愛聴盤だった。カンタベリー・ロックの歴史の中の傑作だと言える。彼の弾くキーボードのメロディは美しく流麗で、バンドサウンドを構築する要ともなっている。

 キャリア的には「キャラヴァン」のキーボードとして知られているのだろう。今朝からすごく久しぶりに代表作『グレイとピンクの地 (In the Land of Grey and Pink)』(1971年)を聴いてみた。


 日曜日の朝にふさわしい爽やかで穏やかな声と音の響きだった。都市というよりも郊外の田園風景を想起させる音楽でもある。ジャケットのイラストレーションも素晴らしい。

 youtubeで当時の映像を探してみた。デイヴ・シンクレアの演奏シーンのある『Place of My Own』(1969、Beat Club - German TV)を添付したい。




 モノクロ映像が時代を感じさせるが、当時のキャラヴァンの雰囲気をよく伝えている。
 どうだろうか。直接的な影響ではないが、ブリティッシュロックの半世紀を超える歴史からすると、カンタベリー・ロックの系譜もフジファブリックの音楽に流れ込んでいると考えられるかもしれない。

 この記事を読むまで、デイヴ・シンクレアが日本で暮らしていることは全く知らなかった。しかも音楽活動を続け、島の高校の創立70周年記念に生徒と一緒に歌う。「文化の日」とあるので昨日披露されたことになる。どんな歌と演奏になったのだろう。
 「きらめく街に背を向けて/夢にみたこの場所」という歌詞の一節。カンタベリー・ロックの世界と瀬戸内の島の風景が融合するような気がする。


2018年10月27日土曜日

のん『へーんなのっ』『若者のすべて』

 『若者のすべて』が流れる「LINEモバイル」のCMに出演した「のん」は、昨年2017年の11月、自ら作詞作曲した『へーんなのっ』を含む1stシングル『スーパーヒーローになりたい』で本格デビューした。その『へーんなのっ』と『スーパーヒーローになりたい』(作詞・作曲:高野寛)の二曲のライブ映像がyoutubeで公開されている。
 「のんが人生で初めて作詞作曲した曲で、パンクな一曲となっていますので、みなさん楽しんでください」と紹介されて『へーんなのっ』は始まる。





 正直、こんなにロックしているとは想像できなかった。予想をはるかに超える出来映えの「日本語ロック」だ。歌とギターのリズム感が抜群で、自ら書いた歌詞も秀逸だ。言葉が実に「ロック」している。かなり「パンク」でもある。歌詞の前半を引用する。

  
  あのチョコレートの形が変だ
  あの道に落ちてる石ころが変だ
  変なものってたくさんある
  子供のようにひとつひとつ目を見張る

  はっきりした物言い
  無駄のない言葉
  余計のない心
  変なものは変だ
  好きなものは好きだ
  変なのに好きだ
  へーんなのって言ってやれ!
    ( 『へーんなのっ』作詞・作曲:のん )

 「子供のようにひとつひとつ目を見張る」眼差し。のんのつぶらで大きい目を想起させる。その眼差しが「変」なものをスケッチしていく。「変なものは変だ/好きなものは好きだ/変なのに好きだ」という風に変なものと好きなものとが交錯していく。融合していく。『へーんなのっ』という題名に「っ」という促音が付いているのも変でいい。

 近田春夫が『近田春夫の考えるヒット』の連載で「“のん”のライブ映像を見て「スゲー」と思ったふたつの理由」を書いている。(2017/12/13、週刊文春 2017年12月14日号)
 近田は『へーんなのっ』のライブ映像を見て「この女スゲー……。」と独りごちてしまったそうだ。その理由を二つ書いた部分を引用する。

 まずは“ボーカルをとりながらのロックギター演奏家”として素晴らしい、もといスゲー。いわゆる“人馬一体”のそのプレイスタイルの、なんとも様になっている半面、歌唱と楽器演奏がきちんと独立をして、身体的によく整理された作業となっていることが、映像から見て取れるのである。読者諸兄には、その音色、リズム共に大変男性的な魅力に満ち溢れたものである点にも是非注目していただきたい。これは本腰を入れてロック演奏をやってきたなというオーラが、画面から伝わってくると思うのである。

 もうひとつは、コード進行である。良し悪しはともかく、どうも我が国ではロックと称する音楽においても、その和声の動きには聴き手の気分を、ウェットにさせる傾向のものが多い。この曲のコードには珍しくそうした“感傷に人を導く”ようなところがない。誤解されることを百も承知で申すならば、のんのコード感覚は極めて“外人ぽい”のだ。


 近田は「歌唱と楽器演奏がきちんと独立をして、身体的によく整理された作業」による歌と演奏、 「感傷に人を導く”ようなところがない」「“外人ぽい”」コード進行という二つの観点で分析して高く評価している。確かに、声、音、言葉ともにその感覚が「洋楽」ぽい。洋楽とりわけブリティッシュロックの影響を受けて成立した70年代の日本語ロックの香りもする。
 また近田は「この人の表現センスの只者ではないのは、歌詞/タイトルの表し方にも、十二分に散見は可能だ」とも述べている。歌詞そのものも『へーんなのっ』というタイトルもやはり「只者」ではない。この連載でなかなか厳しい批評を綴る近田にしては大絶賛だろう。
 
 先月、のんは自身のバンドを率いて『スーパーヒーローズツアーのん、参上!!!』と題する大阪、広島、福岡、宮城を巡るツアーを行い『若者のすべて』を歌ったそうだ。9月30日には日比谷野外音楽堂で「のん with SUPERHEROES」(仲井戸麗市バンドとのツーマンライブ)が予定されていたが、台風のために中止となってしまった。この公演であれば映像がどこかで見られるかもしれないという淡い期待もあったが、幻の公演となってしまった。

 事前に公式サイトで次の「のんコメント」が寄せられていたので紹介したい。

フジファブリックの若者のすべて。
たくさんの方の心の中に大切に宝物のように存在するこの曲にリスペクトを込めて、今のんが出来る事と言ったら、ライブで歌う事だ。と思いました。
この曲を聴いている皆さんに寄り添うように、私も大切に歌わせていただきます。お楽しみに。

 知名度の高いアイドルが、この曲を「たくさんの方の心の中に大切に宝物のように存在する」と述べ、リスペクトを込めてライブで自ら歌う。志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』という作品にとって、とても幸せなことだろう。

2018年10月13日土曜日

10月7日山中湖、Mt.FUJIMAKI 2018。

 先週の日曜日、10月7日(日)、「山中湖交流プラザきらら」で開催の「Mt.FUJIMAKI 2018」に行ってきた。山梨県御坂町(現・笛吹市)出身の藤巻亮太が企画し、同郷の宮沢和史や音楽仲間たちに呼びかけて実現したフェスだ。台風が心配されていたが、関東地方はすでに通り過ぎていて、夏が戻ってきたような暑さの中のドライブとなった。

 会場へ向かう途中、富士吉田で「ハタオリマチフェスティバル2018」が開催中だったので寄ることにした。富士吉田は「織物」、ファブリックの街。その地域の魅力を伝えるフェスティバルで、織物や様々なグッズの店、食べ物屋、ワークショップやライブなどのイベントが開かれていた。



 十時過ぎに会場の下吉田に到着。本町通りから路地裏の方を通って小室浅間神社、市立第一小学校と歩いていった。ここは志村正彦が生まれて育った場所。フジファブリック『陽炎』の舞台ともなった。

  あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
  英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ

  また そうこうしているうち次から次へと浮かんだ
  残像が 胸を締めつける

      (『陽炎』作詞・作曲:志村正彦)

 数年ぶりにこの界隈を歩いたのだが、路地裏はさらに時の経過に置き去りにされているようだった。この日は「ハタフェス」で表通りが華やかだった分よけいにそう感じたのかもしれない。

 カフェのリトルロボットでランチ。この日は北杜市のSUN.DAYS.FOODと甲府市のNODOによるコラボショップだった。北杜と甲府の店が吉田で臨時オープン。街のフェスらしい趣向で良い試みだ。洋風のお好み焼きと特製のジンジャーエールが美味しかった。
 三年前にここで佐々木健太郎&下岡晃(analogfish)のライブが開かれた。下岡晃は『茜色の夕日』の弾き語りをした。歌い終わるとぼそっと「いい歌だね」と呟いた。そんなことを思い出した。

 吉田を後にして、忍野を経由する。花の都公園の花々が美しい。十二時半、大渋滞を通り抜けやっと山中湖きららに到着。車を降りると真夏のような日差しが降り注いでいた。富士山は向かって左側が雲に隠れていたがその悠然とした姿を現していた。まだ夏の富士だ。



 会場の「イスシートエリア」に入り、持ち込んだ小さな折りたたみイスに腰掛けた。夏のフェスなんで十数年ぶりのこと。なんだか落ち着かない気分だ。見渡すと会場にはざっと四千人から五千人くらいの人が集っていた(正式な数は知らない)。山梨出身やゆかりの音楽家が中心のフェスだからなんとか成功してほしいと思っていたが、動員的には大成功だろう。



 一時過ぎにスタート。オープニングは藤巻亮太が一人でステージに立った。アコースティックギターを奏で歌い始めたのは「粉雪」。この曲は山中湖のスタジオで録音されたそうだ。この場にふさわしい幕開けとなった。

  粉雪舞う季節は いつもすれ違い
  人混みにまぎれても 同じ空見てるのに
  風に吹かれて 似たように凍えるのに
     …
  粉雪 ねえ 心まで白く染められたなら
  二人の 孤独を分け合う事が出来たのかい

      (『粉雪』作詞・作曲:藤巻亮太 )

 彼の声が微風に乗って大空へとどこまでも伸びていく。力強くしかも微妙に揺れるような声が粉雪のようにして聴き手に舞い降りてくる。この歌を聴くだけでもここに来た甲斐があった。そう思わせるのに十分な出来映えだった。

 ゲストの一番目は和田唱(TRICERATOPS)。 ファースト・ソロ・アルバム(10月24日発売)収録の『1975』を披露。歌詞を追いかけると、彼の故郷である東京を舞台とする歌だった。発売されたら音源を聴いてみたい。彼は「フジフジ富士Q」で『陽炎』を歌った。志村正彦の良き理解者であった。
 二番目が浜崎貴司(FLYING KIDS)。もう三十年となるキャリアにふさわしい貫禄と余裕の歌いぶりだった。『風の吹き抜ける場所へ』が心地よかった。
 三番目に山内総一郎(フジファブリック)が登場。フジファブリックの故郷は山梨だと発言したが、志村正彦という固有名詞への言及はなかった。エレクトリック・ギターを奏でながらで新曲『Water Lily Flower』を歌った。自らエレキで伴奏するアレンジには工夫があった。
 和田唱、浜崎貴司、山内総一郎は藤巻亮太と共にレミオロメンの曲も歌った。藤巻亮太BANDは、Gt岡 聡志、Ba御供信弘、Dr河村吉宏、Key皆川真人、Pf桑原あい。曲によって弦楽四重奏も加わった。

 藤巻とアルピニストの野口健とのトーク・タイムを経て、四番目にASIAN KUNG-FU GENERATIONが登場。この日唯一のバンドとしての出演だった。非常によくコントロールされたサウンドが美しく、グルーブ感も抜群だ。バンドサウンドとしての完成度が高い。後藤正文はレミオロメンと共演した時『雨上がり』を聴いて感嘆したと語った。同世代のバンドとしての強い連帯感もあったのだろう。
 五番目、ゲストとしての最後に宮沢和史が登場。言うまでもないが、山梨県甲府市出身の音楽家だ。THE BOOM『星のラブレター』『世界でいちばん美しい島』そして『中央線』。三つとも故郷の山梨を舞台や主題とする歌である。最後に山梨で結成されたエイサーグループを入れてバンドサウンドで『島唄』を演奏した。どれも素晴らしく、この日の出演者の中では彼の歌がベストパフォーマンスだったと思う。中でも『中央線』が染み込んできた。特に山梨から東京へと上京した者にとっては、心の深いところへ入り込んでくる歌だ。

  逃げ出した猫を 探しに出たまま
  もう二度と君は 帰ってこなかった
  今頃君は どこか居心地のいい
  町をみつけて 猫と暮らしてるんだね

  走り出せ 中央線
  夜を越え 僕をのせて

      (『中央線』作詞・作曲:宮沢和史)

 最後に、藤巻亮太と彼のBANDが登場。ヴァンフォーレ甲府の創立50周年アンセム『ゆらせ』では観客も青色のタオルを揺らせて一体感が高まった。エンディングはMt.FUJIMAKIのテーマ曲『Summer Swing』。十月であるにもかかわらず、この日は夏の終わりを思わせる気候だったので、歌詞がこの日のこの場の雰囲気に合っていた。
 エンディングは出演者全員がステージに集まった。マイクをバトンタッチしながら『3月9日』が歌われる。ややぎこちないその様子が手作り感のあるこのフェスらしかった。湖畔は夕暮れを迎えていた。

 山中湖で開催の「Mt.Fujimaki 2018」。「山梨愛」「故郷愛」にあふれる素晴らしいフェスティバルだった。会場の雰囲気も山中湖という場も富士山という風景もとても良かった。それはそうなのだが、
 藤巻亮太がいて、宮沢和史がいる。でも志村正彦はいない。
 どうしてもそう感じてしまう自分がいた。
 彼が健在であればおそらくこのステージに立っていたことだろう。宮沢和史、藤巻亮太、志村正彦という山梨で生まれた三人は、もちろん山梨という場に限定されない、日本語ロックを代表する音楽家、詩人である。そうではあるが、大月で生まれ甲府で育った僕にとってこの三人は、甲府の宮沢、御坂の藤巻、吉田の志村でもある。この三人の共演は、かなえられない夢想として、いつまでもあり続ける。

 「Mt.Fujimaki 2018」の成功は心から祝福したい。そのこととは無関係であり別次元のことだが、志村正彦の不在という現実をつきつけられた。書いてもしかたのないこと、書くべきではないことかもしれないが、そのままここに、その想いを書きとめておきたい。


2018年10月3日水曜日

スガシカオ・桜井和寿・小林武史『若者のすべて』[志村正彦LN199]

 前回の記事は、2018年9月26日に放送された《日本テレビ系『スッキリ』内の「HARUNAまとめ」フジファブリック特集》を記録したものだが、多くの方に読んでいただいたようだ。地上波の全国放送の影響力はやはりすごい。フジファブリックがこのような形で注目されたのは初めてのことだろう。

 今回は、番組でもほんの少しだが紹介されたスガシカオ・桜井和寿・Bank Bandによる『若者のすべて』について書いてみたい。
 幸いなことに先日、wowowで『ap bank fes  2018』が放送された。7/14から7/16の間、静岡つま恋で開催されたこのフェスを「前日祭・Day1」と「Day2」の二回に分けて収録したものである。スガシカオと桜井和寿がBank Bandの演奏に乗って『若者のすべて』を歌っていた。
(『若者のすべて』は「前日祭・Day1」に収録。10/16(火)午後1:00再放送予定)

 スガシカオの声は艶やかでほのかな色気もある。五十歳を超えた年齢を感じさせない若々しさもある。言葉の拍の区切り方が明瞭だ。だから歌詞のひとつひとつが自然に聴き手に伝わってくる。数多くあるこの曲のカバーの中でも出色の出来映えだ。
 桜井和寿はとても素直な歌いぶりだった。この曲のカバー音源の創始者にふさわしく、『若者のすべて』をリスペクトしている姿勢がうかがえた。スガシカオと桜井和寿の二人の声のハーモニーも美しかった。
 Bank Bandの一員として、神宮司治(レミオロメン)がドラムを担当(河村智康とのツインドラムの一人として)。山梨出身の神宮司がリズムを刻んでいるのはやはり感慨深かった。ベースは亀田誠治。彼はフジファブリックのシングル『Suger!!』をプロデュース。ゆかりのある音楽家がステージで演奏していた。

 21世紀に入ってからすでに20年近くの年月が経っているが、その間に誕生した「日本語ロック」の系譜の作品の中で、この曲ほど人々に親しまれているものはないだろう。発表当時はそれほど注目されなかったが、ここ十年ほどでその評価は揺るぎないものとなった。そのような流れを作った音楽家として第一に挙げられるのは、桜井和寿そして小林武史だろう。そのことを振り返ってみたい。

 2010年6月30日、『若者のすべて』カバーを収録したBank Bandのアルバム『沿志奏逢3』が発売された。「ap bank」の「エコレゾ ウェブ」の「沿志奏逢 3」Release Special には関連記事がたくさん掲載されている。リリースを告げる記事には、《櫻井が本作品の為に新たに選曲した「若者のすべて」(フジファブリック)、「有心論」(RADWIMPS)、「ハートビート」(GOING UNDER GROUND)など、Mr.Childrenよりも新しい世代のアーティストの楽曲にも敬意を持ってBank Bandがカバー/リアレンジしています》とある。関連記事として桜井と小林武史のインタビューも掲載されている。『若者のすべて』に言及している部分を引用してみよう。


―― 櫻井さんの曲との出会い方って、一般リスナ-と変わらないところが凄く親近感湧くんです。例えばフジファブリックの「若者のすべて」は、ラジオで聴いて好きになったそうですね。
櫻井 そうですね。あとSyrup 16gの「Reborn」もそうなんです。 ラジオで掛かってたのを聞いて好きになるということは、僕のなかで重要なことでもあるんですけど。

 ―― 「若者のすべて」も初々しさがありますね。あと、花火が出てくる夏の情景が描かれ、フェスにもピッタリというか......。

櫻井 そうでしょうし、あとこの曲はですね、最初聴いた時に「アレンジが小林さんぽいな」って思ったんです。サビ前のとことか、3番のサビに出てくる仕掛けとか......。これ、Mr.Childrenとして最近は歌わなくなった音の飛び出し方をするアレンジでもあるわけですよ。「それを今の時代にまた鳴らすというのもいいなぁ」という想いもあったんですけどね。あと同時に、「この曲の持つ切なさとは何だ?」というのをずっと考えながらレコ-ディングしてました。
《「沿志奏逢 3」Release Special 櫻井和寿Interview(前編)(取材 小貫信昭)》

―― ここからは『沿志奏逢3』の内容にも関わっていくわけですが、若い世代とのレゾナンスにおいて、「若者のすべて」という楽曲が大きなポイントになったようですね。 

小林 あの曲は「本当にいい曲だなぁ」というのは、櫻井だけじゃなく僕も思っていたことで、それをBank Bandで実際に演奏してみた時、様々なことが共振共鳴し合えるイメ−ジもハッキリ浮かんだんですよ。なのであの曲が核となって他のいろいろな曲が選ばれていったとこがあったんです。
《「沿志奏逢 3」Release Special 小林武史Interview(前編)(取材 小貫信昭)》


 桜井の『若者のすべて』との出会いはラジオだった。『若者のすべて』の「切なさ」が鍵となったようだ。1970年生まれの桜井はこのとき40歳。音楽家としても生活者ともしても折り返し地点にたどりつく年齢だ。新しい世代のアーティストの楽曲をカバーすることで、ある種の再生、再出発を試みたのかもしれない。
 小林にとっても「本当にいい曲」であり、演奏を通じて「様々なことが共振共鳴し合えるイメージ」があったというのは興味深い。『沿志奏逢3』の楽曲は、『若者のすべて』が核となって選ばれていったというのは貴重な証言である。桜井と小林は、『若者のすべて』の歌詞と楽曲の持つポテンシャルを見抜いた。二人の指摘の通りいやそれ以上に、様々な歌い手によって歌い継がれている。藤井フミヤ、槇原敬之、柴咲コウをはじめとする人気歌手。小林武史自身がプロデュースしたanderlustなど若いアーティスト。そして、クボケンジ、安部コウセイたち、志村正彦の友人や仲間によって大切に歌われている。

 最後にwowowの放送に戻りたい。この映像では観客が一緒に『若者のすべて』を歌うシーンがたくさん挿入されていた。一人ひとりの表情が生き生きとしていた。このフェスに集う人々にとってこの曲は馴染みのものかもしれない。しかしそれでも、ほとんどの観客が声を出して口ずさんだり拍子に合わせて手や体を揺らしたりしている姿を見ると、胸に迫ってくるものがあった。

 志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』は、「人々」によって歌い継がれている。何よりもそのことに心が動かされる。

2018年9月26日水曜日

フジファブリック・奥田民生・綾小路翔(日本テレビ『スッキリ』)[志村正彦LN198]

 今日の甲府盆地は雨に煙り、涼しく、秋めいてきた。富士山は初冠雪だったそうだ。昨日からほのかに金木犀の香りも漂う。

 本日、9月26日、フジファブリックが日本テレビ系『スッキリ』の「HARUNAまとめ」コーナーに出演すると知ったが、あいにく山梨県内の系列局では別番組が放送されていて見ることができない。あきらめていたのだが、夜になって映像サイトにUPされていることに気づいた(感謝)。早速拝見したが、予想よりはるかに丁寧に志村正彦とフジファブリックの軌跡をたどっていた。映像が消えないうちに放送内容をワープロで打ってこのblogに記しておきたい。ネット上のテキストとして記録していくことも「偶景web」の目的である。

 番組はハリセンボンの近藤春菜によるナレーションで進行した。はじめに今年の夏に注目を浴びた『若者のすべて』MVの映像を流し、志村正彦の歌う表情が大きく映し出される。続いて、槇原敬之( Listen To The Music The Live 2014年)、桜井和寿・スガシカオ(ap bank fes 2018年)のライブ映像を紹介し、様々な大物アーティストにカバーされていることを伝えた。春菜さん自身、十年ほど前から大好きになったと述べていた。

 『赤黄色の金木犀』MV、『陽炎』ライブ(渋谷公会堂 2006年)、『虹』ライブ(ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2008年)、『銀河』ライブ(COUNT DOWN JAPAN 0809年 → 富士五湖文化センター 2008年)でフジファブリックの歴史をまとめた後で、春菜さんのナレーションでこう告げられた。

そんなまさにバンドとしてこれからって思っていた矢先
2009年12月24日(テロップ)
ヴォーカル&ギターの志村正彦さんが29歳の若さで急逝

 この後、奥田民生のコメント映像に切り替えられた。(背後に流れたのは志村による『茜色の夕日』、その後、フジフジ富士Qでの奥田の『茜色の夕日』へと変わった)
 よく知られたことだが、志村正彦は奥田民生に大きく影響されて音楽家を目指した。奥田の発言をできるだけ忠実に文字に起こす。


音楽に対してすごい真面目だったでしょうし、曲を作ったりすることを、すごい、なんていうんですかね、楽しんで積極的にやっている印象はあったし、この先というかね、本当は変わっていくところが、変わり始めるタイミングのような気も少ししてたんで、それも見たかったですけどね。

人が減ってね、その当然音が変わるのは当たり前で、その中でまあ新しい曲と昔の曲も交ってますし、昔の曲もね、昔のようにやってるわけではない。もう新しいものになってますから。それもなんかまあ、僕が見る限りすごい自然にこうどちらかが浮くこともなく、なんかこう調和してる気がしますね。違うものになれって言ってるわけじゃないけど、なんかこう変わっていく楽しさみたいなものがね、やっていただければと思います。


 奥田のコメントの後、志村正彦を失った後のフジファブリック、山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一の三人によるフジファブリックに焦点が当てられる。『夜明けのBEAT』(制作の経緯と『モテキ』にも触れて)、『SUPER!!』、『カンヌの休日』、『電光石火』、『手紙』のMVやライブ映像が続いた。
 綾小路翔(氣志團)のコメントもあった。彼は志村のバイト先「東高円寺ロサンゼルスクラブ」の先輩であり、デビュー前からの良き理解者だった。綾小路の発言も文字化する。


世の中にフジファブリックを知らしめた4人のうちの3人が引き継いで、そして今まったく違う新しいものになっていってる、極めて珍しい例だと思うんですよね。そこの妙な感じが俺はフジファブリックの一つの魅力なんじゃないかなというふうに思ってるんですけど。

この間もフェスで久しぶりに一緒になってずっと見てたんですけど、新しいものにもうなってるなって思って、またあの3人になってからの自由さみたいなものも感じて、それまでとはまた全然違うんだな、違う別バンドなんだな、でも、なんか残ってるものは残ってる。だから全部が妙なんですよ。妙ですごくいいっていうか、クセになるっていうか。フジファブリックにしか出せないメロディとグルーヴと存在感っていうのがね、彼らにしかできないほんとone&onlyですよね。


 奥田民生と綾小路翔の表情と声のトーンにリアリティがあった。各々の「キャラクター」ではなく、「人」としての「素」の想いが伝わってきた。(そのことは文字では表せないので、できれば映像をそのまま見ていただきたい)特に奥田の「本当は変わっていくところが、変わり始めるタイミングのような気も少ししてたんで」はいつまでも記憶すべき言葉だ。奥田だからこそ見えていた(奥田にしか見えていなかった)志村の姿がそこにはある。綾小路の「違う別バンドなんだな、でも、なんか残ってるものは残ってる」も正直で的確だ。
 奥田の言う「変わっていく楽しさ」、綾小路の言う「妙ですごくいい」。二人の先輩の言葉は、現在の三人にとってとても有り難いものとなったことだろう。

  最後は『若者のすべて』と新曲『Water Lily Flower』(映画『ここは退屈迎えに来て』主題歌)のスタジオライブ。(ドラムはBOBOさんで4人編成)『若者のすべて』は一部が演奏されただけだが、これまで何度も聴いた山内総一郎ヴァージョンの中では最も良い出来映えだったと思う。山内の歌い方が自然だった。以前より歌詞のニュアンスを生かすことができている。
 来年の15周年企画、新しいミニアルバム『FAB FIVE』に触れ、「天の声」の愉快な喋りも降ってきて、番組は終了した。

 志村正彦のフジファブリック、そして現在のフジファブリック。朝の全国放送の地上波にもかかわらす、18分近い時間をかけて丁寧に構成したことに出演者と番組制作者の愛を感じた。今年の『若者のすべて』の季節の終わりをまさに締めくくる番組だった。


2018年9月20日木曜日

堕落モーションFOLK2 、LOFT HEAVENで。

 昨夜、9月19日、渋谷「LOFT HEAVEN」の『RESPECT vol.2』堕落モーションFOLK2/成山剛のライブに行ってきた。7月にオープンしたこの会場は九つ目のロフトになるそうだ。今はもうない西新宿の「新宿ロフト」が僕のライブハウス体験の原点。ロフトが今でも成長し続けていることを「RESPECT」したい。

 今年の夏はどこにも行けなかったので東京小旅行の気分だった。新宿でランチの後、新宿シネマカリテで『顔たち、ところどころ』(Faces Places)を見た。映画監督アニエス・ヴァルダと写真家でアーティストのJRがフランスの田舎を旅しながら、村々に住む人々の「顔」の大きな写真を貼り出すドキュメンタリー作品。人々の「顔」が、「ところどころ」のその集積がとてつもない「アート」となっていた。難解さや独りよがりなところのないとても愉快な映画だ。固定的なアート観を揺さぶり、覆す力を持つ。

 渋谷に移動。開演まで時間があったので、途中にある「渋谷ヒカリエ」11階の「スカイロビー」へ。お上りさんが文字通りのお上りさんとなる。ここからの展望は建造物がミニチュアのように立ち並んで面白い。丹下健三が設計した国立代々木競技場の特徴ある屋根も見える。ここで開かれたブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドの初来日公演に出かけたことを思いだした。『BORN IN THE U.S.A.』の時代なので、そのパワフルな歌と演奏に圧倒された。調べると1985年4月開催、当時はまだ東京で暮らしていた。色々なことが記憶から遠ざかりつつある。

 六時過ぎに「LOFT HEAVEN」へと歩き始める。地図を見ながらだったが少し迷った。きょろきょろしていると、ビルの合間の夜空に半月が現れた。よく晴れていたのでくっきりと映えて美しかった。
 「LOFT HEAVEN」に無事到着。しばらく待ってから入場。階段を降りていくと、内装のまだ新しい素敵な空間が開けてくる。





 百人ほどの椅子席が用意されていた。落ち着いて音楽を聴くのにふさわしい場だ。僕たちのような年齢になると、こういう感じが嬉しい。
 最初に成山剛の登場。ふわっとしてやわらかく綺麗な声が魅力の歌い手だった。札幌在住ということで、あの地震について触れていた。

 休憩後、堕落モーションFOLK2の登場。オリジナル曲、カバー曲、スパルタローカルズの曲を織り交ぜていた。会場の音響の特性か、安部コウセイの声、伊東真一のギターの音が耳に鋭角的に飛び込んでくる。聴覚の刺激が高まる。生で聴く彼らの歌と演奏は、当然かもしれないが、音源より力強い。

 8曲ほど聴いたところで9時を過ぎていた。渋谷から甲府まで帰るには3時間以上かかる。この日は平日。『完璧な犬』演奏後に僕たちの時間はタイムアウト。残念だが新宿に戻り、帰路につかねばならなかった。
 車窓からはずっと東京の月が見えていた。やがてそれは山梨の月となった。帰宅した時にはもう日が変わっていた。ネットを見るとセットリストを挙げてくれた方がいた。会場を出た直後、『夢の中の夢』が歌われたことを知った。

 この歌については以前このblogに書いたことがある。いつか聴いてみたいとずっと思っていた曲だった。仕方がない。次の機会を待つしかない。そんな風に自分に言い聞かせて眠りについた。この日ライブで『夢の中の夢』を聴くことは夢の中の夢となってしまった。

 今朝起きて、安部コウセイのtwitterで『夢の中の夢』の映像がアップされていることに気づいた。貴重な贈り物だ。映像という形だが記憶に残すことができる。本当に有り難い。早速再生してみた。


  友達は今日も夢の中の夢で
  終わらない音楽 鳴らし続けてる


 この歌の直前までその場、その現実の場にいたのだが、この場、この映像の場にはいなかった。不思議な感じだ。その場とこの場とがねじれて交錯して、夢の中の夢のようだった。



2018年9月16日日曜日

複雑な図柄のファブリック-『陽炎』4[志村正彦LN197]

 今日の甲府盆地は夏の揺り戻しのような天気で気温が三十一度に上がった。この夏の『若者のすべて』熱の余波なのか、最近このblogのページビューも増えている。tweetして紹介していただくこともある。ありがたい。
 今回は、この強い日差しに促されるようにして『陽炎』論に久しぶりに戻ろう。

 『陽炎』3の回で、『FAB BOOK』(角川マガジンズ 2010/06)での志村正彦の発言「田舎の家の風景の中に少年期の僕がいて、その自分を見ている今の自分がいる、みたいな。そういう絵がなんかよく頭に浮かんだんですよね」を引用して、この作品には、「少年期の僕」、「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」、「少年期の僕」と「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」の両方を「絵」として見ている自分、という三つの自分がいると書いた。

 このことに関連するもう一つの証言がある。「oriconstyle」2004年7月14日付の記事(文:井桁学)で志村は次のように語っている。


今の自分が少年時代の自分に出くわすっていう絵が、頭の中あって。そこで回想をして、映画に出てきそうなシーンを書きたいなと思って作りました。


  『FAB BOOK』の「田舎の家の風景の中に少年期の僕がいて、その自分を見ている今の自分がいる、みたいな。そういう絵」からさらに一歩踏み込んで、「今の自分が少年時代の自分に出くわすっていう絵」が頭の中にあったと述べている。今の自分が少年期の自分をただ「見ている」のではなく、「出くわす」のである。現在の自分と少年期の自分、二人の自分が遭遇する。発売当時の資料によると『陽炎』には「ワープ」というテーマがあったようだ。時の隔たりを超えてワープするようにして、現在と過去の自分が遭遇する。「映画に出てきそうなシーン」でもある。そのようなシーンの幻が『陽炎』を創り上げた。

 作者の志村はどう考えて『陽炎』を創作したのか。それに関する作者自身の発言を二つほど紹介した。歌をどのように聴こうが、聴き手の自由である。作者自身の発言に縛られる必要もない。それでも複雑なファブリックのように組織されている志村正彦・フジファブリックの作品の場合、作者の様々な発言がその織り込まれ方を解析する鍵を与えてくれることがある。自由に聴くこと、多様に考えること、その二つは共存できる。

 ここで『陽炎』のミュージックビデオをあらためて視聴したい。歌詞も付記する。
 少年期の自分、現在の自分、その二人の自分を語りあげる自分。三つの自分が絡まり合う複雑な図柄のファブリックとして『陽炎』を聴く。そのように聴くとどのような風景が描かれるだろうか。




 
    『陽炎』(作詞作曲:志村正彦)

  あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
  英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ

  また そうこうしているうち次から次へと浮かんだ
  残像が 胸を締めつける

  隣のノッポに 借りたバットと
  駄菓子屋に ちょっとのお小遣い持って行こう
  さんざん悩んで 時間が経ったら
  雲行きが変わって ポツリと降ってくる
  肩落として帰った

  窓からそっと手を出して
  やんでた雨に気付いて
  慌てて家を飛び出して
  そのうち陽が照りつけて
  遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる

  きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
  きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう

  またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ
  出来事が 胸を締めつける

  窓からそっと手を出して
  やんでた雨に気付いて
  慌てて家を飛び出して
  そのうち陽が照りつけて
  遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる

  陽炎が揺れてる


2018年9月8日土曜日

藤巻亮太ミニライブ in 小瀬

 一週間前になるが、9月1日、小瀬・中銀ズタジアムで開催のヴァンフォーレ甲府vsFC町田ゼルビアの試合前に、藤巻亮太のミニライブがあった。

 先月、藤巻はヴァンフォーレ甲府スペシャルクラブサポーターに就任した。2015年にヴァンフォーレ甲府創立50周年を記念してアンセム「ゆらせ」の作詞・作曲を手がけるなど、甲府との関係は深い。彼自身サッカーが好きでフットサルのチームも率いている。
 今回のライブは、10月7日「山中湖交流プラザきらら」で開催の音楽フェス「Mt.FUJIMAKI」のプロモーションのためだろう。僕もこのイベントに行く予定だが、その前に最近の彼の歌を聴くことができたのは幸運だった。
 
 空がまだ明るい中、アコースティックギターを抱えて登場。試合開始1時間以上前の時間帯で、チーム成績が振るわずに観客がかなり減少していることもあり、特にメインスタンドの観客の入りは淋しかった。本人もちょっと拍子抜けしたかもしれない。
 1曲目はVF甲府アンセム「ゆらせ」。アンセムにしてはかなりテンポが速いこの曲をアコギをかき鳴らして力強く歌った。(選手やサポーターにとって良い声援となったが、試合は完敗だった。審判の不可解な判定もあったが、勝利への執念と貪欲さで町田に負けていた)

 2曲目は「Mt.FUJIMAKI2018」テーマソングの『Summer Swing』。初のライブ演奏だと述べていた。
 「夏の終わり」を感じさせる曲。季節感があふれる歌詞に初期のレミオロメンを思わせるメロディ。スタジアムのPAを使っているので、音の質が悪くて気の毒だったが、そんなことを気にするでもなく堂々と声を大きく上げて歌いきった。ソロになってから試行錯誤が続いているようだが、この日の彼はどこか吹っ切れた様子で、現在の自分をアピールしていた。耳に入り込んできた歌詞の一節を引用する。


   思い出が美しいなんて まるでばかげた蜃気楼


 「ばかげた蜃気楼」という喩えは藤巻らしい言い回しだ。明るい屈折感が言葉の底に漂っている。たとえば志村正彦の描く「蜃気楼」(フジファブリック『蜃気楼』)のような混沌とした暗さはない。陰陽という差異を導入するのなら、陽の「蜃気楼」と陰の「蜃気楼」のような隔たりがあると言えるかもしれない。

 『Summer Swing』のMVがyoutubeで公開されているので紹介したい。





 母校の笛吹高校(正確に言うと彼の母校は石和高校だが、2010年、石和高校と山梨園芸高校が統合されて校名も変わり「山梨県立笛吹高等学校」となった)の終業式での演奏も入っている。山梨のロケーション撮影でいっぱいのミュージックビデオである。

 10月7日が楽しみだ。宮沢和史そして山内総一郎や和田唱と一緒にステージに立つのだろうか。そのとき何を歌うのだろうか。


2018年8月31日金曜日

堕落モーションFOLK2 『若者のすべて』・HINTO『シーズナル』[志村正彦LN196]

 8月の最後の日。暑さはまだ続くだろうが、8月を超えて9月になると「夏」でなくなるような気がするのはなぜだろう。月、暦の上の区切りが、「夏」を終わらせてしまう。

  堕落モーションFOLK2/若者のすべて @ 下北沢Laguna 

という映像が安部コウセイのinstagramに上がっている。

 このライブは8月27日(月)に行われた。夏の最後に近づい日付ゆえにこの歌が選ばれたのだろう。安部は何度か『若者のすべて』を歌っているが、ネット上に公開されたことは初めてだろう。「(すりむいたまま 僕はそっと)歩き出して」から「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」までの1分間ほどの映像だが、安部コウセイの『若者のすべて』の雰囲気がよく伝わってくる。

 視線を落としたうつむき顔なので表情を読みとるのは難しいが、歌詞の言葉の一つ一つをかみしめるように丁寧に歌っている。安部らしいハイトーンの声がのびやかに広がっている。とても素直で力強い歌いぶりが印象に残る。伊東真一のストロークも心地いい。「僕らは変わるかな」のところは安部コウセイならではの声と節が響きわたる。彼にとってのキーワードなのだろう。

 安部の率いる三つのユニットの一つ、HINTOには 『シーズナル』という夏の名曲がある。





 以前この曲について次のように書いたことがある。


 『シーズナル』と『若者のすべて』の間に、描かれる物語の内容でもモチーフの面でも、直接的、間接的な対応関係はないと考えられる。しかし、二つの歌のサビの部分にはある種の共通した雰囲気もある。
 『シーズナル』のサビは三回繰り返される。それぞれの末尾はこうだ。

  めぐってめぐって少しずつ変わって


  愛して憎んで少しだけわかって


  めぐってめぐって少しだけ変わった



 『若者のすべて』の最後の歌詞「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」と、『シーズナル』の「少しずつ変わって」「少しだけわかって」「少しだけ変わった」という展開が、どこかでこだましているのではないかという筆者の感想を記した。何の根拠もない感想にすぎないのだが、言葉がそのように作用してきた。instagramの映像を見てそのことを思い出したので、繰り返しになるがここに書きとめておきたい。

 『若者のすべて』は数々の歌い手によってカバーされている。この作品を歌いこなすのは難しい。技術的な面でも難度は高いが、それ以上に、志村正彦の歌詞の世界を映像として描きだすのが非常に難しい。聴き手の心の中に、『若者のすべて』の世界を一つの短編映画のように上映させなければならないからだ。
 歌い手の側からすると、『若者のすべて』は鏡のような存在でもある。歌い手の心象がそこに写し出されてしまう。カバーの仕方によって質がかなり変化する。逆に、カバーに挑みたくなる作品なのだろう。

 この歌が聴き手にとっても歌い手にとっても愛されている要因かもしれない。

2018年8月27日月曜日

「関ジャム 」作詞・作曲者としてのリスペクトー『若者のすべて』[志村正彦LN195]

 ご覧になられた方が多かっただろう。(と言っても日本国内限定だが。このblogは海外からのアクセスもあるので、視聴不可能な方のために正確に伝達することを心がけたい)
 昨夜8月26日(日)、テレビ朝日「関ジャム 完全燃SHOW」で、フジファブリックの三人と関ジャニ∞の錦戸亮、大倉忠義が『若者のすべて』を演奏した。
 今回は、20~50代100名にアンケートして決めた「世間が選ぶ“夏の終わりソング”ベスト10」特集。「若者のすべて」は第9位になった。

第9位 フジファブリック「若者のすべて」('07)作詞・作曲:志村正彦

という文字情報が映された。歌詞や楽曲に焦点を当てる番組だけに「作詞・作曲:志村正彦」と明示されていた。「若者のすべて」のミュージックビデオが流され、あの寡黙な表情で歌う志村が画面に登場した。
 各作品について、作詞家・音楽プロデューサーのいしわたり淳治[元SUPERCAR]が歌詞を、寺岡呼人[JUN SKY WALKER(S)]が楽曲を分析していた。いしわたり淳治のコメントで画面に文字化されていたものを引用する。


とても具体的な風景描写と主語が無いまま語られる空白だらけの状況説明。それが聴き手の心にポッカリと穴を空けて、夏の終わりの切なさとシンクロしているのが魅力的です。

歌詞に主役となる「君」という言葉がなく 重要な要素がない喪失感を生んでいる


 優れた作詞家らしい的確な分析だった。特に、「君」という言葉がないという指摘は興味深い。確かに、「若者のすべて」には「君」という二人称代名詞は出てこない。登場するのは「僕」と「僕ら」という一人称の単数・複数の代名詞である。このことには必然性がある。そもそも「若者のすべて」には「君」という存在そのものが不在となっている。だから「君」という代名詞の表現がないというよりも、そもそもその代名詞で表象される存在自体がない。すべては、「僕」の独白と「僕ら」の夢想として語られている。
 なお、いしわたり淳次と志村正彦は各々『音楽とことば あの人はどうやって歌詞を書いているのか』 (SPACE SHOWER BOOks – 2013/6/24)で歌詞論を述べていることも付記しておきたい。
 欲を言えば、寺岡呼人は「Golden Circle」で志村と共演しているので、彼による「若者のすべて」楽曲の分析も知りたかった。

 番組最後の時間帯でジャムセッションが行われた。
 山内総一郎(Vo&Gt)・金澤ダイスケ(Key)・加藤慎一(Ba)・錦戸亮(Vo&Gt)・大倉忠義(Dr)・サポートギターの6人編成だ。
 山内は「志村君が作った曲でずっと大切にしている曲なのでこうやって皆さんと一緒にできるのがほんとうに嬉しいです。ありがとうございます。」と発言していた。画面に志村の写真と共に次の文字が映し出された。

志村正彦 フジファブリックのVo&Gtで主に作詞作曲を担当。2009年に他界。

 志村のプロフィールは簡潔ではあるが正確に伝えられていた。
フジファブリックの三人は緊張した様子だった。今、まさにこの番組が伝えているように、「若者のすべて」は「夏の終わり」の代表曲となった。今年はLINEモバイルのCMでも流れている。ある意味でフジファブリックの作品という枠を超えてきている。これまでにない事態が押し寄せてきたので、現メンバーの三人はこの曲を演奏することに責任や重圧を感じているのかもしれない。よい意味でもう少しリラックスして演奏する方がこの曲の複雑なニュアンスが浮かび上がるだろう。関ジャニ∞の錦戸亮・大倉忠義を含めて、皆がこの曲を大切に歌い奏でていた姿には共感したが。

 残念だったのはフルヴァージョンの演奏でなかったことだ。地上波の人気番組ゆえの時間の制約だろう。2番のブロックのすべてと最後のブロックの次の箇所が省略されていた。 


  ないかな ないよな なんてね 思ってた
  まいったな まいったな 話すことに迷うな


 この箇所は、「若者のすべて」物語の展開の上で重要な場面である。15秒ほどの時間で歌えるので、ここだけは欠落させてほしくなかったが。

 最後に「“夏の終わりソング”ベスト10」中9位の「若者のすべて」の前後を挙げてみたい。画面の文字情報をそのまま転記する。

第10位  山下達郎「さよなら夏の日」('91) 作詞・作曲:山下達郎
第 9位  フジファブリック「若者のすべて」('07) 作詞・作曲:志村正彦
第 8位  松任谷由実「Hello,my friend」('94) 作詞・作曲:松任谷由実

 何よりも日本語ロック・ポップスの二人の大家山下達郎・松任谷由実に挟まれてこの順位につけているのは、志村正彦にとって名誉なことだ。とても喜んでいるにちがいない。

 全体を通じて、作詞・作曲者としての志村正彦に対するリスペクトと高い評価があった。この番組の見識だろう。

2018年8月25日土曜日

織物としての「僕」-『陽炎』3[志村正彦LN194]

 今朝は台風が過ぎて日差しが戻ってきて暑い。前回、真夏のピークが去ってと書いたがまだ続くようでもある。真夏のピークが揺れているのだろうか。今回は真夏の歌『陽炎』に戻りたい。

 フジファブリック『陽炎』(詞曲:志村正彦)は2004年7月14日シングル第2弾として発売された。カップリング曲は『NAGISAにて』。「夏盤」のこの二曲の誕生から14年になる。

 『陽炎』はどのように作られたのだろうか。有り難いことに本人によるいくつかの証言が残されている。志村正彦は、アルバム『フジファブリック』についてのBARKSのインタビュー (取材・文:水越真弓)で、『陽炎』の成立についてこう語っている。


「陽炎」は、けっこうすんなりできましたね。この曲を作った翌日に、新曲用の“デモテープ発表会”を控えていて(笑)、「ヤバイ…、新曲がない」って言いいながら夜中に家で一人でピアノを弾いてたんですよ。そしたら、30分くらいでこの曲のメロディが降りてきて、歌詞も同時にスラスラできました。


 残された発言を読む限り、志村は楽曲や歌詞作りにはかなりの時間をかけたはずだ。誰にとってもそうかもしれないが、志村は作品の完成度を高めるための作業を惜しまなかった。『陽炎』のメロディと歌詞が同時に30分位で出来上がったというのはきわめて珍しいことだったろう。「夜中に家で一人でピアノを弾いてた」という具体的な状況も興味深い。

 『FAB BOOK』(角川マガジンズ 2010/06)ではこう述べている。『陽炎』の物語の枠組や根本的なモチーフを解き明かす貴重な発言である。


僕の中で夢なのか現実なのかわかんないですけど、田舎の家の風景の中に少年期の僕がいて、その自分を見ている今の自分がいる、みたいな。そういう絵がなんかよく頭に浮かんだんですよね。それを参考にして書いたというか、そういう曲を書きたいなと思ってて、書いたのがこの曲なんです。


 「少年期の僕」と「その自分を見ている今の自分」、二人の自分がいる。過去の自分と現在の自分。見られている自分と見ている自分。時間の差異と能動受動の差異によって二人の自分が存在しているわけだが、ここで重要なのは、その二人の自分を「絵」として頭に浮かべているもう一人の自分、第三の自分がいることだ。
 そうなるとここには、①「少年期の僕」、②「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」、③「少年期の僕」と「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」の両方を「絵」として見ている自分、という①②③の三人の自分「僕」がいることになる。

 かなり前になるが、次のように書いたことがある。【《作者》《話者》《人物》としての「僕」 (「志村正彦LN 7」)2013年3月24日】

語る「僕」のことを《話者》としての「僕」、語られる「僕」つまり作中人物としての「僕」のことを《人物》としの「僕」、時には《主体》としての「僕」と呼ぶことにしたい。さらに付け加えると、《話者》としての「僕」、《人物》としての「僕」の背後に、この歌を創造した《作者》としての「僕」つまり志村正彦という現実の作者、歌い手が存在している。

 この枠組に基づいて整理してみたい。
 『陽炎』の場合、「少年期の僕」、「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」、の二人が作中に登場する。「僕」という人物、主体が二人設定されていることになる。この「僕」は過去と現在という時間を隔てた同一の人物、主体ではあるが。そして、その二人の「僕」を「絵」として見ていて物語として語っていくのが、《話者》としての「僕」である。《主体》としての二人の「僕」(①②)、《話者》としての「僕」(③)。ここまでで三人の「僕」が存在することになる。さらに、その三つに分化した「僕」を統合統率するのが《作者》志村正彦である。

 文学研究的な語彙が堅苦しいかもしれないので、フジファブリックにちなんで「ファブリック」「織物」の喩えを用いてみよう。
 「少年期の僕」を縦糸、「少年期の僕を見ている今の自分」を横糸とする二つの糸がそれぞれ、《主体》としての「僕」である。その二つの糸を織り上げていくのが、《話者》としての「僕」である。《話者》の「僕」が、縦糸と横糸の「僕」を織り込んで、絵や図柄という形にしていく。《話者》は織り人であり、美しい織物に仕上げていく。そのようにして、《作者》の志村正彦は一つのファブリックのデザインを創造する。

 もちろん、志村はこの作品を30分位で仕上げたと述べているように、このような過程のすべてを意識的に行ったのではないだろう。身につけた技術や分析の力を活かすことがあるにせよ、詩人の創造は半ばは無意識的である。「降りてきて」「スラスラ」と述べていることがそのことを示している。

 無意識は、言葉、記憶、感覚、映像の断片が複雑に織り込まれている。睡眠中に見る夢は無意識の形成物の代表である。詩人の場合、時に直観的に時に瞬時に、自らの無意識という織物を作品という織物に変換することができる。詩は覚醒状態の夢、無意識の形成物であるともいえる。だからこそ逆の作用によって、詩は読者の無意識に働きかける。

 志村正彦・フジファブリックの『陽炎』もまた、聴き手の無意識に強く作用してくる。陽炎が揺れ、無意識が揺れる。



2018年8月19日日曜日

真夏のピークが去って、VF甲府 [志村正彦LN193]

 一昨日、真夏のピークが去ったようだ。
 まだ暑いのは暑いのだが、朝晩に吹く風は秋風を想わせる。湿気も少なくなり過ごしやすくなった。LINEモバイルのCM効果でフジファブリック『若者のすべて』は依然として話題となっている。ついにNHKの気象予報士のコメントにも「真夏のピークが去った」が使われたそうだ。志村正彦が作ったこの表現はもはや「真夏」に関わる言い回しとして日本語に定着してきたのかもしれない。天気予報士ではなく気象予報士という呼び方に変わってしまったのが残念だが。「気象」は科学的な語彙であり、生活の実感としては「天気」の方がしっくりする。

 今回、『陽炎』論は一休みさせていただく。昨日のヴァンフォーレ甲府の試合について触れてみたい。前回VF甲府について書いたのは2016年11月、J1残留を決めた時だった。あれから2年近く経つが、この間、2017年度にJ1降格、今年2018年度からJ2で闘っている。
 昨夜の相手は愛媛FC。前半14分、カウンター攻撃から失点。ポスト直撃など何度か決定機を作ったが得点はなかった。
 前半終了近く、西の空は青色を残し、雲は茜色に染められていた。メインスタンドの向こう側に見えるのは南アルプスの連山。VF甲府のシンボルカラー「青赤」そのままの夕景だった。後半に期待した。



 後半、新加入の選手を使ったが機能しない。結局、0:1で負けてしまった。結局、試合の方は夕景とは違い「青赤」は輝けなかった。
 このところ前半早々の失点が続く。堅守速攻というJ1時代のイメージはもうない。攻撃の形を作ることはできるのだが、最後まで押し込めない。中途半端に終わってカウンターを受ける。同じことの繰り返し。全体として、試合のコントロールができていない。事前の分析・対策、ゲームプランを練り上げているのだろうか。
 現在14位。勝点は37、自動昇格圏2位チームとの差が16、プレーオフ進出圏6位チームとの差が9ある。残り試合は13しかないので、J1昇格はきわめて難しくなったと言わざるをえない。観客数もこのところ減少、今後さらに少なくなっていくだろう。

 2005年12月のJ1初昇格決定から13年、降格したり昇格したりの年月だったが、全体としてはまずまず順調な歴史を送ってきたと言えるだろう。しかし、今回の降格はこれまでとはどこか異なる。サポーターとしての予感のようなものだが、これからは厳しい時代が続く気がする。チームにもサポーターにも疲れというのか諦めのようなものがある。
 何度か引用したが、志村正彦は2009年12月5日付の日記に「甲府がJ1に上がった日は嬉しくて乾杯したな、そういやあ。」と書いてくれた。残念だが、2005年度の昇格以来ずっと持続していたVF甲府のピークがついに去っていくのかもしれない。

 1999年のJ2加入から20年が経った。最大の問題点は自前の(完全に専用の)練習場もクラブハウスも建設できなかったことにある。未だに借り物の大学グラウンドが主な練習場であり、練習後にケアできる施設やクラブハウスがない。メディカルなチェックも不十分になる。実質的に怪我人が多い原因であるのは間違いない。選手やサポーター・ファンにとって本当の意味での「場」がないのだ。
 財政的に厳しいのは分かるが、運営会社は少なくとも中長期計画は作成しなければならないはずだ。しかし、その準備をしてきたかどうかは大いに疑問である。チームだけでなく会社を含めての全体的な成長と発展が求められているのに、その姿が見えないことに多くのサポーターは失望している。山梨という地域に根ざしているのだから、もっと自らの方向性やビジョンを公に発表し、ファンやサポーター、地域の人々と対話して、この状況を打開していく必要がある。


 ハーフタイムで印象深い出来事があった。
 アウェイ側ゴール裏の巨大モニターに、藤巻亮太主催のイベント「富士山世界文化遺産登録5周年記念 Mt.FUJIMAKI 2018」(10月7日(日)、山梨県・山中湖交流プラザきらら)のCMが流された。

「Mt.FUJIMAKI 2018」公式webから

 主催は、藤巻亮太(最近事務所から独立したので個人としてのプロジェクトなのだろう)、山中湖村、(株)テレビ山梨、FM FUJI。出演は、ASIAN KUNG-FU GENERATION、浜崎貴司(FLYING KIDS)、宮沢和史、山内総一郎(フジファブリック)、和田 唱(TRICERATOPS)。記憶をたどってみたが、この種のイベントのCMが流れたことは一度もないはずだ。最近、藤巻亮太はヴァンフォーレ甲府スペシャルクラブサポーターに就任した。9月1日(土)のFC町田ゼルビア戦でミニライブ(16:45頃~17:05頃)が行われる。「皆さまと一緒にヴァンフォーレ甲府を応援し、山梨の魅力を発信していきたいと思います。サポーターの力で、チームを盛り上げ、J1を目指していきましょう!」というコメントも寄せている。クラブとの関係や「富士山世界文化遺産登録5周年記念」という趣旨から異例の扱いになったのかもしれない。

 一瞬だが、小瀬・中銀スタジアムのスクリーンに、山内総一郎の顔が大きく映ったことには感慨を覚えた。フジファブリックの現フロントマンということで参加することになったのだろうが、志村正彦が存命であれば当然、彼が、あるいは彼のフジファブリックが出演したはずだ。さらに言えば、甲府の宮沢和史(ザ・ブーム)、御坂の藤巻亮太(レミオロメン)、吉田の志村正彦(フジファブリック)という山梨の誇るロック音楽家が集うイベントになったことだろう。それは真夏の夜の夢のように消えてしまったが。「途切れた夢の続きをとり戻したくなって」(『若者のすべて』)という一節も浮かんできた。だが、取り戻すことはできない。

 ハーフタイムの最後に花火が上がった。花火大会に行く習慣がないので、毎年このスタジアムで夏の打ち上げ花火を見ている。


 最後の最後の花火が落下してくる。途切れた夢のように儚い。

2018年8月11日土曜日

喪失を喪失のままに-『陽炎』2[志村正彦LN192]

  幸いなことに次第に回復して、7月中旬職場に復帰した。後遺症は残ったが仕事は可能だった。激務のルーティーンに舞い戻ることになった。そして、フジファブリックのCD・DVD、関連書籍を集め出した。熱心なファンになっていった。

 翌年の2011年、あることを契機に国語の授業で取り上げるようになった。志村正彦・フジファブリックの作品は生徒の心に強く作用した。言葉を生み出した。その試みが『山梨日日新聞』の文化欄に掲載され、その年の12月、富士吉田で開催された志村正彦展で生徒の文が展示された。
 その際に、授業の試みの概要と僕自身の志村正彦論を書くことにした。どういう視点で迫ろうか考えあぐねたが、『陽炎』の歌詞から「喪失」というモチーフが浮かんだ時に、言葉が動き出した。「志村正彦の夏」という題をつけた短いエッセイ。結局、この文がすべての始まりとなった。「偶景web」の原点とも言える。以前一度掲載したが、『陽炎』論の出発でもあるので該当箇所を再び引用したい。



 夏の記憶の織物は、フジファブリックの作品となって、ここ十年の間、私たちに贈られてきた。なかでも『陽炎』は志村にしか表現しえない世界を確立した歌である。

  あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
  英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ  (『陽炎』)

 夏は、想いの季節である。夏そのものが私たちに何かを想起させる。「街並」「路地裏」という場。「英雄」、幼少時代の光景。楽しかったり、寂しかったりした記憶が「次から次へ」と浮かんでくる。
 夏は、ざわめきの季節でもある。人も、物も、風景も、時もざわめく。「陽」が「照りつけ」ると共に、何かが動き出す。そのとき、「陽炎」が揺れる。

  窓からそっと手を出して
  やんでた雨に気付いて
  慌てて家を飛び出して
  そのうち陽が照りつけて
  遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる   (同)

 『陽炎』はここで転調し、詩人の現在に焦点があてられる。

   きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
   きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう

   またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ

   出来事が胸を締めつける          (同)  

 今では「無くなったもの」とは何か。特定の他者なのか。風景なのか。十代や青春という時間なのか。あるいは、過去の詩人そのものなのか。そのすべてであり、すべてでないような、つねにすでに失われている何かが「無くなったもの」ではないのか、などと囁いてみたくなる。

 喪失という主題は青春の詩によく現れるが、大半は、失ったものへの想いというより、失ったものを悲しむ自分への想いに重心が置かれる。凡庸な詩人の場合、喪失感は自己愛的な憐憫に収束するが、志村の場合は異なる。
 彼の詩には、そのような自己憐憫とは切り離された、失ったものそのものへの深い愛情と、失ったものへ、時に遠ざかり、時に近づいていく、抑制された衝動がある。そして、喪失を喪失のままに、むしろ喪失を生きなおすように、喪失を詩に刻んでいった。それは彼の強固な意志と自恃に支えられていたが、「胸を締めつける」ような過酷な歩みでもあった。



 七年近く前に書いたこのエッセイは、ごく短い作者論、「志村正彦論」としてまとめたものだ。当時は、フジファブリックの作品全体を考察できるほど聞きこんではいなかった。思い返すと、「無くなったもの」を「つねにすでに失われている何か」と捉えることによって論理を形成することができた。いかにも現代思想的な論点であり、若干の気恥ずかしさを感じるが。それでも、論理だけでなく、作品から受けた印象や触発された感覚を織り交ぜることも追求した。

 何かが、すでに、意識されることもない過去において失われている。その何かは、常に、現在においてそして未来においても、失われ続けている。その喪失は自己憐憫的な凡庸なものではない。
 志村の歌詞には「失ったものそのもの」という他なるものへの愛が貫かれている。それと共にあるいはそれに反して、「失ったものへ、時に遠ざかり、時に近づいていく、抑制された衝動」と形容した、衝動や欲動の律動がフジファブリックのリズムに込められている。抽象的で明解でないが、このように展開するのが精一杯だった。

 「喪失を喪失のままに」という表現はふっと自然に浮かんできた。そのような覚えがある。多分に直観的な把握だが、僕の志村論の原点となるモチーフがここに現れている。
 今回の連載は歌詞の丁寧な分析や資料の参照によって、当時の思考をあらためて省察していきたい。

2018年8月5日日曜日

出会い-『陽炎』1[志村正彦LN191]

 この夏は、『NAGISAにて』そして『虹』、『若者のすべて』と志村正彦・フジファブリックの「夏」に関わる作品について書き続けてきた。『虹』は映画『虹色デイズ』のオープニング曲、『若者のすべて』はLINEモバイルのCM「虹篇」のCMソングとして使われたことに触発された。今回から『NAGISAにて』の際に少し触れた『陽炎』を取り上げたい。『NAGISAにて』、『虹』、『若者のすべて』はどの曲も夏(それは初夏であったり晩夏であったりするが)を舞台とする作品ではあるが、夏(それも真夏、盛夏)そのものの季節の感覚を強く表している作品としてはやはり『陽炎』が筆頭であろう。

 僕と志村正彦・フジファブリックとの出会いについてはこのblogでほとんど触れたことはなかったが、『陽炎』が出会いの曲だった。その経緯を少し語らせていただきたい。

 2010年のことだ。僕はそれなりに難しい病気にかかり、四月に東京の病院で手術を受けた。一月ほどして退院し甲府に戻り療養生活に入った。安静状態で回復を待たなければならなかった。外出は禁止だったので三ヶ月近く自宅に閉じこもることになった。回復が順調にいくのか、職場に無事復帰できるのか、不安な日々を送っていた。寝ているだけで何もしないのも苦痛なので、読書をしたり映画を見たりしていたが、それもすぐに疲れてしまう。結局、音楽好きだったのでCSの「スペースシャワーTV」「MUSIC ON! TV」「MTV」などの音楽番組を見ることが多くなった。BGMのように流すこともできた。

 六月頃だったろうか。複数の音楽専門局で集中的にフジファブリックの映像が流されたり特集番組が放送されたりしていた。当時は分からなかったが、七月に富士急ハイランドで開催の「フジフジ富士Q」のプロ-モーションと志村正彦の追悼の意味があったのだろう。同じ頃、地元紙の山梨日日新聞の「志村正彦『富士』に還る」という連載記事もあった。これらの音楽番組と新聞記事によって、僕は志村正彦・フジファブリックに出会うことになった。

 フジファブリックの代表曲のミュージックビデオはどれも素晴らしいものであった。中でも圧倒的な印象を受けたのは『陽炎』MVだった。真夏の季節。檸檬色のシャツの女性が彷徨う。街中の路地裏。二匹の野良猫。通り雨。時計の針の逆転。流れる雲と空。部屋のカーテンの向こう側の海辺の光景。落下する時計。映像が歌詞の説明でないところもよかった。暗い眼差しの青年が自らの表情を隠すようにして歌い続けている姿に何よりも惹かれた。






 MVを録画して繰り返し聴くと、独特なグルーブのサウンドに連れられて、『陽炎』の物語世界に自分自身が入り込んでいくような気がした。歌詞をたどると、複雑で陰影に富んだ世界が刻み込まれていた。記憶や知識の中にある日本語ロックの世界に類似した作品はなかった。真に独創的な音楽を富士吉田出身の青年が作り出していたことに感銘を覚えた。それと共に、なぜこれまでフジファブリックの存在を知らなかったのだろうかと後悔した。(正確に言うと、そのバンドの名前は知っていたが音源に接することはなかった、ということだが)志村正彦はその前年の十二月に亡くなっていた。

 それでも、あの時期に自宅で療養をしていなかったら、フジファブリックと出会うことはなかったかもしれない。少なくともその出会いはもっと遅くなっただろう。今振り返ると、病気療養中の不安な日々と『陽炎』の底に流れる不安な心象がどこかでつながれていた気がする。


2018年7月31日火曜日

LINEモバイルWEB限定CM 30秒ver.-『若者のすべて』[志村正彦LN190]

  前回の記事から二日、珍しく読み込みが多く、筆者として嬉しい。今日で七月が終わる。猛暑が続くが、これから「真夏のピーク」がやってくるのだろうか。季節の感覚が揺らぐ夏だ。

 今夜、『若者のすべて』関連のtweetを検索すると、再度、LINE取締役CSMOの舛田淳氏の次の呟きを見つけた。


   舛田淳 Jun Masuda @masujun
皆様からの反響を見ているうちに製作陣の想いが溢れ出してしまい、新たに30秒Verも作ってしまいました。 どうぞご覧ください。


 「30秒Ver」!
 皆の反響が制作者の想いを溢れ出させたとはなんということだろうか。
 早速、youtubeを見ると、《【WEB限定】LINEモバイル: TVCM 〜 虹篇 〜 30秒ver. 2018/7/26(木)より放送のTVCM『虹篇』 フジファブリックの楽曲「若者のすべて」と、のんさんの演技が反響をいただいているため、WEB限定で少しだけ長い特別篇を公開いたしました!》という詞書きがあり、次の映像が公開されていた。




 「30秒ver」では次の部分の歌詞までが流されている。


  最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな

  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて(浮かべているよ)


 「15秒ver」では断片的だった歌詞が、「30秒ver」になってようやく『若者のすべて』としてのまとまりを得た。この歌詞を支えているのは次の四つの文節である。この箇所がないと、この歌の実質が失われてしまう。


   ないかな
   ないよな
   きっとね
  いないよな


 「な」の音が六回繰り返されている。「な」の響きが「(い)ない」という意味を押し出すようにして、何かの不在を描き出している。
 CM映像は「のん」ちゃんが、音としては聞こえない台詞を話している。不在の台詞の背後で、「ないかな ないよな きっとね いないよな」という不在を伝達する志村正彦の声が響いている。「のん」という女優名があたかも「non」、否定、不在の刻印を帯びているようでもある。

 そのような分析はやはり、ない、のだろうが。

2018年7月29日日曜日

2018年の夏-『若者のすべて』[志村正彦LN189]

 LINEモバイルのCM「虹篇」のCMソングとして、フジファブリック『若者のすべて』が使われたことはネットの世界でかなりの反響を呼んでいる。特にテレビで思いがけなく志村正彦の声が聞こえてきた人にとっては、驚き、喜び、そして不意打ちのようにしてもたらされた哀しみなど様々な感情が去来したようだ。このような形で使われることに対する反発もあった。曲とCMの内容に齟齬があるのではないかという指摘もあった。それでも、『若者のすべて』が傑出した作品であることについては皆が同意しているようだ。

 筆者としては、作品としての素晴らしさとは別次元のこととして、なぜこの曲が選択されたのかを考えた。CMソングによくあるタイアップではなく、しかも、フジファブリックは今も活動しているが、九年前に亡くなった志村の声によるオリジナル音源を採用した経緯はどのようなものであったのか。このような問いは問いのまま終わることが多いのだが、このCMのスポンサーであるLINE株式会社取締役CSMOの舛田淳氏自身のtwitter(@masujun 7月26日)が、その問いに対する答えをある程度まで明らかにしてくれた。


今回のcmは企画から完成まで大難産。最後の最後まで今までで一番悩んだかもしれない。楽曲も悩みに悩んでの「若者のすべて」。だからこそ、tweetでの皆さんのたくさんのポジティブな評価が嬉しい。300円、300円... 。


 CSMOという役職は、企画・企業戦略・マーケティングに関する全てを統括する責任者のようだ。その職に就いている最高責任者自身が『若者のすべて』採用の経緯を率直に吐露しているのは珍しい。twitterというフラットなコミュニケーションの文化がそういう状況を切り開いたのだろうが。

 発言を読む限り、かなりの悩み、困難や試行錯誤の過程を経た上での志村の歌の採用だったようだ。ネットの情報によると、舛田淳氏は1977年生まれ、高校中退後に大検を経て早稲田に進み、LINEをここまで成長させた経営者らしい。経歴もベンチャー起業家としての実績もとてもユニークだ。「愛と革新」というLINEモバイルのキーワードも秀逸だ。なるほど。このような人物だからこそ、『若者のすべて』はこの2018年の夏の季節に日本全国に流されることになったのであろう。

 そんなことを考えていた昨日の午後、小袋成彬(おぶくろなりあき)という未知の音楽家が「フジロックフェスティバル '18」のRED MARQUEEステージで『若者のすべて』を歌ったことを知った。幸いなことに、この日のライブはyoutubeの「FUJI ROCK FESTIVAL '18 LIVE Sunday Channel 2」で中継されていた。LIVE映像を過去に巻き戻して、小袋成彬のステージを見ることができた。本人とギター、ベースの三人編成で『若者のすべて』の一番が演奏された。小袋の声はファルセットボイス。透き通るように広がっていく。この歌が新しい世代の音楽家たちにも愛されているのがとても嬉しい。
 ただし、「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて、のところを、「運命」なんて便利な言葉でぼんやりさせて、と歌ったのには疑問符が付く。おそらく間違いだったのだろうが、意図的だったとするなら、ここは「言葉」ではなく「もの」でなければならないと書いておきたい。それこそ、歌詞をぼんやりさせてしまう。

 振り返ると、このblogで『若者のすべて』について書き始めたのは2013年3月、それから五年半近くの年月が経っている。この歌に強く惹かれて、通番を付さないものも含めると今回で計34回も書いたことになる。あの当時もこの作品は志村正彦・フジファブリックの代表曲、2000年代の日本語ロックの傑作という評価はあった。その後、優れた歌い手によって何度もカバーされ、幾つものテレビ番組やドラマ・アニメの挿入歌にもなってきた。
 そして2018年の夏、CMソングとして大量にオンエアされている。この五年半の間、より多くの人々に届けられるようになった。

 『若者のすべて』は、繊細な季節感と新しい叙情の表現、この時代の若者の複雑な陰影の描写、「僕」と「僕ら」による語りの重層性によって、希有な作品となっている。「日本語ロック」という枠組みを超えて、「日本の歌」「夏の叙情詩」というより大きな世界で揺るぎない評価を受け、愛されるようになった。今、そのような「運命」を生きている。

2018年7月26日木曜日

LINEモバイルのCMソング-『若者のすべて』[志村正彦LN188]

   今日からフジファブリック『若者のすべて』(詞・曲:志村正彦)がLINEモバイルのCM「虹篇」のCMソングとして放送されることをネットで知った。
 テレビの民放局を選んでそれとなく見ていたところ、午後11時少し前に確かにオンエアされているのに遭遇した。志村正彦の声が聞こえてきた瞬間、なんだか感情が動くというよりも固まってしまった。少ししてから、この歌が愛されていることを実感した。

  youtubeにある公式映像をここに添付しておきたい。




 「最後の花火に」志村の声が綺麗に響きはじめる。
 雨の中、のん(能年玲奈)ちゃんが雨具を着て、「300円 今ならスマホ代月300円から 300円 LINEモバイル」という声とナレーションが入る。背景に虹が浮かび上がる。「愛と革新。LINE MOBILE」という画面で終わる。(「愛と革新」か、なかなか攻めてるな)
 15秒間で流れたのは「最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してし(まうな)」という箇所だった。

 三月まで在職していた高校は、今勤務している大学と高大連携の講座をここ七年ほど続けている。今年は自然ななりゆきで僕も担当することになり、一週間ほど前、高大連携の小論文の授業を行った。前半は論理的な思考のレッスン、後半は『若者のすべて』を聴いて三つの観点を自由に設定して考察するという課題を出した。思考は何かに遭遇して心が動かされることからも始まる。単なる論理の操作ではないことを学んでほしかった。

 プロジェクターで映像が流れた瞬間、120人ほどの受講生はすっと静かになり、言葉と音に耳を傾けていた。この曲にはある種の鎮静作用があるようで、その場を静かに穏やかに包み込む。各々、配布したワークシートに言葉を記していた。この歌には聴く者の感覚と思考を触発させる力がある。そのことを今回も再確認した。

 真夏のピークの只中の季節、『若者のすべて』が人々のすべての夏に届いていきますように。そんなことを思い浮かべている。


2018年7月16日月曜日

世界が笑う-『虹』と『虹色デイズ』2[志村正彦LN187]

 『虹色デイズ』では、冒頭シーンの『虹』に加えてもう一曲、フジファブリック『バウムクーヘン』(詞・曲:志村正彦)が球技大会の場面で使われている。
 飯塚健監督がフジファブリックの二曲を使用した経緯や理由を語ったインタビューが「ナタリー」に掲載されている。(取材・文 / 中野明子) 

 「虹」を使用した理由については「撮っている中でフジファブリックの「虹」は合いそうだというのが直感的にあって、現場でずっと聴いてたんです」と述べている。監督には最初から強い「直感」があったようだ。現場でずっと聴き続けていたせいか、結果として、この『虹』のリズムが映画全編を通して響き続けているようにも思える。
 また、『バウムクーヘン』の採用経緯についてはこう語っている。

ちょうど合うシーンとして球技大会の場面があって。セリフが一番大事なシーンではないので、ここだったらかけられるかもってなったんです。オープニングのプールに飛び込むシーンとつながる部分でもあるので、もう1回「虹」をかける案もあったんです。でも、逆にハマりすぎて「これはダメだ。主題歌になる」っていう理由でやめて。

 さらに、「同じ曲が2回映画の中で使用されると、曲の存在感がかなり強くなりますよね」という取材者の発言に対して「そうなんです。ただ、オープニングとのつながりがあるシーンなので、フジファブリックの曲からチョイスさせていただこうと」と述べている。

 フジファブリックの曲は「主題歌」という扱いではないという制約あったのだろう。『虹』を二回使うと「ハマりすぎて」主題歌になってしまう。それを避けるために『バウムクーヘン』が使われたというのは興味深い。
 球技大会自体の性格どおり、この場面自体は物語の展開の余白のような部分だ。だから、志村正彦の歌詞を物語の説明として機能させているわけではない。ただしそれでも、「何をいったいどうしてなんだろう/すべてなんだか噛み合わない/誰か僕の心の中を見て 見て 見て 見て 見て」というあたりは、作中の高校生たちの「心の中」を描写しているようにも見える。この場面を境に、物語は前半から後半へと転換していくところでもある。

 『虹色デイズ』全体の音楽は海田庄吾、エンディング・テーマ『ワンダーラスト』は降谷建志、挿入曲はフジファブリックの他に阿部真央・Leola・SUPER BEAVERが担当している。それぞれ素晴らしい作品だった。オープニング曲は映画への導入としてきわめて重要なものだ。ビジネスという面では現在活躍中のアーティストを使用したり、タイアップ曲として連携したりするのが通常にもかかわらず、飯塚監督は志村の作品を選択した。志村の言葉と楽曲にそれだけの力があったということだろう。力のある作品は決して滅びない。

 このblogで繰り返し書いてきたことだが、志村の作品は映画やドラマとの親和性が高い。『蜃気楼』『蒼い鳥』のような映画のエンディングテーマ曲の他にも、『茜色の夕日』『若者のすべて』などドラマの挿入歌として使われた例もある。志村の作品は本質的に声と音で構成されたショートフィルムでもあると筆者は考えている。

 ラストシーン。登場人物たちの向こう側の空に虹が映し出される。まさにここで『虹』が流れてほしい、「虹が空で曲がってる」という詞が歌われてほしいという瞬間なのだが、当然そうはならない。そうなるとエンディング・テーマと被ってしまうのだろう。そのような事情をうけとめながら、筆者は心の中のスクリーンで『虹』を響かせていた。


  言わなくてもいいことを言いたい
  まわる!世界が笑う!


 特に末尾の「世界が笑う!」がこのラストシーンの高校生たちを祝福する言葉のように聞こえてきた。虹が笑う。高校生が笑う。虹も高校生も笑うようにして、この瞬間のこの世界を肯定している。

 飯塚健監督は「誰もが経験したことがあるような記憶を観ている人が照らし合わせる」映画となるように『虹色デイズ』を制作したと述べている。例えば志村正彦の歌う「世界が笑う」ような経験を、僕たちはおそらく中学生や高校生の時代に体験しているのだろう。その記憶はどこかにしまわれている。でも映画や音楽に触れることで回帰してくることもある。そんな想いがかけめぐった。

2018年7月10日火曜日

世界が揺れる-『虹』と『虹色デイズ』1[志村正彦LN186]

 週末雨上がった日曜日。映画『虹色デイズ』(監督・飯塚健)を見た。上映館は「イオンモール甲府昭和」にあるシネコン「TOHOシネマズ 甲府」。甲府市内と郊外に二つしかない山梨の常設映画館の一つだ。日曜日の昼間という時間帯なので観客は中学生か高校生くらいの女子が多かった。上映前に楽しそうにおしゃべりをしているのが微笑ましかった。

 冒頭でフジファブリック『虹』(詞・曲:志村正彦)が流れる。二分半ほどの間、志村の声が場内に響いた。
 四人の男子高校生がプールに飛び込む場面に続いて、主人公的役割の「なっちゃん」(佐野玲於)が「杏奈」(吉川愛)と駅で偶然を装って出会うために自転車のペダルを全力で漕ぐ。ドローン撮影のカメラが彼を追いかける。このカメラワークと『虹』の曲調が不思議なほど合っている。『虹』の歌詞が持つ疾走感、滑空感とでもいうべきものが映画のリズムを加速させている。「杏奈」は電車通学。駅で二人が視線を交わす場面で曲は終わり、一休止して物語が始まる。

 有り難いことに、この冒頭シーンが「映画『虹色デイズ』 フジファブリック「虹」が男子たちの青春を彩る!本編オープニング映像」と題して公式の「松竹チャンネル」でまるごと公開されているので紹介したい。参照するために映像挿入分の歌詞を引用しておく。





  週末 雨上がって 虹が空で曲がってる
  グライダー乗って
  飛んでみたいと考えている
  調子に乗ってなんか
  口笛を吹いたりしている
  週末 雨上がって 街が生まれ変わってく
  紫外線 波になって
  街に降り注いでいる
  不安になった僕は君の事を考えている

  遠く彼方へ 鳴らしてみたい
  響け!世界が揺れる!
  言わなくてもいいことを言いたい
  まわる!世界が笑う!

  【省略部分】

  週末 雨上がって 街が生まれ変わってく
  グライダーなんてよして
  夢はサンダーバードで
  ニュージャージーを越えて
  オゾンの穴を通り抜けたい

  遠く彼方へ 鳴らしてみたい
  響け!世界が揺れる!
  言わなくてもいいことを言いたい
  まわる!世界が笑う!

  【省略部分】

 飯塚監督は映像と音楽のタイミングの調整に万全を図ったのだろう。まるでこの映像のために志村が作曲したかのような出来映えだ。例えば「不安になった僕は君の事を考えている」のところ。ほんの一瞬だが二度ほど車中の「杏奈」の映像が挟み込まれる。「僕」と「君」、そして「不安」。歌詞の展開を考えて映像を編集したのだと思われる。

 省略されたのは、「週末 雨上がって 虹が空で曲がってる/こんな日にはちょっと遠くまで行きたくなる/缶コーヒー潰して/足をとうとう踏み出す」と「もう空が持ち上がる」の二カ所、そして繰り返し部分だ。モチーフ的に合わない部分が省かれたのかもしれない。全体的な印象としては『虹』の歌詞全体が使われている感じだ。

 ネタバレになるのでストーリーの内容については言及しない。原作は水野美波の漫画。『別冊マーガレット』連載の少女コミックなので、主要人物の女子三人の描き方がなかなか秀逸だった。男子四人の言動は愉快だが、女子三人(一人加えて女子四人とした方がいいかもしれないが)の物語も興味深い。女子の内面に焦点が当てられた「女子映画」としても優れている。

 『虹』は梅雨が明けきらない季節、初夏の季節を舞台としているのだろうが、この歌詞にも『NAGISAにて』『陽炎』と同様に「揺れる」が登場する。


  遠く彼方へ 鳴らしてみたい
  響け!世界が揺れる!


 『虹』の「響け!世界が揺れる!」という志村の声に揺さぶられるようにして、『虹色デイズ』の高校生の恋物語は揺れていく。その揺れる感じがなんだか懐かしくて愛おしい。

 今日7月10日は志村正彦の誕生日。夏に生まれた彼は「揺れる」夏の歌をいくつも作った。「陽炎」が揺れ、「二人」が揺れ、「世界」が揺れる。

  (この項続く)

2018年7月7日土曜日

夏の歌が揺れてる-『NAGISAにて』3[志村正彦LN185]

 七夕の日。この夏もまた今夕から富士吉田でフジファブリックの『若者のすべて』が流れる。「真夏のピークが去った」頃の歌だが、富士北麓の夏は短い。この歌の季節感と共に夏が開けていくのも富士吉田らしいのかもしれない。

 『NAGISAにて』は、春夏秋冬シリーズの2ndシングル「夏盤」、『陽炎』のカップリング曲としてリリースされた。『NAGISAにて』と『陽炎』の二曲は物語の世界や曲調がかなり異なるが、「夏盤」としての共通項がある。

 志村正彦は発売時の「oriconstyle」のインタビュー記事で、『陽炎』について「今の自分が少年時代の自分に出くわすっていう絵が、頭の中あって。そこで回想をして、映画に出てきそうなシーンを書きたいなと思って作りました。」と述べている。また、『NAGISAにて』に関して「この曲も、『陽炎』の延長線上にあります。歌詞のテーマは、ドラマの一場面にありそうな、男女関係のコテコテを出したかったんです。」と言及している。

 季節は共に夏。舞台は『陽炎』が故郷の街、『NAGISAにて』が渚。『陽炎』では「今の自分」が「少年時代の自分」に、『NAGISAにて』では「男」が「女」に出会う。二つの物語は「映画に出てきそうなシーン」「ドラマの一場面」というように幾分か虚構化されている。

 『FAB BOOK―フジファブリック』(角川マガジンズ 2010/06)で、志村は『陽炎』に言及し「東京に来てからは、夏の思い出はないんですよ。だから、この曲でも夏とはいっても明るいサマーな感じはないんですよね」と述べている。確かに、『陽炎』にも『NAGISAにて』にも「明るいサマーな感じ」は全くない。作者は「夏」と自分との距離をむしろ描きたがっている。他の春、秋、冬の歌にもそのような趣がある。

 二つの歌の風景の中心をなす言葉にも共通項がある。


  そのうち陽が照りつけて
  遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる             『陽炎』


  渚にて泣いていた 貴方の肩は震えていたよ
  波音が際立てた 揺れる二人の 後ろ姿を          『NAGISAにて』


 「陽炎が揺れてる」と「揺れる二人」。「陽炎」「二人」と対象は異なるが、「揺れる」という動詞が共に登場する。
 『陽炎』は「今の自分」が「少年時代の自分」を回想している。現在と過去との間に、時の揺らぎのようなものが起きることでこの歌は生まれた。少年時代の「路地裏」に「陽が照りつけて」、その遠くで「陽炎が揺れてる」。こちら側と向こう側、少年の視線を隔てている場で何かが揺れている。
  『NAGISAにて』では、こちら側にいる「男」が向こう側にいる「女」を眺めている。物語内の現実ではなく想像、妄想の世界だと筆者は解釈したが、どちらにしろ「二人」の関係は揺れている。

 「映画」や「ドラマ」が引き合いに出されたように、この二曲はきわめて映像的な設定であり演出でもある。現在の自分と過去の自分、青年と少年。眺める主体と眺められる客体、男と女。時や場を隔てて、各々の二者は揺れている。志村が「明るいサマーな感じ」という定型を脱構築することによって、物語が揺れはじめる。
 遠くで夏の日が揺れてる。夏の歌が揺れてる。
                                           

2018年7月1日日曜日

ドラマ『R134/湘南の約束』-『NAGISAにて』2[志村正彦LN184]

 7月に入った。梅雨が明けてしまい、とにかく暑い。いつもよりはやい夏の到来にとまどうが、今日も夏の歌、フジファブリック『NAGISAにて』について書くことにする。前回とは異なる観点でこの歌を探究してみたい。

 この季節には様々な渚の物語が始まり渚の歌が生まれるのだろうが、『NAGISAにて』の物語は作者志村正彦の実体験ではなく、彼が見た映画かドラマのワンシーンが素材になっている気がする。根拠はなく推測にすぎないが。

 湘南あたりの渚で繰り広げられる恋物語。その映像を見ている作者が話者となって語り出す。画面のこちら側の人間が画面の向こう側の世界に対して呼びかける。「お嬢さん お願いですから泣かないで」と。呼びかけていくうちに、話者は歌の中の人物と化して歌の内部に入り込む。「ハンカチ」や「散歩」、あれこれと細部の空想が始まる。『NAGISAにて』の歌の主体の誕生。画面のこちら側と向こう側という壁で分断されているはずの二人、出会うことのない二人が、歌物語の内部で「二人」となる。でも彼は「言える訳もない 言える訳もないから」、「お嬢さん」に近づくことはできない。「お嬢さん」との距離を埋めることはできない。そして何事も起きずに遠ざかっていく。話者は画面の世界からこちら側に帰還する。物語の世界の外部から、その世界に取り残された残像としての歌の主体と「貴方」の「二人」の後ろ姿を描く。

 『花屋の娘』(詞・曲:志村正彦)の「夕暮れの路面電車 人気は無いのに/座らないで外見てた/暇つぶしに駅前の花屋さんの娘にちょっと恋をした」にも同様の構造がある。路面電車のこちら側から向こう側「外」の「花屋さんの娘」への「恋」を語り出す。電車の窓が画面の枠組となって想像の世界が広がる。決して出会うことのない二人がそのようにして出会う。そのようにして出会う二人の物語が自らの歌のモチーフだ。あるいはそのような遭遇にこそ今日の恋物語がある。志村はそう考えたのかもしれない。

 そんなことを書きとめていたところ、あるドラマに出会った。6月27日、NHKBSプレミアムで放送された神奈川発地域ドラマ『R134/湘南の約束』である。国道134号線沿いの湘南の渚や海辺が舞台となるロードムービー。脚本は桑村さや香、主演は宮沢氷魚(宮沢和史の息子と付記しておく)。

 物語は、10年前に起きたある事件を契機に故郷の葉山を飛び出した洸太(宮沢氷魚)がアメリカの老婦人マリア(ニーナ・ムラーノ)とあるバーで出会うことから始まる。ある男性が写る古い写真を見せてこの場所に行きたいと訴えるマリアに付き合わされ、洸太はずっと避けてきた故郷への「旅」に向かう。つまり、「Boy Meets Girl」の物語なのだが、「Boy」が屈折した青年、「Girl」が風変わりな老婦人ということが今日的な設定だと言える。

 洸太とマリアの「二人」はおのおの果たせていない「約束」を心に抱えている。美しい海と渚に佇む「二人」の後ろ姿が写るシーンがあるのだが、それを見た時に『NAGISAにて』の最後の一節を想いだした。


  波音が際立てた 揺れる二人の 後ろ姿を


 「約束」を果たそうとする「老婦人」と、その老婦人との出会いと旅によって「約束」に向き合わざるをえなくなる「青年」。おのおのの「約束」を果たそうとして「揺れる」「二人」。その「後ろ姿」が美しい渚の光景と共に画面に描かれていた。設定や状況は全く異なるが、ドラマと歌が出会ったような気がした。

 『NAGISAにて』も『R134/湘南の約束』も、「Boy Meets Girl」の定型的な物語、海辺の恋物語から外れている。人と人はどのような形や経緯であれ、出会いあるいは出会い損ねる。時には出会わないままでいる。それでも、人と人は「二人」となることがある。志村のイメージに倣うならば、その「二人」は揺れている。そして、後ろ姿だけが際立つ。

2018年6月24日日曜日

「渚」の脱構築-『NAGISAにて』1[志村正彦LN183]

 先週の日曜日、山中湖の平野に所用で行った。梅雨の季節のせいか人通りは少ない。このあたりはテニスコートが多いが閑散としている。少し時間があったので車で湖畔を一周していくと、すぐに「山中湖交流プラザきらら」を通り過ぎた。あの「SWEET LOVE SHOWER」の会場。何年前だろうか。フェス当日にたまたまこの道を通ったことがあるが、すごい賑わいと渋滞だった。会場から漏れる音が車内まで届いていた。

 山中湖というといつも思い浮かべる光景がある。子供の頃の夏休み、毎年のように湖畔の会社寮に出かけた。親戚が集まり、東京に住む従兄弟と会えるのが楽しみだった。60年代後半の頃だろう。ある年の夏、湖畔の砂浜に大勢の若者たち、二十歳前後の男女が夏のカラフルな装いをしているのを見かけた。山梨には海がないので、湖畔の浜辺が海のそれを代用していたのだろう。夏の水際の若者たちの姿がずっと記憶に残っている。
 
 山中湖のかつての光景からの連想で、今日はフジファブリック『NAGISAにて』(詞・曲:志村正彦)を取り上げたい。2004年7月14日、2ndシングル『陽炎』のB面としてリリース。アルバム『シングルB面集 2004-2009』にも収録されている。
 レトロなポップス風の軽快な楽曲に、捉えかたによってはかなり複雑な物語がのせられた不思議な作品。最初に聴いた時の戸惑いを思いだしながらこの歌について書いてみたい。


  お嬢さん お願いですから泣かないで
  ならどうぞ 宜しければどうぞ ハンカチを

  辺りを埋める 潮風の匂い

  お嬢さん 泣いてるお暇が有るのなら
  すぐちょっと 気晴らしにちょっと 散歩でも

 「NAGISA」で「お嬢さん」が泣いている。
 理由は分からない。この情景と状況がこの歌のモチーフをなす。「お嬢さん」という古風で丁寧な物言いにまず戸惑う。ラブソング的な展開が自然に浮んでくるのだが、最初から紆余曲折が予想される。歌の主体と「お嬢さん」との間の距離を伝えているようでもある。

 歌の主体は「お願いですから泣かないで」と思う。
 ここまでであればひとまず、歌の主体と「お嬢さん」との間の男女の物語が浮かび上がる。しかし、次の一節に移ると、この物語は不思議な展開をしていく。「ならどうぞ」そうであるならばどうぞと、主体は次の行動を用意する。(「なら」「ならば」というのは、作者の志村正彦がしばしば使う「つなぎの言葉」だ)その行動は「宜しければどうぞ ハンカチを」というものだ。この二人はどういう関係なのかというと聴き手は問いかけるだろう。少なくとも恋愛関係にある相手に対して「宜しければどうぞ ハンカチを」と差し出すのは奇異だ。もしかすると、この「お嬢さん」はこの渚でたまたま出会った女性なのかもしれない。とにかく、歌の主体と「お嬢さん」との関係性が読み取りにくい。

 さらにこの物語は不思議な展開をする。
 「お嬢さん」が「泣いているお暇が有るのなら」という条件のもとで、歌の主体は「すぐちょっと 気晴らしにちょっと 散歩でも」と呼びかけようとする。「お暇」ゆえの「気晴らし」ゆえの「散歩」の提案。この二人にはどうやら何の関係もないことが確かになる。「ハンカチ」と「散歩」は見知らぬ女性に対する男性のアプローチの言葉ともとれる。それも古風な小説のようで生き生きした現実感がない。すべてが歌の主体の想像あるいは妄想のような気もしてくる。
 「辺りを埋める 潮風の匂い」とあるので、歌の主体と「お嬢さん」が潮風の匂いが立ちこめる「NAGISA」にいることは間違いないのだが、それすらも何か幻のようにも感じられる。

  言える訳もない 言える訳もないから

 続く一節で歌の主体は「言える訳もない」を二度繰り返している。
 なぜ「言える訳もない」のだろうか。言うことが全く不可能なのだろか。この疑問に立ち止まると、ここにまで至る物語の展開が、歌の主体の純然たる「想像」あるいは「妄想」だという可能性がにわかに高まってくる。想像あるいは妄想であれば、歌の主体は「お嬢さん」に言葉を投げかけ、「ハンカチ」を上げて「散歩」に誘うこともできるだろう。しかし、歌の主体は何も言えない。言う欲望がないのか、言う勇気がないのか。すでに想像してしまったのであえて言う必要がないのか。どのような「訳」があるのか分からないが「言える訳もない」。そして「言える訳もないから」こそ、主体は「言う」存在から「見る」存在へと転換していく。

  渚にて泣いていた 貴方の肩は震えていたよ
  波風が駆け抜けて 貴方の涙 落としてゆくよ

 歌の主体はこの光景を眺めている。
 「お嬢さん」は「貴方」へと言い換えられる。主体は、「貴方」の肩が震えたり涙を落としたりする光景を見ることのできる位置にいるのだが、「貴方」と歌の主体との距離はより広がっている。主体は「見る」存在、「貴方」は「見られる」存在に固定されている。主体の眼差しの中に「貴方」は捉えられる。映画のカメラのフレームの中に収まるかのように。

  渚にて泣いていた 貴方の肩は震えていたよ
  波音が際立てた 揺れる二人の 後ろ姿を

 最後の一節で「揺れる二人」が登場する。
 それも「後ろ姿」であるので、この「二人」を背後から見つめる「眼差し」がある。映画のカメラのフレームが拡大していき、より広い情景が映し出される。この情景を眺めている者はだれか。カメラの視線を操る者は誰なのか。

 少なくとも二つの捉え方がある。
 一つ目は作中人物としての歌の主体が眺めているという捉え方だ。主体は一貫して「貴方」の方向を見ているが、この場面で「二人」が登場するとしたら、「お嬢さん」の隣に新しい第三の人物が現れると解釈できる。その新しい登場人物こそが「お嬢さん」の恋人なのかもしれない。あまりに唐突な第三の人物の登場ゆえに、この捉え方にはかなりの無理があるだろうが。

 もう一つの捉え方がある。
 この最後の一節で、歌の作中人物としての「主体」と歌の物語を語る「話者」(作者の分身)が分離して、歌の話者が、歌の主体と「お嬢さん」の二人を眺めているという捉え方だ。この場合、歌の話者と歌の主体はどちらも作者の分身であろう。作者が話者(物語の語り手)となって、物語の世界の中の自分(想像の中の自分)を語っているという構造である。
 筆者は後者の捉え方をしたいが、前者も可能だろう。もっと別の考え方もあるだろう。志村のつくる「歌=物語」の豊かさ、面白さである。

 物語のラストシーンで登場する「二人」。
 先ほど述べたように、この「渚」には、歌の主体と、彼が渚で遭遇し妄想の関係を結ぶことになった「お嬢さん」の「二人」がいると仮定しよう。彼らが「揺れる二人」であることがこの情景の中心のイメージとなっている。この二人の間に何かの関係性があって「揺れる」のではない。この二人の間には何もない。出来事は起きない。二人が言葉を交わすことなく、「波音」だけが聞こえてくる。そうだとすると、一人ひとりがおのおのの理由で「揺れる」。そのようにして二人が揺れている。奇妙な解釈かもしれないがあえてそうしたい。そうすると、おのおのの孤独だけが浮かび上がってくる。この「渚」にはおのおのの孤独を抱えた二人、交わらない男女がいるのだ。

 『NAGISAにて』のサウンドは、60年代の「湘南ポップス」やグループサウンズを再解釈した楽曲である。歌詞の世界も、数多くある「渚」のラブソングの物語を反転させている。かつての若者が熱狂した現代思想的な語彙を使うならば、作者の志村正彦はラブソングを「脱構築」したと言えよう。だからこそ『渚にて』ではなく『NAGISAにて』という題名を与えたのかもしれない。

2018年6月18日月曜日

花を植えたい 『ムーンライト』[志村正彦LN182]

 フジファブリック『ムーンライト』は、『蜃気楼』と共に6thシングル『茜色の夕日』のカップリング曲としてリリースされた。アルバムでは『シングルB面集 2004-2009』に収録されている。このところこのCDをよくかけるのだが、『蜃気楼』の次が『ムーンライト』という曲順なので、この二曲を続けて聴くことになる。
 『ムーンライト』(詞・曲:志村正彦)の歌詞を引用してみよう。


  今日はなんか不思議な気分さ
  大きなテーマを考えたいのさ

  そう例えば 人類の夢とか
  想像は果てなく続く

  ムーンライトが照らした

  いつの日かクレーターに潜ってみたり
  惑星を眺めつつ花を植えたい

  さあ行こうか 大空
  ワープですり抜けて 飛び出して行こう

  ムーンライトが照らした

  いつの日かクレーターに潜ってみたり
  惑星を眺めつつ花を植えたい


 いかにも不安で下降していく音調の『蜃気楼』が終わり、明るく軽快に上昇していくかのような『ムーンライト』のイントロが奏でられると、曲が流れる部屋の雰囲気が一変する。
 「今日はなんか不思議な気分さ/大きなテーマを考えたいのさ」「そう例えば 人類の夢とか/想像は果てなく続く」という志村の声に促されるように、こちらもおおらかな気持ちになっいく。そうか、「夢」とか「想像」を自由に広げていけばよいのだ。のびやかなメロディやリズムに乗って、想像のスクリーンにいろいろなものを浮かべて。聴き手にそのような遊びを与えるのはこの歌の素晴らしさだ。

 志村のスクリーンには「ムーンライトが照らした」世界が登場した。この歌の主体は「ワープですり抜けて」「大空」に飛び出して行く。宇宙飛行や宇宙遊泳という夢の世界が背景となっているが、歌詞の舞台はあくまで「ムーンライト」、「月」という場に限定されている。「月」は彼が繰り返し表現したモチーフだが、志村は「月」や「月の光」の情感を何よりも愛した。月の海の「クレーター」に潜ってみたり、「惑星」を、これは月から見た地球のことだろうが、眺めてみたり、月面での遊泳は、重力から解き放されたように、軽やかに戯れることができる。そしてここで「花を植えたい」という表現が現れ出る。
 「花」という言葉の反復。「僕は読み返しては感動している」、『桜の季節』の歌詞に倣ってそのように記してもよいだろうか。

 「志村正彦の花」とでも名付けたい花々がある。部屋の窓ごしの花、野に咲く花、路地裏の花。その花々に、『蜃気楼』では「おぼろげに見える彼方」に咲く「鮮やかな花」が、さらに『ムーンライト』では月面か宇宙のどこかに植えたい「花」が加わる。部屋の窓や路地裏という身近な小さな場所から空の彼方、月や宇宙へと、花の咲く空間が広がっていく。花に対する想像力が自由に羽ばたいていく。これはこれで花についての「大きなテーマ」になるのかもしれない。

 人間の織りなす世界から遠く隔てられているからこそ花は美しい。人間にとって他なるものであるからこそ花には恵みがある。微少なものかもしれないが恩寵がある。志村は花を慈しみ、花を歌い続けた。

2018年6月9日土曜日

もう一つの短編映画-『蜃気楼』10[志村正彦LN181]

 フジファブリック『蜃気楼』について断続的に書いてきたが、今回でひとまずの区切りにしたい。これまでの考察と重複するところもあるが、完結編として記述してみたい。

 『スクラップ・ヘブン』パンフレット(オフィス・シロウズ、2005/10/8)掲載の「DIALOGUE  李相日×志村正彦(フジファブリック)」という対談の冒頭の部分には、この曲の依頼の経緯についての重要なコメントがある。


『スクラップ・ヘブン』パンフレット表紙


李  最初に、エンディングに劇中音楽を流した状態で見てもらったんですよね。

志村 エンディングテーマを作るというのが初めてだったんで、まずは映画を見てから返事をさせてくださいって言って。映画は……素人っぽい感想なんですけど、見ていてすごいハラハラしました。

李  (笑)

志村 僕自身、「こうなったらいいな」とか「こうならなくてよかったな」とか思うことが、実際の生活の中でも夢の中でもよくあるんですけど、そのふたつって紙一重だと思うんですよね。どっちに踏み出すかによって結果が変わってくるんだけど、『スクラップ・ヘブン』にはその両方が描かれているというか。ヒーローになりたい気持ちがありながら、逆の方向に転んでしまったり。そういう紙一重なところが、普段僕が考えていることと通じる気がしました。

李  最初の打ち合わせの時、ふたりきりなら志村さんも素直に感想を言えたんだろうけど、まわりに人がいっぱいいたからお互いあんまり話せなくて、「後はこっそりメールで」ってことにして。

志村 メールでやりとりできたのがよかったですね。

李  具体的に何を書いたのか覚えていないけど、「この映画って、見終わってはてなマークが出る人が大勢いるだろうから、そこを曲でカバーしてください」みたいなお願いのしかたでしたよね、確か。エンディングの画が終わったら、そこから先は別ものっていう考え方の監督もいるけど、僕はエンディングテーマもひっくるめて一本の映画というふうにしたくて。エンドロールって、映画の余韻を味わったり振り返ったりするコーヒータイムみたいなものだと思うんです。

志村 読後感っていうんですか、そういう「映画を見終わった感」が出せればいいなと思って、同時に曲単体でもいいものを作りたかった。結果的にはその両方ができてよかったなと。


 李監督が最初に流した劇中音楽は、映画DVDに六曲のサウンドトラックとして収録されている。音楽監督の會田茂一による80年代のインダストリアル・ロック調の曲で、會田茂一、中村達也、佐藤研二、生江匠、二杉昌夫が演奏している。映画の鬱屈した雰囲気とテンポを巧みに表しているが、すべてインストルメンタルで歌詞もない。エンディングのテーマ曲にはふつう歌詞があるので、この劇中音楽をそのまま使うことはできなかったのだろう。

 李監督が「見終わってはてなマークが出る人が大勢いるだろうから」と述べているのは、志村正彦が繰り返し言及している言葉によれば、「絶望」と「希望」あるいはそのどちらともいえない状況、その「紙一重」の状況があるからだ。映画のエンディングをどのように受けとめるのか。その意味合いをどう解釈したらよいのか。どちらともいえない、いいきれないような「決定不能」のところがある。それゆえに監督は「そこを曲でカバーしてください」と志村に依頼した。テーマ曲にゆだねようとした。そういうわけで、エンディングの映像とテーマ曲を複合させ、ある種の補填や相乗の効果によって映画『スクラップ・ヘブン』を完結させる、そのような重大な使命が志村に課せられた。彼自身この映画を相当に気に入ったようで、その使命を受け制作する決断をした。

 「こうなったらいいな」「こうならなくてよかったな」というような紙一重の状況。実際の生活の中でも夢の中でも、そのような紙一重の状況に遭遇すると答えているのが興味深い。志村の作品には、二つの状況や系列、テーマやモチーフが同時に進行して、ある時に重なりある時に離れていくという展開がしばしば見られるが、このような展開は、この彼自身の「紙一重」という感性の在り方に影響されている。

 志村は制作の過程で『スクラップ・ヘブン』の世界、受け入れがたい今日の世界の在り方をまずはじめに自らの鬱屈した声と不気味な楽曲の音色で描いていった。その次の段階で、声と楽曲の陰鬱な調子と歌詞による言葉の世界を分離させていき、「こうなったらいいな」という希望の物語を紡ぎ出していった。

 もう一度、 フジファブリック『蜃気楼』のCD収録のオリジナル音源(以下「CD版」と記す)と映画のエンディング使用音源(以下「映画版」と記す)の二つの歌詞の色分けして引用したい。CD版のみにあって映画版にはない部分を赤字で示す。


   三叉路でウララ 右往左往
   果てなく続く摩天楼

   喉はカラカラ ほんとは
   月を眺めていると

   この素晴らしき世界に降り注ぐ雨が止み
   新たな息吹上げるものたちが顔を出している

   おぼろげに見える彼方まで
   鮮やかな花を咲かせよう

   蜃気楼… 蜃気楼…

   この素晴らしき世界に僕は踊らされている
   消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる

   おぼろげに見える彼方まで
   鮮やかな花を咲かせよう

   蜃気楼… 蜃気楼…


 CD版と映画版の差異は、第2連から5連までの赤字の部分の有無である。映画版にはない部分は「この素晴らしき世界」に降り注ぐ「雨」が止むという情景が鍵となる。『陽炎』や『虹』もそうであるように、志村正彦は雨上がりの世界をよく歌った。雨が降りやむと新しい風景や出来事が現れる。『蜃気楼』の場合、「新たな息吹上げるものたち」が顔を出す。この息吹、命あるものは歌詞の展開上、「鮮やかな花」であろう。
 初期の作品『花』には「つぼみ開こうか迷う花 見ていた」という一節がある。花の開花する過程、その時間を見つめている。『蜃気楼』にも「息吹上げる」という過程への眼差しがある。花の生育の過程を志村は愛おしく感じていたのだろう。

 「おぼろげに見える彼方」には、楽曲の風景の核にある「蜃気楼」というイメージが投影されている。蜃気楼には色彩感があまり感じられない。空の薄暗い灰色やかすかな青色が混じり合ったような世界、どちらかというと色のないモノクロームの風景のような気がする。その彼方に登場する「鮮やかな花」は、色彩感のあまりない蜃気楼の風景の中でひときわ鮮やかに輝く。花の鮮やかな彩りが蜃気楼の世界に新たな命を吹き込むかのように。そして、映画のエンディングの欠落したシーンを補填するかのように。
 映画版の歌詞にはこの赤字の部分が省略されているのでこのプロセスがつかみにくいが、CD版の歌詞を補うことで「鮮やかな花」の出現する意味合いをたどることができる。

 『スクラップ・ヘブン』には「世界の消滅」というテーマがある。登場人物の三人、偶然出会ったテツ、シンゴ、サキはおのおの「世界を一瞬で消す」欲望のために行動する。世界の消滅への欲望は反転すると、自己自身に回帰してくる。この物語も停滞したり遅延したりしていく。見いだしたものが失われていく。失われたものが再び見いだされる。混乱し錯綜していく。

 映画のラストシーン。シンゴは意を決したかのように、サキが製造した「世界を一瞬で消す」小瓶を空に放り投げる。その小瓶はたまたま通りがかった廃品回収のトラックにそのまま落下する。ゴミがクッションになって破裂することはなかった。「世界の消滅への欲望」はそのようにして終わる。呆気なく、まるで憑き物が落ちたかのように。テーマの中心がずらされていく。何が一体起こったのだろうか。何がこれから起こるのだろうか。
 このラストシーンからは、「世界の消滅への欲望」から「消滅」という項目が脱落してしまったとも考えられる。そうすると不思議なことに、「世界の消滅への欲望」が「世界への欲望」へとゆるやかに反転していく。シンゴは新たに「世界への欲望」へと歩み始めねばならない。そのような未来の方向も読み取れるかもしれない。映画の観客も一人ひとり、その方向を想像していくように促されている。

 志村正彦は上記の対談で「エンディング曲」と共に「曲単体」としても良い作品であることを求めたと述べている。「結果的にはその両方ができてよかったなと」と発言しているが、確かに、というか志村の評価以上に、『蜃気楼』はその二つの目的が高い次元で達成されている。
 志村自身は新たな「世界への欲望」を「鮮やかな花を咲かせよう」という欲望として描いた。自らの想像力によって、映画の結末の彼方に「蜃気楼」と「花」を出現させた。
 だから実質的には、『スクラップ・ヘブン』という2時間の映画の本編終了後に、『蜃気楼』という作品、もう一つの『スクラップ・ヘブン』、あり得るかもしれない数分の短編映画を創り上げたとも考えられる。

2018年5月31日木曜日

2008年5月31日。[志村正彦LN180]

  2008年5月31日、十年前の今日。フジファブリックは富士吉田市民会館でコンサートを開いた。僕はこのライブに行ってない。そもそも、その頃はまだフジファブリックという存在を知らなかった。おぼろげではあるが、山梨日日新聞の紙面で二三度「フジファブリック」という固有名を見た記憶があるにはある。おそらく「フジ」という名に反応したのだろう。しかしそのまま通り過ぎてしまった。実際に音源を聴くことはなかった。

 2000年代、同時代のロックに対する興味をほぼ失っていた。日本語ロックは終わってしまった。歴史の中に生き続けるしかない。そんな白けた気分があった。そういう個人的な背景があったから、フジファブリックに出会い損ねてしまったのかもしれない。今からすると何か偶然でもあったらとつぶやいてみたりする。結局、自分の不明を恥じる。こんなことを書き連ねても堂々巡りだが。

 今日は時間があったので、フジファブリック『live at 富士五湖文化センター』を通しで見た。2時間の間、様々なことを想った。ライブの映像ゆえに情報量が多い。以前は気がつかなかったことが見えてくる。実際には行ってないライブについて書くというのも「記念日」便乗のようで抵抗がなくはないが、この日付が終わらないうちに書いておきたいことがある。

 1曲目は『ペダル』。「TEENAGER FANCLUB TOUR」なのでアルバム『TEENAGER』の冒頭曲になったのだろうが、『ペダル』がオープニング曲ということは素晴らしい。「ペダル」を漕ぎ出すようにして声と音が動き出す。観客の声援が湧き上がる。


  だいだい色 そしてピンク 咲いている花が
  まぶしいと感じるなんて しょうがないのかい?

  平凡な日々にもちょっと好感を持って
  毎回の景色にだって 愛着が湧いた

  あの角を曲がっても 消えないでよ 消えないでよ


 志村正彦が終生愛した「花」の描写から故郷の凱旋公演が始まる。あの時志村の視線の向こう側には、富士吉田の「だいだい色 そしてピンク 咲いている花」がまぶしく輝いていたのかもしれない。「花」のモチーフが『ペダル』の基底にある。「平凡な日々」の「毎回の景色」、「好感」や「愛着」の対象も「花」。「あの角を曲がっても 消えないでよ 消えないでよ」と呼びかけられるものも「花」。「花」の風景の中を「ペダル」が漕いでいく。そんなことを強く感じた。
                               
 2曲目の『記念写真』。「消えてしまう前に 心に詰め込んだ」という一節が迫ってきた。『ペダル』の「消えないでよ」と『記念写真』の「消えてしまう前に」。この二つの曲に「消える」というモチーフが貫かれている。そのことに気づいた。志村には「消える」というモチーフの歌が非常に多い。ライブで連続して歌われるとこの二つの曲のモチーフが響き合う。曲順やその展開によって言葉や音像が交錯し、思いがけない連想がもたらされることがある。消える、消えない。消えないで、消えてしまう前に。「TEENAGER」の声が聞こえ、消えていく。

 志村のMC。メンバーの紹介。観客の表情。会場の雰囲気。記録として残されたことが貴重であり、DVDとしてリリースされたのは喜ぶべきことだ。
 アンコールの二曲、『茜色の夕日』と『陽炎』。この二つの歌を聴くと心が静かに動かされる。揺さぶられ、そして整われていく。

 勤務先では週に三日の「チャペルアワー」で教職員、学生、牧師の講話がある。今年の年間聖句は「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」『新約聖書』「ローマの信徒への手紙」12章15節、パウロによる言葉である。クリスチャンではない僕にとって理解するのは難しいが、伝わってくるものはある。講話によって自然にこの言葉と対話することになった。「喜ぶ人」「泣く人」、何よりも「人」に焦点が当てられている。

 あの日志村正彦は故郷に帰還した。「喜ぶ人」となり「泣く人」ともなった。とりたててキリスト教の文脈で語る意図はないが、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」という言葉が今日は自然に浮かんできた。「人と共に」いう言葉に立ち止まってしまった。この文の書き手である僕は彼を知らなかった、いや未だに知らない。僕のような存在は、志村正彦という「人」と「共に」ということはできないだろう。安易に「人と共に」と考えてしまうとかえって「人」から遠ざかってしまう。「人と共に」ではない位置があるのか。あるのだとしたらどういう位置なのだろうか。そんなことを自分に問いかけた。

 自問自答が続いた。単純ではあるが、「作品」を聴く、見るという基本の位置に思い至った。「人と共に」は不可能であっても、「作品と共に」は可能であるだろう。

 作品と共に喜び、作品と共に泣く。『茜色の夕日』と共に喜び、『茜色の夕日』と共に泣く。『陽炎』と共に喜び、『陽炎』と共に泣く。そのように喜び、泣く。その経験を書くことはできるだろう。